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ヴェルパス・サーガ  作者: マカロニサラダ
10/20

〝ロイヤルウエディング〟・後編

 十五回にも及ぶ戦いに決着がつく、〝ロイヤルウエディング〟・後編です。

 ええ、十五戦ですよ、十五戦。

 何で十五回もヒロイン達を戦わせているんでしょうか、私は?

 さすがにこれを書き上げた頃は消耗が隠し切れず、しかし全力を出し切りました。

 皆様にも最後までお付き合いいただければ、幸いです。


     ◇


 その様を、やはり鬼気迫る表情で見送る、斑鳩と桜子。

「桜子さん――アナタは今のを回避出来て?」

「斑鳩さんこそ、彼女に――ジルア・キルドに勝てる気がしますか?」

 が、両者共に答えない。いや、その頃――彼女はある決意をしていた。

「は? ……私達は次の戦いに参加するな? それはどういう意味です、シスター・テイヘス?」

 シスター・マリオンが問うが、シスター・テイヘスは明確な答えを示さなかった。

「ごめんなさい、皆さん。ですが、紅斑鳩とは私一人で決着をつけたいのです。それだけの意味が、私にはあるから」

 そう告げてから歩を進め、彼女はその斑鳩に接触していた。

「んん? これはシスター・テイヘス。もしや私に棄権する様、すすめに来たとか?」

 桜子と別れた後、常の笑みを以て、斑鳩が問う。

 シスター・テイヘスも、微笑みながら切り出した。

「率直に訊きます。あなたは一体何者ですか――紅斑鳩?」

「………」

 それだけで、斑鳩は彼女が何を言いたいのかわかってしまう。

 故に、彼女は腹を抱え哄笑する。

「あはははははは! ははははははは! そう、そういう事! だとしたら、神様って本当に居るのかもしれないわね? まさか、こんな偶然がこの世にあるなんて!」

 この様な斑鳩はズーマも見た事が無いので、思わず一歩退く。

 シスター・テイヘスはやはり微笑しながら、続けた。

「答えになっていませんね、紅斑鳩。いえ、紅斑鳩以外の誰かさん。あなたは――私に成り代わって何がしたいのです?」

「……まさ、か?」

 そこまで聴いて、ズーマも漸く気づく。こんな運命が待っていたとは、思いもせず。

「まさか――本物の紅斑鳩っ? 生きていたのかっ?」

「らしいわね、どうも。それで、あなたこそ私をどうしたいのかしら? 私が偽者の斑鳩だと大会運営委員に訴えて、私を失格にする気?」

 けれど、シスター・テイヘスは首を横に振る。

「いえ、そんな事では私の気は収まりません。あなたには、その名を名乗った重さを、身を以て思い知ってもらいます」

 それで、話は終わった。シスター・テイヘスは踵を返し、この場から去る。

 その様を紅斑鳩は――喜悦しながら見送った。


 やがて、二回戦第三試合が開始される。シスター・ラール達が見守る中、シスター・テイヘスの艦隊は出港。斑鳩側も艦隊を出港させ――因縁浅からぬ両者は遂に対峙した。

「……よもや本物の紅斑鳩が生きていて、しかも〝ロイヤルウエディング〟に参加していたなんて。どうなさいます、斑鳩様? このままでは我等の計画が破綻する恐れが……」

「ん? 何を言っているの、ズーマは? 彼女はその唯一の機械を、放棄したのよ。私に勝つには私の正体を公にするしか無かったのに、その好機を彼女は逸した。なら、その時点で彼女の運命は決まっているわ」

 この有言を実行するべく、斑鳩は命じる。

「クイーンのみをこの場に残し、残る艦隊は全速前進。敵艦隊が射程圏内に入り次第、攻撃を開始して」

 それは余りに正攻法と言える戦術だった。旗艦と思しき船を後衛に置き、他の船はそれを守る様に前進する。いや、これは紛れもなくキーマ・エイ戦における、シスター・テイヘスの策と同一と言えた。

「そう。あなたは名や姿だけでなく、戦術さえも私から盗むつもりですか?」

 これを見て、シスター・テイヘスは初めて笑みを消す。この戦術をとる事で、斑鳩は自分を挑発しているとわかっている。しかしシスター・テイヘスは、敢えてその挑発にのった。

「ならば此方は全艦全速前進。ナイトのワープ圏内に孤立した艦が入り次第、ワープを決行。以後自爆し、後衛の敵艦を沈めて下さい」

「そうね。あなたはそう来るでしょうね、シスター・テイヘス」

 事実、ナイトがワープを発動させ、斑鳩のクイーンに迫る。が、彼女はここでも謳う。

「でも、あなたはわかっていない。なぜジルア・キルドが初めからナイトをクイーンにぶつけなかったか。それはナイトの自爆力をもってさえ、クイーンの防御を突破できないからよ」

 現に、斑鳩のクイーンのバリヤーはシスター・テイヘスのナイトの自爆を凌ぎ切る。

 それを見て、彼女は更に怒気を強めた。

「ならば――これならどう?」

 シスター・テイヘスは一隻目のナイトを自爆させた後二隻目のナイトもワープさせる。それさえ自爆させ、斑鳩のクイーンを撃沈させようとする。けれど、結果はこうだった。

「いえ、同じ個所を連続攻撃しても無駄。ワープ後のナイトの自爆力でクイーンを沈めたいなら、ジルアの様に虚を衝くしかない。よって、あなたはこれで無駄に二隻もの船を失った。これが私憤に駆られ、冷静さを欠いたあなたの誤算。ズーマ。良いから旗艦以外の全艦を、全速前進。向こうが防御陣形を敷く前に、敵艦に特攻をかけ、自爆させて。私の計算では、敵軍は大破したクイーンだけが残る筈だから」

 確かにナイトを二隻失ったシスター・テイヘス軍に比べ、斑鳩軍は未だ全艦無傷である。ならば、その破壊力はシスター・テイヘス軍を上回るに違いない。ナイト二隻を無意味に失った時点でシスター・テイヘスもその事に気付き、ただ眼を開く。

「……まさか、彼女は私と対峙した時点で、全てを見通していた? 私が何をして、どうするか、看破し切っていたと――?」

 斑鳩軍の猛攻が始まる中、シスター・テイヘスは自分と彼女の器の違いを思い知る。

 こうも容易く自分を打ち破ろうとしている斑鳩に対し、歯ぎしりした。

「……紅、斑鳩。この名は私よりあなたの方が、よほど相応しいとでも言うの……?」

 ついで彼女の意識も、過去へと逆行する。彼女の半生は正に壮絶だ。十年前借金に追われ、両親と共に夜逃げ同然で故郷を去った。

 その後、斑鳩の様に他人の戸籍を買い取り、顔を整形までして嘗ての自分を捨てた。だが、その代償は余りに高すぎる物だ。

 その料金の全ては彼女達一家が傭兵となる事で、支払う事になっていたから。傭兵となり、その給金の一部が他人に成り代わる代償だった。

 その為、彼女の両親と齢八歳の彼女は戦地に送られた。その後、借金から逃げる為に全てを失った少女は、ただ闇雲に人を殺し続ける事になる。

 しかし後一年傭兵に身を窶すだけで自由になれると言う所で彼女は両親の訃報を知る。彼女はこの時、唯一の心の支えを失ったのだ。八歳から人を殺す事を強要された少女は、そこで唯一の道標を失う。

 また一家で笑いながら生活する日をユメ見ていた彼女は――この日、全てを失った。

〝でも、私には、それを悲しむ資格さえ、もう無い〟

 それ程までに、自分は見知らぬ他人を殺しすぎた。

 なら彼女に出来る事は一つだけ。解放された後、同じ境遇の女性を集め、皆で洗礼を受け、自分達が殺してきた人々を弔う。シスターとなって神にその身を捧げせめてもの贖いとする。

 それ以外に、彼女に残された道は無かった。

「そう。〝紅斑鳩〟には、私が捨てたその名には――それだけの意味がある。なのにあなたはこの名以上の何かを成そうと言うの……?」

 彼女はそう問うが、当然、答えは無い。大破した自軍の旗艦に斑鳩の旗艦であるクイーンが迫る中、彼女は漸く一つの答えを得る。

「……そっか。なら、その貴女が〝紅斑鳩〟を名乗るなら、それも良いかもしれない。いえ、これで私も漸く、自由になれる。……ああ、やっとまた会えるね――母さん父さん。そしてシスター・ラール、どうか皆の事を頼みます」

 サイゴに心からそう祈り、シスター・テイヘスの旗艦はこの世界から焼却された――。


     ◇


「シスター・テイヘスさえ相手になりませんか。ほとほとあなたも化物ですね、紅斑鳩」

 三回戦が決着した頃、桜子がそう呟く。

 加えてそれは――〝ロイヤルウエディング〟のベストフォーが決まった事を意味した。

「そうね。ジルア・キルドにアプソリュウ・ソウド、桜子さんに私。結局残るべき人間が残ったという所かしら?」

 一度だけシスター・テイヘスに対し心から敬礼した後、斑鳩は嘯く。

 だがその時――一人の女性が、バーグ皇子が観戦する宇宙コロニーに姿を見せる。

 それは紛れもなく――スカーラ・アイヤという名の教師だ。

「ほう? 今頃何用か、スカーラ・アイヤ? 君の棄権は、既に決定しているが?」

 バーグが無表情で問う。対して、息を切らせながらスカーラ・アイヤは近くにあったマイクを手に取り、こう訴える。

「……はい。確かに私は〝ロイヤルウエディング〟から逃げ出した、卑怯者です。自分の命惜しさに、私は何もかも捨てようとしました。でも、その度にヒルさんの顔が脳裏を過ぎって。その時、やっと気付いたんです。ヒルさんの命を奪った以上、私はこの大会に挑む義務があると。そうすることだけが唯一ヒルさんに酬いる事だってわかったんです。だからお願いです、バーグ皇子。私にもう一度だけチャンスを下さい! 私は、こんな終わり方なんてしたくない……!」

 が、バーグは首を横に振る。

「残念だが、それを決めるのは俺じゃねえな。ソウド選手、全ては君しだいだ。君が彼女の復帰を認めるなら俺に異論はねえが、どうする?」

 アプソリュウの返答は、決まっていた。

「答えるまでもない。正直、今の今まであなたの事は蔑視していたが、先の訴えを聴いて気が変わった。あなたはぜひ私の手で討ち取りたいと思うが、それでもよろしいかスカーラ・アイヤ殿?」

 スカーラは一度だけ呼吸を乱した後、それでも明確に答える。

「はい――ヒルさんに成り代わり、私は必ずあなたを倒し、次に進みます」

 其処に居るのは、嘗てのスカーラ・アイヤでは無い。イクセント・ヒルの魂を引き継いだ、ナニカである。

 こうして話は決まり――急遽二回戦第四試合は幕を開けたのだ。


「そうだ。決して彼女を見くびるな。あれは覚悟を決めた女の目だ」

 敏感に部下達の気質が弛緩したのを読み取り、アプソリュウは檄を飛ばす。この威厳に満ちた声を聴き、彼女の部下達は息を呑んだ後、気を引き締める。その上で副官である女性、ヘイル・エイナ少将は、艦長であるアプソリュウに問う。

