『ろくろ首』の落し物
時系列的には本編Ⅱ期第七話と第八話の間。
「過激派集団が占拠する前に、敵を探せと言われてもな……」
精霊自由都市共和国群、すなわち異世界国家から来たスパイに与えられた任務に、細川裕は、ぼやきながら機械室に潜り込んだ。
非常用電源や、空調装置の配管など、見ただけではなんだかよく分からない巨大な装置が大量に詰められた部屋である。ただでさえ狭いであろう機械室は、巨大な装置によって大部分が埋め尽くされてしまい、整備にも支障をきたすのではないか、と思えるほど身動きがとりにくい。わざわざ入り込みたくもない空間という点では、確かに身を潜めるには適した場所とも思えるのだが。
「しかしこれ、なんの装置なんすかね……」
そう呟いたのは、細川と同じく機械室に潜り込んだ平井零火である。細川と零火はそれぞれ、『魔眼』『氷人形』のコードネームを与えられた、共和国のスパイ『白兎』の協力者であり、その点だけで言えば、この二人は対等な立場であるとも言える。もっとも、両者ともいくばくかの事情を抱えており、私人としては、零火は細川に、連日襲撃を仕掛ける身でもあった。現在協力しているのは、そうでもしなければ、跡形もなく吹き飛ばされる可能性があるからである。
「ここには人の気配はないな。零火、なにか隠されているのでなければ、そろそろここから抜け出そう」
「そうっすね、テロリストたちが、わざわざ初めからここにいるとも思えないし……。あれ、これはなんでしょう。なにかの箱……?」
「箱?」
零火が見つけたのは、金属製の箱だった。周りの機械と少々異なる面持ちで置かれており、少なくとも元からそこにあったものとは思えない。
彼女が蓋を開けてみると、そこに入っていたのは、赤青二色の液体が分けられた、血液パックのような袋だった。下部には管が繋がっており、その先は見えないが……。
零火の肩越しに覗き込んだ細川は、驚いて零火を箱から引き離した。
「触るな! そいつは爆弾だ!」
「ええっ、これが!?」
もっとも、偽装している可能性もある。だが、わざわざこんなところに、見つかるかどうかも分からない偽爆弾を仕掛ける人間がいるだろうか。間違いなく、これは本物の爆弾と見るべきだろう。
「これが、爆弾なんすか……?」
「ああ、二液混合式爆弾だ。ここに二種類の液体があるだろう。こいつが混ざると激しく反応して、爆発を起こす。いくつか組み合わせは存在するようだが、規模はかなりのものになるようだな」
「みたところ、どっちも一リットルはありそうなんすけど。これが爆発すると、どうなるんっすか……?」
「俺も詳しくはないが、少なくとも、ビル全体の電源供給を止めるために置かれていると見るべきだろうな。下手をすれば、ビルの一部が倒壊する可能性もある」
「──!」
「おそらく敵は、これを脅しの材料にしてビルを占拠するつもりだろう。で、失敗したら全て吹き飛ばしてしまうのさ。もしかしたら他にも仕掛けられているかもしれない」
「じゃあ、早く探さないと大変なことに!」
「ああ、そういうことだ。──ラザム、出て来てくれ。君の手を借りたい」
くるりと回って現れたラザムは、細川と爆弾を交互に見比べた。
「一年前の手段を応用して、これと同じ仕組みの爆弾を探せばいいんですね?」
「話が早くて助かるよ。全て見つけ次第、俺をそこに転送してくれ。全て片付ける」
「先輩、爆弾の解体できるんですか?」
細川は苦笑して、零火の問に答えた。
「いや、できないよ。無力化することはできるがね」
……三分とかからずラザムが爆弾を見つけ出してしまうと、細川はラザムの魔法陣で爆弾の元に転送された。その爆弾を全て結界に包んで爆破し、無理やりなかったことにする。これだけで、爆弾の無力化は完了した。一連の作業が終わるまで、たったの五分を要したのみである。流石に零火も驚愕した。
