アビナ・後編
何と、またブックマーク登録と、高評価をいただきました。
誠にありがとうございます。
ひさしぶりに、天に向かって拳を突き上るほど歓喜いたしました。
正に私の、生きる支えです。
これを励みに、今後も精進していきたいと思います。
では、地獄のアビナ・後編、スタートです。
◇
いや、それ以前に、フェーリアが思った通りアビナ達は逃げ切った? 生身で大気圏に突入すると言う暴挙をなして、本当に生き残っている?
そもそも、この前提からして間違っているのでは? 彼女達は既に、大気圏で燃え尽き――〝鬼〟の手の届かない場所に消え去ったのではないか?
普通に考えればそうなのだが――残念ながら彼女は普通では無かった。
「ヨシュア? 起きて下さい、ヨシュア?」
「……ん? ……んん?」
「それとも、今度こそ死にましたか? せめて墓を掘って、埋めるべきでしょうか? だとしたら、項王の気分が少しは味わえそうです」
「――って生き埋め前提で話を進めないでっ? 項王の名が出るって事は僕が生きているってわかっていながら、生き埋めにするって事だしッ?」
横たわっていたヨシュアが、ツッコミを入れながら跳ね起きる。
彼はここでも全力を以て、アビナにツッコんだ。
因みに項王というのは、ある戦記書に出てくる王の事である。著者は不明だが、本文によると、項王は二十万に及ぶ降兵を生き埋めにしたとある。いや、完全に余談なのだが。
「ほう、ヨシュアは中々の読書家ですね。もう何年も前に出版された、同人誌の内容を知っているとは」
「……まあね。何かあの本、同人誌の割に色んな所に広まっていたから。で、ここはどこで、僕達はどうなったの? ……いや、それ以前にアビナはどこか怪我してない?」
「お蔭様で、無傷です。怪我を負う前に、誰かさんが私の予定を尽く狂わせてくれたから」
「……え? あー!」
そこまで言われて、ヨシュアはやっと思い至る。完全に足手まといだった自分がその分も弁えず、特攻紛いの事をしたと。
その所為でアビナは命懸けでニーファに逃げるしかなかったと、ヨシュアは漸く理解する。
「……そうか。これじゃあ、採掘基地の時と同じだ。結局、僕は君の足を引っ張っただけなんだから」
故に、今度こそアビナに見捨てられても仕方ないと彼は、項垂れる。
スーツを脱いだアビナの答えは、こうだ。
「そうですね。できれば私も、君とはもう縁を切りたい」
「………」
「ですが、ま、良いでしょう。あの場合、不確定要素の方が多かったから」
「不確定要素……?」
意味がわからず、ヨシュアは眉をひそめた。
アビナは宇宙に通じる天を眺めながら、肩をすくめる。
「はい。私はあわよくばフェーリアを仕留めるつもりでしたがやはり彼女の力は底しれない。彼女の命を断つ事なく戦闘不能にするのは、難しかったと言える。なら、きっとあのまま逃げに転ずるのが正解だったのでしょう。大敵であるフェーリアに発見された時点で、宇宙も安全圏とは言えなくなったのだから」
「……そっか。そういう考え方もある、か」
が、アビナは一度だけ鋭い視線をヨシュアに向けた。
「ですが、君の行動が軽率だったのも事実です。私が普通の女子だったら、君は間違いなく死んでいました。そして君を巻き添えにした私は、一生君のご両親に恨まれた事でしょう。その意味を、君はしっかり理解するべきだと思う」
「………」
この思いもかけない方向からの指摘に、ヨシュアは一瞬言葉を失う。
「……って、ズルいな、アビナは。そんな風に親の事まで持ち出されたら、何も言い返せないじゃないか」
「そうですよ。私は元々狡賢い女です。もう二日以上も付き合っているのに、そんな事も気付かなかったんですか、君は?」
惚けた顔で、彼女は言い切る。けれどアビナは、直ぐに話題を変えた。
「ま、つまらない話はここまでにしましょう。道徳紛いの説教より、今は現状確認が先です。時刻は午前零時三十分で、私達は現在ヒックス共和国の東にあるジルトナル山脈に居ます。標高三千メートルの高山で、幸いな事に野生の猛獣が多い事から人気はありません。ですが、私達が流星紛いの状態になって山に堕ちた事は、恐らく目撃されている。そうなると国の学者が調査の為、夜が明け次第やって来るでしょう。そこで問題なのは、私達がどう動くべきか。君ならどうします、ヨシュア?」
まるで自分を試す様に、アビナは話をふる。
そう感じた為、ヨシュアは覚醒したばかりだというのに、頭をフル回転させた。
「……えっと。確かに宇宙からは逃げざるを得なかったけど、まだ僕達の生存を知る者は居ない。フェーリアでさえ、僕達は大気圏で燃え尽きたと思っている可能性がある。もしそうなら僕達は今度こそ〝鬼〟の目をくらました事になるけど、これは間違い?」
半信半疑で、問う。現にアビナの答えは、半ば予想していた通りの物だ。
「ええ。残念ながらフェーリアは、ほぼ確実に私達の生存を確信しているでしょう。今は私達の落下地点を割り出す事に躍起になっている筈。つまりここに長居は出来ないという事です」
そこで、ヨシュアはある閃きを覚えた。
「って、もしかしてアビナは、意図してこの山に不時着したんじゃ? もしそうなら、この国に何か策を仕込ませているんじゃない?」
これを聴き――アビナは本気で仰天する。
「……驚きましたね、君がその事に気付くなんて。実に、その通り。この国には、宇宙が失敗した時の為の次善策を用意しています。いえ、残念ですね。もし君がトンチンカンな事を言いだしたら、その時点で置き去りにするつもりだったので」
「……そうなんだ? でも、それは冗談だよね。僕が発見されれば、君の生存も明るみになるんだから。前にも言ったけど、僕達はもうずっと前から一蓮托生なんじゃない?」
「……気に食いませんね。それも正解だというのだから。君は偶に、中途半端に賢しくなる。全く……厄介なお荷物をつかまされたものです」
いや、それなら自分を殺し、本当に何処かに埋めればいい。そうなれば足手まといも居なくなり、良いこと尽くめではないか。
アビナなら当然その事に気付いている筈なのに、彼女は何故かそれを実行しない。それはつまり、彼女はやはり自分が思っている通りの女の子だからなのでは? ヨシュアとしては、当然の様にそう確信する他ない。
が、どうもこの考えが顔に出たらしい彼に対し、アビナは首を横に振る。
「いえ、私は多分人命に重きを置いていません。必要があれば、普通に人を殺す事もあるでしょう。……なのに、それが出来ないのは、きっと彼女がそれを望んでいないから。彼女に誇れる自分であり続けたいからです」
「は、い? それは一体、どういう意味?」
しかし、アビナの答えは素っ気ない。
「別に。ただの愚痴です。言っていたでしょう? 〝自分でも、愚痴位は聞ける〟と。だから少し試してみただけ。ですが、どうやら私も喋り過ぎたみたい。そうですね。君はただ、私が善良な人間ではないとだけ理解していれば十分です」
どうやら、それで話は終わったらしい。アビナは――さっさと歩を進めていた。
◇
だが、普通に下山しようとするアビナを、ヨシュアは制止する。
「って、ちょっと待った。君、本当に山を下りる気か? 街に出れば、防犯カメラに映る可能性があるって言うのに?」
彼の焦燥とは逆に、アビナは冷静に応じた。
「でしょうね。〝鬼ごっこ〟の為に、緻密にカモフラージュされた防犯カメラが街には配置されている。ですが先程も言った通りこの山に居ても何れフェーリアに見つかるだけ。そうなれば、彼女との戦いは避けられません。その余波によって他の〝鬼〟達も招く事になる。となると、私は相応のダメージを負い――君は確実に死にますよ」
「……あー、それはそうかもねー」
正直、山と言う何の防壁も無い場所で、採掘基地の様な戦いを凌ぎ切る自信は無い。山に立て籠もればアビナの言う通り、確実にアビナは害され、自分は殺されるだろう。
それはヨシュアも厭なので、最後までアビナの話を聴く事にする。
「じゃあ、アビナはどうするつもり?」
「そうですね。正直、余り使いたくなかった手なのですが、背に腹は代えられません。ここは一つ――彼女の手を借りましょう」
「はい? 彼女? 彼女って誰さ?」
けれど、ヨシュアの問いには答えず――アビナは初めて渋い顔を見せた。
やがて二人は、山のふもとまで行き着く。
ヨシュアが何かを察した様に両手を叩いたのは、その時だ。
「と、そうか。彼女って言うのは――君のお師匠さんだね? 今度はその人の手を借りようって事か」
その時、アビナは余りに遠い目をした。
「……いえ、それは違います。あのウスラトンカチが、この件に関わる事はありませんから。本件は、全て私に一任されているんです。実際、彼女はいま惑星ベータに居る筈」
「……惑星ベータって、ルイシヤさんが行きたがっている星? まだ人類が到達していない惑星に、その人は居るっていうの――?」
にわかには信じがたいとヨシュアは疑念を抱くが、アビナはここでも素っ気ない。
「信じるか信じないかは、君の自由です。ですが、ルイシヤの話を聴いて直ぐにピントきました。探査機を破壊して回っているのは、紛れもなく彼女だと。やつがしそうな悪戯だと、私としては思う他なかった」
「え? もしかして、アビナはお師匠さんの事が嫌いなの?」
ヨシュアとしては、そうとしか思えない言動の数々だ。
アビナは、見るからに複雑そうな表情になる。
「……いえ、何というか、あれは好きとか嫌いとかいう次元ではありません。一言では説明し辛いのですが、敢えて言えばあれは損得勘定が欠落した厄災でしょうか? 彼女にとって万物は、自分を楽しませる為だけの玩具に過ぎないんです。できればもう二度と関わりたくないというのが、本音ですね」
「……そうなんだ? 君がそう言うなら……きっとそれは余程の事だな。アビナでも苦手な人が居たのか」
が、アビナの答えは思いもよらない物だ。
「苦手というか、彼女が君の災難の遠因になっているのは事実です。大帝に武術を教え、この星を支配させたのは――彼女ですから」
「……え? 今、何と……?」
「ですから、大帝は私の姉弟子だと言ったんです。彼女から人ならざる業を教授された大帝は彼女の意向もあって、世界征服を成した。〝鬼ごっこ〟はその政権の産物で、だから君にとってはある意味仇敵と言って良い。私としては十分、君は大帝と師を恨んで良いと思います」
「……それは、本当に? 一体、なんで世界征服なんて……?」
尤もな質問を、ヨシュアはぶつける。返ってきた答えは、凡そ常軌を逸していた。
「何でも彼女の母星では、一度も統一国家が生まれていないとか。なので、余所の星で統一国家をつくり、それがどうなるか試してみたかったと言っていました」
「………」
この時、ヨシュアは素直に、そいつは何様なんだと思った。
「故に、忠告しておきます。仮に――キロ・クレアブルと名乗る十五歳位の少女が現れても絶対に関わらない様に。徹底して無視する事を、おすすめします」
「……キロ・クレアブル? それが君の、お師匠さん?」
ヨシュアがそう締めくくったのを見計らい――アビナは黙然と歩を進めた。
いや、そう思っていたのだが、どうやら話はまだ続いていたらしい。
アビナは、妙な事を口にする。
「しかし一つ解せない事があります。なぜ今年の〝子〟が君だったのか? 今までの法則上、君が〝子〟に選ばれる筈は無いのですが」
「……僕が〝子〟に選ばれる筈が無い?」
はてと、ヨシュアは首を傾げた。夜の街を進みながら、アビナは続ける。
「ええ。未成年ゆえ名前等は公表されていませんが〝子〟とは本来犯罪を行った子供なんです。成人なら極刑に値する罪を犯しながらも、未成年であるが為に禁固刑ですんだのが彼等。全世界の少年院から特に凶悪な犯罪に手を染めた人間を一時的に釈放し〝子〟として扱う。一般人は知る由もありませんが有力者にとっては誰もが知り得ている事実です。なのに今年の〝子〟は一般人であるヨシュアで、君には一切犯罪歴は無い。その君がなぜ〝子〟に選ばれたのか? 恐らくそれは、私を誘き出すエサにする為だと思います」
ここまで聴いた時、ヨシュアには閃く物があった。
「……と、そうか。何の罪も無い僕が〝子〟になれば、天使の様に優しい君は僕に助け舟を出すしかない。大帝はそうなる事を期待して、僕を〝子〟に選んだ?」
「やはり君は、偶に頭が良くなりますね。後、女子に天使とか禁句ですから。女子にとってはただの有難迷惑なので、今後は何があっても口にしないで下さい」
ことさら強い口調で、アビナは釘を刺す。
ただ事実を口にしただけなのにと思いつつも、ヨシュアは一応了承する。
「という事は、大帝は君の存在を察しながらも、名前や顔は知らないって事になる? もしそれらの情報を知っているなら、君を直接〝子〟にすればいいんだし」
「そういう事ですね。更に言えば、大帝は私以外に私レベルの〝力〟を持った者が居ないか警戒している。私を泳がせ、何れその仲間と合流する事を期待しているのでしょう。実際は、そんな仲間など居ないというのに」
「……そうなんだ? じゃあ、君はこの国で何をするつもり? 仲間以外の、何を頼る気なのさ?」
漸く話が、ふり出しに戻る。本来ヨシュアは、その事を知りたかったのだ。
アビナの答えはと言うと、彼の表情を変えさせるに値する物だった。
「はい。私達はこれから何の罪も無い一般家庭を襲撃し、彼等を人質にします。普通のサラリーマンと十四歳の中学生女子を銃器で脅し、此方の要求を呑ませます。それに失敗した場合、私達は彼等を害さなければならない。簡単に私のプランを挙げれば、そんな所でしょう」
「……え? それは……本気で言っている?」
「ええ。残念ながら――事実です」
本当に、残念そうに告げる。ヨシュアとしては、やはり首を傾げる他ない。
「えっとー、それは何故? というより、防犯カメラで僕達の生存が確認された場合、それじゃ対処しきれないんじゃ? また〝鬼〟が押し寄せてくるのに、一般人の家に立てこもるのは下策じゃないか?」
今度は軽々しくアビナを罵倒せず、寧ろ言葉を選びながらヨシュアは訊ねる。
アビナは、淡々と彼に応対した。
「そうですね。宇宙から逃げた時点で、私達が〝鬼〟に見つかるのはほぼ確実です。苦労して死を装いましたが、それも今日まででしょう。でも、だからこそコレが最良の一手になり得る可能性がある。ま、論より証拠です。さっそく、彼等のもとに向かいましょう」
話は、今度こそ終わった。アビナはせめてもの抵抗とばかりに、ヨシュアを背負って家々の屋根を伝い移動する。動きに反応し、標的を撮影する監視カメラもあると理解しつつ、敢えてそうする。やがて彼女達は、ジルトナル山脈とは別の山のふもとに辿りついた。
アビナが奇行に走ったのは、その時だ。彼女は地面に手をつけた後、〝成る程〟と頷く。
そのままアビナは何も無い空間からノートパソコンを取り出す。そのパソコンの端末を地面に繋げ、パソコンの操作を開始する。数分後には、あろう事かその地面が左右に開いていく。
ヨシュアがその地面が何かの扉だと気付いたのは、それ故だ。
「……って、何だ、コレ? まさか――地下シェルターの入り口か何か?」
「そういう事です。いいから急ぎますよ、ヨシュア。直ぐにこの異常に気付き、シェルター中からボディーガード達がやって来るので」
「わ、わかった。つまり、また銃撃戦になるんだね?」
ヨシュアはそう確認するが、アビナは首を横に振る。
「いえ、ヨシュアはただ立っているだけで、構いません。私の前に、立っているだけで」
「……へ?」
謎のシェルターにおける攻防戦は――こうして幕を開けたのだ。
そして、直ぐに終わりを迎えた。
アビナの予想通り、シェルター内は銃を携帯したボディーガードで一杯だった。彼等は問答無用で銃を乱射してきたが――アビナは〝盾〟を以てその攻勢を凌ぐ。〝ヨシュアと言う名の盾〟に身をひそませ、銃で応戦し、一分と経たずに彼等を気絶させる。
それ以後アビナはヨシュアを伴い――行くべき場所に赴いた。
「……というか、今の扱いはないと思う! スーツのお蔭で確かに弾が当たっても痛くはないけど、それでも怖い物は怖いんだよ!」
「いえ、これが適材適所という物です。君はせいぜい、動く盾になる位しか役に立ちませんから」
廊下を走りながら、二人はそんなやり取りをする。
やがてアビナは、ある扉の前で立ち止まり、こう告げた。
「データ通りならこの部屋ですね。緊急時はこの部屋に避難する様指示を受けている筈」
「えっと、それ以前に君は今何をしているの? どっから、こんな秘密基地の情報を入手したのさ? もしかして前に言っていた、ハッカーから手に入れたとか?」
「いえ、これは彼の手腕による物ではありません。確かに彼は、中央政府のスパコンにハッキング出来るほど優秀です。ですが、その彼の腕を以てしてもこのシェルターの情報を盗み出す事はできませんでした。なので、彼からハッキングのコツを教えてもらい、私が情報を奪取したという訳です」
「……アビナが? いや、前から思っていたんだけど、本当に君って何者?」
「だから、それはさっき話したでしょう? 私は――キロ・クレアブルの弟子にすぎないと」
いや、彼としてはそのキロというのが誰なのか知りたいのだが、アビナはスルーする。彼女は何も無い空間からまたパソコンを取り出し、その端末を部屋の扉に差し込む。何らかの認証システムを無理やりハッキングで乗っ取り、彼女は遂に部屋の扉を開ける。
その瞬間――扉の向こう側から銃を手にした中年の男性が現れ、此方に向かって発砲してきた。男性は直ぐ前に立つヨシュア目がけて、銃を撃ち続ける。
が、一分もしない内に弾切れとなり、アビナはそんな彼に向き直った。
「で、気はすみましたか――ミハイル・リッジさん?」
「いや――その前に僕の心配とかしてッ? 僕、いま少なくとも至近距離から二十発は弾丸を食らったんだからっ?」
「ええ。それは本当に――ご愁傷様。で、話の続きですが」
「………」
この、余りの扱い。
やはり宇宙での事を、今も怒っているんだろうかと、ヨシュアは感じるしかない。
「で、リッジさん、私達は基本、あなた方に危害を加えるつもりはありません。そうなるよう彼女と交渉するつもりなので、あなたも上手くいくよう願っていて下さい」
「……やはり、目的は彼女か。私達をダシにして、彼女に何らかの脅迫をする気だな?」
「ですね。けど、だからと言ってあなたは名誉の自決など出来ないでしょう? 娘さんが居る限り、あなたは彼女を守らなければならないから。それともあの彼女にこうなった場合は、娘共々心中しろと指示を受けている?」
「……まさか! 彼女は断じて、私達にそんな事は言ったりしない!」
「結構。では、娘さんにも銃を渡すよう言ってもらえますか? 私としては、余計な手間は省きたいので」
だが、ミハイル・リッジという男性は、そこでニヤリと嗤う。まるで、自分の勝利を確信しているかの様に。この余裕を裏打ちする様に、ソレは発動した。
「ああ、確かに銃器は通用しない様だ。だが――コレならどうかな?」
瞬間――アビナとミハイルの姿はこの場から消失する。
それを見て、ヨシュアはコンマの間もなく理解した―――。
「……何らかの『能力』を発動したっ? 確かにソレなら、或いは!」
何せアビナの『能力』は『タクワンを、音を発てずに食べる事』だ。しかも、この場にはタクワンさえない。いや、あっても別にどうにもならないのだが、それでもヨシュアは焦る。タクワン……もとい、アビナの敗北する姿を幻視して、彼は思わず息を呑んだ。
ヨシュアがそう思った時――二人は再び現実世界に戻ってくる。
それ以前に、ヨシュアが思いついた可能性は三つ。
第一に、アビナが敗北する事。
第二に、ミハイルが敗北する事。
第三に、アビナがミハイルから逃げ出し、能力戦の執行時間である五分を過ぎる事。
答えは、実に単純だった。
「ええ。彼の『能力』は『亜空間内の酸素を全て毒に変える事』です。こう話す事によって、ヨシュアに対してもこの『能力』は使えなくなった訳ですね」
「――って、お父さんッ? ……お父さんっ?」
部屋に居た少女が絶叫を上げる。彼女の眼下には、確かに横たわるミハイルの姿があった。それを見て、アビナは真顔で続ける。
「ご心配なく。ただ気を失ってもらっただけです。事と次第によっては、あなたにもこうなってもらう必要がありますが、どうしますか?」
「……そんなの、決まっているでしょう!」
アビナの姿が、あの少女と共にこの場から消える。けれど、それは先ほどの焼き直しに過ぎなかった。今度は十秒もしない内に、アビナは少女と共にこの場に戻ってきたから。
「で、彼女の『能力』は『呼吸をする度に体重が五十キロずつ増えていく』と言う物。――中々厄介な『能力』でした」
「………」
なら、そんな二人を秒殺出来る君は何者だ?
