スオン戦記・中編
と言う訳で、中編です。
いえ、前編を軽く読み返してみたのですが、とにかくカクラが喋っています。
マイナムが三でカクラが七といった割合で、喋りまくっています。
全盛期のキロ・クレアブルや鳥海愛奈もお喋りでしたが、彼女はソレに次ぐお喋りです。
恐らく文字数が多くなったのも、カクラの所為でしょう。
これでもワールドエンド?と同じで、ちょうど百三十ページの筈なのですが。
◇
大きく息を吐き出す、マイナム。ソレは、カクラが見た事が無い彼だった。
「……あの女性はそれ程の使い手でしたか、マイナム様?」
「……ああ。アレは、本物の化物だ。人と言う規格から、外れている。あのクロウゼが俺達を殺す気なら、彼女は事も無く俺達を皆殺しにしていただろう。君が、恐れていた通りだ。クロウゼ達がニルバルカに味方をする気が無いなら――ソレは最大の幸運と言える」
「………」
自身を落ちつかせる為、彼はお茶を飲み干し、背もたれに寄りかかる。それからカクラが何かを言おうとした時、彼等の鼓膜にその声が届く。
「うわ、本当に迫真の演技でしたね、お武家様。お武家様はやはり、お武家様に扮した役者か何かなのでしょうか?」
ソレは青い髪をした、見知らぬ青年だった。人懐っこそうな顔をした彼を見て、カクラは笑顔を浮かべる。
「いえ、お騒がせして申し訳ありません。直ぐに出ていくので、どうかご容赦を」
そう告げて立ち上がるカクラを見て、青年は首を横に振る。
「いえ、いえ、私は別にあなた方を咎めに来たのではありません。寧ろ、私自身を売り込みたいと思いまして。私はイルザ・トルトという者なのですが、ガイドの仕事をしております。もし観光が目的でイスカダルまでおいでになったのなら、ぜひ私を雇ってもらえないでしょうか?」
「ガイド?」
首を傾げるマイナムに向け、彼は続ける。
「はい、ガイドです。イスカダルに関して、私が知らない事はありませんよー。なんでしたら皇帝が閨でどう振る舞うか、説明させていただいても構いません」
「………」
一礼する彼を見て、エイジアとマイナムは揃ってこう思った。胡散臭いと。何かの詐欺師ではないかと、二人はそろって彼を警戒する。けれど、カクラは違っていた。
「そうね。私達は揃って首都は不案内だから、ガイドを雇うのも手かも。えっと、トルト殿でしたっけ?」
「イルザで結構です、お客様」
やはり笑みを絶やす事がない、彼。カクラが自分を雇うつもりだと感じた途端、彼は堂々と言い切る。
「では、早速参りましょう。どうぞお任せください。イスカダルは、私の庭も同然ですから」
「………」
彼の促しに応え、カクラは店を出て――マイナム達もしかたなくソレを追った。
◇
が、マイナムやエイジアの不安とは裏腹に、彼のガイドは完璧だった。スハラスト教の大聖堂や、ニルバルカ王朝以前の歴史ある建造物の案内を彼はこなしていく。知識も豊富で、件の建造物のうんちくなども朗々と彼は語った。暫く経った頃には、マイナムも彼は正にプロのガイドだと認めた程だ。
「で、かの教会は、初代皇帝キース・ニルバルカが資産の十分の一を寄付して建てられた物です。キース自身は質素倹約を旨とする性格でしたが、民にまでその考えを押し付け様とはしませんでした。彼は活力こそが経済を動かす第一の要因だと、本能的に悟っていたとされています。英気を養う為の遊興ならば推奨までしていて、その頃の繁華街は毎晩の様に栄えていたとか。いえ、まあ、そこら辺は今も同じなのですが。黒い噂が絶えないどこぞの皇帝も、民に対する締め付けは今のところ行っていないので」
「あら、イルザ殿は中々大胆ね。そんなこと帝国側の誰かに聴かれたら、不敬罪で投獄されるかもしれないのだから」
「……アハハ。いえ、口が滑りました。どうか今のは、ご内密に。ですが正直言うと、私、今の皇帝は好きではないのです。噂によればかの皇帝はキクネウス様を毒殺し、皇位を継承したとの事。加えて皇帝は、キクネウス様の一子と婚姻する気という話さえあります。これは私にしてみれば、正に沙汰の外と言っていい暴挙です。何せ自分が殺した兄君の娘と、結婚する気だと言うのだから」
彼が普通にそこまで告げると、カクラは感心したかのような声を上げる。
「へえ? イルザ殿は、本当に事情通ね。それともイスカダルの市民なら、ソレは皆知っている事なのかしら? この首都では、皇帝の黒い噂が絶えない?」
「あ、いえ、私は商売柄そういう噂を耳にするだけで、一般の人は余り知らないと思います。キクネウス様が不審な死に方をしたという事は広まっていますが、毒殺云々の話は噂の域をでません。ましてやセイリオ様、これはキクネウス様の御子なのですが、彼女と皇帝の婚姻話は都市伝説のレベルです。ま、ガイドとはそういうある事ない事が絶えず耳に入ってくる職種なので、話し半分で聞いていて下さい」
「いえ、中々刺激的な話題だったわ。……そう。皇帝は、セイリオ様と婚姻するという噂があるの。イルザ殿は、仮にそうなったら皇帝の周囲はどうなると思う?」
何でもない事の様にカクラが問うと、彼は眉根に皺を寄せて考え込む。
「そうですねー。政略の為に親戚同士が婚姻するのはよくある話なので、余り問題視はされないでしょう。加えて、皇帝とキクネウス派の方達は今も溝があって、その和解には至っていない。ですが、皇帝とセイリオ様が婚姻すれば、この両者が和解する切っ掛けにはなるかも。但し、ソレは全て皇帝主導のもとという事になります。仮に和解するにしても、皇帝にとって有利な条件で成されるのは間違いないでしょう。腹立たしいと言えば、私にとってはソレが一番腹立たしい。……あ、いえ、今のもどうか聞かなかった事にしていただけますか? 今のはお客様を楽しませる為の、愉快なジョークという事にしておいて下さい」
「………」
愉快なジョーク、か。皇帝のおひざ元である首都で、皇帝を非難する。ソレは、中世期においては命懸けのジョークと言えた。
そんなこんなで時間は進み、気が付けば日は傾き、夕暮れ時を迎えていた。
「と、まだまだ紹介したい場所があるのですが、そろそろ頃合いですね。日も暮れてきた事ですし、私のガイドはそろそろ終了させていただきます」
一礼する彼。そんな彼に、カクラは何気なく訊ねる。
「ええ。イルザ殿のお蔭で、実に楽しい観光になったわ。で、そのイルザ殿だけど、あなたはなぜ私達に声をかけてきたの? あの店内に居たのは、私達だけでは無かった。他の人に声をかけてもいい筈なのに、客を私達に絞ったのは何故?」
と、彼は初めてギョッとした様な表情を見せた後、意を決した様に説明する。
「……そうですね。それはお客様方が面白そうだったから、でしょうか。私には一寸した妄想癖がありまして。街中であれほど派手な振る舞いをするお客様方なら、今の皇帝の世も何とかしてくれる。或いは、皇帝に一泡吹かせる事も夢ではないと感じたのです。そんな方達とお近づきになれるなら、これほど面白い事は無い。ついそんな事を考えてしまい、声をかけさせていただいた次第です」
「そう、か。けど、残念ながら俺達はそんな大それた人間じゃないよ。ただの観光客で、いま周囲を歩いている一般人と変わらない。すまないな。君の夢を壊してしまって」
マイナムがそう告げると、彼は首を横に振る。
「いえ、いえ。全ては私の妄想ですから。では、私はこれにて。と、肝心のお代がまだでしたね」
苦笑いを浮かべながら、彼はガイド料を請求する。ソレは標準的な値段で、どうも彼にはマイナム達からぼったくる意思は無い様だ。
マイナムがお代を渡し後、彼はもう一度一礼してこの場を後にする。ソレを見送った後、マイナムはカクラに訊ねた。
「で、彼を雇った意図は何だ? 君の事だから、当然意味はあったんだろう?」
が、カクラの答えは曖昧な物だ。
「そうですね。正直、五分五分と言った所でしょうか?」
「五分五分?」
「はい。彼が皇帝側のスパイである可能性です。明らかに不審だった私達に声をかけたのは、私達の動向を探る為。敢えて皇帝を悪し様に言ったのは、私達の油断を誘う為。そう考え、私としては彼が何者なのか探るつもりでした。ですが、結局私にも彼の正体は分からなかった。なので、マイナム様とエイジア殿は、この先つけられていないか注意を怠らない様お願いします。彼が皇帝側の間者なら、何らかの動きがある筈ですから」
「……分かった。軍師殿の忠言は、努々忘れない様にしよう」
とにかく、カクラ達の首都観光はこれで終わった。
彼女達は早々にこの場を去り――宿へと帰ったのだ。
◇
そのころ彼は裏通りを抜け、長い階段を駆け上がり、丘の上で一息つく。街に夜の暗がりが迫る中、彼は漸く彼等に見つかった。
「おや、随分、遅いお出ましですね? そんなに私は、見つけ辛かったですか?」
「……お探ししました。貴方と言う方は、偶にふらりと居なくなる。その度に私共がどれほど御身を案じているか、お分かりなのでしょうか……?」
「いえ、これもただの余興です。ですが、キクネウス派の皆さんがこの事を知れば、狂喜するのは間違いないでしょうね。なにせ一番殺したい人間が、これほどの無防備を晒しているのだから。その反面、私の正体を見破った人は、あの純白の人以外いないのだからつまらない」
あの白尽くめの少女の事を思い出し、彼はクスリと笑う。対してマイナムは知る由もない。彼もまた、自分と同じ少女に出逢っているという事を。ソレは彼も同じだったが、だからこそ疑問に思う。
「さて、彼等は一体何者なのか? 或いは、今夜あたり何か動きがあるかもしれませんね」
「……は? 何の事でしょう?」
けれど、彼は首を横に振る。
「いえ、何でもありません。では、そろそろ私も我が家に戻るとしましょう。今日は――中々面白い一日になりそうです」
年の頃は二十歳前後。青い髪をした彼は、端正な顔立ちをしている。マイナムが黒い豹なら彼は白い虎を連想させる。その彼は穏やかな視線を彼方に向けながら、歩を進めた。
「は。――サイバリオン皇帝陛下。全ては――御心のままに」
ついで彼等暗部の人間も――皇帝サイバリオンの後に続いた。
◇
「で――ここからが問題です」
夜を迎え、宿に帰った後、カクラは開口一番そう謳う。カクラの部屋には、別々の名義で部屋をとったエイジアの部下達が集まっている。当然エイジアとマイナムも其処に居て、彼等はカクラの説明に耳を傾けていた。
「私達の目的は、ここから二キロ先にある塔からセイリオ様を救出する事。ですが、これは明らかな罠です。真っ当なやり方で塔に忍び込んでも、私達は確実に捕まるだけでしょう。恐らく塔への侵入を察知された瞬間、イスカダルの兵達が大挙して押し寄せてくる筈だから。私達はどうしても、彼等と塔の兵を分断する必要がある。その手段を、今から説明しましょう」
有言通り、カクラはマイナム達に自身の策を明かす。
すると、エイジは実に楽しそうに笑った。
「成る程。ソレは痛快な話だ。私の部下を勝手に使ったのは、その為という訳ですな?」
「ええ。今日エイジア殿の部下には、首都の各地に散ってもらい、全ての準備を整えてもらいました。私にはこれが最良の手段だと思うのですが、如何でしょうか、マイナム様?」
「………」
全てを聴き終えたマイナムが、一考する。だがソレも束の間の事で、彼は即座に決断した。
「分かった。これでまた俺達の罪は増えるが、今は綺麗ごとを言っていられる状況じゃない。一国の姫を――かどわかすんだ。その程度の犠牲は、止む無しだろう」
カクラにとっては意外な事に、マイナムはアッサリと彼女の作戦を承諾する。
だが、敢えてその事には言及せず、カクラは話を進めた。
「では、救出部隊の本隊は、私とマイナム様とルーイッド殿が担うという事で。エイジア殿は全体の指揮を、ミナウス殿とアルキア殿とヴィスト殿は伝令係をお願いします。では、これにて作戦開始。皆――どうかご武運を」
「ああ――武運があらん事を祈る」
カクラとマイナムが酒の入った杯に口をつけると――エイジア達もソレに倣った。
◇
カクラ達が宿に預けていた馬に乗って、件の塔を目指す。
カクラの馬の名はバイケルと言い、彼女が言うには百年に一頭の名馬という話だ。本当かどうかは分からないが、かの馬がエイジア達の打破に一役買ったのは事実である。
「要は、セイリオ様をバイケルに乗せるまでが勝負という事。かの名馬に乗せさえすれば、後は必ずその脚力を以て逃げ切ってみせましょう」
実に自信満々な、カクラ。その自信にはケチをつけず、マイナムは別の事を口にする。
「その場合、俺達は置いてきぼりを食う可能性がある訳だ? だとしたら、やはり自然と俺とルーイッド殿がしんがりを務める事になるな」
「そうなるでしょうね。ま、合流地点は予め決めているので、はぐれたら取り敢えずソコを目指してください」
カクラが他人事の様に言うと、マイナムは真顔で頷く。
「了解した。ここから先は、各々自分の身の安全だけを考える事にしよう。俺としては出来る限り二人の援護をするつもりだが、二人はそのつもりでいてくれ」
「……というか、軍師殿が最前線にまで出てくる必要は無かったのでは? 軍師殿こそ全体に指示を出す役割を負うべきだったのではないでしょうか?」
二十五歳ほどの女性であるルーイッドが、今更ながらそう口にする。黒ずくめの服に、赤い髪をした彼女は、多少心配性な所がある。あの純白の少女にそそのかされ、カクラの捕縛を決めたエイジアに異議を唱えたのも彼女だ。
ルーイッド的には〝いや、どう考えてもあの娘は胡散臭いでしょう?〟と思った物だが、結局彼女はエイジアの気を変える事は出来なかった。
今となっては、ソレが良かったのか悪かったのかは分からない。今の彼女には、ソレを判断する材料はまだ少なすぎたから。
(……いえ、そうでもない? 確かに、悪名高い皇帝に一泡吹かせるというのは面白い。けどそのリスクは当然高く、下手をするとエイジア様の身が危うくなる。そう考えると、イザとなれば私が裏切り者の汚名を被ってでも、マイナム達を捕縛するべき?)
基本、指揮官であるエイジアには服従しているルーイッドだが、だからこそ彼女は危機感を覚える。このまま進めば自分達はニルバルカ帝国に謀反を起こした、反逆者となるのだ。先の食糧強奪や盗賊征伐は許容範囲だが、今自分がしようとしている事は違っていた。
セイリオ・ニルバルカを皇帝の手から奪取すれば、自分達は間違いなくお尋ね者になる。犯罪者の烙印を押され、真っ当な生活など出来なくなるかも。
そう考えると、ルーイッドの煩悶も実に自然な事と言えた。
(……ええ。今なら……まだ引き返せる。マイナム達さえ皇帝側に引き渡せば、事なきを得るでしょう。問題があるとすれば、エイジア様はすっかりやる気になっているという事。加えてこの私があのマイナムを捕縛できるかという事)
不思議な術を使い自分達を圧倒した、マイナム。二十一人がかりでも勝てなかった彼に、自分一人だけで勝てるだろうか? 答えは――明らかにノーだった。
(では、どうする? やはり油断を誘うしかないけど、この人、死角から攻撃しても平然と回避してくるのよね。なら、ここはやはりカクラ・ハヤミテを人質にして、マイナムを降伏させるしかない?)
