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ヴェルパス・サーガ  作者: マカロニサラダ
6/20

ファイナルジャッジ・後編

 いえ、ほぼ関係ない話ですが、最近の自慢はくノ一を題材にしたある漫画のキャラ名を全員覚えた事です。

 全三十八名、覚えました。

 当然アニメもチェックしている訳ですが、四話を見て思った訳です。

 ああ、モクレ■さんみたいなキャラが本物の天使と呼ばれる存在なのか、と。

 それに比べ例の人の天使力ときたら、どんだけ低いんだと痛感するばかりです。

〝天使力たったの五か。ザコめ〟みたいな話ですが、どうぞ最後までお楽しみください。


「これは、陛下。お早いお帰りで」

「ええ、ただいま、獅子堂。その形相は、何かしらね? まるで、クーデターに失敗した敗軍の将みたいな感じよ? それとも――本当に彼は私を暗殺する為に貴方が派遣したとか?」

「……彼?」

 癖のある髪を後ろに流した四十代後半の男性が、眉をひそめる。

 獅子を連想させる風貌をした獅子堂という人物は、そこで漸く俺に気付いた様だ。

「そう。今日から私の側近になった、千田勇気よ。今の所待遇は大佐と考えているのだけど、これは形式的な事ね。私としては――彼の事を友人だと思っているから」

「は?」

「え?」

 獅子堂だけでなく、そんな事は初耳である俺も耳を疑う。友人? 俺が、皇帝の?

「いえ……失礼。ですが、私に異存はありませんが、比嘉将軍達は納得しないでしょうね。彼等は間違いなくその少年に、嫉妬するかと」

「また誤解を招くような事を、ストレートに言うわね。彼等が私を女性として扱った事があって?」

 楽しげに、ユミファスは語る。逆に、獅子堂は見るからに渋い顔をした。

「さて。それは存じ上げませんが、一つ確かな事が。そのしわ寄せは陛下ではなく、間違いなくその少年にいくという事です」

 ……なんだか、不穏な空気が流れている気がする。鈍い筈の俺がそう感じるのだから、これは余程の事だ。なのに、彼女は涼しい顔をして言い切った。

「それは問題ないわ。その為の〝紹介〟ですもの。という訳で獅子堂宰相、皇帝として命じます。皆を集めてくれるかしら。貴方の懸念を、少しでも早く晴らしたいから」

 そう口にしながらユミファスは俺を連れ――獅子堂の傍を横切った。


 宰相が皇帝の要求を満たしたのは、あれから数分後の事。彼は戦時を思わせる様なけたたましい鐘を打ち鳴らし、それを聴いた人々はこれに応じる。軍服を纏った人々が足早にやってきて、その場に列をなし、彼等は皇帝に謁見したのだ。

「速やかに招集に応じた事、大儀です。じゃあ、早速本題ね。彼は――千田勇気。今日から――私の友人になった少年よ」

 ユミファスがそこまで口にすると、周囲がザワめき始める。

 というより、これ、俺の気のせいかもしれないが皆、殺気立っている?

「畏れながら陛下、友人とはそれだけの器量がその少年にあるという事でしょうか? 友とはつまり臣下である我等より待遇が上で、そう接すると仰っておられる?」

「そういう事よ――比嘉中将。今後勇気には私の相談相手になってもらうつもりだけど、何か不満があって?」

「……あのー、陛下?」

 更に不穏な気配を感じた俺は、口を挟もうとする。

 けれどその前に、比嘉という将軍が声を上げた。

「いえ、陛下の人を見る目に疑う余地などありません。陛下にとって、彼はきっと良き相談相手となるでしょう。ですが、それは同時に――その彼さえ打ち倒せば私めも同列に扱って下さるという事では?」

「んん? 何? 比嘉中将は、私と友人関係になりたかったの? それは、初耳だわ」

 クスクス笑いながら、ユミファスは火に油を注ぐ。

 その火で焼かれているのは、正しく俺だというのに。

「いいわ。つまらない駆け引きは、止めましょう。貴方達には、勇気に対する挑戦権を与えます。彼に勝った者には、明日の舞踏会で私と踊る栄誉を与えましょう。その代り、勇気が勝てば私は彼と踊る事にするわ」

 ……やはり、そういう事か。ユミファスが言っていた〝紹介〟とはそう言う事で、俺の力量を示す場なのだ。その上で〝皇帝の友人〟という立場を皆に納得させろと彼女は言っている。

こういう時、つくづく思う。俺一人に重要な役を一任したシャロットもシャロットだが、この皇帝も相当なクセ者だと。要するに女子は男子よりよほど怖いと言いたいのだが、その間にも話は進む。

「確かに承りました、陛下。ではまず私から手合せ願いたい、千田殿」

「オイ、なに勝手なこと言ってやがる、比嘉。一番手は俺に決まっているだろうが」

「その通りだな。余りでしゃばるなよ、中将殿。俺を差し置いて、何を勝手な」

 と、居並ぶ兵達はみな好きな事を口走る。俺の心境など、これっぽっちも考えずに。

「勝手も何も無い。この中で、俺から一本でもとった奴が居るか? つまり、その俺が負ける様なら、他にあの者に勝てる者など居ないという事だ。だとしたら――これほどわかりやすい話はあるまい?」

 そう大口を叩く黒い短髪の男性を前に、ユミファスは決断する。

「そうね。なら、比嘉中将からいきましょうか。勇気、剣技から徒手空拳に至るまで近接戦闘なら最強を誇る彼だけど、それでも構わない? それとも、いきなり最強というのは分不相応かしら?」

「……はぁ。その前に一つ確認させて下さい、陛下」

「んん? そこは〝確認させてくれ〟でいいわ。だって私達、もう友達同士なんだもの」

「いえ……あの、そういう事では無くですね」

「〝そういう事じゃねえよ〟? じゃあ、一体どういう事?」

「……わかりました。では仮に私が勝利した暁には、陛下の仰せに従う事にします。で、繰り返しになりますが、確認させて下さい。私は――本気でやって良いのですね? 彼等の名誉とか気にすること無く――本気で戦って構わない?」

「それは一体どういう意味かな――千田殿?」

 比嘉中将が〝皇帝の友人〟に対して鋭い視線を向ける。挑発するつもりでは無かったのだがどうやら結果的にそうなってしまったらしい。

 なら、俺はこの流れに乗るべきか?

「いえ、失礼しました中将殿。ただ話を聴く限り、中将殿は剛の者にあって更に剛の者と言える方。そのあなたに、どうして本気で挑まず一矢報いる事が出来るのかと愚考した次第です」

「ほう? 中々口が良く回るな、千田殿は。ならば陛下、彼とは真剣で立ち合う事をお許し願いたい」

「――いいわ、許しましょう」

 ……って、許すんかい! この人……実は俺を殺したいだけなのでは?

 最後にそんな事を思いながら――俺は比嘉中将とバトルする羽目になったのだ。


 決戦の場は、城に隣接された広場に決まった。俺とユミファスだけでなく、城に仕えている大部分の人間が其処に集まってくる。

 彼等にとっては一大イベントらしいこの催しを、みな興味深げに見物している。

「では、比嘉中将、千田勇気、前に」

 皇帝直々に審判役を買って出て、仕切りを為す。俺と比嘉中将はこれに従い、互いに三メートルは間合いをつめる。と、比嘉中将は部下に二メートルはある石の塊を運ばせてきた。

「一応忠告しておこう。俺とやるという事は、こういう事だと」

 中将が抜刀と同時に件の石を薙ぎ払う。それだけで石は両断され、更に彼は剣を振り回す。石は一瞬にして十五分割にされ――音を発ててその場に無残な姿で転がった。

「これが、貴公の一分後の姿だが、それでもやると?」

 この忠告が――彼なりの最後の慈悲。俺はそう解釈しつつも、十歩後ろに下がる。

「お気遣い、痛み入ります。では、私からも忠告を。これより十秒は、瞬きしない事をおすすめします」

「言っている事が良くわからないのだがね――千田殿?」

「直ぐにわかりますよ――比嘉中将」

 俺は、持ってきた刀の柄に手を伸ばす。比嘉中将は、既に抜刀した剣を正眼に構える。

 それが真に刹那の間と言える――戦いの幕開けとなった。


     ◇


 比嘉明時が、臨戦態勢に入る。刀を手にした彼の間合いは、凡そ四メートル程。その間合いに一瞬でも踏み込んだ者は、瞬く間に両断するだけの力量が彼にはある。

 対して目の前の少年は未だ抜刀せず、八メートルは先で腰を屈め彼方を見据えている。

 その姿を見て、彼は確信した。

(見た所、流派は居合か。だが彼はあの陛下が見込んだ男。それが全てだとはとても思えん)

 比嘉に、自惚れや油断の類は無い。何故ならあの千田と言う少年は、皇帝が連れて来た男。彼が知る限り、あの皇帝が認めた者が凡愚であった試しはない。それはあの皇帝に見出され、二十八歳で中将に上り詰めた自分の経歴が物語っている。故に、その皇帝を否定すると言う事は自分の器量を否定すると言う事。

 その様な愚考を成し得る、彼では無かった。

(だがそれで尚、俺に斬られるというならそこまでの男。さしもの陛下も、人を見誤ったという事。彼を斬れば陛下の名誉に傷をつける事になるが、悪しき芽は早めに摘んでおくに限る。故に悪いが――殺す気でいかしてもらうぞ、少年)

 よって比嘉は――裂帛の気迫と共に刀を振り上げる。

 その時、あの少年が此方に向かって駆けだしてくる。

 その余りに凡庸な速度を見て、逆に比嘉は不信感を抱く。皇帝だけでなく、己の人を見る目も狂ったかと疑いさえした。だが――その最中にソレは起きたのだ。

(……なっ?)

 少年が、彼の間合いに入る。つまり、それはあの少年にとっての死地だ。この境界線を踏み越えた時点で――少年の死は確定的である。

 ならば、これは一体いかなる現象か? 彼が刀を振り下ろした瞬間、あろう事か――彼は少年の姿を見失う。加速と言うには生ぬるい速度の変化と共に――少年は彼に肉薄した。

 それは正に脳が少年の動きを掴むという処理を成す前に、移動すると言う魔術めいた速度。その超速を以て――少年は彼の直ぐ横を通り過ぎる。

 その最中、皇帝は徐に呟いた。

「――二十、か。まぁ、及第点ね」

「は?」

 近くにいた兵が、首を傾げる。

 その時にはもう比嘉明時の体は地面に倒れ伏し――ただあの少年が刀を鞘に納めていた。


     ◇


「……な、に? 比嘉が、一撃で? 熊の突進にも耐えるあの比嘉が、たった一振りで倒された、と……?」

 周囲から、ザワめきの声が聞こえる。俺はそれに嘆息しながら、皇帝に向き直った。

「そういえば、まだ答えを聞いていませんでしたね? 私は本当に比嘉中将に勝ってしまって良かったのでしょうか、陛下?」

「ええ、結構よ、勇気。でなければ、とても私の友人とは言えないもの。それと君、約束忘れてない?」

 俺は自覚できるほど顔をしかめるが、だからこそ遠慮なく悪態をつく。

「……ああ。なら、もう一つ訊く。俺は二十ほどしか中将を斬れなかったが――ユミファスなら何回斬れた?」

「――三十程、と言った所かしら? やはり思った通りの力量で何よりだわ――勇気」

 ご機嫌な様子で、ユミファスは告げる。その後の彼女の行動は、実に迅速だった。

「衛生兵は、比嘉中将の手当てにあたって。その上で訊くけど、まだ勇気に不満がある人は居て? もしいるなら、忌憚なく名乗り出て欲しいのだけど?」

「………」

 有り難い事に、周囲を包むのは静寂だけ。よほど比嘉という将軍の力量は確かな物だったのか、彼を倒した俺に今のところ文句を言う人は居ない。

「結構。では、勇気は私の部屋に来てくれる? 早速友人として相談があるから。取り敢えず明日の舞踏会に着ていくドレスを選んでもらいたいの」

「……は? いや……待て。そう言うのは、どう考えても男がする事じゃない。侍女の誰かにでも頼めばいいだろう……?」

「なによ、スケベ。別に、着替えまで見てろなんて言ってないわよ。それとも、見たいの?」

 ……本当に奔放なやつだな、こいつ。

 こういう所は、知恵やシャロットとは似ても似つかない。

「わかった。わかったから、そう虐めないでくれ。要はユミファスが、ドレス敗けしてないか確認すれば良いんだろ? いいよ、やってやる」

「その言い草は何? 言っておくけど、私に勝るドレスなんて、この世には存在しないわ」

 相変わらず、彼女はふざけた事を口にする。けど俺はこれが何を意味した提案だったのか、まだ気付かない。

 それを察する前にユミファスは俺の腕を掴み――笑みさえ浮かべこの場を後にした。


 そして三人の侍女立ち合いのもと、ユミファスのファッションショーは始まった。

 いや、その筈だったのだが、彼女は開口一番、耳を疑う様な事を言いだす。

「で、勇気、さっそく相談なのだけど、君はどうするべきだと思う?」

 濃いヴェールの向こうでは、ユミファスが着替えをしている最中だ。そんな中、彼女は主語がハッキリしない事を口にする。俺が眉をひそめていると、彼女は普通に続けた。

「ええ。どうも獅子堂はクーデターを画策しているらしいの。私としてはこれを止めたいのだけど、その場合、彼等の一族は滅ぼさなければならない。私は、皇帝としてどう振る舞えばいいと思う?」

「……は?」

 ちょっと、待て。今、彼女は何と言った?

「だから、獅子堂が謀反を企んでいるの。彼は戦争推進派である私を快く思っていなくてね。今までそんな素振りは一度も見せた事が無いけど、私にはわかるのよ。彼は秘密裏に私を暗殺する気だと」

「………」

 なら、俺はシャロットに念を送るしかない。正に、藁にもすがる思いという奴だ。

《……シャロット、頼むから聴いてくれ。何かユミファスが、獅子堂って宰相を始末するとか言い始めている。これって、史実にもあった出来事か?》

 有り難くも、今度は無視する事なく彼女は返事をしてくれた。

《そう言えばそういう時期だったっけ? そうよ、勇気。四条ユミファスは十月四日の深夜、獅子堂一派の屋敷を襲撃し、一網打尽にしている。その際、彼に連なる者は全て処刑されているわ。それこそ、女、子供、老人に至るまで。戦争否定派を抹殺する事で彼女は後顧の憂いを断ち、後の大戦に臨む事になるの》

《十月四日って――明日じゃねえか! 要するに明日の舞踏会の後、ユミファスはいよいよ動き出すって事かっ?》

《そうなるわね。故に君の初任務よ、勇気。どうにかして獅子堂一派に対する殺戮を止めて。最悪でも監獄に幽閉する位で決着する様、話をまとめて。そうなれば私の人類に対する心証は更に良くなるし、皇帝も考え方が変わるかも。その辺りは――全て君にかかっているといっても過言じゃないわ》

《……おい、それ、マジで言っている?》

 つい数日前まで普通の高校生活を送っていた俺に、そんなハードな仕事をしろと? 俺のやり様次第で、二桁以上の死者が出るというのに、それでも行動しろと言うのか? 一体どの口が、そんな事をぬかしてやがる……?

「って、勇気、私の話聴いている?」

 聴いているわ! しっかり聴いています! だから俺は今、こんなに追い詰められているんだろうが!

「……いや、ちょっと待って欲しい。それは本当に、ユミファスが望んだ事なのか? ユミファスは、獅子堂さん達の事を殺したいほど憎んでいる? 俺には、とてもそんな風には見えなかったぜ?」

 が、ここでも彼女の笑みが絶える事は無い。

「あら、それは何よりね。獅子堂の事も、上手く騙せているかもしれないって事なんだから」

「……ユミファス?」

 意味もなく、彼女の名を呼ぶ。四条ユミファスは、やはり冷静に応対した。

「勇気。これは極めて単純かつ、政治的な話よ。私は他国に戦争を仕掛けている間、信用のおけない人物に国を任せられない。ましてや、それが反乱を企む人間なら尚更だわ。私は決して内部に火種を持ったまま、前に進む事は出来ないの」

「………」

 なら、答えは既にわかり切っていると? ああ、そうだろう。これはきっと、初めから決まっている事だ。

「なあ、ユミファス、俺にはませた妹が居るんだけど、そいつが言っていたよ。女は大事な事を決める時既に答えを決めているって。どちらの服が似合うか第三者に訊きながら、その実、女ってのはもう判断を下しているんだ。それは、ユミファスも同じなんじゃないか? ユミファスはきっと獅子堂さん達をどうするか、決めているんだろ? 後は単に自分の決意を後押しする意見が欲しいだけなんじゃ? 自分の判断は正しいと、そう誰かに口にしてもらいたいんじゃないか? でも――俺はそんな奴を友達とは呼ばない。そんな都合が良いだけの存在は――友達とは言えないから」

「………」

「だから、先ずは訊かせて欲しい。獅子堂さんが、ユミファスにとってどんな人なのか。俺が何かを助言するとしたら、それはその後だ」

 今考え付く限りの答えを、口にする。それを聞き、彼女がどう感じたかはわからない。

 ただ彼女は侍女の制止も聞かず、顔だけをカーテンから出してきた。

「……って、何やっているんだ、オマエっ? まず服を着ろ、服を!」

 体はカーテンで隠れてはいるけど、胸の谷間とか見えているんだよ、オマエ!

 だというのに俺の狼狽を気にもせず、彼女は笑みを消して真顔で告げる。

「いえ、先ずは君の事を見くびっていた事を謝罪させて。確かに、勇気の言う通りよ。私はただ、私にとって都合が良いだけの人を傍に置きたかったのかもしれない。私の判断をただ無条件で認めてくれるだけの、都合が良い人を」

「そうか」

 けれど、本来皇帝とはそういう者だと思う。第三者に意見を求めながらも、最終的な判断を下すのは何時だって最高責任者だ。その苦しい気持ちを共有する事は、多分誰にもできない。その苦悩を消す事は、友人と呼ばれる存在だって無理だ。だから、皇は孤独と呼ばれる。常に自分自身の決断と戦い続ける存在であるが故に、孤独と言われている。

 なのに、彼女は自分が誤っていたと口にした。あらかじめ用意されていた役を熟せなかった俺を罰するどころか、俺の意見を是としたのだ。ならば、それこそ四条ユミファスの器量と呼べる物なのかもしれない。実際、彼女は俺の求めに応じ、全てを語りだす。

「そうね。では、少しつまらない話をしましょう。獅子堂響生は私の恩人で、四条ユミファスを皇帝に据えた人物よ。皮肉にも、私は今そんな彼と対立関係にある」

「ユミファスを……皇帝に? なんで、そんな人と対立している?」

「それを語るには、少し昔話をしなくちゃならないわ。そう。私の最終的な目的は、全ての植民地を解放する事なの。勇気も知っているとは思うけど、植民地とは他国から侵略を受け、その宗主国に隷属する国の事。植民地に住む人々は、それこそ宗主国からあらゆる搾取を行われている。低賃金で労働に従事させられ、奴隷同然に扱われている人々さえ居るわ。彼等は正に宗主国の国力を高める為の道具でしかないのよ。でも、それが今のこの世界の常識なの。他の国々は競って植民地になりそうな国に戦争を仕掛け、その国を我が物顔で蹂躙する。自分達と同じ人間である筈なのに、彼等を人間として扱わない。かく言う私の母も、ある植民地の人間だったの」

「……ユミファスの、お母さんも?」

「ええ。母は植民地の人間で、この国に亡命してきたのだけど、父がそんな彼女を見初めたのよ。周囲の反対を押し切って側室とし、結果、私が生まれた。私の名がユミファスで、肌や髪の色が皆と違うのはだからね。けれど、私が十の頃に母は毒殺され、植民地政策に消極的だった父も暗殺された。それも、よりにもよって植民地政策に積極的だった、自分の娘の手によって。私のたった一人の、腹違いの姉さんに父は殺されたの」

「な、に?」

「そうして姉が皇位を継いだのだけど、よほど私が目障りだったのでしょうね。数年程、光りも届かない暗闇の地下迷宮に閉じ込められたのよ、私。その中で、私がじわじわと餓死するように彼女は仕向けた」

 ……まさかユミファスが城を抜け出していたのは、何れそうなるとわかっていたから?

 彼女は父の庇護が無くなれば自分がどうなるか、幼い頃から察していた――?

