神獣戦線・後編
いえ、昨晩改めて神獣戦線を軽く読んでみたのですが、ある意味狂気でした。
神獣の名前と設定が延々と羅列されている部分は、一種の狂気。
自分でもよくちょうど千五百騎になるよう調整したなと、感心している位です。
もし神獣戦線の続編があるとすれば、またアレをしなければならいでしょうから、今から戦慄しています。
◇
「陛下? つまり、君がセフィニティー・サーハスか?」
「喋る猫? 驚きました。噂では聞いていたけど、本当に件の賢者殿は実在したのですね?」
それは鋭い瞳の、赤い長髪を背中に流した和装の少女だった。戦場のただ中にあって鎧さえ着ていない彼女は、やや不可解そうに眉をひそめる。
「てっきりカサアラナあたりが攻めてきたと思ったのだけど、どうやら異なる様ですね? これだけの暴威を引き起こせるあなた方は、一体何者でしょう?」
「お教えする事は、吝かではありません。但し、今すぐ降伏して下さる事が条件です」
ヒメカが、一歩前進しながら要求する。セフィニティーはもう一度、怪訝な貌をした。
(生命力――五百五十万? だとしたら、やはり、そういう事?)
その上で、彼女は微笑みながら納得したのだ。
「成る程。あなたの出自は、だいたい見当がつきました。ですが、不思議でもあります。私の血族の中に――あなたの様なヒトが居たなんて私は知りませんでしたから」
「……は? 私が、何ですって……?」
「だから――あなたは私の姉か妹だと言ったのです。でなければ、その生命力の多さは説明がつきません」
この時、何かを察したネコ博士が、思いがけない指示を出す。
「……不味い。一時撤退するぞ、メルカリカ、ヒメカ、ウォレット」
が、ここまで優勢であるウォレット達は直ぐに反応出来ず、ヒメカもただ女王に注目する。
「……あなたが、私の、姉妹? いえ、そんな訳がない。だって、私は、この星の人間では無いもの」
「だとしたらきっとお母様の悪戯ね。意図こそわからないけど、どうやらあのヒトが何かしたみたい。問題は、カサアラナがその事に気付いているかだけど、ま、今はその話はいいでしょう。降伏してはもらえないかしら――敵兵の皆さん。そうしてもらえると、私は実に助かるのですが?」
「へえ? この状況でそんな事を言いだすなんて、とんだ妄想家だね。まるで自分一人だけでボク達を掃討できるかの様なもの言いじゃないか」
けれど少女はクスリと笑い、本当に残念そうに告げた。
「いえ、〝出来るかの様〟ではなく――〝恐らく出来る〟の誤りです」
「――不味い! 皆、逃げて!」
ヒメカが、先ほどのネコ博士とほぼ同様の反応を見せる。異なる点があるとすれば、それは彼女が上げた声の方がより焦燥感に満ちていた事だろう。
現に、それは起こった。
かの女王が、臨戦態勢に入る。表示された生命力は――二百五十。普通の人間と同レベルの物に過ぎない。しかし、赤き女王は、静かに告げる。
「――真空――」
ヒメカが息を呑んだのは、その時だ。それも、当然だろう。
かの女王がそう唱えた途端――本当にこの一帯からは空気が消失する。
それは一種の、地獄と言える世界だった―――。
故に――その直感は称賛に価した。先ほどの揶揄とは裏腹に、メルカリカも女王から得体のしれないナニカを感じ取る。その為、彼女は咄嗟に動いていた。
「いい判断だ。君が即座に撤退を決意しなければ、我等は全滅していたかもしれぬ」
「……あー、何か、またビビっと来たからね。……アレは本当に、不味いって」
ルッドヒルを使い、メルカリカは自軍四万五千をダッハ城まで瞬間移動させる。お蔭で彼女達は難を逃れた訳だが、その時ウォレットは気付いた。
「――ヒメカはッ? ヒメカは――どこだっ?」
どこを探しても、彼女の姿が無い。よって、ネコ博士は速やかに結論する。
「あの娘、あの場に残ったな。ルッドヒルは瞬間移動してもいいという同意がなければ、その者に対しては発動しないから。即ち、彼女はルッドヒルによる移動を拒んだ。ヒメカは飽くまでセフィニティーと決着をつける気だ。自分の出生について、聞き出す為に」
「そん、な。……いえ、ちょっと待って。さっきのは、何? 女王は、ボク等に何をしようとしたの……?」
固唾を呑みながら、メルカリカが問う。
視線を向けられたネコ博士は、サーハスがある方角へ目をやり、返答する。
「恐らく、大気を操るドッドの力をアレンジしたものだろう。セフィニティー・サーハスはあの一帯を、真空状態にしたに違いない。平たく言えばあの場から酸素を消した、という事だ」
「……はッ? 神獣の力を、アレンジっ? そんな事、ある訳ないよ! 人間にそんな真似、出来るもんか!」
「本当にそうかな? 我等は君が言うところの〝人間離れしたニンゲン〟を知っている筈だ。セフィニティーが真にヒメカの親族なら、その程度の事、出来ても不思議じゃない」
「……まさか。けど、そうなると、ヒメカは一体どうなるの……? 彼女は、そんな怪物に、勝てる?」
が、今度はネコ博士も答えない。彼はただ思い悩む様に――空へと視線を向けた。
◇
サーハス城一帯が、白い球場に包まれる。その中は確かに真空と化していて、だからその場にいる全ての人間の生命力が減っていく。この場に佇むサーハス軍は窒息状態となり、ただ首に手をやりながら喘ぎ続けた。
それは三分間も続き、漸くセフィニティーは敵兵がこの場から撤退した事を知る。彼女が術を解いた時には、既にサーハス兵の生命力は五を切っていた。
「と、危うく自軍の命を損なうところでしたね。成る程。やはりダッハ軍は、ルッドヒルを使えるのですか。そして――あなたには称賛を送りましょう。飽くまでこの場に留まり、私を討とうとしているその勇気に対しては」
「それは、どうも」
空気を消される寸前に息を大きく吸い込み、酸欠を免れたヒメカが息を吐き出す。
彼女は改めて正体不明の女王と対峙し、極自然な質問をぶつける。
「そんな事より、もう一度訊きます。あなたは――一体誰?」
「さて。これから死に行く人に、そんな事を知る意味がありますか?」
「なッ、は……っ?」
女王が、ヒメカに向け指をさす。それだけで彼女の意識は、混濁しかけた。
いや、彼女は自分の意識が乱れるのと同時に地を蹴り、その能力の射程範囲から逃れる。
(なに、今のはッ? まさか――マジタリアっ? 指を向けた対象の、脳内電気信号を乱したとでも言うのッ?)
自身の意識の乱れ方から、ヒメカはそう推測する。だが、仮にそれが事実だとしたら、余りにも破格と言える能力だ。もしこれが一軍にさえ通じるなら、女王は事もなく彼等を全滅出来る事になる。
いや、それが可能な事は、女王がこの場を真空にした時点で証明されたではないか。
なら、ヒメカは結論せざるを得ない。
(……こと能力戦においては、間違いなく私以上の怪物! せめてもの救いは、彼女の生命力の低さ! 一撃でも彼女に攻撃を加えさえすれば、私の勝ちは決定的な点!)
けれどその場合、間違いなく自分は女王を殺してしまうだろう。そうなれば自分は勿論、メルカリカ達も神獣の力を失う。そう言った状況だけは、絶対に避けなければならない。
要するに自分はあの女王に、攻撃さえ出来ないという事……?
(いえ、違う。彼女はさっき〝私を殺す〟と言った。だとしたら、私や彼女はルールの範囲外? 私が彼女を殺しても、彼女が私を殺しても、誰も神獣を失う事はない?)
女王から身を隠す様に城の影へ隠れ、ヒメカはそう計算する。
実のところ、その推測は正しい。
ヒメカにしろ女王にしろ、例えどちらかがどちらを殺しても何のマイナスも生まれない。
だとすれば、自分がするべき事は一つだ。ヒメカは城の瓦礫を数個手に取ると、それを女王の左腕、右足、左足目がけて投擲する。少しでも女王の戦力を殺ぐ為、行動を起こす。
だが、その時――ノーモーションの女王の前に、巨大な盾が出現する。直系五十メートルにも及ぶそれは、平然と音速で迫ったヒメカの凶器を防ぎ切る。
この光景を見て、ヒメカは唖然とした。
(あれはまさか――ハーグッタの力っ? やはり神獣を召喚する事なく、神獣の力を使役している! 問題はその数と、能力! 彼女はどれだけの数の力を使えて、どんな能力をもっている……ッ?)
「そう。やはり身体能力と生命力の高さが、あなたの武器ですか。そんなところまで、あなたは彼女に似ているのですね? 正直――それは実に不愉快な話です」
喜々としながら、女王は語る。未だに交戦中にもかかわらず、既に勝敗は決したかの様な笑みを形づくる。現にマジタリアの力がある限り、ヒメカは女王に近づく事さえ出来ない。
「では、今度はこういう趣向はどうでしょう?」
「……つッ?」
再度、女王が念を送る。それだけで、ヒメカの体内にある水分は回転し、振動し、摩擦しあって熱を起こす。このままその場に留まれば、彼女の躰は間違いなく内部から焼却されていただろう。故に――ヒメカは再び女王から大きく間合いを広げるしかない。
(……体内の水分さえ、操ってみせた! これで彼女が、ドッド、マジタリア、ハーグッタ、グエルグの力を有しているのは確定!)
いや、一歩間違えれば、生命力の多寡に関わらず、自分は即死しかねない。
ヒメカ・ヤギは今、それだけの大敵と相対している―――。
「それでも、完全な逃げには転じませんか。ならば、私も好都合。精々あなたに人生を狂わされた人々の、敵討ちを愉しみましょう」
「……私に人生を、狂わされた?」
「そうですよ。あなた達がダッハやウッドウェイを攻撃しなければ、王や将軍達は今も栄華を極めていた。祖先と同じ特権を有したまま、人生を謳歌していた事でしょう。ですが――その栄光をあなたは全て奪った。罪も無い彼等からその地位を略奪し――絶望のどん底へと叩き落とした。あなたは誰の命も奪っていないから、罪の意識を感じていないかもしれません。ですが、実際は違うのです。あなたは既に途轍もない不条理を他人に押し付け、彼等を果てしない不幸に追いやったの。だというのに、今も平然としているあなたは一体何者なのでしょうね――?」
「……つっ!」
……女王の指摘には、反論する術がない。確かに自分は一面識も無い人々から、その特権を奪い去った。それも暴力という、この上ない理不尽な方法で。
今になってその事に気付き、ヒメカは思わず息を止める。自分が何をしたか初めて自覚して思わず俯きそうになった。
けどそれは一体何の為? 己の借金を返す為かと問われれば、ヒメカは即座に頷くだろう。しかし、本心は異なる。彼女はただ、メルカリカ達のユメを叶えたかっただけ。自分が好意を抱いた彼女達の力になれたらと思い、この侵略劇に力を貸した。〝自分が好きな人間=正義〟だと彼女は錯覚したから。
ヒメカが驚愕したのは、その為。自分がその為に手を汚してきたと初めて自覚し、だから唖然とする。自分は他人の為に他人の全てを奪ったと理解し――その矛盾に黙然とした。
「漸く己の罪を自覚した様ですね。そうですよ。ウッドウェイ等の特権階級からすれば、あなたはただの罪人でしかないんです」
が、今にもその罪に押しつぶされそうになりながら、ヒメカは反射的に反論する。
「……いえ、それはあなたも同じではないの? あなたが何もしなければ皇太子である、ニッチェ・サーハスがこの国の王になったのでは? その権利を、あなたは永遠に奪ったのではないの?」
「あら――バレましたか」
やはり微笑みながら、女王、いや、セフィニティーはヒメカの言い分を肯定する。
自分もヒメカ達と変わらないと、何の悪びれもせず言い切っていた。
「ですが漸く女王の立場を手にしたこの私に、侵略戦争をしかけたのはあなた達です。そのせいで私は危うく、自軍の人々を手にかけるところだったのですよ?」
この言い草を聞いて、ヒメカはあの少女の正体を看破する。彼女は、人を人として見ていない。例え命を懸け自分に忠誠を誓う人間が居ても、当然と思うだけ。それ以上の感情は、決して持たないだろう。
今も何かのゲームの最中で、その過程で必要だからサーハスを乗っ取ったに過ぎない。
「……やはりあなたはここで倒しておきます――セフィニティー」
彼女が如何に危険な存在か感じ取ったヒメカは、改めて決意する。馬鹿げた事にヒメカはセフィニティー目がけて、疾走を始めた。
彼女がヒメカに念を送ったのは、直後の事。
いや、そうしようと思った時――あろう事かセフィニティーはヒメカの姿を見失っていた。
「――な?」
(行ける。このタイミングなら、盾を展開する暇もない!)
ヒメカがこの時になって使った神獣は――シュンシャだ。彼女はセフィニティーが攻撃に移る前に件の縮小を使い、彼女の目の前から消える。そのままセフィニティーまで肉薄した後、彼女は一瞬にして自身の躰の大きさを元に戻す。
この変化についてこられず、セフィニティーは一瞬虚を衝かれていた。
「は……っ?」
いや――ヒメカがそう確信し、拳を放った時、セフィニティーの姿も消える。お蔭でヒメカの拳は空を切った。この時――ヒメカは直感する。
(予め此方の手の内を読んでいたっ? なら彼女はジルケイドの能力も有しているッ?)
それも正しい。セフィニティーはジルケイドを以て、ヒメカがどの神獣と契約しているか即座に読み取る。その上で彼女はルッドヒルの力を使い、ヒメカの背後に瞬間移動したのだ。
ついで、セフィニティーが放った一撃は、正に規格外だった。
全長五十メートルに及ぶ腕が――空からヒメカ目がけて撃ち下ろされる。咄嗟に両手でその拳を受け止めたヒメカは、即座に悟った。
(……これは間違いなくウラナを強化した力! 防御しているのに、自分の生命力が落ちていくのがハッキリわかる!)
「多分、正解です。私のウラナは――一撃で百万もの人々を薙ぎ払う。では、それをギーガーの力で巨大化させたらどうなるでしょうね?」
「……ぐッ、つッ!」
僅かに浮いた巨大な拳が、再度、ヒメカへと落下する。それを両手でガードしながらもヒメカの生命力は五百万まで減っていた。更にヒメカを殴打するべく、再び拳が浮き上がる。
その隙をついてヒメカは拳の射程内から逃れ様とするが、その瞬間ソレは起きた。
「な――ッ?」
まるで拳が着弾する過程を省略する様に、かの一撃はヒメカに炸裂する。しかも今度はノーガードの状態で。途端、彼女の生命力は二百二十万まで低下した。
しかも体勢を崩され、即座に動く事さえままならない。
(……過程を省略する、ヒルタの能力! でも種さえわかっていれば、防御くらいできる!)
故にヒメカは全力を以て防御に集中するが、その時セフィニティーはもう一度笑う。
「あら? 誰が今のが――本気だと言いました?」
「なっ、は……ッ?」
ソレは能力の三重がけ。ウラナとギーガー、攻撃力を高めるグーダーの三つの能力を併用した業。よって彼女が具現した巨大な拳は――一撃で三百五十万もの生命力を削る。
この巨大すぎる拳の到来を、ヒメカはただ見つめる事しか出来なかった。
◇
その少し前、ウォレットはメルカリカの両肩を掴む。
彼は明らかに焦燥しながら、彼女に要求した。
「俺だけでもサーハスに戻してくれ――メル。どれほどあいつの力が化物じみていても、一瞬ぐらいは注意を引ける筈だ」
ウォレットの瞳に、濁りは無い。彼は本気でヒメカの為に、命を懸けるつもりだ。
そう感じ取ったメルカリカは、だから目を細めながら首を横に振る。
「いや、違うよ、ウォレット。今ボク達がするべき事は、現状の把握だ。それさえ放棄していたら、作戦の立てようも無い。そうでしょう、ネコ博士? それで訊きたいんだけどサーハス城さ、何か全体的に破損していたよね? あれって、ヒメカあたりが何かしたから?」
セフィニティーが戦場に出てきたのは、ダッハ軍がサーハス軍を追い詰めてから。ならば、アレは彼女の力による物ではあるまい。事実、ネコ博士は首肯する。
「当たりだ。アレはヒメカの手による物。彼女はズスムントを使い、城さえ吹き飛ばせる爆弾という物を具現できる。だが――それだけでは一手足りない。恐らく女王のハーグッタで防御され、決定打にはなり得ないだろう。最低でも二つ同時に強力な攻撃を加えない限り――彼女の守りは破れまい」
「……そっか。だったら、こういうのはどう――?」
メルカリカが、早口で説明を始める。それを聴き、ネコ博士は嘆息した。
「確かにその策は我も考えていたが、良いのか? 下手をすれば、君は犬死だぞ?」
だが、この呆れた様な反応を見て、メルカリカにニパっと笑ってみせる。
「勿論さ! どちらにせよあの女王を倒さなければ、サーハスは手に入らない。いや、それどころか、ウッドウェイも奪われる事になるかも。なにより――ヒメカはボクの大切な仲間だ。彼女はボクと約束した通り、二つも国を落してくれた。ボクが安全圏に居る間にね。なら、今度はこっちがその借りを返す番さ!」
この無謀極まりない台詞を聴き、ネコ博士は口の端をつり上げる。
それは愚問を口にした、自分自身を嗤っているかのような表情だ。
「良いだろう。但し我も同行する。件の作戦を、秘密裏にヒメカへ伝える必要があるからな」
「オーケー。じゃあ、無駄話はここまで。あのヒトを倒して、ヒメカを助けるよー。でもウォレットはここでお留守番。君はもしボク達が失敗したら、その仇を討ってくれるだけでいいから」
と、ウォレットが何かを言おうとする。けれどそれより先にメルカリカはネコ博士と共に、サーハスに戻る。
かくしてサーハス攻略戦の最終幕は――いま切って落とされた。
◇
巨大すぎる拳が――ヒメカに向け発射される。
その間際――ヒメカは自分の直ぐ横に見慣れた人影が現れる様を見た。
彼女は、メルカリカは、そのままヒメカと共に数十メートル先に瞬間移動する。
その直後――件の拳が地面に直撃する。
「……って、何をしているの、メルカリカ達は! あれは、アナタ達が考えている以上の怪物よ! それは、今まで交戦していた私が一番よく知っている! だから――早く逃げて!」
ヒメカの見解に、誤りはない。彼女の生命力はたった二百五十だが、余りにもその壁は厚すぎる。実際、セフィニティーの生命力は、一ほども減っていない。
それもその筈。敵は二十にも及ぶ神獣の力を、更に上位のレベルで使役できる怪物だ。しかも確かにヒメカは聡明だが、自分と同レベルの敵と相対した事は無い。それは即ち経験不足と言える物で、だからソレを看破したセフィニティーは微笑む。
いや、それを見て、メルカリカも快活な笑みを浮かべた。
「冗談――なんで勝てる相手から逃げなくちゃいけないのさ!」
おどけた風に、メルカリカは断言する。そこに一切の迷いはない。ついで――ネコ博士が素早くヒメカにテレパシーを送る。これを受信し、ヒメカは目を見開いた。
「……本気で、やる気? 失敗したら、どうなるかわからないのよ?」
「――だからやるのさ。成功したらどうなるか、確かめる為にね!」
明らかに、メルカリカは無理やり笑っている。
けど、だからこそヒメカも思わず微笑んだ。
「……上等! なら――その命、私に預けてもらう!」
話はそれで決まったとばかりに、ヒメカはセフィニティーと改めて対峙する。
それを見て、彼女は普通に喜悦した。
「まさか、ただの人間が私と戦うつもりですか? 彼女の惨状を見ても、まだ戦意を失わないと? だとしたら、羨ましい限りの友情だわ」
「だね。君、どうみても友達居なさそうだし。強いて言えば――それが君の敗因だよ!」
それが、最後。両者の無駄口はここで終わり、彼女達は動き出す。
ヒメカが召喚したヒト型のソレは――ズスムントだった。
(ズスムント。仮にあれがサーハス城を半壊させたのだとしても、彼女はそれ以上能力を併用出来ない。彼女はその力しか振るえない。ただの蹴りでは私の守りは突破できないでしょう)
セフィニティーの読みに間違いはない。ネコ博士の作戦を実行するには、どうしてもヒメカは両手を自由にする必要がある。その反面、ズスムントを召喚している限り、彼女はかの神獣に両手で触れ続ける必要がある。ならば、どうする? 答えは――余りに簡単だった。
(成る程。その為の――あの子ですか?)