ヨシュアは改めて――アビナの恐ろしさを思い知った。
◇
それから、アビナは唐突に告げる。
「では時間もない事だし、早速交渉に移りましょう。少しパソコンをお借りします、リッジさん」
ヨシュア達は基地に居た全ての人間を、拘束する。目隠しをして『能力』を使用不能にした後、アビナは動き出す。
彼女は今も呼び出し音が鳴るパソコンを弄り、やがてあの彼女の姿をモニター画面に映した。
『やはり、あなたなのね――アビナ・ズゥ』
「はい、全ては私の仕業です――フェーリア・ハスナ」
パソコンを通じて、再び両者の視線が交差する。
ただ一人置いてきぼりされたヨシュアは、眉根に皺を寄せた。
「……フェーリアだって? 一体どういう事? この親子は……彼女の親戚か何か?」
「いえ、違います。仮にフェーリアの親戚なら、その二人は喜んで彼女の為に自決したでしょう。フェーリアを脅すネタにされない為にも。なら、この二人は何者か? 簡単に説明するとミハイルの亡き妻――カルネット・リッジはフェーリアの恩人なんです」
「……恩人? ああ、だからか」
ヨシュアが納得を見せるのと同時に、アビナも口を開く。
「そう。それは転じて、彼等一家がフェーリアのアキレス腱になり得るという事。故にフェーリアは彼等一家をシェルター内に保護し、護衛してきた。常に二人の身に危険が生じない様、配慮してきたという訳です」
そのフェーリアと言えば、いつも浮かべている笑みと共に、こう謳う。
『ええ。そこまでは私の国の人間なら、誰もが知っている事だわ。でも、私はどうやらあなたを過小評価していた様ね。まさか、そのシェルターの位置を特定出来たなんて』
「はい。苦労の甲斐もあり、私はあなたと交渉するだけの材料を得た。そこで提案なのですが一つだけ私の願いを叶えてくれませんか? もしこの要求に応えてくれるなら、リッジ親子は無傷で引き渡すと約束します」
『………』
「そう。私はそれだけ、あなたを評価している。正直、あの宇宙戦は私の完敗でした。あなたに此方の策を読まれた上、その後の動向まで察知されたのだから。加えて宇宙から撤退せざるを得なかったのだから、もはや負けを認める他ないでしょう。そんなあなたなら、今から二十四時間、私達を〝鬼〟の手から守り抜く事も可能なのでは? その程度の要求をしても、罰は当たらないのではないでしょうか?」
アビナが――本題を切り出す。フェーリアは――平然と答えた。
『二十四時間、ね。私の事を買っている割には、随分と謙虚じゃない。後三日間、私にあなた達を匿えと要求しないんだもの』
「ええ。私にも、些か予定がありまして。後一日時間を稼げれば、十分なんです。あなたにはぜひその協力をしてもらいたい」
『で、その脅迫に応じなければ、リッジ親子を殺害すると? 果たして、あなたにそんな真似が出来て? ヨシュア・ミッチェが見ている前で、あなたは二人を殺せるかしら?』
それが出来なければ、この脅迫は茶番だ。フェーリアに対する要求は、リッジ親子の命がかかっている事が前提で進められる。もしフェーリアのプロファイリング通りアビナに人を殺せないなら、もうそこまで。フェーリアは何の忌憚も無く救出チームを編成し、自らシェルターに乗り込む。今フェーリアはアビナの言動から彼女の心の揺らぎを見つけようと必死だった。
だが――アビナは普通に応じる。
「面白い事を言いますね。それではまるで、私がヨシュアの顔色を窺って行動している様ではないですか。残念ながら私と彼はそういう関係ではありませんよ。良ければ試してみますか? 父親か娘、どちらが死体になるか位は選んでもらって構いませんよ。いえ、人質が二人いると言うのは良い物ですね。どちらかを見せしめにしても、まだもう一人を人質扱い出来るのだから」
アビナがパソコンの画面に目をやりながら、リッジ親子に銃を突きつける。未だ気を失っている為二人は何の反応もしないが、フェーリアは目を細めた。
彼女はこの瞬間――確かに決断を下したのだ。
『――オーケー、わかった。一日、時間を稼げば良いのね? どんな手を使っても?』
「はい。方法はお任せします。ではそういう事で――また二十四時間後お会いしましょう」
アビナが通信を切ると、ヨシュアは大きく息を吐く。
「……約束を守るかな、フェーリアは?」
「恐らく、守るでしょうね。未だリッジ家に縛られている、彼女なら。加えてフェーリアが次に何をしてくるか、大体予想がつきます。彼女は恐らく、君の母国イリギスタン連邦国のスパコンをハッキングする筈。ヨシュアの親族が保護されている場所を、特定する為に」
この淡々としたアビナの推測は、彼を唖然とさせるには十分過ぎた。
「まさかそれって――僕の親族を誘拐してリッジ親子と人質交換する為っ? いや、確かにフェーリアにはそれしか手が無い……?」
「飽くまでリッジ親子の身の安全を優先するなら、そうでしょう。私達はここから動く事が出来ないので、その策は最良だと思います。私もヨシュアの親族の命がかかっているなら、その取引に応じざるを得ませんから」
「……なら、どうする? 君の推測が当たっているなら、僕達は二十四時間も時間を稼げないんじゃ?」
けれど、アビナはそこで一笑する。
「いえ、まだ手はあります。目には目を、ハッキングにはハッキングです。私が先にイリギスタンのスパコンをハッキングして情報を遮断し、ブラフの情報をばらまく。それを繰り返せばあるていど時間を稼げるでしょう。そのかん襲来してきた〝鬼〟達はフェーリアに任せるのが、この作戦の趣旨」
早くもパソコンを操作しながら、アビナはヨシュアに視線を送る。
彼女は、鼻歌まじりに彼にこう要求した。
「という訳で、君は私に手料理でもご馳走してください。ここから三ブロック先に台所があるので、其処を使って。当分手が離せないから、食事は君が食べさせてくれると助かります」
「………」
故にヨシュアは――本当に恐ろしい子だと感じるしかなかった。
◇
その頃、フェーリア・ハスナは未だに宇宙に居た。アビナ達の落下地点を割り出す前に、件のシェルターから緊急警報が伝達されてきたから。それがアビナ達の手による物だと直感したフェーリアは、自身の失策を痛感する。アビナならあのシェルターの位置を特定していると想定しなかった己を、彼女は心底恥じた。
もし自分が真っ先にその事に気付いていれば、アビナの策は潰せただろう。だというのに、状況は彼女にとって最悪に近い物だ。
「……少し遊び過ぎたか。やはり、採掘基地で決着をつけておくべきだったかしら? 師がこの体たらくを知ったら、果たしてどう思うかな?」
心底憂鬱そうに頬杖をつき、フェーリアは嘆息する。表情にこそ出さなかったが、彼女にとってリッジ親子は掛け替えのない存在だから。
フェーリアにも、血の繋がった親族は居る。だが、それは所詮、血が繋がっているという程度の話だ。その中には、彼女の美学に反する真似を平気でする様な人間も普通に居る。
けれどリッジ親子は違った。彼等は全ての不幸の原因である自分の謝罪を受け入れ、妻を、母を、誇らし気に語ったのだ。カルネットの行いを誇りとし、その末に生き延びた自分に笑いかけさえした。
本当に、強い人達だと思う。もし彼女に家族と言えるものが居るなら、フェーリアは胸を張って彼等の名を挙げるだろう。或いは、自分の身を投げ出す事さえ出来る気がする。
だがそれはつまり、それだけ現状が不利である事を物語っていた。フェーリアには、あの善良な人達を犠牲にする事だけは出来ない。いや、それだけの理由も無いと言える。
仮に自分が背負っている物が万人の幸せなら、苦渋の決断を下す事もあるだろう。が、今自分が行っている物はただのゲームに過ぎない。互に命懸けだが、それでもこれは愛しい人達の命を引き換えにするほど意義がある物ではない。
しかも、自分は既に過去三度もこのゲームの勝利者となっている。無論今年もと言う意気込みもあったが、状況がこうなっては、話は別だ。やはりフェーリアはどうしても、一線を超えてまでアビナ達を討つ気になれない。彼女の決断はそう言った煩悶の末に導かれた物だった。
「けど、このままやられたままというのも癪なのよね。という訳でゼスチア達にはヨシュアの親族の身柄を押えてもらいたいのだけど、これは可能?」
どんな答えが返ってくるかわかっていながら、フェーリアは問う。
現に、地上でその指令を受けた彼等の返事は思わしくない。
『はい。現在イリギスタンのスパコンにハッキングしている最中ですが、思ったより手強い。強固なファイヤーウォールにダミーの情報が入り乱れていて、特定には時間がかかりそうです』
「でしょうね。あのアビナの事だもの。私がしそうな事はシェルターを襲撃する前からわかっていた筈。彼女はどうあってもヨシュアの親族を死守し、私に時間を稼がせるつもり。正直、それは吝かでは無いのだけど、やはり癇に障るわね」
他に何か手は無い物かと、フェーリアは考えを巡らせる。しかしその時――アビナ達が潜む山のふもとに、人が集まり始める。
望遠レンズを通してそれを見たフェーリアは――もう一度短く嘆息した。
事態が一変したのは、その日の夜中。ヒックス共和国のヌパーダという街で、その異変は起きた。それに気付いたのは、監視カメラをチェックしていたアルバイトの青年だ。彼は暗視モードになっている監視カメラに映るその情景を見て、思わず声を上げる。
何故なら其処には死んだ筈の――アビナ・ズゥと思しき少女が映っていたから。
「まさ、か? あの娘は死んだ筈。それにイリギスタンの採掘基地からこのヒックス迄、二千キロは離れている。この距離を衆人環視の中、たった二日で移動できる訳がない」
彼女達が飛行機になど搭乗できる訳がないし、ましてや徒歩でここまで来られる筈もない。だが、人相、骨格、走り方などは過去のデータと一致している。
それはつまり、アレは間違いなく――アビナ・ズゥという事だ。
(……どうする? 先ずは規定通り、上にこの事を報告するか? いや、けど、これはチャンスだ。今、アビナ・ズゥが生きている事を知っているのは俺だけ。恐らく……世界で俺だけだろう。なら、皆に知られる前に、あの娘を討ち取る事も可能なのでは……?)
が、彼はすぐに思い直す。
(……いや、でも、テレビで見た限りあの女は妙な力を使っていた。〝鬼〟の大連合軍が攻めあぐねていた事から、あの力は本物だろう。そんなやつを……俺一人で殺す事が出来る? 返り討ちに合う可能性の方が、遥かに高いんじゃ……?)
結果、彼は大いなる妥協を見せる事になる。テレビ局にアビナ生存の情報を売り、五千万円もの金銭を得る事で一応の満足を見せる。この情報は、瞬く間にテレビやネットやラジオを通じ、拡散。アビナの所在を求め――〝鬼〟達は動き始めたのだ。
「そ、そうですね。監視カメラのデータによれば、ウッズ山脈を目指している様に思われるのですが?」
押し寄せてきた武装集団に、テレビ局の職員はそう応対する。
彼等は一斉に得心し――かの山のふもとを目指した。
が、彼等はウッズ山脈のふもとに至るも、其処で途方に暮れる事になる。その場所には何も無く、人が隠れている気配さえなかったから。彼等も、よもや自身の足元にシェルターがあるなど思いもよらない。其処に〝子〟が潜んでいるとは、考えもしなかった。
その様を森の中に設置された監視カメラで見て、ヨシュアは眉をひそめる。
「というかこれ、フェーリアの出番は無いんじゃない? ここなら〝鬼〟に見つかる心配もないし、後三日隠れていれば事足りるんじゃ?」
彼の尤もな意見に、アビナも頷く。
「かもしれません。フェーリアもリッジ親子の命がかかっている以上、シェルターの事は公にできない。更に、並みの人間ではシェルターの存在自体発見できないでしょう。いえ、常識的に考えれば、ここにそんな物があって私達が潜んでいるという発想さえないかも」
元々このシェルターは、その為につくられた物だ。リッジ親子の身の安全を完全に保証する為、フェーリアはこのシェルターを用意した。
即ち、ここで第三者に発見される様なら、シェルターとしての意味をなしていない。逆説、この不可侵領域を見つけ出し――其処に立てこもった時点でアビナ達の有利は確定した。彼女達は今度こそ――〝鬼〟の目から完全に逃れたのだ。
「というより、シェルターを強固に作りすぎたのが裏目に出ましたね。本来ならこのシェルターは、要塞並みに強固な筈。ですが、なまじ強固な為これを乗っ取られたなら攻め落とすのは困難極まりない。現に、フェーリアは早々に侵入チームを送り込む事さえ廃案としている筈。これなら製作者にしかわからない穴を、もっと用意するべきでしたね」
「俗にいう、バックドアってやつか。でも、本当にそう言った穴は無いの? バックドアという意味通り、僕達がその存在に気付いていないだけなんじゃ?」
けれど、アビナは即座に首を横に振る。
「いえ、恐らくそれは無いでしょう。さっきハスナ家のスパコンにもハッキングし、このシェルターのデータを見ましたから。確かにバックドアは存在しましたが、その穴も乗っ取り、私のコントロール下にあります」
相変わらず、事もなくアビナは言い切る。
常人では不可能な事を、彼女は当然の様に告げていた。
「……そうなんだ? じゃあ、僕達の勝利はこれで決まり? ついに〝鬼〟から完全に逃げ切ったと?」
が、アビナが頷こうとした瞬間、ソレは来た。天空より巨大なレーザーが〝鬼〟達の直ぐ傍に降り注いだのだ。地面を抉ったソレは凄まじい衝撃波を生み〝鬼〟達を薙ぎ払う。
彼等が恐慌する中、森の中より機械で加工された声が響いた。
『私はアビナ・ズゥ。現在この山は私の支配下にある。このふもとの地下にあるシェルターには、誰一人近づけない。命が惜しければ、早々に退去するべし』
「………」
この暴挙を耳にし、アビナは一瞬、言葉を失う。
彼女は即座に、フェーリアに回線を繋いだ。
『あら、何の用かしら、アビナ・ズゥ? まだ二十四時間経っていないと思うのだけど?』
「……やってくれましたね。あなた、いよいよ頭のネジが飛びましたか? リッジ親子を危険に晒してまで、私を追い詰めるつもり?」
然り。フェーリアがあんな警告をしなければ、アビナ達は〝鬼〟達を煙に巻けた。だというのに、フェーリアはわざとアビナ達の居場所を〝鬼〟達に教えたのだ。これは明らかに、アビナ達に対する背信行為だろう。けれど――フェーリアはケロッとしている。
『いえ、だって〝鬼〟を追い払う方法は問わないという事だったから。それって、私のやり方で事を進めて良いって事でしょ? 私は決して、契約違反をした訳では無いわよね?』
この屁理屈を聴き、アビナは己の浅慮を恥じる。
「……そう。私を自分で捕えるのは難しくなったので他の〝鬼〟達を使うつもりですか。彼等をこの地に誘き出し、私の逃げ場を無くす気ですね、あなた?」
『さてね。でも、契約は守ってもらうわ。私はこの地にやって来る〝鬼〟達を追い払うから、絶対にリッジ親子は解放してもらう。これは――そういう約束だったわよね?』
一方的に宣告し、フェーリアはさっさと回線を切ってしまう。
それを見て、アビナは椅子に深く身を預ける。
「どうやら、私は彼女の機嫌を想像以上に損ねていたらしい。リッジ親子の身柄さえ押さえておけば、フェーリアも従順だと思っていたのが間違いでした。全く、逆の立場になればわかりそうな事なのに、私もまだまだですね」
「んん? それってアビナにも――大切な人が居るって事? ねえ――そってどんな人?」
だがアビナは答えず――ただひたすらパソコンを操作し続けた。
◇
確かに、フェーリアは約束を守った。あの宣言を聞いて集まって来た〝鬼〟達を彼女は成層圏から攻撃し、撤退させ続けたから。元々民間人である〝鬼〟の武器が成層圏まで届く筈もなく、ソレは彼女のワンサイドゲームとなる。
無論、シェルターの存在をわざわざ明かした、あのあからさまな宣言を信じない〝鬼〟も居た。あれこそ、アビナ達の陽動だと考える人間も多数いる。
その彼等は今もヌパーダの近郊を捜索しているが、当然アビナ達の足取りは掴めていない。
そんな攻防は登った日が沈むまで続き、やがて約束の二十四時間を迎えようとしていた。
◇
やがて、夢を見る。今となっては、ずっと昔に起きた夢を。
それはまだ〝力〟を得る前の話。無力だったけど、それ以上に幸せだった頃、彼女には三人の家族が居た。
父と母と姉。
ごく平凡な家庭に生まれた彼女は、だからその生活も平凡な物だった。特に姉になついていた彼女は、眠れない夜はよく姉の寝所に忍び込んだ物だ。それを少し困った様な笑顔を浮かべながら受け入れる姉が、彼女は特に好きだった。
父と母はそんな自分達を多分、温かく見守ってくれていたのだと思う。母の小言と、父の余計な一言も、今思えば、幸せを形づくるピースの一つだったのかも。彼女にとってそれは、本当に輝かしい日々だった。
それが壊れたのは、何時の日の事だったか? まだ子供だった彼女は、もう思い出す事もできない。ただ、ある日を境に彼女が住んでいた国は二つに割れた。南北に分かれ、内戦を始めたのだ。
テレビのニュースではよく流れている話だったが、彼女にとっては他人事だった。遠くの国で起きた自分達には関係のない事。ずっとそう思ってきたのに、気が付けば祖国はそんな状態に陥った。
彼女達家族にとって不運だったのは、家が内戦状態にある南北の境界線にあった事。彼女達が遠くに避難するより速く北軍が動き、素早く町を占拠したのだ。その為、彼女達の町は敵兵で溢れかえり、衣食住の全てを奪われる事になる。
いや、その反面、彼等は子供達に対しては寛大であったと言える。何せ彼等はまだ子供に過ぎない彼女達を、兵士として訓練しようとしたから。彼等は子供達を洗脳し、自分達の兵士に仕立てようとした。
その為、彼等は自分達に忠誠を誓う証しに、ある事をしろと嘯いた。彼等は子供達に自分の手で両親を殺害する様、要求したのだ。
そうすれば、子供達は助けると、自分達の道具として大切にすると、彼等は約束した。逆を言えばそれが出来ない子供達は、皆、彼等に殺された。彼女の友達もクラスメートも、その多くが彼等の要求に応えられず、殺されていった。いや、彼等子供だけでなく、その親族もやはり殺されていく。
そんな噂を聞いた頃、彼女達の家にも彼等がやって来た。銃を手渡され彼等は耳元で囁く。あの邪魔な大人を殺せば、君達は助けてあげると。死ぬまで面倒を見て上げようと、そう約束する。
その時、彼女はもう姉は殺されると思った。あの優しい姉が、両親を殺す事など出来る筈がないから。そう思っていたのに、心からそう確信していたのに、彼女の目の前で姉は告げた。
〝ねえ、お父さん、お母さん、私達、もう死んだ後でさえ会えないね。だってお父さん達は天国に行って、私は地獄に堕ちるんだもん。お父さん達が居る所には、死んだ後でも行けないから、私達はこれで本当にお別れ。でも安心して。この子だけは、アビナだけは、絶対に、私が守るから―――〟
事実、姉は有言実行した。
姉は一人で、母と父の命を奪い、それで手打ちにしようとしたから。
〝そう。私が、二人とも殺しました。もうここに、妹が殺す人はいません。だから、妹も助けて下さい。私がこれからも、二人分、働きますから〟
たった八歳の少女がそう口にする。彼等はそんな姉を面白がり、姉が告げた通りに扱った。彼女は雑用係として使われ、姉は最前線で人を殺す。八歳の少女は、妹を守る為に銃をとり、見ず知らずの人々を殺し続けた。大人も、子供も、男性も、女性も、老人も区別なく殺し続けた。なのに、そんな事を感じさせない程、姉は彼女に何時だって優しく笑いかけてくれた。まだ平和だった頃の様に、父さんや母さんが生きていた頃の様に、姉は屈託なく微笑む。
だが、あの優しかった姉がそんな事に耐えられる筈が無かったのだ。歳を重ねる事に、姉の心は壊れていった。或いは彼女の面影を見たのか、子供を殺せなくなった姉を、彼等はまるで壊れた玩具の様に扱った。
もうこれは使えないと、廃棄するべきだと、そんな噂を彼女は聞いた。
アレほど人を憎んだ日を、彼女は他に知らない。アレほどあの父と母を姉が殺した日の事を思い出した時を、彼女は知らない。気が付けば、彼女は姉の手をとって逃げ出していた。
けれど、子供の足で逃げ切れる筈も無く、やがて彼女達は彼等に追い詰められる事になる。彼等は最後の慈悲を見せ、姉を殺せば彼女は見逃すと要求した。
その時、もう何一つ人間らしい反応をしなくなった筈の姉は、彼女に銃を握らせる。
〝ごめん、ごめん、ごめん、ごめんなさい。私は、もうダメ。誰も殺したくない。誰も傷つけたくない。だって、思い出すの。あの日の、父さんや母さんの顔を。私になら殺されても構わないって、二人は笑って、私に殺された。あの日の笑顔が頭に焼きついて、離れない。だから私はもう誰も殺せないから、アビナが私を殺して、生き抜いて。私はもうダメだから、今度は私の命と引き換えに、アビナが生き残って〟
ああ、なら、それは彼女に科せられた罰だ。姉一人に父と母、それに多くの人間を殺させ続けてきた、罰。
本当に、酷い話だ。自分は一体どれだけ、姉に過酷な現実を押しつけてきたのか? どれだけ罪深い事を、自分はしてきたというのだろう?
