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第2話 「――これは、クソ不味いね」


 私のバイト先は、繁華街から少し外れた一角に建つ老舗食堂だ。

 チェーン店や大手スーパーより、こういうこじんまりした店の方が趣があって落ち着ける――そう思って選んだ場所だった。


 店長のおじいさんは人柄がよく、誰にでもサービスしちゃうような太っ腹な人だった。

 ……が、それも今は昔。二年前に病気で亡くなった後は店長の娘姉妹が引き継いでいる。


 そして、この娘姉妹が曲者だった。


  


「櫻井さん、このドレッシング味濃くない? せっかく健康的な料理なのに、これじゃ台無しよ」

「櫻井さんの家では濃い味が普通なんでしょうけど、ここは店なんだからちゃんと“一般向け”の味付けにしてくれなきゃダメじゃない。わかってる?」

「……すみません」


 言われるままに、私はドレッシングの入ったボウルを受け取る。


 ――だったらお前らが作れよ!

 と、喉まで出かける言葉を飲み込んだ。


 この姉妹は店を継いだわりに、父親(店長)の味をろくに記憶していなかった。まあ父親(店長)の方も特にレシピを残してなかったんだけど。

 そのため、店の味付けを覚えているのは、以前からバイトしていた私くらいしかいない。

 だから私は”貴重な舌”として頼られていた。


 引き継いだ当初こそはチヤホヤしてくれていて、そこまで居心地は悪くなかった。

 が、二年も経てば“我”が出てくるもので――。


「もっと今流行りのオーガニックとかグルテンフリーを取り入れた店にしたいわ~」

「えー、やっぱりレトロモダンな喫茶店でしょ。レコード流してさ」


 食堂のメニューは完全に彼女たち好みに改変され、私は気づけば調理担当から外されていた。

 今では仕込みと清掃がメインで、二人からはあれやこれやクレームばかり。

 常連客はめっきり減り、同じ立場だったバイト仲間たちも辞めていった。

 先代の頃から残っている面子は、今や私くらいだ。


 私だってさっさと辞めてしまいたい。だから先代店長のレシピは覚え書きだが、大体は書き留めてあげた。

 だが、いざ辞めると切り出すと、姉妹は手の平を返して泣きついてくる。


『櫻井さんまで辞めたら店が潰れちゃうから。もう少し待って?』

『貴方がいないと父さんの味が本当に無くなっちゃうわ!』


 毎度そんな文言で都合よく丸め込まれ、反論出来ない私は、今ではもう諦めているところもある。

 まあ結局、あの姉妹は私を都合のいい雑用として使いたいだけなんだ。

 じゃなきゃあ、ドレッシング一つに目くじらなんか立てやしない。

 

 ……っていうか、味が濃いとか文句は天国の店長に言ってほしい。これが“店長の味”なんだから。


「はあー……」


 とはいえ、毎日のように姑みたいな嫌味や小言を浴びせられ続け、褒められることもない。さすがに心が荒む。


 それを小説の中で喚きたくもなる。

 だがそれは私に限ったことじゃない。誰だって喚きたくなることくらいあるはずだ。


 それなのに――なんなんだ、あの男は!


 再び苛立ちが湧き上げ、私はキャベツに包丁を叩きつけるように切っていた。

 と、そのときだ。




「――これは、クソ不味いね。一体誰が作ったのかなあ?」


 調理場にまで響くクレーム。

 そのイケボを聞いた瞬間、背筋が凍る。


 思わず店内を覗くと、そこには――あの男がいた。


「嘘だろ……」


 まさか後をつけられた?

 いや、あれだけ人混みに紛れたのに……。

 恐怖で全身から血の気が引いていく。



「……すみませんでした。お代は結構ですので」


 接客担当の姉が頭を下げる。

 続いて厨房担当の妹が、引きつった笑みで言った。


「あの……調理担当には私から言っておきますので、今後の参考のためにも、どこが不味かったのか教えていただけますか?」


 その視線は続けて覗き見ていた私の方へ向く。

 私が作ったわけじゃないのだが、クレームを聞いて改善しろ、と言いたげだ。


「何が不味いって……まず全体的に薄味なんだよね。この豚の生姜焼き定食。スープなんてただのお湯かと思ったよ」

「ですが、当店は健康志向でして。素材の味を生かした料理を提供しているんです――」


 負けじと妹が反論する。

 ……って、この食堂、いつから健康志向になったのやら。


「健康志向? そんなの看板にもメニュー表にも店内のどこにも書いてないよね? こういった雰囲気の大衆食堂なら、誰だって丁度いい“濃いめ”を想像すると思うけど?」


 それはただの偏見だと思うが、姉妹のこだわりが客に伝わっていないのもまた確かではあった。


「それなのにマイルドならまだいいとしても、通り越してただうっすいだけなんだよね。このドレッシングなんて、せっかくのコクを水で更に薄めたような味がしてて、だから不味い……あー、がっかりだね」


