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第七話 親子

 ()の国への訪問を決めてから、およそひと月が経った。

 ()の国を留守にするため思いつく限りの対策を講じ、あとは数日後に出発するのみとなったある夜のこと。


 香樹(こうじゅ)は窓辺に腰掛け、物思いにふけっていた。

 妻である菊花(きっか)は、寝台ですやすやとやすらかな寝息を立てている。


 よほど疲れているのだろう。香樹が寝台を離れても、気がつく気配はない。

 夢の中でも妃教育を受けているのか、眠っているのに気難しい顔をしていた。


「妃教育か……。菊花は、どう思っているのだろうな」


 女大学で優秀な成績を収めた菊花ならば、香樹の好意を受け入れることがどういうことか分かっていたはずだ。

 しかし、頭で理解していたとしても現実となれば感じ方も変わってくる。


 息苦しく思っていないだろうか。

 負担に思い、以前の自由な生活へ戻りたいと思っていないだろうか。

 香樹のもとを離れたいと……思っていないだろうか。


 野山を生き生きと走り回っていた菊花。

 そんな彼女に好意を抱き、自由を奪ってしまったのは香樹である。


 だからこそ、妃教育など適当にやればいいと思っていた。

 無理に淑女らしくする必要なんてない。重要なのは、自分の隣で笑っていてくれることなのだから。


 そう思う反面、先日見せてくれた淑女の姿が頭から離れなかった。

 匂い立つような色香を漂わせながら、容易に触れることを躊躇(ためら)わせるような優雅さ。

 そこに、田舎娘らしさはひとかけらもない。


 あの菊花を見たら、誰もが正妃だと認識し頭を垂れるだろう。

 他者とは一線を画す、高貴さ。

 いっそ、香樹の方が不釣り合いだと思ったほどだ。


「あれを見たら、田舎正妃などと言う輩はいなくなるだろう。だが、見せたくないな。もしも誰かが菊花に懸想し、奪われでもしたら……! 私は、正気ではいられない」


 居もしない想像上の浮気相手に、腹の奥が煮えるよう。

 不穏な言葉を口にしながら、香樹は苦い薬を舐めるように酒器を噛んだ。


 後宮という宝箱にしまいこんでなお、心配でたまらない。

 いっそ、戌の国への訪問なんてやめてしまおうか。

 しかし、リリーベルに会える!とうれしそうにしていた菊花を思うと、それもできない。


 苛立ちのままに酒器に歯を立てた時、ガサリと庭から音がした。

 ハッとして立ち上がりかけた香樹に、話しかけてきたのは――。


「菊花に聞かれでもしたら、逃げられてしまうぞ? 香樹」


 庭の茂みから姿を現したのは、父である蛇晶帝(じゃしょうてい)だった。

 月明かりに照らされて、白銀に金を混ぜたような斑模様がぬらりと光る。


「父上こそ……菊香(きっこう)殿に何用ですか」


「なに、夜の散歩をしていたら物騒な言葉を聞いたのでな。ちぃと寄ってみただけじゃ」


「そうですか」


「それで? 正気ではいられないとは穏やかでないな。話してみよ」


 香樹は逡巡(しゅんじゅん)したが、ここしばらく父とろくに話もしていなかったことに気がついた。

 今を逃せば、またしばらく話すこともないだろう。

 親に話すような内容ではない気もするが、父との会話はそのほとんどが菊花のことなので今更である。


 香樹は無言で酒を酒器に注ぐと、父のために席を設けた。

 酒を(たしな)みながら、香樹はぽつりぽつりと思い浮かぶままに話す。


「手に入れたら、安心すると思っておりました」


「うむ」


「しかし、手に入れても不安は増すばかり」


「そうか……」


 酒器に注がれた酒が半分ほど消える頃、蛇晶帝は言った。


「嫉妬と似た言葉に、劣等感がある。劣等感が強い者は自分に自信がなく、相手に必要とされることで自分の存在意識を確認しがちじゃ」


 苦々しい語りに、香樹は押し黙った。

 蛇晶帝の言うことは、獣人すべてに当てはまることだからだ。


 人からしてみたら獣人は異端であり、獣人は人が異端を嫌うことを理解している。

 それなのに、自分たちが伴侶に望む者はそのほとんどが人なのである。

 愛する人と同族でないことは、獣人に劣等感を抱かせた。


「獣人はみな、そうではありませんか」


「その通り。おまえのその気持ちは、獣人としてごく当たり前の気持ちなのじゃ」


「しかし、」


 納得しきれていない思い悩んだ顔をする香樹に、蛇晶帝は肩をすくめるようにゆらっと動いた。

 香樹とよく似た真っ赤な目が、あたたかく彼を見返す。


「では、やきもちと言い換えてはどうじゃ? やきもちであれば、かわいかろう?」


「やきもち、ですか」


 確かに、やきもちの方がかわいい響きをしている。

 もっちりとした菊花の頬が脳裏を(かす)めて、うっかり笑いそうになった。


「やきもちも嫉妬も、根元は同じ。愛する人の関心が自分から離れてしまいそうな時に感じるものじゃ」


「なるほど」


「やきもちをやかないようにするには、甘えることが一番だと華香は言っておったぞ。わたくし以外の異性と話さないで!と嫉妬する彼女は実に──」


 父から聞く惚気(のろけ)話など、菊花の話をすることより気まずい。

 香樹は困惑と軽蔑と羞恥が入り交じった複雑な表情を浮かべ、ただ一言「父上」と呼んだ。


「なんじゃ。せっかく華香との思い出話をしておったというのに」


「話が脱線しかけていました。母上との思い出はまた今度うかがいますので、今は助言を優先してください」


「おお、そうであった。年を取ると、今より昔のことの方が鮮明に思い出せるようでのぅ……」


 毒殺され、白家の呪いによって蛇の姿で蘇った蛇晶帝。

 心残りの一つである復讐が終わってからは、老人のような言動をするようになった。


 もう歳だから早く孫をつくれとせっつかれているだけならいい。

 しかし、この奇跡のような時間に終わりが近づいているような気もして、香樹はなんともいえない表情を浮かべた。


「甘え方が分からないのなら、願い事をするのも良いそうじゃ。例えば……手をギュッと握ってほしい、とか」


「なるほど。叶えやすい小さな願い事をするのですね」


「そうじゃ。だが、菊花から聞いている話だと、おまえはうまく甘えているようじゃからのぉ。自分に自信をつけることが大切かもしれぬ」


 自分に自信をつける。

 つまりそれは、菊花にふさわしい男になることと同義だ。


(菊花にふさわしい男とは、どんな男だ?)


 菊花は、三食昼寝付きと勉強し放題に惹かれてここへ来た。

 ならば、それを提供し続けられる甲斐性は必要不可欠。

 つまるところ──財力である。


「数日後には戌の国へ発つのだろう? ならば、あちらで成すべきことをやってこい。さすれば少しは自信がつくじゃろうて」


 蛇晶帝も香樹と同意見のようだ。

 頑張れと激励するように尻尾でペチリとたたかれ、香樹はうなずいた。


「百聞は一見にしかず、じゃ。まずはやってみよ。自信がつかなければ、また一緒に考えてやろう」


 頼もしい父の言葉に、香樹は応えるように酒を注いだのだった。



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