スオン戦記・前編
本作は、ピース・ウォーズ・ゼロの前の時代の物語です。
凡そ百数十年前、ロウランダ大陸で何が起きたのか、どうぞご覧ください。
尚、例の白い人もしつこく出ています。
後、本編は文字数が多いので、前編、中編、後篇の三部構成にさせていただきました。
あらすじ。
それは――中世期の頃の話。
ニルバルカ帝国の打倒を誓うマイナム・パイスンはある少女の仲介で、ある軍師と出会う。十三歳から戦場にその身を置いた彼女は、十六歳の間まで無敗だったと言う。そんな彼女の手を借り、ニルバルカの打倒を果たそうとするマイナム。
だが、それは凡そ不可能ともいえる挑戦だった。
宗主国であるニルバルカを攻める国に対しては、全ての属国が一致団結してその国を滅ぼすシステムがある為だ。
つまりニルバルカを滅ぼす為に、他国は頼れないという事。その問題を解決する為に、その軍師――カクラ・ハヤミテは最低最悪とも言える手段を用いる。
これは勝利する事にとりつかれた少女と、情を重んじる子爵の物語。
かくして長かった序章は終わりを告げ、今スオン戦記が幕を開ける―――。
序章
それは新たなる時代を求め、今の世界を壊そうとしている青年と少女の物語。
例えその果てに新たな乱世がまちかまえていようとも、彼の決断は変わらない。
彼にとって唯一の誤算は、少女の為人を読み間違えた事。
勝利という二文字に憑りつかれた少女は、だから今日もその為に全てを切り捨てる。
悪を善に変え、善を悪に変える少女は、勝利こそが全てだと彼に説いた。
その先に何がまちかまえているのかは、まだ誰も知らない―――。
1
時は中世期。彼が選んだその日は、特に陽気が良かった。
彼ことマイナム・パイスンは一人の従者を連れて、森の中を横断する。マイナムには明確な目的があったが、未だにその目的は達せられずにいる。内心その事を歯がゆく感じながらも、彼はとにかく前進した。
「というか、若、私たち既に二時間は森の中をうろうろしている気がするんですが。これってもしかして私のせいでしょうか?」
「……どうだろうな、ヘイゲン。俺としては、道に迷ったとは思いたくないが、どうも現実は違うらしい。どうやら完全に迷子のようだぞ、俺達は」
生来より、方向音痴であるマイナムがぼやく。その短所を補う為にヘイゲン・イットにも同行してもらったのだが、その結果がコレだ。ヘイゲンもまたその森で目的地を見失い、主であるマイナムを途方に暮れさせている。
お蔭でマイナムは嘆息し、ヘイゲンは苦笑いを浮かべた。
その状況に一寸した変化が訪れたのは、間もなくの事。
驚くべき事に、この人気がない森の中で人と出くわしたのだ。
ソレは大きな丸い帽子を被った、漢服に似た服を着た誰かだ。漢服など滅多に見ないマイナムは、その物珍しさに思わず目を見張る。顔はよく見えないが体つきから女性だと読み取ったマイナムは、迷わず彼女に声をかけた。
「失礼。少々お尋ねしたいのですが、この辺りに民家は無いでしょうか? 噂ではこの森に、カクラ・ハヤミテという女性が住んでいるという事なのですが」
女性の返答は、こうだ。
「カクラ・ハヤミテ? お武家様は、あの無法者を訪ねていらしたのですか? なら、悪い事は言いません。今すぐ引き返す事です。あの様な者と関わっても、ロクな事が無い」
「………」
マイナムとしては、或いはこの女性がカクラその人だと期待していたのだが、どうやら違うらしい。カクラを悪し様に言う彼女は、だからカクラとは別人の様だ。
そう納得する彼に対し、彼女は続けた。
「ですが、どうしてもあの者を訪ねたいとおっしゃるなら、この道を真っ直ぐ進む事です。やがて、民家が見えてくる筈ですから」
「……成る程。助かりました。では、これにて」
女性に対し一礼して、マイナムは彼女とすれ違う。ヘイゲンもソレに続き、二人は歩を再開する。ヘイゲンはマイナムの横に歩み寄り、彼に問うた。
「あの者、カクラ・ハヤミテの事を知っているかの様な物言いでしたが、何者でしょう? ハヤミテの知人か何かでしょうか?」
「さてな。どちらにせよ、ハヤミテがこの森に住んでいる事はこれで確定した。それだけでも大いなる収穫だと思うが、気になるのはあの女性の評価だ。どうやらハヤミテは、噂どおり人格者とは言えないらしい」
それでも今は、カクラ・ハヤミテを頼らざるを得ない。マイナムは改めてそう強く思いながら、歩を進める。
途端――マイナムは歯を食いしばりながら口角を上げ、ヘイゲンは呆気にとられる。なぜならヘイゲンが次の一歩を踏みしめた瞬間――地面が陥没したから。
その落とし穴に落下したヘイゲンは、何が何やら分からない。彼女は五メートル先の穴の底で尻餅をつき、もう一度唖然とする。彼女の意識が現実に帰ったのは、五秒程も経った頃だ。
その時、背後から感嘆の声が上がった。
「へえ? これは驚いたわ。まさかこの罠を回避するなんて」
「………」
地面が陥没する僅かな間に地を蹴り、木の枝に手を伸ばしたマイナムを見て彼女が笑う。ソレは正しく先ほどの女性で、マイナムは思わず顔をしかめた。
「……成る程。確かにあなたの言う通りだ。どうやらカクラ・ハヤミテは、ロクデナシの無法者らしい。これはそういう事なのでしょう――カクラ・ハヤミテ殿?」
マイナムが枝から手を離し、地面に着地する。
ソレを見て、身長百六十センチ程の女性は帽子を取りながらまたも微笑んだ。
「当たり。だから――私には関わるなと忠告したでしょう、お武家様?」
「………」
その悪びれもしない彼女の態度を前にして――マイナム・パイスンは言葉を失った。
◇
この時マイナムは初めて女性の、いや、カクラ・ハヤミテの顔を見た。
穏やかな眼差しをした、ポニーテルの少女は、とにかく黄色尽くめだ。
黄色の髪に、黄色の瞳に、黄色の服。黄色で統一された彼女は、思いの外若い。いや、噂通りカクラが十代の美少女である事を確認して、マイナムはカクラの意図を問う。
「で、これは一体どういった趣向でしょう、ハヤミテ殿? あなたは客人を、罠を以て出迎える趣味がある?」
「と、説明しなくても分かりそうな事を一々訊いてくるのね、お武家様は。一言で言えば、私はどうも逆恨みされるタチみたいなの。この罠は、その悪意の持ち主に対する防衛意識の表れと言って良い。お武家様も、実は私に何らかの害意をお持ちなのでは?」
「………」
だとしたら彼女はどうするつもりだろうと首を傾げながら、マイナムはその誤解を解く。
「いえ、まさか。私達は逆に――あなたを雇いにきたのです。重要な仕事の依頼があって、あなたのもとへとやってきました。その証明になるかはわかりませんが、この通り武装は解除いたします」
マイナムが腰に下げていたロングソードを、カクラに向けて放り投げる。ソレを受け止めたカクラは、思わずたたらを踏んだ。
「へえ? これは、これは。やはりお武家様は、私が見込んだ通りの人みたい。いいわ。きっとお武家様のお話は、酒の肴程度にはなるでしょう。お話だけでも伺います」
殊の外アッサリと、カクラはマイナムの要求に応じる。彼女は歩を進め、マイナムもソレに続こうとしたが、彼は重要な事を思い出した。
「いえ、その前に私の従者を救助していただきたい。アレでも彼女は、私にとっては数少ない理解者なのです」
今も落とし穴の底から、ヘイゲンの助けを呼ぶ声が響く。が、カクラは笑顔で言い切った。
「いえ、それは無理ね。まだお武家様に対する嫌疑は晴れた訳ではないから。その彼女も連れていくと、或いは、私の敵は二人に増えてしまう。彼女が解放されるのは――私がお武家様を客人だと認めた時だけよ」
「………」
この時、マイナムは一人納得する。この少女は、人と言う物を全く信用していない。過剰とも言える防衛意識の持ち主で、常に警戒を怠らない。実際、カクラはマイナムから三メートルほど距離をとり、彼の間合いに入ろうとはしなかった。
「わかりました。では、その線でいきましょう」
「……え、わかっちゃったの、若っ? 私はお二人の話が終わるまで、このままっ?」
齢十八の女性が、唖然とした声を上げる。そんなヘイゲンに一度だけ視線を向けた後、マイナムはカクラを促す。
「では、早速酒をご馳走になる事にしましょう。私の話が、少しでもハヤミテ殿の興味を惹けばいいのですが」
それだけ告げ、二人はヘイゲンを置き去りにして――ハヤミテ邸へと向かった。
◇
というかハヤミテ邸への道のりは、正に獣道を行くが如くだった。二人は大通りを迂回し、草むらを掻き分けて漸く一軒家に辿り着く。マイナムは、それがこの一帯に張り巡らされた罠を回避する為の唯一の手段だと読み取る。どこまで防衛意識が高いんだと内心辟易しながら、彼はカクラの背中を凝視した。
そのカクラと言えば、迷う事なくやっと帰ってきた自分の家の門を潜る。すると其処には和装らしき服を着た、十歳位の少年が居た。髪は灰色で、肌の色は白く、どこか浮世離れした感じの少年だった。
「おや、もうお帰りですか、カクラ。今日も自分で作った罠にはまって、死ぬ事はなかった訳ですね。実に残念です」
「………」
冷淡にそれだけ告げ、少年はカクラから視線を切る。
その後ろ姿にカクラは迷わず抱きつき、躊躇なく頬ずりした。
「って、やっぱりいつ見ても可愛いわね、このロリガキは! 本当にこのまま、成長が止まれば良いのに!」
「………」
ソレを見て、マイナムはドン引きした。何だこの少女はと、彼は初めて不信感を抱く。
「……って、客人が居るのに何をしているんでしょうね、この人格破綻者は? 少しは毅然と振る舞ったらどうです、カクラ?」
「いや、いや、いや。何時も言っているでしょう? 女子は皆――ショタコンだって。私もその例に倣っているだけだから、コレは実に自然な反応なの!」
「その持論は、聞き飽きました。と、失礼いたしました、お客人。私は、コルファ・トリア。この家の、管理人の様なものです」
「……はぁ。これはご丁寧に」
年齢に似合わず、礼儀正しく一礼する少年に、マイナムは些か間が抜けた返事をする。それから彼は、自分がまだ名乗ってさえいない事に気付く。
「私は――マイナム・パイスン。今日は故あってハヤミテ殿を訪ねました」
「成る程。正直、驚きです。まさか、この家に辿り着く事ができる方がいるとは。きっとカクラは、その辺りを気に入ったのでしょうね」
「かもしれないわ。と言う訳でお酒の用意を頼むわね、コルファ。私にとってはどうでもいい話かもしれないけど、このお武家様にとっては重要な話かもしれないから」
それだけ告げて、カクラは速やかに移動を開始する。マイナムも無言でソレに続き、二人は客間らしき場所まで行く。
カクラはマイナムに予め敷かれていた座布団を勧め、自分も座布団に座る。コルファがお酒を持ってきた所で、カクラは笑顔で肩をすくめた。
「で、私に御用とは? というより――お武家様は本当に私が何者かご存知?」
「………」
コルファが退室してから、カクラは訊ねる。知っているかいないかで言えばもちろん前者だが、マイナムは敢えて淡々と説明する。
「カクラ・ハヤミテ。戦争請負人を生業にした、ある種の傭兵。ただ前線に立つ事は無く、主に頭脳労働を担当している。端的に言えば――軍師というのがあなたの立ち位置なのでしょう? いえ、噂では聴いていましたが、本当にこれほど若いとは正直思いませんでした」
話によればカクラが表舞台に立っていたのは、十三歳から十六歳までの三年間だけだ。彼女はその間、各国の貴族同士の諍いを商売のタネにしていた。貴族の小競り合いに参加し、味方をした貴族に知恵を授けて、軍師としての役目を全うしたのだ。
それ故、彼女は戦争請負人と呼ばれるのだが、マイナムが注目したのは別の所にあった。
「そう。齢十三で初陣を飾ったあなたは――その若年にも関わらずその戦で勝利した。いえ、ソレ以後もあなたは勝利に勝利を重ね――未だ敗北と言う物を知らない。仮にこの噂が事実なら――あなたは無敗の軍師という事になります」
「……無敗、ね」
その時、はじめてカクラは笑みを消す。彼女は杯を満たす酒を啜ってから、話を続けた。
「確かに私は、戦で負けた事が無いかもしれない。でも、引き分けた事なら一度だけあるわ。ソレを考慮するなら、真に無敗とは言えないかも」
そこで、マイナムは改めて視線に力を込める。
「それも、存じています。そこで提案なのですが、あなたはその雪辱戦をしたいとは思いませんか?」
「………」
彼がそう告げた事で、カクラは大体の事を察した。
いや、彼女はこのとき改めて、マイナム・パイスンという人物を観察する。
身長は一メートル八十センチ程で、年齢は二十から二十三歳位だろうか? すこし癖のある黒い髪をした彼の瞳は、鋭い。礼儀こそ弁えているが、黒毛の肉食獣めいた迫力が彼にはあった。片マントで右半身を被っている彼は、確かにカクラが言う通りお武家様と言った雰囲気である。ただその彼の提案は、余りにも大胆すぎた。
「私が唯一引き分けたあの戦の雪辱戦をしたいか、ですって? 失礼ながらパイスン殿はアレがどんな戦だったか、わかっていて? アレはこのロウランダ大陸の宗主国であるニルバルカ帝国に、属国であるカシャンが攻め込まれた戦なのよ? つまりその雪辱戦をするという事は――再びニルバルカ帝国に反旗を翻す事を意味している。今日までニルバルカ帝国の目から逃れてきたお尋ね者の私に、また反逆者になれと言うの?」
彼の答えは、実に熱を帯びていた。