そう計算するルーイッドだったが、カクラの声を聞いて我に返る。
「いえ、バイケルは私にしか扱えないのです。その為、どうしても私が実行部隊に参加するしかない。因みにルーイッド殿を私の目の届く場所に配置したのは、あなたが一番私達を裏切りそうだからです。ただの一人でも裏切り者が出たら、私達の計画は破綻しかねない。これはそれを避ける為の処置だと、ご理解いただきたい」
「……へっ?」
真顔で断言するカクラに、ルーイッドは唖然とする。しかし、カクラは直ぐに微笑んだ。
「なんて言ったら、どうします? いえ、もちろん冗談ですよ。私はルーイッド殿を、心から信頼していますから」
「………」
恐らく、いや、絶対に今のはカクラの本音だろう。そう考えると、カクラは自分をマークしている事になる。やすやすと人質にさせはしないだろう。いや、不審な行動をとれば、自分の方こそ抹殺されかねない。ルーイッドはそう悟り、だから下手な真似が出来ないでいた。
そうこうしている内に――三人は件の塔に辿り着く。
そこは林に囲まれた平原で、全長十メートル程の塔が一つ建っている。本当にその塔しか周囲には無く、警備の兵も十名ほどしかいない。
林に隠れながらマイナム達はその事を確認して、目を細めた。
「私の計算が正しければ、そろそろエイジア殿達が事を起こしている頃でしょう。つまり今のところ、私達の敵はあの十名の警備兵のみという事」
カクラが呟くと、マイナムも頷く。
「君の作戦が上手くいっていれば、そうなるな。なら、ここから先は俺の出番だ。ちょっと行って片づけてくるから、君達は周囲の見張りを頼む」
「はい。彼等に気付かれる事なく塔を制圧できれば、それに越した事はありません。援軍を呼びに行く間もないほど鮮やかに兵を倒せたなら、私達は敵の増援に怯える事なく事に及べますから」
が、問題は塔に異常がないか確認する為の兵が、イスカダルから送られた場合だ。その兵が塔に異常があると知れば、その兵は直ぐにイスカダルに援軍を要請するだろう。
ソレを阻止する為に、カクラは一計を案じた。要は、その兵が自分の役目を全うできない様な状況をつくり出せばいいのだ。
よって、今、エイジア達はイスカダルの町で――テロを行っている。
家々に火をつけて回り、町中を混乱させ、兵達に緊急配備を敷かせたのだ。
お蔭で普段は他の任務に従事している兵達もテロ対策要員として駆り出され、塔の方は手薄となった。
定期的に塔の見回りに来るイスカダルの兵も、今はテロ対策に回されているだろう。
が、斯様な暴挙に、なぜマイナムはゴーサインを出したのか? ソレは、エイジア達のテロの標的に理由があった。エイジア達は、主にサイバリオンを支持する貴族や商人達の家々を襲っているのだ。
イスカダルの市民も内心では黒い噂のある皇帝と癒着関係にある彼等を快く思っていない。もっと言ってしまえば、誰かが彼等に天誅を加えたらどれだけ痛快だろうとさえ感じている。そう言った理由から、イスカダルの市民の六割がこのテロ行為を娯楽の一環だと捉えていた。
「だな。あのロクデナシの皇帝とつるむ様な輩には、いい薬だ。俺としては、死人さえ出さなければそれで良い」
「はい。その点に関しては、抜かりはありません。テロで死人を出せば、私達は本当に大義名分を失ってしまう。よって今回は死人が出ないレベルで暴れ回る様にと、エイジア殿達には通達しています。それでも有力な貴族や商人達の家々が襲撃されたとなれば、帝国側も其方に兵を向ける必要に迫られる。その間にセイリオ様を救出するというのが、この策の趣旨です」
そこまでカクラが説明すると、ルーイッドが口を挟む。
「……ですが、そのテロを陽動と見なす者も居るのではないでしょうか? 仮にそうなら、この作戦も完璧とは言えないのでは?」
けれど、カクラはやはり平然と微笑んだ。
「いえ、私達の有利な点は、これが帝国側の罠である事に気付いている事です。その為、その対応策もとれるという事。逆に敵は、私達が敵の罠に気付いている事に気付いていない。つまり、私達がテロによって敵兵を陽動している事にも、気付いていないという事です。よって敵は、私達の目的はテロだと誤認する可能性が高く、やはり兵の多くはテロ対策に回される事になる。私の策を見破れる者が居るとすれば、ソレは私が敵の罠に気付いている事に気付いている者だけです」
「……な、成る程。ソレは確かに道理ですね」
ならば、後はマイナムの手腕に期待するだけだ。カクラが視線だけでソレを促すと、マイナムは迅速に動く。彼は水が入った袋を投擲して、かがり火にぶつけ、次々火を消していく。兵がその事に気付いた時には周囲は暗闇に包まれていて、マイナムはそのまま駆けた。
「……つっ?」
「ぐっ……?」
兵達にとって周囲を闇が被ったのは、思いがけない事だった。その一瞬の動揺を衝き、音だけで全ての状況を知る事ができるマイナムが兵達を倒していく。対してまだ闇に目が慣れない兵達は、判断力も鈍っていて、マイナムの動きにもついてこられない。
マイナムは暗殺者さながらの闇に溶け込んだ体術を以て、十名に及ぶ兵全てを気絶させる。予め用意していた縄で手早く彼等を拘束し、マイナムは塔の外の兵を制圧した。
「これで、第一段階は終了だな。後は塔内の兵全てを塔の外に出す事なく倒せば、全ての障害は無くなる」
「ええ。実にお見事なお手並みでした。本当にこういう時のマイナム様は、頼りになる。この先も、その調子でお願いします」
嬉々とする、カクラ。対してマイナムは、肩を竦める。
「いや――俺なんてこういう時しか出番がないからな。君の役に立てて、実に光栄だよ」
言いつつ、マイナム達は塔の中へと侵入していく。
意外にも塔の扉には鍵はかかっておらず、彼等は容易に塔内へと入る。階段を上ってまず二階にのぼり、彼等は階段の出口に身をひそませて、二階の様子を窺った。
「……やはり、兵の姿は無いな。どうも警備は手薄らしい。俺が知覚する限りでは、この先に居るのは後、五人程だ」
「……ち、知覚? マイナム殿には、一体何が見えていると言うのです……?」
今も彼の異能について何も知らないルーイッドは、素直に不思議がる。だが、カクラはどうだろう? カクラにもマイナムは件の能力を話した事は無いが、彼女はその事に気付いている? もしそうなら大した洞察力だが、果たして本当に彼女は見抜いているのだろうか? そう疑問に思いながらマイナムは、カクラ達と共に遂に敵が駐在している五階へと侵入する。
だが、そこで彼等は思いもかけない光景を目にした。ソノ部屋は階下と違って闇に覆われており、一切明かりが無い。完全な闇とも言えるソノ部屋を見て、マイナムは眉をひそませる。
「……確実に誰かいる。しかしこの闇の中では、敵は満足に動けまい。いや、どちらにせよ、ここが正念場だな。この階の敵を制圧しない限り、作戦の成功は難しいだろう」
マイナムが確認する様に、カクラに目を向ける。彼女も頷き、マイナムは意を決した。
「では、二人はここで待っていてくれ。残りの敵も、俺が倒してくるから」
が、その時、彼は〝視た〟――。一瞬で間合いを詰めてきたナニカが、自分の頭を鷲掴みにしようとするその様を。これが成功すれば、マイナムの頭は確実に吹き飛ぶ。
そう悟った時、マイナムは咄嗟に頭を下げて、その一撃を回避する。そのナニカの腕は空を切り、壁へと激突した。驚くべき事は、破壊されたのはそのナニカの腕では無く、壁の方だった事だろう。
人とは思えない破壊力を秘めた――ナニカ。
ソレをマイナムは、音だけで知覚する。
「まさか――魔獣ケルエミスか! 何でそんなやつが此処にいる――?」
「魔獣ケルエミスですって?」
カクラが咄嗟にその場を離れながら、訊いてくる。マイナムもそれに続き、ルーイッドも必死の形相で駆け出した。
「ああ、この感じからして間違いない。子供の頃、故郷で一匹だけ捕獲されたのを見た事があるんだ。そのとき捕獲に乗り出したハンターは二十人居たが――生きて帰ってきたのは五人だけだった」
その獰猛さ故に――かの獣は魔獣と呼ばれる。
クマ以上のパワーを誇り、鷲よりも速く動いて、フクロウの様に物を探知する。この星特有の有害指定された獣の一つ。それが――魔獣ケルエミスだ。
「……そんなやつを、この塔では飼っているのか? 余り――良い趣味とは言えないな」
今も、ケルエミスの追撃は止まらない。だが、この時マイナムは最悪の情報を知覚する。
「……そんなやつが後二匹もいる! ケルエミスが三匹、か。これは中々ハードな話だ」
「いえ、ハードどころの話じゃありません! 私達、このままじゃ確実に死にます!」
背後のルーイッドが、悲鳴を上げる。だが、その声を頼りにして、ケルエミス達はマイナム達を追跡してきた。
「……不味いな。連中の耳は――一キロ先の衣擦れの音さえ感知する。下手に物音を立てれば的にされるだけだ。カクラ、ルーイッド、君達は床に伏せてそのまま動くな。やつ等は俺がなんとかする!」
が、その時――闇の彼方から声が響いた。
「へえ? ケルエミスの特性を知っているやつがいるのか。おもしれえじゃねえか。さすが、この塔に侵入してきただけの事はあるぜ。いや、実の所、ここんところ侵入者が居なくて、マジでヒマしてたんだわ。せっかくだから、楽しませてもらうぜ」
(やはり人間が居る。残りの敵は、やはり人間。まさか人には決して懐かないケルエミスを、手なずけているというのか、そいつは?)
「と、やはりだんまりを決め込みやがったな。いいぜ、そっちが名乗らないなら、こっちの方から名乗ってやる。俺はニルバルカ帝国オリハルト三騎衆が一人――ネルガ・テイゼ。てめえらを地獄に導く、道先案内人だ」
その名を聴いて、マイナムとカクラ達は同時に息を呑む。
(――オリハルト三騎衆! 帝国が誇る――最上位騎士達の一人! 帝国はそれほどの大物を、この塔に配置していた!)
彼等の噂は、マイナム達も知っている。帝国には五万に及ぶ騎士が居て、その中でも選りすぐりの騎士が五百名ほど居る。更にその五百名から二十名の騎士が上位騎士に選抜され、更にその中から三人の最上位騎士が厳選されていると言う。
ネルガ・テイゼは――その三人の最上位騎士の一人なのだ。
その意味を、カクラとマイナムは痛感した。
(――私の見込みが甘かった。まさかそれほどの大物をこの塔の警備にあてていたなんて!)
(最上位騎士と――魔獣ケルエミス三匹が相手か! これなら騎士千人を相手にした方が――まだマシだ!)
特に、マイナムにとってソレは最悪の地形だった。
あろう事かケルエミス達は天井まで跳び、天井を足場にして跳躍して、自分に襲い掛かってくる。その立体的な動きは正に人間のソレを凌駕していて、マイナムは思わず悪寒を覚えた。
(普通の人間なら――もう千回は死んでいる! それだけの俊敏さと破壊力を持った大敵! これはかなり不味いな……!)
一方、カクラはこう考えるしかない。
(下手に声を出してマイナム様に助言をすれば、今度は私が標的にされる。いえ、それ以前に何も見えないこの暗闇の中では、戦況がまるで分からない。つまり――今の私は完全に役立たずだという事。ここは……マイナム様の力量に期待するしかない)
そして、ネルガは思わず感嘆する。
(この暗闇の中、鷲より速く動くケルエミスの攻撃を避け続けている? 厳選された五百の騎士でさえ一分ともたないあの攻撃の嵐を、しのいでいるっていうのか? いや、マジでありえねえ。普通なら絶対に不可能だ。要するに――あいつも俺と同じ様に普通じゃねえって事か)
そう悟ったネルガ・テイゼは喜悦しながら、地を蹴る。
その音だけでマイナムは全てを察し、彼は四人目の敵の接近を知った。
空を切る音の感じからして、身長は百九十センチ程。中肉中背で、得物は自分と同じロングソード。異常な事は、騎士を名乗りながらも鎧を身に纏わず、軽装だという事。
戦場で、騎士が鎧を纏わない。ソレはただ、自身を不利な立場に追い込むだけだ。
だというのに、その男は軽装のままマイナムに突撃する。的確に彼の体目がけてロングソードを薙ぎ払い、マイナムはその一撃を避けて、奥歯を噛み締めた。
(――この暗闇で俺の位置を把握した? 人の事は言えないが――こいつは本当に人間か?)
その間にも、ケルエミスとネルガの波状攻撃は続く。天井さえ足場に変えるケルエミスは、上空から得物を狩る鷲も同然だ。ネルガの剣の冴えは正に一騎当千で、ヨルンバルト戦術を遥かに上回る脅威と言って良い。
現に、ルーイッドは痛感する。
(仮にケルエミス三匹と最上位騎士を同時に相手にしているとしたら、私達でさえ歯が立たない! 一人一人確実に刻み殺されて、五分も経たない間に全滅する!)
恐らくエイジア・ヨルンバルト本人が居ても、そう判断するだろう。
ならば、ソレだけの猛攻を受け、尚も存命するマイナム・パイスンとは何者か?
この常軌を逸した能力を前にした時、ネルガ・テイゼは改めて彼に興味を覚える。
「てめえ――一体何者だ? 総合力で言えば――てめえは間違いなく上位騎士以上の使い手だ。言い換えれば人を超越した――化物と言って良い。それだけの使い手という事は、どこぞの大国の回し者か? 一体どこの国に養われている騎士だ――てめえは?」
ネルガの剣がマイナムの頬を掠める。ケルエミスAの右腕が、マイナムの肩を掠る。ケルエミスBの蹴りが、マイナムの腹部を掠める。ケルエミスCの突撃が、マイナムの頭部を掠る。この絶対的窮地にあって――それでもマイナムは致命傷を避け続けた。
(ああ。正直言えば、あの虐殺劇に比べれば――まだこっちの方がマシだ)
ほぼ無抵抗になった盗賊達を焼き殺した、自分達。全く彼等の事を知らないマイナムだったが、その衝撃は大きすぎた。自分がこれほど良識的だと思い知ったのはあの時が初めてで、だから彼は既に達観した。他人が傷つくより自分が窮地にある方が、遥かに気が楽だという境地に達している。自分が傷つく事を恐れない彼は――そのため決して怯まない。
(そう。もう、俺に絶望する資格は無い。俺はもう、前に進むしかない。それがどんなに困難な道でも必ず踏破して、目的を遂げる。でなければ、何の為に彼等はあれほど無残な死に方をしたのかわからない)
自分に関わった者達の死に、意味を与える。
今のマイナムには、もうそんな事しかできない。
彼等の死に酬いる方法を、マイナムは他に思いつかないのだ。
(こういうのを、本物の偽善と言うのだろうな。だが――それゆえ今の俺はまだ死ねない)
死に値する罪を背負いながら、決して死ぬ事を許されない人間。それがマイナム・パイスンの正体であり――いま彼が持ちうる覚悟の形だった。
対して、ネルガはこう直感する。
(何時か陛下が仰っていたな。このつまらない仕事に従事していれば、何れ俺を満足させる事ができる化物に出逢えると。こいつが――ソレか!)
