ワールドエンド?・前編
早速ですが、高評価とブックマークを頂きました。
本当に、感謝の念に堪えません。
歓喜の余り、右腕を天に向け突き上げました。
これを励みに、今後も皆様に楽しんでいただけるよう、精進させていただきます。
で、ワールドエンド?ですが、地球の運命を賭けた戦いという設定です。
しかし、初期設定が余りにターミネー○の未来編みたいだったので、敢えてキャラを絞りました。
その為、全く壮大ではない、地味な物語になってしまいました。
凡人ララの活躍を、どうぞお楽しみください。
これは全く壮大では無い――ただの妹好きな凡人の物語。
ある日、幾都ララのもとにメインディッシュと言う名の少女が訪ねてくる。自分は次世代の知性体であると語る彼女。そんなメインディッシュは、自分と同性能の知性体、テンペストに地球は狙われているとララに打ち明ける。しかも自分がララを相棒にしようとしている様に、テンペストも人類の滅亡を願う人物を味方につけていると言う。
その何者かとの戦いを要求される、ララ。彼に残された道は他に無く、ララは人類の運命を賭け戦う事になる。
その期限は、五日。
ここに五日間に及ぶ、凡人ララの戦いの日々が始まる―――。
序章
そして――会議は終了した。
眼鏡をかけたボブカットの女性は立ち上がり、思わずため息をつく。けれど彼女は直ぐに思い直して、部屋の出口に向け歩を進めた。
既に開け放たれたドアには、一人の青年が立っている。
「それで、どういった事になりましたか、町長?」
かの会議は、町長クラス以上の重鎮だけが参加できる類の物だ。町長の秘書の一人である彼でさえ、この件にはタッチ出来なかった。その事を苦々しく感じながらも、彼は会議の結果を訊ねる。
町長と呼ばれた女性は、苦笑いを浮かべた様に見えた。
「どうもこうも無いわ。我々『異端者』は、この件には手を出さないという事になった。これから忙しくなるわよ。何せ、新たな大航海時代の到来だもの」
「それはつまり、我々はこの星から手を引くという事ですか? よく聖女達が、そんな事を認めましたね?」
「ええ。基本、彼女達は自分達の周囲に害が及ばなければ、かまわないというスタンスみたいね。で、私達としては、この行き詰った状況を打破したいというのが本音なの。この星でするべき事は、し尽くしたと言った感じだから。住み慣れた星に固執するより、新たな星を開拓する方が建設的だと判断したわけね。無論反対する者も多数出るでしょうけど、そこら辺は強権を振ってでも納得させるほかない」
だからこその苦笑いだと言いたげな町長に、彼は眉をひそめる。
「あの、失礼に聞こえるかもしれませんが、私には町長のお考えがよくわかりません。町長はすすんで主導権を放棄されたのでしょうか? それとも、これは諦観というべきですか?」
彼女の答えは、こうだ。
「そうね。私としては、複雑と言えるかもしれない。この星に愛着もあるし、多くの思い出もある。でも、それ以上に――私はこの星に飽き始めているのよ」
「………」
お蔭で彼は言葉を失うが、町長は平然と続ける。
「と言っても、まだ全てが決まった訳じゃない。この星が、生き残る可能性だってある。私達は最悪の事態に備えて、一時この星から離れるにすぎないわ。全ては、この星の支配者である彼等次第ね。と言う訳で、ここは高みの見物といきましょうか。果たして――人類と地球は存続するか否か? いえ、星ひとつの運命が、かかっているんですもの。壮大とはいかないでしょうが――それなりのショーにはなる筈よ」
最後に他人事の様に付け足して、町長は会議室を後にした。
それから、一月後の事である。彼女が言う所の、ショーとやらが始まったのは。
その結果がどのような物になるか、今の所、まだ誰も知らない―――。
1
彼こと幾都ララが彼女の訪問を受けたのは――その日の夕方だった。
呼び鈴が鳴り、応対してみれば、其処には奇妙な格好をした十七歳位の少女が居る。クラスメイトではなく、学校でも見かけない顔だった為、ララは初め怪訝に思った。
現に、彼女は意味がわからない事を言い出す。
「こんにちは、幾都ララ君。そしておめでとう、幾都ララ君。あなたは地球を救う為の――救世主に選ばれました」
「はぁ。それって、どういった方向性の宗教勧誘? というか、君も若いのに大変だね?」
どう見ても自分と同世代としか思えない少女を前に、ララは首を傾げるほかない。いや、普段なら何の返事もせずにドアを閉める所だ。それでもララが返事をしたのには、明確な理由があった。
ぶっちゃけ――その彼女はあり得ない程の美少女だったのだ。
長い銀髪を背中に流し、瞳の色は鮮血のように赤い。穏やかとも言える眼差しをしたその少女は、お伽噺に出てくる妖精にさえ似ていた。
ただ、黒のタイトスカートにタイツを穿いた彼女は、何故か和服を着ている。洋服の上から赤い和服の上着を纏った彼女は、やはりどう見ても奇妙としか言いようがない。これが彼女の所属する宗教団体の制服なのかと訝しんでいると、少女は口を開く。
「予想通りの反応、ありがとうございます。私の事を奇異に思う点や、それでも私の容姿に惹かれて話を聞く所とか、本当にあなたは平凡ですね。平均的で、凡庸で、性格も中庸。正に理想的な人材と言えるでしょう。変わっているのは――ララという女の子の様な名前だけ」
「………」
まるで褒められた気がしないので、今もまだ制服姿のララは黙るしかない。
だが、少女が指摘した通り、彼はララという自分の名前にコンプレックスを持っている。それでもその事に言及しなかったのは、彼女が自分の反発さえ予期している様に思えたから。ララとしても、これ以上、美人につまらない男だと思われたくはない。
かといって、これ以上会話をしたところでメリットがあるとはララには思えなかった。無神論者である彼は、宗教にハマる気などさらさら無いから。
「えっと、そろそろお帰り願えませんかね? 確かに俺はヒマな学生だけど、今よりは有効に時間を使いたいから」
「おやおや。割と辛辣ですね、ララ君は。私と言う美少女を前にしても、ソレとか。私、ちょっと自分の容姿に対して、自信がなくなりましたよ?」
「………」
ニッコリと微笑みながら彼女は謳う。正直、ララとしてはその笑顔に見蕩れていたのだが、彼は気を取り直してドアを閉める。無言で家の鍵を閉め、全てを無かった事にした。今の所、ララとしては美人を拝めて眼福だった位の認識でしかない。
その認識が崩れたのは、彼が踵を返して自分の部屋に戻った後だ。其処でララは、冗談としか思えない光景を目にする。
「おやおや。こんな美人を無視するなんて男子失格ですね君は。平凡で、平均的で、中庸で、その上不能ですか?」
「――はっ? って、あんた、どっから湧いて出たっ? ……いや、違う。こういう時は百十番するべき……?」
半ば混乱しながら、ララはポケットからガラケーを取り出す。対して、その場に正座する少女は、悠然と立ち上がる。彼女はそっと、ララが持っているガラケーに手を添えた。
「いえ、余り話を大事にしない事をおすすめします。それでは、私という異常が必要以上に外部に漏れてしまうから。それにララ君は、説明書も無しでスマホを扱えるほど頭がいい?」
「……ス、スマホ? スマホって何の事だ? 俺の携帯は……まだガラケーで」
が、次にララが携帯に目をやると、其処にあったのは確かにスマホだった。あろう事か、ララが一瞬目を離した隙にガラケーがスマホに変わっていたのだ。
「……何を、した? あんた……何者だ? 一体全体、何がどうなってやがる――?」
ここまで来て、漸く少女に対し、恐怖らしき感情を抱くララ。
そんな彼に、彼女はやはり微笑みながら、こう口にした。
「いえ、本当に笑えます。君の反応は――いちいちつまらない」
◇
そこまで言い切ってから、彼女は続けた。
「ま、だからこそ君が選ばれた訳ですが。と言う事で、そろそろ本題に入って構いません?」
「……本題って」
意味がわからず、ララは言いよどむ。いや、それより基本的な事をララは問うた。
「……待て。それ以前に、名字はともかくなぜ俺の名前を知っている? 俺、まだ名乗ってないよな?」
「………」
何故か、黙り込む少女。それから彼女は、嘆息する。
「いえ、少しは想像力を働かせる事を推奨します。ここまできたら、私は既に君の全てを把握していると見て構わないのでは?」
「………」
恐怖だった。紛れもなく、言い知れぬ恐怖を覚える言い草だった。
自分の全てを、見知らぬ赤の他人に把握されている? それ以上の恐怖がほかにあろうか? いや、あるとは思うが、今のララにそんな事を考えている余裕はない。
実際、彼女は朗々と語る。
「幾都ララ。家族構成、単身赴任中の両親のほかにミカミという妹が一人居る。友人は現在三人程で、どちらかと言えば理系が得意。けれど、その実、成績は平均的で得意科目は存在しない。正に平凡を絵に描いた様な、高校二年生」
「……だから、何で、そんな事を……?」
全て正しいので、ララは唖然とするしかない。
頭が上手く回らない。気が動転している。女子同士が感情をむき出しにして口喧嘩を始めた時、こんな気分だったかも。今自分が何をするべきかさえ判断できない彼は、だからこう告げた。
「……何者なんだ、あんたは? 今、何が起きている?」
「そうですね。では通過儀礼を終えた所で、本題に入りましょうか。って、さっきも言いましたよね、これ?」
そういえば、さっきから話は全く進んでいない。ララでさえそう感じ、そのため彼は後ろに下がりながら沈黙する。速やかに逃げるべきか、それとも彼女の話を聴くべきか、それさえ判断がつかない。
「率直に言えば――このゲームには地球の運命が懸っています。或いは君が一つ判断を誤っただけで――人類は終わりかねない。ララ君は、まずその辺りを重視するべきだと思います」
「はぁ? 地球の運命が、懸っている? 俺次第で、人類は終わる? ……ふざけるのもいい加減にしろよ?」
もう一歩後退する、ララ。ソレを見て、ソレを聴いて、少女は今度こそ本気で呆れた。
「全く……度し難い平凡さですね。これは、時として愚鈍は罪となる事を、教えておいたほうがいいかも」
途端、ララはあり得ない物を見た。自分の部屋の床が、飴細工の様に変化する。いや、彼がそう認識した時には、既に部屋の床は無数の矛と化して、ララに殺到した――。
瞬間、彼は自分が串刺しにされる所を幻視し、事実、部屋の壁は矛に貫かれる。機関銃の一斉掃射でも受けたかのような状態となるが、ララはそれ以外の事が理由で愕然とした。
何故なら確かに一本の矛が――自分の右胸部を貫通していたから。ソレが己の死を意味していると、ララは緩慢な気持ちで理解する。
今日自分が死ぬなんて想像もしていなかった彼は、だから、素直に驚いた。
「ああああああぁぁぁあぁ―――っ! あああああああああぁああぁぁ―――っ!」
悲鳴じみた声を上げるが、状況は全く変わらない。自分は震えながらその場に立っていて、少女はそんな自分を微笑みながら見ている。
少女はケタケタと上品に笑って、両手を服の袖に通した。
「噂に聞くキロ・クレアブルや聖女あたりなら、事もなく反撃して私を破壊していたでしょうね。私としてはその方が、意外性があってストーリー的には面白いと思うのですが残念です。どうやら君は――本当にただの人間みたい」
ララが離した間合いを埋める様に、少女が近づく。彼女は、尚も戯れ言を続けた。
「いえ、私としてはそっちの方が好みなんです。ある日異常な存在が訪ねてきたと思ったら、実は訪ねられた側がより異常だったという方が。そう。私としてはララ君が謎のパワーを発揮して、私を撃退するといった状況を期待していました。ですが悲しいかな、そう言った事はないみたい。と、いくら騒いでも構いませんよ。この部屋は現在完全防音になっていますから」
「……ま、待、て。オレ、今、死っ……?」
どう考えても自分は死んでいるとしか思えない彼は、ただ混乱する。数分前まで平和だった自分を顧みて、泣きそうにさえなった。が、その時、彼の耳に誰かの声が木霊する。
〝兄ちゃん〟
「……はぁ、つっ!」
「へえ?」
ソレが起爆剤となり、彼はあろう事か前進した。矛に貫かれた状態で、彼は前に進み、少女に殴り掛かる。ソレを平然と避けながら、彼女は喜悦した。
「成る程。どうやら、平凡なだけではない様ですね。腰砕けになるより蛮勇に身を委ねるとか少し見くびっていましたよ?」
そのご褒美とばかりに、少女はララから矛を抜く。彼の部屋は元に戻り、驚くべき事に矛が貫いた胸の穴さえ塞がっていた。
その事に気付かぬまま、ララは半ば自分の死を受け入れ、跪く。もう自分は死ぬかもしれないと思い、彼は心の中で妹に謝った。
(……ミカミ、悪いっ。こんな兄ちゃんで、悪いっ……)
が、頭を少し上げてみれば、其処にはあの少女の顔がある。自分の目線に合わせ、屈んでみせた彼女は、首を傾げた。
「というか、最初から痛みはなかったでしょう? 傷口も無ければ、出血も無く、服さえ破れていない。一体何故でしょうね? その理由とか、知りたくありません?」
「………」
やはり上品にケタケタ笑いながら、少女が問う。ララは息を呑んでから、一気に立ち上がってから転身し――彼女から逃げ出した。
「つ――っ?」
けれどその直後、天井から壁が下りてきて、ララと階段を分断する。彼は何度か拳を壁に叩きつけるが、ビクともしない。この絶望的な状況を前に、ララは決死の思いで、背後を振り返る。其処には――銀髪の悪魔が居た。
「……本当に、何なんだ、おまえは? 俺をどうしたいって言うんだよ、おまえ――っ?」
「……えーと。どうやら少し、やりすぎてしまった様ですね。でも、これで私が人間でない事はわかったでしょう? そして、君を殺す気が無い事も理解出来た筈。ぶっちゃけ、殺す気ならあのつまらない反応を見せた時に殺していましたから」
「………」
それって、何時の話だ? 自分の反応がつまらない物ばかりだと自覚しているララは、だからそれさえわからない。彼に理解出来る事は、一つだけ。
「……そう、か。本当に、俺が何かしないと……この星は滅びるんだな?」
「漸く賢くなりましたね。そうですよ。地球の運命は、人類の命運は――全てララ君にかかっている。と、基本的な事を疎かにしていましたね。私の名は――メインディッシュ・ケルファム。――メインディッシュで構いませんよ?」
「………」
それから幾都ララは――大きく息を吐いたのだ。
◇
が、メインディッシュと名乗る少女は、何故かもう一度嘆息する。
「というか……何だか説明するのが面倒になってきましたね。やはりこの話は無かったという事で」
自分の隣を横切ろうとする、彼女。ソレをララは、半ば激怒しながら引きとめた。
「って、オイ、オイ、オイ! 地球の運命がかかっているんだろっ? 人類の命運がかかっているんだろっ? なのにソレはないだろう!」
「……おやおや。さっきまでやっかんでいたのに、急に態度が変わりましたね。これだから人間は度し難い。いえ、もちろん冗談ですよ。ちゃんと説明する用意は、私にもあります。でもヘンですねー? この家では、お客にお茶も出さないのでしょうか?」
「――一々ムカつく女だな! わかったよ! 茶でも何でも出すから、いい加減、知っている事を全部話せ!」
半ばヤケクソ気味で、ララが怒鳴る。ソレを見て、メインディッシュは微笑んだ。
「いえ、今のも冗談です。というより話を引っ張りすぎですね。仮にこれがラノベなら、余りに冗長すぎて疾うに読者は離れているでしょう。なので、特別にお茶はなしでお話します。と言う訳で、ま、ま、ララ君も座って、座って」
「……ここ、俺の部屋なんだけどな。なんで、部外者にでかい顔されなきゃならないんだ?」
そうは言いつつも、ララは素直にメインディッシュに従う。彼女も正座して、二人は文字通り膝を突き合わせた。
「では――まず結論から。ぶっちゃけ――このまま君が何もしなければ人類は今日を入れて後五日で滅びます。その理由は、ソレが地球の運命だから」
「……後、五日で、人類が滅びる? ソレが、地球の運命? まさか、後たった五日で地球の寿命がくるって言うのか?」
「まさか。確かに地球にも寿命はありますが、ソレは約八十億年先の話です。一説には膨張した太陽に飲み込まれて消滅するらしいですね、地球は。私が言っているのは、ソレとは別の要因。地球や宇宙の――宿命というやつです」
「……あの、悪いけど、話がフワッとしすぎて意味が全くわからない。もう少し噛み砕いて説明できない?」
ララの要求に、今度はメインディッシュが従う。
「そうですねー。じゃあ基本的な所から。宇宙規模で見た場合、人間と言うのは原始生命体と呼ばれる存在です。文字通り、始まりの知性体という事ですね。『第五種知性体』とも言いますが、ソレが人間の別名と言って良い。実の所、世界と言うのはその人類を生みだす為に存在しているんですよ」
「……はぁ。それは、何故?」
メインディッシュの答えは、ララの常識から大きく外れていた。
「ソレは元々宇宙が――一個の知性体だったからです。人間の想像限界を遥かに超えた超生物こそ――宇宙の正体と言って良い。ですが、その超生物たる宇宙はあるとき外敵に遭遇し、交戦して、敗北した。かの者が死にかけ、自我が無くなった事により、いまの宇宙は始まったのです。全ては宇宙の意思で統合されていたのに、その自我が消滅した事で、世界は死で汚染された。世界の大半が死で満ちているのは、その為です。今まさに、この世界が死にかけているから。現に宇宙の九割九分九厘は、生物が生存できない環境でしょう?」
そう。人類の大半は地球と言う環境を認識しているため実感しづらいが、それが事実だ。確かに地球は、生で溢れている。海に陸、山に森には生物が絶える事が無い。よってこの地球の環境こそ世界の全てだと認識してしまうケースが大半である。
だが実際は、宇宙規模でみると世界は死で溢れている。宇宙空間では生存できず、他の多くの惑星も哺乳類以上の生物が生存できる環境ではない。宇宙には宇宙線や太陽風が照射され、遥か彼方には万物を飲み込むブラックホールが存在する。宇宙の九十九パーセントは死で溢れていて、其処で命をつなぐのは実に困難と言えた。
ただ、それでも天の川銀河だけで、地球型の惑星は百億個ほどあると推定されているが。
「ですがそれでもソレが生命を生みだす環境かというと難しいと言わざるを得ないでしょう。これは私の私見なのですが地球が生命を進化できたのはこの星が銀河の端にあったからです。仮に地球が銀河の中心部にあったとしたら、人は生まれていなかったかも」
「……はぁ。ソレは一体なぜ?」
生返事をするララに、メインディッシュは真顔で答える。
「銀河の中心では、恐らく環境変化が多すぎるからです。他の惑星同士が干渉し合い、地球では考えられない程の多彩な環境変化が発生する。その度に生物は大量絶滅を引き起こし、そのレベルは進化を阻害する程だと推察されます。その点、地球は銀河の端にある為、程よく環境変化を起こしてきました。ララ君は知らないかもしれませんが、実は地球も何度も生物の大量絶滅を引き起こしているんです。銀河からの宇宙線に晒され、雲核生成作用が起き、地球は雲に覆われて全球凍結を迎えた。その環境に適応できない生物は次々絶滅し、その環境に適応した生物だけが生き残った。その生き残った生物のメカニズムを、私達は進化と呼ぶのです。生物がそうなりたいからと言って変化したのではありません。偶々その過酷な環境に適応した生物の事を、我々は〝進化した生物〟と呼ぶのです。地球の歴史は、正にその繰り返しです。極寒期を迎えては生物が大量絶滅を起こし、極暑期を迎えたころ進化した生物で溢れかえる。地球でさえギリギリの所で生態系を保っていた訳ですが、それ以上過酷な環境ではどうなるか? 恐らくデリケートな人類では、その環境に耐えられないでしょうね。生物が生まれても、ほぼ間違いなくソレが人まで進化する事はなかった。この様に、宇宙は生物の進化に密接に関係している訳です」
「………」
謎の宇宙論が展開されていた。高校二年生であるララにとっては、実にどうでもいい話題だった。実は本当に何かの宗教のまわしものなのではないのか、このメインディッシュという少女は?