「そう言う事です。私の目的はニルバルカ帝国の打倒であり、ソレを成せるのはあなただけだと思っている。いえ、今の没落した私にはソレしか手がないのです」
「没落? つまり、お武家様は没落貴族? その没落貴族が、私を雇ってニルバルカ帝国の打倒を目論んでいると? これは驚いたわ。没落したパイスン殿が、ニルバルカ帝国の打倒という大仕事を私に依頼すると言うのだから。果たしてパイスン殿には、それだけの大仕事を成し遂げるだけの資金があるのかしら?」
彼の答えは、実に明快だ。
「いえ、恐らくは無いでしょう。私が支払えるのはきっと最初の仕事を熟した時の礼金のみ。ですが、仮にあなたが戦に勝ち続ければどうなるでしょう? 勝利に沸き立ち、人が集まれば当然金も動く。人と同じ様に金も集まり、その額は勝利する度に増していくでしょう。仮に帝国を打倒したなら、あなたの資産は大きな街の全財産を遥かに超える筈。そこに私の儲け分を加えれば、あなたの依頼料を満たす事ができるのでは?」
「………」
と、カクラは一度間をおいてから、失笑する。
「要するに、全ては私次第だと言いたい? 私は自分の力で、帝国打倒後の礼金を集めなければいけないという訳? ……それが本気だとしたら、なかなか面白いお武家様だわ」
「かもしれません。私に出来る事があるとすれば、あなたが再び歴史の表舞台に立つ切っ掛けを与える事だけ。そんなあなたを全面的に支援する事だけが、私が唯一するべき事だと心得ています」
それは余りに勝手な物言いだったが、それでもカクラは微笑む。
微笑みながら、彼女はこう断言した。
「ただの生真面目なお武家様だと思っていたけど、なかなかどうして、愉快な人ね。他の人はどうか知らないけど、私に対してその口説き文句は有効だと認めざるを得ない。だってそれって――全ての責任はあなたが負うから私は好き勝手して構わないって事でしょう?」
「ですね。雇主でありながら礼金も払えない私が出来る事と言えば、責任をとる事くらい。あなたがどう振る舞おうが、私に文句を言える筋合いは無い」
が、勝手ながらもマイナムには潔いまでの覚悟がある。彼の帝国に対する敵対心は本物で、或いは命や名誉さえも投げ出す気だ。
少なくともカクラはそう直感してから感心し、それから彼女は速やかに返答した。
「いいわ、面白い。でも――答えはノーね。私はあなたに――手を貸す気は一切ありません」
「………」
本当に楽しそうに、彼女は微笑する。にもかかわらず、カクラの返答はマイナムが期待した物とは違っていた。その拒絶の言葉を前にして、彼はそれでも冷静に対応する。
「差し支えがなければ、理由をお聞かせ願えませんか?」
「ええ。差し支えがあるので、理由は話せません」
「………」
にべもない返答。この即答は、さすがにマイナムを黙然とさせる。だが、彼としてはここで引き下がる訳にはいかない。マイナムは攻め方を変えてみる。
「わかりました。では、今日のところはお暇します。明日もお伺いすると思いますが、その時はよしなに」
一礼して彼は座布団から立ち上がる。これは本当に明日も訪ねてくるなと感じたカクラは、彼に対して抱いた最大の疑問を口にした。
「ところで、パイスン殿はどうやって私の所在を知ったのかしら? 帝国の人間でも発見できない私を、なぜ見つける事が出来た?」
意地が悪い人間なら〝差し支えがあるので答えられません〟と言っただろう。しかしマイナムにはそう言った感性は無く、彼は正直に打ち明ける。
「そうですね。あなたの潜伏生活は完璧でした。近くの村にも一切顔を出さず、恐らくあなたはこの森から一歩も外に出ていない。どうやって自給自足をしているのかは不明ですが、あなたにはソレを為せるだけの何かがあるのでしょう。ですが、どうやら運は我に味方したようです。偶然あなたの居場所を知る人物に出会い、その人にあなたの事を教えてもらいました」
「私の事を知っていて、居場所まで知っている? へえ? ……それってやっぱり」
初めてカクラと言う少女が、顔をしかめる。
ソノ味のある表情を見て、マイナムは反射的に答えていた。
「はい。全身白尽くめの少女で――彼女は自分を『勇者』だと名乗っていた」
「………」
よってカクラ・ハヤミテは――頭痛を堪える様に左手を頭にやった。
◇
そう。全ての発端は十日前の事。
マイナムが今後の事について考えを巡らせながら道を歩いていると、唐突に話しかけられたのだ。彼の脇を横切ったその人物は足を止め、自分に背を向けるマイナムを呼びとめる。
「んん? そこの君、何やら浮かない顔をしているね? 便秘三日目に突入みたいな表情だけど、何か気がかりな事でもあるのかな?」
「………」
便秘三日目に突入って、一体どんな顔だ? 素直にそう思ったマイナムだが、彼は後ろを向いた瞬間息を呑んだ。そこに居たのは、神秘的とさえ言える少女だったから。
短い髪は白く、服もまた白い。
ノースリーブのワンピースを着た少女は、伝説に聞く聖女に似ていた。
周囲の景色と比べ明らかに浮いているその少女は、笑みを絶やさない。彼女は彼の傍まで歩み寄ると、こう提案した。
「ちょっとお腹がすいちゃったなー。なので、ここは取引といこうか。君が然るべき対応をしてくれるなら、私も君の悩みを一つ失くしてあげる。そう言うのはどう?」
「………」
これは噂に聞く、逆ナンという奴だろうか? そう思わなくも無かったマイナムだが、彼は彼女の提案に応じた。マイナムは純白の少女を連れて、近くにあった飲食店に入る。ただの直感で、ほぼ妄想とも言える予感だが、彼はこれがある種の啓示に思えたのだ。
或いは、この少女なら自分の悩みを本当に解決してくれる。本当に夢見がちな話だが、今の彼にはソレが事実に思えた。それ程までに、ソノ純白の少女は鮮烈だったから。
「へえ? 君、ニルバルカ帝国を打倒したいんだ? 何か帝国に恨みでもあるの? いや、いや、そこまで訊くのは野暮って物だね。じゃあ約束通り、このステーキのお礼に良い事を教えてあげるよ。ここから西に十日ほど行った所に、大きな森がある。そこにカクラ・ハヤミテって言う人格破綻者が住んでいるから、彼女に相談するといい。事と次第によっては、彼女が君の力になってくれる筈だから」
「………」
カクラ・ハヤミテ。その名はマイナムも知っていた。噂によると彼女は一年前に起きた〝カシャンの動乱〟に加担した人物と言う話だ。いや、それどころか彼女が居なければカシャンは帝国軍と互角に戦う事は出来ず、滅ぼされていたとか。事実かどうかは分からないが巷にはそういう噂が流れていて、マイナムの興味を惹いていた。
ニルバルカ帝国と――互角に戦える人物。
ソレこそが――マイナムが求めていた人材その物だから。
「ああ、但し彼女は本当に人格破綻者だから注意した方が良いよ。人としての常識が欠落していて、その欠落を大いなる非常識が埋めている。彼女は本物のもろ刃の剣で、場合によっては扱う方が傷つきかねない。ああ言うのを、人は本物の危険人物って言うんだろうね」
クスクスと上品に笑いながら、純白の少女はカクラをそう評する。マイナムとしては何でそんな事まで知っているのか知りたい所だが、それもまた野暮という物だろう。
彼はこの出会いを一つの運命と捉え、多くは訊ねなかった。彼は生真面目だが、そういったロマンチストでもあったのだ。
その辺りがヘイゲンにある種の不安を抱かせるのだが、それはまた別の話。マイナムの説明を聴いて、カクラ・ハヤミテはまず床に拳を叩きつける。
「というか――おまえが言うな! あんたの方がよっぽど深刻な人格破綻者でしょうが――!」
「ん? その反応からして、やはりあの『勇者』殿はハヤミテ殿のお知り合いですか?」
「………」
カクラは鼻から勢いよく二酸化炭素を拭き出した後、拗ねたように視線を逸らす。
「オホホホ。いえ、まさか。あの様な下賎の者と、私が関係あるはず無いでしょう。やつは断じて――私の師などではありません」
「……え? 『勇者』殿はハヤミテ殿の師なのですか? どう見ても、同い年位に見えたのですが?」
「………」
けれど、カクラはそれ以上何も言わない。いや、彼女は露骨に話を逸らす。
「コルファ、お客様がお帰りよ。いえ、どうやらお武家様は、明日もいらっしゃるみたい。三顧の礼を尽くせば私を口説き落とせると思っている様だけど、果たしてどうかしらね? 人格破綻者の私が、そんな事で感謝すると本気で思っているのかしら?」
「………」
どうやら此方の手の内は、全て見抜かれているらしい。それでもマイナムとしては、誠意を以て彼女に接し、なんとか拝み倒すしかない。そう決意を新たにして、彼は今度こそハヤミテ邸を後にしようとする。
だがそこで――彼にとって最大の失点が生じた。
ほぼ同時に、マイナムとカクラの表情が変わる。
二人は迅速に障子まで移動すると、僅かに障子を開いて外の様子を窺う。見れば其処には二十人に及ぶ男女の群れが居た。どう見てもソレは善意の来訪者ではなく、押し売りの類でもない。マイナムとカクラは、やはり同時に呟く。
「まさか――やつ等の狙いは俺か?」
「まさか――彼等の狙いは私?」
いや、断言してしまうとこの二人は全く気が合わない。性格的にも、真逆と言って良いだろう。だが、そんな彼女達も危機的状態に陥った時は、ある種の連帯感が生じるのだ。ソレは、他人に命を狙われていると自覚している人間同士だからこそ生じる連帯感と言えた。
「いえ、いえ、違う、違う。こんな事は直ぐに分かる事でしょうが、カクラ。……全くあの女は、どこまで性根が腐っているのよ?」
「は、い? ソレは一体どういう事?」
マイナムが訊ねると、カクラは嘆息しながら言い切る。
「あなたが訪ねてきたタイミングでこのトラブルが起きたという事は、あの女がなんかしたという事よ。大方、彼等は賞金稼ぎで、その彼等に賞金首である私の居場所をあの女は教えた。そんな所でしょう」
「はっ? 一体何の為にそんな嫌がらせをっ?」
「……多分そうでもしないと、私がやる気にならないと判断したからでしょうね。とにかく、この隠れ家はもう駄目だわ。早々に、新たな転居先を考えないと」
思わず頭を抱えるカクラ。ソレを見てマイナムにはある種の邪心が芽生える。彼は咄嗟に、彼女にこう提案した。
「ですが、今となってはここから逃げ出す事さえ困難でしょう。なので、彼等は私が受け持ちます。あなたとトリア殿を無事逃がせたなら、私の依頼について再考して頂きたい」
「へえ? そうきた、か。それ以前に、こうなったのはあなたがあの女の口車に乗った所為だって分かっている? 本当にいい迷惑だわ」
「いえ、私も彼女が、ここまでするとは思ってもいませんでした。私に対しては義理堅い話ですが、確かにあなたにとってはただの迷惑でしょうね」
ステーキを奢っただけでここまで面倒を見てくれたあの純白の少女は、確かに義理堅い。だがソレは同時に、カクラに途轍もない負担を生じさせている。
しかし一方を儲けさせるには、一方に損を与えなければならない。言ってみればコレはそれだけの話である。ならば、マイナムはこの状況を生かすまで。彼はもう一度、彼女に問うた。
「で、どうします? 或いは、あなた一人なら無事逃げ切れるでしょう。ですが、トリア殿が一緒では上手く動きがとれないのでは?」
が、カクラの反論は即答に近い。
「どうかしら? ぶっちゃけ私達は彼等に投降するだけで、事足りるのよね。だってそうなれば、あなたは無条件で私達を助けなければならないんだし。私の力を借りたいというのは、そういう事でしょう? あなたは私が帝国を打倒するまで、私を守る必要がある。つまり、私にはあなたの取引に応じる理由は無い」
「………」
雄弁に語るカクラとは逆に、マイナムは黙然とする。けど、次の瞬間カクラは、彼から預かっていたあのロングソードをマイナムに放り投げた。
「でも、そうね。ここはあなたのお手並みを、拝見しようじゃない。もしあなたが彼等をどうにかできたなら――あなたの依頼について考えなくもない」
「それは――本当に?」
ロングソードを右手で受け止めながら、マイナムは目を細める。ただでさえ鋭い彼の瞳は、このとき確かに野獣めいて見えた。
「ええ。私は大嘘つきだけど、今回は本当。但しソレが駄目だった場合は、私の事はスッパリと諦めてもらうわ。どう? 悪くない条件でしょう?」
「………」
確かに今のマイナムには、それ以上の条件は無いだろう。彼はこの場を切り抜け、文字通りカクラ・ハヤミテを勝ち取るしかないのだ。
話は――それで決まった。
マイナムは速やかに障子をあけ、堂々と賊達に身を晒し、自分に注意を引きつける。その上でマイナムは賊達に訊ねた。
「一体この屋敷に何用か? 用があるなら私が承るが?」
その様を見て、彼等は無表情でマイナムを観察する。一斉に剣を抜いて、彼等はマイナムを取り囲んだ。
「成る程。カクラ・ハヤミテを守るナイト殿のご登場と言う訳か。だが、悪いねえ。俺らも生活が懸っていてさ。かのお尋ね者は、何としても連行しなくちゃなんねえ。その辺り、おまえさんにも了解願いたいのだがどうだろう?」
髭を生やした垂れ目の男が、軽い口調で通告してくる。その様は飄々としていて、とても賞金稼ぎの頭領には見えない。残虐さより狡猾さを色濃く感じさせる、謀士の様だ。
そう読み取った時――マイナムは彼等が並みの使い手では無いと直感した。
(できるな。かなりの使い手の集団。この連携を感じさせる動きから見て、ただの賞金稼ぎでは無い。正規の訓練を積んだ――戦闘集団?)
