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ブレイン・シード  作者: 小石丸
1. 綺麗な花には毒がある
16/16

今日も笹百合は揺れている

 どすっ!


「痛った!」


 太基(たいき)は隣で寝ていた(たまき)に蹴られて目が覚めた。何で小さい子はこんなに寝ながら動けるのか。


「んー、ママぁー……」


 環が寝言で母親を呼んでいる。昼間は元気に遊んでいても、やっぱり寂しいのだろう。


 じょー……


「うわあああ!」


 慌ててトイレに連れて行こうとしたが手遅れだった。諦めてシーツと自分の寝巻きに環を包んで、最短ルートで五十鈴川のほとりに連れて行く。まだ薄暗くまだ眠っていたい時間だが、もう完全に目が覚めた。ザブザブと清流でシーツと自分の寝巻きを洗っている間に環も目が醒めたらしい。


「ママは?」

「まだみたいだよ」

「えー、やだぁー、ママー」

「え、いや帰ってくるよ、大丈夫だって!」

「うわああーー」


 よほど寂しいのだろう。我慢しているのだろう。それは分かるのだが、いざ泣かれてしまうとどうしたものか太基には見当もつかない。


「大丈夫だから、泣くなって」

「うあああーー」

「おう、環! こっちや。おっちゃんの上に乗せてやろ」


 いつの間にか伊丹(いたみ)さんが側に来ていた。手早く環を肩車して、ゆらゆらと揺らしながらあやし始めた。


「あ、ありがとうございます。起こしちゃいました?」

「普通に目が醒めただけや、気にせんでええよ」

「それならいいんですけど。紫珠乃(しずの)さん、帰ってこなかったですね。大丈夫なんでしょうか?」

「紫珠乃ちゃんか? うーん、分からん! けどな、紫珠乃ちゃん、少なくともアンタや環君が辛気臭くしとっても嬉しゅう無いと思うで」

「笑ってろってことですか」

「信じてやれっちゅうこっちゃ。それに、探しに行くんは誰よりもまず旦那はんと危ない頼みをしてきた㭭幡(やつはた)っちゅう兄ちゃんの役目や。どうしてもならワシも行くが、ワシは危ない橋渡るくらいならアンタら連れて大阪に逃げるで」

「危ない橋……」

「まあ、万が一の話や。まずは紫珠乃ちゃんを、神様を信じとけ」


 この日も不安を抱えたまま、太基は伊丹さんと湯屋の掃除を手伝って午前中が過ぎた。昼前に㭭幡さんの家に寄ったら、誰もいない隙に炊いた米の鍋だけが置かれていた。㭭幡さんがそれを手早くおにぎりにしていく。環も真似しようとして米粒だらけになっている。


「午前中、学校じゃなくて良かったんですか?」

「学校にはいたよ。さっき戻ったらこの鍋だけが置いてあった。不二果ちゃんが急いで炊いて出て行ったんだと思う。ほら、そこに赤キャベツがそのまま置きっぱなしになってるだろ。いつもなら傷む前にさっさと塩漬けか糠漬けにしそうなのに、今日はそのままだ」

「本当だ。僕やっておきましょうか?」

「いや、そのままで。はい、とりあえず二人分」


 おむすびと水筒を抱え、昨日採り損ねた蟒蛇草(うわばみそう)を採取した。昼は笹百合の咲く草叢で食べた。

 さらさら、さらさらと今日も変わらず笹百合は揺れている。また来たのね、と囁いているかのように。

 程なくして食べ終わる頃、反対側からガサガサと草叢を踏み分ける足音に笹百合の揺れる音は掻き消された。振り向くと昨日と同じ権禰宜(ごんねぎ)さんが汗を拭き拭き登ってきていた。


「またアンタかいな」

「また、って言いたいのは此方です。あんな崖を人間が登ってくるんじゃ、此処も柵でもしないとダメですかねえ」

「なんでや、花くらい見に来て何が悪いんや」

「見るのは良いです。動物が百合根を食べにくるのが困るんです。此処なら獣道も無いし、大丈夫かと思って植えたというのに」

「なんや、アンタが育てとんのか」

「はい、もともとは奈良の漢國(かんごう)神社に勤めてましてね。母が体調を崩しがちになったのをきっかけに伊勢に戻ってきた時に無理言って二株ほど貰って育て始めたんです。そのうち増やしてお返ししますって言って」

「増やして戻す? 何でですか?」

「坊ちゃん、笹百合っていうのは丸一年暑さ寒さに晒されて、さらに次の夏を迎えてようやく花が咲くんです。その笹百合を漢國神社ではずっと夏の鎮華三枝(はなしずめさきぐさ)(まつり)で神前に奉納してきました」