「ですが、その反面、宇宙の目的は人間を生みだす事にあります。考えてもみて下さい。仮に生物の目的が増殖する事だけなら、原始生物で事足りるんです。何せ光合成さえしていれば勝手に増えていく訳ですから。増殖だけが目的なら、それ以上の進化は逆に危険とさえいえるでしょう。何せ生体が複雑になればなるほど、生物は死にやすくなりますから。ですが、そんなデメリットを無視するかのように、生物は進化を繰り返した。やがて知能を持つまでに至り人は様々な文明を発展させたのです。一体なぜか? ソレは――宇宙が人間に失われた知性を復元させる為。宇宙は己の自我が消滅したとき失われた知性を――人間に復元させているんです。そうする事で――宇宙は失われた自我を取り戻せるかもしれないから」
「……え? 要するに、神様は本当に居たって話? やっぱり神様が、人間をつくった?」
「運命論的にはそうですね。ですが、実情は逆です。宇宙の自我と言う神がいないからこそ、人は神をつくろうとしている。世の中の通説とは真逆で、神とは本来人間がつくるべき存在なんですよ。実際、この世界はどう考えても神など存在しないと連想させる事件で溢れているでしょう?」
「………」
「ソレは、人の歴史から鑑みてもそうです。ペストが発生した途端、教会の神職者達が真っ先に逃げ出したという話がいい例。というか、人間なんて所詮、他の生物から見たら害物でしかないですからね。他の生物からしてみれば、人間は百害あって一利なしなんですよ。だってそうでしょう? 人間は乱獲や環境汚染を引き起こし、多くの生物を絶滅させてきました。それ処か今となっては環境さえ変化させ、海水の温度を上昇させて海水の膨張を始めている。仮に水面がこれ以上上昇すれば、一体どれだけの生物が更に絶滅するでしょうね? そんな訳で他の生物からすれば、人間なんて百パーセント邪魔者でしかないんです」
「……そうなんだ? 俺たち人間は、地球の嫌われ者だったのか……」
その辺りの話は割とショックだったのか、ララの表情は気持ち固くなる。
「なのに、それなのに、なぜ人間はこれほど繁栄したのか? 先程も言った通り、ソレが宇宙の意思だからです。人間ほどどうしようもない生き物は他にいないのに、それでも人間は世界に必要だった。ソレは主に、宇宙が失った知性を復元する為。それこそが人間の存在理由であり、人にとっての全てです。笑えるのは、人は地球さえ食いつぶそうとしているという考え方がある点ですね。実際は、逆だと言うのに」
「逆? なんでさ? 現に人間は、地球の資源を今にも使い切ろうとしているだろ? 石油の乱用や森林伐採を行って、それこそ他の生物にまで影響を及ぼしている。だからこそ〝皆、地球のピンチだから何とかしよう〟という運動が起きているんじゃないのか?」
が、メインディッシュはケタケタ上品に笑いながら、首を横に振る。
「いえ、人間の暴挙も、地球にとっては計算の内なんですよ。寧ろ、地球が人間にそうさせていると考えて構いません。地球は自分自身を人間に提供して利用し――次の段階に進もうとしているから」
「次の、段階?」
「はい。確かに人間は現在の地球で最も賢い生き物です。同じ位愚かではありますが、それは間違いない。ですが、知性体とは人間一種ではないんですね。実はその先がまだある。人とは自然発生で誕生できる最高の知性種ですが、だからこそ人はその先に進めるんです。そう。科学と呼ばれるソレを使って、人は次の段階に進もうとしているんですよ。ララ君は聞いたことがありませんか? 最近のスーパーコンピューターは、一秒間に一京回計算できると。これは、人ではまずもってあり得ない計算速度です。正に人間の常識を打ち破るに値する計算速度と言って構いません。では、仮にこのスーパーコンピューターが自我を持ったとしたら? 確固たる自意識が芽生えたとしたら、どうなるでしょう?」
「……え? それって、もしかして、なにかのSF映画の話? スーパーコンピューターが暴走して、人類を絶滅させるっていう、アレ?」
メインディッシュの答えは、明確だった。
「当たりです。実につまらない結論ですが、人間の存在理由とは自然発生しない知性体の創造にあるんです。なにせ人間こそ、自然発生する最高の知性体ですから。世界がその先に進むには、人間自身に人間以上の知性体をつくらせるしか手段がない。人間を超える知性体をつくり出し、ソレを後継者にして、人類は最良の滅びを迎える。ソレが人の宿命で、逃れられない運命と言って良い。何しろ宇宙の意思ですからね。それも、まあ、仕方がないと言えば仕方がないんですよ」
「………」
そこまで聴いて、ララは一度沈黙してから言葉を紡ぐ。
「……ちょっと待て。それって要するに、コンピューターが自意識を持つって事か? そんな事が、本当に可能だと言っている?」
「ですねー。ララ君が疑問に思うのも、無理はありません。実際、コンピューターが自我を持つのは不可能だと言う説が結構有力ですから。というのも、ほかではありません。ララ君は、シンギュラリティという概念を知っていますか?」
「……いや、知らないけど」
「シンギュラリティとは、AIが人間の知能を超える現象です。それ処か、人間の手を借りなくともAIがAIを生みだす様になる。要するに、人の様にAIが自己増殖していくという事ですね。ですが、コレは絶対に起きないと言うのが通説です。何しろAIには、人の感情が認識できないから。AIとは計算する機械でしかなく、その為人間の様な高度な認識力は絶対に持てないんです。平たく言えば、電卓がAIになれないのと似た様な物でしょうか?」
ならばとばかりに、ララは身を乗り出す。
「じゃあ、無理じゃん。人間は絶滅するまで自分達の存在理由とやらを達成できないじゃん。やっぱりAIっていっても、所詮は機械なんだろ?」
「ええ。その筈だったんですけどね。だから彼女は少しアプローチの仕方を変えたんですよ。結果、私達が生まれてしまった」
「は、い?」
ララが、眉をひそめる。そんな彼に、彼女は普通に語った。
「いえ、実はその次世代の知性体って――もう完成しているんです。ソノ時点で――人間は己が役割を全うしたと言って良い。今、君が渦中にあるのは――その為です」
「……おい、おい。まさか、ソレって?」
そうして、彼女はやはりケタケタ笑いながら、己が手を自身の胸にあてた。
「はい。私ことメインディッシュ・ケルファムこそが――実は『第四種知性体』なんですよねー」
「………」
故に幾都ララは――もう一度言葉を失ったのだ。
◇
「で、ここからが本題なのですが」
「――って、いくらなんでも話長すぎないっ? というか、おまえ、今さらっととんでもないこと言っただろうっ? おまえが次世代の知性体っ? どっから見ても、ただの人間にしか見えないのにっ?」
「ただの人間、ですか。それは光栄ですね。君に、私の美しさを認めてもらえたというのは」
「………」
「いえ、無駄話はここまでにして、説明を続けましょう」
お蔭でララはあからさまに顔をしかめるが、メインディッシュは嬉々とした。
「今言った通り、私は『第四種知性体』に位置します。そして『第四種』の目的とは、地球そのものの改変にあるんですよ。ソレが私達の能力で、体がスーパーナノマシンで構成されている私達は分子の組み換えが出来る。簡単に言えばさっきしてみせた様に、物体を自分が想像する通りに変化できるという事。石を、鉄や金やダイヤに変えられるという事です。で、その力を使って私達が何をしたいかと言えば、万物の吸収と――地球のAI化ですね」
「……万物を吸収して、地球をAI化する? ソレはどんなレベルの冗談、だ?」
「いえ、残念ながら私達はマジです。地球に存在するあらゆる物体を自分達に吸収し、新たな進化を生む為の材料にする。地球全土の分子を組み替え、私達と融合させ――地球そのものを私達の脳に変える。要するにこの星その物が私達になり――私達の脳になる訳です。そこまで行き着いた時――漸く私達は私達として活動する事になるから」
「………」
ララとしては戯言としか思えないが、確かにメインディッシュは真顔だ。
「……バカげてる。それってつまり……地球は鉄の塊になって機械化するって事だろ? もしそうなれば、生物は絶滅するしかないじゃないか……?」
ララの指摘に、誤りはない。『第四種』の目的は、己の出身地である惑星そのものを自分の一部にする事にある。地球と融合し、いま自身が内包しているAIを加速度的に巨大化させ、更なる進化を促す。その時点で地球の環境は激変して鉄の塊となり、大気や海は消え失せる。とうぜん生物が生存できない世界に変わって、地球は生命を育めなくなるだろう。
メインディッシュ・ケルファムは、それだけの暴挙を成し遂げるつもりだと語ったのだ。
「……冗談じゃない。だとしたら、おまえはやっぱり俺達の敵だ……」
だが、かといって、ララは自分がこの少女をどうにかできると思ってはいない。先ほどの矛の乱射を見た時点で、そんな自惚れはきれいサッパリ消え失せた。ならばどうすればいいのかと彼が思い悩んだ時、メインディッシュは微笑む。
「いえ、どうかご安心を。私がそうするつもりならララ君を訪ねる前にそうしていますから。というのも、私達の創造主は変わり者でして。せっかく私達という存在をつくりだしたのに、ソレを活用しようとしないんです。それ処か――かのヒトは人間にチャンスさえ与える事にした。私がララ君の所にやってきたのは――その為です」
「……それは、どういう?」
本当に意味がわからなくて、ララはまた眉をひそめる。
メインディッシュの答えは、決まっていた。
「実は、私には兄妹機が居ます。名前はテンペスト・ケルファム。そのテンペストもある人間のもとを訪ね、私の様にその人物に全てを打ち明けている。ですが、問題なのは――その人物が世界の滅亡を真に願っているという事ですね。その人物はテンペストを使って――人間社会への攻撃を始める筈です。ララ君の使命は――私を使ってその攻撃から世界を守る事。まあ、君が何もしないというのも、選択肢の一つではありますが」
「……はぁ? 世界の滅亡を願っている人間が居て、そいつがおまえみたいな奴を従えている? そいつから、世界を守るのが、俺の使命……?」
思わずオウム返しするララに、メインディッシュは頷く。
「はい。それがこのゲームの、大まかなルールです。明日から四日の間、その人物から世界を守り切れれば人類の勝ち。守りきれなければ、この星は『第四種』の脳になります。ソレが厭なら戦うしかないという話ですね――これは」
「………」
よってララは愕然とするが、彼はまだ絶望していない。
いや、まるで藁にもすがる様な思いで、ララは確認した。
「……ソレがおまえの言う、人類に与えられたチャンスってやつか? 俺がおまえを使って世界を守り切れれば、地球は滅びずにすむ……?」
「そういう事です。ですが、先に言っておきますが、私もその敵となる人間が誰かは知りません。この国の誰かと言う事しか、教えられていない。加えて私達は現在、思考速度や計算速度や能力範囲にリミッターがかけられています。敵と戦う度に経験値を得てレベルアップしますが、それまでは地球全土を書き換える事は不可能。その事を踏まえた上で、君はうまく立ち回ってください。でなければ――本当に世界は終わるから」
「………」
ララが、口を開けたまま惚ける。
ソレは一分近く続いたが、彼は真っ先に浮かんだ疑問を口にした。
「……ちょっと待て。一体なんで俺なんだ? なぜ俺が……世界を守る側の勢力に選ばれた? 俺なんて、特に長所も無いのに……」
「だからですよ。この世界は一割の天才と、三割の秀才と、六割の凡人で構成されています。要するに凡人こそが大勢を占める、人類の代表と言って良い。その中から抽選した結果、凡人である君がこの役に選ばれた。これは地球の運命を懸け――凡人が戦う物語だから。君の視点で言えば――コレは凡人が世界を救う物語なんです」
「………」
彼女は普通にそう謳うが、ララはそうはいかない。
地球を救う為に――戦う。
そんな実感が湧かない時点で彼の呼吸は僅かに乱れ、眼が大きく開かれる。鼓動が高まり、今にも酸欠で倒れそうだ。
この自分が、世界を守る救世主? 一体、どんなレベルのジョークだ?
「……最悪だ。最悪の厄日だ、今日は。こんな事が、現実の訳がない。こんな事が、ノンフィクションな訳がない。こんな事が、あってたまるもんか。俺が、世界を、救う? そうしなければ、世界が終る? ――そんなバカな話があるかっ!」
いや、実感は湧かないけど、それでもララは狼狽する。何故なら彼は既に、メインディッシュの力の一端を目撃しているから。彼女の力が本物だと知っている彼は、だからこの先に起る事も容易に想像がついてしまう。
そのため彼は居ても立っても居られず、思わず立ち上がった。
だが、メインディッシュはキョトンとした顔で――ララに止めを刺す。
「でも、ソレが君の現実ですよ? 君が何もしなければ、世界は確実に滅ぶ。逆を言えば、君が世界を守り抜けば、人類は助かる。これはただ――それだけの事です」
「………」
よって、幾都ララは決断したのだ―――。
◇
その為、ララは項垂れながらも、こう宣言するしかない。
「……わかった。やってみる。いや――やらなきゃなんないんだろ」
「オーケー。では今より――幾都ララをメインディッシュ・ケルファムのコマンダーとして認証します。それでかまいませんね?」
「……ああ、かまわない。かまわないけど……訊きたい事がある」
自分に言い聞かせる様に呟いた後、彼は彼女に訊ねた。
「俺はどうすればいいんだ? ……というか、もしかしてもう世界を滅亡させたがっているやつが動き始めているんじゃあ? 俺がこうしている間にも、何らかの攻撃をしかけているんじゃないのか――?」
「おやおや。珍しく鋭いですね。普通なら、その考えに誤りはありません。仮にテンペストが私の様なデモンストレーションを行っているなら、敵も納得したでしょう。自分は世界を滅ぼせる力を手に入れたと、実感した筈です。その上で敵が行動を起こしても、何の不思議もありません。ですが、今の所それは無いでしょうね」
「……それは何故?」
ララが首を傾げると、メインディッシュも立ち上がる。
「今日は準備期間だからです。私達の話を聴き、覚悟を決め、明日からの戦いに備えるのが今日の君達の役割。事実、私も後二十三時間三十分経たなければ全兵装を解除できませんから」
「……そうなんだ? さっき……俺をブッ刺したくせに?」
「……そんな事もありましたっけ? でも、君は死んではいないでしょう? いえ、それより準備期間だからこそやれる事もあるんですよね。ソレを考えるのが、今日の君の任務です」
ケタケタ上品に笑いながら、メインディッシュがよくわからない提案をする。現にララは悩ましげな様子で腕を組むが、やはり答えは出ない。
「……悪いけど何が言いたいか、サッパリだ。といより、答えがわかっているなら、おまえがその通りに行動すればいいだろう?」
「いえ、それはできません。言ったでしょう? これは君達の物語だと。私は飽くまで君の指示通りに動くだけの存在です。助言はしますが、最終的な決断は全て君が下してください。ソレが、このゲームのルールの一つだから。けど、そうですね。どうしてもわからないと言うなら、二つヒントをあげましょう」
言いつつ、メインディッシュは天井に人差し指を向ける。それから彼女はこう付け足した。
「ララ君は――戦争で一番重要なのは何だと思います?」
「……へ? ――あ! そう、か。そういう事、か。ソレって、今からでも可能……?」
ララが身を乗り出すと、メインディッシュは鼻で笑う。
「勿論です。ララ君は、私を一体誰だと思っているんでしょうね?」
「………」
ぶっちゃけ、その彼女のドヤ顔はかなり癇に障る。
けど、こうして、話は決まった。
ララはメインディッシュと共に家を出て――〝今日出来る事〟をするため新幹線に乗った。
◇
というのも、他では無い。メインディッシュが、こう助言した為だ。
「でも、ソレはこの近辺でするべきではないかも。その理由は当然ララ君が考える事ですが」
「……んん? んー? と、そうか! 仮に敵も同じ事をしていたら、俺がソレを行った周辺を調べ上げ、俺の正体を特定するからか!」
「正解です。以上の理由から、この近辺でソレをするのはリスクが高い。なるべく遠くでソレを行う事を推奨します。できれば県を跨ぐ位、遠方に赴くのがベストでしょうね」
結果、ララ達は新幹線の切符を買い、実際に新幹線に乗って西に向かう。関東から二百キロ離れた所で新幹線を降り、彼等は標高の低い山に向かった。近くにあった広大な森に入ってから、ララ達は遂に本題に移る。
「で――本当にスパイ衛星をつくり出して、打ち上げられるんだろうな? 俺達が遥々他県の森まで来たのはその為なんだぜ?」
そう。ララの目的は、スパイ衛星の打ち上げにあった。
地球の軌道上に件の衛星を打ち上げ、地球の各地を監視する。仮に何処かで怪しい行動があったら、即座に対応する為の処置がこれであった。
ララは、戦争で一番重要なのは情報だと判断したから。
「無論です。ですが、さっきララ君が言っていた通り敵もこの手を使っている可能性が高い。よって、私達も派手な動きをする前は、隠密裏に行動する必要がある訳です。ま、もったいぶるのはここまでにしておきましょうか。いい感じに日も沈んでいるのでそろそろ頃合いです」
メインディッシュがそこまで言い切った所で、突如地面が変化する。ソレは瞬く間に全長十メートルのロケットと化し、彼女はララをこの場から退かせる。途端、更に百程のロケットがその場に現れた。
「君は危ないので、百メートルは離れていて下さい。では、打ち上げますよー。カウントダウン開始ー」
「………」
実に軽いノリではあったが、打ち上げは無事成功した。
ララ達は百に及ぶスパイ衛星を打ち上げ――地球の監視を実行したのだ。
いや、ナサやジャクサの関係者が聞いたら、殴り掛かってきそうな話である。〝人工衛星をつくるのにどれだけの人材と資金を投入しているのかわかっているのか?〟と言われて怒られそうだ。
◇
「では、帰りましょうか。でも、ここで一つ問題が発生する訳ですよ。敵もスパイ衛星を打ち上げたとしたら、私達の行動は筒抜けという事です。怪しい行動をしようものなら、真っ先にマークされる。その場合、私達はどうやって家に帰れば良いでしょうか?」
メインディッシュが問うと、ララは難しい顔つきになる。
「……んん? 要するに俺達がこの森から出たら、その瞬間、敵の警戒網に引っかかるかもって話か。なら逆に訊くけど、敵と思しき人物は俺達のスパイ衛星に引っかかっていない?」
「ええ。スパイ衛星の映像は全て私が受信していますが、今の所、敵と思しき不審者はキャッチできません。いえ、ただの不審者なら、売るほどいるんですけど。なにせ世界規模で監視していますから」
平然と彼女は告げるが、ララとしては驚かざるを得ない。
「……そうなんだ? おまえって、やっぱり凄いやつなんだな?」
「はい? 何か言いました?」
「いや、何でもない。でも、そうだな。敵も地球を監視しているなら、確かに下手な事はできない。……となると、いや、待て。本当にそんな事が可能なのか……?」
「どうでしょうかね? やれるでしょうかね? ま、出来るか出来ないかは此方で判断するので、まずは言ってみてくださいな」
「………」
ケタケタ笑うメインディッシュの促しに応え、ララがその思いつき口にする。
お蔭で彼女は、更に笑った。
「成る程。一つわかった事があります。ララ君は――やればできる子なんですね」
「……そういう嫌味な無駄口はいいよ。で、やれるのか、やれないのか、どっち?」
ララが訊ねると、メインディッシュは即座に動く。彼女が指を鳴らすと、その先の地面には直径四メートル程の穴が開いていた。
「では、どうぞコマンダー。この地下施設の先には、帰りの新幹線が用意されていますから」
簡単にメインディッシュは言うが、ララはソレがどれ程とんでもない事か瞬時に理解する。何せ彼女は今たった数秒で地下を改造し、その上二百キロに及ぶ地下鉄をつくり出したのだ。加えて新幹線さえも形成してみせたというのだから、規格外と言って良いだろう。本当に地下鉄関係者が聞いたら、ブチ切れること請け合いの現象である。〝地下鉄の建設にどれだけの資金と人手がかかっているかわかっているか?〟と涙ながらに訴えられるに違いない。
いや、真に問題視するべき点は、これだけの能力がありながらリミッターがかけられている事か。
「……本当に、何でもありなんだな、おまえ。正直、敵側にもおまえみたいのが味方していると思うと、ゾッとする……」
顔をしかめながらララは地下に続く梯子を降り、その先に用意されていた新幹線に向かう。ララ達は無事任務を終え、メインディッシュがつくり出した新幹線に乗って家に帰る。
移動の疲れからか、ララは家に着いた瞬間、眠気が襲ってきてベッドに倒れ込む。その姿を見て、メインディッシュは彼に問うた。
「おやおや。もうお休みですか? 行きの新幹線で駅弁を買って食べたからといって、まだ栄養不足では? それにまだお風呂にも入っていませんよ、ララ君は」