その見立ては、正しい。彼等は烏合の衆では無く、指揮官の指示によってその動きを千変させる戦闘のプロだ。その頭領が、もう一度マイナムに忠告する。
「そうだねぇ。ぶっちゃけてしまえば、邪魔をするならおまえさんは斬らなきゃなんねえ。だがおまえさんがハヤミテを我々に差し出すというなら、見逃してやってもいい」
マイナムの答えは、決まっている。
「これは思わぬ心遣いだ。なら、私も返礼しよう。君達がこのまま黙って去るなら、私も君達を見逃してもいい」
「ほう? つまり交渉は決裂という訳だ。なら、しかたないねえ。我等はヨルンバルト戦術を以て――邪魔者を排除しよう」
「……ヨルンバルト戦術? まさか――あなたはエイジア・ヨルンバルトか? 多数対少数を基礎戦術とする集団戦法の名士?」
「正解だよ。そして大抵の人間は――この名を聴いただけで戦意を無くす」
途端、エイジア・ヨルンバルトは手を上げてから下ろし――部下達に徹底抗戦を命じた。
◇
――ヨルンバルト戦術。ソレは、勝利する事に特化した戦術と言える。
何せ彼等は数的に不利な場合でも、多数対少数に持ち込んで戦いを挑む。必ず三人以上が一人の敵にあたり、その物量を以て確実にその一人を葬る。ソレを繰り返す事により敵の人数を確実に削って、最後は勝利を収めるというのが基本理念だ。
問題は敵の人数が味方より多数であった場合だが、その時は戦術によって敵を分散させる。各個撃破できる体勢を整えてから、彼等は多数対少数に持ち込むのだ。
(が、今回はそういった策を練る必要はないねえ。敵は一人で、我等は二十一名に及ぶ。あの男がどれ程の使い手かは知らないが、この多数を以て確実に息の根を止めさせてもらうよ)
いや、コレは本当に勝負にならない。何せマイナムを取り囲む賊達は、彼の前後左右に展開している。その彼等が一斉に攻撃してくるならマイナムは彼等の攻撃を回避できないだろう。側面や背後から同時に攻撃されれば、ソレを回避する手段は無い。
ソレは陣形を組む軍隊でも同じ事。軍の急所とは、正面の敵と対峙した状態で、側面や背後を衝かれる事なのだから。多人数に及ぶ軍でさえ、側面や背後を攻撃されれば脆く崩れ去る。
ならば、一個人にすぎないマイナムが彼等の同時攻撃を避けられる筈がない。事実、攻撃が始まると同時にマイナムは駆け出してロングソードを抜き、彼等に背後をとらせまいとする。
だが集団戦法に特化した彼等にとって、標的がどう動くかは予想済みである。まず全長三メートルはある槍の部隊が遠方から槍を突き出し、マイナムの動きを止める。その間に盾を構えた突撃部隊がマイナムの後ろに回り込み、彼を挟撃しようとする。
マイナムはやはり絶え間なく移動する事で、その挟撃体勢から逃れるしかない。
(が、それもいつまで続くかねえ? 中々の体術だけど、その程度の力量では我々の連携からは決して逃れられない)
エイジアが、内心でそう計算する。その計算に誤りは無く、僅かな時間さえかければマイナムは彼等に討ち取られるだろう。
本来、一対多数というのはそういう事。仮に彼等の個々の能力がマイナムより劣っていたとしても、彼等にはソレを補う人数がある。
数とは正に力であり、通常一個人がコレを覆す事は不可能と言って良い。一騎打ちでは無敗を誇ろうと、敵が多人数になればどんな豪傑でも劣勢になる。一体どこの誰が、前後左右に及ぶ同時攻撃をしのげるというのか? この摂理を撥ね退ける人間をエイジアは殆ど知らない。
(そう。数は力。数はそれだけで大いなる武器。数は豪傑を打ち破る数少ない戦法の一つ。よっておまえさんに勝ち目はないよ、ハヤミテのナイトさん)
ひっきりなしに駆け回るマイナム。それとは逆に、彼等は悠然とマイナムの動きを封じ、後背を取ろうとする。いや、ソレを繰り返す度に彼等の体力も消耗し、僅かながらマイナムにも活路が見えてくる。
だが、ソノ光明も一瞬の事だった。
現在マイナムと対峙している賊達の数は九名。その九名が消耗した所で、温存されていた十名の部隊が代りに前線に立つ。消耗した部隊は休息をとって、代りに温存部隊が再びマイナムを取り囲もうとする。
(……成る程。兵を入れ替える事による波状攻撃か。確かにソレを繰り返す限り、彼等はほぼ無限に戦闘を行える。どう考えても此方が先に力尽き、その隙をついて俺が討ち取られるのは明白だな……)
マイナムが奥歯を噛み締めながら、敵の狙いを看破する。いや、敵の戦術を看破した所で、彼にはどうする事も出来ない。
断言するが、マイナムの体術は今の時点でフル活用されている。これ以上力を引き出す事など、彼には不可能だ。
確かにマイナムの方が、彼等一個人より力量は上だろう。しかしこの数の力をどうにかしない限り、マイナムに勝ち目はない――。
(いっそ、やつ等をハヤミテ殿のトラップ地帯まで誘導する? ……いや、駄目だな。そんな事をすれば、俺もそのトラップに巻き込まれる。どこにどんな罠があるか分からない以上、その手は使えない)
加えてこの広い庭で戦う限り、彼等は地の利を得た事になる。遮蔽物一つ無いこの空間で統率された集団と戦えば、確実に包囲されるだろう。
マイナムに勝機があるとすれば、彼等を狭い道に誘導する事だけだ。狭い道に誘導すれば、彼等は広範囲に兵を展開できない。縦陣を敷き、その道に沿って兵を進めるしかないだろう。そうなれば、マイナムはその地形を生かして一対一に持ち込む事ができる。
(だが――そんな都合がいい地形はここには無い)
ならば、そんな地形がある場所まで移動する? いや、今マイナムがこの屋敷を離れれば、彼等は迷う事無くカクラ達を襲撃するだろう。そうなれば、マイナムはニルバルカ帝国の打倒を果たせなくなる。彼がいま最も恐れているのは、そういう事態だ。
(そう。彼等は慢心する事を知らない。兵を分け、一方を俺にぶつけ、一方をハヤミテ殿の捕縛にあたらせようとしないのがその証拠。彼等はまず全兵力を以て俺の排除を目論んでいる。俺と言う邪魔者を確実に倒してから、ハヤミテ殿の捕縛を実行する気だ。そして彼等なら――この構想を必ずやり遂げる)
今も逃げ惑うマイナムは、そう計算する。ソレが自身の死を意味していると分かっていながら、彼はそう実感するしかない。
「というか、そろそろ限界だろう? さすがに体力が尽きる頃じゃないかい? そうなれば後はただの殲滅戦だ。我が兵力を以て――俺はおまえさんを抹殺する」
早々に勝利宣言を口にする、エイジア。ソレを聴いて、マイナムは大きく息を吐く。嘆息にも似たソレは、エイジアに諦めの色を感じさせた。
ならば――後は徹底的に攻めるだけだ。マイナムの体力が尽きた時、この戦いは彼等の勝利で終わる。
いや、本当にその筈だった。
「だな。どうやら俺に勝ち目は無いらしい。本当に俺が普通の人間なら、この辺りが限界だろう」
「何?」
その時、マイナムはあろう事か動きを止める。彼は立ち止ってその場に佇み、ロングソードを地面に向けた。
「いや、毎度思うよ。こんなのはただの反則だって。だから余り使いたくなかったのだが、こうなっては仕方がない。故に、君達は誇るといい。俺をここまで追い詰めた――自分自身を」
マイナムが、意味不明な事を言いだす。同時に、背後から槍兵が槍を突き出す。
が、馬鹿げた事に――マイナムは背後を振り向く事なくソレを躱していた。
「はっ?」
ソレが何を意味しているか分からず、槍兵の一人が眼を開く。後はその繰り返しだった。マイナムはその場に佇みながら、ただ彼等の攻撃を躱し続ける。
前後左右から繰り出される彼等の攻撃は、しかしマイナムにかすりもしない。曲芸めいた回避力を以て、マイナムは彼等の一斉攻撃を避け続ける。
「何をしている? なぜ死角からの攻撃を避ける事ができる? おまえさんは一体何者だ?」
が、当然の様にマイナムは何も答えない。ソレを知られた時、自分は不利な立場に追い込まれると熟知しているから。
いや、端的に言えば――マイナム・パイスンは普通の人間ではない。だからと言って、運動能力を急激に高める事が出来る訳でもない。彼がしている事は、一つだけ。
彼は――〝音で物を視ている〟のだ。
(そう。ソレが俺の特異体質。俺は音を通じて――万物を知覚できる)
ソレは――脳内の聴覚領域と視覚領域が連結しているが故の異能。
マイナムは背後の人間が剣を振り上げると、その風を切った音を聴いただけで明確なイメージが浮かぶ。背後の人間がどんな体勢で剣を振り上げたか、知る事が出来るのだ。背後の敵が踏み込みを行えば、その足音を通じて、彼は背後の敵の姿を〝視られる〟――。彼にとって音とは映像であり、映像とは音だから。
故に、彼は死角から放たれる攻撃さえ事も無く躱せる。音を映像に変える彼は、その彼特有の映像を以て、敵の攻撃を回避する。
この異様な光景を見た時、賊達の中で動揺が走る。
その一瞬の隙を衝き――マイナムは反撃に出た。
通常、連携攻撃とは重度の反復運動によって身に付く物だ。よって想定外の状況に陥った場合、彼等の対応力はグンと下がる。歯車に枝をさしこまれた様に、その連携が止まるのだ。
マイナムがした事はそういう事で、結果、彼はやすやすと槍兵の一人をロングソードで吹き飛ばす。
いや、見るという過程を省いて相手の位置を知る事ができるマイナムは、そのとき爆ぜた。彼等が動揺している隙に、そのロングソードを以て、彼等を次々吹き飛ばす。
一分後には十九名に及ぶ兵達を片づけ――マイナム・パイスンは悠然とエイジア・ヨルンバルトを見た。
「……何者、だ? まさかおまえさんは……伝説クラスの豪傑だとでも言うのか?」
「さてね。そんな事は知らない。だが、最後にもう一度だけ忠告しよう。さっさとこの場から消えろ。でなければ、今度は殺す事になる」
「………」
確かにロングソードで斬られた筈の部下達は、まだ生きている。マイナムのロングソードは斬る為の物ではなく、叩き割る為の武器だから。致命傷を負わせないよう剣を振るっていた彼は、まだ誰も殺してはいない。
「……成る程。さすがはカクラ・ハヤミテの護衛役だね。どうやら俺達は、とんでもない豪傑を相手にしたらしい。だが、残念だったな。実の所、勝負は既についている」
「何?」
今度はマイナムが、不可解といった表情になる。が、彼は直ぐにある事に思い至った。自分はこの屋敷に来る前、どんな目に合った? その答えが、いま彼の目の前に突きつけられる。
「……す、すみません、若! なんというか……もうどうにもなりませんでした!」
「…………」
大木の影から、ヘイゲン・イットに剣を突きつける男が現れる。
ソレを見て――マイナムは思わず頭を抱えそうになった。
◇
恐らく彼等はここに着く前に落とし穴にはまったヘイゲンを見て、彼女を捕えたのだろう。そのまま彼女からマイナム達の情報を引き出し、今こうしてここに居る。そう察して、マイナムは煩悶した。
(……一体どうする? 奴等の狙いは俺を降伏させて、ハヤミテ殿を捕える事。その状況を覆すには、ヘイゲンを見殺しにするしか手は無い。だが、俺がヘイゲンを見殺しに出来る? 今日まで兄妹同然に過ごしてきたヘイゲンを見殺しにしろというのか? 一体どんな冗談だ?)
「ま、そういう訳だよ。察しが良いおまえさんの事だ。俺が言いたい事は、もう分かっているだろう?」
これが最後の降伏勧告だと言わんばかりに、件の男がヘイゲンの首に剣を当てる。ソレを見た時、マイナムの本質が露わになった。彼は反射的にロングソードを地面に捨て、脳を通さず言葉を発する。
「待て! ……分かった。俺の負けだ。だからその娘には手を出すな」
「ほう? これは、思った以上に物わかりが良いね。初めから、この手を使っておくんだったと思える程に」
ここに――勝敗は決した。圧倒的な異能を以て敵を制圧した筈のマイナムは、自分自身の良識が原因で敗北したのだ。彼はそう痛感しながら、ただヘイゲンの身を案じる他ない。
その様を見て――かの者は断言する。
「成る程。所詮――お武家様の覚悟はその程度だったと言う訳ね。あなたは――大義よりも身内の命を優先する凡夫にすぎない」
「――つっ? ハヤミテ殿!」
この劣勢にあって――あろう事かカクラが姿を現す。
障子の向こう側から姿を見せた彼女を前にして、エイジアは嬉々とした。
「――カクラ・ハヤミテだね? そうか。自身のナイトが敗れたと知って、自ら投降する気になった訳だ。ソレは実に潔い」
が、カクラはエイジアを無視して、語り続ける。
「いえ、仮に彼女を見殺しにしてでも目的を遂げるつもりだったなら、見どころがあると思ったわ。でも、お武家様は私が思った通りの人間だった。大義とは、多くの人の運命を賭けた道義と言う事。故にソレを捨て去るという事は、多くの命を見殺しにするのと同じ。例えソレが見知らぬ人間の命だとしても、大義を掲げるならその人達の命を背負うも同然なの。だというのにあなたはたった一人の命を優先して、大勢の人々の命を蔑にした。その時点でお武家様は大義を語る資格は無くなったのよ。それは転じて、私を雇う資格も失ったという事。だとすれば――この勝負は私の勝ちという事だわ」
「………」
ソレは辛辣ながらも正論に基づいた、理路整然とした通告だった。よってマイナムは言葉を失い、何も答えられない。そんな彼を一瞥してから、彼女は廊下に沿って歩を進める。
「では、そう言う事だからお引き取りを。いえ、あなたとは、もう二度と会う事は無いでしょうね」
それを見て、エイジアは僅かなあいだ呆然とした後、待ったをかける。
「いや、何処に行くつもりだい、カクラ・ハヤミテ? おまえさんは今の状況が、本当に分かっている?」
「――と、そうだったわ。すっかりあなた達の事を忘れていた。でも、無駄よ。その人質になっている彼女は、私とは無関係な人間だもの。彼はともかく、私に対しては何の効力もない。煮るなり焼くなり、好きにするといいわ」
「……ハヤミテ殿!」
カクラの態度を目にして、マイナムが焦燥の声を上げる。彼には、本当にカクラはヘイゲンの事を気にしている様には見えなかったから。
そんなマイナムを見て、カクラは嘆息する。
「……成る程、そういう事か。あなたは初めから、こうなる事が分かっていたのですね? 俺がどれほど敵を追い詰めようが、最後はヘイゲンを盾にして俺に降伏を促してくる。そう読んでいたからこそ、あなたはあんな条件を俺に提示した」
「そういう事よ。あなたはきっと彼等には勝てない。そう読んでいたからこそ、私は決して果たされないであろう条件を突きつけた。実際あなたは敗北し、私は勝利を収めて、今までどおりの生活を送れる。目先の損得に目がくらみ、その先にある状況判断を誤った時点であなたの敗けは決まっていたの」
「………」
「そうね。これは言い得て妙だわ。だってあなたは彼女と言う目先の損得に目がくらみ、その先にある大義を疎かにしているんだもの。この構図は――お武家様の本質を雄弁に表している。私があなたに雇われたくない理由を挙げるなら、そんな所よ」
言いつつ、カクラは歩を再開しようとする。エイジアは、部下の代りにヘイゲンに剣を突きつけ、部下に命じる。
「あの男は、俺が押さえておく。君はその間に――ハヤミテを捕えてくるんだ」
本気でカクラは、ヘイゲンを見捨てる気だ。そう感じたエイジアは、若干作戦を変える。その時、カクラは思いだした様に告げた。
「でも、そうね。その彼女は私の罠にハマった所為で、囚われの身になったんだった。つまり私にもこうなった責任が、若干あるという事。だから前言は撤回するわ。その彼女には私に対しても人質としての効力がある。故に、私も抵抗しない。この通り両手を上げて降伏します」
「ほ、う? それは殊勝な心がけだね。なら、そのまま此方に来てもらおうかな。それでこの愉快なゲームは終わりだ」
が、カクラは笑顔で首を横に振った。
「このゲームが終わる? ――冗談。確かに私は降伏するわ。でも――私の家族は降伏する気なんてないの」
「……おまえさんの家族?」
まさか――伏兵が居る? 反射的にエイジアはそう察して、警戒の色を強める。
実際、その喜劇は起った。
カクラ・ハヤミテの家族は――現在二人居る。一人はコルファ・トリア。もう一人は――彼である。