「とりあえず、敵がこのビルに仕掛けてくるのは間違いなさそうだな」
事もなげに言う細川である。無論、
「オリヴィアめ、余計なものを現世に残していきやがって」
忌々しげに呟くのも忘れなかった。
細川と離れ、一時別行動を取った零火は、ビルの四階にある喫茶店でパンケーキを食べていた。窓際の四人席で、フォークを片手に、目の前でプリンを食べる少女に話しかける。
「ねえ、先輩が言ってたオリヴィアって、誰のこと?」
「以前帝国で戦ったパトリックと同じ、中級悪魔ですよ」
零火の目の前の少女──これまた細川と離れたラザムは、彼女の質問にそう答えた。零火は、オリヴィアが引き起こした事件に、一切関わっていない。細川が銀行強盗を阻止しようとして先を越した公安警察と戦闘を行わざるを得なかった一件や、つい先日突如として大量発生した下級悪魔たちの殲滅戦など、いずれも零火が参戦する間もなく片付いてしまっていたのである。細川やラザムも、オリヴィアとの直接の接触は抹殺時の数分だけだが、零火には間接的な関わりすらなかった。知らないのも当然である。
「オリヴィアは、最終的な抹殺目標であるルシャルカの配下にあたる中級悪魔です。身体を自在に伸縮させられることから、『ろくろ首』という標的名を付けられていました。以前には、失業者を集めて銀行強盗を企てさせていたと聞いています」
「そのときの失業者たちはどうなったの?」
「細川さんは詳しく話してくれませんでした。でも、今回の過激派とは別らしいですよ」
「つまり、人を集めて動かすことができるってことかな」
交渉能力や話術は、パトリックの方が上らしい。しかし、たった二ヶ月の間に、少なくとも二つの犯罪組織をまとめていたというのだから、その能力は十分高いと見ていいだろう。
「もしかして、私たちかなり面倒くさい相手を敵にしてる?」
今更悟ったような零火の呟きに、ラザムは苦笑するしかない。
一方、細川はその頃、七階の銀行に潜入していた。風を使って足音を消し、災害時用の非常階段を駆け上がり、裏口から銀行に滑り込む。
それだけの運動をすれば、本来の細川なら体力を切らしてしばらく動けなくなっているところだ。しかし彼は、事前にマナ水晶に蓄えておいたマナを体内に戻し、三秒で体力を全回復させていた。
コートの中に手を突っ込む。西洋魔術連合帝国での任務にも着ていったものだ。薄手の量販品に裏から丈夫な生地を縫い付け、内ポケットを大量に増設した隠匿用のもの──帝国での任務に使用するために作ったこれを、細川は改造コートと呼んでいる。その改造コートの中には拳銃が四丁。
五種類の魔法を撃ち放てるマナ・リボルバー、撃つことで体力を奪うレーザーリボルバー、マナ水晶の実体弾によって体力を奪う、仮称水晶拳銃、それから、水晶拳銃に似た形ながらも、弾倉が異様に長く、鉛弾を高速連射する全自動拳銃。全自動拳銃の方は、昨日作り上げた新作だ。あまりに弾倉が長いので、コートの中では本体と弾倉を分けて収納している。
コートの中には他にも魔道具の武器が複数あるが、その特性は細川が全て記憶している。状況によって使い分けが可能だ。
控え室に侵入した。従業員は誰もいない。しかし、話し声が聞こえる。声を潜めているつもりだろうが、細川には筒抜けだ。内容から、過激派の人間だと分かる。彼は、どこかに電話をしているようだった。過激派のボスだろうか。上役なのは間違いなさそうだ。
細川は、そっと拳銃を取り出す。マナ・リボルバーのハンマーを引き、シリンダーを回転させ、魔石を電気に合わせる。そして電話が終わった瞬間、細川は隠れていたロッカーの影から飛び出し、背を向けていた男に照準を定め、引き金を引いた。
電撃を受け、小さく呻いて倒れる男。若干小太りで、顔には目出し帽らしいものを被っている。マナ・リボルバーの銃口を後頭部に突き付け、携帯電話を拾い上げた。
「動くなよ、反射的に引き金を引きたくなるから」
