第16話 「何度も言わせないでほしいね」
小道の先――森の中は、より一層不気味な空間が広がっていた。
暗い森を歩くなんて、家族とキャンプに行ったとき以来かもしれない。
「なんも出るなよ……なんも出るなよ……」
流石に私だって、怖いものは怖い。
ガサガサと草木が揺れる様子や音は、まるで何か出てくるんじゃないかと、嫌でも錯覚させられる。
何故こんな時間に脱走しようなんて企てたのかと、今更ながら後悔さえしてきた。
呪文のように言葉を繰り返しながら、私は舗装されていない獣道を進む。
緩やかなカーブの下り坂に差し掛かったところで、ふと思った。
「そういえば……今の恐怖感って、小説に活かせないかな……」
別にホラーものを書いているわけじゃないし、恐怖を描写したいわけでもない。
だが、こういった経験が、臨場感のある小説を生み出すこともあるだろう。
「ちょっと、今の心情をメモだけしといて……」
そう呟いて、スマホのメモアプリを起動しようとした。
――次の瞬間。
完全な不注意で、足を踏み外した。
「あっ……」
バランスを取ろうにも、もう手遅れだった。
目の前の光景が一回転し、そのまま一気に滑落する。
「うあああぁぁぁっ!!!」
身を守る動作を取る暇もなく、私の身体は真下へ向かって、何度も横転を繰り返した。
不幸中の幸いだったのは、踏み外した先が緩やかな傾斜だったことと、そこまでの高さがなかったことだろう。
……いや、それでも全身が痛いし、目は回るし、気持ち悪い。
「最悪……」
激痛はないから、骨折などはしていないようだが、しばらく動けそうにないレベルだ。
それでも、無理やりにでも動かないと、脱走してきた意味がなくなる。
私は上体だけを、ゆっくりと起こす。
――と、あることに気付いた。
どうやらリュックのファスナーを閉め忘れていたらしく、今の滑落で中身が全部飛び出してしまっていた。
まあ、リュックに入れていたものなんて、“たった一つ”を除けば、大した物は入っていないのだが。
「うわ……こんなん、理不尽過ぎるだろ……」
苦痛の呻きと共に、深いため息が漏れた。
そのときだった。
「――自分の不注意を“理不尽”でまとめるのは、少々筋違いじゃないかい?」
聞き覚えのあるイケボ。
顔を上げると、舘林が屈み込んだまま、呆れ顔を浮かべていた。
まさかの登場に、私は一気に顔面蒼白になる。
「うあああぁぁぁっ!!!」
転げ落ちたときと同じ悲鳴を上げ、私は後退った。
火事場の馬鹿力というやつなのか、不思議と全身の痛みも忘れている。
「……君ね、僕を見るたびに、幽霊でも見たかのような品のない悲鳴を上げるのは止めたまえ」
登場して早々、相変わらずの言い草だ。
だが苛立ち以上に、私は“コイツの登場”そのものに震え上がっていた。
「そりゃ、そう……だって、どうして、ここが……!!?」
ツッコミたいことは山ほどあったが、一番の疑問は“どうして私の居場所がわかったのか”だ。
一瞬、本気で私の怨霊か何かなんじゃないかと思ったほどだ。
「アンタん家、出てってから……まだ三十分も経ってないんだけど!? 追いかけて来るにしても、もっと時間経ってからだろ、普通は!!」
「普通も何も、君が無断で家を出たと気付いて探したら、すぐに見つかった。それだけだろう? ……まあ、カラクリはそれだけじゃないけどね」
そう言って、舘林は手にしていた物――私が持って来ていた“たった一つ”の大した物、鉱石を見せた。
「君を疑っていたわけじゃないんだけど……一応、念には念を入れてあってね」
彼は丁寧に、鉱石のケースを弄り始める。
すると、ケースの底がカチリと音を立て、一回転した。
隠し底になっていたそこから、小型の装置のようなものが現れる。
「それって、まさか……発信機?」
「その“まさか”さ。君がもしもこれを売り払っても、買い戻せるようにと思ってね。あくまで原石のためであって、君をストーカーするためではないよ」
そこまでしていたとは、想像もしていなかった。
舘林のほぼアウトな台詞には、恐ろしさよりも妙に納得が勝り、怒る気も失せる。
とはいえ想像以上の行為に驚いて、思わず目眩がしてくる。
……いや、実際にもうしている。
私は全身の痛みや気持ち悪さを堪えつつ、鼻で笑って言った。
「……そこまで用意周到だったんなら、まあ、理由もわかるでしょ? ちょっとお金が要りようでさ。だからその石ころを売りたかったんだよ。そんなのでも、少しは金になるだろうと思って、だから――」
「はあ? 何度も言わせないでほしいね。君は君が思っている以上に、顔に出やすい人間なんだから。ヘタクソな嘘は止めたまえ」
舘林の反論に、私の方こそ「はあ?」と言いたくなる。
前にも言われたが、私はこう見えて我慢強い方で、本音は言わずに隠し通せていたタイプなんだけど?