カクラは指を咥えて、口笛を鳴らす。その時エイジア達目がけ、時速三百キロで接近してくるモノがあった。どう見ても白馬であるソレは、躊躇なくエイジア達に突っ込んでくる。ソレを必死の形相で彼等は避け、その隙にヘイゲンが彼等から逃げ出す。同時にロングソードを手に取ったマイナムが、エイジア目がけて駆けた。
「――まさかっ、こんな冗談みたいな手でっ!」
「同感だ。俺も――こんな幕切れになるとは思わなかった」
集団戦法に慣れすぎているエイジアは――一対一に持ち込まれた時点で自身の敗北を連想する。ソレは現実の物となり、マイナムはエイジアを吹き飛ばす。ついでにマイナムは彼の部下も吹き飛ばし、ここに勝敗は決した。
この時マイナム・パイスンは――実に苦い辛勝を手にしたのだ。
◇
「申し訳ありません、若! 私の所為で……全てが台無しに!」
マイナムに駆け寄る、ヘイゲン。彼女の無事な姿を見て、マイナムは安堵の溜息を漏らす。だが、その後はただ悲嘆にくれるしかない。
「……御助力感謝します、ハヤミテ殿。ですが、私はそれ以上あなたに対して何も言う事ができない。確かに私は大勢の命より、身内の命を優先した卑怯者だ。ならば、これからの余生はただただ卑怯者であり続けるしかないでしょう。あなたが言う通り、私は大義を実行するだけの器では無かった……」
「物わかりが良くて、結構。そう言う所は割と好きよ、お武家様」
これが、彼に対して向ける最後の笑顔になる。そう感じながらカクラは微笑んで、その場を後にしようとする。カクラ・ハヤミテとマイナム・パイスンの関係は、カクラの正論を以て完全に断ちきられ様としていた。
……そう。彼がこの場に姿を見せなければ、確かにそうなっていただろう。
「それこそ――冗談。大義を放り捨て、家族の身の安全を図っているのはあなたも同じではないのですか、カクラ?」
「……げ。コルファ」
廊下には、コルファ・トリアという少年が立っている。
それはまるで、カクラの行く手を阻んでいるかの様にも見えた。
「ええ。あなたも今の帝国を放置すればどうなるか、分かっている筈。だというのに、あなたは大勢の命から目を背け、家族の安否だけを保とうとしている。確かに普通の人なら、それは正しい心情でしょう。家長は、家族の命を守るのが第一なのだから。例えそれで国家に被害が出ても、ソレは仕方が無いとさえ言える」
と、コルファは言葉を一度きり、更に続ける。
「でも、あなたは違うでしょう、カクラ? あなたは一度、国家レベルで物事を視た身だ。そのとき自分がどうするべきか、明確なビジョンがあった筈。あなたこそ、身内の命より大勢の命を優先する事を選んだ人ではないのですか?」
「………」
「だというのに――あなたはその戦いから降りた。家族の身の安全を理由に――大望を捨て去った。そんなあなたが、そのお客人を非難する資格が本当にある? 本来なら、あなたこそが非難されるべき人なのではないのですか?」
瞳を閉じながら、淡々と齢十の少年が語る。ソレを聴いて、カクラは眉根を歪めた。
「……要するに何が言いたいの、コルファは?」
「さて? 俺にそこまで言わせる程、あなたは痴愚ではないと思っていたのですが?」
「………」
それもまた、どこまでも辛辣な物言いだ。少なくともカクラにとってはそうで、だから彼女は左手で額を押さえる。
続けて何やらブツブツと呟き、もう一度嘆息して、彼女は再度マイナムに目をやった。彼女の瞳に映っているのは、二度と見る事が無いと思っていた青年の顔だ。
「……認めたくはないけど、確かにお武家様は今の私と同じね。あなたは私の映し鏡のような存在だわ。なら、私はこう言う他ない。――私は今日から変わる。だから――お武家様も変わりなさい。真に目的を遂げたいなら、身内の命より多くの人々の命を優先するの。少なくとも私を雇いたいなら、そう言った私を許容する責任があなたにはある」
「――は、い? それは、つまり?」
「ええ。私は今より微力ながら――あなたの野心を満たす助けになります。ニルバルカ帝国打倒の件は――確かに承りました」
この時、初めてマイナムはカクラに対し微笑を見せる。彼はその事実を心底から噛み締めた後、ただ一礼した。
「心から感謝します、賢者よ。では、まずどう動きますか?」
「そうね。では――まず兵糧と兵を得る事にしましょう。その為の策は、こうよ」
「……は?」
そうしてマイナム・パイスンは――出だしから己の耳を疑った。
2
ニルバルカ帝国の打倒を目論む、一組の男女。だが、ソレは口で言うほど生易しい目標ではない。いや――常人が聴けばまず不可能だと断言せざるを得ないだろう。
何せ今は個人レベルの力しか持たない人間達が、一つの帝国を滅ぼそうとしているのだ。正気を疑われても、おかしくはない。
普通に考えればそうだし、ロウランダ大陸に至っては更に不可能だと言える根拠があった。
現在、ロウランダ大陸には二十二の国家が存在している。
東から述べると、オリアネス、ゼスト、レシェンド、ラジャン、カシャン、マーナム、グオールグ、マーニンズ、ストックゲイ、シーナ、アルベナス、キーファ、ミストリア、ニルバルカ、ナリウス、グナッサ、ヌウベスト、ナマント、パナカッタ、ガナック、リグレスト、シャーニングだ。
その二十二の国家の頂点に立つのが――神聖ニルバルカ帝国である。
かの帝国は他の二十一の王国を属国とし、未だ宗主国としての地位を占めている。そして問題は、この大陸独自の習わしにあった。ニルバルカ帝国は宗主国になってから、他の国々の争いを禁止しているのだ。
いや、ソレは普通の宗主国でも行う政策だろう。大陸が乱れては安定した政治は行えない。各々の国の国力も下がるばかりで、他の国々から税金を得ている宗主国にとっては良い事など一つもない。その為ニルバルカは、徹底して国家間の戦争の禁止を謳っている。
だがその反面、ニルバルカはあるケースにあっては戦争もやむなしとしているのだ。
それは――ニルバルカ帝国自体が攻め込まれた時である。神聖ニルバルカ帝国初代皇帝――キース・ニルバルカは、大陸を征服した時、他の国々とこう条約を交わした。
〝他の国々の本領安堵は約束する。その代りニルバルカが攻められた際は、全ての国が一丸となって外敵を討ち滅ぼす様に。仮にこの条約に従わない国は、無条件で取り潰しとする〟
征服皇キースはそう宣言し、各国から人質を集めた。王の妻子達をニルバルカの首都イスカダルに住まわせ、王達にも一年に一度首都に集まるよう法を定めたのだ。
実際、キースの崩御後、三度ほどニルバルカに反旗を翻す国々があったが、全て滅ぼされている。キースが定めた条約に則り、全ての国々が総出となって敵国を攻撃したのだ。その体制は、キースの時代から二百五十年経った今も変わっていない。
大義はニルバルカにあり、多くの国々が今もニルバルカに忠誠を誓っている。少なくとも表向きはそうで、だから他の国々は表立ってニルバルカに反乱を起こせない。
反乱を起こすという事は全ての国々を敵に回すという事だから、起こし様が無い。多くの国の王達は、二十一に及ぶ国々を敵に回して勝てる筈がないと考えていた。
ニルバルカはこの条約を徹底する為に、監察官や密偵を各国に配置している。各国に怪しい動きがあれば、その監察官達が帝国に報告する運びになっている。その為、かの監察官達は本国の使者と密に連携し、ニルバルカの防衛力を高めているのだ。
要するに神聖ニルバルカ帝国を打倒したいなら、他国の力は借りられないという事。いや、例えどのような条件を提示され様とも、各国の王は帝国打倒の為に力を貸さないだろう。ソレをしてしまえば、間違いなく自国は危うくなる。
そう言った理由からニルバルカ帝国の打倒は実に困難で――或いは不可能とさえ言えた。
「だね。人質と言う手綱を握っているニルバルカは、そのため他の国々をおさえている。よって他の国々はニルバルカに引け目があり、積極的な行動はとれない。反乱を起こすにしても一つの国が独断で行うのは、ただの悪手だ。どうしたって他の国々と連携をとる必要があるが、ソレを邪魔しているのが件の監察官達。他の国々に放たれた監察官や密偵達を何とかしない限り他の国々は密約さえ出来ない。それはつまり、ニルバルカに対する反抗勢力の誕生の不可能性を意味している」
ソファーに寝そべる一人の男が、独り言のように告げる。いや、実際それは独り言だったが彼の言葉を聴く者は確かに居た。
インデルカ・ヤルカは、雇主に対してツッコミを入れる。
「へえ? 今の発言は、ニルバルカに対する反意ともとれるわね。そんなに、ニルバルカに邪険にされたのが気に食わない?」
ソレは、身長が百七十五センチ程もある女丈夫だった。
歳は二十歳程で、肌は白く、髪の色は茜色だ。ストレートの髪を無造作に背中に流すインデルカは、矛を片手にしながら雇主を観察する。
其処に居るのは、全身白尽くめの男だ。
白いワイシャツに白いズボンを着た彼は、室外では白いコートを愛用している。インデルカ同様長く伸びた髪は白く、何故か白い蛇を連想させる。今年二十九になるクロウゼ・ヴァーゼはインデルカを一瞥した後、天井を眺めた。
「まさか。君の様な美女に邪険にされるならまだしも、国に邪険にされた程度ではヘソは曲げないよ。こんなおっさんである私に、そんな大それた野心はないさ。ただ――私ならどうすればニルバルカを滅ぼせるかと一考してみただけ」
ソレは、余りに大それた大言壮語だ。事実、茜色の衣を纏うインデルカは、鼻で笑う。
「やはりニルバルカに対し、思う所があるんじゃない。しかもソレは紛れもない反意ね。悪辣で名高いニルバルカの監察官にでも聴かれたら、真っ先に処分の対象にされるわ。クロウゼはそう言う事をわかっていて喋っている?」
が、ソレに彼が答える前に、インデルカは別の事を問う。
「で、結論はどうでた? クロウゼなら――ニルバルカをも滅ぼせる? それとも自分で言っていた通り、それって不可能なの?」
「……不可能? 面白い事を言うね、インデルカは」
今もソファーで横になっているクロウゼは、初めて笑みを浮かべる。彼は、考え事をする時は大抵こんな感じだ。
「ぶっちゃけ、この世に潰せない国家は無いよ。人が紡ぎだした物なら、必ず綻びがある。国が人のつくり出した物なら、やはり潰せる方法はあるという事だ。人が不完全な存在である以上、その不完全な物がつくり出した国家と言う物もまた不完全だから」
事実、ロウランダ大陸の国々も多くの王朝が滅びている。国の名前こそ変わらないが、ソレを担う政府の方が先に滅びている。その原因の多くが、貴族達の権力争いによる物だと言う事は、子供でも知っている事だ。
人の権力に対する欲は、それ程までに深い。ある王が苦難の末に王座についたは良いが、その五日後に暗殺されるなど有り触れた話である。今の外敵が居ない世においては、身内こそが貴族達の大敵である。
クロウゼはソレを利用して、国を四つか五つ落とす自信がある。ソレこそがクロウゼの言う所の――国家の綻びだから。
「そういう事だ。古来より戦略なんて物は変わっていない。まず敵国の情報を集める。次にソレを精査して、敵国の弱点を見つける。その綻びを衝いて敵国を内部分裂させれば、後は分散した敵の軍を各個撃破していけばいい。真っ当な戦力を持ちあわせていれば、ただそうするだけで戦には勝ててしまう。勝利とは綿密な戦略を遂行し、ソレを成功させた者にこそもたらされる物だから。だが、ニルバルカの場合その戦力を集める事がまず至難だ。全ての国家を牛耳るニルバルカに反抗するという事は、それだけで危うい。今ニルバルカに反意を見せる国など皆無だろう。つまり――ニルバルカを潰す為に国家は頼れないという事。自分達で一から軍を育てなければならない。それには膨大な資金と兵糧と、絶大な人望がいる。そのどれもない私には、一見不可能に見えるだろうなー」
「そうね。何せたった一つの戦で引き分けただけで、こうもあっさりニルバルカから放逐された訳だし。人望が無いのは、確かかしら?」
けれど、ソレも人のサガによって生じた事態だ。彼があの時、途中から戦線に加わらなければニルバルカは敗走していただろう。ソレを引き分けにまで持ち込んだ彼の功績は、本来なら大きい。ただ、一介の傭兵にすぎない彼はその時やりすぎた。皮肉にも決定的な敗北を覆した事で、彼はニルバルカの将軍に疎まれたのだ。
彼の部下はこれでニルバルカに仕官する道が開けたと思ったが、実際は真逆である。規定通りの礼金を渡された後、クロウゼ達はニルバルカ軍から追い出され、今に至る。ニルバルカに雇われたと言う栄誉を得た後、彼等は元の一傭兵として日々を過ごしていた。
「きっと貴方は、生まれてくる時代を間違えたのでしょうね。仮に今が戦乱の世なら、クロウゼはとっくに士官していて、国軍の軍師となっていた筈。だと言うのにこの平和な世では、その知恵も使い物にならない。正に無用の長物で、時代のニーズには合わない。ま、ソレは私も同じなのだけど」
卑下している様で、インデルカは楽しそうだ。
クロウゼも嬉々として、インデルカに目をやる。
「それはどうだろう? 私の見立てでは、もう一波乱ありそうだ。あの彼女ならいい相棒さえ見つければ、そういう事もあるだろう。問題は、あの彼女がどこまでヤル気かと言う事。私の構想通り動くなら――或いはといった所かな?」
と、インデルカは一瞬怪訝な顔をしてから、笑顔で彼に問う。
「へえ? それで、もしその時が来たら貴方はどうするつもり? ニルバルカとその彼女の、どちらの味方をするの?」
彼の答えは、決まっている。
「答えるまでもないね。私が味方をするのは――常に負けている方さ。例えその対象があの彼女――カクラ・ハヤミテであってもね」
そう告げながら――カクラの兄弟子であるクロウゼ・ヴァーゼは笑った。
◇
それからマイナム達は一路ミストリア国内へと向かい、五日後には入国を果たす。入国後、二手に分かれた彼等は、まず宿探しから始めた。
「……というか、やはり本気なんですよね、あなたは? あなたは本気で、例の暴挙を為すつもりでいる?」
自分と同じように馬に乗って道を行くカクラに、マイナムは訊いてみる。この時カクラは、全く別の事を言いだした。
「いえ、マイナム様、あなたは私に対してへりくだる必要はありません。事を起こそうとしている今、全ての責任者はあなたなのだから。私の雇主を自認するなら、それ相応の態度で私とも接して下さい」
目をつぶりながらシレッとした顔で、カクラは告げる。ソレを聴いたマイナムは即座に気持ちを切り替え、覚悟を決めた。
「――わかった。なら君を雇った将として、今一度問う。これは本当に必要な事なんだな?」
今日まで余り考えない様にしていたが、ここまできては問題提起せざるを得ない。マイナムとしてはそうなのだが、カクラとしては違っていた。
「マイナム様、大望を遂げるならまず人心を得なければなりません。けれどこの場合、人心を得るには、戦に勝利するしかない。そして戦に勝利するにはまず兵糧を確保する必要がある。なら、答えは簡単でしょう。私達は何が何でも兵糧を手に入れて、多くの兵を養う必要があります。ここまでは実に単純な論理だと思うのですが、如何でしょう?」
「だな。君が言っている事は確かに正論だ」
因みに、やはり馬に乗ったヘイゲンとコルファもマイナム達に同行している。ただ今のところ彼女達は、カクラ達の会話を黙って聴いていた。
「けど、それでも……コレはどうかと思うやり様だと俺には思えるんだが?」
「ほう? つまりマイナム様は、一気に兵糧を手にするだけの策がある? その兵糧に見合うだけの兵を集める手段があると、仰っている? だとしたら豪気な事です。他の国には頼れない私達は、だから一から自分達の兵を集めて育てなければならない。私が思うに、ソレは尋常ならざる荒技の筈。ソレを容易に行えるとしたら、私はマイナム様を見くびっていた事になります。今日までの数々の非礼も――お詫びしなければなりません」
「………」
笑顔でそう言い切るカクラに、マイナムの自尊心は深く傷つけられる。その心情を顔に出さなかっただけでも、或いは褒めるべき美点なのかもしれない。
「つまり、代案が無いなら黙っていろという事だな? 今の状況では君の暴挙、……いや、策がベストだとそう言いたい?」
