花盛りのオリンピア つわものどもが夢の跡
1991年4月8日
カラマタからの列車でオリンピアの町に着いたのは前日の午後。お昼寝タイムが終わるまでは森閑としていたけれど、17時過ぎ頃からにわかに活気づき始めた。とはいえ、田舎っぽい事に変わりない。
目当てのオリンピア遺跡の入場料は千ドラクマ。観光シーズンではないからか、あまり人がいなかった。
あちこちに植えられている赤紫のハナズオウが満開でちょっとお花見気分。
日向にいると暑いけれど、日陰でじっとしていると寒い。
競技場への入り口の石造りのアーチは残っていたけれど、426年にテオドシウス2世が出した異教神殿破壊令で壊された後、大地震や川の氾濫で埋まっていた訳で、神殿などの建物は原型を留めていない。
ヤップ島の石貨みたいな真ん中に穴が開いた直径2メートルくらいの石の円盤がたくさん転がっている、輪切りした大根をまな板の上でちょっと触ってずらした感じって言ったらわかってもらえるだろうか? 引き倒された神殿の柱が、当時に近い位置でそのまま残っているみたい。
石材には貝がたくさん混じっていて、昔は海底の砂だったのが、石になって、神殿になって、破壊されて、地震で埋もれて、発掘されて……って考えるとなんか凄い。
ギリシアでイメージされる白っぽい石ばかりでなくいわゆるレンガ色の石を積んで作られた壁の一部もあった。
古代オリンピックが行われていた会場は、平らに整地されただけの草っ原。隣の、草がはえた斜面が観覧席。
このエッセイを書く前に検索したら、競技場部分は草が抜かれて普通の運動場っぽくなっている写真があったので、観光シーズンだけ草抜きするのか、昔はたまに草刈りするだけで抜くところまではしていなかったけど、現在はいつでも草が抜かれているのか、どっちだろう?
当時1ドラクマ90銭はしない感じかな。両替した日によっては82銭くらいの事も。
「旅先の出来事」を描き始めた時は、印象に残った事だけ書くつもりだったのだけど、途中から写真とメモ書きみたいな日記から思い出せる限り書き残しておきたくなってしまいました。
次回はイタリアのブリンディシへ行く船に乗る時のうっかりで、パトラの港で全力疾走する羽目になった話の予定です。




