第十七話 謝罪
思いがけず情けない姿を見せたことで吹っ切れたのか、翌日の香樹はすっきりとした顔をしていた。
心なしか、菊花を見つめる目に余裕が見える。
おいしそうなにおいに誘われていそいそと朝食の席についた菊花に、香樹は言った。
「今日は視察の予定が入っていたが、急きょ変更することになった」
予想だにしない言葉に、菊花は危うくミニトマトを飛ばすところだった。
コロロ……と皿の上で抵抗を見せるミニトマトを見つめ、えいやっとフォークで突き刺す。
そして、ふぅと一息ついてから菊花は言った。
「お仕事?」
「仕事と言えなくもない」
それなら仕方がないか、と菊花はミニトマトを食べた。
どうやら香樹は、昨夜のうちに柚安へ命じ、菊花を侮辱した不届き者を特定していたようだ。
同時にヴァロンタンを通じて国王へ報告し、話をすり合わせた上で不届き者と話し合う場を設けたらしい。
(なるほど。珍しく別に寝たがったのはそのせいだったのね)
夫婦として一歩進んだ関係になれたような気がした昨夜。
きっと仲良く同衾するのだろうなと思っていた菊花は、しかし別室での就寝を提案された。
菊花は、香樹が言い知れぬ羞恥の情に駆られて同衾を遠慮したのだと思っていたが、どうやら彼女の目が届かないところであれこれやっていたようだ。
(また。まただわ)
菊花が傷つかないように。
そう思ってくれることは、嬉しい。
だけれど、そのせいで当事者である菊花が遠ざけられるのは嫌だ。
菊花のためと言いながら、菊花のあずかり知らぬところで解決するのはやめてほしい。
黄一族の件もそうだったが、隠し立てされると仲間はずれにされているような気分になる。
しかし、事後とはいえ共有してくれるようになったことは喜ばしいことだ。
一緒に抱えたいと言った甲斐があったというものである。
妃教育しかり、夫婦の事情しかり。
おいおい慣れていけばいいのだ。
(焦ることなんてないわ。何事も、一つずつ。積み重ねが大事よ)
そうそうとうなずきながら、菊花は三日月の形をしたパンをちぎる。
層がいくつも重なったパンは、食べるとサクサクしていてとてもおいしい。
「そういうわけだから、私はこれから損害賠償請求をしに、シリウス宮殿へ行ってくる」
「わかったわ。じゃあ、今日の予定は延期ということでいいの?」
「いや、今日の予定は翠子雨と会うことだっただろう。リリーベルが付き添ってくれるそうだから、二人で行ってくるといい」
「いいの⁉︎ でも、香樹も一緒に話を聞きたいんじゃ……」
「いや、私は菊花から聞ければそれで構わぬ。どんな話を聞かせてくれるのか、楽しみにしている」
「香樹……! ありがとう。話し合い、うまくいくといいわね」
「ああ、しっかり責任を取らせよう」
整いすぎて冷たく見える顔がさらに極悪に見えるような笑みが浮かべ、香樹は食事を始めた。
宦官が怯え震え上がるような殺気立った微笑みだが、菊花にはそう見えなかったようだ。
菊花はソーセージを切り分けながら、にこやかに「応援しているわ」と言った。
朝食後、ヴァロンタンとリリーベルが馬車で迎えに来た。
シリウス宮殿へ向かうヴァロンタンと香樹を見送ったあと、菊花たちも馬車へ乗り込む。
「菊花、こんなことになってすまない……」
「頭を上げてください、おねえさま。謝罪はもうたくさんいただきました。私はもう、気にしていません」
ヴァロンタンとリリーベルは、開口一番に謝罪してくれた。
何度も何度も謝るものだから、閉口した香樹がヴァロンタンを馬車に押し込んだほどである。
馬車で出発してから改めてリリーベルから謝罪を受け、菊花としては申し訳ないくらいだ。
困り顔で「これ以上は……」と言うと、むしろ迷惑をかけていることに気がついたリリーベルは慌てて頭を上げた。
「むしろ、私たちこそすみません。おねえさまたちへ感謝を伝えるために訪問したのに、こんな大ごとになってしまって……」
「いやいや、そこは仕方がないよ。無礼を働いたのはこちらの者だからね。これはこれ、それはそれだよ」
「そう言ってもらえると……ありがとうございます」
「うん。でもね、今回の件だけど……菊花には申し訳ないが私たちにとってはチャンスだと思っている。菊花に暴言を吐いた者たちは、王弟を次期国王に推している者たちでね。王弟自身は拒否しているのに、話を聞こうとしないんだよ。だからね、彼らがこれ以上余計なことを画策しないように、香樹様には徹底的にむしり取ってもらう予定なんだ」
「なるほど……⁉︎」
ヴァロンタンは仲裁役かと思っていたが、どうやら焚き付ける役らしい。
香樹の非情な態度とヴァロンタンの親身な態度は、まさに飴と鞭。
実に効率的な脅迫になりそうである。
「私のためだけだったら寝覚めが悪いなって思っていたんですけど、それなら気にしなくて良さそうですね」
「ああ、菊花が気にすることなんて一つもないから安心してほしい」
「じゃあ、今日は心置きなく、翠子雨様の話を聞くとします!」
「任せてくれ!」
豪華な馬車の中から、女性たちの楽しげな声が聞こえてくる。
何も知らない戌の国の民は、王族の馬車が通ると嬉しそうに手を振るのだった。
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