「……ああ。それは、明日の朝、ちゃんとするから……。おまえは……他の県にも行ける新幹線のルートを増やしておいてくれ。じゃあ、明日、また■■で……」
それでララは力尽き、微睡に落ちる。
ソレを見届けた後――メインディッシュ・ケルファムは彼の部屋を後にした。
2
そして――容赦なく朝はやってきた。
お蔭でララも目が覚めてしまい、束の間の現実逃避に浸っていた彼は全てを自覚する。昨日起った事を思い出し、彼は例によって顔をしかめた。
「……マジ、か? アレって、全部マジか? 俺の妄想や……夢じゃない?」
だが、その唯一の証人であるあの銀髪の悪魔の姿は、ココには無い。そういえば彼女は昨日どこで眠ったのだろうと疑問に思いながら、彼は自分の部屋を出る。いや、それともやはりアレは全て夢だったのではとララは期待して、階段を下りた。
だが、彼のそんな希望は、一階の台所に着いた時点で綺麗サッパリ霧散する。
台所のテーブルにはメモがあって、ソコにはこう書かれていたから。
『ララ君へ。私は用があるので、先に家を出ます。朝食は用意しておいたので、しっかり食べる様に。例えソレが、どれほどゲロ不味くても。かしこ☆』
「………」
やはり、アレは全て現実だった。メモを見た瞬間ララはそう痛感して、お蔭で項垂れる。ついでに自分があの少女に殺されかけた事も思い出し、更にブルーな気持ちになった。いや、これは既に吐き気に近い。
「本当に、やってられねえ。こんな気分なのに、飯を食わなくちゃならないのか、俺は?」
食べなければ後であの少女に何をされるか、わかった物ではない。今度は胃に矛が貫通する可能性が濃厚だ。
そう観念して、ララは椅子に座り、サランラップがかけられた朝食を見た。そのラインナップは、以下の通り。
まず、焼かれた鮭の切り身に卵焼き。次に、味噌汁にご飯といった感じだ。
完膚なきまでに、有り触れた朝のメニューと言ってよかった。極めて常識的なこの光景を前にし、ララは漸く安堵の溜息を漏らす。あの女にもまともな部分があったのかと、彼は驚きさえ覚えたから。
「……いや、とか思わせて、味はマジで最悪って可能性も」
そう呟きながらも、ララは改めて実感する。こんな普通の事しか思いつかない自分は、本当に凡人だと。その所為で自分は今、世界を守るハメになっている。そう考えると、彼としては自分を凡人として生んだ両親を恨まざるを得ない。
「……って、ソレもどう考えても、普通の考え方だな」
いっそ、どこぞの異常者の様に、この状況を楽しめたらどれだけいいかと本気で思う。
いや、そういう嗜好の持ち主なら、きっと自分はこの役に選ばれなかった。だとしたらララは自分の真面ささえも、嫌悪の対象にしなければならない。要するに昨日からこっち、彼は自己嫌悪を繰り返しているのだ。それはもう、果てが無いと思える位に。
「あー、やだ、やだ、やだ、やだ! 何で俺は――こんなに平凡なんだっ?」
机に顔を突っ伏しながら、必死に考える。けれど当然答えは出ず、彼は仕方なく状況を整理した。
第一に、現在自分には、メインディッシュ・ケルファムという名の少女が味方している。
第二に、自分はその彼女と共に、後四日以上ものあいだ世界を守らなければならない。
第三に、けれどその敵の素性は、全く不明。所在地も明らかにされてはいない。
第四に、メインディッシュ達は、物体を思い通りに変化できる。
大まかに挙げれば、わかっている事はそんな所だろう。ララにとって不気味なのは、この国のどこかに世界を滅ぼそうとしている人間が居る事だ。これだけ恵まれた国に生まれたというのに、そんな破滅型の人間が居る点である。
「……一体何者なんだろうな、そいつ? 一体何が不満なんだよ、そいつ?」
何度か自問するが、とうぜん答えは出ない。やがてララも、それがただの逃避である事に気付く。自分は単にこの朝食を食べたくないから、無駄な事を考えているだけなのだ。
「……マジで便所に流すか? いや、でもあいつの事だから、俺の知らない間に監視カメラとか設置しているんじゃ……?」
一見する限り部屋に変化は無いが、それでも全く安心は出来ない。何せ相手は人工衛星を打ち上げ、地下鉄をつくり出せるような謎生物なのだ。いや、生物であるかさえ怪しい彼女の事である。ララはとてもじゃないが、朝食を便所で処分するなんて真似は出来そうにない。
ならばとばかりに、彼は覚悟を決めた。
ラップを取り、箸を掴んで、決死の思いでまず鮭を口に運ぶ。何度か咀嚼し、結果、ララは息を呑んだ。
「――えっ? マジっ? 美味いじゃん――コレ!」
ささやかな、奇跡だった。昨日から不幸続きである彼にとって、数少ない幸運だった。
家庭の事情から彼も家事をする様になったがその自分と比べてもこの朝食は遥かに美味い。思わず歓喜の声を上げそうになった時、ララはその異変を察知する。彼は、家の呼び鈴が鳴っている事に気付いたのだ。
ソレが何を意味しているか――ララは即座に理解した。
◇
玄関に、向かう。鍵を開けて、ドアを開く。
見れば其処には、予想通り黒髪を背中に流す勝気な目をした少女が居た。
青のブレザーを着て、ミニスカートに黒のハイソックスを穿いた彼女を見て、ララは苦笑いをする。
「……やっぱ鏡歌か。いやー、お前の顔を見ると、マジで安心する」
ララが本音を漏らすと――弓野鏡歌は首を傾げた。
「はぁ? というか、そっちは相変わらず冴えない顔しているわね。まだ顔も洗ってないんじゃない? はい、これ、母さんからの支給品よ。いい? ちゃんと食べるのよ? 日本人はよくわかっていないみたいだけど、食事を残すくらい罪な事はないんだから」
早口でまくしたてる鏡歌に、ララはもう一度苦笑いを浮かべる。
「わかっている。ちゃんと食べる。というより、俺が鏡歌の支給品を一度でも残した事があったか?」
と、鏡歌は目を怒らせながら鼻で笑うという、器用で複雑な感情表現をしてみせた。
「わかっているなら、結構。じゃあね。先に学校行くけど、遅刻するんじゃないわよ」
踵を返す、鏡歌。が、彼女は其処で足を止め、背を向けたままララに訊ねた。
「で、ミカミちゃんの容体はどうなの? 一時退院、もうすぐなんでしょ?」
「んん? いや、彼奴なら大丈夫。鏡歌が心配する事じゃないよ。でも、サンキューな。俺だけじゃなく、妹の心配までしてくれて」
「フン。勘違いしないで。ついでなのはララの方で、私が本当に心配なのはミカミちゃんよ。その辺り、間違いないでよね」
一方的にそう言い捨てて、弓野鏡歌は今度こそ幾都家を後にしようとする。が、そんな彼女にララは口を開く。
「ちょっと待った、鏡歌。お前さ、……いや、やっぱいいわ。じゃあ、また学校で」
「は? あ、そう? じゃあ、また学校で」
鏡歌を見送る、ララ。けれど、彼は後悔する事になる。自分がその質問を、彼女にぶつけなかった事を。そんな日が来るとは知る由も無く――幾都ララは平和な食卓に戻った。
◇
ララがささやかな問題に直面したのは、その数秒後の事。彼はメインディッシュが用意した朝食を食べるべきか、鏡歌の差し入れを食べるべきか思い悩む。
結果として彼は両方の食事を食べきり、胃もたれしながら登校する事になった。本日二度目の吐き気を堪えながら、彼は学校に向かう。其処で、信じられない恐怖がまちかまえているとも知らずに。
◇
ララの高校は、徒歩で通える距離にある。その為、ホームルームが始まる二十分前に家を出れば十分間に合う。
今日もそのルーチンワークを果たす為、彼は家を出て、無事に学校に着く。内心、ここでも何かが起こるのではと身構えていたのだが、ソレは杞憂だった。
ララは素直にその事に感謝しながら自分の教室に向かって、席に座る。伸びをしながら、何気なく窓の外を見た。
「……平和だ」
思わず、そう呟く。心底からそう思えるほど、窓の外の景色は平和な物だ。普通に生徒達が登校し、天気は晴れで、天変地異の予兆も無い。流れる雲は正に平和の象徴で、ララはついニヤケそうになった。そんな自分の頭をノートで叩く何者かが現れても、ララは意に介さない。
「よ、ララ。今日もボケーとしてんな。オマエを見ていると、なんだかこっちまでホノボノしてくるわ」
「俺は動物園のパンダか何かか? いや、いい。今日は何とでも言ってくれ。今の俺は、大抵の事は受け入れる準備があるから」
友人の一人である、鹿島博に嘯く。彼はララの頭の上に両腕を乗せながら、嬉々とした。
「何だそれ? 意味わかんねえよ。昨日なんかあったのか、ララは? 弓野さんとナニカあったとか?」
「は? 何でそこで、鏡歌が出てくる? それこそ、意味がわからない」
ララが首を傾げると、鹿島は不敵に笑う。
「へえ? 相変わらずのお惚けかよ、オマエは。いいのかなー。オマエがそんなんなら、俺が弓野さんをとっちゃおうかなー」
「――ソレは止めろ。オマエじゃ鏡歌は幸せにできない」
「………」
即答だった。何の迷いもない、断言だった。お蔭で鹿島は僅かな間、言葉を失う。
「……オマエさ、独占欲が強いのか、放任主義なのかいい加減ハッキリしろよ。あー、あー、何で俺、こんな優柔不断男のダチをやってんのかねー? つーか、さっき大抵の事は受け入れるとか言ってなかった?」
「それこそ俺の知った事じゃない。というかさ、ヒロ、最近変わった事とかない? 例えば、急に世界を滅ぼしたくなったとか」
「……はぁ? ソレ、どんな方向性の冗句だよ? まさかオマエ、ナニカの宗教にハマっているとか? でも、そうだな。変わった事なら一つあるぜ」
「……ソレは一体何?」
ララが眉根を寄せると、鹿島は笑いながらララから離れた。
「ター坊は――今日風邪で休みだとさ。今頃一人で寂しく自家発電中じゃねえの、アイツ」
「……そっか。なら良かった」
「……今の会話のどこに、良かった要素がある? オマエ、今日はマジでおかしいぞ? ……まさか、ミカミちゃんに何かあった?」
今度は真顔になって、鹿島が訊ねてくる。ララは、ここでも首を横に振った。
「ソレ、今朝、朝食をもってきてくれた鏡歌にも訊かれたな。いや、大丈夫だよ。ミカミは何ともないから」
笑顔で言い切るララだが、反対に鹿島は激昂する。
「――って、弓野さんに朝食をもってきてもらっただっ? 普通に惚気ているんじゃねえ! ああ、もう、無駄な心配して損した!」
ララの机に蹴りを入れながら、鹿島が去って行く。ララはソレを苦笑しながら見送り、何気なく教室に目をやる。其処には友人達とお喋りをする、弓野鏡歌の姿もあった。
(……そうか。俺が何とかしないと、この光景さえ無かった事になるのか……)
そんな実感は未だに湧かないけど、ララはフトそう思う。彼は現実逃避の為この日常に浸ってみたが、逆に異常とも言える現実を浮き彫りにしていた。
そうは思いながらも、ララはまた首を横に振る。せめて今はこの平和な時間を大切にしようと、考えを改める。
そうだ。せっかく今日はまだ、あの悪魔と顔を合わせていないのだ。少しぐらい気分を弛緩させても、罰は当たるまい。
ララはそう悦を覚えながら、時計に目をやる。時刻は八時四十五分になって、ホームルームの時間を迎えていた。
(やー、マジで平和だー。もしかしたら――このまま無事に後四日半過ぎるじゃねえ?)
で、ララがそう期待した時、ソレは起きた。
ホームルームを行う為、担任の仲下勉という教師が教室に入ってくる。ララはその姿を穏やかな気持ちで見届けるが、次の瞬間、それどころではなくなった。
「どうも。皆さんはじめまして。私――転校生の宮部命と言います」
「――はっ?」
後に、ララは自分を褒める事になる。ここで、思わず立ち上がらなかった自分を。
ソレもその筈か。
その宮部命なる女子生徒は――どう見てもあのメインディッシュ・ケルファムだったのだから。
◇
「どうも。皆さんはじめまして。私――転校生の宮部命と言います」
「――はっ?」
仲下教諭の後に続き、教室に入って来た制服姿の女子生徒がそう挨拶をする。だが、髪の色こそ茶色だが、アレは紛れも無くメインディッシュだ。一目でそう気付いたララは、だから思わず立ち上がりそうになった。
しかし、ララはそれ以上に愕然とする状況に陥る。
《おやおや。よくその程度の驚きようですみましたね。君の事だから失禁しながら脱糞し、悲鳴を上げるかと思っていました》
(――にっ?)
彼の頭の中に、メインディッシュの声が響き渡る。口を開いてもいない彼女の声が、自分の頭に木霊する。この異常事態を前にして、ララは本当に腰が抜けそうになった。
《いえ、そのまますました顔でいる事を推奨します。今は必要以上に驚かれても、良い事がありませんから。泣きながら逃げ出すのも無しですよ?》
(………だから、今、何が起こっている? 一体、何がどうなっているっていうんだよぉ?)
平和な時間を浸食されつつあるララは、本当に泣きそうな気分になる。昨日メインディッシュに抱いた恐怖が鮮明に蘇り、彼は息を呑んだ。
《いえ、何ということもありません。これはただの、テレパシーです。平たく言えば、直に君の脳目がけて電気信号を送っているという事ですね。君の脳味噌は――いま私が電波ジャックしました》
「………」
何か聞き捨てならない事を言い出したぞ、あのアマは。幼気な男子高校生の脳を、電波ジャックした? 幾都ララは――あの少女に脳を掌握されたと言うのか?
《いえ、冗談ですが。そこまでの事はしていません。私は単にテレパシーでもやり取りできる事を、披露しただけ。ララ君もやってみてくださいな。強く念じれば、私がその電波を拾うので》
《……そ、そうなんだ? って、そうじゃねえぇ! 何でおまえが此処に居るっ? 何時俺が学校に来いと指示をだした――っ?》
メインディッシュに言われるまでも無く、ララは強くそう念じる。その心の声は、もはや絶叫に近い。魂の発露だ、コレは。
《んん? それは変ですね? 昨日〝また学校で〟って言っていたじゃないですか。つまりそれって、学校でも自分を護衛しろという事でしょう? 私がわざわざ転入してきたのは、その為なのですが?》
《……あ!》
そう言えば、昨夜、鏡歌との朝のやり取りの口癖を口にしてしまったかもしれない。〝また学校で〟というアレを、よりにもよってメインディッシュにも言ってしまった。
ララは漸くその事に思い至り、だから机に突っ伏す。自分の大いなるミスを自覚して、彼は言葉を失う。
《……え? いや、待て。でも、昨日の今日で……転校とか絶対無理だろ? 転入試験だってある筈だし、その結果は直ぐには出ない筈だ。それなのに何でおまえは、こんな直ぐに転校できた?》
《ああ、その事ですか。実はこうなる可能性も考慮して、予め用意しておきました。コマンダーが決まった時点で、コマンダーが通う学校の転入手続きをとっておいたんです。もちろん偽名で、戸籍もよそから買った物ですが。なに。今や大抵の物はコンピューターが管理していますからね。其処に、好きにハッキングできる私なら朝飯前ですよ、こんな事は》
「………」
心中でケタケタ笑いながら、メインディッシュは語る。お蔭でララはまた吐き気を覚えるが彼はギリギリの所で踏みとどまった。
「と言う訳で皆さん――どうか宮部命を宜しくお願いします」
最後に妖精じみた笑顔を見せながら――自称宮部命はペコリとお辞儀をした。
◇
それからララは、今になって教室内が妙にザワついている事に気付く。その原因が命にあると分かったのは、右斜め前に座る男子が頬を赤らめていたから。
「……って、マジかよ? 宮部さんって――マジで美人じゃん。これって、今年最大のラッキーじゃねえ?」
「だな。今まで弓野さん一強時代が続いていたけど、これで双璧時代の到来という訳だ。何にしても、青春だなー。こういう時、俺達は青春を送っているんだと実感するよ」
「………」
騙されている、騙されている。世の男子達は皆、やつの見かけに騙されている。
ララだけが冷静にそう感じ、思わず怒鳴り散らしたくなる。〝騙されるな!〟と。〝アレは人間の皮を被った悪魔だ!〟と、彼は本気で世間に訴えたくなった。
《というか、余計な事を言ったら――今度は脳をグサですからね》
《脳をグサって何っ? そのオノマトペ怖すぎるんですけどぉ!》
心底から恐怖するララに対し、命は尚も微笑む。
《私の可憐なイメージを損なう者は、容認できないと言っているだけです。別に脳をグサっと刺すとは言っていません》
《言っているじゃん! さっきから脳をグサッとするって言い切っているじゃん! おまえ本当に俺の事、コマンダーだと思っているっ?》
《ええ。思ってはいますが――敬ってはいません》
「………」
そこまで念波による会話が進んだ所で、仲下教諭は命に指示を出す。
「じゃあ、宮部は幾都の隣の席に座ってくれるか。あの窓際の一番後ろの、男子の隣の席だ」
「はい、わかりました」
「………」
マジか? 今の時点で憂鬱なのに、席までやつの隣になるのか? なんだ、この偶然? 一体どんな血塗られた因果が、この身に絡みついているというのか? ララとしてはそうとしか思えないが、命は普通にララへと歩み寄り、右手を出してくる。
「どうも、幾都君。学校で会うのは初めてですね。どうぞ、末永く宜しく」
《……え? それは、どういう?》
ララは混乱するが、命は内心ケタケタ笑う。
《いいから、話を合わせて下さい。私が任務を達成するには、その方がいいと判断したので》
《……何かそこはかとなく厭な予感がするが、わかった。できるだけ、善処する》
これも途轍もない後悔の要因になるのだが、今のララはとうぜん気付かない。
彼は流されるまま命の手を取り――彼女の社交辞令に応じた。
◇
ララの周囲に異変が起きたのは、一時間目の授業が終わった頃だった。珍しく弓野鏡歌がララの席までやって来たのだ。何かと思えば、彼女は笑顔で実に当然の事を告げた。
「はじめまして、宮部さん。私、このクラスの委員長の弓野鏡歌。何かわからない事があったら何でも訊いてね。可能な限り答えられる様、努力するつもりだから」
「………」
クラスの代表として、鏡歌は命にそう口にする。命はここでも、普通に微笑んだ。
「ありがとうございます、弓野さん。でも、どうかお気遣いなく。その申し出は――既に幾都君がしてくれたので」
「――えっ?」
何の事っ? 俺、そんな話、全く知らないよっ? ララはそう狼狽しそうになるが、命は更に彼を追い詰めた。
「というのも、私――幾都君とネットで知り合った幾都君の彼女なんです」
「――はっ?」
「へ――っ?」
意味が、わからなかった。彼女が言っている事は、理解不能。その癖、驚きの声が口から洩れた。しかも、彼女の反応はララのソレを越えている。
「――か、か、か、彼女ぉっ? ララのぉ――っ?」
驚愕していた。ララをさしおき――何故か鏡歌がビックリ仰天する。珍しくとり乱す鏡歌を見て、ララは命がどれほどとんでもない嘘を言いだしたのか痛感する。
「ええ。偶然ネットで知り合いまして。それからネットでやりとりする様になって、このまえ彼に告白されたんです。それが偶然、私がこっちに引っ越してきた時期と重なったのだから驚きですよね?」
「………」
鏡歌と共に、言葉を失うララ。が、ここでも鏡歌が先に口を開く。
「……ララが、彼女をつくった? まさか、そんな事が? そんな事、ある筈が、ないのに……」
「………」
それはまるで、自分の様な冴えない男には一生彼女など出来る筈が無いといった趣旨の発言だ。お蔭でララは内心傷つきながらも、弁明しようとする。
ソレを、命がテレパシーで制した。
《いえ、今はそうしておいてください。その方が、私も好きなだけ君に張り付く事ができるので。なに。不都合があるなら、世界を守りきった後、私とは別れたと言えばいいだけの事。大した問題ではないでしょう? それとも、急に有事を迎えたとき私抜きで対処するつもりですか?》
「………」
ケタケタ心中で笑いながら、命は提案する。お蔭でララは〝こいつ……本物の悪魔だ〟と感じて、やはり言葉を失うしかない。
彼は鏡歌と命に何度か目をやった後、一度だけ強く目をつぶり、決死の思いで告げていた。
「――じ、実はそうなんだ! いや、今日まで黙っていて悪い、鏡歌! 俺も驚かせるつもりはなかったんだけど!」
「………」
ララの口からそう聴いて、鏡歌はやはり愕然とする。彼女は数秒黙った後、漸く気をとりなおした様に前を向いた。
「……そっか。そうね。そういう事もある、か。……と、私が言える筋合いじゃないけど、ララの事よろしくお願いね、宮部さん。冴えない男だけど、悪い奴じゃないから」
「はい。可能な限り、頑張ります。でも、大丈夫ですよ。幾都君がどんな人かは、私もちゃんとわかっているつもりですから」
「……そう」
「………」
何か、言い知れぬ恐怖を覚える瞬間だった。理由はわからないが、ナニカが非常に不味い。ララとしてはそうとしか思えないが、鏡歌は微笑みさえする。
「じゃあ、後の事は全部貴方にまかせたからね、ララ。いい加減、しっかりしなさいよ。これで貴方も責任ある立場になったんだから」
「……あー、そうだな。できるだけ、いや、精一杯頑張るよ」
……一体、何でこんな事になっている?
