第十話 王都
「あの門の先が、戌の国の王都ですわ」
花林の言葉に、菊花は「おおっ」と興奮気味にうなずいた。
今日はとうとう王都へ到着する日だ。
皇帝である自分と一緒の馬車に乗っていたら、菊花が気兼ねなく外を見られないだろう――と言う香樹の計らいで、菊花は彼と別の馬車に乗っている。
菊花と花林を乗せた馬車は今、大きな橋を渡っているところだ。
橋の下を流れる川は、王都を守る天然の堀になっているらしい。
いざという時はこの橋を落とし、王都に住まう人々を守るのだろう。
もっとも、この橋が落とされたことは一度だってないそうだが。
「菊花様、王都へ入りますわ」
橋の先にある大きな門をくぐると、菊花は急に圧迫感を覚えた。
「ほわぁぁ」
真っ先に目に入ってきたのは、石造りの重厚な建物の数々だ。
街路の両端に、ずらりと並んでいる。
どの建物も高く、菊花の目には巨大な岩山がそびえ立っているように見えた。
(岩山と言うには上品すぎるけれど……それ以外に例えが見つからないわ)
一階部分は店、二階より上は居住スペースだろうか。
窓から手を振る子どもの姿を見つけて、菊花は笑顔で手を振り返した。
「菊花様!」
「ふふっ、手を振ってくれたわ。かわいいわね」
菊花は馬車の窓から身を乗り出すように、さらに上――空を仰ぐ。
建物に囲まれた空は絵本の挿絵のように小さくて、その閉塞感に驚きを隠せない。
「空が、狭い……!」
「菊花様、危ないですわ」
花林に頭を引っ込めるように言われたが、興奮している菊花の耳には届かない。
巳の国とはまるで違う風景に、菊花は菫色の目をキラキラと輝かせた。
「なんというか……戌の国の王都はゼリー寄せみたいね」
「アスピック、ですか?」
「そう。アスピックはね、戌の国のお料理なんだけど……。魚や肉、卵や野菜なんかを何種類か一緒に固めたものなのよ。ごちゃ混ぜにして一つにまとめた感じが、似ていると思わない?」
「それは……褒めていらっしゃる、のですよね?」
菊花はニコニコと答えた。
「もちろん!」
効率的でいいと思う。
いっそのこと、巳の国の後宮もここのようにぎゅっとまとめてしまえばいいのだ。
(そうすれば、移動時間を節約できるもの!)
王都は国の中心だけあって、流れる空気が通ってきた地域よりもずっと上品だ。
雑多でにぎやかな巳の国の都と違い、戌の国の王都はすっきりと整えられているような感じがする。
巳の国の都と戌の国の王都。
どちらが好きかと問われたら、菊花は迷わず巳の国の都だと答えるけれど、どちらもそれぞれ良い味を出していると思う。
「これは……回るのが楽しみね」
「菊花様。まずは王族の皆様にご挨拶してからですからね?」
「分かってます!」
言いながらも、菊花は王都の町並みから目を離せないようだ。
窓の外を流れる景色をつぶさに観察し続ける。
「すごいわ……。うわぁ、あののっぽの建物はなんだろう!」
「時計塔ですわ。みんなが時間を確認できるように建設されたと聞きました」
「時計塔! なんてすばらしいの!」
気になる建物をひととおり見てようやく満足したのか、席に戻る菊花。
しかし、彼女の好奇心は留まることを知らない。
上が終わったら今度は下とばかりに、今度は道行く人々を観察し始める。
街路を歩く人々の服装はおしゃれだ。
菊花の目には、みんな貴族に見えてしまう。
通ってきた村や町の人たちは動きやすさ重視という感じだったけれど、こちらはいろいろとこだわりがあるらしい。
その辺りは、巳の国の事情と似ているのだろう。
初めて都に出た日のことを思い出して、菊花は感慨深く思った。
「あの人が着ている服……。薄くてヒラヒラしていて、私が着ている服とちょっと似ているみたい?」
「あれは、シュミーズ・ドレスと言うらしいですわ。コルセットやパニエなどの補正下着を使わない、体に優しいおしゃれなのだとか」
「コルセットがいらないドレス……⁉︎」
なんだ、それは。とんでもなく画期的なドレスではないか!
菊花は、突然夢から覚めた人のようにぎょっと目を見開いた。
「研究でお忙しいリリーベル様のために、第二王子様自ら考案されたらしいですよ」
「王子様、自ら⁉︎ うわぁ、すごいなぁ……。でも、シュミーズって下着の名前じゃなかった?」
「ええ。ですから、最初は受け入れられなかったようなのです。けれど……シュミーズ・ドレスに男性用の乗馬用ジャケットを合わせたリリーベル様の格好があまりにもすてきで、彼女に憧れを抱く貴族令嬢たちがこぞってまねをするようになったのだとか」
「ああ。リリーベル様、男装がよく似合うものね……」
美青年顔に乗馬用ジャケットはさぞ映えるだろう。
そして、やはりリリーベルもコルセットが窮屈だったに違いない。
(気持ち、分かるわぁ)
菊花は、心の中で深くうなずいた。
「シュミーズ・ドレスかぁ。ちょっと着てみたいかも」
「菊花様には淡いお色が似合いそうですわ」
「そう、かな……」
「ええ。陛下もそう思うから、贈られているのでは?」
確かに菊花が持っている服は、どれも淡い色をしている。
服の高級さに目が眩んでしまうけれど、そうだった。菊花が着ている服はすべて、香樹が吟味してくれたものなのである。
「そっか……そっかぁ……」
噛みしめるようにつぶやく菊花は、まんざらでもなさそうだ。
いろいろ察した花林は団扇の下でニヤニヤしながら、荷ほどきが済んだらすぐに衣装店を紹介してもらおうと思うのだった。