セフィニティーが即座に、メルカリカの策を看破する。それでもヒメカ達は、作戦どおり動く。いや……ここまで来た以上、そう動くしかなかった。
ヒメカは、触れていた両手をズスムントから離す。それをメルカリカに預け、メルカリカは神獣を伴いながらこの場から消失する。
だが術者から手を離せば、神獣は十秒で消える。
この間に何らかのの攻撃をする事も、確かに可能だろう。
しかし、セフィニティーの防御力を以てすれば容易にその一撃を凌ぎ切れる。
十秒間ならどんな攻撃でも、彼女は防御し得るだろう。
(そう。だから――その為のサジタリアだよ!)
宙に浮くイルカの姿をしたソレは〝一定空間の時間を遅行させる神獣〟だ。それをズスムントにかける事で、かの神獣の顕現時間を一分十秒に引き延ばす。
けれどそれが何になる? たかだか一分程度召喚時間が伸びた所で、大差はないのでは?
セフィニティーがそう思った時――それは来た。
「な、に――ッ?」
それは――大陸間弾道ミサイルと呼ばれる物。
それが――秒速約八キロ、時速約二万八千四百四十キロで彼女に迫る。
この常軌を逸した速度を前に、セフィニティーの意識は、完全に件のミサイルに向く。巨大すぎるこの一撃を防ぐ為、彼女は全力を注ぐ。
ヒメカが動いたのは――その時だ。
彼女は一瞬にしてセフィニティーの間合いに入り、両腕を掲げる。これを見て、セフィニティーはヒメカに対してもハーグッダの力を使用する。防御に勤しみ、彼女は確信した。
(いえ、あなたの通常攻撃では、私の守りは突破できない。つまり、この巨大な筒さえ防ぎ切れれば、私の勝ち)
「と、そう思っているのでしょうけど、残念。切り札は……最後までとっておく物よ、セフィニティ―――っ!」
「なッッ?」
いや、それはネコ博士に言われ、初めて知った戦法。ヒメカ自身も未だに半信半疑で、出来るかどうかさえわからない。
それでも彼女は一分間練り上げたありったけの力を振り絞り、両腕を突き出す。
途端――ヒメカの両腕からは摂氏二百万度に及ぶエネルギーが放出する。
それは正に――ヒメカ・ヤギの生命力そのものを武器とした一撃だった。
「ぐうううう―――ッ?」
それを盾で受け止めた瞬間、セフィニティーの躰は――遥か遠方へと飛ばされる。
一瞬で数キロ程も吹き飛び、それを見て大陸間弾道ミサイルを消したヒメカは問うた。
「……でも、彼女はルッドヒルの力も使えるわ。このままでは、その力で逃げられるんじゃないかしら?」
「いや、その心配はない。あの様子では防御に専心するしかなく、他の能力を併用する余裕はないだろう。つまり――後は運次第だ。ヒメカのエネルギーが消失し切るのが先か、それとも彼女が力尽きその盾が消え去るのが先か。前者なら彼女が生き残り、後者なら彼女はこの世から消滅する。我等としては――ただ後者になる事を願うしかないな」
「……そう。どちらにせよ――先ずは私達の勝利という事ね?」
息も絶え絶えに、ヒメカが訊ねる。
ネコ博士は事もなく頷き――ここにサーハス攻略戦は今度こそ終わりを告げたのだ。
◇
だが――ヒメカ達が自身等の勝利を静かに祝っている時、ソレは起きた。
遥か遠方へ飛ばされる、セフィニティー。サーハスより十キロは飛ばされた所で、彼女の躰は消滅しかける。
けれど、次の瞬間、彼女の躰は突如として――その場から消失する。
セフィニティーが次に気付いた時には、彼女は一キロ先の木の枝の上に居た。
「……へえ。ずいぶん遅いご登場ですね? 危うく、死にかけました」
目前の人物に、文句らしきことを嘯く。彼女はただ、喜々とした。
「その〝助けられて当然〟という態度は相変わらずね。数年ぶりの再会だけど、どうやら性根はまるで変わっていない様だわ」
それは、奇異な見かけの少女だった。フルフェイスの仮面にマントを纏った彼女は、けれど見かけに反し澄んだ声色をしている。
実の所、セフィニティーも、彼女の素顔は拝んだ事は無い。
「あなたが敵対している筈の私を、助ける訳がないとでも? 確かに普通に考えればそうだけど、今は事情が異なるのでしょう? 私を吹き飛ばしたあの子や、その仲間を確実に倒すには私の手を借りる必要がある。その為にも、私に恩を売っておく必要があると判断したのだと思うのだけど、これは間違い?」
セフィニティーの読みに、彼女は苦笑いする。
「それに、抜け目も無い。でもその反面、あなたはプライドが高すぎる。私に命を助けられたという事実は、あなたにとって屈辱以外の何物でもないでしょう。この借りを返すまでは、あなたも私に手を貸す他ない。違って? それとも、この恥辱の生き証人である私を殺し、全てを無かった事にする? それならそれで、面白いのだけど?」
彼女の問いに、セフィニティーは直ぐに答えない。
セフィニティーが笑みを浮かべたのは、それから数秒はたった頃だ。
「私を彼女達にぶつけ、弱らせるのも計算の内、という事ですか。いえ、それ以前にあなた、サーハスとダッハを争わせ共倒れになるよう図りましたね?」
「正解。本当は直ぐにあの子達に接触して懐柔するつもりだったのだけど、気が変わったの。彼女達は恐らく、陛下の為にならない。今の内に、滅ぼしておくべきだわ。実際――彼女達はこの短期間で国を三つも落してみせた。しかもその内の一つは――あなたが支配する国。そうなると、私も己の力を過信する気にはなれないと言う訳」
そこで、セフィニティーは眉をひそめる。
「今、陛下と言いました? まさか、あなた、ただの人間に仕えているというの? 人間以上の力を持つ、私達の血族であるあなたが?」
「――だとしたら?」
即答する彼女に、セフィニティーは初めて敵意らしき物を見せる。
しかしそれも一瞬の事で、彼女は直ぐに余裕を取り戻す。
「それは、面白そうですね。あなたがどんな人物に仕えているか、少し興味が湧きました。もしそれがつまらない人間なら、思わず殺してしまいそうだけど」
「それこそ、つまらないハッタリね。人を殺せば、私達でも力を削られる。それは何者にも変えられない、絶対的なルールでしょ? それともこの数年で、そのルールを超越する術でも身に着けた?」
「あなたこそ、相変わらずの皮肉屋ですね。……でも、ま、良いでしょう。今はその甘言に乗ることにします。偶にはあなたと共闘する、というのも悪くないと思えるから」
思いの外アッサリと、セフィニティーは彼女の提案を受諾する。
どう考えても何かの陰謀だとしか思えないが、彼女は思案する事なく了解した。
「では、そのささやかな見返りとして、ある情報を提供しましょう。あの少女の名は――ヒメカ・ヤギ。それが、私達が倒すべき人物の名よ――」
そう告げながら彼女――カサアラナ・クレネストは人知れず微笑んだ。
5
で、これはあれから数日程たった頃の話。
ウッドウェイの城内で、ネコ博士は言い切った。
「では――そろそろ水着回でもやっておくか?」
意味不明な事を、堂々と断言する。この提案についてこられたのは、恐らく私だけだろう。
現に、ルマ達は怪訝な顔になる。
「……水着回? ……あの、ちょっと意味がわからないのだけど? ……子供でも理解できるくらい、わかりやすい説明をしてくれる?」
「んん? 何だ、この惑星の者達は水着回も知らんのか? 水着回とはアレだ。シリアスな展開が続いた後の、一種の息抜き。緊迫した場面から一転して、和やかな雰囲気をとり戻すと言う先人達の偉大なる英知だ」
やはり悪びれもせず、大嘘をつき続ける直立不動の猫。
私がそんな感想を抱いている間に、ヤツはメルカリカを誑かす。
「と言う訳で、どっかの海岸に移動してくれ、メルカリカ。出来れば人気が無い所が良いな。余り周囲に人が居ると、我等は悪目立ちしてしまうから」
「別に良いけど、今後の事について話し合わなくて良いの?」
「ウム。それも水着回を堪能しながらするので、問題ない」
正直、ヤツが国三つを征服した立役者でなければ、多分殴ってでも止めただろう。逆を言えば、ヤツにはそれだけの功績があると言う事。その為、私の矛先も鈍くなる。気が付けば私達は広大な海が広がる浜辺に居て、ヤツは五次元ポケットに手を突っ込む。
ヤツが取り出したのは、私とルマとメルカリカとウォレット君と自分用の水着だった。
「……って、待て、待て、待て! 最後のは、どう考えてもおかしい! アナタ普段は裸なのに泳ぐ時は水着を着る訳ッ?」
「いや、我も流石に裸で泳ぐのは恥しいし」
……なら普段から服を着ろよ。そう思わざるを得ない私が、其処に居た。
「え? というか、これどう考えても下着じゃん。局部を被う程しか、布の面積ないじゃん。ネコ博士はこんなのを着て、海で泳げって言うの……?」
流石のメルカリカも、戦慄する。ヤツは真顔で、本当の事を告げた。
「いや、我やヒメカの星ではそれが常識なのだ。ビキニと言ってな。女子達は泳ぐ時、普通にそういった物を身につける」
事の真偽を確認する為か、ルマ達が私に目を向ける。渋々ながら、私は頷くほか無い。
「……ええ。残念ながら事実よ。スタイルに自信がある人は、率先して着こなしている」
その例で言えば私はスタイルに自信が無いのだが、ヤツは躊躇なく私にビキニを手渡す。
因みにウォレット君は、この時点で鼻血がダラダラだ。いや、前から思っていたけど幾らなんでも彼、純情過ぎでしょう? それともこの星では、アレが普通なの?
様々な疑問が過る中、私は仕方なくヤツが五次元ポケットから取り出した更衣室に入る。件の猫に少しでも恩を返す為、率先して水着姿を披露していた。
「というか、相変わらず意味がわからん。なぜ女子は下着だと恥しがるのに、水着だとオーケーなのか? 面積やデザインから言えば、水着も下着も変わらんだろ? 実際、男にしてみれば、水着も下着も全く大差ないと思っている筈だしな」
薄々気づいてはいたが……やはりそうなのか? 確かに肌が露出している部位とか、下着と大差ない。なのに、ビキニを着こんだメルカリカは今日も元気だ。
「けど、なんか慣れると開放的な気分にならない? 海だーって感じでハイテンションになるんだけど、ウィレットは……それどころじゃないか」
何故か蹲りながら、鼻を押さえ続けているウォレット君。
今日までダッハの代理王だった彼の実情が、これだった。
「なんだ。情けないぞ、ウォレット王。我などこうして勃■しているだけで、とどまっているというのに」
「――待て、待て、待て! 今、決して言ってはならない事を口にしたな――っ?」
「……え? ……ぼっ■って何?」
世が世なら、小学生であるルマまで言ってはならない事を、口にする。仮にこれで興奮したとしたら、その人物は間違いなく変態だろう。この――変態め。
「……もういい。なんだかツッコミどころ満載だけど、もうわかった。私もひと泳ぎしたくなったから、さっさと今後について話し合いましょう」
半ば脱力しながら、私は提案する。浜辺を駆け回りながらも、耳ざとくこの意見をキャッチしたメルカリカも戻ってくる。
私達はネコ博士を囲んで、さっそく作戦会議を始めた。
「そうだな。では、先ずダッハ国について。これはサーハスを落したので、約束通り明日にでもユービット王に返還する。故にウォレットは現時点を以て、ダッハ王代理を解任する事にしよう。そこでメルカリカとウォレットに一応訊いておくが――君達はどの国を治めたい?」
「それは、ウッドウェイとサーハスのどちらを支配下にしたいかって事だよね? なら、ボクとしては断然サーハスかな。理由は、ボクが軍資金収集担当だから! 鉱物資源の宝庫であるあの国なら、正にこの役に適任だと思わない?」
「ああ。ぶっちゃけ俺は経済に関しては疎いから、サーハスはメルに任せたい」
ありがたい事に血みどろの領地争いには発展せず、二人の意見は一致する。
それを受け、ネコ博士は首肯した。
「だな。メルカリカは、その能力を以てサーハスを運用しろ。ウォレットは、その徳を以てウッドウェイを治めると良い。平たく言えば、ウォレットは余り細かい事は気にするなという事だ。間違っても暫くは、金のなる木である織物産業の改革などはしない事だな。今この時点でその部署に手を出すと、猛烈な反感を呼んで国を治めるどころではなくなる」
「反乱でも起こるって言うのか? 確かにそれは、歓迎できない事態だ」
「ああ。故に、旧ウッドウェイの能臣達を全て排斥するのも無しだ。使えると思えば、彼等も分け隔てなく登用しろ。それで少しは、民衆の反感を押さえられる筈だ」
「……何だか俺に対する注文が多いな? それだけ、ウッドウェイの統治は難しい? それとも、俺にその能力は無いと?」
渋い顔をしながら、ウォレット君が訊ねる。加えて彼は今も、私達と目を合わせようとはしない。彼は一貫して、ネコ博士だけを凝視している。この事実だけ明記すると、彼は猫好きの少年の様で、何とも微笑ましい。
「答えは前者でもあり、後者でもある。アルナス王は聡明で、民に慕われていたからな。その王を追放した張本人が、国を担うというのだ。とうぜん民衆は、受け入れがたいと考えているだろうさ。その困難を乗り越える様、求められているんだ。例えメルカリカがこの役に就こうとも、不安はぬぐい切れん」
ネコ博士が言っている事は、正論だ。ウッドウェイの人々からすれば、私達はただの侵略者なのだから。人は、見知らぬ他人を簡単には受け入れない。その反面、支配者は往々にしてその事を忘れがちだ。国を征服する事より、その国を治め続ける方が何倍も難しい。
「わかった。肝に銘じておく。それで、アンタとヒメカはこれからどうする? ヒメカはまだ借金の返済が残っているんだろ?」
「いや、それを言いうならボク達だって、仕事は山積みだよ。何せボクの最終目標は、この星を支配する事だから!」
「……って、やっぱり諦めて無かったんだな、メルは?」
「だったな。では、そんな君に朗報だ。さっそく国を挙げて、仕事をして欲しい。メルカリカが望む通りこの大陸を支配するには、まず西の国々を平定する必要がある。我らの影響下にないのは、マストリアにフォーラにラインメデス。この三国を征服するなり、同盟を結ぶなりしない限り、東の国と事は構えられん」
「ちょっと待って。ダッハは頭数に入っていないの?」
私の問いに、ネコ博士はやはり真顔で答えた。
「ああ。ダッハは近日中にも、向こうから同盟を結ぶように言ってくる筈だ。それだけ今の我等は勢いがあり、兵もあり、資金もある。あの時勢に敏感なユービット王が、そんな我等を無視できる筈も無いさ」
「……成る程。つまりウッドウェイ、サーハス、ダッハの三国同盟で他の三国に圧力を加えると?」
「そういう事だ。本当ならウッドウェイやサーハスの情勢が安定するまで、戦争は控えるのが定石だがね。今は時間が無い」
「時間が、無い?」
私が眉をひそめると、ネコ博士は嘗てないほど鋭い瞳を此方に向けた。
「ああ。恐らく近い内に、東の国々でも何らかの動きがある筈だ。ジルキルドが、他の国々を征服する為に。その陣頭指揮を執るのが――カサアラナ・クレネストだよ」
カサアラナ・クレネスト。その名を挙げたのは、ネコ博士やメルカリカだけじゃない。あの少女――セフィニティーも確かにその名を口にした。
彼女は確かに、カサアラナというヒトを意識していたのだ―――。
「……つまり、そのヒトもセフィニティー並みの能力を有している? ネコ博士は、その事に懸念を抱いていると……?」
「だな。我が思う最悪の想定は、こうだ。かの者はわざと我等の行動を傍観し、ダッハとサーハスを潰し合わせた。あわよくば、君とセフィニティーを刺し違えさせる為に。それに失敗した以上――今度はかの者自ら動くしか無い筈。ジルキルドに仕えているというカサアラナは、間違いなく東の国の統一を図る。その前に、西の国々をどうにかしようと言うのが我の方針だが、何か異議はあるか?」
と、意外にも、手を上げたのはルマだ。
実にわかり辛いが、ネコ博士も怪訝な貌をしたように見える。
「……いえ、異議と言う訳では無いの。……ただ、一つ提案があって。……実は私が保有している神獣の大部分をヒメカに進呈したいのよ」
「は、い……?」
この唐突な展開に――私は思わず首を傾げた。
◇
ではここで、私達の神獣の契約状態について確認してみよう。
私ことヒメカは、ズスムント(※あらゆる武器をもって戦う)。
ザンスムント(※一撃で三千の兵を気絶させる)。
シュンシャ(※縮小)を保有。
ウォレット君は、フェリア(※吹雪)。
マジタリア(※落雷)。
ハーグッタ(※防御強化)を保有。
メルカリカは、ジルケイド(※誰がどの神獣と契約しているかを知る)。
ダルタリア(※神獣を奪う)。
マルケル(※時間を速める)。
サジタリア(※時間を遅行させる)。
ヌーバ(※神獣の契約状態を知る)。
ドッド(※竜巻)。
メイ(※味方一人を治療)。
ルッドヒル(※瞬間移動)。
ハーグッタ(※防御強化)を保有。
ネコ博士は、未だに零。
渦中のルマはと言うと、以下の通りだった。
「……私は現在■■■にマルチバス(※人間を五百名強制移動)にグーダー(※人の攻撃力を千名高める)にズー(※敵兵を百人倒す)、ジーザー(※焔)を有している。……この内の四つをヒメカに提供したいの」
思いもかけない話に、私は口ごもる。何故って、理由は実に明白だろう。
「……というか、ルマってマストリア側の人間でしょ? なのに、私の肩を持っていいの?」
「――おお!」
ネコ博士が、驚きの声を上げる。
……何だ、その〝そういえばそんな設定もあったな〟的な表情は? アナタ、もしかしてその事を忘れたまま〝マストリアを征服する〟という話をしていた?
