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第四十二話 温温

 ()の国と()の国の国境になっている渓谷には、川が流れている。

 その川は複雑な形をしているため、流れたものがたどり着く不思議な場所が点在しているらしい。


 最初に()()へ向かったのは、まったくの偶然であった。

 地図を広げ、ヤンが挙げたいくつかの場所のうちの一つを指差し、菊花(きっか)は言ったのだ。

 

「ここから行きましょう」

 

 その声はまるで神の託宣のようであったと、後にヤンは語る。

 

 戦女神を思わせる凜々しい菊花に、花林(かりん)は「この方は誰なのかしら」と愕然としていた。

 柚安(ゆあん)はすぐに気持ちを切り替え、花林を連れて王都へ知らせに向かうと言ってくれた。

 

「柚安、花林、お願いね」

 

「お任せください」

 

「かしこまりました」

 

 人の手が入っていない渓谷を移動するのに、馬車は不向きだ。

 馬に乗れない菊花はヤンに手綱を握らせ、一路渓谷へと向かった。

 渓谷に到着すると、川を見下ろせるように崖のギリギリのところを走ってもらう。

 

「香樹……。必ず、見つけるから……!」

 

 水が日の光に乱反射して、キラキラと輝いていた。

 垂直に切り立った崖。うねうねと曲がる河川、別種の樹木が自然に一体となった合体樹ーー。

 こんな時でなければ、「空気がおいしいわ」なんて深呼吸できたのに。

 

「あと少しで、最初の目的地へ着きます」

 

「分かったわ。そのまま向かってちょうだい」

 

「はいっ」

 

 目指していた場所に向かって点々と落ちている帯や衣を見つけた時、菊花は息が止まるかと思った。

 

(もしかして、河原で息絶えて蛇の姿になっているの?)

(だから、服が落ちているの?)

 

 たとえ蛇の姿であろうと、菊花の気持ちは変わらない。

 生涯、彼をあたため続けるだけである。妻として。


 思い直し、菊花は気合いを入れた。

 

 むしろ、蛇の姿の方がいいかもしれない。

 胸元に入れて、いつでも一緒にいられるから。

 

「ヤン、香樹の衣があそこに!」

 

 菊花の大きな声に、馬が驚いて跳ね上がる。

 ヤンがどうどうと馬を宥めている間に、菊花はひょいと馬を飛び降りた。

 見た目によらず、軽業師のような身のこなしだ。

 

「香樹、今行くわ!」

 

「菊花様⁉︎」

 

「ヤン! 私は今から崖を降りるわ。あなたは私たちを引き上げる準備をしてちょうだい。一人では無理でしょうから、人を連れてくるのよ」

 

「そんな危険なこと、菊花様にさせられるわけがないでしょう⁉︎」

 

「寒がっている香樹を待たせたくないの。それに、心配いらないわ。田舎正妃の本領を発揮してやるから。見ていて!」

 

 言うやいなや、菊花は近くに生えていた木の枝にひょいと掴まった。

 そして、反動をつけて次の枝へ飛び移る。

 

 ひょいひょいひょいと、木々の合間を移動するその姿は山猿のごとし。

 羽織った衣がヒラヒラたなびく様は、天女の舞に見えなくもない。

 

 あっという間に河原へおりた菊花は、見下ろすヤンに手を振って無事を伝えた。

 そして、崖の上から見えた帯や衣を道しるべに走り出す。

 

 久しぶりの運動に、息が上がった。

 こんな状態で、よく迎え火の参加を申し出たものである。

 

「もっと体力をつけないとだめね」

 

 体がすっかり(なま)っている。

 これでは、田舎正妃の名が廃るというものだ。

 

(ふふっ。私ってば、存外田舎正妃って名前が気に入っているのかも!)

 

 やがて、菊花は半裸の男を見つけた。

 濡れた髪がべったりと顔を覆っているが、金混じりの白銀の髪など彼以外にいるわけがない。

 

「香樹!」

 

 菊花は走り寄った。

 触れた体は、ひどく冷たい。

 

「ごめん、香樹。ごめんなさい。私、あなたのあたため係なのに……!」


 焦るあまり、うまく服が脱げない。

 菊花はなんとか上着を脱ぐと、香樹に着せかけた。


 それでも彼は、まだ寒そうだ。

 菊花は自分のぬくもりを分け与えるように、全身で彼に寄り添う。


「こんなことなら、たき火ができるように準備をしてくるべきだったわ」

 

 すっかり頭に血が上っていて、失念していた。

 

 こんな河原に、乾燥した枝が落ちているわけもない。

 服を燃やしたって、あたたまれるとは思えない。

 次からは乾燥した枝と火打ち石を持ち歩こうと非現実的なことを菊花がつぶやいた、その時だった。

 

「私をあたためるのは、おまえだけの役目(とっけん)であろう?」

 

 ささやき声を聞いて、菊花は香樹の顔を覗き込む。

 

「香樹、起きたの?」

 

「あたたかいな。さすが、私のあたため係だ……」

 

 香樹の腕が、菊花の腰を抱き寄せる。

 

「だが、足りぬ。もっと寄越せ」

 

 強引に。だけど、くすぐったいくらいに優しく。

 ひやりとした唇が、菊花の唇に押し当てられる。

 

「んっ……香樹……」

 

「まだだ」

 

 香樹は菊花の髪を掻き分け、耳を食んできた。

 甘い刺激に、菊花の唇から悩ましげな吐息が漏れる。

 

 無意識に縋る菊花に気を良くしたのか、香樹の唇に笑みが浮かんだ。

 押し付けられた体がぬくもっていくのを感じて、菊花は安心したように微笑む。

 

(もう、大丈夫)

 

 悪夢から覚めたような気分だった。


 まだアミーは見つかっていない、とか。

 一体誰がこんなことを引き起こしたのか、とか。

 

 考えなければならないことはたくさんあるけれど、今はただ香樹の無事を喜びたい。

 

「あなたが無事で、すごく嬉しい。大好きよ、香樹」

 

 泣きたくなるほどの愛しさを込めて、菊花はそっと唇を重ねた。

 

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