〝ええ、そう。確かに君は、最上位の騎士へとのぼりつめました。ですが、それは世界最高の騎士でも無ければ、史上最高の騎士という訳でもない。上には上が居ますよ、ネルガ将軍。その『上』に手早く出逢えるのが、この仕事です。私の勘では、キクネウス派の皆さんは、セイリオ殿の奪取に心血を注いでくるでしょう。きっとその中には腕利きの猛者が居て、君の渇きを癒してくれる。私が君に対して提供できる最高の報酬が――その機会を与える事です。そう考えると、ワクワクしませんか?〟
――史上最高の騎士。そんな事を証明する事は、不可能だ。今を生きる彼には、過去の英雄達と剣を交え、優劣を決する方法など無いのだから。
けれど彼にとって〝史上最高の騎士〟とは実に魅力的な響きで――だから彼はその称号に魅せられた。例え実際には不可能でも、彼はその不可能に挑むと決めたのだ。
(その為にも――今は武功をあげる。周囲の人間全てが俺を史上最高の騎士と認めるまで――敵をブチ殺し続ける。サイバリオン・ニルバルカこそが史上最高の騎士を従えた最高の皇帝だと皆が認めるまで――俺は止まらねえ)
事実、ネルガの剣術は冴えに冴え、ケルエミス達の攻撃は増す一方だ。彼のロングソードはマイナムの脇腹を斬り裂き、腕の肉を掠める。だが、それでも致命傷を与えないマイナムに対し、彼は驚嘆した。
(やはり、こいつ見えているのか? 俺達と同じタイプの人間? やはり世の中は広いな。ニルバルカには四人しか居なかったが、範囲を大陸まで広げれば、俺達の同族はまだ居たのだから)
が、その同族の命ももう尽きる。さすがにネルガとケルエミス達の連続攻撃を、これ以上避け続けるのは無理だ。ネルガはそう看破して、マイナム自身もそう認める。後十秒も経たない内に自分は死ぬ。マイナムがそう覚悟した時、ネルガは笑い――ソレは起った。
「な、に?」
今まで防戦一方だったマイナムが、初めて前進する。この急速な動きの変化に虚を衝かれたネルガは眼を開き、マイナムはロングソードを薙ぐ。同時にケルエミスBに左肩を殴打されるが、彼の方こそ止まらなかった。マイナムは何を思ったか、ネルガの左腕を強く握る。その瞬間、ネルガはマイナムの手を振りほどき、口角を上げながら初めて後退した。
「――まさか、気付きやがった? 一体、何故?」
左肩を負傷しながらも、マイナムは真顔で告げる。
「簡単な事だ。俺もケルエミスの事はよく知っている。この連中は、決して人には懐かない。この連中は、人をただ食料だと見なしているだけ。なら、君はどうやってこの連中を操っているのか? ソレは――恐らく臭いだ」
そう。マイナムが気になったのは、ケルエミス達の標的が絶えず自分一人だった事。最初の攻撃もそうだし、それから後もケルエミス達はマイナムだけを狙い続けた。ネルガは勿論、カクラ達にも目もくれずに。何故だろうと考えてみて、彼は漸くその答えに至った。
カクラ達がせず、マイナムだけがした事。ソレは――あの十人の兵達を捕縛した事。
「ああ。恐らくその時、あの兵士達を通じて、ケルエミスが好む臭いを俺は移された。その臭いを辿ってケルエミス達は俺を攻撃している。対して、君はケルエミスが嫌う臭いがついたお香でも携帯していたのだろう。俺が先の一撃で斬り飛ばしたのが――そのお香だ」
「――つっ!」
「加えて、俺が君の腕を握ったのは――俺の臭いを君に移す為。現に君はいま俺と同じ様に――ケルエミス達の猛攻を受けているだろう?」
マイナムの、言う通りだ。ネルガも現在、ケルエミス達の攻撃を受け続けている。ある時はケルエミスAがマイナムを襲い、ある時はケルエミスBがネルガを攻撃する。この混迷めいた激戦の中、マイナムは更に謳う。
「そして君の能力も大体わかった。君は恐らく――〝臭いで物を視る〟」
それも――正解。マイナムが〝音〟なら、ネルガは〝臭いで物を視る〟――。
剣が放つ鉄の臭いを目印にして、彼は剣の接近を知覚する。敵が放つ体臭が彼の視覚に情報を送り込み、その距離を知る事が出来る。
深い闇の中、その臭いを通じてケルエミス達の攻撃を避け続けるネルガは、遂にマイナムと剣を交えた。
両者のロングソードは火花を散らし、彼等はケルエミスの攻撃を避けながら戦い続ける。
「――おもしれえ! てめえマジで何者だ? 俺をここまで追い詰めたのは、実戦ではてめえが初めてだぜ」
「そうか。今まで君は、運が良かったのだな。俺は今日の昼、化物に出逢ったばかりだというのに」
マイナムに、僅かばかり余裕がある理由。それはあの女性――インデルカ・ヤルカを知っているから。彼女の様な化物を知っているマイナムは――それ故にネルガを見てもそれほど驚かない。自分以上の存在を知っている彼は、だから自分と互角に戦う者が居ても余裕がある。
「ああ――彼女と戦うよりは遥かにマシだ」
「あっ? 一体何の話だっ?」
激突する剣と剣。が、いい加減、ケルエミス達の攻撃を避けるのが面倒になった二人は、標的をかの獣に変える。意識が高揚し、精神が研ぎ澄まされた両者の剣は事もなくケルエミス達の頭部に致命傷を与える。そのまま二人は反転しながら再び剣を打ち合い、ただ前進する。
(が、これで俺の不利は決まった、か。ケルエミスという矛と盾を失った今、俺に味方は居ねえ。対してやつには、二人も仲間が居る。その二人の力量次第では、今度は俺がやべえな)
けれど、そう自覚しながらもネルガの笑みは消えない。彼はマイナムと剣を交えるのがただ楽しくて、子供の様に笑う。どこぞの軍師の様に童心にかえり、彼はただ勝負の行方にのみ意識を集中させる。そして――ソレはマイナムも同じだった。
「カクラ、ルーイッド――断じて手出しは無用だ! ――彼とは俺が決着をつける!」
奥歯を噛み締めながら、口角を上げるマイナム。その覚悟に応える様に、喜悦するネルガ。
両者の戦いはそれこそ永遠に続くかと思われたが、マイナムは静かに訊ねる。
「最後に二つだけ問おう。君ほどの者が――なぜあの皇帝に仕えている? アレは――君が仕えるに値する皇ではあるまい?」
「――さてな! そんな事は知らねえ! 二つ目は何だっ?」
マイナムは、痛んだ左肩を酷使しながら口を開く。
「君の歳は――いくつだ? 今年――いくつになる?」
「つまらねえ事を訊くなっ? 今年十九になるが――それが何だっ?」
ついで、ネルガとロングソードを打ち合いながら、マイナムは結論した。
「そうか。ならソレが、俺と君を分ける唯一の差だ。俺は今年二十歳でね。たった一年だが剣を振るう経験は――君より一日の長がある」
「な、にっ?」
然り。マイナムとネルガの力量はほぼ互角だ。その能力や才能さえも似通っている。だが、だからこそたった一年の差がネルガに重くのしかかる。
マイナム・パイスンは決死の思いで会心の突きを放ち――ネルガ・テイゼもソレに応える。
ほぼ同じ速度で放たれたロングソードは――しかし一瞬はやくネルガ・テイゼの胸部を貫いていた。
その手応えを受け止めながら――マイナム・パイスンはもう一度奥歯を噛み締めたのだ。
◇
「……ゴフぅ!」
ネルガが、吐血する。彼の剣はマイナムの胸部を掠めながらも、肺までは貫いていない。この決定的な差を前にして、ネルガ・テイゼはもう一度笑った。
「……そう、か。あんたは、陛下が憎いの、か。確かにそういう輩は、沢山いるよ。だが陛下は、ただの庶民だった俺を騎士に取り立て、最上位騎士にまで選んで下さった方だ。俺はただあの方の役に立てれば良かった。あの方を彩る一因にさえ、なれれば、それで良かった。あんたには酷な話かもしれねえが、そんなバカな奴が一人でも居た事も、忘れないでくれ」
「ああ。その言葉――しかと胸に刻もう」
表情を消して、マイナムは告げる。例え皇帝を恨もうとも、その臣下だったある騎士は確かに英雄だった。彼にはもう、そう伝える事しかできなかった。
「……すみません、へいか。おれは、やはり、しじょうさいきょうのきしなんて、うつわじゃなかった……」
ソレが――サイゴ。ネルガ・テイゼはその場に倒れ、昏倒する。
ソレを知覚し、マイナムは大きく息を吐いた。
「マイナム様」
「……ああ、カクラ、か。すまない。ただ、俺はいま初めて、自分の手で人を殺した。しかもソレは、俺と同じ人種だった。ただそれだけの事なのに……胸に穴が開いてしまった様だ」
「………」
そう呟きながら――マイナム・パイスンはネルガ・テイゼを見送った。
◇
「……そうだな。俺が受けたダメージが利き腕である右肩だったら負けていたのは俺の方だ」
「成る程。あの兵達に接触すること自体、彼の罠だった訳ですね。例え塔の外の兵達を倒そうとも、彼等に接触した時点でケルエミス達をひきつける臭いを帯びる。ソレを見越してこの構図をつくり出していたのが、ネルガ・テイゼ。その事を見抜けなかった私は、まだまだです」
本心からそう漏らす、カクラ。一方、ルーイッドは、ただただ驚愕する。
「……たった一人で、ケルエミス三匹と、最上位騎士を倒した? 私達が、勝てなかった訳だわ。マイナム殿の力量は……私の想像を遥かに超えている」
自分達はこんな化物に喧嘩を売ったのかと、身を震わせる。そのマイナムはもう一度だけネルガが居る方角に目を向けた後、歩を進めた。
「――行こう。もうこの塔に居る人間は、一人しかいない。恐らくそれが――セイリオ様だ」
マイナムは自分が先に歩いて、カクラ達を誘導する。足音の反響を聴いて、部屋の構造を知覚したマイナムは、真っ直ぐ階段へと向かう。三人は階段をのぼりきり、直ぐ傍にある扉をノックする。――返事は、直ぐにあった。
「一体何用? 食事は、さきほどとったばかりよ?」
「失礼いたします――セイリオ・ニルバルカ様」
マイナムが、扉を開ける。部屋の中には、ウェーブがかかった黒髪の少女が居る。気品がありながらも、気が強そうな彼女は、人に懐かない黒猫を連想させた。
「……揃いも揃って見ない顔ね。一体、あなた達は何者? まさか私を助けにきた、他国の者とか言いださないでしょうね?」
「そのまさかです。私達は――セイリオ様をお助けにきました」
「………」
が、彼女は怪訝な表情をみせる。
「えっと、それってネルガ主催の愉快な冗句? 一体どこの誰が、最上位騎士とケルエミス三匹が守るあの部屋を突破できると言うの? 仮に自分達なら出来ると言うなら、それこそただのつまらない冗句よね? いえ、いえ、そうじゃない。もしかして、私に逃げる気があるか試しているとか?」
「いえ、全て事実です。そこなる騎士がネルガ・テイゼを討ち取り、活路を開きました。後はセイリオ様が私どもに同行していただければ、この救出作戦は成功いたします」
「………」
カクラは恭しく一礼しながら断言するが、セイリオの反応は思わしくない。
「ちょっと待って。もしそれが本当だとしたら――ただのありがた迷惑なのだけど」
「……ありがた迷惑、ですって?」
ルーイッドが、思わず眉間に皺を寄せる。体を張ったのはほぼマイナムだけだが、ルーイッドもこの作戦には命を懸けている。だというのに、セイリオの口から出た言葉は彼女の予想を超えていた。
「ええ。どうせあなた達は私を担ぎ上げて――反サイバリオン派の旗頭にでもする気でしょう? でも、それってどう考えても、命懸けの反攻作戦になるわよね? つまり、下手をすれば私も父の様に殺される。悪いのだけど私がこの世で一番嫌なのは――死ぬ事なの」
「………」
ソレを聴き、まずマイナムは黙然として、反射的にルーイッドが反論する。
「……ですが、畏れながら、このままいけばセイリオ様はあのサイバリオンと婚姻する事になります。セイリオ様は、父君を暗殺した叔父と婚姻する事をお望みですか……?」
セイリオの意思は、実に明確だった。
「ええ。ぶっちゃけ――死ぬよりはその方がマシ」
「………」
「確かに、あの叔父には思う所はあるわ。でも、いま主導権を握っているのは、間違いなくあの叔父なのよ。その叔父に逆らうという事は、私の死を意味している。逆を言えばあの叔父にさえ従っていれば、私の身の安全は保障されたも同然だわ。なら、どちらの道を選ぶべきか答えは明白でしょう? と言う訳で、悪いのだけど――帰ってもらえる? 私はこれでも、この幽閉生活を満喫しているの」
「………」
そこまで聴いてから、マイナムとカクラは小声で話し合う。
「どうする、カクラ? あの目は本気だ。あの方は本気で今の生活を受け入れ、皇帝との婚姻を望まれている。いや、それ以前にご自分の命だけを優先する方に、反乱軍の旗頭など務まるものじゃない。セイリオ様がご意見を変えない限り――君の構想は完全に破綻するぞ?」
「そうですね。正直、セイリオ様がこういうキャラだとは思いませんでした。キクネウス様の御子だと言うから、もう少し気概があると思っていたのですが。さてはて、困りましたね」
が、カクラ達三人には、困っている暇など無い。そろそろエイジア達が撤退している頃だ。ひき続き首都は厳重警戒体勢を敷くだろうが、この塔に兵が派遣されないとも限らない。
そうなれば、マイナムの苦労は水の泡である。よってカクラ達にセイリオを説得する時間は無く、そのため彼女達の選択肢は限られた。
「ですね。と言う訳でお願いします、マイナム様」
「……気は進まないが、今はそれしかない、か」
で、カクラは古典的な策を使う。
「あ! アレは何です、セイリオ様!」
「へ?」
カクラが天井を指さし、セイリオが後ろを振り返って、天井に目を向ける。その間にマイナムが間合いを詰め、彼女の首筋に手刀を入れる。それだけでセイリオの意識は、完全に失われていた。
「……これでこの件は〝救出〟ではなく〝誘拐〟になったな。少なくともセイリオ様は……そう主張なされるだろう」
「ええ。ですが、今は背に腹はかえられません。一刻も早くこの場を去らなければ、私達の身が危うくなりかねない。と言う訳でルーイッド殿はセイリオ様を背負い、私の後に続いて下さい。マイナム様は、しんがりをお願いします」
最早この塔には、マイナム達を阻む者は居ない。だが、敵の援軍が来ない保証は無いので、今は逃げの一手である。
実際、カクラ達はその様に行動し、塔から脱出して、林に隠していた馬に乗る。セイリオをバイケルの背に乗せ、カクラ達は速やかに塔から離脱した。そのまま四人は、エイジア達との合流地点を目指す。
これは何の障害もないまま成功し、マイナム達はエイジア達と再会した。
「――結構。どうやら首尾は上々な様だな。では、一刻も早くこの地を離れよう。目指すは我が根城――ミストリアだ」
エイジアはそう謳い――一応任務を終えたマイナム一行はニルバルカを後にした。
4
セイリオ救出作戦は、こうして終わった。
だが、一連の状況を高台より、望遠鏡を使って見届ける影があった。彼はセイリオがさらわれた一部始終を確認した後、賊達がミストリア方面へ向かうのも確認する。普通ならそのまま彼等を尾行する所だが、彼の主はそれに待ったをかけていた。