「いや、我とした事がすっかりその事を失念していた。この我が忘却していたのだから、きっと神々さえその事は忘れていたに違いない。現にヒメカ達もその辺りの事を話題にしても、一切止めなかったしな」
「………」
また痛い所をつくな、この猫は。ええ、そうですよ。実は私も、今思い出したばかりです。
「……ま、それも当然よね。……何しろ私、最近は日の当たらないところで、コツコツ地味に神獣集めをしていたんだから。……私の事なんて、みな忘れていて当たり前だわ」
……いや、ごめん。本当に、ごめん。だからそんな風に、自暴自棄にならないで。未来を担う若人が、そんな風に腐っちゃダメ。
その一方で、私は速やかに話を戻そうと足掻く。
「……えっと、気持ちは嬉しいけど、そんな事をしたらルマの立場が悪くなるんじゃない? ルマがマストリアの役人だって事は、間違いないんだから」
けどルマは常の無表情なまま、首を横に振る。
「……いえ、それは違うわ。……確かに私は子供だけど、そんな私だってわかるの。……やっぱり誰かがこの大陸を制覇して、一刻も早く争いごとを失くすべきだって。……私、ネコ博士達ならそれが出来ると思うの」
「ほう? だからその為の協力は、君も惜しまないと?」
ネコ博士の問いに、今度は首を縦に振るルマ。
「……だとすれば、この神獣達は私よりヒメカが有した方がメリットも大きいと思う。……ちょっと考えてみたのだけど、ヒメカならこういう戦術もとれるのではなくて?」
ルマは、その構想を披露する。
これを聴き、私は息を呑んで、メルカリカは指を鳴らす。
「成る程ね! それは良いアイデアだと思うよ! 出来るかどうかはやってみなとわからないだろうけど、どうかな、ヒメカ?」
「そうね。確かに、試してみる価値はあるかも」
話は、それで決まった。私はルマの意見を取り入れ、彼女の神獣をいただく事にする。
が、その一方で、私はもう一度確認せざるを得ない。
「でも、もしその事がマストリア側にバレたら、ルマはどうなるの? やっぱり何らかの、マイナスを被るんじゃ?」
「……ま、確かに発覚したら、どうなるかわからないわ。……なので、私は飽くまで影からアナタ達を支援する。……表向きはマストリアの監察官として振る舞うから、心配しないで」
本当に……大丈夫だろうか? そうは思いつつも、ルマが言っている事は、きっと正しい。誰かがこの戦争の勝者にならない限り、同じ事が何度も繰り返されるだけだ。
死人が出ない戦争とはいえ、争いごとはどこまでいっても争いごと。誰かが傷つく事には、違いない。
現に……マンスでは多くの奴隷が亡くなり、私も殺されかけた。それと同じ事が、これから起きないとも限らない。なら――答えは決まっている。
「でも、ちょっと待って。神獣の提供って、どうやるんだっけ? 私、その辺りの話は聴いた事が無い気が」
「ああ、それなら簡単だよ。単にヒメカがルマに対し、相応の対価を払えばいいだけだから」
「……は? それってつまり、端的に言うとお金を払えって事……?」
多分、私はいま絶望的な表情を浮かべている。〝そんなに厭なんだ?〟みたいな顔をしながら、それでもメルカリカは容赦がない。
「えーと。Cランク一騎にDランク一騎にEランク二騎だから、大体この前ヒメカに渡したダイヤ八個分くらい?」
「………」
……散財だった。私にしてみれば、余りに大きな買い物だった。
内心でそう愚痴りながらも、私とルマはこの取引を成立させたのだ……。
◇
そして、私達は束の間の休息を愉しんだ。
メルカリカとルマは浅瀬で水かけっこをし、ウォレット君は水泳を嗜んでいる。
かく言う私は例の契約に従い、ネコ博士を太ももに乗せ、その頭を撫でていた。
彼が愚痴らしき物を口にしたのは、その最中だ。
「やはりネックは、ウッドウェイだな。我ならウッドウェイ側にあらぬ噂を流し、反乱を誘発させる。アルナスに一軍を与え、再起を促す事もあり得る。果たしてウォレットにその事態を治めるだけの器量があるか? 問題はそこだな。いや、違うか。問題ならもう一つあるな」
ネコ博士が、私に目を向ける。この時、彼は非常に目ざとかった。
「ヒメカ、君――アレから生命力が二百万ほど回復していないだろう?」
いや……彼が鋭いのは、何時もの事だ。私は観念する様に、頷くしかない。
「ええ。今もセフィニティーにぶつけた分の力は、回復していない。私の今の生命力は――三百五十万です。でも、皆には内緒ね。変な心配はかけたくないから」
「姑息な話だな。戦場に出れば、遅かれ早かれ発覚する事だぞ。ウォレットあたりは、目に見えて狼狽えるだろう。いや、君にそうさせた我が、言えた義理ではないが」
「でも、あの時はそうでもしない限り、セフィニティーに勝てなかった。――そうでしょ?」
波の音に耳を傾けながら、私はネコ博士の頭を撫で続ける。
彼は嘆息しながら、もう一度此方を見た。
「恐らくだが、時間をおけば君の生命力は回復するだろう。それまでは、アレを使うのを禁じる。カサアラナと対峙する時は、別の手段を以て事にあたれ。これは軍師としての命令では無く――友人としての頼みだ。良いな?」
「……友人? ちょっと驚いたわ。アナタにも、そんな人並みの感性があったのね?」
答えになっていない返答をする。
けれど彼はそれ以上追及せず、ただ不審そうな瞳で私を見つめるだけだった。
その二日後――私達はマストリアでかの一報を受ける事になった。
話は、この時より一日前に遡る―――。
◇
ではここで、ジルキルド帝国についても語っておこう。
端的に言えば、ジルキルドとは宗教国家である。イグニスと言う名の神を祀る彼等は、国民全てをその信徒としている。
他にも大陸には様々な宗教があるが、イグニス教はその中でもトップの割合を誇っている。現在この星の人口は約一億人で、その十パーセントがイグニス教徒と言った感じだ。
イグニスとは戦いの神で、その対象は、戦はもちろん商売の競争にまで及ぶ。裕福な商家はこぞってお布施を払い、イグニス神の加護を得ようと躍起だ。
何が彼等をそうさせているかと言えば、それはジルキルドが培った功績だろう。平たく言えば――ジルキルドは戦で負けた事が無かった。その事実が伝説にまで昇華され、イグニス教は多くの人々から崇拝を受ける事になる。
だが一つ語弊があるとすると、彼等が言うところの戦とは専守防衛に限る。守りに特化したジルキルドは、今まで攻め込んできた国々を尽く打ち払ってきた。侵略戦争には手を出さず、自衛にのみ専心してきたのが、かの大国なのだ。砦一つ落とされた事が無いジルキルドは、確かに優れていると言えた。
その風向きが変わったのは、今から五年ほど前。サーハス同様、先王ラグマ・ジルキルドが若くして亡くなった時、かの国は変貌した。ラグマの一人娘マトリスが齢九歳で王位についた途端、一人の魔女が彼女に接近したのだ。
聞き慣れぬ名を名乗った仮面の少女は、マトリスに謁見するなりこう進言した。
〝はい。ジルキルドほど優れた国はなく、イグニスほど多くの民に愛された神はいません。言わばジルキルドとは、ジルキルドと言うだけで多くの民意を掴んだ国。その大国がこの大陸の頂点に立てぬのなら、どの国も大陸の統一は成せぬでしょう。マトリス陛下は王では無く――皇帝を名乗る為この世に生を受けたお方なのです〟
皇帝。即ちそれは――他の国を植民地とした超越者が名乗るべき称号。それはとりもなおさず、ジルキルドによる他国の侵略を具申する甘言だった。それをまだ九歳になったばかりの少女にしろと、かの魔女は恥じらう事なく語ったのだ。
古参の臣下は、これを嘲笑した。王が若い内は内政を固めるべしと、強くマトリスに忠言した。いや、仮にジルキルドが侵略戦争に乗り出し、敗北でもすれば全てを失いかねない。彼等の危惧は其処にあり、その為、彼等はかの魔女の排斥を画策する事になった。
しかし、ここで青天の霹靂が起きる。彼等にとって計算違いだったのは、マトリスがかの魔女に興味を抱いた事。理由は今でもわからない。ただ歴史的事実を挙げるなら、なぜか彼女は素性も良くわからないかの魔女を重用したのだ。
そして――魔女の暗躍は始まった。
今より五年前ジルキルドは初めて侵略戦争を起こし、ランドゲルとマンスを陥落させる。その裏では、かの魔女が怪しげな魔術でこの二つの国の重鎮達を誑かしたとの噂だ。マンスが奴隷を用いた戦術も、かの魔女がマンス王に対し囁いた物だと言われている。
いや、事実は未だに闇の中だ。
が、かの二ヵ国を落した事で、ジルキルドが帝国を名乗った事は間違いない。五年もの歳月をかけ、確実に他の国々を落すべく用意を整え様としているのも本当だろう。
事実、この時になってかの魔女、カサアラナ・クレネストはその少女を引き連れ帰還する。ジルキルド王宮でかの少女は、否応なく多くのジルキルド貴族の衆目を浴びる。
少女を引き連れたカサアラナは、開口一番こう告げた。
「陛下。わたくしめは、このたび天啓を得ました。かの――セフィニティー・サーハス殿を味方につけたのが、その証しです」
カサアラナが仮面の中で微笑する。同時に、この場に居る貴族達の大部分もほくそ笑んだ。その内の一人が、独り言の様に呟く。
「ほう? 兵も引きつれぬ元女王を味方にしたところで、何になると?」
この嘲りを受け、貴族達の嘲笑はより強くなる。ただ一人、真顔で玉座にある皇帝マトリスは、未だ言葉を発しない。代りにセフィニティーが、喜々と断言する。
「まことに、その通り。国を追われ、力を失った私めに、カサアラナ殿は何を望んでいると言うのでしょう? 今の私に出来る事があるとは、とても思えませんが?」
だがその途端、セフィニティーを揶揄した貴族が呻き声を上げ、卒倒する。
それを見て、貴族達は色めきたつ。
「……な、何を、した? ……きさま、ルッデンドルフ殿に、何をしたのだッ?」
「まさか。あなた方が仰る通り、無力なこの私に何ができるというのです? その方は単に、気分が悪くなっただけでしょう」
この時になり……初めて貴族達は、目の前に佇む元女王に畏怖らしき物を覚える。
彼等は尽く沈黙し、その静寂を今度はカサアラナが埋めた。
「そうですね。さしあたっては、セフィニティー殿には――国を一つ落として頂きましょう」
「国を一つ? ああ、そういう事」
カサアラナが言わんとする事を、セフィニティーは即座に理解する。
彼女は、平然と首肯した。
「了解いたしました。非才な身なれど、ここはマトリス殿のため、私も全力を尽くす事にします。それでよろしいでしょうか、マトリス殿?」
皇帝の器量を測る為、セフィニティーはマトリスに話かける。
返ってきた答えは――十四歳の少女とは思えない威厳に満ちた物だ。
「さすがは、サーハスの元女王。下手に出ている様で、一度たりとも頭を垂れぬその気概は、正に王の器そのもの。予もあなたの様な矜持を以て、皇帝としての責務を果たしたい物だ。そうは思わぬか、皆?」
「……は、はい。皇帝陛下の、仰る通りかと……」
「そのあなたが国を失ったと言うのは、まことに残念だ。どうだろう? あなたさえ良ければ予がサーハスを取り戻してもかまわぬが?」
不遜とも言えるこの提案を耳にし、セフィニティーの眉は一瞬はね上がる。
「それは、勿体ないお言葉です。つまり、ジルキルドはサーハスと同盟を結びたいと仰っている? そう解釈してよろしいのでしょうか?」
「あなたが女王の座に返り咲くなら、それも吝かでは無いという事だよ。我等は実に良き隣人になれると思えるのだが、これは間違いかな?」
確かに正当なるサーハス王である彼女をたてれば、大義名分はジルキルドにもたらされる。ジルキルドがサーハスを攻め落としやすくなるのは、間違いない。
一方セフィニティーはジルキルドに貸しをつくる事になり、その借りを返す必要に迫られる。臣下が元女王の怪しげな魔術で倒れる様を見ても、マトリスは冷静にそう計算した。セフィニティーは即座にそう看破し、思わず微笑む。
まずは、まあ、合格かなと言わんばかりの様子で。
「ですが、サーハスは恐らく手強いかと。それだけは心に留めておいて下さい、マトリス殿」
それだけ言い残し、セフィニティーは踵を返す。侍女に〝くつろげる場所は無いか?〟と訊ね、彼女にその場所まで案内させる。
この我が物顔を前に、貴族達は内心、腸が煮えくり返っていた。
彼等のその様さえマトリスはある種の余興と捉え、喜悦する。
「気付いていると思うが――あの者は必ず裏切るぞ、カサアラナ」
その上で――この発言なのだ。カサアラナとしても、もう笑うしかない。
「はい。裏切るでしょう。ですがそれでも彼女は、一度に限り此方の要求を呑む。要はそれまで使えれば、十分かと」
「成る程。だが流石のそなたも、誤算が生じたな。やはりそなた抜きでは、キリコの獲得は叶わぬらしい。予に無駄足を踏ませた償いは、してもらうぞ」
「セフィニティー殿を味方につけただけで足りぬと仰るなら、喜んで仰せに従います。では、早速参りましょうか。今度こそ――キリコの獲得を成すべく」
マトリスが立ち上がるのと同時に、カサアラナはあの日の様に恭しく道を空ける。
かの皇帝は、明日の天気を訊ねる様に、魔女に問い掛けた。
「で、その後は?」
「はい。いよいよ機は熟したかと。無敗なるジルキルドが無敗のまま勝ち進み――天下に号令をかけるべきかと存じます」
その三日後、マトリスはキリコの契約に成功する。
周辺諸国が恐慌したのは、その日の午後。
あろう事か皇帝マトリスはキリコを使い、巨大隕石を呼び寄せ、それを隣国に落す。
かの隣国ナイズは首都ごと崩壊し、ここに滅亡したのだ―――。
◇
私達がその一報を耳にしたのは、マストリアとの交渉に勤しんでいる時だった。
いや、私とルマは立場上その席に同席する訳にはいかない。なので、正確に言えば、それ以外の人物という事になる。サーハス、ウッドウェイの全権大使として、ネコ博士は今もマストリア王と接見中だった。
だが――その時、ネコ博士はトテトテと城を出て此方に歩み寄ってくる。私とルマが眉をひそめていると、彼は極当然の様に告げた。
「今、マストリアの物見から伝令を受けた。どうも東のどこかに――巨大な隕石が落ちたらしい。偶然とは思えんから、まずジルキルドの仕業と考えていいだろう。恐らくナイズあたりに向け、キリコを使ったに違いない」
「……巨大隕石を、国に向け使った? ちょっと、待って。それじゃあ、ナイズ国の人達は、皆、亡くなった……?」
隕石が落ちた……という事はそういう事だろう。仮にこれが地球だとしても、どうする事も出来まい。なら地球より文明が未発達なこの星の人達では、尚更回避不能では……?
