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ブレイン・シード  作者: 小石丸
1. 綺麗な花には毒がある
15/16

アルカロイドとアルコール

 雨が上がっても暫くぼんやりしていた不二果(ふじか)を、紫珠乃(しずの)は何も言わずに見守っていた。少し陽が傾いて、少しずつ人が出てきた。時間的にはそろそろ銭湯に向かう人々なのだろう。そのうちの一人が不二果を見つけて、お裾分けだと紫キャベツを二玉分けてくれた。


「良かったわね。お友達?」

「お友達というか、ずっと前から仕事で良くしてくださった人です。店に置きに行かなきゃかな」

「戻るの?」

「流石に持ったままはちょっと。雨で何も出来てないから、母には上手く誤魔化さないと」

㭭幡(やつはた)さんの所でいいじゃない」

「あ、そうか。母に内緒にしたこと無かったなぁ」


 今までのことを正直に打ち明けてしまおうか。悶々としながら㭭幡さんの家まで不二果はノロノロと歩いた。

 結局、家には誰も居なかった。まだ小学校の保健室に詰めているのか、早めに銭湯に向かってしまったのか。拍子抜けだった。

 今まで抱えていたズシリと重い紫キャベツを二玉とも下ろした。ここに来るのも最後になるかもしれない。記憶に焼き付けるようにぐるりと見渡した。薬学、医学の本が並ぶ部屋。誰かを救うために人生全て勉強に振り向けている人間の部屋だった。大半の本は不二果には題名を見ても何のことかさっぱり分からない。その中で一冊の分厚い本が目に留まる。


「ま、麻薬図鑑??」


 真面目な勉強のなのか趣味なのか、やたらインパクトのある本があった。せっかくなのでパラパラと捲ってみる。ケシ、アヘン。不二果も名前はさすがに知っているがどんなものか良く分かっていないのだ。


「モルヒネ、コデイン……? いっぱいあるのね。ヘロインはモルヒネからできるのね? 依存性スコア3.0、え、やっぱヤバいやつ。でも数千年も薬品として重宝されてきたのね? うん、アヘンチンキって書いてあるけど、そもそも『チンキ』って何?」


 数千年と薬としても使われたアヘンから人体に効く成分であるアルカロイドをどうやって取り出すか。未だに薬学では重要なテーマである。ここでの『チンキ』とは水よりアルコールに溶けやすいアルカロイドをアルコールに溶け込ませた薬を指す。

 不二果はその話題の中から理解できる箇所を拾い読みしながら考えた。

 例えば紫珠乃が既に真実に辿り着いたように、もう誰にばれてもおかしくないこと。母親の怒声に怯え、感情も思考も捨てて従うだけの日々。既に破滅が目の前に迫っている現実。


「やっぱ、このままじゃダメだよね」


 母のためにこのままアヘンの採集に加担したら、たくさんの被害者が出る。今度こそ追われる身として全てを失くすだろう。

 だからといって既に薬物に逃げ続ける母を放り出せなかった。誰かが捕まえてくれるなら捕まえて欲しい。実際のは誰も捕まえてくれない。だから既に詰んでいる。警察は無給で働くボランティアではなかったと、不二果はここ数年の間に母のせいで身に沁みている。

 図鑑を元に戻すと、今度は食器棚を開けた。箱入りのちょっと良い食器が戸棚の奥で埃を被っている中に、不二果は㭭幡さんも知らないうちに小さなスエード調の化粧箱を放り込んでいた。もう夕闇が迫る中、紫珠乃は不二果を待っていた。


「お待たせしてすみません。あと、紫珠乃さんにお願いが出来ました。お酒が欲しい、というか必要です。出来るだけ強いのを三合くらい。あとはウチの蜂蜜が一合ほどあれば」

「何か考えがあるのね? 私はお酒の対価なんて出せないけど?」

「当てはあります。母が寝てから行動したいので、店の様子を見張っててもらえませんか。その後、私が出て来たら何も言わずにこの化粧箱と私が今から持ち出す物全部持って、お酒に替えちゃってください」

「何これ?」

「真珠のネックレスとイヤリング。鑑定書は今夜持ち出します」


 その昔、不二果から妹へ贈った成人祝いだった。ヒステリックに怒鳴り、何でもいいから金目のものを探そうとする母からこれだけは守ろうとして、不二果はこっそり中身を入れ替えて隠してきた。

 鑑定書と偽物の箱を一緒にしていたおかげで今日までバレずに済んでいる。紙袋に収まったそれらは、母の洋服と乾燥大麻が積み上がって出来たゴミ山に紛れていたからか、特に誰かが封を開いた形跡もない。

 妹の形見をドラッグに替えない程度には、もしかすると理性が残っているのかもしれない。いつまでその理性が保てるかどうかは甚だ怪しいと言わざるを得ないが。


「そんな大事そうなもの、持ち出していいの?」

「いいんです、妹の形見がドラッグに替わる方が嫌なので。それに蜂蜜中毒の話も私が余計なことをしてしまったのが、そもそもの原因なんです。だから元々私が何してでもケジメをつけないといけなかったんです」


 話は二、三年ほど前に遡る。奈良の方で段々とツツジが咲く頃の蜂蜜を食べると気分が悪くなるという話がで始めた。段々と何かしらの職や生活の糧を求めて大阪に移る人が出ていた奈良に、彼女がまだ留まっていた頃の話だ。妹を探すと言って何度も大阪に足を運ぶ母のためにも、大阪から遠くに離れることは考えなかった。とはいえ酵素風呂の知識を転用して堆肥作りをし、細々と農業に挑むしか考えつかない不二果にとって大阪に移るという選択も無かった。

