未来と私とある日の災難・後編
本編の主人公である葉花ですが、愛奈とは対照的なキャラになっています。
愛奈が大して悩まずに人をアレするのに対し、葉花はひたすら悩み抜くキャラと言えるでしょう。
いえ、全部行き当たりばったりで書いているので、結果的にそうなっただけなのですが。
後編も葉花は悩み続けるので、その辺りも楽しんでいただければ幸いです。
◇
で、私達は星名小夜香の学部に移動する。
そこでさっき話を聴いた人とは違う、別の人に話を聴く。
「は? 星名さんについて、話が聴きたい? 君の弟が、彼女に一目惚れした? へえ? それは見る目があると言うか、何と言うか。いや、ぶっちゃけ彼女って資産家の娘なんだよ。大手の旅行会社を経営していて、主に外国人旅行者をターゲットにしている。彼女も将来的には会社の経営に携わる気満々で、色んな国の言葉を勉強していると言っていた」
「はぁ。彼女の家もお金持ち」
どこかで聞いた様な話だ。実は似合いのカップルなんじゃないか、井熊里伊と星名小夜香。
この事情通な男性に、高階君は尚も問い掛ける。
「じゃあ、彼女は今の所フリーって事かな? 誰かが彼女にコナをかけても、文句を言われる筋合いは無い?」
一方、その男性はというとちょっと複雑そうな顔をする。
「あ、いや、どうだろう。周囲はともかく、彼女本人はどう考えているかな? というのも星名さん、最近、彼氏にフラれたばかりらしいんだ。今も井熊を忘れていない感じが凄くするから、他の男子には興味がないじゃないか?」
と、そのとき私は思い出した様に合いの手を入れた。
「ああ。その話なら、私も知っている。何でも山根椿さんが原因で二人は別れたのよね? つまり星名さんは――山根さんの事を恨んでいる?」
「ん? ……あー、どうだろう。星名さんは、思った事を余り顔に出さないタイプだから。ただ誰かが山根さんの名前を出した時、一瞬星名さんの顔が引きつったのは覚えている」
「………」
この彼の心証が確かなら、やはり星名さんも椿さんに対しては思う所があるらしい。
「じゃあ、この二日後の星名さんの予定ってわかる? 弟の学校がその日開校記念日で休みだから、大学に遊びに行きたいとか言っているんだ」
「へー。それは積極的な弟さんだな。でも、残念ながらこの二日後は間が悪いな。俺達の学部はその日から、三日かけ研修する事になっているから。場所は長野で、今のところ井熊いがい欠席者は無しって話さ」
「長野に、研修?」
ここから長野までは、二百キロほど離れている。上手く電車を乗り継げば、或いは椿さんを殺害する事も可能だろう。
だが、周囲の人間に怪しまれずに移動するとなると、夜中になる。でなければせっかくアリバイを証明できそうな状況なのに、そのアリバイがふいになる。
けれど、椿さんの死亡時刻は午後七時。普通の学生なら、皆起きている時間帯だ。彼等の目を盗んで関東に戻るのは難しい。彼女もそんな時間帯に、わざわざ帰ったりはしないだろう。
となると、井熊里伊に続き――星名小夜香のアリバイも確定という事か?
私がそう計算していると、高階君が思いつめた表情になる。彼は話を聴いた学生にお礼を言うと、そのまま私を連れ一旦校舎を出た。
それから彼は――思いがけない事を言い出す。
「そうだな。俺としては、容疑者二人にアリバイがあるのが気になる。もしかするとこれは――交換殺人ってやつじゃないか?」
「――交換殺人?」
交換殺人。即ちそれは二人の人間が結託し、互いのターゲットではない人間を殺す行為だ。自分の利害に全く合わない相棒が殺したい人間を殺し、警察に関連性を疑われない様にする。対して利害がある相棒はその間アリバイをつくり、自分の無実を証明する。
だがその相棒も結託した人物のターゲットを殺し、自分の役割を全うする。そうし合う事で互いにアリバイを確保し、互いの事件の無実を証明し合うのが交換殺人だ。
なら、井熊里伊ないし星名小夜香は何者かと結託し、殺人の取引をしたという事か?
「ああ。正直ただの思いつきだが、そう考えると二人のアリバイはあってない様な物だろ? ただ、それだと委託殺人と同じリスクを被る事にはなる。仮に警察が二人の関与を疑えば、パソコンからその手の情報を引き出すかも。という事は、やっぱり俺の考えは間違えか?」
「……どうかしら? 或いはアリバイを確保していれば、警察も任意同行以上の事は出来ないかも。所有物を押収するなんて令状は、おりないかもしれないわ。いえ、それ以前に計画通り進んだ後、そのパソコンを破棄すれば証拠は無くなる。水につければパソコンのデータは復元不能になるから、証拠の隠滅は難しくない。だとすれば、高階君の言う通り? 二人のどちらかがネットで交換殺人の相棒を探し――犯行に及ぼうとしている?」
私が目を細めながら考え込むと、高階君も悩ましげな顔を見せる。
思いもかけない展開を前にして、私は素直に呆然とした。
「……でも、一つだけ引っかかる事があるのよね。それはやっぱり、椿さんの死体現場。これが交換殺人だとして、犯人はどうやって密室を用意したのかしら? 椿さんはストーキングされた後、警察から指導を受けている。施錠のクセをつける様に言われていて、彼女は実際その通り行動していた。現に私が見た映像では、扉や窓の鍵はかかったままだもの。そんな状況にあるのに、椿さんが見知らぬ人間を招き入れたりするかしら? 争った形跡も残さないで、殺害される様な事になる?」
「……結局そこが問題になるか。仮にこれが殺人なら、山根さんをどうやって殺害したか明らかにしない限り解決しないな。仮に一度目の死は回避できても、二度目の死を上手く回避できるかはわからない。山根さんは延々と……見知らぬ誰かに狙われ続けるかも」
高階君が、深刻な声を上げる。
私も気分が若干沈みがちになるが、その時――私の目にある光景が飛び込んできた。
「……あ。え。あ。え。ああ、そうか。そういう事か。もしかすれば――そうかもしれない」
「は? ……何だ、二瞳? 何か思いついたのか?」
怪しい様子を見せる私に、高階君が問うてくる。
私は震えそうな体を何とか自制しながら、返答した。
「ええ。一つだけ――全ての謎を解明する方法があった。あの人なら――きっとそれが出来る筈よ」
故に二瞳葉花は――この場に居もしない誰かを幻視する。
決戦の時が近い事を予感し――私は思わず笑ったのだ。
◇
それから、私は待った。
闇に落ちた世界で、ただ一人、その時を待つ。
なにも見えない暗闇は、けれど心地いい静寂を私にもたらす。
その反面、心拍は高鳴り、呼吸も乱れがちだ。
しかしかの人の歩みはとまらず、足音も無く近づいてくる。やがて部屋の鍵はあけられ、ドアノブは回転して、押し出される。
私と同じ様に闇に目が慣れきったかの人に、その光景はどう見えただろう?
制服姿の私は落胆とも言える嘆息を吐きながら立ち上がり、かの人を出迎える。
同時に部屋の扉は閉められ、照明をつけた途端、かの人は息を呑んだ。
「ええ。私としてはあなたか井熊のどちらかだったんですが、あなたにはこの場に来てほしくなかったです」
私はそう前置きを入れてから、かの人の名を告げた。
「――上坂宗次警部」
「………」
場所は、山根椿さんの部屋。
時間は、午後の七時。
日付は、椿さんが死亡する二日前。
そんな状況の中――上坂さんは僅かに眉をひそませながら、私を見た。
◇
四メートルほど距離を離し、私の前に立つ彼。
上坂宗次は短い沈黙の後、口角を上げる。
「成る程、そういう事、か。だが、一応訊いておこう。なぜ二瞳君がここに?」
「いえ、私はただ、椿さんの了承を得て椿さんの家の留守番をしているだけ。それを言うならなぜ上坂さんが椿さんの家に居るのでしょう? 何の権限があって、一民間人の女性の部屋にあなたは居るんです?」
私が問うと、上坂さんは苦笑いする。
「――だな。そう訊かれてしまえば、俺は何の言い訳も出来ない。俺も山根さんに頼まれたからと誤魔化した所で、本人に確認されればその嘘はバレる。こうなった時点で、既にチェックメイトと言う訳か。少なくとも、俺は不法侵入の罪には問われるな」
自分の犯罪行為が明るみになったというのに、上坂さんは冷静だ。
タバコを取り出し、吸い始める余裕さえある。
「はい。私が警察に通報すれば、そうなるでしょう。加えて持ち物検査も行われ、あなたの更なる犯罪の証拠も発見される筈です」
「………」
私が断言すると、上坂さんは暫く黙然とする。
彼は横目で、チラリと部屋のふすまを見た。
「で、この状況は伴田白根の時と同じ様に録画されている訳だ? そのふすまの中に高階君が潜んでいる、と言った所かな?」
「ええ、正解です。要約すれば、あなたはもう言い逃れできない状況という訳ですが、一体どうしますか? 大人しく全てを白状して、警察に自首してもらえる?」
左手に持った刀をそのままにして、問い掛ける。それを見て、彼は嬉々とした。
「どうだろう? 君は俺に、その日本刀を所持していた事を見逃してもらった恩があると思うんだが? その恩を返す意味でも、この場は見て見ぬふりをしてもらえると助かるな」
「面白い冗談です」
実際、私が一笑に付すと、上坂さんも酷薄な笑みを浮かべた。
彼は、一歩前進しながらこう訊ねる。
「いや、どちらが面白いかといえば、断然君の方が愉快だ。本当に君は何者だ? 伴田の件といい俺の件といい、なぜこうも先回りができる? まさか本当に超能力でも持っているのか、君は?」
「どうでしょう? ただ、あなたがしようとしている事はわかっているつもりです」
私は一旦言葉を切り、こう続ける。
「あなたと井熊里伊が――共犯である事。そしてこれが井熊主導による委託殺人である事は、想像がつきます。上坂さんにとっての見返りは――金銭の授受と言った所でしょうか?」
そう。これは、仲井戸神社の宮司さんが言っていた事。上坂宗次には、多額の借金がある。職場にはふせてあるが、その理由はギャンブルにあるとか。
彼が奥さんと別れたのも、そのギャンブル癖がなおらなかったから。
いや、彼の方からある日離婚話を切り出したらしい。奥さんに迷惑をかけたくないというのが、彼に残された最後の良心だったのだろう。
「けど、どうやらその良識も赤の他人にまでは回らなかった様ですね。借金の返済に加え、それ以上の額の報酬を約束されたあなたは、民間人の殺害計画に手を貸した。あなたが椿さんの部屋までやってきたのは、ソノ為。井熊に、聞いていたのでしょう? 週に一度、椿さんは夜勤があると。椿さんをストーキングしていた井熊は、その事を知っていた。井熊はその情報をあなたに伝え、活用しようとしたんです」
表情を消しながら詰問すると、上坂さんは肩を竦める。
「驚いた。どうやら、本当に全部わかっているらしいな。――そうだよ。俺は金目当てで悪魔に魂を売った。あの――井熊里伊という悪魔に」
「ですね。確かに彼は悪魔の様に、用意周到だった」
ここから先は、私の憶測に過ぎない。だが、私はソレが事実であるかのように語った。
「恐らく井熊も、何れ自分のストーキング行為が警察から咎められるとわかっていた。故に彼は事前に興信所で人を雇い、専門部署の警察官達の素性を洗っていたんです。結果、井熊は上坂さんに借金がある事を知った。だとすれば、こういう推測が成り立つ。あなたが彼に、ストーキングの注意をしに行った日ではないですか? 井熊が上坂さんに――この計画をもちかけたのは?」
「計画、ね。確かに井熊にとって君が言う計画には、俺の存在が不可欠だった」
「はい。椿さんに聴きました。非常事態に備え――ストーカー専門部署の上坂さんには合い鍵を渡していると。でも、普通はそこまでしませんよね? 民間人の合い鍵を一刑事が預かるなんて事はない。でも、逆に私は思ったんです。或いは、刑事である上坂さんなら椿さんにそう言い含める事は出来るんじゃないかと。警察官という自分の立場を利用し、椿さんの信用を得る。仮にソレが可能なら、この殺人計画は成功したも同然だから」
私がそこまで言い切ると、上坂さんはまた苦笑いする。
私は畳み掛ける様に、自分の推理を口にした。
「そう。井熊にとって唯一の障害は、どうやって椿さんの部屋に侵入するか。ピッキングで部屋の鍵を開けるという手もあるでしょうけど、それだと人目につく。ストーキングの前科がある井熊がソレを目撃されれば、今度こそ彼の人生は終わりでしょう。この問題を解決するにはあなたを味方に引き入れるしかなかった。上手く行けば、椿さんの部屋の鍵を入手できるあなたを味方にすれば、それで問題は解決するから。加えてあなたとの交渉は形に残る事が無い。なにせ、ストーキングの注意をしにいったあなたと直接交渉をした訳ですから。パソコンや携帯にもそういった痕跡は残り様がない」
「だな。加えて俺と井熊が外で接触しても、何ら不審な点は無い。ストーキングの事について話していたと言えば、言い訳はなりたつから。だが、無駄な足掻きとわかった上で、もう一つ言っておこう。井熊里伊がイギリスに発つ日、俺も大阪に出張の予定でね。現地に一泊する予定の俺が、どうやって山根さんを殺害できる? アリバイがある俺が、どうやって彼女を殺せるって言うのかな、二瞳君は?」
吸い終えたタバコを、携帯用の灰皿にしまいながら上坂さんは問う。
私は真顔で、その謎について言及した。
「ええ。私もそれが本当に謎でした。椿さんはこの部屋で、眠る様に亡くなる筈だったから。しかも部屋は完全な密室で、第三者が侵入した形跡も無い。仮にこれが殺人事件なら――正に完全犯罪と言えるかも」
でも、違った。話は、実に単純だった。
井熊里伊なら――その計画に必要な物を全て用意できる筈だから。
「上坂さん、言っていましたよね? 井熊の実家は、ゲーム機から車の製造まで幅広く行っているって。実のところ私は余り気にはしていなかったんですけど、あの光景をみて全てが繋がりました。大学の講師と思しき人が――離れた所から車の鍵を開ける所を見た瞬間に」
「………」
「はい、そうなんです。今は家のAIに命令すれば部屋の明かりもつけられる時代なんです。なら、離れた場所からこの部屋のガスコンロの栓を開けるなんて事も決して不可能じゃない。恐らく携帯の電波を飛ばす要領で行えるなら、簡単に出来るでしょう。人工衛星を経由すれば外国からでもその犯行は可能な筈です」
けれど、私はそこで首を横に振る。
「でも、理論上は可能でも、海外に留学する井熊には絶対の自信は無かった。仮にその計画を実行しても、上手く椿さんがガス中毒で死亡するかはわからない。井熊が第三者を犯罪に引き込むと言うリスクを犯したのも、それが理由です。仮に一度失敗しても、同じ国に居るあなたが共犯なら、再度犯行に及べる。加えて警察官と言う立場にあるあなたなら、一度仲間に引き込めば裏切る事も無い。そしてなにより、あなたなら、有事のとき迅速に対応する事も可能だった」
ついで、私は上坂さんのポケットに指を差す。
彼がこの場に現れた理由を、明らかにする為に。
「ええ。見ての通り、椿さんのアパートは富裕層が住む様な感じじゃありません。AIに命令して、部屋の明かりをつけるなんて事も出来ないでしょう。だから上坂さんは、その問題を解決する為にどうしても椿さんの部屋を訪れる必要があった。井熊から渡された――ガスコンロのスイッチをコントロールする為の装置を設置する為に。椿さんが留守である今夜を狙って――あなたはその作業を果たすつもりだったんです」
憮然とした瞳で言い放つ。だが、今度は上坂さんが首を横に振った。
「ほう? だが山根さんが死亡した後、必ずこの部屋には鑑識が入るだろう。きっとその装置とやらもその時に発見される筈だ。それではとても、完全犯罪にはなり得ないと思うが?」
「それこそ面白くも無い冗談ですね。私が言うまでも無く、あなたは熟知している筈でしょう? 椿さんがガス中毒で亡くなった後、この部屋で何が起こるのか。そう。ガスが充満したこの部屋なら――少し火をつけただけで爆発します。ガスのスイッチを遠距離から操作する要領で、ガスコンロに火をつける。そうして部屋を爆破し、件の機器も一緒に爆破して、証拠の隠滅を図る。全てはガスコンロの不備による事故死。そう見せかけるのが――井熊里伊の遠隔操作殺人計画」
私が椿さんの死の映像の終わり辺りで感じた違和感の正体も、それだ。あの時、椿さんの部屋は一瞬光度が増していた。部屋の明かりがついていたのでハッキリはわからなかったが、今思えばそういう事だ。アレは爆破が起こる前の――一瞬の閃光だったのだろう。
「よってソレを成し遂げる為に、その装置は実に脆い構造になっている筈です。火で簡単に燃え尽きる様なつくりになっている筈。仮に燃え尽きなかったとしても、その時は上坂さんが捜査に茶々を入れる手筈なのでは? 現場に乗り込んで、証拠の隠滅を図る気だったんじゃないんですか? 何せ、捜査に協力する口実はありますからね。自分が担当していたストーカーの被害者が――不審死を遂げた訳ですから」
私がそこまで説明すると、上坂さんは三度苦笑いを浮かべる。
それからもう一本タバコを取り出し、口にくわえたあと火をつけた。
「いや、本当にお見事だ。やはり、俺のいやな予感は当たっていたらしい。君が事件に関わると――ロクな事が無い」
「いえ、そんな事は無いと思いますが? なにしろ私は、あなたが罪を犯すのを止めに来た訳ですから。仮に私と言う存在が無ければ、あなたは殺人犯になっていた所ですよ? それも、下手をすればこのアパートの住人全てを巻き込む程の」
爆発の規模次第では、そうなりかねない。私が鋭い視線を向けると、彼はこう惚ける。
「あー、それはどうだろうな? 井熊の計算では、被害は飽くまでこの部屋だけに留まるという事だったから。というより、いくら俺でも大量殺人に手を貸す気は無いよ。俺の標的は誰一人身寄りが居ない、女性だけだ。悲しむ家族が一人も居ない山根さんならまだ良心が痛まないと思い、井熊の誘いを受けた。例え俺でも、その程度の線引きは出来ているつもりだぜ?」
「それは――私に対する挑発のつもりですか?」
明確な怒気を込め、私は上坂さんを見つめる。彼は、初めて笑みを消した。
「その目。その気配。どれも高校生離れしている。本当に怖い子だ。俺も長年警察官をやっているが、君みたいな子には初めて会ったよ」
「そのあなたが、なぜ井熊なんて男と手を組んだんです? 私の心証では、あなたは決してこんな真似が出来る人じゃなかったのに」
「そう、だな。それも長年警察官をやってきたからだろう。……ああ。警官を長くやっていると心が摩耗していくんだよ。人の暗部を見せつけられる度に、心のどこかがすり減っていく。俺はそれを、長い時間やり過ぎた。それを誤魔化す為にギャンブルにハマって、挙げ句の果てに離婚だ。生きる糧だった筈のこの職は、やがて俺と言う存在自体を追いつめて、変えていった。理由を挙げれば、そんな所か」
「だから、あなたが殺人に手を染めようとしていても、それは自然な事だと? それは今も勤勉に働く警察関係者に対する、明確な侮辱ですね」
「かもな。いや、実に君らしい優等生的な正論だ。だが、覚えておくと良い。正論は人を救うどころか、かえって追い詰める事になると。例えば、こんな風に」
言いつつ、上坂さんは懐に手を入れる。
そのまま彼は――サイレンサーつきの拳銃をとりだしてきた。
「ああ、これかい? この計画に乗ると決めた時、ツテを頼って手に入れたお守りさ。不測の事態を招いた時、手っ取り早く事態を改善する為の」
私に銃を構えながら、上坂宗次は謳う。私はやはり無表情のまま、首を傾げる。
「成る程。私や高階君を殺して、山にでも埋めますか。その上で、椿さんの殺人計画を実行するつもり?」
「だな。俺も人生がかかっているから、この計画は何が何でもクリヤーしなきゃならない。いや、俺とした事が長々と喋りすぎた。そろそろ――無駄話は終わりにしようか」
上坂宗次が、拳銃の引き金を二度引く。
その弾丸はふすまを貫通し――その中に居る筈の高階君を絶命させていた。
「先ずは――一人。では――今度は君だ。最期に――何か言いのこす事でもある?」
そう訊ねる彼に、私は真顔で答えた。
「はい。失敗でした、ね」
「な、に?」
「先に高階君を始末しようとした事です。お蔭で私は――必要な情報を全て記憶出来た。よってここから先は――抜刀の時間です」
「ハハハハ! まさかその刀で――拳銃とやり合うつもりか、君はっ?」
上坂宗次が、哄笑をあげる。私も刀の柄に手を伸ばし、喜悦する。
「と、無駄口の時間はもう終わりだったな。じゃあ、さようなら――二瞳葉花君」
彼が、またも拳銃の引き金を引く。
その弾丸は瞬く間に私へと発射され、この命を刈り取るだろう。それも当然だ。刀と拳銃では戦力が違い過ぎる。
刀の間合いが三メートル程だとすれば、拳銃の間合いはその十倍以上。私の刀が上坂宗次に届く前に、彼の弾丸が私の心臓を貫く。それは子供でもわかる事で、刀の達人とて覆す事が出来ない真理だ。刀が銃に勝るなど、正に物理法則に唾を吐きかける現象そのものである。
「な、にッ?」
では、そのバカげた現実をつくり出した私とは一体何者か?