「では、どうなさいますか、閣下? どのような戦略を以て、彼女を叩くおつもりで?」

「そうだな。私が彼女ならここまで来て小細工はしまい。寧ろ特攻紛いの消耗戦に引き込み、どさくさまぎれに勝利をもぎ取るだろう。ならば、我等も彼女に倣うべし。我等はこれより正面よりスカーラ・アイヤを迎え撃つ!」

 事実、スカーラはそのように動く。クイーンを旗艦とし、これを後衛に置いて、ポーンを前衛にし、突撃を開始。この大会始まって以来の、真っ当過ぎる艦隊戦が火蓋を切る。

「敵艦隊、ポーンを前衛に置き、△陣形で突撃してきます。……信じられない。これがあのイクセント・ヒルと戦った人と同一人物の動き?」

「結構。ならば、此方も予定通り迎え撃つのみ。旗艦を後衛に置き、△陣形を以て突撃! 小賢しき紅斑鳩や高峰桜子、ジルア・キルドに真のもののふの戦い方を見せつけよ!」

 よって両軍は、正面から激突。それは正に戦闘指揮能力の正確さと速さを競う戦いだった。

 ならば、教師であるスカーラよりアプソリュウに一日の長があるのは必然と言える。

「自軍のポーン、五隻、大破。敵軍、無傷で尚も攻勢を続けてきます」

 AIロボからの報告を聴き、スカーラは息を止める。天才とも言える彼女でさえ、アプソリュウの指揮能力には及ばない。そう感じた時、彼女は項垂れる。だが、彼女は直ぐに顔を上げ彼方に向かって吼えた。

「いえ、違う。私は――まだやれる。ヒルさんなら、こんな所で絶対に諦めたりしない」

 それが事実か否かは、関係ない。スカーラにとっては、それだけが唯一無二の真実だった。

「ナイトを敵軍のクイーンに向け、ワープ! これが私の最後の策です、ソウドさん!」

「何? 彼女は斑鳩対シスター・テイヘス戦を見ていなかった? その手は効かない事を彼女は知らないと?」

 訝しむアプソリュウだったが、直ぐに当たり前の事に気付く。現に、それは起きた。

「敵ナイト二隻が自軍のクイーンの左右にワープ! 二隻同時に自爆するつもりです!」

「やはり、そう来るか!」

 確かにこれは有効な手と言えた。何故なら一隻の船がバリヤーを張れるのは一方のみ。仮に右方のナイトをバリヤーで防ごうとも、左方のナイトはバリヤーでは防げない。ならば、どうする? いや、アプソリュウは必然とも言える命令を下す。

「右方の敵ナイトはバリヤーで防御! 左方の敵ナイトは我が方のナイトをワープさせ、体当たりを食らわせてやれ! そのまま我がクイーンは全速前進して回避!」

 恐らく、それは斑鳩もとっていたであろう防御法。そしてスカーラの猛攻をしのぎ切ったアプソリュウは、彼女の艦隊を駆逐しながら旗艦に迫る。スカーラの旗艦に集中砲火を浴びせ、それを前にスカーラは震え、涙し、それでも微笑む。

 思えば、彼女の人生はわき役を演じる事に徹していた。他人より輝く事を知らず、今まで生きていた。人生には必ず主役になる日があるというが、彼女には余りに縁遠い話だ。

 でも、違った。こんな自分でも、輝ける瞬間があった。誰よりも光り輝ける瞬間が、確かにあったのだ。その実感が彼女を一度だけ涙させ、それから彼女に結論させる。

「……ああ、やっぱり、駄目、か。でも、ヒルさん、皆、私、頑張ったよね……?」 

 サイゴに己が教え子達とイクセント・ヒルの姿を思い浮かべながら彼女は大きく息を吐く。やがてアプソリュウ艦隊の砲撃は、スカーラの旗艦を貫き、ここに勝敗は決した。

 アプソリュウはこの時、総員にこう命じる。

「全員起立。スカーラ・アイヤ氏に対し――敬礼」

 それが彼女にとって何の慰めになったかは、わからない。

 だが、これがアプソリュウのスカーラに対する、最大の敬意の表現だった―――。


     6


「で、今度こそベストフォーが決まった訳ですが、今度こそお兄様の予想をお聞きしたいものです」

 ユーデル・エグゼツアが、兄に問う。彼は面倒くさそうにしながらも、口を開いた。

「そうだな。差し詰め、豪のアプソリュウ、変のジルア、奇の高峰、柔の斑鳩と言った所か。アプソリュウは真っ当な艦隊戦に秀でていて、ジルアは敵に合わせその戦略を千変させる。高峰は常に奇をてらい、斑鳩は優れていると思えば敵の戦術をも取り入れる柔軟さがある。戦略はその立案者の本質が浮き彫りになり、戦術は得手不得手が色濃く提示される。が、今の所この四者には弱点らしい弱点は見当たらねえ。わかっているのはその本質のみで、各々がそれをどう読み解くかが勝敗の鍵だろう」

「要するに、誰が勝つかはまるでわからないという事ですね? 全くお兄様は一々格好をつけるのだから。わからないならわからないと、ハッキリ仰れば良いのに」

「ほざけ、バカ妹が。仮にそうだとしても、一つだけわかり切った事があると俺は言っているんだよ」

 この意図不明な宣言に、ユーデルは眉をひそめる。

「はぁ。それは何です?」

 が、バーグは喜々としながら笑い、こう告げるのみ。

「それも多分、直ぐにわかる。今はこうして、あの四人の宴を楽しもうじゃねえか」

 そして――いよいよ〝ロイヤルウエディング〟の準決勝が始まる。


     ◇


 十六名いた花嫁候補の内、既に十一名が戦死した。それだけ陰惨な場にあって尚、紅斑鳩は微笑み、アプソリュウは高揚する。ジルアは依然意が掴めぬ表情を見せ、桜子はただ目を細めた。

「皆様、準決勝進出おめでとうございます。では早速、準決勝の対戦相手を決めるクジをお引きください。まず、ソウド選手からどうぞ」

 こうしてクジは始まり、結果、こうなる。

 準決勝。

 第一試合――紅斑鳩対アプソリュウ・ソウド。

 第二試合――ジルア・キルド対高峰桜子。

 この結果を受け、桜子はシルフィーにぼやく。

「……ジルア・キルド選手ですか。ぶっちゃけ絶対戦いたくない相手ですが、ここまでくれば同じ事ですね。何せ、私はもう、どの選手とも戦いたくないので」

 ルック砲術長達には内緒ですよと囁きながら、それでも桜子は微笑む。

 これを聴き、シルフィー・フェネッチは真顔で応対した。

「私も同感ね。勝てる気がまるでしないもの。でも君は違うのでしょう、高峰桜子?」

 ついで彼女は謳う。

「そうですね。リーゼ・クーデルカは確かに敗北しましたが――高峰桜子は未だ無敗のまま。なら私は、その本分を貫き通すのみです」

 それが何を意味しているかは――未だ謎だった。


     ◇


 かくして準決勝第一試合が始まる。そんな中、アプソリュウは初めて紅斑鳩に声をかけた。

「一応訊いておこう。何か言い残したい事はある?」

「んん? それは死に行く人が告げるべき言葉ね? でもそれは全く的外れな質問だわ。だって私はどう足掻いても死にようが無いもの」

 この返答を受け、アプソリュウは喜悦する。

「私相手に死を微塵も覚悟せぬか。そんな輩はジルア・キルド位だと思っていたが、私の認識もまだ甘いな。私としてはその自信が偽りでない事を、ただ祈るのみだ。ああ、そうだ。精々私を興じさせよ、紅斑鳩。そなたでは到底、スカーラ・アイヤ氏には及ばぬであろうが」

 それだけ告げ、アプソリュウは踵を返す。その後ろ姿に、斑鳩は呟く。

「いえ、でも私に対し踵を返して背中を見せた人達は、みな敗戦していったわ。あなたは一体どうなのかしらね――アプソリュウ・ソウド?」

 囁く様に発せられたその言葉は、だからアプソリュウの耳には届かない。

 両者はそのままわかれ――各々の艦隊に足を運んだ。


「ではいくさの時間だ。尤も、今回はアイヤ氏との戦いほど楽しめまい。今度の敵は彼女と違い奸計を得意とする輩。よって不本意ながら、此方も策を以てあたらねばならぬだろう」

「はい。では、どうなさいますか、閣下?」

 ヘイル・エイナ少将が問う。

 アプソリュウは薄紅色をした長髪をなびかせながら、答える。

「巷では私はどうやら猪武者で通っているらしいが、それがどれほどの思い違いか知らしめよう。ここはヒリカ・ヒーヤと同じ手で行くぞ、少将」

「……畏れながら、本気でありますか? あの戦術は既に高峰桜子によって、破られていると思われますが?」

「ああ。同時にその弱点が浮き彫りになった事で、対処法も見つかった。故に、ここは長期戦を覚悟しよう。果たしてどのような心持で我が方にあたる――紅斑鳩?」

「……って、あのアプソリュウが守りを固めて動かない? ……私もまだまだだわ。これは流石に予想外」

 両者共に軍を出港させた後、陣形を整えたアプソリュウ艦隊を見て今度は斑鳩がぼやく。

 だというのに、ズーマは普通に対応した。

「あの、前から不思議に思っていたのですが、なぜ、多くの者があの陣形にこだわるのでしょう? 斯様な単純な防御陣形など、艦隊を差し向け自爆させれば簡単に切り崩せると思うのですが?」

 と、斑鳩は嘆息混じりに頬杖をつく。

「いえ。それではナイトを自爆させクイーンを落そうとした、シスター・テイヘスと同じなのよ。シールドを連結できる防御陣形は攻撃陣系に比べ、文字通りその守りは鉄壁だから。例え全ての艦隊を自爆させ、攻撃しようとも、相手のルーク、クイーンは必ず無傷で残る。此方のクイーンを自爆でもさせない限りは。そう言い切れる程に、かの二隻は防御に特化している。なら、手駒を失い旗艦だけとなった此方はどうなると思う?」

「……成る程。確かにそれは、私の浅慮でした」

 加えて、斑鳩はこう指摘する。

「その上、アプソリュウには比類ない突撃力がある。並みの相手なら五分も制限時間が残されていれば、彼女は駆逐してみせるでしょうね。一見する限り単純な手だけど、アプソリュウ・ソウドが使うとこうも難攻不落になる。これは最早一つの要塞を落しにかかるのと、同意語と言って良いわ」

 が、要塞を一時間で陥落させたと言う話を、ズーマは聞いた事が無い。

「……さて、どう攻める、紅斑鳩? 桜子さんと同じ手は当然使えない。自爆案も却下。正攻法で攻めれば、返り討ちは必須。唯一の救いは艦隊が密集している防御陣形は、だから移動が困難な所。ならここは制限時間ギリギリまで待って、アプソリュウが動くのを待つ? 突撃力で勝るかもしれない彼女に背水の陣を敷かせ、そんなアプソリュウを相手にしろと? ……全く笑えない冗談だわ」