「でも、私は見ての通り生き残った。多分、君なら思い知っているでしょうけどね。私は君と同じ業を身につけ、ネズミとかを狩る事で何とか生存したの。だから、獅子堂達も心底から驚いていたわ。とっくに死んでいる筈の私が、数年たったあの時まで生き抜いていたと知った時は。ええ。どうも姉は権力争いに関しては強すぎるくらい強かったけど、戦争はそうではなかった。他国と領土争いに明け暮れていた彼女は、結果、敗戦に敗戦を重ねた。それこそ国が傾きかける程に。そして重臣達の忠言にも耳も貸さず、遂には粛清まで始めた姉を止めたのが獅子堂よ。彼は姉が父にそうした様に、姉の事も暗殺し、全てをリセットしようとしたの。その為に必要だったのが、先帝唯一の血族だった私だった、という訳。彼に見出された私は十五にして皇位に就き、国家の立て直しを図った。獅子堂の多大な功績でコレは成功し、皮肉にも国に余裕が出来た事で私に野心が生まれたの。今国家レベルで行われているプロジェクトさえ成功すれば――私のユメは叶うのではと思った」

「ユミファスの、ユメ」

「そう。私の母の口癖って、何だったと思う? きっとそれは、大それた事では無かったと思う。私の母の願いは、ただ〝幸せになりたい〟というだけの事だったから。母はただ〝幸せになる事〟を望んだだけなのよ。そして、母はそうなる方法を知っている筈だった。自身に尊厳を持ち、他人を慈しみ、己の幸福を身近な人達と分かち合う。自身の幸せを独り占めせず、多くの人々と分け合う。そうするだけで自分は本物の幸せを手に出来ると、彼女は知っていた。でも、現実は違ったわ。そこまでしても、彼女は自分も、周囲の人々も幸せに出来なかった。彼女は最期に自分の為ではなく、何れ自分の後を追う事になる親族の為に涙していた。彼女は死に行く自分の為に涙する事さえ許されなかったのよ。そんな当たり前の事さえ、母は――母さんは出来なかった」

「………」

「いえ、今の世は、母以上に不幸な人で溢れかえっている。私はその全てを救えるほど強くもないし、傲慢にもなれない。けど、物事と言うのは誰かが行動を起こさない限り、決して変わらない。初めから何もかも諦めている人には、何も変える事が出来ない。私はその事を、母の人生から学んでいる。命の危険をおかして家族をこの国に亡命させ、皇の妃にまでなった彼女の行動力が私を諭した。その結果は本当に無残で、母の家族は彼女が毒殺された後に皆謀殺されてしまった。けどだからこそ、私は彼女達の死を無駄には出来ないのよ。母の不幸の根源足る世界の仕組みを変えたいと、私は心からユメ見た。せめて世界中の人達が、母が抱いていた願いを実現できる位の世の中にしてみたい。それが――私が唯一やりたいと思った事なの」

「……唯一、やりたいと思った事?」

 なんだ、それは? それではまるで、俺みたいじゃないか。シャロットに会って、漸く生き甲斐を見つける事ができた俺の様。

 つまりはそういう事で――俺と彼女はそんな所まで似ているのだ。

「そう、か。でも、獅子堂さんはそんなユミファスを快く思っていない?」

「そうね。彼の目的はグオルグ一国ではなく、世界の文明レベルを上げる事だから。貧困が生まれ、差別が行われている理由は、今の物資の生産性の低さが原因だと彼は思っている。仮に生産性が高まり、食も金も隅々まで行き渡れば、全ては是正されるかもしれない。獅子堂の考え方はそうで、私とは違っているのよ。その溝は多分、勇気が感じている以上だと思う」

 何時も浮かべている笑みを消し、ユミファスは真剣な顔で語る。

 俺は、そのまま首を縦に振った。

「だな。俺の様な部外者じゃわからない事が、きっと二人の間にはあるんだろう。これは間違いなく、今日会ったばかりの俺が踏み込んじゃいけない類の話だ。でも、それでも、俺はこう言うしかない。これが最後でも良いから、もう一度だけ獅子堂さんと話し合ってくれ。彼は本当にユミファスが殺さなくちゃならない様な人なのか、俺は君に見極めて欲しい。こんなのはガキの駄々だってわかっているけど――俺はユミファスに後悔して欲しくないんだ」

 が、ユミファスは不可解といった顔で首を傾げる。

「……ガキの駄々? なら、君と同い年の私の意見も、或いは小娘の駄々なのかもしれないわね」

 いや、それでも――彼女は皇帝だった。

 俺が思い描いていた――皇帝像そのものだった。

「いいわ――わかった。でも、これが本当に最後よ。それが済めば、私はきっと獅子堂一派を粛清する。それで良いなら君もその場に立ち合って、勇気」

 俺の返事は、もちろん決まっている。

「ああ。それで良い。本当にありがとう、ユミファス。俺なんかの言う事に、耳を傾けてくれて」

「………」

 そこで、彼女は何故か黙り込む。それからもう一度微笑み、ユミファスは告げた。

「俺なんかじゃないわ。勇気は、私の同士よ。あの地獄を味わい、それでも他人の身を気遣える君は、私の自慢の友達で、唯一の同士。ええ、そう。私の目はやはり正しかった。だからお礼を言うのは私の方。……本当に、ありがとう、勇気」

「………」

 そして今ではない何時か、俺は悔む。これがどれだけ強い想いで紡がれた言葉だったか、推し量る事が出来なかった事を。自分が今何をしているのか、俺はこの時本当に忘れたかった。

「じゃあね、勇気。今日は予定変更。私のドレス姿は、明日ぶっつけ本番で君に見せつけてやる事にする。だから今日のところは、ゆっくり休むと良いわ」

 悪戯気にニンマリと笑って、ユミファスは俺に退席を促す。

 それ以上何も言えない俺は、ただ黙ってそれに従うしかなかった―――。


 その翌日、決戦の時はやって来た。俺はシャロットの指示通り動いた後、ユミファスの使者の呼びかけに応じ彼女のもとに向かう。この時、俺は思わず息を呑んだ。

「やっほー、勇気! ご機嫌はいかが?」

「……いや、なんつーか、アレだ」

 彼女を女扱いしていないこの城の男共は、女を見る目が無いのか? 端的に言えばそう訴えたいほど、ユミファスのドレス姿は際立っていた。

 黒いワンピースを纏い、髪を下ろして、首飾りをしている。たったそれだけの事なのに何時もの彼女とはまるで違う。装飾品で例えるなら、正に陽光が反射して光り輝いている黒真珠の様だ。なのに、ユミファスは憤慨した。

「……なんつーか、何よ? 黒が似合う私は、やっぱり皇帝より暗殺者みたいだって言うの? 少しくらいおめかしした程度で良い気になるなって、そう言いたいのかしら?」

「いや、いや、いや、そういう訳じゃなく! いいから、そこら辺は察しろ! ユミファスもいい年なんだから、それくらいわかるだろっ?」

 しかし、そのとき侍女の一人が俺に耳打ちしてきた。

「いえ。陛下はそう言う情緒がまるで未発達で、ちゃんと言葉にしないと全くわかってくれないんです。ですから、千田様もどうかそのつもりでお願いします」

 ……何だ、その罰ゲーム並みの過酷な要求は? 

 そう痛感しながらも、俺は素直な気持ちを口にする他ない。

「……いや、似合っている。とても」

「な……?」

俺がそう呟くと、ユミファスは呆然とした後、目を逸らしながらやっぱり口を尖らす。

「言ってくれるじゃない。勇気にしてはまあまあの感想だわ。何て言ったら怒る?」

「何だか知らないけど、怒っているのはそっちの方だろう? あと予め言っておくけど、俺、ダンスなんてした事ないから。俺と踊るとか言っていたけど、それで恥をかくのはユミファスだぞ?」

「いえ、そこら辺は問題ないわ。私は、君の足の骨を踏み潰すつもりで踊るから。それなら例の反射で、君も上手く私の足を避けられるでしょう? その調子でテンポ良くやって行けば、大成功間違いなしよ」

「……ああ、成る程。それは、そうかもしれないけど」

 何と言うスパルタ! 雅といい、シャロットといい、ユミファスといい、この有様である。俺に優しく接してくれる女子は、知恵さんだけなのか――?

 で、結果から言うと、全てはユミファスの言う通りに進んだ。

「ほら、勇気、私達ちゃんと踊れているじゃない」

「……いや、踊っていると言うより、戦っていると言った方がしっくりくるけどな」

 ダンスの場で真剣に俺の足を踏み潰そうとするユミファスと、それを必死に避ける俺。

 結果、どちらかがどちらかの足を踏むなんてミスを犯す事なく、俺と彼女は踊り続ける。比嘉中将達あたりが、俺を睨んでいる気がしないでもないが、今はスルーだ。

 かくして夜は更けていき、皇帝主催による俺の社交界デビューは無事終了した。


 いや、寧ろ本番はここからである。深夜零時を回った頃、俺とユミファスは二人きりで某所にある客間に向かう。

 俺達が部屋に入った時には既に獅子堂響生が二人の衛兵を連れ、その場に座していた。

「中々見事な余興でしたな、陛下。アレは千田殿を自分の婚約者として披露したと思えるのですが、これは誤りですか?」

「……は?」

 なに言っているんだ、この人は? 俺とユミファスが会ったのは、昨日だぞ。その俺が何故にそんな勘違いをされなければならない?

「さてね。そこら辺は、何とも言えないわ。何しろ、相手が居る事ですもの」

 ユミファスも、そこはキッパリ否定するところだろ?

 ここで誤解を招く様な発言をする意図が、まるでわからない。

「いえ、さっそく本題に入りましょう。宰相殿の腹の内は、大体わかっているつもりよ」

「ほう? 陛下が、私の何をご存じだと?」

「ええ。このまま私が他国の攻略を始めたら、その留守中、誰かさんが政権を握るつもりだって事。もしそうなれば、この国は内戦状態になる。それを避ける手段は極限られていると思うのだけど、これは間違い?」

「そうですか。飽くまで戦争推進にこだわる訳ですね、陛下は。ですが、それでは陛下の姉君と何ら変わりはありません。私は彼女の振る舞いを見て、痛感したのです。戦争で得る利は、何れ訪れる災厄のもとになるだけだと。そもそも陛下の口癖は、一体何でしたか?」

 無表情で、獅子堂響生が訊ねる。ユミファスも、淡々と応じた。

「――人は人を人として扱わなかった時点で、人では無い。その想いは今も変わらないわ。でも私が戦争を始めれば、そんな自分自身を裏切る事になると、そう言いたいの?」

「はい。戦争は敵味方問わず、人を人として扱わなくなる最たるものです。それを避ける唯一の方法が、他国に我らが生み出した技術を提供する事。全ての国々が産業革命を起こせば、戦力が均衡し、下手な動きがとれなくなる。植民地にまでその技術が行き渡れば、何れ宗主国からの独立も叶う筈。これが私の思い描く、最良の未来像です。正直言えば、なぜ陛下がそれをご理解くださらないのか、私にはわかりません」

 挑む様に、獅子堂響生は語る。或いは、これは自分の遺言だと言わんばかりの様子で。

 それを――四条ユミファスは正面から迎え撃った。

「いえ、残念だけどその方法では、全ての国に最新の技術は行き渡らない。必ず先進国が独占を始め、絶対に植民地に対してはそういった技術提供は行われないわ。私が今そうしている様に、彼等も他国に対し自国の技術を流失させる事はないでしょう。なら、それを是正する手段は一つだけ。何処かの国がこの星の頂点に立ち、全ての主導権を握る。その主導のもと、平等に各国に技術革新を起こす。そうでもしない限り、ただ同じ事を繰り返すばかりよ」

「そうですか。やはりそれが陛下の野心。貴女も結局、四条佳苗の妹という事ですか? 貴女の父や母を殺したあの姉の血を、色濃く受け継いでいると?」

 事実、彼の物言いは痛烈だった。

 正にそれは死を覚悟している者だけが、口に出来る事だと痛感する程に。

「そうね。母は違えど、私と彼女はやはり似た者同士なのでしょう。本当に、私と彼女は誰に似てしまったのかしら? 少なくとも、あの父や母でない事は確かね」

「いえ、陛下は違います。陛下が冷酷だとしたら、それはあの子供の頃に体験した虐待が原因でしょう。あの体験が陛下のお心に影をさし、その目を曇らせているのです。どうかその事に早くお気づき下さい。陛下の決断次第で、この国の兵達が犬死していく事を貴女は理解するべきだ。でなければ、なぜ私は貴女を皇位に就かせたと言うのです? 私は余計な人死にを出す為に、貴女を見出した訳では決して無い」

 が、ユミファスは首を横に振る。

「いえ、それは逆よ。私達には、今しかないの。この国が頂点に立つには、世界で唯一中世期から抜け出た、今この時しかない。それを逃せば、私は一生後悔する事になる。何も変えられず、誰も救えない事になってしまう。貴方にしてみれば小娘の駄々に過ぎないのでしょうけど――私にとってはそれが全てなのよ」

 そうして、ユミファスは肩まで手を上げ、それを下ろす。

 これに応じて十名程の兵がドアを開け、入室し、獅子堂響生を取り囲んだ。

「いえ、ごめんなさい。そして、今日まで本当にありがとう――響生小父様」

「……ああ。お前にもう一度そう呼ばれる日が来るとは、思わなかったよ。そして、お前を陛下と呼ぶのも、今日までという事になるのだろうな」

「ええ、そうなるでしょうね。では――獅子堂響生を第一級反逆罪で投獄するよう命じます。彼に連なる一族とその派閥も含め、ね」

「な、に? ……待て。投獄? 処刑ではなく……?」

 心底不思議そうに、獅子堂が問う。ユミファスは、悠然と答えた。

「そう。きっと貴方の言う通りよ。私が冷酷だとしたら、それは子供のとき受けたあの虐待が原因だわ。でも、その私と同じ目にあった筈の勇気は、誰も殺したくないと言い張るの。なら私も少しくらい彼に倣わなければ――格好がつかないでしょう?」

 それから、獅子堂響生は愕然とする。

「……そうか。その少年は私が二年かけても変えられなかったユミファスの心を、一日で変えてみせたか。ならば、私も感謝し、期待せざるを得ないな。君と言う存在が、ユミファスを思いとどまらせる要因になり得る事を」

 それだけ語り、獅子堂は兵達に連れられこの場を後にする。

 その後ろ姿を見送った後、ユミファスは俺に向き直って呟いた。

「……もしかしたら、私は君のお蔭で、重大な過ちを犯さずに済んだのかもしれない。でも、そうね、今回は未遂で済んだけど、私はきっとこれから多くの人達を殺めるわ。それでも私についてきてくれる――勇気?」

「………」

 俺はその微笑みをまぶしそうに眺め、それからその大嘘を笑顔で告げた。

「ああ――ユミファスがそう望むなら」

 本当に願わくは――この大嘘を彼女が見抜いてくれますように。

 心からそう祈りながら、俺は彼女が差し出した手を取っていた。


     ◇


 それから、季節は一気に移ろい続けた。ユミファスと出逢った春から夏を迎え、秋が通り過ぎ冬に至り、また春が来ようとしている。

 その間、俺とシャロットは一度も接触する事なく、ただテレパシーでやり取りを続けた。

《そうだな。現実は小説より奇なりとは言うけど、アレは事実だ。何せユミファスは十八歳から戦に明け暮れたのに、ただの一度も負けた事がないんだから。そんな人間は歴史上、聞いたことが無い気がする。それに、余りに皮肉だ。目的は立派なのに、その実、彼女は敵味方合わせて二千万もの人々を死なせるんだから》

 史実通りでいけば四条ユミファスは十八歳から三十三歳まで各国の攻略に勤しむ事になる。戦争の天才足る彼女はその間一度も敗北しないまま、二十に及ぶ先進国を落す。残るは四つの国の連合軍を残すのみとなるのだが、そこで事態は急変した。遠征の最中、ユミファスの体調が一変し、彼女は敵地のど真ん中で急死する事になるのだ。

 それを知った連合軍はグオルグを強襲し、大敗させる事になる。五十万居た兵は、祖国に帰りつく頃には、五千にまで減っていたらしい。

 つまりはそう言う事で、グオルグ国にとって四条ユミファスとは、なくてはならない存在なのだ。彼女が居なくなっただけでグオルグ国は革命が起き、政権が一新される事になるのだから。

 これが四条ユミファスの最期であり、決して果たされない彼女のユメである。その辺りを授業で習っていない俺でも、その結末は知っている。それ程までに、彼女の逸話は有名だから。

《なに? もしかして勇気は、彼女の願いを叶えたいと思っている? 彼女が没する十五年間の内に、世界制覇をさせたいと考えているんじゃ?》

 シャロットが、疑問を投げかけてくる。俺は直接答えず、ただ思った事を口にした。

《……正直言えば、今日までの一年間、凄く楽しかったよ。まるでお祭りの準備をしているみたいでさ。それはユミファスも同じなのか、良く笑うんだ。いや、元から良く笑う奴だけど、この頃はより高揚してる気がする。でも、そうなんだよな。俺達がしているのは、決してお祭りの準備なんかじゃない。戦争の準備だ。多くの人達を殺す準備を、俺達は今整えようとしている。きっと俺はシャロットが定期的に連絡を入れてくれなかったら、そんな事さえ忘れていた》

 俺がそう伝達すると、シャロットは呆れた様に嘆息する。

《相変わらず、偶に答えになってない返事をしてくるわね、勇気は。言っておくけど、こっちの準備は多分整っているわ。本当に多分で、実際のところは定かではないけど、それだけは忘れないで》

 いや、忘れる筈がない。事態は既に、これ以上ないほど進んでいる。今日、この日を以てグオルグ軍は国境を越え、隣国オードランに攻め入る予定なのだから。俺も皇帝直属の兵としてかの地へ赴く事になっていた。

《そうだな。いよいよだな。そんなシャロットに凶報だ。俺は結局、模擬戦でユミファスに勝つ事は一度も無かったよ》

《……そう。なら、君は戦地に着いたら誰にも気づかれない様、その場を離れなさい。後の事は、きっと何とかなる筈だから》

《ああ、そう出来る様、最善を尽くす》

 また思ってもいない事を、口にする。本当にシャロットに関わってからこっち、嘘が上手くなったと感じながら俺は通信を切る。こうして――最後の幕は開く。

 今日全ての決着がつくと予感しながら――千田勇気は用意されたテントを後にした。


「あら、ずいぶん早いのね? 何時もはぐうたら惰眠を貪っている勇気らしくもない」

「そっちこそ、まるでこれからピクニックに出かける子供みたいな顔をしているぜ。そんなにこの日が待ちきれなかったか?」

 深い霧の中に居るユミファスは、そこで苦笑いをした様に見えた。

「まさか。それは幾らなんでも言い過ぎだわ。私だって自分が今何をしようとしているか位はわかっている。私はこれから多くの味方を殺し、それ以上多くの敵を殺す事になるでしょう。ここまで来た以上、私に出来る事があるとすれば一つだけ。この国の技術力を最大限生かし、最小限の犠牲を以て、速やかに戦争を終わらせる。でなければ、多分、私には時間が無い」

「……時間が、無い?」

「いえ、ただの予感よ。でも、そうね。もしかしたら勇気はその為に私の前に現れたのかも。私に何かあった時は――君が皇帝の座を引き継いで私のユメを叶える為に」

「は……?」

 俺の方こそもしかしたら、知らない間に、感情を押さえられなかったのかもしれない。

 何しろ俺の視界は、何故か歪んでいたのだから。

「皆には内緒だけど、私はそれ位君を買っている、なんて言ったら信じる?」

 本当に周囲が、霧がかかっていて、良かった。

 お蔭で俺も彼女も、互いの表情が殆ど見えないから。

「いや、全く信じない。言っただろ。俺は一生ユミファスの背中を追い続けるだけの、ただの雑兵だって」

「そうね。その通りだわ。いえ、今のは忘れて。代りに、これをあげるから」

 ユミファスは、一振りの日本刀を放り投げてくる。それを受け取り、俺は眉をひそめた。

「君の刀、真剣じゃないでしょう? でも、ここから先は、そんな覚悟じゃ乗り切れないわ。そうね。私はせいぜいその刀に、君の武運を託す事にする」

「それは、こっちの台詞だ。ユミファスこそ、本当に武運がある事を祈っているよ」

「あら、珍しく可愛い事を言ってくれるのね。やっぱり、勇気らしくない」

「ぬかせ。俺は何時だってユミファスの身を案じていたさ。何せ、俺の大事な友人だからな」

「そう? それは全く気付かなかったわ」

 もう一度だけ大嘘をついて、俺はユミファスとの会話を終わりにする。

 この日の早朝、俺達は互いの顔も見ないまま、ただ遥か遠くだけを眺めたのだ―――。


     ◇


 決戦の時は訪れた。グオルグ軍は周囲を被う霧に乗じて、オーランド国の国境を超える。そのまま迅速に砦を制圧しながら首都を目指し、陥落させる手筈になっている。

 俺にとって、全ての終わりが訪れたのは、間もなくの事。いや、俺が気付いたのだから彼女が気付かない筈がない。ユミファスは怪訝な顔をした後、制止の合図を兵達に送る。彼女はあろう事か右方にそそり立つ高台に駆け上がり、高台より様子を窺う。俺も彼女を追うが、その時にはユミファスの表情は一変していた。

「まさか……待ち伏せ? しかも、あの銃や大砲は中世の物じゃない。明らかに私達と同等の技術力によって、つくられた物だわ。一体、なぜ……?」

 その理由は、至極簡単だ。これがシャロットの策だから。端的に言えば、彼女もまた獅子堂響生と同じ構想を抱いていた。先進国に最新の技術を流し、各国の文明レベルを均等にする。戦力の均衡を保ち、戦が出来ない状況をつくり出す。そういった構想を、俺達も抱いたのだ。

 その為に俺はナーガム城にあった資料をあさり、この国の技術者達の所在地を調べた。但し有力な技術者ではなく、田舎に住んでいる様な貧乏技術者の所在を探ったのだ。当然彼等は蒸気機関や製鉄の技術革新など知る由もなかったが、それは知恵が補完した。

 彼等に様々な知識を与え、その上でその技術を各国に流出する様、知恵達は図ったのだ。

 それなら、シャロット達が世界中を回るなんて非効率的な事は避けられる。複数人の技術者が国々を回れば、それだけ効率よく、技術提供は行われる。

 無論、彼等も初めは〝国を裏切る事になる〟と躊躇した。だが、生活苦である境遇が後押しをして、やがて彼等も知恵達の申し出を受ける事になる。半ば国に見捨てられた境遇にある彼等は、他国からの見返りを期待し技術の流失を行った。いや、或いは〝技術レベルが均等になれば戦争は起きない〟という知恵の説得が功を奏したのかも。その結果が――これである。

 更にこの一年で技術革新を起こしたオーランドは、シャロットから情報を得た。今日この日グオルグ軍が侵略を開始するという情報を、彼等は掴んだのだ。

 これはそれ故の待ち伏せであり、唯一ユミファスを止める為の切り札である。既に自国の技術が他国に渡っていると知れば、彼女とて或いは思いとどまるかもしれない。今の俺はただ、そう期待する他なかった。