自分でもわからないが、その事実は変わらない。
二瞳葉花はあろう事か――発射されてきた弾丸を抜刀した刀で両断していた。
「まさ、か?」
「鬼童流――六感咬(※ろっかんこう)」
そう告げる私に、上坂は拳銃を乱射する。だが、その全てを私は刀で叩き斬る。それははたから見れば茶番じみた状況で、漫画の世界でしかありえない光景だ。
けれど――私はソレを可能にする。
上坂が引き金を引く度に――その弾丸を真っ二つにしていく。
といっても、私は拳銃の弾より速く動いている訳じゃない。二瞳葉花は、上坂宗次が引き金を引くより速く動いているに過ぎない。彼が引き金を引くより速く腕を薙ぎ払い、弾が発射されたタイミングに合わせ弾を両断する。
鬼童流では――これを六感咬と言う。
極限まで張りつめさせた集中力を第六感に転化して、敵の動きを見切る業。そう言えば聞こえは良いが、要するに当てずっぽうで刀を振るっているに過ぎない。
しかし、私の六感咬は少し異なる。前述通り、私は記憶力だけは良い。だから私は上坂がふすまに向け弾丸を放った時、その速度と引き金を引く癖を記憶した。そのデータをもとに直感を働かせ、事前に動いて彼の攻撃に対応し、刀を振っている。
それが――二瞳葉花の極意。
私は敵の動きを記憶し、その動きに合わせて自身の動きを最適な状態にさせる。記憶した敵の動きに対し、最も有効と思える動きを展開できる。
それは相手の動きのクセを見切って――敵の動きを先読みする剣術。
自身の動きを最適の状態にさせ――無駄のない動きで敵に対処する業だ。
伴田白根の攻撃に対応できたのも、ソノ為である。
上坂宗次の拳銃に対抗できるのも、ソレが理由だった。
「――バカなっ! バカなっ! バカ、なっ! 君は、おまえは――一体何者だッ?」
「何者、ですって? 見ての通り――ただの可憐な女子高生ですが?」
今も引き金を引き続ける、上坂。だが、その銃口からはもう弾は発射されない。ならば全ての弾丸を撃ち尽くした彼に向かい、私は跳躍するほかない。
「鬼童流――只の袈裟斬り」
「ぎぃ――っ?」
同時に上坂目がけて、会心の一撃を放つ。峰の部位で放たれたそれは、呆気なく彼の意識を奪う。事実、彼は誰かの様に跪いた後、その場に倒れていた。
「故に――これにて閉幕」
それを見届けてから――私は手にした刀を鞘に納めたのだ。
◇
上坂の絶対の自信とは裏腹に、私は事もなく彼を倒す。用意していたロープを使って彼の腕と足を縛り、上坂を拘束した。
それから私は部屋の奥へと歩み寄り、ふすまを開ける。
その中には当然の様に変わり果てた高階君が居る筈だったが――実際はもぬけの殻だ。高階君の死体は無く、ただ録画中のビデオカメラだけが設置されていた。
その理由は――私が高階君に嘘の情報を伝えたから。
私は彼に椿さんの夜勤は明日だと告げ――今日は高階君を家に帰したのだ。
仮にそれでも高階君がこの場に現れれば、それは彼もこの件に関わっているという事。彼が上坂達と繋がっているなら、自分が影で糸を引いているこの事件の顛末を見届けにくる。
私としてはそう目論んだのだが、今のところ変化は無い。その一方で、私の疑心は更に募っていた。
何せこの事件も、私の能力の盲点をついた物だったから。死者の映像だけしか見られない私では、ガスの気配を察知できない。もしソレを逆手にとった殺人計画なら、やはり私に対する挑戦状と言う事になる。誰かが裏で画策している可能性が、高いだろう。
「けど……こちらの誘いにはのってこない? 未だに動きを見せない気?」
部屋の扉を開け、外の気配を窺うが、誰かに見られている気配は無い。夜の静寂だけが私の周囲に漂い、停滞を生んでいる。
私はそこで、見切りをつける事にした。警察に連絡し、例のビデオカメラを証拠として提出する。
上坂宗次の身柄を当局に引き渡し――二瞳葉花はこの一件の解決を図ったのだ。
◇
で、その翌日、私は学校の教室で当然の様に高階君に怒られた。
「――って、何をやっているんだ、二瞳はっ? 何であんな嘘をついて俺を家に帰したっ?」
「……あ、いえ。だって上坂が拳銃を所持している可能性も捨てきれなかったし、現にそうだったし。もしそんな状況で高階君が居たら、私が困っていたから」
そう。仮に彼が白なら、私を庇って上坂の銃弾をその身に受けていたかも。それ以前にふすまに銃弾を撃ち込まれた時点で、高階君は死んでいたかもしれない。その状況を覆す為にも、どちらにせよ彼はあの場に居ない方が良かったのだ。
「……要するに俺は足手まといって事か? ああ、いいぜ。良くわかった。なら、俺は二瞳に決闘を申し込む。そうして、俺が立派な戦力になる事を思い知らせてやる。その日が来るのを今から首を洗って待っていろ」
「んん? それって、高階流のデートのお誘いって事? やったじゃん、葉花。弱腰の高階が漸く重い腰を上げたってさ」
「……いや、だから香苗は変な茶々を入れないで。私達、これでも真面目な話をしているんだから」
私が窘めると、香苗は意味ありげな笑みを浮かべる。それを無視して、私は断言した。
「ま、どちらにせよこれで事件は解決よ。あのビデオには上坂が井熊の関与を自供した場面も録画してあるから、井熊も逮捕される筈。それさえ済めば、椿さんの身の安全は完全に保証される。私も枕を高くして眠れるというものだわ」
実際、今朝見に行った椿さんの数値は青の六十五に戻っていた。それは、彼女の死の運命が変わった事を意味している。私としては、これ以上の喜びは無い。
「というか、私も参考人として警察に呼ばれているのよね。放課後、事情聴取のため警察署に行かないと」
と、高階君が身を乗り出してくる。
「なら、俺もついていく。今回は断固として同行するから、二瞳に拒否権は無いと思え」
「……はい、はい、わかりました。そうね。そうしてもらえると私も心強いわ」
が、そこでまたも香苗が喜々としながら暴言を吐く。
「なんだ。やっぱり――放課後デートのお誘いなんじゃん。いい加減、二人とも素直になれつーの」
「………」
そしていい加減反論する事にも疲れた私は――ただ黙然としたのだ。
◇
前述通り学校が終わってから、私と高階君は上坂が勾留されている警察署に向かう。
その時、偶然にも私服姿で髪を下ろした椿さんと遭遇した。というより、Tシャツにジーパン姿の彼女は私の顔を見るなり、グーで私の額を殴打してくる。
「――って、思っていたよりずっと痛いっ? というか何で殴るんですか、椿さんっ?」
彼女の答えは、決まっていた。
「そんなの――葉花ちゃんが危ない真似をしたからに決まっているでしょう? 危なっかしい所がある子だなとは思っていたけど……まさかここまでとは。高階君も、彼氏なら彼女の面倒ぐらいしっかり見て!」
「……はっ? あ、いや、俺は二瞳の彼氏では無いんですが、そのお叱りは御尤もです」
項垂れる高階君を見て、椿さんは溜息をつく。
やがて彼女は私の両肩を掴んで、私の目を見ながら訴えた。
「いえ、わかっているわ。葉花ちゃんの事だから、きっと人には言えない事情があって私の件にあたってくれたって。葉花ちゃんはきっと、私の事を思って身を投げ出してくれた。でも、それは私も同じなの。葉花ちゃんが私の事を思ってくれる様に、私も葉花ちゃんを大切に思っている。私も葉花ちゃんに何かあったら、すごく苦しいの。私の事を思って動いてくれた貴女なら、その気持ちがわかる筈よ」
「………」
「だから、今度なにかあった時は私にも相談して。私は決して自殺なんてしないし、少しは自分の身も守れるつもりだから。葉花ちゃんは、もっと大人を利用する事を覚えないとダメ」
それと似た様な事は、香苗にも言われた。私はもっと周りの人間を頼るべきだと、彼女は言っていた。
でも、私にはソレが出来ない。私が超能力から得られる情報をもとに行動しているなんて、誰も信じはしないだろうから。そう言った意味では、私はやはり誰にも頼れないのだ。
いや、本当にそう思っていたのに、彼は事もなく私の左手をとって言い切る。
「いえ、大丈夫です、山根さん。二瞳の面倒は俺がちゃんと見ますから。二度とこんな無茶はさせないと誓いますから――安心して下さい」
「………」
それはもしかしたら、ずっと誰かに言って欲しかった言葉で、だから私は唖然とする。
とっくの昔に私は一人じゃなかったんだと、このとき私は幻想しかけた。
「……そう。そうね。そうかもしれない。何せ高階君は――私が見込んだ男の子だから」
微笑みながら、椿さんはそう漏らす。
それから彼女は、最後に素朴な疑問を口にした。
「でも、本当に不思議。葉花ちゃんは何で事前に、全てを決着する事ができたの? 葉花ちゃんってもしかして、私の想像を遥かに超える名探偵?」
なら、私はこう答えるしかない。
「ええ。事件が起こる前に事件を解決する。それが私――二瞳葉花のスタイルですから」
こうして〝山根椿殺人未遂事件〟もまた終止符をうった。
だが、これはまだ序章にすぎない。
私はこの後、ある苦闘を強いられる事になるから。
その事を予期できぬまま――私は満面の笑顔と共に彼方を見たのだ。
3
それから、今日も夢を見る。
それは、ずっと昔の話。
私が、飛江田崇子を見送った後の事だ。
その晩、私が公園のブランコに座っていると、イキナリ声をかけられた。
「なあ。二瞳って――超能力が使えるんだろ?」
「………」
小さな頃から背が高かった彼は、何の前置きも無くそう問うてくる。
私が何も答えずにいると、彼は隣のブランコに座って嘆息した。
「やっぱ、そうなんだ? 崇子さんが話した通り、か。あの人、言っていたよ。自分はもう二瞳の事を守れないから、後の事はぜんぶ俺に任せるって。初めは俺も信じられなかったけど、不思議と崇子さんの言う事には説得力があった。崇子さんは、そういう力がある人だから。人に色んな事を教えて、導いて。きっといい先生か、政治家にでもなりそうな人だ」
普段は無口な彼が、その晩に限って雄弁に語る。
私はただボウとしたまま、彼の話を聞いた。
「その反面、きっと崇子さんは孤独だったと思うんだ。彼女にしかわからない、重荷や苦悩があったんだと思う。俺はバカだからそういうの良くわからないけど、きっとそうなんだろう。二瞳はどうだったんだ? 崇子さんの事をどう思っていた?」
「………」
けれど、今にも心が壊れそうな私は、やはり何も答えられない。
彼はただ、独白する様に続ける。
「俺はそうだな、やっぱり彼女の事が好きなんだと思う。結局告白できないままでいるけど、この気持ちはずっとずっと変わらない。それぐらい崇子さんは、鮮烈な人だから」
その彼女を、私は救えなかった。
その彼女を、私は見殺しにした。
その後悔で、今も胸が一杯だ。
私はもう、この時点で人としては終わりかけていた。
「でも、崇子さんも勝手な所はある。全部俺に押し付けて、自分はどっかに行っちまうんだから。俺に自分の役割を押し付けて、自分は俺の知らない遠くに行っちまった」
それは、私を責めているのか?