「いや、そのへんは心配いらない。メルカリカの話ではアウナもキリコも、どれだけ建築物を破壊し様と其処までらしい。被害に遭った住人達の生命力は一以上残り、死亡する事はないそうだ。だが――これでナイズがジルキルドに落されたのは間違いないな」
表情を変える事なく、ネコ博士は言い切る。彼は更に、最悪のビジョンを提示した。
「そしてこの事実を以て東の国々は、ジルキルドに降伏を迫られる事になる。滅亡か服従かを選択するよう、勧告を受けるだろう。そうなると、未だに西の各国を纏めきれていない我等は実に不利な立場に追いやられる。それを避ける手段は、やはりメルカリカの策しかないな」
「ジルキルドの皇帝に接触し――ダルタリアでキリコを奪うのね? じゃあ、マストリアやラインメデス等との話し合いは、中断という事?」
「そうなるが我ならこの機に乗じ、フォーラやラインメデスあたりに軍を送り、陥落させる。ルッドヒルを有するカサアラナなら、その程度の事、造作もないだろうしな」
「要するに、ナイズの件は囮に過ぎないと……? 彼等の本当の目的は、ウッドウェイ、サーハス、ダッハ、マストリアを孤立させる事?」
「ああ。フォーラとラインメデスを落せば、西と東に挟まれた四ヵ国は挟撃される事になる。そうなれば我等としては更なる苦境に立たされるだろう。それを避ける手は一つだ。我等もルッドヒルでかの二ヵ国に援軍を送り、カサアラナの襲撃に備える。その間にキリコを奪取し――立場を逆転させるというのが理想的か」
まるで自分に言い聞かせる様に、ネコ博士は己の構想を明かす。
私としてもツッコミどころは無く、頷くしかない。
「とにかく、メルカリカ達と合流しましょう。話はそれからだわ」
「だな。ウォレット達も、この異変には気付いている筈だ。と――さっそく来たか」
「……ヒメカ、ネコ博士、ルマ! ついにジルキルドがやったよ!」
ウォレット君を引き連れ、この場に瞬間移動してきたメルカリカが焦燥の声を上げる。ネコ博士は速やかに、先程の策を二人に話す。ルッドヒルを使い、フォーラ、ラインメデスに援軍を送るよう伝える。
これに従いメルカリカはマストリア兵を連れ、フォーラに向かうが、其処で驚愕の事実を知らされる。フォーラから帰ってきたメルカリカ達は、歯を食いしばった後こう告げた。
「やられた! フォーラは、既に落された後だった。……しかも、それを成したのは誰だと思う? なんと――あのセフィニティー・サーハスさ!」
「……セフィニティー? やはり、生きていた……? しかも彼女は、ジルキルドと手を組んでいる――?」
状況から見て、そう考えるのが自然か? 現にネコ博士も、ただ納得する。
「だろうな。恐らくカサアラナあたりに助けられ、その借りを返す為に手を貸したと言ったところだろう。とにかく今は、西の方面に守りを固めよう。いかにキリコの脅威を目の当たりにしようとも、東の国々はジルキルドにそう容易く屈すまい。彼等が降伏する前になんとしてもジルキルドからキリコを奪取する。一応確認しておくが、ジルキルドの城下町に入った事はあるのだな、メルカリカ?」
「勿論さ。この日の為に、ちゃんと作戦も考えてある。勝ち戦に沸き返っている今のジルキルドだからこそ、使える作戦をね。じゃあ行くよ――四人共! こうなった以上、この星の運命はボク達の手にかかっている!」
そう気迫を込めながらメルカリカは私とネコ博士――ウォレット君にルマを引き連れ空間を跳躍。ジルキルド帝国に向け、ルッドヒルを発動させたのだ―――。
◇
ではここで、今更ながら私から見た仲間達を語ってみよう。
まずメルカリカについて。彼女は快活で、前向きで、何時でも楽しそう。頭も切れるし、才能の塊と言って良い、私の命の恩人である。
次にウォレット君。彼は恐らく正義の人で、決して他人を裏切らない。他者を惹きつけるカリスマ性を有し、女性並みに繊細で、その分気遣いが出来る男の子だ。
そしてルマ。あの年頃の少女にしては実に無口だが、いざ喋り出すと物の本質をつく事が多い。実の所、彼女の助言には私も何度か助けられている。このまま成長して欲しいと願ってやまない、可愛い女の子である。
で、最後にネコ博士だが、前述通り私もまだ彼の事は良くわからない。こうして私の借金返済の手助けをしてくれる訳も謎だ。いや、仮に私の貌が好みだからという理由で、本当に手を貸してくれているなら驚きだ。
と、こう並べるといかに私が彼等の事を、表面的にしか知らない事が良くわかる。平たく言えば、私は皆の事を知っている様で何も知らないのだ。
それが当たり前の事なのか、それとも私は彼等の事をもっと知るべきなのか、その辺りからして私にはわからなかった。
多分それは、今のままでも十分仲間としてやっていける気がするから。あるいはこれ以上踏み越えてはならない一線の様の物が、ある様に思えたからかもしれない。
ジルキルド帝国との決戦が迫る中――私ことヒメカ・ヤギはついそんな事を考えていた。
◇
いや、それは私の早合点だった。私達が移動した先は、ジルキルドではなかった。
メルカリカが言うには、其処はかの帝国から半日は離れた森の中との事。
彼女は珍しく真剣な面持ちで、説明を続ける。
「うん。実はルマにやってもらう事があるんだ。この森でウォレットが手放した、イルンクスを手に入れ欲しんだよ」
「……成る程。……イルンクス無しではこの作戦は成立しない、という事ね?」
ルマは即座にメルカリカの狙いを読み取り、微笑む。
「……良いわ。……じゃあ、ちょっと行ってくるから皆は其処で待っていて」
「頼むよ。ヒメカとボクとネコ博士は作戦上、変身させる役に振り当てられないからさ。この件を担ってもらうのは、ルマしかいないんだ」
確かにウォレット君は、イルンクスと二度と契約出来ない。私達も別の役割があるというなら、ここはルマに頼るしかないだろう。
「というか、実は、今日はこの作業だけで終わりなんだよね。ぶっちゃけダルタリアが使えるは明日だし。そう言う訳で作戦決行は明日、という事になる」
「だろうな。そう言った事情を差し引いても、今日はもうルッドヒルを使い過ぎた。ルッドヒルが転移できる回数は、五回。事はその五回分全てを使える、万全の体勢でのぞみたい所だ」
ネコ博士が、それが当然だとばかりに胸を張る。私は首を傾げ、問い掛けた。
「じゃあ、今日はもうフリーって事? 作戦前の、最後の自由時間って事ですか?」
「うん。肩透かしな気分だろうけど、そうなるね。ルマが無事契約できたら、その足でジルキルドに向かおう。宿をとって明日に備え、十分英気を養おうじゃないか!」
いや、それ以前にサーハスとウッドウェイの王様が、こんな所に居て良いんだろうか? 二人には、国を運営するという重大な役目があるのでは?
ふとそう思ったが、今は深く追求するのは止めておく。想像を絶する、厭な答えが返ってくる気がしたから。
その代りとばかりに、ネコ博士は全く別の事を口にした。
「ま、そうだな。恐らくキリコ程の神獣であるなら、使えるのは一日に一回のみだろう。ジルキルド側も、今日はこれ以上動きを見せまい。この猶予時間を利用し、東の国を纏め上げ、ジルキルドに総攻撃をかけるのも一つ手だな」
「……そうなんだ? じゃあ、私達がキリコの奪取に失敗したら、その策を使うと?」
「ああ。各国の主導権争いになるのは必至だが、上手く話が纏まればこの手が使える。ただその場合、ネックはカサアラナだ。かの者がどれだけの力を有しているかによって、話はずいぶん変わってくる」
「そういえば、前から疑問に思っていたのだけど。カサアラナやセフィニティーは、何故その力を以て世界征服を成そうとしないのかしら? セフィニティーに至っては〝一撃で百万の人間を気絶させられる〟とか言っていたのよ? それだけの力があれば全ての国を落すのも造作も無いんじゃ?」
脳裏に過ぎった疑問を、口にする。答えを返したのは、やはりネコ博士だ。
「恐らく彼女達の力には、何らかの制約があるのだろう。例えば、その日使った力は、翌日は使えないとか。それに件の二人とて、全人類が力を合わせれば勝てない相手じゃない。八十騎居るハーグッダを全て使い、グーダーも全て使えばセフィニティーの力を上回る。彼女達が露骨に自身の力を大っぴらにして国々を征服し始めたら、人類の結束が強まる。以上の様な反撃が展開され、討ち滅ぼされる可能性も零じゃない。そういう事態を、たぶん彼女達は恐れているのだろう」
そうか。飽くまで机上の話だが、理屈の上ではネコ博士の言う通りだ。全人類が結束するなんて事があり得るかはさておき、それだけの潜在能力が人間にはある。そう思うと少しだが、私も心強い気持ちになった。
「それより我としては、なぜメルカリカが世界征服など考えているかが謎だ。君は本来、他人を蹴落としてのし上がるタイプではないだろ?」
実に唐突に……ネコ博士は込み入った話題を挙げてくる。それは私も疑問に思っていた事だが、口にして良いか迷っていた話だ。ソレを普通に訊いてくるのだから、やはりネコ博士の面の皮も、アイバス法術長なみに厚い。
「ああ、その事? うーん。ちょっと長い話になるけど、良いかな?」
「……って、メル、それは人に話す様な事じゃないだろッ?」
ギョッとした様子で、ウォレット君がツッコんでくる。メルカリカは、ニパッと笑った。
「ヒメカやネコ博士が、赤の他人ならね。でも、ウォレットだって感じている筈だよ。この二人は、もう何度も共に死線を潜り抜けてきた大切な仲間だって。作戦決行の前日にこんな話をするのは、ボクも死亡フラグだとは思うけどさ。やっぱり、話しておこうと思うんだ」
そこで、ウォレット君は黙然とする。それは〝勝手にしろ〟と言わんばかりの表情だ。
「えっとね、端的に言えばボク達の一家は、ドミナス家の奴隷だったんだ」
「……は、い? メルカリカが、ウォレット君の、奴隷……?」
意味が上手く脳に浸透せず、オウム返しする。メルカリカは、そのまま困った様に笑う。
「ドミナス家って言うのは、クレイダム国では有名な名家なのさ。二十人規模の奴隷を抱えていて、私達の一家もそのメンバーだった。ボクとウォレットは、同じ時期に生まれてね。彼の遊び相手として、良く駆り出されたものだったよ。そんな訳で、ボクと彼は姉弟みたいな関係だったんだ。それもこれも、幸運にもボクが並はずれた記憶力を有していたから。ウォレットの父親もそんなボクに目をかけて、大分厚遇してくれたものさ。……でも、奴隷はどこまでいっても奴隷に過ぎなかったんだ。父も母も、賃金を払われる事なく重労働を課せられてさ。ボクを置いて、たった三十歳でこの世を去った。その事実を知った時、ウォレットは思いもかけない事を言いだしたんだ。こんな家、出てってやるとか言い始めて、あの日彼はボクの手をとって実家から飛び出した。自分の剣の腕と、ボクの頭の良ささえあれば、例え十歳でもやっていけるとか言いだして。いや……今でも笑っちゃうよ。名家のボンボンが地位も名誉も捨てて奴隷と一緒に、自分の家から逃げ出したんだから」
「――逃げ出したんじゃない。こっちの方から、見限ってやっただけだ」
ムスっとした表情で、ウォレット君は断言する。
その様を、メルカリカは何時になく優しい顔で見つめていた。
「うん。あのままじゃ、ボクも酷使され、いつ過労死するかわからなかったからね。それをさせまいと、彼としては必死だったと言う訳。ねー、ウォレット?」
「……うるさいな。だから、その話はしたくなかったんだ。それじゃまるで、俺が本物のバカみたいじゃないか……」
「だね。ボクからみれば、君は大バカ者だよ。きっと君一人では、野たれ死んでいたに違いない。そう言った意味では、ボクの頭の良さに感謝して欲しいね。……と、話が逸れたか。で、その後、ボク達二人は色んな国を巡って行ったんだけどさ。やっぱりどこの国も変わらないんだ。不当な扱いを受ける人達は必ず居て、それを改善しようという考えさえ無い様に感じられた。母や父と同じ境遇の人達は必ず居て、それが常識にさえなっている。その時初めてボクは世界に絶望したんだと思う。この世界には、何の価値も無いって思いさえした。この世界を嫌悪して軽蔑して、心から侮蔑した。……でも、それじゃダメだって思ったんだ。それじゃあの日、ボクの手を取って、一緒に逃げてくれた彼の全てが無駄になる。だから、ボクは自分の力で全てを変えたいと思った。この世界に価値が無いなら、価値があると思える世界に変える。でもそれには――国一つを変えるだけじゃだめだ。世界の常識事態を塗り替える必要がある。確かに人は平等じゃないかもしれないけど、平等であろうと努力する事は出来る。その努力を怠った時、弱者にとってこの世は本当の地獄と化すと思うんだ。ボクの両親の人生の様に、本当に報われない物になる。だからもしボクに敵がいるとしたら、それは今のこの世界の常識ってやつだ。それを倒さない限り、ボクの旅はきっと終わらない。永遠にあの頃の、何の力も無いボクのままだ。それだけは厭だから、こうして出来るかわからない事に挑戦しているって訳。……強いて理由を挙げるなら、そんなところかな」
最後まで微笑みながら、メルカリカは言い切る。私はただ、黙って彼女の話を聴き続けるしかなかった。いや――私が言うべき事はたった一つだけ。
「ね、言ったでしょ、ネコ博士。こんな言い方は不遜に聞こえるかもしれないけど、私より不幸な人なんていくらでも居るのよ。だから、私は自分が一番不幸だとは決して思わない。例え私自身が不幸だとしても、私より不幸な人達に手を差し伸べられる人生を送りたい。今、初めて気付いた。それが――私のするべき事だって」
それは囁く程度の小さな声だったけど、ネコ博士は短く告げる。
「そうか。君は尚も――間違い続けるのか」
その意味を問う事はせず、私はただ雲一つない青空を見上げていた―――。
ルマが戻ってきたは、それから二十分ほど経った頃。この間、何があったか今は伏せるとして、私達五人はそのままジルキルドへと歩み始める。夜には目的地に到着し、そのまま宿に直行して、さっさと床につく。
明日全ての決着がつくと予感しながら――私はその日、早い時間に眠りについたのだ。
◇
そして――最終決戦の幕は上がった。
今も戦勝に沸くジルキルドの城下町を、私達は闊歩する。この間に、メルカリカは作戦の全容を説明した。
「まずボク達がするべき事は、ある貴族を拉致監禁する事。その貴族には、もうあたりをつけている」
「……成る程。……で、その貴族と従者に変身したメルカリカ達が、ジルキルドの王宮に忍びこむと?」
ルマの質問に対し、メルカリカは力強く頷く。
「そう言う事。ジルキルドは昨日の一兵も損なわない大勝利に沸きかえり、今日も祝宴をあげるつもりさ。ジルキルドの貴族なら、その席で皇帝に近づく事は難しくない。というか、ここは絶対見つからない様にマトリスに接触する。ヒメカの――シュンシャを使ってね」
イルンクスとシュンシャの、コンボ。それがメルカリカの策だった。
「で、それが済んだ後は、ルッドヒルを使いジルキルドから即座に離脱するという訳か? 了解した。我としても、特に異議を唱える必要がない作戦だ。では、早速その貴族殿を拉致監禁しようではないか」
なんだか……本当に犯罪者集団じみてきたな、私達。いや、国を落そうと画策した時点で私達は十分犯罪者集団なのだ。
だと言うのに私達が容疑者扱いされていないのは、その難局を尽くクリヤーしてきたから。どれだけ犯罪的行為を行っても、最後に勝てばその事は正当化されてしまう。
歴史的に見てもそれは、確かだろう。どこぞの国も条約を破って攻撃してきたのに、勝利した後は何の咎目を受けていない。事のつまり発言力とは、勝利者のみが手に出来る。それは世界の真理とさえ言えた。
そう考える私は、十分危険思考の持ち主と言えるのだが、これも世界平和の為だ。ここは喜んで、赤の他人を拉致監禁しようじゃないか。例えこの場に父や母が居て、殴ってでも私を止めようとしたとしても。
そこから先の展開は、実にはやかった。
私達はミラルド・オーランという貴族の家に忍びこみ、速やかにザンスムントを使用。一家全員だけではなく、使用人達もみな気絶させる。そのまま途中で雇った路上生活者さんが操る馬車に乗り込み、ジルキルド城へ向かった。
城門の検問に差し掛かる頃、イルンクスを発動。オーラン夫妻とその息子に化け、検問を通過する。体よく難攻不落のジルキルド城に侵入し、パーティ会場を目指した。
皇帝の間で開かれているというその祝宴会場に私達が潜入したのは、その五分後。其処には既に王座に座る十四歳位の少女が居て、私は彼女がマトリスだと確信する。
この時になって、私は初めてメルカリカに基本的な事を訊ねた。
「えっと、それでダルタリアの発動条件は? どうすれば、他人から神獣を奪えるの?」
「んん? ただ五秒間、標的に接触すれば良いだけだね。それだけで目的は達成できる訳だけど、思ったよりガードが固いなー。常に兵士が、この場に居る全ての人達に目を配っている。やっぱりここは――ヒメカのシュンシャに期待するしかないか」
因みにミラルド氏はメルカリカが扮し、私はその奥方である。ウォレット君は夫妻の子供でネコ博士はその飼い猫という事になっている。ルマは馬車の中で私達の帰りを待ち、神獣の行使をしている最中だ。
私が実行犯に選ばれたのは、有事が起きたら一暴れしてジルキルド側の目をくらます為だろう。ネコ博士は危機的状況になったら助言してもらう為、一緒に来てもらったといったところだ。子供に扮したウォレット君が居るのは、その方がみな油断するからだと思う。
「というか、皇帝の傍に立っているのが……もしかしてカサアラナってヒト?」
マトリスと思しき少女の斜め前に佇んでいる、仮面の人物に目を向ける。
メルカリカは、小声で肯定した。
「うん。このイヤな感じは、たぶん間違いないね」
「そう。あれが――カサアラナ・クレネスト」
いや、実は中身は偽者、という可能性もある。何せあのヒトは本当にフルフェイスの仮面を被っていて、性別さえわからない。別人があの仮面を被って、かのヒトに成り切っているとしても、不思議ではあるまい。
その一方でメルカリカは、ただの直感ながらあれこそカサアラナだと告げた。正直それが正しいか私にはわからないが、その代り別の事が脳裏を過ぎる。
「いえ。確かにこのコンボなら皇帝に近づけるけど、その逆もあるんじゃない? それしか方法が無いからこそ、ジルキルド側もこの作戦を警戒しているんじゃあ?」
「そうだよ。よくわかったな」
ネコ博士が、当然とばかりに言い切る。
……おい。何だ、その清々しい迄に絶望的な返答は?
「だが、その反面、イルンクスとシュンシャを無力化させるのは難しい。恐らく〝神獣の干渉を全て防ぐジーニエス〟しか、この両者を防ぐ術は無いだろう。メルカリカがこの作戦に踏み切ったなら、かの神獣を有する者はいないという事だ」
「だね。さっきヌーバで調べたけど、未だジーニエスを有する人は居ない。だから少なくてもジルキルド側は、神獣を使ってボク達の作戦の妨害は出来ないって訳」
では……ジルキルド側はどんな策を以て、私達に対抗するつもりだろう? 私が眉をひそめる中、ネコ博士は普通に断言した。
「いや、あの玉座に座っているのは――恐らく影武者だ。あれはマトリスじゃない」
「影武者――? ……そっか。それなら確かに私達も、対応策が無くなる。今から本物のマトリスを見つけ出す時間なんて、無いもの」
イルンクスの召喚時間は、十分。つまり後五分で、変身の効果は切れる。シュンシャで縮小するという保険がまだ残されているが、それも三十分限りだ。
その短い時間内にこの広い城中を捜索し、人相さえわからないマトリスを探し出せと?