「そんなおもちゃの銃で、おれを脅せると思ったか」
「ならお前さんは、そのおもちゃの銃に撃たれて倒れたというわけか。テロリストの実行犯も、大した身体をお持ちだ」
細川が嘲弄してやると、男は黙った。細川は彼の顔から、目出し帽を剥ぎとる。意外に若く、顔立ちから年齢は三十代と知れた。
「目的はなんだ?」
「お前の仲間の居場所と数、占拠の計画、装備の詳細」
「仲間の情報は売れない。おれたちを見くびらないでほしい」
「そうか、存外義理堅いのだな」
心にもなく感心したふうに言ってから、細川は相手の腕を踏みつけた。
「喋らなければ、こっちで勝手にお前の記憶を漁る。無論、意識は奪ったあとでな」
「………」
「こちらとしては、別にどっちでもいいんだ。嘘をつけばすぐに分かる。偽の情報を寄越すことはできない。それでも、喋るか喋らないか、選ばせてやると言うんだ、共和国万歳とでも言ってみたらどうだ?」
男は、深く息をつくと、情報を垂れ流し始めた。
結果から言えば、細川たちは占拠前に過激派集団を抑えることはできなかった。細川からの連絡を待って喫茶店にいた零火とラザムは、ビルの館内放送で任務の失敗を知ることになる。
「「失敗してるじゃないですか!」」
二人同時に叫びかけて慌てて口を塞ぐと、そこへどこからどう投じたやら、一枚の紙が舞い込んでくる。
それは、これまで姿を見せなかった『白兎』からの指示を──共和国語で──書き込んだものだった。ラザムが読むことを前提として寄越したらしい。いつの間に情報が流出したのか。
「それで、これなんて書いてあるの?」
零火は、指示書を読み始めたラザムに尋ねた。ラザムは十秒程度で読み終えると、紙を消滅させてから答えた。
「要約すると、何とかして喫茶店を出て、最上階に階段で向かえ、と」
「……このビル、何階建てだっけ?」
正答は二十階建てである。常人が階段を昇るには、無理がある。
「大丈夫ですよ、私の魔法陣を使って最上階に行きましょう」
ラザムの申し出に、零火は心底感謝した。
銀行で計画されていたのは、内部と外部から制圧し、効率的に金を手に入れる襲撃、だったようだ。細川が控え室で捕らえた男は、監視カメラを破壊し、内部から銀行員たちを押さえ込み、仲間を手引きする立場だったらしい。とはいえ外から押し入る仲間の方も武装しているので、あまりこの役職は重要視されず、男は一人、回転拳銃一丁だけで潜んでいたようだ。男が持たされたというナガンM1895を右手にぶら下げ、細川は押し入ってきた男たちを、カウンターの内側から呆れたように眺めていた。
「AK-47ねえ……」
魔力使用者になる前はダンボールで銃の模型を作っていたことでもあり、細川はそれなりに銃の形状と名称に詳しかった。彼らが持っている銃を眺め、ぼんやりと呟く。
「ナガンにカラシニコフって、お前ら雪山のダムでも占領するつもりなのか? ボスに裏切られるからやめておけよ、捨て駒にされるだけだっての」
同時に最近読んだ小説を思い出し、不利益を承知で口にする。客を人質に取ったらしい短気な男たちは、当然反発した。
「うるさいぞ! どうしてそこにいるのかは知らないが、まずお前からあの世に送ってやろうか」
「そいつは困った、六文銭を持ってない」
逆上されるだけである。
ナガンを持った男のひとりが、細川に発砲した。細川は弾道を風で逸らし、カウンターの下に押し込んでいた男を掴みあげる。こめかみにマナ・リボルバーの銃口を押し当て、これ見よがしにハンマーを引いてみせた。
「人質取ってるのはお互い様だ。残念だったな、お前たちの情報は、全部こいつが喋ってくれたよ」
「貴様……!」
カラシニコフを向けてきた男に、細川はマナ・リボルバーを発砲する。当然、狙いは銃の方だ。これまでなぜかあまり使われなかった、光線が発射される。光線は銃身に命中し、変形させた。使用は不可能だろう。
