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ヴェルパス・サーガ  作者: マカロニサラダ
2/20

七つで大罪!・後編

 という訳で、後編です。

 今は正義の心を持っている奴ですが、時が経つにつれ性格が歪んでいきます。

 今後も奴は出てくるので、そのあたりの変化も楽しんでいただければ幸いです。

     ◇


 それ以前に、なぜ脳内のBGMが彷徨う■的な物なのだろう? こういう時は普通、笑顔に囲まれ■的な物の筈だ。なぜこんな不安な音楽が頭の中で流れているのだろうと疑問に思った時、私は思い出す。

 そういえば、私は今日玉子ママに怒られにきたのだ。玉子ちゃんの身を危険に晒した事を、咎められにきた。

 そんな基本的な事さえ忘れているのだから、今日の私は確かにどうかしていた。

 そうこうしている間に私の目の前には、玉子ママが作った料理が並べられる。お好み焼きとごはん、ソレにお味噌汁である。

 ぶっちゃけ、あの母は料理の腕だけはよく、私を毎日の様に満足させている。が、玉子ママが作った料理も、同じくらい美味だった。

「美味しかったー。お料理お上手なんですね、お母さんは」

「あら、愛奈ちゃんの方こそお上手ね。でもそう言ってもらえると、私としても嬉しいわ」

 で、食後になり、遂にケーキの出番がやってきた。そういえば、なぜ昼食の前にケーキを食べてはいけないのだろう? 私の家ではケーキなど出た事が無いので、そういう基本的な事さえ実は知らないのだ。

 玉子ちゃんは私を物知りだとおだててくれたが――ソレが鳥海愛奈の実情だった。

「えっと、ショートケーキに、ガトーショコラに、モンブランをご用意しました。因みにパパの分は買ってないからパパには内緒ね、玉子、愛奈ちゃん」

「わかったー。パパのぶんまで、私が美味しくいただくことにするー」

 ケーキが登場した途端、玉子ちゃんは更に御機嫌になる。その理由がわからないまま彼女がケーキを選ぼうとすると、玉子ママがソレを制止した。

「って、駄目でしょう、玉子ー。今日の主役は愛奈ちゃんなんだから、愛奈ちゃんが先に選ぶのよー。ちゃんと先に、そう言っておいたでしょう?」

「そうだったー。と言うわけで、先にえらんでいいよ、鳥海。私は残り物でいいから」

「………」

 エッヘンと言った感じで、玉子ちゃんはドヤ顔しながらそう告げる。私はやはり彼女の子供らしさに羨望さえ覚えながら、素直に玉子ちゃんの言葉に従った。

「えっと、それじゃあせっかくなので、私はモンブランとやらを」

「ええ、どれでも遠慮なく選んでいいのよ? こんな事もあろうかと、三つとも玉子の好物を選んで買ってきたから」

「うん。だから私、もんくなんて言わないよ? えらい?」

「そうね。玉子は偉いわ。さっき私に、腹パンしてきたけど」

「あれは、ママがわるいんだもん。だから、私のせいじゃないもん」

「はい、はい、そうね。で、愛奈ちゃんはモンブランで良いのね? じゃあ、次は玉子」

 玉子ママが促すと、玉子ちゃんは目を輝かす。

「んー、じゃ、私はショートケーキー!」

「なら、私はガトーショコラね。それとも、少しずつ食べさせ合いっこしようか?」

「いいよー。でも、私も鳥海のクリとらないから、鳥海も私のイチゴとっちゃだめだからね」

「………」

 先手をとられた。ボケを一つ潰された。いや、そうは言う物の、この年の少女相手にそのボケは危険すぎる。恐らくマジ泣きされる筈なので、ソレは禁忌の所業と言って良い。

 こうして私は生まれて初めてケーキなる物を食した訳だが、その感想は以下の通り。

「――げェっ? なにこれっ? うますぎる――っ!」

 思わず、いい子という体裁を忘れていた。大人ぶるという事を脳裏の彼方に追いやるほど、初めて食べたケーキは美味すぎた。

「え? 愛奈ちゃん、それって〝私、初めてケーキを食べました〟的なリアクションなんだけど、マジで?」

「……あ、いえ。ケーキなら……毎日の様に食べています。でも、お母さんが買ってきたケーキは、その中でも特別美味しいというか……」

「そうなの? けど、毎日ケーキというのも、健康上かなり問題がある気が」

 そうなのか? では、一体どう答えろと? 私は今日ほど、今までケーキを食べさせてくれなかった両親を恨んだ事は無い。仮に〝ケーキって、どういう時に食べる物なんですかね?〟などと問いでもしたら、児童保護施設に通報されかねない。私はあの両親から、引き離されるかもしれないのだ。

「………」

 んん? いや、待て。ソレに一体なんの問題がある? 寧ろいい事なのではあるまいか? ならばとばかりに、私は抱いていた疑問を口にする。

「えっと、それでケーキというのはどういうとき食べる物なんでしょう?」

「………」

 途端、周囲が沈黙に包まれる。それから、玉子ママは爆笑した。

「アハハハ! 面白いジョークね、愛奈ちゃん! ソレ、お母さん譲りのギャグっ?」

「……そう、ですね。まあ、そんな感じです」

 どうやら私の真剣な質問は、大人から見るとただのギャグらしい。この温度差から鑑みるに私はかなり不味い事を訊いてしまった様だ。

 現に玉子ちゃんは、私の質問を滑ったギャグの様に、真顔で処理する。

「んん? ケーキは、誕生日とかお祝いの日に食べる食べものなんだよ? 鳥海でもしらないことがあるんだね?」

「………」

 いや、子供にキョトンとされるのって、結構、精神的に堪える。何かを異様に咎められている気がするのだ。私も子供だけど。――そう。私は誇り高き七歳児。

「と、食事も終えた事だし、そろそろ本題に入ろうかな」

「………」

 玉子ママが、姿勢を正して私と向き合う。私はついに来たかとばかりに、思わず身構えそうになった。一体玉子ママの口からどんな文句が飛び出るか、私には想像もつかない。実際、彼女の口からは予想外の言葉が発せられる。

「――玉子を助けてくれて本当にありがとうね、愛奈ちゃん。この事は一生忘れないから、愛奈ちゃんも何か困った事があったら――どうか私達を頼って」

「……え? はい? あの、お母さんは玉子ちゃんを危険に晒した私を、怒る為に呼んだのでは?」

「へ? いや、いや、まさか! 警察の人の話では犯人は重度の麻薬中毒者って事じゃない。なんか本当に、いつ発砲してもおかしくない精神状態だったらしいのよ。そんな凶悪犯から玉子達を守ってくれたんだから、お礼の一つも言わなきゃ罰があたるわ」

「………」

「というか、愛奈ちゃんを叱るのはご両親の領分。赤の他人である私としては、ただ無責任に甘やかすだけよ。事件後、やっぱり愛奈ちゃんはご両親にこっぴどく怒られたんでしょう? そんな無茶をする奴がいるかって感じで? だから、ソレを慰めるのが私の役割」

「………」

 ああ。私が抱いた違和感の正体が、少しわかった気がする。

 私は両親に怒られる時に怒られず、褒められる時に褒められないのだ。普通の子供なら怒られ、褒められながら成長していくのに、私にはソレが欠落している。

 要するに、私は既にあの両親から子ども扱いされていない。最低でも十代後半の大人として見られている。ソレを少し寂しいと感じている自分がいる事に、いま気が付いた。

「そうだよー。鳥海は私達の命の恩人なんだから、もっとえらそうにしていいんだよー」

「そうね。玉子なんて何もしてないのに、偉そうだし」

「……むー。違うもん! 私だって鳥海に勇気をあたえたって褒められたもん! 私がいなかったらきっと鳥海、銀行から逃げていたはずなんだからー」

「………」

 意外としっかり、私の心理を見抜いているな、玉子ちゃんは。これだから、子供は見くびれない。

「いえ、玉子の戯れ言はともかく、そういう事だからまた何時でも家に遊びにきてよ。その時は、今日みたいにご飯やケーキを食べたりして、ダラダラ過ごしましょう?」

 最後にそう告げながら――玉子ママは父の様にニカっと笑った。


     ◇


 それから私は、玉葱家からお暇した。

 玉子ママこと玉葱利佳子さんは、やはり笑顔で私を見送る。その笑顔に安堵を覚えながら、私は滅多に下げない頭を下げて、玉葱家を後にした。

 だが、そんな私は現在一人では無い。どういう訳か、私の横には玉子ちゃんが居た。

「って、別に送ってもらわなくても、私、ちゃんと道はわかるよ?」

 玉子ちゃんは私を送っていくときかないが――寧ろ帰りに道に迷うのは玉子ちゃんの方では? けれど、利佳子さんはこれも世間勉強だからと我が子を送り出し、私もそれに仕方なく従う。

 正午を少し過ぎたばかりで、日はまだ高く、丁度いい陽気と言った感じだ。そんな中、まるで散歩をする様に私は帰路につき、玉子ちゃんは私の隣を歩く。

 すると、彼女は何の前置きも無くこんな事を言い出した。

「あのさ、鳥海――きれいごとって悪いことなのかな?」

「んん? 綺麗ごとが悪いか? 随分イキナリな質問だね?」

 私がつい心証通りの事を言ってしまうと、玉子ちゃんは俯いてしまう。しまった、またミスを犯したかと慄いていると、彼女は見るからに落ち込んだ。

「……うん。親戚の人がママに言っていたんだ。いい大人がいまさらユメを叶えようとするのは、きれいごとだって。母親なら、もうすこし子供の事をかんがえて行動しろって。私はママが芸人やってるのたのしくて好きなのに、それでもやっぱり悪いことなのかな……?」

「………」

 どうも、これは真剣なお悩みらしい。だとすれば、私も真摯に玉子ちゃんと向き合う必要に迫られる。結果、私は恥じらいも無くこう答えていた。

「綺麗ごと、か。確かにいい印象の言葉では無いね。それは叶いもしないユメで、言葉だけを着飾った事の様に思えるから」

「そう、なの?」

 そこまで言い切ると、玉子ちゃんは更に剣呑な表情になる。私は空を見ながら、素知らぬ顔で続けた。

「でも綺麗ごとというのは必要なんだよ。差別、貧困、虐め、汚職。それ等は人類の宿病で、だからソレを無くそうというのはある意味綺麗ごとでしかない。けど、その綺麗ごとという建て前を全てなくしてしまった世界は弱者にとってはただの地獄なんだ。綺麗ごとという建て前が機能しているからこそ、私達の世界はギリギリの所で安定している。綺麗ごとを現実にしようという一人一人の努力が、世界をいい方向に導いていくんだから。言うなれば人にとって綺麗ごとというのは幻みたいな物であるのと同時に、道標なんだ。何かを変えようという意思さえなくしてしまった世界は、ただの悲惨な収容所でしかない。そんな世界ではどんな活力も生まれないと思う。実際、人は綺麗ごとと思しき事を実現してきた。人権や参政権がなく、差別や奴隷制度が横行していた時代があるというのに、ソレを覆した。人間には、綺麗ごとを現実に変えるだけの知恵と力があるんだ。私達はまず――その事を認識するべきだと思う」

 まあ、それも産業革命が起き、生産性がアップして、庶民まで物資が届くようになったからだが。つまり私達にいま与えられている権利というものは、余裕の産物なのだ。一部の特権階級が富を独占しなくとも、皆が豊かな暮らしができるからこその、産物。その余裕が無くなったら、どう時代が逆行するかは想像に難くない。

「でも、だからこそ綺麗ごとは大事だと思う。さっきも言ったけど、人間にとって一番大切なのは活力なんだよ。前に進もうとする力が、世界を変えていく。それさえ忘れ去ってしまった人達に何かを変える事は、きっと出来ないと私は思う」

 そこまで話すと、玉子ちゃんはキョトンとした。

「……えっと。つまり、ママは悪くないってこと?」

「そうだね。利佳子さんは今、堂々と自分を変える為に努力している。暴力を行使して何かを変えようとしている訳じゃないんだから、胸を張って構わないと思う」

「え? 暴力でなにかをかえちゃいけないの? あの強盗犯を倒した鳥海は、あんなにかっこうよかったのに?」

 玉子ちゃんが、更なる疑問をぶつけてくる。私は一も二もなく返答した。

「だね。犯罪行為に対しては何らかの武力的制圧が必要だけど、本来暴力で物事は変えられない筈なんだよ。ソレは明らかにテロ行為で、ソレを認めれば民衆は暴力でしか物事を変えようとしなくなる。その時点で国は秩序を失い、やっぱり弱者にとっての地獄に変わってしまうんだ。ソレを避ける為にも国家はどうしたって暴力が伴った要求ははね退けなければならない。そういった事を考慮するなら、私達は物事を変える時、暴力にだけは頼ってはいけないんだ」

 いや、どの口がそんな事を言っているといった感じだが、たぶんこれは事実だと思う。国家が治安と秩序と面子を重んじる限り、暴力では何も変わらない。いや、もっと言ってしまえば絶対に変えてはいけないと思う。暴力で何かが変わったという前例を作れば、人は暴力でしか何かを変え様とはしなくなるから。ソレは明らかに、国家と言う枠組みに致命的な亀裂を生じさせる事態だ。人が何かを変えたいなら、人を、民衆を、国を、世界を味方にするしかない。

「そっかー。よくわからないけど、何となく暴力はいけないって事はわかったきがする。鳥海みたいな暴力はよくても、あの強盗犯みたいな暴力はぜったいいけないって事だね?」

「……んー。微妙な解釈だけど、そんな感じかな? でも私の真似だけはしちゃいけないよ、玉子ちゃん。アレは本当に危険な行為で、だから普通は絶対やっちゃいけない事だから」

「えー。私もいつか、鳥海みたいにかつやくしたい! そうだ! 鳥海、私にぶじゅつをおしえてよ! 暴力がいけないのはよくわかったけど、鳥海みたいな暴力はいいんでしょう?」

「……あー、じゃあ、考えとくね」

 曖昧な言葉で返事を濁す。正直いえば玉子ちゃんに護身術を教えるのは、抵抗があったからだ。堺さんの様に彼女をフルボッコにしたら、それこそ利佳子さんに激怒されてしまう。

「もー、大人はみんなそういって話をごまかすんだからー。ねー、いいでしょうー? 私にもぶじゅつをおしえてよー!」

 そう訴える玉子ちゃんに――私はただ苦笑いだけを浮かべていた。


     ◇


「というか、私――大人じゃないから。玉子ちゃんと同じ学年の――ただの子供だから」

「は、い? あの、愛奈殿はイキナリ何を言って?」

 玉子ちゃんとわかれた後、私は何故か家に帰る気になれず、そのまま公園で時間を潰した。四時を過ぎたころ漸く堺さんが公園にやってきて、私は開口一番件の文句を告げたのだ。

「いえ、いいんだ。今のは百パーセント私の事情だから。というのも、私今日、はじめて同級生の家でケーキを食べてさ」

「えっ? 愛奈殿って友達が居たんですか――っ?」

「………」

 驚く所が、かなりズレていた。私としては、〝初めてケーキを食べた〟という所に反応してもらいたかったのだが。

「うん。それで如何に私の家と他人様の家は違うと、思い知らされたよ。ぶっちゃけ奴等は、私を子供だと思っていない。アレはアレだね。完全に私を労働力の一環だと捉えているね」

「………」

 私が憤慨しながら愚痴ると、スーツ姿の堺さんは首を横に傾げる。

「……成る程。愛奈殿には、愛奈殿の苦労があるのですね。ですが、ご両親にもご両親の考えがあるのではないでしょうか? というより、愛奈殿はご両親から子ども扱いされたいと? 何をするにも、一々ご両親の許可をとる様な生き方をお望みですか? 私が思うに、愛奈殿にそういった窮屈な生き方はできないと思うのですが? 寧ろ放任する事こそ、愛奈殿に対する最良の待遇ではないでしょうか?」

「………」

 あ、何か、母もそんな事を言いそうな気がする。〝私達はアンタの事を思って放任してあげているんだかね〟とかなんとか、可愛くも無いツンデレ口調で。

「そう言われると、返す言葉が無いなー。でも、ケーキくらいは食べさせてくれても罰はあたらないよ。どんな時ケーキを食べるか知っておくのも、決して無駄じゃないし」

「……今日までどんな時ケーキを食べるか知らなかったんですか、愛奈殿は? ソレは何と言うか……ご愁傷様です」

「いや、死んではいないから。私、ちゃんと生きているから。寧ろ改めて死んだのは、私の両親に対する敬意だよ」

 本当に、今日だけで何回くらい死んだだろう? 私としては、そう思わざるを得ない。けれど何故か、そんな私を見て、堺さんは楽しそうだ。

「あ、いや、失礼。愛奈殿にもそういう感情的な所があると知って、安心したというか」

「まあ、そうだね。私も人間だから、感情的になる事もあるよ。そんな感情的な人間である私は、だから午後錬はスペシャルメニューで行こうかな?」

「はっ? ……いえ、待ってください、愛奈殿? 今朝のアレは、アノ時点で割と厳しかったというか……」

「いえ、午後錬の時の堺さんは――一味違うんでしょう? というわけで――早速始めるよ」

 そう言いながら――私は半ば八つ当たり気味に堺さんの特訓を開始した。


     ◇


「……というか、私にカラスが群がってきます。なんでしょうね、これ? 私を自分達のエサだとでも思っているのでしょうか?」

 で、今朝の様に大の字に倒れた堺さんは、空を見ながら呟く。

 午後六時をむかえた所で、私達の午後錬は漸く終わりを迎えていた。

「いや、堺さんが死肉なら、私の両親はゾンビだよ。死んだ後も他人様に迷惑をかける、ゾンビ」

 まだ死んだわけではないが、私にはそうとしか思えない。娘にこうまで罵倒される親も、珍しいのでは?

