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ヴェルパス・サーガ  作者: マカロニサラダ
7/20

アビナ・前編

 いよいよ、地獄のアビナの登場です。

 七十億人VS主人公達二人という〝鬼ごっこ〟の始まりです。

 といっても、本当に地獄なのは後編からです。

 ソレはまでは寧ろギャグ小説と言えるので、ご安心ください。

 最後まで楽しんでただければ、幸いです。

 それは史上初、世界が統一された惑星ニーファで起きた出来事。

 大帝の意向により、かの星では年に一度〝鬼ごっこ〟なる物が開催されていた。〝子〟と呼ばれる標的を〝鬼〟達が狩り、賞金を得ると言うのがこのゲームの趣旨だ。

 だがその反面〝子〟が五日間逃げ切れば〝子〟には百兆円もの報奨金が贈与される。けれどそれは七十億人もの人々を敵に回し、逃げ回る事を意味していた。

 ほぼ全ての人類対〝子〟達。

 これはそう言った、不可能に挑むゲームでもあったのだ。

 事実、過去三年間に及ぶ〝鬼ごっこ〟は〝子〟の完敗で終わっている。誰一人生き残れないまま、様々な無念を胸に彼等は息絶える事になる。

 そして四年目となった今年、〝子〟に選ばれたのはヨシュア・ミッチェという少年だった。平凡な高校生である彼は、五日間も全人類から逃げ切る自信など無い。そんな絶望感にかられる彼だったが、ある少女が彼に接触する。アビナ・ズゥと名乗る彼女は、中央政府のスパコンをハッキング。その際に今年の〝子〟をヨシュアから自分に変えたと言う。その理由を問い掛けるヨシュアだったがアビナは何も答えない。代りに〝鬼ごっこ〟の事は忘れ、何時もの日常に帰れと諭される。

 しかしヨシュアはあろう事かアビナに一目惚れしたから今後も行動を共にすると言い出す。唖然とするアビナだったが、ある理由から彼女はこれを了承。ここに四度目の〝鬼ごっこ〟は開始され、彼女達の逃走劇は始まりを告げた。

 それを追うのは過去三度賞金を我が物にした〝鬼〟、フェーリア・ハスナ。アビナとフェーリアは知略の限りを尽くし、互いにしのぎを削り合う。だが、ヨシュアはまだ知らない。アビナの過去と、その目的を。その点と点が繋がった時、アビナは語る。

〝人は誰かを愛するが故に――誰かを憎む〟と。

 その因果はアビナ達にも容赦なくからみつき、やがてその終焉は訪れる―――。


     序章


 それは一年に一度行われる――死の祭典。

 追う者と追われる者が共に人で無くなる、人間対人間のハンティング。

 これは、追われる側となった少年と少女の物語。

 けれど、少年は何れ知る。今、自分の目の前にいる少女が真に人ではない事を。

 少女が全ての定石を覆した時――少年は未だ見ぬ未来へと行き着く。


     1


 そして――少女は走る。

 脇目もふらず肩で息をしながら、ただ必死に。周囲に立ち並ぶ木々を置き去りにして、少しでもはやくこの場から離れようとひたすら前進する。

 対して、彼は淡々と準備を整えつつあった。暗視ゴーグルを着用し、手にしたライフルを静かに構える。照準を少女に定め――この時点で彼は少女を自分と同じ生き物だと認識するのを止めた。

 それも、当然か。今、自分の目の前に居るのは――ただの獲物だ。既に牙や爪を失くし、逃げる事しか出来ない哀れな存在。いや、こうなった時から少女は哀れむ価値さえ無い、手負いのケモノに他ならない。

 そうだ。人が食肉となる動物に、憐憫を抱く? 答えは恐らく、ノーだろう。何らかの感情を覚えるとしたら、それは最初の一回きり。それ以後はきっと、機械的にその命を奪うだけの存在になるのだと思う。自分が生きる為だから、その食肉に必要以上の感情は抱かない。

 故に彼は、魚をつり上げる様な心持で引き金に指をかけ、少女の背中を狙う。後は指を少し動かすだけで事足りる。肉や魚は食すとき解体という過程を得なければならないが、これはそれより遥かに簡単だ。

 事実――彼が引き金を引いただけで全ては決した。

「ひッ?」

 少女の背中に――ライフルの弾丸が命中する。

 この常軌を逸した熱さと、圧倒的な衝撃を前に、少女の意識は白と黒に点滅する。

 自分が吐血した事にさえ気づかず、少女は地面に倒れ伏していた。

「全く――随分と手間をかけさせてくれたな」

 彼が、静かに少女へと近づく。まだ意識がある少女は、何とか前に進もうと匍匐前進する。

 この命を懸けた悪あがきを見ても、彼は何の感情も覚えなかった。

「……ま、まって。おねがい、おねがいだから、みのがして。わ、わたしは、かえりたいだけ。うちに、かえりたいだけなの。それいじょうのことは、なにも、のぞまない、から……」

「いや、悪いが俺も金がかかっているんでね。アハハ。これで、俺も大金持ちの仲間入りか」

 彼は少女の髪を掴み、顔を上げさせる。その手に握られているのは、鋭利なナイフだ。

 それを少女の首にあてた後――彼は一思いに少女の首の肉を切り裂く。

「あぁ」

 それだけで少女が抱いたささやかな願いは――永遠に叶える術を失っていた。

 後に残るのは、その凶行を成した彼とその仲間達だ。彼等は少女の亡骸を手際よく車に詰め込むと、この暗い森を後にする。

 それが――この地獄の様なゲームの始まり。

 今から四年前に起きた――五対七十億という陰惨なデスゲーム。

 だが、少年は知らない。その四年後、自分がこの渦中に巻き込まれる事を。

 その先にどんな未来が待っているかさえ――今の少年には知る由もなかった。


     ◇


 彼ことヨシュア・ミッチェが高校に登校したのは、八時を過ぎた辺りだった。

 今年から高校に進学した彼は、未だこの生活に慣れない。急に上がった勉学のレベルや執拗なまでの部活の勧誘に目が回り、息つく間も無い程だ。それは級友達も同じなのだが、いま彼等を悩ませているのは別の問題だった。

「よう、ヨシュア。相変わらず冴えねえ面しているな。そんなんじゃ運動部に入部した途端、目えつけられて体の良いパシリにされっぞ?」

「いや、その心配はないよ。僕、部活には入らないつもりだから。それよりドットこそどうする気なんだ? 散々テニス部に入って、女子とお近づきになると息巻いていたじゃないか」

 自分の席につくヨシュアは苦笑いめいた物を浮かべ、目前に立つドット・リイに応対する。

 中学から同じ学校だった金髪の彼は、ヨシュアに対し肩を竦めた。

「いや、その計画はぽっしゃった。何でも今年から内のテニス部、ミニスカは止めたんだってよ。いかにも色気のない短パンがユニフォームになったんで、俺は手を引く事にしたのさ。これも時代の流れかな。風紀を乱す物は、徹底して排除されゆく風潮にある。その証拠に、昔はブルマなるほぼパンツその物のはき物が女子の体操着だったらしいぜ。当時の女子にとっては正にセクハラここに極まれんと言った感じだった訳だ」

「あっそ。悪いけど、僕はそういう話は興味が無い」

 赤い髪の少年がにべもない返事をすると、ドットは揶揄する様に彼を見た。

「あー、だったな。オマエは見かけより中身を重視する派だっけか。アレ味のカレーよりカレー味のアレを選ぶタイプなんだよな、オマエ」

「……その例えは、かなり悪意があると思う。ドットは、もう少し言葉を選んだ方が女子にモテるんじゃない? 見かけは、それなりなんだし」

 と、褒めているんだかよくわからないヨシュアの意見に、ドットは眉をひそめる。

「男に褒められても嬉しくねえなー。てか、オマエさ、いっそ性転換する気ねえ?」

「………」

 いや、ヨシュアとしては、想像を遥かに超えた答えが返ってきた。

 しかも真顔だから、質が悪い。

「悪いけど、そういう予定はないね。というか、今の何? ただの冗談? それとも本気?」

「そんなの、決まっているだろ? 俺は中学時代からオマエの事――愛していたんだぜ?」

「………」

 自分が女顔である事は自覚していたが、まさか本気でそんな事を思っている男が居たとは。ヨシュアとしては、本気で背筋が凍る思いだ。

「わかった。じゃあ、ドットとは今日で絶交だ。今まで楽しかったよ。本当にありがとう」

「……なんだ、そのいかにも安っぽい台詞の羅列は? こんな冗談を本気にする方が、どうかしていると思う」

 ゲラゲラと笑いながら、ドットは手をヒラヒラさせる。それでもヨシュアとしては、本気としか思えない。

 だが、その級友は急に表情を変える。彼の瞳には――確かに鋭い物が混じっていた。

「ま、与太話はここまでにして、オマエ、あのはなし聞いたか?」

「あの話? ……ああ。もしかして、学食のおばさんが倒れたってやつ?」

「……え? そうなの? 学食のおばさん、倒れたのか?」

 全く知らなかったので、ドッドは素直に驚愕する。

 いや、そこまで聴いて、彼は思い直した様に身を乗り出してきた。

「――ちげえよ! オマエ……もしかしてワザとはぐらかしてねえ?」

「まさか。そんな理由もないしね。でも、そうだな。その話に興味が無いのは、事実かも」

「興味がない、ね。じゃあ、この話も知らない訳だ。なんでも、今年の〝子〟は一人だけらしいぜ。これで圧倒的に〝子〟の方が不利になった。つーか、お偉いさんも何考えているんだかな。未だにクリヤーしたやつが居ないのに、なに難易度上げているんだって話だよ」

 嘆息混じりに、ドットは呆れてみせる。

 その辺りは同感だったので、ヨシュアは普通に頷く。

「だね。こんな事をしている意味が、全くわからない。いい歳した大人が――なんで〝鬼ごっこ〟なんてしなくちゃならないんだ? そんな事をさせて、一体なんの得がある?」

 それは何時もの彼と変わらない表情だったので、ドットは何も気付かない。

「さてな。けど、知らないなら教えておく。お上がくれたヒントによると、今年の〝子〟は何とウチの高校の生徒らしいぜ。しかも、性別はまだわからないが、学年は一年生だとよ。このヒントをもとに、少なくとも学校中の生徒達は既に動き始めている」

「だね。本当に、ご苦労な事だと思うよ。皆、そこまでしてお金が欲しいのかな?」

 これも本心からの発言だったので、ドットは軽く聞き流す。

「オマエみたいのを、きっと草食系って言うんだろうな。金は、大事だぜ。金があれば、大抵の事は出来るからな。そういう事をわかってねえ所が無欲と言うか、世の中を舐めていると言うか。何れにせよ、ここまで来ると何があってもおかしくねえな。ヨシュアも、夜道には気を付けた方が良いぜ?」

 だろうな、とヨシュアは思う。

 何せ――今年の〝子〟は紛れもなく彼なのだから。

 そうと気付かぬまま――ドット・リイはヨシュア・ミッチェとの会話を打ち切った。


     ◇


 ではここで、いま惑星ニーファで何が行われているのか説明しよう。

 事の起こりは、五年前。

 実に荒唐無稽な話だが――一人の少女が世界を統一した。

 あろう事か、たった十二歳の少女が世界初の統一国家をつくり上げたのだ。

 特筆すべき点は、その全てを彼女は武力によって成し得たという事。小さな国の王となった少女は、たった数ヶ月で各国を攻略し、世界の頂点に立った。電光石火の勢いで少女は世界をのみこみ、散り散りだった国々を纏め上げたのだ。

 当時十一歳だったヨシュアもそのニュースを聴き、思わず世の中の常識を疑った。その一報を聴いた彼は、己の耳と目に大いなる疑問を持った物だ。

 それも、その筈か。どこぞの聖女でも成し得なかった奇跡を、その少女は成し遂げたのだから。未だ嘗て誰も果たせなかった偉業を、少女は達成した。

 だが大人達の混乱は彼以上の物で、大帝を名乗った少女とどう接するべきか悩む事になる。ヨシュアが感じた通り世界の常識はその日覆され、全ては一変した筈だったから。

 だが、そう困惑する彼等を尻目に、少女はほぼ全て国の自治を認めた。理不尽な要求も為さず、不条理な扱いもせぬまま、少女は寛大な処置を続けた。

 経済も、教育も、文化も、宗教も、大政も征服前とほぼ変わる事なく継続して今に至る。

 実際、公務員であるヨシュアの父も職を失う事なく、現在も仕事に没頭している。官僚達も一新される事なく、国務に邁進している。しかし、その反面一つだけ問題が生じた。

 件の少女は、各国に一つだけある難題を押し付けたから。

 それが――〝鬼ごっこ〟と呼ばれる余興だ。

 少女はバカげた事に、子供のお遊びを大人達にも強要したのだ。

 それは年に一度開催され、文字通り各国の人々は〝鬼〟と〝子〟に分けられる。そこまでは普通の鬼ごっこなのだが、酷薄なのはそのルールである。〝子〟の人数は一桁台で〝鬼〟はそれ以外の人間全てなのだ。

 つまり極端な話、この〝鬼ごっこ〟は――一人対七十億人という事になる。

〝子〟以外の人間は全て敵で――〝子〟は〝鬼〟の手から逃走する事を強いられる。〝子〟はたった数人の仲間と共に――七十億人もの追手から逃げるしかない。

 それも、その筈か。何せ〝鬼〟の最終目的は――〝子〟を狩る事。

 ハッキリ明記するなら〝子〟を見つけ出し――殺す事が〝鬼〟に課せられた役割なのだ。

 ただし〝子〟も反撃が可能で、この間〝子〟は生殺与奪権を与えられる。自分は勿論、何人他人を殺しても許される事になる。

 それこそ子供、大人、女、男、老人、友人、親、兄弟、親戚、官僚、政治家、警官、軍人、皇族に至るまで殺害する事を認められる。

 だが、それだけのリスクを孕みながら〝鬼〟が真摯に自分の役割を果たすか? 下手をすれば返り討ちに合う可能性があるのに、そんなゲームに参加する?

 この問題をクリヤーする為、統一政府は〝子〟を狩った〝鬼〟に賞金を譲渡する事にした。

 その額――実に十兆円。

 これは、大企業のトップの総資産をも上回る金額だ。

 その賞金目当てに――〝鬼〟は正に獲物を狩るハンターと化した。

 世界中の人々がこぞって銃の携帯許可申請を行い、銃器を取り扱う訓練を受けた。それこそサラリーマンから公務員、果ては保育士までこの殺戮劇に参加。初の開催となった、四年前の〝子〟は五人だったが、尽く皆殺しにされた。三年前も同じで、一昨年も昨年も同様だ。

 数名しか居ない〝子〟は圧倒的多数である〝鬼〟に蹂躙され未だクリヤーした者はいない。七日間〝鬼〟から逃げ切ると言う、たった一つの光明に至った人間は未だに存在しなかった。

 そう。〝子〟は〝鬼〟から逃げ切れば、その時点でその役回りから解放される。更に言えば〝子〟が勝利した暁には、統一政府より百兆円に及ぶ報奨金が与えられる。

 しかもその内の二日間は準備期間で、政府側も〝子〟が誰であるか明確に公表しない。ヒントだけを小出しで与え、誰が今年の〝子〟か予想させる。その予想に従い〝子〟を捕えて政府につきだす人間も居るが、それはハイリスクな行為だ。

 何せその〝子〟が間違った人物なら、この時点でつき出した人間は〝鬼〟としての権利を失う。ましてや殺害していたなら殺人罪が適用され、終身刑さえ言い渡される。

 故に今年の様にヨシュアの高校の生徒の誰かが〝子〟だとわかっても、下手な動きはとれない。これだけ有利な立場にありつつも、彼等の多くは〝その時〟が来るまで静観する他ない。

 これがヨシュア・ミッチェの現状であり――彼にとってせめてもの幸運だった。


     ◇


 では、なぜヨシュアは自分が〝子〟だと知っているのか? 〝子〟は事前に政府から『君が今年の〝子〟だ』と知らされるから?

 いや、それは異なる。〝鬼〟同様〝子〟も期限が五日に迫るまでヒント以外何も知らされない。〝子〟は発表当日まで自分が〝子〟である事を知らないまま、日々を過ごす事になる。

 ヨシュアも同じ筈だったが、彼には一つだけ他の〝子〟達とは異なる事情があった。彼の父は、国家公務員という立場にあったのだ。

 元々優秀だったヨシュアの父は、情報処理部門の責任者を任されている。その為この四年の間、誰が〝子〟なのか彼は事前に知る事が出来た。

 無論、守秘義務があるので他言は出来ない。いや、口外した時点で刑事罰が与えられ、執行猶予無しの服役刑が言い渡される。

 よって、彼もその部下達も〝子〟についての情報は一切外には漏らさない。加えて、公平を期して彼等がこのゲームに参加できるのは、五日目からという事になる。

 そのデメリットを嫌い、この仕事を辞めた人間も居たが、幸いな事にまだ少数だ。それも或いは父の良識的な性格が、スタッフの間に浸透していたからかもしれない。

 その父は、ある日気付く事になる。他の区役所の同部門の人間が、自分を避けている様な奇妙な違和感に。初めは気の所為だと思ったが、日に日に彼の胸裏に渦巻く不安は大きくなっていった。

 今年の〝子〟は、アイズマン・ルーナという息子と同じ高校の一年生だと通達されている。彼はその情報を元に、今までヒントの作成をしてきた。だが、ここにきて彼の違和感は確かな物となったのだ。

〝……やはり、何かがおかしい。まるで私だけが、蚊帳の外に置かれている気がする〟

 仮にその勘が正しく、彼にとって最悪の事態が既に起きているとしたらどうだろう? 今年の〝子〟がヨシュア・ミッチェで、だから彼の父親である自分にその情報が伝達される訳がないとしたら?

 それはただの直感にすぎなかったが、それでも彼は今自分が出来得る事をしたのだ。彼もまた周囲の人間達の様にヨシュアに対し、ぎこちない態度で接した。口では何も語らず何かを仄めかす様に、彼は態度だけで息子にその事を知らせたのだ。

 その時、ヨシュアは即座に直感した。今年の〝子〟は自分の高校の一年生であると知っていた彼は、父の態度で確信する。

 今年の〝子〟は――恐らく自分だと。

 だが〝狩り〟が開始される二日前にその事に気付いた彼は、何も出来ない。仮にここで自分が身を隠す様な真似をすれば、情報の漏洩を疑われ、父が投獄される。いや、恐らく父はそうなる事を覚悟で、この情報を自分に流したのだろう。

 このまま本格的な〝狩り〟が始まれば、自分は間違いなく殺される。しかしその前に逃げれば、父は投獄だけで済む筈。きっと、父が極刑になる事は無いだろう。これはそう言った計算のもとに為された、秘密の漏洩だ。

 なら……やはり自分は逃げるべきか? ……けれど、本当に父が極刑に処せられないと言い切れる?

 こう言ったジレンマが、ヨシュアの判断力を大いに鈍らせる。

〝子〟の発表が一日後に迫る中――やはり彼は行動出来ないまま変わらぬ日常を送っていた。

(……本当に、何でこんな事になったんだろう? いや、それより問題なのは、明日、僕は死ぬかもしれないのに何の実感もわかない事だ。これからホラー映画じみた事が起こるって言うのに、何の感慨も浮かばない。せっかく父さんがリスクを冒してまで僕に逃げ道を与えてくれたのに、このまま何もしない? 本当にそれで良いのか、僕は……?)

 父譲りの、真っ当な性格が災いしたと言える。

 ヨシュアはどうしても父の身を犠牲にして、自分だけ助かる道を選べずにいた。

(……いや、ここで逃げても同じ事じゃないか? 僕にはどうしても……五日間も全人類から逃げ延びる自分の姿が想像さえできない。一応五日分の食糧を詰め込んだバックをコインロッカーに隠してきたけど、ただそれだけだ。それだけの準備だけで、逃げ切れる筈が無い。銃も携帯しているけど、人に向けて撃つ自信は、やっぱり無いな……)

 つまり――終わりだ。

 明日の午前八時――全世界を対象にして今年の〝子〟の素性が公表される。

〝子〟はその五時間前に自分が〝子〟である事を、携帯を通じて通達される。だが、それが何になるだろう? たった五時間の猶予だけで、七十億人もの人間を相手に出来る筈が無い。少なくともヨシュアには、そんな自信は微塵も無かった。

 そう――次の瞬間までは。

「ちょっといいですか――ヨシュア・ミッチェ君?」

「え?」

 背後から、凛とした声が彼の耳に届く。椅子に座ったまま振り返ってみれば、其処には見知らぬ女子が居た。

 癖のある薄い亜麻色の長髪に、鋭い眼差しと、白い肌。タンクトップを着て、首には黒いチョーカーを巻いている。ジャンバーを纏い、短パンにニーソを穿いた少女は、一言で言うと野性的だった。ただ一点、若干小柄な事を除いては。

「えっと、君は?」

 平静を装いながら、ヨシュアは訊ねる。少女は、礼儀正しく応対した。

「失礼。私は――アビナ・ズゥ。君と同じ学年で、隣のクラスに所属しています」

 この学校の、生徒? なのに、制服を着ず登校しているというのか、彼女は? 

