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ブレイン・シード  作者: 小石丸
1. 綺麗な花には毒がある
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マッドハニー

 翌日。午前中の仕事を終えた太基(たいき)達は再び小学校の保健室を訪れた。㭭幡(やつはた)さんはといえば、今日は机の上に植物図鑑を広げ、パラパラとページをめくっている。


「昨日は呼びつけてしまってごめんね、奥さん。つい、糸口が掴めたと思って居てもたってもいられなくて」

「良いですよ。私達もずっと歩き続けるのは疲れてたところですし。(たまき)の靴は新調しなきゃだし。うちの旦那、環の靴を新調するなら伊勢の滞在時間が延びるって小躍りしてましたから。あー、思い出したら腹立ってきた」


 伊丹(いたみ)さんには昨日のうちに事情を説明した。伊丹さんは伊勢湾を渡って近道をしたし、数日くらいは問題ないと笑って許してくれた。環の靴がサイズアウトしていたことに忙しくて気付かなかったのは紫珠乃(しずの)の落ち度だが、これも今更仕方がないことだった。


「蜂蜜に着目して、もう一度調べ直してみた。まずは蜂蜜の入手経路。当時、奈良から蜂蜜を売りに来た人がいるって噂があった。実際に買った人もいたよ。実のところ、今は近所の養蜂屋さんが販売を一時中止しているから仕方が無い。ちょうど欲しい時に売りに来たから買ったんだね」

「中止してる理由は?」

「たまに味に違和感のある蜂蜜が混ざっているからだって」

「違和感?」

「かなり微妙な違いみたい。それに奈良から持ち込まれた蜂蜜が同じ問題を抱えているかどうかは、現物が無いと分からない。それに証拠を押さえて奈良の養蜂屋さんのせいだと分かったところで、僕は彼らを責めたいわけじゃないよ。同じことが起きなければいい」


 それで、と㭭幡さんは植物図鑑を太基達の方に見せた。広げたページには見開きで様々な種類のツツジが載っている。


「今年、この辺りは春先からやたら暖かくて、桜やツツジの開花が相当に早かったんだ。三月半ばで桜が散って、四月に入る頃にはツツジが満開だった。で、ツツジの仲間には『グラヤノトキシン』という毒が含まれる。これは加熱しても残る毒だ」

「え、じゃあ餡子がセーフなら、違ったんじゃないですか?」

「餡子使ってたのは一番老舗の甘味処だけど、ウチは砂糖が無い分は味醂(みりん)で作ってますって苦笑されたよ」

「味醂! 確かに甘いけど、考えつかなかった」

「いちおう企業秘密だっていうから他所で言わないでね。僕が食中毒の調査だって言ったら教えてくれた。疑われちゃ商売あがったりだってさ。現状、御神酒用の日本酒が余ってるから、それを蒸留して米焼酎にして、麹を入れて味醂にしてもらってるんだって」

「え、何でです?」

「伊勢神宮じゃ神様への祈祷の時に必ず御神酒、つまり日本酒を捧げる。この御神酒が用意できないのは流石によろしくないから、ずっと同じ酒造会社がそれなりに余裕のある量を毎年作ってるんだ」

「お酒ねぇ。正直、このご時世、お酒より普通のご飯を作って欲しいんですけど」

「残念ながら、酒造用は品種が違うんだよ。その酒米の種籾もずっと植えずにいたら発芽しなくなるかもしれない。種も麹も、先々までずっと維持するために毎年作り続ける必要があるよね。後は、必要量を満たすために、雑菌の混入でロストする分まで考慮して多めに作るらしい。これは、蛇口からいつでも清潔な水が出ていた頃と今は違うから仕方ない。実際にはまだ大きなロスト、『火落ち』と呼ばれる状況は起きていないから作ったお酒が余ってしまう。売り捌こうにも、今は全国から参拝者を集めるのも難しいし、通販も無いから大変だろうね」

「だけど、日本酒のままとっておくことも出来ない?」

「そう、冷蔵設備なんて使えないから。おそらくはそこに目を付けて、余ってしまう分を味醂にしてもらっているんじゃないかな? そうそう、これは公然の秘密なんだけど、伊勢神宮に何か奉納して一筆そのことを神主さんに書いてもらうとさ、その老舗さんのご主人がサービスしてくれるんだ」

「神宮は御神酒が絶対欲しい、酒造会社はロスト分を考えて多めに作るしかないから余っちゃう。菓子屋は砂糖が無いから味醂が欲しい。神宮と菓子屋は参拝客が沢山来てくれないと立ち行かないから協力する余地がある。上手くできてるわね」

「餡子のお菓子サービスくらいで奉納したりするんですか?」

「あのね、太基君。甘味処の需要はそうそう無くならないわよ。お祭り、誕生日、お祝い、あるいは久しぶりに会う人へのおもてなしに、甘いものって便利なの」

「うん、だからキックバックだとか目くじら立てずに老舗の知恵ってことにしておこう。でも他の人からしたら、単純に甘味処は儲かるのじゃないかって理解になるよね。そして、一番手に入れやすいのは蜂蜜だ」