〝仮にセイリオ殿が連れ去られたなら、賊が逃げた方角だけを確かめ私に報告してください。決してその賊達を尾行しない様に。恐らく『あの彼』ならば、ソレに気付きますから〟
故に彼は主の命令通り動き、サイバリオンのもとに急ぐ。賊がミストリア方面に逃げた事を知った皇帝は、こう漏らした。
「そう、ですか。あのネルガ将軍が、倒された。それは私にとって、大きすぎる損失です。セイリオ殿が連れ去られる可能性など、万に一つも無いと思っていたのですが――」
これならば、賊を泳がさず即座に軍を塔に送り込むべきだった。玉座に座るサイバリオンはそう痛感しながらも、次の指示を出す。
「そう言えば、ミストリアには奇妙な事件があったという報告がありましたね。何でも辺境にある村々から食料が強奪され、その賊を何者かが討伐して、その財産を分け与えたとか。村々の人々は、その提供された財産を使って税を納めたとの事。となると、彼等はその一党に多大な恩義を感じている事になる。そういった村人達の感情を利用して、彼等を協力者にしたてれば、セイリオ殿をかくまう事も可能でしょう。彼等は村をあげて、セイリオ殿をかくまおうとする。問題は、ソレがどの村かという事。一つ一つ村々を家探しするのも手ですが――ここは手早く片づけてしまいましょうか」
そのサイバリオンの計画を聴き――ニルバルカ帝国宰相シュワート・ナイゼンは耳を疑う。
「……は? お待ちください、陛下。それはいくら何でも……やりすぎでは?」
今年六十になる老練なシュワートに、サイバリオンは普通に返答する。
「おや、何故でしょう? 彼等には、既に賊の息がかかっているも同然。ならば、反逆者も同然でしょう。仮に有事が起きれば帝国よりその一派に味方し、私達に反抗する可能性が高い。そうなる前に手を打つのが、ここは上策では?」
全てを読み切った上で、皇帝はそう謳う。彼はシュワートが反論する前に、部下に命じた。
「では、その様に行動して下さい。くれぐれも、計画通り動く様に」
そう。
確かにサイバリオン・ニルバルカは――全てを読み切っていたのだ。
◇
それからマイナム達はミストリアにある、或る拠点へと腰を落ちつける。因みに、件のセイリオは今も薬で眠らせたままである。ルーイッドがエイジアにセイリオに関する話を説明すると、彼は先ず眉をひそめた。
「つまり――交渉は決裂した? セイリオ殿には、我等に協力する意思はないという事?」
「……はい。端的に言えば、そうなります。反対に、セイリオ様はサイバリオンに与するおつもりです。彼女のこのご意思を変えない限り、カクラ殿の計画は全崩壊するでしょう」
「………」
ソレを聴き、エイジアは黙り込む。マイナムもソレは同じだったが、エイジアは直ぐに彼に訊ねた。
「マイナム殿も、同じご意見か? アナタの見立てでも、セイリオ様の意思は固い?」
「ですね。私が見た所、セイリオ様はご自身の御命を第一と考えていらっしゃる。とてもサイバリオンに反旗を翻す意思など無く、私達と共に戦う気も無い。……正直言えば、私も八方ふさがりと言った心境です」
「成る程」
椅子に座りながら、エイジアがそう漏らす。ルーイッドは、実に率直な感想を口にした。
「……私としては、正直失望しました。お父上を殺されながら、その首謀者に与するというのだから。いえ、それ処か命惜しさに、親の仇と婚姻まですると言う。この気概の無さは、最早一つの芸術とさえ言って良いかも……」
口には出さないが、或いはマイナムもそう感じているのかもしれない。その一方で、エイジアは何故か失望の色を見せずに、カクラに問う。
「その割には余裕ですな、軍師殿は? アナタは、もしやこうなる可能性も考慮していたのでは? その上で、何か打開策を考案済みなのではないのですか?」
「……何? それは本当か、カクラ?」
マイナムが顔を上げてカクラに目を向けると、彼女は首を横に振る。
「まさか。皆、私を買いかぶりすぎです。私にも、出来る事と出来ない事がある」
ソレは露骨な嘘だったが、彼女はこの件に関しては、その嘘を貫くと決めた。理由は、マイナムのあの反応である。
彼は、敵であるネルガ・テイゼにさえ情を覚えていた。一歩間違えれば自分は彼に殺されていたというのに、マイナムはネルガに敬意を表していたのだ。
ソレは、カクラの想像を超える情の深さである。そんなマイナムが全てを知れば、間違いなく彼女の構想は破綻するだろう。
いや、もしかすればカクラも、誰かに自分を止めて欲しいのかもしれない。だが、そうなれば彼女達は自分達の目的を果たせない。逆を言えば、彼女達が目的を果たす為には、ソレは避けては通れない道なのだ。
なら、彼女は〝その事〟を事前に知っていたと、口が裂けても言える筈が無い。
「いずれにしても、そろそろセイリオ様には起きていただかないと。アレからもう二日経つ。これ以上薬で眠っていただいていては、お体を壊すだろう。そうなっては、俺達としては本末転倒だ」
マイナムが立ち上がり、セイリオに向けて歩を進める。エイジアやカクラ、ルーイッドもそれには異存がないらしい。セイリオが目を覚ませば面倒な事になるのは明白だが、マイナム達は彼女を起こそうとする。マイナムが、刺激臭がする綿をセイリオに嗅がせると、彼女の意識は一気に覚醒した。
「……はっ? えっと、ここは……?」
ベッドで寝ていたセイリオが、身を起こす。次の瞬間、彼女の感情は爆発した。
「――あっ! あなた達、やってくれたわね! 皇族である私に無礼を働いて、私をここまで誘拐してきた!」
「いえ、セイリオ様は、貧血でも起こしたのでしょう。そんなあなた様を放っておく訳にもいかず、私達はあなた様を保護したという訳です」
「………」
堂々と真顔でカクラが抗弁する。この悪びれもしない態度を前にして、セイリオの怒りは頂点に達しそうになった。
が、その前に、エイジアの部下がその部屋に飛び込んでくる。彼女は半ば恐慌しながら、マイナム達にこう報告する。
「――た、大変ですっ! む、村がっ! ミストリアの村が――っ!」
「……何?」
後に、マイナムは述懐する。この時ほど、皇帝を見くびっていた時は無かったと。
マイナム達はこの日――サイバリオン・ニルバルカの狂気を知った。
◇
「……な、にっ?」
ソレは、正に地獄その物だった。いや、或る種の公平性がソコにはあったのかもしれない。
何せ、その村の人々は老若男女問わず――皆殺しにあっていたのだから。
子供も老人も、男も女も、今は生きている者は居ない。昨日まで賑わいを見せていた筈のその村は、一転して死者の為の墓標と化していた。
「……何なの、これ、は?」
そう漏らしたのは、セイリオ・ニルバルカである。村の異変を聴いた彼女は、とてもそんな話は信じられず、自らマイナム達に同行させろと要求したのだ。
だが、現実は変わらない。エイジアの部下が報告した通り、その村は全滅し、生き残りは居なかった。この惨劇を見て、セイリオは身を震わせる。マイナムもソレは同じだったが、彼女の動揺は彼のソレを越えていた。
この時になって、ルーイッドは初めて気付く。毅然に振る舞ってはいたが、セイリオはまだ十四歳の少女なのだ。頼るべき父親は叔父の手によって暗殺され、そのため彼女は自分の身を守る術さえない。いや、唯一彼女が命を繋ぐ方法は、その叔父に縋る事だった。例えソレが親兄妹の仇であろうと、彼女が助かる道はそれしかなかった。
十四歳の少女にしてみれば、死にたくないのは当たり前だ。たった十四歳で、他の兄妹達の様に皇帝に抹殺される。ソレは、想像しただけで恐ろしい現実だろう。今まで裕福で幸せな暮らしをしていたなら、その思いは人並み以上と言って良い。
今日までの幸福が、一転して絶対的な死の恐怖に変わる。そんな事、とても十四歳の少女に耐えられる事じゃない。
だが、ルーイッド達は彼女が皇族だという理由だけで、戦う覚悟を押し付けようとした。皇族なのだから、その政敵とは戦って当たり前だと考えてしまった。
けれど自分が十四歳の頃、そんな覚悟が出来ていただろうかと、今更ながらルーイッドは思う。答えは、きっとノーだ。その頃の自分は己の事で手一杯で、他人の事を考える余裕は殆ど無かった。
だが、カクラはその現実を、セイリオに突きつける。
「……恐らく、サイバリオンの仕業でしょう。彼は、村人達が私達に与してセイリオ様をかくまっていると考え、村人達を蹂躙した。まだ容疑の段階で彼等を皆殺しにして、あなたを探そうとしている。……これがサイバリオンのやり方。彼は目的の為なら、命を命だと思わない」
「……あの叔父が、私を、探す為に……? これは、皆、その為に起きた事……?」
セイリオが座して、近くで息絶えている子供に手を触れる。彼の頭を優しく撫で、まだ微かに残っている温もりを感じる。その時、彼女は、自分の浅はかさを知った。
「……私が、甘かった。……私はあの叔父の本性を、読み違えた。……民には手を出さない人だと思っていたのに、あの人は、目的の為なら手段を選ばない。……あの人にとっては民の命も政敵の命もなんらかわりが無い。自分が邪魔だと感じれば、何の躊躇もなく皆殺しにする。……私は、そんな怪物に嫁ごうとしていた」
アレほど自分の命にのみ固執していた少女が、他人の為に涙を流す。苦しくて、悔しくて、悲しくて、息が止まりそうで、今は泣く事しか出来ない。自分より年下の子供達の屍を見て、彼等の両親だった人達の屍を見て、その祖父や祖母だった人達の屍を見て、泣く事しか出来ない。
「……いえ、これは皆、私達の責任です。私達がセイリオ様を連れださなければ、こんな事にはなからなかった。これは決して……セイリオ様の所為ではありません」
カクラはセイリオが自分を責めている様に感じたのか、そう告げる。
だが、セイリオは首を横に振った。
「……いえ、これは私が皇族としての役割を全うしなかった所為。……私には、例え刺し違えても、あの叔父を倒す義務があった。父や兄妹達を殺された時点で、そう覚悟を決めるべきだったの。なのに、私は、ただ死にたくなかったというだけで、その義務を怠った。死にたくないのはこの彼等も同じ筈なのに、私が自分の義務を放棄した所為で、彼等は死んだ。……ソレはきっと私にとって……この上ない大罪なのよ」
故に――彼女は涙を拭って立ち上がる。
自らの罪を見せつけられた十四歳の少女は、今――初めて自分の意思で大地を踏みしめた。
「……なら、私はあなた達にこう要求するしかない。どうか、私に力を貸して。あの叔父を倒す手段を私に教えて欲しい。私はセイリオ・ニルバルカなのだから――絶対にサイバリオン・ニルバルカを倒さないと」
あの父や兄妹の為にも、今日自分の所為で死んだ人々の為にも――それだけは必ずやり遂げる。例え自身の命を危うくしようと、もうこんな地獄はつくらせない。
彼女は大きく息を吐きながら空を眺め――己にそう固く誓っていた。
◇
その後も、マイナム達のもとには次々と報告が入ってきた。全滅した村は、あの村だけでは無かったのだ。マイナム達が関わった村全てが襲撃され、村人達は命を奪われた。その総数は一万二千五百人に及び、ソレを聴いたマイナムは思わず眩暈を覚える。
「……とてもセイリオ様には、報告できないな。あの村だけで、アレほど心を痛めておいでなのだ。被害がその五十倍以上だと知れば、どのような反応を見せるか想像もつかない」
が、カクラは首を横に振る。
「いえ、私達は彼等の死を無駄には出来ません。私達は彼等の死の真相を世に広く宣伝し、今の皇帝が如何に悪逆非道か知らしめる必要があります。そうなれば皇帝を討つ大義がもたらされ、多くの者が私達に味方するでしょう。命を命と考えず、手段を選ぶ事なく民を殺める皇帝に大義なし。ソレさえ周知させれば――万の兵が私達に味方します」
「皇帝を倒す為の……大義」
マイナムがその意味を噛み締める様に、呟く。しかし、彼は直ぐに口を開いた。
「だが、証拠が無い。あの彼等を殺したのは、皇帝だという証拠は一切ないんだ。それでは、ただの言いがかりで終わってしまうだろう?」
けれど、マイナムにとっては驚くべき事が起こる。
エイジアの部下である彼は、こう報告する。
「は。村人達を殺戮した件ならば、私がソノ現場を目撃しています。賊達は村人達を殺害した後、一路イスカダルへと逃亡し、王宮へと向かいました。彼等の後をつけて、その事を確認した私が言うのだから間違いありません」
「……君が、賊達の凶行を目撃した? それは、偶然という事か?」
「はい、勿論です。用があり村に立ち寄ろうとした時、件の凶行が起きました。……多勢に無勢ゆえ私はただ身をひそませ、村民を見殺しにするしかなかった。ですが、賊達が何者かだけでも確認する為、やつ等の後をつけた次第です」
「……そう、か」
これでセイリオという旗頭に加え、マイナム達は大義さえも得た。
だが、その犠牲は余りに大きすぎる。とても手放しで喜べる事じゃない。自分達の所為で、一万二千五百名もの人々が死んだ。それも、無実と言う形で。あの村人達には、虐殺される様な落ち度は一切無かったのだ。彼等はただマイナム達に関わったというだけで、殺された。
「……というより、思いの外マイナム様は落ち着いていますね? 私は、あなたはもっと気を落すと思っていたのですが?」
カクラが訊ねると、マイナムは頷く。
「ああ。気落ちなら十分しているさ。それこそ今すぐ自決して、彼等に詫びたい位だ。だが、セイリオ様は、あの十四歳の少女はソレをよしとはされまい。あの方は、命を賭してでもサイバリオンを倒す決意を固められた。なら、今は俺もその決意に準ずるべきだ。セイリオ様が戦い続ける限り、俺も足踏みしている訳にはいかない。俺は例え方便だと言われ様とも、今は死ぬ事より戦う道を選ぶ。もし俺が全ての責任をとるとすれば、ソレは全てが終わった後だ」
「………」
やはりこの人はそういう人かと、カクラは沈黙する。
果たして全てを知った時、彼はどうするだろうと考えながら――カクラはその瞳を閉じた。
5
それから、半年もの時間が過ぎた。
その間に、セイリオのもとには反サイバリオン派の貴族達が集結する事になる。今まで纏め役がおらず、散り散りになっていた彼等は初めて一ヵ所に集中した。
しかも、皇帝の悪逆を知った彼等は、その事を多くの民に周知させた。現皇帝サイバリオンは自分の都合の為なら命を命と思わない。民を虫けらのように殺し、人を人として扱わない。
だとすれば、ただの噂にすぎなかったキクネウス皇子の毒殺も真実味が出てくる。実の兄を毒殺して皇位を得たサイバリオンに、果たして大義はあるか? 大義は正当なる皇位継承権をもつキクネウス皇子にあったのでは? その御子であるセイリオ・ニルバルカ皇女こそ、皇帝を名乗る資格があるのではないのか?