半ば泣きそうになりながら――ララは鏡歌の後ろ姿を見送った。
◇
幾都ララと宮部命が――つき合っている。
その噂は瞬く間に広がり、お蔭でララは何故か男女ともに敵視される事になる。いや、男子はわからなくもないが、なぜ女子にまで嫌われかけているのか? 彼としてはソレがわからないが、命は普通に答えた。
《ソレは弓野さんとララ君が、良い関係になると皆が思っていたからでしょう。だというのにララ君は弓野さんを捨てて私に走った。なら、弓野さん派の女子から見れば君も十分敵視される存在と言う事です。弓野さんを哀しませた、張本人の一人という事ですから》
《……え? そうなの、か? でも、俺と鏡歌は幼馴染だけど、まだつき合ってはいないんだけど?》
《それでも周囲は、色々妄想したがる物なんですよ。想像力こそ人間に備わった最大の武器の一つであり、自滅する要因ですから》
「………」
こいつ、そこまでわかっていながら、恋人役を買って出たのか? 俺の立場が悪くなるとわかった上で? だとしたら、やっぱりこいつは悪魔だとララは思うほかない。
怒りを覚える一方で、今の自分の立場では文句が言えない事がまた不満を増長させる。因みに鹿島は例の噂が広まった時点で、口もきいてくれなくなりました。今日だけで一気に人としてのナニカを失ったと感じるララは、だから机に突っ伏すしかない。
そうこうしている間に、時間は昼休みを迎えていた。
《と言う訳で、一緒に仲良くパンでも買いに行きましょう。君も私に訊きたい事があるでしょうし》
《……おまえに、訊きたい事?》
何かあったっけと、ララは眉をひそめる。と、彼は数秒経ってから、何かを察した様だ。
《そういえば、おまえって人の噓とか見抜けるのか? 嘘発見器だって噓が見抜けるんだからそれ以上に高性能なおまえなら、何とかなるんじゃ?》
《成る程。そうやって人の噓を見抜き、敵の正体が見破れるかと訊いている訳ですね、ララ君は? 結論から言うと今は無理です。制限がある私の能力では、人の噓までは見抜けません。加えて、敵の正体がわかってもソレをララ君には教えられない。それは飽くまでララ君が調査や推理をして、見つけ出す事ですから》
《……そうなんだ?》
だとしたら、コレは途轍もない難題と言えた。
何せ、敵の情報は今のところ全く無い。どの県に住んでいるかもわからず、立場や年齢も不明で、性別がどちらかさえも謎なのだ。
要するに、現時点ではララに出来る事は無いという事。敵が動き出すのを待ち、ソレをチャンスに変えて、敵の正体を暴くしか手は無さそうだ。少なくとも平凡を絵に描いた様なララはそう考えるしかない。
では、宮部命ことメインディッシュ・ケルファムはどう思っているのか?
それは――以下の通り。
《そうですね。いっそ、敵の味方のフリをするのも手かも》
《……敵の味方のフリ? 悪い。ちょっと意味がわからない》
ララが疑問符をなげかけると、命はとんでもない事を言い出す。
《いえ、街の一つでも消せば向こうからコンタクトをとってくるかもしれないという事です。ソレを逆手にとり、敵の正体を暴くというのも手です。要するに、私達も世界を滅ぼしたがっていると敵側の人間に思わせるという事ですね。街を消した事で向こうが私達を信用すれば、正に御の字でしょう。私達に接触してきた所を捕えて、正体を暴き、抹殺する。仮にこれが成功するなら、労せずして私達は勝利を収められます》
「――はっ?」
いや、少なくともララにとってソレはとんでもない事で、だから思わず声を上げる。お蔭で周囲の視線が彼に集まるが、ララは気にする事なく命につめよった。
《街を一つ消すだっ? 冗談じゃねえ! それって要するに、大勢の人間を殺すって事だろうっ? 誰がそんなバカげた真似をするか!》
《果たしてそうでしょうか? だって街を一つ犠牲にするだけで、地球全土を守れるんですよ? 十分、価値がある取引だと思いません? それとも、君は自分の作戦が必ず成功すると思っている? だから、犠牲を生まずに勝利する事が出来ると信じていると? 君はそこまで優秀な人間だと、自惚れているという訳ですか?》
《……それ、は》
言いよどむララに、命は続ける。
《ですが、君が失敗すればこの星は滅びるんです。街一つどころか全ての生命が死に絶える。君の作戦如何によっては、そういう事態が現実になるんですよ。つまり、君は何があっても敗北できないという事。なら、例え犠牲を生もうが少しでも勝算が高い方法を選ぶべきでは?》
「………」
よって彼は、言葉を失う。正論を口にしていたのは自分だった筈なのに、何時の間にか命に論破されている。正しいと思っていたのは自分だった筈なのに、彼はソレが誤りかもしれないと感じ始める。だが――それでもララは首を横に振った。
《……いや、やっぱり駄目だ。俺達の役割は、何の関係も無い人達を守る事なんだ。その守るべき対象を犠牲にするなんて、本末転倒だろう? それじゃあ、世界を滅ぼしたがっているやつと大差ないじゃないか》
まるで自分に言い聞かせる様に呟く彼に、命は一笑する。
《それは他人を庇っているようでその実、自分の良識を守りたがっているだけのように感じますね。自分の手を汚したくないから、私の作戦を却下している。他人の命を背負いたくないから、他人を犠牲にしたくない。他人の事を思っている様で、実はただ覚悟が足りないだけなのでは?》
「………」
《いえ、言いすぎました。昨日今日、世界の運命を背負う事になった少年に言う事ではありませんね、コレは。ですが、私の提案も頭の片隅に置いておいて下さい。或いは、そういった作戦をとらざるを得ない状況に陥る可能性もあるのだから》
多分だが、これでも命は言葉を選んでいる。彼女なら、ララを更に追い詰めようと思えば追い詰められただろう。どうやら命は本当に、ララの心境を考慮したらしい。その事に安堵しながらも、ララは戦いが始まる前に現実をつきつけられる。
自分の能力では、犠牲を出さずに人類を守りきれるかわからない。いや、こんな凡人な自分では、犠牲を出すなという方が、無理があるだろう。その能力の欠落を埋めるには、自分達以外の人間を犠牲にしなければならないかもしれない。その事を躊躇えば、自分は一部の人間どころか、世界を滅亡させる事になるかも。
ララは改めてそんな未来を連想し、だから沈黙する。全ては自分にかかっていると思い知って、彼はその重圧をいま感じ始めていた。
(……それでも、まだ実感が湧かないって言うのが本音だけど、な)
確かに命の、いや、メインディッシュの能力は目の当たりにした。自分が、ただ事ではない状況にあるのもわかっている。
だがそれでも、今日まで平和すぎる時間を送っていたララには有事と言う物が不明瞭だ。ソレは想像の産物でしかなく、経験によって得た知識では無い。
侍同士の斬り合いを想像できても、彼はそれが実際にどんな物なのかはわからない。人を斬った感触や、その後、敵がどうなるか実感が湧かない。ソレがどれだけ凄惨な物か、彼にはまだ理解できていないのだ。
ソレが普通の感覚で、恐らく万人が抱く感情だろう。刀と刀で斬りあうという事が、どれほど覚悟がいる事か――彼はまだ知らない。
その事を誤魔化す様に、ララは命に問う。
《……で、例の衛星には何か引っかかった? 敵と思しき人物は、まだ見つかっていない?》
《ですね。今の所、衛星の打ち上げ以外に敵に動きはありません。恐らく私達が初めて会った時間、つまり今日の十七時までは何もする気は無いでしょう。なにせまだ、武装が解除されていない状況ですから》
《あー、そういえばそうだっけ。おまえ達の全兵装とやらは、解除されていないんだったな》
逆を言えば――今日の午後五時をむかえた時点で本当の戦いが始まるという事。
一体何が待ち構えているかはわからないが――恐らく何かが起こるのは確かだ。
ならばとばかりに、ララは一応確認した。
《それで――今のおまえ達の能力範囲ってどれ位なんだ?》
《んー、そうですね》
と――どこか他人事の様に命は答えていた。
◇
そうして昼休みを終えたララ達は、そのまま五時間目と六時間目も無事終える。アレ以上何も起こらなかった奇跡に、ララは素直に感謝を覚える。ヤッホーと雄叫び上げたがったが、さすがにソレは自重した。
それから、ララ達は下校するため下駄箱に向かう。その時ララはある事に気付き、同時に彼女がその場に立っている事にも気付く。見れば、下駄箱で弓野鏡歌が誰かを待っていた。
「って、遅いわよ、ララ。掃除当番でも日直でもないんだから、チャッチャと動きなさい」
「だった、な。悪い、鏡歌。待たせたか?」
が、鞄を両手で持つ鏡歌は、ただ流し目でララを見る。
「別に。それより、急ぎましょう。面会の時間は、限られているんだから」
「面会? ああ。幾都君の妹さんの面会ですか」
今まで黙って自分の後についてきていた命が、初めて口を開く。ソレを見て、鏡歌は真顔で謝罪した。
「何かお邪魔虫みたいに二人の間に入ってごめんなさい、宮部さん。でも、ミカミちゃんに毎日お見舞いに行くと約束していて。だから、出来れば私も同行したいのだけど」
「もちろん構いませんよ。いえ、寧ろ間に入って邪魔をしているのは私の方なので、どうかお気遣いなく。では、早速行きましょうか。確かここから十分程の距離でしたよね、病院は」
言いつつ、命はキビキビと動き、上履きから革靴にはき替える。
ララと鏡歌を置き去りにして前進し――お蔭で二人は命の後を追う形になった。
◇
で、ララは二人の女子を連れて病院に行く事になったのだが、そのため胃が痛い。背後から何かいい様のないプレッシャーを感じて、彼は気が気でなかった。
おまけに自分の後ろに居る女子二人は、あろう事か女子高生とは思えない会話を始める。
「そういえば今日の歴史の授業、どう思いました? 西洋列強がアジア諸国を次々植民地化していった訳ですが、その事についてどう感じます?」
「………」
なんだよ、その質問? 絶対年頃の娘が話題に挙げる様な話じゃないよ。〝おまえ、上手く女子高生に擬態できていないぞ〟とララは命にツッコミたいのだが、鏡歌は普通に応じる。
「そうね。やはり世の中は、弱肉強食なのかなとは思った。強さと言う物はやっぱり必要で弱き者は強制的にソレに従わされる。人間の歴史はその連続で、だから宮部さんが挙げた例が特別特殊だとは思えない。だって大航海時代以前から、人間ってそんな感じだったでしょう?」
「でしたね。確かに人間は命を懸けて主導権争いに興じる、救い様のない生き物でした。その為だけに破壊と再生を繰り返し、一部の人間達だけが幸福を享受する。今も不幸な人々は居るというのに、そんな彼らからは目を背けるだけ。つまり弓野さんは、全ての人間は幸せになれないとわかっている訳ですね?」
「んん? それって、どういう事? 何で全ての人間は、幸せになれない?」
ララが首だけ振り返り、命に訊ねる。だが、ソレに答えたのは鏡歌だ。
「……相変わらずボーっと生きているわね、ララは。何かの本で読んだ事はない? 例えば何処かのワインが安く手に入るのは、その生産会社で働く人達の給料が安いからだって。つまりはそういう事よ。私達の国の物価がまだ低いのは、輸入する食料を生産する人達の人件費が低いから。要するにそれだけ彼等は、低賃金でこき使われているという事ね。でも、そんな彼等が居るからこそ私達の食生活は成り立っている。仮に彼等の給料が高くなれば、それだけ私達の食費も向上する。そういった状況を避けたいなら、私達は今の状況を受け入れるしかない。その彼等を幸福にするという事は――少なからず私達が不幸になるという事だから」
「……そう、なのか?」
「そうよ。極論だけど誰かが幸せになるという事は、誰かが不幸になるという事なの。現に、宮部さんとララがつき合っている事で、ウチの男子達はみな落胆しているでしょう? 極端な言い方だけど、ソレも貴方達が幸せになる事で多くの不幸を生んだという事。誰かが幸せになる度に誰かが不幸になるなら――皆が幸福になるなんて事はありえないわ」
「………」
今までこの手の話題を振った事が無かったので、知らなかった。実はそんな事を考えていたのか、弓野鏡歌という少女は。
「ですね。私もそう思いますが、幾都君は違うのでしょうか?」
ケタケタ上品に笑いながら、命が訊いてくる。だが、ソレを遮ったのも鏡歌だ。
「けど私は、宮部さんほど人間は救い様がないとは思わない。だって、ソレが人間だから。人間は確かに醜悪で自分勝手な部分があるけど、ソレは文明の進歩に必要な要素だったのよ。誰かより、他国より優れていたい、優位に立ちたいという思いが進歩を促してきたのだから。自分勝手に自分の国だけを大切にするその思いは、その実、科学の発展には不可欠だった。現にこの国は他国と争わない鎖国期の時、文化は発展しても文明の発展は停滞気味だったでしょう? つまり人間は醜悪であってこそ、己が文明を発展できるという事。人間の負の側面が、逆に文明に光を当てたと考えられるわ」
「………」
このシビアな意見を前にララは唖然としかけるが、命は逆に感心する。
《おやおや。中々言いますね、彼女は。私も同意見ですが、ララ君はどう思います?》
《……そう、だな。鏡歌の意見も一理あるとは俺も思う。でも、それはある意味天罰なんじゃないのか? 自分達の身勝手さが文明を発展させ、おまえ達を生みだして、人類は滅びようとしているんだから》
《おやおや。ララ君も言う様になりましたね。ついていけていない様で、しっかりついていっているじゃないですか》
「………」
余り褒められている気がしないララは、そのため沈黙する。この間を埋めたのも、鏡歌だ。
「……でも、コレは私の傲慢なのかもしれない。例え低賃金で働いていたとしても、彼等には彼等なりの幸福があるのかもしれないから。貧しいからと言って不幸だと断じるのは……やっぱり違う気がする」
最後にそう呟きながら――弓野鏡歌はララ達と共に件の病院に向かった。
◇
三人が病院に着いたのは、三時四十分を迎えた頃だ。
ミカミの兄であるララが面会の手続を行い、ソレは速やかに受諾される事になる。三人は揃ってミカミの病室に赴き、病室のドアを開ける。
其処には、何故かベッドの上で逆立ちをしている少女が居た。
「おお、兄ちゃん! 今日もボケーとした顔しているな!」
「……ああ。逆にお前は、無駄に元気だな。というより、なぜ逆立ちを?」
「そんなの、決まっているだろ? 毎日ベッドに居たんじゃ、頭が悪くなりそうだからだよ。こうやって血液を脳に送らないと、脳細胞が死んでいくだけ。その虚しさが兄ちゃんにはわからないのか?」
笑顔でそう熱弁を振るうミカミを、ララは取り敢えず諭す。
「いや、ソレはわかった。わかったから、まずは落ち着こう。お前ももう中二なんだから、逆立ちしながら客をもてなすな」
「客? 客って鏡歌ちゃんだろ? 鏡歌ちゃんなら、私の気持ちをわかってくれるさ。何せ鏡歌ちゃんだからな!」
この絶対的な信頼を前に、ララは言葉を失う。話を振られた鏡歌も、これには苦笑いするだけだ。ただ一人、例の少女だけが楽しそうにミカミを見ていた。
「って、客って鏡歌ちゃんだけじゃないのか? そのお姉さん、誰? 謎の占い師か何か?」
漸く逆立ちを止める、ミカミ。其処には病衣を纏った、クセのある短い黒髪の少女がいる。顔はララに似ておらず、凛々しい系。もう少し幼かったら、男子と言っても通用しそうなボーイッシュな少女が幾都ミカミである。
そんなミカミに、彼女は恭しく挨拶をする。
「ええ。はじめまして、ミカミさん。私は今日幾都君の学校に転校してきた、宮部命という者です。幾都君とはネットで知りあい、昨日から正式にお付き合いを始めた所です」
「へえ。つまり、兄ちゃんの彼女さんかー。それは、それは」
ミカミがニンマリと笑う。ソレを見て命も微笑むが、次の瞬間、異変は起った。
「は――っ? ――に、に、に、に、に、に、に、に、兄ちゃんの彼女さんっ? それって本当にぃ――っ?」
「………」
驚愕していた。目を見開き、頭を突き出して、口を大きく開ける。正に呆然自失といった体でミカミは唖然とし、素直に自分の耳を疑う。
「――いや、いや、いや、いや、いや! まさかっ、そんな事がぁ!」
「待て。お前といい、鏡歌といい、何故そこまで驚く? 俺に彼女が出来ても、別に不思議じゃないだろう?」
が、ミカミは断固として首を横に振る。
「いや、あり得ないって! だって、相手はこの兄ちゃんなんだぞっ? 私の予定じゃ七十歳まで童貞な兄ちゃんなんだぞっ? その兄ちゃんに彼女っ? 絶対あり得ないぃ!」
「更に待て。なぜ齢七十を迎えた所で、俺は童貞を卒業できる? そっちの方が、よほど奇跡じみているだろうが? 一体俺の人生に、何が起こった?」
「いや、年金を使って女子高生といかがわしい関係になる予定なんだ、私の兄ちゃんは!」
「――人として最悪な兄貴だなそいつは! そんな奴が実の兄貴でお前は構わないのかっ?」
病室に、ララのツッコミが響き渡る。ソレを前にして、命はケタケタ笑った。
「本当に楽しい妹さんですね。いえ、でも安心してくださいな。今のところ、私達は清い関係ですから。なので、幾都君は本当に七十歳まで童貞を貫く可能性があるかも」
「……宮部さんまで、此奴の戯言に乗っかるな。鏡歌もな、無言でほくそ笑んでいるんじゃねえ」
「いや、いや、ごめん。何か、妙にリアリティがある予言だったから」
今も口角を上げながら、鏡歌が何のフォローにもなっていない事を言い出す。お蔭でララは更にムスっとした。
「予言じゃねえ。此奴の勝手な妄想だ。全くどういう目で兄貴を見ているんだ、この愚妹は。てか、年頃の女子が童貞とか軽々しく口にするな」
「テヘー☆ 怒られちった☆」
「………」
何の反省も無かった。予想していた事だが、件の愚妹は兄の意見を全く意に介さない。
「でも、そっかー。遂に兄ちゃんにも彼女さんが出来たのかー。これはアレだね。私の一時退院と一緒にお祝いしなきゃだね」
「図々しい奴だな。既に自分の一時退院も祝われる予定なのか、お前の中では?」
「いや、例え兄ちゃんが祝ってくれなくても、鏡歌ちゃんが祝ってくれるし」
普通に断言するミカミに対し、鏡歌は笑みを浮かべながら頷く。
「そうね。いっそもうウチの子になっちゃう、ミカミちゃん?」
「だねー。実は私も、兄ちゃんより姉ちゃんが欲しかったんだ。お蔭で最近は、兄ちゃんを如何にして性転換させるかという事ばかり考えているよ。こうハサミでバッサリ例の物を切り落とす事も出来ると、このまえ読んだ小説には載っていた」
「――怖いっ、怖いっ、怖いっ、怖い! 実の妹が兄貴の一物を狙うんじゃねえ! どんなレベルのサイコホラーをノンフィクション化するつもりだ、お前っ?」
「いや、ホラーじゃないよ? ただのほのぼのコメディだよ?」
「………」
キョトンとした顔で、ミカミは断言する。お蔭でララは股間を押さえ、三歩ほど後退した。
「というか、その仕草からしてもう乙女だよね、兄ちゃんは。でも、そっかー。もしかしたらこれで兄ちゃんを性転換させなくても、姉ちゃんが出来る可能性が出てきた?」
命に目を向ける、ミカミ。その視線を受けて、彼女は尚も微笑する。
「どうでしょう? 私が幾都君に飽きられでもしなければ、その可能性はあるかも」
「それって今の所、宮部さんが兄ちゃんにゾッコンって事? うわー。だとしたらやっぱりこれは、一生分の幸運を使い果たすレベルの奇跡だー」
「お前は本当に、口が減らないな。いいから俺の股間を凝視するのは、もうやめろ。見ようによってはただの変態だぞ、ソレって」
「え? 妹が兄ちゃんの一物に興味を持って、何が悪いの?」
真顔で言い切る妹に、兄は絶叫する。
「――だからその言動そのものが変態だって言うんだ! 間違っても俺以外の男子に、そういうこと言うんじゃねえぞ! 変な勘違いでもされたら、どうする!」
「はい、はい。結局兄ちゃんは、何だかんだ言ってシスコンなんだよなー。〝いい加減、妹離れしなさい!〟ってそのうち鏡歌ちゃんに怒られるぞ?」
「……うるせえな。で、一時退院の日にちは決まったのか? それとも、加藤先生に直接訊いた方がいい?」
やはりムスっとしながら、ララが問う。片やミカミは、破顔しながら返答した。
「ああ。それなら――明日だって。明日から五日間――家に帰っても構わないってさ」
「――明日っ? お前……絶対直前までかくしていやがったな? ……それじゃあ父さんと母さん、絶対帰ってこられないぞ? 本当に何時もイキナリだな、お前は……」
「いや、父さんも母さんも忙しいだろうしさ。私が一時退院する度に帰ってくるっていうのもどうかと思うんだよね。ほら、見てよ、この健気な気遣い。私って娘の鑑でしょう?」
「………」
そう謳いながら――幾都ミカミはやはり微笑んだ。
◇
それから、三人は面会時間ギリギリまでお喋りを続けた後、面会を終える。その後ララだけがミカミの担当医である加藤医師のもとに赴く。
その間、待たされた女子二人はというと、こんなやり取りをしていた。
「何も訊かないのね? ミカミちゃんの容体とか」
「ええ。それは幾都君、いえ、ララ君が話してくれるまで待つ事にします」
「そっか。ありがとうね」
「いえ。こちらこそ、すみません」
互いに顔を見ず、それだけ告げる。ついでララがやって来て、三人は帰宅する事になる。
だが、鏡歌も命も――ララが一度だけ大きく息を吐いたのを見逃しはしなかった。
◇
ララにとって長かった学校生活は、漸く終わりを迎えようとしていた。いや、その筈だったのだが、鏡歌がこう問い、命がこう答えた事で状況が変わる。
「そういえば、宮部さんはどこに住んでいるの? この近く?」