細川は精霊術魔法で一般人の人質と過激派との間に氷の壁を置いた。監視カメラは過激派の方が破壊してくれていた。細川の姿は記録に残らない。心置きなく暴れることができる。
彼は左手に掴んでいた手引き役の男を、カウンターから突き落とし、マナ・リボルバーを仕舞うと、代わりに全自動拳銃を取り出した。弾倉を取り付け、遊底を引く。
「さて、後輩の方も気掛かりだ。手早く片付けるとしようか」
カウンターを挟み、六対一の銃撃戦が勃発した。
一方、ラザムの魔法陣で最上階に向かった零火たちも、テロリストたちと対面していた。踊り場から様子を伺ってみると、廊下に三名、黒い覆面を被った人間がライフルを持って立っている。見張り役らしい。まだ零火たちには気付いていないようだ。
「ねえ、私たちは、あれを制圧すればいいの?」
「そういうことみたいです。あの三人が警備している部屋に、過激派のボスがいるようなので、できるだけ慎重にやりましょう」
「名前も呼び合わないように気を付けないと」
小声で確認すると、ラザムは壁に隠れたまま離魔術行使で見張り役の三人が持つライフルを一瞬で音もなく破壊してみせた。零火は廊下の気温を急激に下げ、彼らの抵抗力を奪う役目である。やがて身体中を凍りつかせた見張りたちは、崩れ落ちて動かなくなった。
やりすぎただろうか、と焦り始めた零火に、ラザムが囁く。
「大丈夫ですよ、ただ身体が重くて動けなくなっただけみたいですから」
安心した零火はラザムとともに廊下に駆け出し、ラザムに渡された目隠しを見張りたちに巻いていく。ラザムは見張りたちの手足に鉄製の重い枷を取り付け、動きを封じた。芋虫のように身をよじる見張りたちだが、当然拘束が外れるわけもない。警察が来たときに外せるのだろうか、と零火は疑問に思ったが、ラザム曰く、手錠を破壊する器具でもあれば特に問題ないという。
「それで、室内はどうやって制圧する?」
「ガスを使いましょう。少し危険ですが、管理室の酸素濃度を下げて一時的に酸欠を起こさせ、失神させます」
「私がすることは何かある?」
「では、抵抗されないよう室内の気温を低下させて欲しいです。さっきと同じように」
それからは早かった。零火が管理室内の空気を冷やして循環させ、ラザムが酸素を奪って管理室を占拠した過激派に酸欠を起こさせる。人の動く気配がなくなったことを確認すると、二人は中に入り、見張り役と同じように手足を拘束し、目隠しをする。
占拠していた過激派の人数は八名──しかし、ボスと思しき人物はだけは見つからなかった。一体どこへ消えたのか?
『白兎』はなにも、協力者たちに指示だけ出して寛いでいた訳ではない。実態はむしろその逆であって、彼女はスパイとして持ち合わせる観察眼と身体能力を発揮し、ビルを訪れていた一般人に紛れ込む過激派のスパイを次々と発見し、拘束していた。占拠されて一時間後、既に四名のスパイを発見している。過激派に潜り込ませていた協力者からの情報では、スパイは五名。つまり、あと一人発見すればいいのだが、その一人も、たった今発見したところだ。
『白兎』は拳銃を取り、物陰に隠れて、歩いてくる敵スパイに狙いを定める。先程までの四人はこれで狙撃できたのだが、今回はそうもいかなかった。引き金を引く瞬間、敵が拳銃に気付き、寸前で銃弾を回避したのだ。目標を見失った銃弾は天井に着弾し、細かい破片が散った。
隠れても無意味だと判断した『白兎』だが、かと言って身を晒す理由もない。煙幕を投げ、敵の視界を遮って射撃する。しかし、腹部に命中したはずだが倒れる音は聞こえなかった。不審に思っていると、敵の方からも銃弾が飛ぶ。闇雲に撃ったらしく、突き当たりの壁に着弾したが、壁のえぐり方が他の──『白兎』の拳銃や細川が使うマナ・リボルバーなど──拳銃に撃たれた痕と明らかに異なる。端的に言えば、威力が高い。
(まさか、トカレフ!?)
