終戦報告
時系列はⅡ期第八話の直後くらい。
七月中旬、ラザムを伴って魔法陣を通った細川裕は、数ヶ月ぶりに、ピンク色の肌をした風船魔人──否、《禁忌の魔王》のいる空間を訪れていた。《禁忌》は、細川たち魔力使用者と、転生の管理を行っている存在で、三千年の過去には、死後の世界を喰らった《飽食の魔人》を倒した人物として、第二世界空間の魔法師伝説上に語られている。現在細川たちがいる空間は、《飽食》の喰らった死後の世界を、《禁忌》が取り出して再構築した空間とされている。
その空間に、《禁忌の魔王》の居室がある。何人かの天使が《禁忌》と共に常駐し、魔力使用者に選ばれた第一世界空間の人間と、転生候補者を出迎えるのだ。ただし、この日は例外的であった。現役の魔力使用者が《禁忌》の前に現れることは数少ない。そして、細川裕とは、例外が服を着て歩いているような男である。この日、彼がわざわざここへ来たのは、《禁忌》に対してある報告をするためであった。
「『第百』に関わる話か?」
相変わらず、高いのか低いのか、判然としない尊大な声だ。細川がこの声に好感を持ったことは一度もなく、おそらく今後もないであろう。尊大な口調で発せられた問いかけを、彼は否定した。
「いや、そいつは関係ない。今回は別の話だ。裏切り者のルシャルカ──その始末に関することだ」
「ほう」
ルシャルカは、《禁忌》に創られた元天使である。しかし彼女は、あるとき契約を破って堕天し、以降は第二世界空間や第一世界空間に複数の中級悪魔を配置し、悪行を続けていた。細川も、数度手を出されたことがある。
「聴こう。ルシャルカの始末、と言ったか」
「ああ。一年前、少々あいつにラザムを誘拐されたのが接点の始まりだ。しばらく目の前に現れることはなかったが、今年に入ってから、あんたが第二世界空間に送り込んだ転生者と繋がってな。その転生者の指示と情報で、俺はルシャルカを潰すために動いた」
「ではなぜ、その転生者はルシャルカを知っていた?」
「……白々しすぎて、いっそ拍手したくなってくるな」
細川は肩を竦めてみせた。
「転生者たちに、あんたが吹き込んでいたんだろう? 機会があったらあの裏切り者を倒しておけ、と」
「その証拠は?」
「物証はないが、証言だけなら複数人分ある。内容は全て同じだ。証人同士に接点はなく、示し合わせた可能性は限りなく低い。ただ、証言から分かるのはそれだけじゃない」
細川がルシャルカを討伐するにあたり、手を組んでいた転生者──『白兎』のコードネームを持つスパイは、他に幾人かの転生者に心当たりがあり、彼らに確認を取ったところ、その全員がルシャルカという名前に反応したという。ただ、転生者はそれほど頻繁に生まれるわけではない。ルシャルカが息絶える間際に存在が浮上した、もう一人の堕天使に関しては、全員が口を揃えて、知らないと答えたようだ。つまり、ここから分かることは。
「イヴリーネは、最も新しい堕天使だ。後任は誰だ?」
「私ですわ」
答えたのは、《禁忌》のすぐ横にいる天使だった。以前ここへ来たときに、細川に食ってかかった大天使だ。その時は一触即発の剣呑な視線を交換したが、まさか彼女だったとは。
「《禁忌》、イヴリーネを殺したらまた報告に来る。それまで、リーファは魔力使用者に付かせるな。ラザムの前例がある。制限の外れた堕天使のイヴリーネが、逆恨みで殺しに来ないとも限らない」
「それは、あなたの決めることではありませんわ、細川裕」
「と、俺が言えばそう言われることは予測していた」
代わって口を開いたのは、細川の隣にいるラザムだった。
「私も同意見です。リーファ、私はあなたにいなくなって欲しくない」
「そう。ラザム、あなたが彼に感化されたわけじゃないでしょうね」
「危険性に気付いたのは、細川さんですよ。でも、あなたを危険に晒したくないのは私の思いです」
「……それで、私はいつまで魔力使用者から離れていればいいのです? 期間が限定されないと、さすがにずっと言いなりにはなれませんわよ」
視線を受けたのは、ラザムではなく、細川だった。言うからにはそれを提示してみろ、と言外に含め、厳しい眼光を放つ。普段隣にいるのがラザムだから、つい細川は忘れそうになるが、天使もこのような顔ができるのだ。
「最長で十年。目標は五年。既に第二世界空間で計画が動いている。それと《禁忌》、一つ情報をよこせ」
討伐計画を詰めるのに必要なことだ、と前置きした上で、細川が《禁忌の魔王》に要求する。
「イヴリーネは、なんのために堕天した?」