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第三十一話 縁起

 エルナトの周辺には、大小さまざまな工場が建ち並んでいる。

 特に目立つのは、プロキオン木工場、アルファルド木材加工工場、ゴメイサ製紙工場の三棟だ。

 

 風に乗って、工場からさまざまな音が聞こえてきていた。

 運び込む音、加工する音、たたくような音、想像もつかない変な音。

 あれこれ聞きながら様子を想像するのは、菊花(きっか)にとって楽しい時間だ。


「いい天気」


 お出かけ日和だ。

 もっとも、エルナトへ着いたらそれどころではないだろうが。

 

 ザァザァと笹の葉がこすれるような音を聞いて反対側を見れば、青々とした麦畑が見える。

 ()の国は()の国より温暖なので、こちらのほうが半月ほど成長が早いようだ。


「きれい……」

 

 穂首をピンと立てて風に揺れている様は、波打つ緑の海のようである。

 もう少ししたら菊花の髪のような金色に染まって、重くなった穂首をくたりと下げるのだろう。


「冬小麦の収穫時期は長雨の頃だから……たぶん、もう少し先ね」


 今朝食べたばかりのパンのおいしさを思い出して、菊花はペロリと幸せそうに顔をほころばせた――その時である。

 

 チュン、と覚えのある鳴き声を聞いて菊花は周囲を見回した。

 目をこらして麦畑の中を注視すると、茶色の頭と尾羽が見え隠れしている。

 

「あっ、スズメだ」


 かわいらしい。

 幼い頃から身近にいる動物だからか、安心感がある。

 けれど、農民にとってはやっかいな存在だ。

 

 後宮に教えに来てくれた学者の一人である(りつ)先生は言っていた。

 スズメは一羽あたり年間二公斤(キログラム)もの穀物をついばんでいると。

 

「二羽なら四公斤、十羽なら二十公斤……」


 菊花の頭の中で、小麦の袋が次々と山積みになっていく。

 彼女にとって食べ物は、金銀財宝よりも価値があるものだ。


 なにせ菊花は、三食昼寝付きに惹かれて後宮行きを決めたくらいである。

 無遠慮に麦を食べている想像のスズメに、菊花はぷぅと頬を膨らませた。

 

「なんのことだ?」


 菊花の頬をチョンとつつきながら、香樹(こうじゅ)が尋ねた。

 頬をつつくいたずらな人差し指を捕まえながら、菊花は答える。

 

「スズメよ。栗先生が言っていたのだけれど、スズメは一羽あたり年間二公斤もの穀物をついばんでいるんだって」

 

「……あの小さな体でよく食べるのだな」

 

 もの言いたげな視線が、菊花の体に向けられる。

 悪気はないのだろうが、いたたまれない。


「…………」


(どうせ私もよく食べるわよ!)


 しかし、反論はできない。

 馬車に乗ってからしばらく、菊花は香樹の膝の上でお菓子を食べさせられていたのだから。

 同乗していた柚安(ゆあん)から「まるで求愛給餌みたいですねぇ」としみじみとした口調で言われて、恥ずかしさに香樹を押し除けたのはつい先ほどのことだ。


 拗ねたように顔を背ける菊花の頬を愛しげに撫でながら、香樹は言った。


「私は、たくさん食べる菊花が好きだぞ」


「…………」


 なんのてらいもなく好きだと言われて、それも二人きりでもない状況でどう反応しろと言うのか。

 黙っていると、香樹はいそいそと菓子を取り出した。


「まだ菓子はあるぞ」

 

 菓子を口に運んでくる香樹の手を押しとどめたあと、菊花はか細い奇声を漏らしながら顔を覆った。


「どうしろっていうのよ、もぉぉぉぉ……」


 二人のやりとりを見ていた柚安と花林(かりん)は、顔を見合わせてにまっと笑んだ。

 生あたたかい視線を察知して、菊花はぎくんっと肩を戦慄かせる。


「冬のスズメはふっくらとしていてかわいらしいですから。陛下が愛でたくなる気持ちも分かりますわ」


「戌の国ではどうか知りませんが、巳の国でスズメは瑞鳥(ずいちょう)ですからね」


 柚安の言葉に、菊花は図星をつかれたように「うっ」と声を漏らした。

 それを突かれると、菊花も弱い。

 

 そうなのである。

 年間二公斤もの穀物をついばむと分かっていても、菊花はスズメを悪だとみなせない。

 パッと見た感想がかわいいになってしまうのも、それのせいなのである。


 巳の国では昔から、スズメは吉兆をもたらす存在だとされてきた。

 厄をついばむとされ、一族繁栄、家内安全の象徴になっている。


 冬のスズメは、その佇まいからふくら雀と呼ばれる。

 良い福をもたらす福良雀、福が来る福来雀と書くこともあり、豊かさを表す縁起が良い生き物なのだ。


「ですから、少し……今回の件は思うところがありますの」


 そう言って、花林は頬に手を添えて憂いの表情でため息を吐いた。


 種を植え、寒さに耐えながら麦踏みを行い、今にも泣き出しそうな空模様にハラハラしながら収穫をする人たちのことを考えると、四害駆除に賛同するのも無理からぬことだと菊花は思う。


 けれども、菊花も花林たちと同じく巳の国の者なのである。

 幼い頃からスズメは縁起の良い鳥だと教えられて育ってきたこともあり、どうにか助けてあげられないかと思う気持ちも確かにある。


「四害駆除からスズメを除外するための理由……か」


 つぶやく菊花の脳裏に、ふとある光景が過った。

 

 学者と文官が集められた、執務室。

 話しかけてきた、人懐こい青年。

 

(そう、あれは私が飛蝗(バッタ)の買い取りを提言したあとのこと……)


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