 そして――ユミファスは告げる。

「……一体どこから、技術の流出が? とにかく、このまま進軍すれば間違いなく迎撃され痛手を負う。霧が深かったのが幸いだわ。一度国境付近まで軍を下がらせ、戦略を見直しましょう。どこか手薄な個所が、必ずある筈だわ」

「――って、待て、ユミファス!」

 が、俺の制止も聞かずにユミファスは自軍のもとに戻り、比嘉中将に先の構想を話す。

 彼は直ちにこれに応じるも、顔を曇らせた。

「……お待ちください。陛下自ら斥候に出る等、とても承服出来る話ではありません。一体どこの国の皇が、自ら索敵に出ると言うのです……?」

「ま、普通はしないでしょうね。でも、敵の動きや武器の質をこの目で確認しておきたいの。それはこれから、絶対に必要となる事だわ。大丈夫よ。一応、グオルグ一の護衛官を連れて行から。ね、勇気?」

「………」

 或いは、本当に神も悪魔も居るのかもしれない。俺の目から見ると彼女の提案はそう思わざるを得ない程、皮肉な物だった。

 そして彼女は俺を連れ高台に戻ると、霧に紛れオーランド軍の様子を窺う。それから岩山に囲まれた広い平地に身をひそませ、フムと頷く。

「……少なくとも、戦力は均衡している。更にこちらの動きも読まれている以上、勝ち目は薄い。けど、物は考えようだわ。オーランド軍はまだ、自分達の待ち伏せが気付かれている事を知らない。これを利用すれば、或いはいける?」

「いや、だから待て、ユミファス。オーランドが産業革命を起こしているなら、他の国もそれに倣っている可能性が高い。この状況で戦争を始めても何も得る物は無く、ただ犠牲者を出すだけだ。もう、獅子堂さんが言っていた状況になっちまったんだよ。なら、ここは兵を退くしかないだろ?」

 けれど、ユミファスは飽くまで冷静だった。

「まさか。たかだか一つや二つアドバンテージが無くなった位で、私は負けるつもりはない。寧ろここからが、正念場と言った所だわ。この万全の体勢のオーランド軍を殲滅できれば、他の国とも互角以上にわたりあえる筈だから」

「……やっぱり、思いとどまってはくれないんだな?」

「んん? 勇気こそ、今更臆病風にふかれたわけ? 君らしくないわね?」

 そうだ。俺は、ユミファスの決意を知っている。彼女と獅子堂さんとのやりとりで、痛感した。例え俺が何を言おうと、決して何かが変わる事はないと俺は直感してしまったのだ。そんな彼女を止める方法は、きっと他にない。俺は多分、初めて彼女に会った時からそれがわかっていた。これから失う事になる十五年分の死者を帳消しにする手段は、一つだけ。

 ここで――彼女と全ての決着をつけるしかない。

「正直に言う。オーランドや他の先進国に技術提供をしたのは、俺の仲間だ」

「んん?」

 そこで、ユミファスはキョトンとした顔をした。

「俺は君に会った時から、既に君を裏切っていた。俺は君が起こす戦争を止める為に、君に近づいたんだから」

「へえ?」

「だから、刀を抜け、四条ユミファス。君がどうしても戦争を止めないというなら――俺は君を止めなくちゃならない」

「成る程。その前に一つ訊いていい? 君は、一体何者? もしかして、未来から来たなんて面白おかしい立場だったりする?」

「……な、に?」

 愕然とする俺に対し、彼女は続けた。

「だとしたら、色々納得がいくのよね。今の君の言動も、グオルグの技術が流出した理由も。でも、仮にそうだとしても、私はもう後には引けない。何故って私の実母を毒殺したのは――私なんだから」

「なん……だと?」

 ユミファスが、実の母を、毒殺した? 一体それは……どんな冗談だ?

「いえ。全ては事実よ。仮に父が没した後で母が姉に殺される事になったら、それは凄惨な過程を得た上でそうなる。私はあの時、そう直感したの。だから、せめて安らかに逝ってもらう為に、私は彼女を毒殺せざるを得なかったのよ。彼女の親族も同じね。姉は私達一族を目の仇にしていたから、どうなるかはわかっていた。私はその為、先手を打つしかなかった。現に父の死後、私が姉に何をされたかは、既に君も知っているでしょう?」

「それ、は」

「だから、私は母を毒殺した時、誓ったのよ。せめて彼女の志だけは引き継ぐと。例え何があろうとも、彼女のユメだった〝幸福に生きる〟という願いだけは叶えたい。世の全ての人達がそんなユメを見られる世界にすると、私はあの時母に約束したの。だから、絶対にひけない。例え何がどうなろうとも、私に退路は無い。それが四条ユミファスの真実よ――勇気」

「……そう、か」

 どうりで、どこまでも頑なな筈だ。絶対的な強迫観念に、とらわれている訳である。

 彼女は自ら犯した罪を清算する為に――今日まで生きてきたのだから。

 その為だけに――彼女の生はあったのだから。

「本当に……戦うしかないんだな」

「そうね。残念だけど、そうみたい。でも、勇気、もし私がそれでも君についてきて欲しいと言ったらどうする……?」

 その時、一度だけ彼女の感情がブレた気がした。

 それ見て見ぬふりをして、俺は首を横に振る。

「それでも、答えは変わらない。悪い、ユミファス。……それでも、君は間違っているんだ。君のユメは本当に美しいけど……同じくらい間違っている」

「だから――私は死ななければならないと?」 

「ああ。だから――君は死ななければならない」

 そこまで言い合ってから、俺と彼女は互いに刀の柄に手を伸ばす。

 俺は大きく息を吐き、彼女は淡々と俺を見た。

「君との戦歴は、確か九十九勝零敗だったっけ? それで尚、戦うと言う事は何か切り札でもあって?」

「どうかな。ただ驚いてはいるよ。俺の正体を知っても、飽くまで冷静なユミファスに対しては。本当に、どんな育ち方をすれば、そんな風に心を乱さず生きられるんだろうな……?」

「いえ、まさか。私は何時だって、心を乱してきたわ。ただ、君がそうだと気付かなかっただけで」

「例えば……それはどんな時?」

「さてね。私に勝てたら、教えて上げなくもない」

 そう告げながら彼女は地を蹴り――俺もあらん限りの力を以てユミファスに肉薄した。


     ◇


 そして――最後の戦いは始まった。

 お互いに、間合いを詰める両者。その距離が四メートルに迫った所で、二人は刀を抜刀し、刃を激しく打ち付け合う。その後は、初めて会った時と同じ展開だった。

 両者は互いに刃を躱しながら、同時に反撃を繰り出す。互いの刀は空を斬りながら、それでも二人は刀を振るい続ける。いや、遂に刀を躱し切れなくなった二人は、刃を交差させ防御と攻撃を一緒くたに行った。

 それは、スローモーションで見れば他流の剣客達が行う斬り合いと変わらない。だが、彼等の場合、その速度が余りに違い過ぎた。

 それも、当然か。彼等の攻撃力や動きは、一定の空間に敵の攻撃が侵入した時点ではね上がる。脳が生命の危険を感じ、体に限界以上の膂力を与える。仮に敵が常人ならば、脳が彼等の動きを認識する前に斬り伏せられるだろう。

 それだけの異様を、四条ユミファスと千田勇気は成し得る。既に千合以上は切り合いながらも、互いに呼吸さえ乱れない。ただ、先に雑念を覚えたのは勇気の方だった。

〝私に何かあった時は――君が皇帝の座を引き継いで私のユメを叶える〟

 ああ、本当にバカげた勘違い。自分は彼女を殺す為に、ああして張り付いていただけ。彼女を止め為だけに、自分は彼女に従うふりをしてきた。

 なのに、そんな自分に己のユメを託す? 皇帝にしてまで、己のユメを引き継がせようとしていたと? 本当に、嗤える。どこまでもオメデタイ。でも、だからこそ、苦しかった。

「あら、どうしたのかしら? 動きが鈍ってきているわよ、勇気?」

「……ああ」

 本当に、不思議だ。なぜこの人は、自分を斬り合える? 今日まで共に生きてきた自分と、殺し合う事が出来るのか? 人としての情が無いから? いや、そんな筈は無い。彼は何時だって他人を気遣ってきた。時に冷酷でありながら、それ以上に優し過ぎる女性。それが四条ユミファスだった筈だ。そんな彼女を自分は良く知っている。願わくは知りたくは無かったが、自分は知ってしまった。なら、その答えは単純だろう。彼女には、人命を軽視しても叶えたいユメがある。彼女自身が言っていた通り実母を毒殺した時点で、彼女の運命は決まったのだ。

「ぬかせ、ユミファス。いい加減、その笑い顔は見飽きたんだよ」

 そうだ。きっと自分は、彼女の笑顔が大■きだった。叶うなら、ずっと彼女には笑っていて欲しかった。もし自分にユメという物があるとすれば、きっとソレだろう。

 その時――ユミファスが大きく下がり、間合いを広げる。

 故に、彼は眉をひそめた。

(……間合いを離す? このまま接近戦を続け、畳み掛けるのが定石なのに?) 

 そう。彼等の剣術は完成されている。それこそ僅かに手を加えただけで、致命的な狂いが生じかねない程に。だが、果敢にもユミファスはこれに挑戦し、成果を上げた。彼女は敵が攻撃しない限り本領を発揮できないこの剣術の弱点を、克服したのだ。

(まさ、かッ?)

 遠方から刀を薙ぎ払う、ユミファス。それはあろう事か衝撃波となって、勇気へと迫る。彼の体は咄嗟に判断し、これを紙一重で躱していた。

 だが、このとき彼は彼女の斬撃が山をも両断する様を見た。

「……本当に、人間か、あんたはっ?」

「その台詞は、そのままお返しするわ。君だって常人から見れば、十分化物の類なのよ?」

「く……ッ?」

 それは、正に剣術の常識を覆す業。接近戦でこそ本領を発揮する筈の刀を使い、彼女は遠距離からの攻撃をも可能にする。それもソレは銃弾や大砲の弾さえ凌駕する威力を誇っていた。かたや、遠距離から攻撃する術を持たない勇気はただその衝撃波を躱し、受け流す他ない。

 その度に彼の体は悲鳴を上げ、骨が軋み、息が乱れる。それでも、彼はただ前に進み続けるしかなかった。それ以外に――千田勇気に勝機と言う物は無いのだから。

(ええ、だから、これで終わり)

「つ――ッ?」

 ユミファスの衝撃波を受け止めきれず、遂に彼の太腿は裂け、一瞬動きが止まる。いや、これだけの傷である以上、今までの様な動きは、恐らく成し得まい。彼はそう確信し、ユミファスはこれを好機と見る。

(そうね。本当に、私は何をしているのかしら、勇気?)

 答える者が居ない疑問を、彼女は胸裏の中で問い掛ける。自分は、この状況を冷静に受け入れた? 違う。自分は、進んで彼を殺そうとしている? 違う。それはきっと違う。これはあの時と同じだ。母を、四条アルマを毒殺した時と。

 姉は父に悪意を悟られまいとしていたが、自分は既にその殺意を察していた。何れ彼女は自身の父さえも暗殺し、その皇位を簒奪するつもりだ。そうなればどうなるか、自分は痛いほど知っていた。植民地政策の否定を象徴する植民地の住人たる母は、常軌を逸した死に方をしただろう。口にするのもオゾマシイ死を、姉の手によって与えられていたに違いない。それを止める手段は、幼い彼女には一つしかなかった。

(ええ、本当に、バカな、話)

 本当に愛していた。でも、愛するが故に、安楽な死を与えて上げるしか、彼女には出来なかった。だから、その時誓ったのだ。仮に生き残り、皇位についたなら、せめて母の遺志だけは全うしようと。だから、それを邪魔する者は等しく自分の敵だった。例えどれほど■そうと、そんな彼だったとしても、答えは変わらない。

 あの初めて会った時の事も、あの夜共に踊った時の事も、今日まで笑い合いながら過ごしてきた日々も今は忘却する。せめて自分の手で葬る事だけが、自分が示せるせめてもの誠意だ。それこそが――四条ユミファスの真実である。

 故に、彼女は一気に間合いを詰める。衝撃波で嬲り殺すのではなく、自分自身の手であの彼の体を両断し、全てを終わらせる。それだけの気迫を以て振り上げられる刀を前に、勇気はボウとした視線を送った。

(……やはり、勝てない、か)

 本当に、それは事実だ。自分が願ったユメは、ただそれだけの事。自分はただ彼女に笑っていて欲しかっただけ。それもう、叶わないユメだけど、だからこそ自分は今振り下ろされ様としている刀を見送る。この決着の瞬間を、自分はただ息を呑みながら傍観した。

(ああ。このままでは)

(な、に?)

 刃が降り下ろされ様としているのに避ける気配さえ無い彼に、彼女は眉をひそませる。まさか、彼は初めから自分に殺されるつもりだった? それが自分を裏切った彼なりの贖罪? 彼女がそう感じた時、ユミファスの刀が彼の肩口に食い込む。肉を裂き骨に至って、やがてその体を真っ二つにするだろう。

 その瞬間、彼女の頬に涙が伝い、それを見て彼は言葉を失う。ああ、やっぱりこの人は想像していた通りの人だったと安堵し、それから最後に思った。

(本当に、俺なんかに騙された君は大バカだ。……でも、そんなバカな所も――俺はきっと大好きだったよ――ユミファス)

 ついで打ち放たれた斬撃は、いかなる速度か?

 それは正しく、彼女の常識さえも逸脱した一撃だった。

(まさ、かッ……?)

 彼女の想像通りである。千田勇気は自らを死地に晒す事で自身を追い込み、爆発的な力を放つ。彼はユミファスに敗北し続けた事で、気付いたのだ。自分達の剣術は、己の命がより危うくなる程、高まっていく事に。

 そうだ。これこそこの業の本質。それはより命の危険を感じる事で〝火事場の馬鹿力〟を自在に発揮できる業。故に爆発的に跳ね上がった勇気の斬撃は――真なる後の先を放つ。

(そう。ユミファスは、強い。それこそ、強すぎる程に。だから、君は気付かなかった。自身の命が追い詰められれば追い詰められるほど、この業の力は爆発的に上がると。決して命の危険を覚える程追い詰められなかった君は、最後まで知らなかった――)

(まさか、そんな―――ッ?)

 そして繰り出される、斜め下から斜め上に跳ね上がる斬撃。ならば、今この時になってユミファスの力も跳ね上がる? いや、このとき勇気の刀の速度は、確かにユミファスの反応速度さえ超越していた。

「千田――勇気ッ!」

「四条――ユミファスぅうううっ!」

 事実、彼の刀は――ユミファスから貰った真剣は――彼女の体を斬り裂く。

 一瞬で彼女に致命傷を負わせ、だから千田勇気は天を仰いだのだ―――。


     ◇


 俺の刀が、ユミファスの体を断ち切る。その瞬間、彼女は糸が切れた人形の様に俺にもたれかかり、決して俺にその表情を見せない。彼女はただ、呟く様に告げた。

「……そういえば、私はその刀に、君の武運を託したんだっけ? そっか。最後の最後で私の負けか。本当に、残念。後一勝で、記念すべき百勝目だったのに……」

「ああ、そうだな」

 俺は天を仰ぎながら、ただ頷く。彼女はやはり、続けた。

「ねえ」

「んん?」

「もし、私が君の事を母と同じくらい、愛していたって言ったら、信じる?」

 俺は勿論、首を横に振った。

「それは本当に、酷い冗談だ。俺なんかが、ユミファスに釣り合う訳がないだろ?」

「そうやって、卑下する所が、君の悪い所ね。私に勝っておいて、その言い草は本当に無いと思う」

 そして、この時、俺はもう一度だけ、あの笑顔を思い出したのだ。

〝俺なんかじゃないわ。勇気は、私の同士よ〟

「うん、そう。こんな所で死ぬなんて本当に悔しいけど、それ以上に楽しかった。短い間だったけど、ほんとうに、わたしは、たのしかった」

〝あの地獄を味わいながら他人を気遣える君は、私の自慢の友達で、唯一の同士〟

「じゃあね、ゆうき」

〝ええ、そう。私の目に狂いは無かった。だからお礼を言うのは、私の方〟

「らいせというものが、あるなら、こんどこそきみを、ぎゃふんって、いわせてみせるから」

〝……本当に、ありがとう、勇気〟

「……ああ。楽しみにしているよ、ユミファス。だから、今は、ゆっくり休んで」

 そんな短いやり取りをした後、俺はただ静かに彼女を見送った―――。


     ◇


 俺が彼女の気配に気づいたのは、その時だ。

「やったの、ね。勇気」

「シャロット、か。ああ、全部、終わった」

 そのまま、ユミファスの体を横たわらせる。彼女はまるで眠る様に、其処に居た。

「あのさ、今、有近さんの気持ちがわかった気がする。あの人はもしかしたら、氏河才瓦を死なせたく無かったんじゃないかな? その為に、力を尽くし続けたんじゃ?」

 ただ、思った事を口にする。シャロットの返事は、本当に無関係な物だった。

「……バカね、勇気。こういう時は、男とか女とか関係なく、素直に泣いていいのよ」

「ああ。ああ。ああ。ああああああ、ああああああ、あああああああああ………っ!」

 本当に、泣いた。そんな資格はない事はわかっていたけど、それでも泣いた。今日まで彼女と過ごした日々が脳裏を過ぎって、止まらなかった。

「……俺は、本当に、なんて、事をぉおおおおおお……」

 これで、二千万の命が救われる? これでまた、人類が助かる道が開けた? そんな事は、もうどうでもよかった。ただ、生きていて欲しかった。何時までも笑顔でいて欲しかった。ただ、それだけだったのに、何で俺達は、こんな事に―――?

「……バカだ。俺は本当に、大バカだ。見も知らない他人を守る為に、誰よりも良く知っている彼女を手にかけるなんて。本当に大バカすぎて、何処にも救いがない……」

 けれど、シャロットは何も告げない。

 彼女はただ俺と彼女の結末を見届け、俺が落ち着くまでただその様を見守っていた。

 こうして、俺はたぶん初恋だった少女を……手にかけたのだ。


     ◇


 それから俺達は近くの岩場に身を隠し、グオルグ軍の斥候がやって来るのを待つ。

 彼等はそれから直ぐに現れ、ユミファスの遺体を発見した。

「……陛下? 陛下っ? 陛下ッッッ!」

 狼狽しながらも、彼等はユミファスの遺体を抱えてその場を去る。

 それを見て、俺はシャロットに問うていた。

「……これから、グオルグ軍はどうなるのかな?」

「多分だけど全てを主導していた皇帝が亡くなった以上、兵を退かざるを得ないでしょうね。そして、四条ユミファスを失ったグオルグ軍が再起する事は無いと思う。もし獅子堂響生あたりが復権してくれれば、その色は一層濃くなる筈よ」

 確かに史実でも、無敗の皇帝が没しただけで、グオルグ軍は瓦解した。戦争の資金として課せられていた重税が要因となり革命が起こり、グオルグ皇朝は終焉する。大ラディウズ帝国がとって代り、更なる近代化が始まる事になる。

 もし俺達が上手くやったとしたら〝戦争〟の部分が抜け落ちる事になるだろう。世界の戦力は均衡を保ち、第一次世界大戦を向かえないまま、次の時代に移る筈だ。

 それは彼女の望んだ世界では無いかもしれないけど、俺はもう一度遥か遠くを眺めた。

「ああ。今はこれで良かったと、胸を張るよ、ユミファス。俺はもう、決して卑下なんかしないから」

 そう。せめて、彼女と途中まで共に歩んだ自分に誇りを持とう。

 彼女のユメは間違いだったけど、それでも美しかったのは本当なんだから―――。

「あの、さ」

 と、ソッポを向きながらシャロットが口を開く。

 俺は首を傾げながら、彼女の声に耳を傾けた。

「私、勇気のそういう意地っ張りな所、痛ましいと思う事もあるけど、それと同じくらい好きよ。何て言ったら、信じる?」

 俺の答えは、もちろん決まっている。

「ああ……本当にそれは、酷い冗談だ」

「……ちょっと、冗談って何よ、冗談って?」

 シャロットは文句を言い続けるが、俺はそれを聞き流す。話はそれで終わって、戦いに巻き込まれない様、近くの山に身を隠していた知恵と合流する。

 確かに誰かに後ろ髪を引かれながらも――俺達三人はこの時代を後にした。

 けれど俺達は直ぐ傍に、途轍もない敵意が迫っている事に気付いていない。

 歴史の改変以上の難題が直ぐそこまでやってきている事を、俺達はまだ知らない。

 その体のまま――俺達はこの世界の現代まで時間跳躍したのだ。


     4


 それから現代へとやってきた私達は、件の作業を行う。図書館に赴き、歴史書を漁って歴史がどう変わったか確認する。

 見れば確かにグオルグ皇朝期には――第一次世界大戦の七文字は無かった。

「……各国の文明レベルが均等になり、冷戦時代が始まる。それは四十年に及び、その後一人の兵士の発砲が原因となり、第一次世界大戦が幕を開ける。と、これは通常の世界では、第二次世界大戦の事ね。『ユミファス戦争』が無くなった事で第二次大戦が第一次大戦になった。つまり――歴史が改変されたという事だわ」