多くの貴族や民兵達はそう謳い、その兵力は十万にまで届いた。一万二千五百名もの民が虐殺された事で彼等は怒り、皇帝にあからさまな反意を見せたのだ。ニルバルカの東にあるウルヴァルという町を占拠した彼等は、そこでセイリオの演説を聴く。
「皆様、私はつい半年前まで、叔父の庇護のもと生活をしてきました。父や兄妹達のように死にたくなかった私は、卑怯にもあの叔父に縋っていたのです。あのままいけば、私はあの叔父に嫁ぐ事になっていたでしょう。ですが、私は大きな勘違いをしている事に気付いたのです。……そう。自分の野心を満たす為に他人を蔑にするなら、それは野党とかわらない。兄妹や甥や姪や無関係な人々を殺害する様な輩は、ただの無法者です。私はそんな悪逆非道な男に、この大陸の未来を委ねようとは思いません。叔父が皇位に就いた事こそ最大の間違いであり、私にはその間違いを正す義務があります。ソレが私の皇族としての義務であり唯一の責任です。皆様、どうかそんな私に力をお貸しください。それ以外に叔父の為に死んだ人々に酬いる術を私は知らないのです。仮に私がニルバルカ帝国唯一の皇帝になる事が彼等に酬いる事ならば、私は喜んで民の為にこの身を捧げましょう」
今まで劣勢にあったキクネウス派の貴族達は、その演説を聴いて、一気に息を吹き返す。彼等につき従って集まった民兵達も、歓声を上げ、セイリオを支持する。
今はまだ、ウルヴァルという小さな町を拠点にしているだけ。集まった兵も、何の訓練も受けていない民兵ばかりである。
だが、ソレは明らかに大きな人の集まりであり、とても無視できる勢力では無い。
半年前は二十人程しか味方が居なかったマイナムは――今十万に及ぶ兵を得たのだ。
「しかし、これは余りにも――」
「は? 何か仰いましたか、マイナム様?」
マイナムの隣にいるカクラが、彼の呟きを聞いて首を傾げる。が、彼は首を横に振った。
「いや、何でもない。これで君の構想通りに事は進んだな。ニルバルカは二分され、国内紛争に持ち込まれた。君の読み通りなら、サイバリオンは他国の介入を許さず、ニルバルカ国内だけで事を収めようとする。俺達に勝機があるとすれば、ソコか」
「ええ。私達の大敵は、ニルバルカ帝国のみ。ですが、ソレは外敵に限った話です。私達は――私達の味方をする貴族達と主導権争いをする必要がある」
カクラがそう言い切ると、今度はマイナムが首を傾げる。
「それはつまり、身内であるセイリオ派の貴族達と主導権争いをするという事?」
「はい。確かにセイリオ様は、反サイバリオン派の旗頭です。ですがその一方で、彼女はまだ自立しきれていない十四歳の少女でもある。ならば、誰かが彼女の後見人になるのが道理でしょう。恐らく一番力があるウィストック侯辺りが、その役を務める筈。しかし、その事を快く思わない貴族も当然いる。彼等は事あるごとに後見役の地位を狙って、暗躍する事でしょう。事ほど左様に今の私達は烏合の衆なのです。この纏まりの無さを打開しなければ、勝てる戦も勝てない。しかも、基本、貴族は他人の足を引っ張る事しかしません。戦で負けても、最悪、勝った敵の所為にします。如何に敵が卑怯だったか並び立て、敵がこうしていれば勝てていたと平気で公言する。彼等は或る種の駄々っ子めいた人種です。そのくせ自己主張だけは強く、決して主導権を手放そうとはしません。私達はこれからそんな彼等から、主導権を勝ち取らねばならない」
「……ついこの前まで貴族だった俺としては、実に耳が痛い話だ。けど、確かにそうかもな。俺はニルバルカの地方出身だから、政権争いについては余り知らない。ただ噂で聞いた限りでは一つの国に複数の派閥があって、その派閥が敵と味方を入れ替えているとか。昨日の敵は今日の味方で、今日の味方は明日の敵と言った感じで。よほど傑出した王でも現れない限り、貴族達は一つには纏まらず、内部抗争に明け暮れる。仮にそれと同じ事がセイリオ軍でも起きたら、目も当てられない。最悪、俺達はニルバルカと戦う前に、空中分解を起こすかも」
そうなっては、元も子もない。カクラ達は、そう言った事態を避ける方法を考える必要があった。いや、正確にはソレは既に思いついていて、後は実行に移すだけという状況である。
「そう。なので、これから先は、暫く彼等貴族に全てを任せます。私達が口出しをするのは、その後」
「………」
ソレを聴いたマイナムは――何だかまたイヤな予感がした。
◇
対して、コレはサイバリオン側の事情。
「……陛下、コレは正に、ニルバルカ帝国始まって以来の危機です。賊軍はセイリオ皇女に皇帝を名乗らせ、クーデターを勃発させました。ニルバルカ国内の内紛である以上、他国を介入させる訳にもいかない。これは……実に厄介な事になった」
宰相であるシュワート・ナイゼンが、唸る様に告げる。
ソレを見て、サイバリオンは一笑した。
「成る程。宰相殿は私が彼等に大義名分を与えた事に、不満があるのですね? 私がミストリアの村民達を成敗しなければ、こんな事にはならなかったと憤っている」
が、シュワートは明言せず、表情を消しながら自国の皇帝を見た。
「余裕ですな? まるでこうなる事が、分かっていたかの様でもある」
「ええ――半ば分かっていましたから」
「……は? 何ですと?」
皇帝サイバリオンは――やはり笑顔を崩さない。
「キクネウスという旗頭を失い、力を失ったとはいえ、セイリオ派の貴族達はニルバルカを知り尽くしています。そんな彼等を放置していては、枕を高くして眠れない。或いは、私が不利になる様な政治戦略をとってくる可能性さえありました。そんな彼等は分散して大陸の国々に潜み、なかなか尻尾を掴ませなかった。その為、彼等の始末には難儀していたのですが、コレで手間が省けました。セイリオ派は今一ヵ所に集まり、まとめて倒しやすくなった。これは決してニルバルカの危機ではありませんよ、宰相殿。寧ろ、邪魔者を一掃する絶好の機会です。大義名分さえ与えれば喜び勇んで集まってくると思っていましたが――やはりそうなった」
「………」
その構図をつくり出す為に一万二千五百人もの人命を奪ったと言うのか、この皇帝は? シュワートが言葉を失う中、サイバリオンはその場に控える将軍に声をかける。
「ゴルディウム将軍、直ちに十五万の兵を率いてウルヴァルへと進軍して下さい。恐らく彼等はまだ纏まり切ってはいないでしょう。私達は彼等が烏合の衆である内に、一気に勝負をつけます」
その為に皇帝は――ニルバルカ最強の騎士をウルヴァルに派遣するという。
この命を受け、オリハルト三騎衆の一人――ゴルディウム・シトラは恭しく一礼した。
「――畏まりました、陛下。噂によれば、ネルガを倒した賊もセイリオ軍に加わっているとの事。ネルガの仇も――ついでにとってくる事にしましょう」
身長二メートル二十センチもの大男が、大言を吐く。皇帝の前でも獅子を象ったフェイスガードを外す事が無い彼は、早々にこの場を後にする。
その後ろ姿を見て、サイバリオンは頬杖をついた。
「さて、どうでますか、セイリオ殿? いえ、正確には彼女を見事に救出した――あの彼等と言うべきでしょうか?」
こうしてセイリオ軍とサイバリオン軍の開戦は――間近に迫ったのだ。
◇
帝国最強の騎士ゴルディウム・シトラ率いるサイバリオン軍が、ウルヴァルに進軍する。しかもその兵の数は十五万に及び、セイリオ軍を圧倒している。けれど、血気盛んな若い貴族達は決して怯まなかった。
「ここは奇襲を以て、敵の出端を挫くべし! 戦の趨勢を決めるのは兵の数では無く、兵の士気と勢いである!」
チアード伯ワルスバはそう主張し、夜襲の計画を練って、ソレを実行する許可をセイリオにとろうとする。
セイリオは一考する素振りを見せた後、コレを了承。チアード伯は兵五万を連れて、ゴルディウムの先鋒隊三万を襲撃するべくウルヴァルを発つ。
ソレを見て、カクラは素知らぬ顔でマイナムに語る。
「仮にこれが成功したなら、チアード伯の功績は大きいでしょう。ですが、それはセイリオ軍の団結を乱す事にも繋がる。チアード伯に負けまいと他の貴族達も名乗りを上げ、競って功績をあげようとする。セイリオ軍はその時点で収拾がつかなくなり、混乱する事になります」
「つまり、チアード伯が勝っても負けても、俺達は不味いという事か? ……ソレは何とも救いようがない話だな。で、そこまで分かっている君は、どうするつもりだ? まさかこのまま手をこまねいているだけ、という訳ではないのだろう?」
が、カクラの反応はにべもない。
「いえ、前にも言った通り、ここは高みの見物です。今は、全てを彼等に委ねるしかない」
いや、それも大嘘だが。カクラ・ハヤミテは既に手を打っていて、それはマイナムが予感した通り――酷すぎる物だった。
そしてチアードは先手を打つ為、人目につき難い草原を移動しながら、軍を前進させる。仮にチアードの作戦が成功すれば、ゴルディウム軍は出端を挫かれる。ウルヴァルへの進軍も一時停止して、軍の再編を余儀なくされるだろう。
チアードとしてはその間を与えず、間断なく攻撃を繰り返して、ゴルディウム軍を疲弊させるつもりだ。如何に帝国最強の騎士と言えど、用兵まで最強とは限らない。軍と軍のぶつかり合いなら、自分にも勝算があるとチアードは感じていた。
事実、チアードの策は成功する。彼は夜になってゴルディウム軍が野営し、兵が天幕で床に就くのを待つ。その時が訪れた瞬間、チアード軍は一気に進軍し、ゴルディウム軍を強襲。夜討ちを受けたゴルディウム軍はソレを知り、多くの兵が飛び起きて、戦場に放り出される。
が、奇襲を受けた彼等は戦意よりも恐怖の方が上回っていたらしく、一気に潰走した。それを追撃する、チアード軍。彼等は、ゴルディウム軍の先鋒隊が本隊に合流する前に叩き潰そうと進撃を続ける。
だが、そこでチアードに予期せぬ事態が起こる。仮にソレが昼間なら、彼もその事に気付いただろう。だが夜襲を選択した彼は、その暗がり故、敵兵の数が少ない事に気付かなかった。いや、彼がそれに気付いた時には――ゴルディウム軍の反撃が始まっていたのだ。
「な、にっ?」
その一報を聴いた時、チアードは自身の耳を疑った。
「いえ、誤報ではありません! 敵軍が後ろから迫ってきます! このままでは挟撃される恐れが!」
ソレは現実の物となった。チアード軍が潜んでいた草原より、更に一キロ離れた林にはゴルディウム軍の伏兵が隠れていたのだ。彼等はチアード軍が前進して前方の隊を追撃したのと同時に、チアード軍の背後をとる。同時に前方の敵も反転攻勢に出て、チアード軍はこの時点で挟撃される事になる。
しかも最悪な事に、最も後方で指揮を執っていたチアードの隊が狙い打ちを受けた。ゴルディウム軍は的確にチアードの本隊を叩き、やがてその努力は報われる事になる。チアード伯ワルスバは戦死して、その時点でチアード軍は潰走を始めたのだ。
ゴルディウムの巧みな所は、それ以上追撃しなかった点である。この戦場は、ウルヴァルに近い。今追撃すればウルヴァルから援軍が来て、今度は自軍が包囲殲滅されかねない。そう読んだゴルディウムは、チアード軍の指揮官と敵兵五千を屠る事で、この場は収める事にする。
かくしてチアード軍は指揮官を失うと言う大敗北を喫して――四万五千の兵がウルヴァルに逃げ帰った。
◇
その一報を受け、血気盛んであった筈の若い貴族達も色めき立つ。実際の所、チアードは貴族達にも一目置かれる有能な指揮官だった。そのチアードの策を読み切り、逆手にとって、チアードを討ち取ったゴルディウムの手腕は脅威と言って良い。
しかもそのゴルディウム軍は、後数日でウルヴァルへと攻め込んでくるという所まできている。今まで空想の中だけで武勲を夢見ていた貴族達は、このとき初めて現実を知る。
まだ残存兵力は九万五千ほどあるが、果たして自分にチアード以上の働きが出来る? そう自問した時、彼等の体には怖気めいた物が走った。誰もが具体案を出せないまま陣中は混乱して、それこそ収拾がつかない。
その時――初めて皇帝セイリオ・ニルバルカが軍議の席に顔を出す。その傍らには、カクラとマイナム、それにエイジア達の姿があった。
「どうやら、皆、憔悴の極みと言った様子ですね。ですが、我々はまだ負けたわけではありません。皆は聞いた事がありませんか? 嘗てカシャンがニルバルカの侵攻を受けた時、カシャンを支えた軍師が居た事を。イスカダルに攻撃を加え、その間に私を救出した騎士達が居た事を。ソレが彼等――パイスン子爵一党です」
皇帝自らがそう紹介すると、貴族達は一斉に眉をひそめた。
「……セイリオ陛下をお助けした、騎士達? その噂は確かに聞いた事がありますが、では、もしや彼等に何か策が……?」
貴族の一人がそう訊ねると、カクラは平然と告げる。
「ええ。策なら無い事もありません。我々は敵軍を一度牽制した後、一旦、ミストリアまで後退します」
「――なんと? では、ウルヴァルをみすみす敵軍に明け渡すと言うのか?」
「はい。というのも、他ではありません。私の策は――こうです」
カクラが自身の策を説明していく。ソレを聴いて、貴族達の顔色は徐々に変わっていった。
「まさ、か? そんな事が可能だと言うのか? いや、だが、確かにソレなら――」
「ええ。私達は大義を掲げ、サイバリオンに戦いを挑みました。それはニルバルカに新たな秩序をもたらすという大義です。つまり、例え敵の町を攻略し様とも略奪は出来ないという事。ソレをしてしまえば私達の掲げた大義は絵空事になってしまう。その時点でニルバルカの民は私達を見放すでしょう。即ち、私達には時間がありません。私やあなた方が得ている兵糧を、使い切る前に決着をつけなくてはならない。これはソレを成す為の――唯一の策です」
「………」
貴族達が、揃って沈黙する。この機を逃さず、セイリオは宣言した。
「どうやら、皆も分かってくれたようですね。ならば、結構。我等はこれよりカクラ・ハヤミテを軍師とし、彼女の作戦通り動く事にします。異議がある方は、忌憚ない意見をどうぞ」
「………」
貴族達が、もう一度沈黙する。どうやらチアードを討ち取られた事が、彼等に思いの外、精神的なダメージを与えているらしい。同時にソレを成したゴルディウムの手腕も、彼等に脅威を与えていた。
この二つが彼等の精神に負荷を与えた時、彼等の功名心は影をひそめる事になる。加えて皇帝であるセイリオが決断した事で、事態は一気に進展した。
自軍を纏め上げたセイリオは――ミストリアへの撤退戦に臨んだ。
◇
対して、これはゴルディウム側の動向。
チアードが夜襲を行う二日前、彼の陣地に一つの矢文が撃ち込まれてきた。その手紙にはチアード軍が夜襲を計画し、ソレを近々実行すると書かれていた。
その事を部下から報告されたゴルディウムは、先ずあからさまな罠だと思ったものだ。その一方で、彼は皇帝が言っていた事が頭にひっかかっていた。〝セイリオ軍はまだ纏まり切っていない筈〟というアレである。
仮にソレが事実なら、この矢文の内容にも僅かながら真実味が出てくる。チアードに功績をあげさせたくないセイリオ側の貴族が、彼を裏切り、彼を売った。そう言った可能性も少なからずあると感じたゴルディウムは、徹底して索敵を行う事になる。
結果、チアードの動きを察知したゴルディウムは兵を二つに分け、伏兵を敷いてチアード軍を迎え撃つ事になった。
あのゴルディウムの勝利の裏には、そういった事情が隠されていたのだ。
しかし彼はまだ、あの矢文の相手が完全に味方だとは思っていなかった。いや、前述通りチアードを追い落とす為だけに、自分を利用したという可能性の方が高い。ならば、このまま敗残兵を追ってウルヴァルに進撃すれば、今度は此方が罠にハマる可能性がある。敵の伏兵にあって、少なからず損害を被るかもしれない。その後、ウルヴァルから敵の援軍が来れば、被害は甚大な物になるだろう。
ゴルディウムはそう計算し、一旦、ウルヴァルへの侵攻を止めた。徹底して索敵を行い、伏兵が潜んでいるか確認してから、再度進軍を開始したのだ。
(いや、或いは、それも敵の計算通りなのかもしれぬ。敵の狙いは時間を稼ぐ事で、仮にそうなら私はソレにまんまとハマった訳だ)
フェイスガードの下で苦笑いを浮かべながら、ゴルディウムは瞳を細める。仮にこうまで敵が巧みだとすれば、決して油断は許されない。敵は自分を使って政敵を追い落とし、時間さえ稼いでいる。今のところ自分は――その敵にいい様に使われているだけなのだ。
(だが、ソレは一体、何者なのか? 確かにニルバルカの貴族は、腹芸に長けている。しかしこれは、それとは些か趣が異なる気がする。貴族が為す腹芸より――謀士が使う権謀術策に近い。敵には――軍師と呼べる何者かが存在するという事か?)
それからゴルディウムは、フト思い出した。ソレは一年半ほど前の〝カシャンの動乱〟の事だ。彼はその戦には参加しなかったが、ある噂だけは聞いている。カクラ・ハヤミテという十六歳の少女が、あろう事かニルバルカ軍を敗走させかけたと言う。
カクラという娘は傭兵らしい。仮にこの戦にも彼女が関わっているとしたら、どうなるか? 〝カシャンの動乱〟同様、またもニルバルカの敵に回っているとしたらどういう事になる?
(ハヤミテが賊軍に与している? 先の計略は彼女の物? だが貴族でも無いハヤミテがチアードを追い落とす理由は何だ? 指揮官級の味方を一人犠牲にしてまで彼女は何を得た?)