感情の無い姉の声を聴きながら、彼女は何も出来ない。
ただ姉に銃を向ける事しか、出来ない。
そして、彼女は銃の引き金に指をかけ、心から涙する。それから――全ては終わった。
〝全く、人の事は言えませんが、人間とは本当に酷い生き物ですね〟
いや、まるで茶番だ。子供向けのアニメでも、ここまでご都合的ではないだろう。
だがこのとき彼女は初めて神に、いや、悪魔に感謝した。声がした方を振り向けば、其処には十五歳位の少女が居る。次の瞬間、あろう事か少女は兵士達をバラバラにしたのだ。
〝そして、度し難い程に悲しい。例えあなた達が細切れになろうと、彼女達が本当に欲しい物は、もう帰って来ないのだから〟
故に、彼女は問うしかない。アナタは誰と、本物の悪魔かと訊ねると少女はただ笑う。
〝当たりです。やはり中々飲み込みがはやいですね、貴女は。素質がある子供を探していたのですが、どうやら大当たりの様ですよ、これは。貴女、力が欲しくありませんか? お姉さんを守れるだけの力を、このクソッタレな現実を変えるだけの力を、貴女は求めているのでは? なら、貴女がそう望むなら――わたくしは喜んでその一助になりましょう〟
それが、あの悪魔との出会い。彼女が忘れる事が出来ない、遠い日の出来事。
彼女は、事もなく頷く。
そうだ。なら、今度は私の番だ。今度は、私が姉を助ける。このたった一人の大切な人の為に、私は悪魔に魂を売り渡す。あの地獄の様な日々に姉を追いやった償いを、私はしなくてはならない。もうそれしか心が壊れてしまった姉に贖う術は無いから、私は全てを捨てる。人間らしさも、少女らしさも、母や父の記憶さえも、私が持っていたあの幸福な日々さえも、私は何もかも捨てて、今度は私がただ姉さんの為に尽くさないと―――。
〝……だから、お願い、何時か戻ってきて、姉さん。姉さんを苦しめる物は、ぜんぶ私が無くしてみせるから。私だけはずっと姉さんの傍にいるから、またあの日の様に私に笑いかけて〟
今はもう正気を失った姉を抱きしめながら、彼女はもう一だけ涙する。きっとこれが、自分が最後に流す涙だと確信しながら、ただ姉の温もりに身を委ねた。
それが、余りに遠い日の出来事。だと言うのに今も鮮明に覚えている、ある決意。
そして彼女は、本当に人間である事を止めたのだ―――。
5
「ん? アビナ? もしかして、寝ている?」
誰かが、彼女の名を呼ぶ。それだけで、微睡みかけていたアビナの意識は覚醒した。
「いえ、大丈夫。寝ていませんよ。寝ていませんから」
「………」
いや、明らかにうたた寝していただろうと思ったが、ヨシュアはツッコミを自重した。
代りに、彼は別の事を口にする。
「えっと、そろそろフェーリアと約束した二十四時間が経つんだけど、どうするつもり?」
「ですね。では、まずリッジ親子を解放しましょう。君、西の五番非常口に二人を連れて行って。私はフェーリアにその旨、伝えますから」
「え? それって、君はこの基地を放棄する気はないって事? フェーリアには、あんな啖呵を切ったのに?」
が、アビナは真顔で首を横に振る。
「いえ、私が約束したのは、二十四時間経ったらリッジ親子を解放するという事だけ。このシェルターを返すとは、一言も言っていません」
「あー……そうだっけ?」
実の所、ヨシュアはその辺りの記憶が曖昧だ。フェーリアに二十四時間〝鬼〟達から自分達を守り抜けと要求はした。けれど、その代償は果たしてリッジ親子の身柄だけだったろうか? どうにも、その辺のやり取りが良く思い出せない。
「……ま、いっか。交渉は、全部アビナに任せるしかないんだし。僕に出来る事は、君を手伝う事だけだ」
そう納得して、ヨシュアはアビナの指示通り動こうとする。
アビナがよくわからない事を言い始めたのは、その時だ。
「……と、その前に一つ君に訊きたい事が。ヨシュアは――人間とはなんだと思いますか?」
「人間とは……なにか? 随分、哲学的な事を訊くね?」
まるで、思春期の少女の様だ。いや、言動が並はずれているので忘れがちだが、アビナは確かに思春期の少女である。ヨシュア・ミッチェも同じく、思春期の少年である様に。ならば、一度くらいは彼もそんな無益な事を考えた事があるかも。
若さの特権とは、利にならない事を追及する時間がある事なのだから。
「うーん、そうだな。そういうアビナは、どう考えているの?」
質問を、質問で返す。お蔭でアビナは、わかりやすく憮然とした。
「それがわからないから、訊いたんです。でも、師はこう言っていました。人とは世界の思惑通り物事を進める為の歯車だと」
「世界の思惑通り動く歯車? ……人間が?」
或いは、何処かのリアリストが言いそうな話だ。別段、珍しい考え方では無いなと思いながらも、ヨシュアは首を傾げる。が、アビナは、真顔で続けた。
「はい。世界とは別に、人間の為に存在している訳では無いとか。ですが、人間はよく自然は大切にするべきだと言います。でなければ、動植物は人間と共に滅びてしまう。だからこの惑星の為にも、人間は人事を尽くすべきだと彼等は口にする。ですが、本当にそれはこの惑星の為でしょうか? 仮に人間がその被害にあわないのなら、自然破壊や環境汚染は今も侵攻しているのでは? 環境が破壊されると人間に都合が悪から、今更自然を大切にしようという話が持ち出される。人間の本質は実に利己的で、その本性を覆い隠す為この星を守ると言っている。実際、人間はもう何千種もの生物を絶滅に追いやっていて、当時はそれが普通だった。それが普通でなくなったのは、生態系の破壊が人間社会の崩壊に直結していると気付いたから。単にそれだけの事だと私は思っています。まだ子供だった私が師にそう言うと、彼女は喜々としてこう言いました。いや、実にその通りだと。この星を人間は大切に思う必要はないと、彼女は言った。何故ならこの星は、人をある方向に導く為だけに存在しているのだからと彼女は口にしました」
「……はぁ。ある方向」
「はい。全てはその為に、存在しているそうです。この世の全てが人間にとって都合が良いのは、人が世界にとって都合が良い存在だから。今のところ人だけがその目的を叶える事ができる存在だからこそ、生態系の頂点に位置する。故に、師の考えでは人間は何をしても構わないそうです。人の歴史とは、その為に積み重ねられているとも言っていました。その目的を果たす為に、人は人を殺し、人は人を愛する。貧困は人の憎しみを助長させ、前に進む為の原動力となる。警戒心は他人より優れるべきだという強迫観念を生み、力を欲する切っ掛けとなる。愛は愛しい人を守る為に敵を排除し様とする排他的な思い育み、だから争いは絶えない。世界は元々そう言った前提で成り立っていて、その為この星から悲劇が無くなる事もない。人は人として生まれた時点で、そう言った感情と生涯戦い続けるのだと、彼女は言った。愛は憎しみの苗床であり、愛こそが世界を滅ぼす切っ掛けになる。愛とは本来、それほど恐ろしい感情だと彼女は口にしていました。人間は――誰かを愛するからこそ誰かを憎むのだと、そう彼女は結論した」
「……愛が、憎しみを生む?」
そこまで聴き、ヨシュアの脳裏にある考えが過る。
確かに人間は誰かを愛する為に、誰かを傷付ける力を欲するのでは?
例えば――戦争。
単純に考えるなら、これは人が祖国を愛するが為に行われる。いや、もっと細かく分類するなら、まず人が愛するべきは家族だ。やがてそれが異性となり、その異性と結ばれた時、新たな家族が生まれる。その血族は時と共に広がり続け、その連なりが町となって、やがて国家にまで肥大する。ならば、家族を愛する事が、ひいては国家を愛する事に繋がるのでは?
全ての人には誰かしら愛する者が存在し、それを他者から守る為、必要以上に酷薄になる。憎しみは確かに憎しみを生むが、愛もまた憎しみを生むのだ。愛と言う要素でさえ、人を貶める感情でしかない。ならば、人間のどこに救いがあると言うのか――?
「そういう事です。人間とは、愛情と言う感情によって互いを潰し合う存在。そう言った性質のもと人は存在し、その愛憎を以て前に進む。愛も憎しみも人間にとっては、前進する為の起爆剤でしかないんです。事実、人間は戦争という最悪の愛情表現を以て、科学を発展させてきたでしょう?」
「………」
「そう。そう言った感情が欠落しているなら、人間は文明を進歩させる事はなかった。それ等は全て、敵から愛する人々を守る為に育んだ力なのだから。師からそう指摘された時、私は何も言い返す事が出来なかった。だって私もあの彼女の為なら、喜んで人を憎み、そして殺す事さえ厭わない筈だから。私は彼女を愛すれば愛する程、彼女を傷付け様とする者を深く憎む。故に、私は師以外の人に訊いてみたかった。人間とは、一体何かと。本当に師の言う通りなのかと、人間には絶望しかないのかと――訊いてみたかったんです」
「……そっか」
ヨシュアが一度だけ身を震わせ、アビナに向き合う。
彼は暫く思案した後、こんな答えを返した。
「それは、確かに僕も反論できないな。何せ僕が君に力を貸そうと思ったのは、君の事が好きだから。その感情を全うする為に、僕は人を殺す覚悟さえした。いや、実際は君のお蔭でまだ誰も殺さずにすんでいるんだけど、これは君が普通じゃないから。本当なら僕はもう百人単位の人間を殺した挙げ句、誰かに殺されていたと思う。今、僕が行っている行為そのものが、君の師匠の理屈を裏付ける事になっているんだ。誰かに対する愛情は、誰かを憎む切っ掛けに過ぎない。それは、恋愛にも当てはまる筈だから。単純な話、僕は君が余所の男になびくならそれだけでその男を憎むと思う。とことんまで嫉妬して死ぬまでその気持ちを忘れないだろう。誰かを愛するって事は君の言う通り誰かを憎むって事だ。誰かを愛して幸せになるって事は、きっとそう言った理屈を麻痺させる為なんだよ。幸せと言う感情で憎しみと言う感情を麻痺させて今を生きているのが僕らだ。でも、それでも――僕はやっぱり誰かを愛し続けると思う。人は神を信仰するが故に人を殺し、人は異性を愛するが故に同性を憎む。その呪縛から人間は絶滅するまで抜け出せないだろうけど、だからこそ僕は前に進みたい。愛と言う感情を愛して例えそれが危険な物でも、共に歩み続けたいんだ。今、君とこうして同じ方向に歩き続けている様に。愛って言うのは憎しみを生む苗床かもしれないけど、それ以上に人間にとっては道標なんだ。人にとっては無くてはならない、指標であり灯なんだと思う。だから僕は君を好きであり続けようと思う。僕が僕でなくなるその日まで、この感情を受け入れなくちゃならない。じゃないと――本当に人間は悲しい生き物になってしまうと思うから」
彼がそう言い切ると、アビナは嘆息する様に呟く。
「……そう。だとしたら、全く共通点なんて無かったと思っていたけど、私と君は似ているのかも。愛情に踊らされ続けている所なんて、特に」
「そうかもしれないね。そういえば君、前に自分はシスコンだって言っていたけど、大事な人ってやっぱり妹さんかお姉さん?」
ヨシュアが訊ねると、アビナはパソコンに目を向けた。
「姉です。私は、私の為にずっと傷つき続けた彼女を愛するが故、誰かを傷付けなくてはならない。例えそれが――誰であっても」
アビナがそう語ると、彼は心から微笑んだ。
「そっか。少し安心した。君にもそう思える誰かが居てくれて。それが僕じゃないのが、少し悔しいけどね。でも――確かに僕達は似ているよ、アビナ・ズゥ」
心底からそう納得し、彼はリッジ親子を解放する準備を整える。二人を起こして、今から解放する旨を伝え、ヨシュア達は退室する。
それを見届けた後アビナはもう一度嘆息し――フェーリアに回線を繋いだ。
◇
『へえ。つまりリッジ親子は解放するけど、シェルターは明け渡さないと?』
アビナの説明を聴いた後、フェーリアは開口一番そう問い掛ける。
アビナは、やはり普通に応じた。
「ええ。明け方までは。日が出ていた方が、デモンストレーション的に都合が良いから」
『デモンストレーション? そう言えば、まだ一番大事な事を問うていなかったわね。無駄だと思うけど、一応訊いておくわ。あなたの目的は一体何――アビナ・ズゥ? よもや逃げ切った賞金、という訳ではないのでしょう?』
それは、まだヨシュアも話していない事だ。彼は、アビナが何をするつもりか訊く事なく力を貸している。そう言った彼らしい非合理さをアビナは笑い、直ぐに笑みを消す。
「フェーリア、私がこの世で最も嫌いな事はただ働きです。ボランティアに従事する人々には敬意を表しますが、私はとてもそう言った気になれない」
『それって、ただじゃ教えないって事? なら、どんな情報となら取引してくれると?』
「そうですね。では、大帝の〝力〟ではどうでしょう?」
『陛下の〝力〟』
フェーリアが、オウム返しをする。バカバカしいと、アビナを嘲笑しながら。
「ええ。あなたが一年前〝子〟を殺害した賞金の代わりに、大帝を師事した事は見当がついています。あなたの並はずれた力は、全て大帝から教わった物でしょう。そんなあなたなら大帝の〝力〟についても知っているのでは?」
『そういうあなたは、一体誰から何を習ったのかしら? もしかして、陛下とあなたの師は同一人物?』
「だとしたら? いえ、それこそ話になりませんね。あなたなら、疾うに私の〝力〟が何であるか見切っているのでは?」
事実、フェーリアは事もなく得心する。
『そうね。そこまで聴けばあなたの目的もまるわかりだし、だから負ける気もしない。そろそろ決着をつけましょうか――アビナ?』
「気が合いますね。私も丁度そう考えていた所です――フェーリア」
互いに微笑みながら、両者は視線を交差させる。次に口を開いたのは、アビナだった。
「ですが、その前にやる事が残っていまして。それが済み次第、仕掛けてもらえると助かります」
『それが、さっき言っていたデモンストレーション? 一体どんなショーが見られるか、ちょっと楽しみね』
「いえ、余り過度な期待はしないで下さい。取るに足りない、つまらない芸ですから」
それで、アビナは通信を切る。彼女は頬杖をつきながら、今後について思いを馳せる。
ヨシュアが戻って来たのは、その数分後。
「えっと、言われた通りにしてきたけど、大丈夫、アビナ? もしかして疲れてない?」
「いえ、疲れてはいません。ただ少し憂鬱になっている自分に、驚いているだけで」
「んん? ごめん。意味が、全然わからない」
ヨシュアは眉をひそめるばかりだが、アビナは三度溜息をついた。
「呑気でいいですね、君は。私など、これからやる事が山積みだというのに」
「……って、もしかしてフェーリアと勝負する気とか? 他の〝鬼〟達もまだまるで諦めていない、この状況で?」
「おや、珍しく鋭いですね、ヨシュア。そうですよ。先ほど、彼女の方から手袋を投げつけてきました。私としても――一仕事終えたらこの挑戦を受けるつもりです」
「……待った。それで、君に何のメリットがある? 〝子〟は〝鬼〟から逃げるのが〝鬼ごっこ〟の大前提だろ? なのに――〝鬼〟と戦って何の得があるって言うんだ?」
ヨシュアの正論に、アビナは内心辟易する。
「普通なら無いでしょうね。ですが私にとっては違うんです。フェーリア・ハスナは彼女を誘き出す為の、良いエサになる。仮に私がフェーリアに勝てたなら、彼女も動かざるを得ないでしょう」
「はい? ……だから、ちょっと意味がわからないんだけど?」
が、その時、ヨシュアにとっては予想外で、アビナにとっては或いはと思っていた事が起きた。シェルターのセンサーが、外敵をキャッチする。アビナがこれに反応して、巨大なモニターにその外敵を映し出す。
見れば其処には、一国が保持する陸空に及ぶ軍隊の姿があった――。
◇
シェルター内のモニターには、確かに無数の兵士や戦車や戦闘機が映し出されている。それは正にヒックス共和国が誇る、軍隊。人が用いる――最大級の殺戮集団だ。
その偉容を前に、ヨシュアは思わず固唾を呑む。
「……まさか、軍隊まで動員されたっ? 今までの〝鬼ごっこ〟では、そんな事は無かったのにッ?」
少なくともヨシュアが知る限りでは〝鬼〟とは、その多くが一般人である。傭兵や元軍人という経歴の持ち主も居るが、その武力は精々爆弾やマシンガン、バズーカまで。ミサイルや戦車、戦闘機などが持ち出される事は無かった。〝鬼〟といえども、たった数人の人間を殺害する為に軍隊を出動させるなど、狂気の沙汰だ。
このバカげた状況にヨシュアは眉根を歪ませ、アビナは感情が読めない表情を見せる。
「恐らくフェーリアが、ヒックス共和国のお偉いさんに働きかけたのでしょう。私が如何に危険な存在で、或いは人類の敵になり得ると演説して。現に私は採掘基地で一千万もの〝鬼〟と互角に戦い、宇宙ではフェーリアから逃げ切った。その映像データを見せ、ある事ない事ふきこめばヒックスの政治家の危機感も煽られる。フェーリアはリッジ親子を危険に晒した事で、どうやら本気になった様です。彼女は自分の逆鱗に触れた私を、何があっても始末するつもりなのでしょう」
「……って、なにを呑気な事をッ? という事は、シェルターの脱出口も全て彼等に押さえられているって事だろっ? つまり、僕達にはもう逃げ道が無いって事だ! このシェルターに、後二日間籠城するしか手は無い! これはそういう事なんじゃ――ッ?」
確かに、ヨシュア達にはその手が残っている。ここは、あのフェーリアがつくったシェルターだ。ならば、核ミサイルさえ凌ぎ切ってみせる筈。この場に徹底して立てこもるなら、まだ生き残る芽はある。ある意味宇宙より安全なこのシェルターなら、ヨシュア達にも勝ち目はあるだろう。だというのに――アビナは首を横に振る。
「君はそうでしょうね。ですが、先ほども説明した通り私は既に〝子〟という規格からも外れている。人ではないとバレた時点で、彼等の危機感を煽るだけの存在となった。さっきも言ったでしょう? 愛は憎しみを生む温床だと。もしヒックス人に人類を愛する気持ちがあるなら私と言う未知の存在は排除しようとする。それが最も手っ取り早く確実な方法だから、彼等は私が〝子〟という立場を執拗に利用する。〝子〟であるなら合法的に私を殺害できるから、彼等も遠慮はしない。いえ、例え期限の五日を過ぎても私だけは尚も彼等に敵視される筈です」
「……そんな、そんなバカな事があるか! アビナはちょっと僕達とは違うだけの、普通の人間だ! 誰かを愛する心を持った、普通の女の子だ! それが何だってそんな扱いを受けなきゃならない――っ?」
ヨシュアが、心底から吼える。アビナは一度だけ驚いた様に口を閉ざしてから、反論した。
「いえ、これも身から出た錆でしょう。リッジ親子を危険に晒した時点で、こうなる事を予想するべきでした。フェーリアが心から愛する彼等を害するという事は、そういう事。フェーリアを――心底から憤慨させるという事なのだから」
「……つッ! そうか。愛が憎しみを呼ぶって言うのは、こういう事か」
そう痛感したヨシュアは、項垂れる。シェルターに籠城するしか手が浮かばない彼は、それ以上、何も言う事が出来ない。その上で冗談でも何でもなく、彼は提案する。
「なら、もう僕達は一生このシェルターに引きこもるしかないな。ここで死ぬまで生活して、天寿を全うしよう。それが出来る位の用意は、フェーリアもしている筈だ。ああ、それも悪くは無いか。ここなら僕とアビナは二人きりで、君に悪い虫がつく心配をする必要もない」
そして、アビナはもう一度黙然とした後、一笑する。
「……君と言う人間は、本当に規格外のばかですね。こんな時にそんな事を本気で口にするのは、恐らく君位でしょう。ですが、それが危険な感情である事は覚えておいて。仮に私が彼等に殺されたなら、君は自分でも何をするかわかっていない筈だから」
「それも、愛は憎しみを生むという奴だね。かもしれないな。僕はもう、君を失う事に耐えられそうにない」
と、ヨシュアとしてはまだ話の途中だったのだが、アビナは立ち上がる。
彼女はそのまま部屋の出口まで向かい、こう口にした。
「ま、良いでしょう。少し予定外ですが、それでもするべき事に変更はありません。悪いのですが、ヨシュアにもつき合ってもらいます」
「もしかして、何か作戦でもあるの? この状況を覆すだけの秘策が、アビナにはある?」
けれど、アビナは良くわからない事を言いだす。
「いえ、それより、話しておかなければならない事があります。ヨシュア、よく聴いて下さい。実は私は――大嘘つきです」
「……は?」
まるで大した意味は無いといった感じで――彼女はそう告げた。
◇
アビナとヨシュアが、シェルターの廊下を歩く。
その間、アビナは思い出した様にヨシュアに振り返った。
「そう言えば、これもまだ話していませんでしたね。私が考えた――〝鬼ごっこ〟の必勝法」
「……え? そんな物があるの? つまり、アビナは今からそれを使う気?」
しかしアビナは明言せず、ただその必勝法とやらを説明する。
「実に単純な話です。私達は『能力』を使おうとすると、亜空間に飛ばされるでしょ? その亜空間には、最大五分間居る事が出来る。で、五分経てば現実世界に戻ってくる訳ですが、直ぐにまた『能力』を使おうとすればどうなる?」
「……あ。そうか! その人達はまた直ぐに、亜空間に飛ばされる。それを五日間連続して行えば〝鬼〟から逃げ切る事もユメじゃない?」
「そういう事です。亜空間に飛ばされるのは『能力』を使う人間とその標的の二人のみ。けど亜空間に行ったからといって『能力』を使わなければならないというルールも無い。互に『能力』を知らなければ、何度でも二人きりで過ごせる亜空間に移動できる。一人は『能力』を発動させ、もう一人はその間仮眠をとる。一定の時間が来たら『能力』を発動させようとする人間と仮眠をとる人間を逆転させる。これを連続して繰り返せば時間を稼げて、或いは〝鬼ごっこ〟をクリヤーできます」
アビナはそう言い切るが、だからこそヨシュアは眉をひそめる。
「じゃあ、アビナがその手を使わなかったのは、何故? 確かにソレは〝子〟が二名居ないと使えない手だけど、君には僕と言う協力者がいた。やろうと思えばその手が使えたのに、君はなんで使おうとしなかったんだ?」
だが、アビナは答えない。彼女は地上に続く梯子の下まで来ると、ヨシュアを窘める。
「いいですか? 私の用がすむまで、君は絶対ここに居て下さい。君の事が必要になったら、私は必ず君の事を呼びますから」
それをヨシュアは、胡散臭いと感じた。
「……本当だろうね? 一人で無茶とかしたりしない?」
「君は、本当に面白いですね。そこは普通、自分を置いて逃げるつもりじゃないかと問う所ですよ?」
クスクス笑う、アビナ。
それを見てヨシュアはムっとするが、彼も直ぐに微笑んだ。
「わかった。僕はアビナを信じる。きっとそれが――今の僕に出来る最善の事だ」
「いえ、それは嘘ですね。君は私を疑ったこと等、無かった筈なので」
「って、そうか。バレてたか」
最後に笑顔でそんなやり取りをして――アビナ・ズゥはヨシュア・ミッチェと別れた。
◇
アビナが、梯子の頂上に行き当たる。そこには、外に出る為の扉が設置されている。その扉を開く為の暗証番号を入力した後、彼女は扉を開け外に出る。扉を開けたまま彼女は大地に立ち、周囲を囲む軍隊と対峙した。
ヒックス軍は即座に暗視スコープを使い、それを確認して、情報を共有する。
「アビナ・ズゥと思しき少女を発見。標的は一名。ヨシュア・ミッチェは、未だにシェルター内に潜んでいると思われる。標的の意図は不明だが、予定通り警告なしでこのまま標的の排除を決行する。総員――配置につけ」
ヒックス軍の司令官――シュース・パルマ少将が淡々と指揮を執る。齢二十八で提督にまで上り詰めた彼は、その実績通りの戦闘指揮能力を有している。今もあの標的――アビナ・ズゥの能力を見くびっておらず、決して油断もしない。寧ろ彼は、彼女の力を必要以上に危険視していた。
「人間以上の能力を持った、ニンゲン。だが、人間社会にそんな存在など必要ない」
月並みながら、それがシュースの結論だ。彼は決して差別主義者ではないが、バランスを重んじる性格である。その彼に言わせれば、アビナは世界の軍事バランスを崩しかねない。使い方によっては、重要機密さえ彼女によって奪われ、要人を恐喝する材料となるだろう。
そう予感した時、シュースはフェーリアと同調した。今アビナ・ズゥを誰よりも危険視している軍人は、紛れもなく彼。彼はこの時なんとしてもアビナを抹殺しなければならないと決意する。
更に、絶対的な武力に加え、ヒックス軍は夜の闇さえ味方にしていた。彼等には暗視スコープという武器があり、あの少女にはそれが無い。標的を何の障害も無く見通せる彼等と、それさえ叶わない彼女。両者には、それだけの明確過ぎる戦力差があった。
だと言うのに、アビナは百両に及ぶ戦車に向かって歩き出す。余りに無防備に、まるでそれが当然であるかの様に。
それを見て、シュースはアビナの決意を直感する。
「自分が血路を開き、ヨシュア・ミッチェだけでも逃がすつもり? 確かに戦い方によってはそれも可能か?」
ならば彼も容赦はしない。シュースは遂に全歩兵隊員に対し、無線を使いこう命じた。
「歩兵隊――銃器による攻撃を許可する。速やかに――標的を射殺せよ」
よって、夜の静寂が生命を断つに値する轟音にとって代わる。十二時の方角からマシンガンが一斉に掃射され、アビナへと肉薄する。その様を、彼女は真顔で見送った。
「……何?」
が、隊員達がその異変に気付く。確かに弾が命中しているのに、平然と標的が此方に歩いてくる。いや、それだけでは無い。彼女は、自分の体に当った弾を手に取ると、それをマシンガンより速く指で撃ち出す。ソレを正確過ぎるほど正確に歩兵の頭部に命中させ、彼女はその反撃を繰り返す。瞬く間に五千の歩兵を気絶させた彼女は、尚も歩を進める。
この光景を見て――シュースは思わず目を見開く。
(まさか……銃器が何の役にも立たない? 一体――アレは何だ?)