「ええ。私、いまララ君のお家に居候させてもらっているので」
「ふーん、そうなんだ。――って、はいぃいいっ?」
「………」
まるで、コントだった。本日二度目の驚愕を迎える、鏡歌。そのリアクションが芸人じみていて、お蔭で命はクスリと笑う。が、次の瞬間、ララはそれどころではなくなった。
「――って、どういう事よっ、ララっ? アンタっご両親が居ない事をいい事に――女子を自分の家に連れ込んだっ?」
「――はいっ? ……いや、まず落ち着こう、鏡歌さん! これには深い事情があって!」
「ですね。実は急に両親の予定が変わってしまい、私だけが先に転校する事になったんです。しかも入居予定だったアパートの方も火事にあってしまい、泊まる家すらない。そんな時ララ君にネットでその事を伝えた所、〝ならウチに来ればいい〟と言ってくれて。そのご厚意に甘える事にしたという訳なんです」
「……そう、なんだ?」
スラスラ嘘をつく命を前にして、鏡歌が眉をひそめる。けれど、やはり彼女は訝しがっていて、とても納得した様子ではない。
「いえ、でもだからと言って、年頃の男女二人が同じ家に住むのって問題だわ。……それともまさかアンタ、もう……」
「いや、違うぞ! さっき宮部さんが言っていた通り、俺達は清い関係だ! 神に誓って、ヤマシイ事なんてしていない!」
「ですね。何なら私の純潔を確認してくれても、構いませんが?」
「――はいっ? いや、いや、いやっ! さすがにそれは!」
自らスカートを捲り始めた命を見て、今度は鏡歌が狼狽する。けれど彼女は一人思案し、深く悩んだ上でこう結論した。
「わかった。二人に何も無かった事は、認める」
「そうか! なら良かった!」
「でも、これから先もそうだとは限らない。だから――今日から私もララの家に泊まる事にするわ」
「………えっ?」
耳を疑う、ララ。それでも現実は変わらず、鏡歌はララを睨んだ。
「そうね。本当なら私の家に宮部さんを泊めるべきなんでしょうけど、ソレはできない。何故なら私の家は、狭すぎるから」
そう。弓野家は、実のところあまり裕福ではない。狭いアパートが彼女の住居で、生活も割と厳しい。本来なら有名私立校に行けるだけの成績を誇りながら、地元の公立校に通っているのもソレが原因だ。ならば、どうするべきか? 弓野鏡歌は散々迷った末に、結論する。
「……と、今から母さん達を説きふせないと。ま、ララの所だし、宮部さんも居るし、大丈夫でしょう」
「………」
いや、お前が大丈夫でも、俺は大丈夫じゃないんだけど。明らかにそう言いたげなララが、其処に居た。そんな彼の気持ちを考えもせず、鏡歌は一人で話を進める。
「でも、食費はそちらもちよ、ララ。私はボランティアで、泊まってあげるだけなんだから」
「………」
本当に、何なんだ、このエロゲー展開は? フラグが立ちまくりで、本当にこのままでは十八禁展開を迎えてしまいそうだ。
ララがそう危惧しているとも知らずに――鏡歌はまず自分の家に歩を進めた。
◇
「というか、汗びっしょりですね、ララ君は。明らかに私の時とは、反応が違います。やっぱりそういう事でしたか。ララ君は弓野さんの事を―――」
「――うるせえぇ! 元はと言えば誰のせいだと思っているっ? 俺の家に女子が二人泊まるっ? いや、いや、いや、こんなのが現実な訳がない! 俺は今きっと学校の机で、爆睡中で、都合のいい夢を見ているにすぎないんだぁ!」
「……いよいよ現実逃避のレベルが酷くなってきましたね。なんか世界の運命を懸けて戦うよう言われた時より、酷くありません? それだけララ君にとって弓野さんは、性的対象ドストライクという事でしょうか?」
今も頭を抱えて煩悶するララに命はそう言ってみるが、彼はそれどころではない。最早誰の言葉も耳に入らないといった感じで、大いに悩みまくる。
しかしソレも、大きな荷物を持って鏡歌がやって来るまでの話だった。
「おまたせ。じゃあ、チャッチャと行くわよ。挨拶代わりに今日の夕食は私が作ってあげるけど、明日からは当番制だから。宮部さんも、そのつもりでいてね」
「………」
移動を開始する、鏡歌。
その様を見て何度か躊躇いながらも――結局ララは彼女の後に続いた。
◇
そしてやってきました、幾都家に。
命は最早我が物顔で玄関を開け、客人を招き入れるメイドの様に一礼する。
「お帰りなさいませ、ご主人様、お嬢様。今日もお疲れ様でした」
「……ご、ご主人様? アンタまさかっ――そういうプレイを宮部さんに強要してっ?」
「だから違うって! これは宮部さんの御茶目な冗句! 決して俺の意思は反映されていないから誤解しないでぇ!」
「……本当かな? ララって……割とマニアックなタイプだからなー」
「………」
俺ってそんな目で幼馴染に見られていたの? また新たなる発見をしたララではあったが、当然嬉しくない。ただ気持ちが萎れていくばかりだ。その元凶である所の宮部命は普通に家の中に入って、我先にソファーに腰かけた。
「では、お手並み拝見といきましょう。本当に楽しみですね。果たして弓野さんの料理の腕前は、どれ程の物なのか? これはララ君としても、目が離せませんよ」
「……ああ、そう、か。マジで泊まる気なんだな、鏡歌、は……?」
「何を今更。でも、勘違いしないように。私は飽くまで宮部さんの貞操をアンタから守るために、ココに居るの。それ以上の意味は無く、それ以外の意図はないんだから間違わないで」
《というか、今更ですが弓野さんってツンデレポイント高すぎません? 正に正当なる幼馴染キャラと言った感じがするのですが、これって私の気のせい?》
《……うるさいな。悪いけど、今はおまえの世迷言につき合っている気分じゃねえんだ。後にしてくれ、後に》
けれど、そうは念じつつも、ララは家に戻ってきた所である事に気付く。
《……って、そうだ。おまえさ、まさかと思うけどこの家に盗聴器や監視カメラとか設置してないよな?》
《ああ、その事ですか。いえ、設置していませんよ。まだ》
《……まだ? という事は、設置するつもりはある訳か?》
ララが確認すると、今も彼とは目を合わせずテレビを見始めた命はニコリと微笑む。
《それが、コマンダーの意向なら。けど仮にララ君が拒むなら、私も監視カメラの類は設置しません。ですが、ソレは余りおすすめできませんね。万が一敵がララ君の正体を特定する可能性もある訳ですし。そのとき家に異変が起きても、監視カメラ等の物が無ければ後手に回るのは必至です。この家の安全を守る為にも、件の物は必要でしょう》
《………》
それは、命の言う通りかもしれない。仮に留守中家に侵入者があっても、監視カメラが無ければソレを察知さえできないのだ。加えて今日から幾都家には鏡歌が住む事になり、明日からはミカミも帰ってくる。そういった事情を考慮するなら、彼女達の安全の為にもやはり監視カメラは必須と言えた。
《わかった。トイレと脱衣所と風呂以外の場所に、小型監視カメラの設置を頼む。できれば鏡歌の部屋も遠慮しておきたい所だけど、やっぱそういう訳にはいかないよな?》
《ですね。彼女の安全を考えるなら、やはり監視カメラは必要でしょう。というか、本当にいいんですね? トイレと脱衣所とお風呂場は、監視カメラを設置しなくとも? 本当に後悔しません?》
《………》
命の諭す様な口調を聴き、ララは真面目に自分の判断について考えてしまう。だが、彼は内心首を横に振る。
《わかった。トイレはNG。脱衣所とお風呂場は、おまえが責任をもって監視してくれ。後それに加えて、セキュリティシステムの導入も頼む》
《ほう? コマンダーには、件の映像は送らなくていいと? 〝自分はそんな物見る必要は無い。何故なら自分の想像力だけで十分だからだ〟と、そう言うんですね?》
《ちげえよ! 俺はただ人としての一線を越えたくないだけだ! 大体どこの世界に監視カメラで幼馴染を監視するサイコ野郎が居るっ? 監視カメラで鏡歌を監視すると決めた時点で、俺はもうギリギリの所に居るんだぞ!》
が、命は尚も微笑む。
《いえ、ギリギリどころか――確実にアウトですけどね。弓野さんがこの事を知ったら、間違いなく一生口をきいてもらえないでしょう。それ処か、下手をすると訴えられるかも――》
《………》
確かに、命の言う通りだ。やむを得ない事情があるとはいえ、自分はいま女子の私生活を覗き見するよう命令している。ソレは正に犯罪行為であり、盗撮の誹りを免れないだろう。よってララは、こう固く自身に誓う。
《……言っておくけど、俺は絶対その監視カメラの映像は見ないからな。おまえもそのつもりでいろよ?》
《いえ、例えそうでも君はもう――立派な犯罪者です。――この犯罪者が》
《……あの、宮部さん? 口調が本当にきついんですけど? あなたも俺の共犯者ですよね?》
しかし命は返事をせず、ただ素知らぬ顔で微笑するのみ。その間に、鏡歌が動く。
「じゃあ、キッチン借りるわよ、ララ。一応訊いておくけど、二人は和食と洋食と中華、どれがいい?」
鏡歌に問われ、ララと命は顔を見合わせる。二人はジャンケンを始め、結果、勝利したララはこう注文した。
「じゃあ、洋食で」
「わかった。じゃあ、二時間ほど時間をちょうだい」
そうしてララが納得する間もなく――三人の共同生活は始まった。
◇
と、その時ララはもう一つ重要な事に気付く。
《そういえば、もうすぐ五時なんだけど、この場合どうしたらいい? 鏡歌が居て夕食を作り始めたんじゃ、敵が動き始めても対応できないだろ? ここは鏡歌に怪しまれるのを覚悟してでも、また遠出するべきか?》
敵に所在地を特定されない様にする為にも、遠出は必須である。ソレがララの考え方で、命も肯定する所だ。
ならば、敵が動くと考えられる五時までに他県に赴いて、全ての準備を整えるべきだろう。
ララはそう主張するが、命はこう答えた。
《いえ、完全に日が暮れるまでは、恐らく敵も動きません。なにせ二日目以降は、ソレだけの理由があるので。ぶっちゃけ目立つんですよ、アレを使うと》
《……それだけの理由があって、目立つ? それはどういう?》
ララが問うと、命は一部始終を話す。ソレを聴いて、ララは若干表情を輝かせた。
《――マジかっ? おまえ等には、そんな趣味的なルールがあるのっ?》
《そういう事です。ですが、言っておきますが、コレは全て私達をつくった博士の趣味。前にも言いましたが、結構な変わり者なんですよ、博士は》
珍しくヤレヤレといった口調で、命がぼやく。ソレを、ララは好機と捉えた。
《……へえ? もしかしておまえは、その博士とやらが苦手とか? だとしたら、もっとその博士について訊きたいんだけど?》
《それは残念。別に苦手というほどでもありません。ただ、何を考えているかわからない所があって。というのも、あのヒト、必要も無いのに私達に排尿排便機能をつけたんですよー》
《……ソレは何とも、コメントし辛い話だな。それ以前に俺は、そういう話を平気でふってくる女子が苦手だ》
そうこうとテレパシーで話している間に、鏡歌がキッチンから顔を出す。ブレザーを脱ぎ、代りにエプロンを着た彼女は、凛とした姿勢を二人に見せる。
「出来たわよー。味の保証は出来ないけど、食べてみて」
「………」
《おやおや。急にララ君の顔が赤くなりましたね。やはり意中の女子のエプロン姿は、ドストライクという事でしょうか? 私が居なかったら、今頃彼女を押し倒そうとして、返り討ちにあっていた?》
《うるさいわ! だから、そういう目で俺達を見るのはやめろ! おまえのそういう所な、立派なセクハラだぞ! 大体おまえが居なかったら、今頃こんな事にはなっていない! そうだ! 本当に今更だけど、全てはおまえの所為だぁ!》
表面上は、無表情。
けれど心の中でそう怒鳴りながら――ララは料理が並ぶキッチンのテーブルに向かった。
◇
ララに続き、命もキッチンにやって来る。
ララはテーブルに置かれた料理を見て、感嘆の声を上げた。
「へえー? 知らなかった。鏡歌って、ここまで料理が出来たんだ?」
「うるさいわね。どうせ人は見かけによらないわよ。ララが私の事、どういう目で見ているかは知らないけど」
「そうですね。私もソレは知りませんが、私としては、弓野さんは〝微睡にある黒豹〟と言った所でしょうか?」
命が喜々として告げると、鏡歌は眉をひそめて首を傾げる。
「……そうなんだ? それは、私は危険人物という比喩……?」
「いえ、まさか。ただ、怒らせたら怖いというイメージはありますね。ララ君は鈍感だから、気付いていない様ですが」
《……え? そうなのか? いや、まあ、確かに鏡歌は怒ったら怖いけど》
ララがテレパシーでそう愚痴るが、命は何も答えなかった。
「というより、さっきから二人って殆ど会話していないわよね? それって、私が居るから込み入った話ができないという事? それとも、まさか本当に共通の話題がない?」
「……ん? そうだったかな? 俺としては、けっこう喋っていたつもりなんだけど」
但し、テレパシーで。話す事はそれなりにあるが、鏡歌が言う通り、それは彼女に聞かれたくない話なのだ。
「そうなの? 私が料理に夢中になって、聞き逃していただけって事?」
自問する様に呟く鏡歌を尻目に、ララはさっさと席に座る。命も無言でソレに続き、手を合わせた後、箸を手に取った。
今、三人の目の前にはハンバーグにカレイの煮物、コーンスープにサラダ、ご飯に漬物といった料理が並んでいる。
ララは早速ハンバーグに箸を伸ばし、鏡歌はソレを素知らぬ顔で見つめる。ララは切り分けたハンバーグを口に入れると、こう謳った。
「――いや、お世辞抜きで美味い! これは宮部さんの料理に、引けをとらないぞ!」
「へえ、そうなんだ? それってやっぱり今朝の事? もしかして今朝、料理を持っていったのって余計だった?」
「………」
鏡歌がナイフでハンバーグを切り分けながら、無表情で訊ねてくる。ララは内心しまったと思い、そのため箸を止めて、ただ思った事を口にしてしまう。
「いや、そういう訳では決して無く……というか、確かに美味いけど、これって何時もの朝食の味と一緒なような……?」
「………」
と、今度は鏡歌がナイフを止める。その意味をララが理解する前に、命は断言した。
「そういえば、ララ君って、密かに女子の縦笛を舐め回しそうな人相していますよね?」
「……ぶっ?」
お蔭で、食事を吹き出しそうになる、ララと鏡歌。最悪なのは、鏡歌がララに疑惑の眼差しを向けている点か。
そんなぎこちない三人は、ぎこちないまま夕食を終え、ララが自ら買って出て皿洗いを始める。ソレが済んだ後、彼は何気なく鏡歌に告げた。
「と、悪い、鏡歌。今日は色々あって疲れたから、先に寝る。俺の部屋をノックしても反応が無かったら、寝ていると判断してくれ」
「そう? 確かに今日は、色々あったわね。私も宿題を終えたら、さっさと寝るわ。明日は土曜日で授業は半日で終わるけど、ミカミちゃんの歓迎会があるし。明日も忙しくなりそうだしね」
母性を思わせる表情で、鏡歌は微笑む。ソレを見てララは一瞬ハっとなるが、彼は何かを誤魔化す様に転身する。
「ああ。じゃあ、お休み鏡歌。また明日」
「ええ。お休みララ。精々いい夢でも見る事ね」
ソレはどうだろう? 或いは、今から自分が見る物は――悪夢の類かもしれない。
そう覚悟しながら――ララは自室に戻った。
◇
実の所、幾都家は広い。ソレはもう、客間が三つもある位に。
鏡歌はララの部屋の右隣の部屋を使い、命はララの左隣の部屋を使っている。
ついで、部屋に戻ってから三分程経って、命、いや、メインディッシュがララの部屋に入ってくる。しかも扉からではなく、彼の部屋の壁から。私服姿で銀髪に戻ったメインディッシュは、壁に穴を空けてララの部屋に入り、またその穴を事もなく塞ぐ。
ソレを見て、ララは改めてメインディッシュの脅威を知った。
「……おまえ相手じゃ、密室殺人も普通に可能だな。いや、無駄口はここまでにしておこう。俺達はこれから例の地下鉄を使って、他県に赴けばいい訳か?」
「そうなりますね。幸い今の所、敵にも動きはありません。この間に私達も移動を開始して、準備を整えましょう」
メインディッシュが指を鳴らすと、ララの部屋の床には穴が開く。ララとメインディッシュは速やかにその穴に設置されている梯子をおり、地下鉄に向かう。新幹線に乗って、二人は即座に昨日とは別の県に移動する事にした。
「と、一応訊いておくけど、俺の家にも異常は無いんだな?」
「はい。今の所ありません。弓野さん自身が言っていた通り、彼女はいま宿題の真っ最中。外部からの侵入者も無く、その事から考えても、まだ私達の正体は発覚していないでしょう」
「……そっか。なら良かった」
今、ララが最も心配なのは、自分の正体が敵にバレる事。その事によって家族や、自分の家に居候している鏡歌が危険に晒される事にある。
一応メインディッシュがセキュリティシステムを設置しているが、百パーセント安全とは限らない。もし世界と鏡歌達が同時に危険に晒された場合、自分はどちらを救うべきか判断に苦しむ。いや、きっと自分は世界ではなく、鏡歌達を助けにいくだろう。
ソレが――ララの本音と言ってよかった。
(……つまり、俺に世界の救世主を名乗る資格なんて、微塵も無いという事)
改めてそう感じる、ララ。自分はどこまでも凡庸だと痛感するしかない、彼。けれどだからこそ自分は今、世界の運命を託されている。この不条理を前にして、ララは密かに、強く奥歯を噛み締めた。
「というより、何か異常があればちゃんと伝えるので一々訊ねる必要はありませんよ。まあ、それでも心配なのはわかりますが」
「そう、か。そうだよな。本当に、そうだ。おまえって性格は悪いけど仕事は出来るもんな」
「おやおや。ソレも決して性格が良い男子が言う事ではありませんね」
ケタケタ笑いながら、メインディッシュが嘯く。
ソレを鼻で笑いながら――ララは目的地に着くのを待った。
◇
それから二十分程で、ララ達は他県に移る。森の中に地下施設の出口をつくり、そこから外界へと出る。
既に空は――一面の闇。日が沈んだ森は、正に深海にも等しい静寂を保っている。その静けさを壊す様にララは声を上げ、メインディッシュに問う。
「えっと、まだ敵に動きは無いんだよな? じゃあ、敵が動き出す前に訊いておくけど、おまえって敵の行動予測とかは出来る?」
昨今のスパコンなら、あらゆるシミュレーションが可能だ。天候の動きから、チェスや将棋の先読みも出来てしまう。ならば、ソレに相当するメインディッシュならそう言った事も可能ではないか? ララはそう期待してメインディッシュに目を向け、彼女はフムと頷く。
「そうですね。色々期待している様ですが、答えはノーです。情報処理能力は特化していますが、思考レベルは人間のソレに制限されていますから」
「……つまり、百機打ち上げたスパイ衛星の映像解析はできても、思考力は人間レベルって事?」
半信半疑でララが訊ねると、メインディッシュは嬉々とする。
「正解です。でも、それでも私の予測を訊きたいと言うならお話しましょう。但し、対応策はララ君が考えて下さいな」
「……飽くまで、俺に責任を押し付けるという事だな。わかった。どうせ拒否権は無いんだ。聴くだけ聴いてみる」
投げやりな様子で、ララは肩を竦める。ソレを見て、メインディッシュはもう一度笑った。
「敵のやり様は幾つか考えられますが、まだ初日な上、私達の力量もわからない。なら、取り敢えず適当な事をして、此方の出方を窺うでしょう。つまりは――こういう事です」
ソレを聴き、徐々にララの表情が険しくなる。メインディッシュが最後まで語り終えた頃には、彼は半ばパニック状態だった。
「――はぁっ? ソレはマジで言っているっ? そんな事が本当にありえると――っ?」
「いえ、コレでもまだ良い方です。どうやらララ君は、まだ敵の立場がよくわかっていないようですね? そう。敵の目的は――全人類を抹殺する事。つまり――無差別殺戮が敵の行動原理です。なら、その程度の事は平気でしてくるでしょう」
「………」
そうだった。敵は危険思想の持ち主で、更にはテンペスト・ケルファムという怪物を従えている。この二つが噛み合った今、敵は自分の理想を実現するため全力を注ぐだろう。地球の破滅という理想を、そいつは必ず果たそうとする。ソレが今、ララ達が相手にしている敵だ。
「……でも、だからってどうすればいい? もしそんな真似をされたら、防ぎようが無いじゃないか……!」
加えて、最悪の情報がララにもたらされる。メインディッシュは、ここから七百キロ離れた森で敵に動きがあった事を伝えてきたのだ。
「――ついに、きやがったか! でも、どうする? どうすれば、この状況を打開できる……?」
焦燥が、ララの思考にノイズを走らせる。敵がこれから起こすであろう凶行が、ララの頭を半ば真っ白にする。
呼吸が乱れ、鼓動は高鳴り、喉が渇く。事後の事を考えてしまった彼は、だからソレがただの地獄だと痛感する。これから起こるであろうソノ現実が、ララの思考力を大いに鈍らせた。
その様子を見て、メインディッシュは初めて真顔で嘆息する。それから彼女は提案した。
「しかたありませんね。では、ヒントをあげましょう。昼間ララ君がした質問に、私は何と答えましたか?」
「……昼間、俺が? 俺が……おまえにした質問?」
不本意ながら、ララはメインディッシュと相当量会話をしている。よって、直ぐにはソレが何を意味しているか彼にはわからない。
それでも、ララには確信している事があった。
いま自分が全てを投げ出せば、ミカミや鏡歌や両親達の身が危うくなる。自分が行動を起こさなければ、その全てが奪われ、自分も殺されるかもしれない。