「いえ、代案なら無い事もありません。ですがリスクが高い為、あまりおすすめできないというだけの事」
「ほう? 代案はある? 参考の為に、ぜひ聴かせてほしいのだが?」
マイナムがそう促すと、カクラは平然と告げた。
「簡単な事です。まずある国に濡れ衣を着せて、追い詰めます。帝国に敵対するしかない状況にして、私達がその国の味方をする。仮にこれが上手く行けば、兵と兵糧は簡単に手に入るでしょう」
「………」
だからそういう危険思想を簡単に言って欲しくないのだが、カクラは続ける。
「ですが、これは余り上手い手とは言えないでしょう。国同士の争いになれば、他の国々が介入してくる。その国は大陸中の国々の標的になり、滅亡はまず避けられない。よって今は他国を頼りにするのは、宜しくないと思います」
「と、ちょっと待って下さい、カクラ。その味方に引き入れた国を起点にして、他の国々と連携をとるというやり方は出来ないのですか? 時間をかけ、徐々に味方を増やしていけば、ニルバルカに対する包囲網も完成するのでは?」
コルファがそう提案すると、カクラは自分の被保護者をチラリと見る。
「いえ、恐らくソレはダメね。各国には、ニルバルカの監察官や密偵が多く居る。彼等の目を掻い潜って他国と同盟を結ぶのは、至難の技だわ。加えて、今のニルバルカに危機感を抱いている国はまだ少ない。袋叩きにあう可能性が高いのにそういった同盟に参加する国は、どう考えても無いわね。今では、カシャンでさえも足踏みしている状態だもの。そういった意味ではカシャンに問答無用でケンカを売った帝国のやり方は、十分牽制にはなっている」
カクラがそこまで説明すると、今度はヘイゲンが口を開く。
「あの、私、世情に疎い物で。だからよく知らないんですが、そもそもなぜニルバルカはカシャンを攻めたのでしょう? まさかカシャンの方から、ニルバルカを攻撃した?」
確かに、そもそもなぜ宗主国のニルバルカと、その属国であるカシャンは戦争状態になったのか? カクラ・ハヤミテは、なぜその戦争に介入した? ヘイゲンが根本的な質問を投げかけると、カクラは肩を竦める。
「まさか。仮にそうだとしたら、カシャンは他の国々からも総攻撃を受け、今頃世界地図から消滅しています。ヘイゲン殿は、ご存じありませんか? 現ニルバルカ帝国皇帝――サイバリオンの悪評を?」
「……サイバリオンの、悪評」
そこまで聴いて、ヘイゲンにも思い当たる節があったらしい。彼女は顔を曇らせ、マイナムも密かに目を細める。
そう。今から二年ほど前の事。当時ニルバルカには、二人の皇子が居た。それがサイバリオンとキクネウス。この両者は性格が真逆で、評判も前者と後者では大きく分かれていた。
キクネウスは人柄も良く、領民や臣下にも慕われ、分別も弁えていた。
だが――サイバリオンは違っていたのだ。
かの皇子は自らを初代皇帝キースの再来と称し、傲慢の限りを尽くしていた。自身に与えられた特権を悪用して、弱者を虐げ、己に逆らう者には容赦がない。反面金の臭いには敏感で、多くの商人達と通じており、私腹を肥やしている。
一番タチが悪いのは、かの者は決して痴愚では無いという事。逆にある意味聡明で、何をどうすれば自分の利益になるか十二分に心得ている。
そう言った意味では確かにキースの様だと言えなくもなく、カシャン王はその彼を危険視した。カシャン王ビルデはサイバリオンと謁見した時、彼の悪評が事実だと感じ取ったのだ。
いま皇位継承権の上位にいるのは、キクネウスとサイバリオンの二人。仮にサイバリオンが皇帝に即位すれば、何が起こるか予想ができない。それ処か、彼がニルバルカの実権を握れば弱者にとってこの世は地獄と化す。
ただ一回サイバリオンと会っただけだというのに、ビルデ王はそこまで思いつめた。よって前皇帝が危篤になった時、カシャンはキクネウスを次の皇帝にするよう働きかけたのだ。
キクネウスはサイバリオンの兄にあたるので、これは実に自然な事と言って良い。しかし多くの商人と癒着関係にあるサイバリオンはその資金力を以て、多くの支持者を得ていた。
結果、サイバリオンはキクネウスの毒見係さえも買収し、かの皇子を毒殺したのだ。そうして最大のライバルを蹴落としたサイバリオンは皇帝となり、ニルバルカを手中に収めた。
無論、キクネウスの毒殺に関してはただの噂にすぎない。サイバリオンが手を下したという証拠は、どこにも無い。
はっきりしている事があるとすれば、ニルバルカがカシャンを攻めた事。自身を支持せず、強硬なまでにキクネウスを推したカシャンをサイバリオンは許さなかった。自分に反意を見せたカシャンは、明らかにニルバルカの敵である。サイバリオンはそう主張し、ビルデ王の退位をカシャンに命じたのだ。ニルバルカとカシャンの戦争は、カシャンがビルデ王の退位を拒んだが為に起きた。
「ですが、ニルバルカは一国でカシャンを攻めるしかありませんでした。何故ならあの戦争はニルバルカが他国に攻められた物ではなく、カシャンが攻め込まれた物だったから。防衛こそが一致団結の条件である為、ニルバルカは他国を動員できなかった。カシャンはそこに勝機を見出し、ニルバルカと徹底抗戦する事にしたのです。その時、なりゆきでカシャンに手を貸したのが私と言う訳ですね。で、カシャンは運よくニルバルカ軍を敗走させかけたのですが、そのとき邪魔者が現れた訳です。ソレが――クロウゼ・ヴァーゼ。私と同じ傭兵で、軍師を自称する変人です」
何故かカクラが、心中が読めない複雑な表情になる。マイナムは眉をひそめながら呟いた。
「クロウゼ・ヴァーゼ、か。その名も聞いた事があるな。敗走寸前だったニルバルカ軍を立て直し、再度カシャンと決戦を挑んで引き分けに持ち込んだ立役者。少なくとも俺はそう聞いているが、そのヴァーゼが帝国に仕官したという話は聞かないな。アレだけの功績をあげた者に関して、何故かその後は何の噂もない。これは、一体どういう事だろう?」
マイナムの疑問に、カクラが即座に答える。
「それも簡単。単にクロウゼは目立ちすぎたと言うだけです。それはもう、ニルバルカの将軍の面子を潰す程に。クロウゼが居なければあの引き分けは無く、ニルバルカは敗走していた。言わばクロウゼは、ニルバルカの将軍の恩人と言って良い。ですが逆を言えば、このままいけばクロウゼはその将軍にとって代わる存在になりかねない。ソレを危惧した将軍は契約通りの賃金をクロウゼに与え、ニルバルカの陣中から追い出したとの事。これもまた人の悪しき面が生んだ、大いなる矛盾と言えるでしょうね」
恩人を、恩人だからと言う理由で粗略に扱う。確かに傍から見れば、これほどの不条理は無いかもしれない。いや、その将軍が身の安全を図る為だけに、ニルバルカは優秀な人材を手放したのだ。よってソレはある意味、国家的な損失と言えるのだが、カクラは微笑む。
「しかしそのお蔭で、私はクロウゼを相手にせずにすんでいる。人の妬みと言うのも、偶には役に立つ物です」
「成る程。カシャンとニルバルカの戦争は、君対ヴァーゼの戦でもあった訳だ。なら、君がヴァーゼを危険視するのは当然と言う訳か」
マイナムがそう結論すると、カクラは頷く。
「そういう事ですね。クロウゼには、これ以上ニルバルカには関わって欲しくない。ニルバルカも、クロウゼを無視する構えです。実に奇妙な話ですが、今のところ私とニルバルカの利害は一致している。ならば、私達はその間に事を進めるべきでしょう。明日の晩にでも事を起こすのが上策だと思うのですが、如何です、マイナム様?」
「……あー」
いよいよこの時に至り、マイナムは生返事をする。
彼はこの時、些か卑怯とも思える事をカクラに訊ねた。
「こんな事を訊くのは筋違いだと思うが、一応訊ねておく。カクラはやはり――サイバリオンは危険だと思うか? このまま放置すれば、必ずこのロウランダ大陸に災いを呼ぶ。君もそう考えている――?」
カクラの答えは、複雑な物だった。
「さて、それはどうでしょう? 私は今やマイナム様に雇われた身。あなたの利になる事なら何でもするのが、このカクラ・ハヤミテです。よってその答えは、あなた自身の心中にあるのではないでしょうか?」
「………」
それも正論だが、煙に巻かれた気がしないでもない。どうやらカクラはマイナムに本心を打ち明ける気はない様だ。そう感じとったマイナムは、だから熟考し、やがて答えを導き出す。
「……コレも大いなる矛盾だな。まだ明確な害になっていない皇帝を打倒する為に、俺は暴挙に及ばなければならないのだから。だが、あの皇帝が暴威を振るえば、被害の程は多大な物になるだろう。俺にはソレを食い止める義務はないが、動機はある。あの皇帝が暴君になるという確信がある以上、このまま手をこまねく方が罪だ。俺はやはり悪しき芽は――育たない内に摘み取る道を選ぶよ」
マイナムがそう決断を下すと、カクラは即答した。
「結構。ならば私も――その様に取り計らいましょう」
それから彼等は――その夜を迎えたのだ。
◇
それは月も出ていない、静寂に満ちた夜だった。
舞台はミストリアの辺境にある、クーナという比較的大きな村。その村にその晩、賊が強襲したのだ。賊の数は二十名程で、手早く村の自警団本部を押さえると、そのまま村長の家に押し入る。手際よく村長一家を人質にした彼等は、村で生産している食料を差し出すよう村人に要求した。
村長一家を人質にとられている村人は渋々ながら賊の要求を呑み、大量の食糧を奪われる事になる。それから賊は村長の娘を人質として連れ去り、その時、彼等はこう言い残した。
「この一件は、他の者に漏らさぬように。仮に漏らしたなら、村長の娘の命は無い」
驚くべき点は、そんな凶行を賊達が一夜の間に五回以上も行った事だろう。村から食料を強奪した賊達は、更に別の村々でも食料を強奪した。
それは一万の兵を一年食べさせるに値する量で、とても無視できる損失では無い。だが人質をとられている彼等は結局動きが取れず、その凶行を受け入れる他なかった。
人質である少女達が村に帰されたのは、全ての決着がついた後。
その頃にはミストリアの大部分の村に賊は押し入り――大量の食糧を強奪していた。
◇
ついでマイナムは、大きく息を吐き出した。彼は頭を抱えたい衝動を押えながら、貸し倉庫の中に詰まれた多くの米俵を見る。
ソレがどのような経緯で得られた物かは、もう語るまでも無いだろう。マイナム等は盗賊となって村に押し入り、食料を強奪して、ソレを兵糧としたのだ。
この暴挙を前にして、マイナムは思わず息を呑む。
「どうやら、上手くいったようですね。これで――兵糧の方は何とかなった」
「………」
三週間かけ、五十に及ぶ村から食料を強奪した結果がこれだった。お蔭でカクラはホクホク顔なのだが、マイナムは当然そうもいかない。彼はごく自然な事を、カクラに問う。
「これってやっぱり――犯罪だよな? 俺達はこれで――罪を犯した犯罪集団と言う訳だ?」
なにせ何の罪もない村人達から、強制的に食料を強奪したのだ。僅かでも良識がある人間なら、罪悪感に苛まれて然るべきだろう。そして、マイナムは良識がある人間である。お蔭で彼は、自分が行った暴挙に心を痛めていた。
だが、それ以上に被害を受けているのは、間違いなく食料を強奪された村々だ。
「そうなるでしょうね。加えてあの村々には、納税の義務があります。村の食糧を契約した町に売って税金を稼いでいる村々は、だから税を納められなくなる。私達が村々から食料を奪ったせいで――村民はのっぴきならない状況に追い込まれた事でしょう」
「………」
いや、普通に言うな。それって全部、俺達のせいだろう。だというのに、なぜこうもカクラが平然としているのか、マイナムには分からなかった。
いや、本当は彼も全てを理解している。でなければ、マイナム・パイスンがこのような暴挙に出るはずがない。故に、彼は別の人物へと視線を移す。
「で――エイジア殿、あなたは本当に、この辺りの事情に精通している?」
彼――エイジア・ヨルンバルトは躊躇なく首肯する。
「当然です。伊達に賞金稼ぎを生業にはしていない。その件に関しては、まあ、お任せあれ」
彼の後ろには二十名に及ぶ彼の部下達が居る。その彼等が主戦力となって、この強盗は行われた。逆を言えば彼等の力が無ければ、この兵糧は集められなかっただろう。
そう言った意味ではエイジア一党の功績は大きく、その罪も重い。
だが、なぜエイジア一党が、敵であったはずのマイナム達に力を貸しているのか? それはカクラが、マイナムにこう指示したから。
〝お武家様。お武家様が私に払う筈だった礼金は、全て彼等に与えて。お武家様には今から彼等と主従関係を結んで、彼等をこきつかってもらうわ〟
意外だったのは、エイジアがあっさりマイナムに雇われた事だろう。気を失っていたエイジアは目を覚ました後、マイナムに事の次第を打ち明けられた。ソレを聴いたエイジアは〝成る程、ハヤミテを捕えるよりそちらの方が幾分面白そうだ〟と告げ、マイナムに雇われる事になる。カクラを捕えに行く前は、ミストリアを拠点にしていた彼等は、こうして古巣に戻った。
彼等は地の利を生かして村々を襲い、食料を強奪して、ソレを兵糧としたのだ。
カクラにとって都合がよかったのは、エイジアの活動拠点がミストリアだった事だろう。ニルバルカの隣国であるミストリアが強奪劇の舞台であった事が、最大の幸運だと言える。
「ま、そういう訳なので、次の作戦に移りましょうか。エイジア殿には今宵兵を連れて、また動いてもらうわ。その総司令官がマイナム様で、私はその参謀。そういう事で良いですね、マイナム様?」
「良いも悪いもない。それで俺の罪が消えるとは思えないが、ここはカクラの言う通りに動くしかないだろう。でなければ、誰も救われない」
既に覚悟を決めた筈のマイナムだが、やはりこの強奪劇は精神的にこたえている。そう自覚するが故に、彼は一刻も早く次の行動に移りたいと考えていた。
いや――ソレも十分酷い話なのだが。
けれど、その酷い話をやり遂げなければ次には進めない。そう自覚するが故に、マイナムは気を研ぎ澄ます。
「では、さっそく作戦開始といこう。我々はこれより――外道に徹する」
もしかすると自分達は、あの皇帝よりよほど悪しき芽なのかもしれない。
マイナムはこの時――強くそう思った。
◇
その頃、彼等の耳にはこんな噂が届いていた。
何でも自分達の縄張りであるミストリアの村々を、見知らぬ盗賊が襲っているというのだ。その手際は中々の物で、一切の無駄が無い。この統率がとれた強奪劇を、彼等はもちろん歓迎しなかった。
逆に彼等は自分達のお株を奪われた事で、激怒している。この感情は他の山賊や盗賊も同じで、その共通点を以て彼等は共感した。共感して連合を組み、件の盗賊の抹殺を試みようとしている。
「だな。俺らの縄張りを、これ以上荒らされてはたまった物じゃねえ。ここは速やかにそいつらを排除して、やつ等が奪ったという食料をかすめとるべきだ」
場所は、山中にある彼等のアジト。三十名に及ぶ手下を従えた、最も力がある盗賊の頭領がそう宣言する。彼等の他に集まった盗賊や山賊達の総数は――実に二百名に及ぶ。それだけの数の力を以て、彼等は確実に件の盗賊達を葬り去ろうとしていた。
「そう。油断してはならねえ。噂によればその盗賊どもの手際は、並々ならぬ物らしい。数は二十名程だが、各々腕は立つと言う事だ。そういった事から連中は、国を追われた騎士共の集まりじゃねえかと俺は見ている。なら、やつ等と同じ数で対峙するのは危険だ。ここはミストリアの盗賊一同が連合して、やつ等にあたるべきだろう。俺達は敵の数の十倍にあたる二百名もの物量を以て――やつ等をひねりつぶす!」
その上で敵の一人を捕虜にして、奪った食料のありかを訊きだす。その食料を然るべき場所に売り飛ばし、自分達の利益に変える。それが――彼等盗賊連合の目的である。
ただ、この話には一つの不可解があった。ミストリアの村々の人々は、人質をとられて例の一件は他言していない筈。なら、彼等盗賊連合はどこからその噂を聞きつけたのか? その出所を精査しなかった事が――彼等のミスでもあった。
◇
