第10話 「“運命の王子様”と呼ぶつもりはないけれど」
「私ん家って五兄弟のせいか、親も放任主義で……だからここの暮らしについて説明しても、『あら、変わったシェアハウスがあるのね』って笑ってたくらいでして」
「それは……放任が過ぎるのではないでしょうか? 仮にも男二人、女一人の環境では、心配しない方がおかしいと思いますが……」
「あ、その辺は面倒くさいから言ってないんで」
沈黙する柳原を他所に、私は話を続ける。
「そんな親だからか、私の将来についても大した期待はされてなかったんです。まあ、私より弟たちの方に夢中だったってのもありましたけど」
得意なことも不得意なことも特になかったが、唯一、絵を描くことが好きだった。
弟たちのリクエストに応えて少年漫画のイラストを描いてやると、それで喜ばれるのが嬉しくて。
そのうちオリジナルの漫画も描くようになり、弟たちが楽しんでくれることが、何よりも誇りに思えた。
「だから当時は漫画家になりたいなあって思ってて。中学のときなんか、友達数人と担任に頼み込んで、“漫画研究会”を作っちゃったくらいでしたよ」
「中学生で、ですか……結構本気だったんですね」
そう言って柳原は、静かにアップルティーを啜る。
私は苦笑交じりにマドレーヌを頬張った。
「とは言っても、ワイワイおしゃべりしながら好き勝手に絵を描いてただけのお遊び部でしたけどね。それでも中三のときには文化祭で、それぞれちゃんと漫画を描いて、冊子にしてもらったのを展示したんですよ。あ、“あすさくら”ってペンネームは、そのときから気に入って使ってるんです」
希望者には冊子の配布もして、それは楽しい青春の一ページだった。
まあ、今思い返せば……ただただ自分の青臭いど根性論を書き殴っただけの黒歴史だ。
記念に取っておいた冊子は、成人前に読み返すこともなく捨ててしまった。
「で、文化祭のときに読んでくれた後輩の子から言われたんですよ。『ストーリーが面白くて、すごく感動しました』って……褒められた瞬間はめちゃくちゃ嬉しかったんだけど、後々考えたら、“絵”については一切触れられてなかったなって……」
決定的に自分の絵の才能に限界を感じたのは、高校に入学してからだった。
高校でも漫画研究部に所属したが、それまでの“お遊び部”とは段違いのレベル差に、私は完膚無きまでに打ちのめされた。
そして、半年と経たないうちに、漫画家の夢を諦めていた。
「そこからは高校、大学と平々凡々な生活でしたね。その後も、なんとなくで就職やバイトを点々としてたんですけど……」
――“自分の作品で、誰かを喜ばせたい”。
その気持ちだけが、どうしても諦めきれなかった。
ふと、『ストーリーが面白い』と言ってくれた後輩の子の言葉を思い出し、小説ならいけるんじゃないかと、なんとなく思い至ったのだ。
「それで小説家を目指して、今に至る……というわけですか」
マドレーヌをかじりながら、柳原が尋ねる。
私は小さくうなずいた。
「最初は昔みたいに青臭いファンタジーを書いてたんですけど……性格がひねくれたのか、大人の階段を上ったせいなのか。ダークファンタジーの方が性に合ってる気がして、今じゃあそっちばっかり書いてるわけです。でも結局、アイツにクソつまんないって言われるくらいなんだから、私には小説家の才能もないんだろうなって。……正直、薄々思ってますよ」
柳原の手が止まり、慌ててフォローを入れてきた。
「ああ、いえ……彼の言う“クソつまんない”というのは、いわゆる愛情の裏返し、みたいなものでして……」
「そんなフォローしなくてもいいですよ。っていうか、仮に愛情の裏返しだったとしても、“クソつまんない”はないだろ! って話ですけど」
苦笑してから、もう一度アップルティーを啜る。
甘い香りとともに、淡い湯気がゆっくりと立ち上がった。
「話が逸れちゃいましたけど……何が言いたいかっていうと、私は宙ぶらりん人間なんですよ。今まで“なんとなく”で生きてきて、目の前の理不尽にどう向き合えばいいかも分からなくて、我慢するしかなかった。だけど舘林は、そんな私のことを“雇いたい”って、面と向かって言ってくれたんです。“なんとなく”じゃない、ちゃんとした理由をくれた」
それを“運命”と呼ぶのなら、そうなのかもしれない。
もっとも、彼を“運命の王子様”と呼ぶつもりはないけれど。
「謝礼に釣られて来たのも事実だけど……今は、自分の夢とは別に、アイツが満足するような小説を書き続けたいんです」
「櫻井さん……」
「――そして、理不尽にホラーだホラーだって言ってくるアイツに、“これは紛れもないダークファンタジーです”って、いつか絶対認めさせてやりたいんですよ。フフフフ……」
思わず不敵な笑みが零れる。
柳原は『むしろそっちが本音なのでは……?』と言いたげな顔を見せたが、すぐに咳払いをして表情を戻した。
「確かに、“貴方のパトロンとして”ではなく、“小説を読みたいから書け”なんて……これまでの千尋くんからすると、櫻井さんを拾ってきた理由は不純というか、矛盾しているというか。少し変わってはいますね」
「そ、そうですよね! しかも“クソつまんない”だの、“これはホラー小説だ”だの、酷いこと言ってくるんですよ! 謝礼が石ころなのも、バカにされてるみたいで腹が立つし……!」
マドレーヌを貪り、込み上げる怒りを八つ当たりさせる。
すると柳原は、おかわりのアップルティーを静かに注いでくれた。
「彼が理不尽極まりないのはいつものことなので、俺が代わりに謝ります。ただ、謝礼の鉱物については、きちんと意味も価値もある品なので……大切に保管してもらえると嬉しいです」
「そ、そうですか……」
そこまで丁寧に頭を下げられてしまっては、これ以上文句も言えない。
私は黙ってアップルティーを啜った。
皿の上のマドレーヌが空になると、柳原はおもむろに椅子から立ち上がった。
「さて……それでは、そろそろティータイムもお開きにして。俺は夕食の買い出しに行ってきます」
「今日の夕食は何ですか?」
焼き菓子を三つも食べたというのに、私は目を輝かせて柳原を見る。
こういう閉鎖的な環境にいると、楽しみなんて結局、食事くらいしかなくなるのだ。
「今日は千尋くんが帰ってくるので、豚の生姜焼きにしようかと思っています」
そういえば、食堂に来たときも舘林は豚の生姜焼きを頼んでいた。
……意外と庶民派なんだな。
そう思った、そのとき。
私はあることを思いついた。
「あのさ……その買い出し、私も付き合っていいですか?」