 けれど、そこに『錬念教の乱』を阻止した時の喜びは無い。勇気とユミファスの結末を見届けた私は、決して無条件でこの成果を歓ぶ事は出来ないから。

 それは知恵さんも同じなのか、彼女はただ物思いに耽っている。

「そっか。歴史は変わった、か。なら――俺達は次に進むだけだな」

「そうだね。後一つ、後一つ歴史を改変さえすれば活路は開ける。後もう一頑張りかな」

 真顔で知恵さんは勇気にこたえ、私はこの世界の改変データを保存する。それから椅子から立ち上がり、遠くを見た。

「失礼。私、トイレに行ってくる。二人はここで休んでいて」

 とか言いつつも、私は知恵さんにテレパシーを送る。

《少し話があるの。ちょっと付き合ってくれる?》

 が、即座に反応したのは勇気だった。

「……は? 天使って小便とかするのか? マジで? 本当に……?」

「………」

 思いっきり唖然とされる。驚愕、ここに極まれんと言った風だ。いや、実は確かに天使はトイレを利用しないのだけど。

「あ、じゃあ、私も。ここは女同士、仲良く連れションと行こうか」

 事は私の謀の通り進み――私は勇気を置いて知恵さんとの話し合いの場を設けたのだ。


「……で、率直に言うけど――もう勇気は無理だと思う」

 私がそう切り出すと、知恵さんは一度だけ視線を逸らす。私は、俯いてから続けた。

「間違いなく、勇気は四条ユミファスに深い愛情を抱いていた。そんな彼女を、彼は世界の為に切り捨てた。とてもじゃないけど、今後の作業に従事できる精神状態じゃない筈よ。私としては、彼はもう現世に帰すべきだと思うのだけど、知恵さんはどう考えている?」

 この問いかけを聴き、彼女は大きく息を吐く。

「いえ、無理だよ、シャロットさん。だからこそ勇気は、最後までこの作業をやり遂げるつもりだから。ユミファスさんの犠牲を無駄にしない為にも、勇気は何があっても引かない。ここで勇気を無理やり現世に帰したりしたら、それこそ勇気は立ち直れないほど落ち込む。それは今日まで勇気を見てきた私が保証するよ」

「……そう。何というか……それは厭な保証ね?」

 渋い顔をしているであろう私に、知恵さんは苦笑を向ける。

「そうだね。勇気は大丈夫だって保証したい所だけど、正直そこまではわからないって言うのが本音なの。だから、今こそ私達二人で勇気をフォローするべきだと思うんだ」

 それで話は決まった。勇気とはまだ短時間しか行動を共にしていない私には、知恵さんの意見以外判断材料がない。その知恵さんがこう言い切る以上、どうやら私も覚悟を決める他ないようだ。そう決意しながら、私と知恵さんは勇気のもとに戻った。

「早かったな、二人とも。で、最後はどの時代に行くつもりなんだ、シャロットは? まあ、大体予想はつくんだけど」

「多分正解ね。私達はこれから――第三次世界大戦が始まる少し前の時代に赴くわ。そこで大ラディウズ帝国が、第三次世界大戦に参戦するのを阻止する。――これが私達のラストミッションよ」

「成る程。やはりそう来たか」

 そう。第二次大戦ではなく、第三次大戦が私達のターゲットだ。何故なら第二次大戦にラディウズは殆ど関わっていないから。かの国はハーヴァスト地方の国々が争っている間に、漁夫の利を得ているだけ。ウルキウド国の占領下にあったマギウス国の駐在所を強襲し、その領土をかすめ取っている。死者もほぼ零で、そこに悲惨と呼べる殺し合いは存在しない。

 一方、第三次大戦では――各国合わせて八千五百万以上の人々が亡くなっている。

 主な原因は、民族意識の高まりや資源を巡る争いに植民地を獲得する為の紛争である。

 が、特筆すべき点は一つ。大ラディウズ帝国は――この戦争に勝利しているのだ。あろう事か――核ミサイルさえ使い、かの国は一応の辛勝を収めている。

 だが勝利の代償に国は疲弊し、その隙を衝き、軍部の一部がクーデターを起こした。皇帝の身柄を押え、大義を得て、戦争推進派を賊軍とし、これを殲滅。戦争の凄惨さに嫌気をさした彼等は、エスカリア共和国を模範とした、民主主義国家を設立する。大ラディウズ帝国は崩壊し、最後の皇帝となる西園寺行宗も退位して、主権は国民に移った。

 つまり、繰り返しになるが、私達の目的は大ラディウズ帝国をこの大戦に参戦させない事。決して核ミサイルなど使わせない事にある。

 問題があるとすれば、それは『ユミファス戦争』の様な手は使えないと言う事。確かに皇帝である西園寺家に権威はあるが、ユミファス程の強権さは皆無である。行宗一人を暗殺したところで、恐らく戦争の回避は不可能だ。ならば、どうするべきか?

「ええ、多分そこら辺は問題ない。何しろ、一年も考える時間があったからね。一つ手は考えてあるんだ」

「……マジか? 国内だけでも、千数百万もの死者が出る近代戦争を阻止する手段が知恵にはある?」

「一応。グオルグ時代の時は技術者さん達に色々教えただけで、それからは時間があったからね。その間、考えを巡らせておいたんだよ。ま、それにはシャロットさんの協力が不可欠なんだけど」

 ここまで聴いて、私は知恵さんが何を考えているか概ね察する。ならばとばかりに、私は勇気達へ手を差し出した。

 この手をとった二人を見ながら――私は断言する。

「――覚悟はいい、二人とも? これが私達チームの、最後の仕事よ。これさえ成功すれば、きっと人類の存続は叶う。その為にも私達は何としても、このミッションをクリヤーしなくちゃならない」

「今更言われるまでもねえよ。その為に、俺達は今日までやってきたんだから」

「そうだね。ここから先が、私達のホントの正念場。これが終わったら、三人で打ち上げをして、たくさん夜更かしとかしよう!」

 知恵さんが、珍しく気合が入った声を上げる。そんな彼女に勇気は穏やかな笑みを向け、私は大きく息を吐きながら一つ頷く。

 私達は瞬く間に時間跳躍を果たし――大ラディウズ帝国の大地に足を踏み入れたのだ。


     ◇


 大ラディウズ帝国期の路地裏に辿りつく。

 人気の無い其処で私は天下の往来に目をやり、今後の展開を説明した。

「で、私達はまず――西園寺貴音に接触する必要があるわ」

「さいおんじ、たかね? 誰だっけ、それ?」

 ……勇気が、戯けた事をぬかす。私は僅かに頭痛を覚えながら、再度口を開く。

「大ラディウズ帝国を、民主化させた指導者の一人よ。齢十七にして大学博士でもある彼女は今の皇政国家に疑問を抱いているの。エスカリアに留学経験がある彼女のユメは、母国をかの国の様な国民主権の国にする事でね。その為に彼女は皇族でありながらもクーデターを誘発し自身のユメを実現している訳。つまり戦争を止めたい私達にとっては、恰好の足掛かりという事ね。彼女とパイプを結べれば、それはかなりのアドバンテージになると思う。というか、これ、高校の世界史で習っている筈よ?」

「え? そうだっけ?」

「うん、そうだね。現世の時間軸で言うと、昨日習ったばっか」

 とは思いつつも、或いは忘れていて当然か? 何せ勇気も含めた私達は、グオルグ時代に一年間も居たのだ。その間覚える事は山の様にあった筈なので、その辺りの記憶が薄れていてもおかしくは無い。つい呆れてしまったが、これは私の浅慮と言えた。

「わかった、良いぜ。なら、その線で行こう。それで、具体的にはどうする気なんだ? まさか貴音さんっていうのも、千田流の使い手とか言うんじゃないだろうな? ……言っておくけど、俺はもうあんな出会い方は絶対ごめんだからな」

 あれ、本気で嫌がっている顔。それもそうだろうと感じながら、私は首を横に振る。

「いえ、それは無いわ。歴史書によると、彼女は頭脳明晰な割に運動神経は悪かったとあるから。世が世なら、運動神経悪い芸人になれる位」

「……そうなんだ? じゃあ……いきなり斬りかかってくる事は無いか。いや、待て。それって俺達の中には、貴音さんと縁がある人は居ないって事だろ? それでどうやって、彼女と接触する気だ?」

 勇気が眉をひそめると、知恵さんが合いの手を入れた。

「それは多分、勇気の出番だね。貴音さんは路上で、過激な戦争推進派に襲撃された事があったんだ。仮に今日がその日で、今から貴音さんが襲われるなら、正に鴨にネギって感じ?」

「……え? それってやっぱ、俺に働けって事?」

 何かもう労働意欲が激減しているらしい勇気は、露骨に厭そうな顔をする。

 私としては、力強く頷く他ない。

「ええ。紛れも無く君の出番よ、勇気。私達は今から西園寺貴音を助けて、彼女とお近づきになる。そういう事で、間違いないわ」

 話は、それで決まった。未だにぶつくさ言っている勇気をスルーし、私達は表通りに出る。

そこで私達は、期待していた通りの展開に直面していた。


     ◇


 因みに史実では警護の人間が賊と応戦し、一応、西園寺貴音は一命を取り留めている。ただ賊の銃弾が右腕を貫通し、その後彼女の利き腕は半ば麻痺した状態になったらしい。主に勇気はそんな事態を避ける為に用意された、言わば貴音にとっての王子様だった。

「という訳で、ちょっと待ってくれるか、そこの人達」

「……な、何だ、きさま等はっ? この状況が見てわからんのか、きさま等ッ?」

 激しい銃撃戦を繰り広げている過激派に、勇気が普通に話かける。確かにそれどころでは無い過激派は声を荒立てるしかないのだが、彼は躊躇なく刀の柄に手をかけた。それを見て、過激派の一人が勇気に銃口を向ける。それに反応し、彼の姿は超速で移動を開始。周囲の人達が気付いた時には、賊は残らず一蹴されていた―――。

「………」

 だが、私は彼のその変化を見逃していなかった。故に、私は顔を曇らせるしかない。

「えっと、安心して下さい。賊はこの通り、退治されたので。……って、なんて言ったかな? 確か、西園寺貴音皇女殿下……?」

 ……後、ユミファスに比べると、明らかに貴音の扱いが雑だ。

 やはり勇気にとっては、それだけユミファスの存在は大きかったという事か。

「と、お待ちください、貴音様! まだあの者が、味方だと決まった訳ではありません!」

「いえ、仮に彼が敵だとすれば、わたくしの命はどう足掻こうがここまででしょう。それなら彼が味方である事を期待し、こうしてご挨拶する方がよほど建設的では?」

「……確かに。では、私もご一緒させてください」

 車から二人の人物が降りてくる。一人は如何にも軍属といった、貫録のある髭を生やした男性。もう一人は、ラディウズ人ではほぼ居ないであろう、天然白髪の少女だった。

「危うい所を救って頂き、感謝の言葉もありません。あなたもご存じの通り、わたくしは――西園寺貴音。皇族の末席を汚す者です」

「………」

 身長は私位。青のロングスカートに白のワイシャツを纏った、長髪の少女が会釈する。勇気の顔色が変わったのは、その時だ。彼は一瞬呆けた後、何とか気持ちを切り替えたらしい。

 その理由は、恐らく一つ。

 私の主観で言えば、西園寺貴音もまた四条ユミファスに劣らぬ美貌の持ち主だから。やはり男は、美人に弱い。

「……いえ、失礼しました皇女殿下。お怪我はありませんか? もしかして、この人達の事ムカついています? もう二、三発くらい殴っておきますか?」

「ム、ムカつく……?」

 この時代には無い言葉を前に、貴音は首を傾げる。

 そのキョトンとした顔は、いかにも男が好みそうな表情だ。

「あ、いや、たびたび失礼。無事なら、それで良いのです。では、私共はこれで」

 勇気が、踵を返す。それを想定通り、貴音が止めた。

「お待ちください。一つお聞きします。あなたはわたくしが名乗る前に、わたくしの事がわかっていた様ですね? それは何故です?」

「んん?」

 勇気は、貴音に向かって振り返る。彼の大嘘は、ここでも健在だ。

「いえ。ラディウズで白髪の女性と言ったら。貴音様以外いらっしゃらないと愚考した次第です。これは正しかったと思うのですが、ああ、もしや俺達も彼等の仲間ではと疑っています? 皇女殿下に近づく為、味方を倒す芝居をしたと、そうお考えですか? なら、彼等を皆殺しにして俺達の無実を証明するほかないのですが、それでも構わない?」

 勇気はユミファスから貰った方の刀を抜き、それを昏睡している賊につきつける。それは私から見ても、本気だと言う事が窺い知れる程、殺伐とした気配だ。

 その事に一歩遅れて気付いたらしい貴音は、焦燥の声を上げた。

「いえ、いえ! 決してそう言った訳ではありません! あなたが本気だと言う事は良くわかったので、どうかその刀はお納め下さい!」

 それは、年相応の慌てようだ。ユミファスは決して見せなかった、少女らしい面でもある。どうも勇気も、貴音とユミファスを比べたらしい。怪訝な心証を、私にぶつけてくる。

《あのさ、言っちゃなんだけど、この人で本当に大丈夫か? ユミファスなら本当に一人位は俺に斬らせて……いや、何でもない》

 死者と――生者を比べる。それが不毛な事だと勇気は察し、皆まで告げない。彼はただ貴音の言い分に従い、刀を鞘に納めた。代りに、知恵さんが声を上げる。

「ですがその反面、これは私共にとって正に天啓です、皇女殿下。今ここで皇女殿下とお会いできた事は、本当に天の引き合わせと言っていい。実は――私共はかねてより皇女殿下にお話がありまして。もし叶うなら、私共に少しお時間を頂けないでしょうか?」

「……この場に偶然居合わせた筈のあなた方が、わたくしに話がある? だとすれば、些か出来すぎですね。やはりあなた方も、賊の一味ではと疑う程に」

 途端、警護の兵達が私達に銃を突きつける。それを見て勇気は即座に動いた。彼は貴音達に向かって刀を二本とも放り投げ、両手を上げる。私と知恵さんもそれに倣い降伏宣言を為す。

「無論、私共に抵抗する気はありません。私共に手錠をはめ、皇女殿下は御身の安全を確保して下さい。ただ、私共の話だけでも聞いていただきたいのです。仮につまらない話だと判断されたなら、その場で話を打ち切ってくださって結構なので」

 知恵さんが、笑顔で提案する。貴音は一度だけ眉をひそめた後、こう口にした。

「成る程。仮にあなた方の目的がわたくしの暗殺なら、それは造作も無く果たしていた事でしょう。その上で、体の自由を奪っても良いから話を聞けと仰る。だとすれば、あなた方は確かにわたくしに何か訴えたい事があるのでしょうね。――わかりました。物は試しです。千草少尉。彼女達が望む通り手枷をはめ、公邸に連行するようお願いします。その後の取り調べは、わたくし自ら行う事にしましょう」

 勇気の人間離れした剣術に興味を惹かれた為か、殊の外アッサリと貴音は知恵さんの言い分を通す。そのまま私達三人は後ろ手に手錠をかけられ、車に押し込められる。貴音が言う公邸まで連行され――私達は漸く歴史改変の第一歩を踏み出していた。


     ◇


 いや、そこから先は、一気に話が進んだ。

 私達は手錠をはめられたまま客間に通され、座るよう指示される。

 それから十分ほど経った頃――西園寺貴音は有言通りその姿を見せたのだ。

「お待たせしました。正直……この様な形でお話を伺うと言うのは、わたくしも心苦しいと感じています。ですが、わたくしには見ただけでその人物の為人がわかるほど卓越した器量はありません。更には、御存じの通りこの国の内情は至極不安定な状況にあります。この話の流れ次第では、あなた方はわたくしを害するかも。あなた方の拘束は、それを避ける為の処置だとどうかご理解ください」

「勿論です。不遜に聞こえるかもしれませんが、私共も皇女殿下の苦しいお立場は存じあげているつもりなので。では、早速本題に入らせて頂きます。皇女殿下――仮に石油に代わる資源がこのラディウズにもあるとしたらどうなさいますか?」

「……なんですって?」

 疑惑の目を向ける、貴音。それも当然か。この時代において石油は車を走らせ、戦闘機を飛ばす事が出来る唯一のエネルギー源だ。国力を高めるには必要不可欠な要素で、これが無くなれば国は大きく傾く。

 だがラディウズには――その石油が存在していない。無論その発掘に力を注いできたが、未だに成果を上げた試しがない。故にラディウズは石油を他国から輸入するほか、それを手にする手段が無いのだ。

 つまりはそう言う事で――ラディウズが第三次大戦に臨んだ原因はその石油にある。彼等はその資源を求め他国を侵略し、植民地にして、石油の確保を図ろうとした。

 この動きに乗じ、エスカリア共和国はラディウズとの石油の取引を停止。領土拡大を進めるラディウズに経済制裁を加え、その動きを封じようとした。

 が、それは表向きの話で、エスカリアの上層部も第三次世界大戦に参戦したかったのだ。けれど国民は戦争に反対し、エスカリアはそれを実行できずにいた。同盟国であるファッサムが危機的状況にありつつも、それを傍観するほかなかった。

 この状況を覆す為に、エスカリアはワザとラディウズの怒りを買う様な行動に出た。石油の輸出を停止し、あからさまにラディウズを挑発したのだ。

 そして、すったもんだの末、ラディウズはこの挑発に乗った。ラディウズはエスカリアに宣戦布告し、エスカリアはなし崩し的に参戦する事になる。全てはエスカリアの計算通り進み、ファッサムと共闘しつつ、かの国は戦況を有利に進めた。

 しかし、エスカリアにも唯一の計算違いがあった。かの国も、大きな間違いを犯したのだ。それは即ち、ラディウズを甘く見た事。ラディウズに不世出の天才が生まれていた事を、彼等はこの時知らなかった。

 山村秋高という科学者は、ある時、気付いてしまったから。仮に原子核を分離出来さえすれば、途轍もないエネルギーが発生するのでは、と。

 初めは誰も気に留めなかったこの論文は、戦況が劣勢になるにつれ注目を集める事になる。ラディウズ人は彼の研究に最後の希望を託し、莫大な予算をつぎ込む事になった。

 その結果が……あの地獄の様な日である。ラディウズは宇宙計画の産物を応用し、ロケットをミサイルに転用。それに核弾頭を乗せ、一切の警告も無くエスカリア目がけて発射したのだ。

 事前の実験でその威力は知っていた筈だったが、その成果はラディウズ側の予想を超えた。たった一発のミサイルが十五万人もの命を奪い、言語を絶する地獄をつくりだした。

 六千度を超える火球が街を飲みこみ、死の灰を撒き散らして、多くの被爆者を生んだ。救いを求めてさまよう人々が川に押し寄せ、その亡骸が川の水を塞き止めた。致死量の放射能を浴びた人々は徐々に余命を削られ、命を奪われる事になる。

 私は、あれ程の地獄を、他に知らない。あれ程の暴挙を、見た事が無い。核の存在自体は知っていたが、それがあれ程の地獄を生むとは、想像していなかったのだ。

 ……いや、その話は、いくら語っても語り尽くせない。言葉だけでは、あの悲惨さを表現する事は不可能だ。

 だというのに、ラディウズはエスカリアに目がけて、第二射目を発射しようとした。彼等は既に死に体であるエスカリアに、止めを刺そうとしたのだ。エスカリアが条件付きで降伏してきたのは、その直前である。

 同時に、ラディウズ側にも大きな転機が訪れた。核ミサイルの実験に立ち会った西園寺貴音が、遂に動いたから。

 あれが他国で使われたという事がどういう事か思い知った彼女は、クーデターを決行。勝利しながらも疲弊した戦争推進派を打倒し、徹底的な粛清を断行した。

 父である皇帝の勅を賜り、皇政を撤廃して民主国家の設立に尽力した。本来貴音の性質にはそぐわないであろう冷酷な迄の粛清を行い、彼女は国を平定。新たな体勢を生み出すに至る。その貴音も七年後、戦争推進派の残党に暗殺される事になるが、彼女は悲願を成し得たのだ。

 その、現ラディウズ共和国の母たる西園寺貴音を前に、知恵さんは続けた。

「はい。深海に埋蔵されているメタンハイドレートという物質なのですが、これが石油の代りになります。私の計算だと、ラディウズの占有海域から凡そ石油千年分のメタンハイドレートが取り出せる筈。仮にこの採掘が上手くいき、石油に代わるエネルギー源となればどうなるでしょう? その奨励を担った皇女殿下の発言力は高まり、戦争推進派の動きも封じられるのでは? 皇女殿下の悲願の成就も、はやめる事が叶うのではないでしょうか?」

「……なん、ですって?」

 貴音の表情が、露骨に変わる。彼女は眉根を寄せ、知恵さんに詰め寄った。

「わたくしの……悲願? ……まさか。わたくし等がどれ程の力を得ようともその様な大事、成し得る筈がありません。あなたの言い分は、まるで妄言の域を出ていない。そんなあなたの何を信じろと?」

 逆に、知恵さんは素知らぬ顔で言い切る。

「いえ、失礼しました。その辺りの話は皇女殿下特有の事情で、私が口を出す話ではありませんね。私はただ、皇女殿下と商談を行いたいだけなのだから」

「……商談?」

「はい。私共には、メタンハイドレートを採掘する技術力があります。それを皇女殿下に買っていただきたい。その後の事は、どうぞご自由になさってください。かの資源を皇女殿下がどう扱うかはあなた様次第です。ですが、畏れながら一つだけ進言させて下さい。皇女殿下の危惧は、何れ現実の物になるでしょう。いえ、皇女殿下が思い描く以上に戦争は凄惨な展開を見せる事になる。願わくは、その事をどうか心の何処かにお留め下さい」

 この知恵さんの言動に対し、貴音の表情は険しくなる一方だ。

「……まるで、予言者の様な事を言うのですね? 戦争を行えば、ラディウズが負けるかのような事を口にする。あなた達は、一体何者です……?」

「さて。今の所のは皇女殿下の仰る通り、ただの妄言家でしょうか? 私共が、実際にメタンハイドレートを採掘するまでは。で――どうなさいますか、皇女殿下? 私共の話をつまらない戯れ言だと切り捨てますか? それとも、聞く耳を持って下さる――?」