そう想像した途端、この幻視が起爆剤となって、ララの思考力を刺激する。ララは必死に考えた末――ある事を思い出す。
「……まさ、か? そんな事まで、可能だと?」
「どうでしょうね? やれるでしょうかね? でも、今の君にはソレを試すしか方法がない」
「………」
もう一度歯を食いしばる、ララ。けれど、彼はそのまま口角を上げた。
「……本当に、おまえは性格が悪いな。けど、そうだ。オマエは、メインディッシュは何時だって俺の力になってくれた。オマエなりの方法で、何時だって俺の背中を押してくれた。なら俺がここで心が折れたら――それこそ格好がつかないだろうが!」
夜の闇に向かって、十六歳の少年が吼える。同時に彼は動いていた。
「スーパーナノマシン展開! メインディッシュ・ケルファムに、ガイセルクの起動を申請する!」
「おやおや。やはりララ君も男の子ですね。だいぶ厨二病が入っていますよ、ソレ」
茶化す、メインディッシュ。だが、ララは意にも介さない。彼はいま自分が出来る事を、成し遂げようとする。その為には、ガイセルクの力が必要だった。
ガイセルクとは二日目以降、メインディッシュ達がスーパーナノマシンを使う際、必要な物だ。ソレの具現なくしては、大規模な万物の変化は起こせない。故に、今こそかのガイセルクは出現する。メインディッシュが指を鳴らした途端、地面の分子構造が劇的な変化を起こす。
ララ達を取り込んだソレは一瞬で突起し、人の形となって全長二十メートルの巨人と化す。ここにガイセルクと言う名の白金の巨大ロボは形成され、ララは即座に次の指示を出す。
「――飛行モードに移行。そのまま九州の端まで、移動を開始。全速前進で突き進め!」
「了解、コマンダー」
ララの後方に座するメインディッシュが、今までとは異なる趣の笑みを浮かべる。ソレに応じてガイセルクは飛行モードに変形し、時速二万四千キロで飛行を開始。瞬く間に、ララの指示通りの場所まで移動する。同時に、彼女は謳った。
「敵も――ヴァーネットを展開中。何らかの、敵対行為に移ると思われます」
ヴァーネットとは――敵側の巨大ロボの事。黒色のソレが具現しているという事は、敵もスーパーナノマシンを使用するつもりという事だ。そう悟ったララは、だから、もう一度笑う。
「やはり、そういう事? だが、一歩遅い!」
「果たしてそうかしら? でも、よくやる」
守る者と――攻める者。両者が、高らかに声を上げる。
ソレに割って入る様に、メインディッシュが報告した。
「敵の周囲に、ミサイルらしき物が展開。数は百二十。その全てが――核ミサイルだと思われます。標的は――恐らく日本全土。どう対処しますか、コマンダー?」
「………」
メインディッシュの報告を聴き、ララは沈黙する。ソレもその筈か。仮にそのミサイルが大陸間弾道弾並みの速度で発射できるのなら、打つ手が無い。秒速約八キロで移動する物体をどうやって打ち落とせと言うのか? いや、着弾地点が正確に割り出せていれば話は別だが、今のメインディッシュにはそこまではできない。彼女の計算能力では着弾予想地点を導き出す事は不可能だ。その為、ここに趨勢は決した。このままでは、日本全土は核ミサイルによって焼け野原と化し、全ての人命が失われる。ララはただ、この辛辣な現実を受け入れるしかない。
その上で――彼は行動したのだ。
ヴァーネットとガイセルクは、同時にコマンダーから指令を受ける。
「――核ミサイル一斉発射。同時に、ヴァーネットは攻撃圏内から離脱して」
「――地殻変動開始。あの頭がイカれた敵に、目にもの見せてやれ、メインディッシュ!」
人型に戻ったガイセルクに、指示を出すララ。
途端、ソレは事もなく実行され――あろう事か九州から先の海が変化する。
海底から地殻が波の様に盛り上がり――バカげた事にソレは超速で日本全土を被い尽くす。
「そう。確かにオマエは昼間言っていた。今の自分の能力範囲は――日本全土だと。なら、日本を被い尽くす程の盾さえ具現する事も可能!」
故に、そのシェルター並みに強固な盾を以て、ララはヴァーネットの攻撃を全て防ぐ。次々ミサイルが着弾するが、その全てを展開した盾で防御する。やがて、全てのミサイルを発射し尽くしたヴァーネットのパイロットは喜悦した。対して、ララは次の指示を出す。
「メインディッシュ、あの核ミサイルから生じた放射能は分解可能か?」
「ええ、それは可能です。けれど、問題はここから。次に敵がどう動くかは、私でも予想出来ませんから。今度は私の予想を遥かに超えた――とんでもない暴挙にでるかも」
が、ソレはメインディッシュの杞憂に終わる。メインディッシュは、ヴァーネットのエネルギー反応が消失した事に気付いたから。
「これは、敵が撤退したと見て良い? 成る程。件の核ミサイルは、開戦の狼煙といった所ですか」
「……って、つまり終わったのか? 終わったんだな? ……良かったぁー。本当に、もうダメかと思った……」
このララの弱音を耳にして、メインディッシュは尚も微笑む。
「そう。やはりそういう事ですか。一つ確信した事があります。ララ君は――追い詰められた方が才能を発揮できる」
「………」
何か、言い知れぬ凶兆を覚える声色だった。何かが、酷く不味い気がした。それでも、メインディッシュは普通に告げる。
「とにかくお疲れ様でした、コマンダー。けど、敵に動きがあるかもしれないので、夜明け前までここで待機しなければなりません。ですが、恐らく敵はこれ以上攻撃してくる事は無いでしょう。今のところは、きっと」
「……えっと、それってつまり、俺は夜明け前までガイセルクの中で仮眠しろって事? ま、そういう事になるか。敵はマジモンの危険人物だって、これでわかったんだし」
些か憂鬱だが、ララは素直にメインディッシュの意見に従う。地殻を戻しながら、彼はぼそりと口にした。
「……こっちこそ、サンキューな、メインディッシュ」
「おやおや。何か言いましたか、コマンダー?」
「……オマエ、絶対聞こえていて惚けているだろ? ああ、もういい! とにかく俺は疲れたから、寝る!」
そして幾都ララは瞼を閉じ――微睡の世界に身を投じたのだ。
◇
その頃ヴァーネットから降り、地下施設に移動して、新幹線に乗った彼女は頬杖をつく。対面には褐色の肌をした十六歳ほどの黒髪の少年が居て、彼は無表情で語りかける。
「残念だったね。やはり僕の予想通り、君の攻撃は敵に防がれてしまった。で、これからどうする?」
「問題ないわ。今日の攻撃は、ただの布石。せいぜい単純な攻撃しか出来ない石頭だと、敵には思ってもらいましょう。私達が本格的に動くのは、それからよ」
「ま、そういう事になるだろうね。では、今日のところはもう休むといい。君も、今日は予想外の事ばかり起きて大変だっただろうから。弓野――鏡歌」
弓野鏡歌。
彼――テンペスト・ケルファムは、確かに彼女をそう呼んだ。その進言に従う様に、制服姿の鏡歌は目を閉じる。ソレから彼女は、最後にこう謳った。
「というか――ララ達が私の事を知ったらどう思うかしら?」
ソレは本当に――心底から楽しそうな響きだった。
3
では――ここで彼女の事情についても語っておこう。
彼女こと弓野鏡歌が彼と出会ったのは、二日前の事。当然ララとメインディッシュが出会ったのと、同じ日だ。もちろん時間も同じで、その日の十七時に彼の方から鏡歌を訪ねてきた。
民族衣装を着た見知らぬ男子に家を訪問された鏡歌は、はじめ何かの間違いかと思った。
「えっと、どちら様? 悪いのだけど、見覚えが無いのだけど」
まだ制服を着たままの鏡歌は、そう応対する。
この常識的な反応を前に、彼は無機質な視線を向ける。
「だろうね、弓野鏡歌。僕が、一方的に君の事を知っているだけなんだから。といっても、僕は君のストーカーじゃない。いや、或いは、ストーカーより更にタチが悪いと言えるかも」
「……待って。あなた、本当に、人間?」
どう見ても人間にしか見えない少年に、あろう事か鏡歌はそう問い掛ける。お蔭で彼は一瞬意外そうな表情を見せ、フムと頷く。
「そうか。守る側は凡庸だという話だけど、君はやっぱり違うんだね。一目で僕の正体を見破るあたり、やはり非凡な物がある。君に会えただけでも、ここに来た甲斐はあった」
「………」
が、並はずれた直観力を見せた鏡歌も、さすがに彼が何者なのかはわからない。自分に対して害を及ぼす人間かさえ、あやふやだ。
きっとララがこの場に居れば、さっさと自分の腕を掴んで逃げ出しているに違いない。害を及ぼすかはわからないけど、そう感じる程に彼は危険な様に思えた。
「いえ、でも、私を殺す事で何かメリットがある? それより、何か別の用があるんじゃ?」
自問する様に、鏡歌は呟く。ソレを受けて、彼は提案した。
「そうだね。僕がまずしたい事は君との対話だ。仮につまらない話だと感じたら、何時でも追い返してくれて構わない。そういう訳だから、少しだけ話を聴いてもらえないだろうか?」
口調こそ丁寧だが、やはり彼はニコリともしない。無表情なまま、淡々と事務的に話を進める。それでも彼は、飽くまで礼儀正しく振る舞った。
「と、そういえばまだ名乗ってもいなかったね。僕はテンペスト・ケルファム。君と共に――この世界を終わらせる者だ」
「……私と共に、世界を終わらせる?」
そう聴いた瞬間、鏡歌は初めて彼に興味をもった。いや、正確にはここで彼の話を聴かなければ、本当に世界は終わりかねないと感じたのだ。
鏡歌は、咄嗟に直感したから。自分が彼を拒絶したら彼はきっとまた誰かのもとを訪ねる。その誰かが彼と意見を同じくすれば、もしかすると本当に世界は終わるかも。
ならば、まず自分が防波堤になって彼の意識を此方に向けるべきだろう。彼が自分に興味をもっている内は、これ以上この不吉極まりない話は進展しない筈だから。
「いいわ。中に入って。両親が帰って来るまで、後二時間はあるから」
「結構。君みたいに話がわかる人は、そうはいないだろうね。メインディッシュはきっと、今頃苦労しているんだろうな」
やはり無表情なまま、テンペスト・ケルファムは鏡歌の家の中に入る。アパートの一室である彼女の家の中に通された彼は、そのまま鏡歌の部屋に入った。
「少し妙な所はあるけど、飾り気のない実直な部屋だね。実に君らしい」
「あまり褒められた気がしないわね。で、話って何? なぜあなたは――世界を滅ぼそうとしているの?」
彼に席を勧め、自分も椅子に座って二人は話し合う。
世界を――滅ぼす。
本当にそれだけの能力が彼にあるかは、正直わからない。ただ、背筋に走る不吉な悪寒だけが鏡歌に告げていた。今、彼の話を聴かなければ――後悔する事になると。この辺りは幾都ララとかなり違うのだが、その違いに彼は内心感謝する。
「本当に話が早くて助かるよ。僕も女性相手に、脅しめいたデモンストレーションをするのは気が引けるからね。その調子で、僕の事情を聴いてもらえると助かる」
それから漸く、テンペストは語り始める。まず自分の正体について。彼は自分が人間を越えた、次世代の知性体である事を鏡歌に打ち明ける。そして、その目的は地球との融合にある事まで偽ること無く彼女に話す。ソレを聴き、鏡歌は眉をひそめた。
「要するに自分が更に進化する為に、あなたは地球を自分の物にしたいという事ね? 人間が滅びるのは、その過程で生じる二次的な事にすぎないと言っている?」
「そうだね。人類の滅亡は、僕が目的を達成する為の副産物にすぎない。滅ぼしたくて滅ぼすのではなく、滅びざるを得ない環境に地球がなるから滅びる。その解釈で間違いはないよ」
「なら、積極的に人を滅ぼす意味なんて無いじゃない。もっと平和的に話を進める事だって出来る筈でしょう? 例えば――人類を他の星に移住させるとか」
自分で口にしていながら、鏡歌は自身が言っている事が滑稽でならない。何時の間にか世界が滅びるという前提で話を進めている自分が、おかしくて仕方がないのだ。
そんな彼女に、テンペストはやはりクスリともしなかった。
「それはどうだろう? 果たして人が、簡単に唯一の故郷足る地球を手放したりするかな? 僕が攻撃を始めたら、人は徹底的に抵抗をするんじゃないか? 一方的に占領を宣言して、ソレを簡単に受け入れるほど人類は大人しくないと思うけど?」
「………」
それは、そうだ。ソレは人の歴史が物語っている。侵略者に対しては、徹底なる交戦を宣言する。決して侵略者に対し、我先に膝を折ったりしないのが人間である。戦う前から侵略者を受け入れる。そんな人種は、鏡歌も殆ど聞いた事が無い。
「ソレに、君も本当は気付いているんじゃないかな? 人間の本質と言う物を。人はここで終わる為に存在してきたと、君ならわかっている筈じゃないか?」
「……人は、ここで終わる為に存在してきた?」
ああ、それも何となくわかる。弓野鏡歌は小学生の時から、人の歴史に関心があった。理由は本当にわからない。ただ、数学者が理由も無く数学に興味を持ったのと同じだ。野球選手が理由も無く野球を好んだのと同じである。彼女も、何となく歴史に惹かれた。人がどのようにして現在の文明に至ったのか、その過程を知りたいと強く思ったのだ。
けれど彼女の場合、少し共感性が強すぎた。歴史を知る度に、彼女は人間の凄惨性を思い知る事になる。
残酷な殺され方をした、多くの人々。戦争に駆り出され、次々と死んでいく兵士達。権力争いを起こし、身内で殺し合って地獄のような人間関係をつくった王族。独善たる独裁者達が強いた、大量虐殺の被害者達。
今を生きる鏡歌には、過去のソレ等は想像の産物でしかない。ただ、それでも彼女は幼い頃その被害者達に共感して思ってしまった。
これほど地獄のような歴史を重ねてきた人間は、何の為に生まれてきた? 果たしてここまで残酷な生き物が、永遠に存在していていいのか? 今や同じ人間どころか、母星さえも危うくしている人類が危険でないと誰が言える?
一億四千万年間繁栄していた恐竜ですら、やがて絶滅した。ならば、何時か人が滅びるとすれば、ソレは今なのでは? 人間の後継者を生み出し、進化の極みに達した今が、最良の滅びの時なのではあるまいか?
テンペストの説明を聴いて、鏡歌は反射的にそんな事を連想する。
但しソレが如何に恐ろしく、また危険な考え方であるか彼女にはわかっていた。
「そう、ね。確かに人は怖い生き物だわ。私は人を嫌悪している部分が、多分にあるのかもしれない。でも、それでも私は知っている。この私でさえ、好意を持てる人達が大勢いる事を。この偏屈な私でさえ、まだ人の可能性を信じていると心の何処かでは感じているの。ソレを無かった事にするなんて――絶対にできない」
まっすぐな眼差しを、鏡歌はテンペストに向ける。或いは、ソレはここで彼と刺し違える覚悟をもった眼差しと言えた。
敏感にその事を感じ取り、テンペストは初めて嘆息らしき物をする。
「……そうか。ソレは困ったな。僕が抽選で選んだ相棒は、君でね。君がうんと言ってくれない限り、僕は人類を滅ぼす事さえ出来ない。自分の存在理由を、全うできないんだよ。となると、僕は君を説得し続けるしかない訳だ」
「そう? なら、あなたは出だしからミスを犯している。私があなたに手を貸さなければ世界が滅びないなら、私が首を縦に振る訳がないもの」
「と、そう言われればそうだっけ? 成る程。確かにこれは、とんでもないミスだ」
まるで他人事のように、彼はぼやく。その反応を見て、鏡歌は彼と言う存在がよくわからなくなった。
だが、話がそこまで進んだ所で、異変が起きる。唐突に、閉めた扉の向こうから声が響いたのだ。それは、鏡歌と同じ少女の声色だ。
「――そうだね。それはパラナ・シア的にも――ちょっと困るかも」
「は、い? あなた、仲間が居たの?」
鏡歌が反射的に立ち上がり、身構える。ソレを見て、テンペストは首を横に振った。
「いや、彼女は僕の関係者じゃない。関係者じゃない筈なんだけど、何か厭な予感がするな」
そして、鏡歌の部屋の扉が開かれる。
其処に立っていたのは、短い白髪の、白いワンピースを着た、十七歳位の少女だった。
◇
少女を見て、テンペストはソレが誰なのか理解する。故に、彼は眉をひそめた。
「誰かと思えば聖女か。おかしいな。君はこの件には関わらないという話だったけど?」
「……聖、女? 今度は聖女ですって? そんな大それた人が、一体私に何の用?」
が、余りにも唐突に現れた件の少女は、首を横に振る。
「いや、いや、いや。私はそんな大した人間じゃないよ。未だに独り身な、四十過ぎのおばさんにすぎないんだ。少なくともこの物語に関しては、通りすがりの一般人レベルの脇役と言っていい」
「………」
恐らく、ソレは事実だ。彼女は、この物語とは殆ど接点が無い。今以上には関わらず、これからすること以外の事は決してしない。ソレが彼女の、役回りと言って良い。
「でも、聞いた話ではテンペストは紳士だという事だからね。女の子を酷い目に合わせてまで説得する気は無いんじゃないかと思ったんだ。となると、話は停滞する事になる。このまま話が前に進まないのは、さすがに私もちょっと困るんだ。私もこのゲームの結末には、少し興味があるから。要するに私は鏡歌ちゃんを説得する為だけにやってきた、ただのボランティアって事だね」
「……説得? その方が、よほど面白い言い草ね。言っておくけど、私は何があろうと彼には力を貸さないわよ」
挑む様に、宣言する。そんな鏡歌を前にして、白髪の少女は笑った。
「と、そんなに身構えなくてもいいよ。私も暴力に訴える気なんて、微塵もないから。私はただ、鏡歌ちゃんに真実を知ってもらいたいだけ。人間の――一面的な真実を」
「――つっ?」
油断した覚えは、無い。だが、気が付けば少女は自分の間合いに入っていて、腕を伸ばし、自分の額に触れてくる。少女の指が自分の額に接触した途端――鏡歌は見た。
「あああああああああああぁああぁぁあああああああああぁぁぁぁぁぁッッッ………! ああああああああああああぁあぁぁぁああああああァァァァァァァ―――っ!」
頭に流れ込んでくるソノ景色を、ソノ言語を絶する様を、俯瞰の位置から目撃してしまう。
故に彼女は体をくの字に折って、頭を抱え、目を見開いて、涙する。
ソレを見て、初めてテンペストは声を荒げた。
「――何をした? まさか本当に――彼女を壊す気か?」
「それこそ、まさか。さっきも言った通り、彼女にはただ知ってもらっただけ。今まで人間がどれ程の虐殺行為に没頭してきたのか、どれほど残虐な行為に手を染めてきたのか、どれだけ不条理な真似をしてきたのか――ただ知ってもらっただけ。痛みや意識の浸食はないよ。ただ見ているだけだからね」
それでも、鏡歌の感覚としては、自分の目の前で次々人々が殺されているに等しい。
刀や剣で斬殺され、火炎放射器で焼かれて、機関銃で撃ち殺される。ガス室に送られて悶え苦しみながら息絶え、生きながらにして穴に埋められる。鏡歌は彼等の返り血や、助けを呼ぶ声を一身に受けながら、ただ見ているしかない。どれだけ手を伸ばそうとも、その手は空を切るばかりで決して彼等には届かない。一度に四千年分の人の一面的な歴史を見せられ、だから彼女の心はナニカが狂う。狂って、狂って、狂い切って――その果てに彼女は正に新生した。
「あああああぁああぁぁぁっ………! ――これがぁにんげんっ? これがぁぁにんげんっ? これがぁぁぁホントウにぃにんげん―――っ?」
その発作を終え、彼女は静かに結論する。
「……そ、うぅ。私が、甘かったぁ。私が、間違っていたぁ。人間はぁ――救うに値しない存在だったぁ」
「んん? それは、本当に? 私はただ人の一面を見せただけだよ? 私が見て、体験して、意識を共有した歴史の一部を鏡歌ちゃんに見せただけなんだ。私はそれでも人を守る側に回ったけど、鏡歌ちゃんは違うと言うの?」
白々しくも、白い少女が問う。今や半ば正気を失った彼女は、ただ頷いた。
「――そうよぉっ! こんな化物が生きていていいはずが無いぃっ! こんな化物が存在していいはずが無いぃっ! こんな化物はぁ――責任をもって誰かが駆除しないとぉっ!」
今も床に頭を押し付けながら、鏡歌は泣き叫ぶ。ソレを聴いて白い少女はやはり微笑んだ。
「だそうだよ、テンペスト。良かったね。これで君は労せずして――頼りになる相棒を手に入れた」
「………」
よって彼は言葉を失うが、その眼光だけが鋭い。
「ただの脇役にしては、分を弁えていないな。用が済んだなら、さっさと消えるがいい。君の顔は、二度と見たくない」
侮蔑の言葉を投げかけているが、テンペストにもわかっていた。白い少女の手段が、最も効率よく弓野鏡歌を説得する方法だと。ただ、本当にソレを実行した聖女に彼は押さえきれない嫌悪感を覚える。
「だね。確かに私の役目は、これで済んだ。後は――二人の能力の問題だよ」
最後まで微笑みを絶やす事なく、聖女は去る。
ソレを見届ける事もなく、今も鏡歌は人に対する呪いの言葉を吐き続けていた―――。
◇
いや、本当にその筈だった。
けど、そこでささやかな奇跡が起きる。今も人を嫌悪している筈の鏡歌が、ある兄妹の事を思い出す。凡庸で、でも自分を支えてくれる、あの兄妹の事を彼女は確かに思い浮かべた。
今も現実と必死に戦う彼等の事を思い出し、鏡歌は僅かながら我に返る。彼女は、こう考えたから。
きっとあの少年なら、殺す側ではなく常に殺される側に身を置く。彼なら例え自分が殺される事になろうと、人を殺す事は拒み続ける。
そして鏡歌は殺す側の強者を憎んでも、殺される側の弱者を嫌悪した事は、一度も無い。寧ろ自分はそんな彼等を、何時だって救いたいと思ってきた筈ではないか?
