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第三十五話 逃走

 ヤンは全速力で森の中へ逃げ込んだ。


「見つかった、見つかった、見つかった……!」


 侵入者を阻む柵を跳び越え、人目を避けるように奥へ奥へ。

 ヤンの足は無意識にある場所へ向かっていた。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」


 (ゆう)の国に近づくにつれ、森はヤンを拒絶するように鬱蒼(うっそう)としていく。

 ヤンはむしろそれをありがたく思った。

 木々に身を隠しながら駆け抜ける。


 やがて、目印にしている大木が見えてきた。

 巣穴へ逃げ込む(ウサギ)のごとく大木の陰に入ったヤンは、木の幹に寄りかかって大きく息を吐く。


 胸がバクバクと嫌な音を立てていた。

 全速力で走ったせいか、あるいは後ろ暗いことをしたせいか。

 きっとどちらもだろう。


(女神様にはお見通しということなのか……?)


 計画に障りが出ていると報告を受けたのは、昨日のことだった。

 人気がない場所に出た瞬間、見計らったかのように護衛のアミールが言ったのだ。


「あるじー。このままだと()が始まりませんよ?」


 はたから見れば、優雅に散歩している王族とそれに従う護衛のように見えるだろう。

 平静を装いながら、しかし装いきれずにヤンはイライラと返す。


「言われなくても分かっている……!」


 ヤンの苛立ちを表すように、彼の足元でジャリッと音がした。


 アミールには、計画の進捗(しんちょく)を報告するように命じてあった。

 やる気がなさそうに見えて意外と働き者であるアミールは、時折護衛の任を離れてエルナトへ確認しに行っている。


 彼に苛立ちをぶつけるのは筋違いだ。

 分かっていたが、未熟さが残るヤンには抑えが効かない。


「怒らないでくださいよ。俺は、あるじの命に従っているだけです」


「…………」


 もともとこの計画は、長い時間をかけて遂行すべきものだった。

 一滴の(しずく)が長い時間をかけて杯を満たし、あふれるように。

 気づいたら、始まっていた――そんな風に、火蓋は切って落とされるはずだった。


(そこへ僕がサッと現れて、サクッと解決するはずだったのに……)


 計画が狂ったのは、なぜなのか。

 不安と焦りで雁字搦(がんじがら)めになって、思考が鈍る。


 頭が回らない。

 けれど、これだけは分かる。


(このままでは、王になれない……!)


 足の下にある石をジャリジャリと踏みつけながら、ヤンは奥歯を噛み締めた。

 悔しそうに顔を歪めうつむくヤンを見遣ったアミールは、ニヤリとほくそ笑んだ。


「あるじー。ここまできたら、中止なんてできませんよ。予定を繰り上げましょう」


「繰り上げる? そんなこと、できるわけないだろう」


 反論するためにヤンが顔を上げると、気遣わしげな表情を浮かべたアミールと目が合った。


 アミールは口も態度も悪いが、根は悪いやつではない――とヤンは思っている。

 なんだかんだ言って、ヤンはアミールを信用している。菊花への評価だけは、いただけないが。


「できますよ。ちょっとした工夫をすれば」


「ちょっとした工夫だって?」


 アミールは言った。

 四害駆除を加速させるため、スズメの効率的な捕獲方法を子どもたちに教えればいいと。


「アルダナブに住む酉の国の民は、森の異変に気づき始めている。森の向こうから鍋やバケツを打ち鳴らす音が聞こえてきたら、確認しに行くはずです」


「そんな非道な方法を、子どもたちに教えろと言うのか?」


「そうです。ですが、あるじだけに汚れ仕事をさせるのは気が引けますからね。俺もしますよ」


「なにをするつもりだ」


「アルダナブに行って、うわさを流してきましょう。()の国は聖地である森を破壊し、神の使いであるスズメを虐殺している。これは酉の国への挑発である、と」


 これで舞台は整います。

 そう言って、アミールは左手の親指を立ててグッドサインをしてみせた――。

 

 それから、一日が経過した。

 ヤンは今、森の奥深くで荒い息を吐いている。


「――これは、僕が王になるために必要なことなんだ。恥じることは、ない……」


 本当にそうだろうか?と疑問が頭をもたげる――その時だった。


 カサリと枯れ葉を踏み締める音がして、ヤンは身を隠すために木の幹へ体を押し付けた。

 足音はだんだんと近づいてくる。そこにヤンがいると、知っているように。

 

 意を決して、ヤンは声を上げた。


「アミール、おまえなのか?」


「あるじー」


 気の抜けた声に、緊張が途切れる。

 隠れていた大木から、ヤンは顔を出した。


 木々の合間から姿を現したのは、酉の国の衣装に身を包んだアミールだった。

 ヤンの緊張をほぐそうとしてか、ケタケタとわざとらしく笑っている。


「そんなにビビってどうしたんです? まさか、失敗したわけじゃないですよね」


「アドバイスはしてきた。しかし……」


「しかし?」


 ピリリと緊張が走る。

 主人の気持ちに寄り添うように、アミールも表情を引き締めた。


「領主の館に、菊花(きっか)様たちがいた」


「なぁんだ。悪いことをしているところを菊花様に見られたって凹んでいただけですか。心配して損した」


「だが、もしも僕がしていることに気づかれたら……」


「顔を見られたわけじゃないんでしょう? まさか、菊花様に見惚れてすぐに逃げなかった、とか言いませんよね?」


「もちろん、すぐに逃げた!」


「それなら大丈夫ですよ。けれど、どうして菊花様は領主の館にいたんでしょう?」


「分からない。だが、天幕を見ているようだった」


「アホ領主が自らの手柄にしようとあちこちに吹聴していたようですから……。あるじが言うように女神のような菊花様なら、責任を感じて視察にきたのかもしれませんね」


「そっ、そうだな! 菊花様は女神のような……いや、女神様だからな」


 勢いがついたヤンは止まらない。

 もはや耳タコとなった思い出話が始まってしまい、アミールはゲンナリと表情を曇らせた。 


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