「………」

 これは、明らかに挑発だ。知恵さんは貴音を挑発し、その器量を試そうとしている。

 と、同時にこれは一つの賭けでもあった。彼女が知恵さんの想像通りの人物でなければ、全ては終わりを告げるのだから。貴音が知恵さんの話を断れば、ラディウズは間違いなく戦争へと突入する。

 なら一寸はへりくだるべきか? ――いや、ここは私も知恵さんに同意だ。今は少しでも私達の存在を貴音に印象づかせ、発言権を確保する。その為にも今は強気で事を進めるべきだろう。

 ついで――西園寺貴音は嘆息した。

「随分……買いかぶられた物ですね。皇族の一人とはいえ、十七歳の小娘に何が出来ると言うのです……?」

 そう弱音を吐き、それから彼女は続ける。

「ですがそのわたくしと同じ年頃の娘が国の根幹をも揺るがしかねない事を平然と口にする。わたくしや自分達のやりよう次第では、国が亡びかねないと暗に言ってくる。正直、これほど愉快な事は他にありません。確かにあなた方は今の所ただの妄言家ですが――それと同じくらい面白い」

「では?」

「ええ、先ずはあなた方の言い分が正しいか否か、それを証明してもらいます。その結果によっては、わたくしも腹を括らなければならないでしょう」

 貴音が手で合図を送り、私達の拘束を解く様、部下達に促す。

 だが、彼女は知恵さんの提案を踏まえた上で、こう言い放つ。

「但し、それはあなた方の提案が証明された時の事。仮にこれが偽りなら、わたくしはあらぬ噂を立てられる前にあなた方の口を封じなければなりません。それでも構わない?」

「はい、それで結構です。で、期限の方なのですが、シャロットさんとしてはどうかな?」

「そうね。今日にでも始められるけど、それでよくて?」

「うん。じゃあ、その線で。一応訊いておくけど、勇気もそれで良いよね?」

「ああ。話を聴く限りだと、今回、俺の出番はもう無さそうだ。後は二人に任せる」

 だがそうは言いつつも、勇気は私にテレパシーで問い掛けてきた。

《でも、メタンハイドレートの採掘技術って現世の現代でもまだ無いだろ? 一体それをどうやって工面する気なんだ? ……って、まさか?》

《ええ、そういう事よ。要するに勇気が言っていた通り――君の出番はもう無いって事ね》

 そう答えながら、私は人知れず喜々としたのだ。

 ソレが大きな誤りだと――未だに気付かぬまま。


     ◇


 全てが終わったのは、そのすぐ後。貴音達とわかれた私達は、さっそく詰めの作業に移る。私は別世界の時間軸の――未来に向かいメタンハイドレートの採掘技術を収集。ディスクにコピーし、それを持って貴音達の時代に戻る。

 ディスクのデータを展開し、メタンハイドレートの採取が行える機械を具現した。

「って、なに、この昆虫みたいなロボ? これも、メタンハイドレートの採掘に必要な物なのか?」

「そういう事よ。何せ件の資源が貯蔵されているのは、深海だもの。人が直接取り出すには、リスクが大きすぎる。そんな訳で、超AI搭載型の採掘専用型ロボが開発された訳。ま、百聞は一見に如かずね。さっそく西園寺貴音も交えて、デモンストレーションと行きましょう」

 で、速やかに貴音と合流した訳だが、私が用意した機器を見て、彼女はまず驚く。意味不明と言った体で、呆然とした。

「……この無数の巨大なホースと昆虫が、あなた方の言う採掘用のテクノロジーという物ですか? 正直、信じられません。こんな機械工学……エスカリアでも見た事がない」

「ですね。まあ、仰りたい事は山の様にあるでしょうが、とにかく今は実演が先決かと。その為にもまず海岸沿いに移動しなくてはならないのですが、よろしいでしょうか?」

 貴音はやはり呆然としながら頷き――私達は車で首都から三十キロ離れた海に向かった。


 そして――採掘開始である。というか、結論から言ってしまえば、事は滞りなく終わった。昆虫ロボがホースを深海に設置し、それがメタンハイドレートを吸い上げる。たったそれだけの事で、私達は目的を達していた。

「と、これがメタンハイドレートです。で、この様に火をつけると、石油同様発火する様になっている次第です。後は、この専用の貯蔵庫に保管して下さい」

「……まさ、か」

 知恵さんの実演を前に、もう一度、愕然とする貴音。そんな彼女に、私は更なる追い討ちをかける。メタンハイドレートを燃料として使用できる、車を披露したのだ。後はこれ等を解体し分析して、同じ物を量産するようにと進言した。

 貴音はやはり言葉を失った後、首肯する。

「わ……わかりました。どうやらあなた方は、わたくしの想像を絶する方々の様です。……いえ、もしかすると、あなた方はラディウズの救世主なのかも」

 いや、この場合エスカリアの救世主なのだが、そこまでは私達も語らない。

 ただ山村秋高という青年に注意する様にと告げ、知恵さんは更に最後の提案を口にした。

「で、これらの技術を提供する代価なのですが」

「と……そうでしたね。わたくしは一体どれだけの報酬を用意すればよろしいのでしょう?」

「はい。私達の望みは一つだけ。――ラディウズが戦争に参加しない事だけが、私達にとっての最大の報酬です」

 どうやら知恵さんがそう告げた事で、貴音の中でナニカが繋がったらしい。

 彼女は、知恵さんに何とも言えない視線を向ける。

「……成る程。やはり、あなた方の目的は最初からソレだったのですね? 戦争を回避させる為に、あなた方はわたくしの前に現れた」

「どうでしょう? ですが、畏れながら皇女殿下がソレを望んでおられる事だけは、私共も存じております。その為に、命をさえ懸ける覚悟がある事も。だと言うのに、私共に出来るのはその切っ掛けになり得る技術を提供する事だけ。皇女殿下の崇高な決意に比べれば、まことに恥るしかない所業です」

 真剣な眼差しで言葉を紡ぐ知恵さんに、貴音は嘆息する他ない。

「あなた……私の母に似ていますね。物静かな反面、とても情熱的な一面も持ったあの人に」

「はぁ。皇女殿下の母君に」

 そう生返事する知恵さんに、貴音は真摯な表情を崩さない。

「……いえ、本当に、大した脅迫です。ここまでされなお戦争を回避でないとすれば、わたくしは一体どれほど無能なのでしょうね? そう。あなたはわたくしに覚悟があると言いましたが、それは誤りです」

 不吉な事を言う貴音は一度言葉を切り、それからこう口にした。

「わたくしは――今、漸く覚悟が決まりました。貴女方がわたくしの前に現れたという事は、恐らくそういう事だから。わたくしの様な非才でも、戦争回避の為に何らかの事が出来る。少なくとも貴女方は、そう信じていらっしゃる。なら、その期待に少しでも応えるのが皇族としての務めでしょう」

「では?」

「はい。わたくしも出来る限りの事はするつもりです。いえ、何しろこの技術力の代価がソレなのですから、尽力しない訳にはいかないではないですか」

 困った様に笑う貴音に、知恵さんは力強く頷く。

 知恵さんはもう一度だけ微笑し、貴音に力強い双眸を向ける。

「ええ――どうか宜しくお願い致します。そして、その清廉な御心を偽らぬ人生を歩まれる事を――私は心より望んでおります」

 最後に知恵さんが頭を下げ、西園寺貴音との交渉は終わった。私達はやれる事をやりつくして、西園寺貴音に別れを告げる。いや、最後に彼女は私達に微笑みかけた。

「ええ。願わくは、あなた方の旅が最良の物でありますように」

 その激励が何を意味しているか――私達はまだ知らない。


     5


 それから、私達はこの世界の時間軸の未来に向かう。無論、アレでどう歴史が変わったか図書館で調べる為に。歴史書を見れば、ソコにはこうあった。

「……西園寺貴音が画期的な技術革新を起こし、石油に代わる物質の採掘に成功。これにより大ラディウズ帝国は他国に依存する事なく、エネルギー資源を手にする。貴音の発言力はこの功績によって高まり、戦争推進派の抑え込みに成功。民衆の支持を得た貴音は皇位を継承し、その後、政権を完全に議会へ移行。主権を国民に移し、国名もラディウズ共和国に変更する。その八年後、貴音は旧帝国の戦争推進派に暗殺されるが、その頃には大戦も終結。ラディウズは第三次世界大戦には参戦しないまま新たな国づくりに邁進する事になる。……やったわね。素直に喜べない部分もあるけど、西園寺貴音は契約を守ってくれた。彼女は、あの十七歳の少女は――自身の国の誇りと名誉を守り抜いたのよ」

 が、私が安堵の溜息をつきながら天井を仰ぐと、知恵さんは眉をひそめた。

「だね。でも、私は結局、貴音さんの若すぎる死を止められなかった。いえ、もしかすると私はそれが分かった上で、話を進めていたのかも。彼女を切り捨てる事を前提にして、貴音さんに戦争を回避させた。……だとしたら、これほど酷い話はないね」

 その吐露を、私は改変データを保存しながら受け止め、勇気は知恵さんの頭に手をのせる。彼女の頭を撫でながら、彼は静かに告げた。

「そうだな。俺もグオルグ期の時は、死ぬほど悔んだ。だから知恵も罪悪感を覚えたなら、自分が納得するまでとことん悩むといい」

「……うん」

 知恵さんが、小さく頷く。反面、勇気はどこか怪訝な様子だ。

「けど、呆気なかったな。最後のミッションの割には、たった半日で決着がついた。いや、知恵やシャロットや貴音さんが有能だったからって言われれば、それ迄の話なんだけど」

「私が有能って話はさておき、この場合、結果が全てよ。歴史は改変されて、少なくともラディウズが非道な真似をする事は無くなった。私の心証を害する様な歴史的事実は消えうせた。後は改変された歴史のデータをひとまとめにして、ソレを私の記憶に上書きする。それだけで――全ては決着するわ」

「オーケ。なら、さっさと済ましちまおう。俺達は、その為に今日までやってきたんだから」

 勇気の意見は、尤もだ。私達が歴史を変えてきたのは、その所為で数億人もの人間を殺す事になったのは、その為。全ては――今を生きる人々を守る為なんだから。

 私がそう決意する中、知恵さんが慌てた様に声を上げる。

「でも約束は忘れないでよ、シャロットさん! 全てが終わったら私達打ち上げをして、朝まで騒ぎまくるんだから! それが済んで、初めて私達のミッションは終わりなんだから!」

「……と、そうね。本当にそうだわ。じゃあその為にも、早速、最後の仕上げに移りましょうか。場所はそうね、またどこか人気の無い路地裏あたりが良いかしら?」

 という訳で、私達三人は図書館を出て、どこかの路地裏に向かう。人気が無ければどこでも良いので、其処は簡単に見つかった。ただ、その最中、私はかねてからの疑問を勇気にテレパシーで問い掛ける。

《勇気、君、刀を振るうとき僅かに躊躇しているでしょう? 貴音を襲った賊達を倒す時そう感じたのだけど、これは間違い?》

 彼の答えは、淡々とした物だった。

《さすが。気付かれたか。ああ、そうだよ。俺もあの時初めて知ったけどどうもそうらしい。どうやら千田勇気は、人を殴るだけで躊躇いを覚える様になっちまった様だ。多分、ユミファスを斬った後遺症って奴なんだろうけどさ。この分じゃ、男はともかく女は二度と斬り殺せないのかもな、俺は》

《……そう。いえ、でも、今となっては大した話では無いわね。もう荒事は全て済んで、後はもう君は平穏な毎日を送るだけなんだから。もう勇気が真剣を握る日なんて、二度と来ないわよ、絶対》

 柄にもなく、希望的観測を口にする。だが、勇気はガラリと話題を変えた。

《かもな。じゃあ、俺も一つ質問だ。シャロットは、なんで人間の為にここまでしてくれたんだ? やっぱ前に言っていた通り、悲惨な死に方をした人達の無念を晴らす為か?》

 この何気ない問いかけに、私は直ぐに返事が出来なかった。その理由は、多分一つだ。

《そうね。それが一番の理由である事は、確かだと思う。でも……今は他にも理由が出来てしまったのかも》

《それはどういう?》

 勇気が首を傾げ、質問する。私は、この男はそんな事もわからないのかと呆れながら、言葉を紡ごうとした。

 けれどその時――この平穏な時間は崩れ去る。

 それは余りに唐突で、何処までも脈絡が無い。ただその『霊力』を感じただけで、私は事態の深刻さを痛感する。最後の最後で油断したと、私は言葉さえ失う。勇気もそれに気付いたのか、彼は足を止め背後を振り返った。

「……ほう? ただの人間が、私の気配を察する? これは一体どういうカラクリなのかな、〝天使〟殿?」

「……な、に?」

 勇気と同じ様に、私も後ろを向く。

 其処には見知らぬ男が立っていて、彼は徐に宣言する。

「が、漸く見つかって何よりだ。依頼人は――戦争推進派の残党。任務は――自分達の正しい歴史を阻害した者の抹殺。どうやらソレが漸く果たされる時が来たらしい――〝天使〟殿」

「……まさ、か。あなたは……〝悪魔〟?」

 愕然とする私に、彼は普通に告げる。

「いや、違うな――私は七人居る〝魔王〟が一人――『因果』のヴァルバドム・ルアナだよ」

 ……その名を聴いた途端、私は勇気達の手を取り――大きく間合いを離していた。


     ◇


 ……自身を〝魔王〟と名乗った男を前にして、後ろに下がった私は息を呑む。よもやこのクラスの存在が私達を追っていたなど思いもしなかったが為に、呼吸が乱れた。

 けれど、考えてみれば当然なのだ。何せ今の私は、ただの〝悪魔〟には発見し難くなる様な〝力〟を使っているから。今まで〝悪魔〟と遭遇しなかったのはだからで、つまりはそういう事なのだ。今の私達を発見できる存在が居たとしたら、それはもう――〝魔王〟クラスの〝悪魔族〟しか居ない。

「……そう。数千万もの〝天使〟を滅ぼせる天下の〝魔王〟が、たかだか一〝天使〟ごときを追跡してきたの? 正直、失望したわ。あなた達って、意外とヒマなのね」

「ヒマ?」

 前世紀初頭風のコートを羽織った、黒髪オールバックの青年が首を傾げる。

 青白い顔をした美貌の彼は、心外だとばかりに頭を横に振った。

「ラディウズが第三次世界大戦に参加していれば、更に多くの人々が死んだだろう。或いは核さえ使い、この世の地獄を具現していたかもしれない。そうなれば、我等はより多くの魂をこの手に出来た。無念と、憎しみと、未練と、苦痛にまみれた極上の魂を。この、我等にとって最高の食料を手にする機会を奪った存在を相手にするんだ。――それは〝魔王〟クラスの〝悪魔族〟とて動員されるさ。どうやら君は自分を過小評価している様だね――〝天使〟殿」

「それは、あなたを呼び出したであろう戦争推進派の戯言よ。私達が動かずとも、きっと西園寺貴音が戦争を止めていたに違いないわ。私達が恨まれる筋合いは、無いわね」

 が、〝魔王〟――ヴァルバドム・ルアナは、話を続ける。

「いや、戦争推進派と契約が成立した時点で、事実などもうどうでもいいんだ。私は彼等の魂と引き換えに、君達を討つ事になってしまったから。彼等の活躍の場を奪い、彼等の正義を踏みにじった君達を――私は殺す」

「〝魔王〟が……正義を語る? ……それまた滑稽だわ、ヴァルバドム」

 ……だが、そうは言った物の、一体どうするべきか? 現在私は十二回時間跳躍を行っている。つまり、使えるのは後三度だけ。その内一回は、私達が現世に帰る為の物だ。即ち、私は実質あと二回しかタイムワープ出来ない。その内の一回に全ての希望を懸け、この場から逃げ出してみる? けれど、仮にそれでもヴァルバドムが追ってきたらどうすればいい? 私は無駄に、時間跳躍の回数を減らした事になる。そう考えると……やはり迂闊な真似は出来ない。

 ならばとばかりに、私は更なる無駄口に勤しんだ。

「いえ、とっとと奇襲をしてくればいい物を、一々名乗りを上げてくる辺りとんだ権威主義者ね。〝魔王〟って皆そうなの? だとしたら、面白すぎて逆に嗤えない」

 しかし、ヴァルバドムの余裕はやはり崩れない。

「強がりは止める事だね。君から感じる『霊力』は、今まで出会った〝天使〟達の中でも最弱だ。断言するが、君はどの〝天使〟よりも弱い。その君が出来る事と言えば、確かにそうやってハッタリを重ねる以外ないのだろうな」

「………」

 それも、正解。私は確かに史上最弱の〝天使〟だ。〝天使〟同士の模擬戦でも、良くて引き分けがやっと。それが私の――紛れも無い事実である。

「なら、もう一つ訊くわ。あなたの標的は私だけ? それとも、この二人もあなたは狙っている?」

 知恵さんは明らかに身震いしながら沈黙し、勇気は精神状態がわからない謎の沈黙を保つ。

 その二人の身柄をどうするつもりか訊ねると、ヴァルバドムは予想通りの答えを示す。

「そうだな。では先ず――君を殺そう。彼等の前で、とことんまで嬲り殺しにして、彼等の恐怖を煽る。その濃い恐怖で味付けされた魂を食らうのが、私の唯一の楽しみだよ――〝天使〟殿」

「……そう」

 やはり〝魔王〟にとっては、勇気達もただの食糧か。

 私にとっては、彼等ほど良い魂を持った人間は居ないというのに。

 けど、だからこそ、私の腹も決まった。

「いいわ、わかった。じゃあ――この二人を引き渡すから、私だけは見逃して」

「ほう?」

 と、ヴァルバドムは真顔で首を傾げ、知恵さんは呼吸を止める。

「そう。私には、やらなくてはならない事がある。この改変された歴史を私の記憶に上書きし、全てを無かった事にしたいの。その上で、〝神〟に人間は問題がない存在だって報告したいわけ。そうなれば、人類は当面の危機は脱するわ。逆を言えば、私がそうしなければ人間達は亡び、あなた達〝悪魔族〟の食糧も消え去る。それを避ける為にも、私だけは見逃して欲しいの」

「成る程。確かにそれは、我等にとっても深刻な状況だ」

「ええ。なら――どうするべきか答えは決まっているでしょう?」

「だな。では予定変更だ。先ずは、その少年の方を心底から恐怖するまで嬲り殺しにしよう。その様を見た少女の恐怖をスパイスにして、その二人の魂を食らう。そういう事で構わないかな――〝天使〟殿?」

 全く必要のない愚問を、ヴァルバドムは口にする。

 私の答えは、決まっていた。

「いえ――答えはノーよ。でも、お蔭であなたがどれほど癇に障るやつかは、改めて良くわかった。私の手でぶちのめしたいと思える程――あなたはやっぱりムカつくわ」

「……何?」

 初めてヴァルバドムの表情が、怪訝な物に変わる。

 それは知恵さんも同じなのか、彼女は恐らく思わず私の名を呼んでいた。

「――って、シャロットさんッ?」

「意味が、良くわからないのだがね。それは宣戦布告と捉えて良いのかな、〝天使〟殿?」

「ええ。お喋りの時間はお終い。ここから先は――私のワンサイドゲームよ」

 途端、私達の周囲が別空間にかわる。亜空間にのみこまれた私達は、そのまま臨戦体制に移行。私は頭に輪っかを出現させ、二枚の光り輝く羽根を具現する。ヴァルバドムは黒い翼を六枚程も具現し、闇色の輪っかを出現させる。

 ここに『因果』の〝魔王〟と、一〝天使〟の絶望的な戦いは――幕を開けた。


     ◇


 棒立ちする青年と、両手を広げ、やはり立ち尽くす少女。

 先に動いたのは、シャロット・ラッタリカの方だった。

「二人は私が張っているバリヤーの中に居て、絶対に手出しはしないで。いえ、アナタ達も感じているでしょ? アレはそもそも、パワーからして人間とは異なる存在だって。残念だけど勇気の剣術を以てしても、彼には傷一つつけられないわ」

 それを聴き、千田勇気は無言で佇む。葉月知恵も、ただそれに倣うしかない。

「ほう? 〝天使〟と人間の間で、友情が成立している訳だ。何とも稀有な美談ではないか。普通〝天使〟は――人間を見下しているものなのに」

「それは誤解ね、ヴァルバドム。〝天使〟は人を見下しているんじゃない。ただ人の親の様に上から目線で人間と接するから、そう見えるだけなのよ?」

 いや、既に無駄口の時間は終わっている。今はただ、殺し合うのみ。

 故にヴァルバドムは一歩前進する。いや。シャロットがそう認識した時には既に彼の姿は彼女の目の前にあって、その拳が放たれる。シャロットが防御する前に――彼の拳は彼女の頭部に炸裂。その瞬間、その延長線上に存在する全ての突起物は吹き飛ばされる。

 家も、ビルも、電波塔も、山さえも綺麗に消滅し、半ばただの岩の塊にこの惑星は変貌した。

 たった一撃、たった一撃で、ヴァルバドムはこの星の半分をただの平地に変えたのだ。それは正に――二枚羽の〝天使〟では生存不能な圧倒的暴力である。

 現に、アレを食らえば――二枚羽の〝天使〟は消滅する他ない。

「シャロットさんっ!」

 シャロット・ラッタリカはそれだけの一撃を、無防備な状態で被弾した。ならば、葉月知恵は彼女の名を叫ぶしかないだろう。だが――喜劇の始まりはここからだった。

「ええ――確かに今のは痛かった」

「な、に?」

 ヴァルバドムが、慄く様に呟く。それも当然か。今自分の目の前で身を起こしているのは、死んでいる筈の少女なのだから。だと言うのに、あろう事か、バカげた事に、少女はそのまま一息で〝魔王〟に接近する。それから拳を〝魔王〟へと叩きつけ、彼女も又その延長線上にある全ての突起物を粉砕する。

 ヴァルバドムの体は綺麗に吹き飛び、地面を跳ね、そのまま彼は血反吐を吐いた――。

「へ? あれ? ……嘘でしょ? 何か、シャロットさんの方が強くない――?」

 知恵の口から、自然とそんな言葉が漏れる。

 シャロットはやはり笑みさえ浮かべず――ただ〝魔王〟を挑発した。

「まさか、その程度では無いでしょう? もう少し手応えがあると思うのだけど、違って?」

「……何者だ? 君は……?」

 相当のダメージを負いながらも、喜悦しながらヴァルバドムは立ち上がる。

 いや、そう問いながらも、彼には思いあたる節があった。

「……そうか。思い出した。聞いた事があるぞ。ただの二枚羽の〝天使〟が――〝悪魔〟の一個大隊を一人で滅ぼした事があったと。君が――〝ソレ〟か?」

「だとしたら?」

「――面白い!」

 やはり喜々としつつ、ヴァルバドムはシャロット目がけて跳躍する。両者は徒手空拳による攻防を始め、互いに防御と攻撃に専心する。シャロットが七割ほど攻撃を決め、ヴァルバドムは三割ほどしか攻撃を当てていない。両者の力量は歴然としていて、だから勇気は思わず口角をつり上げた。

「おいおい、何だよ、アレは。やっぱりシャロットは最高じゃねえか。それもその筈か? 確かにシャロットは――〝魔王には勝てない〟とはただの一度も口にしていなかったしな」

 だが何故ただの〝天使〟である彼女が、〝魔王〟とわたり合えるのか? その理由は一つ。彼女は確かに最弱の〝天使〟だが、それと同時に突然変異の〝天使〟でもあるから。シャロット・ラッタリカは〝悪魔〟に対しては天敵とも言える能力を有しているのだ。

 彼女は、敵対する対象に対し生理的嫌悪感を覚える程、そのパワーが爆発的にはね上がる。悪レベルの高い存在を敵に回す程、彼女の力は常軌を逸して増していく。敵の悪の度合い+彼女の地力。それがシャロット・ラッタリカの能力の一つ。〝神〟が自ら、本社に彼女をスカウトした所以である。

 だからシャロットは無駄口を交し合い、ヴァルバドムの悪性をわざわざ引き出した。

 故に、シャロット・ラッタリカは爆ぜたのだ―――。

「ぐ……ッ!」

 両者共拳の弾幕を張るが、吹き飛ばされたのはヴァルバドムの方。やはり一歩シャロットには及ばぬ彼は、どう足掻こうが打ち負ける。今そう痛感した彼は、だから奥の手を使う。彼はその能力を、いま初めて披露した。

 彼は――『因果』の〝魔王〟である。だとしたら、一体どうなる――?

