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ベッドは柔らかい


 目を覚ますと、質素な木の天井。やけに低いし地味だし古そうだが、それでいてしっかりと掃除が行き届いた天井。久しぶりに見る、天井。

 ライラはゆっくりと体を起こした。そこで地面が柔らかいことに気づき、ベッドの上にいることを知った。藁とかではなく、ちゃんとしたやつだった。

 宿屋だ。ライラは額を抑える。直前の記憶がかなりあやふやだった。

 窓を見ると、空がオレンジ色になっていた。

 ライラは自分が気を失っていたことに気がついた。気を失うことはこれまでに何度もあったが、自然現象的な何かが起きない限りは必ずその場で目覚めていた。

 要するにライラを宿屋に運ぶことのできる人間なんていないはずなのである。

 だが、今回は例外だ。

「起きたか」

 カイルは部屋の隅にあるテーブルに座って鎧を磨いていた。鎧をつけていない姿だと、その肉体がどれほど丹念に鍛え上げられているかがよくわかる。

「ちょっと待ってろ」

 カイルは立ち上がると、そう言い残して部屋を去った。廊下を駆け足で進む音が聞こえる。

 ライラは自分の両手を眺め、それから全身をチェックした。

 記憶にある状態そのままだ。

 お腹が鳴った。それはライラにとって意外なことだった。

 すぐにカイルが戻ってきた。彼は「お待たせ」と言って、ベッドの側に立った。水が入った木のコップを持っていた。

「そう警戒しなくてもいいだろ。こっちは頭も足もフル活用して探したんだぞ」

 コップをひょいと差し出しながら、彼は言った。ライラは実際に警戒していたが、喉が乾いていたのも事実なので、両手で慎重にそれを受け取った。

 一気に飲み干し、ため息みたいな風に息を漏らすと、口元を拭いながら言った。

「なんで助けてくれたの」

 カイルは空のコップを受け取りながら答える。

「さあな」

 それからテーブルに戻り、作業を再開した。

「捕まえてこいって言われたよ」他人事っぽくそう言った。

「まさか、私のことを?」

「多分、な」ライラが顔をしかめたのをチラリと見て続ける。「実は君が逃げた後、隊長に問い詰められた」

 それを聞いた瞬間。

 沈黙することしか、ライラにはできなくなった。

 混在の呪いは記憶をも奪う。しかしどうしてか、女騎士はカイルに問い詰めた。これは不具合と呼んで差し支えない事態だ。

 ライラの驚きぶりを一瞬見てから、カイルは冷静さを保つように意識して続ける。

「だけど、君のその呪いはすぐに効果を発揮して、隊長は君自身には関心を失った。それで、魔術師に肩入れした部下への関心だけが強調されて残ったみたいだ」

 ライラは言葉を失った。呪いの効果が裏目に出て、カイルにあらぬ疑いを着せてしまったということだ。

 混在の呪いが効かない人間を初めて経験するライラには、予想できなかった事態である。

 カイルは続けた。

「おそらくだけど、その辺の魔術師を捕まえてきても、隊長は君と勘違いすると思う」

 ライラの印象が、カイルを介してのみ残った結果だ。

 カイルは胸部の鎧を窓の夕日にかざし、入念に仕上げていく。

「けど、隊長は一度だけ君のことを『最優先指名手配』と言った。上層部にはライラを認識する何かがあるのかもしれない。だから多分、僕はいずれ君を捕まえなくちゃいけない」

 ライラは理解に苦しんだ。ライラを認識する何かなんて、ライラ自身は微塵も知らないことである。それ以上に理解できないのは、カイルだ。

「なら尚更どうしてワタシを……」

「僕は君たちが悪だとは思えない」

 言われて、ライラは目を大きく見開いた。一瞬、いやそれよりも長い時間、理解が追いつかなかった。

 悪だとは思えない。この人は一体何を言っているのだろう。

「もちろん善だとも思わない」カイルは待たずに補足する。「魔術師は、ただ魔術師で、それはなんの判断材料にもならないことじゃないかって思うんだ」

「帝国の秩序に立ち向かうつもり?」ライラはまだ理解しきれない頭で、その質問だけを絞り出した。

 磨き終えたのか、カイルは鎧をテーブルの上に置いた。天板の上に並べられた装備を眺めながら言う。

「今は、そんなつもりはない。帝国騎士団の一員であることは僕の誇りだ。けど、」

 カイルの声が少し弱くなる。

「だからと言って見て見ぬ振りをしていたら、そのうち僕は本当の騎士ではなくなってしまう。さっき死を間近で見た時、そう思った」カイルは並べられた装備の中から、己が腰に下げるべき剣を手に取った。位に似合わぬ上質な剣は、安易に抜けないように鞘と柄が紐でくくられている。「僕は、自分自身の目で君たちを確かめたい。魔術師がどういう存在なのかを知って、教会が掲げる正義の性質を確かめたい」

「そっ、か」

 ライラの表情に変化はないが、驚いていた。ライラの中でカイルはこう言っている。確かめた結果によっては、帝国と教会の秩序に弓引くことも厭わない、と。

 ライラは布団を見つめたまま、静かに笑った。もしもカイルがその笑顔を見ていたなら、きっと顔をしかめたことだろう。それほど妙に大人びていたというか、母性を越えてむしろ狂気に近づくほど、慈愛に溢れる微笑みだった。

 カイルは剣をテーブルに戻し、ライラの方を向いて座り直した。ライラは真顔に戻っている。

「まず聞かなければいけないのは、君がなぜ追われているかだ」

 ライラが何をして、教会がどういう罪を突き付けたのか。カイルが確かめたいことを確かめるために最もわかりやすい手がかりである。

「心当たりくらいはあるんだろ?」

 相変わらず布団を見たままライラは答える。

「禁忌を犯そうとしてるから」

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