第一幕 ハチの癖
この作品は、主人公の姉というサブキャラ視点で話が展開します。
そのために書ききれない空白の部分が存在していきます。
完結した際に、要望などありましたら空白の部分は埋めることになりますが、
その部分について色々と考えていただくのもおもしろさかな、と思います。
ちなみに、読みようによって同性の恋愛要素を感じる場合もあるかもしれません。
作者としては友情のみで執筆していますが、色々な感性で読んでいただきたいので、
そういった読み方も私は受け入れます。
もし少しでも不快感や危険を感じた場合は、読むことをお勧めいたしません。
長々と失礼いたしました。
少しでも楽しんでいただければ幸いです。
私、竹部奏子の弟である竹部八尋ことハチには、妙な癖がある。
地下鉄のホームで、歩きながら、自転車をこぐ最中に、それは急に始まる。
ハチはとにかく、その癖を私が「みっともないからやめろ」と幼少から続けて言っているのに対して
「やめようと、思ってるんだけど」と言ってやめたことはない。
「ハチ、やめなさい」
「……へ?」
入学式の翌日である高校までの道のりを歩く最中に、それを始めたハチに対して眉根を寄せた私の顔を見て、ハチが得意のへらっとした笑いを返してきた。
また無意識に癖が出ていた。
「あんた、やっぱ誰か探してるの」
ハチの癖は、とかく辺りを見渡し、人の顔を確認しようとするのだ。
そして、私が誰か探しているの、と聞くと必ず首を横に振る。
無意識に続けるというのがよほどタチが悪いことに気づいているんだか、いないんだか。
溜息をつく私を見て、ハチは頭をかきながら笑っている。
全く、姉を困らせて笑っていられるなんて、なんという弟なのだか。
「いや、気をつけてはいるんだけど」
「……わかったから、やめなさい」
言っている傍からまたやり始めそうなハチの首根っこを掴んで、下駄箱まで引っ張っていく。
高校になってまで姉弟で登校なんて、と思うかもしれないが、ハチはとにかく道を覚えるのが壊滅的に下手だ。
最低でも、ひと月は一緒に登校してやらなければいけない。
まるで飼い主と犬だ。
だから「やしろ」なんて立派な名前があっても、私に「ハチ」だとか呼ばれてしまうのだ。
そう心の中で微妙な悪態をつきながら階段を上る。
そうしているうち、すぐに私が声をかけて別れることになる。
「じゃぁね、ハチ」
「……んー」
ちくしょう、こいつ聞いちゃいない。
そんでもって、また癖が出てる。
私はそうして朝からイライラしながら、帰りに迎えに行かなければいけない弟のことを考えて残りの階段を上った。
「やーめーなさい」
「いてて……!」
地下鉄のホームでまた見渡すハチの耳を引っ張っていると、ハチの表情が一変したのに気付いた。
その顔をしたハチを私が見たのは、これまでに一度しかない。
父さんが事故にあった時、一回だ。
それくらいハチは真剣な顔を普段しない。
思わず、視線の先を見る。
「……知り合い?」
私の問いかけに返答はなく、そのままハチは固まっていた。
視線の先にいたのは同じ高校の制服を着た男子生徒で、制服の新しさからして、多分ハチと同い年だ。
別に特別目立った印象もない、ほんのり上品で大人しそうな容姿の、それなりにかっこいい男の子である。
私の知りえる限りでは、ハチの交友関係の中に、彼は含まれていない。
「………… 」
何か言ったらしいハチに対して、思わず横を向いた。
そしてもう一度その子を見る。
なんと間抜けな絵であろうか、二人して知りもしない人の横顔をじっと見ている。
「 」
もう一度ハチが言った言葉を、私だけは聞き取れた。
だけれども、それが聞こえていたかのように彼が振り返る。
私は、思い切り顔を背けた。
それだけでも十分怪訝な顔をされたのを目の端に捉えて、ハチを盗み見ると、少しも視線を逸らさずに彼を見つめていた。
その表情があまりにも真剣で、私は思わず息をのんだ。
なんだろう、これは。
なんの映画を撮っているんだろう。
そのハチを彼が見つめかえす。
大人しいようで意外と目力が強いその瞳に、私はハチの鞄を引っ張った。
男の子が怪訝な顔のまま口を開く、やばい。
何がやばいかわからないけれど、やばい。
「……誰」
列車の通り過ぎた地下鉄のホームに、力が抜けた私と何とも言えない表情をしたハチ、それから乗り込もうと急いだのに間に合わなかったらしい学生がちらほら残っていた。
「知り合いじゃ、ないんだ」
やっぱり、という言葉を最初につけようかと思ってやめて、そう言うとハチが寂しそうな顔で頷いた。
「やっぱり、そうだよなー……」
「ハチ。あんた、探してたのって」
「……うん」
長年かけてハチが無意識に探していた相手は、私が勝手に想像していた儚げで愛らしい女の子でもなく、少し年上の美しい女性でもなく。