けれど、彼は直ぐさま感情を制御し、己の浅慮を恥じた。初めから総攻撃を命じなかった自分自身の未熟さを、彼は自覚する。
次の瞬間、シュースは戦車隊に標的の抹殺命令を下す。
それが、喜劇の幕開けとも知らずに。
戦車の砲身から発射される、百二十ミリ弾。それは一人の少女を屠るには、余りに度が過ぎる武力だ。
だが、あろう事かその一撃を、あの少女は受け止める。右手で掴み、彼女は横に一回転して逆に戦車隊に向け弾を放り投げてきた。
(な――ッ?)
正に、笑うしかない光景。だが、戦車の砲撃を遥かに上回る速度で放たれた弾は、着弾の衝撃だけで戦車隊を横転させる。そのままアビナは戦車に近寄り、それを察知した砲手は百二十ミリ砲を零距離から発射した。
(ばか、なっ?)
だがそれさえも彼女は受け止め、逆に戦車の砲身を掴み、近くにあった戦車へ激突させる。まるで紙屑の様に戦車を薙ぎ払い――やがて百両に及ぶ戦車隊は全滅しつつあった。
「――つッ! 戦車隊の乗組員は戦車を捨て、撤退! それが完了次第航空隊は、ミサイルの発射を許可する! 制空権より標的に、絨毯爆撃を浴びせてやれ!」
シュースが、三度命じる。が、彼は忘れている。彼女がこれと似た様な状況に、陥った事があると。彼女はあの採掘基地戦で――航空戦力に対しどんな真似をした?
シュースがそれを思い出す前に、アビナは空に向け銃を突きつける。彼女はジェット機隊がミサイルを発射するのと同時に、その全てのミサイル目がけて弾を放つ。
その弾は尽くミサイルを破壊し、この爆発に巻き込まれたジェット機隊は全滅する。パイロットはみな脱出装置で逃げ出すが、たった五分で戦況は決していた――。
「……化物! ハスナ嬢が持ち込んできた映像以上の化物! アレは、一体、何だ――っ?」
いや、それ以前に、なぜここまでの事が出来るのに、彼女はこの力を振わなかった? 軍隊さえも瞬殺出来るその力を、何故示さなかったのか? それさえ公にすれば〝鬼〟の戦意を挫く事さえ可能だったろうに。誰もがそう疑問を抱く中――アビナは誰に言うでもなく呟く。
「いえ。師の計算では――三日目以降なら大暴れしても体力的には問題ないそうなので」
「……な、に?」
何だソレはと、近くに居た兵隊が耳を疑う。余りに意味不明で、彼は嗤う事さえできない。
その最中――戦車隊の奥から一人の少女が歩を進めてくる。
それを見て――アビナ・ズゥは微笑んだ。
「そう。これがあなたの言う――デモンストレーション? 確かに、取るに足りない芸ね」
「ええ、そういう事です。私を真に楽しませてくれるのは――きっとあなたと、彼女くらいでしょうから」
一軍を滅ぼした少女の前に――フェーリア・ハスナは立ちふさがった。
◇
数日ぶりに直接顔を合わせる二人。深い闇の中、アビナとフェーリアは文字通り対峙する。先に口を開いたのは、フェーリアの方。
「それにしても、随分な暴れ様ね。これであなたは更に人類から敵視される様になった筈だけど、これは間違い?」
「さて、それはどうでしょう? 私としてはこれ以上私に危害を加えようとすればどうなるか教えたつもりなのですが? 仮にこの状況が全世界に発信されているなら、私は自分の目的を果たした事になる。軍隊でも敵わない人間だと知れ渡って、誰も私には手を出さないと思います」
が、そう言い切るアビナに、フェーリアは憐みの視線を向ける。
「まさか。やはりあなたは人間という物が、まだ良くわかっていない。人間はしつこいわよ。メリットさえ提示されれば、命の危険さえ度外視して任務に埋没する程に。その指示を与えた人間は安全圏に居るというのに、そんな不平等にも関心を示さない。人間は不撓不屈の精神を以て――あなたという異物を何としても排除する」
或いは、フェーリアの言っている事は正しいのかもしれない。それは、今日までの歴史が証明している。
人間は、恐怖だけでは決して屈しない。絶対とは言い難いが、ほぼ確実にそれを是正しようと言う勢力が現れる。どれほどの見せしめを以てしても、その敵が自分達の不利益に直結するなら、もうそこまでだ。彼等は何が何でも、世界のバランスを危うくするその存在を消去するだろう。仮にその行いが別のリスクを生むとしても、ソレは変わらない。
そう。人の歴史とはただひたすら問題の解決が別の問題を生んでいくだけの物に過ぎない。
現に民主主義の誕生が、独裁者を生み出した。
戦争で敵国を屈服させながら、その次はテロと言う問題が生じた。
その次にどんな問題が発生するかは起ってみるまでわからないが、それだけは確かだ。
永遠に〝問題〟と言う物といたちごっこを繰り返す生き物、即ち――それこそが人間だ。
故にフェーリアは、アビナという恐怖にさえ人間は打ち勝ってみせると断言する。
例えその後、別の問題が生み出され様とも。
「それが、人間の長所であり短所ね。〝敵〟だと認識した存在は徹底して駆逐し、勝利を収めながらまた別の〝敵〟を生み出す。この論法で言うなら人はアビナという〝敵〟に対しても、滅び去るまで徹底抗戦を続ける。結局あなたは脅威であると強調すればするほど、人類から敵視される様になるの。この時点であなたの敗北は、決まったと言い切れる程に」
けれど、アビナは平然と応じた。
「――成る程。あなたが軍隊まで動員させたのは、その構図を確かな物にする為ですか。私の〝力〟を完全に見切る為、彼等を捨て石にしただけでは無いと?」
「酷い事を言うのね。私が、そんな品の無い真似をする様に見える?」
クスクス嗤いながら、フェーリアは肩を竦める。逆に、アビナは表情を消した。
「見えるか見えないかで言えば、後者でしょう。あなたは、どうやら私とは比べ物にならない位、猫かぶりが上手な様だから。実際、あなたが既に人間でない事を、リッジ親子は知っている? いえ、恐らく知らないでしょう。今あなたが最も危惧しているのは、リッジ親子に恐れられる事だから。彼等に人間扱いされなくなった時点で、あなたという存在は破綻する。愛は人を強くしますが、それは破滅と表裏一体です。その愛が壊れた時、彼等に向けられていた愛情は、深い憎しみに変わる」
「あら、それは脅迫? そうなるのが厭なら、私に手を引けと露骨に脅している?」
「まさか。私はただ、事実を口にしただけ。寧ろあなたが私と戦うというなら、私と同じ立場になると忠告しているんです」
しかし、フェーリアは、やはり余裕を崩さない。
「そう? なら、こういうのはどうかしら?」
フェーリアが――気迫を込める。
それだけでこの近辺にある全ての物は遥か彼方に吹き飛び、森さえも全壊して更地となる。この場に居る目撃者を気絶させ、排除した白いドレスの少女は、改めてアビナに向き直った。
「これで、目撃者は消えた。あなたと言う――確固たる仇敵以外は」
「そうみたいですね。やはりどうあっても、私と決着をつけると? なら、私も最後に訊いておきましょう。それは、師である大帝に対する忠誠心? それとも、リッジ親子を危険にさらした私に対する憎しみが理由ですか?」
アビナが、構えをとる。同じ様に臨戦態勢に移行しながら、フェーリアは微笑んだ。
「そんなの――その両方に決まっているじゃない!」
途端、フェーリアは雷速を上回る速度でアビナに肉薄した―――。
◇
その直後、そこには何かの漫画の様な光景が展開される。ドレス姿の少女がジャンバー姿の少女に拳を放つ。このシュール過ぎる光景の目撃者は実際に拳を交えている両者以外いない。よってフェーリアは、思うが儘にその桁外れの戦闘力を披露する。正拳を放った余波だけで山をも破壊するその偉容を、彼女は容赦なく発揮した。
この正体不明の力は、確かに人間ではなく完全なる〝鬼〟と言えた。今まさにフェーリアと言う名の〝鬼〟が〝子〟であるアビナを食いつくそうとする。
いや――本当にその筈だった。
「――今のを、受け止める? やはり、あなたも人間じゃ無い」
自身の一撃を左腕一本で防御されながらも、フェーリアは喜悦する。虫ばかりを潰して遊んでいた子供が、自分と同じ年頃の子供に出会った様に。フェーリア・ハスナはこの時、本気で遊べる〝敵〟に遭遇した。
「何を今更。そんな事、とっくの昔にわかっていた筈でしょう?」
アビナが、淡々と答える。故に両者は、拳や蹴りを撃ち合いながら空に向かって上昇する。その余波が突風の様に大気を突き抜け、遥か彼方の町へと届く。
窓ガラスは割れ、大地は揺れて、町に住む人々は天変地異の到来かと恐慌した。
その間にも――フェーリアとアビナは激しい攻防を続ける。少女同士が殴り合うという――超絶的な修羅場に興じる。フェーリアの渾身の一撃がアビナを吹き飛ばし、両者の間合いは一時大きく開く。
が、あろう事かフェーリアは空中浮遊さえ為して、アビナへと再度突撃。蹴りを放ちながらアビナに迫る。
これを両手でガードするアビナだが、更に弾き飛ばされ、近くの山を貫通していた。
「何? ここまで来て出し惜しみする気? あなたの力はそんな物ではないでしょう、アビナ・ズゥ?」
即座にアビナに追いつき、拳の弾幕をはるフェーリア。それだけで周囲にある山さえ吹き飛び、大地の地形は刻一刻と変わっていく。みるみる平らな大地に変わり、雲さえも霧散する。
比喩なく雷速を上回る速度で彼女達は移動しながら、拳や蹴りの応酬を繰り返す。明らかに人を超えたこの力に、アビナは辟易した。
(……想像を遥かに超越した、パワー! 私の想定を凌駕する、天才! それが今、私を殺そうとしている少女の正体――!)
そう確信した時には、フェーリアは体を縦に半回転させ、アビナの拳を躱す。そのまま蹴りをアビナの頭部に食らわせ、彼女を地面に叩き落とす。
その様を見て、フェーリアはただ思った事を口にした。
「一体どういうつもりかしら? あなたは――物体の存在をコントロール出来るのでしょう? 故にただの弾丸もゴム弾程度の威力にし、或いはバズーカ以上の破壊力に変える。それが――あなたの能力」
フェーリアの洞察に、誤りはない。アビナは万物の力を、弱める事も高める事も可能だ。ヨシュアが、採掘基地で捕虜になった時もそう。彼の体を弾丸が貫通しながら、それでも傷つかなかったのはその為だ。
アビナは弾の存在を低下させ、ヨシュアの体を通り過ぎたあと、ゴム弾程に存在を高めた。その弾を着弾させ、ヨシュアを盾にしている傭兵を倒したのだ。
アビナが様々なパソコンにハッキングできたのも、だからである。彼女は自身のパソコンの処理速度を異常なほど向上させ、得たい情報を得てきた。
彼女が何も無い所から物を取り出せるのも、それ故。アビナは重力を弱め、その物体が見えなくなるほど存在を低下させて、周囲に配置している。アビナの周りには今も、バッテリー内臓型の冷蔵庫や弾丸等が散乱している。一度触れた物しかそう言った状態に出来ないが、アビナが普通の人間ではないのは確かだ。
フェーリアには、それがどういう原理によってなされている術かはわからない。彼女が理解している事は、一つだけ。
(ええ。例えそうだとしても――勝つのは私)
それを証明する様に、フェーリアの蹴りがまたもアビナの腹部に決まる。アビナは雲を貫通しながら吹き飛び飛び、フェーリアは更なる追撃を見せた。
(何故だかわかる、アビナ? それこそが――私達の術だからよ)
現にアビナの体に触れているというのに、フェーリアの攻撃はほぼ弱体化する事が無い。どれ程のパワーを誇っていようと、アビナに触れた時点で豆鉄砲程の威力になる筈。なのに、この法則性を凌駕して、フェーリアはアビナに蹴りや拳を叩きこむ。
戦いの趨勢は――明らかにフェーリアに傾いていた。
(けど、油断は出来ない。或いは物体だけでなく、術者である彼女自身さえ力を向上出来るかもしれないから)
フェーリアとしては、当然とも言える発想だ。小型拳銃の弾をバズーカ程の威力に変えられるなら、アビナは己が膂力も高められる筈。フェーリアはそれを警戒し、注意深くアビナを観察する。まるで、アビナの力の流れを読む様に。
「つッ!」
「くッ?」
そのアビナが、大地を強く踏みしめる。その直後、粉塵が周囲に舞い、フェーリアはアビナを見失うだけでなく視界そのものが利かなくなる。その意味を、彼女は即座に読み取った。
(――成る程。そういう事?)
フェーリアが、即座に地を蹴る。それとほぼ同時に、先ほどまで自分が居た場所に拳銃の弾丸が横切る。山さえも全壊するであろうその一撃を、フェーリアはただ笑った。
(なら、こちらもこうするだけ)
フェーリアも銃を抜き、アビナが居ると思しき方角へ弾丸を乱射する。ソレはアビナに向かって接近するが、まだアビナの余裕は崩れない。弾丸を放つ事で、フェーリアが放った全ての弾をはじいてみせる。
(やはり、手強い。いえ、銃の扱いに限って言えば、私と彼女は互角?)
それは人外であっても、瞠目に値する光景だった。雷速以上で迫る弾丸全てを、同じように発射した弾丸で撃ち落としているのだから。
フェーリアもアビナもそう言った作業に忙殺され、互いに決定打にはなり得ない。
いや――フェーリアには、アビナに近づくだけの余裕が残されていた。
(今の所、アレ以上パワーをアップする気配は無い。私なら、それでも凌ぎ切れると思っているから? それとも、彼女は最大エネルギー値以上のパワーアップは出来ない?)
実の所、その答えは後者だ。アビナ・ズゥは己の力を、マックスパワー以上に高める術を未だに知らない。フェーリアの直感は正しく、彼女がそう判断した時、フェーリアはアビナに急接近する。
「そうね。一つ良い事を教えて上げましょうか、アビナ。私ならあなたを、簡単に倒せると言う事を。何せ単にヨシュアを見つけ出し、彼を人質にすればいいだけなんだから。そうなった時、あなたは私を彼ごと傷付ける事が出来るかしら?」
だが、アビナは何も答えない。まるでそうなった時、困るのはフェーリアの方だと言わんばかりの表情を浮かべる。それはリッジ親子を人質にとった、自分と同じ過ちだと言っているかの様だ。
これをこけおどしととったフェーリアは、痛烈な一撃をアビナに浴びせる。それはガードした彼女の両腕の骨に、ヒビを入れる程の一撃。
けれど、だからこそフェーリアは気付く。未だに、アビナの目が死んでいない事に。こうまでダメージが蓄積していながら、アビナの気迫は衰えない。既に息を切らしているのも本当だし、パワーで劣っているのも間違いない。ならば――なぜそんな目で彼女は自分を見る事が出来るのか? フェーリアがそう感じた時、彼女は決断した。
(やはり、彼女は何か危険。ならばせめて――我が必殺を以て屠るに値する存在と認めましょう)
「く……ッ?」
この気配を感じ取ったアビナが、フェーリア目がけて拳銃の弾を乱射する。その全てを撃ち落としながら、フェーリアはアビナへと接近する。何の為に? そんな事は、決まっていた。
(能力戦に持ち込むつもり! それ程までに、フェーリアは自分の『能力』に自信がある!)
ならば、何としても彼女を近づけてはならない。アビナはそう直感するが、次の瞬間、アビナとフェーリアの目は合う。
『能力』とは、意識が無い相手になら無条件で発動する。だが現在のアビナの立場は違う。彼女は今、フェーリアから目を逸らせば、致命的な一撃を受けかねない。そう判断するが故に、アビナはフェーリアから視線を切る訳にはいかず、だからソレは発動した。
フェーリアとアビナの体が――亜空間に飛ばされる。ソレはこの両者以外、誰も居ない空間だ。
次の瞬間――アビナはフェーリア・ハスナの『能力』を思い知った。
(な、にっ? ただ後ろに下がっただけで、息が切れるッ? 体力が、異常に消費されていくっ?)