 あのニコ・ハンセン、シスター・テイヘスを一蹴した紅斑鳩が、初めて思い悩む。

 そんな彼女を、ズーマは見た事が無い。

「……どうやらジルア・キルドに匹敵する実力者という噂は、事実の様ね。このまま時間が過ぎれば、ただただ此方が焦燥するばかりだわ。その心の隙をつくのが敵の狙い。アプソリュウは……制限時間が短くなるほど此方が不利になるのを熟知している」

 然り。前述の通り、恐らく突撃力ではアプソリュウが勝る。仮に同時に全艦隊を突撃し合っても、その場合、勝利するのはアプソリュウだろう。そう確信するが故に、アプソリュウは持久戦に持ち込んでいる。

 そう看破する斑鳩は、だから眉根を寄せ――それからあろう事か微笑んだ。

「とまあ、普通は思うでしょうね。でもアプソリュウ・ソウド――あなたは相手が悪すぎた」

 そこで彼女は、誰かが告げた言葉と類する事を発する。

「ええ。確かにリーゼ・クーデルカは敗北した。けど――紅斑鳩は未だ無敗のままなのよ」

 よって彼女はこう命じた。

「陣形から見て、敵の旗艦は後衛にあるクイーン。よって、我が方は全艦隊全速前進。ナイトのワープ圏内に入り次第、敵クイーンに対しワープを慣行。そのままナイトを自爆させて」

「はっ? そ、それではシスター・テイヘスと、同じ轍を踏む事になるのではッ?」

「大丈夫。私を信じなさい――ズーマ・ルーン」

 この不敵な笑みを前に、彼はただ頷くしかない。

「は、はい!」

「結構。では――大掃除の時間といきましょうか」

「ほう? 残り時間五十分も残し自滅覚悟で攻め込む道を選んだか。ならば是非もない。此方は尚も防御陣形を敷きつつこれを迎撃する。みな敵軍を全滅させる意気込みでこれにあたれ」

 アプソリュウの命に、部下達は恭しく応じる。

 その時――斑鳩のナイトが、アプソリュウのクイーンの目前までワープしてくる。そのまま斑鳩のナイトは、手筈通り自爆する。

「だが、それが何だと言うのか? その手が通用しないのは、そなたが一番よく知っている筈だろう、紅斑鳩?」

 当然の様にその一撃をバリヤーで防御するアプソリュウ軍のクイーン。

 が、彼女は謳う。

「でも、爆破の閃光でそちらの目は一瞬くらむ。爆破の衝撃で、一瞬艦影レーダーも狂いが生じる。つまりこの間――あなた達は此方の動きがつかめないと言う事!」

 事実、その光景を見たアプソリュウは、我が目を疑う。

「斑鳩艦隊が……消えた? これはいかな魔術、いや、違う! 敵は上だ! 全艦、上方に向けバリヤーを張れ!」

 けれど、斑鳩はやはり微笑む。

「いえ、悪いけど――その判断は誤りね」

 何故なら――斑鳩艦隊は上下に艦隊を分けたから。アプソリュウの目をくらました隙に斑鳩艦隊は敵上方と敵下方にも艦を分ける。そのまま船を縦に連ならせ、アプソリュウ艦隊目がけて総攻撃を浴びせる。上方にバリヤーを張り巡らせたアプソリュウ艦隊は、当然下方の攻撃には対応できない。

 この時点で艦隊の五十パーセントを失ったアプソリュウ軍は――思わず愕然とした。

「……あの一瞬で、艦隊を上下に分けてみせた? その様な用兵、ただの会社役員に出来る筈も無い。そなたは一体何者だ――紅斑鳩っ?」

 そう。斑鳩の用兵は常軌を逸していた。彼女はエンジンが爆発する寸前までエネルギーを注ぎ、この超速移動を可能としたから。だが、それは長年にわたる経験なくしては成し得ない、超絶的な技術と言って良い。

 それをただの会社役員が熟したと言うのだ。ならばアプソリュウとしては驚愕する他ない。しかしアプソリュウは直ぐに我に返り、指揮を執り続ける。

「残存勢力の二割を下方の敵に当らせよ! 防御に集中させ、足止めさせて、その間に残りの艦隊で上方の敵軍を沈める!」

 それはほぼ、特攻と言って良い命令だった。

 アプソリュウ・ソウドは勝利を諦めないが、同時に命を落とす覚悟も決める。

「ええ。この時点であなたは、手負いのケモノと化した。なら、真面に相手をするのは下策という物でしょ?」

「つッ? 下方の敵艦隊、ポーン四隻が自爆! 防御に当らせている我が軍のポーンを全滅させ、そのまま挟撃してきます!」

 アプソリュウ側のオペレーターが、絶叫を上げる。ならば、今度こそ詰みだ。下方の防御を突破された時点でアプソリュウ軍は上下に挟まれ、挟撃される他ない。その事を理解したアプソリュウは、大きく息を吐いた。

 彼女の、ユメ。それは、彼女自身から生じた物では無い。それは、ある種の呪いだった。度が過ぎる程に野心家だった父が、今際の際で彼女達姉妹に言い残したのだ。必ずソウド王国を銀河の覇者にする様にと。

 だが、所詮今は死者となった者の言葉だ。それを無視する事は、容易かっただろう。けれど彼女もユメ見てしまったのだ。妹が――セフィナ・ソウドが銀河の頂点に立つその姿を。

〝そうだ。所詮、私は血を流す事しか知らない女。覇道を進める事は出来ても、王道には進めない。それは私に似ず徳を以て民衆を纏められるセフィナだけが出来る事。私はその為なら、喜んで捨て石になろう〟

 今まで誰にも明かした事は無かったが、それが彼女の真実だった。妹は確かに自分を敬愛してくれたが、それ以上に妹を敬愛していたのはアプソリュウその人。何時だって彼女は、セフィナ・ソウドを憧憬してきた。

「そのお前を巻き込まなかった事だけが、唯一の救いか。いや、違うな」

 そうして、彼女は立ち上がり、未だに呆然とする部下達に向け敬礼する。

「すまなかった、皆。私は諸君らを犬死させた大罪人だ。だが、これだけは言わせて欲しい。諸君と共に戦えた事を――私は心から誇りに思う」

「……か、閣下。お止め下さい。これは全て……副官である私の責任です。閣下が責めを負う道理などありえません……」

 ヘイル・エイナ少将が項垂れながら、呟く。彼女は、敬礼したまま続けた。

「ありがとう、エイナ少将。でも、そんな顔をしないでもらいたい。私はせめて笑って逝きたいと思う。どうだろう。私としては上手く笑えているつもりなのだが、ちゃんと笑えているかな?」

 まるで童女の様に、無邪気に微笑む。それを見て、彼女の部下達も無理やり笑った。

「はい、閣下。閣下のその様な笑顔を初めて拝見できて、嬉しく思います」

「そうか。なら良かった。……ああ、そうだな。できればセフィナの奴にも、この笑顔を見せつけてやりたかった」

 それで、終わった。斑鳩艦隊の集中砲火が、遂に彼女の旗艦に届く。

 その瞬間、アプソリュウ・ソウドとそのクルーは、深い闇へと消えていった―――。


     ◇


 アプソリュウ艦隊が、消滅する。その様を見て、ズーマは率直な感想を漏らす。

「……ほ、本当に勝ったのですね、我々は? あのアプソリュウ・ソウドに――!」

 斑鳩も、些か脱力した様子で答えた。

「ええ。正直言えば、彼女に勝てて一番驚いているのは私だと思う。そう。私が勝てたのは、彼女が私の正体を見抜けなかったから。もし私が誰であるか知っていたなら、彼女も別の戦術をとっていただろうから」

 が、その意見を補足する様に――ジルア・キルドは指摘する。

「……そうね。……アプソリュウのミスは、敵に考える時間を与えすぎた事。……防御陣形をとる限り、敵はその分考える時間を山の様に得られるから。……それがアプソリュウの敗因であり、防御陣形最大の弱点。……つまり斑鳩さんクラスの相手に、防御陣形は意味をなさないという事。……それは即ちあなたに対しても防御だけでは勝利を収められないという事だわ。……そうでしょう、高峰桜子さん?」

 隣でテレビモニターに視線を送る少女に、彼女は問う。

 桜子は何とも言えない笑みを浮かべながら、反論した。

「それはお互い様だと思いますが、ジルア・キルドさん?」

 が、ジルアは心底より微笑む。

「……あら。……あなたも私を買いかぶってくれるのね? ……私なんてただの、歴史に名を残す程の敗軍の将だというのに」

 けれど、桜子の考えは違っていた。それだけ不名誉な汚点を背負いながら、尚変わらない精神性こそが彼女の強さだ。

 実際、ジルア・キルドは何も変わっていない。復讐の念に駆られる事も無く、また失地を挽回する意欲さえ欠如している。全てをあるがままに受け止める彼女は、既に虚無とも言える人格を有していると言えた。ヒリカやシスター・テイヘスが持っていた、心の闇をも受け付けない女性。桜子からすれば――彼女こそ真正の化物である。

「でも、そうですね。一つだけお聞きしたい事が。あなたはなぜ第五次クーデルカ戦役の際、降伏したのです? あのまま戦い続ければ、或いはリーゼ・クーデルカと刺し違える事も出来たのに」

「……と、そうだったわね。……私、その件に関しては降伏後も黙秘を続け、リーゼにも話してはいなかったんだわ」

 キョトンとした顔で、ジルアは述懐する。彼女の答えは、実に単純だった。

「……別に大した理由ではないわ。……ただ、アレだけの名将を刺し違えて殺すなんてつまらない真似をしたくなかっただけ。……いえ、リーゼは生かしていた方が、後々エグゼツアの為になると私は感じていた。……実際、バーグはリーゼとの婚姻を望み、そうなりかけたでしょう?」

「……は? じゃああなたは、自分の名誉より起こるかどうかもわからない婚姻話を進めるため敗北した? その為に、全てを捨てたと言うの?」

 が、ジルアの返答は率直な物ではなかった。

「……なのにそのバーグは何故かリーゼを裏切った。……私の唯一の疑問はソコね。……でもその答えを、私はもう少しで得られるかもしれない。……その為には、私はあなたに勝たなければいけないのかもしれないのだけど、それでも構わなくて、高峰桜子さん?」

「……いえ、あなたと違って、そこではいと言える程、私は大人ではないんですよ」

 最後に皮肉めいた事を口にして――桜子はジルアに背を向けた。


 それから間もなくして、準決勝第二試合は始まろうとしていた。

 旗艦を選び、艦長席に座した桜子は嘆息混じりに呟く。

「……成る程。一つわかった事があるわ。あのジルア・キルドという人は、自分の人生に全く関心がない。寧ろ他人の願望を実現するため存在する、演者といった所ね」

「他人の願望を実現する演者、ですか、艦長?」

 シルフィーが副官として訊ねると、桜子は初めて渋い顔をする。

「ええ。彼女はその為、常に何かしらの役を演じている。時にエグゼツアの英雄。時にエグゼツアを更に隆盛させる為の捨て石。時にエグゼツアの暗部を探る為の探偵。でも、そうまでして誰かを演じ続け様とも、彼女自身が何かを得る事はほぼ無い。いえ、仮に何かを得たとしても、彼女はそれに対し何の意味も見出さないでしょうね。何故なら彼女は、自分の人生に全く関心が無いから」