それはほぼ――不可能と言える現実だった。
「と、普通は思うのだろうが、マトリスとは中々いい性格をしているらしい。勝負あったな」
「……はい? それは一体、どういう意味です?」
ネコ博士は、十時の方角に目をやる。
「あの壁際に居るメイド、さっきから給仕をしていない。この場に居る貴族達も、彼女には何の注文もしていない。だとしたら、どうやら活路が開けそうだ」
「……要は、あのメイドがマトリスだって言うのか? 彼女は飽くまでこの場に陣取り、事の一部始終を見届けるつもりだと? だとしたら確かにマトリスは性格が悪く、ネコ博士は中々の名探偵ぶりだ」
苦笑いする、ウォレット君。だったら、私達がするべき事は一つだろう。
「ああ。行くぞ、三人共。――これで決着だ」
私達四人はさりげなく、件のメイドに近づく。後、四メートルという所まで迫る。
その時、思いもかけない事態が起きた。
実に唐突に――私とメルカリカとウォレット君の変身が解けたのだ。私達の姿は本来の物に戻り、思わず唖然とする。
けど……何故だ? イルンクスの効果は、後三分は残っていた筈なのに―――。
「そうか――マストリアがイッドヘルを使い、ルマを本国に瞬間移動させたな。恐らくマストリアは今、どこかの国と交戦状態にあるのだろう。その援護をさせる為に、マストリアはルマを呼び戻した。イルンクスの力も、流石にマストリアからジルキルドまでは届かない」
マストリアが交戦状態で……ルマが戦場に駆り出された? その事実が私の意識を僅かに軋ませるが、何とか我に返り挽回の策を為す。
即座にシュンシャを発動させ、私はメルカリカとウォレット君を両脇に抱える。ネコ博士を肩の上に乗せ、常人以上を速度で件のメイドへと走り寄った。
幸い縮小化した状態でも、運動能力は私の方が上だったらしい。例のメイドも即座に三時の方角へ地を蹴るが、それより速く私達は彼女の体にとりつく。ウォレット君がスカートの端にぶら下がり、私は叫ぶ様に彼女に告げた。
「今よ、メルカリカ! 彼女に触れ、ダルタリアを発動させて!」
「了解!」
メルカリカが、虎の姿をしたその神獣を具現する。後はこのまま五秒間、耐え続けるだけ。けれど、その五秒間が今は永遠に思える程、長い。後四秒という所で、異変に気付いたカサアラナが、私達に指を向ける。
だが幸いというべきか、かのヒトもまだ縮小した私達の姿を見つけてはいない。残り一秒と言った所で、遂にカサアラナの指が私達に照準を合わす。
その瞬間――メルカリカが、遂に口角を上げた。
「――やった! やったよ――皆!」
同時に――私達の姿はジルキルド宮殿から消失したのだ。
◇
キリコの奪取に――成功する。
その上で、私達はシュンシャを解き、一気にサーハスまで瞬間移動した。
だがその最中――あろう事かカサアラナとあのメイドが、この場に現れる。
カサアラナもルッドヒルを使えるので瞬間移動出来るのは、わかる。でも、なぜ私達の移動先を看破できた? 私が疑問に思う中、ネコ博士が声を上げる。
「不味いな。このままだと、前回のサーハス戦と同じ規模の被害を受けかねない。この場は一旦、別の場所に移動しよう」
「別の場所って、ボク等がここで逃げたらカサアラナは絶対サーハスを攻撃するよっ?」
「それは無い。ここまで追って来たという事は、飽くまであの二人の狙いは我等だろう。意図はわからんが、何か考えがある様だ。それは次に瞬間移動してみればわかる。仮に彼女等が追ってこなければ、またサーハスに戻れば良いだけだろ?」
この異常事態を前にしても、ネコ博士は冷静だ。
メルカリカも渋々ながら、ネコ博士の意見に従った。
「……って、またッ? あのヒト、一体どんな手を使ってボク達を追ってきているのさっ?」
今度は見知らぬ高原に移動したと言うのに、やはりカサアラナ達は其処にも現れる。
ここまで来て、ネコ博士は一つの仮説を唱えた。
「恐らく――探知か追尾の能力だな。その力で――カサアラナは此方の動きを追跡している」
「――た、探知か追尾っ? けど、そんな力を持った神獣なんて居ないよッ?」
メルカリカが、三度目の瞬間移動を為す。
それでも追ってくるカサアラナを見て、ネコ博士は目を細めた。
「そうだ。それこそが、たぶんあの者の能力。あの者は――〝どの神獣も有していない能力を保有している〟に違いない」
「……〝神獣が持っていない力を使える能力〟だってッ? やっぱりまたこのヒトも、びっくりニンゲンの一人かー!」
愚痴る様に、メルカリカが絶叫する。同じく私も、いよいよ臨戦態勢をとるところまで追い詰められていると感じていた。ついで、メルカリカは四度目の瞬間移動を果たす。
その瞬間、ネコ博士は思いつめた様に口を開いた。
「なら、仕様が無いな。こちらも――奥の手を使おう」
お蔭で私はこの時――思わず嗤い出しそうになったのだ。
◇
私達の周囲に静寂が訪れたのは、数秒後の事。其処は、何も無い空間だった。ただ酸素だけはあって、お蔭でこうして生存出来ている。私は恐る恐る、ネコ博士に訊ねた。
「……えっと。ここはもしかして、アレなのかな?」
「ああ――五次元ポケットの中だよ。恐らく次元が異なるこの空間までは、カサアラナも探知できまいと思ってな。実際、今のところ何の動きも無い様だ」
何かもう……本当に嗤うしかない状況だ。まさかこんなネタ的なアイテムによって、救われるとは。いや、まだ救われたと判断するには、早いのだけど。
「……そうだな。問題は、このアレ世界から出た後だ。あの二人は、それでも俺達を探知できると思うか?」
「どうだろう? 我としては一度探知から逃れた者は、その者を再発見するまで探知不能だと思うが? その程度の制約は、恐らくあるのではないか?」
半信半疑な様子で、ネコ博士は考察する。彼は、尚も提案した。
「ま、どっちにせよ、後十分はこの場に留まろう。その間に我も、今後の作戦について考えておく」
「……そうね。マストリアに召喚された、ルマの身も心配だし。何としても、この場で決着をつけないと」
「いや、多分その辺りは心配いらない。ルマの主戦力は――アウナだ。例え二、三万の兵が攻めてきても、返り討ちになるだけ」
ネコ博士の、言う通りだ。ルマが現在有している神獣は――イルンクスとアウナ。アウナと言えば隕石を降らせるという、キリコに類する能力を持ったAランクの神獣である。
「でも前から不思議に思っていたのだけど、なぜルマみたいな子供がアウナを有しているの? ルマには悪いけど、まだ子供である彼女がアウナと契約するのは難しいと思うのだけど?」
「ああ、その事、か。それはデミニオン家が、アウナを継承する家系だからだろうな」
「……アウナを継承って、私が代価を払ってルマの神獣を買い取ったみたいに?」
けど、ネコ博士の返答は微妙に違った。彼は、真剣な面持ちで言い切る。
「基本的には、そのラインに沿っている。だが、アウナ程の神獣となると、その条件はもっと過酷だろう。恐らくアウナの継承の条件は、術者の寿命を削る事だ」
「……術者の寿命を削る、ですって……?」
「そう。恐らくAランク以上の神獣は金銭による交換が出来ない。故に譲る側が寿命を半分縮める事で件の神獣は譲渡可能となる。つまりルマに対しアウナの譲渡が行われたという事は彼女の近親者は寿命が縮まっている。多分本来の半分ほどしか、かの人は生きられないだろう」
「なんですって……?」
ルマの親族が……半分の寿命しか生きられない? この星の住民の平均寿命は八十歳程だから、四十歳程しか、その人は生きられないと……?
「なんで、そんな、バカな事を……?」
意味がわからなくて、私は愕然とする。ネコ博士は一度だけ視線を逸らした後、続けた。
「それは、彼女の家族が愛国者だからだろう。かの人は誰より母国を愛し、マストリアの主権を尊重している。その国を守る為なら、喜んで命だって懸けるつもりなのだろう。多分、ルマがこの戦争を早く終わらせたいのは、だからだ。この戦争を終わらせ、アウナとの契約さえ解除すれば寿命が減った人物を救えるかも。彼女はそう考え、例え祖国を裏切る事になろうとも我等に協力している。彼女の決意は本物で、我の目から見てさえソレは尊い物だ。恐らく――これがルマ・デミニオンの事情だよ」
「……ルマが」
あの子に、そんな重すぎる背景があったなんて。たった十歳の少女が、そんな事態に晒されている。きっと彼女は私達に気を使い、その事を相談さえしなかった。ルマは、今もずっとその事を胸に秘め、必死にこの現実と戦っている。
……私は仲間、失格だ。そんな事にさえ、気付けなかったんだから。
「……いや、それはボクの台詞だよ。ボクは初めて会った時、そんなルマを軽んじた。彼女があの時怒ったのは、実に真っ当な感情だったんだ。ボクは命懸けで国を守ろうとしている彼女の家族を、侮辱したも同じなんだから。……だから、謝らないと。何としてももう一度彼女に会って、ボクはルマに謝る。それが、ボクがするべき事だ……」
珍しく俯きながら、メルカリカは心から後悔する様に告げる。私はそんな彼女に声をかけられず、ただ歯を食いしばる。
だが、その時、彼方より聞き覚えのある声が響いた。
「そう? だとしたら相変わらず、羨ましい限りの友情です」
ついで――彼女、セフィニティー・サーハスは喜悦したのだ。
◇
「何故……彼女がここに?」
目前に佇む大敵を前に、私は眉をつり上げる。
ネコ博士はセフィニティーを見つめながら、言葉を紡ぐ。
「たぶん、彼女のルッドヒルは、一度会った事がある人間のもとに移動する事も可能なのだろう。だが、まさか次元が違うこの世界にさえワープできるとは、我も思わなんだ」
「あら。私が言いたい事は、みな代弁してくれるのね? 流石、猫の姿をした賢者殿」
やはり、喜々として彼女は語る。その刹那――私の躰は弾けた。
今度こそ彼女と決着をつけるため空間を弾き、セフィニティー目がけて突撃する。
「へえ? やる気ですか? ですが、今度はあの時の様にはいきませんよ?」
「ええ。それは――こっちの台詞」
速攻で勝負をつける。でなければ、今度こそメルカリカ達の身が危うい。そう判断し、私はあの戦法を試す。ルマが教えてくれた――あの戦法を。
まずザンスムント(※一撃で三千の兵を気絶させる)を召喚。今度は巨大な蝶の姿をしたマルチバス(※人間を五百名強制移動)を召喚し、マルチバスに触れる。
後はその繰り返しだった。拳状の姿であるグーダー(※攻撃力を千名高める)、牛の姿をしたズー(※敵兵を百名倒す)を召喚。
更に馬の姿をしたジーザー(※焔を吐く)――ズスムント(※あらゆる武器をもって戦う)を連続召喚する。
その時、セフィニティーは確かに刮目した。
「まさか、そういう事っ?」
「多分、当たりよ――!」
ズスムントに両手で触れていた私は、ザンスムントに飛び移る。これでザンスムントが消失する事は無ない。
そのままザンスムントに攻撃させるが、セフィニティーはハーグッタで防御する。だがその後、私はズーへと跳躍。三時の方角からセフィニティーを攻撃させる。
セフィニティーはやはり即座にハーグッタを使用するが、私は直ぐにマルチバスへ移動。敵を遠方に飛ばす能力を発動させる。
けれど、それさえセフィニティーは三つ目のハーグッタで防いでみせる。
「でも、それもこれで終わり!」
現在、セフィニティーは、三つの神獣から同時攻撃を受けている。更に、前回の戦闘から察するに、彼女が併用できる能力は三つだ。それはウラナにギーガー、グーダーの二つしか力を上乗せしなかった事が証明している。なら、四つ目の攻撃であるズスムントは防御できまい。
その確信と共に私はズスムントに飛び移り、マシンガンを具現させ彼女を攻撃する。
けれど――そこで計算違いが起こった。セフィニティーは、四つ目の能力を使用する。ルッドヒルを使い、あの場から消失し、九時の方角へ移動してみせた。
「……そう。やはり、そう言う事。まず六騎の神獣を召喚する。それから十秒で消える神獣に次々飛び移る。それを連続でし続け、六騎の神獣の同時召喚を継続する。こんな事は並はずれた運動能力を持った――あなたやカサアラナくらいしか出来ないでしょうね」
不敵な笑みを以て、セフィニティーは語る。そんな彼女を、私も笑ってみせた。
「ええ、その通り。でも、驚くのはまだ早いわ。これは私の策では無く、何と十歳の女の子が思いついた作戦なんだから」
途端、セフィニティーの笑みは一瞬消えるが、彼女は直ぐに余裕を取り戻す。
いや……違う。彼女は臨戦態勢を解き、ただ私達に向き直る。それはセフィニティーの生命力の表示が、消失した事が物語っていた。
「――何のつもり? まさか、降参でもする気とか?」
「意味合い的には近いかもしれません。今の所、私はあなた達と戦う意思はありませんから」
「そうか。お主、ヒメカとカサアラナを相討ちさせるつもりだな? その為の情報提供でもしにきたか?」
「やはり、聡いヒトが居ると話が早くて助かりますね。その通りですよ。私が今日あなた達を訪ねたのは、ヒメカさんの出自を語る為。あなたが何者か、教える為にやってきました」
ならば、私は思わず呼吸を止めるしかない。
「……私の出自? 前に言っていた戯言の続きでも、聞かせてくれるって言うの?」
「そういう事です。では、何時カサアラナが現れるかわからないので端的に説明しましょう。私やカサアラナ、それと恐らくあなたは――神獣王の娘です」
「神獣王の、娘、ですって……?」
意味がわからなくて、私はメルカリカに目を向ける。
けれど、彼女でさえ首を横に振った。
「……いや、それはボクも知らない。神獣王なんて存在が、居たなんて事は」
「それも当然です。かのヒトは、この世界とは別の理で生まれた存在ですから。神獣王とは全ての神獣を生み出した存在で、だから王の名を冠している。その中にあって、私達は別格の生き物と言って良い。何せ私達は神獣王であるお母様と、人間であるお父様との間で生まれた、神獣と人間のハーフだから」
「……神獣と、人のハーフ? だからこそ、私達は様々な異能を持っていると……?」
私の問いを前にして、セフィニティーはただ笑う。
「ええ。そのお蔭で既に齢五十を超える私だけど、十七歳の肉体と精神性を有しているわ。でもその為か、神獣王に一つの誤算が生まれたの。私達を生んだ所為か、日に日に彼女の力は衰え始め、私達を御す事が難しくなったんです。神獣王の後継者になるべく争い始めていた私達姉妹を、彼女は止める事さえ出来なくなった。で、ここから先は私の推測なのだけど、あなたはそんな私達を止める為に生み出された存在なのではないのかしら? 神獣の力を以て人を支配しようとしている私達を倒す為に、母はあなたを生んだ。あのヒトはお父様だけでなく――全ての人間の事も愛しているから」
私は――セフィニティー達を倒す為に生まれてきた?
それが私の、存在理由だと言うのか?
「恐らく、事実だろう。神獣王は生まれたばかりの赤子であった君を、安全な場所に転移させた。君が地球に送られたのは、そういった理由からだと思う」
と、ネコ博士は言葉を一旦切り、意を決した様に私へと向き直る。
「だが、君にはショックな話かも知れないが――実はもう地球なんて星は無いんだ。今から五百年も前に――かの星は消滅しているから」
「……は、い?」
今……このヒトは、何と言った?
私は己の耳を疑いながら……当たり前の事を口にする。
「な、何を言っているのよ、ネコ博士は。私は確かに数十日前まで地球という星で、生活していた。普通の女子高生として、毎日を平凡に浪費していた。それだけは――間違いないわ」
「いや、我の言っている事も事実なのだ。実際、この星の住人達は消滅する前の地球からやって来た移民者だから。その証拠に、君とこの星の住人達は言葉が通じているだろ?」
今まで気にも留めなかった事を、ネコ博士は言い切る。
確かに私とメルカリカ達は、日本語で会話をしている。
「……で、でも、某有名バトル漫画でも、宇宙人と地球人は言葉が通じていたわ! 異世界物のアニメとかでも、言語の違いは無かった! 私はそのお蔭で言葉が通じていたと思っていたのに、ネコ博士は違うって言うのっ?」
第一、五百年も前に消滅した地球に、なぜ私は住んでいた? 私はこの星に召喚された時、未来の世界にでも足を踏み入れたとでも言うのか……?
「いや、全ては『死界論』で説明がつくのだ。元々この世界は一つの知性体でな。その知性体たる〝彼女〟が戦いに敗れ時〝彼女〟は自我を失った。その自我を再生する為に宇宙は生まれ人が存在する様になり、様々な概念が生まれた。〝彼女〟が失った知識を人に再生させ、この宇宙と融合し、元の知性体として復活する為に。だが――〝彼女〟は余りに身持ちが固くてな。自分だった者以外の自我は、受け入れようとしないんだ。無理に〝彼女〟以外の存在が融合を図ればその瞬間、宇宙は停止する。これが文字通り死んだ世界――『死界』と呼ばれる物だ。その数は、平行世界を合わせ七十兆個に及ぶ。君はその内の一つに送り込まれたのだろう。神獣王としては〝絶対に安全な場所に君を避難させる〟と思っただけだろうが、その結果がこれだ。君は『死界』の地球に送り込まれた。現世の存在である君が『死界』に送られた瞬間、とまっていたその世界は再び動き始めた。そこで人間として生活していたのが――君こと矢木妃花なんだよ」
私が『死界』に送り込まれた事で……もう一度その世界は動き始めた? それまでは、その世界は停止していたと……?
そうか。そういう事か。
私と会った時、なぜネコ博士が私に興味を持ったのかやっとわかった。彼は消えた筈の地球からやって来たと告げた私に、疑問を抱いたのだ。既に無くなった筈の地球からやって来たという矛盾を、私が口にしたから。
でも、だとしたら、まさか、そういう事……?
「……なら、私が居なくなった事で、私が居た世界は、また停止した? 私の父や母も、また人として活動できなくなった、というの?」
「……そうなるな。恐らく神獣王のシナリオは、こうだ。君はカサアラナ達に対抗できる年齢になったら、この星に召喚されるよう設定されていた。本来、現世から『死界』に行った者は年をとらない。だが、君は年をとる事が『死界』に辿り着く条件だった。そのプログラムに従い君は『死界』から離脱し、この星へと戻ってきた。君の兄はその召喚に巻き込まれ、この星に送られたのだろう」
「……兄さんが、私の巻き添えになった?」
だとしたら……なんて愚かな勘違い。私達は偶然この星に飛ばされた訳でなく、全ては計算され尽くされた結果だったのだから。しかも兄は私の巻き添えとなり、この星に召喚されたと言う。本当に、なんでこんな事に、私は気付かなかったのか―――?