「はなしずめさきぐさ?」

「夏になると病気も流行りやすいので、病気が流行らないように祈りを捧げます。それから私たちの生命を繋いでくれる生き物たちに感謝と供養の心を込めた庖丁式の奉納を。だけど温暖化とか、ただの綺麗な百合だと思って摘んでいってしまう人とかのせいで数を減らしてしまって、もう必要な数が手に入らなくなってしまったんです。それで増やせないか挑戦して、上手くいったら奈良でお世話になった同僚達のために届けるつもりでした。僕もいい歳ですが、死ぬ前に少し足掻いたほうが生きる甲斐もあるでしょう?」


 さらさら。さらさら。笹百合が揺れる。

 美しく咲く笹百合をいつか届けるという願いは、例のあの日をきっかけに移動もままならない世の中となり今のところ叶っていない。


「それで、ここまで頑張って増やしたんですね」

「はい、百合達はこの場所でよく増えてくれました。ここは近くに川が流れているおかげか涼しいですから。あとは、数年前から無知なハイカーは殆どいなくなりました。山菜を探しに来る人も、裏の崖は普通登れません。僕が登ってくるルートは神宮を敬う普通の方々は立ち入ることはまず無いのです」

「じゃあ、そのうち奈良まで届けに行くんですか?」

「ええ、そろそろ行くべきなのでしょうね。母は数年前のあの日以降、急速に弱って亡くなりました。神職を退くつもりだった僕は、少しでもお役に立てればと伊勢神宮に勤めています。お勤めしているおかげで独りでも何とか生かされております。ここで良くしてくださる皆様には感謝していますし、こんな世の中ですから伊勢に骨を埋める覚悟で生きています。でも、いつかはこの笹百合を奈良に届けなければ」


 権禰宜さんと別れて笹百合の草叢を後にした太基達は、松脂を回収して銭湯の女将に渡してから小学校へと駆けていった。環は小学生たちに囲まれて遊んでいた。太基を見つけると、お兄ちゃん、と手を振って笑った。


「いっぱい遊べた?」

「うん! 環ね、お手伝いもできたよ」

「お手伝い?」

「鶏さんのお部屋、掃除した」

「頑張ったね」


 環の誇らしそうな様子に、周りの小学生も笑った。今日お掃除のお姉さん来なかったんだよ、と誰かが言った。どうやら不二果(ふじか)は今日ここに姿を見せなかったらしい。

 環を連れて小学校を出て、銭湯に行った。銭湯で聞いても紫珠乃や不二果らしき人が来たという話は聞かなかった。文里(ふみさと)が戻ってきた頃にはもう夜も遅く、月もだいぶ西へと傾いていた。


「あまり良い情報は無かったな」


 ようやく腰を下ろした文里は疲れ切った声でそう言った。月明かりだけが照らす町はもう出歩く者は誰もいない。所々焚き火の明かりと火の番をする人の姿がチラチラと見える。その明かりも太基達が眺めている間に一つ、また一つ消えていく。

 文里はこの日一日かけて道行く人に片っ端から声を掛けて紫珠乃と不二果の行方を追って聞き込みをしていた。髪を後ろにまとめた、二十代から三十代の女性、もしかしたら二人組で行動しているかもしれない。その他にも身長とか服装、思いつく限りの情報を並べながら尋ね歩いていた。

 不二果とみられる女性に関しては、今日の昼間まで何やら植物を摘んで歩いている姿が目撃されていた。尤も、その場所は最初に文里が伝えてしまったアツミケシの群生地からはかなり遠い。実際に文里がその場所に足を踏み入れると、こちらは更に別種の大きな未熟果を付ける種類まで混ざっているような有様だったから一旦戻って㭭幡さんに報告を入れた。

 もう不二果がケシを集めていることは明らかだった。正確な足取りを掴むのは難しいが、神御衣祭(かんみそさい)の直前、つまり明日の午前中には姿を見せるはずだという推測は全員の一致するところだった。

 アヘン入りのジュースなど供されてしまう前に捕まえる手筈を考えなければならないが、薬学は㭭幡さんの専門だし、文里は荒事には向かない。取り押さえるのは伊丹さんの役回りになりそうだ。一番身軽で足が速く、方向感覚も正確な太基は逃げられた時の追跡役となる。子供が無理はするな、と散々大人達に言い聞かされた。

 紫珠乃に関しては今朝早くに酒屋を訪れ、焼酎四合を買い求めたことまで突き止めた。対価として真珠のアクセサリーを差し出したという。その後の足取りは分かっていない。その後、複数の男達のグループに紛れて若い女がいたという証言は得られたが、それが紫珠乃かどうかは分からない。

 環は翌朝も『ママ』と寝言を呟き、お漏らしをした。また早朝から太基はシーツと寝巻きを五十鈴川で濯いでやった。神御衣祭の朝、これまで以上に燦々と熱い日射しが伊勢の地に降り注いでいた。

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