「はい? もしかして、艦長はそれが面白くない?」

「いえ、そこは〝気に食わない〟の誤りよ、副長。加えて更に勝てる気がしなくなったけど、私はそれでも彼女に勝たないといけないと思う。自分の為にもジルアの為にも、私は彼女に勝つ。もう、彼女にだけ重荷を背負わせる訳にはいかないから」

「は、い?」

 最後によくわからない事を呟き――桜子は艦隊を出港させた。


 同時にジルア艦隊も出港する。リーゼ・クーデルカを追い詰めながら最後は敗北した元大将と、リーゼの意思を継ぐ少女。その両者が――いま激突しようとしていた。

「……では、まずこの艦隊が出来る事を整理しておきましょうか。……防御字形に自爆攻撃。それからナイトによるワープ。……防御力に特化したルーク、クイーンの突撃力に、紅斑鳩さんが見せた超速移動。……でも、そうね。これは恐らく一度しか使えない筈。……二度行えば間違いなくエンジンが耐えきれず破壊されてしまうから。……それは〝=使い手の危機〟と言って良い。……それらを踏まえて、私達は桜子さんを打破しなければならない。……と言う訳で、ここはアプソリュウに倣い持久戦と行きましょうか。……全艦出力百パーセントを維持しつつ、レッドラインに沿って移動。……そのまま、桜子艦隊が接触してくるのを待つ」

「了解しました。ですが……それに一体何の意味が?」

 唯一の人間のクルーである、ツエルド・サーラ元少佐が問う。けれど、ジルアは答えない。ただ表情を消し、彼女はその時を待った。

「ほう? レッドラインに沿って移動している? あれではリスクが増すばかりで、得られる物は稀有な筈。それともスカーラ・アイヤの様に私達を誘い出し、レッドラインに押し出すのが目的?」

 未だ全軍を停止させたまま、桜子が疑問を投げかける。彼女は暫く思案した後こう命じた。

「ならば、此方は正攻法で挑むのみ。敵艦隊には近づかず、遠方より砲撃を加え、敵軍をレッドラインから押し出す。それが上策だと思われるが、何か意見はあるか、副長?」

「いえ、私としては何とも。ただ、その策を用いても此方が致命傷を受ける事は、無い様に思います」

「結構。ならば、全速前進。敵艦隊から五千キロは離れ、その距離を維持しつつ砲撃を開始。総員、決して油断せぬ様」

「了解!」

 桜子の命を忠実にこなすべく、航海長レーゼ・イクワが舵をとる。瞬く間に指示した位置へと到達した桜子艦隊は、そのままジルア艦隊目がけて砲撃を開始。これを受け、ジルア艦隊も反撃を始める。このやり取りは十分程に及び、それでも桜子軍はジルア軍をレッドラインの先に押し出せない。

「この位置からではいくら攻撃しても、無駄? ただ時間を浪費するだけで得る物は無い?」

 桜子はそう判断し、或いはそれもジルアの計算通りではと感じる。それでも制限時間という枷がある以上、彼女は更に前進してジルア艦隊を攻撃する他ない。

 そして、桜子の読みは当たっていた。ジルア艦隊は徐々に桜子艦隊に近づき、その事に桜子が気付いた時には手遅れだった。

「つッ! 閃光弾! 紅斑鳩と同じ様に此方の目をくらませるのが彼女の目的かっ?」

 その反面、艦影レーダーは生きている。その情報によれば、ジルア艦隊は二つにわかれようとしていた。桜子艦隊の下方に回り込んだジルア艦隊の一部は、縦に連なりそのまま総攻撃を開始する。

桜子は標的となった自軍の艦隊の下方部にシールドを張るが、ジルア艦隊は意に介さない。ジルア艦隊はそのまま桜子艦隊の背後に回り込み、この時点で桜子艦隊は挟撃される。前方の本体と後方の別部隊に挟まれた上、ジルア艦隊はそのまま旋回を始めた。

「な、に?」

 いや、桜子はこの時、漸く気付く。その――ジルア・キルドの脅威に。

「――不味い! 総員、攻撃を中止! 今より我が方は防御にのみ専心する!」

 事実、ソレは起きた。桜子艦隊を中心に周回を始めたジルア軍は、事もなく桜子軍の側面をつく。シールドを張っていない右方に砲撃を加え、桜子艦隊にダメージを負わせようとする。

 これは成功に至り、桜子側のオペレーターは絶叫した。

「――第一ビショップに被弾! 同艦中破! 敵艦はそのまま我が軍を中心に旋回しながら、砲撃を続けてきます!」

「……やられたな。恐ろしいのは、こちらが危機感を覚える前に戦術を展開できるジルアの洗練された用兵だ。ならば、是非も無い。此方は防御陣形をとるのみ。敵の動きに合わせシールドの位置を調整。今は防御にのみ集中し、何としても時間を稼ぐ!」

「……そうね。……あなたはそうするしかない、桜子さん」

 やはり表情を消しながら、ジルアは呟く。周回を繰り返し、桜子軍に総攻撃を加え続ける。

 一方、桜子は今初めて息を呑んだ。

「……不味いな。前後を敵に挟まれ、周回されながら攻撃を受けるか。敵の攻撃に合わせて素早くシールドの位置を変えなければ、致命傷を受けかねない。図らずもアプソリュウと同じ立場に追いやられたな。我が方はこれで籠城する他なく、敵はその間、此方にダメージを負わせながら策を練れる。この悪循環から脱する以外に、此方が勝利する道は無い……か」

 そう呟きながらも、桜子は改めて痛感する。ジルア・キルドという人物の強さを。その底が知れぬ戦術に、桜子は初めて戦慄した。

(……リーゼ・クーデルカ。本当に貴女は、よくこんな怪物を打破出来たわね……?)

 このままではジルア艦隊から攻撃を受け続け、此方が不利になるばかりだ。

 現に、桜子側のオペレーターは尚も自軍の危機を訴える。

「シールド間に合いません! 第三ポーンに被弾! 同艦小破! 第二ポーンにも被弾し同艦大破!」

「どうしますか、艦長? このままでは、確実に刻み殺されますが?」

 シルフィーはそう問うが、桜子はまだ何とか冷静だった。

「いや、それは無い。此方が防御に徹する限り、向こうも致命傷は負わせられない筈。……つまり、そう、つまりその不都合を払拭させるだけの策が向こうにはある?」

 桜子がそう思い至った時――遂に桜子側の旗艦であるクイーンのシールドに、ジルア軍の砲撃が命中する。その衝撃に揺られながら、彼女は必死に思いを巡らせる。

(……考えろ、桜子。ジルア・キルドの立場になって。私が彼女なら、どうやって此方に止めを刺す? 何をどうすれば、勝負の決め手になると言うの……?)

「……と、桜子さんは今、必死にそう考えているでしょうね。……よって、此方としては彼女がその真相に至る前に決着をつける。……楽しかったわ、桜子さん。……まるであのリーゼ・クーデルカと戯れた時の様に」

 尚も桜子軍を中心に旋回を繰り返すジルアが、初めて微笑む。

 これを見て、紅斑鳩は囁く様に告げた。

「これは、もう駄目かしら? でも、桜子さん。私なら、リーゼ・クーデルカなら――ここまで追い込まれ様ともきっと勝機を見出すわ」

「そう、だ。私には義務がある。私には私の為に集まり、私の為に戦い、私の為に命を懸けてくれるクルーを、勝利させる義務が。果たしてあなたの戦いに、それだけの意味があって、ジルア・キルド――?」

 が、そんな精神論で戦況を覆せる筈も無く、いま正にジルアの止めの一撃が放たれる。ジルア・キルドは、自軍の本隊がレッドラインの射線上に位置した時、動きを見せた。

 彼女は紅斑鳩がしてみせた様にエンジンに臨界までエネルギーを注ぎ――更に加速。艦隊その物を弾丸とし、桜子艦隊を粉砕するため前後から突撃する。

「……ええ、これで終わりね――高峰桜子さん」

 事実――その巨大すぎる弾丸は桜子軍を吹き飛ばすに足る一撃だ。

 それを見て桜子はもう一度息を呑み――それから彼女は命じた。

「こちらもエンジンに臨界までエネルギーを集中! 前方のジルア艦隊に突撃し、応戦する! 後方はシールドを集中して防御! 出来るな――カスハ機関長っ?」

「誰に言っているんですか――誰に!」

 瞬間――桜子軍も超速移動を為し、ジルア軍にむけ特攻する。

 それを見て、ジルアはもう一度笑った。

「……いえ、でも、無駄。……あなたの艦隊には、加速が足りない」

 そう。今まで周回を続けていたジルア軍はその分、勢いがある。対して停止して籠城していた桜子軍にはジルア軍ほどの加速力はない。現に、桜子軍の速度はジルア軍のソレに比べ、三分の二にも満たない。

「……つっ! やはり粉砕されるか! けど、甘い! 機関長っ、加速終了後、更に加速をかけて! 我が軍はこれより敵クイーンにのみ集中して突撃をかける!」

「は? その根拠は? 敵の旗艦がクイーンだと言う根拠がどこに?」

 シルフィーが内心焦りながら疑問を投げかけると、桜子はそこで喜悦した。

「そんなの決まっているじゃない。敵はあの他人に尽くすジルア・キルドなのよ? その彼女が、大切な部下を最も安全な船に搭乗させるのは決まりきった事でしょう――?」

 そう言い切る桜子に対し、ジルアは初めて眉をひそめる。

「……こちらの旗艦を、見抜かれた? ……このままでは、少し不味い? ……なら、是非も無いわね。……サーラ、此方も更に加速。……我が軍を以て敵艦隊全てを駆逐する」

「いえ、一歩遅い、ジルア――っ!」

「……それはどうかしら、桜子さん?」

 そして――五十分に及ぶ長い戦いに決着がつく。

 ジルア艦隊は――桜子艦隊の九十パーセントを薙ぎ払う。

 桜子艦隊は――ジルア艦隊の十パーセントを薙ぎ払う。

 その時点で両艦隊とも航行不能となり――両者の優劣は大きく分かれたのだ。

「……そう――そういう事」

「ええ。そういう事よ――ジルア・キルド元大将」

 然り。確かに桜子艦隊は致命傷とも言えるダメージを受けた。だが、その中に彼女の旗艦は含まれていない。逆にジルア艦隊は被害を受けた十パーセントの中に、旗艦が含まれていた。

 今まさに爆発しようとしている旗艦に搭乗するジルアは、大きく息を吐く。

 その間に、ツエルド・サーラ元少佐は、全てを理解した。

「……私の所為ですね。閣下は私の身が少しでも危うくならぬ様、最も安全なクイーンを旗艦に選んだ。その事を読み取った敵軍は、迷う事なく我が方の旗艦がクイーンだと見抜いた。私が無理に〝ロイヤルウエディング〟の参加を望まなければ、こんな事にはならなかった……」

