幕間:誕生、そして邂逅。
一番最初の記憶は薄暗い路地裏の屹立したビルの間から見えるどんよりと曇った空だった。
母親の姿はすでになく、私たち兄弟を捨ててすでに去ったのか。
それとも、兄弟ともども私を捨ててどこかへ消えていってしまたのだろうか。
私の隣でどこかのどんぐり大好きお化けみたいに屹立するポリバケツが何も教えてくれるはずもなく。グレーに濡れそぼった壁が何かを語るでもなく。地面に溜まった水溜りが過去を映し出すでもなく。
ただただ黒雲から吐き出され続ける雨と、それに濡れた私の身体が「お前は一人だ」という現実を叩きつけてくるだけだった。
生まれて間もない私は普通に歩くことさえままならず、水色のバケツに身を寄せてできるだけ雨が当たらないように移動した。
わずかばかりの雨水を口にし、ただ死を待つのみの存在となったと悟る。
雨水に栄養なぞある由もない。
あたりに落ちている残飯は消化器の発達しないこの身体ではそれを喰らうこともできない。
もっとも、食べようとしたところで歯も生え揃っておらず丸呑みにしようとして失敗するのが落ちだろう。
ともかく、赤子が母親とはぐれた。
それが偶然にせよ恣意的な現実だったにせよ、赤子にとってそれはただ死を意味する。
保護を受けない弱きはただ命散るのを待つしかないのだ。
幼いながらにそれを理解していた私だが、もちろん抵抗する術を持つでもない。
野良猫にいじられ、烏につつかれ、ただ身体を丸めながらその時が来るのを待つ以外なかった。
そして転機は急激に訪れる。
私が生まれて(実際に生まれた日なのかは分からないが意識ができた日を生まれた日と勝手に決めた)から3日が過ぎた頃だった。
その時の私は見るも無残で、息も絶え絶えだっただろう。
生ごみ、残飯、烏の羽、そしてところどころ抜けおちた毛。
随所には出血があり、毛皮を紅く染めていた。
私としても、よくもここまで生き残っていたものだとむしろ感心したものだ。
その日は雨だった。
とは言っても強い、打ちつけるような雨ではなくむしろ優しい包み込むような雨だった。
霧雨に抱かれながら、死が近づいて来るのを感じていた。
身体の末端から感覚が薄くなり、力が入らなくなってくる。
私は当たり前のようにそれが死だと理解した。
しかし、不快なものではなかった。
少なくとも、今の自分の生きている環境より酷くなることはないとどこかで思っていたのかもしれない。とにかく、死神が迫る中動こうにも動けない状態であったと、それだけである。
果たして、「その時」は突然に訪れた。
身体に雨が触れる感覚がなくなる。
そうして身体の下から地面の感覚がなくなる。
これが死というものか。
疲れきり、閉じた視界のなかでぼんやりと考えた。
それは温かくて、やわらかくて、いい匂いがして、とても幸せだったと思う。
が、違和感。
身体が揺れる。
私を包むナニかがゆれる。
それは一定のリズムを刻み、上下に振動していた。
不審に思って目を開けると、そこは誰かの腕の中。
一人の少年が、やや急いだような悲しそうな表情で私を抱いて走っていた。それが私を助けるためだと気がついたのはしばらくあとのことであった。
それが後の主人、山田リョウジとの出会いであった。
大体の人は気がついていると思います。
特に何も言いませんが、気がついているのではないかと思っています。