そう思って顔を上げた時、彼は見るからに無理やり笑ってこう告げた。
「けど、違った。俺なんかより、二瞳の方が、よっぽど重荷を背負っていた。普段は取り繕っていたけど、いま初めて二瞳の素の顔を見てわかったよ。二瞳の方が俺は勿論、崇子さんよりよほど苦しかったんだって。ずっとずっと誰かに助けを求めていて、そんな想いを声に出す事さえできなかったんだ。俺はそんな事にも気付けなかった自分が、本当に恥しい」
それを聞いて、思わず、息を呑む。
自分でも気づかなかった私の本心を浮き彫りにされ、ただ言葉を失った。
「けど、もう二瞳は我慢しなくて良いんだ。そんなに頑張らなくてもいい。俺は多分、二瞳の傍にいる事しか出来ないけど、偶にはそんな俺に寄りかかって欲しい。二瞳はこれからも他人の為に走り続けるだろうけど、その傍に俺が居る事は忘れないでくれ」
まだ幼い彼に、それ以上の事は言えない。それは彼なりに考え、悩み、苦慮して、紡いだ励ましの言葉だ。
幼いながらもそれが尊い事だと感じた私は、だからこの時、涙した。
声は上げず、ただ頬を濡らして彼を見る。
彼はそんな私を笑って見守る事しか出来なかったけど、そのお蔭で私は今もここに居る。私は寸前の所で踏み止まり、今も辛うじて人であり続けている。
それが私の――二度目の恋。
一度目は彼に崇子さんの事を相談された時、自覚した。
彼に好きな人が居ると聞かされた時、初めて彼を意識している事に気付いた。
そして二度目の今は――そんな自分の目が正しかったと私は彼に思い知らされたのだ。
不器用な彼と、今にも壊れそうな私。
それでも、私と彼は不思議なつり合いを見せ、どうにか今日まで過ごしてきた。
私は今も辛うじて人間であり続け、彼は約束通り私の傍にいる。
今も私が、彼の事を心のどこかで信用しているのは、その為だろう。万人の為を思うなら、私は彼も容疑者の一人にしなければならない。
それが辛い事だと知ってしまった私は、未だに彼と対峙しきれていない。そんな自分を叱りながらも、やはり心底から思う。
どうか――彼がこの件に関わっていませんようにと。
私を辛うじて繋ぎ止めている光を奪わないで欲しいと、私は初めて神様にお願いした。
でも、所詮それも夢の中の出来事だ。
記憶力が良い私でも、目が覚めればきっと綺麗に忘れてしまう。
ソレが少し、いや、とても悔しい。
そう諦観しながら――私は今日も微睡から覚める事にした。
◇
で――起床の時間である。
目覚まし時計のベルに促されて目を覚まし、私は体を起こす。大きく伸びをして一息つき、寝間着から私服に着替える事にした。私は今日も、Tシャツにダメージジーンズを愛用する。
因みに、今は既に椿さんの一件から十日ほど経っている。その間、私と椿さんは数回にわたり警察署に呼び出され、事情聴取を受けた。
なにせ椿さんの事件には、現役警察官が関わっている。その分当局も神経質になり、シンチョウにシンチョウを重ねた捜査を余儀なくされた。
お蔭で数回にわたり聞き取りを受けた私達だが、それも昨日までの話。私と椿さんは漸く警察から解放され、ひさしぶりの休日をむかえていた。
井熊里伊はイギリスに渡航する前に逮捕され、現在は取り調べを受けている最中だ。ただ上坂宗次というコネを失った私は、彼に面会できないでいる。
井熊から何の情報も得られず、そのため第三者の関与があるか確認がとれていない。伴田君の様に第三者にそそのかされ、事件を起こそうとしたかは謎のままだ。
私の最大の関心事は、そこにある。
いや、そう思っていたのだが、今朝の新聞を読んで私は眉をひそめた。
「現役警察官を巻き込み、遠隔殺人未遂事件を起こそうとした井熊容疑者、漸く自白を開始。ネットの書き込みで知り合った人物から、殺害方法を教わる?」
新聞の見出しには、そうある。逆を言えば、今の所それ以上の情報は無かった。
「……やはり、井熊の事件には第三者が関わっていた? しかも伴田君の時と同じで、またネットがらみ?」
となると、余計同一人物が関わっている可能性が高い。香苗の時の様に、誰かが容疑者に犯行をそそのかした。問題は――それが誰かと言う事だ。
ソレを判明させる一番の近道は、私もその闇サイトとやらに書き込みをする事だろう。殺人計画を練っていると仄めかせば、向こうの方から連絡をいれてくるかも。それを手掛かりにして、黒幕をつきとめる。
私がそう企んでいると、急に現実に引き戻された。
「――って、なに見ているの、葉花? アンタ、これ以上なにか問題を起こす気じゃないでしょうね?」
「え? いえ、決してそう言う訳じゃないよ?」
母が、鬼の様な形相で私を見下ろす。事ほど左様に、私は完全に母の信頼を損ねていた。
「……いえ。というか、まだ信じられないわね。あの上坂さんが殺人未遂を起こしたなんて。しかもそれを捕まえたのが自分の娘だっていうのだから、世の中って本当に不思議だわ」
「そ、そうね。現実は小説より奇なりというし。そういう事もあるんじゃない?」
「黙りなさい、このバカ娘。椿ちゃんを守った事は、確かに立派だった。でも、アンタが体を張って凶悪犯に戦いを挑むのは、また別問題なのよ。単に椿ちゃんの部屋にビデオカメラを設置して、上坂さんの犯行を録画すればいいんだから。ふすまの中とかにそう言った仕掛けを施せば、万事解決だったでしょうが。それなのにアンタは、何を思って拳銃を所持している警察官に喧嘩を売った訳?」
「……え、えーと」
そう言われてしまうと、私は言い返す事が出来ない。
実の所、上坂さんと違い、私は正論に弱い質だから。
「……本当、剣道なんてやらせるんじゃなかったわ。ただでさえ無謀な性格なのに、よけい勢いづいちゃっている。……鬼童さんも鬼童さんよね。女子に怪しい剣術を教えるとか、一体何を考えているんだか」
おや。良い感じに、矛先が私から鬼童先生に変わってきた。私はその間に朝食を食べ終え、さっさと席を立つ。そのままやはり逃げる様に、家を出ようとする。
「って――まだ話はすんでないわよ、葉花!」
「えっと、ごめんなさい! もう約束の時間だから、残りの話は帰ってから聞くわ!」
引きつった笑みと共にそう告げ――私は早々に待ち合わせ場所へと向かったのだ。
◇
例の竹刀袋を右肩に背負い外に出ると、今日は正に絵に描いた様な晴天だった。六月の日差しが肌を焼き、空気には湿気が混じり始めている。夏を目前に控え、そろそろ梅雨に入るのだろう。その前にとばかりに、私達は今日遊びに出かける事にした。
発端は、香苗が漏らした一言だ。
〝と、そうだね。ここは一つ――大事件に関わった面子で親睦会でも開こうじゃない!〟
正確には大事件の一歩手前なのだが、香苗はそんな事にはこだわらない。
彼女は私に椿さんを誘う様に要求し、今度の日曜日に遊ぼうと提案した。ちょうど警察の聴取もひと段落ついた私達はソレを快諾し、今日に至る。私がアレ以上母の小言を聞かずにすんだのは、この約束のお蔭と言ってよかった。
だが、集合場所である駅前につくと、其処には憮然とした高階君が居た。私が怪訝に思っていると、私を発見した高階君は鋭い視線を向ける。
「……というより、二瞳、なんでこいつがここに居る?」
ジーパンにジャンバーを着た彼が指を差した先には――当然の様に鳥海愛奈が居た。
今日も白のワンピース姿である彼女は、笑顔で首を傾げる。
「んん? 高階君は私が居る事を、何でそんなに不思議がるのかな? 私だって葉花ちゃんの立派な友達だよ? なら高校は違えど、偶には一緒に遊んでも罰は当たらないと思わない? それとも、高階君は葉花ちゃんと二人きりが良かった? 本当はそう言う予定だったとか? そっかー。高階君は、童貞を捨てる気満々だったのかー。だとしたら、ごめんね。今日こそ私が、葉花ちゃんの処女をいただくつもりだから」
「………」
というか、愛奈はさっそく高階君に安値でケンカを売る。
現に高階君は唖然とした後、声を荒げた。
「本当に相変わらずだな――このバカ女は! 笑顔で言えば何を言っても許されると思っているだから、タチが悪すぎる! 確かに並みの男なら誤魔化せるかもしれないが、俺はそうはいかねえぞ! おまえの本性は、俺が一番よく知っているだから!」
「んん? それって私の一番の理解者を気取っているって事? 確かに私と高階君は一日かけて討論した仲だけど、それは自惚れすぎかな。私は高階君に気を許した事は一度も無いよ。寧ろ、葉花ちゃんと言う名の可憐な花にこびり付くウジ虫だと思っている。いえ、害虫と称さなかった分だけ感謝してもらいたいくらいだよー」
「だから、おまえはもう黙れ! 俺がウジ虫なら、おまえこそ害虫だろうが! これ以上二瞳につきまとうなら、本当に駆除するぞっ?」
「ほー? それは中学生の時みたく、河原で友情を深めあいたいという事かな? あの時は二分三十秒で高階君がノックアウトされたと記憶しているんだけどこれって間違い? いえ、小学四年の時は一分五十秒で、六年生の時は二分十秒だったかなー? それとも私が剣道をやめている間に、私を倒せるぐらい腕を上げたとか?」
本当に、何でこの二人はこうも仲が悪いのか? いや、愛奈に関して言えばワザと高階君を怒らせ、楽しんでいる気がする。
そう感じながらも、私はそろそろ仲裁にのり出そうとした。と、その時――黒のワンピース姿の橘香苗が、待ち合わせ場所である駅前にやって来た。
彼女は私の顔を見た後、高階君に目を向け、最後に愛奈に視線を送る。
それから彼女は、ギョッとした。
「うおっ? なに――この美少女っ? 葉花――こんな美少女様とお友達だったのっ?」
「……鳥海が美少女? 橘の美的感覚も、良い感じに狂っているな。一度医者に行く事をすすめるぞ」
やはり棘のある言葉をかかさない、高階君。対して愛奈は、平然としながら観察する様に香苗を見つめる。やがてそれにも飽きたのか、彼女は笑顔で香苗に手を差し出した。
「はじめまして、橘香苗さん。私は葉花ちゃんの〝大親友〟である鳥海愛奈って者だよ。今後ともよろしくね」
「……大親友、ですって?」
ん? あれ? 香苗の視線にも、何か冷たい物が混じった様な?
「そうなんだ? それは、まあ、そうでしょうね。何せ葉花との付き合いは、そっちの方が長い訳だし。でも〝今の葉花〟を熟知しているのは、ほかならぬ私だから。その点だけは忘れないでもらえるかな?」
「――だから何で香苗はそんな誤解を招く事をハッキリとっ?」
私が絶叫すると、愛奈は腹を抱えて笑い出す。
「あはははは! 確かにそうみたいだね! あの仏頂面が似合う葉花ちゃんをこうまで狼狽えさせるなんて! 香苗ちゃんは本当に大したものだよ!」
ここまで来て、漸く私達はその事に気付いた。
「……って、もしかして私達この子に遊ばれている? 成る程。だとすれば、確かに高階が嫌う訳だわ。この子……根性がひん曲がり過ぎている」
「そういう君は男遊びには慣れているけど――未だ処女って感じだね? いや、いや、健全なお付き合いを重ねるのは良い事だよ」
「――なぁっ?」
まるで最大の秘密を暴露され様に、香苗は身を震わせる。
実際、香苗はケモノの様に吼えた。
「な、な、な、何をいっているのよ――あんたはっ! 何を根拠に私が、その、未経験とか言っているの――っ?」
「んん? その香苗ちゃんの反応を見れば、一目瞭然だと思うけど? そっかー。香苗ちゃんはまだ処女かー。世の男子達がソレを知ったら、どう思うかな? 私が気になる点があるとすれば、ソコだね」
「………」
まるで脅迫でもしているかのような事を言い出す、愛奈。そのまま、彼女は嘯く。
「いや、もっと気になるのは、香苗ちゃんは誰の為に処女を守っているかって事かな? 一体どんな人に処女を捧げるつもりなんだろうね、香苗ちゃんは? 仮に私が知っている人なら、大爆笑なんだけど」
「……このガキっ」
遂にブチ切れそうになる、香苗。だが、その前に救いの女神は現れた。
見れば、白いタートルネックのセーターとジーパンを着た椿さんがやって来たではないか。彼女は私達を見つけると、笑顔で挨拶してくる。
「おはよう、皆。今日は誘ってくれて、ありがとうね。えっと、葉花ちゃんに高階君に、そっちの背が高い子が橘さん? それに貴女は――愛奈さんじゃない」
「はい。おはようございます、椿さん」
椿さんと目が合った愛奈が、当たり前の様に手を振る。私は、素直に驚いた。
「……え? 愛奈、椿さんを知っているの?」
「それは、知っているよ。仲井戸神社の、美人巫女の話は有名だからね。私としては軽い気持ちで会いに行ったんだけど、本当に美人だったから驚いたよー。もっと驚いたのは、そんな椿さんに彼氏が居ないって事なんだけど」
「……というか、私達と比べて態度が違い過ぎない? あんた、山根さんに弱みでも握らてる訳?」
香苗が人聞きの悪い疑問を呈すが、愛奈はやはり笑顔を崩さない。
「いえ、私は快楽主義者より、苦労して人生を歩んでいる人の味方だから。その辺りは、香苗ちゃんと同じじゃないかなー?」
意味ありげに、愛奈は私と香苗を見る。そんな愛奈に対し、果たして香苗は顔をしかめた。
「……一応言っておくけど、私、あんたのこと大嫌いだから」
「あはははは! いや、それはさておき。男子一人に女性四人とか、高階君、今夜はオカズに困らないね」
「うるせえ! 一応言っておくけど、俺もおまえのこと大嫌いだからな!」
かくして人に嫌われまくる人生を歩み続ける、愛奈。
それとは逆に、椿さんは困った様な笑顔を浮かべながらも、香苗に手を差し出す。
「はじめまして、橘さん。今日は誘ってくれて嬉しかったわ。そういう貴女の心遣いに心から感謝します」
この時になって、私は初めて香苗の気配りに気付いていた。
香苗はきっと、椿さんの事を心配して遊びに行こうと言い出したのだ。男がらみで事件の渦中に放り込まれたのは、香苗も椿さんと同じだから。香苗は私達の中で、一番椿さんの気持ちがわかっている。
その香苗だが、今初めて椿さんの顔をハッキリ見て、またギョッとする。
どこか頬を赤らめながら、彼女は椿さんの手をとった。
「……あ、いえ。今日は男共の事は忘れて、楽しくやりましょう。どうかよろしくお願いします」
愛奈に対する感情が憎悪なら、椿さんに対する感情は憧れといった感じか。
私はそれを見て、一言もらした。
「……何だろう? 高階君、私いま一つ大切なナニカを失った気がするんだけど、これって気の所為?」
「ああ、気の所為だろうよ。それもこれも、間違いなく鳥海の所為だから気にするな」
まるでポストが赤いのも、愛奈の所為だと言わんばかりの言い草だ。
私と椿さんは共に苦笑いしながら――取り敢えず目的地に向かう事にした。
◇
電車を乗り継ぎ、やがて私達は其処へと辿り着く。其処は俗にいう遊園地という奴で、休日の今日は大いに賑わいを見せている。どこを見ても人々が行きかい、その熱気で早くも酸欠になりそうだ。
そうこうしている内に椿さんは俊敏に行動し、遊園地の入場門へと歩を進める。
「えっと、椿さん? まだ入場チケット買ってないんですけど?」
「いえ、大丈夫よ。私がちゃんとネットで四人分購入しておいたから。と、そうだった。愛奈さんの分はまだ買っていないんだったわ」
「いえ、ご心配なく。こんな事もあろうかと、私も自分の分は買っておいたので」
平然と、愛奈は言い切る。それを見て、香苗は私に耳打ちした。
「……ちょっと、あいつマジで何者? こんな事もあろうかとって、どういう事態を想定していたのよ? 葉花、あいつには今日遊びに行く事しか話してなかったんでしょう?」
「さあ? 私も未だに、愛奈の事は良くわからないから」
曖昧な返事をする。いや、愛奈に関しては、さんざんよそで語ったので割愛したという方が正しいか。
その愛奈は、今も高階君と口喧嘩の真っ最中である。ソレに巻き込まれない様にしながら、私達と共に入場した香苗が椿さんに声をかけた。
「と、お手間をとらせてすみません。ちゃんと入場料払いますから」
「いえ、良いんだよ。これは私の、年長者としての見栄なんだから。私としてはそれより、皆が今日一日思う存分楽しんでくれたら何よりだよー」
「……本当に椿さんって大人ですね。あのバカ女とは、えらい違いです」
「んん? それって愛奈さんの事? それはどうかな? 確かに誤解を招く発言は多いけど愛奈さんは愛奈さんなりに皆を気遣っていると思うけど?」
「あいつのどこが……? というより、いま決めました。私、あいつが椿さんにまで無礼な口をきいた時点で、頬をグーで殴ります」
あの顔は本気だ。私がそう確信している間にも、二人の会話は続く。
「それより、そんなにかしこまらなくて良いんだよ? 橘さんはもっとフランクな人だって聞いていたし。何時も通り振る舞って構わないから」
「それってもしかしなくても、葉花から聞いたんですよね? うわ。この子、私の事なにをどう説明したんだろう? 公言しておきますけど、私は葉花の心証よりもっとかたい性格ですから。浮ついた十代女子共と、同じ様に思われては困ります」
「………」
どの口が、そんな事を言っているのだろう?