 が、ジルアは微笑みながら首を横に振る。

「……いえ、それは違うわ。……私はこれでも、嬉しかったのだから」

「嬉しかった……?」

「……ええ。……リーゼに負けた時、誰もが私の行動に疑問を抱いた。……私なら、リーゼを道ずれにして彼女を打破する事も出来たのではと。……桜子さんの言う通りね。……私はそれをしようと思えば出来た。……でも、そうしなかった私を皆は見限っていった。……将兵もバーグも、みな私から離れていったわ。……でも、貴女だけは変わらぬまま私に尽くしてくれた。……何の得にもならないのに宇宙を放浪していた私を見つけ出して。……一緒に〝ロイヤルウエディング〟に参加するとまで言って。……そんな貴女は紛れも無く私にとって初めて出来た宝物よ――ツエルド・サーラ少佐」

「……ああ」

 桜子に〝自分に関心が無い〟とまで言われたジルアの真実が、それだった。彼女は確かに無感動かもしれないけど、そんな彼女でも既に大切な物を見つけていたのだ。

 ついで、ツエルドはジルアに対し、心から敬礼する。

「はい! 例え誰が何と言おうとも閣下は――ジルア・キルドは私の英雄であります!」

 涙しながらそう告げる彼女に対し――ジルアはあの困った様な笑顔を向ける。

 そうしてジルア・キルドの旗艦は、この宇宙から消滅したのだ―――。


     7


「――驚きました。本当に、お兄様が仰った通りになりましたね」

「あ?」

 妹である第一皇女が意味のわからない事を口にすると、バーグは素直に眉をひそめる。

 ユーデルは感慨深そうに、兄を見た。

「あの高峰という少女は、見事にキルド元大将の本質を見抜いた。彼女なら部下をどう扱うか看破して、敗北する筈だった戦いを覆したんです。仮にそれさえ無ければ、間違いなく高峰さんは完敗していたでしょう」

「だな。戦略、戦術で圧倒していたジルアが負けたのは、それが要因だ。完全に勝っていたのはジルアで、ソレをひっくり返した事実は最早奇跡に近い。あの高峰という娘は、リーゼの再来とも言うべき偉業を成した。いや、本当に笑える。あのジルアが、再び破れるとは」

「はい。それでここからが本題なのですが、お兄様としてはどちらに勝って欲しいのです? 一体どちらが、お兄様の好み? 和服が鬼の様に似合う、ミステリアスな斑鳩さん? それとも、貧乳ロリっ子美少女である高峰さん?」 

「……お前さ、俺に何を言わせたいんだ? つーか、後者だって答えたら絶対変態扱いする気だろう?」

 が、ユーデルは胸を張って答える。

「いえ、発育の悪さで言えば、高峰さんは私と通じる所があります! 言わば高峰さんは私の得難き同士です!」

「………」

 流石にこの熱弁には答える術を持てず、バーグは黙然とする。

 本当にこの妹はアホなのかと――彼は真剣に悩んだ。

「いや、いい。もう答える気さえ失せた。あー、あー、ジルアさえ勝ち残っていれば、こんな事にはならなかったのに」

「……こんな事って、どういう意味です? お兄様はロリっ子には興味が無いと、そう仰っている? 貧乳最高と、一度でも思った事が無いってそう言うんですか! 所詮お兄様も、褐色巨乳萌えだとそう言うのっ?」

「知るか、このアホ妹! ……もう、いい。お前とは暫く口をきかん。それより、いよいよ始まるぜ。このバカげた宴の集大成が。〝ロイヤルウエディング〟の決勝が――」

 紅斑鳩と高峰桜子。

 どちらが勝つか予想する事なく――バーグ・エグゼツアはただ笑った。


     ◇


 その頃、斑鳩は例の調査報告書に目を通していた。あの、桜子の素性を調査した報告書を、彼女は熟読する。

「はい。高峰桜子はいたって平凡な、十六歳の少女です。友人の数もそこそこ。周囲の評判もまずまず。学力も中の上辺り。ただ体育の成績だけは悪い。あと気になる点があるとすれば、二度ほど大病を患っている事ですね。ですが、それ以外は普通の女子高生に過ぎません」

「………」

 ズーマが言い切ると、斑鳩は一間空けた後、口を開く。

「それ、本気で言っている? 普通の女子高生が、あのジルアを倒したって?」

 そんなの、小学生力士が、プロの横綱に押し出しで勝利する様な物である。実際、桜子の友人である羽村由佳辺りがジルアに挑んだなら、百戦して百敗するだろう。

「……あ、いえ、確かにその通りですね。そう考えると……訳がわかりません。彼女はリーゼ様に匹敵する、天才的戦術家とでも言うのでしょうか?」

 しかし斑鳩は、別の事を問い掛ける。

「で、桜子さんのご両親は?」

「と、そうでした。これもおかしな話で〝ロイヤルウエディング〟の本戦が始まる前日から、行方不明だとか。粘り強く調査したらしいのですが、結局高峰に連なる親族全ての足取りはつかめていません」

「そう。つまりそれも桜子さんが何かした、という事なのでしょうね。そして――これらの資料から読み取れる事実は一つ。……成る程。そういう事か」

 斑鳩が、屈託なく笑う。それは本当に楽しそうで、思わずズーマがキョトンとする程だ。

「あの、何かわかった事でも?」

 けれど、斑鳩は答えない。ただ件の報告書をズーマに渡し、西に歩を進める。其処には航行不能になった戦艦から漸く救助された桜子達が居た。

「ごきげんよう、桜子さん。余りに見事な戦いぶりで、思わず感動してしまったわ」

「あなたこそ相変わらず面白おかしい人ですね、斑鳩さん。私達はこれから妃の座を懸け勝負するって、本当にわかっています?」

「と、そう言えばそうだったっけ? 数時間前は十六人も花嫁候補が居たのに、もう残っているのは私とアナタだけ。思えば長い様で短い戦いだったわ。それで――アナタは本当に十五人もの前途有望な女性達を押しのけてまで妃になる気? 自分にはそれだけの価値があると?」

「んん? あなたにしては、愚かしい事を訊きますね? 私はそれだけの価値が自分にある事を証明する為に、今まで戦ってきたんです。その為にオライア・セイアを打倒し、ヒリカ・ヒーヤを退け、ジルア・キルドを打破した。後一歩で、私は自分の価値をバーグ皇子に認めさせる事ができる所まで来ている。斑鳩さん、あなたは違うんですか?」

 桜子が真顔で問うと、斑鳩はやはり微笑みながら目を細める。

「そうね。誰かに認めてもらうと言うのは、本当に大変な事だものね。子供の頃で言えば班の班長に立候補して落選する事もある。生徒会長に立候補しながら惨敗する事だってあるわ。大人になれば就職する為に面接を受け、これまた不採用の通知を受ける事も普通にある。その度に私達は自分の人格を否定されたかの様な気分を味わい、己の無力さを痛感する。誰かに認められると言う事は本当に大変な事で、その苦労を知らない人は稀有と言って良い。ええ、そうだわ。私達はもしかすると、誰かに認められる為だけに人生という物を送っているのかも。家族や、友達や、教師や、面接官や、上司や、部下や、異性や、仲間や、プレゼン相手や、民衆や、社会や、世界に認めてもらう為だけに私達は生きている。それだけの意味と価値が、そこにはあるから」

「はい。私も初めは、誰でもいいから誰かに認めて欲しかった。その為に必死になって、気が付けばここまで来ていた。そうですね。本音を言えば――私は貴女に認めて欲しいだけなのかも、紅斑鳩さん」

 いま心から微笑みながら、高峰桜子は謳う。その姿を見て、斑鳩も笑った。

「私に? そう。アナタは、私に認めて欲しいの? 私は誰に認められなくとも、構わないというのに」

「……誰に認められなくても、構わない?」

「ええ。私は既に、私自身が認めている。自分が何者にも代え難い存在だと、理解している。私こそが全ての戦術家の頂点に立つ者だと、確信しているの。でもそれは盲信に過ぎず、結局この考えは一人の男によって覆された。彼に敗北した事で、私は何者でも無くなった。なら、私はその全てを取り戻す為に行動する他ないでしょう? 私は私自身をもう一度認める為に今を生きている。それはきっとアナタとは真逆の生き方だわ、高峰桜子さん。そう。今初めて確信した。私とアナタは――まるで別物だわ。決して交わる事が無い――ナニカとナニカ。それが確認できただけでも、この会話には意味があったと思う」

「……そう。それが貴女の本質ですか――紅斑鳩」

「ええ。既に私は、アナタに認められる意味さえ放棄している。仮にこんな私を誰かが認めたとしても、それは結果論でしかないでしょう。それでもアナタは――私に認められたいと?」

 桜子の答えは、決まっていた。

「はい。私は絶対に――貴女に認められます」

「………」

 それで、両者の会話は終わった。斑鳩は無言で踵を返し、桜子はその後ろ姿を見送る。

 憎しみとは余りに遠い意見の交換だけを成し――両者はいま矛を交え様としていた。


     ◇


「……高峰桜子、か。私とは、ずいぶん考え方が違うのね。一体何故かしら?」

 旗艦の艦長席で、斑鳩が呟く。それを打ち消す様に、ズーマは報告した。

「それと、やはりあの金髪の娘はシルフィー・フェネッチでした。〝金狼〟と呼ばれるクーデルカ戦役の数少ない生き残りで、リーゼ・クーデルカの元側近」

 ここまで言われてから、斑鳩は今漸く思い出す。

「ああ――シルフィー。なんだ。生きていたんだ、あの子――」

 それは今までズーマが見た事が無い、無邪気な微笑だった。それは旧友の生存を耳にした、十代の少女の笑顔である。これほど無防備な彼女を、ズーマは知らない。

「その彼女が、桜子さんの副官な訳ね。全く、白兵戦でしか役に立たないであろう彼女を艦隊戦の副長にするなんて。ちょっと正気を疑うわ」

「そう、なのですか? シルフィー・フェネッチは、副官に向いていない?」

「ええ。寧ろ何か助言する度に、足を引っ張るだけでしょう。ジルアの時も、そうだったのではないかしら? この策は安全だとか言っていながら、その実窮地に陥ったとか、あの子なら普通にありそう」

 クスクス笑いながら、斑鳩は頬杖をつく。が、直ぐに彼女は笑みを消し、総員に命じた。

「では始めましょうか、私達の宴を。高峰桜子と言う最高の生贄を捧げ――私はこの戦いに決着をつける」


 対して、やはり旗艦の艦長席に座する桜子は、開口一番こう告げる。

「諸君。君達の手腕は、今の今まで文句のつけ様がない物だった。諸君を選抜した副長の目に狂いは無く、私もソレには大いに助けられた。よって、改めて礼を言わせてもらいたい。諸君のお蔭で、私はここまでこられた。――本当にありがとう」

 が、砲術長のルックは笑いながら、惚けて見せる。

「は? それ、本気で言っている? アンタらしくないね、艦長。まるでこれが今生の別れみたいな物言いじゃないか。そんなにあの黒ずくめに勝つ自信が無いなら、私は今からでも艦をおろさせてもらうよ」

