第十五話 舞会
翌日、菊花と香樹はシリウス宮殿に招かれていた。
二人を歓迎する晩餐会と舞踏会に参加するためである。
晩餐会は、和やかに始まった。
「本日はお招きいただき、ありがとうござ……っ」
「ああ、やっとお会いできましたわね!」
晩餐会の主催である国王夫妻に挨拶をしたら、感極まった王妃に両手を握られた。
手入れの甲斐あってようやく貴族らしくなってきた手のひらを「苦労してきたのね」とねぎらわれ、顔を見つめられては「なんてかわいらしいの」と手放しで褒められ、「歓迎するわ」と軽く抱きしめられる。
王妃というより親戚のおばさんのような友好的な態度に、菊花は度肝を抜かれた。
しかし、一歩後ろでにこやかに立っている国王や晩餐会の参加者たちの穏やかな雰囲気に、ふっと肩の力が抜けていく。
(歓迎してくれるだろうとは思っていたけれど、ここまでなんて……)
なんてありがたいのだろうと、菊花は少し泣きそうになってしまった。
晩餐会だと聞いて緊張していたから、なおさらだ。
身内のみということだったが、晩餐会は肩肘を張る必要のない居心地の良い時間だった。
ラデライト家の家族団らんの時間にお邪魔したような、あたたかい気持ちになる。
菊花は親戚付き合いというものをしたことがなかったけれど、少なくとも晩餐会に参加していた面々とはこれからも仲良くしていきたいと思った。
その気持ちが顔に出ていたのだろう。
薄紅色に染まる菊花の頬に気がついた香樹は、その輪郭に手を添えてあるかなしかの笑みを浮かべていた。
◇◇◇◇
晩餐会が終わったあとは、舞踏会の会場である大広間へ移動する。
初めて見るシリウス宮殿の大広間は、まぶしいくらい煌びやかだ。
天井には、輝く星々を集めたようなシャンデリア。
磨き上げられた床がシャンデリアの明かりを反射して、発光しているように見える。
(光の洪水みたいね)
巳の国ではここまで明るい室内を見ることはないから、菊花はとても驚いた。
後宮は夜の雰囲気を大切にしているから、明かりが少なめなのだ。
(これだけ明るかったら、夜の読書も捗りそう)
花林が聞いたらとんでもない!と叱られそうなことを考えつつ、菊花はこっそり息を吐いた。
開会前であるにもかかわらず、すでにたくさんの貴族が大広間に集まっている。
異国の衣装を身にまとう菊花と香樹は注目の的だ。
香樹の膝の上で蝗害について意見した時の視線に比べたらかわいいものだが、そこはかとなく悪意を感じる視線も中にはあって、気が抜けない。
(正妃がこれなら妃の座を狙えるんじゃないか⁉︎って思われていそうよね)
以前、リリーベルから聞いたことがある。
一見平和そうに見える戌の国だが、王位継承権を巡って毒殺されそうになるくらいには不穏なのだと。
菊花の一挙一動、一言一句、見られている。聞かれている。
緊張に、足が震えそうだ。いや、もう震えているのかもしれない。
(隙を見せちゃ、だめ)
とはいえ、菊花の立ち居振る舞いは完璧だった。
隣国の皇帝の前で表立って菊花の容姿を貶す者がいるはずもなく、隙のない菊花を口撃することはできない。
「気にするな」
私だけを見ていろと、香樹はささやく。
菊花は気を取り直して、背筋を伸ばした。
香樹の左腕にそっと手を添えると、菊花以外誰も見えていないような熱のこもった視線を向けられる。
(そうだ。私も香樹だけを見ていればいい)
花林にたたき込まれた淑女の微笑み、立ち居振る舞い。
見た目だけではない、身のうちからにじみ出る高貴さに、周囲は息を飲んだ。
仲睦まじく見つめ合う皇帝夫妻に、静かなどよめきが走る。
(行くぞ、お――!)
心の中で勇ましく雄たけびを上げながら、菊花はしとやかに大広間の奥へ歩みを進めた。
戌の国の舞踏会では、身分が高い者から踊るのがしきたりとなっている。
今回は香樹と菊花の訪問を歓迎する舞踏会なので、必然的に二人が最初に踊ることになっていた。
「菊花、良いか?」
「ええ」
差し出された左手に、右手を重ねる。
香樹の冷たい手のひらに、菊花の熱がじわりと移った。
菊花はそれを、嬉しいと思った。
彼をあたためられるのは、皇帝陛下のあたため係である自分だけ――。
正妃の座は大切だけれど、同じくらい【皇帝陛下のあたため係】を大切に思っている。
彼のやわらかな部分を委ねられている――それがどうしようもなく嬉しく、何物にも代えがたい。
緩やかに手を引かれ、大広間の中央へ滑らかに足を滑らせた。
くるり、くるりとワルツの曲に合わせて踊る。
そのたびに、菊花がまとう服の袖や裾が花びらのようにふわふわと揺れた。
菊花がまとうのは巳の国の伝統的な衣装だが、華やかでボリュームのあるドレスに混じって踊っても見劣りしないよう特別に仕上げられたものである。
いくつか持ってきたものの中から、リリーベルと花林が選んでくれた。
香樹の髪を思わせる、金の生地に白銀の刺繍が施された衣装。
彼の目と同じ色をした、紅石榴の宝飾品。
愛する人の色に染められて踊る、夢のようなひととき。
どうして彼のこと以外のことなど考えられよう。
世界にはまるで菊花と香樹しかいないようである。
ダンスが終わりに向かうにつれ、香樹の目は赤く煌めく。
腰を抱く腕の熱に、菊花はドキドキと胸を高鳴らせた。
「香樹……」
この時間が終わってしまう。
菊花はたまらなく寂しくなって、惜しむように名前を呼んだ。
ささやくような小さな声。
だけれど、香樹には届いたようだ。
彼は甘やかに目を細めると、一層強く菊花を抱き寄せた。
「もう一曲だけ……」
「うん……」
練習の時はあれこれと助言してくれたが、今言葉が少なくなっているのは菊花と同じ理由だろうか。
そうだといいなと思いながら、菊花は二曲目のダンスに酔いしれた。




