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第十八話 決意

 紙は、()の国で発明されたものだと言われている。

 しかし、巳の国では木や竹を薄く整えたものが主流だ。


 それは、なぜか。

 巳の国において、紙は高級品だからである。


 植物の繊維をほぐし、紙の原料を作る。

 原料を溶かしてドロドロにしたものを、()く。

 漉いたものを乾燥させて、墨などがにじまないように(にかわ)を塗る。


 この面倒な工程を人が手作業で行っているのだ。

 高級品になるわけである。


 ()の国では、植物ではなく古着などから集めたボロ布を紙の原料にしていた。

 紙が流通する前は羊皮紙――羊の毛を広げて乾燥させ、薄く滑らかに整えたものを使っていた影響だろうと言われている。


 紙の作り方は植物と基本的には同じ流れだが、原料をつくる際、ボロ布を発酵させ、砕いて水に溶かしてドロドロにする必要がある。


 使い古しのボロ布は、ものすごく臭う。

 さらにそれを発酵させるので、戌の国は悪臭に悩まされることになった。


 便利な道具を開発して量産できるようになったものの、においの改善には至らず。

 当時は、「製紙工場を街中に作るな!」と住民運動もあったそうだ。


 そんな中、巳の国の歴史にくわしい学者があることを思い立った。

 彼は、巳の国から紙が伝わった時は植物で作られていたとし、原点回帰した結果、戌の国では木材をすりおろしたものを原料にした紙が作られるようになった――らしい。


 その巳の国の歴史にくわしい学者は、(すい)一族とゆかりがある者だったそうだ。

 子雨(しう)は彼の話をたびたび聞かされ、その影響を多分に受けて成長し、そして植林に興味を持つようになった。


 今回はその縁で、現在製紙工場を営む学者の子孫に助力を求められ、戌の国へ来たようだ。


 菊花(きっか)が訪問することは事前に文で知らせておいたが、学者仲間から菊花の人となりを聞いていたのだろう。

 自国の正妃がわざわざ国を(また)いで会いに来たのに子雨の態度はさっぱりとしたもので、変に(へりくだ)ることがなくて良かったと菊花は思った。


 菊花が会いに来た理由が紙を流通させて巳の国の識字率を上げたいのだと聞けば、子雨は紙の作り方から懇切丁寧に説明してくれた。


 正妃が紙漉きなんてするものではないと世間は思うかもしれない。

 それでも、菊花はやって良かったと思う。紙を作ることの大変さを、身を以て知ることができたから。


 製紙工場を見学させてもらったことも、菊花にとっては良い経験となった。

 今すぐの実現は不可能だとしても、香樹に話すには十分すぎる内容だ。

 有意義な時間を過ごせたと、菊花は上機嫌で帰りの馬車へ乗り込んだ。


「……おねえさま」


「ん? なんだい?」


「経験したからこそわかるものって、ありますよね」


 王都へ戻る帰り道。

 ガタゴトと揺れが激しい道から舗装された道へ切り替わったタイミングで、菊花は言った。


「そうだね。図鑑で薬草を見ていても、それだけでは知識と言えない。実際に見て、触って、観察することで本当の知識になる……と私は思うよ」


 リリーベルはそう言うと、自らの経験を話してくれた。


 ある薬草を観察していた時のことである。

 リリーベルは、その草を食べる動物がいることを知った。


 しかもその動物は、胃が弱っている様子だった。

 もしかしたらこの薬草は、胃の病気に効果があるのかもしれない――そう考察したリリーベルは、薬草を研究し、薬を作ったそうだ。


「巳の国で使われている、《百聞は一見にしかず》という言葉……私は、的を射ていると思う」


「そうですね。けれど、それには続きがあるということは知っていますか?」


「いや……。どんな続きがあるんだい?」


 良ければ教えて欲しいと笑うリリーベルに、菊花はうたうように答えた。


 百聞は一見にしかず。

 百見は一考にしかず。

 百考は一行にしかず。

 百行は一果にしかず。

 百果は一幸にしかず。

 百幸は一皇にしかず。


「つまり、見て考えて行動して結果を出して、幸せになって、さらに周りの幸せも考えましょうということです」


「ふふ。なかなか盛りだくさんな内容なのだね」


「そうなんです」


 菊花は、巳の国の正妃だ。

 巳の国の正妃は、公務以外ほとんどの時間を後宮で過ごす。


 おいそれと外出することは叶わない。

 つまり、今のように自由に行動することが難しいということ。


 だが、昔の偉い人は言っているではないか。

 見て考えて、行動して結果を出して、幸せになりなさいと。


(ああ、そうだ。そうだったんだわ! 私に足りなかったのは、それよ!)


 知識が増えても満たされなかった理由。

 このままでは駄目だと責め立てられるように感じていた焦燥感のわけ。


 ようやく、光が見えたような気がした。

 菊花は天啓を受けたような気持ちになって、深く、深く感謝した。


 沈黙してしまった菊花が、リリーベルには体調が悪そうに見えたのだろう。

 ほんのりと頬を赤らめているのだ。リリーベルが勘違いするのも無理はない。


「菊花? 体調が悪いなら――」


「おねえさま!」


「えっ、な、なに⁉︎」


 ここが移動中の馬車だということも忘れ、菊花はずずいとリリーベルに迫る。

 思わず身構えるリリーベルの手を取って、菊花は(お願いだから断られませんように!)と強い気持ちで彼女を見つめながら言った。


「私、自分に足りないものが分かった気がします!」


「菊花に足りないもの?」


「ええ、そうです」


 リリーベルを見つめる菊花の視線は、轟々(ごうごう)と燃えさかる火のような熱を(はら)んでいる。

 こんなにも情熱的な彼女を見るのは初めてで、リリーベルはその熱さに思わず身を引いてしまうほどだった。


「私に足りないのは、体験! 見て、聞いて、やってみないといけなかったんです!」


 思えば、今まで解決してきたどの件も、菊花が体験してきたことに基づいて考えていた。

 後宮へ入ってしばらく。なにも体験してこなかったとは言わないが、教わってきたことを実践したことはほとんどなかったと思う。


「おねえさま、お願いがあります。この国にいる間だけでいい。私に、いろんなことを体験させてください!」


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