第14話 「結構ストレートに言うんだね」
――歓迎会から三日後。
この日は舘林が夜まで家にはおらず、柳原も用事があると言って出かけていた。
つまり、この豪邸には私しかいない。
初めての一人きりだ。
思わず羽目を外したくもなるが、まあ実際には何もしない。
ただ、一つだけ楽しみにしていたことがあった。
正午が近付くと、私はあるもの――美戸井町内のデリバリーリストを取り出した。
「改めて見ると、色んな食事処があるんだな……町だと思って舐めてた」
独り言を呟きながら、指でリストの文字をなぞる。
これは柳原から渡されたものだ。
『昼食は櫻井さん一人ですし、たまには店屋物でも取ってください』
『店屋物? この町に出前の出来る店があるの?』
『いいえ』
『ないの!?』
『基本的に出前はしていませんが、常連である俺の頼みということで、それぞれの店が特別に用意してくれているんです。いつも小腹が空いたときは、これで出前を取っていたんですよ』
『そ、そうだったんだ……』
注意点としては、“並盛り”で頼むとサービスで“特盛り”にして持って来てくれるのだとか。
だから私の場合は“小盛り”で注文した方がいいとのことだった。
……町中に柳原の大食漢が知れ渡っているのも、なかなかすごい話だな。
リストにはラーメン屋、中華料理店、カレー店、カフェレストランの名前まで並んでいる。
「ガッツリ系が多いのがらしいっていうか……でもラーメンなんて、しばらく食べてないな」
そうこうと迷っているうちに正午を過ぎ、私は慌てて一番気になったラーメン店に電話をかけた。
味噌ラーメンの小サイズを注文する。
店主が困惑しないかと身構えていたが、「おう、わかったよ」と実にあっさりした返事が返ってきた。
実のところ、電話での注文に少し緊張していたから、正直拍子抜けした。
注文を終え、あとは到着を待つだけ。
私はリビングで小説を書きながら、気ままに時間を潰した。
三十分ほど経った頃、インターホンが鳴る。
「あっ、はいはいはーい!」
駆け寄ってモニターを見ると、映っていたのは意外な人物だった。
「……酒屋の、娘さん?」
もちろん酒の配達は頼んでいない。
「今開けまーす」
とりあえず不審者ではないので、急いでドアを開ける。
「あ、どうもです! ご注文の品、お届けに来ました!」
まるで向日葵みたいな笑顔で、彼女は置かもちを掲げた。
「え? 酒屋さんの人だよね……なんで?」
「えへへ、実はバイト先なんです。他にも夜は古民家居酒屋で働いてて。今度ぜひ先輩たちと食べに来てくださいね」
「居酒屋もって……大変じゃないの? 寝る暇あるの?」
「大丈夫ですよ。それに暇なときは昼寝しても許してくれるんで」
バイトというより、子供のお手伝いのような光景を思わず想像してしまう。
「あの、急いで持ってきましたけど……ラーメン、伸びちゃってるかもしれませんので、そこはご理解くださいね」
「ここまで車で二十分だもんね。全然気にしないよ。ありがとう」
「なんもです」
受け取ったどんぶりは、まだしっかり温かい。
私はそれを飾り棚に置いて、財布を取り出した。
「えっと、現金だよね? それとも電子マネー使えたりは――」
「あ、あの!」
突然そう切り出した彼女は、それまでの笑顔をガラリと変え、真剣な眼差しを向けた。
だが直ぐに言い出すことはなく、しばらくの沈黙が続く。
どうしたものかと人知れず眉を顰めていると、ようやく小日向は口を開いた。
「こんなこと……今ここで言うのは不躾だって分かってるんですけど……でも、どうしても言わせてください。お願いします! この家から……出て行ってもらえませんか?」
「……は?」
あまりにも唐突で、言葉が出なかった。
「舘林先輩の“シェアハウス”に、櫻井さん以前にも先住者がいたっていうのは、知ってますか?」
「まあ一応……柳原さんからは聞いてます、けど」
「じゃあこれも聞いているかもと思いますけど、その中の一人が機材を丸ごと持ち逃げした話は?」
それは初耳だった。
しかも、それって普通に窃盗なのでは……?