「そうですね。私は両親や兄を尊敬する口ですから、余り愛奈殿の気持ちはわからないかも。というか、ハッキリ言って構いませんか? 愛奈殿って物理法則に照らしても、絶対におかしいでしょう……? 普通、動きがマッハを越えた時点で、大気が体を焼いて、焼却されるのでは?」

「ああ、それね。実は私も、不思議に思っていた」

「………」

「でも、仮説以外なにも思いつかなかったから、その問題は放置する事にしたんだよ。まあ、私に解体癖がある事とは何の関係も無いだろうし」

「……解体癖、ですか?」

 漸く立ち上がった堺さんが、疑問符を並べる。私は、腕の筋を伸ばしながら彼方を見た。

「うん。実は私、色んな物を解体する悪癖があるんだ。壊れたDVDプレイヤーとか、ラジオとか、テレビとか、パソコンとか、とにかく解体したいの。いえ、そこに何かを見出そうとしている訳じゃ決してないんだよ? ただ解体したいだけで、それ以上の感情は全くないから。そうだね。今のところ、生き物を解体したがらない事が救いと言えば救いかな?」

「……完全に、犯罪者によくある傾向と性癖ですね。愛奈殿の心の闇が、また一つ白日の下に晒された……」

〝私、こんな人のもとで弟子をやっていて大丈夫なんだろうか〟と言った感じで、堺さんは私を見る。私はちょっと考えてから、こう強調した。

「いや、いや、だから大丈夫だよ、堺さん。私、生きながらに調理される蟹とか見て心を痛める位、心がピュアな子だから。堺さんは、何の心配もする必要は無いんだよ?」

「……それは殺人鬼が、〝いや、今日は一人殺したばかりだから、ウチに泊まっても大丈夫だよ?〟と誘いをかけている様な物ですね。全くこれっぽっちも、安心できません。寧ろ、フザケルナと言いたい」

 この辛辣なご意見ご感想を前に、私はフムと頷く。

「いえ、それはそうと、堺さん、お兄さんは大丈夫なの? 意識は回復した?」

「……あ、いえ、それがまだです。前も言った通り命に別状はないのですが、どうも相当精神的なショックを受けた様で。なかなか目を覚まそうとしません」

「……そっか。ソレは心配だね」

 私が真顔で目を細めると、堺さんは話を変える。

「ですね。ですが、それとこれは話が別です。そろそろ愛奈殿は、お家に帰って下さい。日も暮れてきた事だし、いい加減、子供は家に帰る頃合いです」

「成る程。父や母が私を子ども扱いしないから、堺さんが代りを買って出た訳だ? そういう心遣いは、実に堺さんらしい」

「……だから、そういう事を簡単に見抜いてしまうから、貴女は子ども扱いされないんです。ですが、こういう気遣いを黙って受け止めない部分が、愛奈殿の子供らしい一面とも言えるかも」

 何時かの私の様に苦笑いする、堺さん。

 私もつられる様に口角を上げ――この日の特訓は終わりを告げたのだ。


     ◇


 で、漸く帰宅である。実に、約十一時間ぶりの我が家であった。

「おや、おや、今日も遅いお帰りね、愛奈君や。今日は一体、何をどうしていたのかな?」

 既に夕食の用意を終わらせている母が、楽しそうに訊いてくる。私は間髪入れず、言ってやった。

「いや、いや、私は単に、今日初めてケーキなる物を食べさせてもらっただけだよ。中々の美味で、私は今までこんな美味しい物を食べた事がなかったのかと呆然自失だったね。というか玉子ちゃんのお家については、お母さんにとってもたぶん意外な話だと思う」

 利佳子さんも芸人で、ある意味、彼女が母を尊敬していた事を話す。その上でちゃんと今日のお礼をする様に母に注文すると、彼女は眉をひそめた。

「……成る程。それは中々高いハードルね。私は愛奈と自分の面子もつぶさないよう、利佳子さんとやらと接しなければならない訳か」

「そうだね。利佳子さんはかなりお母さんの事を美化しているから、そのつもりで対応した方がいいかも」

 夕食が並べられたテーブルに目をやりながら、自分の席に座る。母は頬杖をついたまま、何故か一瞬、私から目を逸らした。

「ねえ、愛奈。貴女、きょう利佳子さんから褒められてどう思った?」

「は、い? ずいぶん唐突な事を言い出すね。まるで七歳児である玉子ちゃんの話の切り出し方みたいに、脈絡がないよ?」

 が、私の文句もろくに聞かず、母はこう指摘する。

「たぶん、貴女はこう思ったんじゃない? 利佳子さんや玉子ちゃんに、喜んでもらって良かった。これからも彼女達の為に頑張ろう、と」

「………」

「つまりはそういう事よ、愛奈。これは酒京さんが言っていた事なんだけど、貴女はたぶん光秀型の人間なの。秀吉型と光秀型に分けるなら、貴女はきっと後者に当てはまる。楽をできる所は手をぬく前者と、楽をする事を知らずに物事をつき詰める後者。貴女はおそらく後者の側の人間なのよ。それがどういう事かわかる、愛奈?」

「………」

 ……なんか、長くなりそうだな、この説教。

「そう。貴女は物事のいい部分を見る様にしているかもしれないけど、本質は違う。貴女の目が向けられているのは、常に物事の悪い部分。愛奈は他人の、いえ、人間の悪い部分ばかりを気にしているわけ。貴女が無理に人間を美化しようとするのは、貴女にとって人間とは醜悪なモノだから。その本心を誤魔化す為に、貴女は人間の良い面ばかり強調しようとする。そうやって、人間は生きていても良いんだと自分に言い聞かせているの。本当は――人間なんて滅びてしまえと何時だって思っている癖に」

「………」

「その反動かしらね。貴女が気に入った相手に対しては、とことんまで尽くすのは。褒められれば、褒められた以上に貴女は何かお返しをしようとする。例えその人の短所を見つけても目を逸らし、見なかった事にしようとする。でも、そう言った感情は吐き出さない限り、どんどん胸に溜まる一方なのよ。貴女はそういったストレスを処理するのが、致命的なまでに苦手なんだわ。酒京さんは貴女が小さな頃に、その事に気付いてしまってね。だからなるべく貴女を褒めない様にしたの。だって貴女、下手にそうすれば私達に気を使って、生きたいように生きられないでしょう? 今以上にいい子でいようと努力して、人間らしい感情を失っていく。今以上に褒められようとして、自分の事は二の次になる。でも、その果てに人間は救済するに値しない存在だと気付いてしまったらどうなるかしら? そう。貴女はきっと――爆発するわ。それこそ織田信長を抹殺した明智光秀の様に。既に人間が醜悪なモノだと気付き始めている貴女は、だからその反動も大きいの。その反動を少しでも抑える為に、私達夫婦は貴女を褒めもしなければ怒りもしないわけ。既に子供ではなくなってしまった貴女を、大人の様に扱う。誰かに褒められるという事は、貴女にとって、ただの足枷にすぎないから」

「……あの、要するにお母さんは、私がいつか人間を滅ぼすんじゃないかと不安なわけ? そんな事、あるわけないのに?」

 そろそろ黙って聴いていられなくなって、私は口を挟む。

 母は、最後にどうでもいい事の様に呟いた。

「いえ。私はね、愛奈、偶に貴女をどうしようもなく褒めたり怒ったりしたくなる事があるだけ。ソレだけ覚えていてくれれば、後の事はどうでもいいわ」

「………」

 実際、それで、話は終わった。

 予想もつかない人格攻撃をされた気がするが――私は黙って夕食をとる事にしたのだ。


     ◇


 私が、人間の悪い部分しか見ていない。

 夜、布団の上で寝る前に、母が言っていた事を思い出す。母はその本質が切っ掛けで、私が何時か爆発すると指摘した。何をバカなと思う一方で、思い当たる節が無いわけでもない。

 例えば、あの狂戦士に対する凶行。私はあの時、必要以上に彼を痛めつけていた気がする。最後の両腕折りは必要でなかったのではと、今更ながら思う。

 だが仮にアレが、玉子ちゃんを守りたいと思った反動だとしたら? 善意の人の命を危うくする、悪意の人に対する過剰反応だとすれば、確かに筋は通る。

 私は善意の人を守りたい一心で、悪意の人を徹底的に排除した。命こそ奪わなかったが、私はソレに近い事を彼に行ったのだ。

 成る程。そう考えると、母や父の意見にも一理あると言えた。

 もしかすると、私が他人と関わろうとしないのは、人の本質を知るのが怖いからでは? ソレを知ってしまえば、私は人を嫌悪しかしなくなる。不器用な私は、それが世間なのだと割り切る事も出来ず、何時か人間その物を憎悪する。

 無意識にソレを避ける為に、私は今まで他人を深く知ろうとはしなかった。

 母は暗にこれ以上玉子ちゃん達には関わらず、以前の私に戻れと言っているのだ。そうすれば、私が平常心を失う事も無いから。

「でも、それも勝手な話だね」

 逆に玉子ちゃん達が私をいい方向に導く可能性だって、十分あるのだ。玉子ちゃん達が私の良識を繋ぎ止めてくれるケースだって、あり得る。

 が、そう思う一方で――私は確かに逆の場合がある事も認めていた。

「……いや、違う。そんな事は、絶対に起こさせない」

 最後にそう誓って、私は瞼を閉じる。長かった一日を終わらせる為、高ぶった意識を弛緩させようとする。その僅かな隙を衝いて、ソレは起った。

「――はっ?」

 ほんの一刹那――私は殺気を感じる。

 それと同時に、私に向けられ、確かに三発の弾丸が発射されたのだ―――。


     ◇


 迫る弾丸。ソレを視認する、愛奈。結果、弾丸の速度を模倣した愛奈は、ソレをどうにか避ける。同時に、彼女はその襲撃者の姿を確認していた。

 黒い背広を着た彼は、何処にでも居る若いサラリーマンの様だ。

 その反面、容姿は整っていて、ホストと言っても通用するかも。黒い髪をオールバックにした彼は、愛奈の俊敏な動きを見て目を見張った。

(今の不意打ちを躱す? どうやら、本物の化物らしいな、こいつは)

 そう感じながらも、彼は表情一つ変えない。江島幸助が〝激〟だとすれば、彼は〝静〟と言える。その違いを感じ取った時、愛奈は刀とスマホを手に取りながら、空けてあった窓から逃走した。

(何者か知らないけど、家で戦うのは不味い。何とか戦いやすい場所まで移動しないと)

 そう計算しながら愛奈はアパートの壁を蹴り、スマホをポケットに入れながら道路に出る。

 襲撃者である彼もその後を追い、愛奈はパジャマ姿のまま彼を迎撃する形となった。

(というか、彼は何者? ――まさか、本当に宮川先生が私の暗殺を企てた? 彼は宮川先生が雇った――刺客だっていうの?)

 昨日の宮川都の様子は、確かにただならぬ感じだった。何かを決意した様な、そんな強い意思の様な物を愛奈は彼女から感じ取ったのだ。

 実に冗談の様な発想だが、強請られ続けた宮川都は遂にソレに耐えられなくなった? 教え子である愛奈の抹殺を望む程に、彼女は追い詰められていたと言うのか?

(……うわ。言いたくないけど、あり得そうな気がする)

 なにせ愛奈が宮川と教頭の関係を暴露すれば、彼女達は社会的に抹殺される。教師を続けられるかさえ疑問だ。それだけのネタを教え子に握られている以上、宮川が思い切った行動に出る可能性も零ではない。

(……あー。せめて今日、一万五千円返せていれば、違った未来が待っていたかもしれないのに)

 だが、それも今となっては叶わぬ話だ。あの寿司屋の一件と同じ様に、覆水盆に返らず。愛奈の所業は、相応の報いとなって彼女に返ってきた。言葉にすれば、ただそれだけの事だ。

(まあ、いい。宮川先生の事は後で考えよう。私はさっさと彼を倒して、警察につき出さないと)

 件の人気が無い公園に行き着いた頃、愛奈は足を止める。

 周囲は、月明かり一つない完全な闇。

 彼を公園で迎え撃つかまえの愛奈は、彼の到来をただ待った。

 事実、名も知れぬ彼はその場にやって来て、あろう事か無駄口を叩く。

「本当に子供か、君は? 正直、こんな人間が、この世のいるとは想定さえしていなかった」

「そういうあなたは、如何にも暗殺者って感じだね。狂戦士に騎兵の次は暗殺者、か。やれやれ、私もこの三日で随分多忙になったものだよ」

 それも半ば自分の所為だと認めながら、愛奈は刀の柄に手を添える。

 いや、彼女は次の瞬間、自分の感想が如何に呑気な物か思い知った。

(――な、にっ?)

 彼の姿が――唐突に消失する。

 同時に鳥海愛奈は――彼に関する記憶を丸ごと消失させていた。

(……私は、何で、公園なんかに居る? 私は今まで、一体、何を……?)

 そう愕然とする彼女を余所に、更なる異常が起こった。彼女の背後から、確かに銃撃が起きたのだ。

 その弾丸の気配を感じ、反射的に背後を振り返る愛奈。結果、彼女は自分に向けられて発射された弾丸を視認し、その速度を模倣する。

 弾丸が頬を掠めながらも愛奈はその回避に成功し、彼女は奥歯を強く噛んだ。

(まさか――『異端者』? 一瞬――存在はおろか術者に関する記憶さえも消失させる能力者だとでも言うの?)

 だとすれば、これほど暗殺に特化した能力は無い。存在はおろか、術者に関する記憶さえも消失させる能力者。ソレは正に、江島とは違った意味での脅威と言えた。

(というか、今のを躱す? 状況を推理する材料が殆ど無かったこの戦況で、死を免れたと? だとしたら、成る程、本物の化物だ)

 彼の心証に、誤りはない。何せ愛奈は自分が刀の柄に手をやっているというヒントだけで、状況を察したのだから。

 夜の公園で抜刀しかけているとしたら、それは何者かと交戦状態にあったから。愛奈は普通にそう思い、周囲を警戒して、その警戒網に彼の弾丸が引っかかった。

 言語化してしまえばソレだけの事だが、果たして常人にそこまで察し得る事が可能か? それも、相手は正真正銘の七歳児。その子供が、自分の必殺の一撃を回避した。

 この圧倒的な事実を前に――彼は、愛奈は全力で抹殺するだけの相手だと理解する。

(この距離では、無理か)

 再び遠距離からの射殺を試みる彼だが、愛奈はソレを当然の様に躱す。

 この戦況が、彼を死地へと誘った。

 遠距離からの射殺は不可能と判断した彼は、零射程からの射殺を試みる。次の瞬間、愛奈の直ぐ後ろには――彼女の頭に銃口をつきつける彼が居た。

(そう。この零距離から発射される弾丸は、例え君でも躱せない)

(――つっ!)

 彼が殺気を発する事で、能力が解ける。

 殺気を発した瞬間、能力が解除される〝ルール〟がある彼は、だから一瞬だけ隙が出来る。

 けれど、ソレは銃弾が発射されるまでのごく僅かな隙にすぎない。実際、愛奈は自分が今どんな状況におかれているか思い出すだけでやっとだ。彼女には今、振り返って零距離から発射される銃弾を躱すだけの余裕はない。

 ならば――彼女に待っているのは絶対的な死だ。

 弾丸を視認できず――その速度を模倣できない彼女の命は今こそ終わった。

 彼がそう確信した時、ソレは起った。

(な――っ?)

 あろう事か、鳥海愛奈はその一撃さえ躱す。零距射程の弾丸さえ、彼女は回避していた。その事実に驚愕している間に、愛奈は半回転して抜刀し、彼に反撃の一撃を入れようとする。

 この一撃を前に彼は息を呑み、それでも表情一つ変えず能力を発動させる。この世から存在そのものを消した彼は、そのため愛奈の刀をすり抜ける。

(というより――なぜ今の一撃を躱せる? 一体、彼女は何を? ――まさか銃弾が頭に当った瞬間、その弾丸を感じ取り、その速度を模倣した?)

 当たりだ。愛奈は命中しかけた弾丸を〝知覚〟する事で、弾丸の速度を模倣した。マッハ二十で迫る銃弾が頭に当った時点でその速度を感じ取り、彼の凶行を回避したのだ。

 後頭部に当った弾が、頭蓋を突き破る前に、超速で弾を回避する。この余りにバカげた状況を前にして、彼は初めて眼を大きく開く。

(正に真正の化物。だが、此方もこれ以上、手の打ちようがない。今はこの近距離攻撃を続ける他、彼女を打倒する方法は存在しない)

 故に彼は高速移動をしながら常に愛奈の背後に回り込み、銃弾を零距離から放つ。その度に愛奈はその弾丸を躱し、反撃してくる。

 その刃が彼の頬を掠め、今度は彼が奥歯を噛み締めた。

(だが――押しているのは此方。いま死の危機に瀕しているのは――間違いなく彼女の方)

 ソレは、事実だ。愛奈は依然あやうい綱渡りをしている事に、誤りはない。

 何せ一回でも状況判断を誤れば、彼女は即死する。ただの一回でも、自分の状況を見誤れば彼女の暗殺は完了する。彼はただその時が来るのを、待てばいいだけ。

(だね。私も弾丸を躱して、反撃するのがやっと――)

 今も背後から発射された弾丸を躱しながら、愛奈が舌を巻く。次の瞬間には、自分は死んでいるのではと幻視しながら、彼に反撃する。江島戦同様、後はその繰り返しだった。

 愛奈の中から――彼の存在と記憶が消える。

 彼が背後に回り込み――殺気を一瞬放ちながら弾丸を撃つ。

 愛奈はその一瞬のうちに全てを思いだし――弾丸を躱しながら反撃する。

 彼はソレを、存在を消して回避し――また愛奈の後ろに回り込む。

 この薄氷を踏むような繰り返しは、彼が予期していた時間より長く続いた。

(まさか。このままだと――夜が明けるぞ?)

 愛奈の中からは一瞬彼の記憶がとんでいる筈なのに、的確に行動してくる。なんのミスも無く彼女は攻防を繰り広げ、彼は思わず笑いそうになった。

(――こんなやつは、あいつ以外『異端者』でもお目にかかった事が無い。本当に見事としか言いようがないな)

 先天的にこの能力を持っていたが故に、暗殺者になるしかなかった、彼。人並みに良識を身に着けた頃には、既に多くの命を奪っていた。その為、もう引き返す事ができなくなった彼だが、一つだけ未練があった。真に死すべき相手を、彼は討ちもらしているのだ。

(そう。『頂魔皇』――キロ・クレアブル。あいつを殺せなかった俺が、尚も殺し屋を気取っているのだからやり切れない)

 逆に意図的に彼女に見逃された彼は、だから彼女を殺せる様になるまで腕を磨くしかない。言うなれば愛奈の暗殺は、その為のいい予行練習だった。

(そう。この娘程度殺せない様では――『頂魔皇』には届かない。俺が唯一見つけた――自分の存在意義を果たす事は叶わないだろう。俺の生は、今まで奪ってきた命は、あの『頂魔皇』を殺す為だけにあったから――)

 故に既に五時間は愛奈と戦い続けている彼も、決して怯まない。

〈体概具装〉で弾をつくり出し、ソレを冷静に愛奈に向けて発射する。よって愛奈は彼の事を思い出した時、その精神性に辟易した。

(正に……諦めると言う事を知らない。彼の中では――私はもう殺す以外の価値はない)

 だが、その心証も彼が消えた瞬間、愛奈の中から消失する。彼女の不利は決定的で、このままでは何れ愛奈は敗北するだろう。

 事実、朝日が昇った所で――彼は勝機を見出した。

(そう。これで状況は、大きく変わった。彼女は朝の公園にやってきて、朝練をしている最中だと錯覚する可能性が高い。その一瞬の隙をつき――俺は彼女を始末する)

 ついで――その時は遂に訪れた。

 愛奈の後頭部に彼の拳銃がつきつけられ、弾丸が発射される。しかも、愛奈は弾丸が自分の頭に触れても何の反応も見せない。確かに朝日を見た時、愛奈の中で何かが変わったから。

(な、に――っ?)

 そう。愛奈の速度が――桁違いに跳ね上がる。

 ソレは既に――『異端者』である彼でさえ知覚できない速度だ。

 そのまま彼の視界から消えた彼女は、次の瞬間――彼の腹部に刀を叩き込む。

 彼の躰を遥か彼方に吹き飛ばし――彼女は歯を食いしばりながら喜悦した。

 地面を転がりながらも、漸く停止した彼は、近づいてくる愛奈に問う。

「――なぜ、だ? それ程の、速度で動けるなら、なぜ今まで、その速度で動かなかった?」

「ああ、その事? ソレを説明する前に、一つだけあなたの誤算を挙げてもいいかな? あなたは私が、朝練の為に公園に来たと誤認すると思ったかもしれない。でも、私、今まで自分を鍛えた事が一度も無いんだよ。だから、そんな誤認をする訳がないんだ」

「な、に……?」

「で、速度の件は、私がアレの速度を模倣したから」

 言いつつ、愛奈は朝日を指さす。それでも地に伏す彼は、眉をひそめるばかりだ。

「と、あなたは知らなかったかな? 実はね、太陽も秒速二百十七キロで銀河系の周囲を移動しているんだ。秒速二百十七キロで、こう銀河の周りをぐるぐる回っている。私はその速度を模倣しただけ――」

「……なん、だと?」

 それも事実だ。一見不動の様に思える太陽だが、実は太陽もまた他の惑星の様に公転している。秒速二百十七キロという超速で銀河系を公転していて、愛奈はその速度を真似てみせた。

 いや――彼女は初めから日の出まで持ちこたえれば自身の勝利だと確信していたのだ。

 何せさきほどの愛奈の速度は時速にして――七十八万一千二百キロ。

 マッハ六百三十八で、大陸間弾道弾の二十五倍以上の速度だ。

 時速二万四千キロの動きを知覚するのがやっとである彼では、反応しようがない―――。

「……そう、か。或いは、君もまた、あの化物に匹敵する、怪物か。そう読み切れなかった時点で、俺の敗けは確定していた――?」

「ま、そういう事だね。〝あの化物〟って――一体誰って感じだけど」

 愛奈の軽口を聴き、彼は初めて笑う。

 悔しくて、でも楽しくて微笑み――そのまま彼は意識を途絶えさせていた。


     4


 気を失う、彼。ソレを見届ける、私。

 それから私は即座に、堺さんのスマホへ連絡を入れた。

「あ、堺さん? ごめんね、こんな朝早くに。実はさ――今さっき『異端者』の襲撃を受けてね」

『――『異端者』の襲撃、ですって? それで、今は一体どういう状況ですか? 今も交戦している最中……?』

「いえ、そこら辺はもう大丈夫。襲撃犯は倒して、たぶん三日は目を覚まさないから。それより問題なのは彼の身柄をどうするか、という事なんだよね。普通のお巡りさんに引き渡しても無駄だろうし。だからここは迷惑かなと思いつつも、堺さんを頼るしかないと思ったの」

『……わかりました。では、至急現場に向かいます。場所はどこでしょう?』

 件の公園だと答える私に対し、堺さんは迅速に行動する。堺さんの家が、この公園からどれくらい離れた位置にあるかは知らない。けれど、今日もスーツ姿の彼女はたった十数秒ほどで公園にやってきて、私と合流した。

「と、本当にごめんね、堺さん。堺さんには全く無関係な事なのに、顎で使うような真似をして」

「いえ、師の危機と知れば、弟子としては否応なく動くのは当然です。……ですが、解せませんね。一体誰が、まだ子供である愛奈殿に刺客を送り込んだと言うのでしょう? まさかとは思いますが、何か心当りはありますか、愛奈殿?」

「………」

 それが、あるから笑えるのだ。よって、私は宮川先生の話を彼女に打ち明ける。教頭と不倫関係にある彼女を、その件で脅し、強請っていた事まで話す。堺さんは、見るからに呆れた。

