探し物
かつて校庭だったという場所の隅から、鶏糞の発酵した匂いが風に乗って保健室まで入ってくる。飼っているのかと聞けばその通りだという。
「よく臭いだけで分かったね」
「家で飼ってました」
「ああ、そういうことか」
そう言いながら、さっきから二人、保健室で食事をしている。紫キャベツ、菜の花の塩茹で、鯵の塩焼きに玄米、梅干しが並ぶ。昼食抜きを覚悟していた太基だが、たまたま弁当を届けに来てくれた㭭幡さんの彼女という女性が太基のためにもう一往復してくれたおかげである。
「美味しいです、彼女さんにありがとうって伝えてください」
「口にあったようで何より。彼女も、美味しいって喜んでくれるのが一番嬉しいはずだよ。なかなか、今までスーパーとかに並んでたような野菜が使えないって悩んでるみたいだからさ」
「野菜が使えない?」
「うーん、芋類はまだ良いんだけどね。例のあの日はもう冬が始まる頃だったろ? そうすると、葉物野菜なんかは農家さんが種も苗も持ってなかったりしたんだよ」
「え? そんなことあります? 僕、家では畑もしてましたけど種取りしてたと思います。キャベツとか白菜、人参、玉ねぎ、じゃがいも、大根くらいはあったかな。あとは爺ちゃんが山でいつも何か獲ってくるんです。猪とか鹿とか、専門のお店してる仲良しな人達がいて、たまに肉あげたりとか」
「……たぶんそれ、ものすごく珍しいよ。種取りも苗も専門店に頼むのが普通だ」
「種取りと苗の専門?」
太基は知らないが一般的に農家は作物の種を採っていない。理由は種苗法という法律の問題、狙い通りの形や味、果ては早生、晩生など生育期間の違いに至るまで狙った形質の種や苗を維持する難しさ、次々と変異して過去の病害耐性を克服してくる病原菌など様々だ。
あの災害が起き、海外との物資、情報のやり取りが全て遮断されたのは初冬のことだ。高齢の農家さんへの被害は甚大だった。単純に地震や津波から逃げ遅れただけでなく、その後の冬を越せない場合もあった。次の春の作付けどころではない。
国内の大手の種苗会社の経営は実質不可能になった。今は極々一部の小規模経営で在来種を取り扱う種苗会社の噂がたまに出る程度だろうか。単純に種子や苗の売上が落ちた。F1(雑種第一代)品種を維持するのもそれなりに管理するコストがかかる。最新のバイオテクノロジーを使った研究もできない。
「農家さんもまるで居なくなったわけじゃない。歯を食いしばって畑や田圃を建て直して、自分と家族親戚の食糧のために、味も形も二の次で溢れ種から作物を育てた方々が。だけど種苗会社、それも大手が倒れたのは痛い。遺伝子資源も全部おじゃんだ」
「いでんし?」
「生き物がどんなふうに育って、子孫を残していくかが書いてある設計図。この場合、遺伝子資源っていうのは種子の中の設計図を、より良い種子になるよう書き換えたものだ。とんでもないお金と時間が掛かってて、一度無くなると二度と今まで使っていた種子は作れないかもしれない」
「二度と作れない……」
「誰かが持ってたり、どうやって作ったかが何処かに書き留めてあれば何とかなるかもね」
「あ、もしかして木の板がここに沢山あるのは、それを探しているんですか?」
「いや、これは違う。けど関係無いことはないか。まず、今までの話であの災害の翌年の農家の状況が最悪だったのは分かったね? 野菜や果物の種も無い、果物の樹も手入れが出来ない、そんな所ばかりだ。魚でも山菜でも自分達で採らなきゃ生きられない。だけど、それは食あたりの危険と隣り合わせだ。つい二週間前と三週間前も結構大きな被害が出ている」
「大量に毒草でも採って配った人でもいたんですか?」
「それを今調べているんだ。幸い死者はいなかったけど、みんな吐き気や眩暈を訴えていた。しかも大半が子供なんだ。ちょっとこのままにはしておけない」
しん、と静まりかえった保健室に外から子供達の楽しげな声が聞こえてくる。もう給食は終わったのか、あるいは低学年の子供達の授業が終いとなったのだろう。大人が子供を止めるような声も少し混じっている。こっちに来て、という少し高い声に太基は顔を上げて耳を澄ませた。話し声が近づいてくる。紫珠乃と環の声だ。
「居た! ごめんね、文里さんに放り出されたんでしょ」
「ママ。太基お兄ちゃんと、他にもいっぱい居るね」
「紫珠乃さん。僕の方が先に行ったんです、すいません」
「いいのよ、あの人は。神御衣祭が四日後だと聞いて一人でここに暫く居ていいか伊丹さんに聞きに走ってきちゃったんだから」
「あ、じゃあ神宮でずっと待たせてしまってはいないんですね」
紫珠乃がふいに辺りを見渡した。環は一人で機嫌良く何事か喋っている。一人遊びをしているように見えるところだーー白い靄が佇んで居なければ、だが。続いて㭭幡さんの少し左、机の上に目を留めてから㭭幡さんに挨拶する。
「あ、先程からお騒がせしてすみません。壹拾といいます。銭湯の女将さんから頼まれて此方に来たのですが」
「㭭幡です。太基君と先程お昼にしながら色々と話は聞きました。石鹸なら、もう少しちゃんと松脂を採取して、灰だけじゃなくて海水でも煮詰めて塩を採取するといいです、とお伝えください。後は、貴女も見えてることとか?」