私が心底から疑問に思っていると、椿さんはまたも苦笑いする。
「えっと、でも私よりずっと人生経験が豊富とは聞いているかな? その分頼りに思っているのも本当」
「……何か素直に喜べませんねー。椿さんに頼りにされるのは、嬉しいですが」
そう言う香苗は、確かに楽しそうだ。男前といえば、香苗の方が高階君よりよほど男前なのかもしれない。今も椿さんのナイトを務めようと、精一杯背伸びをしている。香苗のそういう所は、本当に尊敬出来る。或いは、香苗が男だとすれば、それこそ椿さんとお似合いだと思える程に。
「んー、それはどうだろうね?」
その時、私の鼓膜にはそんな声が届く。
何時の間にか私の横に立っていた愛奈は、珍しく真顔で肩を竦める。
「どうだろうねって、どういう事? というか、愛奈って高階君とケンカの最中だったんじゃないの?」
「ああ。高階君なら、いい加減からかうの飽きちゃったから放置してきた。それより忘れていたよ。葉花ちゃんって有事でも起きない限り、自分から人に話かけない性格だって。集団で行動していると、何時の間にか孤立しているのが葉花ちゃんなんだよね。だからこうして私の方から話かけに来たわけ。高階君も、まだまだだよね。葉花ちゃんのそう言う性格を、見逃しているんだから」
「………」
相変わらず、愛奈は毒舌だ。それも、的を射ているからタチが悪い。
「かもしれないわね。でも、私は人のお喋りを聞いている方が好きだから。それに聞き入っているから、つい口下手になっちゃうのよね。別に無言症を患っている訳じゃないから心配いらないわ」
「そう? ま、そういう事にしておきましょうか。例え葉花ちゃんが、他人に対して常に壁を感じていたとしても」
「………」
これが椿さんの言う所の、愛奈なりの気遣いか? 私はそう思う事で、心を落ち着かせた。
「いえ、それより話を戻そうかな。椿さんの男関係の話とか、興味無い?」
「……は、い? 仮に私がソレに興味を持ったとして、なんで愛奈がソレを知っているの?」
香苗が言っていた通り、この子は何者だ? 私が眉をひそめると、愛奈は横目で私をみた。
「そうだね。実に何て事がない話だよ。椿さんが男性に興味が無いのが、少し気になってね。〝山根〟に〝岡山〟ってキーワードで、ネット検索したんだ。そうしたら、今から二年前のネットの記事がヒットして、そこにはこうあったんだ」
愛奈の話の内容は、以下の通り。
事の起こりは、二年以上前の事。どうも椿さんのお母さんは、夫から暴力を振るわれていたらしい。再婚相手だったその人物は、結婚後に本性を現し、妻だけでなく椿さんにも手を上げていた。その陰惨な日々は十年も続き、思いつめた椿さんのお母さんは遂に行動を起こした。精神的に衰弱しきった彼女は、最後の力を振り絞り、夫を包丁で刺したのだ。
彼女は事もなく彼の命を奪い、彼女は自身の目的を果たす。だが、その頃には彼女の精神はどうしようもない所まで追い詰められていた。
殺人を犯した自分が逮捕されれば、世間から更なる誹謗中傷を受けるのは自明の理だ。常に夫から罵詈雑言を浴びせられていたあの頃と、何らかわりが無い。
自分の将来を憂いた彼女は――だから自殺した。
生きる事に疲れ切っていた彼女は――何の救いも無いまま命を断ったのだ。
「うん。彼女の遺書によると、本当は椿さんも一緒に連れて行く気だったみたい。でも、どうしても娘を手にかける事が出来なかった彼女は、一家心中できなかった。椿さんだけがのこされ、それ以来、彼女は男性を敬遠する様になったんだと思う」
「………」
……椿さんの二親が亡くなっているとは聞いていたが、まさかそんな事情があったなんて。
私は愕然とし、それこそ言葉が見当たらない。その沈黙を埋める様に、愛奈は続ける。
「いえ、それだけの過去があって男性を嫌悪しないだけでも、敬意に値するよ。私なら間違いなく、蔑視の対象にしただろうから。そう考えると、本当に椿さんは女神のよう。一体どんな境地に達したら、ああ言う慈愛に満ちた微笑みを浮かべられるんだろう?」
「……そう、ね。椿さんは、本当に強い人だわ。それこそ、信じられないくらい」
戦慄さえ覚えながら、私は言い切る。俯き、やはりそれ以上、言葉が出てこない。
「と、ごめんね。今日みたいな日にする様な話じゃなかった。幾ら私でも、それ位の空気は察するべきだったよ。今さら忘れろとは言えないけど、今日は楽しくやろうじゃない。少なくとも椿さんが笑顔を忘れない内は、私達も暗い顔をしない方がいいと思う」
「……ええ。教えてくれてありがとう、愛奈。貴女がその事を話してくれなかったら、私は知らない内に椿さんを傷付けていたかも」
これからは、もっと話題に注意する事にしよう。
椿さんに男性関係の話を振るのは、タブーにした方が良さそうだ。
そこまで考えて――私は愛奈が言った様に気持ちを切り替える事にした。
「というか、どうかしたか、二瞳? 鳥海が、また何かしでかした?」
「って、相変わらず失礼だね、君は。君の方こそ鈍感すぎるんじゃないかな、色々と」
冷笑を浮かべながら、愛奈は高階君に毒づく。彼も、鼻で笑った。
「おまえに人の心の機微について、どうこう言われたくないな。おまえが人様を諭すなんて、百万年早い。少しは崇子さんを、……いや、何でもない」
「だから、そういう所。そういう所だよ、高階君」
高階君を一瞥した後、愛奈は椿さん達に話かけに行く。
それを見届けてから、彼はぼそりと告げた。
「……悪い。認めたくないけど、あいつ、少しあの人に似ているから思わず口が滑った」
「別に良いわよ。私に、そんなに気を使わなくても。あの晩以来だっけ。高階君が崇子さんの事、話題にあげなくなったのって」
「だったかな? 生憎、そんな昔の事は忘れた」
それは高階君お得意の、お惚けだ。私は嘆息しながら、彼を窘める。
「そう? でも――私は一生忘れてやらないからそれだけは覚えておいて」
「………」
と、今度は高階君が黙然としてしまう。普段無口な私達は、こういう空気になると、余計なにかを言いづらくなる。それでも私はぎこちなく笑顔を浮かべ、彼の手を取った。
「いいから行くわよ。二人そろってこんなに陰気じゃ、椿さんに顔向けできないでしょうが」
「って――二瞳っ?」
少し戸惑う彼を無視して、私と彼は愛奈達と合流する。
それから他愛のない話で盛り上がり――私達は束の間の休息を満喫したのだ。
◇
とにかくその日は、遊び歩いた。
お化け屋敷からジェットコースターまで制覇した私達は、夕方まで遊びつくす。いや、気が付けば日が傾いていたと言うべきか。
正に時間を忘れる位、私達はその日を楽しんでいたから。
「と、そろそろ頃合いかな? 余り遅くなったら皆のご両親に申し訳ないし、今日の所はお開きにしようか?」
保護者である椿さんがそう告げると、真っ先に香苗が賛成する。どうやら本当に、香苗は椿さんが気に入ったらしい。
さっきも、私に椿さんの写真を強請ってきた。巫女姿の奴とか、特に喜んでいた。
「ですね。私はまだ喋り足りませんけど、高階君は、向こう一年分は喋った様な顔をしていますし。そろそろ解放して上げないと、本当に過労死してしまうかも」
「ぬかせ。俺はおまえと二十四時間喋り続けた男だぞ? あの時に比べたら、今日なんてまだ可愛い物だ。……まあ、確かに、女子が四人集まるとこんなに喋るのかと圧倒されはしたが」
「ええ、そうだね。それでもハブらず、ちゃんと君にも話を振ってあげた私に感謝するといいよ。なんなら、今日から私を信仰の対象にしてもいいくらいだよ、高階君?」
「……おまえを信仰するなら、俺は肥溜を神と崇める。いいから行くぞ。山根さんの言う通り暗くなる前に帰った方がいい」
「だね。そういう高階君は、もちろん葉花ちゃんを家まで送って行くんでしょう?」
「だから、一々うるさいんだよ、おまえは! 仮にそうだとして、何が悪いっ?」
最後にそう怒鳴り散らし――高階君は転身した。
◇
それから、私と高階君は皆とわかれた。
と、その間際、何やら携帯で高階君が話し始める。なんだろうと訊いてみたら、彼は素っ気なく告げた。
「いや、一寸したバイトをしたと言うだけの話だ。余りに気にしなくて良い」
「んん? そうなんだ? ま、別に良いんだけど」
今度こそ本当に香苗や椿さん達とさよならをした私達は、帰路につく。午後五時を回っても日は落ちず、街は辛うじて朱に染まっていた。
何時の間にか登下校を一緒に行う事になった私達は、当然の様に今日帰るのも一緒だ。そこら辺はもう、習慣づいていると言っていい。
「というか相変わらずだな、鳥海は。あいつには、そろそろ天罰が下っても良いと思う」
いえ。実際、天罰じみたものが愛奈には下るのだが、それはまた別の話。
私は顔をほころばせ、揶揄する。
「でも、何だかんだ言って高階君が今日一番話題に挙げていたのは、愛奈なのよね。なにかと言えば〝鳥海は〟の連発で、あれじゃあ愛奈に気があるみたい。憎しみは愛情の裏返しとも言うし、高階君が気付いていないだけで本当にそうなんじゃない?」
「――なぁっ?」
数時間前の私みたく、戦慄の表情を浮かべる、彼。
高階君は思い悩む様に、右手で額を押さえた。
「……いや、そんな訳が。……まさか崇子さんに似ているから、俺はあいつを崇子さんの代りにしようとしている? ……そんな事あってたまるか。そんな事がある訳がない。だってあいつは……よりにもよって鳥海愛奈だぞ?」
「………」
思いの外、真剣に悩む高階君。私は言い過ぎたかと反省して、苦笑いする。
「そうね。高階君は――崇子さん一筋。そう言う一途な所も君の魅力なんだから、ソレを否定したら全てが台無しだわ。君の、男としての価値が下がってしまう。だから高階君は――胸を張って今の自分を貫き通しなさい」
「――つッ? ……ああ、そうだな。確かに、そうかもしれない」
そう。皮肉な事にそんな彼だから、私はこの人を好きになった。明確な一人を選び、その誰かを一身に想う事が出来る人だから、恋い焦がれたのだ。
そんな彼を私が否定してしまっては、私の恋心もその時点で終わってしまう。今まで彼と一緒に積み上げてきた物も、全て失ってしまうだろう。
「………」
……それとも、これがもう潮時なのだろうか? 私は彼の事を忘れるべきで、次の良い人をみつける必要に迫られている?
「……そう、ね。私は高階君みたいに一途になりきれないから、ここまでかもしれないわ」
でも、その前にけじめだけはつけておこう。彼に自分の想いを告げ、ハッキリとフってもらうのだ。そうでもしてもらわないと、とてもじゃないが区切りはつけられないから。私は彼に拒絶されない限り、これ以上前には進めない。
今初めてその事に気付き、私は足を止める。怪訝に思ったらしい高階君も立ち止まり、私を見た。
「ん? どうかしたのか、二瞳? 何かあった?」
朴訥とした彼に向け、私は口を開く。
積年の想いをぶつけ、全てを清算しようとする。
「えっと、ね、高階君。実は、私、君の事――」
今にも、心臓が破裂しそうだ。
呼吸が上手くできなくて、息苦しい。
体が震えそうで、これならマシンガンを手にした凶悪犯と対峙した方がマシだと思う。
そう痛感しながらも、私は全てをブチまけようとする。
二瞳葉花と高階二雷の物語に――決着をつけようとする。
「実は、私、君の事が――」
だが、その果てに――ソレは起きた。
「んん? 二瞳が何だって?」
そうキョトンとする彼の青かった数値が、一転して薄い赤に変わる所を私は目撃する。
「……なん、ですって?」
彼の数値は薄い赤の二十三に変化し――だから私はこの時点で言葉を失ったのだ。
◇
その後、私はさよならとだけ告げ、高階君とわかれた。いや。勿論その前に、彼に気付かれないよう、高階君に触れた。
触れる事で私が死の映像を見られる事を知らない彼は、たぶん不審に思っていないだろう。高階君は、自分の命が後十八時間しかない事を、まだ知らない。
それを話さなかったのは、私自身、想像以上に動揺していたから。
……愕然とし、一瞬、その場にへたり込みそうになった。視界が真っ黒に染まり、重いナニカで心を圧迫される。そんな思いをしながら何とか平静を保ったのは、これが何を意味しているかわからないから。
それ位、彼の死の映像は、意味不明だった。
「……何せ、椿さんの時と同じで、外傷がない」
自分の部屋のベッドに横たわり、天井を睨みながら、独りごちる。
遊び歩いた疲労感は一気に霧散し、私はただ身震いするほど緊張した。
「それどころか……またも密室。彼の死亡現場になる学校の仮眠室に人気は無く、窓や扉は施錠されていた。なら、また椿さんと同じ手……?」
……いや、恐らくだが、違うと思う。眠る様に亡くなる筈だった椿さんに対し、彼の死に顔は苦悶に満ちていた。アレは、ガスによる中毒死では無いと思う。
それに、きっとこの手の犯人は同じトリックは使わない。私に三度挑戦状を叩きつけてきたその人物は、別の方法を使って高階君を殺害する筈だ。
このタイミングで高階君の寿命が激減した理由は、そこにある。これは間違いなく、一連の事件の続きだ。〝橘事件〟や〝山根事件〟の黒幕が――遂に高階君をターゲットに選んだ。
それは私に対する、明確な悪意の表れだ。
高階君を亡き者にするという事は――私の全てを奪うという事と同意語だから。
「……でも絶対にそれだけは、させない。必ず――高階君は私が守ってみせる」
そう決意する一方で、私は尚も眉をひそめる。自分は今後どう動くべきか、未だに迷っていた。この事を高階君に教えるべきか、その事さえ決められない。
その理由は、香苗や椿さんの時と同じだ。私が余計な刺激を彼に与えると、運命が変わる可能性がある。彼の死が、私の関知出来ない所で生じるかもしれない。正にソレは最悪の事態だから、私は下手な事が出来ずにいる。
「つまり、今回は誰の手も借りられない。私一人で、事件になる前に全てを解決しないと」
けど……果たして私にソレが可能だろうか? 私は本当に、高階君を救える……?
香苗や椿さんの時には生じなかった弱音が、胸裏を過ぎる。
高階君を頼れないだけでこうも弱気になっている自分に、正直驚いた。
「……そっか。本当に、私自身が思っていた以上に、二瞳葉花は高階二雷を頼っていたんだ」
二人で始めた、即席の探偵業。その相棒が居なくなっただけで、胸に空虚な穴が開く。私はその穴を、無理やり使命感で埋めるしかない。開き直り、全てを振り切って行動するだけだ。
「いいわ――やってやろうじゃない。そして今度こそ黒幕を引きずり出し――この件に決着をつける!」
無理やり自分を叱咤し、私は覚悟を決める。
挑む様に天井を見据え、私は歯を食いしばった。
「……と言っても、今日出来る事は、何も無いのだけど」
何せ、調査のしようがない。今から容疑者と思しき生徒や教師達に話を聞くのは、無理がある。その中に犯人が居れば、ただその人物の警戒心を強めるだけだろう。
大体、連絡のしようがない。個人情報が重視される昨今では、クラスメイトの情報を纏めた連絡網さえ無いのだから。
そう諦観し、私は休息をとる事が今できる唯一の事だと切り替える。早々に床につき、明日に備えるべきだと自分に言い聞かせた。
「……そう、ね。また、明日から忙しく、なるから、今日は、ここまで……」
現金な物で、その途端今日の疲れが体を蝕む。
私の意識は呆気なく微睡み――深い眠りに落ちていった。
◇
で――私は彼の顔を見て、まず驚いた。
「え? どうかしたか、二瞳?」
時間は――翌日の午前七時四十五分。場所は何時も通り、私の家の前。
そこで待っていた高階二雷は、素直に私の様子を不思議がる。私は当たり障りのない事を、口にするほかない。
「いえ、昨日あれだけ愛奈達に振り回されたのに、平然としているとか。高階君って、思いの外タフなのね?」
「ん? まさかアレしきの事で、俺が風邪でもひいて学校を休むとでも思った? まさか。偶に思うんだが、二瞳は俺を見くびりすぎだ」
いや、私が見くびっていたのは、この事件の犯人だ。何せ高階君の数値は薄い赤の二十三から、やや濃い二に変わっていたのだから。要するに――彼はこの二時間後に死ぬ。
恐らくそれは、犯人が予定を変えたからだろう。放課後高階君を殺す気だった犯人は、どういう訳か予定を早めた。一時間目の授業が終わった途端、彼を殺すつもりらしい。
となると、これは本当に私の能力を知っている人間の犯行かも。
私が高階君の死期を知ったと察知して、その予定を崩しにかかった。私に動揺を与え、少しでも精神的に追い詰める為に。
私は素直にその方向へ傾斜しそうになるが、何とか気持ちを立て直し、彼に飴を手渡す。
「高階君、これ上げる」
「は、い? 昨日の別れ際にも貰った様な気がするけど、もらえる物はもらっておこうか」
このとき彼に触れ、変化した彼の死の映像を見る。それはバカげた事に、廊下で頭を撃ち抜かれた高階君の姿だった。
……昨日の密室殺人に比べ、余りにも犯行が雑だ。まさか別の犯人による凶行? 香苗の時もそんな推理をしたなと考えていると、高階君は首を傾げる。
「えっと、学校行かないのか、二瞳? それとも忘れ物でもした?」
「いえ、何でもないわ。じゃあ、そろそろ行きましょうか」
出来るだけ平静を装いながら、私は何時もの様に彼の前を横切る。
高階君は首を傾げながらその後に続き――今日も私達はそろって登校したのだ。
「って、今日も仲良しだね、お二人さん。鳥海愛奈のせいで昨日は余り喋れていなかったみたいだし、その穴埋めでもしていた?」
学校に着くと、今日も香苗は元気だった。彼女も高階君同様、昨日の疲れなど微塵も感じさせない。私は、真顔で嘆息する。
「そう言う香苗も、すっかり愛奈を敵視しているのね? ま、アレだけ暴言を吐かれたらそれも当然だとは思うけど」
「いや、こっちからフっといてなんだけど、これ以上あいつの話はやめてもらえるかな。それより、椿さんの話をしよう。その方が、私も心が癒される」
どうやら椿さんは香苗にとって、生きた精神安定剤らしい。お蔭で私には、ちょっとした悪戯心が芽生える。
「で、愛奈なんだけど」
「――って、あいつの話はしないでって言ったよねっ? それなのに、何でそんなに嬉しそうにやつの話を始める訳っ?」
「いえ、一寸した冗談よ。でもそういう香苗だって、昨日は最終的に愛奈とも仲良くお喋りしていたじゃない?」
「……アレは椿さんの前だから、無理やり大人ぶって寛大なフリをしていただけ。実は昨日の時点で五、六回ぐらい殺そうかと思っていた位よ、鳥海愛奈に関しては」
……そうなんだ? 確かに愛奈は、それだけの口をきいていた様な気もする。
「てか、あいつマジで金さえ払えば、私や高階なら喜んで殺すんじゃない? 何故かアンタや椿さんには、手を出そうとしないけど」
「………」
お金さえ払えば、高階君を殺す。香苗がそう指摘するのと同時に、私は本当にそうなのではと息を呑む。まさか鳥海愛奈がこの件に関わっているのではと、顔をしかめそうになった。
〝――いま君の前に立ちふさがる人物が居るとすれば、それはきっと私じゃない〟
けれど、あの時の愛奈を思いだし、思い留まる。何の根拠も無いが、私は何故かあの言葉が嘘だとは思えない。それなら香苗や椿さんが犯人だと言われた方が、まだしっくりくる。
「いえ……ちょっと待って」
そういえば、動揺していたから忘れていたけど、高階君が犯人という線もあったのだ。
でも、そうなると、これはどういう事になる? 仮に高階君がこの件に関わっているとしたらなぜ彼は殺される?
まさかこれは複数犯で――主犯を裏切ったから高階君は殺されるとでも言うのか?
それとも、高階君はこの件とは無関係? 本当に飛江田崇子さんが生きていて、裏で糸を引いている? だとしたら、その動機は何だ?
正直、私には何が何だか、わからない。今できる事があるとすれば、一時間三十分後に訪れる高階君の死を回避する事だけだ。
私がそう決意を固めている時――香苗が思わぬ事を言い出した。
「ああ。そう言えば、葉花、知っている? 今日――うちのクラスに転校生が来るって」
「――はっ? 転校生……ですって?」
何だ、その展開は? 余りにも出来すぎていて、最早、茶番と称するのも億劫だ。
「うん。それも美人の女子って噂。ま――他人に興味が無いアンタには余り関係のない話か」
「………」
果たして、それはどうだろう?
私はまたも戦慄しつつ――ソノ時を待った。
◇
「はじめまして。千葉から引っ越してきた――四賀鈴鹿と言います。皆さん、今日からどうかよろしく」
「………」
長い茶色の髪を背中に流した、ややツリ目の少女がお辞儀をする。
そして、私の予感は当たっていた。四賀鈴鹿と名乗るその女子は、見かけこそ異なるが仕草は崇子さんその物なのだ。私が記憶している崇子さんの挙動を、彼女はとっている。
なら、顔や髪の色こそまるで別物だが――四賀鈴鹿こそが飛江田崇子? 整形して別人にでもなったと言うのか、彼女は?
そんな……バカな。そんな漫画みたいな話が、あり得ると……?
「と、四賀さん、視力は良い方? できれば一番後ろに用意した、あの席についもらいたいのだけど?」
担任である川島先生が、四賀さんに問い掛ける。彼女は微笑みながら首肯し、自分の席へと移動した。その間、彼女は私の席を横切り――私と彼女は一瞬目が合う。だがそれも瞬く間の事で、彼女は直ぐに通り過ぎていった。
続けて、一時間目が始まる。できればその前に四賀さんと話してみたかったが、それは出来そうにない。私はこの穴を埋める様に、思考を走らせた。
普通に考えれば、四賀さんが崇子さんという事はあり得ない。けれど、戸籍などが闇取引されているという話は聞いた事がある。それを手に入れた上で顔を変えれば、別人になる事も可能だろう。
でも本当に、そんな事をしている人間がこの国に居る? これだけ司法制度が充実した近代国家が、そんなオカルトじみた真似を許すだろうか?
けれど、これは私自身が言っていた事だ。〝現実は小説より奇なり〟と。そう考えると四賀鈴鹿が飛江田崇子である可能性も零じゃない? 私が記憶している崇子さんのクセを持っている四賀さんは、飛江田崇子その人……?