 いや、それ以前に、このワイルドな見かけと違い、少女の口調は実に丁寧だ。

 このギャップにヨシュアは眉をひそめるが、彼女はお構いなしで話を続ける。

「単刀直入に聞きますが――君は今年の〝子〟ですね?」

「……は?」

 一瞬心臓が高鳴ったが、ヨシュアは直ぐに自制し、意味不明といった表情を見せる。少女がカマをかけているだけという可能性に直ぐ行き着き、惚け切ろうと図る。

 けれど、彼女は普通に言葉を紡ぐ。

「いえ、面倒な駆け引きは止めにしましょう。本当に面倒なので。実は、私の知人が中央政府のコンピューターをハッキングしまして。その結果、君が今年の〝子〟である事が判明した訳です。しかも、調べてみれば君のお父様は情報部門の責任者との事。もし彼が聡い人物なら、息子が今年の〝子〟だと気付いている筈。なら、そんな彼が息子の為にどう動くかも見当がつきます。故に――君は既に自分が〝子〟である事を知っているのでは?」

「…………」

 ……真剣に、何だこの娘は? 中央政府のコンピューターに、ハッキングした? それで、自分が今年の〝子〟である事を割り出したと?

 だとしたら、そのハッカーも自分の素性を知っている……? ヨシュアとしては、そう考えるしかなかったが、彼女は首を横に振る。

「いえ、そこら辺は問題ありません。彼は、後三日は動きが取れない様、処置しましたから。それより重要なのは、と、別にそう警戒しなくても構いませんよ。私は君を、政府につきだしたりしないので」

「………」

 いや、そう言われて素直に納得する人間など居まい。そうは思う物の、彼女がこうして話かけてきたメリットがヨシュアには思いつかなかった。仮に彼女がその気なら、自分は既に殺害ないし捕縛されている筈だから。

 それとも、彼女は彼の口から『自分は今年の〝子〟だ』と認めさせる為に話かけてきた? だとすれば彼女は絶対的な確証を以て、彼を害する事が出来る。

 そう考えると辻褄は合うが、ヨシュアはこの可能性から目を背けた。その理由は、どう見ても彼女は嘘をついている様に見えなかったから。

「……わかった。そこら辺の話は、信用するよ。というか、信用するしかないみたいだ」

「私にとっては、実に望ましい判断ですね。その一点だけでも、私は君に好意を抱いた位です」

 待て。よく見れば、この少女は相当の美人なのでは? 

 やや童顔で幼気な感じだが、それ以上に彼女の相貌は整っている。例えるなら、荒野に佇む獅子といった感じだろうか?

 改めてそう感じるヨシュアは、だから気がつくと頬を赤らめていた。

「ん? どうかしました?」

「あ、いや……何でもない。話を続けて。君は僕に、どんな用があるの……?」

 彼女の返事は――彼にとってありえない物だった。

「はい。というのも、他ではありません。じつはハッキングの折、ついでに一寸した仕掛けを施しまして。今年の〝子〟のデータを、君から私に書き換えておいたんです。要するに君はもう自由の身、という事ですね」

「え……?」

 本当に、今日という日は何なのか?

 何故こうも理解不能な事が続くのか、ヨシュアはそれが謎だった。

「……つまり、君が僕の身代わりになったって事? 一体、何で? いや、それ以前にそんな事が可能なの? 例えデータを書き換えても、既に関係者は僕が今年の〝子〟だって知っている訳だろ? ならそんな事をしても無駄で、直ぐにデータは修復されるだけなんじゃ?」

 この正論を聴き、彼女は首を縦に振る。

「普通ならそうですね。でも仮に大帝が私の思う通りの人物なら、寧ろ喜んでいる位だと思いますよ? 私と言う、無謀な挑戦者が現れた事を。故に、彼女は恐らくこの改竄をスルーする筈です。今年の〝子〟は――私ことアビナ・ズゥとなった。そう解釈して、差し支えないでしょう」

 少女が、初めて小さく笑う。

 それは本当に楽しそうで、その為ヨシュアは理解できない。

「……待て。君、正気か? 明日から全人類を敵に回すって言うのに、何でそんな風に笑っていられる……?」

 が、彼女は答えない。代りに、別の事を口にする。

「ま、そういう訳なので、君は金輪際今日の事は忘れて下さい。例え何があろうと、何もなかったと思って日常を送る事です。ではそういう事で――ヨシュア・ミッチェ君」

 少女が、踵を返す。ヨシュアは、それを黙って見送る。

 いや、その筈だったが、気が付くと彼は椅子から立ち上がり、自分でも良くわからない行動に出た。

「――待った! 話はまだ終わってない! 一方的にそんなこと言われて、納得できる筈がないだろう! というか、一体誰がそんな事を頼んだっ? 君は一体何様だっ? 君は良かれと思ってしたんだろうけど、僕は一切そんな話は認めないぞ!」

「………」

 少女が初めて不快な物を見る様な目付きで、ヨシュアを見る。

 幸いだったのは今が放課後で、だからこの場に残っている生徒は彼と彼女だけだった事。そんなヨシュアに、彼女は淡々と反論する。

「確かに、そうかもしれませんね。私は、とんだお節介をしただけなのかも。でも、そのお蔭で君の御両親はきっと救われたと思いますよ? 一人息子を、こんなバカげたショーで失わずにすんだのだから。――違いますか?」

「……つッ? やっぱり君は、卑怯者だ! そういう事を、平然と口にするんだから!」

「君の方こそ、良くわかりませんね。命が助かった事を、素直に喜べば良い物を。何故そんな駄々をこねるのか、正直理解不能です」

 確かに、少女の言い分の方がよほど理に適っている。ヨシュアは今、絶望的とも言える状況から解放され、明日も変わらぬ日々を送れるのだ。父も犠牲にする事なく、ミッチェ家の平穏は彼女の手によって保たれたと言って良い。なら、そんな彼女に感謝する事なく怒声を浴びせる自分こそ一体何様だろう?

 ヨシュアの中の冷静な部分がそう訴えかけてくるが、彼の暴挙はとどまる所を知らない。

 いや、彼は自分でも信じられない事を、真顔で告げていた。

「そんなの――君に一目惚れしたからに決まっているだろ! そんな子に全ての責任を押しつけて――このままオメオメ引き下がれると思うかっ?」

「……は、い?」

 今まで冷静な面持ちだった少女が、初めて動揺の声を漏らす。ただの少女ではなく、あのアビナ・ズゥがである。それ程までに、ヨシュアの告白は余りに唐突過ぎた。

 しかも、ヨシュアの蛮行はここに極まる。

「だから逃げるなら二人で、だ。もし君にその気が無いなら、僕は今から今年の〝子〟が君である事を、ネットを通じて拡散する。そうなると、君の予定はかなり狂うんじゃないか? きっと明日以降の為に用意してきた準備が、全て失われる事になるんじゃ? それは、君が一番困る事だろう?」

「………」

 その時、彼女は右腕を掲げる。それは明らかに凶兆を帯びたナニカだったが、彼女は直ぐに気を変えた。一度だけ嘆息した後、彼女はこう口にしたのだ。

「……いえ、ここで君の口を封じるのは簡単なのですが、少し気が変わりました。どうやら私は君を心底から後悔させたがっているみたい。故に、良いでしょう。君がどんな世界に足を踏み入れたのか、思い知らせて上げますよ、ヨシュア・ミッチェ君」

 そう謳いながら――アビナ・ズゥは酷薄な笑みを浮かべたのだ。


     ◇


「では、早速ですが、君には私の指示通り動いてもらいます」

「君の……指示通り?」

 ヨシュアが眉根を寄せると、アビナは普通に言い切る。

「ええ。君は気付いていない様ですが、既に一年の生徒は皆、上級生にマークされています。無論私や君も例外では無く、今もこの様子は遠くの校舎から双眼鏡で監視されている筈。君がこのまま家に帰れば、その監視者もとうぜん尾行してくるでしょう。故に飽くまで私に同行するというなら、このまま私と行動を共にしてもらう必要がある」

 そこまで聴いて、ヨシュアは息を呑んだ。

「……つまり、二年、三年の生徒は既に組織化されているって事? 細かく役割が振り当てられていて、担当の生徒が怪しい行動をとらないか監視している?」

「そういう事です。なので君は家に帰らず、私についてきてもらいます。要するにご家族とはこのゲームが終わるまで会えないという事ですが、それでも構わない?」

「………」

 それもアビナの言う通りだろう。今アビナと別れ後で合流しようとすれば、もうそこまで。自分の家の玄関を出た時点で、ヨシュアは〝子〟だと疑われ上級生達の注目を集める。そうなれば、自分はもう彼女と行動を共に出来ないかもしれない。それは、ヨシュアの望む所ではなかった。

「わかった。家に帰るのは諦める。いや……丁度いいかもしれないな。正直、父さんと母さんの顔をまともに見る勇気が、今は無いから」

「んん? では、携帯で連絡する気も無い?」

 アビナが問い掛けると、彼は項垂れる様に頷く。

「僕は……本当に親不孝者だ。せっかく君がチャンスをくれたのに、それを全部ふいにしたんだから。そんな僕がどの面下げて、あの二人に会えばいい?」

「尤もですね。私の目から見ても――君はただの大ばか者です」

 喜々として、彼女は告げる。それは、心底面白がっている様な表情だ。

 それを見てムっとするヨシュアに、彼女は更なる要求をつけつける。

「でも、丁度いい。それなら、携帯を破壊しておいてください。〝鬼〟は携帯の電波やGPS機能を利用し、此方を追跡してくるので。代りに、これをどうぞ」

 アビナが、スマホを投げてよこす。それを何とか受け取りながら、ヨシュアは首を傾げた。

「えっと、これは?」

「知人に用意してもらった物です。特殊な携帯で、それなら追跡される恐れはないとか。ま、きっとその携帯を渡してくれた人物以外は、という事でしょうけど」

「……へ? じゃあ、その人は僕達を追ってこられる? ……あ、いや、違うか。きっとその人にも何らかの〝処置〟とやらをしたんだね?」

「正解です。流石、国家公務員の子息。飲み込みがはやいですね」

「……親が国家公務員なのは関係ないと思う。えっと、それじゃ僕達はこれからどうするの? ……まさか、君の家に向かうとか?」

「だとしたら、なにか不服でも? 一目ぼれした女子の家にお呼ばれされるのだから、男子としては喜ばしい事なのでは?」

「……君、やっぱり性格悪いだろ?」

 明らかに揶揄しているアビナに、ヨシュアは率直な感想をぶつける。

 彼女はやはり、悪戯気に微笑んだ。

「冗談です。でも、そうですね。さしあたっては、学生ではついてこられない場所にでも向かうとしましょうか」

「は、い?」

 思わず首を傾げるヨシュアをよそに――アビナは踵を返して今度こそ歩を進めた。


     ◇


 アビナとヨシュアが、連れだって校舎を後にする。彼女は、やはり普通に言葉を紡いだ。

「やはり、つけられていますね。それも、学生だけではない様です。プロも何人か含まれている。この感じだと――千人は居そうな感じですね」

「……千人っ? 今、千人って言った――ッ?」

 余りに想像を超えていた為、ヨシュアは率直過ぎる反応を示す。アビナは、やや呆れた。

「当然でしょう。何せ賞金の額が額ですから。ヨルンハルトハイスクールの生徒が〝子〟だとヒントが出た時点で〝鬼〟も動き始めた。人を雇って兵隊を増やし、ヨルンハルトの一年を尾行させる位の真似は普通にします。私から見れば、これでも少ない方だと思いますが?」

 確かに〝子〟を殺害もしくは捕縛して政府に引き渡した人物は、十兆円も授与される。もしこのゲームに人生をかけている人間が居れば、金に糸目をつけず人員を増やす位の事はする。そういった人々の連なりが、今ヨシュア達の学校の一年生達にのしかかっていた。

 言葉にすれば、ただそれだけの事だった。

「……要は、僕達を狙っている組織は、少なくとも千か、千近くはあるって事だよね? その三桁か四桁に及ぶ組織が僕達を監視し〝子〟か否か判断しようとしているって訳?」

「そういう事です。まあ、彼等も〝子〟はまだ自分が〝子〟だと認識していないと思っている筈。そう言った意味では、今は様子見の段階です。現時点で〝子〟以外の人間を誘拐すれば犯罪行為となり〝鬼〟の資格を剥奪される。即ち、ヨルンハルトの一年生全員を誘拐し〝子〟が誰か発表された後その人物を殺害するという手は使えない。〝鬼〟が〝子〟をノーリスクで害する事が出来る様になるのは〝子〟の素性が公示されてから。それ以前は彼等も誰が〝子〟だかわからない為、誰も手出し出来ない。本来なら、〝子〟も自分が〝子〟だと認識していないので、拷問や脅迫で白状させるのも無理です。故に――本当の勝負は午前三時に〝子〟に『今年の〝子〟はあなたです』と政府から通達があった後。それ以後怪しい行動をとった人物を、彼等は重点的にマークする気でしょう。私の様に事前に自分が〝子〟だと認識している人間が居るとは、彼等も思っていない筈です」

「成る程。一つ、重要な事がわかった」

「何です?」

「君、性格は悪いけど――頭は悪くないね」

 無理やり笑いながら、ヨシュアはそう評する。

 けれど、アビナの余裕はここでも崩れない。

「いえ、それ位は私じゃなくても、わかると思うのですが?」

「………」

 それはつまり、そんな事もわからない自分は頭が悪いという事だろうか?

 墓穴を掘ったなと感じながらも、ヨシュアは何とか平静を保つ。

「で、その賢い君はこれからどうするつもり? さっきの話を聴く限りだと、何か不審な行動をとる気みたいに感じられたけど、これは気の所為?」

 が、アビナはその質問には答えず、逆にヨシュアに質問する。

「というか、一つ訊きますが君はもちろん知っているのですよね? 〝子〟となった人物の親族は皆〝鬼〟に害されないよう政府が保護するという事は?」

「ん? 知っているけど、それが何か?」

 然り。〝鬼〟が〝狩る〟のは飽くまで〝子〟のみ。〝子〟の親族を人質にして〝子〟を投降させる様な真似を中央政府はほぼ認めていない。

〝子〟が殺害した人物の親族が〝子〟の親族を襲う可能性もあるので、〝子〟の親族は政府に保護される。このゲームで唯一良心的な所があるとすれば、恐らくそれ位だろう。

 国家公務員を父に持つヨシュアは、当然の様にその事は知っている。

 しかし、それが何だというのかと彼は素直に首を傾げた。

「いえ、私には親族が居ないので、コレは全く関係ない話です。でも――君はどうでしょう? 〝子〟でもない君が〝子〟に協力をした時、果たして〝鬼〟はどう動くと思いますか? 私の考えだと、恐らくこうです。君の親族を拉致し――君に私を害するよう脅迫する。いざゲームが始まれば大抵の事は許されるので、こういった手も使ってくる筈です」

「な――ッ?」

 それはヨシュアにしてみれば、冷や水を浴びるに等しい衝撃だった。けれど、アビナの想定は決して現実離れした物では無い。もし自分がアビナに協力していると特定されれば、事は彼女の想像通りに進むかも。それだけのリスクが、確かにヨシュアにはあった。〝子〟の親族でも無いヨシュアの家族を保護する義務など、政府には無いのだから。

 ならば、どうする? いや、この場合、答えは一つしかないだろう。

「……やっぱ、父さん達に連絡するしかないだろうな。僕が〝子〟に協力する気だって。その上で政府に父さん達を保護してもらう様、働きかけてもらわないと」

「――そういう事です。という訳で私は政府に連絡をとるので、君はご両親に事の成り行きを説明して下さい」

「政府に連絡って……一体どうするつもりなの?」

「簡単です。私が〝子〟である事を、一時間早く公表して構わないと彼等に伝えます。その代り、君の親族を保護するよう要請する。恐らくこの条件で、向こうも折れるでしょう」

「……ちょっと待った。それだと、君のリスクが増すだけなんじゃ? それとも、それを覆せるだけの策が君にはある?」

「いえ、今の君には何を言っても、気休めにしか聞こえないと思いますが?」

 確かにその通りなので、ヨシュアは気持ちを切り替える。アビナの提案を受け入れ、彼は父の携帯に非通知で電話した。というよりヨシュアは淡々と簡潔に、事実だけを話す。

「あ、父さん? えっと……実は僕今年の〝子〟に協力する事にしたから。だから〝子〟の公表時間になったら、ウチに政府から親族保護の為の役人が来る筈なんだ。父さん達は、その人達の指示に従ってくれればいいから。じゃ、そういう事で」

 が、僅かな沈黙の後――凄まじい怒声が携帯から響き渡る。

 それを無視して、ヨシュアは携帯の電源をオフにしていた。

「うん。これで問題ない」

「……そうですか? 私には、問題しかない様に思えましたが? ……いえ、本当にヨシュアは、果断な所がある大ばか者ですね」

「いや、そういう話はもう良いんだ。自分でも、わかっているから。で、そっちの首尾は? 上手くいった?」

「ええ。事の一部始終を話した時点で、向こうの折り返し待ちという事になりましたが、問題は無い筈。今頃上役に連絡を入れ、どう対処するべきか協議している筈です。上役の人間は私が今年の〝子〟を私に変えた事を知っているので、問題視はしない。彼等は、私の要求を呑むと思いますよ」

 現に、アビナの言う通り政府の役人はアビナの提案を受け入れる。

 彼女が言っていた条件で、手打ちと言う事になっていた。

「ま、それも当然ですね。〝子〟が一般人の手を借りてはいけない、というルールはありませんから。一般人が〝子〟に悪意を抱く事なく、手を貸すかは不明瞭ですが。というか無条件で〝子〟に協力する一般人は、ヨシュアが初めてだと思います」

 そこまで聴いて、彼は初めてある事に気付く。

「……え? 君、もしかして僕の名前さっきから呼び捨てにしている?」

「していますが、それが何か?」

 本当に不思議そうに、アビナは首を傾げる。

 それから彼女は、何かを察したかのような表情を見せた。

「もしかして、不快でした? 別の呼び名が、良かったでしょうか? 例えば、ヨシュアだからヨッチンとか?」

「いや、何故そこでそう言う結論に達するのか意味不明だけど、それならヨシュアで良い。僕も代りに、君の事は〝アビナ〟って呼ぶから」

「……えー」

「……いや、〝えー〟じゃなく」

 そんなに厭なんだと内心落ち込んでいると、彼女はドヤ顔で微笑む。

「冗談です。別に構いませんよ。アビナで」

「はぁ。さっきから思っていたんだけど、君でも冗談をいう時があるんだ? 少し意外かも」

 と、彼女は遠くを眺める様な目で、中空を見つめた。

「かもしれませんね。師に言わせると、私に足りないのはユーモアという事だったので」

「師? 師って、お師匠さんの事? それって何の先生? もしかしてカンフーとか?」

「んん? 私の身の上話など、聞いて楽しいですか? 別に、何の得にもならないと思うのですが?」

 アレは、本気でそう思っている顔。

 そう感じた時、何故かヨシュアは少しだけ頭に血が上った。

「――得ならある。言っただろ。僕は、君に一目惚れしたって。好きな女の子の事を知ろうとして、何が悪い」

「………」

 アビナが心底から軽蔑する様な眼差しを向けてきたのは、直後の事。僅かにソレに怯みながらも、ヨシュアは彼女を睨み返す。

 やがてそれが如何に不毛な事か気付いたアビナは、視線を切った。

「……全く、君は本当に大ばか者ですね。一体何を考えているのか、正直サッパリです。ですが、これだけは訊いておきましょう。私に協力するつもりという事は、それ相応の『能力』を保持していると考えて構わない?」

 と、アビナ・ズゥは――この星の住人でなければ理解不能な事を彼に問うたのだ。


     ◇


「いえ、その前に言っておきますが今回このゲームはパニックホラー的な物にはなりません。それ以外の、何かになります」

「……はい? 君、偶に意味不明な事を言うよね?」

 いや、そうでもない? 彼女の発言は、何時だって事の真理をついてきた? なら、この場合はどうなる? そう悩んでいると、彼女は続けた。

「いえ、話を戻しましょう。頑として私について来ようとするあたり君は余程自分の『能力』に自信がある?」

 やはり、聞く者によっては意味不明な事を、アビナはヨシュアに訊ねる。

 が、この星の住人たるヨシュア・ミッチェは、その意味をよく理解した上で首を傾げた。

「……えっと、どうだろう? 正直……自分でも良くわからない」

 ヨシュアの答えは、如何にも曖昧だ。

 よってアビナとしては眉をひそめる他ないが、彼女はそれ以上追及しなかった。

「ま、良いでしょう。私も自分の『能力』を教える気はありませんから、君もその事は伏せていて構いません。今後気が変わったら、そのとき話してください」

 それは、聞き様によっては、今後気が変わる事が起きるともとれる発言だ。ヨシュアは即座にその意味に気付き、だから思わず苦笑いを浮かべる。早くも自分の未来に暗雲が立ち込めた様に思えて、彼は更に憂鬱な気分になった。