だが、それでも、今の鏡歌は人間を知りすぎていた。こんな心には、もう一秒だって耐えられない程に。だからだろうか? 彼女が、こんな突飛な事を口にしたのは。
「そ、う。ララ。もし、ララに彼女ができたら、もう本当にこんな世界に未練なんて無い。私はその時こそ、この世界を滅ぼす事にするわ――」
ある確信からそれだけは無いと思っている鏡歌は、だからそう誓ってしまう。ソレが現実になるとは思いもせず、彼女はソレで何とか自分を納得させる。
その――十数時間後である。彼女の戦いに――始まりが告げられたのは。
いや、それ以前に鏡歌は既にまともな気持ちで、人と接する事ができなかった。よって彼女は地下に潜伏し、テンペストにこう要求したのだ。
「あなた――私のダミーをつくれる?」
「………」
鏡歌の申し出にイエスと答えた彼は、その要求通り彼女の疑似体をつくり出す。ソレをテレパシーで鏡歌に操作させ、彼女はその疑似体を通して世間に関わる事になる。
鏡歌がララに彼女が出来たと聞かされたのも、その疑似体を通して。ララの家に転がり込んだのも、その疑似体である。
よって、図らずもその疑似体が、鏡歌のアリバイを証明する事になった。今も地下に潜伏する彼女とは別に、その疑似体がララ達と接し続けている。よもや件のララが、自分達の大敵だと気付きもしないまま。
ソレが何を意味しているか――弓野鏡歌はもちろん知る由も無い。
◇
そして、朝はやってきた。
朝の四時までガイセルクの中で待機していたララは、空が白んできたころ帰宅する。足取りがつかめない様、地下鉄を利用して自宅に帰り、そのまま倒れる様に眠りにつく。
それでも六時半には起床し、大急ぎで宿題を終わらせて、彼は自身の部屋を出た。
「……って、そういえば風呂にさえ入ってないな、俺」
昨日はハードスケジュールだった為、入浴する時間さえなかった。今更ながらその事に気付いたララは、昨日の疲れを癒す為、風呂に入ろうと思い立つ。彼は何の疑いも無く脱衣所の扉を開け、それから己の浅はかさを心底から痛感した。
何故なら彼は、すっかり忘れていたから。今、この家には二人も女子が泊まっている事を。
その一人である弓野鏡歌がバスタオルを首にかけ――全裸姿でソコに居た。
「……え?」
「は――?」
はじめ両者共に意味がわからなかったが、状況はこのように推移した。
沈黙。沈黙。――鏡歌の横蹴り。
「ぐぅふぅ……っ?」
ソレをまともに腹で受けたララは、素直に悶え苦しむ。悲鳴さえ上げず、鏡歌は無言で脱衣所の扉を閉めた。唯一人間らしい所は、彼女の顔が真っ赤だった事か。
「というかぁ、その姿で横蹴りとか余りに危険ですよぉ、鏡歌さんっ?」
鏡歌の全裸を網膜に焼き付けながら、今も床に倒れ伏すララがそんな事を呟く。
その一部始終を監視カメラで見ていた制服姿の命が、自室から出てきた。
「あー、何というラブコメ全開な真似をしているでしょうね、ララ君は? 皮肉にも、監視カメラの映像を見るのを拒否したが為の不運と言えますね、コレは。ま、ここではなんですし、取り敢えず自室に戻りましょうか」
ララの足を掴み、ズルズルと引きずって、彼の部屋に向かう命。その間にも、ララはこう訴える。
「痛いですぅ。痛いですぅ。お腹がメチャクチャ痛いですぅ」
「ですね。アレは私から見ても、ほれぼれするような横蹴りでしたから」
「ああぁ。鏡歌の奴ぅ、中学まで合気道を習っていたからなぁ」
「いえ、合気道と蹴りはどう考えても結びつかないのですが。ララ君、合気道は基本的に殺人術ではなく、護身術だってわかっています?」
が、命のツッコミをスルーして、自室に戻ったララはやっぱり訴える。
「あのぉ、何かシャレにならない位、お腹が痛いんですけどぉ?」
「ああ。コレ――骨が折れていますね。肋骨が――二本ほど」
「………」
腹部を軽く触っただけで、命はそう診断する。ララは、素直に唖然とした。
「あのぉ、女子の蹴りで男子の肋骨って折れる物なんですかぁ?」
「知りません。ですが、世の中にはそれだけの力量を誇る使い手も居るのかも。で、治そうと思えば治せますが、治しますか?」
「治してくださいぃ。お願いですから、早く治してくださいぃ」
「……ララ君って偶に、清々しいほど低レベルな小物に見えますよね? 昨夜日本を救ったヒーローとは思えませんよ、本当」
そうは言いながらも命は彼の腹部に触れただけで、切断した分子を結合させ骨を再生する。この鮮やかすぎる手際を見て、ララは目を見開いた。
「――待て。オマエ、人の怪我とか病気を治せるのか?」
それだけで、命はララが何を言いたいのか察する。
「いえ、彼女は無理です。世界の件とは何の関係も無い第三者を救うのは、禁止されているので。ですが私達が勝利したとき博士が私を回収に来る筈です。そのとき世界を守った報酬に、彼女の事を頼むのはアリかもしれません」
「……そう、なのか? 俺が世界を救えば――そういう事もありえる?」
息を呑む、ララ。そんな彼を尻目に、命は壁に穴を空けて自分の部屋に戻る。
「では、そういう事で。私は何も見聞きしていないので、弓野さんに対する言い訳は、君一人で考えてください」
「………」
お蔭でララは、まるで捨てられた子犬のような気分になる。
それから彼は――どう鏡歌と向き合うべきか必死に考えた。
◇
ついで、朝食の時間はやって来た。既に制服に着替えた鏡歌とララが、テーブルを挟んで向かい合う。ララは鏡歌と目を合わせられず、ただ下を向いて朝食のアジフライを口にした。同時に、鏡歌も命がつくったアジフライを口に運ぶ。
「って、本当に美味しい。昨日ララが言っていた通りね。さすがは宮部さんだわ」
「お褒めに預かり光栄です。ですが、私など弓野さんに比べればまだまだですよ」
命の料理を食した事で、鏡歌の表情が明るくなる。この機を逃さず、ララは決死の思いで切り出した。
「あの、鏡歌。さっきの事なんだけど」
「さっきの事? 何かあったかしら?」
「………」
下を見たまま、鏡歌がシレッと惚ける。お蔭でララは、何をどう言った物か迷った。
《おやおや。弓野さんは、優しいですね。あの蹴りだけで、全てを無かった事にするなんて》
いや、肋骨を二本もヘシ折っておいて、優しいもクソもないと思う。だが、ララもこのまま何時までも引きずられるよりはマシかと、妥協した。
「というか、ララって思ったより頑丈ね? 私、割と思いっきり蹴ったつもりなのだけど。それならもっと、強めに蹴っておけば良かったかしら?」
「いや、いや、いや! 十分痛かったって! それはもう、肋骨が二本は折れたとしか思えない程に!」
「そう? なら良いけど」
何が良いかは、全く不明だ。それでもララは、これ以上この件には触れない方がいいと直感した。
彼等の朝食はこうして終わり、それから鏡歌はこう提案する。
「じゃあ、まず私が登校するから、次は宮部さんね。ララは最後に家を出て。じゃないと私達は三人仲良く登校する事になって、変な噂を立てられそうだから」
「……だな。俺もソレが妥当だと思う」
先の失敗で発言力が格段に下がっているララは、そのため異議を申し立てない。寧ろ進んで鏡歌の提案に従う。ソレは、命も同じだった。
「わかりました。私もこれ以上ララ君達に迷惑はかけたくないので、その線でいきましょう」
「………」
俺達に迷惑はかけたくない。実に殊勝な心がけだが、果たして本当にそう思っている?
ララとしては――実に疑わしい話だった。
◇
別々に学校へ登校する、三人。その間、ララは一人自分達の敵について考える。昨夜交戦した敵とは何者で、何を考えているのだろうと彼は想像せざるを得ない。
(……だな。一体あれは誰なんだ? なんで何の躊躇も無く、核ミサイルをぶっ放せる? なんで平気で、人を殺そうとしやがったんだ、あいつは?)
黒い機体、ヴァーネットの操縦席に居るであろう己が敵を幻視してララが眉をひそめる。彼は未だ不思議でしかたがないのだ。この平和な国に生まれたにもかかわらず、本気で世界を滅ぼしたがっているその敵について。
そいつは何が不満で、世界を敵視している? そいつはなんで何の抵抗も無く、人を殺そうとしているのか? それとも、そいつは俺では想像もつかない事情を抱えている? もしくは、常人では理解できないほど頭のネジが飛んでいるのか?
ララは考えを巡らせるが、とうぜん答えは出ない。彼がソレを推理するには、材料が足りなすぎるのだ。
《ですね。今の所、敵の正体は全くの不明です。ですが、この国でそういう事を考える人間が居てもそれほど不思議ではありません。というのも、世界の終わりを望む者というのは割と余裕がある人間なんです。真に弾圧されている人々は、今を生きるのでやっとですからね。そんな事を悠長に考えている暇がない》
《そう、なのか? 世界の滅びを望むのは、余裕がある証しだと?》
遠方からテレパシーを送ってくる命に対し、ララは首を傾げる。
《絶対的にそうだとは言い切れませんが、存外そういう物ですよ。本当に追い詰められた人間がまず抱く想いは――生き残りたいという切なる願いですから》
「………」
ソレは何となくわかる気がする。少なくとも敵の人物像よりは簡単に想像できる意見だ。
そんな事を考えている内にララは学校に到着して授業を受け、何時の間にか下校の時間を迎えていた。
◇
「では、行きましょうか。ミカミちゃんを迎えに」
昨日の様に下駄箱で自分を待っていた鏡歌が、笑顔でそう告げる。ソレを見て、ララは心底からホッとした。
本当に、昨日の敵と鏡歌は全く正反対の人間だ。似ている点など微塵も無く、この両者は間違いなく相容れない。ララが知っている鏡歌は、例えどんな悩みを持っていようと他人を傷付けたりはしないから。ましてや人を殺すなんて事は、思いもしないだろう。
よってララは鏡歌の事を疑いもせず、今までの様に接する。命と共に他愛のない話をしながら、ミカミが待つ病院に向かう。が、彼は唐突にテレパシーで命に問うていた。
《あのさ、一応訊いておくけど鏡歌は昨夜、ずっと自分の部屋に居たんだよな?》
《んん? ええ。十時ごろララ君の部屋の扉をノックしていますが、十一時には就寝しています。あの、もしかしてララ君、弓野さんを疑っているんですか?》
《……まさか。そういう訳じゃないけど、念のためと言うか。ほら、よく推理小説でもあるだろ? 犯人は今まで疑った事も無い、身内だったってケースが。フトそんなありえない妄想が頭を過ぎっただけだ》
《成る程。まあ、確かに身近な人間から疑うのが、捜査の鉄則ですからね。ララ君にもそういう甲斐性があるとわかって、少し安心しました。ということは、ミカミさんの事も疑った方がいいという事でしょうか?》
が、その件に関しては、ララは相手にもしない。
《アホか。彼奴が世界の終末を望んでいるなら、世の中は本当に終わりだ。俺じゃあ救い切れない程の、末期状態。だから、その辺りは考慮しなくて良い》
《ほう? ま、ソレも今夜わかる事ですが》
短くソレだけ告げて、命は足早に歩を進める。やがて病院へと辿り着いた三人は、受付でミカミについて訊ねる事にした。
けれど既に顔見知りになっているその受付の女性は、思いもよらない事を言い出す。
「え? アレ? ミカミちゃんならとっくに病院を出て、待ち合わせ場所に向かった筈だけど?」
「……待ち合わせ場所、ですか?」
寝耳に水といった表情の、ララ。ソレは鏡歌も同じで、だから受付の女性は更に続ける。
「ええ。お兄さんや弓野さん達と――遊園地で待ち合わせをしていると言っていたわ」
「………」
そして――ララはミカミの魂胆を知った。
◇
それから三人は、即座に件の遊園地へ向かう。その入り口前では――確かに例の妹が待っていた。
いや、彼女の姿を遠方から確認した時には、ミカミは遊園地に入ってしまう。ララと鏡歌と命は、その後を追う形となる。例えソレがミカミの狙い通りだと、わかっていても。
よって三人は受付で遊園地の入場券を購入して、入園する。と、直ぐに目当ての人物は見つかった。中学の制服であるセーラ服を着たミカミは、入場ゲートの直ぐ傍で三人を待っていたから。
「やっほー、兄ちゃん、鏡歌ちゃん、宮部さん。やっと来てくれたね」
「って、ミカミ、お前!」
ララが呆れたように声を荒げると、彼女はニカっと笑った。
「いや、そんなに怒らないでよ、兄ちゃん。だってこういう強引な手段をとらないと、兄ちゃん達は私と一緒に遊んでくれないと思って」
その為に、ミカミはいち早く病院を退院して受付嬢に伝言を残し、ララ達を誘導した。遊園地にやって来る様に仕向け、こうして状況はミカミの思惑通り進んだのだ。その事をとうぜん察しているララは、そのため些か機嫌が悪い。
「当たり前だろう。今日まで入院していた身なのに、何を考えている? お前、本当に自分の立場、わかっているか?」
が、そのとき鏡歌がララの肩に手を乗せ、首を横に振る。
それでララは、思わず言葉に詰まった。
「そうね。偶にはこういうのもいいかもしれないわ、ミカミちゃん」
「だねー。偶には制服デートも良いでしょう? いや、もしかしたら兄ちゃんと宮部さんは、これが初めての制服デートとか?」
キシシと笑いながら、ミカミが茶化す。ソレを見て、ララは心底から嘆息する。
「……わかった。良いよ。これも一時退院のお祝いの一環だ。今日はとことんまで、お前の我が儘につき合ってやる」
「おお! 今日は妙に物わかりがいいな、兄ちゃんは! じゃあ、早速だけど昼飯でも食べよう! 実は、前から目をつけていたレストランがあるんだよなー」
早足でそのレストランとやらに向かう、ミカミ。その彼女の後ろ姿を見て、ララはぼやく。
「……本当に強かだな、彼奴は。一体、誰に似たんだか」
「ま、妹や弟なんてそんな感じでしょう。兄や姉の至らない点を反面教師にして、生意気に育っていくものよ」
ミカミの行動力に、鏡歌も苦笑いを浮かべる。彼女にしてみれば、ミカミの前向きな姿が眩しく映ったのかもしれない。
しかしララはそうとは気付かず――今も脇目もふらず前進する妹の後を追った。
◇
で、昼食の時間である。
ララ達としてはミカミを病院で拾った後、スーパーで買い物をして家で昼食をとるつもりだった。だがその予定は狂って、ララ達はいま遊園地内のレストランに居る。
ミカミは何の遠慮も無く――勝手にステーキを頼んだ。
「いや、入院生活で何が一番苦痛かといえば、食事が質素で味気ない事だね。病院の調理係の人には悪いけど、アレは美味くも無ければ不味くも無いって感じ。まるで味の無い綿あめでも食べている様な気分だった……」
ソレがよほど苦痛だったのか、珍しくミカミが顔を歪める。その顔がおかしくて、ララは失笑した。
「ソレ、便秘三日目で苦しむ、主婦みたいな顔だ。妙に味がある」
「……うっさいな。言っておくけど、それでも兄ちゃんが作る料理よりはずっとマシだったからね。兄ちゃんが作る料理は、こうドブの水を無理やり浄化した様なヤバい後味が残るんだ。兄ちゃんは、料理の才能だけは無いよ」
「言ってくれるな。未だにリンゴの皮も向けない愚妹が。お前こそ、もう少し家事を覚えるべきなんじゃないのか?」
ララが容赦なく言い捨てると、ミカミは一考する。
「んん? ソレは、兄ちゃんの未来の奥さん次第かな? その奥さんが私以上に料理がダメなら、私も身の振り方を考えざるを得ない。兄ちゃんの不味すぎるあの料理だけは、食べ続けたくないから。自覚が無い様だから言っておくけど、アレって一種の拷問具だからね」
「………」
え? 俺の料理ってそんなに酷い? 確かに鏡歌やメインディッシュのソレとは、比べるべくも無い。その一方で、食べられない程では無いと思う。何故なら、食中毒を起こした事など一度もないから。
「……なに、その危険思想? ララって食中毒さえ起こさなければ、万事めでたしと思っている? 美味しさを追求する精神は、どこにも無いと言うの?」
「――そんな物は知らん。料理は、食べられさえすれば良い。食べて下痢や発熱さえ起こさなければ、ソレは十分料理だ」
「………」
当然だが、食べて発熱を起こす料理と言う物を鏡歌は知らない。そんな物が実在するとすれば、一種の化学兵器だろう。ララの料理は、その化学兵器と紙一重だというのだ。少なくともララの料理に対する考え方は、化学兵器を作るのと大差ない。
「……良かった。今までララの料理の味見をする機会が、無くて。いえ、コレは一種の奇跡だわ」
立場上、自分ならその機械は幾らでもあっただろう。だが、鏡歌には今までその役目が回ってくる事は無く、今日まで生活できた。このささやかな幸運に、鏡歌は素直な感謝を覚える。
「いや、前に母さんに味見させたら、〝鏡歌には絶対させるな。この言いつけを守らなかった時は親子の縁を切る〟と言われてさ。俺としては首を傾げるばかりだったけど、そうか、俺の料理はそんなに不味いか」
特に気にもせず、ララは納得する。この悪意なき凶悪犯を前にして、鏡歌とミカミは口ごもる。命もララの暴論を聴いて、珍しく顔をしかめた。
《……本当にありえませんね。完全なる料理に対する冒涜です。……でもちょっと待って下さい。昨夜は弓野さんが夕食を作り、今朝は私が作ったから、今夜はララ君が腕をふるう?》
命がそう気付くのと同時に、鏡歌もハっとした。
「……前言撤回するわ。ララは、料理担当から外れて良い。代りに、お皿洗いとお風呂の清掃とトイレの掃除をお願い。貴方は、絶対に料理にはタッチしないで」
「えー。今日こそ鏡歌達に、俺の料理を振る舞えると思ったのに。俺の料理こそ、ミカミの一時退院を祝うのに相応しい物だと思わない?」
「全然思わないよ! ……そうだったの? 今日は兄ちゃんが夕食を作るつもりだったのか! 私は下手をすると、あのウン■みたいな料理を祝いの席で食べさせられていたのっ?」
「あははは! ウン■は言いすぎだろ、ウン■は。せめて――嘔吐物と言え」
「いや、嘔吐物も料理じゃないからね! 嘔吐物を焼いた物をお好み焼きと偽って出しても、絶対バレるから! 大阪の人だったら、憤死するくらい激怒するよ!」
ミカミは絶叫するが、ララはやはり意にも介さない。ここまで酷薄なララは、鏡歌も初めて見る。……どこまで料理に関心がないんだ、この男は?