「……言いたくありませんが、アホですか、貴女は? どこの世界の小学生が、担任の教師を強請ると言うのです? ……ああ、もう。歪んだ人だとは思っていましたが……まさかここまでとは」

「……えっと、ソウデスネ。返す言葉もありません」

 両手を上げ、降参する私。ソレを見て、堺さんは嘆息した。

「そうですね。本当なら言いたい事が山ほどありますが、今は此方の問題を優先しましょう。要するに愛奈殿は、その宮川という教師が黒幕だと思っている?」

「……んー、そうだね。他に恨まれる覚えがないから、宮川先生が第一容疑者で間違いないと思う。いえ、或いは私に強請られている事を、宮川先生が教頭に話した線もあるかも。それで教頭が彼を雇い、私を亡き者にしようとした可能性もあるかな?」

「成る程。どちらにせよ、その両者からの聴取は必須ですね。ツテを頼って、その辺りの情報を正直に暴露させる能力者を探してみます。あの暗殺者も私が然るべき処置をするので、どうか安心して下さい、愛奈殿」

「うん、ありがとう、堺さん。ぶっちゃけ堺さんが居なかったら、私は彼を殺すしか手段が残されていなかったよ。それ以外に、自分や家族の身の安全を図る手は無かった。ソレが避けられただけでも、堺さんには感謝しないと」

 私が笑顔で語ると、堺さんは何とも言えない貌をする。

「だから、そういう事を笑顔で言うから貴女は歪んでいるというのです。確認するまでもないと思いますが、今のは本気で言っていたんですよね?」

「まあ、一応。でも、そっかー。私はやっぱり、歪んでいるかー」

 困った様に首を傾げながら、私は苦笑する。と、堺さんは彼に向かって歩き出し、その後ろ姿を見て、私は何故か一瞬、意識のブレを感じた。

「んん? ああ。ああ。アハハハハ! アハハハハハハ! そう、か。そういう事、か!」

「は? どうかしましたか、愛奈殿?」

 私のイキナリな哄笑が気になったのか、堺さんが振り返る。それでも私は腹を抱えて嗤い続け、ソレが収まったのは一分も経った頃だった。

「いや、いや。今、最高のギャグを思いついてさ。余りにおかしくて、嗤うのを堪えられなくなったんだよ。いや、ギャグというより、妄想の方が近いかな? これは何の確証もないただの妄想なんだけど、ぜひ誰かに聞いてもらいたいんだ」

「……妄想、ですか? というより、その誰かってやっぱり私の事なんですよね? 私は教師を脅していた小学生以上のナニカを今から聞かなければならないと?」

 明らかに迷惑そうな貌つきで、堺さんは訊いてくる。私は単刀直入に結論から切り出した。

「うん、そうだね。ハッキリ言って、私はどうかしていたよ。なんで、今までこんな事に気付かなかったんだろう? というのもほかでもないんだ。この件の黒幕が――やっとわかった」

「え? だから、それは宮川都ないし教頭なのでは?」

 キョトンとする堺さんに、私は微笑みかける。

「確かに、その線は今も捨てきれない。全ては、私が最初に考えた通りなのかも。でも、私は根本的な事を忘れていた。最初に気が付かないといけない事を、疎かにしていたんだ。それは即ち――宮川先生はどうやって『異端者』を雇ったのか」

 私が暗殺者である彼に目を向けると、堺さんはフムと頷く。

「……確かに、ソレは妙な話ですね。宮川都達がただの人間だとすると、『異端者』と繋がりを持つのは難しい。普通、暴力専門の『異端者』は、ただの人間とはあまり関わらない筈ですから」

「うん。ましてや宮川先生の認識だと、私はただの子供なんだよ。ただの子供を殺す為に、拳銃を所持した殺し屋をわざわざ雇うかな? 普通なら、スタンガンとナイフさえあれば十分すぎると思わない? 仮に私が同級生の女の子を殺す気なら、それだけ用意すれば事もなく殺害できると思う」

「いえ、愛奈殿と普通の人間では比較にならないでしょう。ですが、そうですね。確かにただの子供を殺すなら、銃を所持した殺し屋など雇わないかも。武器の質が高い殺し屋ほど価値が高い物です。ただの子供を殺す気だとすれば、そんな高い買い物をするのは少し不自然かも」

 堺さんが私に同意すると、私も彼女の様に首肯してみせる。

「そういう事だね。そして恐らく、宮川先生は私を暗殺するという手段はとらない。なぜって彼女は今――妊娠しているから。彼女はさ、きっと教頭との間にできた子供を生んで育てる決意を固めたんだと思う」

「は、い? それは、宮川都本人から確かめた事?」

「いえ、そういう訳じゃない。ただ、一昨日の宮川先生はよく考えてみたらお腹を庇っていた様に感じた。加えて彼女は昨日、体調が悪いからと言って病欠している。私の妄想通りなら、彼女はきっと母親になる気になったんだよ。そんな彼女が、子供である私を殺そうとはしないと思う」

「………」

「だというのに、現実は違った。彼は私を殺す気で、恐らく暗殺者の中でも最高の部類のニンゲンだった。とても子供を殺す為に雇われたとは思えない程に。だとしたら、どういう事になるか? 答えは簡単だよね? そう。彼の雇主は、私の戦闘能力を知っていたんだ。私がどんな子供で、どんな芸を持っているかさえ恐らく知っていた。今思うと、確かに彼の戦術は私の芸を阻害する為の物だったし」

 常に私の背後に立ち、凶器である弾丸が私の目に映らないよう振る舞っていた、彼。アレは紛れもなく、私の模倣を避ける為の処置だ。彼は、私がただの子供ではないと知っていた。

「という事は――まさか江島幸助の仕業? 彼は自分が捕まった時に備え、自分を捕まえた人間に報復するべく、予め彼を雇っていた?」

 堺さんが半ば愕然としながら、私に確認する。私は、首を縦に振った。

「そうだね。江島さんも、この件の関係者といえる。だって江島さんも彼も――恐らく同じ人物に敗北して精神的に追い詰められたから」

「ん? それは、一体どういう?」

「と、今の表現じゃさすがに意味がわからなかったかな。なら、ハッキリ言うよ。そもそも彼はなぜ家に引きこもる事になったのか? そんな彼を彼女はなぜ敬愛しているのか? 全ての発端はソコなんだ。私はその話を聴いた時、違和感を覚えた。だって、引きこもりを敬愛する妹なんて余りにも不自然だから。普通なら敬愛ではなく、心配と言うべきだと思う。でも、彼女には彼を敬愛するだけの理由があったんだよ。ソレは――彼が家族の為に尽くしてきたから。精神が病むまで家の為に尽くし、結果、彼女は彼を敬愛するようになった。これはそういう事なんじゃないかな――堺勝馬さん?」

「……は、い?」

 彼女が、首を傾げる。私は、今頃になって手にしていた中国刀を鞘に収めた。

「何を言っているのですか……愛奈殿は? 私には、よく意味がわからないのですが……?」

「そう? ならもう少しわかりやすく話そうか。あなたのお兄さんが引きこもった理由は、江島幸助の精神がネジ曲がった理由と同じなんだ。この二人は同じ人物に殺されかけた事で、心を病んだ。堺さんのお兄さんはきっと堺さんと同じ様に、ハンターだったんだろうね。家の借金を返す為にその道を選んだ彼は、ある日彼女と遭遇した。『勇者』を名乗る少女と相対し、結果、彼は敗北した。ソレも、心が折れる位の大敗北だったんだ。その時点で家から外に出る事さえ怖くなった彼は、家に引きこもる事になる。あなたはそんな彼の意思を、継いだんじゃないかな? ボロボロになるまで戦い抜いた彼の代りにハンターになり、その上で彼女に対して復讐を企てた。兄を不幸に追い込んだ『勇者』を見つけ出して、彼女を打倒する。それが堺さんの第一目標」

「………」

「そう考えると、あなたが私に江島をぶつけたのも偶然では無い事になる。江島を倒したのがお兄さんを倒したのと同じ人物だと知ったあなたは、私に彼を倒させた。無論、江島から『勇者』について聞き出す為に。あなたは初めからそのつもりで私をあの倉庫街に呼び出し、彼と戦わせたんだよ。でも、あなたは私が勝っても負けてもどちらでもよかった。なぜってあなたの目的には『勇者』の打倒のほかに私に対する復讐も含まれていたから。江島が私に勝てばその復讐を果たした事になる。私が江島に勝てば『勇者』の情報を引き出す好機になる。いや、そう考えると本当によくできたシナリオだよ。何せどちらに転んでもあなたが損する事はないのだから――堺勝馬さん」

「………」

 そこで、私は一旦言葉を切り、その間を埋める様に堺さんが問う。

「いつ?」

「んん?」

「いつ、気付きましたか? この私の思惑に?」

「いえ、さっき言った通り、今の今まで私はあなたを信頼していたよ? あなたには全くミスはなかったと思う。ただ、運は悪かったかもしれない。何せ私がお兄さんを傷付けたと知る前に、あなたは私と接触してしまったから。その時、あなたは語りすぎてしまったんだ。〝兄は両足を折られ、顎を破壊された〟と。よく考えてみたら、ソレって、私の手口とソックリなんだよね。で、よくよく考えてみたら、私があの銀行に立ち寄ったのは、あの彼が原因だったんだ。私が彼の害意に反応して、私は無意識に彼を傷付けた。その事を病院に伝えようと思って私はあの銀行に向かった。驚く事に偶然にもその銀行には彼の妹である堺さんが居たんだ。そこで私の存在を知ったあなたは、私がお兄さんの仇だと知らぬまま私と接触する事になった。運が悪かったというのはそういう事で、本当にあなたは私の事を知らなかったんだよ。少なくとも――あの時点では」

「そう、ですね。だから私は兄の病状についても包み隠さず喋ってしまった。それが何れ貴女にヒントを与える事になると気付かないまま。いえ、本当に皮肉な話です。私が貴女の正体に気付いたのは、貴女に弟子入りした日の午後だったのだから。一旦貴女とわかれてから、私は病院に行きまして。其処には、昏睡から目を覚ました兄が居たんです。いえ、本当に驚きましたよ。何せ兄が言っていた犯人の特徴は、正に貴女その物だったのだから。兄を害したのは、紛れもなく貴女だった――鳥海愛奈」

 堺さんが、手にしている刀の柄に手を伸ばす。私はそれでも、彼女との会話を続けた。

「だから、あなたは私を殺そうとしたんだね? 理由はどうあれ、お兄さんを傷付けた私を許す事ができなかったから。彼を雇ったのもその為。私に対する報復と、私の真価を試すのがあなたの今回の目的だった。言ってみれば、今回も江島の時と同じ。彼が私に勝てば、お兄さんの復讐になる。私が彼に勝てば、『勇者』に勝てるかもしれない人材という事になる。その段階まで進んだ時点で、あなたは私を『勇者』にぶつけるつもりだった。いえ、私と『勇者』が共倒れになれば、堺さんとしては万々歳だからね。あなたとしては、そうなる事を望んだんじゃないかな?」

 堺さんに向け、一歩踏み出す。彼女は反対に、一歩後退する。

「信じてもらえないと思いますが、一応言っておきます。私個人の意見ですが、私は決して貴女の事は嫌いではなかったし、良い師だと思っていました」

「そっか。なら、尚更ざんねんだね。こんな巡り合せになってしまった事が。私も信じてもらえるかわからないけど、言っておくよ。私は率先してあなたのお兄さんを傷付けた訳じゃないよ。あなたにとっては残念な話だろうけど、お兄さんは私に対して害意を持っていたはずなんだ。でなければ、いくら私でも、只の通行人に危害は加えない」

 もう一歩、堺さんに向け歩を進める。彼女は、微動だにしない。

「……そう、ですね。きっと貴女の言う通りです。でも、それでも私はあの兄を傷付けた貴女が許せなかった。家の借金を返す為に心身ともにボロボロになり、心が病むまで私達に尽くした、兄。そんな彼に更なる追い討ちをかけた貴女が、どうしても許せなかった。でも、どうやらそれもここまでの様です。こうなった以上、私がとるべき道は、一つしかないから」

 言って、彼女は抜刀する。

 やはりこうなったかと私は息を呑み、そして全ては終わっていた。

「つ――ッ?」

 私は一気に間合いを詰め――自分の首を薙ぎ切ろうとした堺さんの刀を払い飛ばす。

 いま正に自害しようとしていた堺勝馬の凶行を――どうにか食い止めていた。

「――なぜ、ですかッ? なぜとめるのですッ? 私は――貴女を殺そうとしたのにッ?」

「んん? 弟子が誤った道に進もうとしているのに――ソレを見逃す師がいるのかな?」

「……なッ?」

「うん。勝手に師弟関係を反故にしてもらっては、困るよ。堺さんは私の金づるなんだから、一度や二度殺されかけた位じゃ、見放してあげない。寧ろ、今後はもっとこき使うつもりだから覚悟してもらいたい位だよ」

「……貴女、はっ!」

「そう。私はそういうズルい人間なんだ。堺さんが言っていた通り、歪んで、ネジれて、どうしようもない人間。でも、そんな私にだってわかる事はある。今にも泣き出しそうな人に、手を差し伸べる位の余裕は持っている。本当に傲慢かもしれないけど父がそう言っていたんだ。せめて自分は、誰かの心を救える様な神職になりたいって。なら、あの駄目な父がそこまで言うなら、娘である私も負けていられないと思わない?」

「………」

「それとも、私にはそんな奇跡を起こす資格さえ無いかな? 私は、弟子を見殺しにするような駄目な師で終わるしかない?」

「……貴女、は」

「うん、そう。勝馬さんには、私がお兄さんに謝る姿を見届けて欲しいんだ。そこからまた新しい関係をスタートさせたい。死のうとするのは――それが済んだ後でも遅くないんじゃないかな?」

「……貴女は、本当に、ズルくて、バカ、だ――」

 そうして、勝馬さんはその場に尻餅をつく。

 貌を両手で被い、決して自分の表情を見せようとしない。

 私はそんな彼女をただ見守り――勝馬さんが落ち着くまでその場に佇んだ。


     ◇


 というより、ギャグだった。七歳児が、自殺願望の女子高生を諭すと言うギャグだった。

 でなければ、とてもじゃないが、こんな現実はありえない。どこに死を選ぶほど精神的に追い込まれた女子高生を、立ち直らせる事が出来る子供がいる? 

 天使か? 私は天使かなにかだったのか? この様に、自分を褒める事に関しては余念がない私だった。

 というか、これは〝チ■コがでかすぎて満足に飛べない妖精、李Ωと一緒に小旅行〟みたいな話だった筈。だというのに、なぜこんなにシリアスな展開を迎えている? 私、何か悪い事した?

〝いや、したからこうなっているんだろう〟と脳内で謎のツッコミを受ける。誰も私に優しくしてくれない。まぁ、優しくしてくれる筈が無いのだが。

「……というより、さすがに疲れた」

 何せ私は、昨日から不眠不休だ。勝馬さんと朝練したあと学校に登校し、玉子ちゃんの家にお呼ばれして、母に説教を受けた。漸く眠れると思った時には例の暗殺者が現れ、その後、私は彼と五時間ほど戦うハメになった。

 そのまま睡眠をとる事なく、私は学校に登校する。まず宮川先生にお金を返して、謝罪する為に。

「と言う訳で――すみませんでした!」

「………」

 人気のない校舎の裏庭に宮川先生を呼び出して、頭を下げる。私が封筒に入った一万五千円を差し出すと、宮川先生は黙ってソレを受け取った。

「色々ご迷惑をおかけしましたが、それもこれで最後です。宮川先生におかれましては、どうかご自愛ください」

「……ご自愛? ご自愛かー。前から思っていたんだけど、愛奈ちゃんって一体何者?」

 私が頭を上げると、其処には苦笑いを浮かべている宮川先生が居る。私は真顔で嘆息した。

「いえ、そんな事は同性であるなら誰だって気付く事です。気付かないのは、ニブチンな男達だけ。それとも、このまま黙って身をお引きになるつもり……いえ、なんでもないです。とにかく私は、貴女方の幸せをただただ祈っていますから」

「〝私達の、幸せ〟か。けど、そうだね。愛奈ちゃんは、私達の幸せを祈る位の義務はあるかも。そして私は、本当に感謝しないと。この子のお蔭で、私は誤った選択をせずに済んだんだから」

 自分の腹部を、慈しむ様に撫でる彼女。それから、宮川先生は微笑んだ。

「でも、この事は内緒にしておいてね、愛奈ちゃん。この事に気付いているのは愛奈ちゃん位で、私が何か言わない限り誰も気づかない筈だから。けど、誰かにこの子の事を気付いてもらえて良かったのかもしれない。それだけで、ほんの少しだけど、私は救われた気がするから」

 宮川先生が教師を辞め、実家に帰ったのはこの二ヶ月後の事になる。その後の事は、私も知らない。ただ――彼女達に幸多からん事を願うばかりである。


     ◇


 で、学校が終わった後、私はここでも謝罪した。

「すみませんでした! 例の二百九十万円は、お兄さんの慰謝料としてお使いください!」

「いや、こちらこそ、本当に申し訳ない!」

「私こそ、何と早まった真似をした事か!」

 勝馬さんのお兄さんの病室で、私と病衣を纏った彼とスーツ姿の勝馬さんは同時に頭を下げる。私達三人は、ただひたすら謝り合う。

 いや、慰め合うという表現は存在しているが、謝り合うというのは恐らく私の造語だろう。

 彼こと堺永輝さんは、今も頭を下げたまま、尚も謝意を表明する。

「いや、元々は全部オレの所為だ。オレは本当に、どうかしていた。こんな小さな子を、スタンガンで脅して、家に連れ込もうとしていたんだから。オレは最低のニンゲンだ! オレは最低のニンゲンだ! オレは最低のニンゲンだ! 自分より弱い人としか、まともに接する事が出来なくなっていたんだから。勝馬を追い詰めたのはオレの不徳の致すところだし、愛奈さんがオレを傷付けたのは当然だ。……だから、二人はもう頭を上げて下さい。全ては、オレの所為なんだから!」

「………」

 意外とアッサリ自分の罪を認めたな、このヒト。仮に永輝さんが己の犯罪を否認したら、私と勝馬さんの仲は更にこじれていただろう。それどころか、私は暴行罪で訴えられていた可能性が高い。

なのに、彼は自分の立場が危うくなるのも顧みず、自身の罪を認めた。それだけ勝馬さんの私に対する凶行が、堪えたという事か? ……しまった。これから二百九十万円の事なんて持ちだすじゃなかった! 私がそう後悔している間にも、話は進む。

「とにかく、本当に、申し訳ありませんでした、愛奈さん、そして勝馬! お前が敬愛してくれた兄は――今日死んだ!」

 最後にもう一度頭を下げ、永輝さんはナニカを祈る様に謝罪した。


「というか、私はまだ貴女を許していませんから、愛奈殿」

「………」

 永輝さんの病室を出た所で、勝馬さんが真顔で言い切る。では、先ほどの私に対する謝罪はなんだったのかと首を傾げていると、彼女は続けた。

「だから貴女も、私を許さないでください。私はまだ子供である貴女を殺そうとした、大悪人なのだから。そんなに簡単に許されてはいけないニンゲンなんです、私は。だから私は貴女を許せるよう努力するし、貴女に許されるよう精一杯頑張ります。それが兄に謝罪した貴女を見た私の結論ですが、それではいけませんか?」

「………」

 私の顔は見ず、ソッポを向いたままの勝馬さん。そんな彼女に対し、私は苦笑いを浮かべたまま、肩をすくめた。

「だね。私達は互いに許さない事をした。ソノすれ違いを簡単に埋められるほど、世の中は甘くない。私達はこれから互に憎しみ合いながら、それでもどうにか折り合いをつけてやっていく。これは――そういう事だね」