 では、アビナ達が言う『能力』とは何なのか? それは、この星の住人全てに関係した話である。

 この惑星ニーファの人間は皆――何らかの超能力が使えるのだ。

 但し、それは飽くまで対人用の『能力』に限る。

 何故なら、彼等の『能力』は一対一でしか使えないから。

 その『能力』は目が合った人間が対象となり、そのとき両者は亜空間に飛ばされる。その亜空間で一対一の能力戦を五分間行うと言うのが、この『能力』の条件だった。但し意識を失っている人間に対しては、目が合うという条件は無しで『能力』が使用可能になる。

 そしてその『能力』が対峙している人間に見抜かれた場合、その力はその人物に対し使えなくなる。制限時間の五分を終えた時点で、生涯その『能力』は見抜いた人間には使用不可能となるのだ。

故に彼等が一個人に対し『能力』を使役できるのは、最悪その能力戦が行われている一回のみ。使用した瞬間どういった『能力』か看破される可能性があるので、自ずとそうなる。

 更に能力戦に引き込むには、標的が半径五メートル以内に居なければならない。その為銃撃戦を行っている時に『能力』を発動する事は極めて難しい。加えて重大な事を挙げるならこの『能力』は自分で選ぶ事が出来ないのだ。

 才能と同じで『能力』の種類もまた天からの授かり物という事になる。よって、肉体的には強靭でも『能力』はふざけた物、という人物も少なくはない。逆に、貧弱ではあっても『能力』は強力という者もいる。

 ただこのルールは、一つだけ逃げ道があった。標的に見抜かれた『能力』は、その標的には二度と使えない。だが二十四時間経つと別の『能力』が使用できる様になり、見抜いた標的に使用できる。見抜いた人物にしかその『能力』は使えないが能力戦に復帰できるのは事実だ。

 つまりこの星の住人は生まれ持った『能力』の他に、特定の人物にしか使えない『能力』がある。――自分の本来の『能力』を知られた人間に対する『能力』という物が存在している。

 故に『能力』を看破された場合、看破した標的を彼等は記憶する必要がある。仮にこれを怠ったら、本来の『能力』を発動してしまい、それが不発に終わるケースがある。しかも次に得た『能力』がロクでも無い『能力』になる事も少なくない。

 そのため彼等は極力『能力』は温存し、有効打になると判断したとき使用する。主に犯罪に巻き込まれたとき使役されてきたのだが、このゲームが始まり状況は変わった。彼等は自身の『能力』もカードの一つとし、〝子〟を捕える為の手段としたのだ。

「で、仮に僕が敵の『能力』を知った場合、その『能力』は五人までなら他言が可能。それ以上は、強制力が働いて誰にも教える事が出来ない。僕からその事を聴いた人に至っては、誰にも教える事が出来ないって事だよね?」

 ヨシュアが、改めて『能力』のルールを確認する。アビナは、真顔で頷いた。

「はい。その認識で、間違いはありません。故に『能力』を使って遠距離を瞬間移動したり、建築物を破壊する事は不可能です。私達の力は飽くまで、対一個人用の物でしかありませんから。でも、そうですね、やはり一応、君にも私の『能力』を教えておきましょうか」

 どんな心変わりをしたのか、アビナは唐突にそんな事を言い出す。ヨシュアは意外そうに目を瞬いた後、思わず唾を飲みこんだ。

 何せ今目の前に居る少女は、自ら〝子〟になる事を望んだ。

 ならば、それ相応に高い『能力』を有していると考えるのが妥当だ。いや、事はもうアビナだけでなく、自分の命さえ懸っている。ならば、ヨシュアとしては、アビナの『能力』に大きな期待を持たざるを得ない。

 だが、その一方で疑問も生じた。なぜその強力な『能力』を、自分に教える必要がある? その事を話したら、アビナは彼にその『能力』を使用できなくなるのに。

 つまりそれは、『能力』を教えて構わないと思える程、アビナは彼を信頼していると言う事か?  ――で、そのアビナの答えはと言うと、こうである。

「ええ。私の能力は――『タクワンを、音を発てずに食べる事』です」

「……は……?」

 この時、ヨシュアの背中に戦慄が走ったのは言うまでもない。

 彼はその瞬間、心底から疑問符を並び立てた。

「……え? ちょっと待って? 君、今、なんて言った……?」

「だから――『タクワンを、音を発てずに食べられる』と言いました。なので、リンゴや味噌汁を音も立てずに食べるのは無理です。私が音を発てずに食べられるのは、飽くまでタクワンだけ。そこら辺は――勘違いしないでもらいたい」

 真顔で、恥ずかし気もなく言い切る。ならばヨシュアは、こう叫ぶしかない。

「――アホっ? 君、もしかして真正のアホッ? そんな『能力』しか持っていない癖に、なんで自分から〝子〟になりたがったのっ? 僕はこんな奴に、今まで大ばか者呼ばわりされてきたのか――っ?」

「まあ、そう思われても仕方がありませんね」

 何故かドヤ顔で、アビナは頷く。ヨシュアは、真剣な面持ちで頭を抱えた。

「……そう、か。全ては逆か。君が僕に『能力』を教えた理由は、僕をまるで信用していないから。役に立たない『能力』を教え、新たに別の能力を得て、僕が裏切った時の為に備える為か。……え? 一寸待って? 僕、本当に明日死ぬ? 僕の人生、たった十五年で終わり? そんなバカな事ってある……?」

 一方、アビナは彼に一つの光明を示していた。

「いえ、そう悲観した物ではありませんよ、ヨシュア」

「――悲観しかする事がないだろッ? 一体それ以外の感想を、どうやったら持てるって言うんだっ? ――このタクワン!」

「いえ、私の事を悪く言うのは構いません。ですが、タクワンに罪は無い。タクワンは飽くまで無害で、寧ろ健康に良い位です。その辺りは、誤解してもらいたくありませんね」

「………」

 この人、本当はバカなのか? いい加減、ヨシュアはそう思う他なかった。

「いえ、話を戻しましょう。実は、私の『能力』は既に有力な〝鬼〟達に向け、動画配信を済ませています。自ら『能力』を明かすなら、他言出来る人間の数は十倍の五十人に及ぶ。このルールを利用し、私が音も立てずにタクワンを食べる姿を〝鬼〟達に送ったのです。これは当然変装した物ですが、だとしたらどうなりますか?」

 そう聴いたヨシュアは目を見開いてから、彼女に問い掛けた。

「……君の『能力』は、いま限定条件つきだけど五十個になるって事? いや、それ以前に……タクワンを食べる女子高生の動画とか、どんだけシュールなのさ?」

「変な所に食いつきますね、君は。ですがヨシュアの言う通りです。私は今、五十に及ぶ『能力』が備わろうとしている。但しどの『能力』が誰に当てはまるかは私も把握していません。こればっかりは、実際に使ってみるまでわかった物ではありませんから」

 そういう事だ。時間差をつけ、標的に自分の能力を明かせば、新たに得た能力が何であるか確認は出来る。だが、この場合、時間差をつければ先んじた人間がその動画を不審に思う可能性が高い。その上でネットを通じて他の人々に警告されてしまえば、この手は使えなくなる。その為、アビナとしては件の動画を標的に一斉送信し、警戒する間を与えない必要があった。その所為で、以上の様な弊害が生まれたのだ。

「……だね。どんな『能力』を手に入れたかは知らないけど、確かにアビナの言う通りだ。一つ一つ標的に向け『能力』を使い、どれが発動するか試すしか手段はない。でも、僕の予想だとそうやって試している間に、君はきっと死ぬよ……?」

「酷い事を言いますね、ヨシュアは。もしかして君はドSですか? 女子高生を罵る事で、言い知れぬ興奮を覚える質?」

「………」

 やっぱりこの子、バカだ。ヨシュアとしては――もうそう確信する以外なかった。


     ◇


 アビナ達が近くの港についたのは、それから数十分後。彼女は何の疑問も抱かず停泊中のボートの一つに乗り、エンジンをかけ始める。

 これを見て、ヨシュアはもう一度唖然とした。

「って……まさかそのボートで海に出る気ッ? そんな怪しい行動をとれば、間違いなくマークの目も厳しくなるのに……っ?」

 けれど、アビナは平然と断言する。

「いえ、問題ありません。というのも、今ヨルンハルトの一年生達はどんな心境にあると思いますか?」

「どんなって――と、そうか。実はみんなも自分が今年の〝子〟なんじゃないかって怯えている? 最悪の事態に備えて、午前三時までは何処かに身を隠そうとしている?」

「ええ。皆、現実感が無いので平然としていました。けど標的がウチの一年生だと公示された時点で、他の一年生達も身の危険を感じている筈。〝子〟である事が通達される午前三時まで身を隠すこと位はするでしょう。よって、私達の行動も別段不自然ではありません。寧ろ、こうする事の方が自然と言うべきでしょうね」

「………」

 やはり、この少女は良くわからない。バカだと確信した後で、この状況把握能力である。

 ヨシュアとしてはどっちが彼女の本質なのか、大いに疑問だった。

「と言う訳で、君にも速やかに同乗願いたいのですが?」

 この促しに応え、ヨシュアもボートに乗り込む。アビナは当然の様にボートを操縦して、遥か沖を目指したのだ。これは、その道中での会話。

「そう言えば君、なんでそんな格好なんだ? 学校に制服も着ないで登校するとか、どれだけ心臓強いんだよ?」

「んん? 別に意味はありません。ただ動きやすくて可愛いから、という理由です」 

「………」

 可愛いというか、短パンにニーソという組み合わせは、ちょっとエッチな気がする。

 決して口には出さないが、思春期真っ盛りなヨシュアとしてはそう思う他ない。

「その割には革靴履いているけど……動き辛く無い?」 

「いえ――その方がマニアウケすると師は言っていました」

「………」

 この時、そいつはロクなやつじゃないなと、ヨシュアは普通に思った。

「それにしても、何ですね。私を見て欲情する男子が居るとしたら、世も末と思っていたのですが。この状況は、一体なんでしょうね?」

「……うるさいなー。というか、君、自覚無さすぎ。アビナは十分魅力的な女の子だよ。ちょっとバカだけど」

「え? 私、今褒められながら貶されました? ヨシュアは器用ですね。そんな事まで出来るなんて」

 クスクス笑いながら、アビナは感心する。

 逆に、またバカにされたと感じたヨシュアは、ムッとした表情を浮かべた。

「そんな事より確かにこれならヨルンハルトの上級生はまけると思うけど、他はどうなのさ? 千人は居たって言う監視者達は、この手で振り切れる物なの?」

「いえ、普通に考えれば、無理でしょう。彼等は学生と違ってあらゆる可能性を考慮し、それに対応できる能力がありますから。ボートで海に逃げる位の発想は彼等にもあって、だから尾行用の船も用意している筈。この手で彼等をまくのは、無理だと言わざるを得ません」

「……そっか。まあ、そうだよね。向こうは、海千山千のプロ達なんだ。子供である僕達が考えそうな事なんて、普通に先回りして思いついているよな……」

「ですね。なので、既に私達がどこに向かっているか彼等は把握している筈。でなければ、意味がありませんから」

「……それは、一体どういう事? いや、そもそも僕達は、一体どこを目指しているの?」

 ヨシュアが眉をひそめると、アビナは棚を空け、海図を取り出す。正面を向いたまま、彼女はある地点を指さした。

「ここに、建設途中の資源採掘基地があります。今日は、ここで夜を明かしましょう。いえ、これから忙しくなりますよ、ヨシュア」

「……えっと、つまりその基地に隠れるって事だよね? 今も僕達は、尾行されているっていうのに。……それって、何か意味があるの?」

 敵に居場所がばれているのに、其処に隠れる理由がヨシュアにはわからない。

 やはりこの少女はバカなのだろうかと、彼は心底不安になった。

「ま、その辺りは追々話す事にします。それより、覚悟しておいて下さい。早ければ〝鬼〟達は――午前三時を回った時点で動き出す可能性があるので」

「……まだ〝子〟が誰だか政府が発表する前に? 〝鬼〟とってそれはリスクが高い行動だって、さっき自分で言ってなかった?」

「ですね。万全を期すなら朝の七時まで待つべきでしょう。ですが午前三時を向かえれば他の一年達は自分が〝子〟でないと知る事になります。そうなれば彼等は隠れ家を後にし、自宅へ戻るでしょう。〝子〟でないとわかった時点で、もう隠れる必要はないのだから。〝鬼〟としては、カモフラージュのため家に帰る〝子〟が居ると考えるかもしれない。その為やはり迂闊に動く事は出来ませんが、今回は少し事情が違います。何せ私達は午前三時を回った後も、件の基地に身を寄せ続ける訳ですから。これこそ正に、不審な行動だと思いませんか?」

「つッ! ……確かにそうだね。他の一年が帰宅して僕達だけその基地に隠れ続けるなら、これほど怪しい事は無い。判断力が高い〝鬼〟なら、僕達を〝子〟だと確信して狙いを定めてくるかも。でもそれじゃ尚の事このままじゃ不味いだろ? 〝鬼〟の不審を買いながら、その上隠れ家まで特定されている。これじゃあ、殺してくださいって言っている様な物じゃないか」

 しかしこの正論を、アビナは一笑する。

「ヨシュア、〝鬼ごっこ〟で一番してはいけない事は何だと思います?」

「ん? ……そうだな。逃走経路もない所に、隠れる事? 例えば、ロッカーの中とか」

「正解。やはり君は大ばか者ですが、頭の回転は悪くありませんね。確かに今の例なら一時的に身をくらます事が出来ますが、所詮は姑息に過ぎません。次に繋がらず〝鬼〟がロッカーを開けた時点で、デッドエンドは確定でしょう」

「……なら、それと同じ状況になろうとしている僕達は何なのさ? もしかして君、僕と無理心中する気なんじゃ……?」

 が、アビナはすました顔で言い切る。

「まさか。それだけは無いので、安心して下さい。それより、見えてきましたよ。アレが、件の基地です。故に、君は基地についたらボートで少し待っていて下さい。先ずは私が――あの基地を制圧してくるので」

「……は、い?」

 よってヨシュア・ミッチェは――もう一度自分の耳を疑ったのだ。


     ◇


 制圧する? あの、全長四十メートルはある基地を? タクワンを、音を発てずに食べる能力を使って? ――そんなバカな。

 それは或る種の奇跡であり、神でさえも不可能だと言い切れる偉業だ。少なくともヨシュアには、そうとしか思えない。

 だがアビナは平然と直ぐ傍に設置された梯子を上り始め、件の海上基地に潜入し様とする。ヨシュアはそれを呆然と眺めながらも、声を張り上げた。

「……待った! やっぱりどう考えても、それは無謀だ! この基地にだってガードマンが居て、銃の携帯位許可されている筈。そんな人達が多分十人以上居るんだ。そんな所を君一人で制圧できる筈が無い!」

 が、アビナはヨシュアに振り返りながら、心底不思議そうに首を傾げる。

 彼女は思い出した様に、こう言った。

「そういえば、まだ話していませんでしたっけ? 私が――人間ではなくなった事は」

「……へ? 人間じゃ……ない?」

 何だ、その何かの漫画みたいな言い草は? 人でないというなら、この少女は一体何者だというのか?

 ヨシュアが疑問に思っている間にアビナは梯子を上り切り、基地に侵入する。彼も暫し呆然とした後、直ぐに我に返ってアビナの後を追おうとした。こうなったら『能力』を使ってでもアビナを連れ戻そうとする。

 けれどその時――彼は銃声らしき物を何度も聞く。

 これに触発されヨシュアは駆けだすが、その頃には全ての決着はついていた。

「制圧完了。……と、ヨシュアも来たのですか? 恐らく君は性格上、人に向けて銃は使えないでしょう?」

 要するに足手まといになるから来るなという事なのだろうが、ヨシュアはそれどころではない。地面に倒れ伏す数人の人々を見て、彼は思わず目を怒らせる。

「……って、まさか殺したんじゃないだろうな? いや、もしかして君は初めからこうするつもりだった……?」

「ええ、その通りですが?」

 それが何かと、彼女は真顔で訊ねる。

 この態度に対しヨシュアは怒声を吐き出そうとしたが、その前にアビナは微笑んだ。

「冗談です。誰も殺してはいませんよ。今は、まだ。それより、せっかく来たのだから手伝ってください。彼等をボートに乗せ、陸地まで運びますから」

「……陸地に運ぶ? と、そうか。君が本気でここを根城にするならこの基地は戦場になる。彼等はこのままじゃ、その巻き添えになるって訳か?」

 いや、それ以前にこの少女はどうやって、二十人にも及ぶ人間を無力化した? 自分が梯子を上り切る間に、何があったと言うのか? ヨシュアには、それが余りに謎だった。

 そうは思いつつも基地の作業員の身の安全を慮った彼は、素直にアビナの指示に従う。彼等をボートに乗せ、近くの陸地へと運送する。

 それを三往復ほど繰り返し、この作業は終わりを告げていた。

「では、次は君の番ですね。制服の上からで構いませんから、これを着て下さい」

「え? これは何?」

「何って――君の戦闘服です」

「……その全身黒タイツが?」

「そうですよ。知人につくってもらった物なのですが、これが実に優れ物でして。防弾性や耐熱性、耐寒性等々を有したスーパースーツなんです。これさえ着ていれば、銃弾を何万発食らおうと死ぬ事はありません。このフルフェイスのヘルメットも、同様の効果があります」

 得意げに語るアビナだったが、ヨシュアはやはり訝しげだ。

「はぁ。まあ、確かに何もしないよりはマシか。わかったよ。じゃあ、早速着てみる」

 で、アビナの感想はこうだった。

「しかし……思いの外ダサいですね。そんな服を着て、人間として恥しくないんですか?」 

「――君が用意して、僕に着せたんだよねッ? しかも、かなり自慢げに! それでその言い草とか、一体どんだけ理不尽なのさッ?」

「いえ、冗談です。割と似合っていますよ」

「……というか、君は着ないわけ?」

「着る訳が無いじゃないですか――そんなダサい服」

「――やっぱりそれが本音かっ? 君は心底からこの服をダサいと思っているんだねッ? というより、君って本当に一体何様っ?」

 が、このツッコミの数々を、アビナは無情にもスルーする。

「では、君は今の内に仮眠でもとっておいてください。先ほども言いましたが、早ければ午前三時には、事態が一変する可能性があるので」

 それまで休んでいろと、アビナは告げる。ヨシュアは頷いた物の、ある疑問を口にした。

「それはつまり――僕が目を覚ました頃にはのっぴきならない状況になっているって事だね? なら、その前に一つだけ訊いておきたい。なぜ君は、ワザワザ僕に標的が自分に変更された事を言いに来たの? そんなの君が言いださなくても、午前三時になればわかる事なのに」

 ここまで彼女に付き合った、ヨシュアの感想がソレだった。アビナ・ズゥという少女は、極めて合理的な性格だ。殆ど、無駄な事をしたがらないといっても良い位に。

 その彼女が、しなくてもよさそうな事をした。時が経てばわかる事を、率先して彼女は自分に打ち明けたのである。それはヨシュアの目から見れば、彼女らしからぬ行動だ。いや、それ言うなら、自分の協力を受け入れた事も問題視するべき所なのかもしれないが。

 アビナの答えは――こうだ。

「さて。もしかしたら最後になるかもしれないから、誰かに感謝されたかったのかも。最後に一度だけ、誰かに心からお礼を言われたかったのかもしれませんね、私は」

「……感謝? お礼? 君が……?」

「ええ。だと言うのに、君ときたら感謝するどころではなかった。お礼の一つも言わず、逆に私を罵倒してくるのだから人生何があるかわかりません。でも、アレは正直面白い反応でしたよ、ヨシュア。私の生涯で、一、二を争う位」

「………」

「いえ、今のも冗談なので忘れて下さい。ですが、私も一つだけ訊いておきましょう。本当にこのまま、私に協力する気ですか? 引き返すなら、今しかありませんよ? この機を逃せば君はもう死ぬまで私に酷使されかねない。それでも、構わないと?」

 それは常と変らない声色で、余りに機械的だ。だと言うのに、ヨシュアは微笑んだ。

「そうやって最後の最後で逃げ道を提示する所が、君の甘い所だね。そんな事は口にせず、成り行きに任せて、僕を利用し続ければ良いのに。でも、そういう事が出来ない君も、僕は好きだよ、アビナ」