「と、まあ、エイジア殿に手を回してもらい、私達は私達の噂を盗賊達に伝えた訳です。今夜私達が押し入る村がどこかも、彼等はその噂をもとに知る事になった。では、私達はその後どう動くべきか? もう言うまでもありませんね。私達は件の盗賊連合を殲滅して、彼等に私達の罪をなすりつける。そうなれば――私達は二つの物を得る事ができます」
「………」
再度カクラが、今夜の予定を通達する。ソレを聴いてマイナムは〝俺、何をしているんだろう?〟みたいな気分になった。
自分は一応、正義の為に行動を起こした筈。だというのに、やっている事は盗賊にも劣る悪だ。何せ何の罪もない盗賊達に、自分達の悪行をなすりつけようとしているのだから。
「いえ、罪もない盗賊なんていませんよ、マイナム様。彼等は今まで相応の罪を犯して今日まで生きてきたんです。彼等の中には、マイナム様の常識ではあり得ない事をしでかした者もいるでしょう。したがって、一切の情けは無用です。我々は大義を以て彼等を殲滅し、彼等の死を私達の利益に還元する。罰せられる者達を利用して利益を得るのだから、これは実に正当な還元と言えるでしょう」
「………」
その理屈は、盗賊連合の面々が聴いたら激怒しそうだな。マイナムはそう考えながら、当然とも言える疑問を口にする。
「だが、本当に我々は彼等に勝てる? こちらは戦闘員が二十名程で、敵は二百名に及ぶと言う。敵は十倍に相当し、兵法で言うなら戦闘は避けるべき状況だ。この劣勢を覆さない限り、君の構想は机上の空論で終わるぞ?」
「んん? そう言えば、マイナム様にはまだ言っていませんでしたっけ?」
この時マイナムは、カクラは自分に作戦の概要を説明し忘れていた事を言っているのかと思った。が、カクラは別の事を口にする。
「マイナム様、私がこの世で一番嫌いな事は――負ける事です」
「……はぁ。そうなのか?」
「ええ。私はこれでも勝利至上主義者でして、勝つ事に執念を燃やす人種と言えます。何故なら発言権とは、勝者にのみ与えられる物だから。闘いに勝てば、例えその経緯がどのような物であれ善にする事ができる。逆に負ければ例えどんな崇高な大義を掲げようと、悪と見なされ無残な最期を迎えます。勝者は悪を善に変え、敗者は善を悪にされてしまうのです。この両者には天と地ほどの差があり、私は後者である事に耐えられない。それなら悪を為してでも勝者となり、悪を善に変える方が遥かにマシです。勝者とは世界で最大の特権階級であり、道理さえも捻じ曲げる事が出来る存在なのです。マイナム様は、まずその事を肝に銘じて頂きたい」
「……なんだか偏った思想な気がするが、一応言っている事は分かった」
「ええ。ぶっちゃけ私達の戦いは、勝利する為に相応の犠牲が必要です。ですが、一番問題なのは犠牲を出した上に私達が敗北する事。私達は犠牲を出す事を迫られているが故に、決して負ける事は許されないのです。私がマイナム様の味方をする限り、私達は必ずニルバルカ帝国にも勝利する。この盗賊連合との戦いは――その第一歩にすぎません」
「………」
なんだか更に不穏当な話を聴いた気がするが、マイナムは別の事を訊ねる。
「それも分かった。で、肝心のその勝利する方法なのだが、一体どうする?」
「そうですね。ソレは私にお任せください――マイナム様」
「………」
精神状態がよく分からない表情で、マイナムは首を傾げる。だが彼には、一度信用した部下には自由にさせるだけの器があった。ソレは、カクラと会う前から決めていた事だ。自分に出来る事は、ただ責任を取る事だけ。
よってマイナムは改めて覚悟を決め、カクラの作戦を遂行するため指揮を執る事になった。
◇
そして――二十名対二百名の戦争は始まった。
ミストリアに詳しいエイジアがいる為、地の利では負けてはいない。だが、だからこそこの数の差が決定的な不利となる。マイナムとエイジアはそう考えていて、特にエイジアには大きな不安があった。
「ですな。さすがに十倍もの戦力差があっては、敵を分散させて各個撃破するのは無理だ。私のヨルンバルト戦術は、この戦では役に立たない」
彼の不安は、自分や部下達が多数対少数に慣れている事である。だが、この戦ではどう考えても立場が逆になる。エイジアとその部下達は、少数で多数にあたる必要があるのだ。そのとき自分達がどんな心境になり、どう戦う事になるか彼には想像がつかない。
「ええ。エイジア殿の不安は、尤もだわ。普通なら、十倍にあたる敵と戦うのはただの愚行でしょう。ただの自殺行為と言い換えても良い。だけど、私達には二つの優位がある。一つは、敵は烏合の衆だけど、私達は連携がとれるという事。もう一つは、私達が少数であるが為に、敵は油断しているという事。故に――私達はこれからこう動く事にします」
時刻は、午前一時。その日の深夜に――彼等はこう行動した。
盗賊連合の一人が、噂どおりある村の近くで不審人物を見つける。ソレは紛れもなくマイナム・パイスンで、彼は盗賊の一人と目があった瞬間、馬で逃げた。
「居たぜ! 恐らく連中の物見だ! やつを捕えて――本隊の居場所を吐かせる!」
いや、或いはあの物見は本隊へと逃げ帰るつもりかも。だとすれば、やつをつければ自然と自分達は敵の本隊を発見できる。そう計算して、馬に乗った盗賊連合は一気に集結を図る。二百名に及ぶ総力を以て、彼等はマイナムを追跡する。
「どうやら、先にやつ等の情報を得ていた俺達に分があった様だな。事前にするべき準備を全てすましていた俺達が勝利するのは、最早間違いない」
咄嗟に盗賊連合の頭領が、そう計算する。或いはその考えは正しく、或いはそれが常識なのかもしれない。
自軍は敵軍の十倍にあたり、普通に考えれば自分達を敵が打破できる筈が無い。そんな神技ができる様なやつが、盗賊などやっている筈もないだろう。どこぞの国の軍師にでもおさまっているのが普通で、そんなやつが此処にいるものか。
よって盗賊連合の頭領は、細心の注意を払いながらも、マイナムの追跡を続ける。その時、彼にはある懸念が頭を過ぎった。
(待て。まさか――アレは陽動か? 俺達を誘いだすのが、目的? だが、その後は一体どうする?)
その答えは、直ぐに出た。マイナムと彼等は、高い崖の下を馬で駆ける。左右を崖に挟まれた其処は、縦陣を敷いて移動しなければ通れない狭い道だ。彼等は土地勘があるというのに、マイナムを追う事に夢中になってその事に気付かない。
盗賊連合の頭領に悪寒が走ったのは、直後の事。
「――まさかっ? ヤベエ! てめえ等、今直ぐ引き返せ!」
が、彼がそう指示した所で一度動き出した軍は、そう簡単にはとまらない。頭領の近くに居た一部の者は停止するが、多くの者達が彼等の脇を通過する。
その時――その惨劇は起きた。
マイナムが、その道を抜ける。同時に崖の上から、降ってくる物があった。ソレは巨大な岩で、崖の上から落下してきたソレは、彼等の行く手を阻む。ソレを見て、盗賊連合の面々は漸く異常事態に直面した事を知る。
が、踵を返そうとした時、背後からも大岩が落される。前後の道を大岩で塞がれた彼等は、ただ唖然とした。
いや、本当の悲劇はここからだった。更に大岩が落され、ソレを見て彼等は潰されまいと逃げ惑う。次々大岩は落されて、彼等を分断していく。その上で彼等に撒かれたのは――大量の油だった。ソレに気付いた時、彼等の背筋にゾッとした物が走る。
その危惧は現実のものとなり――崖の上から大量の火矢が放たれた。
「――なっ? はッッッ……!」
ならば、ソレは最早一方的な虐殺でしかない。油まみれの彼等は、火矢に触れた瞬間、一斉に燃え上がる。二百名に及ぶ人々が火に包まれ、今や呼吸さえ満足に出来ない。悲鳴を上げ、地面をのたうちまわりながら、彼等は何とか火を消そうともがく。
が、油に引火した火は、簡単には消えず、彼等を苛み続ける。
いや、その頃には重度の火傷が彼等を蝕み、次々死者の群れに変えていく。
その様を崖の上から見下ろしながら、カクラ・ハヤミテは呟いた。
「よく見ておいて、エイジア殿。これが敗者の末路。私達はこんな凄惨な最期を迎えない為にも――勝ち続けるしかない」
「………」
思わず黙然とする、エイジア。果たしてこの様をマイナムが見たら、どう思うか? あの気のいい青年が、この地獄絵図に耐えられる?
エイジア・ヨルンバルトは心底から疑問に思いながら――盗賊連合の最期を見届けた。
◇
「………」
それからマイナムは、カクラの勝利に対する執着を知った。
狭い道に誘導し、敵を閉じ込めてからの火計。実に単純な手だが、往々にして手品のタネとはそういう物だ。タネを明かされれば〝何だ、そんな事か〟と思われるのが常である。
ただその事に気付くのと気付かないのでは、雲泥の差と言って良い。
彼等盗賊連合はその事に気付かず、カクラ・ハヤミテは気付いた。その時点で、この戦の勝敗は決していたと言って良い。
ならば、後は詰めの作業を行うのみ。カクラ達は崖の下におり、彼女は生き残った盗賊連合の一人に問い掛ける。
「で、あなた達がお宝を隠したアジトはどこ? ソレを教えるなら、命を助けてもいい。仮に教える気が無いなら、あなたも彼等と同じ過程を辿って死ぬ事になるわ」
「………」
その盗賊の一人は、自分達の仲間を焼き殺した元凶を前にしながら、戦意を失っていた。なにせ敵は、アレほど凄惨な真似をしながら顔色一つ変えていないのだ。寧ろハエを一匹潰した程度の態度である。この余りに自然な姿を見て、彼は呆気にとられる。だが、周囲の死体を見渡した時、彼の中で初めて怒りにも似た感情が芽生えた。
「……こ、このクソ野郎っ! この悪魔がっ! こんな真似、俺達盗賊でも絶対しねえっ!」
「ソレは、協力を拒むと言う意味? なら、仕方が無い。エイジア殿」
カクラがエイジアに指示を出すと、彼の部下の一人が油の入った容器を持ってくる。ソレを見て、盗賊は青ざめる。
「……ま、待てっ! 待ってくれ! 言うから! アジトなら俺が案内するから、だから殺さないでくれ……!」
「………」
その光景を見て、マイナムは奥歯を強く噛み締める。彼はこの戦いに一片でも正義があったのか、初めて疑問に感じていた。いや――これでは正に〝あの時〟と同じではないか。
そんなマイナムの思いを少なからず感じ取ったのか、カクラは彼に平然と告げる。
「マイナム様、私達がしようとしている事は――戦争です。そして英雄と呼ばれる人間でさえ他国に侵攻した時は、略奪の限りを尽くしている。自軍の兵士達の士気と補給を得ると言う名目で、盗賊にも劣る真似を平然としているのです。つまり戦争においては、自国の利益のためなら敵国にどんな不利益をもたらしても構わないという事。いえ、そうしなければどんな英雄でも軍を維持できないのです。加えて前にも言いましたが、戦場において正義とは勝者が謳う物で、敗者にその権利は無い。それが戦場の常識であり、それが戦争の真実です。弱者は弱者というだけで、虐げられる対象に貶められる。そしてサイバリオンを放置すれば、ソレと同じ事がこの件以上の規模で起こるでしょう。我々はそういった未来を覆す為に、行動しているのです」
「だから……俺達のこの虐殺行為も正しいと?」
「いえ、例え間違っていても、私達が勝ち続ける限り、ソレは善となる。歴史は勝者が定める物だと、どうかご理解ください」
「………」
この時、マイナムにはカクラの想像を超える葛藤があった。カクラにはまだ語っていないが彼にはソレだけの過去があったから。
だが、彼はロマンチストだが、現実を軽視する様な真似は決してしない。戦争がどれだけ多くの悲劇を呼ぶか、漠然とだが理解していたつもりだ。
その戦争を以て皇帝サイバリオンを打倒する道を選んだのは、そもそも彼自身なのである。その為に自分はカクラ・ハヤミテを雇い、彼女は忠実に己の役目を果たしている。
正直言えば、マイナムにとってこの虐殺劇はヘドが出そうな物だ。けれど、カクラにそうさせたのは紛れもなくこの自分なのだ。その程度の分別は、彼にもついていた。
「……そう、だな。これは全て俺が選んだ道だ。君と約束した通り、全ての責任は俺が負う。これはそれだけの話だ」
今は何とか自分を納得させる事ができるマイナム。そんな彼に一抹の不安を感じながらも、カクラは話を進める。
「いいわ。では、あなた達のアジトに案内してもらいましょう。それで、この件は終わりよ」
ついで、カクラの非道は極まった。彼女は盗賊の生き残りにアジトまで案内させ、金銀財宝を回収すると――彼等を皆殺しにしたのだ。ソレを見て、マイナムは再び息を呑む。
「――待て! 彼等は――助けるという話だった筈だ!」
「まさか。彼等は、事の真相を知っています。そんな彼等を一人でも生かして帰せば、私達の悪名が広がってしまう。ソレを避ける為にも、彼等の口を封じるのは必須です」
「………」
「マイナム様、くどいようですが、これが戦争の真実です。敗者や弱者に正義を謳う権利は無く、勝者や強者にのみその権利は与えられる。どのような虐殺も、どのような略奪も、勝者である内は正当化されるのが戦争です。ソレを非道と思う所が、マイナム様の良い所なのでしょう。それを理不尽だと感じる所が、マイナム様の魅力なのかもしれない。ですが、今は現実から目を逸らしてはいけません。私達は戦争と言う絶対悪を善に変えて――サイバリオンを討つしかないのだから。いま私に言える事があるとすれば、それだけです」
カクラがそこまで語ると、マイナムは意外にも毅然とした目で彼女を見た。
「つまり、ソレを実行できない人間は必ず何処かでつまずくという事だな? なら――将として軍師に命じる。これから先は、俺の断りも無く行動を起こすのは止めてもらう。君に俺を僅かでも将だと認める気があるなら、行動を起こす前に全て俺に相談しろ。責任は全部俺がとるのだから、その程度の義務は君も負ってくれ」
カクラは一考してから、返答する。
「確かにソレは道理ですね。何も知らされないまま責任だけを負わされるというのは、どう考えてもフェアではない。ですが、本当にソレで構わない? 事前に私の作戦を聴けば、あなたは作戦実行を躊躇するかも。そうなれば私の構想は崩れ、大義を果たせなくなる。私はそういう事態を何よりも恐れているのですが、マイナム様は違うと仰る?」
「そうだな。何時だって、君が正しいとは限らないだろ? 君の構想とやらが、ただの独善だってケースも可能性としてはあるんだ。俺はソレを正す為にも、君と話し合いたい。君の理屈も分かるが、話し合う事もまた重要な要素じゃないのか?」
彼がそこまで要求すると、今度はカクラが妥協する。
「分かりました。では私に非があると思うなら――どうかその弁舌を以て私を糾弾してください。ソレが正しいと思えたなら、私は喜んで自分の意見を修正しましょう」
「………」
だが、コレはマイナムの我儘と言える。彼はカクラが何をしようと許すと言う条件で、彼女を雇ったのだから。だというのに、マイナムは早くもカクラのやり方に口を出す様になっていた。そんな自分にある種の自己嫌悪を覚えながら――彼は次の段階に進んだ。
◇
それからマイナム達はミストリアの村々を回って、盗賊連合から奪った財宝を提供した。その財宝を使って税を納める様にと彼等に助言し、村人達はこの思わぬ申し出に驚愕する。
だが盗賊達を討伐し、自分達に救いの手を差し伸べてきたマイナム達は紛れもなく彼等の英雄だった。この時カクラは計算通り、ミストリアの村人達の人心を少なからず掴んだのだ。
その上で、彼女は村長レベルの人物達と密談の席を設ける。
「そう。あなた方は今――増税の憂き目にあっているのでは? 恐らくニルバルカは隣国から増税の輪を広げ、徐々に全ての国に増税の義務を与える気でしょう。ミストリアはニルバルカの隣国と言うだけの理由で、増税の標的にされた。まずミストリアに増税を担わせ、その反応を探る。その反応次第でニルバルカは――各国にも増税を負わせる気でいると言った所でしょう」
いわばミストリアは、増税のテストケースだ。
ミストリアがこの増税に反発するか、素直に受け入れるか、ニルバルカはソレが知りたい。その如何によっては、彼等は各国に対する税率を引き上げる算段である。
それはミストリアとしては不平等な話で、とても納得が出来る物では無い。なぜニルバルカの隣国というだけで、ミストリアのみが増税されなければいけないのか?