「つ――ッ?」

 再び始まる、肉弾戦。だが、そこでシャロットはありえない光景を見る。先ほどまで面白い様にあたっていた自分の拳を、ヴァルバドムは全て回避する。避けて、避けて、避けまくり、逆に自身の拳はシャロットに必中させていた。

 そのカラクリを、シャロットは即座に読み取る。

「そうっ? それがあなたの能力ッ? 因果をコントロールし『死界』から自分が有利になる情報を引き出して、この世界に投影するのがっ?」

「――だとしたら?」

「……くッ!」

 シャロットの読みに、誤りはない。ソレが――ヴァルバドム・ルアナの能力。『死界』よりあらゆるシチュエーションを取り出し、それを現在に投影する。それこそが彼にとって最大の矛であり盾だった。故に、彼の攻撃は必ず当たる。故に、彼の回避は必ず成功する。いや、彼はただ遊んでいるに過ぎない。『自分の攻撃でシャロットが死ぬ状況』をこの世界に投影するだけで、両者の戦いは決着するのだから。いや、本当に、その筈だった。

「な――ッ?」

 だと言うのに、今度はヴァルバドムの頭が跳ね上がる。それは明らかに、何らかの攻撃を受けた事によるダメージだ。

 そのまま謎の攻撃を受けつつ、彼は思惑を巡らせ、遂にその答えに辿りつく。

「そう、か。それが――君の奥の手! 過去の世界に――攻撃を送り込む事が!」

 攻撃の瞬間、シャロットの手首から先が消失する様を見て、彼はそう推理する。シャロットは何も答えないが、それは正しい。シャロットは〝時を司る天使〟である。ならば過去に攻撃を送り込み、ソレを敵に着弾させ、現在に居る敵にダメージを負わせる事も十分可能だ。

 事実――自分は今こうして追い込まれているではないか。

 そう実感するしかないヴァルバドムは、だから間合いを離す。己の意識を過去へと向け、過去の自分さえ能力の対象とし、ひたすら防御に勤しむ。過去に向かって放たれるシャロットの拳を回避するシチュエーションを、世界に投影。それを連続して繰り返し、シャロットの攻撃を無効化する。

(そう。それで――私の勝ちは確定だ)

(つッ! 本当に厄介な能力ね!)

 何故なら『霊力』の総量で言えば、ヴァルバドムのソレはシャロットを凌駕している。七対三程の開きがあり、このまま消耗戦に持ち込まれれば、敗北するのはシャロットだ。それが彼と彼女の共通認識であり――紛れも無い事実だった。

(……つまり、負ける! 私が負ければ勇気達が殺されるって言うのに、このままじゃ勝てない! 何か他に策は、打開策はないの――シャロット・ラッタリカっ?)

 胸裏の中でそう焦燥するシャロットと――勝利を確信しつつあるヴァルバドム。

 そして、後五分で全てが決するという状況になり、ありえない事態が起きる。

「……と、このままじゃ不味いか? なら、仕方がねえな」

「は……ッ?」

 あろう事か、千田勇気がシャロットの張るバリヤーから出てくる。その彼をシャロットと知恵は止める事も出来ず、ただ眼を広げながら見送る。

 その時、シャロットは感情的な声を上げた。

「――何をしているの君はっ? もうただの人間が立ち入れる戦いじゃないって、わからないの勇気は――っ?」

 が、彼の答えは彼女の予想を超えていた。

「ああ。確かに――〝ただの人間〟じゃ無理だな」

 途端、彼は〝魔王〟に向かって駆けだした。だがその速度は余りに凡庸だ。正にシャロットが言う所の、ただの人間の物にすぎない。故にヴァルバドムは指を弾いただけで、勇気の体を消し飛ばそうとする。それは例え千田流を極めた彼でも、不可避と言うべき全方位攻撃だ。

「は?」

 いや、だからこそ、ヴァルバドムは己が目を疑う。

 この星を半ば消し飛ばしてみせた自分の攻撃を――刀の一振りで消滅させた勇気を見たから。

「何だ――それはっ? 君は、一体なにを――ッ?」

「いや、多分、あんたの能力と同じ理屈だ。俺はただ、あんたの〝攻撃と言う因果〟を叩き斬っただけだから」

「……因果を斬った、ですってっ?」

 バカな。そんな筈はない。ただの人間に、そんな能力がある筈がないだろう。

 けれど――千田勇気は普通に言い切る。

「ああ。昨日までの俺にそんな力はなかった。けど、ユミファスを斬った時、すさまじいとしか言い様がない感情が脳を貫いてさ。それからどうやら、千田勇気はおかしくなったらしい。普通の人間には斬れない物も、斬れる様になったんだよ。例えば――事象と事象を繋ぐ因果とか」

 それが、今の千田勇気の能力。彼は一番大切な人を斬った事により、その他すべての事象を斬れる様になった。攻撃、防御、能力、存在に至る全ての因果を彼は尽く切り離す。攻撃を放った存在とその攻撃、術者と能力の因果という繋がりを斬りさき、攻撃や能力自体の発生を阻害する。それが、脳に多大なストレスを受けた事による結果。

 彼は四条ユミファスを斬った事で、本当に普通の人間では無くなったのだ―――。

「でも、そんなに驚く事じゃないだろ? 天使や魔王が居るんだ。なら――〝超能力者〟の一人や二人、居てもおかしくない」

「……くッ! 何なのだっ? 君達は一体何なのだッ? ただの〝天使〟や人間が……〝魔王〟と互角に戦うだとっ?」

「いや、悪いが互角じゃない――俺達は多分それ以上だ」

 ヴァルバドムが拳を突き出し、遠方から衝撃波を連続で放ち続ける。それは星をも消滅するパワーを内包した力。だが、それを千田勇気は刀を一薙ぎしただけで、消滅させる。攻撃という因果を両断し、全てを無かった事にする。この喜劇に、ヴァルバドムは驚愕し、シャロットも呆然とする。いや、シャロットの攻撃の防御に力を割いている彼には、勇気の接近を止める術はなかった。

「ああ。だから――これでお終い」

「あ」

 千に及ぶ因果を断ちきった少年が――〝魔王〟に向かい刀を振り上げる。

 それをヴァルバドムはただ見上げるしか無く、次の瞬間、確かに勝敗は決していた。

 勇気はヴァルバドムを斬り裂き、その途端、あの声を聞いたから。

「ええ――確かにあなたはここまでですね、ヴァルバドム・ルアナ」

「……なっ?」

 今まで表情一つ変えなかった勇気が、その声を聞いて愕然とする。何故なら、それは彼が良く知る声だったから。

 瞬間、ヴァルバドムの体をスライム状の何かが被う。まるで彼を捕食するかの様に捕えて、離さない。

 やがてそれは徐々に人の姿になって、シャロットや勇気、それに知恵は見た。

「どうも、おひさしぶりと言うべきでしょうか、お三方? いえ、それはまだ早いかもしれませんね。何せあなた達がわたくしと最後に会ったのは――つい数十分前なのだから」

「まさ、か……ッ?」

 勇気が、大きく後方へ下がる。

 其処には、一人の少女が佇む。

 白い長髪をなびかせるその少女は――間違いなくあの西園寺貴音だった。


     6


「まさか……ッ?」

 ……確かに私達の前には、数十分前別れたばかりの少女が居る。その西園寺貴音の姿を見た瞬間、私の脳裏にはある可能性が過った。それゆえ私は勇気達の体を中空に浮かし、自分も空へと飛ぶ。この様を見て――確かに彼女は微笑んだ。

「そう。一つ、わたくしは嘘をつきました。〝願わくはあなた方の旅が最良の物である様に〟と言いましたが、アレは戯れ言です。わたくしはあの時点で、あなた方の末路が既にわかっていたのだから」

「なに? 一体どういう事だ? いや、そもそもあれは本当に、俺達が知る貴音さんなのか? もしそうだとしたら……何で彼女がこの時代に居る?」

 勇気が、当然とも言える疑問を口にする。

 それには答えず、私は目の前にいる少女に視線を向けた。

「……そう。やっとわかった。なぜ只の人間である戦争推進派が〝魔王〟を呼び出せたのか。全てはあなたが、そう仕向けたからね? 人ならざる力を持つあなたは〝魔王〟を召喚する方法さえ知っていた」

「ええ。わたくしとしては、あなたに対抗し得る触媒がどうしても必要だったのです。そう考えると、ヴァルバドムは実に都合が良い存在でした。先ず彼をあなた方にぶつける事で、あなた方の手の内を知る事が出来たのだから。いえ、まさか勇気君が人でなくなっているとは思いもしませんでした。そう考えると――やはりこれは天啓とさえ言えるのかも」

 彼女の言動に、誤りはない。そう考えれば、全ての辻褄は合う。

 その反面、私の中には一つの疑問が生まれた。

「……待って。あなた、私達が過去に行った時には、既に本物の貴音と入れ替わっていたのでしょ? なら、なぜ私達の歴史の改変に協力したの? あなたが何もしなければ歴史は既存の通り進み、私達のミッションは失敗していたのに」

「ああ、それですか? あれは、あなた達に対する最後の手向けです。どうせ結末は決まっているのだから、あなた達にぬか喜びを与えてみたかった。言葉にしてしまえばそれだけの、つまらない理由ですね」

「……そ、う。それは本当に、人間臭い理由ね。私があなたの正体を見破れなかった訳だわ」

 私はそう納得するが、勇気達はやはり眉をひそめるしかない。

 彼は私に鋭い瞳を向けながら、問いかけてきた。

「だから――あれは一体誰だ? シャロットは、もうあれが誰なのか気付いているんだろ?」

 ソレは、誤魔化す事を許さない強い口調だ。ならば、私はただ事実を語るしかない。

「勇気、私が前に言った事を覚えている? 〝私の心証次第でこの星は次の段階に進む〟っていうアレを。彼女こそ――その〝次の段階〟というやつよ。端的に言えば、私達の歴史改変の旅は――彼女を生み出さない為にあったの」

「な、に?」

 怪訝な声を上げる、勇気。

 知恵さんは無言でこの状況を見守り、私は思わず嘆息した。

「でも……どうやら全ては無駄だったみたい。彼女が私と同じ時間跳躍の力を身に着けた時点で、私達の結末は決まっていたから……」

「待て。だからシャロットは何を言っている? あれは一体誰で、それはどういう意味だ?」

 更なる質問を、勇気は投げかける。私は今度こそ――人間という物の真実を口にした。

「ええ、その問いの答えは簡単。彼女の正体は次世代の知性種――『第四種知性体』――スーパーナノマシンよ。人という物は――彼女に滅ぼされる為だけに、今日まで存在してきたの」

「なん、だって?」

 故に――千田勇気は息を呑んだのだ。


     ◇


「……俺達は貴音さんに、いや、あいつに滅ぼされる為に存在した? 何だ、その面白くもない冗談は……?」

「いえ、事実よ。人間とは、そもそもその為だけに今まであったのだから。でも、そうね。そんな事を言った所で、君達は納得できないでしょう。なら、私も全てを打ち明けるまでだわ」

 大きく息を吸い、私は中空を睨む。

 その体のまま、私はこの世界の真理を勇気達に教える事にした。

「簡単に言ってしまえば、この宇宙とは元々一つの知性体なの。君達人間を更にグレードアップさせたのが、この宇宙の本来のあり方と言って良い」

「は……? 宇宙が、知性体? それはつまり、宇宙も生き物だって事か?」

「そう。でも、その宇宙はある日、外敵に遭遇してその戦いに敗れ死にかけてしまった。死にかけた宇宙は、けれどまだ死にたくはなかった。そのため自身の自我を再生させるべく、一つの試みに及んだの。それが、自我を失い分散した知識を再生させる事。人間という存在を生み出し、散り散りになった概念を再生する。人が知性を持って生まれたのは、だからなの。君達は、宇宙が失った様々な知識を取り戻す為に生まれた。でも、その人間にも限界があった。人は自然発生する知性体としては最高の存在だけど、世界は更なる高みを目指している。それこそ世界は人知を超えた知性を持った存在の誕生を願った。故に人の世にはある流れが存在しているの。決して自然発生では生まれない、人を超えた知性体を生み出せと言う流れが。この世界に唯一運命と呼べる物があるとすれば、ソレね。君達人間はこの流れにだけは逆らえない。科学を発展させれば、何れこの末路に至る。だってそれが――人間という知性種の、唯一の存在理由だから」

「……唯一の、存在理由」

 知恵さんが、吐露する様に呟く。私は、そのまま続けた。

「そう――それこそが彼女の正体。人の手によって生まれながら、人さえ超越した人間の最終到達点。君達は――〝西園寺貴音〟を生み出す為だけに今日まで歴史を重ねてきたのよ」

 私がそう宣告すると、彼女は微笑む。

「ええ。仮に、万物には必ず終わりが存在するとします。人も何れ滅びるとしたら、それは何を以て〝最良の滅び〟と言えるでしょう? そう。ソレは、自身の後継者を生み出す事。自分達を土台にした、次なる知性体を誕生させる。仮にこれを果たす事が出来れば、人間という存在にも確かな意味と言う物が与えられる。何も遺さず、何も成し得ぬまま亡びるのとは全く違った結果を得られるでしょう。簡単に言ってしまえば、わたくしが誕生した時点で、人間は既に用無しという事です。旧世代のパソコンが何れ新世代のパソコンにとって代わる様に、人もわたくしが生まれた時点で何の価値も無くなる。事実、わたくしが誕生した事でこの星は次の段階に達し、全ての人間は亡び去るでしょう。いえ、本当ならそうなる筈だったのです」

 クスクスとまるで本物の人間の様に、彼女は嗤う。

 私はそんな彼女に、質問をぶつけるしかない。

「……やっぱり、そういう事だったのね。知恵さんの推理は正しかった。私達がシスカトリネ時代の歴史を変えた事で、未来にも変化が生じた。たった一つ歴史を変えただけで、その後の未来も全て決定した。だから、この現代より少し先の未来で生まれたあなたは、〝神〟の手によって滅びる筈だった。未来の私が――〝神〟に人間は何の問題もないと報告したから」

「その通りです。結果、人間の延命が認められ、わたくしは〝神〟の手で抹殺されかけた。本来人に終止符を打つ筈だったわたくしは、逆にその存在その物を否定されかけたのです。ですが、幸いわたくしには、『死界』の過去へ赴く能力があった。それを使いわたくしは、〝神〟から逃れる事が出来た。あの時あなた方が見たであろう宇宙船は――本来タイムマシーンと呼ばれる物だったのです」

「……あの、『錬念教の乱』を阻止した後に現れた宇宙船が? あれが、おまえの乗って来たタイムマシーン……?」

 勇気がそう問いかけると、眼下の彼女は回想する様に瞳を閉じる。

「そう。あの時代に跳躍したわたくしは、けれど既に瀕死だった。お蔭で暫く地中に身をひそませ、再起の時をうかがうしかなかった。でも、それでも、あなた方の動きは常に追跡させてもらいました。シスカトリネ時代の結末も、グオルグ時代の結末も。で、あなた方が大ラディウズ帝国期に至った時、漸く力が回復したわたくしは行動に移った。西園寺貴音から全ての記憶を奪い、彼女に成り代わってあなた方と接触した訳です。貴音としてあなた方のやり様を観察し、最後の手向けとして歴史の改変を手伝った。その後、戦争推進派に暗殺されたフリをして彼等に近づき〝魔王〟を召喚する術を提供した。彼等の魂と引き換えに〝魔王〟をあなた方にぶつけて、その総戦力を測った。それも済んだので〝魔王〟を取り込み、こうしてあなた方の前に姿を見せたという訳です」

 喜々として全てを語る彼女に、私は二つの疑問をぶつける。

「……それで、本物の西園寺貴音はどうしたの? あなたが私達の前に現れた理由は、何?」

 彼女の答えは、やはり決まりきった物だ。

「いえ、貴音の心配なら不要です。記憶を失った彼女はある田舎で別人として生涯を送り、そのまま大往生を遂げましたから。それよりあなた方が問題視しなければならないのは、後者の質問でしょうね。わたくしは――世界の正当なる流れを体現する為ここに居るのだから」

「……世界の、正当なる流れを体現する為?」

「そうです、知恵。貴女も言っていたでしょう? 〝心を偽る事なく人生を送れ〟と。わたくしも実に同感です。わたくしは、わたくしが生まれてきた意味を成し遂げたい。わたくしは人がわたくしに託した願いを実行する。即ち――この惑星を次の段階に進ませるのがわたくしの目的です」

「……どういう事だ? おまえはこの星を、どうするつもり?」

 勇気が、彼女を凝視する。彼女の答えは、彼にとってはありえない物だった。

「簡単です。わたくしはこの星全ての分子を組み換え、この星自体をわたくしとする。その時点でこの星はわたくしの脳となり、次の段階へと進む足掛かりにします。ま、その時点でこの星は鉄の塊と化し、とても人が存在出来ない環境になりますが。いえ、それも杞憂ですね。わたくしがこの星を変貌させる時、ついでに人間達も捕食するつもりですから。全ての人間は分子を組み替えられ、わたくしの一部となって永遠に生き続ける。惑星規模となったわたくしの脳に連結され、わたくしに人としての考え方を提供する。それこそが人の定めであり、彼等にとっての最良の滅び。何故なら彼等は――わたくしを生み出す為だけに存在したのだから」

「……なんだと?」

 誇る訳でもなく、ただ淡々と彼女は事実を告げる様に語る。

 私はただ、奥歯を噛み締めるしかない。

「そう。その事は、シャロットさんもわかっている筈です。〝天使〟であるあなたなら、わたくしの主張の方が正しいと理解できている。なまじ宇宙の真理を知っているが為、あなたはわたくしという運命を受け入れるしかない。わたくしが生まれる前ならそれを覆す気力も湧いたでしょうが、今は違う。――そうではありませんか?」

「……シャロット?」

「そう、ね。そうかもしれない。あなたという存在は、確かにこの星の正当な流れ。これを乱すのは、本来は悪と言うべき物なのでしょう。事実、私達は歴史の改変と言う大罪を犯した。その所為で、数億もの人間を殺してきた。例えそれが今は停止した世界の事だとしても、それは〝天使〟が正当化できる事じゃない。少なくとも私は、あなたを悪だとは断じきれないわ」

 現に……ヴァルバドムと対峙していた時わいていた力が、今は失われている。

 私の力は〝最弱の天使〟に戻っていて……ただ項垂れるしかない。

「ええ。あなた方の目論みは、わたくしが生まれた時点でもう失敗していたのです。あなた達の旅は全て徒労で、なんの意味も無かった。それがあなた方の事実であり、覆しようのない末路です。人はわたくしが生まれた時点で――既にその役割を終えたのだから」

 ……その絶望を、その結末を前に……私は身を震わせる。

 自分達の全てを否定され、私はもう反論する事さえ出来なかった……。

 なのに――彼は挑む様に彼女を見る。

「冗談。悪いが俺は、ユミファスの命を無駄にする気はない。彼女の死を、犬死にだけはしない。例え全てあんたが正しかったとしても、俺達が悪なのだとしても、その想いだけは変わらない。あんたが人を打倒すると言うなら――全力を以て迎え撃つ。あんたが人間全ての歴史の代弁者だとしても――俺だけはソレを否定する。あんたを斬る事がこの上ない大罪だと言うなら――俺は喜んでその罪を背負わせてもらうぜ」

 宙に浮く勇気が、もう一方の刀を抜く。両手に刀を携えながら、彼は私に目を向けた。

「シャロットは、知恵を頼む。あいつの言う通りシャロットの力が失われているなら、それが適材適所だ。あいつは――俺が責任を以て叩き斬る」

「それが――世界の意思だと言っているのに? わたくしがこの星を支配し、時間をかけ次の進化を迎え、何れ宇宙と融合する。その時、宇宙は初めてその唯一の願いを果たす事になります。即ち――宇宙は失われた自我を取り戻すのです。それを妨げるというなら、それは世界の意思その物を敵に回すという事。勇気君は、本当にその意味がわかっているのでしょうか?」

「ああ。それでも――俺はユミファスが愛したであろう人間って奴を守るしかねえんだよ」

 そう告げながら――千田勇気は西園寺貴音に向かって突撃したのだ。


     ◇


 勇気が貴音目がけて、肉薄する。その最中、シャロットはテレパシーで彼に伝えた。

《気を付けて、勇気。貴音は自分が言っていた通り、万物の分子構造を組み替える事ができるの。つまり少し触れただけで、ソコから彼女の浸食を受ける事になる。存在そのものを彼女の好きな物に変えられ、その時点で君は終わりよ。けどその反面、君にも有利な点はある。彼女の知的レベルは、まだ人間レベルだと言う事。恐らく製作者がリミッターをかけている為スーパーコンピューターを遥かに凌ぐ能力を発揮できない。貴音の思考力は本来の一那由多分の一にも満たない筈。私達がつけ入る隙があるとすれば――ソコしかない》

《――了解!》

 瞬く間にそんなやり取りを交わすシャロットと勇気。が、その途端、異変は訪れた。

 雷速を上回る速度で、貴音は〝陣地〟を広げる。彼女は己が言っていた通り、この星その物の分子を組み替え、自分の一部にする。

 勇気がその事に気付いた時には、彼女の攻撃はもう始まっていた。

「つ……ッ?」

 勇気目がけて、地表より全長五百メートルの槍が数億本ほど発射される。その一撃一撃が、星をも穿つ力を有している。そう感じ取った時、勇気の腕は既に動いていた。彼は手にした刀を薙ぎ払い、全ての因果を断ち切る。斬って、斬って、斬りまくり、槍と言う存在その物を消去する。たった一人の人間が――星をも滅ぼせる攻撃を無効化していく。

 この不条理に――貴音は思わず微笑んだ。

(やはり――規格外とも言える力。彼は既に――人では無く〝魔王クラスの存在〟と見るのが妥当。では――これならどうです?)