私がそんな事を考えている内に、一時間目は早くも終わった。休み時間に入った訳だが、私には四賀さんに話かける余裕はない。この休み時間の間に、高階君は何者かの手によって殺されるから。
状況から見て、廊下に出た彼は第二校舎の屋上からライフルで狙撃される。頭を打ち抜かれた彼は、恐らく即死だろう。それを免れるには、私が彼をこの教室に釘付けにする以外ない。私は高階君に話かける為、隣の席に座る彼に目を向けた。
と、その時――彼の数値は濃い赤の四から、やや薄い赤の六と十五に変わる。
それは彼が、六時間十五分後に死ぬ事を意味していた。つまりまたも運命が変わり――昨日の状況へと立ち戻ったという事。実際、反射的に私が彼の手に触れると、昨日見た高階君の死に様が見えた。
これが何を意味しているか、私は瞬時に悟る。
この事件の犯人は私がいま高階君に話かけ、彼を足止めしようとしていた事を知っていた。そうなれば、自分の計画はまず破綻する。故にこのタイミングでしかけるのは止め、予定通り放課後高階君を殺す気なのだ。
つまり――犯人はこの教室に居る。
私が高階君に話かけようとしていたのを見ていた誰かが――犯人。
まだ休み時間になったばかりで廊下に人は出ておらず、教室を覗き見る人は居ない。そう考えると、私の推理は恐らく正しい。
問題は――それでも容疑者が多すぎるという事だ。
一年生から三年生に加え、教員まで容疑者だった頃に比べれば、大分絞り込まれた。だがうちのクラスは三十人も居る。その中から、高階君を殺そうとしている人物を見つけなければならない。放課後までに犯人を見つけ出し、決着をつける。
でなければ、今後犯人がどう動くか読めなくなるだろう。私が関知できない所で、高階君の殺害を実行に移すかも。そう考えると、私には余りにも時間がない。
「……って、二瞳? 何か俺に用でもあるのか……?」
「――と、ごめんなさい! ちょっとボウっとしていて!」
私は今頃、高階君の手を触り続けていた事に気付く。弾ける様に手をどかし、何とか平静を保とうと努力する。
その時、高校で友達になった佐藤つぐみが話かけてきた。
「相変わらず仲が良いな、高階君と葉花はー。最近は特にそうじゃない? 一緒に登下校しているって噂、私の耳にも届いているよ。水臭いなー。それならそうと、私にも報告してくれたらいいのに」
「………」
一体何をだ? 残念ながら、私と高階君はそういう関係ではない。その一方で、周囲がそう言う目で見るのも自然な事かもしれない。つぐみが言う通り、私達は今日も一緒に登校した訳だし。
いや、登校だけじゃない。何が何でも私は今日――彼と下校する。犯人を捕まえ、何事も無かったかの様に高階君と一緒に帰ってみせようじゃないか。
「というか、それは誤解よ、つぐみ。私と高階君は、別に特別な関係じゃない」
「え? じゃあ、何で一緒に登下校しているの? 昨日アルバイトで忙しかった私みたいに、高階君って葉花と一緒に登下校するアルバイトでもしているとか?」
「……つまり私が彼にお金を払って、登下校してもらっているって言いたいの? 中々面白い冗談だわ」
本当に状況が状況でなければ、腹を抱えて笑っていたかも。それ位つぐみの話は、おかしかった。すると、その間に高階君が席を立つ。私はやはり反射的に、彼の後を追った。
「って、そんなに高階君にベッタリなのに何で否定するのよ? そんなに恥しいわけ?」
にんまりと笑いながら、つぐみは私を茶化してくる。
だが彼と共に教室を後にする私は――つぐみに苦笑いを向ける事しかなかった。
◇
「というか、何で二瞳がついてくる? 二瞳、今日は少し変だぞ? まさか――今度は俺が死ぬとか言い出すんじゃないだろうな?」
「いえ、それはない。高階君は七十七歳までしっかり生きる。それは私が保証するわ。私が高階君と行動を共にするのは、これも即席探偵業の一つだから。いつどこで、数値が赤の人に出くわすかわからないからよ。香苗や椿さんの件があってから、私ちょっと神経質になっているのよね」
私は、堂々と嘘をつく。この態度が功を奏したのか、高階君は成る程と頷いた。
「……ああ、その気持ちはわからなくもないな。一度不幸な事が起こると、なぜかその後も立て続けで起るものだし。俺の知り合いにも、一月の間に三回死にかけたって奴が居るよ」
「そうなんだ? とにかく頼りにしているわ、相棒。私が赤の人を見つけたら、高階君にも直ぐに働いてもらわないと」
「了解。出来得る限り力になれる様、努力する」
それから高階君は、男子トイレに入っていく。……流石にそこまでついていけない私は、窓を背にして彼を待つ。その時、私の視界には見慣れない人影が入っていた。教室の壁を背にして――あの四賀鈴鹿がこちらを見ていたのだ。
だが、それも一瞬の事。彼女は直ぐに視線を切り、教室に戻っていく。私はそこで、決断した。次の休み時間になったら、彼女に話かけてみよう。今の所、四賀さんしか怪しい人物は居らず、彼女以外手がかりは無い。何とか犯行を食い止める糸口を掴まなくては、状況は一向に改善されないだろう。
ヘタをすれば、その時点で四賀鈴鹿と戦闘になるかも。かといって、彼女を人気のない場所に連れ出す訳にもいかない。その間に、高階君の数値に変化が起こる可能性だって零では無いから。私は犯人の割り出しに加え、高階君の護衛もしなくてはならないのだ。それがどれほど困難な事か、私は今になって痛感した。
こんな時、愛奈が同じ学校ならと思う。彼女になら高階君の護衛位まかせられる筈だから。
「……と、まさか俺を待っていたのか、二瞳? で、赤の人は居た?」
「いえ、今の所いないわね」
――高階君以外は。
内心この悪辣な状況に辟易しながら――私は彼と共に教室へと戻った。
◇
それから、次の休み時間はやって来た。私は高階君の数値に急激な変化が無い事を確かめてから、席を立つ。次の授業の準備をしている四賀さんのもとに歩み寄り、躊躇なく彼女に話かけた。
「こんにちは、四賀さん。私、同じクラスの二瞳葉花。この学校には、もう慣れた?」
私を見るなり四賀さんは不敵に笑い、こう言葉を紡ぐ。
「まさか。転校してから、まだ一日目よ。慣れる筈が無いわ」
それは私でなくとも、挑発だと感じる口調だ。私は、フムと頷く。
「私、四賀さんの気に障る事でもしたかしら? とても不機嫌な様に感じるのだけど?」
「いえ、別に。ただ今日は虫の居所が悪いだけ。気にしないでもらえると助かるわ」
その割に、彼女は満面の笑顔を向けてくる。口調とは裏腹に、彼女はとても楽しそうだ。それこそ、旧友とひさしぶりに会ったかの様な表情をしている。
現に彼女は、こう口にした。
「それより、幾ら私が昔のお友達に似ているからって、余り馴れ馴れしいのもどうかと思う」
「――え? 今……なんて?」
が、彼女はそれ以上口にしない。私に目も向けないで、淡々と次の授業の用意をする。私はこの時点で――完全に彼女をこの一件の容疑者にした。
けど、彼女はこれ以上私と無用な会話をする気は無い様だ。いや、今の発言は迂闊すぎる。これでは、自分を怪しんでくれと言っている様な物だ。
つまり――彼女は陽動係? 自分に注意を向けさせ――その間に彼女の仲間が高階君を始末すると?
だがよくよく考えてみると、このクラスの人間が殺人に協力する様な事は無い様に思えた。香苗の事件以降、私も少しこのクラスに関して調べたのだ。上坂さんに無理を言い、このクラスの人間の素行調査などをしてもらった。
その上で、私はこのクラスの人間全員と個別に会話をした。その心証では、殺人という犯罪行為に及ぶほど歪んだ心根の持ち主は居ない様に思えた。
勿論これは、私見に過ぎない。実は、という事もあるだろう。けど、仮に私の考えが正しいなら、このクラスで殺人を犯しそうなのは――四賀鈴鹿だけ。まだ正体がわからない彼女だけが――唯一怪しい人物と言えた。
「………」
それとも、他のクラスや上級生に彼女の仲間がいる? でも、私が高階君を釘付けにしようとした時、四賀さんは外部と連絡をとった形跡はない。仮に彼女が陽動係なら、私が高階君を足止めした時点で実行犯に連絡した筈。現時点では、高階二雷の殺害は不可能だと。
それが無いという事は、彼女の単独犯? さっきの思わせぶりな発言は、私を混乱させる為の物という事か?
……確かに私は今、こうして混乱している。そう考えると、四賀鈴鹿の思惑通りと言って良いかも。私には、まだ考えるべき事があるのだから。
それは――高階君の殺害方法。あの完全な密室で――犯人はどうやって彼を殺した?
それを見破らない限り、彼の身の安全は確保できないと思う。仮に一度目の死は回避しても犯人を見つけ出さない限り、同じ事を繰り返す事になる。私が関知しない所で件のトリックを使われたら、高階君は確実に殺されるだろう。それを阻止する為にも、私は事件の全貌を明らかにしなければならない。
「でも……一体どうするつもり?」
私が考えつく限りでは、こうだ。先ず何らかの方法で、高階君を部屋の出口へと誘導する。その間に塩水を部屋へと流し込み、彼がその塩水に触れた時点で電流を流す。高階君は通電を受け、彼は苦悶の表情を浮かべながら死亡する。そう考えれば一応筋は通るが、残念ながら三つほど問題がある。
第一に、人を感電死させる程のバッテリーを、怪しまれずに用意できるかという事。
第二に、放課後とはいえバッテリーを背負うという重装備で廊下を歩けば、厭でも目立つという事。
第三に、高階君の死亡現場に、水気は全く無かったという事。
以上の理由から、私の推理は間違っていると言わざるを得ない。犯人はもっとスマートな方法で高階君を殺すつもりではないかと、思うのだ。
……なんにしても、人手が足りなすぎる。もし高階君を頼れるなら、彼に標的を護衛してもらって、私は四賀さんを監視できた。高階君が戦力外になっただけで、私の行動は大分制限されている。
なら、いっその事、高階君に全てを打ち明けるべきか? けど、私がそうする事こそあの運命を呼び込む条件である可能性がある。私が全てを打ち明けた事が引き金になり、高階君は死亡するのかもしれないのだ。そう考えると、やはり迂闊な事は出来ない。
とにかく、今はヒントが欲しい。何か、ヒントになる様な事は無いか? そう思う一方で、私はそんな出来すぎな事は起る筈も無いと諦観する。いや――本当にその筈だった。
「くっ! 危ないッ――二瞳っ!」
「つ――ッ?」
それは――悪夢にも似た奇跡。私がボウと思案していると、急に窓ガラスが割れ、私に向かってボールが飛んでくる。私の顔面にぶつかる筈だったソレは――あろう事か高階君が素手でキャッチした。
恐らく体育で野球をしていて、そのボールが誤ってこの教室に飛び込んできたのだろう。私は息を止めながら、その光景をただ眺めた。
「――大丈夫か、二瞳? らしくないな。何時もの二瞳なら、このぐらい直ぐに反応出来たろうに」
「……と、そうね。本当に、そうだわ。ありがとう、高階君。お蔭で、助かった」
「というか、なんだこのボール? 何か妙な……」
「……妙?」
言いつつ、高階君がそのボールを私につきだしてくる。
途端、彼が不審に思った事を私も理解して、このとき私は愕然とした。
……そう。実に唐突な話だが――ソレが全てを教えてくれた。
この件にまつわる謎の殆どを――明らかにしたのだ。
私には、全部わかってしまったから。
これは四賀鈴鹿の単独犯による――遠隔操作殺人計画だと。
よって私はそのやり切れない想いと共に――ただこの光景を目に焼きつけた。
◇
そして――決着の時は訪れた。
放課後、帯刀した私は速やかに四賀さんのもとに行き、彼女と共に屋上へと足を運ぶ。
そこで私は――彼女と対峙した。
「で、一体なんの用かしら? できれば、手短にしてもらえると助かるのだけど?」
四賀さんが屋上のフェンスに背中を預け、腕を組む。
私は一度だけ空を仰いだ後、彼女に目を向けた。
「いえ、これは本当に単純な計画だわ。何せ、殺害方法が殺害方法だから。でも、俊逸ではあったのかも。事実、あなたはその手を使って彼を殺害してみせたもの」
「は? ……一体なんの話? 悪いのだけど、意味がわからないし、興味もまるでわかないのだけど? 私、もう帰っても良いかしら?」
素っ気なく、四賀鈴鹿は言い放つ。
そのまま私の横を通り過ぎようとする彼女に、私は真顔で告げた。
「計画通りなら、あなたが私を陽動している間に、高階君は殺されている。あなたの思惑通りなら、今頃高階君は死んでいるでしょう。あなたの計画は、こうだから。まず高階君を放課後仮眠室に呼び出す。どう呼び出したかと言えば、私と高階君が揃って席を外した時、彼の机の中に手紙でも忍ばせたのでしょう。それを見た高階君はあなたの要求に従い、仮眠室へとやってきた。その上で私を彼から引き離し、その間に彼を殺害する。言葉にしてみればソレだけの実にシンプルな話だわ」
「……はぁ。やっぱり意味がわからないわね。なぜあなたと共に彼とは別行動をとっている私が、彼を殺せるの? 私には共犯者でも居ると言いたい? いえ、それ以前に、なんでそんな荒唐無稽な疑いを私がかけられなくちゃならないのかしら? それって、この学校で流行っている冗談?」
私の直ぐ後ろで足を止めている四賀さんが、訊ねてくる。
私は振り返り様、彼女の後ろ姿を見た。
「いえ、この学校に――あなたの共犯者は居ない。あなたは飽くまで単独犯で、ただ一人の力を以て高階君を殺害しようとした。それだけは――断言できるわ」
「だから、繰り返しになるけど、そこら辺が意味不明なの。あなたと一緒に居る私が、どうして彼を殺せると言うのかしら? それも、あなたは私に共犯者は居ないと認めている。この状況で、どうやったら私が彼を殺せると?」
顔だけをこちらに向け、四賀さんはやはり質問を繰り返す。
私は目を細めながら――その核心を口にした。
「それは、考えてみたら実に簡単な話だった。確かにあなたに共犯者はいないけど――〝殺意を持たない協力者〟はいたから。……そう。その協力者は自分が殺人の手助けをしていると、気付いていないのよ。ある日ポストに手紙とお金を送られてきた彼女は、律儀にもソノ依頼を果たそうとした。いえ、お金を貰ってしまった以上、その通りに動かざるを得なかったというべきかな? しかもそれは、実に簡単な仕事だった。ソレが殺人に繋がると思いもしなかった彼女は、その依頼通り行動しようとしたの。あなたの予定通りなら、今頃彼女はあなたが頼んだ通りの事を成し遂げ――高階君を殺害した筈。私を彼から引き離し、その上で協力者である彼女が意図せず彼を殺す手はずだから。それはもう――本当にアルバイト感覚のつもりで彼女はあなたに遠隔操作された」
「………」
「驚くほど用意周到だったのは、こういう事ね。この学校にはあなたの協力者は居ないと私が確信すると読んでいた事よ。あなたは単独犯で、だからあなたさえ高階君から引き離せば今日犯行が行われる事は無い。私にそう思わせた時点で、あなたの計画は成功する筈だった。陽動係であるあなたはその仕事を全うし、私は見事にあなたに出し抜かれ、彼を殺される。佐藤つぐみが――今日アルバイトという言葉を口にしなければそうなっていたでしょう。でもつぐみは怠け者を公言していて、決してバイトなんてしない主義なの。そんな彼女がバイトをしているとしたら、よほどの事情がある。私がつぐみを怪しんだのは、そう言う理由から」
私がそこまで断言すると、四賀さんは漸くこちらを向く。
「そう。あの子がそんな事を? 全く、この仕事は内密にして欲しいって、通達しておいたのに」
「それは――自白と見なしていいのかしら?」
「いえ、今のはただの独り言。二瞳さんも、どうぞ独り言を続けたら?」
「そうね。私が一番引っかかったのは、やはり高階君をどう殺したのか。完全な密室だった仮眠室に居る彼をどうすれば殺せるのかが、わからなかった。でも、あなたも知っているでしょう? あの時、うちのクラスの窓ガラスが割れ、ボールが飛び込んできたのを。実はそのボールには一つだけ奇妙な事があったの。それは、少し甘い匂いしていたという事。その香りを嗅いだ時、私の脳裏にある可能性が過った。つぐみが何の罪悪感も覚えず高階君に何をしたのか直感したの。そう。あなたは――アナフィラキシーを利用して彼を殺害したんじゃない?」
「………」
――アナフィラキシー。
それはアレルギー症状の一種である。主な原因は、食べ物や薬やハチなど。主なメカニズムは、こう。体の中に抗原が侵入すると体はその抗原に対し特異な抗体をつくりだす。その状態で再び同じ抗原が体内に侵入すると、抗原体抗反応という物が発生してソレを除去しようとする。これは防御反応の一種だが、時に生体に極めて有害な反応を引き起こす。気道閉鎖、不整脈、ショックなどを誘発するからだ。
そして、それらの症状は――死に至る事さえある。
なら、仮に高階君もまた何らかのアレルギーを持っているとしたら? つぐみがその事を知らなかったとしたら、どうなるか?
そう。つぐみに送られてきた手紙の内容は、恐らくこうだったのでは?