それも、当然か。フェーリアの『能力』とは、『被術者に一動作行うだけで十万倍もの体力を消費させる』事。術者であるフェーリアは十倍程だが、これは決定的な差と言えた。現にフェーリアの拳はアビナの顎にヒットし、それだけで遂にアビナは片膝をつく。
いや、そう言った動作を行うだけで、彼女の体力は底をつこうとしていた。
(ええ、そう。今までは私の攻撃をある程度薄める事で、防御出来ていたのでしょう? でも今はそれさえ出来ない。エネルギーを使い果たしたあなたには、もうこの攻撃を止める事さえ不可能よ)
加えて、またもフェーリアの天性が発揮される。
師である大帝さえも持ち得ないその特性を、彼女はいま披露した。
フェーリア・ハスナとは――二つの『能力』を持つ突然変異種だ。
彼女は『体力の激減』の他に、『全ての力を一点に集中』する『能力』を有する。
この爆発的に高まった拳を、フェーリアは万感の思いと共に撃ち放つ―――。
「そうね。割と楽しめたわ――アビナ・ズゥ!」
例えアビナが〝薄める力〟を発動しても、その時点で力尽きる。
そう計算して――いま止めの一撃がアビナ・ズゥへと迫る。
が、この瞬く間より遥かに短い刹那、フェーリアは確かに耳にした。
「……そう。やはり、勝てない、か。これ以上、薄めていては……」
(何?)
「……いえ、そもそも薄めるという行為を行っている時点で、体力は低下するばかり。なら、私がするべき事は一つでしょう……」
(まさ、か?)
この世迷言とも言える言葉を聴きながら、それでもフェーリアは直感した。アビナが薄めていたのは、物質やエネルギーだけでないと。
(まさか、そういう事――?)
確かにアビナは、マックスパワー以上にパワーを上げる術を知らない。だが、仮に今のアビナがマックスパワーでは無いとしたら? アビナが薄めていたのは、自分以外の物体だけでは無かったとしたらどうなる?
フェーリアはただ驚愕しながら、その現実を看破する。
「嘘、でしょ? まさかあなたは――自分自身の存在さえも薄めていたっ?」
途端、立ち上がったアビナから、凄まじい力が流出される。それは比喩なくこの星全ての物体を消し飛ばすに値する物だった。それも、当然か。
アビナ・ズゥとは――凡そ七十億分の一にまで自分の体を薄めてきた存在なのだから。
即ち――今のアビナのパワーは先ほどの七十億倍という事。
それ故、自身の体を標準状態にしただけで、彼女は悪夢の様なエネルギーを発する。
この喜劇にフェーリア・ハスナは愕然とし、ただこう告げた。
「これは……師に匹敵するッ? そんな、バカな。あんな怪物が、もう一人居たなんて――」
同時にアビナが、フェーリアの頭を指で弾く。
たった、ソレだけ。
ソレだけの事で、フェーリア・ハスナの意識は完全に途切れていた―――。
◇
「ええ。私も意外と楽しめましたよ――フェーリア・ハスナ」
アビナとフェーリアが、現実世界に戻ってくる。直後、アビナは今まで同様体を薄め、力をセーブした。フェーリアが目を覚ましたのは、その時だ。
「……あなた、はっ」
が、未だに彼女は呂律が回らない。身も起こせず、ロクに喋る事さえ出来ぬままアビナを睨めつける。そんなフェーリアから、アビナは視線を切った。
彼女は天を見つめ、まるで何者かがやって来るのを待っている様な所作を見せる。
その反面、未だに何の変化も起きず、アビナは眉根を歪めた。
(フェーリアを倒しても……彼女は動かない? それだけでは、条件不足だと……?)
そう判断したアビナは、シェルターの出入り口に向かい、こう告げる。
「もう大丈夫です、ヨシュア。概ね片付いたので、君もこっちに来て」
地下のシェルターに向け、アビナが呼びかける。それを聴き、今まで生きた心地がしなかったヨシュアは、安堵の溜息を漏らす。
アビナの要求に応え、彼は梯子を上り始めて、直ぐに地上へとやって来た。
「……いや、本当に無事で良かった、アビナ。でも何かこの世の物とは思えない破壊音が連発していたけど、アレは何? というか、明らかに周囲の地形変わってない? それに、アソコに倒れているのってフェーリアだよね? あれも、アビナがやったの……?」
「相変わらず、君は質問が多いですね。偶には、自分の頭で考える事をおすすめします」
しれっとした表情で、アビナはヨシュアを見た。
ヨシュアはならばとばかりに、想像力を巡らせる。
「えっと、つまりこの有様は皆アビナとフェーリアが戦った余波って事? で、君は見事に軍隊とフェーリアを倒したと? ……だとしたら、驚きだ。人間離れしているにも程がある。けど、やっぱりアビナは凄いなー。僕なんて軍隊が出てきた時点で、全て終わったと思っていたんだから。それを一人でやっつけちゃうんだから、やっぱり君はとんでもないよ」
半ば呆然としながら、ヨシュアは荒れ果てた周囲を見渡す。アビナは、普通に返答した。
「君の方こそ、よく私の言いつけを守りましたね。正直、君の事だから戦闘が始まればまた邪魔をしてくると思ったのですが?」
「あー、確かに何度もアビナの無事を確かめようと思った。でも、僕は君に呼ばれない限り絶対に待機って約束したからね。それを反故にすれば、僕は今度こそ君の信頼を失う。そう思って必死に我慢したんだよ。でもその反面、後一分アノ状態が続いたら、様子を見に行っていたかもしれない」
「成る程。君にしては上出来です。そうならなかっただけでも、よしとしましょう。ですが、少し計算が狂いました。私としてはフェーリアさえ倒せば彼女が現れると思ったのですが、今の所その兆候はない。このままでは、私も最後の手段を使わざるを得ないかも」
「ん? ちょい待ち。アビナは、さっきも似た様な事を言っていたよね? フェーリアが、エサになるとかなんとか。いや、そもそも彼女って誰さ? やっぱりアビナは、その人に大事な用があるって事? それが――〝鬼ごっこ〟をクリヤーするのに必要な事なの?」
アビナの答えは、釈然としない物だった。
「ある意味では。でも、それもここまでみたい。故に良く聴いて下さい、ヨシュア。先ほども言いましたが――私は大嘘つきです」
「はい? 確かにそんな事、言っていたね。……と、言われてみればそうかも。君、初めて会った時は、身内は居ないって言っていたのにお姉さんが居るんだから」
「ええ。それも噓の一つ。いえ、それ以前もそれ以後も、全てが嘘だと言っても過言じゃないかも」
「……全てが、嘘? ごめん。一寸意味がわからない」
本心から、ヨシュアは疑問を投げかける。アビナは、更に良くわからない事を口にする。
「私がその事に気付いたのは、何時か? 実は、君と会って暫くたった頃です。あの時、私は一つ試してみる事にしたから。その人物が本当にこのゲームの巻き添えになった、被害者なのか否かを。私はその為に、一つその枠をとっておいたんです。どうやら彼女も、その事は計算に入れていなかった様ですね。貴重なその枠を、無害そうな一般人に使うとは彼女も考えていなかった」
「……はぁ。それって僕と知り合う前に、アビナはその一般人と出会っていたって事?」
が、アビナの不可解な説明は続く。
「ヨシュアも知っていますよね? 私達は『能力』が標的にバレた時点で、生涯その人物には『能力』が使えなくなると。その代り二十四時間経てばその人物に対しては別の『能力』が使える様になる。その人物限定の『能力』を、私達は手にする訳です。そして自ら能力を打ち明けるなら、その人数は最大五十人にも及ぶ」
「だね。お蔭でアビナは、今そう言った縛りはある物の五十に及ぶ『能力』を有している。もしかしてフェーリアを倒せたのは、その『能力』のお蔭とか?」
内心首を傾げながら、それでもヨシュアはアビナに話を合わせる。
彼女は微笑みながら、ヨシュアを見た。
「いえ、その必要も、そう言った余裕もありませんでした。寧ろフェーリアは自滅に近いのかも。ま、その辺りは追々語るとして、話を戻しましょう。あの時、私は実の所四十九人にしか自分の『能力』を開示していなかったんです。四十九人に及ぶ有力な〝鬼〟に対し私は己の『能力』を公開した。『タクワンを、音を発てずに食べる』という『能力』を披露しました。携帯を通じて一斉送信されたこの映像は、無事四十九人全員が視聴し全ては計画通り進んだ。でもなぜ最大人数である五十人では無く、四十九人だったかヨシュアはわかりますか?」
「……えっと。それはもしかして、万が一の為にストックを残しておきたかったから?」
ヨシュアの発想は、至極自然な物だ。仮にこの先〝鬼ごっこ〟が続けば、強力な力を持った敵に遭遇するかもしれない。そのとき五十に及ぶストック全てを使い切っていたら、その敵には『タクワン』の『能力』しか使えない。
それを避ける手段は、ただ一つ。ストックを使い切らずに温存して、いざとなったらその敵に『能力』を教え、別の『能力』を得る事のみ。
これなら、その未知の敵にも対応が可能だろう。
ヨシュアがそう説明すると、アビナは頷く。
「はい。君が言う事は尤もです。普通ならそう考えるでしょう。でも私は違ったんです。少し深読みし過ぎるほど私は考えてみたから。果たして彼女は全く罪もない人間を〝子〟に仕立てたか? 私が身代わりにならなければその人物が今年の〝子〟となり命を狙われる。そう言った事態になりかねないのに、彼女はその人物を〝子〟に据える? 今まで極刑に値する未成年しか〝子〟に据えなかった彼女が? そう考えた時、私は今年の〝子〟を徹底的に調査しました。ハッカーを雇って身元を洗い、結果やはり彼は平凡な少年だったと私は知る事になった」
「だね。確かに僕は、そこら辺に居る学生と変わらない。でも、それが何?」
やはり釈然としないままヨシュアは、首を傾げる。
アビナは、先刻のヨシュアの様に微笑む。いや、その笑みはどこか寂しげだった。
「そうですね。君はただばかなだけの、普通の学生です。私の事は何一つ知らなかった学徒に過ぎない。でも、だからこそ、そんな無害な君に私は確かめるしかなかった。私は君に言いましたよね? 私の『能力』は――『タクワンを、音を発てずに食べられる事』だと」
アビナのその表情を見て――ヨシュアは初めて戦慄する。
彼女が何を言いたいのか漸く気づき――まさかと息を呑んだ。
「――待て。待って、くれ」
「ええ。アレは一種の試験です。私は自分の『能力』を君に打ち明け、試してみた。〝果たしてそれで私の『能力』は五十に至るのか?〟と。ですが、結果は君にとって残念な物でした。アレから二十四時間経っても――結局私の『能力』は四十九個のままだった」
「……ああ、ああ、あああ、ああ」
「そう。それはつまり、君は予め私の能力を知っていた事になる。なら、それは一体どこで? 君はどこで私の『能力』を知った? 考えられる可能性は、一つ。君は私が事前に送りつけた動画を見る事で私の『能力』を知ったんです。あの四十九人の中には――君も混じっていた」
「……待って。頼むから、待って、くれ……アビナ」
今にも泣き出しそうな顔で、ヨシュアが告げる。アビナは、静かに首を横に振る。
「でも、君はその事を知らなかった。仮に知っていたら、私が『能力』を打ち明けた時点で私の前から姿を消しただろうから。なら、答えは一つしかないでしょう。私が思いつく限り、一つだけ一対一なら、無敵でいられる『能力』があるんです。周囲の人々がその異変に気付けばもうその『能力』は使えなくなる。でも、その標的を周りの人達から遠ざけたら? 全く違う環境に送り込んだらどうなると思いますか? その人物や周囲の人達の『記憶を改竄』して――私の接触を待っていたとしたら?」
「……だから、待ってくれって、言っているの、に……っ!」
「でも、それでも、私は彼が彼女である確証は無かった。その側近である可能性も、大いにあった。だから、私は様子を見る事にしたんです。暫く彼と行動を共にし、記憶を戻す糸口を見つけようとした。彼と接する度に、嘘をつき続けながら。その一つが、フェーリア・ハスナを倒す事。自分の弟子である彼女を倒せば何か動きがあると思ったのですが、どうやら違ったみたい。と、そうですね、それともう一つだけ。彼が女性である事に気付いたのは、彼を抱きよせ大気圏を突入した時です。感覚的な意見で恐縮ですが、あの匂いはどう考えても男性の体臭とは思えなかった」
「……アビナ。……アビナ。……アビナ。……アビナ。……アビナ。……アビ、ナ」
何度も、自分の名を呼ぶ彼。そんな彼に――彼女は手にした銃を突きつける。
〝だから、僕は君を好きでい続けようと思う〟
「信じてもらえないかもしれませんが、正直、憂鬱です。こんな賭けに出なければならない事に関しては。本心を言えば、君と旅をするのは楽しかった。あんなに他人から求められたのは家族以来だったから。例えそれが、『能力』によって仕組まれた物だとしても。君の私に対する愛情が全て『記憶の改竄』による物でも、本当は嬉しかった。君とバカな話をして、じゃれあって。きっと私は……君以上の大ばか者には二度と出逢えないのでしょうね――」
〝僕が僕で無くなるその日まで、この感情を受け入れなくちゃならない〟
「アビ、ナ。そうだ。僕は……君が好きだ。その想いは、生涯、変わらない。それは決して捏造された物なんかじゃない。僕は君が大好きなだけの――ヨシュア・ミッチェだぁあああ―――っ!」
〝じゃないと、本当に人間は悲しい生き物になってしまうと思うから〟
「……はい。本当にそうですね――ヨシュア」
それが、彼と彼女の最後のやり取り。
ヨシュアは涙しながらそう告げ――アビナは心から頷きながら引き金を引く。
弾丸は瞬く間にヨシュアへと届き――そして全ては終わった。
「成る程――やる物だ。フェーリアが敗れたのも――肯ける」
「……やはり、命の危険に晒されるのが『記憶の改竄』を解く条件」
あろう事か、彼は、いや、女性の姿になった彼女は、次の瞬間黒いコート姿に変わる。
更に、彼女は事もなくアビナが放った弾丸を指で受け止めた。
「そうだね。ここは〝はじめまして〟と言うべきかな――アビナ・ズゥ?」
それを見て、アビナは一度だけ奥歯を噛み締めた後――こう口にする。
「ええ。仮面の大帝――ヨハン・イミファルド。漸く、お会いできましたね」
この光景を見て――フェーリア・ハスナは完全に言葉を失った。
◇
「……ヨシュア・ミッチェが、大帝陛下……? まさ、か?」
愕然とするフェーリアに、アビナは答える。
「はい。きっと弟子であるあなたでさえ、彼女の素顔は知らなかったのでしょう。彼女は何時か私と言う存在が立ちふさがると予感していたから。その為、表舞台にたった頃から仮面で顔を覆い、決して素顔を見せようとしなかった。仮にあの『能力』の事さえ無ければ、私でもヨシュアが大帝だとは気付かなかった筈。それ程までに彼と言う存在は完璧でした。ただ一つ、私に惹かれていたというありえない話を除いては」
そこで、ヨシュア……いや、ヨハン・イミファルドは微笑み、女性の声で言葉を紡ぐ。
「かもね。私が『記憶の改竄』を受けた時、刷り込まれたのが、私の身代わりを名乗り出た人物に興味を持つ事。その人物に、好意を抱く事だった。全てはその人物と行動を共にし、どんな為人かを知るため。お蔭で私は――君の事なら大体の事はわかっているつもりだよアビナ」
だが、女性の体になったヨハンは、直ぐに笑みを消す。
「けど、だからこそ、私は君と事を構えたくない。君はどうやら自分を過小評価しているらしいが、ヨシュアが言っていた事は事実だ。彼は君を愛し、そしてその感情はどうやら私にも影響しているらしい。あり体に言えば――私は君を非常に好ましく思っている」
それでもアビナは、怪訝な顔を見せた。
「意味がわかりませんね。まさかそれは、私を籠絡させる為の甘言ですか? だとしたら稚拙としか言いようがない」
「ほう? それは何故? 君が嫌っているのは、その容姿かい? それとも自分の性格? 己の事を非情な人間だと必死に思いこもうとしている、その不器用な自分が厭なのかな?」
「………」
アビナが、言葉につまる。ヨハンは、構わず続けた。
「別に驚く事では無いよ。言っただろう? 君の事は、大体把握したと。もし容姿が気に食わないなら、そもそもファッションなど気にしない。あのスーツをダサいから着たくない等とは口にしないだろう? なら、答えは後者という事になる。君は――容姿以外の自分の全てを嫌っているんだ。それが一体何故なのかは、私にもわからないけど」
そう語りながら、ヨハンの赤い髪は勝手に三つ編みになってゆく。コートの黒が彼女の赤い髪を一層引き立て、初めて師の素顔を見たフェーリアは息を呑む。
「……待って下さい。では陛下が〝鬼ごっこ〟を開催した理由は……全て彼女にある?」
「そうだね。あの師なら、直接関与はしない。間違いなくこの星の住人を使い、私の邪魔をしてくると思った。〝鬼ごっこ〟とはつまり、その邪魔者を誘き出す為だけに催された悪趣味なゲームだよ。現にアビナ・ズゥは私の前に現れただろ? 今年あたりそうなるのではと期待してこのプロジェクトは始まったんだ。アビナが言っていた通り私は部下に自分の記憶を改竄させ、彼女の到来を待った。尤も、あの段階で正体を疑われるとは思いもしなかったけど。やはり君はあの師に見出されただけの事はある。それで、飽くまで君の目的は変わらないのかな、アビナ?」
「そうですね。私が師から〝力〟を得る条件は、あなたが約束を破った時、あなたを排除する事。二年経っても帝位から退かなかった場合、私はあなたを討たなければならない。あなたが私を誘き出す為に〝鬼ごっこ〟を主催したのだとしたら、私の答えは一つ。私は今も帝位にしがみつく――あなたを打倒する。ただそれだけです」
獅子を彷彿とさせる少女が、改めて黒いコートの少女に銃を突きつける。
その様を見て、ヨハンという娘は苦笑いした。
「――そうか。だとしたら、私もするべき事は一つだね」
ヨハンが、構えをとる。それは正に、臨戦態勢その物だ。
アビナもそれに応える様に、精神を研ぎ澄ます。そして次の瞬間――それは起こった。
「は――っ?」
「……なッ?」
中空へと飛ぶ、彼女。
あろう事かバカげた事に――大帝ヨハン・イミファルドはこの場から逃げ出したのだ。
◇
瞬く間に、アビナ達の前から居なくなるヨハン。それを見て、アビナは唖然とする。
(……まさか、本当に逃げた? 私と戦いたくないから? ただそれだけの理由で、彼女は何れ出さなければならない結論を先延ばしにしたと……? だとしたら、正にヨシュアに匹敵する大ばか者です!)
けれどアビナは直ぐに我に返り、ヨハンを追う。ここに〝鬼〟と〝子〟は逆転し、今度はアビナが〝鬼〟となってヨハンを追跡したのだ。
しかし両者の距離は縮まらず、追走劇を繰り広げるだけで一日以上が過ぎる。アビナは後役二十四時間逃げ延びれば――〝鬼ごっこ〟をクリヤーできる段階まで来ていた。
6
その頃――大帝ヨハンは東の大陸の空を飛行していた。光にも匹敵する速度で空を駆け、アビナの追跡を振り切ろうとする。あのアビナが途中で任務を放棄する事など無いと、心底から理解しながらも。
(だな。彼女は飽くまで、私を倒すつもり。仮に師との契約に彼女の姉が絡んでいるなら尚の事アビナは私を見逃す気はない)
なら、逃げてどうするという話だが、ヨハンは逃亡し続ける。〝鬼〟の頭目である筈の彼女の立場は今、完全に〝子〟にすり替わっていた。
逆にアビナは〝鬼〟となって猛追してくるが、そこで彼女は己の失策を痛感する。
(……しまった。こんな事なら、フェーリアを人質にするべきだった。彼女の命を引き合いにだせば、或いは……?)
だが、その可能性に関しては、既にとうのフェーリアも気付いている筈。大帝の足を引っ張らない様、彼女はあの場から姿を消しているだろう。アレから一日以上たった今では、もうその手は使えない。
(それとも、そんな事にも気付かない程、私はヨシュアの事を気にしているとでも言うの?)
更に、アビナは逃げる手段は用意してきたが、追う側のノンハウは欠落している。これが要因となって、彼女は中々ヨハンを捕捉できない。時間ばかりが無駄に過ぎてゆき、アビナは苛立ちの余り目を怒らせた。
(が、このまま逃げていても、無意味なのは確か。私は後一日かけ、何としてもアビナを説得しなければならない。それが今も私の中で息づく――ヨシュア・ミッチェの遺志だから)
ヨシュアの、遺志。アビナに恋していた、あの少年。
確かにそれは記憶の改竄が要因となった、偽りの感情だろう。けれど、アビナと接していく内に、この想いがより強くなったのも事実なのだ。
ヨシュアは最後まで、いやいやアビナに付き合った訳では無い。彼は本気で彼女の助けになりたかった。例えその命を懸けようとも、アビナが最後まで笑顔でいられるならそれでよかったのだ。
それは今もヨシュアの感情を内包している、ヨハンが一番知っている。
だからこそ、今はまだアビナとは戦えない。せめて彼女ともう一度話し合うまでは、全てを先延ばしにする。
その為にも、今は何とかアビナの体力を少しでも消耗させる。冷静に会話が出来る位、彼女の頭を冷やさせるのがヨハンの狙いだ。
(が、やはり望み薄か。私同様彼女の力も全く衰える兆行がない。さて、どうした物か?)