「だから、本当に、貴女は子供らしくない子供ですね――師匠」

 最後にそう告げて、勝馬さんは踵を返し――そのまま歩を進めたのだ。


     ◇


 こうして、私の一日は漸く終わった。私は助けを求めてもいないニンゲンを助けると言う、傲慢の罪を背負った。

 勝馬さんの朝練と午後錬はお休みという事で、夕食後私は倒れる様に布団に寝そべる。

 そのまま惰眠を貪り――気が付けば私は日曜の朝を迎えていたのだ。


     5


 それから、私は目を覚ます。時計を見れば、既に朝の十時。日曜でも七時には起きる私としては、寝坊もいい所だろう。

 加えて、白のワンピースに着替えて帯刀し、居間に行ってみれば其処には両親の姿がない。あるのは、一つのメモ用紙だけだ。ソコには、こうあった。

『愛奈へ。酒京さんが、性病が再発したと言い出したので、緊急病棟に行ってきます。ご飯は用意してあるので、しっかり食べる様に』

「………」

 何があったんだ、昨夜? 私が爆睡している裏で、何が起こっていた? 私としてはそう思うほかないのだが、これも何時もの事と割り切る。

 メモの通り台所に用意されていた朝食を食べ、一息ついた。

「――って、性病が再発したって何っ? それが本当ならお母さんも不味いじゃっ? 私の両親は夜な夜な一体どんなプレイに勤しんでいるのさ――っ?」

 ついで、今更ながらツッコム。誰も居ない部屋で、一人ツッコミを入れる。

 いいよ、いいよ。やっと何時もの調子になってきたよ。これも両親のお蔭だと、私は彼女達を三カ月ぶりに褒め称えた。

「まあ、それはそうと」

 これから、どうした物か? 両親は不在で、弟子である勝馬さんとも微妙な関係になってしまった。アポなしで玉子ちゃんちに遊びに行くのもなんだし、こうなると私に残された道は一つだけだ。

「そうだね。ここはひさしぶりに――散歩でもしようか」

 前述通り、私の趣味は散歩である。密かに散歩部なる物を作りたがっているほど、散歩が大好きなのだ。

〝いや、散歩部ってソレはただ遊び歩いているだけだろう? 後、おまえはもっと両親の心配をしろ〟とツッコまれるかもしれないが、私が散歩を愛好している事に間違いはない。

 よって、私はその欲求を満たす為に家を出る。

 家の鍵を閉めて、今日は西の方角に歩を進め――私の行くあてのない散歩は始まった。


     ◇


 そして、ソレは本当に何の前触れもなく発生した。

「きゃ!」

「んん?」

 西の方角にある繁華街を歩いていると――あろう事か空から女の子が降ってきたのだ。

 今日の天気は、確か曇りのち晴れだった筈。女の子が降ってくるなんて、どのニュースでも言っていなかった。

 だというのに、これはどうした事かと首を傾げている間に、私は彼女を受け止める。いや、反射的に抱きとめてしまい、私は何故か彼女に怒られた。

「――えっ? 只の人間の子供っ? 只の人間の子供が、私を受け止めたっ? もうっ! 何であなたなんかが、私を助けるのよっ? こういう時は普通、イケメン男子が私の窮地を救う筈でしょう!」

「………」

 一体、これはどういう事か? 散歩を開始してから僅か三十分で、私はまたトラブルに巻き込まれたらしい。実際、空からは更に五人の成人男性が降ってきたではないか。

「……子供? 只の人間の子供が、なぜそいつを守ろうとしている? 意味がわからんぞ?」

 本当に意味不明な為か、男性達の一人がそう呟く。私もこの急展開に、ただ眉をひそめた。

「一応確認しておくよ。被害者はあなたで、加害者は彼等という事でいいのかな?」

 それでも空気が読める私は、すぐさま状況を整理する。いや、何時だって私の直感は、私と周囲のヒト達を不幸にしてきたのだが。

「え、ええ、そうよ! でも、いいからあなたは逃げなさい! このヒト達は、人間が敵う相手じゃないんだから!」

 けど、被害者を自称する女の子にこうまで言われては、私も後に引けない。何かこの時点でオチが読めた気がするが、私は彼女を立たせて、中国刀を抜く。

「帯刀した人間の子供? おいおい、一体なんの冗談だ? まさか、その刀で俺達を倒すとか言うんじゃないだろうな? 現実と妄想がごっちゃになったお子様は、これだから困る」

「だね。私も偶にそう思うよ。これは全部、私の妄想なんじゃないかって」

 だと良いのだが、私はさっさと勝負をつける為に、空を見上げる。例によって太陽の公転速度を模倣し、油断している彼等に肉薄した。

「へ?」

 彼等の一人がそう口にした時には――私の刀は彼等を吹き飛ばしていたのだ。

「――は、い? 今の……何?」

 そのまま私は彼女を再びお姫様抱っこして、近くのビルの壁を駆け上がり、屋上に達する。彼女をまた地面に下ろして、流れる様な動作で私は例のヒトにスマホで連絡した。

「あ、勝馬さん? また事件発生。何だか訳がわからないヒト達に狙われている女の子を、保護しちゃった。できれば、応援に来てほしいんだけど?」

『……貴女もほとほと、何かに憑りつかれた様な人生を歩んでいますね。わかりました。直ぐに向かいます。えっと場所は?』

 私が大体の事を話すと、勝馬さんは文字通り飛んできた。ビルとビルの間を飛び跳ねてやっきて――私は二十二時間ぶり勝馬さんと再会したのだ。


     ◇


 では、ここで話を整理しよう。現在、私の前には二人の女性が居る。

 一人は言うまでも無く、堺勝馬さん。今日もスーツ姿である彼女は、左手に日本刀が入っている竹刀袋を携えている。

 で、問題のもう一人は、亜麻色の長髪を背中に流した、白のワンピース姿の少女だった。私とキャラが被るからワンピースだけは止めて欲しかったのだが、こうなってはどうにもならない。齢十六歳程で、身長百六十センチ程の少女は、その勝気な眼差しを私達に向け、鼻から息を吐く。

「い、一応助けてもらったみたいだから、お礼は言っておくわ。私は――倉葉霧架。助けてくれて、ありがとう」

「はぁ。私は、堺勝馬と言います。で、こっちは鳥海愛奈と言い、私の師匠です」

「……え? あなた、どう見ても『異端者』よね? その『異端者』であるあなたが、ただの人間の子供を師事しているわけ……?」

「ですね。不本意ながら、彼女の実力は化物級ですから。それは、あなたも痛感したばかりでは?」

 ビルの屋上から下を眺める、勝馬さん。其処には、私が吹き飛ばした、五人のスーツ姿の男性の姿があった。勝馬さんはそのまま、スマホでどこぞに連絡を入れる。

「ええ。五人の悪漢と思しきニンゲンが、■■町で昏倒しています。至急、身柄の確保と事情聴取をお願いしたいのですが?」

 どうも勝馬さんは事務能力も高いようで、テキパキと私が起こした傷害事件の後始末をしてくれる。つまりはそういう事で、下手をすればコレは私が訴えられかねない案件だった。

「と言う訳でもう一度確認しておくけど、あなたが被害者という事で良いんだよね?」

 私より九つは年が上であろう彼女に、問い掛ける。倉葉さんとやらは、長い髪をかき上げながらふんぞり返る。

「ええ。私は家から脱走しただけで、それ以上悪い事はしていない。というより……今日の私は運が悪すぎだわ。逃げ出した先で、また追われる事になるなんて。一体どこの神様が、こんなクソ台本を用意したのかしら?」

「………」

 おやおや。上品な様で下品な事も平気で口にするぞ、この子は。

 心外だったのは何故か勝馬さんが私と倉葉さんを見比べて、頷いた事だ。類は友を呼ぶとでも言いたいのか、彼女は?

「というか、あなた、自分は倉葉だと名乗りましたか? 倉葉というと、あの倉葉?」

「んん? 知っているの、勝馬さん?」

 まるで何かの漫画みたいな事を言い出す私と、律儀のもソレに答える勝馬さん。

「ええ。倉葉家とは、『異端者』界でも有名な富豪の一つです。確か五人の娘がいて、その中の一人が霧架という名だった様な?」

 スマホを弄り、勝馬さんは何かを確認しようとする。私がスマホを覗き込んでみると、其処には倉葉さんらしきヒトの姿が映し出されていた。ソレはツイッターなるもので、お題は〝今日の私について〟――。

 倉葉さんはドヤ貌でギャルピースをし、いかに自分が今ご機嫌かを強調している。ソコに何の意味があるのかわからない私は、顔をしかめるばかりだ。

「……えっと、これは?」

「え? だから、今日も私は絶好調って所を世間にアピールしているのだけど?」

「………」

 ツイッターって、そういう事を伝える為の媒介だっけ? いや、何を訴えたいかは、個人の自由なんだけど。

「とにかく、コレで裏がとれましたね。どうやら彼女は、本当に倉葉家の御令嬢らしい」

「そうなんだ?」

 おかしいな。コレ、絶対なにかの罠だと思うんだけど。この自称倉葉さんは、実は悪者で、私をハメる為に私の前に現れた。でなければあのタイミングで、私と遭遇するというのは不自然だ。

 私は行く先々で殺人事件に遭遇する、探偵では無いのだ。こんな偶然が、あってたまるか。

「………」

 そう思う一方で、私は数日前、銀行強盗に出くわした件を思い出す。其処で偶然勝馬さんと出会い、図らずもこの邂逅がハンター稼業の足掛かりになった。

 要するに私のこの数日間は、実に偶然に彩られているという事。そう考えると、偶然、大富豪の御令嬢のピンチを救う事もある?

 現に、倉葉さんの身元は特定されてしまった。どこの御令嬢が私の事を知っていて、罠にはめるなどという酔狂な真似をすると言うのか?

 だとするとコレは私の深読みで、本当にこの出会いは運命的な物?

「うーん。全くわからん」

 試しに、倉葉さんをブチのめしてみるか? いや、でも、仮に彼女が白なら私は御令嬢に手を上げた事になる。何千万円慰謝料を請求されるか、わかった物じゃない。

 そう考えると、これは余りに危険な賭けだ。私には、とても不可能な賭け。なら勝馬さんにやらせるかと私が考えた時、渦中の倉葉さんが唐突に声を上げる。

「そうね。なら丁度いいわ。あなた達、今日は私のボディーガードをやりなさい。私は今日、ちょっと行きたい所があるから」

「……ボディーガード? あの、倉葉さん? 自分の立場は、わかっている? 今さっき、謎の黒の組織に狙われたばかりなんだよ、あなたは?」

「だからよ。私はもう、あの監獄の様な生活はウンザリなの。家や学校は刑務所並みの警備システムで、ろくに外に出る事も出来ず、車による送り迎えは当たり前。外出時は常にいかついSPにつきまとわれ、息つく暇もない。お風呂とトイレと更衣室以外、監視カメラがつけられているのよ、私の家は! 一体どんなレベルのサイコ野郎なの、私の父ってっ?」

「………」

 成る程。倉葉さんのお父さんは、相当の過保護らしい。正に目に入れても痛く無いとはこの事か。放任主義のウチの両親とは、どうやら真逆の性質らしい。ウチの父は目どころか、膝に刀を打ち込んだだけで痛がるし(※ソレが普通です)。少しは倉葉さんのお父さんを見習って欲しい。

「いえ、アレは愛じゃないから。ただの自己満足だから。私がいつ自分の足枷にならないか不安でしかたないのよ、あのヒトは」

 愚痴る彼女を前にして、私と勝馬さんは顔を見合わせる。結果、勝馬さんは冷静にこう倉葉さんを諭した。

「いえ、残念ですが私達では責任を持てません。送っていきますから、あなたはやはりご実家に帰るべきだと思います」

「実に模範的な解答ね。時にあなた、雰囲気から察するにハンターギルドのヒトよね?」

「それが?」

 勝馬さんが眉をひそめると、倉葉さんはポケットからスマホを取り出し、連絡を始める。

「あ、私。今どこかって? 言う訳ないでしょう。でも、大丈夫よ。偶然ハンターギルドのヒトに保護されて、そのまま警護する様に要請したから。今日のところはそれで手を打って。でなきゃ本当に今後一切、一緒に食事しないわよ? んん? はい。はい。わかった」

 と、倉葉さんが勝馬さんに向け、スマホを突き出す。彼女は無言で勝馬さんに、電話をかわれと要求してきた。

「はい。堺と言う者ですが? ……と、倉葉さんのお父様ですか?」

『ええ。事情は概ね娘から聴きました。どうやら娘が、大変なご厄介をおかけしている様で。そこでご迷惑を承知でお願いしたいのですが、どうか娘の我儘につき合ってもらえないでしょうか?』

「……ですが、それは」

『はい。元々娘は、自由奔放な性格です。そんな娘は、だから何時か家を抜け出し、好き勝手な真似をしだすと思っていました。幸いだったのは、ハンターギルドに所属しているあなたに娘が保護された事。このまま帰る様に言っても聞かないなら、いっそ一~二時間くらい自由にさせるべきかも。私としてはそう愚考した次第ですが、どうでしょう? いえ、もちろん然るべき額の謝礼はお支払します。失礼ですが、二百万ほどで如何でしょう?』

「……と、失礼。一分ほど考えさせて下さい」

 勝馬さんがスマホの通話口を押さえながら、私に向き直る。スピーカーで通話していた為、会話の内容を全て把握していた私は、真顔で頷く。

「そうだね、勝馬さん。ここは、倉葉さんのお父さんの言う通りだよ。ここで彼女を見捨てるなんて、人にあるまじき行為に違いない。私はこの仕事、ぜったい受けるべきだと思うな」

「……でしょうね。貴女ならそう言うと思っていました。何せ、二百万の仕事だし」

 そう。堺家に二百九十万円譲渡した私は、現在五千円しか持っていない。その私が、万札の束を拝めるチャンスなのだ、コレは。例えコレが何かの罠だとしても、ソノ罠を食いちぎるつもりで私は事に臨むべきだろう。

 いや、全ては二百万円……じゃなくて、倉葉さんの自由の為だ!

「了解しました。では、ひき続きお嬢様の保護と警護にあたらせていただきます。二時間ほど経った後お嬢様をお家にお送りいたしますが、そういう事で宜しいでしょうか?」

『ええ、結構です。と、それと失礼ですが、あなたのギルドナンバーをお教え願えますか?』

「と、ギルドに私の身元を確認する為ですね? いえ、当然の処置です。私のギルドナンバーはCの七三五二の三五八です」

 勝馬さんがそう口にした三分後に、倉葉さんのお父さんは再び言葉を紡ぐ。

『と、確認が取れました。では堺勝馬さん、娘の事をどうかよろしくお願いします』

 それで通話は切れ、見ればニンマリと笑う倉葉さんが其処にいる。

「どうやら、商談成立の様ね。というわけで宜しくね、お二人さん」

「というか、あなた、ワザと見知らぬ男達に狙われた事をお父様にお話しなかったでしょう? いえ、例えその事を話した所で、あなたは止められないと判断した私も私ですが」

「そういう事ね。ま、私はツイッターで貌を晒しているから、偶然私を見かけた物好きが誘拐でも企んだのよ。向こうは――自分達は『十八界理』の部下だとか言って粋がっていたけど」

「………」

 は、い? このヒトは、今、何と言った?

「んん? だから自分達は『十八界理』の一人――『戒令天自』の部下だとか言っていたの」

「………」

 その時――確かに勝馬さんの目の色は変わった。


     ◇


「って、まさか、勝馬さん?」

「……ええ、師が考えている通りです。『十八界理』――『戒令天自』こそ私の兄の仇」

 やはり、そういう事かと私は絶句しそうになる。それでも倉葉さんは、意に介さない。

「んん? あなた、何そんなハッタリ信じているのよ? 言っておくけどその手の脅しなんてしょっちゅうなんだから、一々とりあっていられないわ。この手のニンゲンは、自分達の事を実像より大きく見せようとしたがるの。ケンカを始めた大人達が、自分はヤクザの関係者とか言い出すのと同じよ。この前はキロ・クレアブルを名乗る脅迫メールが届いたけど、正体は小学五年生の子供だったし」

「……そう、ですね。確かに冷静に考えてみれば、そうかもしれない。いくら富豪の令嬢とはいえ、『十八界理』が金銭目当てで狙ってくるとは考えにくい。恐らく倉葉さんの推察どおりでしょう」

 そう口にしながらも、勝馬さんの表情には緊張感が漂っている。

 私はというと、本当に『十八界理』が絡んでいる可能性もあると考えていた。これも私の悪癖の一つで、私は常に最悪の状況を考慮して行動したがるから。

 けど、だとしても、これは一種の好機と言えた。もし『戒令天自』とやらが絡んでいるなら永輝さんの仇を討つチャンスである。それと同時に、私にはある物がもたらされる事になる。

「そうそう。そういえば訊き忘れていたんだけど『十八界理』の賞金額ってどれ位なの?」

 私が訊ねると、勝馬さんは彼方を見ながら答える。

「そうですね。ヒトにもよりますが『戒令天自』の賞金額は――百兆円です」

「………え? 今………何て?」

「だから、『戒令天自』の賞金額は――百兆円だと言ったのです。ただし『十八界理』に限って言えば、その死体を然るべき場所に提示するのが条件ですが」

「…………」

 ひゃくちょうえん? ひゃくちょうえんって、なに?

 確か日本の国家予算が、似た様な金額だったようなァ―――?

「――なにソレっ? さすがの私も意味がわかんないよっ! 江島さんが五百万円で、『戒令天自』が百兆円っ? 一体この二人には、どれだけの力量差があるのさ―――っ?」

「と、そうですね。愛奈殿にはお金にからめて説明した方が、『十八界理』の恐ろしさがよく伝わります」

「答えになってない! というか、誰がそんな賞金額を払えるのっ? どう考えても分割払いだよねっ?」

「んん? 確かその件は、キロ・クレアブルがスポンサーになっている筈よ。『頂魔皇』が、自分が選定したニンゲンを倒せるものなら倒してみろって挑発しているわけ。だからもしかしたら、本当に一括払いかもしれないわ」

 倉葉さんが、他人事の様に語る。私は、尚も唖然とする。

「と、そんなあり得ない話はさておき、さっさと移動するわよ。私は今日、某喫茶店の本日限定スペシャルパフェを食べに行かないといけないんだから!」

「……え? 倉葉さんはまさか、その為に家を抜け出した? そんな事の為に?」

 寿司が食べられると喜び勇んで、銀座に繰り出した子供が言う事では無かった。言わば、彼女は私とある意味同族だった。

 そうこうしている間に、倉葉さんはビルから地面に飛び降りる。私達も彼女の後を追い、その最中、倉葉さんは笑顔を浮かべながらこう要求した。

「と、それとあなた達に言っておく。私、名字で呼ばれるのは好きじゃないの。何かと言えば倉葉家のお嬢様はとか言われ続けているから。と言う訳で特別にあなた達は私の事を――霧架と呼んで良いわ」

「………」

 一方的にそれだけ言って、彼女は歩を進める。

 私と勝馬さんも彼女の後に続き――かくして私の今日の予定は狂い始めたのだ。


     ◇


 ついで、オープンカフェで彼女は喜んだ。

「おっしゃぁああー! 予定通りスペシャルパフェゲットぉおおお――っ!」

 というか、テンションが高すぎる。今にも浮き出た額の血管から、血が噴き出しそうだ。お紅茶を頼んだ私を前にして、彼女はとにかく写メを撮りまくる。

「と、今度は、自撮り、自撮り!」

 ピースをしながら、自分とパフェを撮影する彼女。そういえばドラマで見た十代の女の子ってこうだったかもと思いながら、私はお紅茶を啜る。

「え? 何だか愛奈殿、気持ち上品になりましたね? 霧架さんの影響でしょうか?」

「はい? そのテンションアゲアゲな彼女のどこに、上品という要素が存在するのかな? これは、私の地だよ。勝馬さんは何故か気付かなかった様だけど、私は本来お上品なお子様なんだ」

「その上品なお子様に、私は頬や顎や腹を殴打されまくっている日々を送っていますけどね」

 今日一番の笑顔で、勝馬さんは言い切る。私としては、実に肩身が狭い。

 いや、嘘だけど。逆に勝馬さんの腹部に自分の拳が炸裂した、あの感触が忘れられない。ウズウズする。今日も拳がウズウズするよぉ。

「いえ、考えている事がみんな顔に出ていますから。愛奈殿は本当にマッドなお子様ですね」

「へー。話半分で聞いていたけど、愛奈って本当に強いのね? どう見ても、堺さんの方が強そうなのに。でも、そうね。確かにあの時の愛奈の動きは、意味不明だった。アレってやっぱり、愛奈の能力?」

 漸く落ち着きを取り戻し、ホクホク貌でパフェを食べ始める霧架さん。

 私は真顔で首を横に振る。

「いや、まさか。私は能力なんて上等な物は、持っていないよ。アレはただの芸。昨今のラノベでは能力とさえ言えない、三流芸にすぎないんだ」

 なんか前にも同じ事を言ったなと思いながら、フムと頷く。その時、またもあり得ない偶然が発生した。見知った顔が、私達の目の前に現れたのだ。

「あー、鳥海だー」

「玉子ちゃん」

 私達は互いの名を呼びあい、素直にこの偶然の出会いに驚愕する。玉子ちゃんはニコニコ笑いながら、此方にトテトテと近寄ってくる。

「鳥海も、遊びにきていたんだね? それなら鳥海も、さそえばよかった」

「あー、私は遊びに来たと言うか、今は仕事中で」

「――仕事中! 鳥海、子供なのに仕事しているのっ? というか、もしかして、そのお姉さん達は鳥海の仕事なかまっ?」

 愕然としながら、勝馬さんと霧架さんを指さす玉子ちゃん。そこで初めて、勝馬さんが声を上げた。

「ええ、はじめまして。えっと」

「うん。彼女は私のクラスメイトで、玉葱玉子ちゃん」

「……あの、師匠? こういう時に冗談は」

「――冗談じゃないもん! 私は本当に玉葱玉子だもん! もしかして、この人がこの前言っていた女子高生? でも、この人、女子高生なのに全然可愛くないよ?」

「……え? 私、可愛くないですか……?」

 今度は、勝馬さんが呆然とする。玉子ちゃんはそんな彼女に、尚も追撃を加えた。

「うん。全然、全く、これっぽっちも可愛くない。女子高生はそんなガードがかたい服なんてきないもん。こう冬でもナマ足をさらして、自分のびがくをつらぬいているんだもん」