煙幕が晴れると、敵スパイが持っている銃が見えた。思った通りの、トカレフTT-33。貫通力が高いとされる拳銃だ。敵をさらによく見ると、シャツの腹部に穴が空いている。防弾ベストでも着ていたらしい。煙幕で視界が悪い状態で撃てば、精密な射撃は難しい。普段なら脚や腕を狙うところをそうしなかったのには理由があったが、失敗したかもしれない。
敵スパイが、再び引き金を引く。『白兎』は咄嗟に先程の物陰に隠れるが、金属製の箱を貫いて、鉄製の銃弾が肩を掠めた。裂けた服に、うっすらと血が滲む。下手に姿を見せれば、今度こそ撃ち抜かれるだろう。毒ガスでも持っていれば、対処できそうなものだが、共和国のスパイに、毒ガスを扱う者はあまり多くない。
仕方ないので、『白兎』はナイフを右手に持ち、拳銃を左手に持ち替えた。近付いてくる敵スパイに物陰からナイフを投げ──易々と避けられることは想定内。投擲と同時に、彼女は拳銃を発砲、しかし銃弾は壁に向かっていき、ナイフを避けたスパイの肩を撃ち抜いた。
跳弾、と呼ばれる技術だ。銃弾の反射する角度とタイミングを正確に把握できなければ、命中させることは難しい。細川がいたら、口笛を吹いて拍手しただろう。
肩を撃ち抜かれたスパイは、一瞬その場に崩れかけたものの、直ぐに姿勢を持ち直して銃を左手に持ち替えた。しかし、動きは鈍重だ。持ち替えたばかりのトカレフは、『白兎』が即座に放った鉛弾に、あっさりと跳ね飛ばされた。
銃撃戦──とはいっても、その戦闘はほぼ一方的な蹂躙であった。過激派が数の利で細川を押し潰したのではなく、細川の方が、圧倒的な単体戦力として過激派を瞬殺したのである。全自動拳銃はほぼ目眩しに使われ、本命の攻撃は、大半が氷と小石型魔道爆弾によるものだった。マナの体内循環を支配し、風を纏って縦横無尽に動き回る細川を、たかだかそこらの過激派構成員が正確に銃撃するなど、そもそも不可能でもあった。ナガンやカラシニコフはすべて破壊され、体力を奪われて眠らされた男たちは、全身を拘束されて無造作に床に転がされている。あとはもうじき突入してくるであろう機動隊だか公安警察だかが、適当に状況を解釈して逮捕するはずだ。
適当に処理すると、細川は、銀行強盗の手引き役を尋問して聞き出したボスの居場所に向かうため、地下駐車場へ向かった。するとそこで──互いに想定外だが──零火とラザムにも鉢合わせた。零火は数瞬、彼が誰が気付かなかったようだが。
これには細川も驚いた。
「なぜ来たのかは知らないが、早く上に戻れ。ここは危険だ」
「先輩、ここに誰がいるのか知ってるんすか?」
「その口ぶりだと、お前も知っているか。知っていてここに来たのか」
嘆息すると、彼は零火を叱った。
「危険なのは分かっているはずだ。お前は戻れ。俺も、奴とは正面からやり合うつもりはない。なぜここに来た?」
しかし、その会話がまずかったらしい。細川たちが降りてきた階段ホールから壁一枚隔てた位置に、人の気配が生まれた。この状況で現れる人物など、一人しかいない。仕方ないので、細川は零火とラザムに「喋るな」と合図し、水晶拳銃を取り出して構え、ホールから出た。
彼が飛び出して数秒後、零火たちには数発の銃声が聞こえた。