「………」

 故に、アビナは憮然とする。

「……やはり君は大ばか者ですね。言っておきますが君が撃ち殺されても、私は涙する様な感性を持ちあわせていませんよ。私は君が思っている様な人間では、ありませんから」

 冷淡にそれだけ断言して彼女は歩を進める。その後ろ姿に何かを言いかけながらも、結局ヨシュアは何も告げられなかった。彼は基地内にある仮眠室を見つけ出し、其処で休息を取る。

 そのまま時間は進み――やがて夜が訪れた。

 話は一気に進み、四月十日を迎えたその日――遂に開戦の狼煙は上がったのだ。


     2


 その少し前――フェーリア・ハスナは件の報告を受ける。

 ヨルンハルトの一年生カップルが、あろう事か自国の資源採掘基地を乗っ取ったという。

 この動向を監視役から聴いた後燈色の髪を肩まで伸ばしたドレス姿の彼女は眉をひそめる。

「只の一般人が、国が運営する施設を占拠する? 冗談としては面白い部類だけど、本当だとすれば笑えない話だわ。そんなの、今年の〝子〟は自分だと半ば言っている様な物じゃない。そうは思わない、ゼスチア?」

「ですね、お嬢様。しかしながら、事実だとすれば二つほど解せない点があります。第一に、なぜその者達は午前三時を前にして、自身が〝子〟だと知ったのか。第二に、今年の〝子〟は一人の筈なのに、なぜ協力者と思しき人間が居るのか。お嬢様としては、どうお考えです?」

 執事である、黒い長髪を後ろで束ねたゼスチア・ハーミッドが主に疑問を投げかける。

 飛行機の椅子に腰かけたフェーリアは、一考してから直ぐにその答えらしき物に行き着く。

「確かヨルンハルトの一年には、父が情報部門の責任者という者が居たわよね? だとしたら父を通じて自身が〝子〟だと知った可能性が出てくる。……と、やはりそうだわ。ヨシュア・ミッチェ。今採掘基地に居る生徒が、正に彼。彼は父を通して、自分が〝子〟だと知ったのでしょう。ただ身を隠すだけでなく基地を落すなんて真似をしたのも、本気で〝鬼〟から逃げ切る為。そう考えれば、彼の常識はずれな行動にも納得がいく。……でも確かに疑問は残るわ。本当に資源基地を盾にして、五日も乗り切れると思っている? それに彼に同伴している、アビナ・ズゥという少女は、何者? まさか、金で雇われた傭兵だとでも言うのかしら?」

 だが、その推理には些か無理があるだろう。確かに〝鬼〟から五日間逃げ切った〝子〟には百兆円という規格外の賞金が与えられる。しかし逆を言えば、それだけ〝子〟は不利な立場にある事を示していた。その〝子〟を勝たせ百兆円を得ようとするのは、余りに困難だ。なら、〝子〟を殺害し、十兆円をせしめる方が遥かに合理的だろう。

 今、フェーリア達がそうしようとしている様に。

「では、まさかと思うけど二人は恋人同士で、彼女は命懸けで彼氏を守ろうとしている? アビナ・ズゥという娘は――それ程までにロマンチストだと?」

 が、そこまで推理してから、フェーリアは直ぐに思い直す。

「いえ、そう言えば前に奇妙な動画が送られてきたわよね? 音も発てずにタクワンを食べている女の子が映った映像が。髪や肌の色は違うけど、あれってもしかしてアビナ・ズゥ? 彼女は全く役に立たないであろう、自分本来の『能力』を切り替える為にあんな動画を送った? もしそうなら、完全に計画的だわ。まるで彼女こそ――今年の〝子〟だと思える程に」

 そう推察して、フェーリアは楽しそうに目を細める。

 それこそ正に狂気の沙汰だと、彼女は心底から感じていた。

「……まさか。それではアビナ・ズゥという娘は、自分から今年の〝子〟になるよう働きかけたと? 何らかの手段を使い、そうなるよう仕向けたと言うのですか?」

「ええ。そう考えれば、大体の辻褄は合うわ。アビナの方が今年の〝子〟で、彼女とヨシュアは恋人同士。それならこの不可解な状況も、納得がいく。ま、そうは言いつつも、これは何の確証も無いただの辻褄合わせに過ぎない。本当の所は、アビナ達しか知り得ないでしょう。他の〝鬼〟達も、事実には行き着いていないと言うのが現状の筈。もし推理できたとしても、精々私が考えた程度の事しかわからない筈ね。問題は私達がどうするべきかという事。今わかっている情報だけで、彼等の殺害を図るべきか? それとも、午前三時を待ってから行動を起こすべきかしら?」

 更に思いを巡らせる、フェーリア。その上で、彼女はこう結論した。

「ゼスチア、彼等は本当にたった二人で基地を乗っ取ったのね? それだけの力が、あの二人にはあると思って良い?」

「はい。その辺りの情報はラグーンからの物なので、間違いありません。彼等には他に仲間は居らず、飽くまで二人だけで行動しているとの事。今のところ彼等に合流する者も、居ないそうです」

「そう。なら答えは一つね。ラグーンに伝えて。他の〝鬼〟達が動こうとも、今は静観する様にと。私が現地に到着するまで監視のみに終始する様、伝令して」

 ゼスチアは、フェーリアの意図を即座に読み取る。

「成る程。他の〝鬼〟達を使い、彼等を消耗させるおつもりですね? 可能な限り彼等を追い詰めた後――止めの一撃をお嬢様が刺すと?」

「そういう事よ。ま、彼等が真に私の見込み通りの力量を持ち合わせていなければ、失敗する策なのだけど。でも、きっと上手くいくわ。何故って、私の勘がそうだと告げているから」

 そう言って――フェーリア・ハスナは微笑む。

 三年連続で〝子〟を仕留め、賞金を我が物としてきた彼女は、アビナ達のもとに向かった。


     ◇


 ヨシュアが異変に気付いたのは、その轟音が原因だった。外からけたたましい音が響いたと思った途端、ヨシュアはベッドから飛び起きる。そのまま音がする方向へと駆け出し、基地の渡り廊下に至る。既に日は落ちており、見れば其処には、渡り廊下の壁に身を隠すアビナが居た。

「お早うございます、ヨシュア。良い夢は見られた?」

「ああ、寝起きは最悪だったけどね。で……これは一体どういう事。やっぱり〝鬼〟の襲撃……?」

 アビナ同様、渡り廊下の壁を盾にし、ヨシュアは匍匐前進してアビナに近寄る。

 船から照射されるライトから身を隠す彼女は、肩をすくめて応対した。

「はい。時刻は現在、午前三時三十分。それでも何の動きも見せない私達を、どうやら彼等は〝子〟だと見なした様です。まだ数は少数ですが、彼等に触発され、襲撃してくる人間も増えていくでしょう。今の段階でもう、勝負は早い者勝ちみたいな展開になっていますから」

 誰かがパニックを起こした時点で、それは周囲にも伝染する。それは殺意も同じらしく、言葉にすれば今は正にそう言った状況と言えた。

「で、ヨシュアはどんな夢を見ていたんです? まさか、私とデートする夢とか言いませんよね?」

「……だとしたら、どうだって言うんだ?」

 カチンときながら言い返すと、アビナは唖然とした様な顔を見せた。

「……よもや、そこまでオメデタイとは。前から訊いてみたかったのですが、君、本当に正気ですか?」

「……それは、こっちの台詞だ! どう考えても、これは多勢に無勢だろ! だって言うのになに余裕をかましているんだよ、君はっ?」

 銃撃が激しさを増す中、ヨシュアは半ば悲鳴混じりに訴える。

 アビナは嬉々として、彼に問い掛けた。

「もしかして、もう後悔しています? 自分の考えが、如何に浅はかだったか思い知りましたか? なら、今から投降するもの手だと思いますが?」

そう。〝子〟が〝鬼〟に投降する事はまずありえない。何せその時点で〝鬼〟は〝子〟を殺す事になるのだから。殺されるとわかっているのに投降するのは、無意味だと言い切れる。

けどその反面、ヨシュアは今年の〝子〟ではない。その彼がアビナについての情報と引き換えに降伏を求めるなら、話は違ってくるかも。彼等がその情報を真に欲するなら、ヨシュアの命は助かるかもしれない。しかし――彼は首を横に振る。

「……いや、それは違う。彼等はきっと、君の情報を引き出す為、僕に相当酷い事をしてくる筈。平気で拷問紛いの真似もして、きっと死ぬより苦しい事をしてくる。例え僕が事実を口にしても、彼等にはそれが全てか判断する材料は無いんだ。なら、何を言おうが僕は間違いなく死ぬまで彼等に責め立てられるだろう。生憎、僕はアビナが言う通りドSでね。そう言ったドMな趣味は無いんだよ。僕は君と一緒に行動している所を見られた時点で、もう君とは一蓮托生なのさ……!」

 高鳴る鼓動に苛まされながら、それでもヨシュアは断言する。

 珍しく、どこか拗ねた様子でアビナは納得した。

「ですね。そこら辺は、私の早計だったと認めましょう。何せ〝鬼〟のガイドラインは曖昧ですから」

 アビナの言う通り民間人さえ害せる〝子〟に比べ、〝鬼〟の境界線は明確ではない。

〝子〟以外の民間人を害すれば、刑事罰が与えられるはハッキリしている。しかし〝子〟の身内に対しては、その限りでは無いのだ。

〝子〟の親族の身と引き換えに〝子〟を投降させる事を、確かに政府は禁じている。その為の親族保護プログラムと言って良い。

 だがそれは裏を返せば、政府の手から〝子〟の親族を奪取できればもうそこまでという事。〝鬼〟は彼等を、どう扱っても構わないのだ。

 なら、今までアビナと行動を共にしてきたヨシュアの立場はどう捉えられる? その辺は実に微妙だろう。『協力者=親族』と解釈できるかは、裁判所が判断する所なのかもしれない。いや、アビナに加担し、誰かを傷付けた時点で、恐らくヨシュアもまた〝子〟と同じ扱いとなる。それが、アビナの見解だった。

「しかも、君の無実を証明する時間も無さそうです。〝鬼〟はこの基地を制圧した時、君も私を手伝い、基地の職員を傷付けたと思っている筈。なら、やはり君が考えている通り、〝鬼〟は君を害する真似も平気でするでしょう。ですが、それでも一応訊きます。これから私が指示する通り行動すれば、間違いなく君は〝子〟の共犯者となる。法律による命の保証を、君は失う事になるでしょう。だと言うのに、君は飽くまで私に協力すると?」

 これは間違いなく、アビナからの最後通告だ。

 ヨシュアはそう理解しながらも、怒声を上げる。

「いや、だからもうそう言う話は良いんだ! 君も、自分で言っただろ? もう僕の無実を証明する時間は、無いって。それとも、本当に僕の無実を証明する方法があると?」

「そうですね。この基地の防犯カメラを残らず提出すれば、或いはいけるかも。君が誰かを傷付けた姿は録画されていない訳ですから、マイナスにはならない筈です」

 このアビナの意見に成る程と頷きながら、ヨシュアは失笑する。

「でも〝鬼〟がその防犯カメラの映像をわざわざ確認してくれる訳がない。これは、そういう話だろ? なら、答えは一つじゃないか。僕は君の〝指示〟とやらに従う他ない!」

 尚も続く機関銃による銃撃。その轟音に抗う様に、ヨシュアは大声を張り上げる。アビナは一度だけ嘆息してから、懐から拳銃とイヤホンを取り出し、それをヨシュアに放り投げた。

「あの機関銃による攻撃は、陽動です。彼等は私達の注意を引きながら、その間に海中を通じて人を送り込み、基地に乗り込むつもり。君はその人達を、一掃してきてください。誰が何処から侵入しようとしてくるかは、イヤホンを通し私が指示を出すので」

「……待った。それはつまり、この銃でその人達を殺せって事だよね? ……いや、やっぱり答えなくて良い。……僕はそうする事を前提にして、此処に残ったんだから」

 既に、覚悟は決まっている。自分にそう言い聞かせながら、ヨシュアは訓練所で習った通り銃器を扱う。安全装置を解き、弾薬を装填する。両手で銃を構え、彼は全ての準備を整えた。

 が、アビナは奇異な事を口にする。

「いえ、その銃の弾はゴム弾です。体に当れば相応のダメージを与えられますが、よほど運が悪く無ければ死には至りません。故に、君は躊躇う事なく引き金を引いて」

「……え? それは、本当に……?」

「ええ。私が今まで、嘘をついた事がありましたか?」

「………」

 言われてみれば、彼女は、冗談は言うが人を騙す様な嘘はついた事が無かった。これからもそうだとは限らないが、それでもヨシュアは彼女を信じる事にする。

「わかった。でも、君は大丈夫なのか? 侵入チームを倒しても、船から銃撃してくる人達をどうにかしないとジリ貧なんじゃ?」

「と、それもそうですね。では少し籠城しやすくしましょうか。いよいよ――二人対七十億人の戦争の幕開けです」

 歯を食いしばり、口角を上げながら――アビナが宣言する。

 この大言を耳にした時、ヨシュアの体は確かに震える。

 同時に彼は――その奇怪な光景を見た。

 アビナが、懐から拳銃を取り出す。渡り廊下の壁から身をのり出し、彼女はそれを両手で構え、一息で引き金を引く。銃弾はそのまま襲撃者の船に命中するが、ソレが何だと言うのか? 小型拳銃の弾が一発当っただけで、何が変わる? ヨシュアとしてはそうとしか思えなかったが、現実は違った。

「……なッ? は……っ?」

 あろう事か彼女が放った弾丸は、七メートルある船のボディに三メートルの大穴を空ける。意味不明な事に、一センチに満たない弾丸が、それだけの被害を与えたのだ。

 現に、その船は瞬く間に沈み始め、乗員はみな海に投げ出されていた。この常軌を逸した状況を前に、ヨシュアは完全に愕然とする。

「……まさか何かの『能力』? ……いや、違う。『能力』でこんな事が出来る訳が無い。じゃあ、これは一体どういう事――?」

 が、そう呆けるヨシュアを余所に、アビナは次々と射撃してくる船を沈めていく。機械の様に正確に、ネットの動画に上がっていた早撃ちより速く、彼女は発砲を繰り返す。

 アビナは十秒もしない内に――百隻は船を沈めていた。

「……と、そこで感心されても困るのですが? 君には他に仕事がある訳ですし。あ、いえ、やっぱり心配になりました。私も同行するので、君は私についてきて下さい」

「――ちょ、ちょっと待った! だから、君は一体何者なんだッ? 何をどうすれば、あんな事ができる……っ?」

「それは、追々話ます。ですが君の反応を見る限り〝鬼〟も似た様な感想を抱いていそうですね? これで私達の脅威が上手く伝われば、援軍が来るまで彼等もヘタな真似はしない。予定通り、大分時間が稼げそうです」

 クスクス笑いながら、アビナは移動を開始。銃撃が止んだのを見計らい階下に向かう。自分達が侵入してきた梯子に行き着き、そこをのぼってきた〝鬼〟を迎え撃つ。

「はい、ご苦労様でした」

「……つッ?」

 銃弾を浴びせ、彼等の意識を断ち、次々海へと落してゆく。無論、そこ以外から侵入を試みようとした〝鬼〟も居たが、その全てをアビナは感知する。ヨシュアを連れ、移動に移動を繰り返し、十分程で彼女達は〝鬼〟達を一掃していた。

「……って、なぜ〝鬼〟の位置が正確にわかる? それも、君の魔法か?」

「いえ、これは単に基地内のあらゆる所に、センサーを設置しておいただけ。携帯にその情報を転送させて〝鬼〟の居場所を特定し、こうして迎撃しただけです」

 銃をジャンバーにしまいながら、彼女は平然と言い切る。

 だが、ヨシュアの疑問は尽きる事は無い。

「……いや、それ以前に、何で船に大穴を空ける様な銃弾を受け、彼等は五体無事なんだ? あんな弾を受けたら、人間なんて消し飛ぶだろ、普通?」

「相変わらず質問が多いですね、君は。そんなの、彼等に命中したのがゴム弾だったからに決まっているじゃないですか」

「……ゴ、ゴム弾? さっきと同じ銃を使っていたのに……?」

 ますます意味不明だと、ヨシュアは眉根に皺を寄せる。

 けれど、アビナは別の事を口にした。

「では、私も暫く休む事にします。その間、ヨシュアが見張りをしていて下さい。これ、センサーの情報を読み取る携帯です」

「――って、僕一人でっ? さっきみたいな機関銃の一斉掃射が始まったら、僕じゃ対処できないのにッ?」

「それは問題ありません。言ったでしょう。〝鬼〟は私達がただ者ではないと痛感したって。なら、今は態勢を整えるまで主だった真似はしない。雇い主に一連の事情を報告し、彼等の指示を仰ぐ筈です。〝鬼〟としては一刻も早く〝子〟を狩りたい所でしょうが、現場はそう判断しない。恐らく〝鬼〟同士で連携する為、同盟を結ぶよう図る筈。今の様に我先にと言った状態で攻めれば返り討ちに合うのは、明らかになりましたから。ですが、その同盟にしても締結させるにはかなり時間がかかるでしょう。少しでも自分達が有利になるよう、主導権争いが始まる筈だから。時間を稼ぎたい〝子〟である私としては、実に有り難い状況ですね。なので、君に見張りについてもらうのは念の為と言った所です」

「……な、成る程。そう上手くいくかは疑問だけど、言っている事はわかった。なるべく頑張るんで、君はゆっくり休んで」

「ええ。一応五日ぐらい眠らず行動出来るよう訓練してあるのですが、頼みます。睡眠不足はお肌の大敵ですから」

「………」

 最後にそう面白くも無い冗談を口にしながら――アビナ・ズゥはこの場を後にした。


     ◇


 フェーリア・ハスナが現地に到着したのは、午前三時をむかえた頃。つまり彼女もアビナの異常な武力を目の当たりにしたのだが、その反応はこうだった。

「驚いた。アレ、どう考えても人間じゃないじゃない。〝鬼〟より余程〝鬼〟めいた力を持っている」

 喜悦しながら、彼女は感心する。

 その為、アビナ達の監視役だったラグーン・ナムナは唖然とした。

「……今のを見てその感想ですか、お嬢は? アレ、その気になればこの場に居る人間を皆殺しに出来るレベルだと思うんですがね?」

 既にこの海域には、一万を超える兵隊が集まっている。ラグーンはその物量を以てさえ、あの少女には勝てないと判断したのだ。フェーリアも、微笑みながら首肯する。

「確かに、此方の想定を超えた力だわ。お蔭で私も、彼女達に対する評価を改めなければならない。でも、それは他の〝鬼〟達も同じでしょうね。一連の攻防は撮影されている筈だから、監視者の雇主もアビナの武力を目の当たりにする。そうなれば、単純な人海戦術で彼女を倒すのは難しいと判断する筈。〝鬼〟達が連携し、組織的に動かなければ損害が大きくなるだけ。なら、ここは〝鬼〟側の結託が必須となる。同盟でも結ばない限り、彼女には勝てない。その話し合いだけで半日以上かかるんじゃないかしら? 少しでも時間を稼ぎたい〝子〟にとっては、正に願ったり叶ったりの状況ね」

 平然と彼女は断言する。それはアビナと同じ見解で、だからラグーンは眉をひそめた。

「そんなに簡単にいきますかね? 去年までは散々足を引っ張り合っていたんですぜ、〝鬼〟共は。実際、お嬢も昨年は鉄砲玉に何度も命を狙われたでしょう? 正式には発表されてないが、お嬢が二年連続で〝子〟を狩った噂は蔓延していましたから。そんな人を野放しにしていたら、他の〝鬼〟達は〝子〟を狩れるか怪しくなる。そう考えると、他の〝鬼〟共のやり口は実に的を射ていると言わざるを得ない。お嬢は他の〝鬼〟達から見れば、邪魔者以外の何者でもないと思いますぜ?」

「へえ。つまり、ラグーンは何が言いたいの?」

 船のデッキに立つ、齢十七歳の少女が訊ねる。彼女の忠実な兵士は、事もなく明言した。

「決まっているでしょう? 俺が言いたいのは、お嬢をつまはじきにする事を条件にその同盟は結ばれるって事です。他の〝鬼〟としては、それが同盟を結ぶ絶対条件の筈。だとしたら、同盟から孤立したお嬢はどうするつもりです?」

 が、この指摘をゼスチアは一笑する。

「勘が鈍ったか、ラグーン? そんな事は、言うまでもなかろう? お嬢様は飽くまで、計画通り動くおつもりだ」

「それは要するに、お嬢はやはり、他の〝鬼〟共を利用する気だと? アビナとか言う娘と、〝鬼〟共が争い、疲弊した後あの娘の首をとるって事ですかい? ですが〝鬼〟が結集すれば兵隊の数は軽く百万は超えますぜ? いや、もしかしたら桁が一つ違うかもしれねえ。それだけの数の人間が、連携を組んでたった二人の人間を仕留めようとしているんだ。これは流石に〝鬼〟の方に分があるんじゃ?」