「………」

 子供に真顔で指摘され、言葉を失う勝馬さん。フォローと言う訳ではないが、私は彼女に訊いてみた。

「そういえば、私、勝馬さんの制服姿って見た事ないや。そういう写メ撮ってないの? あったらぜひ見たいんだけど?」

「……えーと、ない事もないんですが」

 勝馬さんが、スマホを弄り始める。其処に映し出されたのは、確かにミニスカートに黒のハイソックスを穿いた勝馬さんだ。

 彼女は友人と思しき二人の女子と共に、ピースをしながら写真に映っている。成る程。普段はお堅いイメージなのに、ちゃんとこのヒトも青春を謳歌している訳か。

 というか、子供の私が見ても、ミニスカ姿の女子高生ってエロいんだけど? これはいわゆるヒロインならぬ、エロインという奴だ。

「あー、たしかにお姉さんは女子高生だー。上はコートを着ているのに、スカートはみじかいとか、気合のはいりかたがちがう」

「………」

 どうも玉子ちゃんはスカートの短さで、女子高生か否かを判別しているらしい。〝スカートが短い=可愛い〟が玉子ちゃんの哲学みたいだ。

「ごめんね、お姉さん。お姉さんはどうやら、本物の女子高生みたいだよ。制服姿のお姉さんは、とってもかわいいもん」

「……それは、どうも」

「じゃあ、私、もういくね。今日は未っちゃん達と、あのデパートの本屋でまちあわせしているから」

 玉子ちゃんが、一際大きな建物を指さす。それから有言通り、彼女は歩を進めた。

「バイバイ、鳥海。お仕事がんばって。今度はいっしょに遊ぼうねー」

 ブンブンと手を振って去って行く、玉子ちゃん。ソレを笑顔で見送って、私は一息ついた。ぶっちゃけ、私は玉子ちゃんに癒されていたから。

「というか、お喋りな筈の霧架さんが珍しく黙っていたね? 何かあった?」

「……いえ、私、子供が苦手なのよ」

 渋い貌で言い切る彼女に、私は眉をひそめる。

「子供は苦手って、私とは普通に接しているのに?」

「そっか。どうやらあなたは、自分は普通の子供だと思っているみたいね。でも違うから。今更ながらツッコムけど、よく考えてみたらあなたみたいな子供とかまず存在しないから」

「………」

 本当に今更だった。普通に受け入れていると思っていたが、どうやら霧架さんも私には思う所があったらしい。

「そう。子供ほど論理から外れた存在は居ないわ。常に唐突な事を言い出し、話が飛躍していて、会話が噛み合わない。笑いだしたと思ったら、次の瞬間泣き出し、手のつけ様がない。一体そんな謎生物と、どうコミュニケーションをとれと言うのよ。現にあの子も、ミニスカートを穿いていない女子高生は女子高生じゃないとか謎理論を展開していたじゃない」

「……へー。霧架さんって意外と、論理を重んじるタイプなんだ? もっとこう、衝動的なヒトだと思っていた」

「悪かったわね、誤解させて。そうよ。私はこれでも理を重視するタイプなの。漫画でも強さの理屈がハッキリしないのに、でも強いという漫画は読まないタイプよ」

「……そうなんだ?」

 中々難儀なヒトである。何せ私も、強さの理由がハッキリしていないから。そういう意味では、私もまた霧架さんにとっては敬遠の対象という事か?

 というより、自分でも不思議ではある。私はなぜ見た物体の動きが、模倣できる? いや、あの暗殺者の彼と戦った事で、速さを知覚できれば模倣できる事を初めて知った。そういう意味では、あの戦いは無駄ではなかったのだ。これは〝地球の戦闘はまさにムダではなかった〟と謳っていた戦闘種族の王子みたいな意味合いである。

「そういえば、勝馬さんはAを通じて江島さんを見つけ出したんだよね? なら、Aに依頼して『戒令天自』を発見する事はできないの?」

「と、その事ですか。結論から言うと、できません。何故なら、どうも私と『戒令天自』では実力が離れすぎているから。基本、依頼主より百倍以上実力が離れたニンゲンは見つけ出せないですよ、Aは」

「要するに、『戒令天自』は堺さんより百倍以上強いって事?」

「かもしれません。しかも、Aの能力範囲はこの国までなんです。故に『戒令天自』がこの国に居なければ、そもそも発見する事ができない」

 つまり、Aに頼る線は消えたも同然という事。仮に『戒令天自』を倒したいなら、自力で見つけるしかないという事だ。

 そうなると、私はもうお手上げである。貌も知らないニンゲンを見つけ出すノンハウなど、私は持っていないから。ここは勝馬さんの情報網に引っかかるのを、待つしかない。そう考えると、私もやはり無力な七歳児にすぎないのだ。

「……いえ、私からみれば、あなたほどブっ飛んだ子供は居ないけどね。よく考えてみたら愛奈って、どう考えても私より強いし」

「………」

 そうなんだ? それは即ち、このパーティの中では私が一番強い事を意味していた。二人の女子高生をさしおいて、七歳児が一番強い。性的ポテンシャルも、私が一番高い(※誰もそんな事は言っていません)。ある意味ソレは、女子高生と言う名の神に対する反逆と言えた。

「でもなー、私、女子高生の制服着るのは気が進まないんだよなー。だってアレって、ある意味、羞恥プレイでしょ?」

 お上品である私は、だからナマ足を晒す事に抵抗があるのだ。父が、女子高生が大好きで、散歩する度に女子高生のナマ足をチラ見しているのも原因の一つだが。

 身内だからハッキリ感じるのだが、アレは本当に気持ち悪い。世の中の男子が皆そうだと思うと、太モモをさらけ出すソレはやはり只の羞恥プレイだろう。

 実は私も女子高生を見かける度に、その太モモをガン見しているのだが。そう言う意味では私と父は確かに似た者親子だった。フザケルナ。

「要するに他人が着るのは楽しいけど、自分が着るのはNGという訳ね? そういう気持ち、私はわかんないなー。寧ろ、なんで未だに長めのスカートを穿いた女子が居るか意味不明なくらい。だってどう考えても、短い方が可愛いでしょう?」

「えっと、それって玉葱ちゃんと同じ嗜好ですよ? あなたが嫌っている、お子様と同じ考え方」

「……言ってくれるわね。ちょっと私より背が高いからって。実は私、自分より背が高い女が一番嫌いなのよね」

 モデルでも目指しているのか、ブツブツそう呟く霧架さん。勝馬さんは苦笑いを浮かべ、私は大いに頷く。

「そうだね。私も自分より背が高い女が、一番嫌いだよ」

「……そう、だったんですかっ? 私は師に嫌われていた――っ?」

「いや、どう考えてもギャグだから。子供ならではの、愉快なジョーク。じゃないと、その子の場合、大人はみんな嫌いって事になるでしょうが」

 霧架さんがヒラヒラ手を振りながら、勝馬さんを窘める。私はお紅茶をお上品に啜りながらもう一度頷いた。

「まあ、そうなんだけど、私達っていま本当にダラダラしているよね? ガールズトークって言うのは、こういうのをさすのかな?」

 結論が出ない話を、延々とくり返す。それが男性の目から見た、女性の性質らしい。

「そーね。じゃあ、ここは一つ実のある話でもしておく? お題は――人間は果たして善か悪か」

「………」

 急に、話のハードルが上がった。ハッキリ言って、その手の話題を挙げてきた霧架さんの思惑が私にはわからない。私の両親か、このヒトは?

「いえ、言ったでしょう? 私はこれでも論理的なニンゲンだって。その私が昨日の道徳の授業でそういう内容の話をされたのよ。で、思う所があって、こういった話題を提供したわけ」

「成る程。で、結論から言うと霧架さんはどう思っているの?」

 警護対象者の貌を立てるため私が話にのると、霧架さんは真顔で首肯する。

「そうね。何でも巷では性善説というのが横行しているみたいだけど、私は人間の本質は違うと思う。だって、人間って元は獣だったのよ? 弱肉強食の世界の住人。つまり弱い者から搾取して、強い者は当然の様にその恩恵にあずかるの。それって、絶対王政下における人間社会の構造そのままでしょう? それだけの暴虐を成して、性善説とか正直嗤えるわ」

「ほう? 要するに霧架さんは、人間は悪だと思っている?」

 勝馬さんが目を細めると、霧架さんは嬉々とする。

「まあ、そういう事ね。人間が犯罪行為に及ばないのは、良識云々が働いているからじゃないわ。単に彼等が法によって縛られているから。法を犯せば、相応のデメリットを被るからよ。ぶっちゃけ、ソレは人の歴史が証明している。何の法整備もなされていなかった戦国時代、人は人に何をしてきた? 歴史の教師曰く、軍とはその当時ただの野党であり、略奪するのが当たり前だった。彼等は自分の欲望の赴くまま、他人の財や土地を奪い、私腹を肥やした。弱い者は被害者でしかなく、強い者は加害者でしかなかった。これは正に獣と同じ所業だわ。その当時、人は正にケダモノ同然だったのよ。仮に法と言う制度が無くなれば、人はきっとその本性を露わにするでしょうね。弱い人々は危険に晒され、略奪と凌辱の対象になる。人々は暴徒と化し、その暴挙はとどまる所を知らない。ソレこそが、人間の歴史。弱者を食い物にしてきた、人間という生き物の本性。私が捉える人間像とは――正にその一点に尽きるわ」

 そして、私は彼女に同意する。

「だね。私も概ね霧架さんの言う通りだと思う。人間の歴史は凄惨で、そこに正義と呼べる物は極めて希薄だから。歴史に名を残した偉人でさえも、略奪は認めている。ソレは正に獣の所業で、人と獣は確かに大差がなかった。いえ、獣と違って人には善悪を判断できる知恵がある分、尚更タチが悪いと言えるかも」

 すると、霧架さんは思いの外喜んだ。

「と、中々話がわかるじゃない、あなた。私が教師にそう答えたら、かなりドン引きされたんだけど」

 実際、霧架さんは感心した様な素振りを見せる。だが、私はそんな彼女に、水をさす。

「けど、人間はこれでも進化しているんだよ。人の歴史は理性を育む場で、事実、今の私達は理性的に行動できる。法を生み出し、法を順守する倫理を身に着け、そのお蔭で昔に比べれば傷つく人達は少ない。未だに弾圧や暴動が絶えない国もあるけど、そんな中でも理性的な人達は確かに居るんだ。どんな苦しい時でも理性的な発言を以て、自分や他人を抑制しようとする人達は必ず居る。私はそう言う人が一人でもいる限り、人間もまだ捨てた物じゃないと思うけど? そう。人間はやっと気付いたんだ。言い方は悪いけど、弱肉強食という世界は誰でもつくれる下等な世界だって。平等な世界をつくる方がよっぽど難しくて、だから上等と言える。その事を理解し、その不可能に挑もうとしているだけで、私は人の善性は評価できると思う」

 が、私の理屈の穴を、霧架さんは容赦なくついてきた。

「でも、そう思う一方で、貴女もまた人間が悪であると認めているのでしょう? いえ、そう痛感しているからこそ、そこまで言葉を並び立て、善であると強調しているのでは?」

「………」

 ソレは二日前、母が口にしていたのと似た指摘だ。私は人間の悪い所しか見ないから、その事実を覆い隠す様に、綺麗ごとを口にする。

 そうとわかっていながら私が反論しようとすると、霧架さんは確かに微笑んだ。

「……けど、愛奈はそれでも人を信じたいのね。そういう所……割と嫌いじゃないわ。だいぶ癇に障るけど」

「………」

 嫌いじゃないが癇に障るというのは、明らかな矛盾だ。コレのどこが、論理的な人間と言えるのか? しかし、本人は気にした風でもない。

「いえ、つまらない話はここまでにしましょう。今度はそうね、女子らしく男の子の話でもする?」

「………」

 何故か勝馬さんは黙り込む。その理由が、いま明らかにされた。

「というか、ぶっちゃけ私は男子より女子に好かれる性質の様です。私は高二なのですが、この一年で女子から三回告白されました。だから、正直、男子の事はよくわかりません」

「――そうなのっ? ……で、何て返事をしたのよ? まさか女子同士でつき合ったりしているとか――っ?」

 思いの外、霧架さんがこの話に食いつく。その熱の入れようは、七歳児である私から見ても常軌を逸していた。

「いえ、残念ながら、皆お断りしました。私はこれでも――ノーマルなので」

「そうなんだ? というより勝馬さんの場合、お兄さんを美化しすぎなんじゃない? 確かに永輝さんって線が細い美形だもんね。そのうえ家族の為に尽くすとか、割と完璧超人と言える立ち位置じゃないかな? その所為で男子に対するハードルが高いんだよ、勝馬さんって」

 私がベラベラ喋ると、勝馬さんは何とも言えない貌をする。

「……やはり、そうなのでしょうか? 私は兄を、美化しすぎている?」

「てか、そういう愛奈はどうなのよ? と、これは失言だったわね。七歳児に恋を語らせるとか、イルカがクジラに憧れる様なものだわ」

「んん? 確かにそうかもしれないね。霧架さんってモテそうだし。所詮、男子に五回告白されただけの私じゃ、歯が立たないよ」

 私が普通に告げると、何故か霧架さんは慄く。

「ご、ご、ご、ご、ご、ご、五回男子に告られたんですかぁ、愛奈先輩はぁ? あなたはもしかしてぇ、恋愛マスターかなにかなんですかぁ――?」

「………」

 え? 何? この反応? 私、何か悪いこと言った?

「うるさい! うるさい! うるさい! 所詮私は小、中、高とも女子校で、今まで男子に告られた事なんて一度も無いわよ! でも、いい気にならない事ね! ソレは私が女子校に通っていたからで、共学だったら五十回は告られていた筈なんだからぁ!」

 で、今度は逆ギレしだした。本当に情緒不安定だな、このヒト。

「……いえ、もういい。よく考えてみたら、なんで私、こんな話を振ったのかしら。ただ傷つくだけだと、わかっていた筈なのに……」

 事実、霧架さんは沈黙し、もくもくとパフェを食べ続ける。

 私と勝馬さんは、そんな彼女を生暖かく見守る。

 だが、次の瞬間、遂にソレは起った。

 勝馬さんが、振動するスマホを取り出す。電話に出た瞬間、勝馬さんの表情が変わる。彼女は通話をスピーカーにして、通話相手にこう要求した。

「もう一度言ってください。あなたは一体、何者だと?」

『だから、私は『十八界理』の一人、『戒令天自』――。今ある所で、数人程人質をとらせてもらっているの。彼女達の命が惜しければ――倉葉霧架の身柄を私に引き渡してもらえないかしら?』

「な――っ?」

 途端――霧架さんの唖然とした声が周囲に響いた。


     ◇


 いや、彼女だけじゃない。思いがけない事態に、私も眉をひそめる。

 それでも私は何とか状況を把握しようと、冷静を装った。

「つまり、あなたの目的はやはり霧架さんという事だね? 一体彼女をどうする気?」

『さあ。それは、君達には関係がない話かな。君達に関係があるとすれば、こっちの方』

 ついで、私はあり得ない声を確かに聞いたのだ。

『――と、鳥海! だめだよ、こんな悪い人のいう事をきいちゃ! 鳥海はいっていたでしょう! 暴力で何かをかえちゃいけないって! だから鳥海は霧架さんって人をつれてきちゃだめ!』

「……玉子、ちゃん」

 ギリと奥歯を噛む。その声は紛れもなく彼女の物で、つまり『戒令天自』が言う人質とは玉子ちゃん達なのだ。

 現に、彼方を見れば例のデパートから人が溢れ出ている。皆、駆け足でデパートから逃げ出し、否が応でも私に緊急事態を連想させた。

『と、私のカードはこんな感じかな? じゃあ、そちらはどんなカードを切るのか、楽しみにしているわ。時間は――十分上げる。その間に身の振り方を考えておく事ね、お二人さん』

 通話は、そこで切れた。勝馬さんは目を怒らせ、私は大きく息を吐く。霧架さんは僅かに呼吸を乱し、動揺の色を隠しきれない。

「……ま、まさか、本当にこんな強硬手段に出るなんて! なんて頭が悪い連中なの! こんなバカな真似をするなんて、信じられない!」

「……ですね。けど、だからと言って私達は彼女の要求を呑むわけにはいかない。私達の任務は霧架さんの護衛です。その護衛対象を危険に晒すなんて、どんな理由があろうとも認められる訳がない」

 勝馬さんの言う事は、正論だ。今の私達が優先するべき事は、霧架さんの身の安全。それを疎かにする事だけは、プロとして出来ない。

 だが、それはつまり――玉子ちゃん達を見捨てる事を意味していた。

「……そ、そうよ。アレはさっきの女の子でしょ? あんな小さな子の命が懸っているのに、あなた達は私に何もするなって言うの……?」

 私は暫く考えてから、こう答えた。

「うん、そうだよ。霧架さんがいま重視する事は、自分の身の安全だけ。間違っても犯人達の言いなりになる事じゃない」

 それは、玉子ちゃん達を見殺しにするという宣言そのものだ。私が危惧した通り、私に関わったばかりに、玉子ちゃんは危険に晒されている。彼女の存在が私を繋ぎ止めてくれると思っていたが、違った。私は今、子供を、友達を見捨てると言う非人間的な判断を迫られているのだ。

 そう。普通なら。

「だね。こんなの――霧架さんの手を煩わす程の状況じゃない。と言う訳で、勝馬さんは霧架さんをお願い。後は――私がやる」

 私がそこまで言うと、勝馬さんは息を呑んだ後、霧架さんの手を取る。

「……わかりました。行きましょう、霧架さん」

「い、行きましょうって、一体どうする気なの?」

「それは私にもわかりません。ですが、一つだけ確かな事があります。それは――私が師を信じているという事。彼女は何時だって――こういった修羅場を乗り越えてきたんだから」

 言いつつ、勝馬さんはそのまま霧架さんと共に彼方へ走る。その姿が見えなくなった頃、私は動いた。

 スマホを使い、あのデパートの構造を調べる。それから私は方角を定め、呼吸を整えた。

「そう。勝負は、一瞬。この一撃に――私は全てを懸ける」

 そして私は太陽の公転速度を模倣しながら駆け出し――その勢いを維持したまま飛んだのだ。


     ◇


 秒速二百十七キロで跳躍する、私。だが、ソレに何の意味がある? 例え私がこの速度で敵地へ侵入した所で、敵の居場所がわからなければ意味が無い。

 それどころか私が突入した途端、籠城犯は人質の一人を見せしめとして殺すかも。

 故にソレはただの愚行であり、もっとも忌むべき所業だ。

 だが、私は躊躇なくデパートに向かって飛ぶ。中国刀を抜刀し、ソレを突き出して壁の破壊を試みる。ソレは事もなく成功し、私はデパート内へと侵入した。

 だが、コレは前述の通り悪手だ。

 私の侵入に気付いた時点で、敵は報復行為に出る筈だから。私の強行突入が原因で、人質が害される。

 ソレは――何者にも変え難い事実。何者にも覆せない――当然の摂理だ。

「な――っ?」

 いや、本当にその筈だったが、現実は違った。私はデパートへ侵入した途端、すぐさま敵を発見する。金髪で、鎧を纏い、腰に剣をさした少女を視認する。

 一体なぜか? なぜ、私は敵の居場所を特定できた? ソレは――一つの賭けだった。

 私は――彼女がもたらしてくれた情報を生かしたにすぎないから。

 そう。あの時、玉子ちゃんはこう言っていた。

 自分は――本屋で待ち合わせをしていると。

 仮に、敵がその場から動いていないとすればどうなる? 玉子ちゃん達を人質にとった時点でその場に陣を敷き、私達を脅迫したとしたらどうなるか?