「だな。俺等は、常の偉そうな艦長の方が性に合っている。アンタは、何時もみたいに上から目線で俺等に命令してれば、それで良いんだよ」

 機関長ボーゲル・カスハも、平然と言い切る。航海長レーゼ・イクワも、同意した。

「そうね。というか、事実上の決勝戦はもう私達の勝利で終わっているでしょう? 何せ私達はあのジルア・キルドに勝ってみせたんだから。これから始まるのは、ただの消化試合。違って、艦長?」

「………」

 ついで桜子は目を閉じ、それからもう一度微笑む。

「本当に、ありがとう、皆。では、行こうか。イクワ航海長の言う所の、ただの消化試合に。勝利が既に決まり切っている戦いに」

 そう告げながら、桜子は艦隊の出港を命じる。

 その最中、桜子は傍らに立つシルフィーにだけ聞こえる様に言った。

「が、君にだけは話しておこう。あの彼女の正体を。紅斑鳩が、何者なのかを」

「は、い? やはり艦長は、彼女の事を知っていた?」

 そして高峰桜子は戦慄を抑えながら――告白する。

「ああ――紅斑鳩の正体はリーゼ・クーデルカその人だ。私達は今――クーデルカ史上最高の名将と相対しようとしている」

「……は? 斑鳩が、リーゼ……?」

 シルフィー・フェネッチが愕然とする中――桜子艦隊は斑鳩艦隊と対峙した。


     ◇


 ついで、アナウンサーは万感の思いを込め、宣言する。

『では紅斑鳩選手、高峰桜子選手――〝ロイヤルウエディング〟の決勝を開始して下さい』

 この促しを前に、桜子の気質はより鋭い物となる。だが、副長であるシルフィーはそれどころでは無い。桜子は彼女の動揺を、敏感に感じ取る。

「だな。君が驚くのも無理もない事だ。君とリーゼは深い信頼関係で結ばれていたのだから。ならば、どうする? 斑鳩がリーゼと知り、君は彼女に肩入れするか?」

「………」

 斑鳩艦隊から目を逸らさず、飽くまで正面を見ながら桜子は問う。

 シルフィー・フェッチは額に手をやりながら、溜息交じりに告げた。

「……そうね。そうできたら、とてもいい」

 シルフィーの、素直すぎる吐露。

 が、彼女は直ぐに首を横に振る。

「でも、そうなのよ。私は傭兵で、今は君に雇われた身。生憎これでも私はプロなの。例え何を聞かされようと、雇用主が不利益を被る様な真似は死んでもしないわ。――例え私の〝ロイヤルウエディング〟に参加した理由が――リーゼの敵討ちだったとしても」

 これを聴き、桜子は思わず納得する。

「そう。やはりそうか。リーゼ・クーデルカが言っていた通りだな。シルフィー・フェネッチは確かに義理堅い。ただの傭兵と雇主と言う間柄だったのに、君はリーゼの仇を討つつもりだったのだから」

「言ってなさい、年下のガキんちょが。それより、本当に勝機はある訳? あのリーゼ・クーデルカ相手に……?」

 と、桜子はニヤつきながら、普通に言い切る。

「さてね。だが取り敢えず、君は私に対する助言を止めてもらいたい。それはジルア戦でもう懲りた」

 それを聴いてシルフィーはムっとするが、今のところ反論は無い。

 その間も桜子は、遥か彼方に展開する斑鳩艦隊を凝視する。

「決勝戦開始から、既に五分。それでもまだ動きは無し、か。ソレも当然ね。私達は既に今に至る戦闘を見て、互いに手の内を知り尽くしている。ヘタに動けば、それだけで不利益を被りかねない。いわゆる〝先に動いた方が負け〟って言うアレな感じね」

 斑鳩が、楽しそうに謳う。彼女は高峰桜子という得体の知れない戦術家を前にしても、余裕を崩さない。いや、それどころか彼女は事もなく看破する。

「それとも――桜子さんは私がリーゼ・クーデルカだと気付いた? この様子見はその産物? だとしたら、とても愉快なのだけど」

 けれど、ズーマ・ルーンは思わず呆然とする。

「……は? まさかアレだけの会話で、彼女は貴女様の正体に気付いた? 一体、何を手掛かりにして……?」

 だが、斑鳩は答えない。彼女は尚も微笑みながら、計算に計算を重ねる。

 やがて――紅斑鳩は結論した。

「やはり、それしかないか。正直ジルアの二番煎じみたいで、気が引けるのだけど」

 が、それだけジルア・キルドは不世出の戦術家だと自分を納得させ、斑鳩は遂に動き出す。

 これを見て、桜子は即座に反応した。

「これは……ジルアの時の様な周回運動か? 彼女もまた、ジルアと同じ手を使うつもりだと?」

 ならば今度は後手に回る訳にはいかない。桜子は即座にレーゼ航海長に命じ、自軍も周回する様に命じる。桜子艦隊は斑鳩艦隊を追う形で旋回を始めそれを見て斑鳩は微笑む。

「やはり桜子さんとて、この戦術に対抗する術はまだ思いついていない様ね。此方と同じ真似をするしか、今のところ対応策は無い。では、そろそろ始めましょうか。私達の――〝ロイヤルウエディング〟決勝を」

(さて、何をどうする気、リーゼ? お互い手の内がさらけ出されたこの状況で、なお私を出し抜く自信が貴女にはあると?)

 そう自問しながら、桜子は飽くまで後手に回る。いや、逆を言えば彼女には例え先手を打たれ様とも、最後は挽回する自信があるのかも。ジルア・キルドを倒した時の様に、桜子にはそれができるという確信がある。

 斑鳩がそう感じ取った時、彼女はある事に気付く。

「そういえば、彼女はそういう戦い方も得意だったっけ? 敵の策を逆手にとると言う、後の先をとる戦い方も。でもこれならどう? 果たしてリーゼである私にその戦い方が通用して、桜子さん?」

「つっ! 不味い!」

 かの報告を耳にした時、桜子の表情が初めて変わる。

 オペレーターは桜子にこう告げた。

「敵艦隊、ルークを単騎突撃させてきます! ですが……この速度は、尋常ではありません! 超速航行のルークでもとても出せない速度です!」

「……超速移動に加え、遠心力を利用して加速をさせ船を此方に向け撃ち出してきたな。我が方に接触次第、船を自爆させ此方に大打撃を与えるのが敵の狙いだ。ならば、即座に敵ルークを迎撃! 絶対に敵艦を近づけるな!」

 この命令は忠実に果たされ、桜子軍の集中砲火を浴びたルークの軌道はずれる。桜子側のオペレーターは、安堵の思いと共に報告した。

「敵ルーク、完全に沈黙! ですが――続けて敵側はビショップ、ポーンを発射! これは、先程より遥かに速い! 通常攻撃では迎撃、間に合いません!」

「く! ならば是非も無し! こちらも同船を放出し、自爆させ、相殺を図るべし!」

 それは――艦隊戦の常識を逸脱した戦術だった。

 艦隊を周回させ、その遠心力を利用し自軍の船を敵艦目がけて発射して、自爆させる。自軍の船をミサイルにして敵軍に打撃を与え様とするソレは、正に暴挙といっていい所業だ。

 だが斑鳩――いやリーゼ・クーデルカの用兵は圧倒的とも言える速度で桜子軍に迫る。

「我が方のビショップ、ポーン自爆! 敵軍のビショップ、ポーンを巻き添えにし、何とか相殺し切りました! ですが敵軍ポーン二隻を更に排出! 此方に向かって接近してきます!」

「ならばこちらも同様の業をもって迎撃! ……が、不味いな。あの速度で船が発射されれば容易に此方の隊列の中心まで突っ切ってくるだろう。艦隊の中央で自爆されれば、致命傷ともいえるダメージを受けかねない。またも完全に後手に回ったか。此方は斑鳩軍が船と言う弾丸を使い切るまで、同様の暴挙に付き合う他ない……!」

「ええ、そういう事よ、桜子さん。既に先手はとった。一度でも相殺に失敗すれば、致命傷を受けるのはアナタ。果たして私の用兵についてこられて?」

 事実、リーゼの指揮能力の速さはグンを抜いていた。桜子軍が辛うじて対応した頃には別の船を発射し、決して桜子軍に反撃をさせない。刻一刻と両軍の船の数は減り、その時シルフィーは気付く。

「ですが、これで我が方の有利は確立できたといえます。何せ敵はルークを一隻、無駄弾にしている。このまま船の排出を続ければ、敵より一隻多く此方は船を保持できます。その差を以て勝負にあたれば、勝利し得るもしれません」

 これに桜子は、怪訝な様子で応じる。

「かもな。が、問題はこれがリーゼの計算ミスか、それとも何かの策なのかという事だ。仮に後者なら問題だろう。何せ私の頭の中は今、敵艦の特攻ルートを割り出すので手一杯で、他の事に気を回す暇がない!」

 これもリーゼの狙いの一つ。敵の思考を封じ、策を練れない様にして、自分に主導権を握らせる。あのアプソリュウ・ソウドと、ジルア・キルドという名将を打破した戦術家の本領だ。

 その事を、高峰桜子は正しく痛感していた。

「敵ルーク接近! 艦長、指示を!」

「仰角七十五度で、ルークを排出! 敵艦が五十キロ圏内に入り次第、自爆だ、ボーゲル機関長!」

「了解! てか、艦長じゃねえが余りの忙しさに目が回りそうだぜ、こっちは!」

「実に同感だが、どうやらゴールが見えてきた様だ。敵の残存勢力はクイーンのみ。アレが敵旗艦である事は疑い様も無い」

 必死に毅然と振る舞うが、桜子の消耗は大きい。精神的な疲労が蓄積し、今にも眩暈を起こしそうだ。それでも彼女は最後の力を振り絞って、命令する。

「我が旗艦クイーンならびルークを以て、敵クイーンを総攻撃する! 皆、勝利は目の前だ!」

 桜子が息を大きく吐き出す様に、指揮を執る。その時、リーゼ・クーデルカは笑った。

「そうね。確かに――これで終わり」

「な、に?」

 桜子のこの反応を前に、オペレーターはもう一度報告する。

「敵クイーンも突っ込んできます! しかも、この速度は今までの比ではありません! 恐らく我が方のルークを放出しても迎撃は間に合わないかと!」

「……まさか、今までの船は全速前進でなかった? 今までの船は、私にアレが全速力だと誤認させる為の布石か!」

 初めてその事に気付き、桜子は奥歯を噛み締める。

 加えてこの不可解な状況に、彼女は思わず唖然とした。

「そうか! そういう事か! クイーン、ルークともシールド全開! 総員衝撃に備えよ!」

「で、ですが、それでは攻撃に十分エネルギーを割けません!」

「いいから、指示通りに! いや、もう間に合わないかっ?」

 現にリーゼのクイーンは、桜子側のクイーンとルークの間を突っ切る。

 その位置まで到達した途端――あろう事かリーゼのクイーンは自爆した。

「つっ……!」

「……て、敵旗艦、自爆っ? な、なのに、戦闘は尚も続行ッ?」

「いいから被害状況を報告! 此方の損害はっ?」

 クイーンの――自爆。それはこの〝ロイヤルウエディング〟では初めての事だった。

 故にその威力がどれ程の物か、リーゼでさえはかり知れない。実際、桜子側のオペレーターは絶叫じみた声を上げる。

「ルーク、背後を衝かれ撃沈! 旗艦クイーンも大破し――航行不能っ! シールドも張れません……っ!」

「……やらた、な。恐るべきは、リーゼ・クーデルカ。この私を、圧倒してみせるとは……」

 が、シルフィーは眉をひそめざるを得ない。

「……ですが敵の旗艦は自爆した筈。なのに、なぜまだ戦闘が続行されているのです?」

 桜子の答えは、決まっている。

「そんなの――敵の旗艦がまだ生きているからに決まっているだろう、副長――」

 その時、完全に沈黙した筈の、リーゼ側のルークが動き出す。それに乗るリーゼ・クーデルカは、もう一度笑った。

「ええ、そういう事。私の側の旗艦はクイーンではなく――アナタ達が最初に落したと思い込んだ、ルークよ」

「な、に?」

 シルフィーが愕然とする中、桜子は眉根を歪ませる。

「……そういう事だ。彼女の戦術は、端的に言えば死んだふりさ。いや、随分と分の悪い賭けに出た物だよ……」

「そうね。でも初めは此方の意図を読めず、そのため対応も中途半端だと思っていたわ。自爆による相殺ではなく、通常攻撃による迎撃にとどまると確信していた。私はそれを利用させてもらっただけ」

