第九話 旅路
旅は順調に進み、宮城を出発して三日後に桃河へ到着した。
菊花は初めて桃河に来たが、彼女の目には崔英と似たり寄ったりな風景に見える。
国境を挟む両国の出国管理施設――検問所へ向かうと、すでに話は通っているのか、手続きを待つことなく戌の国へ入った。
「おおー……お?」
これが戌の国か~とワクワクしながら馬車の外へ顔を出した菊花だったが、桃河とほとんど変わらない風景に一瞬で感動が薄れた。
しおしおと席へ戻る菊花に、香樹はからかうような薄笑いを浮かべる。
「戌の国らしい景色が見られると思ったのに……」
「まだ検問所を出たばかりだからな」
「なるほど。そうなんだ」
菊花は残念そうに唇を尖らせながら、代わり映えのしない風景を眺めた。
「なんの根拠もなく、戌の国に入れば見慣れない景色が広がっていると思っていたなぁ」
考えてみれば、巳の国と戌の国は陸続きなのだ。
となれば、似たような景色が続くのは道理。
(そもそも、崔英だって巳の国らしい景色と言えるかどうか……)
見渡す限りの田園風景。
目に優しいと言えば聞こえは良いが、目を引くようなものは皆無である。
巳の国らしい景色を見せるとしたら、一番に思い浮かぶ候補地は都だ。
大路の両側にずらりと並んだ、色とりどりの屋根の屋台。
馬車が通る道をスイスイと歩く人々。
贅を尽くした宮城は、巳の国の伝統が詰め込まれた結晶とも言える。
「……さすがに王都は戌の国っぽい、はず」
「菊花は戌の国らしい景色を見たいのか? それなら、もう少し進むとセクンダの村を通る。そこならば、戌の国らしい景色が見られるだろう」
「せくんだ! そこは、どんな村なの?」
「穏やかな丘陵地帯に石造りの家がポツポツと並んでいる」
「石造り!」
好奇心をくすぐられたのか、菊花は興奮気味に言った。
巳の国では、木と土、レンガを使って家を建てる。
庶民の家も貴族の屋敷も基本的には同じで、貴族は焼いたレンガ、庶民は天日干ししただけのレンガだという差異があるくらいだろうか。
菊花が住んでいた家は竹でできていたが、実はかなり珍しい事例である。
もともとあったあばら屋を手直しする際、人手と予算の都合上、竹で補修せざるを得なかっただけだが。
菊花が知らないだけで、巳の国にも石造りの家があるかもしれない。
帰ったら調べてみようと、ほくほく顔で心の手帳に書き記す菊花だった。
◇◇◇◇
一日目に通過したセクンダ村は、はちみつ色をした石造りの家がポツポツと並んでいた。
ライムグリーンの木製扉に、壁には蔦が這っている。
家の前にある花壇には香草が植えられており、子どもたちが収穫している姿がとても楽しげで、見ている菊花も楽しかった。
二日目は、湖水地方・メローペにある湖畔で昼休憩を挟むことになった。
メローペには、小さな湖が点在している。
菊花たちが休むことにしたのは、その内の一つであるマイア湖の畔だ。
マイア湖には、ある言い伝えがある。
この湖には願いを叶える精霊が棲んでいて、湖畔で色のついた石を見つけることができた者だけが願いを叶えてもらえるというものだ。
すぐ近くに恋愛成就の精霊が棲む湖があることもあり、告白前の運試しに来る者も多いらしい。
昼食後、菊花はさっそく香樹を誘ってみることにした。
「ねぇ、香樹」
「分かっている。試してみたいのだろう? 出発までまだ時間があるから、付き合ってやろう」
以心伝心、阿吽之息。
みなまで言わずとも通じる仲に、菊花は無防備な笑みを浮かべた。
「へへ。ありがとう、香樹!」
水と緑が織りなす絵画のような風景は、昼休憩の時間だけでは足りないくらいに美しい。
菊花はゆったりと景色を楽しみながら、色のついた石を探して歩く。
香樹はさほど興味がないのか、食後の散歩を楽しむつもりのようだ。
「……うーん。なかなか見つからないなぁ」
透き通った水辺に小さな魚が泳いでいるのを見て喜ぶも、色のついた石はなかなか見つからない。
躍起になって地面を見つめている菊花に、ぽつりと香樹が言った。
「菊花は精霊に、何を望む?」
「そりゃあもちろん、」
言いかけて、菊花はハッと口をつぐんだ。
香樹とずっと一緒にいられますように――なんて、気恥ずかしくて言えるわけがない。
(願うまでもなく、そのつもりだけど……)
だけど、どうしようもなく不安になる時がある。
この幸せはいつまで続くのだろう、と。
ともに年を重ね、穏やかな老後を過ごしたい。
ありふれた願いだけれど、皇帝である彼がその願いを叶えるためには、いくつもの問題が待ち構えているはずだ。
その時、一緒に乗り越えられるように。
だから菊花は願うのだ。
香樹とずっと一緒にいたい、と。
「もちろん……なんだ?」
「内緒! こういうのは、言わない方が叶いやすいのよ」
「ふむ。言わずとも、目を見れば分かるがな」
至近距離から覗き込まれて、菊花は慌てふためく。
人目もはばからず抱き締めようとしてくる腕から逃れると、石探しに戻った。
その少しあと、湖畔に菊花の喜声が響いた。
彼女の手にあったのは、願いの強さを表すようなハート型の石。
その石は、二人の愛情の深さを示すように淡い紅色をしていたという。