ミストリアに住む多くの人々が、そう考えているに違いないだろう。
「それもこれも、全てはサイバリオン陛下が傲慢な為。私達はそんな陛下に僅かばかり自重して頂く為に、これからある行動を起こします。あなた方には、その手助けをしていただきたいのですが、如何でしょう?」
「……手助け、ですか? それは話にもよりますが、一体どのような事でしょう?」
村長が問い掛けると、カクラはこの場に同席するマイナムに対しても通達する。
「はい。さるお方を保護し、このミストリアにかくまいたいと考えているのです。あなた方には――その手引きをお願いいたしたい」
だが、ソレが誰であるのか――カクラは遂に語ろうとはしなかった。
3
「で、そのある方とは? 君は一体何をしようとしている?」
村々を回り終えた後、帰りの道中でマイナムはカクラに訊いてみる。馬上にある彼女は、あっさりとその悪だくみを白状した。
「マイナム様、私達にいま欠けている物は何だと思いますか?」
「欠けている物、か。ソレは沢山あるだろうな。兵に人材に、後はそう、大義かな?」
マイナムとしては、サイバリオンを討つ為の大義があるつもりだ。しかし大義とは、万人が認めてこそ初めて大義と言える。例え個人が声高にソレを叫ぼうとも、周囲の人々がソレに同調しなければ大義足り得ない。
他人が認めない大義など、張子の虎と一緒だ。大義とは――皆が共有して初めて力を持つ。
残念ながらマイナム達には、周囲の人々に共感を与えるだけの大義が欠けていた。
「ええ。私はマイナム様の過去を知らないので、あなたの大義に魅力があるか分かりません。ですが、サイバリオンに対して有効とも言える大義の立て方なら存じています。ソレは恐らくサイバリオンが最も恐れている大義と言えるでしょう。即ち――私達はこれからキクネウスの娘を新たな皇帝とし、サイバリオンに対抗する」
「な、に?」
キクネウスの娘を、新たな皇帝にする。それこそがサイバリオンに対抗する、最大の切り札だとカクラは説明する。
「はい。ご存知の通りサイバリオンが皇位を得たやり方は、些か乱暴でした。証拠こそありませんが、彼は兄であるキクネウスを毒殺して皇位を得たのだから。けどニルバルカ帝国の全ての人々が、サイバリオンのこのやり方を認めている訳ではない。今でもキクネウス派の人々は居て、サイバリオンに強い反感を抱いている。私達はソレを利用します。キクネウスの一子である――セイリオ・ニルバルカを私達側の皇帝として担ぎ上げる。仮にセイリオ様を皇帝とすれば、ニルバルカの貴族達も彼女に同調する可能性が出てくる。この構想の利点は、他国に頼る事無くニルバルカと対峙できる点です。セイリオ様が立てば――ニルバルカは二つに割れる。ニルバルカの内部抗争が始まり、恐らくサイバリオンは他国の介入をよしとはしないでしょう。他国の介入を許せば、下手をすると他国に内政干渉を受ける。ニルバルカを乗っ取られる可能性が出てくる以上、この件はニルバルカ一国で収めるしかない。そしてニルバルカ一国なら――私達にも勝算が出てきます。セイリオ様の支持率にもよりますが、少なくとも今よりは兵も集まるでしょう」
マイナムはそこまで聴くと、腕を組んで考え始める。
「……成る程。確か、キクネウスの支持者達はキクネウスが暗殺されたのと同時に、皆国外に亡命したんだったな。サイバリオンの粛清を恐れた彼等は、いま他国に逃げている。そんな彼等がセイリオ様の皇帝就任を知れば、息を吹き返すかもしれない。旗頭さえ定まれば、人心は俺達のもとに集まるかも。そう考えると――確かに悪くない手だ」
というか、マイナムにはそれ以上の手は思いつかない。他国を頼れない以上、ニルバルカを二分して国内紛争に持ち込むと言うカクラの策は最上に思えた。
けれどマイナムは、一つの疑問に行き当たる。
「……というか、セイリオ様ってご健在なのか? あのサイバリオンの事だから、既に何らかの手段を使って殺害しているのでは?」
なにせ、相手は最大の政敵だったキクネウスの娘なのだ。そんな厄介者を生かしている、サイバリオンとは思えない。するとカクラは、事もなく首肯する。
「ええ。他の御子は全て排除されています。ですが、私が調べたところ、セイリオ様だけは今もご健在とか。理由は――サイバリオンが彼女の美貌に惹かれたから」
ソレを聴いて、マイナムは唖然とする。
「……は? 相手は兄の娘で、やつにとっては姪だぞ? その姪に手を出すつもりだって言うのか、あの皇帝は?」
「そういう事になりますね。唯一幸いなのはセイリオ様がまだ十四歳の少女だという事。さすがにその年齢の少女に手を出すのは躊躇われたのか、皇帝は彼女を幽閉するにとどめている。ですがセイリオ様が成人を迎えれば、キクネウス派と融和すると言う名目で堂々と皇帝は姪と婚姻するでしょう。私達の次の仕事はその暴挙を食い止め、彼女を私達の旗頭にする事です」
カクラはやはり平然と説明するが、マイナムは僅かに顔をしかめる。
「……イキナリ仕事のハードルが上がったな。これは正に、ロウランダ大陸の未来を左右する大仕事じゃないか。ソレをこのタイミングで言いだすとか、どれだけ肝が太いんだ、君は?」
いや、それ以前に、なぜカクラはこれほど事情通なのか? セイリオの事についてこれほど詳しいのは、何故だ?
「それは簡単です。カシャンがニルバルカに攻められた時、私もかの帝国について色々調べておいただけなので。仮にあの時点で帝国に内紛が起きれば、帝国はカシャンを相手にしている場合ではなくなる。そういった構想をもとに密偵を使い帝国に反乱の芽が無いか探ってきた。その結果がセイリオ様という事ですが――私達にとって本当に問題なのはここからです」
「俺達にとっての、問題? それは……一体どういう?」
マイナムが眉をひそめると、カクラは真顔で肩をすくめた。
「セイリオ様の情報に関しては、秘匿されている割に、簡単に手に入りました。彼女は今、帝国の首都イスカダルから少し離れた塔に幽閉されているそうです。王宮では無く、そこから二キロは離れた場所に閉じ込められている。一体何故だと思いますか?」
「……それは――まさかそういう事かっ?」
本来は聡いマイナムが、いち早くその可能性に気付く。カクラは、満足そうに頷いた。
「そういう事です。サイバリオンは、セイリオ様をエサにしている。他にも私達の様な構想を抱いている者はごまんと居るのでしょう。そう言った人々を、皇帝はセイリオ様を使って誘き出して捕え、情報を吐かせる。その情報をもとに国外にいる反サイバリオン派の居場所を特定して暗殺者を送り込み、抹殺する。セイリオ様が王宮ではなく、一見隙だらけな塔に閉じ込められているのはその為。セイリオ様に関する情報が簡単に手に入るのも、この構図をつくりだす為の布石です」
「……つまり、セイリオ様の存在自体がサイバリオンの罠という事か。確かにキクネウス皇子の御子がセイリオ様ただお一人になった今、反サイバリオン派は彼女を無視できない。セイリオ様を旗頭にしたいと考えるのは自然だ。そう言った構想に付け込んでいるのが、かの皇帝という訳か。要するに……俺達もセイリオ様の保護に赴けば、サイバリオンの罠にハマると言う事だな」
もしそうなら、この作戦は前提から破綻している。
〝セイリオの奪取=マイナム一派の破滅〟と言っても良いほどに。
けれどマイナムは、ソレが全てだとは思わなかった。なにせこの構想を立てたのは、事前に全てを見抜いていたカクラなのだ。ならば、何らかの打開策も考案済みなのではないか?
「そうですね。ソレを確認する為にも、私達がするべき事は一つでしょう。ここは――イスカダル観光と洒落こもうではありませんか」
「………」
それからカクラは初めて微笑み――マイナムは言い知れぬ不安を抱いた。
◇
「で――あのお武家様はどんな感じですか、カクラ?」
ミストリアの町で宿をとっているカクラは、帰って来た早々コルファにそう訊ねられる。マイナムとわかれ、自分の部屋に戻ってきた彼女は、敢えて返答を先延ばしにした。
「どうとは? コルファは、マイナム様に何か思う所があるの?」
が、やはりコルファという少年は、カクラにはにべもない。
「質問をしているのは俺の方です、カクラ。カクラは本当に、あのお武家様と上手くやっていける? 俺には、あなた達二人は性格が真逆の様に思えるのですが?」
「………」
相変わらず鋭い子だと内心舌を巻きつつ、カクラは自室の椅子に腰かける。
「そうね。正直かの人は、将にしては情が深すぎる。清廉潔白であろうという思いも、他の人に比べて強いでしょう。きっといい領主にはなったかもしれないけど、戦場で兵を動かす将には向かないかもしれない。ただ、矛盾する事にマイナム様個人は強いのよ。剣技もさる事ながら、有言を実行しようとする心の強さもある程度もっている。そして、私にはそういった相棒が不可欠なの。前にも言った通り、軍師とはある種の汚れ役だわ。卑怯、卑劣とも言える策を考案して他人に嫌われる事もある。故に、軍師が一軍を率いて戦うのは非常に困難なの。人望を得られない私達は、だから兵からの支持も得られない。兵から支持を得られなければ、兵を統率する事は不可能だわ。そんな弱兵の集まりは、事も無く叩き潰されるのがオチでしょう。故に、私には私の行いに対して心を痛める将が不可欠なのよ。人は人の情を持った人間には心を許し、ついていくものだから。ソレが戦場と言う極限状態なら尚更だわ。決して自分達を見捨てないと思わせる事が出来る将。彼等兵士がそう思っている内は、私達は軍の体裁を保って戦い続ける事が出来る。そう言った意味では、マイナム様が私に噛みつくのは大歓迎と言った所ね。私と違って、自分は人の情を捨てていないと周囲にアピールする事になるのだから」
カクラがそこまで語ると、コルファは目を細めた。
「成る程。ですがあなたがあの策を用いた時、あの人の自制心は果たしてもつでしょうか? いえ、それ以前に彼がそんな暴挙を許すと思う?」
「へえ? コルファは私が何をするか、分かっていると言うの? ソレは大した物だわ」
〝間違いなくマイナム様さえ気づいていないというのにね〟と嘯きながら、彼女は頬杖をついた。
「いえ、俺は真剣に訊いているんです、カクラ。事と次第によっては――あなた達はそこで終わりかねないから」
ソレはサイバリオンの打倒を、断念せざるを得ないという事だ。だからコルファはカクラに鋭い視線を向け、彼女は床に視線を落す。
「かもしれないわ。けれど、ソレを乗り越えない限り私達に勝ち目はない。私達に今必要なのは、万の兵を集めるに値する大義だから。それなくして、ニルバルカの打倒はあり得ないわ」
つまり、コレは賭けだ。全てはマイナム・パイスンの器にかかっている。
彼が全てを知った時、どう動くか?
ソレは――カクラ・ハヤミテにさえ予想しきれない未来だった。
◇
それからマイナムも、帰ってから早々にこう訊ねられた。
「それで――ハヤミテ殿とは上手くやっていけそうですか、若?」
「………」
きっと自分の憔悴した顔を見て、ヘイゲンはそう言いだしたのだろう。普段は仕事の事には口出ししないヘイゲンだが、今日は違っていた。
「……どうだろう? ある程度覚悟はしていたつもりだが、実際人が無残に殺される様を見ると良い気はしないな。しかも彼女にソレをやらせているのは俺なのだから、始末が悪い。彼女はきっとこれからも俺の我儘を叶える為に、人を殺し続けるだろう。俺はその責任をとるつもりでいるが、果たして本当にそんな事が可能なのか? 仮に誰かが彼女を恨んだ時、俺は彼女を庇い切れるだろうか? 俺が殺されるだけで彼女が助かるならやすい物だが、俺の命は一つしかない。俺が彼女の為に命を差し出せるのは、一度だけだ。なら、俺が死んだ後は一体誰が彼女を守る? もし彼女が多くの人達に恨まれた場合、俺一人では彼女を守りきれない。俺がいま悩む事があるとすれば――ソレだけなんだろうな」
「………」
と、ヘイゲンは一度沈黙してから、マイナムの足を踏みつけた。
「つっ? ……ヘイゲン?」
「いけません、若。その様な後ろ向きな考えで、事にあたると言うのは。確かに若が今している事は、綺麗ごとだけでは成し遂げられない事なのでしょう。ですが――覚悟と諦観は別物です。若は今、復讐の為に全てを諦めようとしている。ご自分の価値を貶めて、ご自分の命を軽く扱っています。果たしてそんな軽々しい方に、多くの人々がついてくるでしょうか? 自分の未来を、この人に託したいと考える? 若なら――どうお考えですか?」
「………」
ヘイゲンがそこまでまくし立てると、マイナムは別の事を口にした。
「ヘイゲン、お前、あの時ワザとエイジア殿達に捕まっただろう?」
「………」
「いや、良いんだ。ヘイゲンは俺の事が良く分かっている。俺が甘すぎて、復讐を果たせないという事まで見抜いていたんだろ? だからカクラとの話を破断させる為にワザと捕まり、俺を追い詰めて、俺の本質を自覚させた。実際、コルファ殿が口添えをしてくれなければ、あの話は終わっていただろう。そんな半端者の俺が大義や復讐を口にするのだから、不安に思って当然だ」
「………」
「そうだな。本当にヘイゲンの言う通りだ。後ろ向きな人間についてくるのは、生きる事を諦めてしまった者達だけだろう。そんな様ではニルバルカを破壊するだけで、新たな国づくりなど到底出来ない。己の死に様ではなく、未来を語る事が出来る者にこそ、その役は相応しい。俺が本当に責任をとるというなら、俺は壊した国を建てなおす所までやり遂げないと。それが本当の、責任の取り方という物だろう」
「……はい。私もそう思います、若」
だが、未だにマイナムはカクラの全貌が掴めていない。彼女は、最終的に何を求めているのか?
