第二十二話 想念
「でもまさか、二人が知り合いだったなんてね。驚いたよ」
王都へ戻る、馬車の中。
菊花とヤンを交互に見ながら、リリーベルはふはっと笑った。
ヤンは、菊花との再会をあれきりで終わりにするつもりはなかったようだ。
孤児院からの帰り際、ヤンはリリーベルと菊花を呼び止めた。
「話したいことがあるので、王都までご一緒させてもらえませんか?」
菊花はおそらく自分たちの関係について話すのだろうと思ったし、リリーベルも二人の様子を見てなにかあると思ったのだろう。
三人は一緒の馬車に乗り込んだ。
「ええ、僕も驚きました。てっきり、菊花様は巳の国にいらっしゃると思っていましたので」
リリーベルの隣に座る菊花へ、ヤンは人懐こい笑みを向ける。
愛嬌のあるかわいらしい顔立ちだ。
正体を知ってみれば、なるほど。
無邪気に菊花を慕う姿は、兎だった頃とよく似ている。
似ているもなにも本人なのだが、いかんせん兎の姿と人の姿では見た目が違いすぎる。
それでも菊花は、まるで親戚の弟分が成長した姿を見せてくれたような、むずがゆくも微笑ましい気持ちになった。
「私だって、驚きました。あんな田舎で、獣人と何度も出会っていたなんて」
「香樹様とも崔英で出会われたのですか?」
「ええ、そうなの。ヤンと出会った、あの山でね」
かれこれ二年近く行けていないが、毎日通った山だ。容易に思い出せる。
変わらぬ景色を思い描いて、菊花は答えた。
リリーベルは、白梅草の変異種を調べに菊花の家へ行ったことがある。
一年前の記憶をたぐり寄せるように、彼女はうーんとうなった。
「山というと、菊花の家の裏にあったあれかい?」
「そうです。あそこは猪がいてちょっと大変なんですけど、薬草が豊富で。猪に追いかけられるって分かっていても、行く価値はありました」
「そうなのかい⁉︎ 前に行った時は急ぎだったから、山まで確認しに行けなくてね。惜しいことをしたなぁ」
「そうそう、カイは……」
「カイ?」
リリーベルの言葉に、菊花はハッとなった。
無意識にカイと呼んでいたことに気がついて、肩をすくめながらごめんとヤンに謝る。
「私、兎の姿だったヤンのことをカイって名付けて呼んでいたんです……。彼は、希少な薬草を見つけるのがとても上手だったんですよ。ね? ヤン」
「いえ、上手というわけでは……。変わった薬草を見つけると菊花様が笑顔になるから。僕はそれが見たくて、頑張っていたんです」
控えめに笑うヤンの顔といじらしい台詞に、リリーベルは感極まったように手で口を覆った。
菊花はと言えば、恥ずかしさに座席の上で身もだえている。
「菊花様? もしかして、馬車酔いですか?」
「ううん、違うの。大丈夫。ちょっと、純粋すぎて居たたまれなくなっただけ」
食べるために太らせようとしていた自分が恥ずかしい。
穴があったら入りたい。否、穴を掘ってでも隠れたい。
菊花がよく分からない返事をしても、ヤンは不思議そうにするだけだ。
きょとんと首をかしげる姿はともすればあざとく見えがちなのに、いやらしく見えないのは彼が末っ子だからだろうか。
「我慢しないで、無理なら無理って言ってくださいね。いつでも、介抱しますから」
優しい。優しすぎる。
なんなら今すぐにでもリリーベルと席を替わりそうなヤンに、菊花はハハハと力なく笑った。
これ以上、彼に迷惑をかけていられない。
(姉には姉の矜持があるのよ……!)
「うん。ありがとう、ヤン」
二人のやりとりをしばし傍観していたリリーベルは、やがて納得するようにうんうんと深くうなずいた。
「ふむ。なんというか、世話を焼くのに慣れている感じだね。さすが兎の獣人だ」
「え?」
兎と聞いて思い浮かぶのは、ふわふわ、優れた聴覚、寂しがり屋……。
世話焼きと兎が結びつかず、菊花は尋ねるようにリリーベルを見た。
「ああ、菊花はまだ知らなかったか」
私が話そうか?とヤンへ視線を向けるリリーベル。
ヤンは小さく首を振ると、菊花へ答えた。
「兎の獣人は、奉仕することに喜びを感じる種族なのです」
迫害され逃げてきた獣神の末裔である、蛇、犬、鳥の獣人。
彼らと違い、兎の獣人はもともと竜神に仕える神使だった。
他の獣神が土地持ちなのに、永く仕えてくれた兎だけないのは不公平である。
そう思った竜神は、月の土地を手放す際に兎の獣人を神格化し、その上で土地を分け与えた――らしい。
「僕たち兎の獣人は、世話焼きが多いのです。やり過ぎて伴侶に逃げられる者もいるくらいで……」
ヤンはまだ若い。
きっと身内に伴侶に逃げられた人がいて、自分もそうなったらどうしようと不安になっているのだろう。
菊花はヤンより年上で、香樹という夫だっている。
先輩というより姉のような気持ちで、菊花は言った。
「そうなの? 私はいいと思うわ。溺愛……って言うのかしら? そういうのが好きな人は、絶対にいると思う」
「そう、ですか」
不安げだったヤンの顔に、笑みが戻ってくる。
良かった、と菊花は安堵した。
獣人は、伴侶を大切にするものだ。
端から見れば重く苦しいものかもしれないが、伴侶にとって獣人の愛は心地よく、愛おしささえ感じられる。
「きっと、あなたを受け入れてくれる人がいるはずよ。その時は、応援させてね。ヤン」
言いながら、菊花は香樹のことを思い出していた。
菊花が毒に倒れた時、不器用ながらも必死に世話を焼いてくれた香樹。
決して手際が良いとは言えなかったけれど、それでも菊花の中ではいい思い出になっている。
(香樹に会いたくなっちゃった。今日こそ、話し合いが終わっているといいのだけれど)
明日は、印刷工場を見学したあと印刷機の体験をする予定になっている。
香樹も一緒にできたらもっと楽しいはず、と菊花は花開くようにふわりと笑んだ。