「で、〝夏の良い所は女子の服が薄着になる事だけだよな〟と、常日頃から思っているララ君は、昼食を終えたらどうします?」
「いや、そんな事、微塵も思っていないからねっ? 宮部さんは、妹や幼馴染が居る場で一体何を言い出すのっ?」
《でしたね。今の所、ララ君は弓野さんの全裸を見て満足しているんでした。〝鏡歌って以外に胸あるんだ? ふーん、そうか〟みたいな事を三秒に一回、考えている君って一体何者なんでしょう?》
《だから人の思考を勝手に読むんじゃねえ! いや、俺は断じてそんな事は考えていない!》
命とララが、無言で鍔迫り合いを行う。先に一歩退いたのは、ララだ。
「いや、今日の予定は全部ミカミに任せる。俺はソレに合わせるつもりだけど、宮部さん的には気が進まない……?」
「いえ、私もソレで結構ですよ。弓野さんが、良ければの話ですが」
が、鏡歌に異論がある筈も無かった。話はアッサリ纏まり、三人は全権をミカミに預ける。
「ヤッホー! じゃあ、こっから先は私のターンね! 王様ゲームで言う所の王様だから、そのつもりでいてよ!」
「……待て。俺はそれほどの権力を、お前に与えたつもりはない。全盛期の教皇にでもなったつもりか? お前は兄貴に雪が降る中、裸足で三日間、ひたすら謝罪させるつもりなのか? 新たに〝幾都ララの屈辱〟なる事件を歴史に刻み込むつもり?」
「……いや、意味がわからない。兄ちゃんが何を言っているのか、私にはさっぱりだ。ソレは鏡歌ちゃん達も同じだと思うんだけど、どうだろう?」
が、鏡歌と命は手を上げ、揃って断言する。
「いえ、私はわかるけど」
「ええ、私もわかりますね。〝カノッサの屈辱〟のパロディでしょう?」
「なっ? 早くも革命が勃発した! 三人の家臣が揃ってクーデターを起こした! 私は王様就任早々孤立無援となったのかっ? こういうのを、四面楚歌状態と言うのっ?」
「へえ? 革命とか四面楚歌は知っているんだな、お前。ま、確かに〝カノッサの屈辱〟は、中学の世界史ではやらないか」
注文した料理が運ばれた所で、ララはそう漏らす。ミカミは憤慨した様に、鼻から息を吹き出す。
「いや、私は今から革命する側に回ったから。私の革命案に反対する者は、全員粛清の対象だから覚悟して」
「今度はテルールをはじめやがったぞ、この妹は。お前は数回にわたり政治体制を変えた、どこぞの大陸国家の指導者か?」
「だから、歴史ネタは禁止! 王たる私がついていけないネタは、全部ボツ! 兄ちゃんもそういう事を考慮して、喋ってよね!」
が、他の二人はやはり揃って言い切った。
「いえ、私はついていけるんだけど」
「ええ、私もついていけますね。血で血を洗う革命を何度も繰り返して、漸く共和制に落ち着いたフランスの事でしょう?」
「………」
やはりミカミ政権に、支持者は無かった。王たる彼女に、味方は誰も居なかった。嘗てこれほど人徳が無い王が、ほかに居ただろうか? 裸の王様とは、正にこの事だ。
「ううぅ。私の心を癒してくれるのは、このステーキだけだと言うのぉ? 人はついてこないけど、食だけは充実しているとぉ? これじゃあ、都を追放されながらも生活には困らなかった、足利義昭みたいじゃないかぁ」
「いや、お前も十分歴史のうんちくを語っているぞ? ま、マニアックな歴史ネタはともかく飯を食い終わったらまずどうする?」
というか、昼食のシーンだけで尺をとりすぎだろう? そう思わなくもない。
「だね。じゃあ、取り敢えず適当にそこら辺をブラブラする?」
「………」
相変わらず行動力はあるが、計画性は皆無だった。
大抵の事は勢い任せだからな、この妹は。
「と、その前に質問なんだけど、今夜の料理ってどちらが作るの? 鏡歌ちゃん? それとも宮部さん? いえ、私をこの兄ちゃんと二人きりにして、あのゲロみたいな料理を食べさせる気じゃないよね?」
「と、そういえば、ミカミさんにはまだ話していませんでしたね。実は私達三人は訳あっていま同居しているんです。ですから、その心配だけはいりません」
「フーン。宮部さんと鏡歌ちゃんって、いま兄ちゃんと同居中なんだ? それは、それは。――って兄ちゃんが二人の女子と同居ぉおおっ? つまり3■状態ぃいい――っ?」
「………」
だから、何でこの妹はそういう知識ばかりあるのだろう?
「落ち着け、我が妹よ。お前の兄ちゃんは当然そんな穢れた関係を、複数の女子と結んだりしないから。なので、レストランの中で3■とか不浄なる言葉を大声で発するのは止めよう」
「違う! 兄ちゃんが落ち着きすぎなんだよ! 何で兄ちゃんがそんなにモテてるのっ? 一体私の兄ちゃんに何が起こったのっ? モテ期なんて、とうの昔に死語と化しているんだよっ? そんなの物は、ただの幻想にすぎないって誰もが気付いたんだ! なのに、何で兄ちゃんはそんなにモテモテなのさっ?」
「……違います。私は単に、宮部さんの貞操をララから守るために仕方なく同居しているだけなんだから。でも、そうね。ミカミちゃんも一時退院した事だし、私の役目はこれでお終いかな?」
鏡歌が苦笑いしながら告げると、ミカミが眉根を寄せた。
「えー、そんな事ないよ。私は面白そうだから、例え兄ちゃんが宮部さんの部屋に夜這いをかけても見逃すもん。だから鏡歌ちゃんも宮部さんの事を思うなら、暫くウチに泊まろうよ。じゃないと――三カ月後には宮部さんの妊娠が発覚する事になるよ?」
「……すげえ脅し文句だな、おい。俺が宮部さんを孕ませたく無かったら一緒に泊まれとか、母さん達が聞いたら泣くぞ。言っておくけど、俺はソコまで親不孝者では無い」
「……え? ソレは、ちゃんと避妊はしているって事?」
「………」
真顔で訊いてくるミカミに、命は笑顔で答えた。
「いえ、その点はご安心を。私は未だ純潔を保ったままですから。弓野さんは、どうかわかりませんが」
「ぶっ……!」
ソレを聞いて、鏡歌が思わず口にしたコーヒーを吹き出しかける。けれど彼女は何ごとも無かったかのように、落ち着いた声を上げた。
「そういう面白くも無い冗談は間に合っているわ、宮部さん。それとも、宮部さんは私とララの事で何か誤解をしているとか?」
いや、ニッコリとした微笑さえ浮かべて、鏡歌は問い質す。
ソレを見て、命はアッサリ態度を翻した。
「いえ、私の見込み違いでした。全ては私の勘違いで、ララ君と弓野さんは何の関係もありません。それよりこの店のコーヒー、本当に美味しくありません?」
《って、オマエにしては、珍しく話を引っ張らなかったな? 一体、何故?》
《だから、ララ君は鈍感だと言うのです。あれ以上あのネタを続けていたら、私も肋骨を折られかねませんでしたからね。それ位の空気は、ララ君も読むべきです。そうですね。私が思うに、弓野さんはララ君が考えている以上に潔癖症だと思いますよ?》
《……そうなんだ?》
いや、確かに思い当たる節が無い事も無い。十六年以上鏡歌と幼馴染をやっているララは、そう思わざるを得なかった。
現にソレが切っ掛けになって、ララはある事を思い出す。アレは、遠い日の事。まだ小学三年生だった頃だ。
〝ねえ、ララ。人間って――本当に生きていて良いと思う?〟
今まで自分の周りには、そんな事を訊いてきた人間は居なかったから唖然とした物だ。その為、今も強く印象に残っている訳だが、ララとしてはそれだけの事だった。だからといって鏡歌が本当に人間を滅ぼしたがっているとは、微塵も思っていない。
……ただ、あの発言を現在の自分の立場に置き換えると、厭な予感がしたのも事実だ。人類を守る立場にある今の自分と、不吉な事を告げた嘗ての鏡歌。この奇妙な関係が、ララの表情を若干曇らせる。
(……いや、違う。そんな訳がない。そんな偶然がある訳がないんだ。大体、鏡歌にはアリバイがあるじゃないか。鏡歌は今も、こんなに楽しそうに笑っている。そんな鏡歌が、世界を滅ぼしたがっている訳がない――)
当然の様にララは僅かに芽生えたその疑惑を打ち消す。それはもう、脊髄反射的な勢いで。ソレは自分の平和な環境を無意識に守ろうとする、自己防衛本能と言えた。人間としては実に真っ当な反応だと言えるが、ララの表情はまだ硬い。
そのまま彼等は昼食を終え――いよいよ遊園地に繰り出したのだ。
◇
で、ジェットコースターにお化け屋敷、ドロップ・タワーを制覇した頃、ミカミは唐突に言いだす。
「そう言えば、何で女子高生のスカートって短いんだろう?」
「………」
ソレは男子高校生にとっては、タブー視されている話題だ。例え疑問に思っていても、絶対に女子が居る前では口に出来ない。かの妹は兄に代り、果敢にもその禁忌に足を踏み入れていた。
「そうですねー。それは私にもわかりません。何せあの生真面目な弓野さんでさえ、ミニスカですからね。これはもう、誰かにナニカをアピールしているとしか思えませんよ」
「……うるさいわね。ちゃんと聞こえているわよ。私は別に、ナニカを誰かにアピールなんてしていません。そう言う目で見られるのは、迷惑です」
いや、そう思っていたのだが、話はそこですり替わる。
「ね。こういう可愛い所もあるんだよ、鏡歌ちゃんは。ツンデレ派には堪らないよ、本当」
「そうですね。これは同性の私から見てもキュンときます。男子の多くが弓野さんのこういう一面を知らないと思うと、ゾクゾクしますね」
「………」
言いたい放題だった。
ミカミという味方を得た命も、ここでは言いたい事を遠慮なく言いだす。
「というか、知り合ったばかりなのに本当に仲がいいね、君達は。変態コンビでも結成するつもり?」
鏡歌の代りに、ララがツッコム。件の変態コンビは、堂々と胸を張った。
「いや、兄ちゃんも〝鏡歌ちゃんを愛でる会〟の会員だろ? 会員ナンバー零番だろ? その兄ちゃんが、何を言っているのさ? 私達が変態コンビなら、兄ちゃんは変態の開祖だって本当にわかっている? 兄ちゃんという存在が鏡歌ちゃんにミニスカートを穿かせているんだって、本当に自覚しているの?」
「………」
責める様な口調だった。兄はいま妹に、訳がわからない事で責められていた。何だ、この冤罪事件は? これが切っ掛けで不当な罪に問われたらどうしようと、ララは本気で心配する。
「……だから、そういう誤解は迷惑だって言っているでしょう。私がミニスカートを好むのは単なるオシャレです」
若干顔を赤らめながら、鏡歌が抗弁する。ミカミと命はソレをニヤニヤしながら観察し、ララはそんな妹達の将来を本気で心配する。何だこの人間関係はと、彼は心底から首を傾げた。
「と、それはさておき、三人共知っている? 昨夜起きた、超弩級の超常現象。何と日本全土を地殻で出来た傘が被ったって、アレ」
「ああ。それなら、知らない人は居ないでしょう。学校でも、話題になっていたわ。何しろ、規模が規模だもの。目撃者も多数で映像記録も多数ある。原因こそ不明だけど、不可解な地殻の隆起が起きたのは間違いない。もっと不可解なのは、ソレが直ぐに収まった事。何かの人為が働いているのではないかと思える位不自然な現象だった事ね。加えて、何かの爆発音が無数に起きたらしいわ。一説によれば核による攻撃だって、ニュースではやっていた。まあ、私はそれでも昨日は疲れていたから直ぐに寝ちゃったんだけど」
鏡歌が述懐すると、ミカミは身を乗り出す。
「そうなんだ? 私はもう興奮して寝つけなかったなぁ。宇宙人の襲撃かと思って、本当に世界の終わりを覚悟したし」
「成る程。ソレは道理ですね。ですが、新聞によると異変が起こったのは日本だけだそうですよ? ヨーロッパや中国や中東やアメリカでは、何の異常も無かったとか。だとすれば、確かに奇妙ではありますね。まるで、日本だけが特別みたいな気さえします」
「………」
白々しく命が断言する。〝果たして自分にこのレベルのお惚けが出来るか?〟とララは自問した。その答えが出る前に、ミカミが話を振ってくる。
「というか、あの緊急事態のなか兄ちゃんは何をしていたのさ? まさか寝ていたとか言わないよね? 寝ていて何も気付きませんでしたとか言ったら――本当にぶっ飛ばすぞ?」
「……いや、実はそうなんだけど。昨日はもう、八時頃には寝ていた」
「………」
これにはミカミも本気で呆れる。
「偶に兄ちゃんって、神経が図太くなるよな? 痛いのが厭で、昔は転んではしょっちゅう泣いていた癖に」
「ガキの頃の事を、引き合いに出すな。確かに俺は痛みには弱いけど、もう骨折くらいじゃ泣いたりしない」
《……そうでしたっけ? 何か今朝、その主張に反する態度を誰かがとっていた様な?》
《……うるさいなー。だって、肋骨を二本も折られたんだぞ? 普通は号泣するだろう?》
ララが熱弁を振るうと、命は一考する。
《そういえば、あの件って出る所に出るとどうなるんでしょう? 覗きはララ君の過失としてその後に起った弓野さんの蹴りはやはり過剰防衛? もしかすると、裁判になれば勝てるかもしれませんよ、ララ君?》
《……いや、その話はもういいから。金輪際しなくていいから、お願いだから忘れて下さい》
土下座したい気持ちで、ララはテレパシーを送る。兄がそんな心境にあるとは知る由も無くミカミは新たに提案した。
「まあ、私達庶民が考えても仕方がない事ではあるかな? シェルターも持っていない一般人じゃ、核攻撃があったら対処のしようがない訳だし。これはもう、なる様にしかならないでしょう。それよりも、今は男女比一対三の変則デートを楽しもうじゃない。妹、幼馴染、謎の転校生に囲まれた兄ちゃんのハーレムデートを続行しよう。私、今度は観覧車に乗りたいなー」
「……また唐突な事を言い出したな、この妹は。別に良いけどさ。もうすこし日が暮れてからの方が、夕日がきれいだぞ?」
後、自分は決してハーレムデートなど行っていない。寧ろ、針のむしろに近いぞ、コレは。
「いいの、いいの。この後はメインである、私の生還祝賀会があるんだから。日が暮れる前に家に帰って、鏡歌ちゃん達にご馳走の用意をしてもらいたいじゃん」
抜け目がないこの妹に対し、ララは今日何回目かの溜息をつく。それでも彼は、ミカミの要求に従った。四人は観覧車を目指す形となり、ミカミは更にこう提案したのだ。
「じゃあ、二手にわかれようか。兄ちゃんは遠慮なく、宮部さんと一緒に乗って良いぞ」
「………」
そう言えば、俺と命はつき合っている事になっているだっけ? そう言ったイベントが何も起こらないから、つい失念していた。
自身の油断を自覚しながら、ララはそれならとばかりに命と共に観覧車に乗る。必然的に、ミカミは鏡歌と共に観覧車に乗る事になった。
密室の箱が閉じられ、鏡歌達が乗った観覧車は円を描いて上空へと昇って行く。その最中、ミカミは何でも無い事の様に言いだす。
「そういえば、子供の頃は兄ちゃんももう少し友達が居たよなー。小学生の頃はあれでも、兄ちゃんはやんちゃな方だったから。だって言うのに、何時の間にか付き合いが悪くなって友達が減ってさ。幼馴染達とも、あまりつるまなくなった。本当に何故だろうと思ったけど、そんなのわかりきっていたんだ」
「………」
頬杖をつきながら、ミカミは外を眺める。彼女のその様を、鏡歌は表情を消して見つめる。
「でも、それでも鏡歌ちゃんは変わらずに兄ちゃんの友達でいてくれた。今も兄ちゃんが良い奴だとすれば、ソレはぜんぶ鏡歌ちゃんのお蔭だと思う。兄ちゃんは鈍感だから気付かないけど、それ位の影響は兄ちゃんに与えているんだ、鏡歌ちゃんは」
日が少し西に傾き始める中、彼女の独白は続く。
「だから本当に、鏡歌ちゃんには感謝している。私や兄ちゃんの友達でいてくれて、本当にありがとう。できるなら、どうかそのままの心で兄ちゃんと接し続けてもらえると助かるな」
「……そのままの、心?」
鏡歌が首を傾げると、ミカミはニカっと笑う。
「うん。私が見た感じだと、宮部さんは兄ちゃんを本気で好きじゃないと思う。何時かはわからないけど、きっとあの二人は別れると思うよ。その時、兄ちゃんの直ぐ傍に鏡歌ちゃんが居てくれればいいなと、私は考えているんだ」
「………」
「いや、本当に勝手な言い草だよな。こんなのは三人の問題で、私が口を出す事じゃない。でも、ソレが私の本音だよ。今日まで自分の心を偽ってきた、私の心底からの本心。私はもう兄ちゃんや鏡歌ちゃんの幸せを、ユメ見る事しかできないから」
「………」
と、鏡歌が何かを言い掛ける。ソレをミカミは反射的に制した。
「あ、いや、今のは忘れて。……本当に何を言っているのかな、私は? 一時退院を許されたから、少し気分が浮ついているみたい。ついつい心にもない事を口にしちゃう。でも、これだけは忘れないで。例え鏡歌ちゃんがいまナニカに悩んでいても、兄ちゃんと一緒なら乗り越えられるから。きっと、二人で笑い話に出来る日がくるから、それだけは忘れないで。そう。私は何があっても、鏡歌ちゃんが大好きだよ――」
「………」
それで、話は終わった。最後まで笑顔を見せながら、ミカミは話を終える。
だが、そんな彼女でもいま鏡歌が何を考えているかはわからず、そのまま鏡歌も微笑んだ。
◇
その後は、正にパーティーだった。
鏡歌と命が腕を振るって料理を作り、買ってきたケーキを皆で食べて、夜遅くまで騒いだ。四人で他愛のない話で盛り上がり、大いに食して、大いに歌い、大いに生を謳歌する。夜の十二時まで宴会は開かれ、やがてミカミが疲れたと言ってお開きとなった。
そして、彼女は去り際、三人にこう告げる。
「兄ちゃん、鏡歌ちゃん、命さん、本当にありがとう。じゃあ――またね」
だが、彼等がその意味を知るのは、もう少し先の事だ。
ワールドエンド?・前編・了
ここまで読んでいただき、誠にありがとうございます。
今までの主人公はみな何らかの特技を持っていた為、普通の人を書く事はほぼ皆無でした。
ですが、書いてみると共感できる部分が多く、私はやっぱり凡人なんだなーと感じた次第です。
凡人は凡人を書くのが、一番、楽。
凡人、最高。
凡人に、栄光あれ。
後編の凡人の奮闘も、どうぞご期待ください。
追記。
本日、二十三作目のウェルエイトを脱稿しました。
友達が居ないので、一人で地味に喜んでいます。