進軍の傍ら、ゴルディウムは熟考する。いや、そもそもハヤミテは、本当にこの戦に加わっているのか? ソレを確認しない限り、全ては自分の妄想の域を出ない。
ゴルディウムはそう考え、間者の一人をウルヴァルに潜入させる。いや、そうさせようとした時、事態は動いた。偵察隊の一人が戻ってきて、彼にこう報告したのだ。
「はい。賊軍は、ミストリアの方角へと後退を始めています。追撃するなら、今かと」
「………」
ウルヴァルを捨て、ミストリアへと逃走を図る敵軍。ソレを聴いて、ゴルディウムは釈然としない物を感じていた。仮にハヤミテが関わっているなら、ただの後退ではあるまい。
けれど、仮に全てが自分の読み違いならどうか? チアードの件がただの貴族間の内輪もめにすぎないなら、自分は深読みしすぎていた事になる。チアードが討たれた事で、セイリオが臆病風に吹かれ、撤退を決意したなら確かにこれは好機だ。
(だが――やはり何かが引っかかる)
しかし、敵の撤退をただ見過ごすわけにもいかず、ゴルディウムは細心の注意を払いながら追撃を決意する。
ゴルディウム軍は馬を走らせ、セイリオ軍に追いついて――その後背を衝こうとしていた。
◇
セイリオ軍とゴルディウム軍の二度目の戦闘は、こうして始まった。ゴルディウム軍はウルヴァルの町を一気に駆け抜け、自分達に背中を見せているセイリオ軍に迫る。
いや、迫ろうとした時、状況が急変する。
町を囲む防壁の影に隠れていたセイリオ軍が姿を見せ――ゴルディウム軍を強襲したのだ。軍の先頭に立ち、指揮を執るゴルディウムはやはりと感じ、喜悦した。
(思った通り、ただの撤退では無い。アレは我が軍をウルヴァルに誘い出し、伏兵を以て足止めして、賊軍の本隊がこちらの背後に回って攻撃する為の物)
仮にこの読み通りなら、ゴルディウム軍はエサにつられた獲物も同然。彼等はセイリオ軍の本隊が反転して、迂回し、自分達の背後をとる前に撤退する必要があった。
そう読むゴルディウムだが、解せない点もある。
(が、コレは並みの連携では無い。伏兵は背水の陣を以て我等を足止めし、味方本隊を迂回させる為の時間を稼ぐ必要がある。正に――命懸けの策。まだ纏まり切れていない筈の賊軍に、その様な神がかり的な連携が本当に可能か?)
それとも、彼等はそれだけの荒技が出来る程、纏まりがある? まさか、チアードはその為だけに犠牲になった? ゴルディウム軍を実際以上に脅威だと見せかける為に、チアードを討たせる。その事に恐怖を感じた敵軍の貴族達は、一致団結してゴルディウム軍にあっている。そう考えれば――チアードの一件も説明がつく。
(仮にそうだとすれば、恐ろしい話だ。味方を一致団結させる為に、指揮官級の味方を一人、謀殺同然の扱いで犠牲にする。そんな話は――最早狂気の沙汰だ)
チェスで言うならルークをワザととらせて、クイーンを狙うといった戦術だろう。確かに犠牲は大きいが、成功すれば大戦果をあげたと言える。
しかし、だからこそゴルディウムはそうさせる訳にはいかなかった。
「――全軍停止! 兵五万をしんがりにしながら、全軍撤退! ウルヴァルの東十キロの所まで後退する!」
挟撃される前に撤退を図る、ゴルディウム。五万のしんがりが敵の伏兵を食い止めている間に、残りの十万の兵は撤退を成功させる。しんがりの軍も被害は微々たる物で、ほぼ無傷の状態でゴルディウム軍は後退していた。
ソレを見て、セイリオ軍のしんがりを買って出たマイナム軍は呆気にとられる。
「あの状況で、進撃してこない? この好機を逃すとは、一体敵は何を考えている?」
マイナムがひとりごちると、カクラは肩をすくめた。
「やはり、噂通りゴルディウム将軍は有能な様ですね。ですが有能すぎる故に、些か深読みしすぎる。セイリオ軍が伏兵を敷いている事を知り、彼はこれが私達の挟撃作戦だと思った。アレはそれ故の撤退です。全く――敵が有能だと此方も本当に助かる」
仮にあのまま敵が攻めてきたら、伏兵の部隊は大損害を受けていただろう。ソレをさせなかったカクラの策を実感し、マイナムは苦笑する。
「やはり敵にそうさせたのは、君の策なのか? だとしたら、恐ろしい話だ」
「まさか。今回は単に、敵が勘違いをしてくれただけの事。それに人の事は言えませんよ、マイナム様。私としては、最上位騎士とケルエミス三匹を屠ったあなたの方がよほど恐ろしい」
かくしてセイリオ軍は一兵も損なう事なく、ミストリアへと撤退する。
だが当然の様にこれは――セイリオ軍とゴルディウム軍の戦いの一幕にすぎなかった。
◇
ミストリアの国内に逃げ切る、セイリオ軍。ソレを見て、ゴルディウムは一考する。
「成る程。ミストリアは現在、複雑な立場にある。あの村々の一件は断固として盗賊の仕業だと、陛下はミストリア側に抗弁なされた。だがそれを安易に信じる彼等ではあるまい。逆にミストリアの領民の仇を討つ形で兵を挙げた賊軍は、ミストリアに好印象を持たれているだろう。積極的に戦に参戦はしなくとも彼等をかくまう位の真似はするかもしれん。そうなると厄介だな。逆に我々はミストリアに侵入した途端、ミストリア側に何らかの妨害工作を受けるかも」
ソレを見越しての撤退だと考えるのが、自然だろう。敵は自分達の作戦が失敗したので、ミストリアに撤退せざるを得なかった。少なくともゴルディウムは、そう考えている。
「これは、思ったより長い戦になるかもしれんな。半年か、長ければ一年以上かかるかもしれん」
実際、戦況はその様に動く。その訳は、セイリオ軍の用兵のあり方にあった。セイリオ軍の動きは、余りに精彩を欠いていたのだ。
セイリオ軍は、一月ほど何の動きも無かった。ついでセイリオ軍はミストリアから出て、ニルバルカに再侵攻すると、そのままゴルディウム軍と衝突する。だが、一度劣勢になると直ぐに後退して、ミストリアに逃げ込む。かの軍は、そんな事を連日のように続けていた。
ソレが一月以上続いた時、さすがのゴルディウムも怪訝な顔を見せる。
「まさか、全ては私の読み違いか? 敵には良将など居らず、ただその場しのぎで戦っているだけ? あの時の撤退戦も――敵は本気でミストリアまで逃げ込むつもりだった?」
が、ゴルディウムは、まだ油断していない。
「いや、或いは、そう見せかけるのが敵の策か。敵の狙いは、此方に国境を越えさせ、ミストリア側に引き込む事。そこに何らかの罠がはってあるとしか、私には思えん」
けれど、そう考えるまでが彼の限界でもあった。そう思った時、ゴルディウムは自分の相談相手になる軍師の必要性を感じる。他の将軍など、一切無用。自分一人で賊軍を打ち破る気概のもと出陣した彼だが事ここに至っては仕方が無い。彼は自分の相談役になりそうな将軍を、援軍に送るよう本国に連絡する事になる。
だが、ソレがこの戦の趨勢を決める事になるとは――ゴルディウムも考えてはいなかった。
◇
ゴルディウムの要請を受け、サイバリオンはまずフムと頷く。
それから彼は周囲を見渡し、その瞬間一人の将軍が前に出る。
「――陛下、どうかその役目、この私にお命じ下さい。私が軍に加わりさえすれば、賊軍など三日で葬って御覧にいれましょう」
それは〝カシャンの動乱〟で危うく敗軍の将になりかけた、ジフト・リーヴェという将軍だった。彼の心意は明らかで〝カシャンの動乱〟の時の雪辱戦をしたいのだろう。が、それに待ったをかける将軍が現れる。
「いえ、その役はわたくしにお命じを。私なら必ず、賊軍の討伐に一役買ってみせます」
いや、彼だけではない。あろう事か、その場にいる全ての主だった将軍達が、名乗りを上げてくる。そこで宰相シュワートは、彼等の心算を見抜く。
恐らく彼等は賊軍が弱兵ばかりだと知り、この戦を、功績をあげる最良の機会だと感じたのだろう。もっと言えば、ゴルディウムだけに手柄をあげさせたくない。ほぼ勝ち戦が決まったなら、自分達も参戦して功績をあげる。ほぼ敗戦の可能性が無くなった時点で、彼等の功名心に火がついたのだ。
その様を穏やかな瞳でサイバリオンは眺め、口元に手を当てる。彼は何やらブツブツと呟いた後、こう返答した。
「いいでしょう。セイリオ軍の息の根を完全に断つ為にも、諸将の参戦は不可欠だと私も感じました。皆、ゴルディウム軍に合流し、各々の手腕を存分に発揮してください」
皇帝はオリハルト三騎衆の一人――ヴァルド・ギースだけを首都に残し、他の将軍達は全て動員する。戦況はゴルディウムの思惑から大きく外れ、彼は余りに多すぎる〝援軍〟を得る事になった。
ソレを知り、ゴルディウムは思わず顔をしかめる。
「……しまった。他の将軍達の心境を考慮していなかった。援軍を要請すれば、こうなる事は分かりそうなものを。私も――まだまだだな」
問題なのは、これでゴルディウム軍も先のセイリオ軍と同じ立場になったという事。他の将軍達は主導権争いを始め、自分達から率先して纏まろうとはしないだろう。ゴルディウムはそんな彼等を、纏めあげる必要がある。
「そう考えると、下手な敵よりタチが悪いな。敵ならば力づくで言う事をきかせる事が出来るが、味方ではそうもいかん。ここは陛下にこの件を一任された威光を示すのが、一番手っ取り早いか?」
だが、そうなると他の将軍達は良い顔をしないだろう。彼を、虎の威を借りる狐と見なすかもしれない。それは猛将と名高いゴルディウムにとっては、耐え難い屈辱である。
そうこうしている間にゴルディウムにとっての〝援軍〟は到着し――新たな討伐案が為され様としていた。
◇
そして事態は、ゴルディウムが危惧した通りに進んだ。
確かに彼等将軍達はゴルディウムの要求通り、様々な策を用意した。だが、彼等は自分の策こそが最も有効だと主張して、一歩も引く気配を見せない。五日に及ぶ軍議は難航を極め、ゴルディウムはついに口を挟む。だが、ソレに将軍達は一斉に反論した。
「これは異な事を仰る。ゴルディウム将軍は妙案を求めて、我等に援軍を要請した筈。その将軍が我等の軍議に口出しされるのは、些か奇異に感じますな。将軍ご自身に策が無いなら、まずは黙って私達の軍議を見守っていていただきたい」
「………」
仮に自分の策が賊軍の討伐に一役買えば、それは大戦果をあげたと言える。そうなればその将軍は、英雄ともてはやされる事になるだろう。ゴルディウムには、他の将軍達は戦の勝敗より、その栄光に目がくらんでいる様に見えた。
(それも無理はないか。何せこの百二十年ほど戦と呼べる戦は殆ど無い。〝カシャンの動乱〟位の物で、騎士達はそれ以外出番を失っていた。その筈だったのに、急にこの内紛がふってわいた。我等騎士達が手柄をあげる機会はこの内紛以外なく、それ以後は、当分出番はないだろう。彼等は、この唯一無二の機会を逸したくないのだ。この自己主張の強さが、雄弁に彼等の心情を物語っている)
ゴルディウムはそう察するが、彼も黙っている訳にはいかない。軍議だけならまだしも、戦場でこのような纏まりの無さが発揮されれば自軍が危うくなる。ならば、彼とて手段を選んではいられない。ゴルディウムは、使いたくもない手を使う。
「確かにソレは道理だろう。私は妙案を求めて、援軍を要請したのだから。だが、本来この件を一任されたのは私だと言う事を忘れてもらっては困る。全権は私にあり、私が貴公らを指示する立場にある。これは全て――皇帝サイバリオン・ニルバルカ陛下の御意志だ。まずはその事を、肝に銘じてもらいたい」
「………」
皇帝の名を借り、威光を示すゴルディウムに対し、今度は将軍達が黙然とする。
が、ソレも数秒程の事で、彼等はゴルディウムにこう要求した。
「では、ゴルディウム将軍はどうお考えか? 誰の策が、最も有効だと考えておられる? まずその点を、ハッキリとしていただきたい」
「………」
いや、ハッキリ言えば、誰の策を選んでも禍根は残るだろう。彼等からすれば、策を採用された将軍が贔屓されたと感じる筈だから。これならば援軍など求めるのではなかったと、ゴルディウムは改めて痛感した。
そんなゴルディウムに、ある意味救いの手が差し伸べられる。〝援軍〟が到着してから初めて、賊軍が侵攻してきたのだ。ソレを聴いた将軍達は、意気揚々と席を立つ。彼等はハナから敵の脆弱さを確信してやまなかった。そんな彼等にゴルディウムは心底から注意を喚起する。
「皆、決して油断せぬように。まだ賊軍が、弱兵だと決まった訳ではないのだ」
寧ろその正体が分からないからこそ、彼は援軍をよこすよう要請した。けれど事態は彼が期待した通りには進まず、逆に混迷を極めている。これが原因で敗北でもしようものなら、目も当てられない。ゴルディウムは自分の危惧が杞憂に終わる事を、心から願った。
◇
「で、敵は今頃そういった状況になっている筈です」
それはセイリオ軍が、ニルバルカ国内に十二回目の進軍をする二時間前の事。軍議の席で主立った諸将に、カクラはそう断言した。
敵将ゴルディウムは此方の意図が分からず、援軍を要請した筈。その援軍とはニルバルカの主立った将軍達で、彼等は絶対の自信と共に戦場へとやって来た。その自己主張の強さが、敵軍を少なからず混乱させている。カクラは皆に、そう説明する。
「確かに、ゴルディウム軍が押しているというのに、ゴルディウムは援軍を要請したという話だ。だが、ソレが敵軍の主立った諸将だというのは、奇妙な話でもある。なぜそのような事になるのか、説明願えるか、ハヤミテ殿?」
騎士の一人が訊ねると、カクラは胸を張って卑下する。
「それは我等が、余りに弱いからです。弱すぎて、弱すぎて、逆にゴルディウム将軍には私達の意図が読めない。対して他の将軍達はこれを勝ち戦だと確信し、私達を食い物にする為、集まって来た。つまりゴルディウム将軍以外は、私達を大いに見くびっているという事。私達はこの状況を利用します」
「ソレは、以前話していた作戦という事だな?」
マイナムが問うと、カクラは頷く。
「はい。私の目的はサイバリオン派の主立った諸将を一つの戦場に集め――纏めて殲滅する事にあります。仮にこれが成功したなら、サイバリオン派は一気に衰退する事になるでしょう。次の戦に勝てさえすれば、サイバリオン派の将軍は一掃され、私達の勝利が見えてくる」
その為に自分達は今まで負け続けてきたのだと、カクラは謳う。本来なら敗北を最も嫌うカクラだが、大勝利につながる敗北なら喜んで受け入れる。ソレが、彼女の本質でもあった。
「……だが、問題は本当に勝てるかという事だ。仮に我等が敗北したなら、君の構想は完全に絵に描いた餅という事になるぞ?」
貴族の一人が訝しそうに告げると、カクラは普通に頷く。
「そう。つまり私達は絶対に負けられない、という事。次の戦で負ければ、私達は全てを失います。地位も、財産も、命も、大義も、主張さえも失われる。ソレを避ける為にも、私達は絶対に勝たなければなりません。その為には、皆様方の協力が不可欠です。この戦に勝つ為には――皆が一致団結するほかないのです」
その点を強く主張する、カクラ。自分達は、敵軍の様に纏まりが無い状態にあってはならないと、彼女は強く注意する。
「それさえ守られれば必ず勝つと、この私がお約束します。仮に敗北し、この命がまだあったなら――命を以て皆様にお詫びしましょう」
そこまでカクラが語ると、セイリオが口を挟む。
「その覚悟、実に感じ入りました、ハヤミテ軍師。皆、まだ十七歳の少女が様々なプレッシャーを抱えながら、こう言い切っているのです。その覚悟に応えるのが――ニルバルカの騎士道という物ではないでしょうか?」
