呪文
私の選択はいつも恐れからくるものであった。
結婚できないかもしれない。
定職に就けないかもしれない。
お金を蓄えられないかもしれない。
淘汰に怯え自らが圧力を与えていたのかもしれない。
その選択が「夜の世界」
幼少期より親の顔色を伺ってきて学んだことは
「発言や相談は否定される」
というもので、いかなることも誰にも相談できなくなっていた。
もしかすると周りからの評価は「かわりもの」なのかもしれない。
ただ、無謀な選択でもその行動力は自身を好意的に受け入れられるもののひとつであった。
新人の分際ではあるが、レンタルビデオ店にこちらの不手際で迷惑をかけたことを詫び、心苦しさもあるがなるべく早く退職したい気持ちがある旨を伝えた。
「そっかそっか。後間さん真面目そうだか
ら続くかなぁって思ってたんだけどね。
シフトの都合もあるから今週末まではで
きるかな。」
あっけなく終わった。
後に風の噂で店長とヤンママパートさんは不倫関係であることを知った。
これで心置きなく新しいアルバイト探しができる。
「衣装貸出あり」の一文に惹かれ、夜の世界での最初の面接に向かう。
まだ人通りもまばらで、ネオンも灯らぬ時間帯に求人誌片手におぼこい娘が頭を上下させながら目的店を探す。
友達との約束でも三十分前に着いてしまう小心者なのだが、面接時間の十五分前にやっと店を見つけることができた。
「面接時間の五分前声かけ」をマイルールにしているので十分間だけでもシミュレーションしよう……としていたところに四十代くらいだろうか、元タカラジェンヌ男役でしたかと思しき女性が入り口から現れた。
「面接の子かな。
入って入ってぇ〜。」
「あっ、はじめまして。応募の電話をいたし
ました後間 等漫と申します。
お忙しいところ………」
「あはは。緊張してるかな。
どうぞどうぞ中へ入ってぇ。」
その女性の見た目と語り口調のギャップに脳内処理が追いつかぬまま中へ入る。
中へ入ると更に脳内が昨今で言うところのバグるに突入する。
控室に掛けられたドレスはかなりセクシーなもので、そこにいるのは外国人ばかりだ。
おまけにステージまである。
ステージの三辺にボックス席があり、コの字形の真ん中に当たる席に通された。
照明もついておらず、演者もいない空間を見つめながらテーブルに履歴書を広げ元タカラジェンヌを待った。
「あらぁ履歴書持ってきてくれたのぉ。
やだ、真面目ちゃん。あはは。」
へっ、この世界は履歴書はいらないのか。では何を以てして採用を決めているのか。
「等漫ちゃんていうのね。
んんーーーーー
ほっこりウブ枠で
『ひよこ饅頭』て源氏名でどう。
あはは。」
ちょっと何言ってるかわからない。源氏名って何。源氏物語五十四帖のことなのか。ただ確かその中に『ひよこ饅頭』はなかったような。まだ全文を制覇できていない己を恥じた。
「といきたいところだけど、等漫ちゃんは
あっちがいいかなぁ。
後輩ちゃんが三日後に小さなスナックを
オープンさせるのよ。
三日後だっていうのにまだ女の子決まっ
てなくてね。でも後輩ちゃんたら
『なんとかなりますって』
ってヘラヘラしてんの。んもぉ〜でしょ。
等漫ちゃんそっち行ってみない。」
もしかするとこれは渡りに船なのかもしれない。未知の世界のことで理屈をつけて良し悪しを判断することはできないがかねてよりなぜだか勘が働くのだ。
そしてこくりと首肯いた。
振り返るとこの選択は適切であったのかもしれない。
その店はなんとセクシーパブで、元タカラジェンヌの男役でしたかと思しきお方は元男性でそこのオーナーだと後に知った。
夕刻の薄明の中、キランキランとつき始めるネオンに緊張が高まりカチンコチンと歩く。
三日後のスナックオープン日が夜の世界の初出勤となった。
「はじめまして。本日よりアルバイトでお世
話になる後間 等漫と申します。 早く仕事
に慣れるよう一所懸命がんばりますのでよ
ろしくお願いいたします。」
「おはよう。等漫ちゃん。
聞いてたとおりの子だ。ふふふ。」
華奢な体のママは二十七歳で、お酒が苦手なの、と吐露してくれた。
おかげでソフトドリンクを貫けた。
お店はカウンターに五席と、四名様がぎりぎり座れるボックス席が一つあるだけの小さな空間だ。
開店前の清掃法やテーブルセッティング、チャームの準備等やさしく教えてもらう。
「等漫ちゃんどう、できそうかな。
何か質問とかある。」
ママのやさしい問いかけにメモを取る手を止めて、少しだけ解けた顔を上げた。
「初めてのことだらけですが、早く慣れて
いきたいです。
あと、さっき『おはよう』って挨拶して
もらって、夜なのに何でかなって……。」
「ふふふ。そかそか。
確か飲食業界やテレビ業界の出勤時の挨
拶だったかな。
『夜も開けぬお早い時間からご苦労さまです』
って意味で使うの。
あとね、その日会った時間が朝だと
『今日は長い時間一緒に過ごせますね』
って ね。ふふふ。」
「素敵ですね。」
このスナックの客層は若い人が多く、女性を口説きに来ている層は皆無で、カラオケやゲームを楽しんで、はしゃいでいた学生時代へタイムスリップしているようだった。
そんな中すこしお兄さんなお客様がいて、長袖シャツの袖口から時折青い模様がのぞいていた。ママの彼氏さんだ。
狭いお店故にカウンター席が満席になるとボックス席で相席をお願いすることもある。
その日もたまたま一人客が続いてカウンター席が埋まり、続いて三名様をボックス席へ案内したところだった。
ちょうどそのタイミングで彼氏さんが来店された。
「少しの間、相席でもいいですか。
カウンター席が空いたらすぐ案内します
ので…。」
ママが嬉しそうな顔でひそひそと算段している。
「等漫ちゃん、ひとまずボックス席
をお願い。」
私はハの字眉の極み顔で指をそろえた手のひらを大学生三人組が座るソファへ向けた。
「あっ僕はこちらでいいよ。」
大学生三人組の向かいにある女の子用スツールに彼氏さんと私が横並びで座るという、シュールな光景となった。
全員のお飲み物を提供し終えたタイミングで
「お兄さんも一緒に乾杯しましょうよ。
はいカンパーイ。
からのぉ〜五人でじゃんけん罰ゲーム
しっぺー!
ドンドンドンパフパフ!」
と、すでにほろ酔いの大学生たちは小学校の休み時間のノリだ。
あっ。
ここで私は「なぜだか勘」が発動し、魔女の宅急便のジジの滝汗シーンのようになる。
ちょっと待て。
罰ゲームしっぺって手首にペチンだよね。
長袖シャツの袖口を捲りあげなきゃだめだ
よね。
ダメダメダメダメ。
青い模様が見えちゃう。
気が気でない中ゲームは繰り広げられる。
心の中で「ドラゴンクエスト」の攻撃呪文
『パルプンテ』
を唱え続けた。敵味方全員が混乱し、どちらかが形勢逆転する呪文。もぉ、誰も敵なわけでもないし味方とかそういう話ではないこの状況下で、どう転ぶかわからないこの呪文しか思いつかなかった。
『パルプンテパルプンテパルプンテ………』