 母の様子は段々とおかしくなって、元々のヒステリックな性格も悪化していった。耐えかねて不二果は伊勢まで逃げることにした。その時に母が付いてきたのは想定外だったが、その時になってようやく母から状況を聞き出した。


「例の蜂蜜をドラッグとして売りたいばかりにレモネードに混入させたのは母ですが、仕事の繋がりで引き取ってしまったのは私なんです。食用に適さなくて養蜂家の方も困っているし、皮膚に触れるだけなら問題無いので石鹸でも作ってみようかと思って」

「何だか私達と似たようなこと考えてるのね」

「そうですね。私は蜂蜜を使ったスキンケア製品の知識しかないから、それをベースに考えました。苛性ソーダは今手に入らないので、代わりに蜂蜜に限界まで灰を練り込んで少しでも強いアルカリにすることを考えました。蜜蝋は殆ど油脂分なのでどうにかなるかなって」

「そうなの? 全然知らなかったわ。松脂の採取要らなくならない?」

「そこまではないです。量は取れませんから」


 とにかく自分の知識を活かして試行錯誤することで、不二果は母と向き合うことから逃げた。毒だと知って一瓶丸ごと持ち出して、服毒自殺を試みたらしいことも見て見ぬ振りをした。その時に微量であればトリップすることを覚え、大麻と組み合わせることを覚えたらしい。

 いつの間にか、大阪で知り合ったジャンキーとこの蜂蜜を取引しようとし始めた。どうやら、その時に相当値切られてしまい、ほんの少しのハーブと称する物と交換させられたようだ。

 最終的に大阪から怖い人たちが来たせいで、母は不二果を追って逃げてきた。あんまり安い値段で、大麻と組み合わせてトリップできるなんて謳い文句で流通させたら、他のクスリを扱う人間にとっては商売の邪魔だったのだろう。


「闇が深い......貴女、お母様を見捨てずに生き延びた時点で自分を褒めて良いわ」

「自分を褒めるなんて、私が言って良い気はしないですけど。彼が必死に子供達の中毒の原因を調べている横で、元凶なのに黙っていたんですから。妹みたいに可愛く無い私を可愛いって言ってくれたのが嬉しくて、離れるのが怖かったんです。母に逆らうのも、母と一緒に捕まった後のことも怖かったんです。ここでダメなら、もう行くあてがありませんから」

「村八分にされて逃げ出す先がもう無いとなるとね。刑務所があったら、お務めの方がマシかもね。」

「正直、怖いです。でもやっぱり子供達と彼に謝らなきゃいけないし、これ以上被害を出したくないです。このまま放っておいたら、母はたぶんまた出店を出して、今度はアヘンを混ぜるでしょう。だってアヘンで利益を出せれば、母はまた大麻でも何でも手に入れられるんです」


 そしてケシとの組み合わせで最悪だと不二果が考えているのがアルコールだった。神宮の御饌を支えるために伊勢の地では酒造りが途絶えておらず、他の地域よりは酒の入手が容易だった。そして、アヘンアルカロイドはアルコールに溶けやすく中世ヨーロッパから使われていたアヘンチンキがまさにそれである。一応、経口摂取なら廃人にはなりにくいとも書いてあったが、ラリってしまいたい人はこれを加熱して吸うだろう。


「なんていうか、終わってるわ」

「その通りだと思います。とにかく、母が寝た様子が確認できたら例の花畑まで来てください。後は私がやりますから」


 紫珠乃はその夜遅くに母が寝静まるのを見届けて報告してくれた。不二果は自宅兼店舗にそろりそろりと慎重に入っていった。

 まずは二階の生活スペースの母の荷物を漁る。乾燥大麻と洋服の山から、ハードカバーの本くらいの大きさの紙袋を探しあて、中に鑑定書とクロスが納められているのを抜き取る。偽物の箱はそのままにした。万が一鑑定書が無いことに気付かれても、箱があれば大騒ぎはしないはずだ。裏口から出る時に、近くの棚から蜂蜜を二瓶抱えるとすぐに外に出た。

 すぐに例の花畑で紫珠乃と落ち合い、蜂蜜の瓶一つと鑑定書、ネックレスを渡した。既に夜明けが近くて山の端がうっすら明るい。紫珠乃は真っ直ぐ教えられた酒屋に向かっていった。

 やがて山の向こうからすっかり陽が昇る頃、紫珠乃は約束通りに四合の焼酎を届けてくれた。ついでに空の一升瓶も渡された。


「これ以上被害を出したく無いって言葉、信じるわ。その一升瓶、貴女にあげる。雨水入れてただけだから気になるなら濯いで」

「助かります、気をつけて使いますから」

「そうして。あと、私は神御衣祭(かんみそさい)まで帰れないと思う。他の皆の食事はよろしくね。(たまき)が寂しがってたら少しでいいから遊んであげて欲しいかな」

「何でですか?」

「出店でさ、『アヘンっぽい何か』は無いと困らない? どうにか誤魔化せるように私も考える」


 そう言うなり、紫珠乃が無造作に花の散った後の小さなけし坊主を幾つか毟って行ったのを見送った。

 確かにアヘンが用意できないと言えば母がどんな行動に出るか予想がつかない。だからといって本物を渡せば母の手で多数の中毒者を出しかねない。偽物が用意できるならその方が良い。ここは紫珠乃の策に乗ってみようと不二果は決めた。

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