高階君にチョコをつくって、ソレをプレゼントしてほしい。レシピはこちらで指示した物を使用する事。それだけで、あなたにおくられた金銭は全てあなたの物になる。
「きっとそんな所でしょう。そしてつぐみは、自分がつくるのだから害がある物にはならないと自然に感じる事になる。そのレシピ通りチョコをつくり、そのチョコを放課後高階君にわたす。恐らく彼のアレルギーのもとになるアレルゲンは、チョコには含まれない物でしょうね。まさか自分のアレルゲンがチョコに入っているとは思わない彼は、ソレを食べる。食べ物の場合、消化、吸収される時間があるため症状が出るのは早くて三十分後。致死量のアレルゲンを摂取した彼は、そのまま苦悶しながら死亡する事になる。仮眠室で、四賀さんを待っている間に。でも、その事にやはりつぐみは気付かない。何しろそのチョコの材料は彼女自身が用意して、それをもとにつくった物だから。自分は、毒物なんて混入している筈が無い物を、高階君に食べさせただけ。そう思っているつぐみは、だから自分が殺人の片棒を担がされているなんて気付かない」
加えて恐ろしいのは、死因がアナフィラキシーと判断できない場合がある事だ。初めてのアナフィラキシーであったり、誘因が明らかでない場合そうなる事がある。つまり死因が特定されず、高階君は自然死と断定される可能性があるのだ。
仮にそうなれば、つぐみはやはり自分が原因で高階君が死んだとは思わないだろう。或いは四賀さんはつぐみを使い、完全犯罪を成し遂げる事になるのかも。
事実、多分くつぐみは、このチョコの譲渡に何の意味があるのか今もわからずにいる。自分の行為が殺人に結びつくなど、思いもしない筈だ。
正直、あのボールの甘い匂いから、そこまで考えるのは話が飛躍しすぎだと思う。
それでも私は、ソレが事実であるかの様に断言した。
「あなたは、そんなつぐみを利用した。彼女自身が知らぬ間に、自分の協力者に仕立てた。殺人と言う――最悪の犯罪行為の実行犯にしたのよ」
「――成る程。実に滑稽な話だわ。だって、私が佐藤つぐみにそんな指示を出したなんて証拠は、どこにもないんだもの」
喜悦しながら、四賀鈴鹿は謳う。私も、彼女に同意した。
「そうね。それを証明するのは、難しいでしょう。あなたの事だから、そう言った証拠は全て処分している筈だから」
「なら、話はここまでね。私が彼を殺そうとした証拠は何もない。よって私の身柄を拘束する権利も、あなたには無いわ。と言う訳で――今度こそ帰らせてもらおうかしら」
実際、彼女は踵を返し、この場から去ろうとする。だが、ここで彼女を逃がせばまた同じ事が繰り返されるだろう。四賀鈴鹿は――高階二雷を殺すまで彼を狙い続ける。
だとすれば、それを妨げる手はもう一つしかなかった。
その唯一の手段が――この場に現れる。
「……と、そうか。四賀さんが、俺を殺そうとしていたのか」
「………」
彼――高階二雷が屋上にやって来たのを見て、四賀鈴鹿はふたたび足を止めたのだ。
◇
「やはりそういう事だったんだな? 二瞳には――今日俺が死ぬ姿が見えていた」
「ええ、黙っていてごめんなさい。でも、何が引き金になってあの映像が現実になるか、私にはわからなかったから」
やはり真顔で、私は高階君に謝罪する。その上で、四賀さんに彼が無事な理由も説明した。
「高階君が無事なのは、香苗につぐみを止めてもらったからよ。他人に殺意を持った凶悪犯なら、香苗一人に止めに行かせる事なんて出来ない。でも、つぐみには殺意はなく、凶悪性も皆無だわ。なら、そんな彼女を止めるなら、一般生徒である香苗でも十分過ぎる。その上で香苗に伝言を頼んでね。つぐみを止めた後、高階君を呼び出し、屋上に来てもらったと言う訳。全ては――あなたを止める為に」
そこまで話した所で、四賀さんが眉を跳ね上げる。
彼女は初めて私に対し、動揺ともとれる表情を見せた。
「いえ、私は全てがわかったつもりだったけど、二つだけ疑問が残ったの。その一つが、四賀さんの殺意の所以。四賀鈴鹿は――そもそもなぜ高階二雷を殺そうとしたか? 加えて二つ目の疑問は――なぜあの仮眠室は密室だったのかという事」
それを聞き、かの人が一歩後退する。
「そう。私にはどう考えても、四賀さんが密室をつくり出した手段がわからなかった。仮眠室の鍵は教員が管理していて、手に入れるのは難しい。というより、四賀さんはそのカギを借りた時点で高階二雷変死事件の容疑者になるから借りられない。更に、高階君にあの仮眠室で待つように言った時、鍵をかける様に言うのも不自然だわ。これから自分が会いに行くのに部屋の鍵をしめさせるなんて、高階君が不審に思う筈だから。要するに四賀さんには、仮眠室を密室にする方法はほぼ皆無と言う事ね」
ならどういう事になるのか? 私はその認めがたい事実を、けれどハッキリ口にする。
「つまりあの部屋を密室にする必要があったのは――ほかならぬ君と言う事よ。――高階二雷君」
「………」
それを聴き、彼はもう一歩、後退する。
私は、構わず続けてやった。
「それは、恐らく私に対する難易度を上げる為ね? 私がより推理し難くする為、君は敢えてあの密室を用意した。即ち――高階君はあの部屋で何が起こるか知っていたのよ。君こそが――四賀鈴鹿に高階二雷の殺害を依頼した張本人だから」
「………」
ソレを耳にした彼は、黙然とする。
その沈黙は十秒以上も続き、やがて彼は言葉を紡ぐ。
「四賀さん。依頼は撤回する。俺の事は、もう殺さなくていい。今頃こんな事を言うのは、虫が良すぎるか?」
これを聴き、彼女は苦笑いした。
「いえ、別に構わないわ。私の事を伏せてもらえるなら、依頼のキャンセルは吝かじゃない。と、例え君が黙っていようと、二瞳さんはそうはいかないかしら? なら、ここは逃げの一手しかないわね。でも最後に一つだけ。本当に強くなったんだね――葉花ちゃん」
それは正しく飛江田崇子の声で――だから私は息を呑む。
この間に彼女は屋上のフェンスを飛び越え、屋上から飛び降りた。その様を見て、私と高階君は駆けだすが、四賀さんはあろう事か匕首を校舎の壁に突き立てる。落下の勢いを殺ぎながら地面に着地し、そのまま逃走を図っていた。
一連の光景を半ば呆然と眺めた後――私は話を戻す。
「それで、一体、何故? 何故――高階君はこんな自作自演を行ったの?」
「………」
私は、答えがわかりきった事を彼に問い掛ける。いや、問わずにはいらなかったというべきか。私は、彼の口から答えを聴きたかったから。
「そうだな。昔から思っていた。二瞳は、本当に凄い奴だって。二瞳が見知らぬ誰かを助けている所を偶然見かたのも、一度や二度じゃない。崇子さんが居なくなった後も、二瞳は身近にいる誰かを助ける為に、一生懸命だった」
「………」
「きっとそれは二瞳にとって見知った誰かの命も、見知らぬ誰かの命も等価値だからだろう。二瞳にとって命とは、みな同じだけの重みがある。誰が死んでも苦しいし、誰を助けても嬉しい。俺が想像する二瞳葉花という人間は――そういう奴だから」
とんでもない、買いかぶりだ。私は、そこまで聖人君主じゃない。私はただ、助けられる命を機械的に助けているにすぎないのだから。
「けどそう思っていた俺も、引っかかる所はあった。二瞳は偶に、暗い顔をする時があったから。道を歩いているだけで、明らかに何かがあったととれる表情を浮かべる事があった。俺なりに何故だろうと考えてみて、その推測ぐらいはできたよ。恐らくそれは、二瞳でも助けられない人間に遭遇したからじゃないかと思ったんだ。いや、無理をすれば助けられる。でも、その無理を放棄するしかないから、二瞳はあんなに苦しんでいる。あの二瞳の表情は、そういう事を如実に物語っていたと思う。もしかすると、二瞳にも助けられる命を助けないという妥協があるんじゃないかと感じた」
実にその通りだ。私には、全ての命を助けるのは、無理だ。それは既に、幼少期に証明されてしまった。私は命の選別と言う、この上ない悪を行っている。
「でも、その反面、二瞳の人助けは実に鮮やかだった。子供の頃から、二瞳に助けられない命は無いと思える程に。事実、二瞳と行動を共にしたこの数週間は特にそう実感した。橘を助けた時も、山根さんを助けた時も、二瞳の手際は抜群だった。俺の手なんて借りる必要は無いと思える程に、二瞳は事もなく事件を解決した。命を懸けて殺人犯に立ち向かい、被害者になる筈だった誰かを助けて、平然としている。アレだけの手際で誰かを助けられる奴を、俺はほかに知らない。アレだけ短時間で、事件が起きる前に事件を解決できる奴を、俺はほかに知らない。けど――だからこそ俺は疑問に思った」
その告白を聴いて、私は息を止める。やはりそうだったのかと、歯を食いしばった。
「そう。ずっと疑問に思っていた。二瞳は、アレほどすんなり人を助けられる。なのに――なぜ二瞳は崇子さんだけは助けられなかったんだろう、と。二瞳が鮮やかに人を助ける度に――その疑問は強くなっていった。助けられた筈の崇子さんを、二瞳が助けられなかった理由。それはまさか――二瞳が意図して崇子さんを見捨てたから? 二瞳なら崇子さんを助けられた筈なのに、二瞳はワザと彼女を助けなかった? 何時しか俺は、そんな疑念まで抱く様になった」
「………」
或いは、彼の言う通りかもしれない。
普段の私を見ていれば、彼がそう感じる事もあるだろう。
「そう思った途端、後はもう歯止めがきかなかった。あの子供の頃、二瞳が重荷を背負っている様な顔をしていた理由も、こう思った。アレは二瞳が、ワザと崇子さんを見捨てたからじゃないかって。理由こそわからないけど、二瞳には崇子さんを助けられない事情があった。その事情に沿い、二瞳は崇子さんを見放した。それが二瞳の苦悩の理由の一つだったなら? あの晩、二瞳があれほど落ち込んでいた理由はそこにあるならどうだろう? もしそうなら、俺の全ては前提から崩れ去る事になる。俺の二瞳に対する感情は――全て勘違いになってしまう。俺は好きな人を見殺しにした二瞳に対して――好感を持っていた事になってしまうんだ」
「………」
「だとしたら――それはとんでもない裏切りだ。俺は――途轍もない思い違いをしていた事になる。だから――試さずにはいられなかった。例え自分の命を懸けてでも、二瞳の真実を見極めたい。その欲求は日に日に強くなって、遂に俺はその計画を実行した。俺はネットで殺し屋を募集して、そいつに自分を殺させるように促した。そうなった時、二瞳がどうするつもりか知りたかったから。果たして、二瞳は俺を助けるか? それとも、崇子さんの時の様に見捨てるか知りたかった。……いや、違うな。二瞳が見事に俺を助けた今となっては、余計に疑念が強まるばかりだ。何で俺は助けられたのに、崇子さんは助けられなかったんだろうと考えるばかりだ。俺の時と崇子さんの時の違いは、一体なんだと思わずにはいられない。仮に四賀鈴鹿の正体が――飛江田崇子だったとしてもそれは変わらない。二瞳があの日――崇子さんを助けられなかったのは事実だから」
「………」
私の目を見て、高階君は淡々と語る。
そこで、私は漸く気づいた。私は本当に、彼に甘えていたんだ。あの晩、私を支えると言ってくれた彼。でも、その高階君にも苦悩があった。いや、無い筈が無いのだ。
だって高階君は――私以上に崇子さんの事を大切に思っていたんだから。
彼にとって崇子さんは全てだったのだから――思い悩まない筈が無い。
私は自分の気持ちにばかり目がいき、その事に今まで気付かなかった。彼の好意に胡坐をかき、彼の気持ちを無視してきた。
この事件は、そのしっぺ返しだ。私の愚鈍さがこの事件を招き、彼を追い詰めた。
二瞳葉花が高階二雷を――死の寸前まで追いやったのだ。
「……そうね。私は本当に、バカだった。せめて君にだけでも本当の事を言うべきだったのにソレを怠ったのだから。私は崇子さんを想う君の気持ちを知っているのだから、全てを話す義務があったわ。だから、今更かもしれないけど話しておく。私が崇子さんを助けられなかった理由を」
私はそこで言葉を切り、大きく息を吐く。あの日に思いを馳せ、全てを語ろうとした。
だが、その時――私達の頭上からその声が響き渡る。
「ええ――それは二瞳葉花が高階二雷に恋をしているから。だから、二瞳葉花は高階二雷が恋をしている飛江田崇子が邪魔だった。彼女さえ居なくなれば、或いは彼の気持ちを自分に向けさせる事が叶うかも。幼いながらもそう感じた彼女は――だから飛江田崇子を見捨てたの」
「……は、い?」
そして私は失念していた大事な事を、思い出す。それは、四賀鈴鹿が高階君を殺害する方法だ。アレには一つ重要な過程が必要である。絶対に不可欠な要素が、存在していた。
それは――高階二雷のアレルゲンを調べる事。
それには――それなりの施設が必要な筈。
では、一体誰がソレを用意したのか? 昨日、高階君が言っていたバイトとはその事をさすのでは? 即ちバイトと称して高階君をかの施設に連れ込み、彼の血液を検査してアレルゲンを調べた人物が居る。高校生である四賀鈴鹿にそんな真似が出来る筈が無いから、ソレは別の人間による犯行だ。つまり――大学の施設を使える彼女こそがこの件を主導した。
「……そう。全ての黒幕は貴女と言う事ですか。――山根、椿さん?」
「……な、に?」
驚愕の表情を浮かべる高階君と、給水塔の上から私達を見下ろす髪を下ろした椿さん。
その両者に挟まれながら――私はただ体の震えを押さえるしかなかった。
◇
給水タンクの上には、白いタートルネックのセーターにジーパンを着た山根椿さんが居る。
「……山根さんが全ての黒幕? 四賀さんが……俺の血液データを盗み出したんじゃなく?」
今も動揺している、高階君が呟く。私は椿さんを見上げながら、彼に問うた。
「……やはり、そうなのね? 高階君が依頼したのは自分を殺す事だけで、香苗達の事件はノータッチだった。あの二つの事件と高階君は、無関係という事なんでしょう?」
私がそこまで話すと、彼も全てを察した様だ。
「……まさか、あの二つの事件は繋がっていた? 俺の時と同じ犯人が、あの二つの事件を起こしたと言うのか、二瞳は?」
「……そうよ。全ては、ネットで繋がっていたの。伴田君はネットでそそのかされ、犯行に及ぼうとした。井熊はネットで遠隔操作殺人を教わり、犯行に及ぼうとした。高階君はネットで殺人者を募り、あの自作自演を行った。この三つの事件は繋がっていて、その全てを統括していた黒幕が居たの。それこそが――あの山根椿さん。恐らく高階君に血液を調べる実験の被験者になってくれと頼んだ、張本人よ」
そう。高階君の事件も映像でしか死体状況を確認できない私では、直ぐに全貌は明らかにできない。事前に食べた食べ物と言う凶器を用いたこの事件は、紛れもなく私の盲点をついたものだ。他の二件の事件と同種の物で――だから同じ犯人による犯行の筈。
私がそこまで語ると、今も給水塔の上で私達を見下ろす彼女はクスリと笑う。
その右手に二振りの日本刀を握る彼女は、喜々として私達に目を向けた。
「そうね。仮に高階君が死んでいれば、その辺りの話も関連性が明かされる事はなかった。私達が彼の血液を調べたと警察が知っても、彼の死因と結びつける事はなかったでしょう。高階君を殺した凶器は彼の胃に吸収され、証拠は残らないから。でも、葉花ちゃんは違う。貴女は事の真相を全て知ってしまった。なら高階君が誰を通じて血液を調べたか彼から聴き出せば、私へと辿り着く。要は、ここで私が自ら全てを明るみにしても結果は同じという事。私はその為にここに居るの――葉花ちゃん、二雷君」
「……け、けど、なんで山根さんがこんな事を? 第一、山根さんは二瞳が助けなければ、死ぬ筈だった人じゃないか? 彼女は被害者で、ストーカーだった井熊に殺される所だった。なのに、何故……?」
私と同じ様に給水塔を見上げながら、高階君が訊ねる。
その疑問に、彼女は笑顔で答える。
「それは簡単。アレは一寸したテストね。葉花ちゃんが何処までやれるか、私自らの命を以て試してみたの。というより、葉花ちゃん達は重要な事を見逃しているよね? それは――井熊里伊の私に対する殺意の動機」
「まさか、彼の動機は貴女自身が起こした? 井熊が貴女に殺意を抱く様、貴女が自らふるまったとでも言うんですか?」
「そういう事よ。伴田君の件を解決できたのはマグレかもしれないから、テストを継続させてもらったの。結果、葉花ちゃんは見事に私の実験をクリヤーした。今もこうして二雷君の命も守ってみせたわ。なら、私はそのご褒美に全てを語るほかない。二瞳葉花は高階二雷を自分の物にしたかったから――飛江田崇子を見殺しにしたと」
給水塔から、椿さんが飛び降りてくる。
彼女は事もなく屋上に着地し、手にした二振りの刀を抜いた。
「……そ、それは、本当なんですか、山根さん? だとしたら、なんでそんな事を、あなたが知っている……?」
彼女の答えは、こうだ。
「そんなの、決まっているじゃない。私が――その飛江田崇子だからよ」
「……は、い?」
その声は確かに崇子さんその物で、お蔭で、私と高階君は絶句する。
一瞬言葉を失い、ただ愕然とした。
「因みに、四賀鈴鹿は私の弟子ね。彼女に私のクセを叩き込み、貴女達に彼女こそが飛江田崇子だと思わせた。二雷君を確実に仕留め、葉花ちゃんに本当の絶望を味わってもらう為に」
「……私に、本当の絶望を味あわせる? それじゃあまるで……崇子さんが私を恨んでいる様に聞えますが?」
「いえ、〝様〟では無く、実際に彼女は貴女を恨んでいるのよ。山根椿と言う名の、彼女は」
「――まさかっ?」
途端、私はある可能性に行き着く。誰も報われないその仮定を連想し、息を呑むしかない。
「そういう事よ。だから貴女は――ここで私に殺されなければならない。これ以上二雷君を巻き込みたく無ければ、本当の事を認めなさい。二瞳葉花は――飛江田崇子が邪魔だったと」
「………」
ならば、私は彼女の要求をのむしかない。
「そう、ね。確かに私は高階君を好いている。だから、崇子さんが邪魔だった。あの一件は、ただそれだけの事だわ」
「……な、に?」
それは正に最悪の告白のしかただったけど、今はそう告げるしかない。
故に私も抜刀して、その刃を飛江田崇子につきつける。
「オーケー。では、始めましょうか。罪深き存在である――貴女の処刑を。私はいま正義を以て貴女を断罪するわ――二瞳葉花」
その言葉に反論できない私は――だから彼女が跳躍してくるのを待つしかなかった。
◇
そして二瞳葉花は山根椿――いや、飛江田崇子を迎え撃つ。
一瞬で跳躍してきた彼女の袈裟斬りに対し、同じ様に刀を振るって鍔迫り合いを始める。
が、それも一瞬の事。崇子が左手に握った刀を薙ぎ払う瞬間、葉花は後退し、体勢を立て直す。
一刀対二刀。この戦力差を前に、葉花の呼吸は乱れ、鼓動もはやくなる。それでも彼女は逃げ出す訳にもいかず、ただ前進した。
(鬼童流――直竜)
突撃してきた葉花に対し、今度は崇子が受けにまわる。
が、崇子は刃と刃が交差した瞬間、葉花の動きが変化するその様を見た。衝突した刃を支点にして、崇子の刀を受け流す葉花。同時に彼女は柄の先を突き出し崇子の顎を狙う。それは確実に崇子の急所を殴打する筈だったが、次の瞬間崇子は左の刀を盾としていた。
「いえ、無駄よ。私も鬼童流の業は一通り知っている。鬼童流の業では――私は倒せない」
「それはどうでしょうね――崇子さん?」
やがて始まったのは、激しい刀による乱撃。両者は命を懸けて刀を振るい合い、自身の大敵を打破しようと試みる。
その打ちあいは百合に及び、やがて両者の優劣は確実につき始めていた。左右両手で刀を振るう崇子が、確実に葉花を追い詰めていく。
明らかに崇子に圧倒され始める、葉花。今も刀を振るいながら、それでも彼女は徐々に後退していく。
その刃の勢いは、直撃すれば確実に彼女の首や四肢を切断するだろう。故に葉花は直撃を避けるほかなく、遂に防御一辺倒になる。自身の圧倒的優勢を確信して、笑う崇子。
彼女のその驕りを見て、葉花はまなじりを決した。
(……く! これ、は!)
