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第二十七話 疑惧

 リリーベルたちが作業場所へ着いた時、(すい)は仲間たちと苗木を植えていた。

 足音を聞いて振り返った瞬間、菊花(きっか)の姿を見つけてパッと表情を明るくする。


 その柔和な顔を見た時、リリーベルの頭に義父の顔が浮かんだ。

 リリーベルのおい――孫を見る時と同じ目をしていたから。


 翠は汚れた手をパンパンと払うと、年齢のわりにしゃっきりとした足取りで菊花のもとへ歩いてきた。

 リリーベルやヤンには目もくれない。


 菊花と翠が対面するのは、これが二度目のはずだ。

 事前情報によれば、翠は菊花と会った翌日にはエルナトへ向かったらしい。


(それで、これか。なんというか……菊花は学者()()()だな)


 翠は、菊花のことを相当に気に入っているようだ。

 さもありなん、とリリーベルは思う。


 菊花は、学者という生き物に好かれやすいのだ。

 難しい話でも身構えずに聞いてくれるし、垂れ流されるうんちくを聞き流すでもない。


 時折合いの手のように入ってくる質問は実に的を射ていてちゃんと聞いていることが分かるし、なおかつ話についてこられるだけの能力を有していることも好ましい。

 造詣の深さをひけらかすこともなく、なのに隠しきれない好奇心がにじみでているところは、控えめで不器用でかわいらしい。


 菊花と語らう時間は心地よいのだ。

 自らも学者であるリリーベルには、翠の気持ちがよくわかった。


「こんにちは、翠先生。遅くなってしまってごめんなさい」


「いえいえ、王都からここまで遠かったでしょう。休まれてからいらっしゃっても良かったのですよ」


 翠からは、菊花を大切にしたいという思いがひしひしと伝わってくる。

 彼女を見る目はあたたかく、まるで孫を見守る祖父のようだ。


蛇晶(じゃしょう)帝が見たら嫉妬してしまいそうだな)


 いなくて良かった、とリリーベルはしみじみ思った。


「大丈夫、エルナトでちゃんと休んできました。これからしっかり働きますので、いろいろ教えてくださいね」


「ええ、もちろんですとも」


 翠が泥だらけの姿で迎えても、菊花は笑顔を崩さない。

 当たり前のように翠の手を取って、「どこに植えるんですか?」と尋ねている。


(菊花を見ていると、庶民と距離が近い妃も悪くないと思うんだよね)


 庶民の生の声を聞ける。

 耳を傾けられる。


 それは、菊花の強みだと思う。

 自覚はないだろうが、プライドが高い貴族令嬢では菊花のようにいかない。


()の国は、()の国ほど皇族と庶民の距離が近くない。ましてや、菊花はほとんどを後宮で過ごしている。顔が知られていないなら、いろいろ都合が良いのでは……?)


 とはいえ、香樹の様子を見る限り、菊花が外へ出ることは難しそうだ。

 今だって、菊花に内緒で柚安(ゆあん)を護衛につけている。


 同行している中で一番の腕利きを菊花につけているのだ。

 その寵愛(ちょうあい)ぶりは推して知るべしだろう。


 冷酷無比な皇帝陛下の愛を一身に受ける菊花はと言えば、腕まくりをしてすっかり準備万端である。

 その気迫に後押しされ、リリーベルとヤンも腕まくりをする。


 皇族王族がそろってやる気を見せたことで、作業していた人たちも気が引き締まったようだ。

 気合いを入れる声が聞こえてくる。


「みんな、すごいやる気ね。私も負けていられないわ」


 両手を握ってふんす!とやる気をみなぎらせる菊花に、翠も「これは教え甲斐(がい)がありますねぇ」と満足そうである。


 二人の様子を眺めながら、リリーベルは眩しいものを見るように目を細めた。

 何の気はなしに隣を見ると、ヤンもリリーベルと同じような表情をしている。

 互いに同じ顔をしていたことに気がつくと、二人はごまかすように視線をさまよわせ、やがて笑い合った。


「勝敗は決しているようなものだが……。私たちも頑張るとしよう」


「はい! 頑張ったら、菊花様に褒めてもらえるでしょうか」


「ああ。菊花ならきっと褒めてくれるさ」


 菊花を見つめるヤンの目は、潤んで(きら)めいている。

 ソワソワする様は、褒められ待ちの忠犬を思わせる。ヤンの腰あたりに、犬の尻尾の幻覚が見えるようだ。


 期待に満ちた熱視線。

 それはまるで夫が自分を見つめる時のようで――リリーベルは違和感を覚えた。


「えっ……?」


「なんですか?」


 ヤンは不思議そうに首をかしげた。

 恋も愛も知らない、幼さが残る顔立ち。そこにもう熱さは感じられない。


(気のせいか……?)


「あっ、菊花様が呼んでいますよ。早く行かなくちゃ!」


 急ぐことでもないのに、走り出すヤン。

 彼の行動はまるで、リリーベルの追求から逃れるようにも見える。


(まさか、ヤン様は……)


 ある可能性が頭を過るが、リリーベルはあり得ないと考えを振り払った。


「そうだ、あり得ない」


 獣神の末裔(まつえい)である獣人は、生涯でたった一人の相手しか愛さない。

 たった一人しか、愛せない。


 出会えばたちまちに運命の相手だと気づく。

 彼らは本能で運命の相手を嗅ぎ分けるのだ。


「二人の獣人に愛されるなんて……。そんな話、聞いたことがない」


 ヴァロンタンがリリーベルを愛するように、香樹は菊花を愛している。

 獣人の深い愛に、入り込める余地はない。ない、はずなのだが――。


 胸騒ぎがする。

 森はこんなにも静かなのに、そこかしこから疑問を投げかけられているような。そんな気配を感じる。


(ここは、こんなに静かな所だっただろうか?)


 ぞわりとリリーベルの背中を悪寒が走った――その時である。


「おねえさま、ヤン! 誰が一番多く植えられるか競争しましょう。審査員は翠先生よ」


 菊花のはしゃいだ声に、リリーベルはハッと我に返った。

 少し先で、両手に木の苗を持った菊花がくるくる回りながら腕を振っている。


「かわいらしいことだ」


 まるで子どものようにはしゃいでいる菊花に、心が洗われるようだ。

 つられるようにフッと笑むと、違和感はあっという間に消えてしまった。


 久しぶりに土いじりができるとあって、菊花の農民魂に火がついたようだ。

 三人の勝負はもちろん――菊花の圧勝で幕を閉じた。


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