既に惑星ニーファを何周しただろうと考えながら、ヨハンは思惑を巡らせる。その度に何度も己の策を廃案とし、アビナと対峙するシミュレーションを繰り返す。
その最中――彼女の記憶は遥か過去へと逆行した。
今から七年前、彼女の村は貧困の極地にあった。不作が長年続き、彼女の村だけでなく国全体が食糧難に陥った。母や父、弟や妹達は皆揃ってお腹をすかせ、それでも機械の様に働き続ける。いや、どんなに飢餓に苦しもうと、働かなければ、その時点で待っているのは死だ。
炎天下の中、彼女の家族は畑を耕し、稲を植え、何とか食を繋ごうとする。遂に弟が栄養失調で倒れ、ひもじいと泣きながらこの世を去っても、それは変わる事が無かった。
弟は、ただ腹一杯食事がとりたかっただけ。生まれてから一度も体験した事が無い、満腹という感覚を知りたかったに過ぎない。それだけで、彼はきっと心から幸せだっただろう。
たったそれだけの、ささやかな幸福さえ知らず、弟は息絶えた。
ただ一つ、ありえない事を言い残して。
〝……ああ。おれが、しんだら、とうちゃんや、かあちゃんや、ねえちゃんや、るーじーたちは、おれをたべてくれ。おれみたいなちっちゃながきでも、すこしは、はらのたしになるはずだから。おれ、いちどでいいから、みんなが、はらいっぱいになって、まんぞくになるかおがみてみたかったんだ。おれはあのよでみんなのそんなかおをみられれば、きっとしあわせになれるとおもうから……おねがいだよ〟
涙しながらも、笑顔で彼はそう告げた。それが冗談では無い事は、家族の誰もがわかっていた。
この時ほど、彼女は自分の無力さを知った時はない。この時ほど、他人の事を哀れだと思った事は無い。
しかも最悪な事に、彼女がその感情を向けていたのは、紛れもなく自分の家族だった。きっとそれは、この世で一番大切に思わなければならない人達だ。
そう痛感した時、彼女は生まれて初めて涙した。弟の遺言通り、彼女達は、弟の体を食するしかないほど追い詰められていたから。家族全員で、涙しながら弟の体を食べていく。それがどれほど酷い事なのか、家族の誰もが理解していた。
だが、彼女が真にこの世の不条理を知ったのは、その数日後の事。自国の首都より監察官が視察に訪れた時だ。黒塗りの車に乗り、やって来た彼の体型を見て、彼女は愕然とする。その人物が小太りだったのを見て、彼女はその意味がわからなかった。
骨と皮しか残らず死んでいった弟と、何故か小太りな彼。今も村の住人の痩せ細った体など気にせず、彼は淡々と視察を続ける。
なら、その違いは何だ? 彼はなぜアレほど幸せそうに人生を謳歌し、自分達は弟を食べてまで命を繋いでいる? 同じ人間である筈なのに、この差は一体何なのか? 彼女の頭の中は直ぐにその疑問で一杯になり、気付けば彼女は彼に訪ねていた。
〝……ねえ、監察官様は、何でそんなに肥えているの? この国のどこに、そんな食料が?〟
彼は彼女を払いのけようとするSPを制止させ、笑顔で平然と答える。
〝お嬢ちゃん――この世には運が良い人間と悪い人間しかいないんだ。その論理で言えば――私は至極運が良い人間だったという事だね〟
後に、彼女は知る。実の所この国の食糧難は他国に知れ渡っていて、とうの昔に援助物資が送られていた事を。だが、その援助物資が行きついた先は自分達のもとでは無く、政治家や軍人のもとだった。彼女達のもとには米一粒も贈られる事は無く、だから、弟は死んだ。
それが、この国の本質。国民を飢えさせない事こそ、政治家の第一条件の筈。それさえ出来ず自分達ばかり援助物資を貪り尽くす彼等を知り、彼女は呆然とする。人事によっては救えた弟の命を、彼等はけっきょく救おうとはしなかった。
〝……でも、そうだな。さいごに、わがままを、いわせてもらえば、おれも、はらいっぱいめしを、くってみたかった……〟
だと言うのに、彼は今、何と言った? 自分達の失策を、全て運にすり替えた? 運という要素に全てを押し付け、自分達は無罪だとそう語ったのか?
弟の最期の笑顔を脳裏で浮かべながら、彼女は眩暈さえ覚える。初めて彼女は他人と言う物を心から憎み、それでも何もできない自分を思い知る。
今自分が監察官に手を上げれば、きっと家族全員に累が及ぶから。彼女はただ地面を見つめながら、何も言う事が出来なかった。
そして、地獄は尚も続く。今度は末の妹が倒れ、彼女もまた弟と同じ事を言い始めたのだ。
〝……うん。にいちゃんは、きっと、しあわせだったよ。だって、にいちゃん、おいしかったもの。わたし、にいちゃんをたべるのなんて、ほんとに、いやだったけど、それでもほんとうは、にいちゃんは、おいしかったんだ。だから、こんどは、みんなが、わたしをたべて、しあわせになって。わたしににいちゃんとおなじきもちを、あじあわせて〟
その時点で、彼女の精神は限界だった。弟を食し、今度は妹まで? そんな事は、もう考えたくも無い。そんな事は、もう絶対したくない。
なのに、彼女達家族に残された選択肢は一つしかなかった。弟の次は、妹を彼女は食らい、こみ上げる吐き気を懸命に堪えながら、嚥下を繰り返す。妹の肉を家族で平らげ、その時点で彼女の何かは狂っていた。
だから、彼女があの悪魔と契約したのは、きっとその所為。
〝フム。わたくしの星にも似た様な状態の国がありますが、それはこの星でも変わらない様です。何時の世も、わたくしの劣化品の様な真似をする為政者は居るものですね〟
監察官の生首を両手で掴み、その少女はひとりごちる。
まるで胴が無い彼に語りかける様に、少女は微笑み続けた。
〝でも、だからこそきっと貴女は良いサンプルになる。貴女、そのやるせなさを、その無力感を武器に変え――この星の皇になってはみませんか? その為の協力なら――わたくしも惜しみませんから〟
一目見て、わかった。アレは決して、関わってはならない類の物である。自分達に災いを呼び込むだけの存在だ。
けど、と彼女は思う。けど、今以上の災いが果たしてある? 弟を、妹を食さなければ生きる事さえ出来ない自分に、これ以上の災いがあるというのか?
そう思った時、彼女はもう一度だけ弟と妹が最期に浮かべた笑顔を思い出す。それから彼女は、その笑顔を永遠に忘れる事にした。
悪魔に魂を売り渡そうとしている自分には、あの笑顔は、本当にまぶしすぎたから。もう自分には彼等の姉だと名乗る資格さえ、きっと無い。
そうして、彼女もまた人では無くなったのだ―――。
〝ですが、その帝位に就くのは二年間だけ、という事にして下さい。わたくしとしては、それで十分データが取れるので。逆にそれ以上になると、或いはこの星の為にならないかも。ま、どちらにせよ、全ては貴女の政治手腕によるのですが〟
悪魔が、愉快そうに語る。初めは彼女も少女に従うつもりだったが、直ぐに気が変わった。その理由は、語るまでも無いだろう。
現に、彼女は少女との約束を反故にし、今も大帝であり続けている。あの少女が刺客を送り込んできたが、それも予定調和に過ぎない。
ただ一つ、彼女にとって誤算だったのは、その刺客が好意に値する人物だった事。自分と同じ様に家族を愛し、他人の命も慮って、胸を張って生きている。
そんなあの娘が、ヨシュアは本当に好きだった。彼と精神を同調させている彼女も、決して嫌いでは無かった。これは、それ故の逃亡劇だ。
或いはこの構図こそ――今年の〝鬼ごっこ〟の本当の姿なのかもしれない。
(なら、試してみるか)
ヨハンがルートを変え、某所を目指す。彼女は携帯を取り出し、部下と連絡を取る。ヨハンはある地点まで到達した時、部下に合図を送った。
「そう、今だ。全軍――一斉掃射を開始」
「な、に?」
それは正に、絶妙のタイミングだった。ヨハンの背後から追撃してくるアビナは、地上から対空砲火を浴びせられる。
その時点でアビナの動きは止まるが、彼女も黙ってはいない。地上からの攻撃を撥ね退け、逆に銃弾を放つ。
特筆すべき点は、そう言った状況にあって尚、アビナは人命を奪わなかった事だろう。爆撃じみた銃弾の乱射を行い、人々を吹き飛ばしながらも、アビナは誰も殺めない。
それを見て、ヨハンはやはりと感じた。それゆえ彼女は動きを止め、部下に攻撃の中止を命じ、アビナのもとにやって来る。ヨハンはその体のまま、真顔で告げた。
「そうか。君の標的は飽くまで私だけなんだね? それ以外の命を、君は奪うつもりがない。なら、そんな君ならわかる筈だ。真に力ある物がこの星の頂点に立った時こそ、全ては一新されると。人ならざる者がこの世の頂となれば、今まで不可能だった事も可能となる。私の願いはただそれだけの事なんだ」
一方、十メートル先に居るアビナは、怪訝な表情を見せる。
「まさかこの世から戦争や貧困を根絶させるとでも言うんですか、あなたは? 師から何も聞いていないの? 人間は決してそう言った完成を見る事は無い生き物だと? いえ、ヨシュアの記憶が今も残っているなら、あなたも知っている筈です。人間は誰かを愛する限り、誰かを憎むしかないと。そう言った感情に踊らされるしかない人間は、だから決して一つにだけはまとまらない。だって、全ての人間が全ての人間を愛する事だけは絶対に無いんだから。何れあなたの治世は何処かで破綻し、その支配圏が大きければ大きいほどその被害も増す。想像を絶する大破壊を招こうとしているのかもしれないんですよ、あなたは?」
が、ヨハンは平然と応じた。
「それこそ、仮定の話だ。全ては机上の空論にすぎず、実際はやってみなければわからない。私はね、アビナ、もう何も行動せずに諦める事だけはしたくないんだ。他人が何を言おうとも今は自分が信じる道を貫き通す。でなければ、あの二人は余りに報われない。私が何もしなかった所為で命を失った、あの二人に顔むけが出来ないんだ」
彼女の話を聴き、アビナはもしやと息を呑む。
「……あの二人? そう。あなたもやはりそう言った心の弱みを師に付け込まれたの?」
「ああ、そうだよ。私は幼くして飢餓で死んだ弟と妹を食べ、命を繋いだ。言わば今の私があるのは、あの二人の死があったからこそだ。皮肉な事に、あの二人が先に死ななければ私が死んでいただろう。そう理解した時、私は多分気が狂ったんだ。とうの昔に私は正気じゃない。でなければ、辻褄が合わないだろ? こうして今ものうのうと生き残っている私は、どう考えてもおかしいのだから。アレほどの凶行に及びながら、平然としているこの私は異常なんだ」
「……弟と、妹を、食べた……?」
何だ、それはと、アビナは愕然とする。
果たして自分が彼女の立場なら、同じ事が出来たかと自問する。
その答えは、当然の様にノーだ。
この自分に、あの姉を食する事など決して出来まい。
「……そう。あなたも、相応の地獄を見てきたのですね。だとしたら、あなたは確かに狂っているのかもしれない……」
「かもね。でも、だからこそ、私は世界を手放すのが惜しくなった。この体制下なら、戦争も貧困もなくせるかもしれない。もう弟や妹の様な目に、誰も合わせたくない。私の動機は本当に単純で、ただそれだけなんだ。きっと底辺にいる人々なら一度は願った想いだろう。いや、違うな。彼等の、私達の願いはもっとわかりやすい物だった。私達はさ、ただ腹一杯食事をさせてもらえれば、それで良かったんだよ。本当に――ただそれだけなんだ」
「…………」
「けど、旧体制下ではそれさえ儘ならない。貧富の差は確実に存在し、この格差は天と地ほどの違いと言える。ヨシュア・ミッチェだった私が、唯一彼を憎んだ要素がそれだ。ヨシュアは三食きまって食事をとれる自分に、何の疑問も抱いていなかった。そう言った傲慢な人間こそが――私にとっての最大の敵だというのにね」
しかし、アビナは奥歯を強く噛み締めながら、首を横に振る。
「……いえ、違います。あなたがご姉弟を愛し、それ以外の裕福な人々を憎む限り、あなたの願いは叶いません」
「かもね」
ヨハンが、泰然としながら頷く。
但し――アビナの次の言葉を聴いた瞬間、全ては一変した。
「ですが、あなたは漸く私の予定通り動いてくれました。中央政府から軍の主力を動かし、私を少しでも消耗させようとした。そのお蔭で、いま首都の戦力はかなり軽減されている筈。私もこれで漸く、彼等との約束を果たせそうです」
「彼等との約束? ――まさか、それは?」
ヨハンが、笑みを消す。アビナも、無表情で続けた。
「はい。二日前、私達が宇宙から帰ってきた時の話です。まだヨシュアだったあなたが気絶している間に、私はレジスタンスとパイプを繋ぎました。私が大帝を打破するので、その間に首都を制圧する様に決起せよと。いえ、実にお見事でしたね。まさかあのレジスタンスのリーダーが、反乱分子を効率よく集める為のスパイだったとは。あなたは彼女から常に反乱軍の情報を得て、レジスタンスに対応してきた。これは、私が彼女のパソコンをハッキングした事で判明した事実。そうカマをかけると、彼女は一見平静を保っていましたが、副官はそうではなかった。予てから内通者がいると疑っていた彼は、彼女に疑念を抱いた。結果、彼女は幽閉され今は副官である青年がレジスタンスの指揮を執っている。今頃、首都では反乱が起き、内乱状態になろうとしているでしょう。これこそが――私の最後の策」
「………」
もしそうなれば、ヨハンは首都を取り戻す為、また武力を行使しなければならない。この星を制圧した時の様に。或いは死者が出る程の戦闘になるかもしれないと、彼女は計算する。
「成る程。そこまでして、君は私に敵意を抱かせたい訳だ。他ならぬ、君に対しての敵意を。ヨシュアの最期の想いさえ無視して――飽くまで君はあの師に従う気か?」
が、アビナが答えない。アビナはただヨハンを見つめ、その動向を観察する。
ヨハンは一度だけ視線を逸らした後、予定通り動く事にした。
「そうだね。確かに、私も師には感謝している。世界を征服するだけの〝力〟を提供されたんだ。感謝しない訳がない。けど、推測するに師の君に対するやり様は、私に対する扱いと同じなのでは? 幼い君に都合が良い事を言い含め、今の様に操ってきたんだから。現に、師ならば君の姉さんを救う事も出来たのでは? だというのに、君の言動から察する限り、師は君の姉を救ってはいない。今も放置し、こうして君を傀儡としている。そんな彼女に従う理由が、君のどこにある? それとも、私さえ倒せばお姉さんを救うとでも約束した? いや、それは無いな。彼女は基本〝力〟を与える事でしか、この星の住人と関わろうとしないから。例え私を倒そうとも、君はそれで得られる物は何も無い。けど、仮に私だったら――お姉さんを救えると言ったらどうする?」
「……な、に?」
初めて、アビナの表情が変わる。
意外でも何でもないその提案は、けれどアビナの宿願でもあったから。
「……あなた、姉が今どんな状態なのか知りもしないのに、そんな事を言いだすの? それは私にとっては、ただの宣戦布告に等しい事よ……?」
「確かに。けれど、大体の予想はつく。君はさっき、私に〝あなたも相応の地獄を見た〟と言った。それは君達もまた、地獄を知っているという意味合いの言葉だ。その所為で、君のお姉さんは、私以上に正気を失っているのでは? 何を語りかけても、無反応という状態にあるのではないかな? だとしたら、話は早い。私は自分がこれ以上狂わない様、自制する術を知っている。それを君のお姉さんに施術すれば、或いは状況が変わるかもしれない。それでも君は私と戦うつもり? 私と言う唯一の希望を――あの師の為に抹殺すると?」
「…………」
唯一の、希望。それはその通りかもしれない。アビナの〝力〟では、姉を救う事は出来なかったから。それを試す前に、師に忠告されたのだ。アビナの力で姉の自我を強めれば姉が記憶しているトラウマも増幅されると。そうなれば彼女の精神は崩壊し、ショック死しかねない。この可能性を提示された時点で、アビナは打つ手を失くしている。
だが、仮に大帝が言っている事が事実なら? もし彼女に姉を救う〝力〟があるなら、どうなる? あの師を裏切ってでも、自分はその可能性に懸けるべきか?
いや、そもそもその前提その物が間違っている。
何故ならアビナは、あの師の言いつけ通り動いている訳ではないから。
「そうですね。確かに師の目論見は、あなたを政権から引きずり下ろす事。ですが――私の目的は別にあります」
「んん? それはつまり――君は必ずしも師に従っている訳では無いと言う意味?」
ヨハンが眉をひそめると、アビナは遥か彼方を見つめる様に、目を細めた。
「そう。私はずっと知りたかった。姉や父や母は、なぜあんな目にあったのかを。人はなぜ、あれほどの悪意を他人に押し付ける事が出来る? アレほど悪辣な存在である人間とは何? 果たして人類は、存続するに値する存在なのか? 私はそれを――この〝鬼ごっこ〟を通して確かめようと思った。私の本当の目的は、それなんです。その答えによっては――私は人を滅ぼすつもりだったから」
「……人を、滅ぼす?」
〝最後になるかもしれないから、誰かに感謝されてみたかった〟
まさかアビナが言っていた〝最後〟とは、そう言う意味? そんな覚悟で、この少女は〝鬼ごっこ〟に臨んだ? 〝鬼ごっこ〟にその答えがあると、彼女は考えたと言うのか?