「で、運が悪いと今回の蜂蜜中毒の疑い事例が発生すると」

「そういうこと」


 話をしている間に、㭭幡さんの彼女が差し入れを持ってきてくれた。今度は人数がいるからと多めに塩と梅干しのおむすびを抱えてきてくれた。日除けに被ったフェイスカバーのせいで顔は見えない。机に籠を置く時に覗く白い指先やウェーブのかかった明るい栗色の長い髪の毛から色素が薄いのだろうと分かる。


「久しぶりにお米食べました」

「彼女、堆肥作って卸してるから農家さんとも仲良いんだよ」


 聞けば、もとは大阪のエステ店で働いており、酵素風呂や酵素ドリンク、蜜蝋を使った手作り保湿クリームも取り扱いをしていたそうだ。地元の養蜂家にすぐに聞き込みができたのも、彼女の元の仕事での伝手のおかげらしい。


「酵素風呂?」

「おが粉と米糠を混ぜて醗酵させると熱が出る。その高温になったとこに身体を埋めて汗を流してデトックスする健康法。これ、やってることは動物の糞が入らないだけで堆肥作りと同じだよ」

「はー、だから今は堆肥の卸しなんですね」

「そ、この学校の片隅で鶏糞堆肥も作ってるよ」


 窓から覗くと彼女が麻袋を取り出して奥の方に持って行き、暫くしてまた重そうに抱えながら出ていくのが見えた。こちらから手を振ると笑顔で手を振り返してくれた。



「フジカちゃーん! ありがとー!」

「ご馳走様でしたー!」


 荷車を押してよろよろと校門を出ていく後ろ姿を窓から見送った。外は太陽がじりじりと照りつけ、西の空には入道雲が出来ている。きっと雨が降る前に出来るだけ仕事を終わらせたくて無理をしているのだろう。


「これが終わったら、学校が始まる前と終わった後の時間に手伝うつもりだよ」

「重たそうですものね。それに色白だし、日焼けするとすぐ真っ赤になるタイプでしょ」

「その通りなんだよ。大丈夫だって言うけど大変そうだから学校の仕事が終わってからは手伝うようにしているよ。お母さんと二人暮らしで、妹さんは行方が分からないって」

「例のあの日から?」

「たぶんね。本人が話さないことまで聞く気にはなれないよ」

「そう。じゃあ尚更、この件を片付けなきゃね。頑張ってくださいね」

「あ、実はそのためにお願いしたいことがあるんだ。もちろん、無理にとは言わないけど」

「どんなことかしら? 出来ないことは引き受けないわよ」

「あと三日後に実は神御衣祭ってお祭りがある。そこの出店で仕事させてくださいって交渉して欲しいんだ。行ってほしい店のリストはここにあるから」


 少なくとも今はボランティアで動く気はない、と一度は紫珠乃が突っぱねた。だが、㭭幡さんも神御衣祭まで食事と住居は保障するとまで食い下がった。

 その日のうちに伊丹さんと文里(ふみさと)に相談し、結局引き受けることになった。相談とはいっても環の靴を新調するまで動けないから、食事と宿が確保できるなら良しとあっさり決まった。

 話し合いの末、伊丹さんと山歩きにも慣れた太基が松脂を集めて石鹸作りをする代わりに、風呂は無償で入れることになった。伊勢神宮にしか興味の無い文里についてはこの際好きにしていて良いと紫珠乃は宣言していた。太基としては、それが気に食わない。


「文里さんだけ好きにしてて良いってずるいじゃないですか」

「無理。子供以上に子供だから。松脂集めを強制したって頭の中は伊勢神宮のことしか考えてない。役に立たないどころか邪魔になるわ」

「でも松の幹に傷つけてバケツかけるだけですよ」

「上の空で作業した挙句に傷を付けた幹にバケツ掛け忘れてくるでしょうね。餡餅賭けてもいいわ。そんな事になるくらいなら、史料館なり図書館なり入り浸ってくれた方が邪魔にならないだけマシよ」


 出店で働かせてもらう交渉は紫珠乃が行く事になった。環は㭭幡さんのところに預けている。母親から離れるのは初めこそ嫌がった環だが、暫くすると急に大人しくなった。紫珠乃がいうところの見えない友達、『メイ』達と遊んでいるからいいのだと拙い言葉で話していた。

 㭭幡さんに環を預け、どのくらい久しぶりか分からないほど久しぶりに独りになった紫珠乃は暫く木陰で木の幹に凭れて目を瞑っていた。一夜明けて神御衣祭は二日後に迫っている。目を瞑っている間にも陽は少しずつ高くなり、また今日もじりじりと大地を焦がし始める。紫珠乃はひとつ伸びをして、木板に書かれたリストを眺めながら歩き始めた。

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