「……いや、そこまで読み切る所が、リーゼ・クーデルカの異常な所だ。種を明かせば簡単なトリックだが、この緊張状態でそれに気付ける人間は稀有だろう……」

 或いはジルア・キルドやバーグ・エグゼツアなら、これを見切った? 桜子はそう自問しながら、もう一度歯を食いしばる。

 そう。今は周回運動をしていたお蔭で船は停まらずにすんでいる。だが桜子の旗艦は既に航行能力が欠如していた。

 その状態で自由に航行できるリーゼの旗艦と相対せよと? そんな事は不可能だ。

 実際、リーゼのルークは桜子のクイーンに突撃し、これを討ち取ろうと図る。

 この絶望的な状況に、桜子側のクルーは誰もが沈黙する。

 そんな中、桜子も俯き、息を止め、ただ地面だけを凝視する。

 それを見て、シルフィーは初めて死を覚悟した。

 しかし、ソノ時、ソレは起きたのだ。

「フフフ、ハハハハハハ! 流石はリーゼと言った所か! が、副長! 私は肝心な事を言い忘れていたよ! 確かに私はリーゼ・クーデルカに勝った事は無い。だが――彼女に負けたことも無いのさ!」

「は、い?」

「なに?」

 シルフィーとリーゼが、同時に眉をひそめる。この時、桜子はこう命じた。

「旗艦のエンジンのみを臨界にした状態で――敵艦目がけて放出! 敵艦にぶつけよ!」

 この思いがけない命令を前にして、バーグが反応する。

「ほ、う? これは初めて――斑鳩が後手に回ったな」

 現に、リーゼがその事に気付いたのは、その直後だ。

「つっ? クイーンのエンジンを捨ててきたっ? ならば此方もエンジンを放出し、自爆させて!」

 でなければ、かの一撃は到底防げまい。

 実際――リーゼの旗艦はその一撃を以て大破する。桜子側同様――航行不能となる。

「……やってくれる。流石は桜子さん。ならば是非も無し。我が方はこのまま予備動力を以て戦闘を継続。敵艦に集中砲火を浴びせ、推力に乗って突撃して」

「でしょうね。ならばこちらも予備動力を以て攻撃開始。推力に乗りつつ、斑鳩を叩く!」

 その時――リーゼ・クーデルカは喜悦し――高峰桜子は歓喜する。

 両者は砲撃しながら接近し合い――互いに吼えた。

「高峰桜子―――っ!」

「リーゼ・クーデルカ―――っ!」

 やがてその一斉射撃は、互いの旗艦のブリッジに迫る。その寸前、彼女は告げた。

「……サイゴにもう一度言わせて欲しい。本当に今までありがとう……皆」

 誰かの様に、起立して、高峰桜子は総員に向かって敬礼する。その彼女のあどけない笑顔を見た瞬間、クルーの全員が亜然とし、それでも笑い返す。

 それが――サイゴ。

 その瞬間、リーゼ・クーデルカと高峰桜子が乗った旗艦は目映い光に包まれ――消滅した。


     8


 紅斑鳩と高峰桜子の艦隊が――全滅する。

 無論それは彼女達の旗艦も含まれていて――即ちそれは両者の死亡を意味していた。

 ならば、ユーデル・エグゼツアは愕然とする他ない。

「お二人とも、亡くなった? あの、これは花嫁候補が皆いなくなったという事では……?」

 この妹の指摘に、バーグは素っ気なく答える。

「だな。まさか途中棄権したミハイル・ルーを勝者とする訳にもいかんし。第一回〝ロイヤルウエディング〟は失敗に終わったか。今はせいぜい紅斑鳩、高峰桜子の健闘を称え、彼女達の死を悼む事にしよう」

 その証しとばかりにバーグは立ち上がり、黙禱してからこの場を後にしようとする。

 ユーデルはバーグを追いかけ、尚も問うた。

「で、ではリーゼ・クーデルカに引き続き、今回もお兄様の婚姻話はご破算になったと?」

 が、バーグは意味不明な事を口にする。

「ああ、婚姻話はこれでまたオジャンだ。婚姻話は」

 そう。バーグ・エグゼツアの笑みは――ここでも健在である。


     ◇


 その事に最も早く気付いたのは、彼女だった。彼女は自分が今どこに居て、どんな状況にあるのか即座に読み取る。やがて彼女は、直ぐ傍にいる女性に声をかけた。

「あの、そろそろ起きてもらえません? それ程の衝撃は、受けていない筈ですよ?」

 何せこの自分が、真っ先に目を覚ましたのだから。彼女はそう感じながら、その女性の覚醒を待つ。やがて女性は目を覚まし、勢いよく立ち上がった。

「――って、どこよ、ここはっ? まさかあの世というのは、こんな殺風景な所なのっ?」

 その女性――シルフィー・フェネッチが狼狽する。彼女――高峰桜子は嘆息した。

「まさか。そんな訳ないじゃないですかー。ここはれっきとした――この世です」

「は、い?」

 シルフィーが尚も動揺する。それもその筈だろう。何せ自分達桜子軍のクルーは、みな牢らしき物に閉じ込められているのだから。しかもその正面にも牢があって、其処には馬鹿げた事に――あのジルア・キルド達が居た。

「……ジ、ジルアとその部下! やっぱり、ここはあの世っ?」

「……だから、違いますって。いいから落ち着いて、シルフィーさん。というか、この地下牢獄に居るのは、私達だけではありませんよ。〝ロイヤルウエディング〟で死亡されたとされる人達全てが、揃っている筈です」

「な……に?」

 現に隣の牢からは、聞き慣れない声が響く。

「へえ。私やジルア・キルドを倒したあんたでさえ、敗退したんだ? 紅斑鳩って、一体どんなレベルの化物よ?」

「って、誰? なんか聞いた事がある様な声だけど?」

「ヒリカ・ヒーヤよ。あんた達に殺されかけた」

 続いて、彼方からも声が響く。

「……えっと、誰も気にしていないと思いますが、一応私も居ます。スカーラ・アイヤでーす」

「同じく、キーマ・エイならびジェット・ハリマンよ」

 が、声を上げず、ただ憤慨している人間も多く居た。シスター・テイヘスなど、今も眉間に皺を寄せ、ソッポを向いている。

「まさか、本当に〝ロイヤルウエディング〟の死亡者が、みな揃っている? ちょっと待って。艦長のその余裕。まさか――初めからこの事に気付いていた?」

 シルフィーが呆然とすると、桜子は事もなく肩をすくめる。

「ナイトはワープが使える。それは有人機であっても可能です。なら、旗艦が危機的状況になったら、この牢にワープする機能があってもおかしくないと思いません?」

「…………」

 シルフィーが思わず沈黙する。だが、そうなのだ。思えば斑鳩や桜子は、敗退者に対し〝死んだ〟等の表現は使った事は無かった。彼女達は〝敗退〟等の言葉を使って表現している。

「でも、何で? 何で艦長は、そんな事に気付けた?」

「それもなんて事もない話です。あのバーグ皇子が、これから役に立つかもしれない人間を簡単に殺す訳がないと言うだけの事ですから」

 と、そこで初めてジルア・キルドが合いの手を入れる。

「……そうね。……彼は初めから敗退者を、この地下牢にワープさせる気だった。……ここから脱出する手段を奪う為、艦内に武器の持ち込みを許さなかったのでしょう」

「そう。やっぱり貴女もこの事に気付いていたんですね、ジルアさん?」

 桜子が訊ねると、ジルアは微笑む。その上で、彼女は不可解な事を口にした。

「……それで、斑鳩さんがここに居ないと言う事は、全て計画通り進んだという事かしら?」

「でしょうね。その内、向こうの方から顔を出す筈です。だからその間、私達はオシャレなガールズトークを嗜みたいと思うのですが。構いませんか?」

 ギャルピースしながら、ジルアに視線を送る桜子。因みにアプソリュウは何が気に食わないのか、シスター・テイヘス同様、今も憤慨の極みにあった。

 そんな殺伐とした空気の中、ある意味、空気が読めていない二人が会話を始める。

「では、まず私からカードを切りましょう。私の本当の目的は、バーグ皇子がクーデルカを裏切った理由を確かめる事です。それには、どうしてもバーグ皇子に近づく必要があった。その為の手段が〝ロイヤルウエディング〟という訳です」

「な、に? でも艦長は、リーゼ達を殺された恨みは無いって言っていたじゃない? なのに何でそういう事になるの?」

 シルフィーが怪訝な顔を向けると、桜子は初めて表情を消す。

「いえ、それはさておき」

「……無視するな。……私の質問を無視するな」

「ジルアさんも、私と同じ違和感を感じ取っていたのではありませんか? エグゼツアには――得体の知れないナニカが蠢いていると。だから私はバーグ・エグゼツアに対し、憎しみを抱いていなかった」

「は? あの、その表現はちょっと意味不明なんだけど?」

 けれど、ここでも桜子はシルフィーをスルー。

 この場で唯一桜子の意図を察していたのは、やはりジルアだ。

「……ええ。……かく言う私も大将職を解かれ、宇宙を放浪した時初めて気付いたのだけど。……最初に感じたのは、彼の変化。……バーグ・エグゼツアは、本来あんな性格ではなかったのよ。……それは彼の幼馴染である私が、一番よく知っている」

