第9話 「才能ある人間がただ埋もれてしまうのは惜しい」
初めて謝礼を貰ってから一週間。
なんだかんだ言いながら、私はこの“丘の上の豪邸”で暮らし続けている。
結局のところ、住めば都というやつだ。
ベッドの寝心地は最高だし、食事は三食きっちり用意してくれる。
頼めば外出もできるし、トイレも風呂も個人用があるっていうのも良い。
何より、家賃は無償でいいと言われている。
どう考えても、デメリットよりメリットの方が多い。
一番厄介なのは、舘林の嫌味を聞かされることだが、意外にも彼は毎日家にいるわけではなかった。
二日姿を消したかと思えば丸二日籠りきりだったり、次は三日いなくなったりと、滞在はまちまちだ。
もしかして、シフト制の仕事でもしているのだろうか。
謎といえば、もう一つ。
この家には鍵の掛かった部屋がやたらと多い。
舘林が出かけた日に豪邸探検でもしてやろうと思ったのだが、一階はもちろん、二階の部屋もすべて施錠されていて拍子抜けした。
柳原に聞いてみると、「今はほとんど物置代わりで、人に見せられる状態じゃない」とのことだった。
探検もできず、やることもなく。
最近はもっぱらスマホゲームで暇を潰している。
小説の方は――あの謝礼の一件以来、どうにもやる気が出なかった。
その日の私は、一階の洗濯機で洗濯を終えたところだった。
「櫻井さん」
振り返ると、柳原が立っていた。
昼食後のこの時間に声を掛けられることは珍しい。
驚きを誤魔化しながら、私は尋ねる。
「あ、えっと……なにか?」
「マドレーヌを焼いたのですが、よければ一緒にいかがですか?」
意外なお誘いだった。
確かにティータイムにはちょうどいいタイミングだけれど。
「私が? いいんですか?」
「“客人は丁重に扱え”と千尋くんに言われているので。彼のお気に入りの茶葉もありますし、それを淹れましょうか」
暇を持て余していた身として、断る理由はなかった。
私はありがたくお誘いに乗った。
ダイニングには、リンゴの甘い香りと焼き菓子の香ばしさが満ちていた。
「どうぞ」
席に着き、カップを手に取って一口飲む。
「美味しい……」
きっと高い茶葉だろうな、などと下世話なことを考えつつ、なるべく丁寧に啜る。
柳原はそんな私を見つめ、口を開いた。
「今日で一週間ほど経ちましたが……暮らしてみて、どうですか?」
「まあ、快適すぎて困っちゃうくらいですよ。アイツ――舘林の余計な一言さえなければ、もっといいんですけどね」
しかめっ面の私に、柳原は苦笑する。
「しかし、よく千尋くんに付いて来ようと思いましたね。あんな見た目と性格ですし、詐欺だとは考えなかったのですか?」
その質問に、私は首を左右に振った。
「いやいや! 当然思いましたよ。出会ってすぐ毒舌は吐くし、職場は荒らすし、何様かと思いました」
「それなのに、なぜ……?」
私はしばらく唸ってから。
「なんか……“ノリ”で?」
と、答えた。
「……次からは気をつけることをオススメします」
柳原の冷ややかな視線が痛くて、私は笑うしかなかった。
だが、すぐに彼は真面目な表情に戻る。
「……しかし、“ノリ”だというなら、率直に言います。ここを出たいなら、今のうちですよ」
「え?」
「すぐにでも、と言うならば、俺も荷造りと運搬を手伝います」
予想外の言葉に、手が止まった。
「ちょっと待って下さい! どうして、急に……?」
もしかして、何か迷惑掛けたのか?