セイリオの長所は、話を始めるタイミングにある。彼女はその絶妙な間を以て、己の話に説得力をもたせる事が出来る。
その才能は、ここでも遺憾なく発揮された。貴族達は、皇帝であるセイリオの言葉を受け、大いに気持ちを高ぶらせる。皇帝自身が言葉を発する事で、セイリオは自軍を一致団結させる事に成功していた。
このゴルディウム軍との唯一の差を以て――彼女達は決戦に臨んだのだ。
◇
その一報を聴いた時、ゴルディウムはまず耳を疑った。
「……何? 敵は軍を四つに分けた、だと? その部隊と部隊の間の距離は、五十キロ以上開いている?」
これでは、各個撃破してくれと言わんばかりの無防備さだ。実際、ゴルディウム軍が分散した敵の部隊を一つ一つ叩いていけば、賊軍は間違いなく全滅するだろう。
だがその一方で、その戦術には確かな意味がある事にゴルディウムは気付く。
「そうか。敵の狙いは――首都であるイスカダルか。今、我等は賊軍討伐の為、兵の殆どを我が軍に集中させている。イスカダルまで殆ど障害は無く、首都の兵力は一万ほどしかない。敵は兵力を分散してイスカダルを攻め――こちらの部隊も分散させようとしている」
でなければ例え一つの部隊を叩いても、残りの部隊がイスカダルに辿り着く可能性がある。そうなれば、皇帝の身の安全が危ない。皇帝の死=サイバリオン派の敗北である。そうなれば例え自分達が生き残ろうが意味が無い。サイバリオン派はサイバリオンが健在だからこそ、秩序と言う物が与えられるのだ。
よってゴルディウム軍の軍事的目標は、敵軍の進撃を阻む事に限定される。
(しまった。こちらが長々と会議をしている間に、敵に主導権を握られたか。だが、まだ勝機はある筈。敵の総数より、我が軍の総数が遥かに勝る。例え軍を分散しても、数で圧倒できるだろう)
但しそれは、味方が敵を見くびっていなければの話だ。今は亡きチアードも言っていた事だが、戦は兵の数だけでなくその士気も大きく影響する。故にゴルディウムは、他の諸将に強く言い含めた。
「皆、くどい様だが、決して敵を弱兵だと決めつけるな。自軍より少数だと思って、見くびってはならない。生きて栄光を掴みとりたいなら、その事、努々忘れるな」
「無論、承知している。では、早速指示を願えるかな、総司令官殿?」
「………」
こうして一抹の不安を覚えながら――ゴルディウムは指示を飛ばした。
◇
進軍するセイリオ軍と、ソレを迎え撃つゴルディウム軍。予定通りゴルディウム軍も四つに分かれ、セイリオ軍の進路を阻もうとする。これが成功すれば、後は数の差で押し潰すのみ。そうすれば、自然と勝利は見えてくる。ゴルディウムは油断するなと言っていたが、ジフト・リーヴェには絶対的な余裕があった。
「そう。報告通りなら、敵は逃げる事しか知らない弱兵の集まりだ。どうせ今回も少し脅かしただけで、逃げ帰るに決まっている。その逃げた後ろ姿を我等は猛追し、殲滅する。そのあと旋回し、残りの戦場へと赴いて敵兵を覆滅しよう。そうなれば、一番手柄はこの俺という事になる。これはゴルディウムの鼻っ柱を叩き折る、絶好の機会だ」
そう確信して進軍する、ジフト軍。だが、事態は思いの外早く急変した。確かにジフト軍は敵軍を発見した。だが、ソノ発見した敵はジフトの予想を超えていたのだ。
「……なん、だと? 報告とは違うではないか! アレはどう見繕っても――十万は居る!」
敵が四つに分散しているなら、その数は二万五千ほどの筈。対してジフト軍は、四万近く居る。その兵力差を以て敵軍を叩く筈だったのに、この予想外の状況を前にしてジフトの計算は狂った。
だが、現実は変わらない。セイリオ軍十万は浮き足立ったジフト軍四万に総攻撃をかけ、一気に叩き潰す。
エイジア直伝のヨルンバルト戦術が上手く機能し、彼等は敵兵を殲滅していく。
「――だが何故だっ? なぜ四つに分散した筈の敵兵が――一ヵ所に集中しているっ?」
最期にそう言い残して、ジフト・リーヴェは戦場に散った。
その理由を、カクラは事もなく告げる。
「それは、簡単。我々セイリオ軍は一月の間、この訓練をしてきたから」
そう。カクラがした事は、実に単純だ。先ず、軍を四つに分散する。各々長距離を保ち、簡単には合流できないと敵軍に思わせる。そう思わせた所で、彼女は予め決められていた地点に軍を一気に集結させたのだ。
敵に急な集結は不可能だと思わせてからの――急な集結。ソレを成し遂げる為に、カクラはセイリオ軍全員に馬を与えた。その機動力を以て、カクラは敵の意表をついたのだ。
「此方が四つに分散すれば、敵も四つに分散せざるを得ない。そうなった瞬間、味方を集結させ、大部隊にして敵の部隊を叩く。成る程。これは正に、ヨルンバルト戦術の見本のような戦法だ」
嬉々としながらエイジアが、カクラを褒め称える。ソレを苦笑で応えながら、カクラは次の指示を出す。
「敵の中央の部隊はこれで叩きました。後はこの順序に従い、敵軍を各個撃破していくだけ。全軍、敵兵が逃げる方向へと向かってください。そこに――次の敵軍が待っている筈です」
混乱して逃げ惑う、敵兵。彼等は味方に救いを求めて、逃走する。やがてその思惑は叶い、彼等は味方と合流するが、彼等の混乱した姿を見て味方は色めき立つ。その混乱した敵の状態を見逃さず、セイリオ軍は殲滅戦をしかける。
勢いに乗ったセイリオ軍はここでもヨルンバルト戦術を用いて、敵軍を圧倒。数の力を用いて、敵を叩きつぶす。敵の第二部隊も殲滅したセイリオ軍は、そのまま南に向かい、敵の第三部隊へと突撃する。
「――て、敵軍出現! その数――凡そ十万!」
「な、にっ? まさか、そんな事が――っ!」
第三部隊も恐慌している間に、セイリオ軍は圧倒する。ソレはカクラが彼等の慢心を誘い、勝ち戦だと思いこませた結果でもあった。加えて、彼等は自分達が手柄をあげる事に夢中になって、連携を疎かにした。ソレが致命的な弱点となって、彼等を苛む。敵軍は最早、ゴルディウム軍本隊を残すのみとなった。
だがその事を知った時――カクラは進軍を一時中断させる事にしたのだ。
◇
急に進軍を停止するよう進言する、カクラ。ソレを聴き、皇帝セイリオの周囲に居る貴族達は眉をひそめた。
「――なぜ進軍を止める? 今はこの勢いに乗って、敵を残らず殲滅するべきだろう?」
一見、正論とも思える反論である。だが、カクラは首を横に振った。
「いえ、残念ながら、事はそう上手くはいかないでしょう。何故なら最後の敵は帝国最強の騎士――ゴルディウム・シトラ将軍です。彼は他の将軍と違って私達を見くびっていない。我々が姿を見せれば、ゴルディウム将軍は二者択一をする筈です。一方は自軍の不利を知って、イスカダルまで撤退する。もう一方はこの戦場を死に場所と定め、徹底抗戦する。仮に彼が後者を選択すれば、私達も相応の犠牲を生む事になります。敵は死に物狂いで私達に襲い掛かり、或いはセイリオ様の近辺まで敵兵は迫るかもしれません」
「……それは、確かにありうる事だ」
騎士の一人がそう呟くと、貴族の一人がカクラに問う。
「では、我等はどうすれば良い? よもやこのまま手をこまねいているだけ、という訳ではあるまい?」
カクラ・ハヤミテの答えは、明白だった。
「はい。彼等を最小の犠牲で打倒する方法が、一つだけあります。ソレは――一騎打ちを以てゴルディウム将軍を討ち取る事。仮にこれが上手くいけば、敵将を失った敵軍の士気は大いに下がり、容易く打ち破る事が可能な筈。もしこの考えに賛同していただけるなら、ゴルディウム将軍に相対する騎士の選抜をお願いします」
「……な、成る程。その手があったか」
けれど貴族や騎士達は納得しながらも、顔を見合わせるばかりだ。何せ敵は帝国最強の騎士である。噂によれば、チアード伯もゴルディウムに討ち取られたとの事。それ程の猛将を相手に、果たして自分が勝てるか? 仮に勝てれば、これ以上の功績はないだろう。だが、それは死と隣り合わせの栄光である。先の三つの戦いは数と勢いで乗り切ったが、次はそうはいかないと誰もが思い知った。その時――セイリオが言葉を発する。
「では、ここは私が責任を以て、その大任を担う人物を指名しましょう。ここはパイスン子爵にお願いしたいのですが、如何です?」
「パイスン子爵、ですか? ソレは何故?」
騎士の一人が、複雑な心持で皇帝に訊ねる。馬上のセイリオは、こう言い切った。
「失礼ながら、私は他の騎士達の力量を知りません。ですがパイスン子爵が私を救いだす為にオリハルト三騎衆の一人を打破した事は知っています。この功績は、とっても無視できる物ではない。いえ、私としては、これ以上余計な犠牲を生みたくないのです。仮に誰かが犠牲になった後、パイスン子爵がゴルディウム将軍に勝ってもそれは敗北と同じです。ソレを避ける為にも、私としてはぜひパイスン子爵を推したいと考えているですが、如何でしょう?」
セイリオがそこまで言い切ると、騎士達はこう打算した。恐らくだが、マイナムでもゴルディウムを倒すのは無理だろう。しかしマイナムが噂通りの使い手なら、ゴルディウムに相応の痛手は負わせる筈。その後ゴルディウムに一騎打ちを申し込み、彼を倒せば、全ての功績は自分の物になる。ならば、ここは先にマイナムをゴルディウムにぶつけるのも手だろう。そう言った期待を胸に抱き、彼等は皇帝の意見に従う。
「わかりました。オリハルト三騎衆を打ち破ったその手腕、我等もしかと見届けましょう」
話はこうして決まり――最前線に居るマイナムは軍の一番後方で指揮をとるセイリオに呼び出された。
◇
「要は私がゴルディウム将軍に勝つ事が、軍全体の勝利に繋がるという事ですね? わかりました。ならば、それで構いません」
「………」
死に直結した、いや、或いは捨て石とも言える任務をマイナムは事もなく了承する。この蛮勇にも似た決意を前に、騎士達の打算に僅かながらヒビが入る。この潔い彼に比べ、自分達はなんと矮小な事かと、恥じ入り気持ちが芽生えていた。
だが、かといって今更異議は唱えられない。マイナムも皇帝に指名された以上は、後に引けなかった。
「というか、そこら辺は全部君の仕業だろ? 君とセイリオ様は連携して、俺が一騎打ちするよう仕向けた」
マイナムが小声でカクラに訊ねると、彼女は素知らぬ顔で舌を出す。
「正解。私がマイナム様を指名すると騎士や貴族達から不平不満が出そうなので、陛下に御助力願いました。ただ私は他の騎士殿の様に、あなたを捨て石にする意思はありません。あなたなら勝てると思って、選抜させてもらいました。その事だけは事実なので、どうかご安心を」
「帝国最強の騎士と一騎打ちをするというのに、何をどう安心すればいいのかは甚だ疑問だ。だが、前も言ったが、俺はこういう時にしか役に立たないからな。精々、陛下や君の期待に応える事にしよう」
話がそこまで進んだ所で――セイリオ軍の進軍は再開されたのだ。
◇
対して、もう一方の当事者であるゴルディウムは顔を曇らせる。彼の計算では、既に分散した敵の部隊の一つに接触している筈。なのに、ソコに敵の姿はなく平地が広がるばかりだ。
その時、北に進軍したセイリオ軍がゴルディウム軍の目前に姿を現す。ソレを見て、彼は初めて嗤った。
「クククク! ハハハハハハ! そう、か。そういう事か。やはり敵には――良将が居たな。我等はそやつにまんまとハメられ、そやつの掌で踊り狂うだけだった!」
十万は居る敵軍を見て、ゴルディウムは全てを悟る。敵は恐らく軍を四つに分散した後、即座に集結させて、分散したゴルディウム軍を各個撃破していった。いや、更に言えば敵が今まで負け続けてきたのは、自分に援軍を要請させる為だ。敵が弱兵だと知れば、手柄を求めて主立った諸将が集結してくる。しかも手柄を求める彼等は纏まりが無く、連携しようとしない。そんな弱点だらけの自分達を殲滅するのが、賊軍の真の目的である。
今初めてそう察した時、ゴルディウムは己を嗤う事しか出来なかった。
(――では、どうする? イスカダルまで撤退して、体勢を整えるか? だが、本国に帰ろうと兵力差は明白だ。ならば、ここは死兵となって死に物狂いで戦い、何が何でもセイリオの息の根だけは止める。敵の旗頭さえ倒せば、或いは、勝機はあるかもしれん)
元々賊軍は、セイリオの名のもとに集められた烏合の衆である。彼女さえ討ち取れば、求心力を失った賊軍は纏まりが無くなる。ソコを衝けば、勝利する事も夢ではない。ゴルディウムはそう計算するが、その時、一人の騎士が徒歩でこちらに近づいてくる。見知らぬ青年は、こう吼えた。
「――我はセイリオ・ニルバルカ陛下の騎士、マイナム・パイスン子爵! ネルガ・テイゼを討ち取った私を脅威と思わぬなら、ぜひ一騎打ちの相手を願いたい――ゴルディウム・シトラ将軍!」
「――ネルガを討ち取った? あの騎士が――?」
そう。恐らく、敵は今自分が抱いた思惑さえ読み取っている。今のゴルディウム軍を相手にすれば、相応の被害を受けると見抜いたのだ。ソレを避ける手段は指揮官を一騎打ちで打破して、ゴルディウム軍の士気を下げる事のみ。敵はそこまで周到かと、ゴルディウムは笑う。
(だが、私があの騎士を倒せば、味方の士気が上がるのも事実。味方を勢いづかせる為にも、ここは私も引く事ができん)
またも敵の思惑に乗る事になるが、あの騎士を倒せば利になるのも確かだ。ゴルディウムとしては、今はとにかく勢いが欲しかった。故に、彼はマイナムに答える。
「よかろう。ネルガを倒したその実力――しかと拝見しようではないか」
帝国最強の騎士が馬からおりて、腰に下げたロングソードを抜く。
マイナムもそれに続いて抜刀し、彼等は一歩一歩互いの大敵に近づいていく。
やがて彼等は駆け出し、剣を振り上げて――文字通り命を懸けて衝突したのだ。
◇
「マイナム・パイスンと言ったな。あの戦場でネルガを倒したという事は、貴公も何らかの異能者か?」
「さて、どうかな? なにせ私は今、帝国最強の騎士を相手にしていてね。そう言った無駄口につき合う余裕は無い」
だろうなと思いながら、ゴルディウムはその膂力を以てマイナムを押し切ろうとする。と、マイナムは獣の様な俊敏さで後退し、ゴルディウムの間合いから離脱する。そのまま両者は手にしたロングソードを構えた。
マイナムの目の前に立っているのは、異形とも言える騎士だ。獅子を象ったフルフェイスの兜を被った彼は、全身を鎧で被っている。軽装だったネルガとは違い、ゴルディウムは重装備の騎士と言えた。
(パワーは、圧倒的に向こうが上。だが、スピードは俺の方が遥かに上か)
先の鍔迫り合いで、マイナムは互いの戦力をそう分析する。けれど、ソレだけでは無い筈。少なくともゴルディウムという男は、あのネルガに比肩している。ならば、何らかの奥の手があると見るべきだろう。ソレを攻略しない限り、自分には勝ち目がない?
そう自問するマイナムを余所に、ゴルディウムはあろう事か猪突してくる。その並々ならぬ突進力を見て、マイナムはステップを踏む。彼は闘牛士の様にゴルディウムの攻撃を躱すと、そのまま反撃に出た。彼の側面から突きを放ち、ゴルディウムは咄嗟に横に飛ぶ。が、マイナムの一撃は彼の腕に決まり、その鎧を打ち砕く。
(思ったより頑丈な鎧。これはあの鎧を全て破壊するまで、致命傷を与えられそうもない?)
そう読み取ったマイナムは、そのスピードを以てゴルディウムを翻弄する。獲物に襲い掛かる野獣じみた彼の動きを前に、ゴルディウムはただ突撃するほかない。
(つ? 鎧を盾にして此方の攻撃を防ぎ、相打ち覚悟で俺に致命傷を与えるつもりか?)