 故に、私はあのデパートのホームページを調べ、本屋の位置を正確に知った。

 その結果が、今――正に炸裂する。

「ぐゥ――っ!」

 中空に腕を突き出し、大気を弾いて、軌道を微妙に調整する。

 そのまま秒速二百十七キロで肉薄した私の蹴りが、確かに眼帯をした少女の躰に決まる。

 彼女の躰は面白い様に吹き飛び、壁を貫通して、遥か彼方へと吹き飛ぶ。

 彼女の躰を踏み台にしてブレーキをかけた私はそのままデパートに降り立ち、周囲を見た。

「フレイズ様ぁ――っ?」

 今も玉子ちゃん達に銃を突きつけているスーツ姿の男達が、悲鳴じみた声を上げる。

 が――その時には既に私に吹き飛ばされ、彼等の躰は宙を舞っていた。

「と、この場合――制圧完了とでも言えばいいのかな? ……全く、本当にやってくれたね、君達は」

「……ひぃっ、ひいぃいい!」

 自分でも自制できない怒りを感じた私は、だから尚も刀を振り上げる。既に戦意が喪失したニンゲンに向け、更なる凶行に及ぼうとする。

 子供の命を――平気で危険に晒す。

 ソレがニンゲンの本性だと痛感し、私は半ばヒトに失望したから。

 だが、その時、私の耳には確かにその声が響いた。

「だ、だめ――っ! それいじょうはだめだよ、鳥海! それいじょうしたら、鳥海もその人達みたいに悪い人になっちゃう……!」

「………」

〝玉子ちゃんか。ソレが私に勇気をくれた子の名前なんだね〟

 ああ。本当に、その通り、だ。私はまたも彼女に救われた。人道から外れる所だったのに、すんでの所で、踏み止まる事ができた。

 そう悟った時、私の振り上げた腕は自然と下ろされていたのだ。

 ソレから暫くして、このデパートに勝馬さんや、そのほか大勢のヒト達が突入してくる。

 彼等はスーツ姿の男女を捕え――ここに玉子ちゃん達を巡る攻防は決着を見た。


     ◇


 というか、やっぱりギャグだった。どう考えても、ギャグでしかなかった。

 どこの世界に、籠城犯を蹴散らし、人質を救出する七歳児が居るというのか? そんな話が本当にあるとすれば、それは本当にただのギャグだ。

 そうは思いながらも、刀を鞘に収めた私は安堵の溜息をつかずにはいられない。

「――鳥海! やっぱり、鳥海はきてくれた! やっぱり、鳥海は正義のみかただった! ほんとうに、鳥海は私のヒーローだよ――!」

「………」

 玉子ちゃんが、私に抱きついてくる。だが、彼女の友達と思しき三人の女子は、私を見て怯えるばかりだ。

 これが普通の反応で、玉子ちゃんはやはり特別なのだと思った時、私はもう一度嘆息する。

「いえ、お礼を言うのは、私の方。玉子ちゃんのお蔭で私は何とか踏みとどまる事ができた」

 と、勝馬さんと共に、年配の男性が近寄ってくる。彼は、玉子ちゃんに手を差し出した。

「もう大丈夫だよ、君。さあ、私と一緒にお母さんの所に行こう。君もお母さんと、早く会いたいだろう?」

 玉子ちゃんがその男性と私を見比べ、困惑したかのような表情を見せる。けれど、私が一つ頷くと、彼女は彼の手をとった。

「じゃ、じゃあね、鳥海! また明日学校で会おうね! 私、鳥海がどっか行っちゃうなんてぜったいにいやだから!」

「……大丈夫。私はどこにも行かないよ。絶対に、行くもんか」

 手を振る玉子ちゃんに、笑顔で答える。其処まで事態が進んだ所で、私は眉をひそめた。

「というより、勝馬さん、よくこの短時間でこれだけのヒトを集めたね。正直、これは想定外だったよ」

「いえ、『転移』が使えるギルドメンバーに貸しを作っておいたお蔭です。後は知り合いのギルドメンバーに、メールを一斉配信しただけ。〝『十八界理』がらみの案件かもしれませんがのりますか〟と」

「成る程。それはわかったけど、もう一つ質問があるんだ。なぜ、霧架さんまでここに?」

 警護対象を籠城犯の根城に連れてきた勝馬さんに、私は素直な疑問をぶつける。

 なのに、勝馬さんは平然と返答した。

「いえ、結局のところ師の傍にいるのが、一番安全ですから。それにアレは陽動作戦という可能性もありました。私達が戦力を分散している間に、敵が霧架さんの身柄を押えるという」

 それは確かに、理に適った話だ。もし敵がこちらの動きを把握していたとしたら、非常に不味かった。警護官が一人に減った所で、霧架さんを急襲していたかも。

 私がそう納得する一方で、勝馬さんは不可思議な事を口にする。

「それに、霧架さんには聞いてもらいたい話もあったので。何という事もありません。さっきちらっと話題に出た、私の兄の話です」

「……堺さんのお兄さん? えっと、まさかそのお兄さんを私に紹介したいとか言い出すんじゃないでしょうね? 言っておくけどそんな事をしたら、私の父はブチ切れるわよ?」

「ですね。だとしたら、我ながら微笑ましい提案です。時に、話は変わりますが私の兄はアレで几帳面でして。その兄が――〝お前が敬愛する兄は今日死んだ〟と言ったんです」

「は、い? ちょっと待って。ソレはさすがに意味がわからない」

 今度は、霧架さんが眉をひそめる。私はというと、半ば、唖然とした。

「ええ。普通なら愛奈殿を拉致しようとした日こそ敬愛が霧散した日だと言いそうなんです。兄が罪を犯そうとしたのは、正にソノ日なのだから。なのに、兄はソノ日ではなく、愛奈殿が謝罪しに来た日に罪を犯したかの様な事を口にした。その事が少し引っかかり、その日の内に病院の監視カメラの管制室を調べてみたんです。結果、その日の午前九時の時点でノイズらしきものが発生していた。仮にそのノイズがハッキングを受けた時生じた物だとすれば、誰かが兄に接触した可能性が高い。私のスマホにもハッキングをかけ映像を偽装していたとしたら、あなたの身分も曖昧になる。そうではありませんか――倉葉霧架さん?」

「………」

「そう。あなたは私の兄に接触したのでしょう。切っ掛けは江島幸助が逮捕された事。ソレを知ったあなたは、その筋から調査を開始し、私が事件に絡んでいる事を知った。でも江島の実力を知っているあなたは、私では彼を捕えられないと感じ釈然としなかった。故に、私の兄に接触して情報を得ようとしたんです。愛奈殿が兄に謝罪する前の、あの日の午前中の内に。迂闊にも、私は愛奈殿の詳細についても兄に話してしまっていた。よって愛奈殿の情報を兄から手に入れたあなたは、愛奈殿に興味を持った。その事を知った兄は、だからこそ〝お前が敬意を抱いた兄は今日死んだ〟と口にしたのでしょう。ええ。この一連の事件は、全て愛奈殿の反応を見て、楽しむのが目的だったのではないですか? 倉葉霧架。いえ――『戒令天自』」

「………」

 途端、霧架さんが俯く。それから、周囲に響いたのは、哄笑だった。

「フフフ、ハハハハハハ! なぁに? なかなか優秀な弟子をもっているじゃない、鳥海愛奈! いえ、本当に笑えるわ! まさかそんな観点から――私の正体を暴くなんて!」

 霧架さんの、いや、彼女の容姿が微妙に変わっていく。

 亜麻色だった髪は、輝く様な金髪に変わり、皮膚が変化して眼帯に変わる。

 右目を被われた彼女は、正に言語を絶する程の殺気を周囲に撒き散らした。

「いえ、もう少しあなた達と戯れたかったのだけど、こうなっては仕方がないわね。では改めてご挨拶といきましょうか。はじめまして、堺勝馬に鳥海愛奈。私の二つ名は『戒令天自』――。そして、本当の名前は捨てたわ。だから私の事は――『勇者』とでも呼んで下さる?」

 故に私と勝馬さんは同時に抜刀し、彼女に向け――確かな敵意を発したのだ。


     ◇


 そのまま私は『戒令天自』に意識を向けながら、勝馬さんに確認する。

「つまり永輝さんは自分の本当の罪を隠す為に、私に対する犯行は認めたという事だね?」

『戒令天自』に私の情報を売ったとしたら、それは紛れもない裏切り行為だ。私の相棒である勝馬さんに対する、背信行為とも言える。故に永輝さんは〝お前が敬意を抱いていた兄は今日死んだ〟とまで言ったのだろう。

「ええ、その通りでしょう。ですが、虫が良い話だと思いますが、どうか兄を許して下さい。兄はきっと私達家族の命を引き合いに出されて、彼女に屈するしかなかった筈だから」

 勝馬さんの話を聴いていた、三人のハンターも『戒令天自』に対して臨戦態勢をとる。ソレを見て、私は結論した。

「いえ、その話は後にしよう。今は、彼女を倒すのが先だから」

 その時――『戒令天自』が再び口を開く。

「やはりあの時、永輝の記憶を消しておくべきだったかしら? いえ、でもいいわ。お蔭で私も十分楽しめた。故に単刀直入に言うわ。私の手をとりなさい――鳥海愛奈。あなたは紛れもなく此方側の人間よ。暴力の世界で生きる人間で、普通の人々と関わるべきじゃない。今回の件で、その事がよくわかったのでは?」

「どうだろう? 仮にそうだとしても、私があなたの手をとる理由にはならない。寧ろ私も勝馬さんと同じ気持ちだよ。玉子ちゃん達を危険に晒したあなたは、ただの仇にすぎないから」

 実際、私が更なる敵意を向けると、あろう事か『戒令天自』は微笑む。

「そう? 私としてはあなたの為を思って口説いているのだけど。でも、なら仕方ないわね。だったら、あなたは私が更なる高みに達する為の――踏み台になってもらうしかない」

 その時、異常は起きた。地面の形状が変化し、私達に向かって突き出してきたのだ。その矛を、私は勝馬さんの腕を引きながら躱す。だが、他の三人のハンターは躱し切れず、その矛に躰を貫かれていた。

「あなた、はっ!」

 ソレを見て、勝馬さんが怒りの声を上げる。だが、私達が思っていた以上に、『戒令天自』は酷薄だった。

「あら? 珍しく鈍いわね、愛奈。まだ気付かない? 仮にこれと同じ事を――私があの玉子という子達に対しても行っているとしたらどうする?」

「……なっ?」

 いや、ソレは心の何処かで想定していながらも意図して気付かないふりをしていた事態だ。その事をハッキリと明言され、私は今度こそ憤怒を撒き散らす。

「『戒令天自ぃいいい』――っ!」

 故に私は彼女に肉薄し、『戒令天自』は大きく後退する。

 私は彼女を追う形となり――『戒令天自』は速やかにこの場を後にした。


     ◇


 瞬く間に人気のない荒野へと降り立つ、彼女。ソレに追いつく、愛奈。

 勝馬が追ってくる気配は無く――ここに『戒令天自』と鳥海愛奈の死闘は開始された。

 愛奈には最早、『戒令天自』と会話を交わす意思さえない。一秒でも早く、彼女を倒す事に意識を集中させる。

(そう。今の私がするべき事は、『戒令天自』の注意を私に向けさせる事。でなければ遠距離攻撃が出来る彼女に、玉子ちゃんは延々と狙われる。ソレを避ける為にも、私は彼女の意識を釘付けにするしかない)

 そして、玉子達の保護は勝馬に任せるしかない。仮に『転移』が使える能力者が無事なら、全ては上手くいく。玉子達は直ぐにでも『治癒』が可能な能力者のもとに運ばれるだろう。

 よって愛奈は秒速二百十七キロで発射された弾丸と化し――『戒令天自』へと突撃する。

 ソレを見て、バカげた事に、尚も彼女は笑った。

「つっ……?」

 それもその筈か。並みの『異端者』では知覚できない愛奈の一撃を、彼女は事もなく防いでみせたのだから。彼女の前面には巨大な岩の壁がそそり立ち、愛奈と『戒令天自』を分かつ。

 ソレを目撃し、愛奈は敵の力量の高さを今こそ痛感した。

(――正に次元違いの敵。江島さんや暗殺者の彼とは――存在からしてレベルが違う)

 この時、怒りに震えていた筈の愛奈は冷静になる。感情的になった状態で勝てる相手ではないと直感し、彼女は何時もの彼女に立ち戻る。

「それでも――私は玉子ちゃん達を傷付けたあなたを決して許さないッッッ……!」

 ソノ想いと共に愛奈は地を蹴り、再び『戒令天自』に接近しようとする。だが、今度はそれより速く彼女が動いた。やはり地面が変化し、愛奈に目がけて数千に及ぶ矛が殺到したのだ。ここに立場は逆転し、今度は愛奈が追われる立場になる。

 彼女は秒速二百十七キロで後退し、矛を回避しようとするが、矛の速度もまた速い。愛奈に勝るとも劣らぬ速度で接近し、彼女を串刺しにするべく肉薄する。

 その時、愛奈は奇妙な感覚に襲われた。ソレはまるで自分達が異界に囚われた様な感覚だ。

《いえ、ソレは事実よ。『神』は今、私と愛奈の戦いが世界の害となると認めた。その為――『神』は私と愛奈を別世界に隔離したの》

 愛奈の脳内に、直接『戒令天自』の声が響く。ソレを聴いて、愛奈は納得した。

「成る程。あなたはそうやって、偽の『戒令天自』達に指示を送っていたんだね? 私と玉子ちゃんが知り合いだと知ったあなたは、だから部下に玉子ちゃんを人質にさせた。その時点であなたは万死に値する――」

《そう? では玉子達を害した私は――一体どれほどの大罪人なのかしら?》

 遂には荒野から街に達する、愛奈。そこで、彼女は自身の不利を思い知る。街に密集するビルの側面からも矛が伸びてきて、愛奈に攻撃をしてきたから。頭上を含めた八方から同時攻撃を受け、愛奈は内心舌打ちした。

 だというのに、ソレを回避し続ける彼女は一体何者か? とにかく愛奈は迫りくる矛を超速で躱し続け、反撃の機会をうかがう。ソレを見て、『戒令天自』は謳った。

《本当によくやる。人間の、しかも七歳児が私とここまで戦った前例は他にないわ。そんなあなたに問題よ。『勇者』の定義とはなんだと思う?》

「さあね。悪いけど、これでも忙しい身でさ。そんなつまらない質問につき合っている暇はない」

 にべもない愛奈の返答を、彼女はクスクスと笑う。

《なら、お姉さんが優しく教えてあげる。勇者の定義とは――世界を味方に出来る事よ。かの者はニンゲン側の総意であり、ニンゲン側の代表なの。弱きもの代弁者であり、強き悪を挫く神や天使に次ぐニンゲン側の善の執行者。それが『勇者』――》

「ソレは、私に対する挑発? その善の執行者が、子供を傷付けた癖に」

《それはそうでしょう。言った筈よ。人間の本質は悪だと。故に人間にとっての善とは、即ち悪なの。実際、人間は国益の為に、他人や自分の国を危機に陥れるでしょう? 戦争による、侵略。その国の国民が貧するとわかっていながら行われる、経済制裁。差別を正当化させる為の、鎮圧行為。事ほど左様に、人間の善行は悪行に通じている。人が利を得ようとすれば、誰かを不遇の立場に追い込むしかない。ならば人にとっての善の執行者とは――即ち悪よ。私達はより多くの人々に利益をもたらす為、悪を以て臨むほかないの。今回は偶々あの玉子という子達が、その犠牲者だったと言うだけの事》

 ソノ理屈を聴き、愛奈は思わず息を呑む。

「歪んでいる。ネジ曲がっている。あなたは私と同じだ。私が普通じゃない様に、あなたの価値観も狂っている。今ここで――確実に始末しなければならないと確信するほどに」

《そう? でも、果たしてあなたにソレが可能かしら――鳥海愛奈?》

 今も八方から、矛が愛奈に伸びる。

 その全てを躱しながら、愛奈は『戒令天自』の能力を看破する。

(――世界を味方にする。つまり彼女の能力は『不動の物を操作する』事。この星自体が彼女の一部と考えて良い。だとすれば、私は今一つの世界そのものと対峙しているわけか)

 十字路に行き着いた時、四方から秒速二百十七キロでトラックが突っ込んでくる。ソレを、壁を駆け上がって愛奈は回避しながらも、トラックが激突した爆風に巻き込まれる。屋上に達した後、愛奈は周囲を警戒しながら呼吸を整えた。

(――攻撃が止んだ? 敵の体力が消耗したせい? それとも、何か別の策がある?)

 愛奈がそう感じた時、ソレは起きる。あろう事か、この辺りのビルが一斉にロケットの様に発射されたのだ。

 ソレは秒速三百キロで愛奈へと殺到し、彼女はこの時、初めて呼吸を乱した。

「――もう何でもありだね、あなたは!」

 その速度を模倣した愛奈は、全力で後退する。ビルは屋上に直撃すると、秒速三百キロで破片を撒き散らす。その全てを躱しながら、愛奈は次の攻撃を予測する。それは現実となり、愛奈は街が捲り上がり、津波となって自分に押し寄せてくる様を目撃した。

《そう。世界を味方にするとは、こういう事。私自身を世界の延長とする。いま地球と言う星は私の手足であり、消耗品でしかない》

「どうもそうみたいだね。でも、それでも――その能力では私には勝てない」

 事実、街という津波を愛奈は回避し切る。速度を模倣できる愛奈は、だからソノ攻撃が命中する事は無い。ソレを見て、『戒令天自』はやはり笑う。

《では、こういう趣向はどうかしら?》

「嘘、でしょう?」

 いや、彼女にしてみればソレは余技だ。だが愛奈にしてみれば、ソレは一種の絶景だった。なにせ『戒令天自』は今、この星にある全てのビルをミサイルの様に飛ばしたのだから。高さ五メートル程の物から三百メートルに及ぶビルをミサイル代わりにして、愛奈に発射する。

 秒速五百キロで迫るこの化物じみた攻撃を前に、愛奈はやはり逃げ惑うほかない。

「……本当にやってくれる。本当にやりたいほうだいね、あなたは!」

 日本、中国、韓国、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、ドイツなど先進国のビルが次々愛奈に向け飛んでくる。ソレを避けるため駆け出している愛奈は、やはり『戒令天自』に接近する事さえ出来ない。

 逆に彼女との距離はますます遠のき、戦況は『戒令天自』の思惑通り進んだ。

(ええ。このまま彼女から遠ざけられれば彼女の思うつぼ。遠距離からの攻撃が可能な彼女はそれだけ有利になっていく。この状況を覆さない限り――私に勝ち目はない)

 だが、状況は愛奈にとって不利になるばかりだ。何故なら、今度の攻撃は桁が違った。

『戒令天自』は、この星全ての山々を秒速六百キロでミサイルのように飛ばしてきたのだ。

 無論、その中には富士山やチョモランマも含まれている。

(高さ八キロ以上のミサイル群! でも、言ったでしょう。その業では私に勝てないと)

 が、愛奈がそう確信しかけた時、『戒令天自』が右目の眼帯をとる。

 ソレが『戒令天自』の能力。彼女は左目で知覚した不動の物体を操作し、右目で知覚した運動する無機物を操作する。よって彼女は右目でかの山々を直視し、それは起きた。

 山々の内部で核融合が起こり、地面に炸裂する瞬間――核爆発を起こしたのだ。

(な、あっ?)

 故に、愛奈は絶句する。いや、言葉を発する前に摂氏四億度という言語を絶する高熱が、愛奈がいる周囲に降り注ぐ。その攻撃範囲は――秒速六百キロでも躱し切れるものではない。

 ソレもその筈か。何せ数千に及ぶ山々が――核爆発を起こしたのだ。ソレは日本全土を攻撃範囲にした全方位攻撃。逃げ場という物が無い、無差別殲滅攻撃である。

 事実、この瞬間、日本から愛奈の姿は消滅する。この日、日本から木々や人工物は全て焼却され、全国土が焼け野原と化す。

 この悪夢のような戦況を前に『戒令天自』は笑い――それから大きく息を吐いた。

「何? ――まさか、まだ生きている? 今の一撃を以てしても、仕留めそこねたと?」

「当たりだよ、『戒令天自』――!」

 だが、何故だ? 今のは日本を滅ぼすだけの業。愛奈に逃げ場は無かった筈だし、そもそもあの閃光に等しき核爆発から逃れられる筈が無い。

 だが、実際は違っていて、愛奈は今こそ江島幸助に対して使った奥の手を使う。

 鳥海愛奈は光の速度を模倣する事で――文字通り光と化したのだ。

《つ――ッ?》

 故に北の国に逃れた彼女は――そのまま『戒令天自』目がけて跳躍する。

 光の矢と化した少女が――かの大敵目がけて発射される。

 光速。

 ソレは――秒速三十万キロ。一秒で地球を七周半できるだけの、超絶的な速度。ならば、理論的には、一秒あれば全ての人類を刺殺する事も可能という事。

 身長百十九センチの物体が、秒速三十万キロで移動する。

 ならば、その威力は如何なる物か? その偉容を示す様に愛奈は『戒令天自』が展開する無数の壁を、手にした刀で貫通する。いま光りの矢と化した彼女は、遮る全ての物を破壊して、かの大敵へと肉薄した。

 この様を見て、『戒令天自』はまなこを広げ、息を呑む。

 いや、彼女はこのとき改めて、鳥海愛奈の才能を羨望した。

《でも――残念》

(――なっ?)

