信じて進め
「タマゴタケっぽいのとベニテングタケっぽいのを混ぜないでください。柄とか傘の裏が黄色いのは大丈夫です、純白なのはダメです」
炊き出しの手伝いで、見かけない子供だからと話しかける大人がたまにいる。『玖村』と名乗ったせいで『玖村さんのお孫さん』がいるという噂がすぐに広まった。
「イボが無いなら良いんじゃなかったの? 色なんてわざわざ見ないわよねえ、あなた」
「イボは雨とか降ったら落ちたりするので、もっと全体の特徴見ないと駄目なんです」
「ああもう、あの爺さんもアンタも何でそんなに煩く言うことないじゃない」
「命に関わるから駄目です」
「はー、もうキノコはいいわ。代わりに鳥でも獲るのに罠作ってよ。公園にでも置いといてくれたら獲物の回収はするから」
「公園って未だに家に住めない人がいっぱいいますよね。いくら鳩用でもそんな場所に置かないで」
「なんでよ、ちょっとくらいいいじゃないの! あのお爺さん、ちょっとしたことで怒るから貴方に聞いたのに! もういい、知らない!」
初老の女は太基を大声で怒鳴りつけて夫であろう男と一緒に離れていった。
祖父に叱られたからと太基に教えを乞う大人は殆どこの調子だ。毒キノコの見分け方なら祖父は煩く言っているはずなのに、『煩い』と喚くのは学ぶつもりが無いからだろう。そのくせ『罠を作れ』などと他人に何かしてもらうことは当たり前、自分さえ良ければ公園に罠を平気で置こうとする。
麓に来て三週間ほど経った。昨日ソフィアちゃんに教えた時は例外として、今のところ此処に来て良かったとは思えない。
「太基君、大阪行かない?」
「あ、紫珠乃さん。いきなりどうしたんですか?」
この三週間で紫珠乃のことは名前で呼ぶようになった。苗字では彼女の夫の文里と上手く呼び分けられないから仕方がない。
「大阪から助けて欲しいって人たちがいるんだよ。少しで良いから自然の恵みを上手く使って生きて行く知恵が必要だって」
この日紫珠乃は大阪から遥々旅してきたという伊丹という男を連れてきた。なかなか背の高い男で、肩幅も広くてがっしりして見えるが頬は少しこけている。坊主頭に太い真っ直ぐの眉と鋭い眼光、真一文字に結んだ口元が、どうにも近寄りがたい雰囲気を醸し出している。
「あの、僕に出来ることってあるんですか?」
「行ってみなきゃ分かんない。ただ、お婆ちゃんのこと探すなら遠くに行ってみるのはアリじゃないかな。太基君のお祖父ちゃんは長旅になっても良いって言ってたし……でも浜松を離れるから、お家のかたには知らせようかな。お爺ちゃんも色々経験積んでこいって言ってたから、ちょうどいいんじゃない?」
「経験、ですか」
「そう。とにかく貴方を連れて行くのは悪くないと思って大阪行きの話に乗ったのよ。それに私だけで行ったところで、たいして力になれなさそうだし」
「うーん、僕としては爺ちゃん達にちゃんと連絡しといてくれるなら良いですけど。環君は大丈夫なんですか?」
「不安しかない! ていうかフミ君が環の面倒見るのは多分無理だから連れて行くしか無い」
「ええ……」
「でもね、教会の人達は皆それぞれ事情があって、長旅は出来ないの。私だって環のことは心配よ。だから、行くなら太基君も一緒にいて、出来るだけ環に目をかけてやってほしいかな」
「分かりました、僕で良ければ行ってみます」
翌朝、太基達は食糧と水、あとはじゃがいもの種芋を持てるだけ持たせて貰って出発した。大人三人と太基が持てるだけ持っているのだからそれなりの分量があった。
「爺ちゃんに手前の食い物は手前で何とかしろって怒られそう」
「良いのよ、その代わりに他の誰も出来ない仕事をしているんだから」
道中で採集しながら行けばいいという太基の意見は却下された。炊き出しの度に大量に必要となる食糧を集める労苦を太基は既に知っていたから、自分の食べる分くらいは自分でどうにかしたかった。
「助けてって言われたんだから早めに行ってあげるべきよ。それに、環が迷子になったり怪我したりしたら? 解決するまで動けないけど?」
こう返されては反論の余地など無かった。何より早く辿り着いてあげて欲しいというのが炊き出しを支える教会員達の総意だった。結局、ありがたく貰っておくことにした。
「太基君のことを皆が助けたいと思ってくれているんだから、それで良いんだよ。僕なんかの方がよっぽど太基君と紫珠乃、環のオマケで色々分けてもらってるから、君に『手前の食べ物は手前で何とかしろ』なんて言われたら立つ瀬が無いよ」
「フミ君はどうせ道中の史跡をどれだけ拝めるかにしか興味無いでしょ。太基君の十分の一でも器用だったらまだマシだけど、残念ながらただの荷物持ちがせいぜいだし、史跡を見つけては勝手にどっか行くし。太基君、悪いけどこの人も見張っといて。ふらっと何処かに消えるスキルは環といい勝負だから」