カクラがソレを自分に打ち明ける日が来るのか――マイナムはそれさえ定かでは無かった。
◇
それからマイナム一行はヘイゲンとコルファをミストリアに残し、ニルバルカに旅立った。二日後にはニルバルカの首都イスカダルに到着し、カクラ達は部隊を五つに分け、本当に観光を始める。
「成る程。噂には聞いていましたが、さすがは百万都市。何処を行っても人、人、人と言った感じですね」
珍しく徒歩であるカクラが感心したように呟くと、同じく徒歩であるマイナムはフムと首肯する。
「ああ。他にも栄えている国々はあるが、結局の所イスカダルが大陸の中心だからな。特にイスカダルは、今やスハラスト教の聖地になっている。この地を訪れる四割の人間が、巡礼者という話だ」
――スハラスト教。それはニルバルカ帝国の国教である。その起源は千年程前に遡り、初代ニルバルカ皇帝キース・ニルバルカも敬虔な信者だった。
その為スハラスト教はキースがロウランダ大陸を統一した事で一気に広がり、今に至る。ロウランダ大陸の三割の人間が、スハラスト教徒というデータもある位だ。
「ではここで問題です、マイナム様、エイジア殿。皇帝サイバリオンは、最終的には何をしでかすと思いますか?」
小声で訊ねてくるカクラに対し、問われた両名は顔を見合わせる。二人が出した結論は、同じ物だった。
「さて、俺には見当もつかないな」
「右に同じく。まさか軍師殿は、既にソレを察している?」
するとカクラは何でも無い事の様に、説明する。
「いえ、まだ想像の段階です。ですが皇帝サイバリオンをこのまま放置すれば、やがて彼はケイリオ教の弾圧を始めるでしょう」
「は、い。ケイリオ教の弾圧?」
マイナム達にとってソレは、正に寝耳に水の話である。
けれどカクラは、世間話をするかの様な口調だ。
「ええ。スハラスト教に比肩する、ケイリオ教の弾圧です。というのも他ではありません。現在この大陸の二割の住人は、ケイリオ教徒と言われています。ですが自由な気風を教義とするケイリオ教は、国を後ろ盾に持とうとはしない。政治によって教義を捻じ曲げられたくないと考えている彼等は、政治から距離をとっています。その反面彼等には商才があり、商売や金貸しなどで稼いでいてひとかたならぬ財産がある。ケイリオ教の教義は〝自立した精神の育成〟なので、それも当然でしょう。その為この大陸の財の三十分の一は、ケイリオ教が占めていると言われている。なら、そのケイリオ教に何らかのいちゃもんをつけて弾圧し、その財産を没収したら、どうなるか? サイバリオンやその支持者達の懐は、さぞ温かくなるでしょうね」
「………」
と、エイジアは一度黙然としてから、言葉を紡ぐ。
「確かにソレが可能なら、サイバリオンの財産は歴代の皇帝とは比べ物にならない位膨れ上がるだろう。だが、些か話が飛躍しすぎでは? ケイリオ教は国の保護は受けていないが独自の自衛組織があり、一国の軍に匹敵するという。その彼等を弾圧するという事は、その彼等と戦争をするという事。神を崇める信徒に、戦争をしかける。ソレは、神に対して戦争をしかける様な物でしょう。他の国々が、その様な暴挙を認めるとお思いか?」
「ええ、普通に考えればそうでしょう。なので彼等は〝国対ケイリオ教〟ではなく〝スハラスト教対ケイリオ教〟と言う宗教対立に意味をすり替えるつもりなんです。ケイリオ教の聖地はスハラスト教の聖地とも縁が深い。その独占を理由にケイリオ教の聖地を攻めれば、反射的にケイリオ教徒は決起する事でしょう。武力を以てスハラスト教に反発し、スハラスト教はその反発を理由にして彼等を鎮圧する。彼等を捕虜に貶め、後は適当な理由をつけてその財産を没収していく。たぶん皇帝になった時からサイバリオンには、そういう構想があった筈です。現にあるケイリオ教徒の村が――ある日忽然と無人になった事があった」
「……は?」
ある意味ホラーとも言える事を、カクラは言いだす。だがその意味をマイナム達が問いかける前に、予想外の事が起きる。
「え」
「あ」
カクラと、ある通行人の目が合う。両者共に惚けた声を上げた後、こう告げた。
「誰かと思えば――カクラ・ハヤミテ」
「……クロウゼ・ヴァーゼ」
一方は本心から、一方は形式的な笑みを浮かべて――二人は仇敵の姿を見た。
◇
「いや、初めは君だとわからなかったよ。随分イメチェンしたね。それはやっぱり、君はお尋ね者だから?」
「……クロウゼ・ヴァーゼ? この人が――あのクロウゼ・ヴァーゼ?」
ソレは〝カシャンの動乱〟で、カクラの大敵だった男だ。その大敵が、いま自分達の目の前に居る。この遭遇を前にして、マイナムは思わず身構えそうになり、カクラは嘆息した。
「……今日は、間違いなく厄日ね。こんな偶然があるなんて。それとも、これってまさか仕組まれた必然なのかしら、クロウゼ?」
「んー、どうだろう? 私としてはイスカダルをぶらついていれば、もしかしたら君に逢えると思っていたからね。そう言う意味では、ある種の作為性はあったのかも」
クスクスと笑う白尽くめの中年に対し、カクラは思い直したように表情を引き締める。
「いえ、何にしろ、私は貴方に用なんてこれっぽっちも無いの。それじゃさようなら、クロウゼ」
そのまま彼の脇を通り過ぎようとする、カクラ。だが、その前にクロウゼは嬉々とする。
「何だい? 昔の様に〝クロウゼ兄様〟とは呼んでくれないのかい、お漏らしカクラ?」
「………」
ピタリと足を止める、カクラ。それから彼女は、ギギギと首を動かしながら振り返る。
「……一体何の事を言っているのかしら、クロウゼは? その歳で……もう痴呆症?」
「んー? じゃあコノ思い出も、痴呆症のなせる技なのかな? 小さな頃はよく一人じゃ眠れないと言って、私の寝所に下着姿で忍び込んできた事が――」
「だー、本当うるさい! 私は貴方のそういう嫌味な所が大っ嫌いなの! いい加減、それぐらい気付け!」
「はぁ。そうだったのか。ソレは全く気付かなかったよ。ま、ココで逢ったのも何かの縁だ。茶でもしばいて、少しぐらいお喋りでもしようじゃないの。それとも――私を暗殺する絶好の機会を君は見逃すつもりかい?」
「………」
迂闊にも、カクラは今初めてその事に気付く。彼女はマイナムに目を向けると、平然とこう訊ねる。
「どうです、マイナム様? あなたなら――彼を殺せる?」
マイナムの答えは――決まっていた。
「……まさか。信じられん。化物、だ」
彼はクロウゼではなく、その傍らに立つ長身の女性を見て、そう呟く。エイジア一党を一蹴した彼は、たった一人の女性を見て、無意識にその身を震わせていた。
「と、紹介が遅れたね。彼女は――インデルカ・ヤルカ。最近、都会に出てきたおのぼりさんだよ。何でもこの歳まで、田舎で修行に明け暮れていたそうで、私も最近知り合ったんだ。それだけに、残念だな。私と彼女が〝カシャンの動乱〟以前に出会っていれば、あの戦は私の勝ちだっただろうから」
「……何ですって?」
聞き捨てならないとばかりに、カクラが目を細める。このとき彼女は無意識に童心にかえっていて、カクラは子供の様にクロウゼに張り合う。
「こっちだってマイナム様とあのとき会っていれば、確実に私の勝ちだったわ。そうならなかった事を精々感謝するのね、クロウゼ」
「相変わらず勝ち負けが関わるとムキになるな、君は。ソレが君の長所でもあり短所でもあると、師に言われていたんじゃなかった?」
「――だからうるさい! 金輪際あいつの事は話題にあげないで!」
「………」
ソレはマイナムが殆ど見た事が無い、人間らしさに満ちたカクラだった。そこに居るのは年上の男性にからかわれている少女で、断じてあの冷徹な軍師では無い。
「……いいわ。だったら、目にもの見せてやる。マイナム様、彼奴、殺せると思ったら何時でも殺して良いわよ。その条件で良いなら、茶でも何でもつき合ってやるわ」
「決まりだね。じゃあ、ちょっとばかり兄様とお喋りしよう、カクラ」
そうして――カクラ達とクロウゼ達は連れだって近くの飲食店に向かった。
◇
「で、計画はどこまで進んだ? 君が首都までやって来たという事は、第一段階はクリヤーしたという事かな?」
「……は? 何の話よ、一体?」
茶屋で向かい合いながら席に着いたクロウゼとカクラが、そんなやり取りをする。この時マイナムは、二度目の衝撃を受けた。
「だから、軍を養う兵糧までは手に入れたのだろう? なら――後は兵を集めるだけ。その兵を集める為に、君達は首都までやって来た。セイリオ・ニルバルカを皇帝の手から奪取して、彼女を担ぎ上げるのが君の目的だ」
「………」
全てを見抜かれ、思わず声を上げそうになる、マイナムとエイジア。その両者をチラリと横目で見ながら、カクラは嘆息する。
「相変わらず偶に意味不明な事を言いだすわよね、クロウゼって。一体何の話をしているのかしら? 私は単に、観光の為に遥々首都までやってきただけなのだけど?」
「へえ? そうなんだ? それはつまらないな。君の事だから、ニルバルカの打倒を諦めていないと思っていたから。そこの彼等は、君の協力者という事じゃないのかな?」
カクラの否定の言葉はこれっぽっちも信じた様子を見せず、クロウゼも目を細める。その時彼の隣に座るインデルカが、初めて声を上げた。
「だとしたら、中々良い護衛役を見つけたわね。彼、中々の使い手よ、クロウゼ。それこそ私が此処に居なければ、貴方はとっくに殺されている位の」
「………」
途端、マイナムは脈略なく抜刀し――クロウゼの首目がけてロングソードを薙ぐ。
が、ソレをインデルカは――あろう事か人差し指と親指で抓む事で防いでいた。
「ほら、私が居なければ――今の一撃で貴方は死んだ」
「……おぉ、お客様ぁっ?」
ソレを見た店員の顔は青ざめて、近くに居た客達も唖然とする。
が、当の本人達は落ち着いた物だった。
マイナムはあっさりロングソードを鞘に収め、クロウゼは立ち上がって肩を竦める。
「失礼、お嬢様方。今のは一寸した余興なので、気にしないでもらえると助かります」
やはりクスクスと笑うクロウゼは、また席に座る。そんな彼を見て、カクラは言い放つ。
「マイナム様、エイジア殿、彼の事は決して信用してはダメよ。この人はね、自分の欲求を満たす為にしか戦わない人なの。いい例が、あの戦ね。この人はある時ある貴族に味方して、戦争に参加した。だけど、自分の力で勝利を掴もうとした途端――全てを投げ出したの。勝ちが決まった時点で自分の立場を放棄して、戦争から手を引いたのよ。結果、その貴族は最後の詰めを誤り、敗北したわ。元々その貴族は劣勢で負け戦だと言われていたのだけど、その劣勢を覆したのが彼。でも、彼はその時点でその戦から興味をなくした。その所為でどれだけの死ななくていい人達が死んだか、忘れたとは言わせないわよ――クロウゼ・ヴァーゼ」
「だったかな。そう言えばそれからだっけ? 君が私を敵視する様になったのは。カクラには理解出来ないかなー。負け戦を勝ち戦に変える快感が。実の所、私の興味はソコだけでね。初めから勝ちが見えている戦には、関心が無いんだ。それなら命を懸け、負け戦を覆して勝ち戦に変える方が何倍も楽しい。あのギリギリの感覚が堪らなくて、どうしても忘れられない。カクラも、一度そういう体験をすれば私の気持ちが分かると思うけど?」
「だから――私はそうやって戦場を玩具の様に扱う所が大嫌いだって言っているの。その戦場で戦う彼等は、物言わぬ貴方の駒では無いのよ」
カクラは、怒気を込めて言い放つ。だが、クロウゼは笑みを崩さない。
「敗者を自分の踏み台にして、蔑む君に言われたくないなー。君だって、敗者には利用価値しか見出していないだろ? それと同じさ」
「断じて違う」
「そうかい?」
「………」
クロウゼはともかく、カクラは何時になく殺気立っている。そのすぐ隣に座っているマイナムとしては、如何にも居たたまれない。いや、彼が真に脅威と見なしているのは――インデルカ・ヤルカという女性だった。
「ま、いいや。では本題に入ろう。マイナム君と言ったっけ? 君、カクラだけでは心許ないと思っているなら私を雇わないかい?」
「は、い?」
「うん。今はどう考えても、君達の方が劣勢だ。なら、そんな君達を勝利に導けるなら、これ以上の誉は無い。これは私の趣味を、この上なく充足させてくれる状況だ。ニルバルカ帝国を敵に回すと言うのはそう言う事で、本来なら勝算など微塵もないと言える。そんな負け戦を本気で勝ち戦に変えたいなら、少しでも味方は多い方が良いと思うのだけど?」
が、カクラは鼻で笑いながら断言した。
「で、私達が優勢になったら、今度はニルバルカに味方する気なのでしょう、貴方は? そうやって命懸けで戦う私達さえ、貴方は自分の玩具にする」
「おや――バレたか」
やはり嬉々とする、クロウゼ。
それから彼は紙に自分の住所を書き込み、ソレをマイナムに差し出しながら席を立つ。
「ま、気が向いたら私のもとを訪ねると良いよ、マイナム君。それと、もう一つ忠告しておこう。私の妹弟子は、この先一寸無茶な事をしでかすと思う。そのとき君は、彼女の本質を痛感する事になるだろう。けど――果たして君にその覚悟があるのかな?」
「……何ですって?」
けれど、それ以上は語らず、クロウゼ・ヴァーゼ達はこの場を後にする。
店に残されたマイナム達は――それぞれ違った表情で彼等を見送った。
スオン戦記・前編・了
ここまで読んでいただき、誠にありがとうございます。
作中にある通り、今回もヒロインは酷い人です。
余りの酷さに、これは不味いのではと何度も思った物ですが、ここは初心を貫き通しました。
勝つ為なら、何でもやる。
それがカクラ・ハヤミテの行動原理なので。
ソレに比べ、マイナム・パイスンは割と誠実な方だと言えるでしょう。
どうも私は、男性を誠実にしたがる性癖の持ち主のようです。
そして、ヒロインは酷い人にしがち。
私はもう少し自分を騙して、女性幻想を信じられる様になるべきなのかも。
キロ・クレアブル漫遊録に次ぐ文字数の多さを誇る本作ですが、中編、後篇も宜しくお願いいたします。