《それでも――まだ私に勝てるレベルじゃない》

(に――ッ?)

《――『頂成帰結』――》

『戒令天自』がそう唱えた瞬間、彼女の姿が変わる。いや、容姿は同じだが、服は中世期の貴族の女性の様な豪奢な物に変わり、帽子を被る。

 そして『戒令天自』が――愛奈に向け一つの矛を発射した。問題はその速度。ソレは明らかに光速を超えていた。いや、もっと言ってしまえば、その速度は常識ではあり得ない物だ。

 故に愛奈はその速度を視認できず、『戒令天自』の矛に撃ち負ける。大きく弾き飛ばされ、彼女は何とか地面に降り立った。

 今の攻撃で唯一の成果は、『戒令天自』との間合いを詰めた事。今、愛奈の目の前にはかの仇敵が立っている。

 だが、その先はさきの攻防の焼き直しにすぎない。

『戒令天自』は矛による攻撃を再開する。ソレを愛奈は何とか知覚して、彼女の攻撃を回避していた。その様を見て、『戒令天自』は初めて眉をひそめる。

《驚いた。仮にあなたが視認した物体の速度を模倣しているとしたら、私の攻撃は躱せないはず。だというのに、あなたはコレさえも回避するのね?》

『戒令天自』が、僅かながら驚愕するのも無理はない。

 何せ、今の彼女の攻撃速度は――分速一グーゴルプレックスキロだ。

 ――分速十の十の百乗乗キロといった単位に相当する速度である。

 よって光りを遥かに超越したソレは、光を通して物体を視認する人間では絶対に視認できない。

 だというのに、なぜ愛奈はこの物理法則を根底から覆す超速を躱せるのか? それは愛奈が『戒令天自』の攻撃を知覚しているから。目に頼らぬ超感覚を以て、彼女の攻撃を捉えているからである。

 いや、それ以前に一般的には光より速く動く事は不可能だと言われている。なのに、なぜ彼女達はその摂理を突破できるのか?

(ええ。本当に何故――っ?)

《それはブラックホールと同じ原理よ。光さえ吸収するブラックホールの中は、超重力が発生している。重力の値が高いほど、時間の経過は遅くなる。ブラックホール程の質量なら、時間は停止しているも同然。ブラックホールの中では、時間も空間も無意味と化す。既存の物理法則が通用しない高重力空間――それがブラックホール。ならばブラックホール同様ある一定のパワーを注ぎ込めば、それは物理法則を超越した事になる。その為、物理法則さえ歪ませ、光りより速く動く事も可能になるの。ソレが出来るのは『十八界理』以上の存在だけだと思っていたけど、あなたは本物の化物だわ。でも――私がこうしたらあなたは一体どうする?》

「なァ――っ?」

 愛奈が驚くのも、無理はない。何故なら次の瞬間、太陽が分速一グーゴルプレックスキロで落下してきて――地球に激突したから。

 正に、あり得ない暴挙。何者をも抹殺する、超絶的な攻撃。

 そして鳥海愛奈の意識は、黒く染まったのだ―――。


     ◇


 愛奈と『戒令天自』が、戦場を移す。

 ソレを見て、勝馬は彼女達を追おうとしてから、思い留まった。

「……いえ、違う。私が今するべき事は、皆の救助。愛奈殿はきっと私に玉子さん達を託して『戒令天自』との決戦に臨んだ」

 愛奈の意図を読み取り、勝馬はその通りに動こうとする。まずはこの場に居る三人のハンターを救出する為、行動しようとする。

 だが、その時、勝馬は咄嗟に後退した。

 その理由は――彼女の躰を憤怒の様な気配が貫いたから。現に、彼女が先ほどまで居た場所には、剣を地面に突き刺す女騎士が居た。

「成る程。今のを躱すあたり、少しはできる様だな」

「あなたは、何者? と、そうか。あなたが偽の『戒令天自』?」

 だが、その偽者は愛奈の蹴りによって倒された筈。間違いなく三日は意識が戻らないといった程度のダメージは受けた筈だ。だというのに、なぜその彼女がここに居る――?

「そう、か。ソレがあなたの能力ですね? 敵の攻撃を一度は無力化する、というのが」

 その読みに、誤りはない。その証拠に、彼女の鎧は砕け、使い物にならなくなっている。勝馬の、この咄嗟の洞察力を知り、彼女は嬉々とした。

「おまけに勘も良い。暇つぶしには、もってこいの相手という事だな。師の指令でね。この場に生き残った者が居るなら、始末しろとの事だ」

「師? あなたは『戒令天自』の弟子ですか? 成る程。私達はそんな所も似通っているという事か。ですが、私はそんな暴挙を許す気は無い。我が師、鳥海愛奈に代り、私があなたを打倒しよう」

「ならば名乗れ、倭国の騎士。殺す前に、その名だけはこの胸に刻んでおこう」

「堺――勝馬。そちらは?」

「フレイズ・ラビガン。楔島という地獄で生き抜いた――生粋の剣士」

 途端、フレイズの髪が金から黒に変わる。

 右目を眼帯で被う彼女は――そのまま勝馬へと猪突した。

 ソレを迎え撃つ、勝馬。彼女は手にした刀を抜刀して、フレイズに刀を叩き込もうとする。ソレを見て、フレイズは一笑した。

「成る程。どうやら師弟ともに、おまえ達は私達に及ばないらしい」

 勝馬のその一刀を、フレイズは事もなく剣で受け止める。余りに凡庸なその攻撃を前にして彼女は自身の勝利を確信した。

 この偉容に対し、それでも勝馬の戦意は揺るがない。彼女は尚も正統とも言える剣技を以てフレイズに挑む。

 だが、その剣技をフレイズは子供をあやす様にあしらう。ソレは正に死線をくぐり抜けてきた戦士と、まだヒトを殺した事も無い剣術使いの差だ。

 が、ソレでも勝馬が刀を振る度に、凄まじい衝撃音が発生する。音速を越える彼女の攻撃はソニックブームを起こし、周囲の壁に亀裂を入れる。

 だが、その苛烈な剣技を以てしても、フレイズの余裕は崩れない。ソレも当然か。フレイズには、勝馬の動きが止まって見えるのだから。彼女の能力もまた、自然界との融合にあった。

 いや、自然を更に過酷な物に変えるのが――フレイズ・ラビガンの能力と言える。

 よって、フレイズが剣を振り下ろした時、その剣の熱量は十万倍に膨れ上がる。彼女は剣を振り下ろしたとき発生する摩擦熱を『増幅』したのである。

「つっ!」

 その事を悟った勝馬は、咄嗟に後退する。フレイズが剣を振り下ろした床は溶解し、その脅威をまざまざと勝馬に見せつけた。

「摂氏にして二十万度に及ぶ、剣の舞。果たしておまえに、コレが防げるか?」

 つまり、勝馬はあの剣を躱し続けるしかないという事。一撃でも食らえば刀は溶解し、その灼熱の剣が勝馬を両断する。そう悟って、勝馬はフレイズの攻撃を回避し続ける。

「だが、それも何時までもつ?」

(確かに、剣の技量も、体術も向こうが上。私が彼女の攻撃を躱し続けるのは不可能に近い)

 奇しくも師である愛奈と同じ立場に追いやられる、勝馬。愛奈が『戒令天自』の攻撃を躱すしかない様に、勝馬もフレイズの攻撃を避けるしかない。

 この圧倒的とも言えるフレイズの攻撃を前にして、勝馬は死すら覚悟する。事実、百十五回目の攻撃が勝馬に迫った時、彼女は遂に躱し切れずその一撃を食らう。ソレは間違いなく勝馬の死を意味していたが、フレイズはまなこを開いた。

 あろう事か勝馬はその攻撃を刀で受けきり、逆に支点をズラして、フレイズのバランスを崩す。その僅かな隙を衝いて、彼女はフレイズ目がけて渾身の突きを放った。

 この必殺の一撃を見てフレイズは一瞬死を連想し、実際、彼女は右手を犠牲にする。右手を広げて盾にし、勝馬の一撃を防いだのだ。

「ほ、う? ソレがおまえの能力か?」

「さっきから思っていたのですが――あなたは無駄口が多すぎる」

 仕留めきれないと悟った勝馬は、怒涛の様な勢いで後退する。今の一撃でフレイズを倒し切れなかった己の未熟さを、彼女は改めて痛感した。

(……さて、どうする? あの奇襲が私にとっての数少ない勝機だったのに、それが防がれた今どう戦えばいい?)

「いや、やるものだ。恐らくおまえの能力は、数値の『削除』だろう。私の二十万度という熱量の桁を、おまえは二桁まで削除した。二十度ほどまで軽減させ私の攻撃を受け止めた訳だ。となると、些か私とおまえとでは相性が悪いな。普通の剣技でもおまえを圧倒できる自信はあるが、ソレでは師があの娘を殺し戻ってきてしまう。あの娘にやられた私は、更なる恥の上塗りをするという訳だ。ならば――こちらもあの娘に倣うまで。あの娘もスピードには自信があるようだが、ソレは私も同じ事。我が真価――とくと味わうがいい」

 自身の右手から垂れる血を舐めた後、フレイズが再び動く。彼女は勝馬に向け、遠距離から剣を振るう。

 ソレを見て勝馬は一瞬眉をひそめるが、次の瞬間彼女の躰に衝撃が走る。勝馬の躰には稲光が殺到し、彼女の躰を直撃したから。ソレを受け、勝馬は奥歯を強く噛む。

(まさか――静電気を増幅して稲妻に変えたっ? 雷を操るのが、彼女の本領――っ?)

 だとしたら、ソレは正に脅威だ。稲妻の速度は――秒速二百キロ。太陽の動きを模倣した愛奈と大差ない速度である。仮に勝馬の『削除』が常に継続する術でなければ、今の一撃で終わっていただろう。だが、フレイズは今も刀を構える勝馬に尚も攻撃を続行する。

 秒速二百キロで放たれる剣は確実に勝馬にダメージを負わせ、彼女を追い詰めていく。避ける事も受け止める事も出来ない勝馬は、ただダメージを軽減して耐え忍ぶしかない。

 けれど、フレイズ・ラビガンは決して彼女を見くびらない。

「ほう? その目、その気迫、その強い意思。ソレは未だに自身の勝利を諦めていない者の貌だな。だが、諦めろ。どちらにせよ、おまえ達はここまでだ。例え私をしのぎ切ろうとも、何れ師が戻ってきておまえ達を殺す。あの愛奈と言う娘の後を、おまえ達は追う事になる。それだけは、確か。それだけは、揺るぎない事実。それだけが、おまえ達が辿る末路だ」

「……本当に、よく喋りますね、あなたは。でも、そう、か。あなたは師を信じているのですね? 彼女なら私の師を事もなく殺し、戻って来ると確信している。でも――それは私も同じ事です」

「へえ? だが、私は知っている。あの師の化物じみた力を、熟知している。断言しよう。あの彼女に勝てる者など存在しないと。あのバカげた業を以て、私を打倒してみせた師が負けよう筈もない。あの師が負けるとしたら、ソレは万物の物理法則がネジ曲がるのと同義だ」

 そうだ。フレイズは知っている。山々をミサイルの様に飛ばして自分を圧倒した、『戒令天自』という少女の脅威を。あの時の悪夢を、あの時の感動を、彼女は生涯忘れる事は無いだろう。

 故に、彼女はその鮮烈さに憧れた。故に、彼女はその底知らぬ強さに恋い焦がれた。人の世の正義は、即ち悪と断ずるあの孤高の少女に、生涯の忠誠を誓ったのだ。

「……だから、彼女がする事は全て是だと? 全て正しいとでも言う気ですか、あなたは?」

 今もフレイズの電撃が躰を焼く中、勝馬は問い掛ける。フレイズ・ラビガンは嬉々とした。

「そう。力なき正義は悪だ。例え悪であろうと力さえあれば正義となる。それがヒトの世の歴史。ヒトが培ってきた日々の結晶。何者にも変え難い真理だよ。現に、おまえは正義を気取りながらも私に圧倒されているだろう? それは私が悪でありながら、おまえより強い正義だから。おまえが私に敗北した時、この関係性は決定的なまでに確定する」

 フレイズが言っている事は事実だ。どのような非道も、どのような不条理も、戦に勝てば全てが正当化される。歴史とは勝者が作るもので、敗者ではせいぜい爪痕を残すのがやっとだ。果たしてどれほどの残虐な行為や、民衆に対する虐殺が勝者の手によって正当化されてきた事か。その事実は、勝馬も認めるほかない。けど、それでも、彼女は告げたのだ。

「いいえ。それでも――愛奈殿は勝ちます。彼女が――負けるはずが無い」

「ほう? ソレは、おまえがあの子を盲信しているから? 根拠もない勝機を、あの子に見出しているからか?」

「意味合い的には、近いかもしれません。言っておきますが、私は彼女を尊敬した事なんて一度しか無い。寧ろ知れば知る程、彼女が如何に歪んだ存在か思い知り殺害さえ望んだ位です。でも、だからこそ彼女は『戒令天自』に勝てる。彼女ほど歪んだ人は居ないから、きっとその精神性は物理法則さえ捻じ曲げる。あなたが言う『戒令天自』という物理法則を捻じ曲げ彼女は――愛奈殿は必ず勝つ。私が心底から憎み、恐れ、そして愛した彼女がこんな所で負けるはずが無い――」

「………」

 その勝馬の微笑みを見て、その勝馬の全幅の信頼を聴いて、フレイズは思わず息を呑む。

 彼女はこのとき初めて、堺勝馬は全力で抹殺するべき敵だと認識した。

「嗤わせる。勝つのは私の師だ」

「いえ、勝つのは間違いなく愛奈殿です!」

 故にフレイズは眼帯を外して、勝馬に接近する。その時、虚を衝かれた勝馬は、何とか後方に下がるしかない。が、フレイズの動きが勝馬を圧倒し、彼女は勝馬を間合いに引き入れる。ついでフレイズは何度かフェイントを入れて、勝馬を翻弄した。

(いや、違う! これはまるで、私の意識を的確に乱す様な動き! まさかこれが彼女の三つ目の能力――っ?)

「恐らく正解だ――堺勝馬」

 フレイズ・ラビガンの三つ目の能力。ソレは『右目で見た対象の隙を見つけ出す』能力。どこに剣を打ち込めば、敵を倒す事ができるか知る事が出来る能力である。ソレに加えて、彼女はいま雷速で剣を振う事が出来る。

 この二つが合わさった時、遂に勝馬の隙を衝き、フレイズの剣が――勝馬の首を刎ねる。

 勝馬の胴体からは噴水の様に血液が噴き出し――それは勝馬の死を意味していた。

「――これにて、終劇。いや、思いの外、呆気なかったな」

 フレイズが転身して、残りの敵を片づけようとする。勝馬の亡骸に見切りをつけ、彼女はこの場を去ろうとした。

 その時、彼女はつまらない事実に気付く。そういえば、なぜ、今の一撃を勝馬は『削除』しなかった? 例えフレイズの剣が雷速でも、『削除』を常時発動している勝馬ならある程度防げた筈。それをしなかった理由は何だと感じた時、フレイズは反射的に振り返っていた。

 其処にあるのは九十という数字と、今まさに自分に刀を叩き込もうとしている勝馬の屍だ。

(な、にっ?)

 故にフレイズはその一撃を躱し切れず、まともに直撃される。

 だが、勝馬程度の一撃なら〈体概具装〉で躰を強化している自分なら防げる。そう確信していたフレイズは、けれど予想を遥かに上回るダメージを受けていた。ソレは正に想定していた攻撃力の九十倍もの威力だ。

 お蔭でフレイズは吹き飛ばされ、血反吐を吐き、臓器を損傷する。その直後、勝馬の頭は胴体に戻り、彼女は大きく息を吐く。

 それが堺勝馬のもう一つの能力。『復讐』と言う名のソレは、敵から攻撃を受けた後、その敵に数字を出現させる。同時に、九十から零までカウントダウンが開始する。その間に術者の攻撃が決まれば、表示された数字の倍数分だけ敵にダメージを与えられる。しかも、この術は能力を発動させる為の敵の攻撃では、術者は死ぬ事が無い。

 ただし、カウントが零になっても敵にダメージを負わせられない場合は、術者は死亡する。

「そう。奥の手があるのは私も同じ。自分が格上だと自惚れた時点で、あなたの敗北は決まっていたんです――フレイズ・ラビガン」

「……な、はっ? ……そう、か。私はおまえを気高き武士だと思っていたが……その実、不意打ち専門の卑怯者、か」

「ですね。その認識の誤りも、あなたの敗因です」

 そう。愛奈に直接挑まず、第三者を使って彼女を暗殺しようとした自分が卑怯者でない筈がない。この決定的な宣言を聴いた後、フレイズは苦笑しながら意識を失う。そんな彼女を注視しながら、勝馬は告げた。

「いえ、コレも貴女が彼女の鎧を破壊しておいてくれたお蔭です。また貴女に助けられてしまいましたね――愛奈殿」

 最後にそう淡く微笑みながら――堺勝馬はフレイズ・ラビガンを拘束した。


     ◇


 そして――最終決戦の幕が上がる。いや、鳥海愛奈は、正に絶体絶命の窮地にあった。

 何せ、自身が唯一生存できる地球という足場を、木端微塵に破壊されたのだ。こうなってしまえば、さすがの愛奈も死ぬしかない。

 いや、そもそも愛奈は先の太陽の一撃で消滅したのでは? 『戒令天自』はその可能性も考慮し、けれど直ぐにソレを修正した。

《本当にしぶといわね――あなたは》

 太陽の速度を模倣し、地球から脱出して、宇宙空間に佇む愛奈を『戒令天自』が知覚する。一方、宇宙空間に投げ出された愛奈は、正に危機的状況にある。何せ、宇宙空間で生存できる哺乳類など未だ確認されていないから。

 酸素が無いかの空間では、何れ酸欠に至る。血圧が下がり、血液の循環が遅くなり、ソレ等が要因で何れ生命活動が停止するだろう。

 では――それでも生を繋ぎ止める鳥海愛奈とは一体何者か? 

 ソノ答えを〈被気功〉という巨人を纏い、生命維持を成す『戒令天自』はアッサリ見抜く。

《成る程。常に光速以上で動き、時間の経過を限りなく零にしているのね。その為、疑似的に時間が停止しているあなたの体は、何の損害も被る事が無い》

 正解だ。光速で動く物体は、時間が経過しない。速度が速い物体ほど、時間の経過が遅くなる。この物理法則を利用し、愛奈は今も生存していた。

 だが、瞠目に値するとはいえ、愛奈の体力も無限ではない。このまま動き続ければ、何れ体力が底をつき、やがて死に至るだろう。ソレを避ける手段は、一刻も早く決着をつけ、現実世界の地球に帰還する以外ない。

(でも――ソレには『戒令天自』を倒す必要がある)

 その事実を冷静に受け止めながら、愛奈はその方法を必死に考える。だが、その手段に行き着く前に、『戒令天自』が動く。彼女は太陽を分速一グーゴルプレックスキロで操り、愛奈に向け、灼熱の矛を放ってきた。

 愛奈はその速度を模倣し、腕を突き出して空間を弾き、方向を変えながら何とか回避する。だが、今の愛奈にはソレがやっとだ。『戒令天自』に太陽と言う巨大すぎる武器がある限り、手の打ちようがない。その事を痛感しながら、愛奈は尚も逃げ惑う。

(……さて、どうする? どうすれば、この怪物を打倒できる――鳥海愛奈?)

 自身に問い掛ける、愛奈。けれど、その間にも『戒令天自』の攻撃は殺到してくる。この防戦一方な自分を顧みて愛奈は、内心辟易した。

 そう。今まで愛奈が敵を打破できたのは、敵以上の速度を発揮できたから。江島幸助の時は光の速度で圧倒し、暗殺者の時は太陽の公転速度で圧倒した。

 だが、今の愛奈では、『戒令天自』以上の速さは発揮できない。今の愛奈では、『戒令天自』の業の動きを模倣するのでやっとだ。ソレは即ち、愛奈には彼女を打倒する為の手段が欠落している事を意味していた。

 だが、ソレは『戒令天自』も同じだ。

(このまま戦況が推移すれば、やがて勝利するのは確か。でもソレは只の消耗戦にすぎず、華麗さを欠く。何とか手早く優雅に彼女を片づける方法は、ないものかしら?)