「それに、本当に金が要りようなら、先ほど小説を見せてきたとき、真っ先に報酬の催促をしたはずだ」
「うぐっ」
思わず呻き声が漏れた。
……コイツの、こういうたまに抜け目がないところが、本当に厄介だ。
「まあ……『生活が苦で脱走した』と言わなかった辺り、まだ僕の家に戻るつもりではあったようだけどね」
真っ直ぐに見つめる舘林の双眸が、真実を話せと言っている。
吸い込まれそうなその視線から逃れるように、私は顔を逸らした。
「……今日、柳原さんが贔屓にしてる店でデリバリー頼んだら、あの酒屋の娘さんが来たんだよ」
その言葉を聞くなり、舘林は眉を顰めた。
「そのときに色々言われたよ。アンタがダッサイ盗難に遭って通報しなかったこととか、あの家から出て行って欲しいとか、直接ね」
彼は深いため息を吐き出す。
「はー……やはりそうなってしまったか。小日向くんは少々猪突猛進なところがあってね。僕を労わるあまり、暴走することがたまにあるのさ」
先日の歓迎会についても、その暴走を未然に防ぐ目的があって、彼女を誘ったのだという。
……だったら先に小日向の予定を聞いておけばいいものを。
「だけど、それと今回の脱走と、何の因果関係が……?」
「私にも思うところがあったっていうか、引っかかるもんがあったんだ」
舘林の勢いに乗って今も住み続けてはいるが、小日向の言う通り、普通じゃないのは確かだ。
“パトロン相手とのシェアハウス”なんて上手いまとめ方も出来るだろうが、柳原や小日向みたいに、納得しきれていない人間もいる。
「結局、周囲からしたら私は“なんとなく”で住んでる居候だ。だからあの子も町の人たちも、私を疑心暗鬼に見続ける。人気のあるアンタが上手く餌をばらまいたって、それで認められるわけがない」
舘林は何か言おうと口を開いたが、そうはさせないと、私は畳みかけるように言った。
「私はそれでも、全然気にならないし、苦にもならないって思ってた。けど、なんでだろうな……アンタのせいで、このままずっとモヤモヤすることになるってのが気にくわないんだよ。そんなの、理不尽だろ」
「理不尽って……」
「だから、私はその“なんとなく”を終わらせようと思ったんだ」
そう言って、私は鉱石を指差した。
「今貰ってる唯一の謝礼を小日向さんに渡して、私の本気を説明して、認めてもらうしかない! ってね」
舘林との雇用が続く限り、きちんと小説を書き続けること。
舘林から勝手に逃げ出すことは、絶対にしないこと。
そんな決意表明を、唯一の謝礼を担保にして信じてもらおうと画策した――というわけだ。