或いは、そうかもしれない。罪を犯した人間が〝子〟に選ばれるとしても、それを人類全てが敵視するのは違う。一人の人間を寄って集って攻撃し、絶命させるなど人としてあってはならない事だ。中世期にあった魔女狩りその物の行為で、究極の迫害行為と言える。衆愚という言葉は、正にこの状況にこそ使用されるべき物ではないか? 少なくとも、アビナはそう感じた。
この〝鬼ごっこ〟こそ人の暗部の集大成であり、自分達家族を不幸に追いやった感情。歪んだ自己愛と言う名の、最悪の利的行為だ。ヨハンが狂っているというなら、アビナも既に人間という物に嫌気がさしている。この時になって、ヨハンは初めてその事に気付いた。
だが、アビナは改めて実感する。自分が真に求めていたのは世界の終りなどでは無い。あの姉の笑顔を取り戻す為――自分は今日まで生きてきた。
そう言い切れるが故に、彼女は大帝に提案する。
「良いでしょう。そこまで言うなら、試させてもらいます。あなたと戦うのは、それが失敗した後でも決して遅くは無いのだから。勿論あなたはそれだけの覚悟を以て、ああ言いだしたのでしょう?」
「勿論だ。私としても、これ以上は打つ手が無いからね。君の姉さんを救えなかったら、私も君と戦う他ない。例えそれが、最もヨシュアが拒絶した行為だとしても。故に、今は反乱軍に連絡を入れてもらいたい。一時首都への攻撃を中止する様にと。それが、私が示す唯一の条件だ」
「わかりました」
アビナが、首肯する。既に全ては終わっていると、未だに気付かぬまま。
事実、アビナが携帯を弄る前に、彼女のスマホは振動する。取り出して耳に当ててみれば、ソコからこんな声が響いてきた。
『……ア、アビナかっ? ……すまねえ! ドジを踏んじまった! イウナがッ、イウナが!』
「……はッッッ?」
この度し難い暗転を前に――アビナは即座に動いた。
◇
イウナ・ズゥ。紛れもなく――アビナ・ズゥの姉。
その彼女は、今までどこに居たか? アビナの発想は、フェーリアと全く同じだった。アビナは地下シェルターをつくり、其処にイウナを匿った。ある事情から、アビナは絶対にそうせざるを得なかったから。
フェーリアのシェルターに比べれば小規模な物だったが、強固な物である事は確かだ。核ミサイルにさえ対応できる其処は、鉄壁の防御力を誇っている。
アビナはこの世で最も信用出来る人間にイウナを預けた。自分と同じ境遇にあった少女に、イウナの世話をするよう頼んだ。自分が〝鬼ごっこ〟に挑んでいる間だけ、彼女にイウナの面倒をみてもらうよう要請したのだ。
ナイズという少女はアビナの信頼に応え、イウナに尽くした。まるで妹の様に可愛がったがある日もたらされたその情報が彼女の油断を誘う事になる。アビナがヒックス共和国に潜んでいるという情報をネットで知り、ナイズはこう考えた。
今〝鬼〟の目は完全にヒックス共和国に向いている。これなら少し位、イウナに外の空気を吸わせて上げても良いのでは? 思わずそう考えてしまう程最近のイウナは陰鬱としていた。
それもその筈か。彼女はアビナが〝子〟と名乗り出るずっと前から、この部屋に閉じこもっていたのだから。何の変化も無く、だから何の感情も動く事がないイウナの病状は、悪化するばかりだ。
そう考えたナイズは、軽い気持ちでイウナを外に連れ出した。街から二十キロは離れた荒野に身を晒し、大自然の空気を肺一杯に吸い込む。
奇跡にも似た悪夢が訪れたのは、その時だ。
今正にヒックス共和国に向かおうとしていた〝鬼〟達が、高台から人影を見つける。誰かの面影をその人影に見た彼等は、望遠鏡を使って人影の容姿を確認する。
この時――彼等は思わず歓喜の声を上げた。
「――アビナ・ズゥっ? まさか。あいつは今ヒックスに居るんじゃ? だが、ネットの情報によると、ヒックス軍さえアビナを見失ったとかいう話だ。ならヒックスの話はガセで、本当はここに潜伏していたって言うのかよ、あいつはッ?」
もしそうなら、自分達はいま最高の幸運を掴んだ事になる。それに加え、アビナと思しき少女は自分達の存在に気付いていない。この距離なら、ライフルを使えば、一撃のもとに彼女を仕留められるだろう。
そう直感したのと同時に、彼等は動いていた。ライフルに弾を込め、照準を定めて、引き金を引く。それだけの行為は、瞬く間に悪意の塊となって少女に届き、次の瞬間全ては決した。
「……イウナっっっ?」
そこまで来て、漸くナイズ・ヘイルは己の浅慮を思い知った。彼女はこの事をアビナに伝えるべく携帯を操作し、イウナに覆い被さる。二発目の弾がナイズの体を貫いたが、それでも彼女はイウナから離れようとしなかった。
それも、当然かもしれない。ナイズ・ヘイルは、その時点で既に絶命していたのだから。
何の反撃もない事から〝鬼〟達は自分達の勝利を確信する。彼女達に近寄り、足でナイズの体を脇に寄せる。そのまま彼等は、ナイズが命懸けで守ろうとした少女の生死を確かめ様とする。脈を確認すれば、少女はまだ辛うじて生きていた。
「……なら止めを刺さなくっちゃな。悪いな、お嬢ちゃん。俺達も人生がかかっているんだ」
或いは、この僅かな躊躇が、彼等のせめてもの善意だったのかもしれない。
だが、直ぐに彼等は少女に銃を突きつける。しかし、同時にソレは起こった。
「姉さんから、離れて」
見れば、一人の少女が空からやって来る。それは、今まで聴いた事が無い、静かな声。
けど、同時に、この上ない凶兆を孕んだ声色とも言えた。
「姉さんから……離れて」
「……ね、姉さんッ? じゃあ、あんたがアビナ・ズゥで、こっちの娘は、別人っ?」
「姉さんから、離れて……」
彼女は機械の様に、同じ言葉を繰り返す。まるで、疾うに全てを察しているかの様に。
〝鬼〟達は、必死に弁明した。
「……ま、待ってくれ! 俺はこの子があんただと思って、だからこれは事故みたいな物なんだ!」
そう。イウナは――アビナの双子の姉。
一卵性の双子であるイウナとアビナは、だから容姿も全く一緒だ。少なくとも何も知らない〝鬼〟達が見れば、彼女をアビナと勘違いしてもおかしくない。だからこそアビナは姉をシェルター内に保護し、人目に触れさせない様、図る必要があった。
でも、今のアビナには、もうそんな事は関係なかった。
「だから姉さんから離れてって言ってるでしょううううう―――ッ!」
故に――アビナは初めて人を殺した。
ナイズを殺し、イウナを傷付けた彼等〝鬼〟を――皆殺しにした。
そんな事をしても、もうなんにもならないとわかっている筈なのに。
「……姉さん? もう大丈夫よ、姉さん。直ぐにそんな傷、私が治してあげるから」
確かに、アビナの物の性質を高める〝力〟を使えば、イウナは治癒できるだろう。イウナの自己治癒力を向上させれば、その傷は塞がる筈だ。
彼女がまだ生きているなら、そうなるだろう。
「姉さん? 姉さんってば? 息を、して? 私を、見て? 目を空けて、私を、見てよ。お願い。お願い、だから」
だから、彼女が聴いたその声は、ただの幻聴に過ぎない。
『いえ、もういいの。もう、いいのよ、アビナ。私はもう、とっくに生きてはいけない人間だったんだから。人を殺し過ぎた私は、だから、幸せになれる筈がなかったの。お父さんやお母さんや無関係な人達を殺してきた私は、何れ誰かに殺されるべきだった。なのに貴女は私に猶予をくれた。長すぎる位の猶予を。だから、これはそのお礼。貴女の身代わりになって死ねるなら、それだけで、私は幸せよ。だから貴女は絶対に――誰も恨まないで、アビナ。私の世界一可愛い妹で、私にとって唯一の誇り。私も、貴女の笑顔が、本当に大好きだった』
「……ねえ、さん?」
でも、アビナにとっては、その幻聴が、その姉の声が、全てだった。
その時、ああ、そうかと、アビナは今頃気付く。
あの時のヨシュアも、きっと同じ想いだった。
私に自分の存在を否定され、命さえも奪われて、彼はどれほど悔しかっただろう? どれだけ苦しくて、やるせなかったか。愛する人に全てを奪われた彼の人生とは、一体何だった?
イウナも、姉さんも、同じだ。
幼い頃から殺人を強要され、心をすり減らし――妹である自分の事さえわからなくなった。人生の大半を廃人の様に送り、生の喜びを終ぞ知る事がなかった。笑顔を浮かべる意味も知らず、誰かとじゃれ合う事も出来ず、ただ空気の様にソコに居た。
自分はただ、もう一度、姉さんのあの困った様な笑顔が見たかっただけなのに。姉さんに、心から微笑んで欲しかっただけなのに、なんで、こんな事に……?
なら、そんな過程を歩んできた姉さんが幸せになれない世界とは、何だ? 一体、何の意味がある? どんな価値がある、と言うのか?
胸中で、何度も何度も自問する。けれど、結局答えは出なかった。彼女に残された事実は、ただ一つ。
イウナ・ズゥという誰よりも哀しく、それなのに誰よりも優しかった、姉の死だけ。
「あああああああああああぁぁ……! あああああああああああぁぁぁぁ………!」
今初めてその事を実感し、だからアビナはもう一度だけ子供の様に泣いたのだ―――。
◇
目の前に、広がる光景。
それはただひたすらに、アビナにとって最悪の現実でしかない。姉の亡骸を見て、彼女はただ自問を繰り返す。
この悲運を回避する為に、自分か姉が顔を整形するべきだった? いや、アビナにはそれだけは出来なかった。姉を不幸に追いやった自分の全てをアビナは憎んでいたが、この容姿だけは別だったから。姉と同じこの顔だけが、アビナにとっては唯一の誇りだ。それを捨て去る事だけは、彼女にはどうしても出来なかった。
故に、アビナは痛感する。
「……姉さんも、ナイズも、ヨシュアも死んだ。そう、か。これが、ヨシュアを殺した報い……」
姉の遺体に涙を何滴も何滴も零しながら、彼女は独白する。
既にこの場に来ていたヨハンは、それを、固唾を呑みながら聴き続けた。
「……私は、本当に、愚かだった。師の、あんな甘言にのるべきじゃなかった。私が〝鬼ごっこ〟なんて始めなければ、誰も死なずに済んだのに。姉さんも、ナイズも、ヨシュアも、まだ生きていたかもしれないのに、私は失敗した。私は人類の事なんて無視して、姉さん達とひっそり生きていくべきだった。彼等に贖いなんて、求めるべきじゃなかった。この傲慢が、私から、全てを、奪った……」
けど、その吐露とは逆に、アビナは痛感する。
「……ヨハン・イミファルド。やはり、あなたは凄い。身内を不条理な理由で失いながらも、尚、狂気に至っていないのだから。不必要に誰も殺そうとしないのだから、本当に、凄い。でも、私は無理。彼女が居ない、この世界になんて耐えられそうも無い。姉さんを苛み続けたこの世界を、認める事なんてとても出来ない。なら、私がするべき事は、一つだけ」
故に、彼女は今更ながら思い知る。
人が最も人を憎悪するのは――愛する者を殺された時だ。
今こそ愛が憎しみを生んだ瞬間だと――彼女は心底思い知った。
誰かを愛すると言う事は――誰かを憎むと言う事。
なら、私は今――この世界にある全ての生命を憎もう。ただの一度も、姉の不幸に目を向けなかった――この世界全ての命を憎しみ抜く。
それが、或る地獄を見た少女の願い。アビナ・ズゥという少女の、結論だった―――。
だから彼女は地面に手をつけ――その術を発動しようとする。
「――つッ? 不味い!」
それを見て、ヨハンは即座に動く。
彼女はアビナに近寄り、『能力』の発動条件を整え――亜世界に飛ぶ。
そうしなければ、アビナは惑星ニーファその物を薄め、母星を消していた。ヨハンは如何にアビナが本気か、今になって理解する。
「……本気か? 君は本気で……ニーファを消す気?」
「今更、言うまでもないでしょう。このままニーファが存在していても、常に姉さん達の様な人間が増えていく。なら、その悲劇を止める方法は一つだけ。この星その物を消し、全てを無かった事にするしかない。いえ、違うわね。私はただ、人間が憎いだけ。復讐とかそう言うのじゃなく、ただ人間が憎いだけなの。それこそ皆殺しにしたいと、心から願う程に。ヨハン、あなただって一度位はそう思った事がある筈よ。なのに――あなたは私の邪魔をする気?」
「………」
アビナの様子は、痛々しいほど冷静だ。激情からは遠く、寧ろ失意の念が濃い。
けれど、それもヨハンが口を開くまでだった。
「……いや、残念ながら無いよ。私は、そんな事を考える余裕さえ無かったから。誰かを憎む位なら、家族の腹を満たす方法を考えるので頭が一杯だった。私にとってはそれが全てで、だから私は君に共感できない。でも、それでも、私は君に手を汚して欲しくない。きっとヨシュアも、そう思っている。頼む。もう一度だけ、冷静になってみてくれ、アビナ」
「……ヨシュアも、そう思っている? あの、私の全てを肯定してくれた彼でさえ、今の私は否定すると言うの? 冗談でしょう? 彼なら私の気持ちをわかってくれる筈よ。だって、彼と姉さんとナイズだけが、私の味方だったんだからぁああああ……ッ! そんな彼女達が居ないこの世界に、一体なんの意味があるって言うの――ヨハン・イミファルドっっっ?」
怒号と共に、セーブしていた力を完全開放するアビナ。天を突きぬけるのは、この星を完全に被うだけのエネルギー。立ち上ったアビナのナニカは、宇宙さえも貫通する。
その余りに濃い凶兆を見て、ヨハンは息を止めながら実感する。
彼女は、アビナ・ズゥは本気だ。今まで抱いていた人間に対する不信感が爆発し、彼女の人格を歪めている。寧ろ会話を重ねれば重ねる程、アビナの憎しみは激しくなっていくだろう。そう理解した時――彼女は自身の罪を知った。
「……そうか。なら、私は自分がするべき事を成す他ない。この〝鬼ごっこ〟を開いた元凶として全ての責任をとるだけ。この命を懸け私は君を止めよう――アビナ・ズゥ。それだけが、私が君にしてあげられる最後の事だ」
アビナ同様――力を解放するヨハン。
姉達を愛するが故に人類を憎悪するアビナと、アビナを愛するが故に彼女を止めようとするヨハン。
いま両者の立場は完全に入れ替わり――〝鬼〟となったアビナは世界の滅亡を願う。
ヨシュアから〝子〟の立場を受け継いだヨハンは――そんなアビナと戦う道を選んでいた。
或いはそれこそ――この二人の宿命と言わんばかりに。
◇
アビナとヨハンが――臨戦態勢をとる。
その最中、ヨハンは無駄と知りつつも最後の忠告をする。
「ああ。では、もう一つだけ。師が言うには――私は師に匹敵する才能の持ち主らしい。これを聞いても、まだ私と戦うつもり?」
が、それは本当にただの無駄口だった。
「……師と互角の才能? そう。正直、それを聞いて落胆したわ。何でも師が言うには――私は素質だけで言うなら師以上という話だから」
「………」
あの師以上の、素質の持ち主。それが今、自分の目の前に立っている少女の正体。
ヨハンは誰よりもその意味を理解し、だからこの時点で慢心を捨てる。全力で彼女を倒さねば人類は本当に絶滅すると直感する。
実際、ヨハンのソレはアビナの想定を僅かに超えていた。
「つ――ッ?」
ヨハンの右手の指が変形し、銃器になる。指の一本一本が砲身に変わり、彼女はそれをアビナに向けて撃ち放つ。彼女は即座に地を蹴りそれを避けるが、特筆すべき点はヨハンが放った一撃で――星が消えた事。ソレは明らかに、フェーリアさえも遥かに凌駕する破壊力だ。
たった一個人の武力を以て――比喩なく惑星ニーファは消滅し、アビナはただ狂喜する。
《星を滅ぼせる力の持ち主! 流石はあの師の直弟子! 本当になぜその力を人類撲滅の為に振るわないのかっ? 私にはその意味が――本当にわからない!》
《……憎しみが、そこまで君を歪ませたか。ならば、私は全身全霊を以て君を滅ぼす他ない》
互いにテレパシーを送り合い、両者は会話を成立させる。
このやり取りが本当に悲しい事だと、今のヨハンには感じる余裕さえない。
その時、ヨハンは師の言葉を思い出す。
師は、今自分達が振るっている力についてこう説明した。
〝で、は簡単に説明します。神と呼ばれる存在に近いクラスは、大まかに分けて四つ。『天使』と『悪魔』と『仙人』と『聖人』です。神とはその全ての力を有する存在なのですが、君にそうなれとは言いません。わたくしが見た所、君は『仙人』に向いている様だから。何、心配は無用です。わたくしが一年鍛えれば、それは自主練に換算し、数億年分の効果があるので〟
後にヨハンは〝何だ、その何かの漫画みたいな話は?〟とツッコム事になる。だが、この思いとは裏腹に、あの師は二年かけ、自分を人間以上の存在に育て上げた。前述通りヨハン・イミファルドは『仙人』となり、『仙術』をマスターしたから。
けれど『仙術』と言っても、レベルによってその能力は様々だ。故にヨハンが得ている能力にだけ焦点をあてるなら、彼女の〝力〟はこういった物。〈外気功〉と呼ばれる力を、ヨハンは会得している。
〈外気功〉とは、端的に言えば、文字通り体外より発生する力を味方にする術。例えば生命エネルギーや、熱や、電気など、力場となる物ならヨハンはその全てを自身に集中出来る。
だが、彼女の力はそれだけでは無かった。
ヨハンの〈外気功〉の範囲は――この太陽系の全て。
バカげた事に太陽を周回する星々の運動エネルギーに加え、太陽が銀河を周回する力も我が物にできる。秒速二百十七キロで銀河を周回する――太陽の運動エネルギーさえ自分にプラスできるのだ。
言わば彼女の拳の一撃は、太陽系全ての星々が突っ込んでくるにも等しい。ヨハン・イミファルド=太陽系と解釈してもらって差し支えないだろう。
それ程の怪物が――彼女、大帝ヨハン・イミファルドという少女だった。
では、その彼女がなぜ力の一部と言って良いニーファを自ら消したのか? 彼女は太陽系の惑星を消す度に、力が減少していくというのに。
その理由は、単純だ。
(こうやって敢えて星を消せば、彼女も私の〝力〟の根源が〈外気功〉だと恐らく思わない。逆に私の力の正体を知れば、彼女は他の星々を消しにかかるかも。それを防ぐ手段はあるが、ここは駒を一つ放棄してでも私の〝力〟の正体は隠す)
冷静にそう判断しながらヨハンは、アビナと対峙する。右腕から尚も光弾を連射しながら、アビナを攻めたてる。いや、アビナの意識がヨハンに集中した時、それは起きた。
(なっ?)
ヨハンが居る方角とは全く真逆の方角――背後から閃光が発射され、それが容赦なくアビナに迫る。
これを彼女は咄嗟に左腕を盾にする事で防ぐが、かの奇術は続く。アビナの八方から閃光が発射され、その数千に及ぶ閃光がアビナを焼き尽くそうとする。その全てをアビナは辛うじて回避し、彼女は今も生存する。
けれど、刻一刻とヨハンの攻撃はアビナを追い詰め、彼女は思わず奥歯を強く噛み締めた。
これも〈外気功〉の一つ。ヨハンは真空のエネルギーと呼ばれる物を我が物とし、自身の凶器に転化している。ビックバンの原因とさえ推察されるだけのエネルギーを彼女は使役する。
ならば、それだけの攻勢を受け、尚も反撃する余裕があるアビナとは何者か? アビナは小型拳銃を取り出すと、それをヨハンに放つ。
ソレは――一撃でニーファを消去可能な攻撃。だというのに、アビナの攻撃はヨハンの腕の一振りで払い落されていた。大帝はアビナの弾丸のエネルギーを自身に同調させ、吸収し、その威力を零にしたのだ。
フェーリアがアビナの攻撃をほぼ無力化できたのも、その為。彼女はアビナの万物を劣化させる〝力〟を吸収する事で、無効化したのだ。ならば、フェーリアの師であるヨハンに同じ真似が出来ない筈も無い。
(が、遊んでいる暇はない。五分過ぎれば、私達は現実世界に引き戻される。そうなれば、アビナは当然の様にニーファを消そうとするだろう。先ほどはその凶行を防げたが、今度も上手くいくとは限らない。私は――何としてもこの五分の間に彼女を倒さねば)
今も右腕から光弾を発射し、アビナの周囲から閃光を放つ少女がそう計算する。その全てをなんとか躱すアビナに対し、ヨハンは必殺の一撃を放つ。
今に至るまでの攻防は、アビナの運動能力とそのパターンを見切る為の物。ヨハンは三分かけその作業に従事し、遂にアビナの動きを完全に把握する。
(故に――君にコレは躱せない)
それは、事実だった。アビナが回避できるのはどう足掻こうが今行われている攻撃のみ。それ以上の攻撃が来れば、アビナにそれを避ける術は無い。そう確信したヨハンは、あろう事か自身の左腕を切り離し――アビナ目がけて発射する。
(く……ッ?)
かの腕はアビナの首を瞬く間に掴み――ソレは起きた。
ヨハンは――左腕に溜めこんだ太陽系全てのエネルギーを爆発させる。
零距離という圧倒的な位置から――アビナの体を焼却させようと図る。
現にアビナの体は今度こそその爆炎にのみこまれ、消滅していく。
大帝ヨハンはその圧倒的な戦闘力を以て――妹弟子をこの世から消し飛ばしたのだ。
そう。本当に、その筈だった。
《成る程。これが、あなたの本気。ではそろそろ私も――その気になろうかしら?》
《――なっ?》
脳内に、アビナの意識が伝達されてくる。それは正しく、アビナ・ズゥが尚も生存している証しだ。しかも、アビナが纏っているエネルギーは先ほどの、比では無い。
それは、見かけからして、変わっていた。
アビナ・ズゥの身長は――百五十四センチから百六十八センチまで伸びる。
肉付きもこれに比例して、紛れもなくアビナ・ズゥはここに一つの進化を遂げたのだ。
《まさ、か?》
ついでヨハンは――己の敗北を心から予感した。
◇
切り離した左腕を服ごと再生させながら、ヨハンはアビナが何をしたのか理解する。
ヨハンはあの少女の変化の理由を、即座に看破した。
《そう、か――『霊力』のコントロール。それが――君の奥義》
師に言わせると『霊力』とは、『存在する為の力』だとか。
それは、超ヒモ理論という考えが密接した〝力〟だった。
全ての事象は視認する事が不可能な程、極小のヒモによって構成されている。そのヒモが全十一次元より送られてくる振動情報を受信する事で、あらゆる現象を引き起こす。重力や斥力と言った現象は、ヒモが振動する事で発生する。重力には重力固有の振動があり、斥力には斥力特有の振動がある。
だが、特筆すべき点は、そのヒモの振動回数。かのヒモは一秒間に十の四十二乗回、振動しているのだ。それだけの膨大なエネルギーを発しながら、ヒモは今も確かには存在している。
けれど、師はアビナにその逆の真似をするよう言いつけた。あの師はヒモの振動回数が七十億分の一回でもアビナが生存できる様、修練させたのだ。
即ちそれは、存在が七十億分の一まで低下した状態という事。例えるなら生身の人間が、七十億倍の重力下にあるのに等しい。
だというのに、アビナの戦闘力は七十億分の一の状態でフェーリアとほぼ互角だ。この時点で圧倒的に、人間という物を超えている。
では、彼女が存在力を通常まで戻したらどうなるか? 常に存在に負荷がかかっていたその肉体が通常状態になれば、彼女の力は爆発的に上がる。超重力下より解放されたその肉体が、超絶的な力を誇るのと同じだ。アビナも――理解を超える程の力を有する事になるだろう。
(けど、それでも、ヨハンとは互角以下に過ぎなかった)
(そう。彼女は私と相対した時、既に解放状態にあった。それで尚、私が優勢だったというのに、この圧倒的な力はやはりそういう事――?)