というかまず、女性でなく。
ハチと同い年の、かっこいいけど地味で、やたら目力の強い男の子だった。
しかし第一声は期待を裏切らない、「誰」というものである。
「帰ろうか……」
「うん」
私よりも高い位置にあるハチの方を、少し見ながら問いかける。
それから家にたどり着くまで、どちらも口を開かなかったし、ハチはあの癖をしなかった。
「で?」
「え、なにが?」
夕食を終えて、大した笑える芸人が出てるわけでもないテレビをぼんやり見ながら私が話を蒸し返す。
ハチは驚いた表情をしながら、私の方を向いた。
父さんは残業で、母さんは飲み会に行ってきます、と書かれた紙がテーブルにあった。
リビングには、二人しかいない。
そう言うとなんだかひどくやらしいが、気にしない。
「なんなの、彼」
「……あー」
染めてもいないのにやたら痛んでいる髪の毛を、ガシガシと掻きながら言葉を選ぶ。
ハチの語彙力には期待していないが、大人しく待っていると、その内に口を開いて静かに話が始まる。
「……いや、特にわかってるわけじゃないんだけど」
「うん」
「俺さ、笑わないで聞いてくれよ」
「笑うかも、ごめん」
おいおい、と言いながらハチの話は続いた。
「ってわけ。……わかるかなー」
衝撃の事実である。
なんだ、まだ映画の撮影は続いているのか、という気持ちが生まれてきた。
頭の整理が追いつかない。
「……つまり、あんた」
「うん」
まるで、フィクションの世界である。
ハチが今より何百年も前の人間だった時があって、彼も一緒だった。
そして、ハチはその記憶なんかはないのに、無意識に彼を探し求めていたのだ。
「冗談でしょー」の一言で撮影が終わるなら、そうしたいが、そうもいかないのは私が一番わかっていた。
あんな、真剣な顔をして嘘をつけるハチなら、ハチなんてあだ名はつかない。
そんな事をできるなら、もうそれはハチじゃない。
「……久喜宮 兵吾、君」
「はい」
数日後、私は更なる衝撃を与えられる。
あの時ハチが呟いた言葉は名前だったのだ。
久喜宮兵吾。
そして、ぴったりとあてはまる彼が弓道部の新入部員の名簿に名前を連ねていた。
ハチも一緒の部活なんて、天上の人々の暇つぶしかなんかだろうか。
彼は私を覚えていないようだが、冷や汗が止まらないまま次々と名前を呼んでいくと、ハチの番になった。
「竹部 八尋」
「はい!」
恐る恐る彼の方を見る。
あの瞳が、ハチを見ていた。
口元がかすかに動いている。
でも、それをハチが見返すことはなかった。
呼び終わった名簿を持ったまま動かない私を、同級生が心配していた。
それくらい、私は神経をハチと兵吾君の奇跡に持っていかれていたのだ。
「あんた、いいわけ」
「へ?」
部活を終えて帰る道すがら、思っていたことを問いかける。
「久喜宮君、友達だったんでしょ。声かけたりとか……」
「いいんだ」
そう言って笑うハチに詰め寄って、もう一度問いかける。
「でもあんた、あれだけ気にして……」
「姉貴、俺だって昨日話したよりも鮮明になんて覚えてないんだからさ」
ハチはフィクションみたいな話の、一番の翻弄されている人間とは到底思えないような顔で笑った。
春になったばかりのまだ肌寒い風が、通り抜けていく感覚がやたらとはっきりわかる。
私は立ち止まって思わず嘘だ、と口にした。
ハチは、困ったような顔で笑う。
こんな時ばかり変に強くって弱音なんか吐かない、ハチはそういう男だ。
同じく立ち止まってハチが口を開く。
風の音が、耳障りなくらい。
聴き逃しちゃいけない気がして、私は苦手な英語のリスニングより真面目な顔をして耳を澄ました。
「だって、あいつ不器用なくせに優しいからさ。
思い出したら、俺なんかより上手に全部思い出して、苦しんで先につぶれるのがあいつだって考えたら嫌でさ。
俺の方が元のあいつの何倍も、丈夫に決まってんだから」
ハチの一言で幕を閉じた春の一件を色々と忙しく思い返すこともなくなった私の知らぬ間に、第二幕の撮影は始まっていた。
「お邪魔します」
「あ、姉貴。今日兵吾泊まるから!」
「……え?」
驚く私を大して気にもせずにコップを取り出すハチに、私にお辞儀をしてから手伝おうと荷物を下ろす久喜宮君。
そして、彼が一言。
「ハチ、手伝うよ」
そう言ったのに、私はまた驚いた。
長年呼んでいる私より、彼より長く呼んでいるであろう小、中学校のハチの友人たちより、彼は自然に口にした。
余韻が綺麗に、残るような声で。
「いつの間に、続編決まったの……」
聞こえないくらいの声で呟いた私の方を二人が向いて、思わず逆さまの参考書で顔を隠す。
どうやら、この映画は天上の人々になかなかに好評なようである。
私が笑っていると、主演の二人は顔を見合わせて首をかしげた。