確かに今のマイナムもネルガと対峙した時と同じで、軽装だ。仮に同時に攻撃が決まれば、ゴルディウムは軽傷で、マイナムは致命傷を受けるだろう。そう察した時、マイナムはゴルディウムの突撃を避けながら攻撃する必要に迫られた。
迫るゴルディウムのロングソード。ソレを鮮やかに躱しながら、ゴルディウムの鎧を破壊していくマイナム。その紙一重とも言える戦いは、やがて一つの転機を迎える。マイナムは遂にゴルディウムの胴の鎧を破壊し、彼を後退させたのだ。ソレを可能としたのは、マイナムに異能があったから。音で物を視る彼は、一々目でゴルディウムの動きを追う必要は無い。首を下げてゴルディウムの剣を避け、その体勢のまま彼の位置を把握する。ゴルディウムの姿を見る事なく、彼の隙を知覚してソコを攻撃する。その繰り返しはやがて実を結び、マイナムはゴルディウムの鎧を全て破壊していた。彼が被っていた獅子の兜も叩き割り、もう一度、ゴルディウムを後退させる。しかし、その時、獅子を連想させる顔をした彼は初めて笑った。
「やるな。さすがはネルガ・テイゼを倒した騎士だ。逆に貴公は失望しているのではないか? 帝国最強の騎士と言われている私が、この様なイノシシ武者で?」
「………」
が、マイナムに答えを返す余裕は無い。彼の直感が告げているのだ。何かが不味いと。圧倒的に押しているのは自分の方だが、このままでは殺されるのは自分の方。マイナムの野生の勘が、彼にそう警鐘を鳴らす。それでもマイナムは、鎧を失ったゴルディウムに斬りかかるしかない。奇怪な現象は――その時、起きた。
スピードで押していたマイナムは――あろう事かそのスピードで圧倒されたのだ。
(――速いっ! これは――何だっ?)
マイナムの攻撃を避けながら、ゴルディウムは事もなく彼の側面を衝く。死角から放たれたその攻撃はマイナムの頭部に迫るが、彼はソレを、音を頼りに回避する。このギリギリの攻防を前にして、マイナムは息を呑んだ。
(スピードが――圧倒的に増した。ソレも全ては鎧を脱いだ為? 鎧の重さが、彼の俊敏さを制限していたというのか――?)
いや、恐らくそれだけではない。マイナムはそう直感して、ゴルディウムから大きく間合いを取る。が、彼はそんな事はお構いなしで突っ込んできた。
ならば、マイナムはカウンターの突きを入れるだけだ。そう計算したマイナムの突きは、けれど事もなく躱される。同時に振り下ろされる、ゴルディウムのロングソード。仮にマイナムが異能を持っていなければ、この時点で死んでいただろう。いや、それを言うなら、先の一撃で疾うにマイナムの頭部は両断されている。ソノ並みの人間なら死んでいるであろう攻撃を、マイナムは何とか躱す。
(これで――パワーもスピードも向こうが上! 全く割に合わない仕事を引き受けたものだな、俺は!)
しかし、彼はある事に気付いていた。
(……が、回避の時より攻撃の時の方が、動きが遅い? 一体何故だ?)
今マイナムに分かるのは、ゴルディウムの攻撃が遅いお蔭で自分は何とか生き延びているという事。この唯一の弱点を衝いて、マイナムはなんとか生存し、ゴルディウムを攻撃する。
が、その度にゴルディウムの動きは加速し、残像さえ残してマイナムに迫る。
(この巨体でこの速度っ? 化物か――この男は!)
薙ぎ払わられるゴルディウムのロングソードと――ソレを受け止めるマイナムのロングソード。結果、マイナムは吹き飛ばされ、地面を転がりまわる。そんな彼をゴルディウムは追撃して、マイナムは即座に体勢を立て直す。
(――強い! 確かにこれは――ネルガ以上の使い手かもしれない!)
ニルバルカ帝国――最強の騎士。その称号に嘘が無い事を、マイナムは知る。だが、彼もまだ戦意を失ってはいなかった。マイナムは作戦を変える。彼は闇雲に攻めるのをやめ、ただ棒立ちになる。そんなマイナムにゴルディウムは容赦なく斬りかかった。
けれど、その時、彼は見た。
(――何っ? この動き、は!)
ソレは先程の自分自身を彷彿させる、回避力だった。
ゴルディウムは刀を縦に振り、横に振り、袈裟切りを放って、マイナムを攻め続ける。しかし、その全てをマイナムは躱し切る。横に体をスライドさせ、体をくの字に折って、五歩下がりゴルディウムの攻撃を全て回避する。その速度は既に常人の域を超えていた。無駄の無い彼の動きは、だから最小の動作だけで敵の攻撃を避け切る。この両者の激闘を見て、セイリオ軍の兵達もゴルディウム軍の兵達も、ただ息を呑む。セイリオ軍の騎士達は、ゴルディウムの討伐に名乗りを上げなかった己の判断にただ感謝した。
「……本当に、人間か、あの二人は? 俺はパイスン子爵の力量も、ゴルディウム将軍の実力も、大いに見くびっていた――っ!」
そんな己を恥じる、騎士達。が、その間にもマイナムとゴルディウムの戦いは続く。マイナムは依然防御に徹し、ゴルディウムは攻撃を続ける。けれどマイナムの動きに驚嘆した為か、一瞬だがゴルディウムの動きに隙が生まれる。この時を待っていたマイナムは、今こそ渾身の力を込めて会心の片手平突きを放つ。だが、彼はその時思い知った。これがゴルディウムの策であった事を。ゴルディウムはやはり事もなくその一撃を躱し、マイナムに剣を振り下ろす。
しかもその一撃は――今までの業と違いスピードが遥かに増している。
(つっ? まさか今までの遅い攻撃はフェイクか! この一撃を生かす為の布石だった!)
先ほどまでのスピードに体が慣れていたマイナムは、だから反応が一瞬遅れる。回避が無理だと悟った彼は、あろう事かそのままゴルディウムに向かって跳躍した。彼は鍔元でその一撃を受け、何とか最小のダメージでその業を凌ぎ切る。そのままゴルディウムに体当たりを食らわせたマイナムは、即座に間合いをとる。
(……今一瞬、死神が、見えた。今のは、本当に、不味かった)
対してゴルディウムは、またも感嘆する。
「今の業は、ネルガでさえ躱せなかった。成る程。どうやら貴公は本当に、あのネルガ以上の使い手らしい。ならば、私は感謝せねばならぬな。この出会いをもたらしてくれた、運命という物に」
「………」
片や、マイナムはそんな悠長な気分にはなれない。先の作戦はマイナムにとって、必殺の為の物だ。それさえ平然と躱すゴルディウムに対し、マイナムは完全に勝機を見失う。彼は一体どうすればこの騎士に勝てるのか、全く分からない。
(……さて、どうする、マイナム・パイスン? こうなったら……相打ち覚悟で斬りかかるしかない?)
そう覚悟を決めようとするマイナム。けれどその時――彼の脳裏にはヘイゲンの顔が過る。こんな時、彼女なら何と言うだろうと考えて、彼は苦笑した。
(だな。ヘイゲンなら、そんな後ろ向きな手はよしとはしまい。彼女は何時だって、俺が前を向く事だけを願っている)
だが、どうすれば良い? どう戦えばゴルディウム・シトラを倒せる? そう苦悩した時、マイナムはある事に気付いた。そうして彼は、ゴルディウムに問うたのだ。
「これはネルガにも訊いた事だが、なぜ貴方ほどの騎士があの皇帝に仕えている? アレは貴方が仕える程の皇ではあるまい?」
「ほう? 攻め方を変えてきたな。ならば、私も問おう。ネルガは――何と答えた?」
マイナムは呼吸を整えながら、返答する。
「明確な答えは、得られなかった。ただ彼はあの皇帝の役に立てれば良かったと、そう言っていた」
「そうか。それはいかにも、彼奴らしい」
けれどゴルディウムはそれ以上答えず、ただ剣を構える。それに呼応してマイナムも剣を構え、両者は改めて対峙する。
この時、ゴルディウムの胸裏にはマイナムの問いが反響していた。あの皇帝に仕える理由。実の所、彼には明確な理由など無い。ただシトレ家は、キースの台頭以前からニルバルカ家に仕える一族だった。言わばシトレ家の一員というだけで、彼は無条件で皇帝を支える立場だったのだ。そこに、善悪の秤は無い。皇帝の命令は絶対で、例えそれがどれほど道徳から外れた行為でもただ実行する。そう言った意味では――彼は騎士を名乗りながら騎士とは言えない立場と言えた。だが、それでも彼は思う。
(確かに、サイバリオン陛下は酷薄な方だ。何を考えているか分からず、恐らくあの方は誰にも心を開いていない。だが、それは逆を言えば、誰よりも孤独な方という事。あの方に味方をする者はみな打算があり、真に忠誠を誓っている者など殆どおるまい)
だから、せめて自分だけでも彼の味方になろうと思ったのだ。例えどれほど残酷で冷酷な皇帝であろうと、だからこそ誰かが味方になる必要があると思った。この忠誠心が何時かあの皇帝の慰めになれば、これ以上の誉は無い。ソレはきっと、ネルガも同じ想いだったのだろう。誰かにそう思わせるナニカが、あの皇帝にはある。これは、ただそれだけの事だった。
「そうだな。皆は私を最強の騎士と褒め称えるが、私としては一介の騎士にすぎないと思っている。そして騎士とは――主君に忠義を尽くす者。少なくとも私はそう考えているよ、パイスン子爵」
それを聴いて、マイナムは眉根を歪める。
「……そうか。悲しいな。俺は、貴方がもっと道を外れた外道であってほしかった。仮にそうだったら、俺は何の躊躇いもなく貴方を叩き斬れたのに」
それで、無駄口は終わった。両者の間合いは凡そ八メートルほど離れている。二人は地を蹴り、その間合いを一気に詰める。その時、マイナムは奇怪な真似をした。彼は地面に剣を突き立てながら、剣を下からすくい上げる。ソレを見て、ゴルディウムは眼を開く。
「つっ?」
「はっ!」
途端――マイナムの剣は初めてゴルディウムの体を掠る。そのままマイナムは同じ攻撃を繰り返し――その度にゴルディウムは軽傷を負っていく。その最中、ゴルディウムは吼えた。
「まさか――私の異能に気付いたとでも言うのか、マイナム・パイスンっ?」
「ああ。貴方の異能は――一度体験した業は完全に回避できるという物。貴方が鎧で完全武装していたのは、その為だ。俺にその鎧を破壊させて、俺の業を引き出させる。その業を体験した貴方は、その業を完全に見切る事が出来る。恐らく自分の意思より速く体が反応して、敵の攻撃を躱すのだろう。だから、貴方には一度使った業は絶対に当らない。例えどれほどフェイントを入れようとも、その全てを回避し切る。けど、だからこそ貴方は、さっきの俺の体当たりを躱せなかった。アレは俺が初めて使った、咄嗟の一撃だったから」
「くっ!」
「そして貴方は何を以て、その反射運動を為しているのか? それは恐らく、聴覚と視覚だ。貴方はその二つを使って、敵の動きを見切っている」
故にマイナムは地面に剣を走らせ、雑音を発し、ゴルディウムの認識能力に狂いを生じさせている。地面を擦る剣の音がゴルディウムに不調をもたらし、彼はマイナムの攻撃を躱し切れない。そう悟った時、ゴルディウムは喜悦する。
「俺がネルガより上位の騎士である事が、その事を悟らせたかっ? あの暗闇でもネルガと互角以上に戦えるとしたら、聴覚もまた俺の判断基準になっている! この短期間にそこまで見切れる貴公だからこそ、あのネルガ・テイゼにも勝てたと――?」
「そう言う事だ――ゴルディウム・シトラ将軍!」
「マイナム・パイスン子爵……!」
ついで――両者は最後の業を繰り出す。ゴルディウムは渾身の突きを放ち、マイナムは地面をけり上げて土をゴルディウムに浴びせる。
彼の視界を封じ、剣で地面を擦って雑音を起こした後、剣を突き出す。両者共に巻き上がった土が原因で敵の姿を見失うが、マイナムは音でゴルディウムの動きを捉える。逆にゴルディウムは二つの認識基準を失い、絶対とも言える回避能力を発揮できない。
そのままゴルディウムの剣はマイナムの頬を掠め――マイナムの剣はゴルディウムの体を貫いていた。
◇
「ぐっ……つっ!」
「………」
マイナムの手には、確かにナニカを貫いた感触がある。だが、表情に苦悶の色を見せたのはマイナムの方だった。彼は心底から、先ほどと同じ意味の言葉を繰り返す。
「……本当に残念だ。俺はネルガに続いて、真に騎士と呼べる忠節の士を斬る事になった。貴方はやはり……あの皇帝に仕えるべきではなかった」
が、ゴルディウムは、微笑みながら遺言を告げる。
「……違うな。あの陛下だからこそ……私達の様な人間が必要だったのだ。誰も信用せず、誰にも信用されないあの方だからこそ、誰かが忠誠を尽くす必要があった。でなければ、本当にあの方は、ただの哀れな人になってしまうではないか――」
「………」
「故に……後悔は無い。今はただ貴公と言う好敵手の手にかかり、この人生を終える事を、誇りに思おう。だからきこうは、むねを、はれ、まいなむ・ぱいすん。こうけつなる、わが、しにがみよ……」
それが、最期。ゴルディウム・シトラは、帝国最強の騎士は、そのまま地面に倒れ伏す。その姿を、やはり眉根を歪めながらマイナムは見届けた。
彼はやり切れない想いと共に――自身の任務を達成したのだ。
◇
それもその筈か。その後に待っていたのは、ただの殲滅戦だったのだから。ゴルディウムという精神的主柱を失ったゴルディウム軍は、一気に総崩れになる。その瞬間を見逃さず、カクラは突撃を進言し、セイリオはソレを実行する。既に潰走を始めていたゴルディウム軍をセイリオ軍は飲み込み、蹂躙して、叩き潰す。この無情とも言える光景を見て、マイナムは改めて戦の残酷さを知った。そこに自身の役目を果たした、カクラがやってくる。
「終わりました。帝国の主だった将軍達は、これで全滅した。後はこのままイスカダルを攻めれば、セイリオ軍は勝利する事でしょう。よって――私達の役目はここまでです」
「……俺達の役目は、ここまで? まさか君は、セイリオ軍から身を引く気か?」
と、カクラは首を横に振る。
「いえ、今言った通り私だけではなく、軍から身を引くのはあなたも同じです、マイナム様。何故なら私達は余りに活躍しすぎたから。このまま私達がセイリオ軍に身を置けば、私達が全ての武功を独占する事になる。そうなれば、他の貴族達は面目をつぶされた事になります。そうはさせまいと、今度はセイリオ軍の貴族達が自己主張を始め、軍としての纏まりを無くすでしょう。そう言った混乱を避ける為にも、私達は一線を退くしかない。私が言っているのは、そういう事です」
「……成る程」
カクラがそこまで語ると、マイナムは納得する。確かにエイジアは、ヨルンバルト戦術を以て勝利に貢献した。マイナムは一騎打ちによって、ゴルディウムを屠るという大功をあげた。カクラは全軍の指揮を執り、この勝利の立役者になっている。カクラが言う通り、マイナム一党は余りに活躍しすぎたのだ。その事を面白くないと思っている貴族達が、大部分だろう。その思いがセイリオ軍に内部分裂を起こす原因になるなら、確かに自分達は身を引くしかない。
「そうか。俺達の戦いは――終わったのか」
「はい。本当にお疲れ様でした、マイナム様。私達の戦いは――これで終わりです」
彼方を見ながらマイナムは脱力し、彼方を見ながらカクラは淡く微笑む。
事実、カクラ達はセイリオに暇をもらい――ウルヴァルに向かったのだ。
スオン戦記・中編・了
ここまで読んでいただき、誠にありがとうございます。
本編は百三十ページで一つの帝国を倒す、という事を目標にして書かれた作品です。
そのため文字数も多く、キャラも喋りまくり、イベントも多く起ります。
余りに目まぐるしい物語ですが、後篇もどうぞご期待ください。
尚、後篇は六月七日に公開される予定です。