第20話 「今度はこの僕が、君の手を引こう」~舘林視点~
それは僕が、ホラー克服の一環として、投稿型の小説サイトにまで目を通していたときのことだった。
「……“あすさくら”」
偶然見つけた小説の作者名に、懐かしさを覚えた。
忘れるはずもない。感銘を受けた、あの作品の台詞は、今でも僕の理念として生き続けているのだから。
もっとも、それは単なる同名の、全くの別人である可能性が大いにあった。
「うっ……これは……」
なにせ、あの頃とは作風があまりにも違っていた。
“ホラー要素あり”どころではない。完全なホラー作品だった。
ダークファンタジーとは名ばかりで、思いつく限りの理不尽をぶちまけたような結末。中にはR指定が付けられているものまである。
これは、さすがに別人だろう。
そう思いながらも、過去作まで遡っていくと、ぽつぽつと、ごく普通のファンタジー小説も投稿されていた。
そこには、あの青臭い叫びがあった。
未来を信じる結末があった。
作者の素直な感情が、剥き出しのまま描かれていた。
「……同一人物じゃないか」
何度も読み返した、あの漫画と似た設定。
台詞回しの癖も重なり、疑念はやがて確信に変わった。
なぜ、彼女はここまで作風を変えてしまったのか。
単に加虐的な嗜好に目覚めた可能性も、ゼロではない。
それでも僕は、どうしても恩人のその後が気になってしまった。
やり過ぎだと思いつつも、“あすさくら”こと櫻井明日香の現状を知る級友から、色々と話を聞いた。
彼女は今、老舗の食堂でアルバイトをしているらしい。
実際にその店を訪ねてみて、僕はすぐに理解した。
――彼女が作風を変えた理由を。
「いやーもう! この料理は、この食器でって言ったじゃない?」
「あ、でも、以前まではこの食器で……」
「こっちの方が見た目が映えるのよ。ちょっとは考えてほしいわ」
「ほんと、櫻井さんのそういうところが駄目なのよね」
「ちょっと、このスープ、頼んだ味と違うんじゃない?」
「……すみません」
「まあ、スープなんて誰でも出来るから、最初から指示しなかった私たちが悪かったのよ」
「あーあ、でもこれ、どうしよう。捨てるしかないんじゃない?」
「あーもう、ほんと最悪だわ……」
厨房から、嫌でも耳に入ってくる叱責。
いや、これはもう罵声と言っていい。
遠目に覗き込むと、何度も頭を下げながら作業を続ける女性の姿が見えた。
それが、ひと目であのときの先輩だとわかった。
懐かしい面影は確かに残っている。
だが、あの頃のような活気は、どこにもなかった。
「すみません。この店って……いつも、あんな感じなんですか?」
常連らしき中年男性に尋ねると、彼は小さく肩をすくめた。
「……まあな。前の旦那が生きてた頃は、こんな雰囲気じゃなかったんだが。今じゃ、あの娘姉妹が我が物顔で、八つ当たりしてるんだ」
彼もまた、あの姉妹の不満を溜め込んでいたのだろう。
初対面の僕に、この店の現状を事細かに語ってくれた。
中でも、僕の耳に強く残ったのは、『アルバイトたちに対する度重なる皮肉と圧力』だった。
仮に悪意がなくとも、思いやりの欠片もない言葉の積み重ねは、人の心を確実に磨り潰す。
今ならそれも立派なパワハラだろう。
だが、アルバイトである彼女は、それを『耐えるもの』としている。
……いや、もう『反論すること』を諦めてしまっているのだ。
そうして溜め込んだ鬱屈感。
理不尽だという猛り。
それを、彼女はあの作品群で吐き出している。
そんな形で曝け出すことしか、出来なくなってしまっているのだろう。
「豚の生姜焼きセットになります」
運ばれてきた料理を一口食べ、僕は人知れず顔を顰めた。
「……これは、不味いな」
それから僕は、日を追うごとに、彼女をあの現状から救い出したいと思うようになった。
自惚れた感情だという自覚はある。
それでも、『世の中は理不尽だ』と喚くことしかしない彼女を、どうしても一歩、踏み出させたかった。
陰鬱で、クソつまらないダークファンタジーなんかより、
バカ正直に、青臭いメッセージを並べたファンタジーの方が、彼女には似合うと思った。
だから――。
君に踏み出す勇気がないのなら、今度はこの僕が、君の手を引こう。
君の小説を、僕が買ってしまえばいい。
そして、強引にでも環境を一変させてしまえばいい。
突拍子もない行動だが、それこそ僕の得意分野だ。
だが――。
引きずり出した後の君との生活は、正直、苦悩の連続だった。
君が、僕の想定以上に、僕だけには、頑固な人だったから。
どうすれば、君の小説は変わるのか。
どうすれば、君の心は解きほぐれるのか。
色々と模索したが、妙案が浮かぶはずもなかった。
僕には、人を支え育てる才能がないのだから。
……それでも僕は、君の心境が少しずつ変わっていくと信じている。
事実、無言で脱走されたときは胆が冷えたが、自分から変わろうとして動いたのだと知った瞬間、恐怖心など吹き飛ぶほど嬉しかった。
この先も僕は、僕を変えてくれた君が変わっていく様を、見届けていきたい。
そのためならばいくらでも悪態をつこう。皮肉も言おう。
ほぼホラーな小説だって、嫌々ながら読み続けようじゃないか。
酷く身勝手で、理不尽だと君は言うだろうが、むしろそれでいい。
――なにせこれは、君が抱いてしまった理不尽を、 僕の理不尽で打ち消してやる……そういう勝負なんだからね。