「じゃあ、ネコ博士は、そんな私を哀れんで、力を貸してくれた?」
が、頷くと思っていたネコ博士は、首を横に振る。
「いや、それは違う。全ては、ささやかな贖罪の為だ。……実の所、我は自分で言うのも何だが宇宙でも一、二を争う天才なのだ。我に匹敵する存在などエルカリス・クレアブルやキロ・クレアブルくらいだと思えた程に。その我がつくり出したかったのが――〝彼女〟だ。我は人工的に〝彼女〟をつくり出し、それを世界に融合させ、世界がどうなるか知りたかった。それは、かのエルカリス・クレアブルでもなしえなかった事だから。そして我はある『死界』に赴きその〝彼女〟が適合できるか試したが、その結果はこうだ。その『死界』は消滅し、我は本当の意味で一つの宇宙全てを消滅させた。我は其処に住む全ての生物達に、今度こそ致命的な一撃を与えてしまった。その事実を知った時――我は自身が持つ全ての知識を放棄する事にした。この時になって如何に自分が危険な存在か思い知った我は、その教訓となる記憶だけ留めた。それ以外の研究データーは、全て破棄したのさ。この星に移り住み、ここに骨を埋めようと考えたのも、だからだ。……だが『死界』から来たであろう君が我のもとに訪れた時、思ったのだ。もしやこれは、天が我に与えた償いの機械なのでは、と。君の力になる事こそが我に出来る最後の事ではないかと考え、我は君に同行した。実際――君は我の生きる理由になってくれた。君があの日訪ねてくれなければ、我は自責の念によって、自ら命を絶っていたかもしれない。そう言った意味では――君は間違いなく我の命の恩人だろう」
「……私が、ネコ博士の恩人? 私こそ、貴方に助けられ続けてきたっていうのに?」
けれど、確かにネコ博士は、一筋だけ瞳から滴を流す。それは間違いなく、涙と言える物だった。何事にも動じないあのネコ博士が、泣いたのだ。
「……ああ。私、猫が泣いたところ、初めて見た」
「ああ。我も人前で泣いたのは、たぶん初めてだ。そして、君さえ良ければこう提案しよう。『死界』に赴く方法については、記憶から消してしまった。だから君と初めて会ったあの日、地球に帰る方法は〝ほぼ無い〟と言った。だが、十年単位で研究すれば、『死界』に戻る方法は見つかるかもしれない。絶対とは言い切れないが、我も死力を尽くすつもりだ。故に、我に後十年の猶予を与えてくれまいか? そうしてくれれば、我は君が望む通りにしよう」
「私はまた、母さん達に会えると?」
息を呑みながら問い掛けると、ネコ博士は首肯する。
彼は常の無表情になりながらも、私に確かな誓いを立てる。
けど――その時になり、何故か彼の顔色が変わった。
ネコ博士は眉をひそめながら、こう告げたのだ。
「まさか――そんな事が可能なのか?」
「――なに? 今度は何が起きたのさ?」
メルカリカが問い掛けると、ネコ博士は天を仰ぎながら悔む様に歯ぎしりした。
「カサアラナ達の目的が、わかった。彼女等の目的は、ヒメカの生命反応を消失させ――君の兄をこの地におびき寄せる事だ」
「……は、い?」
私は本当に意味不明とばかりに――首を傾げたのだ。
◇
ネコ博士が、右手を上げる。それだけで私達は、現実世界に帰還する。
だが、見れば其処には、思いもかけない物が浮いていた。
「宇宙船……! 確かにアレは、数十日前、私がマストリアで見た物と同じ船! ……でも、なぜ今になって?」
「それは、さっきも言った通りだ。恐らく宇宙船を使い宇宙に居る時も、君の兄は君の生命反応をサーチしていたのだろう。その反応が消えた事で、兄君は君の身に何か起きたと知り、こうしてこの星へと帰還した。全ては――君の安否を確認する為に」
思いもかけない事を、ネコ博士は告げる。兄が、私の身を心配した? そんな事があり得ると?
「そうね。私もこの策を思いついた時は、流石に自分を嗤ったわ。まずもって、ヒメカさんのお兄さんが、あなたの身の安全を知る術があるか疑問だったから」
その声に促され、私達は十時の方向へ目を向ける。
其処には仮面を被った異形のヒトと、メイドの姿をしたジルキルド帝国の皇帝が居た。
「でも仮にこの仮説が正しいなら、ヒメカさんさえ窮地に陥れば全ては上手く良く。あなたの兄君はあなたが危機的状態になったと知り、何らかのアクションを起こす。一種の賭けではあったけど――どうやら私達はその賭けに勝った様ね」
つまり……カサアラナ達もマストリアで起きた一連の事件を知っていた? かの船の存在と、私の兄がそれを乗り逃げした事も把握していたというのか――?
「ええ、そう。一日に一回しか使えない兵器より、あの船の方が余程効率よく他の国々を攻撃できる。キリコを囮に使った甲斐があった、と言う物だわ」
「だな。キリコもフォーラの占拠も、全てはこの時の為の布石。どうやら五次元ポケットを使った我は、上手く君の思惑にのってしまったらしい――カサアラナ・クレネスト」
「ええ、それも些細な偶然なのだけど、協力、感謝するわ――ネコ博士」
同時に、カサアラナ達の姿が消失する。代りにその場には――私の兄が立っていた。
「……に、兄さんっ?」
「ひ、妃花! 無事だったのかッ?」
いや、それ以前に何が起きた?
これではまるで、兄とカサアラナ達の位置関係が逆転したかの様じゃないか。
「様ではなく、その通りです。カサアラナは一定区画内に居る人物と、その位置を入れ替える事が出来るの。もしその男性があの船を操縦できる場所に居たとしたら――今そこに居るのはカサアラナ達よ」
珍しく眉間に皺を寄せながら、セフィニティーはかの船を見上げる。
その直後、かの船は空高く上昇し始めた。
「……正しく、最悪の事態だな。こんな事なら我もウォレット達の祖先の様に、一隻位は船を残しておくべきだった」
「……要するに、あの船は地球が消滅した時つかわれた、移民船?」
「そうだよ。縮退炉搭載型の、恒星間航行用の戦闘戦艦だ。今の文明で、あの船に対抗できる兵器は存在しない。ヒメカのズスムントでも、アレを再現し切れるかは疑問だ。あの船は、ヒメカの常識からも逸脱した存在だから」
「と、とにかく、今は一先ずマストリアに向かおう。ルマの身も心配だし、これからの対策を立てなくっちゃ!」
メルカリカが、尤もな事を提案する。言うが早いか、彼女はルッドヒルを使用し、気付いた時には私達はマストリアに到着していた。
「……ヒメカ、メルカリカ、ウォレットに、ネコ博士! ……皆、無事だったのね? ……ごめんなさい。……私、肝心な時に、こんな事になって」
マストリア城の眼下には、薙ぎ倒されたどこかの国の兵達が居る。ネコ博士が言っていた通り、ルマの参戦によりマストリアは敵兵を退けた様だ。
「いや、ルマの所為じゃない。それより大変なんだ。マストリアで発見された船が、カサアラナ達に奪われた。このままじゃ――彼女達はキリコ以上の脅威になる。なんとしても、ボク達は彼女達を止めないと――!」
メルカリカの説明を聴き、ルマは言葉を失う。私は天を見上げ、ただ彼に問うた。
「ネコ博士でも、対応策は無いの? というより、彼女達は一体何をするつもり?」
「多分、成層圏より他の国々目がけて主砲を放ち、各国に降伏を促す気だろう。これが為されれば、もうどうにもならん。他の国々の反撃は当然の様にあの船には届かず、ワンサイドゲームが始まる。それを避ける手段は、セフィニティーの手を借りるしかない。君は一度会った人間のもとに瞬間移動できるのだろう? それでヒメカ達をあの船に突撃させる以外、策はないな」
が、セフィニティーは首を横に振る。
「いえ、多分それは無理です。カサアラナの能力には〝反射〟があるの。それを使われたら私達はこの星に逆転送される事になる。あの船に乗り込むのは、難しいと言わざるを得ません」
私と同じように、空を睨みながら彼女は言い切る。なら、私がするべき事は一つだ。
「だったら、ズスムントに懸けましょう。例えあの船を完全に複製できなくても、成層圏には辿りつけるかもしれない。そこから先は運まかせよ。何とかカサアラナ達に気付かれない様、あの船に忍び込む」
「バカを言うな! そんな無謀な事をしようとしている妹を、兄貴が止めないとでも思うかっ?」
兄が――矢木栄治が、声を張り上げる。
だが、ウォレット君は、兄の襟首を乱暴に掴んだ。
「ヒメカを置き去りにし、自分だけ逃げだした癖に、今さら兄貴面かッ? あんたの所為でヒメカは多額の借金を負ったんだぞっ? あんた――一体どういうつもりなんだッ?」
ウォレット君の剣幕に、兄だけでなく私も気圧される。
けれどそれも数秒程の事で、兄はウォレット君を見つめながら、確かに言った。
「……ああ、此奴が俺の本当の妹だったら、置いては行かなかったさ」
やはり、そうか。兄は、私が血の繋がった実の妹ではないと知っていた。だからこそ、兄は私を置き去りにしたんだ。
だが……その時、彼は思いもかけない事を口にする。
「そうだ。妹に惚れているなんて事に気付かなかったら、俺は死んでも此奴を連れていった。……でも、違ったんだ。俺は此奴が本当の妹じゃない事も知っているし、自分が此奴に惚れている事も自覚している。だから、俺は此奴を遠ざけるしかなかった。アレ以上、一緒に居たら俺は自分の気持ちが抑えられないってわかっていたから。……そうだ。此奴なら、妃花なら、自力で地球に帰れるって俺は都合がいい事を考えていた。だから、忘れていたんだ。妃花がどれだけバカだって事を」
「そうか。それが、君が単独行動をとった理由か。ヒメカ、彼のこの発言を聴いてもまだ自分は要らない人間だと思うか? 自分は誰にも求められない存在だと、信じて疑わない?」
「……は、い? ネコ博士、貴方、やっぱりその事に気付いていた……?」
実の所、私も父や母や兄が本当の家族じゃない事は知っていた。私の様な化物が普通の人達から、生まれる訳がないんだから。
そう。私は――ただの化物だ。
友達に軽く抱きついただけで、骨折させた事がある。少し大声を上げただけで、友達の鼓膜を破った事がある。ドッチボールの時も、投げたボールが友達の肋骨を折った。
でも、それでも、あの人達は私を見捨てなかった。それでも父や母は、私を人間として扱った。私が怪我をさせた子の親に何度も何度も頭を下げて、それでも彼等は私を大事に育てようと奔走したのだ。
多分それからだろう。自分と言う物が、希薄になったのは。私は、何もするべきじゃない。私は、何もしてはいけない。私は多分、この世に自分が居ない方が、みな幸せになれると思っている。それが、それこそが―――矢木妃花の真実だ。
「そうだ。だから君は不幸なのさ。当然だな。何せ幸福になる努力を一切放棄しているんだ。それでは、不運しか呼びこまないさ」
ネコ博士が……正面から私の心に切り込む。私はただ、彼を見つめるしかなかった。
「けど、今の君は違う。多くの人々が、君と言うニンゲンを求めている。ルマも、メルカリカも、ウォレットも、兄君も、そして我も、君を失うのは耐えられない。だから頼む。君は一度でいいから、自分の為に泣いてやってくれ。自分の不幸を認め、自分の為に涙し、自分を哀れんで欲しい。あの時の、我の様に」
「……ああ」
他人の為に流す涙は美しいけど、自分の為に流す涙も、それは変わらない。彼にそう告げられた時、私は一度だけ嗚咽した。
「有り難う、皆。本当に、私は、皆に助けられてばかりだわ。でも、それでも――私は行かなくちゃならない。この自分自身の間違いを――正す為に」
今は涙せず、ただ前だけを向く。
その最中――兄は露骨に溜息をつき、覚悟を決めたかの様な表情を見せた。
「だったらこれを持っていけ、妃花。多分これが、俺が兄貴としてできる、唯一の事だ」
「……待って。やっぱり、そう言う事だったの?」
「ああ。宇宙に居る時遭遇した――ゼッドとかいう神獣だ。宇宙船を使ってブチのめし、契約して、今まで持っていた」
やはり……そういう事か。メルカリカ達が、いくら探しても見つからない筈だ。
ゼッドとアッドメッドは――宇宙に居たのだから。
「だが、ゼッドほどの神獣を譲渡すれば、君の寿命は極端に減るぞ? 凡そ三十分くらいしか生きられまい。それでも、構わないと?」
「見かけによらず、バカな事を訊くな、あんたは。兄貴が妹の為に命を懸けられなくて――何が兄貴だ!」
「兄、さん」
それで、話は決まった。兄は無言でゼッドを押し付け、私はそれを受け取る。
その事実を、私は心から噛み締めた。
「でも大丈夫。三十分でケリをつけ、ゼッドとの契約を断って、兄さんを救ってみせるから」
「うん、そうだ。ヒメカなら絶対に出来るよ! だから、ボクもついて行く。あの時みたいに二人で、カサアラナ達を負かせてやろう!」
そこで、私は皆に、向き直る。ただ、伝えたい事を伝える為に。
「ええ。今確信した。私の不幸は――貴方達に出逢う為の代償だったんだって」
だから、メルカリカやウォレット君に、ルマも眼を広げる。
「……待って」
「私は、本当にいい仲間に恵まれた」
「……そんなお別れみたいな事、言わないでよ」
「貴方達に会えて、本当に、良かった」
それから、最後に私はぎこちなく笑いながら、告げる。
「どうか幸せになってね、メルカリカ。ウォレット君は、そろそろメルカリカの気持ちに気付いてあげて。ルマは一刻も早く、貴女自身の願いを叶えてみせて。そして本当にありがとう、ネコ博士。貴方達に出逢えて、私は本当に幸せでした―――」
じゃあ―――行ってみようか。これが正真正銘、ジルキルドとの最後の戦いだ。
そう気迫を込めながら私はズスムントを具現し、小さな船をつくり出す。
それに乗り、私は天へとのぼって、ここに最終決戦の幕は切って落とされた―――。
◇
ついで、彼女の声が天に向かって響き渡る。
「……ヒメカの大バカ野郎! 一人で行くなんて、何考えているのさ――っ!」
メルカリカが、怒声を上げ続ける。それに見送られ、ヒメカが乗る宇宙船は刻一刻と小さくなっていく。ネコ博士は、静かに首を横に振った。
「いや、今度は、セフィニティーの時とは違う。戦場は宇宙だ。例え宇宙服があったとしても僅かに傷ついただけで命取りになる。ヒメカは、そんな危険な場所に君達を連れて行きたくないのだろう」
「……だから一緒に行きたかったんじゃないか。ヒメカだけをそんな危険な場所に行かせて、自分達だけ安全な場所に居るなんて……そんなの仲間がする事じゃない」
そう俯くメルカリカの頭を、ウォレットが撫でる。
この時メルカリカは初めて、自分が泣いている事に気付いた。
「大丈夫だ。ヒメカは必ず帰ってくる。その為にも、今は俺達に出来る事を考えよう」
ウォレットのその表情は、メルカリカの手を取って、自分の家から抜け出した時と同じ物だ。
だから、彼のその顔を見てメルカリカは奥歯を噛み締める。彼女はただ、毅然としながら頷いた。
「だが、妙だ。そろそろカサアラナ側から、攻撃があっても良い筈。それを為さないという事は不味いな」
「不味い? ああ……そういう事」
ネコ博士の呟きに、セフィニティーは即座に反応する。
彼女は天を仰ぎながら、冷静に言い切った。
「カサアラナの第二目標は――アッドメッドを発見しかの神獣と契約する事ですね。それが成された時――全てが終わる」
その絶望を聴き――この場に居る全ての人間が沈黙した。
◇
その少し前の事。
宇宙船を乗っ取ったカサアラナは、恭しく頭を垂れながら指揮官席にマトリスを招く。
「どうぞ、皇帝陛下。こここそが――陛下の新たな玉座でございます」
が、マトリスは苦笑いしながら、首を横に振る。
「いや、もうそんな白々しい態度をとる必要はない。違うか――母上?」
同時に、カサアラナは仮面の中で眼を開いていた。そのまま彼女は自身の仮面に手をかけ、自ら仮面を取る。
カサアラナ・クレネストは――数年ぶりに他人の前でその素顔を露わにした。
「よくわかったわね? 本当に、一体誰に似たのかしら?」
長い銀髪をなびかせ、指揮官席に座するマトリスに目を向ける。その髪の色はマトリスと同じで、確かにその相貌もマトリスの面影が見受けられた。
「いや、今際の際に父上が仰ったのだ。もしかすると自分が死んだ後、不思議な力を持ったニンゲンが私に接触するかもしないと。そのヒトが私の母だとは言っていなかったが、貴女に会った時、直ぐにわかったよ。貴女こそ――私の母に違いないと」
だからこそ、マトリスは何一つ疑わなかった。セフィニティーの裏切りは即座に予感した彼女は、けれどカサアラナの事は信じ続けた。
その理由は……本当に単純だ。マトリスは、彼女こそ紛れもなく自分の母だと直感しただけなのだから。
そうして、カサアラナの意識は過去へと逆行する。マトリスの父と初めて会った、あの日へと。今となってはもう遠すぎる想い出の日々に、彼女は思いを馳せた。
それは、真に偶然といえる遭遇だった。彼女が次にどう行動するか思案していた時、何者かが剣を交えている気配を感じ取ったのだ。
興味本位で見に行ってみると、そこにはクマと殺し合っている一人の男性が居た。
齢にして十八程の青年は、黒い長髪をなびかせながら剣を振るう。その腕は彼女から見ても中々の物で、もうじき決着がつくのが見て取れた。彼は止めの一撃を、クマに向かって放とうとする。
だがその時――彼は何故か一瞬躊躇し、その隙を衝かれクマに吹き飛ばされる。ここに立場は逆転し、今度は彼が止めの一撃を食らいそうになる。
それを彼女は、ただの気まぐれで救った。その行為には、善意も悪意もない。本当にただ、何となくそうしただけ。いや、強いて理由を挙げれば、彼にこう訊く為だろう。
〝なぜ、最後の最後で気を抜いたの? あなた程の使い手なら、クマくらい簡単に狩れたでしょう?〟
彼の答えは、こうだ。
〝いや、そこに咲いている花を踏み潰しそうになって、さ。つい、足がすくんだ〟
それを聴いて、仮面の少女は唖然とする。
彼女は心底から彼の事を、変な人間だと思った。
〝待て。君にだけは、言われたくない。奇妙な魔術を使う上、四六時中仮面を被っているときている。俺の目から見れば、君の方がよほど奇天烈だよ〟
にんまりと笑いながら、彼は誰もが思うであろう事を口にする。唯一大多数の人間と違う事があるとすれば、それは、彼は彼女を恐れなかった事。まるで普通の人間の様に接した点だろう。
彼女は誰かを救う度に人ならざる力を使い――そのつど助けた対象からも恐れられてきた。その自分を、彼はまるで普通の人間の様に扱ったのだ。
〝……本当に、変な人。もしかしてあなた、頭が悪い?〟
〝ああ。俺はきっと、天下一の大バカさ。何せ俺の目的は、この大陸を平定する事だから〟