「え……」
「白い靄が付いてきている」
紫珠乃は一瞬だけ怪訝そうな顔をしたが、すぐに何も知らないとでもいうように微笑んでみせた。
「この子達が変なことを言って困らせたようならすみません。お仕事の邪魔でしたね。環、太基お兄ちゃんのお遣いも終わったみたいだから帰るよ」
「歩くのやだ。メイ君達と遊ぶ!」
「メイ君、達?」
「メイ君と、サム君、ジル君。でもねママと太基お兄ちゃんはまだお話出来ない。先生も」
「環、見えない友達の話は皆分かんないよ」
「うん、君から見えない友達の話を聞いたのは初めてだね。お母さんは最初から『この子達』って言ってたけど僕は太基君と話していたとは言いましたが小さい弟君のことは何も言ってませんよ? 壹拾さん、でしたっけ。貴女、本当は分かっていますよね」
「……そうですね、分かっています。ただ私も視えるだけです。環はどうやら話せるみたいですが、この年齢なので聞いても具体的なことは分からないと思います」
「ふーん、壹拾さん達って霊能者の家系とか?」
「知りませんよ。それと、太基君は昔の職場の先輩の息子さんです。今は一時的にお預かりしています」
「なるほど、じゃあ単純に縁、ですか?」
「そうかもしれませんね」
㭭幡さんは、今度は一人で木の板で遊んでいる環の隣にしゃがみ込んだ。白い靄の一つもその後を追うように付いていく。
「環君、今は何して遊んでいるの?」
「んとね、木の板、ガッシャーンする」
「ははは、ガッシャーンか。壊さなければ良いよ。メイ君達は環君とガッシャーンするほかに、何かしたいことがあるのかな?」
「うんとね、探し物してるよ、だって」
「探し物?」
「見つけたら、ママや太基お兄ちゃんともお話し出来るって」
「そっかあ。環君は見つけたのかな? 何を見つけたのか教えて欲しいな」
「笛。……古くって、葉っぱついてる」
「そっか。見つかって良かったね。でもまだ探し物してるんだね?」
「うん、次はあっちだって。でも環は足痛くなるから嫌だなぁ」
それを聞いて㭭幡さんは何を思ったか走って保健室を出て行った。
環は指差したのは伊勢神宮の方角を指差した。そして今度は木板の一枚を投げ始めたのでとうとう紫珠乃に止められる。
「環、大事大事だから投げないで。あれ、主訴、めまい、吐き気。低血圧の兆候あり。食事内容?」
「最近、食中毒と思われる状況が発生したので調査中です。原因食材が特定できていないので、滞在中は気をつけてくださいね」
肩で息をしながら戻ってきた㭭幡さんが答える。その手には何故か環の靴がある。
「そうなんですか!? 気をつけます! うーん、レモネード飲んだ人が多い?」
「僕もそう思いましたが、大体皆さん他にもお祭りで飲み食いしているので、範囲を広げて確認しているところです。第一、レモネードなんて蜂蜜と水とレモンでしょ? 甘夏レモネードなんて変わり種を出してる方もいたようですが、新鮮な柑橘類をその場で絞っていたらしいので果実の保管状況は悪くなかったそうです。水は煮沸していて、水出し緑茶を飲んだお子さんで平気な子が多いので違うかと。蜂蜜もねえ。甘いお菓子、例えば餡子を使った菓子で全く被害が無いところもあったし、違う気がする」
「へえ。ボツリヌスって加熱したら大丈夫でしたっけ?」
「駄目ですね。ただ、嫌気性細菌なので普通の酸素がある環境なら中毒になるほど増えません。ああ、被害者に乳児はいなかったので、乳児ボツリヌス症も考える必要無しです」
「そうなんですね。まともに離乳食の作り方とか乳児ボツリヌス症とか調べなかったなぁ。離乳食始められるほど安全な水が確保できる頃には一歳過ぎてたし」
「確かにちょうどそんな年齢かな、お母さん大変でしたね」
蜂蜜、と聞いて太基の脳裏には養蜂を手掛けていた父が秋には蜂蜜を採るのを止めていたことが浮かんだ。確か、花蜜に毒がある花もあったはずだ。
「あの、蜂蜜って時期的に採っちゃいけないとかなかったですか?」
「んー、トリカブトが咲く時期だよね。その時期のは流石に皆使わないみたいだよ? 後、今蜂蜜なんて採れたそばから使われちゃうから、今の時期に去年のなんて残ってないと思うけど」
「僕、他にも福寿草とかダメだって教わりました。今時期だと……何かあったかな?」
太基の言葉に、㭭幡さんは腕を組んでしばらく考え込んでいた。考えながら、思考を整理するようにブツブツと独り言を呟いている。
「そうか、餡子とかは加熱するんだ。生菓子と思っていた僕の手落ちだ。それに、数年前と違って今の蜂蜜は生のまま、個人単位で生産して取引してるケースが多い。スーパーに加熱済蜂蜜が並んでいた頃とは違う。何より、稼ぎになるからって見様見真似で養蜂している人、随分増えている気がする」
唐突に、㭭幡さんがパン、と一つ手を叩き顔を上げた。どうやら考えがまとまったらしい。
「よし、僕ちょっと聞き込みに行ってくるよ。太基君、良ければまた明日ここに来てくれないかな? あと、環君は足赤くなってるね。お母さんに言って靴替えてもらいな? 靴作ってる人紹介するから」