細川の予想は当たっていた──外しようもないことだが。目の前に現れたのは、高身長で威圧感のある大男だ。この男は、銀行襲撃にも参加せず、管理室を占拠もせず、見回りはスパイたちに任せ、一人安全な場所に隠れていたのである。彼は顔を隠していなかった。見られたからには消すしかない──そう思ったか、ジャケットのふところに手を突っ込むと、銀色の拳銃を構えた。ナガンでもトカレフでもない、大型の拳銃だ。細川は、その銃を知っていた。有名なものだ。誰でも一度くらい、名前を聞いたことがあるだろう。流石の細川も緊張した。過激派のボスは、嗜虐的に笑った。
「ほう、この銃を知っているか」
「……デザートイーグル50AEのクロムステンレスモデル。有効射程距離は約八十メートル。拳銃のくせにライフルみたいな機構を持ち、マグナムにも対応し、熊を狩るのにも使われると聞いたことがある、拳銃の中でももっとも威力のあるやつだ」
「お前の銃は、見たことがないな。外見だけ見れば、一番近いのはH&KのP7か?」
「よく勉強しているようだな、お前の部下どもとは大違いだ」
「……なんだと?」
ボスの声の気圧が低下した。指が引き金にかかり、今にも発砲しそうな様子だ。細川も、指先に意識を向ける。
「銀行を襲撃した連中は、カラシニコフの引き金を引きっぱなしにして、連続で発射しなかったのを不思議そうにしていたよ。半自動と全自動、切り替えられるのも知らずにな」
細川には笑止の極みである。生半可な知識だけで、よくもまあ銀行強盗など考えたものだ。
「ついでにひとつ、教えてやろう。この拳銃は特別製でな、火薬を必要としないのさ。すると、どうだ? 発射残渣が検出されない。銃弾も、撃たれれば体力を奪う特殊なものだ。脳か心臓に命中すれば、一瞬で命を落とす」
「つまり、お前はおれを撃てないわけか」
頭の回転が早い。細川は、内心舌を巻いた。馬鹿の元締だからといって、必ずしもボスまで馬鹿とは限らないらしい。
「図星か。その銃弾が特殊なら、調べれば足がつくだろうからな。俺の体内に残ってしまえば、解剖でもしなければ取り出せまい。そしてお前には、その余裕はない。撃てばライフリングを調べるまでもなく、警察どもはお前に行きつく。気付いてない訳ではないだろう」
「……随分と饒舌になったな」
細川は、過激派のボスを睨みつけた。
「だが、お前の死体を始末すれば痕跡など……」
「ボスであるおれが見つからなければ、遅かれ早かれ捜索が始まる。見つかれば死体を調べられ、特殊な拳銃を使われたことは容易に分かるだろう。日本の警察は優秀だからな」
ボスは笑った。勝利を確信した者の笑いだ。
「詰みなんだよ。お前はその拳銃を使うことなく、おれに撃たれて死ぬ」
デザートイーグルの引き金が引かれ、秒速四百メートルを超える銃弾が放たれる。その銃弾は真っ直ぐに飛び、しかし細川を貫くことはなかった。ボスの顔が、驚愕に染まる。二発目を撃つ素振りはない。
「不思議なことだ」
細川は、天井が銃弾を受け止めて悲鳴をあげるのを聞きながら、呟いた。
「饒舌なやつほど、早く死ぬ」
「なぜ当たらない……」
「本当に、そんなもので俺が死ぬと思ったのか?」
現実を受け止めきれない相手に、細川はいっそ哀れみすら込めて冷笑した。
「この程度なら、いつも俺の後輩が仕掛けてきて、毎日のように返り討ちにしているよ」
連続で銃弾が飛ぶ。目の前の光景を消し去りたいように。しかし無情にも、弾丸は全て、細川の横をすり抜けて行った。やがて全ての弾が撃たれると、細川は右手の武器を素早く氷剣に取り替え、デザートイーグルを弾き飛ばした。続く一言の詠唱で、地面に落ちて跳ねた銃が、氷塊に貫かれ中央で真っ二つに砕かれる。最強の拳銃は、無残にもただの金属塊と化した。