「酷く無いか、シズ」
「シズちゃん、文里君には厳しいな」
紫珠乃と山を降りた時と比べてゆっくりめの旅程だった。環は四歳児とは思えない頑張りを見せてよく歩いたが、それでも時折は大人が交代で抱えていった。本当に疲れているといつの間にか眠ってしまって余計に重い。
海に程近いところをずっと風に吹かれながら歩いた。道は平坦だが太陽光を遮るものがないので段々と肌が痛くなってくる。紫珠乃と環は用意のいいことにボロ布を用意して顔や頭に巻いていた。周辺を見渡すと山にはない植物が多く、浜に打ち上げられている海藻も太基には知らないものばかりだ。
「お、そこ浜ダイコン生えとるな。ちょっと抜いてみい」
「こっちのは何でしょう?」
「クラゲやな。死んでても毒針が刺さって危ないで。触ったらあかん。今年はなんや暑いからな。いつもより多いわ」
「おじちゃん、この石きらきらしてる」
「おー、元はガラスやな。緑色で綺麗やの」
伊丹さんは海で拾える海藻や野草をよく知っていた。時には海岸まで出て海藻や海辺の植物を教えてくれる。こうした方が、環が退屈せずに歩いてくれて大人達も気が楽なのだ。太基が幾つかの種類を覚えた頃にはいつの間にかフジツボを獲ってきていた。伊丹さんは話してみると気のいいおじさんだった。見たことのない生き物を教えてもらうのは面白かった。
夜には野営をしながら進んだ。道中にはコンクリートで出来た浜辺と道路を繋ぐ通路や高架下のような屋根付きと言える場所もあったが、そういうところは決まって誰かの荷物が置いてあって忍び込む余地は無い。代わりに木々の間で少しスペースが空いているようなところを探して潜り込む日々が続いた。
「俺は小さい時から海沿いに住んでたんや。物心ついた頃には親なんてなかったから、漁師のおっちゃんのところに余った魚貰いに行ったり、海辺で何か拾ったりしながら暮らしてたら色々覚えたのよ。まさか、こんな歳になって役立つとは思わんかったけどな」
「僕ももう少し頑張ったら覚えられますかね? 何か、祖父ちゃんには経験積んでこいって言われたんで住んでた山から出てきたんですけど、町はあんまり面白く無かったです。海は面白いからもう少し歩いて色々覚えたいですね」
夕陽が海の向こうに沈んでいく。海も空も赤く染まり、段々とそれが濃紺に変わる。山と違って赤い光の残滓が長く延びていく光景を眺めている。
「そりゃ良かったわ。でもなあ、祖父さんの言う『経験積め』っちゅうんは山や海のことばっかりやあらへんやろ」
「えー、漢字の書き取りも算数もできればやりたく無いんですけど」
「それも出来た方がええやろうけどな。色んな人と会うて話してみい」
「人、ですか?」
「せや。せっかく大阪に行くんや。ちょっと前みたいな粉モンの名物は今は食べに連れてってやれんがな、それでも人はぎょうさん来るで。どうしようもない奴もいっぱいおるが、尊敬できる奴、面白い奴もおる。いや、つまらん奴やと思うとったら全然違うんやと気づかされたりもする」
「そんなに面白いですか? 僕、正直なところ山で祖父ちゃんと一緒にいた方が良かったです。この前だって公園に罠作れとか無茶言ってくる人も居てうんざりしました。教会の人は良い人が多いけど、祖父ちゃんや伊丹さんみたいな凄い人は居ないし、つまらなくて」
「普通、か。別に普通で弱くてええんやで。それでも助けおうて日々何かに生かされとる、それだけで凄いやんか。ワシも若い頃は一人で、色々ヤバいこともやって、どうしようも無い生き方しとったわ」
「ヤバイこと?」
「聞かんでええよ。碌なモンやない。でもある時、瀕死の赤ん坊抱えたお母ちゃんと高校生のガキ連れて、ひたすら遠くに行かなアカンってなって大阪の教会に流れ着いたんや。道中で死んだ赤ん坊を捨てても何も思わんくらいには荒んどったわ。流れ着いた先で炊き出しの飯にありつこうとしたら、炊き出ししとったんは教会の牧師や。えらい説教されて、気がついたらこんなワシでも誰かを助けるために駆けずり回っとる。死んだように生きとるんやなくて、生かされて生きとる。人生、分からんもんや」
とっくに夜は更けて、風が冷たくなってきていた。明日は岬まで出てヨットに乗る予定らしい。
「昼間、明るい時間に渡るで。暗くなったら何も見えん。風の吹くまま一晩中、海を彷徨う羽目になるからな」
右も左も分からないまま漂って、暗く何も見えない深海に吸い込まれていく光景を思い描いて背筋が寒くなった。
「昼間の海はええけどな。地平線の果てまで波が光るのを眺めながら行くんやで」
そうだ、どうせなら行く先で素晴らしい景色が待っていると信じながら進めばいいのだ。開き直ってしまえばいい、と太基は気がついた。元々引き返すとか止まるとか、そんな選択肢は無いのだから。