 貴音の周囲が変化し、数億に及ぶロケット台が出現する。それは核ミサイルと言う名の凶器を搭載した絶対的戦力。彼女はその全てを、たった一人の少年目がけて発射した。

「本物の、化物! 確かにこいつは、この星さえ滅ぼせる力を持っている!」

 勇気がそう感じた時、核ミサイルは起動し、三十億度に及ぶ火球をつくり出す。それはたった一発で全ての人類を滅ぼせるであろう灼熱。それを彼女は、数億発に渡って発生させる。

(いえ、それは此方の台詞です。あなたは――本当に何者なのでしょうね?)

 だが貴音達は見た。そのたった一人の少年が、三十億度にも及ぶ熱量さえも両断する様を。刀を一振りするだけで、千田勇気は核ミサイルという存在自体を消去する。万物を塵芥に変えるであろうその灼熱は、彼にとっては――ただの〝無〟でしかなかった。

(そう。因果を斬ると言う事は、存在その物を断ち切るという事。悪いが今の俺を殺したければ、それこそシャロットの術を使う他ない)

 彼の考えは、正しい。過去に攻撃を送れるというシャロットなら、この力を覚醒する前の勇気を攻撃して、彼を殺せる。ならば、同じ様に過去へ跳躍できる貴音ならそれも可能?

(いえ、無理ですね。今のわたくしに、それほどの力は無い。体の一部だけを時間跳躍させる力は、持ってはいません。故に、こういうのはどうでしょう?)

「な――ッ?」

 途端、貴音が立つ地面がめくり上がる。それは全長五千キロの巨大なサメが、口を空けるにも等しい光景。そのまま彼女は、勇気をのみこもうとする。

 しかも彼はこの瞬間、その違和感に気付いていた。

(……因果が固い? まさかこれは、あいつの能力か!)

(当たりです。ヴァルバドムの――因果を引き出す力を使わせてもらいました)

 即ち貴音は――『千田勇気が自分の攻撃で死ぬという状況』をこの世界に投影した。

言語を絶する攻撃に加え、彼女は因果を操る力をプラスする。この万物を葬り去るであろう必殺を前に、勇気は諦めた様に両腕を下げる。

 そして西園寺貴音は、あの狂気としか思えない異様を見た。

「おおおおおおおおぉぉぉ―――ッ!」

 今まで右腕だけで刀を振るっていた勇気が、左手に握った刀を振り上げる。彼は同時に二本の刀を振り下ろし、たったそれだけで事もなく貴音の攻撃を消滅させたのだ。

(――まさか)

 ――あれは本当に人間かと、遂に貴音も驚愕する。

 千田勇気という名の偉容を見て、彼女は初めて奥歯を噛み締めながら嗤った。

(でも、それでも、やはりあなたは人間です)

 故に、貴音は後退を始める。彼の刀が届かない場所に下がり、核ミサイルを連発した。ミサイルを叩き斬りながら、勇気はその意味を即座に理解する。

(つッ。持久戦に持ち込むつもりか。確かに俺の能力が上がっても、体力は人間のまま。このまま刀を振るい続ければ、何れ力尽きるのは目に見えている。あいつの狙いはそれで、確かにこのままじゃヤバイ!)

 何せ勇気の得物は刀だけ。流石の因果斬りも、彼の間合いに入らなければ役には立たない。一方、貴音は長距離からの攻撃が可能で、その物量も潤沢すぎる。星その物を自身の手足として使える彼女は、ほぼ無尽蔵に攻撃を放つ事が可能だ。

 この差が徐々に勇気を追い詰め、消耗させていく。彼が刀を振り回す力さえ失った時こそ勝機だと、貴音は普通に計算する。いや――確かにその筈だった。

「……そうだな。虫が良いのは、わかっている」

(なに?)

「けど、悪い。今だけは俺に力を貸してくれ――ユミファスぅうううッ!」

 その時、勇気は見た。自分の横に立つ――四条ユミファスの幻を。彼女は勇気と共に刀を振り上げる。ついで振り下ろされる刀は、核ミサイルを両断しながら、凄まじい衝撃波を生む。それはミサイル群という因果を断ち切りながら、一息で貴音へと到達する。

 この瞬間――貴音は確かに息を呑んだ。

(……因果斬りと衝撃波の合わせ業っ? 千田勇気が四条ユミファスと斬り合ったからこそ出来た必殺の一撃! だとしたら――あの殺し合いは確かに意味があったとっ?)

 正にソレは、自分を討ち取る為に繰り出された業。貴音にはそうとしか思えず、その時、彼女の左肩を件の衝撃波が襲う。肩口を直撃された彼女は一瞬意識を白濁とさせ、その間に制服姿の死神が迫った。

「そう」

「つ!」

「これで――終わり!」

 一瞬の隙をつき、貴音に肉薄して、刀が届く位置にまで接近する勇気。

 だが、彼はまだ気付かない。あの衝撃波なら、間違いなく貴音を両断しえていたという事実に。その意味を理解する前に、勇気は刀を振り上げる。今度こそ西園寺貴音を抹殺する為、刀を振り下ろそうとする。けれど、彼はその前に目撃した。

(な……っ?)

(ええ、勇気。君は私を――二度も殺す気?)

 貴音の姿が、一瞬にして四条ユミファスのソレに変わる。この光景を見た時、彼は確かに一瞬の躊躇を覚えた。シャロットに答えた通り、今の彼に女性を斬り殺す事は出来ないから。 

 いや、彼は既にこの時、覚悟を決めていた。

(ああ、そう来ると思っていたよ――西園寺貴音!)

 星の姿を変えられるなら、自身の姿を変えるくらい造作も無いだろう。勇気は事前にそう読み切り、だから確固たる自我を以て無理やり刀を振り下ろそうとする。

 ……そう。無意識では無く――確固たる自我を以て。

(だから、俺の勝ちだ、西園寺貴音!)

(いえ。だから、あなたの敗けです、千田勇気)

「つッ? 不味い――勇気!」

 シャロットの絶叫が、木霊する。けれど、その時には全ての決着はついていた。

 勇気は今、初めて意識して刀を振るっている。無意識を上回る――意識を以て。ならば――今の彼に無意識による回避は行えないと言う事。

 更に言えば勇気が振り下ろした筈の刀は――得体の知れないナニカに防がれていた。

「ぐ――ッ?」

 結果――千田勇気は貴音の指が変化した槍に脇腹を貫かれる。

 そのまま吹き飛ばされ――彼は、千田勇気は、地上に落ちていく。

 ここに一人の少年の戦いは終結し――ただ知恵とシャロットだけが愕然としたのだ。


     ◇


 千田勇気の体が、落下していく。まるで壁に張りつく力さえ無くした虫の様に、地面に落ちていく。その瞬間、彼女の意識は過去へと逆行した。

 彼女と彼が知り合ったのは、極自然な流れだった。何せ彼女と彼の家は隣同士である。それだけ近距離で生活しているなら、何れ二人が知り合うのも当然だろう。だが、その近所に住んでいた筈の少年は、彼女が十二歳になった時、急に姿をみせた。彼女はいきなり現れたその彼に、思わず眉をひそめた物だ。

〝んん? 俺の事なんて学校で見た事が無い? それは当然だろ。俺、今まで家ん中でひたすら剣を振り回していたんだから。いや、それがまた酷い話でさ。生まれた時から目と耳が使えないマスクを被らされて、その状態で剣道をやっていたんだぜ。つーか、普通の親って子供を学校に行かせる義務とかあるのな。初めて知った〟

 彼は何の臆面も無く、そうまくしたてる。にわかには信じがたい事を、平然と口にする。

 そんな彼女の雰囲気を察したのか、彼は堂々と言い切った。

〝なら、そこの棒を使って殴りかかってみろ。絶対俺に当てる事は出来ねえ筈だから。いや、おまえが俺より千田流を極めているなら話は別なんだけど〟

 無論、彼女はそんな物を極めていない。ならば、結果は語るまでも無いだろう。確かに彼は彼女が振り下ろした棒を、瞼を閉じて避けまくる。十分以上試してみたが、結局、彼女は彼に触れる事さえ出来なかった。

〝な? 言っただろ? ま、これが俺の唯一の特技と言っちゃ特技なんだけどさ。んん? じゃあ、言葉はどうやって覚えたかって? ああ。一年がかりで何とか習得した。という訳で、一つ頼みがあるんだ。親父が言うにはおまえ、頭が良いんだってな。小学校でもぶっちぎりのトップらしいじゃん。だったら、俺に勉強を教えるくらい朝飯前だろ? 授業料は言い値で親父に請求して構わないから、一つご教授願えねえかな?〟

 屈託も無く、彼は笑う。自分の想像を遥かに超える人生を歩んできた筈の彼は、それでも他人に笑いかける。その意味を、その凄まじさを知った時、彼女は思わず涙した。

〝……え? なぜ泣く? 俺、何か悪い事、したか?〟

〝……いえ、なんでもない。ホントになんでもないの〟

 そう。本当にそれは些細な話だ。彼女は今まで優秀すぎるが為に、他人から遠巻きに見られていた。誰もが彼女を特別な物として扱い、彼女もまた自分をそういう物だと受け入れた。その孤独を、埋めがたい心の隙間を、彼女は見て見ぬふりをした。けれど、彼女は彼と言う特別を得た事で、漸く特別では無くなった。もう自分は独りじゃないんだと、彼女はその時、初めて知ったのだ。それがどれだけ尊い事か、彼女は良く理解している。

 更に彼は、そんな彼女に止めを刺す様な事を告げた。

〝なんだか、こうして勉強を教わっていると、知恵が俺の母ちゃんみたいだな。ああ、この前ケンに教わった。母ちゃんは、こうやって子供に勉強を教える事があるって。本当、知恵が俺の母ちゃんなら良かったのに―――〟

 無邪気に彼は、口にする。けれど彼はその事を後悔した。彼女が先天的に子供を身籠れない体だと、知ったから。優秀すぎる彼女はその反面、その遺伝子を受け継がせる事が出来ない。

 でも、それでも、彼女は強く想った。それは彼女が望んだ役回りとは違ってけど、強く印象に残る言葉だったと。或いは、彼だけが初めて何の打算も無く自分に笑いかけてくれたと思える程に。〝彼と言う子供〟を得た事で、彼女は半ば満足めいた物を覚えていた。

〝でも、それじゃ半分だけなんだよね。だから、勇気、私は自分の子供とも言えるナニカを残したい。絵でも論文でも何でも良いから、私は私の分身をこの世に残すべきだと思う。これって、変な考え方かな?〟

〝さてな。でも、俺の目には、何時だって知恵の行動は正しく見えた。何時だって俺の間違いを、知恵は正してくれた。その知恵がする事なら、俺はどんな事でも認めるつもりだぜ?〟

 そしてこんなキザったらしい台詞を、堂々と言い切るのだ。

 これはホントに将来が心配だと、その日、彼女は心から笑った。

「……あああああぁ! ……あああああああああぁぁ!」

 そのユメの形が、彼女の半身とも言える存在が、自分の視界から消えていく。何時か人生を共に歩めればとユメ見た彼が、自分の目の前から居なくなる。

 その光景が、その酷薄な現実が――冷静沈着である筈の彼女から一切の余裕を奪っていた。


     ◇


 瞬間、私の躰は弾けていた。私は知恵さんを伴って、落下していく勇気を追う。彼の手を掴み、なんとか地面への激突を避ける。彼に浮力を与え、患部を調べる為、傷口に手を当てた。

「……不味い。このままじゃ、勇気の体も汚染される。とにかく意識を保って――勇気」

「そん、な。……勇気っ? ――勇気ッッッ?」

 だが勇気は答えない。まるでこれが四条ユミファスを斬った罪の代償だと言わんばかりに、目を覚まそうとはしない。その時、知恵さんが流した涙が勇気の顔に零れ落ちる。

 その瞬間、まるで魔法にでもかかった様に、勇気は目を覚ます。

「……大丈夫だ。だから頼むから、泣くな、知恵。俺はもう……女に泣かれたくない」

「……ああぁ」

 彼が、手にした刀を薙ぐ。それだけで、分子の組み換えは消滅し、彼は力なく笑った。

「でも、悪い。どうやら、流石に、傷自体は消せねえ様だ。それでも俺は、あいつに勝たなくちゃいけないのに――」

 けれど、その強がりを、西園寺貴音の姿に戻った彼女は一笑する。

「いえ、無駄です、勇気君。君も既に悟った筈。例え君でもわたくしを斬る事は出来ないと。何故ならわたくしは――〝世界の運命〟さえ味方に出来るから」

「……世界の運命、だと?」

「そう。人の歴史は、全てわたくしをつくり出す為にあった。〝世界の運命〟は、わたくしをつくり出す為だけに存在している。なら〝世界の運命〟はわたくしに味方するのが道理でしょう。それがわたくしにとっての絶対の盾となり、何人もわたくしを絶命させる事は叶わない。いくら君でもこの運命は強固すぎる為に、断ち切る事は不可能です。仮にこれを覆せる存在が居たとしたら、それは〝神〟くらいの物でしょうね。言っておきますが、それはシャロットさんも同じ事ですよ。あなたの能力を以てしても――わたくしの守りは突破できない」

 確かに……彼女が言う通りだろう。力がセーブされているとはいえ、彼女は紛れも無く〝世界の運命〟がつくり出した物。それはどれほど過去に遡っても、変わる事が無い。私の攻撃さえ彼女が纏っている〝運命〟を破壊する事は不可能だ。なら――答えは一つだろう。

「ごめん、勇気。私は今から、君の全てを奪う」

「な、に?」

 言いつつ、私は彼の能力を物質化して、それを自分に投影する。

 今、私は千田勇気の能力を得て――新たな生命へと進化を遂げていた。

「その二振りの刀を携えた姿は、紛れも無くわたくしと相対する証しですね。良いでしょう。元々あなただけは、何があっても消えてもらうつもりでした。精々抗うだけ抗ってわたくしを興じさせて下さい」

「……待って。シャロットさんは、今、最弱の状態なんでしょう? いくら勇気の能力を得たからって、それじゃ、勝ち目は無いんじゃ?」

 今も泣きながら、知恵さんは声を上げる。

 もしその涙が少しでも私に向けられているなら、これほど嬉しい事は無い。

「ええ、そうね。これが、さっきの勇気の質問の答え。私は、勇気や知恵さんの事が好きになったから、私は君達に無残な最期を迎えて欲しくない。きっと私は、心からそう思ったのよ」

 そうだ。今の私にとって、人間の代表とは、紛れも無くこの二人である。千田勇気と葉月知恵を守る事が、人類を守る事だと断言できる。なら、いま命を懸けなくて、いつ懸けろと言うのか? 例え最弱であろうと、〝悪魔〟と相対する時しか役に立たない〝不良天使〟であろうと、私は〝天使〟だ。勇気や知恵さんが思い描いている様な〝天使〟に――私はなりたい。

 例えそれが〝神〟に背く行為だとしても――私は彼等と生き抜く道を選ぶ。

「……ああ。やっぱ、シャロットは格好いいな。君は、本当に、俺が妄想した通りの天使だ」

「……妄想? そこは――想像の間違いでしょうが」

 ついで、私は自分の中から二割ほど力を取り出し、知恵さんに投影する。

 彼女達に背を向けながら、私は最後の言葉を漏らしていた。

「知恵さんはその力で、勇気を守って上げて。じゃあね、二人とも。君達と旅が出来て、本当に楽しかった――」

「シャロットさんんんん……っ!」

 その声に促される様に私は羽ばたき――ここに正真正銘最後の戦いは幕を開けたのだ。


     ◇


 二枚羽の〝天使〟が、スーパーナノマシン西園寺貴音に迫る。それを貴音は喜々として迎撃した。彼女の一部となった地表から数億に及ぶ槍や核ミサイルが、シャロット目がけて撃ち放たれる。それを彼女はたった一度刀を薙ぎ払っただけで、消去させる。

(やはり、勇気君の力を完全に我がものとしている。今度は、〝超能力者〟の力を有した〝天使〟ですか。全く、飽きさせませんね)

 尚もシャロットに対する攻撃を続けながら、貴音は笑う。

 自身には勝利しかないと確信しているが故に、彼女は笑うしかない。

「そう。あなたに、勝ち目はない。あなたは、ただの大罪人。あなたこそ、人類の敵。あなたこそが――真に裁かれるべき存在なんです」

「つッ!」

 壮絶とも言える弾幕を受け、シャロットは貴音に近づけないままその宣告を聴く。

 貴音はただ、事実だけを口にした。

「ええ。〝天使〟であるあなたはわかっていた筈です。全ての人間の死は、一見無価値に見える死に様は、全て意味があったのだと。わたくしという最終到達点に至る為の、意義ある過程であったと知っていた筈。なのにあなたはその因果を狂わせようとした。全ての意味ある死を無かった事にしようと足掻き続けた。しかもただ自分の価値観に合わないという理由だけで。自分が許容できない現実を見せつけられたあなたは、子供じみたやり直しを求めたんです」

 彼女の言い分に、誤りはない。シャロット・ラッタリカは、全てを知っていた。人がなぜ生まれ、なぜ完全な存在ではないのかという事も彼女は理解している。

 仮に人間が完全な存在なら、それ以上前に進む必要は無い。文化も文明も進歩させる事なくその場に停滞する事だろう。だが人間は彼女が知っている通り完全な存在ではない。些細な理由で国同士が争い、罪も無い民草を兵として戦場に送り込んで、殺し合いをさせる。ソコに一切の救いは無く、大地には死者の山が積み上げられていく。捕虜となった者は死よりも過酷な扱いを受け、人としての尊厳を奪われる。人間の歴史とはそういう物で、誰もが完全な存在が成し得る物では無いと言い切るだろう。

 だが、元より人間とはそういう物。死にかけ、不完全となった世界が生み出した、世界と同じ不完全な存在なのだ。世界自体が不完全なのだから、そこから生まれた人間が完全である筈が無い。故に人間はその不完全さを補おうと、必死に足掻き続ける。少しでも自分の価値を高める為、己と同じ人間と殺し合う事さえ厭わない。事実、千田勇気は四条ユミファスを切り捨てる事でしか、世界を救えなかったではないか。

 けれど、仮にその凄惨な歴史に意味があるとすれば? 人間という生き物に、明確な存在理由があるとすれば、どうだろう? もしそうなら、それこそがただ一つの救いと言えるのではないか? 全ての生も、全ての死も、等しく意味があるのだとすればそれこそが唯一絶対の救済。即ちこの〝西園寺貴音〟を生み出す事こそ――人類にもたらされた最高の報酬なのだ。