 この正論に対し、フェーリアは別の事を口にした。

「いえ、それより問題視しなければいけないのは、アビナ達が何を考えているかね。ラグーンの言う通り、五日間もあの基地に立てこもるのは難しい。なら、アビナ達は何らかの策を用意している事になる。私達を出し抜く為の、ナニカを。ま、大体想像はつくのだけど、今は傍観ね。ここは思う存分、彼女達のお手並みを拝見しようじゃない」

「……何時もの事ながら、余裕ですね? なんつーか、それだとまるでアビナってやつの理解者みたいな感じですぜ?」

 フェーリアは堪え切れず、もう一度微笑する。

「そうね。もしかすると彼女を真に理解出来るのは――私とあの方だけなのかもしれないわ」

 まるで尊ぶ様に――彼女は思わずそう告げた。


     ◇


 実際、戦況はアビナやフェーリアが予期していた通りとなる。監視役が撮影したアビナの映像を見て、その雇い主達は色めき立ったから。どう考えても人では無いあの少女を前に、彼等は自然と他の組織との話し合いを望んだ。

 テレビ電話を通して彼等は話し合いを始めたのだが、やはり話は纏まらない。既に十時間程も会議を続けているが、どの組織のトップが総指揮を執るか決まらないから。今も多くの組織の中でも有力な五十の組織のトップ達は、話し合いを続ける。

『待て。頭を冷やせ、君達。こうして話し合いが長引くほど〝子〟が有利になるのだぞ? 我等は〝子〟を利する為に、こうして協議を重ねている訳ではない筈だ』

『なら私達に遠慮せず、君の組織が率先して兵を動かせばいい。どういう結果になるかは、先の攻防を見れば明らかだが』

『それはどうかな? 案外、やり方次第では先陣が〝子〟の首をとる事もあるかもしれん。君、騙されたと思って試してみないか?』

 先刻から、こう言ったやり取りが延々と続いている。問題は、どの組織の人間が先陣をきるかという事。何故なら先陣をきる組織は、恐らく返り討ちに合う。その反面、上手くいけば、〝子〟を狩れるという期待もある。

 このジレンマが、彼等の判断力は大いに鈍らせていた。

『いや、それより問題は、誰が総指揮を執るかだ。まさか総指揮官が、賞金を全て得られる等とは言うまいな?』

『まさか。その様な暴利はありえない。……いや、そもそもこの会議自体、時間の無駄なのでは? どう話し合ったところで、誰も総指揮官の座は譲らない筈だ。なら、やはり各々の組織が単独で〝子〟を狙うべきではないか?』

『ほう? つまり、その先陣を君の組織が担うと? なら遠慮なく腕を振るってくれたまえ。我等に忌憚する事なくな。なに、心配する事はない。君が失敗しても、まだ我等が残っているのだから。君の組織は遠慮なく〝子〟の戦力を殺ぐよう、努力したまえ』

『……フン。結局、誰もが同じ事を考えている訳か。どこかの組織に先陣をきらせ、少しでも〝子〟の戦力を削らせる為の捨て駒にする。〝子〟が消耗した所で漁夫の利を得ると言うのが我等の本音な訳だ。だがその様な愚を犯す者が、この場に居るとは思えんが?』

 この様に、話は堂々巡りを繰り返す。似た様な事を何度も議題に挙げては、うやむやの内に別の問題点を浮き彫りにする。その果てに、彼等は暴挙とも言える妥協案を口にした。

『だな。まずこのまま話し合っても、総指揮官は決まるまい。なら、もうクジで良いのでは? 我等の名が書かれた紙を箱に入れ、それを現場の人間が引く。それ以外、早急に指揮官を決める方法は無いと思うが?』

 確かに誰もが主導権争いを続ける以上、話は纏まるまい。だからこそ後は運に天を任せるという話なのだが、これは言うまでも無く暴挙だ。仮にその座に相応しくない人間がトップに立ったら、目も当てられない状況になるのだから。

 が、話し合いが十五時間を過ぎた頃、彼等の価値観には麻痺の兆候が見られていた。譲れない所は譲らないが、妥協しても良い所は妥協する。長すぎる話し合いの末、そんな弱腰が彼等の精神を蝕んだ。結果、この案は採用される事になる。

『だが、先に明言させてもらう。作戦成功の暁には、同盟軍のトップの取り分は、一割。後は〝子〟を殺害した組織が得ると。そういう事で構わないな、諸君?』

『結局、早い者勝ちか。芸が無いな。なら、兵の配置はどうする? どこぞの組織が後衛に回された場合、その組織は間違いなく異議を唱えるだろう? またモメるのは明白だぞ?』

『では、こうすればいい。全ての組織の兵士を百名ほど前衛に立て、件の基地を取り囲んで一気に攻める。仮にそれが全滅したら、同じ様に円陣を組んで基地を攻め続ける。これなら平等に兵を動かす事が出来るので、不平等にはなり得まい。ま、〝子〟も当然反撃してくる訳で、その分損害を受ける訳だが、それも運任せだ。〝子〟がどの組織を重点的に掃討する気なのか判断する材料は無い訳だしな』

 この案も通り、後は漸く総指揮官を選ぶだけとなる。

 だが、この時になり、別の意見が彼方から発せられた。

『待て。この場合、公平をきす為、指揮官には何処に誰の組織が配置されるか知らせ無いべきでは? 指揮官は間違いなく自分の組織が有利になる様、兵を動かす筈だから』

『尤もだな。〝子〟を討ち取れば、指揮官はそれだけで、一兆円に及ぶ賞金を得る。その上、〝子〟を実際に討ち取った手柄までとられては、指揮官の丸儲けだ。君の言う通り、指揮官には何処にどの様な人材が配置されているかは、教えないべきだな』

 それで、やっと話は纏まった。今までどの組織も兵を動かさずにいたが、トップが決まった事で遂に攻略戦の再開となる。数々の暴挙を孕みながらも〝鬼ごっこ〟の第二幕が始まろうとしていた。

 クジの結果、誰がトップに立ったといえば、それは彼である。

(俺が、トップ? 面白い。これは更に成り上がる為の、ビックチャンスだ)

 それは最近になり資金力や組織力を高めてきた、新進気鋭の人物だった。キーラ・レイと言う名の、二十代後半の男性は意気揚々と宣言する。

『ここまで来るのに大分時間を浪費したが、皆、安心して欲しい。私が組織のトップに立ったからには、二時間以内に全てを決すると宣言する』

 図らずも、この宣言は的中する事になる。キーラは信頼している軍事専門の部下に、全てを一任。 固唾を呑みながら――ゲームを再開したのだ。


     ◇


 では、ここで話を整理しよう。

 まず現在、わかっている事は今年の〝子〟がアビナ・ズゥという少女である事。この情報は午前七時に中央政府が発表したので、間違いない。更にそのアビナ・ズゥは現在、資源採掘基地に立てこもっているのも事実だ。これは多くの監視者が彼女を尾行した結果なので、確かである。

 続けて、彼等〝鬼〟の連合軍はラグーンが予想していた通りに動いた。組織の長達はフェーリアに同盟の話は一切通達せず、彼女を脇へと追いやったのだ。

 お蔭で彼女は今も基地から十キロは離れた海域に船を停泊させ、様子を窺っている。自分に指揮をさせれば、事態は違った方向に向かうとほくそ笑みながら。

 対してアビナ陣営はというと、まず夜が明けた時点でヨシュアは大いに驚愕する。彼は休憩を終え、この場に現れたアビナにこう告げた。

「驚いた。どうやら君の言う通りになった様だ。あれ程の数の〝鬼〟が集まっているのに動きを見せない。まるで組織のトップ達が、何処かで話し合いを続けているみたいに。けど、あの数は何だ? 正に海を被わんばかりの船が、この基地を取り囲んでいるじゃないか……?」

 恐らく船にして――百万隻はこの海域に集まっているだろう。仮に一隻につき十人搭乗しているとしたら、この海には一千万人に及ぶ人間が集結している。

 ……そこまでして十兆円が欲しいのかと、ヨシュアは辟易した。

「いえ、作戦開始と同時に、ヘリも現地に向かって飛び立つ筈です。陸海空から同時攻撃を行い、速やかに〝子〟を狩る。それが――彼等のシナリオでしょう」

「……要するに、事態は最悪って事だね? 時間稼ぎ出来たこと以外に、何か吉報はある?」

「そうですね。と、やはりフェーリア・ハスナは蚊帳の外の様です。これは、かなりのアドバンテージと言えるでしょう」

 双眼鏡を使い彼方の海域に目を向けながら、アビナはそう語る。

 聞き慣れない名を耳にし、ヨシュアは素直に首を傾げた。

「ここから一万キロ離れた国で、マフィアを営んでいる令嬢です。噂によると彼女は非常に聡明で、過去三度にわたり〝子〟を狩ってきたとか。ですが、だからこそ他の〝鬼〟達はフェーリアを疎んでいる。今年も彼女に〝子〟を狩られるのではと恐れている訳です。その為フェーリアは〝鬼〟の連合軍には参加できず、ああして傍観する他ない。いえ、もしかしたら、他の〝鬼〟達を私達にぶつけ、疲弊した所を狙う気なのかも」

「……成る程。つまり今アビナが一番注意を向けているのが彼女、という訳?」

「ええ。当面の大敵は彼女で間違いありません。ま、何にしても後十二時間は動きが無い筈。ヨシュアはその間に、仮眠をとっておいて下さい」

「十二時間って、それ、根拠があるの?」

 怪訝な様子でヨシュアが訊ねると、アビナは普通に頷く。

「ええ――細かい内訳を説明しましょうか?」

「……いや、やっぱりいい。何か休憩の時間が無くなりそうな位、長くなりそうだから」

 そう言い残してヨシュアはこの場を去り――二度目の仮眠をとった。


 事態が動いたのは、アビナの予告通り、それから十二時間ほど経った頃。午後七時を迎え、周囲に夜の帳が降りた時、遂に眼下の船団は行動を開始する。既に五時間前に目を覚まし、アビナと雑談をしていたヨシュアはこの偉容を目撃した。

 照明器を基地に当てながら、一万に及ぶ船が周囲を囲み、円陣となって接近してくる。更に遠方からは、確かにヘリが近づいてくる音が響いていた。

「……いよいよ総攻撃の始まりか。……えっと、一応訊いておくけど、それでもアビナには勝算があるんだよね?」

「そうですね。そう言えば、まだ話題に挙げていませんでしたが、逃げ切った時の賞金の事です。半分の五十兆円は君の物という事にしますから――安心して下さい」

 これが、アビナなりの返答。そう解釈して、ヨシュアは思わず笑った。

「――上等! なら、僕は何をすればいい? 君の援護か、何か?」

「いえ、君の任務は、この機に乗じて基地に侵入しようとする〝鬼〟の掃討です。この携帯が侵入者の位置を教えてくれるので、その通りに動いて。私は屋上から船やヘリを狙い撃ちし、少しでも数を減らすので」

 それで、話は決まった。ヨシュアはゴム弾を鞄に詰め、ソレを背負ってこの場から離れる。

 アビナは基地内のスピーカーをオンにしながら、一度だけこう告げた。

「無駄だと思いますが、警告します。死にたく無ければ、撤退して下さい。私も、人死には望む所では無いので」

 しかし、その答えは機関銃の一斉掃射だった。基地を取り囲む船が総攻撃を始め、アビナを討ち取るべく凶行をスタートする。

 だが、その動きは無秩序では無い。まるで銃を撃つ順番が決まっているかの様に、奇妙な間が所々で見受けられた。

(でしょうね。銃器を無秩序に放てば、私を殺傷した時、誰の弾が私を殺したか判別できず後でモメる。それを避ける為にも、どの船が攻撃するか、指揮官は把握しなければならない。この僅かな隙はその為の物。なら――私はこの間隙を見逃さなければいいだけです)

 故に規則正しく放たれる銃撃の隙を衝き、アビナは反撃を始める。

 船と船の間に向け発砲し、その瞬間船と船の間の空間が抉れ――二隻の船が被害を受ける。銃弾一発で二隻の船を航行不能にし、アビナはそれを繰り返す。基地内を旋回する様に走り抜けながら、弾を撃ち続ける。

 結果――五分で一万隻の船を沈めた彼女は、一旦、渡り廊下の壁に身を隠した。

(これで、弾を五千発消費ですか。残りは二千万発ですが、足りますかね? それだけが私の心配事です)

 この日の為に、各国の軍事基地に忍び込み、銃弾を強奪してきた少女が笑う。いや、その頃には既にヘリから爆弾が投下されていたのだが、彼女はただ前を向くだけだった。

 その体のまま銃を上に向け、爆弾目がけて弾を発射する。あろう事かソレが着弾しただけで爆弾は地面に落ちる前に爆発し、ヘリを巻き添えにする。ヘリの乗組員は脱出装置で離脱するがパラシュートと共に海に落下し、戦線離脱していた。

 この異様な状況を見て――軍の指揮を一任されたカハラ・ラッド元少将は戦慄する。

「……あの基地に巣くっているのは、化物か? 少なくとも……我々と同じ生き物ではないのは確かだ」

『どういう事だ、カハラ? 戦況はどうなっている? 我が軍は優勢なのか?』

 テレビ電話を通して、キーラが問いかけてくる。

 元軍人であるカハラは一切の希望的観測を排除し、ただ事実だけを口にした。

「いえ、現状では分が悪い。このまま進軍を繰り返しても、その都度迎撃され、物資や人員を損なうだけでしょう。故に、二十分程時間を頂きたい。今から作戦を練り直しますから」

『了解した。だが、二時間以内に決着すると大見得を切った手前、余り時間的猶予は与えられない。その辺りの事情は、君にも了承してほしい』

「はぁ。正直、金持ち同士の見栄の張り合いには、興味がないんですがね。善処するよう努力します」

 そこまで話して、カハラは一旦テレビ電話の電源を切る。目を細めて基地を眺め、どうすればあの魔窟を落せるか検討を繰り返す。

 けれど、五分過ぎても彼には決定的な策が思いつかない。

(……一体どうする? 敵は銃弾一発で、船を二隻沈める事が出来る怪物。しかも、上空からの攻撃までキッチリ対応しやがる。基地への侵入チームからの連絡もないし、恐らく先鋒部隊は全滅したと見て良い。陸海空からの同時攻撃さえ、平然と凌いでくる連中。それが今、俺が相手をしている敵。だが、どこかに穴はある筈だ。……いや、待て。標的は二人だが、どちらもアレだけの化物じみた力を持っている? ヨシュア・ミッチェとかいう小僧も、人間離れしていると? いや、恐らくソレは無い。アビナとか言う娘の経歴は全く辿れなかったが、ヨシュアは違う。あいつは昨日まで、普通の学生だった筈。そんなやつがなんで今年の〝子〟と行動を共にしているかは、不明だ。が――もしかすればヨシュアがあの基地の穴なのかも)

 そう看破した彼は、それゆえ部下にこう命じた。

「基地への侵入チームを、増員する。更にアビナ・ズゥの注意を引きつける様、船団を展開。機関銃による一斉掃射でやつを釘付けにし、その間にヨシュア・ミッチェの身柄を押えろ」

 カハラの指示に、誤りはない。彼は正しく、あの基地のウィークポイントを見抜いている。何せアビナにとっても、ヨシュアの存在は全くの計算外なのだから。

 故に、アビナはこう思う他ない。

(ですね。そろそろ向こうも、そう考え始める筈。なら、私がするべき事は一つです)

 アビナは一斉掃射が始まる前に、階下へと飛び降りる。この間にも敵船団は刻一刻と近づいてくるのだが、彼女は目もくれない。アビナは自ら自身が仕掛けたセンサーに引っかかり、ヨシュアを呼び寄せる事にする。

 だが、ヨシュアがその事に気付いた時には、全てが手遅れだった。

 今まで奮戦し、侵入チームの排除を行ってきた彼の体力は底をつく。息を切らしてその場に中腰となるヨシュアの背後から敵兵が現れ、瞬く間に彼を拘束する。

「つッ?」

 アビナがその場に現れた時には、ヨシュア・ミッチェは〝鬼〟の捕虜になっていた。

 ヨシュアを盾にし、侵入チームのリーダーはアビナに通告する。

「仲間は、押さえさせてもらった。彼の命が惜しければ、降伏されたし。降伏するなら、彼の命は保証しよう」

 ここに戦況はカハラ・ラッドの思惑通りに進み、アビナは目を細める。

 彼女が思わず嘆息したのも、その為だ。

「……ドジですね、ヨシュアは。やはり、連れて来るべきじゃありませんでした」

「……か、かもな。けど、これでも覚悟は出来ているつもりだ。だから、アビナは、僕の事は気にせず反撃して」

 この精一杯の強がりを前に、敵のリーダーはヨシュアのこめかみに銃を突きつける。自分が如何に本気か、アビナに向け強調する。

 事実、彼に躊躇する気など微塵も無い。必要とあらば、民間人の未成年であろうと射殺するだけの酷薄さは持ち合わせている。そう理解しながら、アビナは言った。

「いえ、前言を撤回します。君にしては、良くやってくれました。お礼に、一つ良い事を思い出させて上げます。君、そのヘルメットに防弾性がある事、忘れているでしょう?」

「あ」

「な?」

 敵のリーダーが、唖然とする。しかも、アビナの口撃はとどまる所を知らない。

「それに、言った筈です。私は君が撃たれても、涙する様な感性はないと」

 よってアビナは瞬時にして銃を構え、ヨシュアごと敵のリーダー目がけて引き金を引く。アビナの銃から発射された弾は確かにヨシュアを貫通し、敵リーダーの体を弾き飛ばす。

 これを見て部下達がアビナを射殺しようとするが、その初速は余りにも違い過ぎた。アビナは彼等が一動作行う間に、二十に及ぶ動作を行う。同時と見間違わん程の速度と正確さで彼等にゴム弾を着弾させ、彼等を吹き飛ばす。

 ヨシュアが気付いた時には――この場に居る全ての兵達は意識を刈り取られていた。

「……まさか? でも、一体どうやって? あの弾は確かに僕の体を貫通した筈なのに、傷が無い?」

「ま、そういう事です。今回だけ特別サービスで、助けてあげる事にしたので」

 アビナが、平然と言い切る。ヨシュアは、やはり眉をひそめるしかない。

「君……本当に何者? 一体どんなマジックを使って、こんな真似を?」

 が、アビナは首を横に振った。

「いえ、今はその事を説明している暇はありません。いよいよ仕上げにかかりますよ、ヨシュア。と言っても、もう君に出来る事は何も無いのですが」

 アビナが、懐から奇妙な形をした銃を取り出す。一方その頃、敵船団は既に二百メートルの所まで迫っていた。このままでは、この基地は〝鬼〟によって占拠される。

 そこまで事態が進行した時――アビナは手にした銃を空に向かって撃ち放つ。

 それは上空で破裂し、まばゆい光を発する。閃光弾と呼ばれるソレが、夜の闇を一時的に光りで中和させる。

 いや、ソレはそんなレベルでは無かった。かの光は真に太陽を直視したかの様な、激烈なまぶしさを発したから。

「な、にっ?」

 カハラが腕を盾に、この光を遮ろうとする。他の敵船の乗組員達もそれは同じで、だからこの間一斉射撃は止まった。

 そのあいだにアビナは倒した敵兵達を次々海目がけて、放り投げる。この基地から敵兵を一掃し、その上で彼女は告げる。

「では――これで終わり」

 それは答える人間など居ない、独り言だ。アビナでさえそう認識していた筈だったが、次の瞬間彼女はその――度し難い異様を見た。

「そうね。では丁度いいので――そろそろ挨拶にでも行ってこようかしら」

「なに?」

 自分が予期した通りに動いた戦況を見て、フェーリア・ハスナは笑う。あろう事かバカげた事に、彼女が地を蹴っただけで颶風が舞う。彼女はたった一歩で波を掻き分け、十キロに及ぶ距離を零とし、採掘基地へと行き着く。

 彼女は一瞬にしてアビナ達の前に現れ――ソレを見てアビナは目を細め、フェーリアはもう一度笑った。

「成る程――そういう事」

「ええ――そういう事よ」

 一瞬、アビナとフェーリアの視線が交差する。この状況が何を物語っているのかアビナは瞬時に悟り、ヨシュアは愕然とする。だが、それでもアビナは予定通り事を進めた。

 アビナは、手にしたスイッチのボタンを押す。

 その時点でこの基地は大爆発を起こし――凄まじい衝撃波が密集する船団に直撃する。

 船は次々転覆し、百万隻に及ぶ船はその爆風により全て航行不能となっていた――。

 その様を、浮き輪にしがみつきながら目の当たりにしたカハラは、呆然とする他ない。

「……まさか自爆したっ? 凌ぎ切れないと判断し、自ら死を選んだと言うのかッ?」

 先の閃光で目をやられ、フェーリアの異常な身体能力を見逃した彼はそう思うしかない。

 いや、彼は速やかにこれが何を意味しているか理解した。

「……待て。という事は、我々はあの基地の残骸からアビナ・ズゥの死骸を発見しなければならない? そうしなければ、誰も賞金を得られないと……?」

 だが、その作業が済むまで一体どれほどの時間がかかるだろう? 陸の上ならいざ知らず、現場は深海である。海底まで五百メートルはあり、日の光も届かない闇が広がっている。

 あの爆風から察するに、基地の残骸は広範囲に拡散している。それを片づけるだけで、一体どれほどの手間がかかるだろう? そう試算しただけで、カハラは頭を抱えた。

「……これは、その作業だけで五日間以上かかるかもな。もしそうなれば、アビナ達はある意味、見事に俺達から逃げ切った事になる……」

 だとしたら、誰一人として賞金は物にできない。いや、それ以前に自分達はまずこの転覆した船をどうにかしなければならないだろう。この百万隻に及ぶ船団の救助が、自分の目下の仕事だ。それだけで、膨大な時間を費やす事になる。

 カハラはそう痛感し――早々に部下に対して指示を飛ばした。


     ◇


 その頃、彼の意識は半ば途切れかけていた。頭はボウとするし、耳も良く聞こえない。体も節々が痛むし、何より吐き気がする。いや、待て。つまり――自分はまだ生きている?