いや、至れり尽くせりの生活なんだから、迷惑なんていっぱい掛けているに決まっている。
私の心情を他所に、柳原は続ける。
「ここでの暮らしが、本当は窮屈なのではないかと思いまして。小説の方も、あまり進んでいないようですし」
それに関しては胸にグサリと何かが刺さる。
遊び惚けていたのがバレていたらしい。
それともまさか、こっそり監視されているわけじゃないだろうな。
「実を言うと、千尋くんが貴方のような人を拾ってきたのは、これが初めてではありません」
「拾ってきた、って……」
「“才能ある人間がただ埋もれてしまうのは惜しい”と言って、夢を抱いた若者をこの家に住まわせていたのです」
そう言いながら柳原は、マドレーヌをよそった皿を私に差し出す。
「今まで九人はいましたが……そのうち、プロとして巣立ったのは、たった一人だけでした」
「九って……結構いたんですね」
「客室は結構あるんで、まとめて数人で暮らしていた時期もありましたから」
柳原はアップルティーを啜りながら、静かに語る。
一見無愛想だが、彼は案外饒舌だ。そして意外と世話焼きで、よく人を見ている。
今も、この生活に不安があるだろう私を気遣って、彼なりに話してくれているのだろう。
「千尋くんには“目利きの才”があるんだと思います。……ですが、どうにも人を育てるという才がない」
「と、言うと……アイツのせいで他の人はダメになったってこと?」
柳原は小さく頷いた。
「彼のパトロン精神というのは、親鳥のようなものなんです。ちゃんとした巣と餌があれば、雛はいつか絶対に巣立つと思っている。でも、肝心なものが足りていない」
「それって……?」
「“師”です」
私は手にしたマドレーヌを口に運ぶことも忘れて、彼の話に聞き入っていた。
「切磋琢磨する環境も、教え導く存在もここにはない。今の時代、ネットなどで独学で学ぶ手段もありますが……結局、大体は堕落するか、夢を見失ってしまいました」
仮に師事する環境があったって、埋もれていく人間は埋もれていくものだ。
そう反論しかけたが、私は言葉を飲み込む。
確かにここは、自分と向き合う時間が多くなりがちだ。
そういうのが苦手な人は、壊れるまで自分を突き詰めてしまうか、だらけた生活に逃げ込んでしまうのかもしれない。
……私の場合は、完全に後者だろうな。
「でも、そんな追い詰められるってことあるんですか? 監獄で生活するよりは絶対マシじゃないですか」
「快適だからこそ、息苦しくなる人もいます。ましてやパトロンと一緒の生活では、期待が次第に重荷となってしまうでしょう」
そう言われてしまうと、私も反論は出来ず、胸が痛む。
「……かく言う俺も、そんな人間の一人ではあったんですけどね」
柳原は初めて、弱々しい笑みを見せた。
意外な表情に驚いた反面、彼が“夢見ていたもの”に興味が湧いた。
「柳原さんは、何になりたかったんですか?」
「……大学の頃、陶芸家に憧れていました。そんな矢先、久しぶりに再会した千尋くんから『だったら僕がパトロンになってあげるよ』と言われ、連れてこられたのがこの場所でした」
陶芸に必要な道具はすべて揃えられていた。
柳原は舘林にとても感謝し、彼のためにも夢を叶えるべく努力したという。
だが結局、彼は夢を諦めてしまった。
自分の才ではせいぜい趣味程度が限界だと、感じたそうだ。
柳原は色々と迷惑をかけたせめてもの罪滅ぼしにと、舘林の使用人を買って出て、無理やり雇って貰ったのだと言う。
舘林としては、執事として雇っているつもりのようだけど。
「だからわかるんです。貴方の行く先が。小説が嫌いになるまで自分を追い込んでしまうか、もしくはこの生活のせいで夢を失い去っていくか。だったら、今のうちに逃げ出すことをおススメします。その方が、貴方も、誰も傷つくこともない……」
なんだかんだ言って、柳原は舘林のことも考えているのだろう。
優しさゆえの忠告だというのが、とてもよく伝わってくる。
だが――。
柳原の話には、一つだけ大きな間違いがあった。
「えっと、その……何の脈絡もないんですけど、少しだけ自分語りをしても、いいですかね?」
柳原は戸惑いながらも、頷いた。
「どうぞ」