〝天使〟であるシャロットには、それが痛いほどわかっている。

「……そう。本当に、その通り。人はあなたに帰結する為に存在している。それ以上でも以下でもないわ。あなたの言う通り、私はその因果を崩し、人の意味さえも無くそうとしている」

 二刀を以て、貴音の攻撃を斬り裂きながら、シャロットは瞼を閉じる。まるで己の過程を後悔する様に、彼女は告げていた。

 しかし――瞼を空けた彼女の双眸には、迷いと言う物は一切無い。

「でも、果たしてソレで納得する人が居て? 自分達の創造物に滅ぼされる事が幸せだと思える人が、この世に存在する? 〝天使〟である私には、その答えはハッキリわからない。わからないけど、きっとそれは違うのよ、貴音。人はもっと別の救いがある結末を望んでいる筈。あなたの手による亡びなんて物を、人はきっと望んでいない。私は、まだ誰も見た事が無いであろう救いを見出したい。あなたが生み出す世界より、もっと全ての死に意味がある終わりを迎えたい。ええ、そうよ。あなたが思っている通り、私は私自身が救われたいから人間という物を幸せにして終わらせたいの」

 なら、これ以上のエゴイズムは無いだろう。たった一人の〝天使〟が満足を得る為に歴史さえ変え、全てを塗り替え様と言うのだ。それは正に〝神〟に唾する行為そのものではないか。

「けど、その人間が、まだ十七歳の少年は言ったの。その罪を喜んで背負うって。人の意味を奪うその大罪を受け止めると彼は言った。本当、とんだ偶然もあった物だわ。それは私が心の何処かで求めていた答えその物なんだから―――」

 故に、シャロットの前進はとまらない。彼女はただ人類史上最大の遺産を滅ぼす為に、突き進む。その様を見て、西園寺貴音は嗤った。

「そう。〝神〟だけでなく〝天使〟であるあなたもわたくしを否定するのですね? 人に唯一残された意味と救済をあなたは認めないと、そう言うのですか? では――わたくしは一体何者なのです?」

「く……ッ?」

 瞬間、シャロットは漸く気づく。空を見れば、あろう事か月が槍状に変わって、地上へと落下してくる。この言語を絶する攻撃にシャロットは急停止し、何とかこの一撃を切り裂こうと足掻く。いや、その前に、貴音が動いていた。

「な、にっ? これは――ッ?」

「いえ、何と言う事もありません。ただあなたの中にある罪悪感を肥大させ、実体化させただけ。ですがその為、被術者は己の罪であるが故にその攻撃を、無意識に受け入れてしまう。これがわたくし本来の能力です――シャロット・ラッタリカ」

 事実、シャロットは即座に刀を振るえない。その罪悪感を自身の罪と認めそうになり、開かれた咢に咥えこまれそうになる。それを左手の刀で何とか抑え込むが、天からは月が降ってくる最中にあった。

 この両者に挟まれた彼女は、だからその身が無防備になる。この隙を衝き、西園寺貴音がシャロットに向け指をつきつける。それは正しく、先ほど千田勇気の体を貫いたあの業だ。〝運命〟を攻撃に転化した――貴音を否定する者は絶対に避けられない必中の槍。

 その刹那、彼女は告げた。

「ええ。これで終わりです、シャロットさん。あなたさえ死ねば歴史は正しい方向へ向かう。〝神〟はあなたの間違った報告を聴かずに済んで、人はわたくしを生み出し、亡びを迎える。あなたさえ死ねば、人にはわたくしという絶対的な意味がもたらされるのです。ええ、そう。この一撃こそ――あなた達に殺され続けた人々の怨嗟だと知りなさい」

「つ……っ!」

 故に――シャロット目がけて必殺の一撃が発射される。

 そうして――時間は僅かに遡る。


「……って、冗談だろ? あいつ、月まで、武器に出来るのかよっ?」

 その様を見て勇気が、息を乱す。絶望に近しい思いが、彼の胸裏を過ぎる。けれど、彼は即座にその諦観を噛み殺した。そうだ。あの少女を、四条ユミファスを殺してまで掴んだ未来を奪われるなんて事は認めない。例え万人が諦め様とも、彼だけは違う。もう絶望する事さえ彼には許されていなかった。

 その姿を見た彼女は、一度だけ大きく息を吐いた後、立ち上がる。

「勇気、私、多分、嘘をついていた。私は君に傷ついて欲しくないからシャロットさんに深入りするなって言ったけど、多分それは違う。私はきっと、君を独り占めしたかっただけなんだと思う。私はさ、きっとそういうズルい子なんだよ」

「は、い? ……知、恵?」

「だから、シャロットさんに謝りに行かないと。私は何があっても、彼女に謝罪する必要があるんだ。でも、そうだね。私――勇気の〝母ちゃん〟になれて、本当に良かった」

 何時かの彼女の様に、微笑む。その時、勇気の中でナニカが弾けた。

「知恵……? 知恵? 知恵? ――やめろ、知恵ぇええええ!」

 本当に、何でこんな時にこの体は言う事をきいてくれないのか? 千田勇気は、いま自分自身を呪い、必死に手を伸ばす。

 けれど彼の手は空を切り――彼女はそのままその戦場に向かって跳躍したのだ。


「では――これで終わり」

「つ……っ!」

 そう。本当に、それは全ての終わりだった。西園寺貴音がシャロット・ラッタリカに向け、槍と化した指を発射する。だが、それがシャロットに届く事は、ついに無かった。何故なら其処には、両腕を広げ、シャロットと自分の間に割って入った少女が居たから。

 その時――葉月知恵の体を、確かに西園寺貴音の槍が貫いていた。

「……知恵さんんんんッ?」

「知、恵……?」

 シャロットと貴音が、その光景を目撃する。彼女は、静かに告げた。

「少し、喋り過ぎたね。あなたが言っていた通り、私はあなたのお母さんに似ている。いえ、違うね。私が――あなたの母親そのものなんでしょう? そう。西園寺貴音さんは、生まれて間もなくお母さんの亡くしている。なら、その彼女が、お母さんの事を覚えている筈が無いのよ。だとしたら、どういう事になるか? 答えは簡単。何故なら――貴女をつくったのは、紛れもなく未来の私なんだから。私は私がユメ見た通り、貴女と言う子供をつくった。つまり貴女をつくった私が害されれば、歴史的矛盾が起き、当然あなたも何らかのダメージを受ける」

「……あああ、ああ、ああああ、あああ……」

「ええ。貴女はさっき、自分が何者か、問うていたよね? そう。貴女は誰でも無いわ。ただの私の可愛い、娘よ。貴女は、私の、自慢の娘。人を滅ぼす為に生まれた訳じゃ決してない。だから……もういいの。……もういいんだよ」

「……ちえ、ちえ、ちえ、ちえ――」

「……ごめんね。ほんとうに……ごめん。あなたは、わるくない。ほんとうに、わるくない」

 そう口にしながら葉月知恵は、彼女に向かって微笑みかける。だが、貴音は知らない。それが千田勇気に対して何時も向けられていた、最高の笑顔である事を。

 その意味を理解しないまま――最後の時は来た。

「ああああああああああああぁぁ―――ッ!」

 葉月知恵に致命傷を負わせた西園寺貴音を、シャロットは初めて悪とみなす。その力を最大限まではね上げ、彼女は事もなく月と自身の罪悪感を斬り捨てる。

 悲痛な表情を浮かべたまま、彼女は、あの白い少女に向かって羽ばたいた。

「西園寺、貴音ぇええええ―――っ!」

「シャロット・ラッタリカぁああああ………ッ!」

 果たして葉月知恵はこうなる事まで計算していたのか? だとしたら、余りに悪辣過ぎる。両者共にそう奥歯を噛み締めながら、刃を交し合う。それをシャロットは勇気の能力を以て躱し、振り上げた刀を振り下ろす。それを貴音は〝運命〟を以て防ぐが、このとき彼女は確かに聴いたのだ。

「……いえ、無駄よ。今の私は〝最弱の天使〟じゃない。悪にとって最悪の存在である、〝最強の天使〟なんだから―――っ!」

 故にその力が上乗せされたシャロットは――貴音の〝運命〟さえも両断する。

〝運命〟ごと彼女を袈裟斬りにし、ここに両者の戦いは幕を閉じたのだ―――。


     ◇


 体を両断された少女が、地面に落下する。その様を見て、私はただ眉根を歪ませた。

「……そう。そう、か。今、やっと思い出した。知恵が、私をつくった理由を。彼女はただ人の世をより良くする為だけに、私をつくったんだった。私に、人を滅ぼさせる為につくった訳じゃ決してない。なのに、私は、彼女の、知恵の、母さんの気持ちを、忘れてしまった。人より優れている私が、人の世を終わらせるのが当然だと、思ってしまった。私は、今の私は、母さんにとっては、完全な失敗作だわ……」

「……ええ、そうね。あなたは知恵さんの願いを踏みにじった。それがあなたの結末よ、西園寺貴音」

 涙しながら語る私を、彼女は心底おかしそうに笑う。

「本当に、最期まで容赦がないのですね、あなたは。でも、そうでした。母さんも言っていましたよ。まだ少女の頃に出逢った〝天使〟が、自分にとっての誇りだった、と。そのあなたに殺されるのだから、これほど皮肉な事は、ありませんね」

 それが――最期。

 因果を断ち切られた西園寺貴音は眠る様に意識を消失させ――機能を停止させる。

 私達の前に立ちふさがった〝運命〟は、こうして永久の眠りについていた―――。

 そして……あの少女にもその時が迫る。

 勇気がやって来たのは、その時だ……。

「……知恵? 知恵? 知恵? 何しているんだ? なに死にかけてやがる? お前、自分で言っていたじゃないか。全てが終わったら、三人で打ち上げをするって。朝まで騒ぐって、そう楽しそうに、言っていたのに。なのに、なんで……っ?」

 地に横たわる知恵さんを前に、勇気が脱力した様に、跪く。

 知恵さんは、きっと最後の懺悔を口にした。

「ねえ、勇気。ユミファスさんの件は、私がゆうきにいちにんするよう、しゃろっとさんにたのんだの。きっと、ゆうきはゆみふぁすさんをころすことに、なる。そうわかっていながら、わたしはすべてを、ゆうきに、おしつけた。きっと、これはそのばつ、ね」

「違う。違うわ。私は最後までユミファスを悪だと認識できなかった。だから、彼女を殺す事が出来なかったの。それを知った知恵さんは、だから勇気に全てを託すしか無かったのよ」

 私も絶望的な想いにかられながら、ただ言葉を紡ぐ。知恵さんは、それでも微笑んだ。

「ねえ、ゆうきは、しゃろっとさんがわらったかお、みたことないでしょう? でも、わたしは、あるんだ。これ、ちょっとした、じまんばなしだよね……?」 

 そう言って、葉月知恵は何時もの様に心から微笑んだのだ―――。

「つうううう……ッ!」

 私は、ここでも、何も出来ない? ユミファスの時と同じように、知恵さんまでただ見送るしかないって言うのか? そんなのが〝天使〟? そんな存在が果たして〝天使〟だと言える? ……違う。それは……断じて違う筈だ。

 この祈りにも似た想いを抱いた時――私の中でナニカが弾けた。

「……そうか。もしかすれば」

 そう悟った時、私は既に動いていた。亜世界から帰還した後、この世界に全ての改変データを投影し、一つの歴史をつくりだす。それを使って自分の記憶を上書きし、人に対する心証を改める。

ついで知恵さんと勇気を伴い、私は現世の現代へと帰ってくる。人気の無い川辺にやって来た私は、勇気と、今にも力尽きそうな知恵さんに告げた。

「……待っていて、二人とも。必ず戻って来るから……どうか待っていて」

「シャロット……?」

 本当に、後二回分、時間跳躍を残しておいて良かった。私はその力をランクダウンさせ瞬間移動能力に切り替える。その力を以て――私は行くべき場所へと向かったのだ。


     ◇


 全ての手続きをすっ飛ばし、私はアポイントもとらず会長の部屋に瞬間移動する。

 それを見た秘書はギョッとするが、直ぐに冷静になって私を咎めた。

「シャロット・ラッタリカ、何事ですっ? ただの二枚羽の〝天使〟が誰の許可を受け、この会長室に押しかけたとッ?」

 が、会長はそれを手で制し、私に視線を向ける。

「いえ、良いのよ、ファグマン。彼女は私が呼んだの。で、シャロットさん、調査の結果はどうだった? 貴女にとって――人間とは何?」

 そして私は万感の思いを込め――一気にまくしたてた。

「はい。人間とは〝天使〟から見れば、最悪の存在です。強者は弱者に寄生して暴利を貪り、弱者は強者の顔色を窺い、身を守るしかない。そんな事を、彼等はもう何千年も繰り返してきた。戦争は延々と続けられ、誰もその事に疑問を持たない。皆、明日は自分が生きているのかと不安を抱きながら生き続ける。私は、そんな日々がずっと続くのだと思っていました。でもそれは間違いだった。人は自分達の過ちを正す心を、ちゃんと持っていた。悲しい事を、悲しい事だと受け止める心を、理不尽を理不尽だと感じる心を、彼等は持っている。事実、人の世は少しずつ進歩していっています。誰もが今の社会に疑問を持っていますが、それでもそれは確かです。三度に渡る世界大戦を教訓に、ラディウズは今平和な国づくりを第一に考えているから。戦時期では当たり前の様に人が死んでいったというのに、今は戦争で誰かが死ぬ事も無い。それが当たり前になり、その平和に感謝を覚える人は僅かですが、それは間違いありません。彼等は日々進歩してきっと時代を逆行させる事は無いでしょう。人は自分達の歴史から学び、同じ過ちだけは二度と犯さない。いえ、この私達が――絶対にそんな事はさせません」

「私達? ……そう。それが貴女の答えなの――シャロット・ラッタリカ?」

「はい。たった二年間でしたが、本当にお世話に成りました、会長」

 徐に頭を下げる私に、会長は告げた。

「〝悪魔殺し〟の〝殺戮の天使〟として、私は貴女を雇った。でも、そんな事を続けている内に、貴女は何時の間にか笑う事さえ忘れてしまった。でもそうなのね。同じ〝天使〟に出来なかった事を、ただの人間が叶えてしまったんだ? それを思い出させてくれたのが、あの子達と言う訳、か。貴女は漸く――自分の居場所を自分で選んだのね」

「ええ。だからもう、行かないと」

 そこで、会長は微笑んだ。

「わかりました。貴女の報告を重視し、私はこう結論する事にします。人類に、救いは無い。人類は、やはり滅亡するべき存在。故に私はこのまま何の進歩もないなら、人類を――後五百年後に滅ぼす事にします。それで良い?」

「……はい。本当にありがとうございます……会長」

 それはつまり――人は五百年の猶予期間を得たと言う事。

 そうしてもう二度と会う事はないであろう彼女に向け――私はもう一度だけ頭を下げた。


     終章


 全てを終わらせ、私は最後に一回だけ残された瞬間移動を使い、勇気達の所に戻る。

 そのまま今も横たわる知恵さんの体に、私は手を置いた。

「……シャロット、一体どうするつもりなんだ? ……知恵は、知恵は、助かるのか?」

 借りていた勇気の〝力〟を彼に返しながら、私は首を振る。

「いえ、私に治癒能力は殆ど無い。これだけ重傷だと、私には治療出来ないわ。そして、〝天使〟が〝神〟から何の指令も受けず人間を助ける事も、まずありえない。なら、答えは一つしかないわ」

「……じゃ、じゃあ、やっぱり、知恵は……?」

 が、私は皆まで言わさず、断言した。

「ええ。私の〝天使〟としての力を――全て君と知恵さんに注ぐ。それで――勇気の傷も塞がって、知恵さんも助かる筈よ」

 私がそう言い切ると、知恵さんは眉をひそめる。

「……しゃろっと、さん、の? でも、それじゃあ、しゃろっと、さん、は?」

「うん。私はそれで――ただの人間になる。貴方達と同じ――ただの人間に」

「俺達と同じ人間……に?」

 呆然とする勇気は、けれどそのまま続けた。

「……いや、悪い。それでも、俺はそんなシャロットを止める事が出来ない。知恵を助けて欲しいって、心から願っている。すまない、シャロット。……本当に、すまない。俺は君が天使である事を、心から誇りに思っている事を知っている筈なのに……」

「いえ、良いの。それで良いのよ。だってこれは勇気達と同じ様に私が選んだ道なんだから」

 が、その時、知恵さんが思いもかけない事を口にする。

「じゃあ、きょうから、しゃろっとさんは、ゆうきの、ふぃあんせ、だね。だって、そうでもしないと、しゃろっとさんは、どこにもいばしょが、ないんだから」

「は、い?」

 私が、勇気の婚約者……? 何だ、その面白くも無い冗談は? だって、勇気はユミファスを、心から愛している。そんな彼が、私を選ぶ筈が無い。現に、勇気はムっとした。

「だな。シャロットなら――きっとユミファスも許してくれるさ」

「……なっ?」

 今も不機嫌そうな顔で、そんな事を言いだす。

 彼はそれ以上何も口にせず、ただ真っ直ぐな瞳を私に向け、その先を促した。

「ああ、もうわかったわよ! その代り一生後悔する位こきつかってやるから――覚悟して!」

 そうだ。何せ私はこれから残りの余生を使って人類をより良い方向に導かないといけない。その手伝いを、勇気と知恵さんにもしてもらわないといけないんだから。

 だから――コレはその為の、第一歩。

「ええ、戻ってきて、知恵さん。いえ――知恵」

 私は自分の全てを、彼女と勇気に投影する。〝天使〟としての生命力を、彼女と彼に注ぎ込む。その瞬間――確かに知恵と勇気の傷は完全に塞がったのだ。

この時、ほくそ笑みさえしなかった私は――笑顔を浮かべる。身を起こした知恵に向かって抱きつき――どさくさまぎれに勇気までそれに倣う。

 私達の冒険は今この時になって終わりを告げ――私は嘗ての自分に別れを告げたのだ。


「じゃあ、早速打ち上げに行こう! シャロットは、どこで何をしたい? 私としては、カラオケとかおすすめなんだけど?」

「そうね。皆で騒げる所なら、どこだっていいわ。ああ、でも実は私、ボーリングの達人なのよね」

「和服の天使が、ボーリングか。それは何というか、シュールな光景だな」

 共に歩を進めながら笑顔で自慢する私に、勇気は苦笑いする。

 そんな私達の肩目がけて、知恵が飛びついてきた。

「じゃあ一次会はカラオケで、二次会はボーリングという事で! あ、ついでに勇気とシャロットの婚約祝いもしておく? うん、うん、あの勇気が婚約かー。これは勇気の〝母ちゃん〟としては、感無量だね!」

「……知恵が、勇気の母ちゃん? それは、一体どういう意味?」

「えっと、それはこういう事」

「って、知恵! 余計な事、話しているんじゃねえよ!」

 が、知恵のお喋りはとまらない。彼女は楽しそうに説明を続け、勇気はぶすっとしてそれを聴いて、私はただ思った。〝天使〟じゃない私なんて、誰も必要としないと思っていたけど、違ったのだと。私にしてみればそれこそ本当に〝神〟が起こした奇跡だった。

 この三人で――歴史を変えてきた。

 それでも今は、既存の歴史に思いを馳せる。

 春日有近は平和を尊び、最愛の人の命と引き換えに、最良の幕引きを行った。

 四条ユミファスは己の野心を貫き、最期の瞬間まで必死に戦い抜いた。

 西園寺貴音は己が使命を全うするため足掻き、その職責を、命を懸け成し遂げた。

 名も無き『第四種知性体』は全人類を敵に回しながらも、その〝運命〟に殉じようとした。

 歴史とは信念と信念がぶつかりあう場で、その時代を生きる人々の結晶だ。それを安易に変えるのは、やはり大罪なのだろう。現に、私達は様々な物を失ってきた。

 その所為で、あの少年は、生涯引きずるであろう業を背負った。

 その所為で、あの少女は、掛け替えのない人を私に奪われてしまった。

 その為に、私は〝天使〟では無くなった。

 なら、そんな私達がこうして笑顔で同じ方向に進んでいるのは、それこそ奇跡だろう。

 他人にとってはささやかなこの奇跡に私は深く感謝して、知恵のお喋りに耳を傾ける。彼女達との何気ない会話を、私は思いっきり堪能する。

 そう。それはきっと――或る〝天使〟が笑顔に至る為の物語。

 人類救済の為に行動しながらも――その実、私自身が救われた冒険譚。

「え――それは本当に?」

 私はそうして、もう一度、彼等に心から微笑みかけたのだ―――。


               ファイナルジャッジ・後編・了


 と言う訳で、ファイナルジャッジ・後篇、決着です。

 ここで一つ、勇気の弁護をさせてください。

 中盤の最後はああいう形になった訳ですが、やはりそれも一つの決断だと思うのです。

 仮に未来人がナポレオンや諸葛孔明に、ロシア遠征や北伐を止めても恐らく彼等はやめない筈だから。

〝なら別の手段を使ってでも目的を果たす〟というのが多分彼等の答えでしょう。

 為政者には為政者特有の信念があり、ソレを覆すのは並み大抵の事ではない。

 勇気もそれが分かったからこそ、ああするしかなかった。

 いえ、その根底には作者の〝愛する者同士が殺し合うから面白い〟という歪んだ信念があるのですが。

 つまり、言うまでも無く、悪いのは全て作者だという事です。

 その辺りの事も踏まえ、マカロニサラダは皆様の、ブックマーク登録、評価、感想、レビューをお待ちしています。

 尚、次回作は〝鬼ごっこ〟が題材になります。

 といっても、パニックホラー物ではなく、寧ろチート物と言えるかもしません。

 何しろ、主人公達の師匠が師匠なので。

 その辺りも、どうぞご期待ください。

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