 彼――ヨシュア・ミッチェは漸くその事に気付き、我に返っていた。

《……って、何処だここッ? 僕、目をやられたのかっ? 全く何も見えないッ? それともここは地獄で、僕はやっぱり死んでいる……っ?》

 狼狽するヨシュアに、彼女は平然と接した。腕に巻いた時計のスイッチを押し、ライトをつけて自分の顔を彼に見せる。見れば其処には――確かにアビナ・ズゥの姿があった。

 彼女は携帯に文字を打ち込み、それをヨシュアに見せる。

『安心して下さい。ここは深海で、私も君もまだ生きていますから。それより、そろそろ浮上します。もう、陸が見えてもいい頃なので』

 それを見て、ヨシュアは絶句しながらも頷くしかない。それから十分後、アビナ達は陸に辿りつき、浜辺に上陸する。ヨシュアは被っていたヘルメットを外し、心底から大きく息を吐き出した。

「……こ、ここは?」

「はい。あの基地から、五十キロは離れた無人島です。思った通り、この島に配置されていた〝鬼〟達も現場に呼ばれ、事後処理を手伝っている。予定通り人の気配はまるで無い様です」

「現場? 事後処理? ……そう、か。もしかして――これが君の作戦?」

 そう。どこかに隠れると言う事は、逆説それ以上の逃げ道を放棄するという事。敵が多数である以上『発見=死』と考えて良い。では、どうするべきか? 

「ええ。資源採掘基地に籠城し、敢えて私は〝鬼〟を集めました。その上で限界まで抵抗し、これ以上敵が集まらないと見計らってから、自爆する。いえ、正確には自爆し、死んだ様にみせかけ、潜水して基地から逃げ出した訳です。お蔭で〝鬼〟達は私達を発見する事に大わらわでしょうね。何せ〝鬼〟側がゲームをクリヤーするには、〝子〟の死体の回収が必須。つまり〝子〟が死んだ様な状況に陥れば、本当に死んだか確認する必要がある。あの残骸の山と化した、採掘基地周辺を探る必要性にかられる。彼等はありもしない死体を見つけ出す為、時間を割かなければならない。その間にこちらは十分過ぎる程の時間を稼ぐというのが、この作戦の趣旨です」

 ここまで説明された時、ヨシュアはもう一度唖然とし、それから普通に笑い始めた。

「あははは、ははははは、はははははは! ……何と言うか、ぐうの音も出ない。やっぱり君は凄いや、アビナ! こんな事を企んでいたなんて! しかも君は多分この作戦を成功させる為に、誰一人殺してない!」

「……ほう? よくわかりましたね?」

 何故か警戒する様な眼差しで、アビナは訊ねる。ヨシュアは、喜々としながら続けた。

「じゃなきゃ、わざわざ侵入チームを海に逃がすなんて事はしないだろ? 寧ろ彼等ごと自爆すれば黒焦げの死体が散乱され、より君か否か判別が難しくなる。その手を使わなかったという事は――やっぱり君は僕が思っていた通りの女の子だって事だ」

「………」

 満面の笑みを浮かべるヨシュアに、初めてアビナは口ごもる。

 それでも彼女は彼に背を向けた後、もう一度嘆息した。

「別に。偶々そうなっただけです。いえ、そんな手を使う必要は、今回は無かった。ただそれだけの事なので、君も変な幻想は抱かないで。それにこの作戦は完璧とはいきませんでした。よりにもよって、彼女に一部始終を見られてしまったので」

「……彼女? じゃあ――アレはやっぱり幻覚じゃないっ? あのイキナリ基地内に現れた女の子は実在したっていうのかッ?」

 ヨシュアとしては、にわかには信じ難いが、アビナは首肯する。

「はい――フェーリア・ハスナ。どうやら彼女も、こちら側の人間だった様です。彼女が人外であった以上、今後の計画が上手くいくかは微妙でしょう」

 その意味を、ヨシュアは即座に看破する。

「つまりフェーリアも生きていて、彼女はアビナの策を読み取ったと? その事を他の〝鬼〟達に知らせるって言うのかい?」

 が、アビナは首を横に振る。

「いえ、それは無いでしょう。この事実を公言した所で、フェーリアには何のメリットもありませんから。寧ろ他の〝鬼〟達が基地跡に目を向けている隙に私達を追撃した方が、よほど利がある。問題は――彼女が次に私が何をするか見抜いているか否か。それによって、状況は随分違ってきます」

「……次に君が何をするか? って……これからアビナはどうする気なの?」

 と、アビナは、徐に肩をすくめた。

「そうですね。さしあたっては■■を目指します」

 反射的に、ヨシュアは首を傾げる。

「……■■?」

「ええ――■■です?」

「………」

 そこまで断言され、何か不穏な物を感じたヨシュアは――またも言葉を失った。


     ◇


 フェーリア・ハスナが転覆した船団を足場にし、唯一無事な自分の船へと戻ってくる。

 それを見て、ラグーナはほとほと呆れた。

「……って、何やっているんです、お嬢は? 何でわざわざ自分が人間じゃない事をあの連中にアピールしているんで? これで此方のアドバンテージは殆ど無くなったも同然ですぜ?」

「いえ、だって私だけこの〝力〟を隠しているのは、フェアじゃないでしょう? 例え最小限でも情報は分かち合わないと、ゲームは盛り上がらないわ。現に、これで面白くなってきた。他の〝鬼〟達はアビナ達が死んだと信じ込んで、この場を離れる事が出来ない。先の同盟からつまはじきにされ、傍観するしかなかった私の様に。なら今度は私の番ね。――精々唯一事実を知る〝鬼〟として、アビナ・ズゥとの知恵比べを楽しむ事にしましょう」

「つまり、お嬢様にはアビナの動向予測が既についておられると?」

 このゼスチアの期待に満ちた眼差しに応え、彼女は胸を張る。

「いえ――それが全くわからないから面白いのよ」

「……さいですか。相変わらず、お嬢はブッ飛んでいますね」

「でも、そうね。せめて夜明け前までには、足掛かりくらいは掴んでおくわ」

 そう口にして――フェーリア・ハスナは花の様に微笑んだ。


     3


 やがて――朝が来た。

 近くの洞窟で仮眠をとったヨシュアが、微睡から目覚める。見れば洞窟の入り口付近にはアビナが居て、彼女は外の様子を窺っていた。

 例のスーパースーツとやらの左腕に設置された時計を見れば、時刻は午前十一時。つまり自分とアビナはこの〝鬼ごっこ〟の一日目を凌ぎ切り、見事生き残る事に成功した。仮に自分一人だったなら既に殺されている筈なのに、自分は今も生存している。

 その事実が確かにヨシュアの心を打ち、生の喜びを実感させた。

「起きましたか、ヨシュア。では、今度は私が寝ます。三時間もすれば起きるので、それまで見張りを宜しく」

 必要最小限の言葉だけ紡ぎ、アビナは洞窟の奥へと向かう。

 が、アビナとすれ違いながら、ヨシュアは彼女に語りかける。

「いや、その前に、もう一度だけお礼を言わせて欲しい。改めてありがとう、アビナ。いま僕がこうしていられるのは――全部君のお蔭だ」

「………」

 けれど、アビナの反応は思わしくない。

「いえ、私の予定では、今頃君は学校で授業を受けている筈なのですが? 無論、命の危険を感じる事なく、平凡な時間を送っていた筈です。この私の予定を覆しただけで、万死に値しますよ、君は」

「――そこまでッ? そこまでの事を、僕はしたって言うのかっ?」

「ええ。昨日の有り様を見る限り、君はただの足手まといですから。未だになぜ連れてきてしまったのか、自分でもわかりません。協力を求むなら、もっと腕の立つ人間を選ぶべきなのだから」

「というか〝子〟に協力するバカな人なんて居る? 〝子〟の共犯者になれば全人類を敵に回し、命の危険に晒されるって言うのに?」

「その〝バカな人〟である君が何を言っているのでしょうね? 君、本当に自覚していますか? 自分が命知らずの、大ばか野郎だと?」

「いや、そう言われるとぐうの音も出ない。良く考えてみたら駆け落ちより酷い事をしているんだよな、僕は」

「……その割には表情が誇らし気なのは、私の気の所為?」

 ジト目を向けてくるアビナを見て、ヨシュアは引きつった笑みを浮かべる。

 彼は、露骨に話をごまかした。

「……で、話は戻るんだけど、現実的に〝子〟に協力してくれそうな人って居るの? 仮に居るとしたら、どんな人?」

 ヨシュアの素朴な質問に、根は律儀なアビナは素直に応対する。

「それは勿論、大きなユメがあり、尚且つ大金を欲している人でしょうね。但し〝子〟を捕まえるだけの武力がその人物には無い。もしその人物が切羽詰っているなら、命を懸けて私に協力し、私を逃がし切るよう図る。その報酬に、逃げ切った報奨金の一部を私から得る。そういう事もあるでしょう」

「んん? まるで具体的に、そういう人と知り合っているみたいな事を言うね? いや……もしかして本当に知り合っているとか?」

 アビナが物思いに耽ったのは、間もなくの事。

 彼女は、仮眠の邪魔になりそうな革靴とニーソを脱ぎながら、嘆息した。

「ええ、知り合っていますよ。というより次の計画には彼女の協力が不可欠です。って、人の話を聴いていますか、ヨシュア?」

「……あ、うん。聴いている、聴いている」

 どこか彼の表情が上の空の様に思えて、アビナの視線がより剣呑になる。いや、だからこそヨシュアは本音を口に出来ない。ニーソを脱いでいる女子は、ちょっとエッチだと言葉に出来ない。やっぱり僕も男なんだなとヨシュアは実感しつつも、改めて問いかけた。

「でも、これ以上何かする必要とかある? フェーリアを除く全ての〝鬼〟は、僕達は死んだって思っているんだよ? なら、ここにこうして後四日間隠れていた方が安全なんじゃ?」

 正論とも言うべきヨシュアの見解に、アビナも頷く。

「かもしれません。ですが、君と違い〝鬼〟とてバカでは無いでしょう。私達が生き延びている可能性も少なからず考慮している筈。死体の探索に八割の力を注ぎ、残りの二割は私達が生存している可能性に懸ける事もある。そうなれば、数が数です。何れ私達が生きている痕跡位は、発見されるかもしれない。それに私の目的は――この〝鬼ごっこ〟から逃げ切る事だけではないので」

「は、い? 〝鬼ごっこ〟から逃げ切る事だけが、目的じゃない? じゃあ、君は一体何をするつもりなのさ……?」

 しかし、アビナは答えない。彼女はそのまま無言で、洞窟の奥へと消えていく。

 だが、何れヨシュアは悔やむ。例え土下座してでも、その事を聞き出さなかった自分自身の甘さを。

 そんな先の未来など知る由もなく――ヨシュアは黙ってアビナを見送った。


     ◇


 アビナが起床したのは、きっちり三時間経った頃。その後、彼女は昨日と同じ様に謎のパワーを使用する。食料を何も無い空間から取り出して、ソレをヨシュアに分け与えた。

 ヨシュアとしては、昨日の時点で絶句する思いだったのだが、今はスルーする。パンにハムを挟んだサンドイッチを頬張る事で、彼は漸く一息ついたから。

「見るからに疲れていますね。大分見張りに神経を使った様です。そこで提案なのですが、いっそ君はここに残っては?」

「――見放さないでっ? 今、君に見放されたら、もうデッドエンドしか迎えられない気がするから!」

「……えー」

「………」

 心底イヤそうな表情を向けてくる。が、アビナは直ぐにヤレヤレといった仕草をしてきた。

「冗談です。君の同行を許したのは他ならぬ私ですから、最後まで面倒は見ますよ。例えどんなに厭でも」

 ヨシュアとしてはもう、捨てられる寸前のペットみたいな気分だった。もしくは明日食肉店に並ぶ、家畜の様な感じ。

 果たして自分はそれほど罪深い事をしただろうかと、彼は大いに煩悶する。

「いえ、そろそろ無駄話は終わりにしましょう。食事が終わったらここを発ちますよ、ヨシュア」

「わかった。と、その前に一つだけ訊いておきたいんだけど。君、この一件が終わったら僕と結婚を前提にしたお付き合いをする気とかある?」

「………」

 アレ、どう見ても本気で言っている顔。そう判断してアビナはウジ虫を見る様な目で、何かを言おうとする。が、ヨシュアはドヤ顔で、それに待ったをかけた。

「いや、やっぱり今は答えなくていい。こういう事は、もっと君が僕の事を知ってからじゃないとね。その後じゃないと、君も的確な判断は下せないだろうし」

「……いえ、君が大ばか者だと言う事は、現時点で既にわかり切っているのですが?」

 こんなやり取りの後、アビナは予定通りヨシュアを連れ――無人島を後にした。


     ◇


 ついで、ヨシュアはある確信を抱く。

(うん。やっぱり女の子はニーソを脱ぐ姿より、穿く姿の方がエッチだ)

 仮にこの思考をアビナが読んでいたとしたら、彼女が言うべき事は一つだろう。〝君、バカに磨きがかかっていませんか?〟と断言したに違いない。

 その二人は深海を通じて、北へと移動する。暗い海の闇を掻い潜りながら、二人は百キロ程も泳ぎ切る。

 と言っても、ヨシュアはまるで泳いでいない。彼は生身のアビナと共に潜水し、彼女に腕を引かれただけ。

 けれどそのお蔭で、ほんの十分程でアビナ達は目的地に辿りついていた。

「――というか、死ぬかと思ったぞっ? 何、あの速度ッ? あれ絶対、海の中で出せるスピードじゃないよねっ?」

 一分で十キロ泳ぎ切ったアビナに、ヨシュアは文句を口にする。

 アビナは、しれっと告げた。

「ですね。そのスーツを着ていなかったら、きっと君は死んでいたでしょう。そう思うと君にそのスーツを着せた私自身を呪う他ありません」

「……君、真剣に僕のこと嫌いだよね? ま、僕は君が大好きだからそれでも良いけど」

「………」

 好きな女子に邪険にされても大好きとか、もうドM趣味以外の何物でもない筈。だと言うのに、何なんだろうか、この言い草は? 確かドM趣味は無いと言っていた筈だが、宗旨替えでもしたか?  昨日の命懸けの攻防戦で、頭のネジが飛んだ?

 アビナとしてはそうとしか思えなかったが、今は問題視しないでおくと決めた。

 彼女には、他にやるべき事があったから。

「で、ここは何なの? あれってどうみてもアレにしか見えないんだけど、僕の気の所為?」

 百メートルほど先でそそり立っているその物体を見て、ヨシュアは剣呑な様子を見せる。アビナは敢えて答えず、その横にある建築物へと向かう。

 ヨシュアも慌てて彼女の後を追い――二人はその建築物の中に入っていった。


 アビナ達がその人物と会ったのは、それから十分後の事。白い髪を後ろで纏め、スーツを着た十代後半の少女をヨシュアは露骨に警戒する。かたや、アビナは淡々と少女に挨拶をした。

「今日は――ルイシヤ・ハル。どうやら賭けは、私の勝ちだった様ですね」

「そっか。やっぱ生きていたんだ――アビナ・ズゥ。採掘基地での攻防戦、テレビで見ていたよ。何かもう、やりたい放題し放題だったね、君」

 それからルイシヤと呼ばれた少女は、ヨシュアに目を向ける。

「で、君が噂のヨシュア・ミッチェ君か。恋人を守る為に我が身も顧みず〝子〟に協力している白馬の王子様。で――実際の所はどうなのさ? アビナは、行きつく所まで行った訳?」

「そういう言動を昨今ではセクハラというらしいですよ、ルイシヤ。そんな事より、例の準備は? 契約は、果たしてもらえるのでしょうね? それともこれ幸いと私達が生きている事を〝鬼〟に知らせ、情報料をせしめますか?」

 それこそ、ヨシュアが警戒している理由でもあった。今自分達が生きている事を知っているのは、恐らく〝鬼〟ではフェーリア一派だけ。そう言った状況にあるからこそ〝鬼〟の目は基地跡に向かい、他の場所の警戒は緩んでいる。

 だというのに、そのアドバンテージをアビナはアッサリ放棄したのだ。彼女は自分の生存を第三者に教え、リスクを高めている。

 ヨシュアとしてはそうとしか思えなかったが、ルイシヤは普通に微笑んだ。

「いや、警戒するなって方が無理だろうけど、安心して良いよ、ヨシュア君。私は君達を売ったりはしないから。その根拠をこれから説明しようと思うんだけど、良いかな?」

「ですね。〝鬼〟の集団が押し寄せてくるまでの時間稼ぎでなければ、ぜひお願いします」

「ふーん。思ったより普通の子だね? 普通に他人を警戒して、普通に最悪の事態を想定し、普通に怯えている。ねえ、アビナ、君、なんで彼の同行を許したんだい? 悪いけどヨシュア君は平凡すぎる。とても君に利をもたらす存在だとは、思えないけど?」

 ニヤニヤ笑いながら、ルイシヤは問い掛ける。

 アビナは珍しく困った様な表情を浮かべた後、こう告げた。

「それはアナタが彼の事をわかっていないからでしょうね。彼はアナタの想像を遥かに超えたばかです。損得勘定など眼中にない、感情だけで生きている大ばか者です。故に、彼がアナタを警戒しているとしたら、それは私の身が危うくなると思っているから。自分の身より、私の安全を優先しているからです。私が知る限り、彼はそういう人間ですよ」

「おや、ちょっと驚いた。それってノロケ? あのアビナ・ズゥが自分の彼氏を自慢しているって言うの? だとしたら、それだけで私も一寸は彼に興味がもてるかも。ま、そのことはひとまずいいや。じゃあ私が何者でヨシュア君達をどうする気か、改めて説明しようじゃない」

 堂々と胸を張り――ルイシヤ・ハルは宣言した。


     ◇


「では、単刀直入に言おう。私は今――お金が欲しい」

「……はぁ」

 脈絡はあるが、話が一つ飛んでいる気がする。ヨシュアはそう感じ、だから生返事するしかない。 ルイシヤは、笑みを浮かべながら続けた。

「とすれば、この〝鬼ごっこ〟は正に渡りに船だろう。これほど金になるイベントは、そう無いのだから。でも、一つ問題があるんだな。私には〝子〟を害する傭兵を雇う金さえない」

 ヨシュアとしては、一体どこまで貧乏なんだこの人はと思わくも無い。

 まるで弁護士を雇うお金が無いから、民事訴訟を起こせない被害者みたいだと彼は感じる。

「ならどうするべきか? それなら、方法は一つ。ここはいっそ発想を逆転させ〝子〟に協力すればいいのでは? 〝子〟を逃がす協力をする事で〝子〟が逃げ切ったあと賞金の一部を提供してもらう。私としては、そう考える他なかった訳だよ」

「あ、いや、その辺りの話はさっきアビナから聴きました。お金は欲しいけど、傭兵を雇う資金が無いから〝鬼ごっこ〟に参加できないって事情は」

「んん? ……なんだ、そうなの? じゃあ今の話は全く時間の無駄だったね。アビナもそういう事は早く言ってくれればいいのに」

 が、アビナは答えず、ただ視線だけでその先を促す。

「ま、それでも、問題は山ほどあったんだけどね。先ずそれには、私が〝子〟に接触する必要があるから。けど――全人類が血眼になって探している〝子〟を私が見つけられる? 〝鬼〟に殺される前に、コンタクトがとれるか? 答えは、恐らくノーだ。なので、このプランも私は半ば放棄しつつあった。その時だよ。正に、鴨がネギを背負って現れたのは。なんと今年の〝子〟を自称する女の子が、私を訪ねて来たんだ。しかも彼女、アビナ・ズゥは私の事情を熟知していた。私が大金を欲しがっている事を、予め調査していたのさ。そこで取引が始まった訳だ。私が手を貸すに値する能力があるか試す為、彼女には一日目を生き抜いてもらう。もしこの条件をクリヤーしたなら、私は絶対〝鬼〟が追って来られない場所に彼女を逃がす。その見返りに逃げ切った報奨金の一割を、私に提供する。そう言った契約を、私とアビナ・ズゥは結んだんだ」

「……絶対に〝鬼〟が追って来られない場所?」

 ヨシュアはまさかと思い、何度も目を瞬く。

 いくらなんでも度が過ぎるのではと、彼は半ば愕然とした。

「そう。いま君が着ているスーツも、実はその為の物なのさ。それはかの地に赴いた時、初めて本領を発揮する。現に深海に潜っても――しっかり生命維持を保ってくれただろ?」

 誇らしげに、ルイシヤはヨシュアの体を指さす。ならば、彼はやはり呆然とするしかない。

「というよりそのスーツを開発する為、お金をかけすぎたのが会社を解雇された理由でしょう? 確かにアナタはこの分野において優秀ですが、それ以上の金食い虫でもある。妥協という物を知らず、良いアイディアだと思ったら天井知らずでお金をつぎ込む。これでは幾らお金があっても、満足する事は無いのでは?」

「かもね。でも、さすがの私も十兆円あれば、暫くお金に困らないと思うんだ。その為に実験中のアレを君に提供する事にしたんだから」

 誇る様に、ルイシヤは腰に両手をやる。その時になって、漸くヨシュアは声を上げた。

「……じゃあ、アビナが昨夜言っていた〝ソラを目指す〟っていうのはそういう事?」

「はい。普通に――宇宙の事ですが?」

「………」

 ソラ=宇宙。どうやらそれが、アビナの解釈だった。

「……え? それは、本当に? 僕達、宇宙に行くの? 何か、急にスケール、大きくなってない……?」

 未だ嘗て〝鬼ごっこ〟で〝鬼〟から逃げる為、宇宙まで行った〝子〟が居ただろうか? 答えは、恐らくノーだろう。逃亡犯でも国外がやっとで、宇宙まで逃げた人は居ないと思う。

 いや、そもそも、それはルール上ありなのか?