 いや、実の所、彼女には奥の手が二つもある。だが、まだソレを使う気にはなれない。速度だけを武器に、自分に立ち向かうあの子供に本気を出すのは大人気がないと感じている。

 しかし、『戒令天自』が思いついた策は、全力を出すよりよほど悪辣だった。

《そうね。些か嗤えるわ、愛奈》

(……なに?)

 喜々とする、彼女。その意味を愛奈は今、心底から痛感した。

《さっきあなたは、私が玉子を傷付けたと言ったわね? そう思っているとしたら、やはり滑稽だわ。この私が――そんな温い事をしたと思う?》

(はっ? まさ、か)

《そう。私はとっくの昔に――彼女を殺している。仮に私に勝てたとしても――そんなあなたを待っているのは玉子の屍よ》

(な――っ?)

〝鳥海は私のヒーローだよ〟

 ソレがただの挑発である事は、わかっている。いま感情を爆発させれば、間違いなく自分は負ける。そうとわかっていながら、今度こそ愛奈の怒りは頂点に達した。

(『戒令天自ぃいいい』――っ!)

 故に愛奈は爆ぜ、防戦から一転して攻めに転じる。愛奈は太陽の熱が自身を焦がすのより速く飛行して、『戒令天自』に肉薄した。

 だが、当然の様にソレを待ち構えていた彼女は、実に冷静に行動する。

 太陽の核融合を速め、質量の問題を無視して、無理やり超新星爆発を起こしたのだ。その百億度に及ぶ超高熱が、愛奈の小さな体に降り注ぐ。

 いや、それより速く愛奈は動いていた。彼女の生存本能は怒りを凌駕して、愛奈を生き長らえさせようと足掻く。

 咄嗟に、超新星爆発のとき生じた光の速度を模倣した彼女は、後方へ飛ぶ。熱が届く前に愛奈は後退し、その最中、彼女は痛感した。

(このままでは、勝てない。このままでは、間違いなく負ける。このままでは、玉子ちゃんの仇が討てない――っ!)

 ソレは、今の愛奈には絶対に認められない事だ。何があろうと、鳥海愛奈は玉葱玉子の報復を成さなければならない。その強すぎる想いが彼女を奮い立たせ、やがて今日までの記憶が走馬灯の様に脳裏を駆け巡る。

 そして、その時は訪れた。

 この七年に及ぶ膨大な情報は、やがて彼女に一つの事実を気付かせたのだ。

〝何でも、この世界は一つでは無いらしいです〟

(は! ――ああ。そう、か)

 故に鳥海愛奈は――今その深層に至ったのだ。

(なっ?)

 よって『戒令天自』と言う名の『勇者』は刮目する。自分の目前に立つ七歳の少女を目にして、息を呑む。明らかにナニカが変わった愛奈を前にして、彼女は初めて怖気を覚えたのだ。

《何をした? なぜ動きが停止した状態なのに、死なない?》

 あろう事か、愛奈もテレパシーで答える。

《いえ、私はちゃんと高速で動いているよ。ただ――あなたがその動きを捉えられないだけの事》

 この時――『戒令天自』は鳥海愛奈を全力で抹殺するに値する敵だと認識する。

 彼女はその奥の手を――愛奈に向け発動した。

『戒令天自』はこの宇宙全ての星を操り――愛奈を取り囲んだのだ。

 そう。宇宙とは一兆~七兆個の銀河を孕み、その銀河にある恒星の数は一千億個~一兆個と言われている。それだけの数の天体を――彼女は武器に変える。だからこそ彼女は――『戒令天自』と呼ばれるのだ。今その二つ名に相応しい――天体ショーが行われた。

『戒令天自』は――分速一グーゴルプレックスで愛奈に向け惑星を発射したのだ。

 この巨大すぎる弾丸を前にして、愛奈は微動だにしない。いや、その弾丸が命中する寸前、彼女の姿が消える。気が付けば、彼女はその惑星を躱し、泰然とソコに居る。

《ほ、う?》

 この偉容を見て、『戒令天自』は次々惑星を愛奈に向け発射する。ソレは間違いなく、万人を消滅させる超質量の弾丸の嵐。空間を砕き、万物を死に追いやる、壮絶なまでの絶対殺戮攻撃。

 だが、愛奈はソレを躱し続ける。その数兆個に及ぶ弾丸の嵐を、掻い潜る。

 ならばとばかりに、『戒令天自』は銀河系そのものを愛奈に向け発射した。一度に七兆個に及ぶ銀河が愛奈へと殺到する。

《な、に?》

 ならば、それさえ回避するこの少女は何者か? 『戒令天自』は初めてそう疑問を抱き、だから決して手を緩めない。愛奈がほぼ全ての弾丸を躱し切った所で、今度は全てのブラックホールを発射する。

 この歴然たる脅威に、愛奈は一度だけ彼方に目を向ける。

 やがてそれにも飽きたのか――彼女は爆ぜた。

《バカ、なっ》

『戒令天自』が目を疑うのも無理はない。何せ彼女の得物は今までとは性能が違う。世の中には脱出速度という物がある。脱出速度とは、対象の天体の重力から脱出する為の速度である。

 地上から人工衛星を打ち上げ軌道に乗せるのに必要な脱出速度を、第一宇宙速度という。

 地球の重力から脱出して他の天体に向かう時に必要な脱出速度を、第二宇宙速度という。

 太陽の重力から脱出して太陽系外の天体に向かうのに必要な脱出速度を、第三宇宙速度という。

 だが光りより速い物体は存在しないので、光りさえ飲み込むブラックホールは脱出速度が存在しない。『戒令天自』は、そのブラックホールの性能を高めている。分速一グーゴルプレックスキロで移動する物体でさえ飲み込む程に。加えてブラックホールに飲み込まれた物は、素粒子レベルで分解される。

《――な、にっ?》

 だが、にもかかわらず、あの少女は今こそ自分に向け突撃する。言語を絶する速度で鳥海愛奈は羽ばたき、自分に向け猪突する。

《――だから、一体何をしているというの、あなたはっ? なぜ私の攻撃を避けられるっ? この世界には私とあなたしか居なくて、だから私以上の速度では動けない筈なのに!》

《簡単な事だよ。単に、私は私に思いを馳せただけ。私と言う魂の原型を――前世という私自身の未来を知覚して――その速度を模倣したのよ》

《……なん、ですって?》

 七歳児ではない――未来の鳥海愛奈の速度を模倣する。

 前世の全盛期の自分を知覚し――そのスピードをまねる。

 今の愛奈には、未来の自分がどれ程の速度を誇っているかはわからない。だが、ソレは明らかに今の愛奈の想像を超えていた。

 よってソレはブラックホールさえ脱出する、第四宇宙速度。

 ソレを見て、『戒令天自』は最後のカードを切る。

 彼女は数億に及ぶ宇宙全てのエネルギーを――自身の右腕に集めたのだ。

《そう。この状態の私は、地球と同じ重力下で宇宙を五億個持ち上げるだけのパワーがある。その私の一撃を受けて、果たして命を繋ぎ止める事ができて――鳥海愛奈ぁあああ!》

《さて、ね。そんな事は知らない。『戒令天自ぃいいい』!》

 衝突する『戒令天自』の右腕と、愛奈の中国刀。この激突は暫し拮抗し、けれど次の瞬間大きく形勢が傾く。

《なっ、は――っ?》

《そう。私は今――私であって私じゃないッッッ……!》

 鳥海愛奈の刀が『戒令天自』の腕を弾き飛ばし〈被気功〉を破って――遂に彼女の躰に刀を叩き込む。

 そのまま愛奈は直進し――『戒令天自』と共に宇宙を突っ切った。

 その速度は、最早表現する事は不可能と言える。ソレも当然か。宇宙の大きさは一説によると十の一グーゴルプレックス乗光年より遥かに巨大と言われている。その宇宙を突っ切り、彼女達は宇宙の果てへと行き着いたのだ。

 その最中――『戒令天自』は己が人生を想起した。

 彼女がなぜ、『勇者』を自称するのか? それは彼女が、本物の『勇者』だから。今から一世紀以上前、彼女は実際に魔王を名乗る怪物を打倒しているのだ。

 それだけの偉業を成した彼女は、だから人々から英雄視され『勇者』と呼ばれた。彼女は最高位の正義のヒトとされ、人々から喝采された。

 だが、それは同時に彼女の運命を大きく変える事になる。確かに彼女は心身ともに『勇者』だったが、王ではなかったから。権力とは無縁で、ただその名声だけが彼女を彩っていた。

 故に、彼女の故郷の王は彼女を疎んだのだ。彼女の名声が何時か自分の立場を危うくするのではと、危機感を抱いた。

  魔王を倒す時は彼女の力を頼りとした王は、だから態度を一変させる。

 王は何れ『勇者』がこの国を乗っ取り、民に圧政を敷くという噂を流布した。私利私欲に走り、この国を蹂躙すると噂を流したのだ。

 そして内心では彼女の力を恐れていた民もまた、王に同調してしまった。ここに英雄だった彼女はただの邪魔者と化し、排斥の対象と化す。畏怖の対象となり、行く先々で恐れられた。

 だからこそ、彼女にとってニンゲンとは悪なのだ。悪を退けた自分でさえ悪として扱う彼等は、確かに彼女の中では悪でしかない。

 でも、それでも、彼女は決して彼等を、故郷の人々を傷付け様とはしなかった。今になって何故だろうと考え、彼女は一つの答えを出す。

《だって、それでも、私は『勇者』だから。だから、皆の為に、私は前に進まないと》

《つ――っ?》

 そう。ニンゲンがそんな悪だとしても、彼女はそんな彼等の笑顔に恋い焦がれたのだ。例え自分を排斥した悪であろうと、あのとき自分に向けてくれたあの笑顔は本物だから。

 故に彼女は『勇者』としての役目を全うしようとする。『頂魔皇』を倒し、今度は彼女から民衆を解放する。そこまですれば、そこまで行けば、自分がユメ見た世界を取り戻せるかもしれないから。

 それだけが、彼女の願い。それだけが、彼女のユメ。今の空っぽな彼女に残された、最後の希望だった。

《……そっか。それでも貴女は、ヒトの為に尽くそうとしたんだね。貴女が常に強者と戦い自身を高めようとしていたのは、その為。でも、私は約束してしまったんだ。明日また、学校で玉子ちゃんと会うって。その約束を破らせた貴女を――私はどうしても許せない》

 よって愛奈は宇宙と〝第二世界〟の境界線に『戒令天自』を、いや『勇者』を叩きつける。その時、内臓を損傷した彼女は吐血し、この長かった戦いに終止符を打つ。

 二人は現実世界の地球に帰還し――愛奈はその場に横たわる彼女を前にしたのだ。


     ◇


「そう、ね。私が訊きたい事は、一つだけ。貴女は本当に、玉子ちゃんを殺したの?」

 そう問う愛奈に、今も意識が虚ろな『勇者』は頷いてみせる。

「……え、え。殺した、わ。本当に、私らしくも、ない。ただの人間を傷付けるなんて初めてだから、力加減を、間違えた。私は、恥知らずにも、子供を殺めてしまったの。貴女がその報いだと言うのなら、私は、ソレを受け入れるしかない」

「……そっか」

 ならば、愛奈は刀を振り上げるしかない。それは、彼女に止めを刺す為の物。鳥海愛奈はいま、初めての友人の為にその手を汚す。

 いや、本当に、その筈だった。

〝人を生き返らせることもできないやつが――人を殺そうとするなぁ――!〟

「……ああ。ああ」

 だが、その声が、その彼女の叫びが、愛奈の心に刺さる。玉葱玉子の言葉によって串刺しにされた鳥海愛奈は、その場から動く事ができなかった。

 やがて彼女は転身して、この場から離れようとする。ソレを見て『勇者』は問うた。

「なにを、しているの? なぜ、止めを、ささない?」

 愛奈の答えは、決まっていた。

「人は常に、自分自身の悪意と戦っている。一人でもそんな人が居る限り、私もその戦いからおりる気は無い」

「………」

「だから、また誰かを殺したくなったら、私の所に来て。何度だって相手をしてあげるから」

 それが、最後となった。愛奈はこの場を去り、『勇者』は彼女を見送る。

 こうして愛奈は――『殺すべきニンゲンを、殺すべき時に殺さない』という大罪を犯した。


     ◇


 そうして、私は駆けた。あてもなく、ただ彼女を探して、街を走る。

 本当に『勇者』が言っていた通り、彼女はもう居ないのか? 『勇者』が言っていた通り、この物語はバッドエンドなのか? ソレを確かめたくて、私は、ただ駆け出し、彼女を探す。

『勇者』が起こした騒ぎの所為で、まだこの一帯は人気が無い。そのうち警察の関係者が押し寄せてくる筈だが、私はその前に、彼女を見つけ出したかった。

「そう、だ。絶対に、玉子ちゃんは、生きている。絶対に、彼女が、死ぬものか」

 何せ、この物語はギャグだ。ギャグで構成されていのが、この物語である。だから、その筈だから、死人が出る訳がない。

 そう。そんな事が、認められる筈が無い。そんな事が、ある筈が無い。

 ソレだけを唯一の希望にして私は街を駆け回り、やがてその終幕へと辿り着いた。

「……ウソ、でしょう?」

 ずっと遠くに、見慣れつつある少女が居る。ずっと遠くに、私が探していた友達が居た。

 でも、わたしには、どうみても、そのばにたおれているかのじょが、いきているようにはみえなかった。

 腹部からは、血液が流れ出し、それは明らかに生命を損なうだけの量だ。隣に佇む男性もソレは同じで、彼女達二人は、どう考えても、息をしている様に見えない。

「……こんな事って、あるの? 何の罪もないのに、彼女は何も悪くないのに。何で、玉子ちゃんが死ななければならないのよッッッッ……!」

 その場に跪き、半ば忘我しながら、絶叫する。そんな事で、この現実が変わる訳がないのに、私にはもう、そんな事しか出来なかった。

「また明日学校で会おうって、言っていたじゃない。さっきまで、あんなに元気だったじゃない。なのに、何で? なんで、こんな事に? 私は、一体、どこで何を間違えたの……?」

 自問するが、答えはやはり返ってこない。今はただ絶望だけが胸を埋め、怒りさえ湧いてこない。

そう。

 私の願いは、一つだけ。

 ただ、もう一度、玉葱玉子ちゃんの笑顔が見たいだけだった。

 その、もう叶わない願いを、もうユメ見る事さえできない想いを、私はただ胸に抱く。そんな事で奇跡が起こる訳がないのに、私はただ祈った。

 だが、やっぱり現実は変わらない。玉子ちゃんとその男性はやはり死んでいて、私はその事実を受け止めるしかなかった。

 いや、本当に、その筈だった。

 私は立ち上がり、玉子ちゃんの傍に歩を進めようとする。その時、一瞬、意識がブレた。何かが狂い、ネジ曲がって、私は息を呑む。

「え? ……鳥海?」

 まるで彼女が死んでいるという事実が削除されたかの様に――その場には玉子ちゃん達が立っていたから。

 玉葱玉子は、確かに意識を取り戻し――其処に居た。

「玉子、ちゃん? 玉子ちゃん。玉子ちゃん。玉子ちゃん。玉子ちゃん。玉子ちゃん」

「って、どうしたの、鳥海? なんで泣きながら、抱きついてくるの? 私、鳥海になにかした?」

 が、私は首を振り、何で生き返ったのかわからない彼女に対し、こう告げる。

「私は、泣いてなんかいないよ。玉子ちゃんとまた会えて、嬉しくて笑っているんだよ」

「……そっか。たしかに私も、鳥海のそんないい笑顔ははじめてみた」

 かくして、私のハンターとしての五日目は終わった。

 そのくせ得るべき賞金は零で――だけど私はそれ以上の報酬をここに得たのだ。


     ◇


 そして、彼は遥か成層圏から地球を見下ろす。その横には、秘書を絵に描いたような女性が佇んでいる。その彼女は、彼に問うた。

「宜しんですか? 死者を生き返らせるとか、随分なサプライズだと思うのですが?」

「なに。本来なら私がちょっと手伝いをして、『勇者』を退ける筈だったんだ。だと言うのにあの子ときたら、自力で勝ってしまった。玉子君達の件は、その代りにすぎない」

「成る程。貴方としては、気まぐれとも言える家族サービスという訳ですね。もっとそういう所を、お嬢様にお見せすればいいのに。この天邪鬼」

「んん? 何か言ったかな、セルフェルナ君?」

 が、彼女は答えず、代りに別の事を彼に訊ねる。 

「で、今回はどんな感じです? どのような事に、なり得ると思われますか?」

「さて。果たしてこの世界の彼女は、私が望む通りの成長をみせるか? 実に興味深いね」

 ついで、最後にセルフェルナ・ビルナはこう告げた。

「はい。実にその通りかと。『第二種知性体』の皇――ドラコ・ニベル」


     終章


 で、結局、私は玉子ちゃんとの約束を守れなかった。理由は単純で、一晩寝たらその場から私は立ち上がる事さえ出来なかったから。

 どうもソレが、未来の自分の速度を模倣した反動らしい。恐らく私は運動エネルギーの一部をその身に纏っている為、摩擦熱では燃え尽きない。けど、そんな異常な私にも限界という物はある様だ。

 今日はだるくて学校に行きたくないと寝所で母に告げると、母はアッサリ納得した。

 というか、昨日の件に巻き込まれた玉子ちゃんもきっと今日は学校を休んでいる事だろう。私達の学校での再会は、もう少し後になりそうだ。

 そして、ここからは何時ものやりとり。父が突然、私の部屋に入って来てこう言ったのだ。

「おお、愛奈。お父さんは遂に、画期的な宗教名を思いついたぞ」

「………」

 宗教名なる概念が公式に存在しているかは、わからない。ただ父は恐らく○○教の○○の部分を埋めたと言っているのだろう。で、父は満を持して告げた。

「うむ。――火星教というのはどうだろう?」

「………」

 完全に、あかんやつだった。完璧に、何かのパクリだった。しかも、全く面白くない。

「そう。火星こそ、我等がホーム」

「というか、まず火星って酸素がないよねっ? 酸素が無い家って家としてどうなんだろっ? 私としては、酸素が無い家は家じゃない!」

「火星こそ、我等が全て」

「だから、そんな戯言はどうでもいいから――まず酸素を供給しろ!」

 それから私も、またどうでも良い事を口にする。

「そういえば、お父さんって中身はアホだけど、外見はどう見ても諸葛孔明だよね?」 

「誰だ、諸葛孔明って? お父さんは中国人だが、聞いた事も無いぞ?」

「いや、本当に中国人なら、諸葛孔明くらい知っておこうよ。というか、その言動から察するに、諸葛孔明が中国人って事はわかっているじゃない。それ以前に貴方は西洋人の血が混じった、クオーターではなかったっけ?」

「うわ! また七歳児が難しい事を言い始めた! やっぱりこの子は私の子じゃない! 一体誰の子だっ?」

「………」

 本当に何なんだろう、この父は? どっかのラジオ番組に〝鼻クソと耳クソだけが私の食糧です。これも全部父の所為なのですが、どうしたらいいでしょう?〟とか相談メールを送ってやろうか?

 私がそう企んでいると、家のチャイムが聞こえてくる。父は応対するため私の部屋を出て行って、それから何故か直ぐに戻ってきた。

 父の手には、宅配便と思しき梱包された長方形の箱がある。一体何だと首を傾げていると、父は独白する様に呟く。

「マジか。思ったより、ずっと早かったなー」

「え? お父さん、それって何?」

 イヤな予感がするので、訊いてみる。父は、アハハハと笑いだす。

「いや、実は二日前、線の細い美形の青年が訊ねてきてね。〝この二百九十万円は受け取れる筈がありません〟とかいって私に現金を押し付けてきたんだ。一体なんの事か意味不明だったが、くれると言うのなら貰っておくのが人情と言う物だろう。そんな訳で、私はその二百九十万円である物を購入した訳だよ」

「………」

 間違いなくその美形の青年とは、堺永輝さんだった。つまり、その二百九十万円は、間違いなく私の全財産だった。

 この父は、このボンクラは、何の躊躇もなく私のお金を使ったと言ったのである。その事実に眩暈を覚えながら、私はそれでも確認せざるを得ない。

「え? お父さんは、一体何を買ったと言うの?」

 彼の答えは予想通りで、それ以上でもそれ以下でもない。

「あ、うん。ちょっとネットで売っていた――殺人ウィルスをね」

「…………」

 こうして、鳥海愛奈という七歳児の受難は、尚も続く―――。


                 七つで大罪!・後編・了 

 後編、ここに決着!

 さて、次回は世界観が一変して異世界もの(?)という事になります。

 今回同様ヴェルパス・サーガの枠内で発表するので、どうぞお楽しみに。

 主に、猫が活躍する物語です。


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