それから彼は、己のユメを延々と語った。自分が、ジルキルドの皇太子である事。今は武者修行中である事。加えて、何れは自分一人の力で神獣さえ屈服させるだけの力を持ちたいと彼は言う。
それを聴いて、彼女は真顔で酷評する。
〝それは無理ね。あなたは、余りに甘すぎる。肝心な所で躊躇いが生じ、第三者の人生を慮って冷酷になりきれない。冷酷になるべき時に冷酷になりきれない王なんて、その時点で王ではないわ〟
〝ああ。親父にも同じ事を言われたよ。俺の生き方は矛盾しているって。人を救う為に人を殺さなければならないのが王だ。王とはそうやって帳尻を合わせ、国を運用している。だと言うのに、俺は全ての人間を救いたいと願っているんだ。この背理を正さない限り、俺に王位は譲れないとさ。けど、今日その懸念は無くなったな。俺は今――天啓を得た。だから君に頼みたいんだ。どうか俺の傍に居て、俺が過ちを犯したなら、その時は俺を正して欲しい。あのクソ親父の言う事は素直に聞けないが、君が言う事なら素直に聴ける気がするから〟
〝……は、い? それは私に、あなたの国の宮廷魔術師になれと言っている?〟
が、彼は首を横に振り、露骨に呆れた表情で告げた。
〝なんだ、意外と鈍いな。俺は君に惚れたと言ったんだ。俺の妃になって、俺を良い方向に導いて欲しい。そうプロポーズしたんだよ〟
この時ほど、彼女が愕然とした事は無い。きっと、己の耳を疑った事は無かっただろう。
〝……やっぱりあなた、頭、悪い? 素顔も見た事が無い女に求婚するって、どれだけ警戒心がないのよ? この仮面の下には、怖気を抱く様な醜い面が隠されているかもしれないのに〟
〝かもな。けどぶっちゃけてしまえば、顔なんてどうでもいいんだ。俺は、君の心意気に惚れたんだから。見知らぬ他人の為に、君は人ならざる力を使うというリスクを犯した。俺に忌まれる事だってあったろうに、その事さえ度外視して俺を救ってくれた君に、俺は惚れたんだ。そうだな。俺は常に労わってくる美人より、文句を言いながらも誰かの為になろうとする醜女を選ぶ〟
本当に、なんてオメデタイ勘違い。自分はただ気紛れで彼を助けただけなのに、ここまで他人を美化できるなんて。
けど、だけど、それだけの事なのに彼女は数年ぶりに自分が笑っている事に気付く。こんなバカな人間も世の中には居たのかと、彼女は呆れ交じりの微笑みを浮かべていた。
それから、彼と彼女は三年間、共に旅をした。一緒に色んな国の色んな街を見て回り、同じ時間を共有した。
その間、彼女はずっと仮面をつけようとしなかった。素顔を晒しながら彼女は彼と過ごし、やがてその事実を知る。自分が彼の子を身籠っていると直感し、それを聴いた彼は大いに喜んだ。
〝男の子か、女の子か? 出来れば、女の子が良いな。うん。きっと女の子なら、俺はその子を溺愛しすぎてしまいそうだ〟
実際、彼女が生んだのは女の子で、彼はその子を宝物の様に扱う。
だが、その時、彼は王である父が危篤であるという噂を耳にする。それは取りも直さず、彼の帰国を意味している。
そして、彼女はユメの終わりを知った。
〝……何故だ? 何故、一緒に来てくれない? 君は今や、俺の子の母なんだぞ? 次代の王の母ともなれば、大手を振って俺に輿入れできるだろう〟
いや、本当にこの人は純粋すぎる。自分の様な出自さえわからない者が、王の妃になどなれる筈がないと気付かないのだから。
ましてや、ジルキルドは大国である。本国に帰れば、王が決めた婚約者が彼を待っているに違いない。彼女には、その婚約者を押しのけ、王妃の座につく気がどうしても湧かなかった。実の姉妹達を手にかけ続けてきた自分には、きっとそんな立場は相応しくないから。だから、彼女は最後にこれだけ、彼に伝えた。
〝本当に――ありがとう。私はきっと、貴方とその子に会うために生まれてきた。私の様な女には――本当に幸せすぎる日々でした〟
次の瞬間、彼女が彼の前から姿を消す。ルッドヒルの力を使い、彼女は彼と娘を置き去りにする。
けれど、彼女は気付かない。それが、彼との最後の会話であった事に。その九年後、彼女は王となった彼の崩御を知る。その若すぎる彼の死を知り、彼女は生まれて初めて涙した。悲しくて悔しくて、涙が溢れて止まらなかった。
〝ああ、そうか。君は心根だけでなく、素顔さえ美しいのか。出来ればその素顔は、俺だけの目に留めておきたい物だ。他人の目などに、晒したくはない〟
自分にそう告げた彼は、結局最期まで冷酷にはなりきれなかった。彼の死因は、獣から自分の娘を庇って致命傷を受けた事。彼は娘と言う名の花を庇い、この世を去った。あの日の様に彼は大切な花を庇い、それが死へと繋がった。何故その時、自分はその場に居る事が出来なかったのだろうと、彼女は心から涙したのだ。
彼女はあの日気まぐれで助けた彼を、今度は救いたい時に救う事が出来なかった――。
その後悔が後押ししたのか、気が付けば彼女は再び仮面を被り新たな王となった自分の娘に謁見した。彼女が娘にまず訊ねたのは、あの事である。
〝陛下。先王は、真にこの大陸の平定を望んでいたと思われますか?〟
自分と同じ髪の色をした少女は、堂々と断言する。
〝無論だ。父上は諸外国と不戦条約を結び――各国を一つにしようとしていた。私は最期まで武力に頼らず、この大陸を纏めようとしていた父を誇りに思っている。……だが、その反面、私にはあの人の真似は出来ないな。誰に似たのか、気性が荒い私がこの大陸を平定するというなら、それは武を以て望む他はないから。私は今直ぐにでも、その計画を実行するつもりだ〟
ならば、彼女の答えは決まっている。自分はあの少女の影となり、その野望の手助けをすればいい。彼が果たせなかったユメを、自分達親子が果たす。それが、それだけが、彼女が彼の為に出来る唯一の贖罪だった。
「そう、か。貴女はやはり、父を愛してくれていたのだな。私達は決して、貴女に捨てられた訳では無かった」
「……いえ、それも都合が良い、言い訳だわ。私があの日彼と共にジルキルドに向かっていれば、彼は、ラグマは死なずに済んだのだから。でもそんな私でも一つだけわかる事があるの。貴女の父親に会って私は初めて母の、父と結ばれた神獣王の気持ちがわかった。私は、彼から人を愛するという事を学んだの。だから――私が望む事は一つだけ。最小の流血を以て――世界を一つにする。その為だけに――ジルキルド帝国とこの船は存在している。私は何としても彼の――ラグマのユメを叶えてみせるわ」
その為なら、幾らでもこの手を汚そう。その決意は、既に行動となって表れている。
しかし、その瞬間、彼女と皇帝の前に何者かが姿を見せる。
小さな宇宙船の上に乗ったその者は――紛れもなくヒメカ・ヤギという少女だ。
「やはり――最後まで私達の前に立ちふさがるのね、我が妹。でも少し遅かったみたい。アッドメッドは――もう我が手中にある」
然り。ヒメカがこの場にやって来る前に彼女はかの船を使い、アッドメッドを打破した。既に皇帝は、かの神獣と契約する段階に至っている。その事を察しても、ヒメカは彼女に言う。
「ええ、決着をつけましょう――カサアラナ・クレネスト。あなたが本当に私の姉さんなら、私はあなたを止めなくちゃならない」
ここに実の姉妹同士の決戦は――始まりを告げた。
◇
ヒメカが、巨人の姿をしたゼッドの力を解放する。この周囲百万キロに、大気の層をつくり出す。彼女は生身のまま宇宙船の上に立ちながら、カサアラナ達に対し言葉を紡ぐ。全長一キロメートルにも及ぶ大戦艦の主に、ヒメカは宣戦布告した。
「ええ。無線を通じて、あなた達の事情は全て聴いた。あなた達が大陸の征服を成し遂げたい理由も、私は知ったわ。でも――だからこそあなた達はこんな方法をとるべきじゃなかったのよ。あなたはジルキルドの先王の志を継いで、武力に頼らずこの大陸を平定するべきだった。それが、あなた達が進まなければならない唯一の道だったの。けど――あなた達はその手段を放棄してしまった。力による支配と言う、楽な道を選択してしまった。その時点であなた達はこの上なく、何かを間違えてしまったのよ」
「――冗談。私達と同じ方法論で国々を落していったあなたが、何を言うの? 力に頼ったと言うなら、それはヒメカさん達も同じでしょう? なのにあなたは、自分達は正しく、私達だけが間違っていると言うのかしら?」
淡々と、カサアラナが反論する。それを、ヒメカは首を横に振る事で答えた。
「いえ、私は自分の行為を正当化する気はない。自分の為でなく、自分が好いた人達の為に他人を蹴落としてきた私は、あなた達と同じだわ。私とあなた達は、本当に似た者同士なのよ。愛した人の為にその手を汚してきた私達は、きっと同じ間違いを犯している。けど――だからこそ私はあなた達を止める。自分の為ではなく他人の為に人々を殺そうとしているあなた達を止めなくちゃならない。それは絶対に――ラグマ・ジルキルドさんが望んだ事ではないから」
が、カサアラナは初めて眉をひそめ、それから今になって漸くその少女を敵視した。
「ラグマを知らない者が――ラグマを語る? この私が――そんな侮辱を許すとでも?」
カサアラナが、かの宇宙戦艦リデオンに対し、念を送る。
あらゆる物体を操作するその力は、リデオンに対しても働きヒメカに対し砲身を向ける。
彼女は最後に、一度だけ警告した。
「けど、今なら見逃してあげても良い。降伏してくれるなら、それにこした事はないから。でも逆にあなたがここで折れないと、私は先ずマストリアを落さなければならないわ」
それで、ヒメカの意識も弾けた。彼女は鋭い視線を、リデオンに向ける。
「絶対に……そうはさせない。あなた達は、ここで止める!」
この宣言を聴き、カサアラナが動く。彼女は遂にヒメカ目がけて、戦艦の砲身から光線を発射。五千万度にも及ぶ高熱の塊を、たった一人のニンゲンに対し撃ち放つ。
ならば、詰みだ。ヒメカ・ヤギとて、その一撃に耐えられる筈がない。カサアラナはそう確信し、ヒメカ自身も数秒後に訪れる自身の死を連想する。
いや――彼女がその神獣を有していなければ間違いなくそうなっていただろう。
「ほう?」
カサアラナが、感嘆の声を上げる。見ればヒメカの正面にはエイの姿をした神獣が具現していて、それが光の盾を形成する。必殺の一撃足るかの閃光を、その盾はあろう事か防ぎ切っていた。
(今のは恐らく――ラグーナの力。五元素を完全に防ぐ神獣。けれど、ラグーナでも今の一撃を防ぎ切れる? 星をも穿つあの一撃を? いえ――まさかそういう事?)
「多分正解よ。これがゼッドの力。かの神獣は――〝未だ契約されていない神獣を召喚し、そのリミッターを外す事が出来る〟の。その意味が――果たしてあなた達にわかって?」
それが本当なら、かの神獣の力は、Sランクを超えている。
カサアラナは眉をひそめながらも、即座にそのカラクリを看破した。
「けどその代り、ゼッドは契約者の生命力を吸い取り続ける。それだけの制約でも無い限り、これだけの力は発揮できない。違って――ヒメカさん?」
ならば、自分は持久戦に持ち込むのみ。ヒメカに攻撃を浴びせ続ければ、彼女は何れ生命力を使い切り、自滅する。
そう確信するカサアラナに対し、ヒメカはただ奥歯を噛み締めた。
「なら――これならどうっ?」
それは、リデオンが放った物に近い閃光。リミッターを外した、トカゲの姿を模するマジタリアの一撃。――摂氏三百万度の閃光が、リデオンに向かって放たれる。
だがそれを――リデオンはバリヤーを展開することで、事もなく防いでいた。
「桁が三つほど違っているわね。この船のバリヤーを貫きたいなら、三十億度の熱量を以てのぞむ事だわ。でも、それだけの高温をあなたは用意できて、ヒメカさん?」
三十億度。それは――水爆の十倍近い熱量。それだけの不可能を用いなければ、リデオンの守りは突破できないとカサアラナは告げる。その事実を知り、ヒメカはただこう謳う。
「――けど、バリヤーを張っている限り、そちらも攻撃はできない!」
「それはどうかしら?」
リデオンの両翼に設置された、四つの羽根が分離される。
その四つの羽根は独自に動き始め、ソラを駆けて、ヒメカへと襲い掛かる。四方より光線を浴び続ける彼女は、防戦一方となっていた。
「つッ! 本当に、兄さんが好きそうなギミックね、これは!」
ラグーナを五騎展開しながら、ヒメカはなんとかリデオンの攻勢を防ぎ続ける。
これを見たマトリスは、徐に告げた。
「余り遊ばない方が良い――母上。あの者は、恐らく貴女が思っているより危険だ」
「へえ? それは、皇帝としての勘? それとも、女としての勘かしら?」
喜々としながら、カサアラナが訊ねる。マトリスは鼻で笑いながら、前者だと告げた。
「生憎、私を女として扱ってくれたのは、父上だけでね。それ以外の者達は、神が性別を誤って生み落とした男女だと思っているよ」
「なら、今後は私が女らしさと言う物を、叩きこんであげる」
楽しげに語る母に、娘は苦笑い交じりで問う。
「それは父を口説いた時に用いた、必殺の戦術かな?」
「逆よ。さっきも言ったでしょう? 私が貴女の父親に、口説き落とされたの」
ついで、カサアラナはマトリスに合図を送る。彼女が有する、最強の神獣を使用する為に。
この時ヒメカは、本能的に畏怖を覚える。彼女には、ソレの正体さえ理解出来なかった。
「くっ? これ、は―――ッ?」
ソレは語るまでも無く――光の化身アッドメッドの力。
かの神獣は――あらゆる事象を上書きする。
有は無に、光は闇に、天は地に、生は死にとあらゆる物理法則を捻じ曲げ、全てを優先して放たれるソレは、既に悪夢と言える。
事実――ヒメカはただ、吼えるしかなかった。
「ああああああああ………っ!」
咄嗟に――神獣の干渉を全て防ぐ、麒麟の姿をしたジーニエスを張り巡らせる。それでも死を覚悟する、ヒメカ。
だがリミッターを外したジーニエスは、アッドメッドの一撃さえ防いでみせる。このある種の奇跡を前に、ヒメカは呼吸さえ止めた。
けれど、その先に待っていたのは、ただの絶望だ。たった一撃攻撃を防いだだけで、ジーニエスは消失する。更に――カサアラナは続けた。
「流石は、ゼッドないしジーニエスと言った所かしら? でも、アッドメッドは宇宙空間に限り一日に三度使用が可能なの。対してジーニエスは、この世に何騎生息しているのかしら?」
問われるまでも無い。そんな事は、あのエルフ耳の親友が教えてくれた。
ジーニエスの数は――この世に二騎のみ。ならば、勝敗は小学生でも理解出来よう。
現に――マトリスは二度目のアッドメッドを放つ。
ソレを受け、ヒメカは二騎目のジーニエスを展開する他ない。それさえも打ち砕かれた彼女には、もう打つ手と言う物が残されていなかった。
「では、最後に褒めておこう。全ての国の頂に立つ――この大帝マトリスの手を煩わせたそのしぶとさを。終わりだ――ヒメカ・ヤギ」
「……つっ!」
その瞬間――彼女は今度こそ己の最期を悟ったのだ。
◇
そして、地上ではネコ博士が目を細める。実のところ、彼にはもう一つだけ策があるのだ。なんという事もない。単に自分がセフィニティーの手を借り、ヒメカのもとに瞬間移動すれば全ては事足りる。後は自分がカサアラナ達に殺されれば、少なくともアッドメッドの契約は無効化できよう。それだけで――ヒメカの勝算は僅かながら上がる。
だが、彼はその手を使おうとはしない。いや、使う事が出来ない。
(ああ。我が自分の為に死ねば、ヒメカは今度こそ生への執着を失くす。我ながら自惚れた考えだが、我の後を追って自殺しかねないだろう。それでは――意味が無い)
ネコ博士の願いは、ヒメカの幸せである。今の彼は、それが第一の望みとなっている。そんな彼女をこの上ない不幸に陥れる様な真似は、とても出来ない。
と、その時――彼は愚かな失念をしていた事に気付く。
「そうだ。肝心な事を訊き忘れていた。ゼッドの能力は何だ? かの神獣は何が出来る?」
矢木栄治に向かい、ネコ博士は問う。
栄治はややその剣幕に押されながらも、はっきり口にした。
「ゼッドの能力は、未契約の神獣をリミッターが解放された状態で召喚する事だが?」
「未契約の神獣を、リミッターが解放された状態で――?」
このとき彼は、心底から身震いを覚えた。
◇
目の前にはリデオンと言う名の、巨大な船。其処から人知を超えた力場を感じ、ヒメカはもう一度呼吸を止める。彼女ただ悔しさの余り、その身を震わせるしかなかった。
(……ごめん、メルカリカ、ルマ、ウォレット君、兄さん、ネコ博士。私は結局、誰一人守る事が出来なかった―――)
今、訪れようとする、自身の死。……だが、それ以上に、彼女はあの仲間達の不幸を予感して、絶望する。無力な己を呪い、ただその双眸を強く閉じていた。
けれど、彼女は幼い頃、母から絵本を通じて教わった事を忘れている。
何時だって白馬の王子様は――少し遅れてやってくるのだ。
《バカか――君は! 今までの過程で何を学んだ! 君にはもう一つだけ、奥の手があるだろうが!》
それは、紛れもなく、何時だって自分を助けてくれたヒトの声だ。
その刹那――ヒメカ・ヤギの意識はもう一度だけ爆発した。
「……ああ、そう、か」
ならば、その暗転どちらにもたらされた? その事に気付かぬまま、マトリスはアッドメッドを放ち、ヒメカはただそれを受け入れる。
いや、その瞬間――それは起きた。
「おおおおおおおおおぉぉ―――ッ!」
「な、にっ?」
あろう事か、ヒメカが、アッドメッドの能力を斬る。その力場を両断し、霧散させる。
それを見て、マトリスは呆然とし、カサアラナは漸く気づいた。
「まさか、あなたは――?」
「……ええ。すっかり忘れていた。セフィニティーに教えてもらったばかりだっていうのに。この私も――半ば神獣であるという事を―――!」
故に彼女はゼッドの力を用いて、自身のリミッターさえ外す―――。
この時、彼女の生命力は、あろう事か――三十五億にまで達していた。
ソレを見て、カサアラナは即座に判断する。
「リデオン――縮退炉全開。アサルトモードに移行――」
全長一キロにも及ぶ船が変形し、ヒト型となる。巨大なロボットと化したその船が、その身に備わる砲台から光線を放つ。
その数――五百。ラグーナの生息数を、遥かに凌駕する。
だが、喜劇は続く。ヒメカが気迫を込めた瞬間、彼女の生命力は物質転換されたから。
全長一キロに及ぶ巨人をその身に纏い――ヒメカ・ヤギはその場に仁王立ちした。
己に向かって放たれたその全ての光線を、彼女は気合だけで消し飛ばす。それを見て、カサアラナは全てを悟る。
(これが……私達の本当の力? 私は誤った? 私が真に手にするべき物はアッドメッドでも無く、この船でも無く――ゼッドだったと?)