「先輩たちが留守の日を狙ってその人、友人を呼んで、先輩が用意したパソコンも備品も全部持って逃げたんです」
その先住者とは、どうやらゲームクリエイター志望だったようで。
パソコンもなかなかの高性能かつ高額なものを用意していたため、被害額は数十万は下らないらしい。
「それなのに先輩、警察も呼わなかったんですよ」
「ええっ!?」
思わず大きな声が出たが、普通なら当然の反応だろう。
通報しないなんてあり得ない。
……舘林にとって何十万は、端金程度ということなのか?
「『恩師の息子さんだから警察沙汰にしたくない』って………盗まれたんですよ? 騙されたんですよ? それなのに許すなんて優しすぎて、バカなんです」
「激しく同意だけど……結構ストレートに言うんだね」
「本当にバカなんです。野犬だって構わず拾ってくるような人で……噛まれても平気な顔して、あとで一人でちゃんと傷つく。そういう人なんですよ!」
小日向の言葉に熱がこもる。
それが恋慕からくるものだってことは、流石の私でも気付いた。
……しかし、落ち込む舘林の姿なんて想像もつかない。
おそらく柳原や小日向のように、舘林を慕う者にしか感じられない“何か”があるのだろう。
きっと私にはまだ見えていない。
だから私は、まだ外側の人間だし――今のように疑われるのも当然だ。
「櫻井さんが悪い人じゃないのは、分かります。なんとなく」
「“なんとなく”なんだ」
「でも! こんな関係、こんな生活、絶対ヘンです! 間違ってるんです! だからいつの日か絶対、先輩が傷つくことを起こしちゃうんです! そうなったら、先輩がいたたまれなくて……」
すると小日向は涙をこぼし、泣き始めた。
「え、ちょ……」
突然の涙に困惑しつつも、慌ててティッシュを差し出す。
「ごめんなさい……泣くつもりじゃ……感情的になったら涙が勝手に出ちゃって……」
「いや……それだけアイツのことが大好きってことだろうし」
“大好き”という単語に過剰反応した小日向は、急激に顔を真っ赤にして首を振った。
「ち、違います! 私はただ、高校時代から舘林先輩を尊敬している一後輩なだけでして……今は隣に並ぶのも恐れ多い……」
赤くなって否定する姿に、苦笑してしまう。
聞けば、小日向には“自分の店を持つ”という夢があるのだという。
舘林が聞けば真っ先に店舗ごと用意してくれるだろうが、それでは彼と“対等”ではいられなくなる。と、彼女は語る。
「私は舘林先輩の役に立ちたいんです。だから、先輩が私のお店にやって来て『君のお店のおかげで癒されるよ』って言って貰えるような……そんなお店を持ちたくて、それでお金を貯めているんです。叶うのがいつになるかはわかりませんが……」
そして、ふと思い出したように彼女は言った。
「あっ! ごめんなさい……ラーメン、伸びちゃいましたよね……」
「ああ、いや、お構いなく」
「その、本当に、本当に申し訳ないんですが……先輩の家から出て行くこと、ちゃんと検討して貰えませんか? なんでしたら、櫻井さんの新居を紹介しますので……よろしくお願いします!」
小日向は深々と頭を下げ、それから急ぐようにして去っていった。
「って、ちょっと! お勘定!」
私は慌てて追いかけたが、車はもう遥か遠くだった。
まさに嵐のような子だった。
悪い子ではない。むしろ純粋ないい子だからこそ、余計に胸が痛む。
「出てけ出てけって……私は病原菌かっての」
先住者の大罪のせいで、私もまた疑われている。
その理屈はわからなくもない。
この関係や生活が歪んでいるのも、否定はできない。
それでも――。
釈然としない気持ちのまま、私はラーメンを手に取った。
「……冷めてるし」