 ――ドレッシング。その単語に胸がぴくりと跳ねた。

 まるで私の不満を代弁してくれたようで、少しだけ胸がスッとしたのだ。


 それだけではない。

 男の声は人目を引くほどよく通り、いつの間にか店内中が彼を見ていた。

 客の皆が、男の言葉に魅せられて同調しているようだった。


 すると、短気な妹がテーブルを叩いて叫んだ。


「も、もう結構です! 十分参考になりましたので、お引き取り下さい!」


 想像以上の指摘を人前で曝され、プライドが傷ついたようだ。

 ……だったら聞かなきゃよかったのに。


「まあ待ちたまえ。深く考えず注文した僕にも非があるのは確かだ。だからちゃんと食事代は払うよ」


 そう言うと、男は懐から帯封付きの札束を取り出した。


「え!?」

「はあ!?」


 姉妹が揃って素頓狂な声を出す。


 札束をハンカチみたいに出す人なんて初めて見た。

 予想外の金額には姉妹も客も固まった。もちろん私もだ。


「あの……豚の生姜焼き定食は1,480円なんですが……」

「ああ。これはね、食事代プラス――()()が気持ちよくこの店を辞められるための退職金だよ」


 突如、男の視線が私に向いた。


「え!?」

「はあ!?」


 私は慌てて後ずさる。


「ちょっと櫻井さん、この人知り合いなの?」

「まさか、うちの店を陥れるためにこんな変な人連れてきたんじゃないでしょうね!」


 急に犯人扱いされ、私は混乱した。


「いや、私もちょっと前に出会ったばっかで……っていうか、なんで職場まで知ってんのアンタ!」


 姉妹の視線から逃げるように、私は男に駆け寄り怒鳴る。


「いやいや、この僕を甘く見てもらっちゃあ困るよ。君の情報くらい何でもお見通しさ」


 ストーカー発言を堂々としているってこと、わかっているのかコイツは。


「ちなみに、彼女は悪くないよ」


 すると男が突然、私に助け舟を出した。


「なにせ、彼女をスカウトするために、僕が勝手にここへ押しかけただけだからね」


 姉妹が困惑顔をする。


「スカウト?」

「ああそうさ。僕は彼女を“専属小説家”として雇用したいんだよ」


 ――いや、助け舟どころか、酷い泥舟だった。


「……ちょ、ちょっと!!!!?」


 私は当然、この姉妹にだって小説を書いていることは言っていない。

 なのに、なんで平然とカミングアウトしちゃうかな、この男は……!!


「え、櫻井さん、小説書いてるの?」

「いや、そ、それは……」


 秘密を暴露されたせいで、全身の熱が奔る。


「しかし、彼女が急に辞めたら店に迷惑が掛かるだろうからね。これはその“お詫びの退職金”というわけさ」

「いや普通、退職金って辞める側が貰うんだよ! しかもなんでアンタが出してんの!」


 興奮のあまり、語気が荒くなっていた。


「ん? ああ。小切手の方が良かったかな? それとも電子マネー?」

「そういう問題じゃないっての!」


 この男、金銭感覚がおかしいどころか、常識すら怪しい。


「あーもう! わかった、一旦話し合おう! だから金しまえ!!」

「僕はね、一度懐から出した金は、巡り巡って自分の元へ返ってくるまで受け取らない性質(たち)でね」


 男は指を左右に振ってチッチッと舌打ちする。

 やる事なす事いちいち腹が立つなあ。


「こっち来い!」


 堪え切れず、私は男の腕を掴んだ。


「ちょ、櫻井さん!?」

「ちゃんと戻りますから、ご心配なく!」


「ああではその金は、この店への“寄付金”ということで受け取ってくれたまえ」

「金の話はもういいっての!!」


 私は男を強引に引っ張り、店の外へ逃げ出した。




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