得物の数で勝る筈の崇子が、息を呑む。それ程までに、葉花の動きの変化は異様だった。
葉花は崇子が両手で刀を薙ぎ払ってくるのを感知し、一歩後ろに下がり、刀を横に構える。刀の先と柄の先で崇子の両方の刀を受け止め、そのまま刀を横に回転させる。その勢いに押され、両方の刀を受け流される崇子。その隙を衝き――二瞳葉花は謳った。
「もう無駄です。貴女の動きのクセは――全て記憶したから」
「つっ!」
同時に、今度は崇子が後退する。それ程までに、葉花の動きは的を射すぎていた。
そう。敵の動きを記憶し、その動きに合わせ、最適な剣術を繰り出すのが二瞳葉花の真髄である。よって崇子の動きを記憶した葉花には、崇子の動きが全て先読みできる。
(突きから一度フェイントを入れて、今度は刀を右から薙ぐ)
鬼流――雷変。それさえも見切り、葉花は事もなく崇子の刀を受け流す。それどころか形勢は明らかに逆転し、今度は崇子が防御に徹していた。
(……こちらの動きは、全て読まれている? 私の動きの癖を、全て記憶したと言うの、この子は? 成る程。やはり伴田白根をああも容易く倒したのは、この彼女の特性故か)
ならば、それは予知と大差ない。精神力の全てをこの戦いに傾けている葉花には、実際に崇子の一瞬先の動きが見える。彼女が動く前に葉花は行動し、崇子の攻撃を全て封殺する。一刀で二刀を相手にしながら、葉花が崇子を圧倒できるのはそう言った理由からだ。
その予知が完全な物だと確認した葉花は――いよいよ最後の攻勢に出た。
(そう。これは貴女も知らない業の筈。鬼童流を全てマスターする前に私達の前からいなくなった貴女は、この業を体得していない)
それは、鳥海愛奈と共に師である鬼童士垂から学んだ業。
三枝の梅と円武、そして六感咬を組み合わせた――鬼童流の最終奥義。
その名を――鬼童流――神崩しと言う。
「くっ!」
事実、その業を目撃した時、崇子は眼を広げ、歯を食いしばる。
彼女は驚愕と共に、その脅威を目の当たりにした。
――神崩し。ソレは刀を乱打し、遠心力に乗り、徐々に加速していく連続業。
加えて六感咬による直感も加わり、敵はその急所を確実に攻められる事になる。いや、防御を完全に捨てたその連続業は、確実に敵の守りを崩すだろう。僅かでも敵の防御が崩れれば、そこに奥義の担い手が刀を打ち込む。
それが――神崩しと言われる業。
それに加え、葉花の神崩しは更にその精度が増していた。
何せ今の葉花は、崇子の動きが読める。敵の動きに対し最適な業で返せる彼女は、だから無駄な動作が無い。最速最短を以て、確実に崇子の急所を狙い打つ事が可能だ。
実際――三十合打ち合った所で遂に崇子の刀が弾かれる。
決定的な隙をつくり――葉花は迷う事なくその間隙をつく。
その果てに葉花はあの女性が――口角を上げる様を見た。
「な、に……?」
瞬く間に、崇子の動きが変化する。それは葉花が知らない、彼女の動きだ。葉花の予知では崇子は左に避ける筈だったが、彼女は無謀にも間合いを詰める。いや、傍から見ればそうでも葉花にとっては違っていた。
完全に虚をつかれた彼女は、振り下ろした刀を止める事さえできない。が、それよりはやく葉花の腹部には――崇子の蹴りが決まっていた。この想定を超える威力を受け、葉花の意識は一瞬揺らぎ、体幹も崩れる。
「狩得流――往号」
その隙を、飛江田崇子が見逃す筈が無かった。彼女は蹴り伸ばした足で踏み込み、刀を振り下ろす。ソレは意識が朦朧とした葉花に迫り、彼女は今、決死のおもいで後方へと飛ぶ。背中から地面に倒れ、そのまま一回転して何とか体勢を立て直そうとする。
だが、蹴りによるダメージから葉花は立ち上がる事が出来ず、彼女は片膝を地面につける。
五メートルは離れたその葉花を――飛江田崇子が悠然と見下ろす。
葉花は自分が劣勢に立たされている事にも気付かないまま、ただ彼女に問うた。
「今のは……何? なぜ、アソコから蹴りを放つ事ができる、の……?」
それは葉花の想定から、完全に外れた動きだ。いや、それ以前に、鬼童流にあんな業は存在していない。だとすれば、答えは一つだろう。
「……まさ、か?」
「ええ、その通り。私が極めている業は鬼童流だけじゃないの。私はこの六年で鬼童流の他に――九つの流派の業を習得した。葉花ちゃんが私の動きについてこられなかったのも、その為だよ。異なる流派を学ぶ度に動きの癖が変わっていった私は、だからその動作が千変する。一定のリズムから急激に別のリズムに動きが変化する私は、誰もその動きを見切れない。葉花ちゃんは昔から、記憶を軸にした剣術を得意としていたからね。これはその対策の為に設けた業と言って良いかな? 要約すれば後九つの流派の業を見切らない限り――貴女に私は倒せないと言う事」
「な……にっ?」
「でも果たして私が葉花ちゃんを斬り殺す前に、葉花ちゃんは私の業を全て見切れる? 私が葉花ちゃんを倒すよりはやく、葉花ちゃんは私の動きを記憶し切れるかな? 私と葉花ちゃんのどちらがはやくその目的を遂げる事が出来るか――試してみようか?」
「つ……ッ!」
いや、そんな事は、試すまでも無い。葉花が後一つの流派の動きを見切る頃には、崇子の刀が葉花の心臓に届くだろう。飛江田崇子はその全容を明らかにするよりずっと早く、二瞳葉花を屠る事が出来る。
葉花はそう痛感し、だから息を呑む。
この絶対的な戦力差を前にし――葉花は自身の敗北を直感した。
「そういう事だね。記憶する事を起点とする葉花ちゃんの剣術では、私に勝てない。どれほど死力を尽くしても、後一つか二つ私の動きを記憶するのがやっとでしょう。でも、その頃には私の刀が貴女の首を刎ね飛ばしている。今、私がそうしようとしている様に」
言いつつ、崇子は葉花に近づく。有言通り、飛江田崇子は二瞳葉花を殺すつもりだ。
そう理解した時、彼は初めて葉花の窮地を痛感した。
そのため高階二雷が両腕を広げて――二瞳葉花の前に立つ。
彼は決死の思いと共に、彼女へ向け、こう問うた。
「――待ってくれ! 貴女が本当に飛江田崇子さんなら、何で二瞳を殺さなくちゃならないっ? 崇子さんが――二瞳を殺す動機はなんだっ? まさか六年前――二瞳が貴女を見殺しにしようとしたからかっ?」
「………」
そんな彼を見て、崇子は一考する。ここでイエスと答えれば手っ取り早いかもしれないが、彼女は尚も思案する。
結果、飛江田崇子は――二瞳葉花の罪を言語化する道を選んでいた。
「いえ、それだけじゃないわ。二瞳葉花と飛江田崇子は、明確な罪を犯しているの。私達は許されざる行いをおかしてしまった。私が葉花ちゃんを殺そうとしているのは、その償いの為。そう。二瞳葉花は――この世に存在してはいけない人だったんだよ」
「……な? それは、どういう意味だ? 何で二瞳が、そこまで責められなくちゃならない? 崇子さんは、言ったじゃないか。俺に――二瞳を託すと。自分の代りに守ってやって欲しいとまで言っていたのに、何で貴女は彼女を殺そうとする――?」
「そうね。じゃあ、少し昔話をしようかしら。アレは今から、六年以上前の事よ」
ある日、飛江田崇子はある男を殺そうとした。理由は、なんて事も無い。彼女の価値観で言えば、彼は明らかな悪だったからだ。
ワザと人にぶつかり、難くせをつけ、暴力を振って金を脅し取る。彼のそんな暴挙を偶然目撃してしまった彼女は、だから彼を殺さなければと思った。
いや、生来より殺人鬼だった彼女にとって、彼は実に都合がいい存在と言える。何せ居なくなっても、大部分の人が困らない。寧ろここで消えてくれた方が、万人の為だろう。
齢八歳で殺人を嗜好していた彼女は、だからそういう人間ばかりを標的にした。可能な限り自分の価値観に合わない人間を殺戮し、彼女はその殺人願望を満たしてきた。
これもその一端にすぎないと彼女は淡々と判断し、彼女は彼を殺そうとする。
けれどその時、一度彼とすれ違ったある少女が――彼の背後にピッタリと張り付き始めた。
彼女の知り合いであるその少女は、彼の後ろから決して離れようとしない。共に歩を進め、やがて彼はタクシーに乗った。その所為で彼を見失った彼女は、結局彼を殺せなかった。
いや、それ以上に驚いたのは、あの少女の動向だ。アレは確実に彼が殺される事を知っていて、その迫りくる死から彼を守る為の物である。
そう直感した彼女は、だからあの少女に特別な能力がある事を知る。
実に滑稽な見立てだが、そう考えなければあの少女のやり様は説明がつかない。
それから彼女はあの少女を更生させるべく奔走する事になるのだが、それは別の話。問題は別の所にあった。
「うん。彼の顔を記憶していた私は、ある日その彼がどうなったのか知ったの。彼が何者で何を為したのか、知ってしまった。さっきの反応から察するに、葉花ちゃんも見当がついているのでしょう?」
「………」
そう訊かれた葉花は、だから俯くしかない。崇子と言う大敵を前にして、葉花は彼女から視線を切ると言う愚行を為す。葉花には、そうするしかない理由があったから。
いや、鳥海愛奈からあの話を聴いた時、自分もそのネット記事を確認するべきだった。何があっても、自分は被害者の顔写真を確かめておくべきだった。二雷の死を見て気が動転したとはいえ、ソレを疎かにするべきでは無かったのだ。
何故って、それは彼女にとっても重要な意味があったから。
「そうだよ。あのとき葉花ちゃんが助けた彼こそ――山根克彦。自分の妻と義理の娘に、暴力を振い続けた男。その所為で彼女――山根優子さんは彼を殺した上、自殺するしかなかった」
「……な、にっ?」
二雷が、息を止める。その事実を耳にして、彼は、それ以上何も告げる事ができない。
だが、事実だ。二瞳葉花があの日助けた彼は――紛れもなく山根椿の義理の父。椿とその母を精神的に追い詰め、破綻させた元凶である。
言うなれば、山根家の悲劇の遠因は二瞳葉花にある。彼女があの日、彼を助けなければ、或いは今も山根家は平穏な日々を送っていたかもしれないのだから。
そう理解した時――葉花は初めて涙した。
「……やはり、そうなの、ね。私が他人の運命を変えた所為で、一つの家庭は崩壊した。私が彼を助けなければ、死ななくていい人達は助かった。私が――あの悲劇を招いた張本人」
「そういう事だよ。更に救いが無い事に、その犠牲者は優子さんだけじゃ無かった。私が山根家を訪れた時には、もう椿さんも生きる気力をなくしていた。それも当然よね? 毎日の様に父から暴力を振われ、それから抜け出す方法が、母が父を殺す事なんだから。その母親も世の中に絶望してしまい、遂には自ら命を断った。なら椿さんが生きる気力を失ったのも、仕方がないと思う。私はそんな彼女を思い留まらせる事はできなかったけど、ある願いだけは果たそうと誓った。彼女はこれから自殺する自分の代りに、自分達を不幸にした何かに復讐してくれと願ったの。彼女にはその正体はハッキリとはわからなかったけど、私は違った。私は彼女達を不幸にしたのが誰なのか、知っていた。私はそこで自分の過ちに漸く気づいたの。私が命を懸けて守ろうとした物の正体が、やっとわかった。善悪問わず命を助け様とする二瞳葉花は――天使であると同時に悪魔でもあると。命を助ける事にしか興味がなく、その先の他人の人生に思いを馳せない貴女は間違っている。私はその事に――もっと早く気付くべきだった。だから私は椿さんの人生を引き継ぐ事にした。本物の椿さんは自殺してしまったけど、今は私が山根椿だから、彼女の願いを果たさないと。何も知らず、あの彼を助けたあの少女に復讐する。それが、それだけが、山根椿に残されたたった一つの目的。あの彼女が明確に抱いた、最期の感情。だから私は貴女を殺さなければならないの――二瞳葉花」
それは優しさに満ちていたけど、確固たる殺意が込められた声だった。
それも、その筈か。
仮に葉花が彼を見捨てていれば、椿が誰かに向けた笑顔は実在しただろう。だが、ソレは全て偽りだった。飛江田崇子が彼女に成り切り、浮かべた偽者の笑顔に過ぎない。本当の彼女はもう二年も前に、絶望しながら死んでいったから。
笑顔を浮かべる意味さえ忘れたまま――二瞳葉花が山根椿達を殺したのだ。
「ええ。仮に貴女が無能なら、生かしておいても害はない。でも、もし私の計画を潰せるほど有能なら、明確な有害なる。貴女は延々と事もなく誰かを助け続け、山根家の様な悲劇を生み続けるでしょう。あの三つの事件は、それを見極める為の実験よ。結果、葉花ちゃんはやはり有能過ぎた。橘さんを助け、私を救い、二雷君を守り抜いた貴女は危険すぎる。それが――私の結論。私が貴女を――二瞳葉花を殺さなければならない理由よ」
ならば、葉花もこう結論するしかない。
「……そう、か。やっぱり、そうだったんだ。心のどこかでは、わかっていた。私は人とは違いすぎるって。誰かの死を見てしまう私は、既に人間とは言えない存在だった。崇子さんが言う通り、こんな力は天使や悪魔が持つべき物で人が持っていてはいけなかった。そんな力を持ってしまった時点で、私の運命は決まっていた。私は――決して生まれてくるべきじゃなかったんだ」
葉花から、戦意が霧散する。
誰かの為に生きてきた筈の彼女は、いま自分の罪をつきつけられ――真なる絶望を覚える。
彼女はただ、誰かの命を守りたかっただけ。
けれどそれも子供じみた浅慮にすぎず、その先に何が待っているか考えもしなかった。その無知を、その見通しの甘さを、葉花はただ悔いるしかない。命を以て〝山根椿〟に償う位しかその罪を贖う術を彼女は知らなかった。
この葉花の様を見て、崇子は自身の勝利を実感する。後は実際に葉花に斬りつけ、その命を奪うだけで〝山根椿〟の復讐は果たされる。この確信と共に、崇子は葉花の命を摘み取るべく一歩踏み出そうとした。
だが、その時、二人の耳にはこんな声が届く。
「……がう」
「なに?」
「ち……う」
「……え?」
「違う。それは――違う」
彼――高階二雷は、今、確かな想いと共に吼えたのだ。
「そうだ。それは、違う。確かに二瞳が苦しんできたのも本当だし、その気持ちは誰にも理解出来ないかもしれない。でも、それでも、二瞳が救った命だって確実に存在するんだ。二瞳が居なかったら、今のその人達の幸せは無かった。二瞳がどれだけ自分を否定し様と、その幸せは間違いなく存在している。二瞳がその人達に、この俺に、その幸せをくれたんだよ。だから立て、二瞳。負けるな、二瞳。例え万人がお前を否定しようとも、俺だけはお前を認め、守ってやるから。だから、お前は決して自分を見失うな。昨日までの様に胸を張って生き抜け――二瞳葉花!」
「……高階……君?」
「そうだ。俺がバカだった。二瞳が、葉花が、崇子さんを見殺しにする筈が無かった。見知らぬ椿さん達の死を悼み、涙まで流す事ができるお前が、崇子さんを見捨てる筈が無い。例え何があろうと、一度救うと決めた命は救い抜くのがお前だろうが――葉花。だから、立て。だから、勝て。お前は、葉花は、決して生まれちゃいけない人間なんかじゃない―――っ!」
「……ああ、あああ」
「そうだ。俺の初恋はここまでだ。すみません、崇子さん。でも俺は気付いてしまったから。あの晩感じた通りだって。俺より、貴女より傷ついていたのは、葉花なんだって。味方が誰も居なくて、独りで苦しみ続けてきたのは他ならぬ彼女だった。なら、誰かが葉花の味方にならなきゃいけない。俺は貴女より――葉花の味方になる事を選ぶ。例え葉花が許されない罪を犯していようとも、彼女が苦しみ続けてきたは本当なんだから。貴女だってその事に気付いていた筈でしょう――崇子さん?」
「………」
その絶叫に、その咆哮じみた声に、崇子と葉花は言葉を失う。
いや、二瞳葉花は一度だけ俯いた後、顔を上げ――ただ前だけを見た。
「……そう、ね。前言撤回する……二雷君」
そして、立ち上がる。
自分の足で、しっかりと。
彼女は昨日までの彼女の様に――ただ胸を張った。
「誰が否定し様と、私はどこまでいっても、二瞳葉花だった。誰に恨まれようと、私は私の過ちを正す為に、前に進まないといけない。ずっと前に、教えられていた事だったわ。私はマイナスにマイナスを重ねて、何かをプラスにするしかないって。私が奪った椿さん達の命はもう戻らないけど、私にもまだ出来る事があると信じたい。安易な死ではなく、もっと重い罰を己に科して明日を生き抜く。奪った命より多くの命を助けて、ソレをせめてもの償いとしましょう。故に――私はここで殺される訳にはいかない」
「それは――貴女の死こそが山根椿の唯一の願いだとしても、変わらない?」
崇子の問いに、葉花は答えない。
彼女はただ刀を正眼に構え、高階二雷の横を通り過ぎる。
「世話をかけたわね――二雷君。私はもう大丈夫だから――崇子さんの事は任せて」
最後にもう一度だけ山根家の人々の為に涙し――二瞳葉花は完全に活力を取り戻す。
その復讐者に最後の戦いを挑む為――今度は葉花が地を蹴った。
◇
「へえ? 本当にまだやる気なんだね? 言っておくけど私が斬れなかったのは、あのキロ・クレアブルと言う少女だけだよ?」
そして、両者の最後の激突は始まった。
先手を打ったのは、葉花。
彼女は、正面から崇子目がけて刀を振り下ろす。それを狩得流の業で受け流す、崇子。崇子は、葉花が狩得流の業を見切る前に決着をつけようと図る。短期決戦に持ち込み、自身の優勢を確保しようとする。
そうだ。状況は、全く変わっていない。例え葉花が気持ちを立て直そうとも、崇子の戦術を破った訳では無いから。後九つもの流派の業を見切らなければ勝ち目がない葉花は、だから崇子には勝てない。これは最早、絶対的な自然的法則とさえ言えた。
よって放たれたのは――狩得流の最終奥義。
刀を使い、地面に落ちた小石を敵の目目がけて撃ち放ち、続けて三連突きを放つ。
事実、それは瞬間的に葉花の視界を奪い、致命的な隙を生む。ならば、後は彼女の急所に向け三連撃を放つのみ。
実際に放たれた崇子の三種の突きは、吸い込まれる様に葉花の体に届く。
いや、本当にその筈だった。
(な――に?)