細川は、氷剣を消滅させると、今度はマナ・リボルバーを目の前の放心した男に向けた。
「どうした、ボス? ビルを丸ごと占拠しておきながら、俺が相手ではこの程度か?」
冷ややかに挑発してみせる。挑発された方は、一瞬悔しげにくちびるを噛むと、ポケットからライターのような大きさの、黒い物体を取り出した。
「仕方ない。この爆弾を爆破しよう。おれも部下も助からないが、仕方ない。もとより証拠を残す訳にはいかないからな」
「……爆弾まで仕掛けていたか」
今知ったふうに問い返す。
「ビルの要所に複数配置してある。一斉に起爆すれば、倒壊する」
「……数は?」
「十三だ。今から探しても間に合わん」
「止めろ!」
細川の声を無視し、過激派のボスは爆弾のスイッチを押す。
しかし、何も起きなかった。
「なんだ、見逃したものはなかったか」
「……は?」
起爆スイッチは、細川が撃ったマナ・リボルバーのレーザーによって弾け飛び、焼け焦げた跡を残してひび割れた。これで、敵組織の手の内は全て奪った。過激派は、あとは逮捕を待つのみである。
精霊が、外の様子を細川に伝えた。それを聞き、彼はもはやボスとは呼べなくなった男に告げる。
「ビルの周辺には、既に警察が集まっているそうだ。あと十分で、突入が始まる。お前は仲間共々連行されることになるな」
いっそ哀れに見えてくる元過激派のボスに、細川はとどめとばかりに冷然と言い放った。
「オリヴィアなんかの煽動に乗ったのが運の尽きだ」
「お前、どこまで知っている!」
「オリヴィアは俺が殺した」
「貴様──!」
元ボスは、完全な逆上状態である。武器を全て失ったくせに、今度は素手で殴りかかってきた。それを細川は、結界で適当に受け流す。壊せるはずもない結界を殴りつけながら、彼はなおも怒鳴りつけた。
「最近あの方が姿を見せないと思ったが、貴様の手にかかっていたか! おれたちの大義を踏み潰すに留まらず、あの方さえも貴様は踏みにじったのか!」
「鬱陶しいな」
結界を解くと同時、細川は後ろに飛んで水晶拳銃を持ち直した。肩を撃ち抜き、元ボスをその場に崩れさせる。
「もうたくさんだ。お前たちのくだらん遊びに、付き合ってはいられないな」
眠れ、と呟き、細川は元ボスの男を眠らせた。彼はその後、水晶弾をえぐり出し、自分の顔を覆っていた変装マスクを剥いでラザムたちの元へ向かった。
数日後、ビル一棟が丸ごと占拠された事件は大きく報道されていた。国民保護情報が発令されたことでもあり、日本人の関心は高いようだ。「テロリストたちは全員逮捕」されたようだが、一方で、未解決の部分も残る。それでも、細川たちは仮想空間を経由してビルを脱出したため、特定されることもないだろう。この方法で脱出したのは細川とラザム、零火の三人だが、翌日に新たな連絡を寄越してきた『白兎』も、難なくビルを後にできたようだ。ルシャルカとの決戦を前に、細川としては、いい肩慣らしをした気分である。
これはあくまでも番外編です。なんでかって? 本命のルシャルカが出てこないからですよ。この話は実質、「触るな! そいつは爆弾だ!」がやりたかっただけですが、肉付けしてるうちに太らせすぎたようです。作者は細身なのにね。