「それはありでしょう。基本〝子〟には、規制がありませんから。生殺与奪権さえ持っている〝子〟は、だからどこへ逃げても許される。仮にこれが反則だというなら、それはルールに盛り込まなかった中央政府側のミスです。私達が、関知する所ではありません」

「あははは、あはははは。……確かに、そうかもしれないね」

 乾いた笑い漏らすヨシュアに、アビナは悪戯気な微笑みを見せる。

「では早速行きましょうか、ヨシュア。いえ、なんて事もありません。何れ新婚旅行で宇宙へ行くという時代がやってくる筈。そう思えば、君にとってもこれは願ったり叶ったりのシチュエーションなのでは?」

「あー」

 この場合なんて答えたらいいんだろうと真剣に悩みながら――ヨシュアはソラを仰いだ。


     ◇


「そういえば、ルイシヤさんは何でお金が欲しいんです? 何か、明確な目的でも?」

 白衣を纏ったルイシヤに、ヨシュアが訊ねる。その最中、アビナは躊躇する事なく研究所から三百メートル離れた所にあるロケットへ歩を進める。

 それを追いながらヨシュアは思った事を口にしたのだが、ルイシヤの答えはこうだ。

「ま、あるっちゃあるね。私――惑星ベータに行ってみたいのさ」

「……惑星ベータ? ここから五千万キロ離れた、生物が居るかもしれないっていう星の事ですか?」

「そう。人類史上、未開の地ね。探査衛星までは飛ばした事があるけど、何故か着陸前に尽く大破しているって謎の惑星。怪獣が破壊しているとか磁気の乱れとか、色んな説があるけど私はそれを直に確かめたい。未踏の大地に降り立ち、本物の孤独って奴を味わってみたいのさ」

「……そうなんだ」

 本当に、変わった人だ。常人では理解できない事に、情熱を注いでいる。

 こういうのを天才というのだろうかと、ヨシュアは首を傾げた。

「というより、本当にこの人、信用して良いの? もしかしたらワザとロケットの打ち上げを失敗させ、僕達を体よく葬るつもりなんじゃ?」

 小声で、ヨシュアがアビナに問い掛ける。彼女も、小声で返答した。

「その可能性も、零ではありませんね。ですが、その一方でこういう考え方もあります。宇宙という安全帯地に逃がすのだから、彼女も賞金を得られると確信している。そう言った担保がある以上、彼女は喜んで私達に協力する。――そうは思えませんか?」

「……成る程。確かに、筋は通るね。でも、僕達を殺して得る賞金と、僕達を逃がす事で得られる賞金の額って同じなんだよ? だったら、彼女としてはより楽な方法を選ばない? 宇宙へ逃がすより、ロケットを爆破して僕達を殺す方がよほど楽なんじゃ?」

 が、この問いに答えたのは、他ならぬルイシヤだった。

「かもね。君達なら、そう考えるのが普通なのかも。けど、これだけは言える」

 と、今まで浮かべていた笑みを消し、ルイシヤ・ハルは真顔で告げる。

「宇宙学者は人が乗ったロケットを、意図的に墜落させる事だけはしない。宇宙学者の誇りに懸け、そんな暴挙だけは絶対に行わない。もし私にタブーがあるとすれば、それ位だ。ま、気休めにしか聞こえないだろうが、それが、私が師から学んだ唯一の事だよ」

「………」

「だそうですよ、ヨシュア。ま、最終的な判断を下すのは君です。私に同行して宇宙に向かうか、それともルイシヤを信用せずこの星に残るか。どちらにするかは、君が選んでください」

 いや、そう言われてしまっては、ヨシュアとしても答えは決まっている。

「……わかった。わかったよ。僕が、君一人を宇宙に行かせる訳ないだろ? まだプロポーズの答えさえ聴いてないんだ。それなのに――君と離れ離れになるなんて御免だね」

「おや、君達本当にそう言う関係? 冗談のつもりだったのに、これは一寸驚いたなー」

 だが、アビナは露骨に拗ねた様な顔をする。

「それこそ、冗談でしょ? これは彼の一方的な妄想なので、どうか聞き流して」

 アビナが、ロケットの搭乗口に差し掛かる。

 ヨシュアは一度だけ立ち止まった後、こう口にした。

「えっと、ルイシヤさんのロケットに対する矜持はわかりました。でも、これ、本当に宇宙まで飛べるんですか? 話の流れから言ってこのロケット、あなたが一人で造った物の様に思えるんですが?」

「――そうだよ。よくわかったね」

「………」

「あ、いや、でも大丈夫。資金はアビナが出してくれて、ちゃんと大気圏を脱出できるよう設計してあるから。ただ問題は別にあってさ。そこら辺はアビナに直接聞いてくれると助かる」

「はぁ。なんかそこはかとなく厭な予感がしますが、わかりました」

 いや。厭な予感がするなら了解するなよと言いたいのだが、ヨシュアは今度こそ覚悟を決める。先にロケットに乗り込んだアビナを追い、彼も奥へと進む。

 乗組員席に座り、モニターに映ったガイドに従ってベルトを締める。ヘルメットを被り、彼は全ての準備を整えた。

「……って、君、その恰好で宇宙まで行く気かっ? 私服で宇宙まで飛ぶ気ッ?」

「ええ、それが何か? 言ったでしょう? 私はそんなダサい服を着る気は無いって。あ、でもルイシヤにはこの事、絶対に言わないで下さい。彼女は心底そのスーツを、格好いいと思っているので」

「……そうなんだ?」

 が、無駄口はそこで終わった。

 モニター画面にルイシヤが映し出され、彼女は唐突にカウントダウンを始めたから。

「じゃあ、後――五秒で飛ばすよー」

「――五秒ッ? 五秒って――無人衛星だってもう少し時間的猶予がありますよっ?」

 けれどヨシュアがそうツッコんでいる間にもルイシヤはカウントを続け、やがて零に至る。

 その瞬間、確かにかのロケットは爆発的な推進力を以て天へと上昇。

 圧倒的なGが体を駆け巡る中、ヨシュア達は瞬く間に空を駆け、やがて暗黒に行き着く。

 夜より深いその闇は、正にあるだけで万物を殺す世界――即ち宇宙空間だった。


     ◇


「……って、余りにも簡単すぎる。宇宙って、こんなに簡単に来られる場所だっけ?」

「そう感じるのは、それだけルイシヤが優秀だという事でしょう。現に、そのスーツのお蔭で発射時のGも相当軽減されていた筈。何の訓練も受けていない君が宇宙に居られるのは、全面的にそのスーツのお蔭です」

 体を固定していたベルトを外す、アビナ。

 ヨシュアもそれに倣いながら、彼は遠くを見た。

「でも、本当に来たんだな、宇宙。〝鬼〟から逃げる為だけに、僕達は宇宙へやって来た。これ〝鬼〟達が知ったらどう思うかな?」

「さて、どうでしょう? 仮に知った所で、もうどうする事も出来ないのでは?」

 そうだ。その為に、彼女達は宇宙までやって来たのだから。今度こそ〝鬼〟の手が届かない場所に逃げ込む為、アビナ達は宇宙に至った。

 彼女の言う通りどんな大組織でも、後四日以内に宇宙まで兵隊を送り込む事はできまい。

「これも全ては私が二年前の時点で〝子〟になる様計画していたからこそ成せた事です。もしゲームが始まる五時間前に〝子〟である事を知ったなら絶対に出来ない力業でしょう。逆説、だからこそ〝鬼〟もこういう事態は想定しておらず、ここ迄の用意はしていない。惑星ニーファにならどんな場所でも兵隊を派遣できるでしょうが――宇宙だけは別です」

 つまり――勝った。今度こそ――自分達の完全勝利だ。

 何せ自分達は死んだ様に見せかけた上、ロケットで宇宙まで逃げ延びたのだから。ヨシュアはそう確信し、思わず胸を撫で下ろす。彼は今まで抱いていた様々不安が、闇の中に溶けていく様に感じられた。その時、アビナは普通に彼を見た。

「ですが、一つ些細な問題がありまして」

「はぁ。そういえば、ルイシヤさんも似た様なこと言っていたね」

 軽い気持ちで、彼は応じる。が、アビナの次の言葉を聴いた瞬間、ヨシュアは耳を疑う。

「はい。実はこのロケット――母星に帰る機能がついていません」

「……は?」

 聞き間違いだと思い、ヨシュアは首を傾げる。しかし、アビナの答えは変わらない。

「いえ。ですからこのロケットは打ち上げる事しか出来ず、大気圏に突入する能力は無いんです。私が言っているのは、そういう意味」

「……え? 冗談でしょう? つまり僕達はもう、ニーファに帰る事は出来ない……?」

「はい」

 だから、ヨシュアはひさしぶりに、爆発した。

「――アホっ? 君、やっぱりアホッ? 何、その片道切符の棺桶マシンっ? そんな物造らせて、一体何の得があるのさッ? ニーファに帰れなきゃ、それは〝鬼〟に殺されるのと大差ないじゃないか――っ?」

「いえ、ルイシヤが二年では打ち上げ機能までしかつけられないとか言うから」

「――ルイシヤさんの所為にするなー! だったらその時点でこの計画は頓挫するべきだろッ? なにしれっと続けているのさっ?」

 ヨシュアがここぞとばかりに、はっちゃける。彼は今持てる全身全霊を以て、アビナの行いにツッコミを入れていた。

 が、それもつかぬ間の事で、ヨシュアは考え方をガラリと変える。

「……え? ちょっと待って。という事は僕と君はこのまま一生二人きりって事……?」

 だとしたら、一寸嬉しいかも。ヨシュアは、本気でそんな事を思った。

「良かった。君が本物の、ポジティブバカで本当に良かった。いえ、君、バカに磨きがかかっていませんか?」

「……君にだけは言われたくないなー。でもそうか。僕達は死ぬまで二人で過ごすのか。老後も円満な家庭を築くしかないんだね? なら、それも悪くは無いかもしれない」

「いえ。その前に酸素か食料が尽き、普通に死ぬと思いますが?」

 アビナが、彼の妄想に亀裂を生じさせる。

 この過酷な現実を前に、ヨシュアはまたも慌て出した。

「って事は、僕達はやっぱり何れ死ぬしかないって事っ? 具体的にはどれくらいで生命維持が切れるのさッ?」

「そうですね。今調べてみましたが、やはり酸素は後十時間程もちそうです」

「――十時間っ? つまり十時間以内に――僕達は子作りをしろとッ?」

「本物のバカですか、君は? もしかして、本当にパニくっています?」

「当たり前だろうっ? 今慌てずにいつ慌てろって言うんだ、君はっ?」

 なんだかもう、本当にしっちゃかめっちゃかだ。混乱が混乱を呼び、収集と言う物がまるでつかない。少なくともヨシュアはそう感じていたのだが、アビナはフムと頷く。

「というより、話は最後まで聴く事をおすすめします。確かに私は、この船ではニーファに帰還できないと言いました。ただそれは〝自力では〟という意味です」

「……自力では? それってつまり、他にアテがあるって事? この海より広い大宇宙で?」

 アビナは事もなく、首肯する。

「はい。実はこの船、国際宇宙ステーションと同じ軌道上にあるんです。しかも足は此方の方が速い。後九時間もすれば、件の基地に追いつき、接触する事が叶うでしょう」

「……と、そうか。その宇宙ステーションに、救助を願うんだね?」

 この至極当然なヨシュアの発想に、アビナも首を振る。但し――今度は横に。

「いえ――宇宙ステーションを乗っ取り、脱出用のポッドを強奪するのがこの作戦の趣旨。今はその計画に全力を注ぐのが、私達のするべき事です」

「……宇宙ステーションの占拠ッ? 採掘基地に続いて、今度は宇宙ステーションを乗っ取るっていうのか、君はっ?」

「ま、そういう事ですね。その理由は二つ。第一にここで救助を求めれば私達の素性がバレ、基地のクルーに害される恐れがあるから。第二に私達の生存が基地のクルーを通じてニーファに伝わる可能性がある為。もしそうなると〝鬼〟達が何かよからぬ事をしてくるかもしれません」

「んん? よからぬ事って〝鬼〟達は宇宙まで来られないのに?」

 ヨシュアは心底から疑問に感じたが、ここでもアビナは冷静だ。

「ええ、他の〝鬼〟達はそうでしょう。ですが、フェーリア・ハスナは別かもしれない。或いは、彼女なら何らかの方法を用いて私達を攻撃する事が出来るかも。それを阻止する為にも、私達の所在は絶対に知られてはならない。これは――それを防止する為のミッションです」

「……成る程。フェーリア・ハスナか。確かに、彼女は普通じゃなかった。もしかすれば君と同じくらい謎の存在かも。その彼女が僕達の生存を知っている以上、最大限警戒するのは当然って事か」

 ヨシュアが、自分に言い聞かせる様に呟く。アビナも、今度は頭を縦に振った。

「そういう事です。という訳なので、君は少しでも体を休めていて。私はその間にルイシヤに連絡をとって、細かい作戦の立案を行っておくので」

「……それは吝かじゃないけど君の方こそ大丈夫? 僕より明らかに睡眠時間、短いだろ?」

「問題ありません。言ったでしょう? その気になれば、五日間くらい徹夜できると。今君がするべき事は私を案じるより、次の作戦まで英気を養う事です。それも作戦の内なので、今は私に従ってください」

 そこまで言われては、ヨシュアも反論する術がない。

「わかった。今度は採掘基地の時みたいなヘマをしない様、気を付ける。けど、アビナも体がきつくなったら何時でも言ってね? 僕に出来る事なんて何も無いだろうけど、愚痴くらいは聞けると思うから」

「………」

 だが、この何気ない気遣いに対し、アビナは思わぬ反応を見せる。

「いえ、正直言えば、君は自分で思う以上に、私の役に立っています。君が見張りにつくお蔭で仮眠もとれるし、採掘基地の攻防は君の存在が不可欠でした。君が侵入チームの排除を担当してくれなければ、私はきっと人死にを出していたでしょう。それを避けられただけでも、君の功績は大きいと言える。その辺りは、大いに胸を張って構いません」

「……え? それは、本当に……?」

「ええ。言ったでしょう? 私は、隠し事はしますが、嘘はつかないと。ですが、余り調子に乗らない様に。君が調子に乗ると、ロクな事が無さそうなので。……というか、なんですか、その満面の笑みは?」

「いや、ちょっとアビナの事がわかったと思って。君、クーデレだと思っていたけど、ツンデレでもあるんだね?」

「……何です、その忌まわしい俗語の数々は? 私は断じて、そんな属性ではありませんよ。君の前でだけは、永遠にデレる事は無いと言い切れます」

「なんだかなー。それも何かの前振りにしか、聞こえないんだけど。でも、一応訊いておこうかな? クーデレでもツンデレでも無いなら、アビナは一体何なのさ?」

 ニヤニヤしながら、ヨシュアが問う。

 アビナは何故か露骨に視線を逸らしながら、それでもハッキリと口にした。

「……そうですね。私は今でもきっと■■■■なのでしょう。なのに、愚かにもこんな事を始めてしまった」

「は、い?」

 ヨシュアには、その意味が良くわからない。

 けれど――それは心底から後悔する様な響きだった。


     ◇


 事態が動いたのは、それから七時間後の事。仮眠をとっていたヨシュアは、アビナに叩き起こされる。彼女は明らかに不機嫌な様子で、捨て台詞の様に宣言した。

「いえ、作戦開始に当たり、一つ残念なお知らせがあります。何と、私もそのクソダサいスーツを着る事になりました」

「……そうなんだ?」

 本当に不快そうな顔で、アビナは遠い目をする。そんなに厭なんだとヨシュアは少し同情するが、それも束の間の事。彼は直ぐに、その訳をアビナに問い掛けた。

「そんなの、ロケットに乗ったままでは不味いからに決まっているでしょう? 謎の船が近づいてきたら、ステーションのクルーは相応の処置をしてくる筈。それを避ける為にも、私達は彼等がロケットに気付く前にステーションにとりつく必要がある」

「……という事は、このロケットは乗り捨てるって事だよね? つまり、ステーションに辿りつけなかったら、僕達は一生宇宙を彷徨うしかないって事?」

 ヨシュアが何とも言えない顔で、確認してくる。アビナは、力強く首肯した。

「――そういう事です。それ故、先ずは宇宙ステーションに行き着くのが、何より優先されるべき事。後はステーションの扉の暗証番号を打ち込み、侵入して、クルーを拘束する。簡単に説明すれば、それだけの事です」

 が、ヨシュアの反応は思わしくない。

「……いや、待った。扉の暗証番号があるなんて聞いてないぞ? それに、クルーに侵入を気付かれたらどうする気なんだ? 宇宙船の中で銃とか、飛行機の中で銃よりよほどタブーだろ?」

 しかし、アビナはここでも普通に説明する。

「いえ、暗証番号については少なくとも、アテはあります。何せ他ならぬルイシヤが設計したのが――あの宇宙ステーションですから」

「……へ? 宇宙ステーションを、設計ッ? あの人、そんなに凄い人だったのっ?」

「ええ。何せ齢十四歳で、国際宇宙センターの開発部門のトップに上り詰めた人ですから。その彼女なら、当然の様に扉の暗証番号も熟知している訳です。尤も、それが今でも使われているかは微妙だそうですが」

「……そうなんだ?」

 いや、アビナと知り合ってから〝……そうなんだ?〟が口癖になったなと思いながらヨシュアは続ける。

「じゃあ、扉の暗証番号が違ったら、最悪、遭難者を装うしかない?」

「そうなりますね。しかし、宇宙ステーションは全ての情報が集中しています。現在有人ロケットが何機打ち上げられ、どこを周回しているか全て報告されている。唯一例外なのは私達ですが、だからこそ彼等も予定外の存在である私達を警戒するでしょう。或いは宇宙人か何かだと思う人間も居るかも。それ位、私達はこの宇宙においてイレギュラーな存在と言える。下手をすれば、発見と同時に私達の正体を看破されかねない。それを避ける為にも、この奇襲は何があっても成功させなければなりません」