ソレは十の流派をマスターした崇子にとっても、ありえない光景だった。何せ二瞳葉花は、事もなく己の攻撃を避けてみせたのだから。
刀で防御したなら、まだわかる。だが、葉花は体術だけで、崇子の攻撃を躱した。それこそ崇子の攻撃を予知したかの様に。
(まさか、これだけの短期間で狩得流の動きを記憶した?)
ならば、次の流派の業を使うまで。崇子の計算だと、葉花は三つ目の流派の動きを記憶している間に、自分の手によって死亡する。
それは、絶対の確信に裏付けられた計算。何者にも覆せない、確固たる現実である。
(ばか、な?)
では、その現実さえ打ち破る二瞳葉花とは一体何者か? 一つハッキリしている事があるとすれば、三つ目の流派の業さえ葉花は避けてみせた事。やはり彼女は刀を正眼に構えたまま、崇子の業を躱し続ける。
(何が、起きている? これは、一体何?)
自問する崇子だったが、彼女は直ぐにソノ答えへと辿り着く。二瞳葉花に匹敵するほど聡明な彼女は、事もなく葉花の変化の所以を看破した。
「そう、か。葉花ちゃんは――自分の死を見ているのね?」
「ええ。あたりです――崇子さん」
そう。二瞳葉花には、人の死を見る事が出来る。接触した相手の、死の映像を見る事が可能だ。
橘香苗の死を見た様に、伴田白根の死を見た様に、山根椿の死を見た様に、高階二雷の死を見た様に――第三者の死を見る事で彼女は他人の命を救ってきた。
事前に彼女達がどう死ぬか知る事で、彼女達の死を回避してきたのだ。
ならば、ソノ力を自身に向けたらどうなる?
例えば、次の瞬間、自分がどう死ぬか葉花にはわかっているとしたら?
「まさか、そんな事も可能だった? 貴女には、自分の死さえ見る事が出来たと?」
「いえ、私には自分の死は見えない筈でした。でも、さっき自分の死を受け入れかけた時、知ったんです。私は――自分の死を見る事が出来ると。そう。私は自分の死を見られないんじゃなく、自分の死を知るのが恐ろしかっただけ。自分がいつ死ぬか知るのが心底から怖かった私は、無意識に自分の死を拒絶していた。私は自分の死を――見て見ぬふりをしていただけなんです。でも、今はそんな気持ちも消えている。私は――自分の死を受け入れる覚悟ができた。二雷君と崇子さんが――私にその覚悟をくれたから」
故に、二瞳葉花は――今も迫りくる自身の死を見続ける。刹那後に心の臓を貫かれる自分の様を目撃し、そこから逆算して崇子の太刀筋を推理する。
その推理に基づき――葉花はただひたすら崇子の刃を回避し続けているのだ。
「新鬼童流――奥義――暁の先見」
「暁の……先見?」
ならばその昇ろうとしている太陽とは、高階二雷の事か? そう苦笑いしながら、崇子はただ刀を振り続ける。自身の業の全てを出しつくし、葉花を仕留めようと図る。
だが、何秒後に自分の死が訪れるか知る事ができる葉花は、それさえ計算に加える。その要素を軸に、崇子の刀をひたすら回避し続ける。その果てに、飛江田崇子は吼えた。
「でも――逃げ回っているだけでは決して私に勝てない!」
「そうですね。本当に、そう」
対して、二瞳葉花と言う罪人は、正面からソレを受け止める。
彼女は――今こそ決意を固めたから。
葉花の動きが、急激に変化する。
彼女は唐突に前へと前進し、ただ愚直に刀を振り上げる。それは正に、相打ち覚悟の特攻。自身の急所を斬り裂かれながらも、崇子の命も奪う捨て身の業に他ならない。
そう直感した時、崇子は二瞳葉花を刮目した。
(まさか、そういう事――二瞳葉花っ?)
「ええ、そういう事です、飛江田崇子――!」
然り。この時、葉花には崇子の死がハッキリ見える。同時に、自分の死さえも彼女は明確に目撃した。ならば、その死を回避しながら、自身が手にした刀を振り下ろせばどうなるか?
答えは、実にシンプルだ。
「つッ!」
「くっ!」
葉花は、崇子が突き出してきた刀を左腕で受け止める。葉花の心臓目がけて放たれたソレは、事もなく葉花の左腕を貫くが、全てはそこまでだった。いま死ぬはずだった彼女は自らの左腕を盾にして、己の死を回避する。加えて、ソレは来た。
「おおおおおおおおおおおぉぉぉ―――ッ!」
「あああああああああああぁぁぁ―――っ!」
崇子が左手に握った刀を防御に回す前に――葉花の刀が遂に崇子へと届く。
ソノ寸前、刃から峰に切り替えた彼女の刀は――文字通り崇子の体を峰打ちする。
その途端、確かに飛江田崇子の意識は――赤く点滅した。
相打ち覚悟で攻め込みながらも自身の死を回避し、相手に痛烈な一撃を浴びせる。
ソノ業を、彼女はこう名付けた。
「新鬼童流――最終奥義――死中の活」
二瞳葉花が、万感の思いと共に、そう謳う。
ついで、気を失う直前、崇子の意識は確かにソコへと逆行した。
彼女がこの計画を実行した、本当の理由。
それは多分、自分の生き方と、あの少女の生き方のどちらが正しいか試したかったから。
あの日、崖から海へと飛び降りた後、彼女は一時的に記憶を失った。自分の名も、素性も忘れ、ただ生き延びた。
最悪だったのは、それでも彼女には一人で生き抜くだけの力があった事だろう。殺人と言う嗜好は消えず、彼女はただの気まぐれで人を殺し続けた。可能な限り悪人を殺してきたつもりだが、それでも人を殺し続けた事に変わりは無い。
それは紛れもなく、あの少女の生き方とは真逆の物だ。
例えマイナスを生もうと、人を生かし続け様とするあの少女。
例え非道と言われ様と、人を殺し続ける彼女。
彼女が記憶を取り戻した時、彼女は既に引き返せない所まできていた。あの少女を否定でもしなければ、自分の存在を認める事ができない所まできてしまった。
だから、彼女は、山根椿の復讐を誓った。あの少女を消し去る動機を欲した彼女は、山根椿の最期の願いを叶えようとしたのだ。
「……でも、本当に、間違っていたのは私の方。私は何がっても、椿さんの自殺を、止めるべきだった。例え、彼女の手足の腱を切ろうとも、彼女を生かし続けるべきだった。何時か彼女が笑顔を取り戻せるその日まで、彼女を死なせるべきじゃなかったのよ。でも、葉花ちゃんを断罪する動機を欲していた私は、きっと無意識にソレを怠った。椿さんは幸せになるべき人だったのに、私はそんな彼女を見捨てたの。その時、思ったわ。きっと葉花ちゃんなら、絶対に椿さんを助けていたと。本当に憎らしいほど鮮やかに、彼女を救っていた。私は、そんな貴女が本当に眩しくて、憧れていた」
だが、二瞳葉花はもう一度だけ涙し、首を横に振る。
「いえ、私の方こそ、貴女に憧れていましたよ、崇子さん。だって、あの時、私達の教室にボールを投げ入れてくれたのは貴女でしょう? ああやって、私に重要なヒントを貴女は与えてくれた。貴女は結局、二雷君を守る事を選んでくれたんです。だから――本当にありがとう」
「……ああ」
それが、サイゴ。
そこまで聴いて、飛江田崇子はもう一度苦笑いしながら、地面に伏す。
両者の戦いはここに決着し――二瞳葉花はただ沈みゆく夕焼けをその目に焼き付けた。
終章
それから、香苗は机に突っ伏した。
あの〝二瞳葉花殺人未遂事件〟から一日たった頃、学校で私にその詳細を聞いた為だ。山根椿こと飛江田崇子がその主犯だと知った香苗は、全力で絶望する。
「……何で私が気に入った人達は、みんな事件を起こす訳? これってもしかして、私の所為? 私、もしかして呪われている? 前世からの業が、そうさせているの……?」
「いえ、そう言う訳では決してないと思う。全く根拠は無いけど」
私が素知らぬ顔でそう励ますと、香苗は非難がましい視線を向けてくる。
「……実に無責任極まりない言動ね。あの椿さんの笑顔が偽りだったと言うだけで、私はもう泣き出しそうだと言うのに」
これは、相当重傷だ。どうやら、香苗の椿さんに対する思い入れは本物だったらしい。だからと言う訳ではないが、私はもう一度だけ励ましの言葉をおくる。
「いえ。きっと香苗に向けていた彼女の笑顔は、本物だったと思う。崇子さん、いえ、椿さんは貴女と会えて本当に良かったと思っている筈よ」
「………」
これも根拠は無いけどと言いながら私が苦笑いすると、香苗は嘆息した。
「――葉花。アンタは、私の前から居なくならないわよね? アンタまで居なくなったら私はきっと暴れ出すほど激怒するわよ?」
「そうね。約束はできないけど、出来る限り香苗の要望に沿えるよう頑張るわ」
やはり香苗には嘘をなるべくつきたくない私は、事実だけを口にした。
香苗は私を睨みながら、頬杖をつく。
「本当にアンタは私に対しては容赦ないわ。でも、それもアンタなりの誠意の現れなんでしょうね。癪だけど、私に対してだけは嘘をつかないそのあり方は、一寸だけ嬉しかったりする」
本当に一寸だけだけどとむくれながら――私の親友、橘香苗はソッポを向いたのだ。
その放課後、私は彼女に会いに行く。
彼女の学校の校門で鳥海愛奈に接触した私は、単刀直入に問い質した。
「で――貴女は一体どこまで知っていた訳、愛奈?」
「んん? どこまでとは、一体なんの事かな?」
短い茶色の髪をした、白いワンピースの少女が首を傾げる。
いや、私が彼女をジーと眺めると彼女は嬉々とした。
「ああ。もしかして椿さん、逮捕された? そっかー。何時かはやると思っていたけど、思いの外はやかったなー」
「………」
こういう時は最後まで惚けるのが普通なのに、愛奈は悪びれもせず微笑んだ。
「うん。私は全て知っていたよ。椿さんが崇子さんである事も、何れ葉花ちゃんを殺そうとしていた事も。でも、そうと知った上で私は彼女を放置する事にしたんだ。だって、よりにもよって彼女の標的は葉花ちゃんだったから。君なら必ずよりよい方向で事をおさめてくれると信じていたから、私の出る幕はないと思った」
「………」
満面の笑顔でそう言われてしまっては、私もぐうの音も出ない。
実際、愛奈は無慈悲な追い討ちをかける。
「それとも、私が関わって事態をグッチャングッチャンに掻き回した方が良かった? その場合、間違いなく崇子さんは私に殺されて、葉花ちゃんも巻き添えになったかも。そう言った未来がお望みだったのかな、葉花ちゃんは?」
「……成る程。やっぱり貴女は危険だわ。それこそ崇子さんに匹敵するか、それ以上に。何時か貴女とも、決着をつけないといけない日がくるかも」
私が冗談抜きで言い放つと、愛奈はクスリと笑う。
「私対葉花ちゃんか。あの彼と言うハンデがあれば、良い勝負になるかもしれないね。それとも、彼は葉花ちゃんの足を引っ張ると見るべきかな? あの彼は、偶に感情論で突っ走る所があるから」
「うるさいわね。彼はちゃんと――私の助けになってくれるわよ」
「あははは! そうなんだ? そうだね。そうかもしれない。じゃあそういう事で、二人ともどうかお幸せに」
話は終わったとばかりに、愛奈は転身する。
その背中に、私は最後の言葉を投げかけた。
「悪かったわね、愛奈。貴女がせっかくヒントをくれたのに、私はソレを生かす事ができなかった」
「それって、山根家の事件を話した事? そうだね。葉花ちゃんにしては迂闊だったと思う。でも、それでも、私はそういった人間らしさに溢れた君が、本当に羨ましい」
こちらを振り返る事なく、彼女もまた自分だけの道を突き進む。
私以上に脇目もふらず――鳥海愛奈は自分が信じる道を歩み続けるのだ。
そして、私は彼と合流した。
正確には彼が私を追って来て、今追いついたと言った所か。
「やっぱり鳥海に会っていたんだな、葉花は。で、あいつは何だって?」
「ええ。呆気なく、自分は全て知っていたと白状したわ。それでも、彼女を罪には問えないでしょうね。だって、あの時点で全てを知っていたなんて完全にただの妄想だもの。四賀鈴鹿同様、いずれ決着をつけなければいけないかもしれないけど、今は放置ね」
今も左腕を包帯で固めている私は、彼に話の大筋を説明する。
彼は一度だけ悩ましげな顔をした後、そうかと納得した。
それから、私達は今日も共に帰路につく。
あの日誓った様に、あの日も一緒に下校した様に。
彼がぼそりと呟いたのは、その時だ。
「今更だが、葉花って珍しい名前だよな? 少なくとも、俺は聞いたことが無い」
「ああ。それは、父が手抜きをしたのよ。男なら刃に花って書いて刃花ってつけるつもりだったらしいから。私の名前は、ただその字を少し変えただけね」
私が鼻で笑うと、彼は何故か目を細める。
「ま……俺としては葉花が女で大助かりだが」
「ん? 何か言った?」
「いや、何でもない。それより、状況が落ちついたら崇子さんに面会に行きたいんだけど、構わないか?」
「なんで私に訊くの? それとも、それってやっぱり崇子さんに未練があるって事?」
同じ男子に三回失恋している私は、少し意地悪な質問をする。これでイエスと答えられたら私は四度目の失恋をするというのに。
この自滅覚悟の問い掛けに対し、彼は苦笑いを浮かべた。
「いや、崇子さんには悪いけど、彼女に対する感情には決着をつけたつもりだ。これからは崇子さんに甘えず、初心にかえったつもりで、自分の道を歩んでいくつもりさ。取り敢えず葉花を支えるのが、俺の生きる為の目的と言った所かな」
「……そう」
彼の決意を聴き、思わず感激しそうになる私。
が、私が今後の展開に思いを馳せた時、彼は思わぬ事をぬかした。
「それにしても、崇子さんもとんだ大ボラをふいた物だよな。葉花が俺を好きだなんて、本当にありえないぜ。ま、ああでも言わなかったら俺は迷わず葉花の手助けをしたろうし。それを阻止する為にも、ああ言うしかなかったんだろうな、崇子さんは」
「……な、に?」
それは……本気で言っているのだろうか?
いや、彼の事だから本気で言っているんだろうな。
そうか。ここまで鈍感か、この男は。これは、本当に苦労しそうだ。
私の物語がハッピーエンドを迎えるのは――まだまだ先らしい。
「……と、それ以前に葉花は俺の事を鬱陶しく思っているんじゃ? 何せ俺は、葉花を一度裏切っているんだから。もし葉花がそう感じているなら……俺としてはなにも反論できないな」
その上、こんな見当違いな事を口にするのだ。
これは、一つ言ってやらなければなるまい。
「そうね。私もまさか、君に裏切られるとは思ってなかったわ。それはもう一生かかっても、この心の傷は癒せないかも」
「……そう、か」
そう暗い顔を浮かべる彼に、私は止めの一撃を加える。
「だからもし罪の意識を感じるなら、一生私を支える事で償いなさい――高階二雷」
「………」
ついで、彼は眼を広げながら、息を呑んだ。
「それは吝かじゃないが……何か聞き様によっては別の意図が込められている様な? いや……自意識過剰だな。そんな訳、ある筈が無いし」
一歩前進させようとする私に対し、彼はやはり一歩後退してしまう。このシーソーゲームが何時まで続かは、未来を見通せる私にもわからない。でも、わからないからこそ、私はこうまで二雷君に心を奪われるのだ。
その気持ちも新たにして、私は今日も沈みゆく夕日をこの目に焼き付ける。
今後どうやって人助けをするかは、まだ決めていない。
ただ、山根家の様な悲劇は二度と起こさない方向で話を進めなければならないだろう。私はやはり、命の選別というこの上ない悪を犯し続けるしかないのだ。
でも、それだって覚悟の上だ。誰かが私を断罪するソノ日まで、私は二瞳葉花を張り通す。例え椿さんに許されなくとも、私にはそう生きるほか道は残されていないから。私に助けられ幸せだと言ってくれた二雷君の為にも、私はこの生き方を変えられそうにない。
故に、私は〝その人〟を目撃した後――笑顔で二雷君に提案した。
「さて――じゃあ今日も事件が起こる前に事件を解決しようか」
そして、二瞳葉花と高階二雷の災難は、今日も続いていく―――。
未来と私とある日の災難・後編・了
ここまで読んでいただき、誠にありがとうございます。
本格的な推理物を書くのは初めてなのですが、思いの外間を持たせるのが難しい。お蔭で事件を三つも起こして、ページ数をかせぐ事になりました。
いえ、実は今書いている話も推理要素があるのですが、解決まで八十ページ以上かかっています。
もし葉花が探偵役なら、直ぐ事件は解決するんだろうなと妄想しながら、筆を進ませております。
で、次の発表予定の作品ですが、いよいよアレがアレする話になります。
猫博士が言っていた、例の地球のアレです。
例の白い人も一枚かんでいて、結構酷い事をしているのですが、その辺りもどうぞご期待ください。