最終話 土産
香樹を救出した二日後、菊花たちは慌ただしく帰国の途についた。
予定よりだいぶ長く滞在していたので、登月がしたためた怒りの文とともに、強制送還用の馬車が到着したのだ。
菊花は文を読ませてもらえなかったが、やたらと攻撃的な筆跡で、彼の苛立ちを如実に表していたという。
そんな中、菊花は香樹から耳を疑うような話をされた。
曰く、エルナトで起きた一連の事件を計画したのは、ヤン・クロリクである――と。
「えっ? まさか、そんな……。だって、助けてくれたんだよ?」
「分かっている。最終的な黒幕は別にいたが、それでも計画したのはヤンに違いない」
「うそだぁ」
「本人も認めている」
問題を起こして戌の国と酉の国を仲たがいさせ、解決することで功績をつくる。
そうしてヤンは、兎の国の次期国王に名乗りを上げようとしていたようだ。
「ヤンは王位継承権が低いから……。そこまでしないと王様になれなかったこと?」
「おそらくな」
「そこまでして、王様になりたかった理由ってなんだろう」
理由など、一つしかない。
香樹はその答えを知っていたが、沈黙を選んだ。
それこそが、ヤンに与えられた罰だったから。
「ヤンは頻繁に戌の国を訪れ、計画を進めていた」
エルナトに工場をつくり、そこで得た資金で領主の懐深くに入り込み、信任を得たところで四害駆除の施策を吹き込む。
四害駆除と言いつつも、真の狙いはスズメの駆除だった。
人々の健康を守るためと言いながら、酉の国を挑発するための策だったのである。
「おそらく、森の伐採も計画の一部だったのだろう」
戌の国と酉の国の間にある森は、酉の国の民にとって神聖な場所である。
大切な場所を穢されて、彼らが黙っているはずもない。
「そんな……。だって一緒に木を植えたのに?」
リリーベルとヤンと、三人で木を植えたのはたった数日前のことだ。
楽しかった思い出は、菊花をますます混乱させる。
「酉の国・アルダナブの民は、少し前から森の異変に気づき始めていたらしい。エルナトでスズメの駆除をしているといううわさが町に流れ、秘密裏に確認しに行ったところ、荒れた森とスズメを追い回す子どもの姿を確認したのだと言う」
「もしかして、エルナト側の森に火を放ったのは……」
「おそらくアルダナブの者だろう」
経典の物語を、彼らはなぞったのだ。
鳥の神の聖なる炎。それによって、森の浄化をはかったのかもしれない。
信徒でない菊花には、その程度しか慮ることができない。
もしかしたら他に意味があるのかもしれないし、意味なんてなくて怒りのままに火を放ったのかもしれない。
だが、もはや町同士ではなく国同士の問題だ。
なんとか折り合いがつくことを祈るばかりである。
「森を焼かれることまで、ヤンは予測できていなかった。そうなる前に、解決する計画だったようだ」
エルナトの町でヤンと再会した時、彼は森の様子を見てきたと言っていた。
あの時は翠先生のためだと言っていたが、もしかしたら後悔の念に駆られて確認しに行ったのかもしれない。
(私が知っているヤンだったら、きっとそうするはず……)
そうであってほしい。
山で兎を助けたことを後悔したくはない。
「そして、アルファルド木材加工工場の代表であるアミー・ルザリだが……」
「アミーさん、見つかったの⁉︎ 彼は、無事?」
「消息不明だ。しかし、その正体はヤンの護衛であり計画の協力者でもあるアミールだった」
「アミーさんが、協力者……⁉︎」
もうなにがなんだか、だ。
ヤンのことといい、アミーのことといい、人は見かけによらないものらしい。
「アミールは、ヤンの協力者であり、裏切り者であり、黒幕でもある」
「どういうこと……?」
これはアミールから聞いた話だが、と前置いて香樹は話した。
ヤンの計画は順調だった。
一滴の雫が長い時間をかけて杯を満たし、あふれるように。
気づいたら、始まっていた――そんな風に、火蓋が切って落とされるように計算されていた。
計画に支障が出たのは、菊花たちが戌の国へ来たからだ。
蛇香帝暗殺の機会が巡ってきたと、アミールはヤンを裏切った。
熱心な信徒であるアミールは、白一族の存在に疑問を抱いていた。
蛇を祖とする白一族が、なぜ死の国でなくこの世界にいるのか。
妄信的な酉の国の民の中でも、アミールはとびきり危険な思考の持ち主だったのである。