ヨハンは痛感する。アビナが言っていた事は事実だと。彼女の潜在能力は師を超えている。何せ彼女はこの短期間で、ヒモの振動回数を上昇させる術を覚えたのだから。一秒間に十の四十二乗回振動しているというヒモ。だが、今アビナのソレは、その十万倍以上になっている。
それは正しく――アビナが別次元の存在に進化した事を物語っていた。
現にヨシュアは――アビナの初動を直感でしか知覚できない。
(つ――ッ?)
気が付けば彼女が目の前に居て、ヨハンは腹部に衝撃を覚える。両腕でガードしながらも、その衝撃はガードを貫通して腹部にはしった。
この圧倒的なパワーを前に、ヨハンの体は彼方へ吹き飛ばされる。更にアビナは肘をヨハンの頭部に打ち付け様とするが、これもヨハンは辛うじて防ぐ。ただ下方に直下し、この余りに重い一撃に、彼女の意識は点滅する。
(強い! ――〈同気功〉を徹底して習得していなければ、最初の一撃で死んでいたと言い切れる程に!)
《ええ、そう。あなたではもう――私には勝てない》
アビナが何も無い所から、マシンガンを取り出し、それをヨハンに向け撃ち放つ。その弾の一発一発は木星レベルの大型惑星をも消せる一撃だ。
それをヨハンは銃に変形させた右手から、光弾を放つ事で相殺する。アビナの弾の一つ一つを撃ち落とすが、そんな彼女はやがて息を呑む。今度はバズーカを肩に担いで、その弾を自分に向けて発射するアビナの姿を目撃したから。
ならば、ヨハンも相応の力を以て臨む他ない。ヨハンは即座に自身の右腕をミサイルに変形させ、発射する。大型惑星数個分は消滅させられるであろう必殺の一撃が、激しくぶつかり合う。
その最中にあって、ヨハンは吹き飛び、アビナは泰然とそこにいる。彼女はそのままヨハンに向け、止めの一撃を放つ。
アビナはあろう事か核ミサイルを取り出し――それをヨハン目がけて発射したのだ。
この喜劇を目にして――ヨハンは初めて吼えた。
《おおおおおおおおおおおおおお………!》
彼女は両腕をミサイルに変え、それを連続して撃ち出す。アビナが放った核を超えた核を撃ち落とす為、ひたすら攻撃を繰り返す。
だが、アビナの核は起動し、ヨハンの体は五百億度を超える爆炎にのみこまれる。ヨハンの体は消滅し――ここに全ての決着はついたのだ。
いや、本当にその筈だった。
《成る程。しぶとい。流石――私の姉弟子》
《く……っ!》
尚も生存する、ヨハン。それは――『同気功』を使ったから。ソレは敵が放ったエネルギーに自身の力を同調させ、吸収する能力だ。
絶命の瞬間、ヨハンは『同気功』を全開にし、何とか命を繋ぎ止める。『同気功』を使う度に精神力がスリ減っていくとわかっていながら、今はそうするしかない。
しかも、気が付けば――アビナとヨハンは現実世界に戻っていた。
「これで終わりね。私が後一動作行うだけで、この星ごと人類も消える」
「……そう、か。そこまで君は……人間が憎いか。確かに、そうかもしれないな。私にはまだ家族やフェーリアが残されているが、君は全てを失ったんだから……」
「ええ、そうね。誰かを愛すると言う事は、誰かを憎むと言う事。今、初めて気付いた。私はきっとヨシュアの事が好きだった。たった三日間の付き合いだったけど、彼だけが私と誠実に向き合ってくれた男性だから。でも、私は、そんな彼を消した。自分の目的を叶える為に、消してしまった。本当に下らない目的を果たす為に、私は彼を犠牲にしたの。つまりはそういう事で、私は自分自身さえ憎いのよ。彼と言う存在を愛していた私は、その彼を消した自分自身を憎んでいる。なら、もう私には何も残されていない。姉さんも、ナイズも、ヨシュアも居なくなり、自分さえも殺したいほど憎んでいる私には何も無い。だから、私はこの命を懸けてこの星を消す。人間を皆殺しにし、自分も消して、姉さんの不幸もヨシュアの優しさも無かった事にするの――」
ああ、だとしたら、彼女は本当に悲しい人だとヨハンは顔を曇らせ、息を吐き出す。
だが、それでも、ヨハンは告げた。
「私もやっとわかったよ。君はきっとお姉さんが正気を失った時から、成長していない。その頃の子供のまま、誰かに救いを求めている。お姉さんを救えなかった自分を、憎みながら。ヨシュアを消してしまった自分を、憎みながら。でもそれは違うんだ。君は言ったじゃないか。今も自分と同じ不幸を背負っている人達は居るって。けど、その人達は、今も必死に戦っている。何時か希望が訪れると、何処かで信じ続けている。その祈りを、その願いを、君は全て無かった事にするつもりか? 彼等の忍耐や、彼等の世界を信じる心さえ消してしまうと? それは違う。絶対に違う筈だ――アビナ・ズゥ」
心底からの、吐露。それを聴いたアビナは、だから一度だけ目を見開く。
けれど、彼女は直ぐに首を横に振った。
「……ありがとう、ヨハン。私を叱ってくれて。そうね。私を窘める事が出来るのは、多分あなた位。でも、ごめん。それでも私は――この世界が許せない」
「つ――ッ!」
儚げに笑いながら、アビナが地面に手をつけようとする。それを阻止する為、ヨハンが駆けだす。 アビナを自身の五メートル圏内に引き込み『能力』の発動条件を満たそうとする。
(そう。あなたはどうしても、そうする必要がある。なら私は――その時を狙えばいい)
アビナはヨハンを迎撃するべく、拳を構える。ヨハンはそうと知りながらも相打ち覚悟で、アビナに接近する。
しかし、遅い。やはり今のアビナにはヨハンでさえ、及ばない。この一撃を以て、アビナはヨハンの命を刈り取るだろう。いや、本当にそうなる筈だった。
「く……ッ!」
「なっ?」
「はッ?」
ヨハンの目の前には、見覚えのある少女の後ろ姿がある。
白いドレスを纏ったその少女の名は――フェーリア・ハスナと言った。
彼女は、フェーリアは、自分の体を盾にしてアビナの一撃からヨハンを守る。
ヨハンがバカな事を問うたのは、だからだ。
「……なん、で?」
「そんなの、わたしが、あなたを、すきだからに、きまっているじゃないですか。あなたに、しんでほしくないから、わたしは、こうするしか、なかった」
「バカ、な」
アビナが、呆然とそう呟く。体を貫かれたフェーリアは、微笑みながら謳った。
「いえ、ばかは、あなたよ、あびな。だれかを、あいすることは、だれかをにくむこと? いえ、わたしはちがう。たとえあなたがわたしをころそうとも、わたしは、あなたをゆるす。けっして、にくんだりしない。わたしだけは、あなたのすべてを、ゆるし、あいしてあげる。ほら、あなたの、りくつは、はたんしたでしょ?」
「……ああ、あああ、あああぁぁ」
「でも、さいごに、きかせてください。わたしは、あなたがたが、ほこれるわたしに、なれました、か?」
今にも膝から崩れ落ちそうなヨハンは、それでも笑顔を浮かべて彼女に答える。
「ああ。君は何時だって――私達の誇りだったさ」
「――そう。なら、よかった」
そう告げ、彼女もサイゴに心から、微笑んだ。
この隙を――フェーリア・ハスナが命を賭して生んだこの隙を、ヨハンは衝く。彼女は再度アビナを亜空間に引き込み、右手を横に振るう。
アビナはそれが何らかの『能力』だと察知し、一種の賭けに出た。ヨハンに対して発動するかはわからないが、切り札とも言える『能力』を使う。アビナは『能力』のスイッチを切る力を使って、ヨハンに対抗する。
この試みは成功し、それ以上ヨハンは『能力』を使用できず、彼女は間合いを離した。五十キロ以上アビナから離れ、彼女はアビナに念を送る。
《そうだな。君が姉の命の代償に人類を粛清しようと言うなら、私が言うべき事は一つ。ヨシュア・ミッチェとフェーリア・ハスナの名のもとに私は君を正そう――アビナ・ズゥ》
《つッ! なら私はイウナ・ズゥとナイズ・ヘイルの名を以て、この世全ての生命を絶滅させるわ――ヨハン・イミファルド!》
カタパルトを取り出し、その上に乗るアビナ。
自身の背中をジェットエンジンにつくり変える、ヨハン。
両者は互いの体その物を弾丸とし――敵に向けて撃ち出す。
《ヨハン・イミファルドぉおおおお―――!》
《アビナ・ズゥぅうううう―――!》
《……なッ?》
だが、その声はヨハンの物では無かった。それは正しくあの少年の声で、その為、あろう事かアビナは攻撃を躊躇する。アビナは、イウナとヨシュアが両腕を広げて、ヨハンの前に立つ幻覚を見る。
それは彼女の、最後の良識が結晶化して具現化した物だ。だからこそ、アビナの動きは刹那のあいだ止まる。
が、それも一瞬の事。両者は互いに拳を突き出し合う。けど、それでも、勝つのは彼女だ。ヨハン・イミファルドさえ超える天才である、アビナ・ズゥ。
だが、彼女は語る。
《いや、違う。もうこの時点で決着はついているんだ、アビナ》
それが――ヨハンの『能力』だから。彼女は――標的の時間を奪う。ヨハンはアビナがフェーリアの死に忘我している間に、アビナの時間を数ヶ月分奪った。即ちアビナはその時間分、力が衰えたという事。
《……ああ、そうだな。できれば最後まで君の事が大好きな、ヨシュア・ミッチェのままでいたかった。もしそれが叶ったなら、僕達はこんな事にはならなかったのかもしれない……》
だが、太陽系全てのエネルギーを直撃されても生存している様な怪物をどう倒せと? いや、アビナの拳より、ヨハンのソレがアビナの腹部に決まった時点で、全ては決していた。
それを直感し、アビナは心底から憎む様に、言葉を紡ぐ。
《……ヨシュアの声を利用するなんて、ズルい手を使うのね。正に大帝にあるまじき下劣な行為だわ。でも、私は敗北なんて、認めない。必ず、人類を、絶滅させてみせるから……》
《……そうか。でも、それでも、本当に僕は君が大好きだったよ……アビナ》
それが――彼女達の最後のやり取り。
ヨハンは『仙術』を使い、敵が内包しているエネルギーを強制着火させ、誘爆させる。その為、敵が内包するエネルギーが大きければ大きいほど、その威力が増す。
特にアビナは限界までエネルギーを高めている為――限界をも超えた誘爆が起きた。
「ぐ……ッ? ああああああああああああああああああああ―――っ!」
途端、アビナ・ズゥの体は内側から焼け焦げながら、完全に消滅する。
そしてヨハンは、いや、ヨシュア・ミッチェは、涙しながら彼女のサイゴを見送った――。
終章
その頃、某惑星では、黒ポンチョを纏った少女が惰眠を貪っていた。
けれど、少女は唐突に身を起こし、こんな事を呟く。
「……ううぅ。お腹がすきました」
故に少女は、コンビニのビニール袋からアンパンを取り出す。それを五分かけて食べきり、あろう事か、また寝始める。寝て、食べて、また寝やがった。それは余りに途轍もないニート力だ。この余りの有様に眩暈を覚えながら、彼女は躊躇なく少女の脇腹にトゥーキックを入れる。
「ぐふぅッ?」
少女は蹲りながら脇腹を押さえるが、それでも直ぐに立ち上がった。
「……え? なんでわたくし、今、蹴られたんです?」
「いえ、何となく。余りに見るに堪えない光景だったから。それで目は覚めた、母上?」
仮面で顔を覆う彼女が、首を傾げる。少女は、間もなく応じた。
「いえ、ヴェラドギナ、わたくしは、やつの分身に過ぎません。わたくしが貴女を生んだ訳では無いので、その呼び方はいい加減やめる様に」
「はぁ。それで、母上はなぜこんな砂漠だらけの星に? 惑星ニーファに用があったんじゃないの?」
少女は、堂々と言い切った。
「それが、お馬さん遊びをしている間に、借金が出来てしまいまして。地下の強制労働所から逃げ出し、今この星に潜伏している最中です。彼等は、しつこいですからね。何れこの星にも追手を差し向けてくるかも」
「………」
いや、流石にそれは無いだろう。この星に有人ロケットを打ち上げるだけで、莫大な資金がいる。一逃亡者を捕縛する為だけに、それだけの資産を投資するとはとても思えない。
「で、彼等が催した、悪魔的ゲームにも参加したのですがね。最後の最後でイカサマをされ、借金が増えただけでした。地下から脱出する時、仲間から活動資金を託されたのですが、それも競馬でスってしまって。お蔭でわたくしはもう、惑星ニーファには赴けません。この星から弟子達の顛末を見守る他ないでしょう。何が言いたいかと言うと――真の逃走者とはまぎれも無くわたくしだったという事です。といっても既に決着はつき、ひと段落ついた様ですが」
遥か彼方を見つめながら、少女は戯けた事をぬかす。
ヴェラドギナは、ただ疑問符を投げかけた。
「はぁ。前に言っていた、少女達の事? で、その一人は本当に母上以上の素質の持ち主だったの? 私からすると、とても信じられないのだけど?」
「ええ。後九千兆年修行すれば、或いはわたくしの足元には及んだかも」
「……そういうのを詐欺と言うのよ、母上」
完全に呆れながら、ヴェラドギナは少女に半眼を向ける。
と、少女は両腕と両脚を組みながら、宙に浮かんだ。
「愛は、憎しみを生む。彼女達にそう教えたのは、わたくしです。そう。人間は誰かを愛するからこそ、誰かを憎む。フェーリアさんも、仮に殺されていたのが自分では無くヨハンだったならアビナを憎んだ筈。そう考えると、人はやはりこの因果からは抜け出せそうもありませんね」
「はぁ。それで結局今回の件はどっちが正しかったの? フェーリアを殺されながらも、その憎しみからアビナを殺した訳でないヨハン? それとも人間を信じ様と足掻きながらも、結局、彼等を憎悪するしかなかったアビナ?」
ヴェラドギナが問い掛けると、少女は真顔で彼方を見た。
「心情的には、アビナでしょうね。心の成長を子供のまま止めてしまった彼女の感情は、実に真っ当な物でしたから。愛する者を全て理不尽に奪われた彼女が、全てを憎むのは至極当然と言える。法的に見ても、彼女の行動は何の問題も無い。〝子〟は誰を何人殺しても許される立場なのだから、人間を皆殺しにしても彼女は無罪です。ヨハンは自分でそう決めていた筈なのに、アビナを罰した。ヨハンは都合が悪くなったから、大帝の名において完全無罪なアビナを処刑したのです。これほど不条理な事が、他にありますか?」
「そうね。それを上回る不条理といえば、母上の存在くらいでしょう」
が、この憎まれ口を聞いて、少女は心底から納得する。
「ええ。彼女達は、最後まで気付きませんでした。自分達が真に憎むべきは、このわたくしだと。なまじ力を与えられたが為に人間をやめる事になり、ただ悲劇を連鎖させた。その元凶がわたくしであると気付いていたなら、アビナもヨハンも何かが変わっていたかも。彼女達は――失敗したんです。あの二人が何より愛するべき物は自分自身で、それ故にわたくしを最も憎むべきだった。それが出来なかった事こそ――あの二人の最大の不幸です」
心底から哀れむ様に、少女は告げる。それから少女は、即座に動いた。
「ですが、それもここまで。そろそろ地球に戻りましょう。わたくしの戦場はニーファではなく、あの青い惑星なのだから。そこでわたくしは自称『頂魔皇』としての立場を全うします。でも、最後に一つだけ。せめてわたくしが予見した大破壊が起きない事を祈っていますよ、ヨハン、アビナ。彼女の傷を治したのは、せめてもの置き土産です」
愛弟子達にそう告げながら、少女達はこの星から姿を消した―――。
それから、彼女は思いっきりむくれた。
「って、何を怒っている? 正直、意味がわからないのだけど?」
そう問うヨハンに――フェーリア・ハスナは尚も憤慨しながら口を開く。
「だってあんなに格好つけたのに、それでも生きていたなんてみっともないじゃないですか」
今も病院のベッドに横たわる彼女は、そう言い切る。ヨハンは、完全に呆れた。
「……何を言っている。私に何かあった時、フェーリアには大帝の立場を継いでもらうつもりなんだ。そう簡単に死なれては、私が困る。それに、私は誰かを見送る事にはもう飽きたよ。弟や妹だけでなく、アビナさえ私より先に死んだ。その上、私は君まで失いたくない」
そうだ。皆、自分より他人の事を強く想い、優先して、死んでいった。
それが悲しい事だと、ヨハンは漸く思い出す。
「そうですね。人は皆、自分の幸せを追及する為に生きている筈。なのに誰も彼も他人の事を愛するが故に、死んでいく。でも、それでも、私はやっぱりアビナを恨む気にはなれないんです。あんなに傷つきながらも必死に生き抜いた彼女を、憎むのは何かが違う。きっとアビナも貴女に対してはそう思っていましたよ、師匠」
「そうか。……そうだと、良いんだけど」
そう吐露してからフェーリアはもう一度だけ涙する。アビナを失った、ただの少女として。マフィアの首領という立場を忘れ、彼女は子供の様に号泣した。
が、その時――ヨハンがソノ事に気付く。
「待て。アビナは、確かにあのとき死んだ。なのに、これはどういう事? 新たに生まれたアビナ用に身に着けた『能力』が残っているのは何故……?」
それは、ヨハンにとっては、未知の体験だった。彼女は今まで『能力』を被術者に明かした事が無かったから。ヨハンが『能力』を使って誰かを殺害したのは、アビナが初めてだ。
なら、どういう事になる? 果たして被術者が死んでも、新たに生まれた『能力』は残る? それとも、まさか別の意味を持っていると?
「……これは死刑囚を使ってでも、どちらか確かめる必要があるか。事と次第によっては、また彼に〝協力〟してもらうかも。ますます君に人でなしだと罵られそうだな、フェーリア」
苦笑いとともに嘆息し、ヨハンは思わず肩を落とした―――。
そして――少女は最後に其処へと辿り着いた。
周囲には通学中の生徒達の姿がある。ヨルンハルトハイスクールに通う男女の群れを見て、少女は思わずほくそ笑む。足として使っていたバイクから降り、少女はただ待った。
少女が、今も生きている理由。それは最後の瞬間、少女が脳波を拡大し、ヨハンの脳を僅かにハッキングしたから。ヨハンに自分が死んだ様に見せかけ、実際は宇宙の彼方に少女はふき飛ばされた。その傷が癒えるまで今までかかったが、それも今日まで。
療養中にヨルンハルトについて調べていた所、少女にとって意外な情報があったから。
何と――あの少年は架空の人物では無かったのだ。
しかも顔もあの彼の面影があり、似かよっている。性格は会ってみなければわからないが、悪い噂は聞かない。
恐らく彼は〝鬼ごっこ〟の間だけ中央政府に保護され、その立場を流用されていた。記憶を改竄され、その間の事は何も覚えていない。彼の周囲の人間達も、恐らくそんな感じなのだろう。
現に、漸く見つけ出した彼は、極自然に友人達と挨拶を交わしている。笑みさえ浮かべ、今も人生を謳歌している。
その様子を淡々と少女は眺め、フルフェイスのヘルメットを脱ぐ。
少女は万感の思いを込め、彼の名を呼んだ。
「ちょっといいですか――ヨシュア・ミッチェ君?」
「んん? ……えっと、君は?」
が、直ぐに彼は、その少女の容姿に惹かれた。
薄い亜麻色の髪に、白い肌。タンクトップを着て、首には黒いチョーカーを巻いていた。ジャンバーを纏い、短パンにニーソを穿いている。イメージ的には、荒野に佇む獅子だろうか。
その野性味あふれる少女は、遠い目をしながら彼に告げた。
「はい。君が生きていてくれて、本当に良かった」
そのまま少女は、あろう事か、涙しながら彼を見つめる。
この唐突すぎる状況に、彼は息を呑むばかりだ。
けれど彼の困惑をそのままにして、少女は続けた。
「……今度こそ、私は君を守ります。イウナ・ズゥの名において、そう誓います。だからもう一度だけ、私と一緒に逃げてくれませんか……?」
「……え? は……?」
そう動揺する彼だったが、ヨシュア・ミッチェは直ぐに、結論する。
「えっと、その……僕で良かったら」
その答えが少女にとって、どれほどの救いをもたらすか彼は想像もしない。
事実、少女は、ありえない物を見る様な瞳で、彼を見た。
「……はい、本当にありがとう――ヨシュア。やっぱり君は、規格外の大ばか者です」
そう。何時か誰かを憎む事になろうとも、今はこの愛に殉じてみよう。
そうして少女は、彼に対し、とびっきりの笑顔を向けた―――。
アビナ・後編・了
ここまで読んでくださり、誠にありがとうございました。
読者の皆様におかれましては、本当に頭が下がる思いです。
というか、最後の方、例のヒトが全てを台無しにしている気がしますが、多分気のせいです。
実はアビナもいきあたりばったりで書いているので、ヨシュアとのあの会話は私も想定外でした。
ああ、そういう事だったんだと、自分で書いていながら驚きました。
そういう事があるからこそ、創作活動はやめられないと思っています。
さて、次回作ですが今度は宇宙艦隊戦ものになります。
十六名に及ぶ花嫁候補が一人の男性をかけ、艦隊戦でしのぎを削る物語。
どうぞご期待ください。