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ただの本

 ライラが御者の男を見つけたのは一分後のことだった。

 彼は馬車の残骸の裏に座っていて、手に持った〈紅童〉の表紙を眺めていた。

 その中に、〈村娘〉と〈空執事〉も入っている。

「ただの本だとは驚いたよ」

 男は視線もよこさずに言う。さっき作ったきっかけがまだ途切れていない、つまり男がライラに何らかの好感を抱いていることを意味していた。

「本は人性と魔性のバランスを変えられる貴重な手段だが、こいつは魔性が深すぎる。俺には不要な代物だ」

 視線だけが、横にいるライラに向いた。

「優れた魔術師がこんなものを読めば、魔性が振り切れてあっという間に魔獣化だ。お前はこれが随分大切みたいだが、一体何に使う?」

「申し訳ないけど、教えられない」

 ライラはもちろん無表情だが、今はその顔から一般的に連想される通りの感情だった。

「返して」

 そう言って広げた手を差し出した。御者が手を伸ばせば充分に渡せる距離だ。

「見たところ、お前はあれを止めることができる何らかの手段を持っていて、そのためにこの本を取り返しに来た。つまりこれをお前に渡せば、すぐに一件落着という事になる」

「そう。だから————」

「だから渡すわけにはいかないな」

「どうして」

 男はライラの方を見た。

「あの青年を知らんのか? 情報屋の世界ではちょっとした有名人だ。俺はあの青年がどう戦うのか、もう少し見ていたい」

「そうなんだ」ライラにはどうでもいいことだった。「目的は何。馬車も最初から仕組まれていたの?」

「は、まさか。あれもこれも偶然だ。御者は最近始めた仕事でね、いろんな客を眺められるのはいい退屈しのぎになると思ったが、早速飽きてきたところだった」

 御者は喋りすぎたことに気づき、咳払いを一つ挟む。

「目的……だったか? 敢えて言うならそれだな。退屈を凌ぐこと」

 ライラは拳を握りしめた。ライラが今までの生であまり感じたことのない感情が湧き上がった。それはライラの中にいつもあった物と分離し、せめぎあったが、それが一体どういう状態なのか本人にもよくわからなかったため、依然としてライラは無表情のままだった。

「そのためなら、カイルが死んだとしても構わないの?」

「その通りだ。せっかく目の前で魔獣が出たんだぞ。こんな奇跡、堪能しないのはあまりに惜しいじゃないか」

 その時、ライラの中にいつもあった物が勝利した。

「ふ、なんだその顔は」

 ライラは御者の目をじっと見ていた。

「哀れみか」御者は乾いた笑いを三度、吐き捨てた。「知らないのか? お前も同じなはずだ。優れた魔術師が、己の深すぎる魔性に耐えうる条件はただ一つ」

 微かに笑みを浮かべ、人差し指を立てる。

「狂っていることだ」その人差し指をライラに向ける。「もしも俺と同格以上の魔術師で、まともな奴がいるとしたら。それは狂っていることに気づかない一級品の気狂(きちが)いか、もしくは……本当の意味で人間のふりをしたナニカか」

 ライラは黙っている。

 御者は立ち上がって、ライラの顔を至近距離で見た。

「果たして。お前はどこが狂っているんだろうな?」

 ライラはちょっと上の方を向いて、大きなため息をついた。今更天体観測でもするみたいに、星空に視線を這わせる。

「あなたも思ったより深いみたい」御者に対してそう言った。

「それはどうも」

 言って、彼は元の位置へ(きびす)をかえす。ライラは引き止めるように続けた。

「あなたが楽しむことを求めてるなら、それを返してくれればもっと面白いものを見せてあげる」

 御者は視線で興味を示した。

「多分、あなたなら見えると思う」

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