現に、その悔いを顕著にする様に、ヒメカが動く。
巨人を纏ったヒメカは、そのままリデオンへと突撃した―――。
かたや――カサアラナもリデオンの両腕にある主砲を展開し、発射する。
摂氏十億度に届くその一撃は――正に核ミサイル以上の熱量を帯びている。
だが、それでもヒメカは突き進む。
策も、計算も無く、ただの腕力だけでその全てを薙ぎ払う。
この蛮行の極みを前に、カサアラナはただ彼女を嗤うしかない―――。
「けど――あなたにこのリデオンの守りを突破できて?」
「悪いけど―――それが出来るのよ!」
ヒメカが纏っていた巨人が――彼女の掲げた両手に一点集中される。
直系一キロという余りに巨大なソレが何であるか――カサアラナは即座に見切る。
「生命力……! 三十五億に及ぶ――生命力! ソレを全てエネルギーに転化したというのっ?」
それは正しく、セフィニティー戦の再現だ。ただ、規模が余りに違い過ぎた。彼女の一撃は――比喩なく星さえ滅ぼす。
それだけの高出力波を――ヒメカはリデオン目がけて撃ち放つ。
「ヒメカ・ヤギ―――っ!」
「カサアラナ・クレネスト―――ッ!」
防御に専心するカサアラナと――攻撃に専心するヒメカの魂が交差する。
だが、リデオンのバリヤーはここに全壊し、ヒメカの一撃がリデオンの脇腹を抉る。
その間隙を衝き、彼女は動いた。
「……つッ? そなたは!」
リミッターを解いたマルチバスを使い、ヒメカはリデオンのコクピットに瞬間移動する。更にダルタリアを使い、マトリスからアッドメッドを奪う。
この流麗すぎる動きを前にした後、漸くカサアラナは動いた。彼女は〝破壊〟を使い、ヒメカを周囲の空間ごと粉砕しようとする。
けれど、その前にヒメカはその場から消え、カサアラナの背後をとっていた。
「いえ、無駄です。例え貴女でも、今の私にはついてこられない。もう諦めて。この船が破壊された時点で、貴女達の目的は果たせないわ」
「さて――それはどうかしら? あなたこそさっきの一撃で力の大部分を使ってしまい、実の所、死に体なのでは? 今にも死にかけているのは、あなたの方では無くて?」
実際、ヒメカは何も答えない。彼女はただ無言で、ジルキルド親子を見た。
「でも、そうね。確かに認めるわ。私は、本当は気付いていた。これは、武力による大陸の征服は、ラグマが最も忌み嫌う方法だと。私は母として、その事をマトリスに伝えなければ、いけなかった。私が本当にするべき事は―――この子を止める事だった」
「……母、上」
見れば、カサアラナの背中には、船内の器物が刺さっている。
それはこの艦が破壊された時、彼女がマトリスを庇った事で負った傷だった。
「……ダメだ。頼むから逝かないでくれ、母上。父上は……私を庇って死んだ。その上貴女まで、私の為に命を落とすと言うの、か……?」
其処に居るのは、皇帝ではなく、ただの十四歳の少女だ。
彼女は今、母親に置いてきぼりにされようとしている子供に過ぎなかった。
「……そっか。私はラグマと同じ真似をしたんだ。私は今漸くこの子の母になれた気がする」
「――カサアラナ」
もう一度だけ、ヒメカは自身の姉の名を呼ぶ。それでも彼女は、首を横に振った。
「……でも、ここまで来た以上、私も諦める訳にはいかないのよ。私は必ずあの人の、ラグマのユメを叶えてみせる――」
瞬間――カサアラナとマトリスの姿が消失する。それは最後の一回分残されていた、ルッドヒルの力だ。
その姿を見送った後、ヒメカも地を蹴り、壊れゆくリデオンを後にする。今にも断絶しそうな意識を何とか保ちながら、彼女はその星へ戻ろうとする。あの人達が待つ、あの星へと。
(……と、そう、か。私は結局、自分の間違いは正せなかった。だって、私、もう満足しちゃっている。皆を守れただけで、十分だと思っている。明日の自分が何をしているかなんて、想像もつかないんだから……)
自分の様な化物が、皆を守る事が出来た。そう思っただけで、彼女の心は満たされていく。
それは、正に死に行く者の思考だ。事実、大気圏に突入したヒメカの意識は、完全に途切れかける。ただその前に、彼女は自分に残された最後の事を成していた。
(ありがとう。そして、さようなら――ゼッド。あなたのおかげで、なんとか、かてた)
かの神獣との契約を切り、彼をあるべき場所に戻す。
紅蓮の炎に包まれながら――ヒメカ・ヤギは流星の様に地上へ落下した。
◇
メルカリカ達がその場にかけつけたのは、彼女がその星を穿った数分後の事。
巨大なクレーターの中心には、紛れもなくヒメカ・ヤギが居る。
その躰は隅々が消し炭と化していて、とても生きている様には見えない。現に、彼女の生命力は二を切っている。
ヒメカのその姿を見た時、メルカリカは脱力する様に跪く。触れただけで壊れそうな彼女に誰も近寄る事が出来ない。ただ死に行く少女を、彼等はただ見守るしかなかった。
「……こんなのって、あるかよ! なんで、ヒメカだけがこんな目に合わなくちゃならない! 最後の最後まで不幸なままだなんて、そんな終わり方は、絶対ダメだ……!」
ウォレットが、絶叫を上げる。メルカリカや栄治に至っては、最早涙する事しかできない。その中でただ一人、彼は告げた。
「セフィニティー」
「………」
「お願いだ、頼む、セフィニティーっ!」
生まれて初めて、彼は他人の為に誰かに懇願する。その願いを受け、件の彼女は苛立たしげに眉を寄せる。その後、嘆息し、普段の彼女ではあり得ない様なぶっきらぼうな声で告げた。
「……ああ、もうわかったわよ! でも、これは一生ものの貸しだから良く覚えておいて!」
ヒメカとカサアラナを潰し合わせようとしていた筈のセフィニティーが、動く。彼女は規格外のメイを使い、ヒメカの治療を行う。それは三十分に渡り続けられ、その間、彼女はありったけの気迫を込めて告げた。
「戻ってきなさい――バカ妹! あんたが居ないと、私はつまらないままでしょうが!」
けれど、彼女はピクリともしない。逆に呼吸は途切れがちになり、終焉の時が迫る。
彼は、ネコ博士は、その時、初めて彼女に向かって声をかけた。
「――バカ野郎! ウォレットの言う通りだ! 君はそのまま不幸なまま死ぬつもりかっ? 他人さえ幸せならそれで構わないなんて、綺麗ごとを並べ立てるつもりなのかッ? そんなのは違う! そんなのは間違っている! 不幸な人間がより不幸な人間に手を差し伸べるのは確かに美しい! けど、本当に正しいのは自分の幸せを他人と分かち合える奴だ! そんな事も出来ない奴が、そんな安らかそうな貌をして死にかけているんじゃねえ―――ッ!」
それは正に、死体さえ驚きの余り息を吹き返す様な怒声だった。
奇跡をただ願う、力ない存在が発した、当たり前の言葉である。
けど、それなのに、その言葉が、なにより私の心に刺さった。
ああ、こんな所で死んでいる場合じゃないなと、私はその時、心から悟ったのだ。
だから、気が付けば、私は瞼を開いていた。
「………うるさいなー、ねこはかせ、は。……うん。あんまりにうるさいから、しにがみもおどろいて、どっかに、にげだしちゃったじゃない……」
「――ヒメ、カ――」
皆が、集まって来てくれる。こんな私の為に、泣きながら笑顔を浮かべて。ルマや、メルカリカや、ウォレット君や、兄さんや、ネコ博士や、セフィニティーまで。
今の私なら、わかる。嘗ての私が、如何に不幸だったか。その全てを、皆が吹き飛ばしてくれたのだ。私は、まだ生きていていい。その喜びが、この空虚な筈の心を埋めていく。
なら、私はただこう思うしかない。
せめて―――こんな自分に祝福を。
私は今、ありったけの想いを乗せ、自分の幸せをただ願う。
こうして、私は、自分の為に、初めて涙を流したのだ―――。
「おかえりなさい……ヒメカ」
「うん。ただいま……みんな」
そして、私は、皆の様に――泣きながら微笑んだ。
終章
それから、一月が経った。
漸く躰が動くようになった私は、三十日ぶりの外界を堪能する。大きく伸びをして、躰の関節をゴキゴキ鳴らしていた。
その後ろには、ルマと、メルカリカと、ウォレット君の姿がある。メルカリカは自分に背を向ける私に、声をかけてきた。
「というか、ボクは君を一生許さないからね、ヒメカ」
「……まだ根に持っていたんだ? だから、ゴメンって言っているのに」
「いーや、そんな言葉じゃ騙されない。ボクを置いてきぼりにした君を、ボクはずっとずっと怒り続ける。絶交しないだけでも、ありがたいと思って欲しいね。でも、そうだな。君が本当に幸せになれたら、少しは矛先を緩めてもいいかも」
悪戯気な微笑みを、彼女は向けてくる。私は露骨に貌を歪めた。
「……幸せって、相変わらず借金持ちの私が? いつ負債を返済できるか目処が立たない私が幸せになれるとか本気で思っている?」
うん。リデオンを破壊した私は、これで永遠にかの船をマストリアに返せなくなった。お蔭でマストリアから借金の催促を受ける日々を、私は送っている。今やサーハスやウッドウェイから徴収されている税金だけが、私の頼みの綱だ。偉大なる金づるである、メルカリカやウォレット君だけが頼りである。
そのマストリアの役人足る、ルマが声を上げた。
「……そうね。……私もまさか、祖国がこれほど厚顔無恥だと思わなかったわ。……一体誰のお蔭で、今のこの星の平和はあると思っているのかしら?」
「私の為に怒ってくれて、ありがとう。相変わらず、ルマは優しいなー」
「……べ、別に、ヒメカの為に言っている訳じゃないわ。……私がただ、マストリアの悪口を言っているだけで、それ以上でもそれ以下でも無い」
本当に、変なところでへそ曲がりな子だ、ルマは。お蔭で、私の頬はもっと緩んでしまう。
「でも良かったわ。今後の展開次第では、ルマもアウナとの契約を解除できそうだし」
そう。驚くなかれ。何とこの度、あのジルキルドの肝いりで、世界サミットが開催される事になったのだ。
かの国はその意思を行動で示し、マンスやランドゲルやナイズの独立を認めた。
十四ヵ国の王が一堂に会し、平和条約の締結を為すよう乗り出したのだ。
彼女――マトリス・ジルキルドは、今度こそ本当の意味でラグマさんの遺志を継いでいた。
「でも、予断は許されないかなー。ボクとしてはマストリアあたりが野心を捨てきれず、色々ごねてきそうな気がする。そうなるとサーハス、ウッドウェイ、ジルキルド連合という事もあり得るか」
「かもな。というか、最近つくづく思うよ。俺はやはり王の器じゃないって。やはりメルの傍で剣を振るっているのが、俺には一番向いている職種だ」
「……職種ってなんだよ、職種って? ボクの傍で剣を振るうのが仕事って、それじゃまるで専属のガードマンみたいじゃないかー」
不満そうな顔で、メルカリカが愚痴る。加えて、ウォレット君は更なる地雷を踏んだ。
「そういえばヒメカ、あの時言っていた〝メルの気持ちに気付け〟ってどういう意味だ? 俺、メルを怒らせる様な事、したか?」
いや……今まさにしているところなのだよ、君は。
流石、〝ミスター鈍感〟だ。あれだけぶっちゃけたのに、尚も気付かないとは。
「いや、〝ミス鈍感〟にだけは、言われたくはないと思うけどね」
メルカリカが苦笑いしながら、謎の言葉を告げる。
私は首を傾げながら、それじゃあ、と三人に手を振った。
「だったね。今度は新しい鉱山でも見つけに行くんだったっけ、ヒメカは。いや、見つかるといいね、鉱山。親友として、それだけは祈っていてあげるよ!」
どう考えても、私を玩具にしているとしか思えない顔でメルカリカも手を振る。
ウォレット君やルマもそれに倣い、私はウッドウェイ城を後にした。
「で、そういうあなたは、本当のところどうする気です? また姿をくらましたお兄さんでも探しに行くつもり? それとも、カサアラナの生死でも確かめにいくとか?」
ウッドウェイ城の門の壁に背を預けながら、両腕を組んだ少女が問いかけてくる。それはこの一月、貌を合わせる度に文句を口にしながら私を治療し続けてくれた彼女の声だ。
セフィニティーは私が答えを返す前に、鼻で笑う。
「なら、心配いりません。カサアラナは――生きています。私が彼女のもとに瞬間移動出来ないのが、何よりの証拠。どう? これで少しは、肩の荷が下りた?」
「ええ、そうね。ありがとう――姉さん」
私がそう呼ぶと、何の進歩もなくセフィニティーはギョっとする。
「……だからあなた、その姉さんと言うのは止めなさい。真剣に、背筋がゾッとするのよ」
「でも、姉さんは姉さんだから。ね――セフィニティー姉さん?」
この時、彼女の貌は更に引きつる。
「……成る程。あなた、確かにちょっと変わったわ。性格が悪くなった」
「そう? これでも姉さんの身に何かあったら、号泣するくらいはするつもりなのに? あの時、あなたが私の為に、泣いてくれた様に」
私は失笑しながら、セフィニティーを抱擁する。
彼女は躰を硬直させた後、私の躰を押しのけてきた。
「……な、な、な、何をするのよ、あなたは! あなた、本当に私が今まで何をしてきたかわかっているッ?」
「さあ、そんな事は知らない。だから、例え万人が貴女を敵視しても私だけは貴女を庇い続ける。貴女の事は――私が一生守り抜くわ。一生分の借りを返すって、そういう事でしょ?」
そう断言すると、彼女はもう一度唖然とする。彼女はやっぱり、ここでも素直じゃない。
「……いえ、やはり、駄目ね。今、その好意を受け入れたら、私は今までの自分を全て否定する事になる。ここまで来た以上――私は最期まで己を貫き通す以外無いのよ」
「そう? 私やカサアラナは、きっと変われたのに?」
いかなる心境に至ったのかはわからない。ただ、彼女は息を呑んだようだった。
そのまま私はセフィニティーに背を向け、振り返りながら告げた。
「じゃあね、姉さん。もし困った事があったら、何時でも訪ねてきて。私は、大歓迎だから」
彼女の答えを待たず、私はそのまま歩を進める。
城下町を横断し、ただ彼の事を想った。
私が命の危険が無い所まで回復した後、彼は姿を見せなくなった。
ただ、彼は私以上に私の事を知っていたと思う。
今なら、ハッキリわかる。
メルカリカが彼の協力を求めた理由が、ウォレット君が口では何だかんだ言いながら彼を頼った気持ちが、ルマが自分の事情を暴露されても怒らなかった心情が、兄さんが彼に私を託して姿を消した意図が、セフィニティーさえ動かし私を救ってくれた彼の強い想いが、私にはわかる。
その彼はもう私の傍には居ないけれど、私はそれでも笑顔で前へと進む。
だってそれが、彼が求めた事。
自分の幸せを誰かと分かち合うのが正しい事だと、彼は言った。
なら、私はせめて最期の瞬間まで、周囲に笑顔をふりまこうと思う。私にはそんな些細な事しか出来ないけど、多分、あの彼はそれでも許してくれるだろう。
そう思い、私は城下町を出る。涙しそうな自分を奮い立たせ、ただ前へと進んでいく。
その時――本当に当たり前の様に、その声が私の耳に響いた。
「よう。遅かったな、ヒメカ。何だ? メルカリカあたりに、駄々でもこねられたか?」
「…………」
私は僅かに間を空けた後、彼に倣って当然の様に、言葉を紡ぐ。
「ええ。散々怒られてきたわ。それでも私の成功を祈っているっていうんだから、本当に天使みたいな子よね、彼女は」
城下町の前に立つ彼は、それから私の傍に近寄って、私の肩にしがみつく。
彼は、極自然に言い切った。
「では、行くか。ああ、そうだ。約束しただろう。我は君が借金を返済するまで協力すると」
「そこは素直に〝私の傍にいたい〟って言えばいいのに」
私にしてみれば、最大級の自惚れをドヤ貌で口にする。
彼は――ネコ博士は、苦笑した様に見えた。
そのまま私は前進しながら、最後に残った疑問を問いかける。
「そういえば、訊き忘れていたけど――なんでネコ博士は猫なの?」
彼の答えは、実に曖昧だ。
「さてな。それはまた、機会があったら語るとしよう」
そのまま私達は、振り向く事なくウッドウェイを後にする。さしあたっては行く当てもないのだが、きっと平気だろう。何しろ私の傍には、私以上に私が何をするべきか知っている賢者様が居るのだから。
その事実に、もう一度だけ涙しそうになりながら、私はやはり微笑み続ける。
私が矢木妃花に戻る日は、ずいぶん先の事になりそうだが、でも大丈夫。
今の私なら――生きているだけで幸福だと心底思えるから。
人生は生き抜いた先でさえ何があるかわからないと――今の私は理解しているから。
ソレを教えてくれた彼と共に、私の人生は、今も奇跡の様に続いている―――。
神獣戦線・後編・了
という訳で、神獣戦線・後編でした。
今回はいつもと違い、主人公がほぼまともで、或いは男子が好きそうな性格と容姿だと思っています(自画自賛)。
その反面、普通に侵略戦争に手を貸しているので、やはり完全にはまともとは言えません。
これからも、そんなヒロインばかり出てくる物語が続きますが、どうぞ宜しくお願いいたします。
で、次回の話は目つきが悪い和服の〝天使〟と、ある非凡な能力を持った少年の物語です。
珍しく男子も主人公で、大活躍しているとかしていないとか。
次回作――ファイナルジャッジにどうぞご期待ください。
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