「……そっか。わかった。じゃあ、その為に僕は何をすればいい? 何でも言ってくれ。僕はその為に、君についてきたんだから!」

 意気揚々と、ヨシュアは断言する。対して、アビナの答えはというとこうだった。

「いえ、今回、君は何もしなくて構いません。寧ろ邪魔なので、宇宙ステーションの外で待機していて下さい。本当に、邪魔なので」

「……え? 邪魔? 僕、そんなに邪魔……?」

 それはルイシヤ辺りが聞いたら、少しは同情しそうなほど悲しみに満ちた響きだ。

 が、それを聞いたのはルイシヤではなくアビナで、だから彼女は淡々と言い切る。

「ええ、死ぬほど邪魔です。できれば、殺したいほど邪魔です。なので、黙って引っ込んでいて下さい」

「………」

 というより、これはアビナなりに彼の扱い方がわかってきたが故の処置である。ヨシュアという少年は、褒める程に調子に乗る。それはもう、ウザい位に。

 この経験則に基づきアビナは余程の事が無い限りヨシュアを褒めるのは止めようと決めた。

 その被害者は見るからに落胆しつつも、了承の意を示す。

「……オッケー。じゃあ、全て君に任せるよ。成功する事を心から祈っているから、頑張ってー」

「ええ、君さえ何もしなければ――作戦は完璧です」

 最後にそう追い討ちをかけ――アビナは行動を開始した。


 まず彼女はロケットのエンジンを逆噴射させ、宇宙ステーションから遠ざける。その後、アビナもスーツを着て、ヨシュアと共に船外へ出る。二人でスーツの推進力を最大にしながら、宇宙ステーションを目指す。二時間かけ漸く宇宙ステーションに辿りついたアビナ達は、予定通り動いた。

 ヨシュアは本当に何もせず、ただ固唾を呑んでアビナを見守る。彼女は扉の暗証番号を入力し、呆気なくハッチを空け、宇宙ステーション内に侵入。その後、数分程経ってから彼女はステーションの外で待つヨシュアのもとに戻っていた。二人は、回線を通じて会話を始める。

『作戦は、無事成功しました。もう安全なので、君もステーション内に入って』

『って、余りにも呆気なくないっ? 普通こういう時ってなんかのアクシデントが起きて、緊迫した状況になるんじゃッ?』

『いえ、現実はこんな物です。いいから、行きますよ。これからクルーを尋問し、緊急脱出用のポッドの使い方を聞き出さないといけませんから』

『……わ、わかった。じゃあ、急ごう!』

 気を取り直して、ヨシュアが宇宙ステーションに向かおうとする。アビナもそれに続こうとしたが――その最中、彼女はありえない物をその視界に収めた。

 彼方より、無数の巨大なヒト型が此方に向かってくる。その一つに乗る人物が、そのとき何と呟いたかアビナは知る由も無い。だが彼女は――確かにこう謳った。

「ええ、あなた達は知らないかもしれないけどね。実は、今なら八百億円ほど然るべき場所に投資すれば、宇宙ロボくらいつくれるらしいわよ? 例えば、こんな風に」

『まさ、か――?』

 白き戦闘用ロボに騎乗しながら――フェーリア・ハスナは喜々としてアビナ・ズゥを見た。


     ◇


 これは、その前日の事。

「と、成る程。或いは――そういう事か」

 採掘基地が爆破されてから十分ほど経った頃、その海域に留まっていたフェーリアがそんな事を呟く。

 彼女の執事であるゼスチアは、意味がわからず素直に首を傾げた。

「そういう事とは? アビナ達の動向について、何か思い至りましたか?」

「ええ。ヨシュア・ミッチェが着ていた服なのだけど、アレは――恐らく宇宙服だわ」

「宇宙服? 何故そう言い切れるのでしょう?」

 実際に件の服を見ていないゼスチアとしては、そう問う他ない。彼の主は、一笑する。

「仮に、彼があの爆発の中でも生きているとしたら? だとしたら、それは過酷な環境に適用できる様、設計された物と言う事よ。もしそうなら、それはどんな場所で活動できるよう想定してつくられた物かしら? 火山口? 深海? どちらも捨てがたいけど、絶対に安全とは言い難いわ。前者は空からその姿を見られる可能性があり、後者は今正に彼等の捜索が行われている。その二つでないとしたら残る可能性は一つだけでは無くて?」

「つまり……アビナ達は宇宙に逃げる気だって言うんですかい? いくらなんでも、そこまでしますかね? 第一、宇宙に行けるツテがあるなら採掘基地にこもる必要はないんじゃ?」

「一見正論ね。でも、どうしても一日潰さなければならない理由があるとすれば? 例えば、その宇宙船が欠陥品で、自力ではニーファに帰って来られないとか。その辺りの不具合を調整する為に時間を稼いだとしたら、一応の筋は通ると思わない?」

 だが、もしその予想が当たっているとしたら、彼女達は途方に暮れるしかない。

「つまり、アビナ達は本当の意味で俺達の手の届かない所に逃げ切ったって事ですよね? 連中がどの軌道上に居るかわからない以上、俺達でもやつ等を発見するのは無理なんだから。もしお嬢の戯言……もとい、推理が正しければお手上げって事になるんじゃ?」

「それも正論だわ。なら、私達はこの希望的観測に縋る他ない。即ち、一日潰した所でその欠陥は補えなかったと言う希望的観測に。もしこの仮定が正しいとすれば、彼女達が次にどこへ向かうかは明白ね。ニーファへ帰還する足掛かりを求め――アビナ達は必ずアソコに立ち寄る」

 それは、一種の賭けだった。それもかなり、分が悪い。何せ全てはフェーリアの妄想に近い予想にすぎず、それ以上の意味は無いのだから。

 けれど、他に手がかりが無いのも事実なのだ。ならば、フェーリアとしてもただ先回りをして、アビナ達の到来を待つほか無い。アビナ達がニーファに帰還するべく――宇宙ステーションを頼ると当たりをつけるしかなかった。

 こうして、アビナ達より十時間は早く宇宙にやって来たフェーリアはただ待った。宇宙ステーションから直ぐ傍の軌道上に陣を構え、有事に備えたのだ。

 フェーリアがアビナ達を待ち伏せ出来たのは、そう言った理由から。彼女は賞金の一部を使い、既に様々な物を開発させてきた。有人用のロケットに、最新型の宇宙専用ロボ十機。そのロボを自身が所有している人工衛星に搭載しているのがフェーリアという少女。

 以上の事から彼女はアビナ達を発見し――その命を奪おうとしていた。


『成る程。だとしたら……フェーリア・ハスナはやはり私の想像を絶する脅威です』

 思わず、アビナが呟く。その間にも全長十メートルの青いロボ九機を伴い、フェーリアの白い機体が迫る。宇宙空間に居ながらも、ドレス姿でロボに搭乗する彼女は正気でない。

 ヨシュアあたりが知れば間違いなくそう思うだろうが、フェーリアは余裕で事を進める。彼女は、後十秒でアビナ達に接触すると言う状況に至ろうとしていた。

 アビナがヨシュアに指示を出したのは、その時だ。

『ヨシュアは宇宙ステーションを盾にして、隠れて。〝鬼〟であるフェーリアは民間人に手出しは出来ませんから、この策は有効の筈です』

 確かにロボ達が持つ銃器が宇宙ステーションを傷付けたら、人死にが出る可能性がある。そうなれば、フェーリアは間違いなく極刑に値する刑事罰を受けるだろう。ならば、アビナの策は的を射ていると言えた。

『……で、でもそれじゃあ君はどうするのさッ? あいつ等の狙いは間違いなく君で、だからこうして接近してきているんだよっ?』

『そんなの、決まっているでしょう』

 と、アビナは眼下に目を向け、一言告げた。

『当然――迎え撃つに』

『……はッ?』

 かくして――生身の人間対宇宙専用ロボ十機の戦いは幕を開けたのだ。


     ◇


 青い量産機が、アビナに銃を向ける。だが、その射線上には件の宇宙ステーションがある。今銃器を使えば、間違いなくアビナごとステーションを破壊しかねない。故に、フェーリアはこの不都合を覆すべく動く。彼女の機体の背についた翼が分離し、アビナを囲む様に散らばっていく。

 その鏡の様な物体に向け、量産機が銃機を放つ。発射したビームをその鏡へと当て、鏡はビームを反射し、アビナの居る方角に屈折する。それを見てアビナは目を見張るが、同時にフェーリアも目撃した。あのスーツの限界以上の推進力で――超速移動するアビナの姿を。

『……つッ? 成る程! そういう仕組みの玩具ですか、それは!』

 何とかビームを回避するアビナだったが、彼女は間も無く次の展開を看破する。ソレは直ぐに現実の物となった。

 九機の量産機が、一斉にビームを連射する。それはアビナの周囲の鏡に当たり、やはり光線はアビナ目がけて曲がっていく。無数の光のシャワーが――アビナに向かって降り注ぐ。

 この悪夢の様な連続攻撃を前に、それでもアビナは攻撃を躱し続ける。

 避けて、避けて、避けまくり――未だ致命傷には至らない。

 けれど、フェーリアは即座に直感した。

「あの推進装置は、エネルギーを噴射して移動する類の物。なら、エネルギーさえ使い切らせれば、自ずと勝利は私の物という事。違って――アビナ・ズゥ?」

 それも、正鵠だ。アビナ達のスーツは、そう言った構造になっている。とすると、このまま戦況が進めば、事態はフェーリアの思惑通り進むだろう。

 だが――アビナの懸念は別の所にあった。

(その為にも――私はあのロボに接触する必要がある)

 故にアビナは周囲を飛び交うビームを潜り抜け、量産機へと近づこうとする。針に糸を通す様な回避力を以て、彼女は尚も生存する。

 やがて彼女はその思惑通り件のロボへと手を伸ばし、触れる事に成功していた。

(やはり――無人機。この青い機体は、全てあの白い機体に操られている)

 それも、正解。九機の量産機は全て、フェーリア機が発する脳波によってコントロールされていた。その為、通信による司令という行程を省き、フェーリアは想像通り量産機を操る。有人機では不可能な速度で接近し、常人離れした機動性を見せる。

 アビナは内心それに舌を巻きながら、それでも喜悦した。

(そう。人が乗っていないなら――遠慮する必要はどこにもありません)

 よって、ヨシュアは驚愕した。アビナが、手にした銃を量産機に向ける。ソコから放たれるのは、一センチにも満たない弾丸だ。しかも敵のロボの装甲は戦車の五十倍以上で、核ミサイル以外通用しない設計になっている。

 だというのに、たった一発の弾が当たっただけで、全ては決していた。件の量産機の一つに直径七メートルの大穴が空き、その機能は停止する。それは正に採掘基地戦で見せた、アビナの不可思議な力だ。

 が、この光景を前にしてもフェーリアは笑う。

「ええ。あなたには、ソレがある。でも、私もその事は織り込み済みよ」

 故に、彼女は無人機の機動力をフルに使う。秒速二十キロという地上ではありえない速度で操作し、ビームを放ってアビナを翻弄する。

 この鏡を通して、不規則に接近してくる無数のビームを見切るだけでも、人間技ではない。更にロボの体当たりを回避しなければならないのだから、やはり標的の死は決定的だ。

 では、それで尚生存しているあの少女は一体何者か? ヨシュアはただ息を止めながらそう思う他なく、フェーリアはただ目を細める。

「よくやる。でも、そろそろ限界みたい。あなたより先に、推進器の方が参ってしまったみたいよ、アビナ・ズゥ?」

 明らかに、アビナの動きが鈍る。

 それを見てフェーリアの機体――メイガスが起動する。

 メイガスは秒速三十キロでアビナに接近しつつ、手にしたビームランチャーを構える。そのまま鏡の一つに大口径のレーザーを命中させ、アビナへと屈折させる。

 それを避けるだけの機動力は今のアビナには無く、それを遮る物さえ無い。ならば答えは決まっている。アビナ・ズゥはこの時を以て――宇宙の塵となる。

『くッ!』

『アビナッ?』

 ヨシュアがそう叫ぶ中、アビナがまばゆい閃光に包まれる。

 いや、本当にそうなる筈だった。

 だが、ヨシュアはもう一度、我が目を疑う。何せ身長百五十四センチの少女が、右手を盾にしただけで――事もなくその一撃を防いだから。それこそ正に、人間技では無い。

「んん? やはり、私達と同じ種類の〝力〟じゃない? では――彼女は一体何者?」

 いや、それを言うなら――あの光景を見ても動揺一つしないフェーリア・ハスナこそ何者か? 何の淀みもない量産機の動きから、アビナはフェーリアの心理をそう読み取り、辟易する。だが、その一方でアビナは大きく息を吐いていた。

(ええ。私が劣勢になれば必ず参戦してくると思っていましたよ、フェーリア・ハスナ)

「へえ? やはり先ほどの動きは――ブラフ?」

 しかしフェーリアがそう感じ取った時には、事は動いていた。アビナは自分に近づいてきたメイガス目がけて、推進装置をオンにする。アビナは推進力を使い切った様に見せかけ、フェーリアを誘き出し、彼女を己の間合いに入れる。

 アビナは超速でメイガスへと突撃し、体当たりを入れた後こう叫んだ。

『今です――ヨシュア!』

『へ? 僕っ?』

 だが、今はその事に疑問を抱いている暇はない。ヨシュアは即座に手にした銃の引き金を引く。それはありえない威力を伴い、メイガスに迫る。この不可解な現象の当事者であるヨシュアは我が目を疑い、フェーリアは奥歯を噛み締めた。

「本当に良くやる!」

 上方へ避けながら、フェーリアが嘯く。けれどヨシュアの一撃は事もなくメイガスの左脚を貫通し、破壊する。更に零距離からアビナが銃を構え、メイガスの頭部へ狙いを定めた。

 けれど――それをただ許すほどフェーリアもただ者では無い。

『悪いのだけど、其処はコクピットで、今引き金を引けば私は死ぬかもしれない。それでも引き金を引けて、アビナ?』

 採掘基地での戦いでアビナが誰一人殺さなかった事を知る彼女は――その為こう揺さぶる。

 いや、フェーリアにとっては、例え一瞬でもアビナが逡巡すれば十分過ぎた。

 フェーリアは、採掘基地戦での再現を為す。

 あろう事か――フェーリアは核融合エンジンを搭載したメイガスを自爆させたのだ。

『……つッッ?』

 この、核ミサイルに匹敵する熱量に晒されかけ、アビナが息を呑む。

 一瞬早く脱出ポッドでメイガスの自爆から逃れたフェーリアは、喜悦する。

 この時ヨシュアは思わず宇宙ステーションから離れ――アビナに向かって直進した。

『アビナっ!』

『くッ? 本物のバカですか――君はっ?』

 この状況で怯える事なく戦場に身を晒す? それは正にアビナの想定外の行動で、それゆえ勝敗は決した。次の瞬間、確かにアビナとヨシュアは戦闘ロボに囲まれてしまったのだから。宇宙ステーションから五十キロは離れている為、ソレを盾にする事ももう出来ない。

「つまり――これで終わり」

 フェーリアが、容赦なく量産機に総攻撃を命じる。その念はコンマの間もなく伝達され、量産機は手にした銃を一斉に掃射しようとする。

 が――フェーリア・ハスナはその直前、確かに見た。あろう事かバカげた事に、アビナがヨシュアを抱き寄せ、そのまま彼方に移動する様を。

 アビナは今度こそ全ての推進力を以て――超速移動を為す。

 ならば、それは最後の悪あがきだ。

 この包囲網から逃れ様とも、次の攻勢はもう凌ぎ切れまい。

 フェーリアはそう確信するが、間もなく彼女は刮目する。

 何故ならアビナが逃れた先には――他ならぬ惑星ニーファが存在していたから。

「まさか――大気圏に突入する気? ほぼ生身の状態で――?」

 そんな真似、自分でも試した事が無い。

 いや、それを言うならアビナも、これが初めての経験だ。

『ええ! この手だけは――使いたく無かったのですが!』

『って……だ、抱きついてくるから、胸が、アビナの胸が僕の背中に当っている!』

『ええ、そうですね! だから使いたく無かったんです!』

 いや、ここまでくれば、ソレは喜劇ともいえる暴挙だ。

 だがアビナは迷う事なくこの策を用いて――やがて二人は流星となって母星に堕ちていった。


     4


 ついで、彼女は回想する。

 それは、彼女がまだ四歳の頃。彼女は、ある女性に命を救われた。それも、見ず知らずの赤の他人とも言える女性に。

 今となっては仮定するしかないが、きっと女性は反射的にそうしたのだろう。ダンプカーにひかれそうになった彼女に駆け寄り、抱き寄せて、己が体を盾とした。その所為で彼女と女性は十メートル程も吹き飛ばされたが、彼女は奇跡的に無傷だった。

 だが女性の方はそうはいかず病院に緊急搬送されたが、結局二時間後に死亡が確認された。

 歳は三十二で、一児の母であり、良き妻であり、どこにでも居る様な主婦だった。

 が、問題はその後の事で、女性の行為はあろう事か賛否両論される事になる。

 一体、何故か? 女性は、命を懸けてまだ幼い彼女の命を守り抜いた。それは間違いなく人として称賛されるべき行動だというのに、何故そんな事になった? 

 それは彼女の父がマフィアの長であり、今も別の組織と抗争中にあったから。その争いに巻き込まれ、一般人にも死傷者が出る状況にあった。その半ば戦争とも言える状況は既に二十年は続いている。トップが代替わりした後も、終わりが見えないこの紛争は継続していた。

 なら、命を救われた彼女も何れ組織を継ぎ、この抗争に加担する事になるだろう。女性が助けた命とはつまりはそういう類の物で、女性は一人の命を救う事で無数の命を奪う。多くの人々がそう思い、だから二つのマフィアを恨む人々は女性を心から罵倒した。遺された夫と子供の家にまで嫌がらせは続き、十歳となった頃、彼女はその事を初めて知る。自分がどんな立場にあり、その所為で女性がどう思われているか、彼女は理解した。

 きっとその時、彼女は全てを決めたのだと思う。今は普遍性を失くした彼女だが、それでもこの時だけは違ったから。彼女はただ、誰もが思う通りに願っていた。

〝ええ。貴女は本当に、バカです。私の様な、ただの害物の命を救い、その所為で周囲から疎まれたのだから。命を懸けてまで、貴女は自分の死を貶めた。その所為で家族にまで累が及んだのだから、本当に報われない。でも、だからこそ、私はこう決意するしかありません〟

 故に、彼女はただ涙しながら、こう誓った。

 せめて――女性に誇れる人間になろう、と。

 万人が――自分を救った女性を英雄だと称賛する様な人生を歩もう、と。

 それが、それだけが、自分が女性に出来る唯一の事。あの女性と言う犠牲を生んだ時点で、彼女の人生は既に定められていた。

 事実、彼女は父を追放してまで組織を乗っ取り、無理やり抗争を終わらせた。自身の縄張りを絶対的な物にするべく金銭を欲し、〝鬼ごっこ〟に参加する事になる。その聡明さを以て三度〝子〟を討ち、賞金を手にした彼女は、その時点で人ではなくなった。その資金をもとに街は平和を取り戻し、今は活気に満ちている。

 けれど、彼女は毎年女性の命日に、女性の墓標の前で問い続けた。

〝ねえ、カルネットさん。私は――貴女が誇れる私になれましたか?〟

 無論、答えは無い。女性の夫と子供はもう十分だと言ってくれたが、彼女の煩悶はまだ続いている。いや、きっとその問いかけは永遠に続く事になるだろう。でも、だからこそ彼女は今でも銃を手に取り続ける。あの女性から答えを聞く迄は、きっと永久に。

 それが――フェーリア・ハスナという少女の永遠に続く宿命だった。

「……本当に、他人から見れば、取るに足りない事なのでしょうけど」

 アビナ達を逃した後、フェーリアが思わず呟く。彼女は眼下に広がる惑星ニーファに目を向け、今後どう動くべきか思いを巡らせていた。――その時、ニーファから通信が入る。

『お嬢様、御無事ですか? どこかお怪我でも?』

「いえ、体の方は問題ないわ。ただ収穫が微々たる物で、それが癪なだけ」

 そう。アビナ達を、絶対安全圏である宇宙より追い出したのは良い。更に、アビナの能力も何となく見当がついた。だが肝心である筈の、アビナ抹殺については完全に失敗に終わっている。

 今回もアビナの能力を見切る為の布石だったが、いざ逃げられると悔しい物だと彼女は笑う。

「でも、良いわ。所詮、宇宙では互に能力を発揮し得ない。今度は、互いに全力を出し切れる地上で殺し合おうじゃない――アビナ・ズゥ」

 やはり、喜々としながらフェーリアは告げる。

 メイガスに量産機一機という損害を受けながら――それでも彼女の余裕は崩れなかった。


                アビナ・前編・了


 ここまで読んでいただき、誠にありがとうございます。

 完全にギャグとしか思えない、前編、終了です。

 実は前編に後編に繋がるある仕掛けがあるのですが、それも踏まえて後編もどうぞご期待ください。

 それと、劇中に出てくる聖女というのは、奴の事ではありません(何の事か分からない方は、聞き流してください)。


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