「森林火災を止めるために迎え火を放つ際、二手に分かれるべきだと言い出したのはアミールだ。もっともらしいことを言っていたから採択してしまったが……。私を害するための罠だった」
香樹たちは二手に分かれたあと、計画通りに迎え火を放ったようだ。
しかし、火を放った途端にアミールは態度を豹変させ、香樹を滝壺に突き落とした。
「私が溺れ死ぬと確信していたのだろう。頼んでもいないのに長広舌をふるっていた」
アミールの行方は依然として知れず。
熱心な信徒であることから酉の国へ調査を依頼するつもりだが、おそらく見つかることはないだろうというのが香樹の見解のようだ。
「ヤンだが……。彼は、獣人法によって裁かれた」
獣人法とは、月日州に住まうすべての獣人を守り、時に戒める法である。
獣人は、愛する者を守るために王になるような生き物だ。
ひとたび暴走すれば国は荒れ、民が困窮する事態になりかねない。
それゆえに、獣人たちが獣人たちのために定めたのものが獣人法なのである。
「すでに判決は申し渡され、刑は執行された」
「執行されたって……まさか極刑⁉︎」
見送りにヤンの姿がなかったことを思い出して、菊花は真っ青になった。
確かにヤンは、許されないことをした。
けれど、彼の計画がそのまま実行されていれば、これほど大きなことにはならなかったはずだ。
しかし、罪を犯した獣人は獣人によって裁かれるのが決まりだ。
ゆえに、菊花がどんなに減刑を希おうと、聞き入れられることはない。
膝の上においた拳をブルブルと震わせている菊花に、香樹は「早合点するな」とどこか拗ねたような声で言った。
「ヤンは生きている」
「良かった!」
菊花がパッと表情を明るくさせると、香樹は鬱々とした表情を浮かべた。
訴えるようなねっとりとした視線は嫉妬深い蛇のようで、蛇好きの菊花はきゅんとしてしまう。
動機が番に求愛するためであることから、ヤンは生涯にわたり番との接触を禁じられたそうだ。
遠くから見ることも、手紙のやりとりも、すべて禁止。
運命の相手が誰であるか知りながら一目見ることも叶わないというのは、どれほどの苦しみだろう。
香樹と離れていた期間を思い出して、菊花は悲しい気持ちになった。
刑が執行されると同時に、ヤンは兎の国へ強制送還されたようだ。
見送りに来られなかったのも、そのせいらしい。
「それにしても、どうしてこんなに早く話がまとまったの? 気味が悪いくらいトントン拍子よね」
「アミールだ」
「アミーさん?」
どうやら、アミールは各国にヤンの所業を告発する文を送りつけていたらしい。
文を受け取った者は事の真相を確かめるために戌の国へ使者を送っていた。
ここがアミールのいやらしいところで、彼は国ごとに文が届く日を調節していたようだ。
示し合わせたかのように、獣人たちが同じ日に集まるように。
結果として、ヤンの処遇は可及的速やかに裁決された。
「なんだかさ、そういう人って簡単には死ななそうよね」
「菊花もそう思うか」
「巳の国に戻ったら、香樹が生きていることなんて簡単にバレちゃうもの。またちょっかい出してきたりして」
もちろん、ちょっかいなんてかわいらしいものではないだろうが。
「いろいろ対策を講じなければならぬな」
「帰ったら製紙工場も始めるつもりなんでしょう? 私も一緒に頑張るし、無理しちゃだめだからね」
「ああ、頼りにしている」
あと数日もすれば、都へ入るだろう。
我が家まで、あと少し。
(蛇晶帝へのお土産話、たくさん用意できたわ!)
あっという間に思考を他のことへ持って行ってしまった菊花に、香樹はムッと渋面を作った。
それを横目でチラリと見遣った菊花は、くふりと笑んで――。
「もおぉぉぉ、かわいいんだから!」
菊花は香樹をぎゅうっと抱きしめた。
やわらかな胸に、香樹の顔がむぎゅっと押し当てられる。菊花はたまらないとばかりに、香樹のつむじにうりうりと頬を擦りつけた。
冷酷無比で有名な巳の国の皇帝をかわいい呼ばわりできるのは、世界広しと言えど彼女くらいのものだろう。
皇帝陛下のあたため係は、最強なのである。
これにて完結です。
最後までお読みくださいまして、どうもありがとうございました。
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