「へ? あんた達、さっきから何意味不明な事をくちゃべってるんだ……?」

 オライア・セイアが我慢の限界だとばかりに、声を上げる。

 しかし、件の二人はここでも無視を続行した。

「……でも、気が付かない内に彼は変わっていた。……気がついたらでは無く、気が付かない内に。……その違いが貴女にわかって、桜子さん?」

「ええ、何となくは。要するにバーグ皇子も、貴女と同じと言う事でしょう? 何時からかはわかりませんが、彼は何時の間にか理想の自分を演じる様になった」

「はい? ちょっと待って。あなた達今、もしかしてとんでもないオカルト話をしているんじゃ?」

 僅かに機嫌を直し、イクセント・ヒルが眉を曇らせる。

 が、尚も両者は、二人だけの会話を続ける。

「……ええ。……そして彼自身、その事に多分気付いていない。……私が彼の変化に気付かなかった様に。……エグゼツア星系を離れ、その事に初めて気付いた私は、宇宙を放浪しつつ調査を始めた。……彼が急に変わった理由と、その理由になりそうな事を調べ始めたという訳。……その為に、本当に色々な事を試したわ。……ま、主な手段はエグゼツアのスパコンにハッキングする事だったのだけど。……結果、ある事がわかった。……或るいは、桜子さんが求めていた答えになりそうな事を私は知ってしまった」

 この時、桜子はもう一度表情を消す。

 周囲には気付かれぬ様、唾をのみこみながら、彼女はその先を促した。

「それは、一体なに? ジルア・キルド?」

 彼女の答えは余りにも荒唐無稽であり、それ以上に不可解だ。

「……ええ。……確かにバーグ・エグゼツアという人物は実在している。……性格こそ変わっているけど、それだけは間違いない。……でも問題はそこでは無く、ある情報が書き換えられていた節があると言う事なのよ。……あの子が生まれたという記録は、恐らく後から捏造された物。……それを知った時、私は一つの答えを得た気がした。……本当にありえない話だけどそれなら全ての点と点は繋がるから」

「……勿体ぶりますね。だから、それは何なのです?」

 ついで、ジルア・キルドは漸く全てを語る。

 その――事の真相を彼女は口にした。

「……そう。……本来、エグゼツアに彼女は存在していない。……彼女の出生記録は、後から一新された物。……即ち――ユーデル・エグゼツアはこの世に居ない筈の人間なの」

「な?」

「は?」

 桜子だけでなく、今も意味がわからないシルフィーさえ眼を開く。

 だがその時――この地下牢が大きく揺れ、凄まじい衝撃が起こる。

 誰もが黙然とする中、やがて彼方より足音が響く。

 見れば其処には――あの紅斑鳩が居た。


     ◇


「やっほー。元気にしていた、桜子さん達?」

 気負いのない足取りで、斑鳩は地下牢に歩を進める。その背後には、ズーマ・ルーンの姿もあった。それを見て、シスター・テイヘスが初めて声を上げる。

「貴女どうやってここがっ? そもそも貴女は桜子さんに勝って優勝したのではなくてっ?」

「相変わらず私に対してだけは敵意満々よね、シスター・テイヘスは。いえ、なんていう事も無いわ。ただニコ・ハンセンと戦う前、桜子さんとすれ違った時、彼女の服に発信器と盗聴器をつけただけ。お蔭であなた達の居場所も割り出せたし、今までの会話も全て聴かせてもらった。尤も、大会の間はもちろん盗聴器も発信機もスイッチをオフにしていたけど。それにしても、なんか大分アレな事になっている様ね、桜子さん、ジルア?」

「だから、貴女は一体どこからわいて出たと言うのっ? ああ、全く! まるでダニやノミの様だわ!」

 飽くまでシスター・テイヘスは、悪態をつく。

 けれど、斑鳩は苦笑いするにとどまり、更に続ける。

「いえ、私は〝ロイヤルウエディング〟の優勝者なんかじゃない。桜子さんと相打ちになった言わば準優勝者ね。それでも私がこの地下牢に送られなかった理由は一つ。バーグが仕掛けたワープ装置を、ちょっと弄らせてもらったから。別の場所にワープする様、設定を変えさせてもらったからよ。つまり――反エグゼツア勢力の戦艦のブリッジにワープする様に」

「何ですって……?」

 シスター・テイヘスは唖然とするが、桜子とジルアは平然と応じた。

「でしょうね。貴女は私と違い、本気でエグゼツアを潰す気だった。なら、それ位の用意はしていた筈です」

「……そう。……これが斑鳩さんの計画。……あなたは事前に反エグゼツア勢力に接触し、軍を集結させるよう要請した。……仮に自分が〝ロイヤルウエディング〟で優勝したならその艦隊の指揮を執ると約束させ。……それ以外に反エグゼツア勢力が、バーグ・エグゼツアに勝つ道はないと嘯きながら」

 この洞察には、さすがの斑鳩も感嘆の声を上げる。

「そっちこそ、良く頭が回ること。でも、なぜ気付いたのかしら? 参考までに聞かせてもらえると有り難いのだけど?」

「……それは簡単よ。……何故って、リーゼ・クーデルカならバーグに対し、復讐戦を挑んでもおかしくないから」

「へえ?」

 斑鳩が、もう一度称賛の声を漏らす。その一方で彼女は、更なる混乱を呼び込んだ。

「それってもしかして、リーゼ・クーデルカと戦った経験をもとにした看破? リーゼと戦った事があるあなただからこそ、私がリーゼだと見抜けたと? でも、それではあなたはかなり混乱したでしょうね。何故ならあなたは、彼女ともう一度戦ったのだから」

「へ? ……だから、さっきから意味がわからんぞ。君達は一体、何を言っている?」

 ウーマー・ベルヘムも胡坐をかきながら、首を傾げる。

 いや、次の斑鳩の言葉を聴いた瞬間、ズーマ・ルーンは戦慄した。

「いえ、だって――高峰桜子さんは私のオリジナルだから」

「はっ?」

「にっ?」

 それを聴き、ジルアと当の高峰桜子以外の全員が、驚愕の声を上げたのだ―――。


     ◇


「桜子が――リーゼの、オリジナル? 一体、何を言って……?」

 シルフィーが、更なる困惑を見せる。ソレは、ズーマも同じだった。

「……ま、まさか自分がオリジナルではないと知っておられたのですかっ? 一体なぜっ?」

 いや、ズーマは恐怖に近しい感情を覚えながら、後じさる。

 斑鳩は、平然と口を開いた。

「いえ、初めは桜子さんの戦いぶりを見て、既視感を覚えただけだった。でも、あなたが調べた桜子さんの資料を見て確信したの。彼女が大病を患ったというあの資料を見て、私は全てを察した。何でも高峰桜子さんは一年前脳卒中を起こし、病院に緊急搬送されたそうね。その後リハビリを重ねこうして回復したらしいけど、それには裏があったのでは? 本物の高峰桜子さんは、あの日、疾うに脳死状態にあったのではなくて? クーデルカ戦役で敗れ、落ち延びたオリジナルはそんな彼女の体に自分の脳を移したのでは?」

 斑鳩が、何とも言えない視線を桜子に向ける。桜子は、初めて苦笑いらしき物を見せた。

「ええ――その通りよ。私は側近と共に生き延び、敢えてエグゼツア星系に逃げ込んだ。そのとき医者を買収して、その日脳死した子供を見つけた。幸いだったのは、その事をまだ彼女のご家族に医者が説明していなかった事。故に遺伝子レベルの調査で発見される事を恐れた私はその子の体に脳を移植して今まで過ごしてきたの」

 この告白を受け、シルフィー・フェネッチはもう一度だけ呆然とする。

「……じゃあ君は、いえ、貴女は、本当に本物のリーゼ・クーデルカ……?」

「そういう事になるでしょうね。いえ、今まで黙っていてごめんなさい、シルフィー。でもこの時に至るまでは、話すべきではないと思ったから。けど、さすが私のクローンだわ。私がしそうな事は、お見通しという訳ね」

「……ク、クローンっ? 紅斑鳩が、リーゼ・クーデルカのっ?」

 シスター・テイヘスが、改めて困惑する。それを見て、斑鳩は尚も微笑んだ。

「ええ、その事実に誤りはない。ただ、勘違いしないでもらいたいわね。クローンがオリジナルに劣るなんて事は、決して無いのだから。現に、私は彼女と引き分けてみせた。彼女のクローである私が、オリジナルであるリーゼ・クーデルカと互角に戦ったの。この時点で私は私が認める自分に、また一歩近づけたわ。後はバーグ・エグゼツアとユーデル・エグゼツアを片づければ、全ては終わる」

「……そう。貴女は飽くまで、自分以外の人に認められる気は無いのね? でも、それは違うわ」

 それは不可解な指摘だったが、斑鳩は平然と受け止める。

「そうね。これはズーマが私に、バーグに対する復讐心を植え付けたが為に生じた感情。シルフィーに関する記憶もそう。私が自分を疑わない様、スパコンに保存されていたオリジナルの記憶を私の脳に移植したに過ぎない」

「……そ、そこまでわかっておられたのですかっ?」

 ここまで来て、ズーマは更に体を震わせる。けれど、斑鳩は彼を見ようともしなかった。

「でも私にとってこの感情は、自身に認められたいという想いは、唯一のバックボーンなの。それを簡単に捨て去れるほど、達観していないのよ、私は」

 斑鳩が肩を竦めると、桜子も嘆息する。

「……かもしれないわね。良いわ。私達の問題は、一先ず棚上げ。本題に移りましょう。皆に訊ねるわ。私達はこれからエグゼツア軍と交戦するつもりだけど、貴女達はどうする?」

「エグゼツア軍と、交戦? あ、いや、そうか。紅斑鳩は初めからそのつもりだったんだな」

 イクセントが、一人納得する。が、立場上、それを容認できない人物がソコに居た。

「待て。それは本気か? ソウド王国の同盟国であるエグゼツアを潰すつもりだと、そなた達は言っている?」

 今まで黙って話を聴いていたアプソリュウが、初めて声を上げる。

 彼女は、加えて問うた。

「というより、よもやジルアもその話に乗る気ではあるまいな? お前、祖国を相手に戦争を仕掛ける気か?」

 今までの話の流れからその事を察し、アプソリュウはジルアを詰問する。

 彼女の答えは、決まっていた。

「……ええ。……私も参戦するつもり。……勿論、斑鳩さんサイドの人間として。……だってこのままでは、この銀河は得体の知れないナニカに支配されかねないもの。……今がそれを食い止める事が出来る、唯一の機会だわ。……この好機を逃したら、私は必ず悔やむ事になる、アプソリュウ」

「………」

 が、アプソリュウは沈黙する。彼女は僅かな間思案した後、場違いな事を言いだした。

「ユーデルの件といい、リーゼを見抜いた事といい。本当にお前ばかり良い所を持っていくのだな、ジルア?」

「……いいじゃない、貴女には人望があるのだから。……私なんて、私についてきてくれたのはツエルドだけなのよ?」

 確かにジルアに唯一欠けているのは、カリスマかもしれない。彼女は部下からも〝何を考えているかわからない人〟と思われているから。対してアプソリュウはその人柄を以て多くの人々を纏め上げる才能がある。但しその多くは、軍属なのだが。

「……本当にお前は、幼少の時から変わらないな。何時も突然、突飛な事を言いだす。その度に振り回されていた、私の身にもなれと言うんだ……」

 その言い草とは逆に、アプソリュウは立ち上がる。そうして、彼女は平然と宣言した。

「いいよ――やろう。どうせ今の私は〝ロイヤルウエディング〟の一選手で、セフィナとも縁を切っているから」

「……か、閣下っ? 本気ですかッ?」

 部下の一人が、半ば悲鳴じみた声を上げる。この当然の反応に、アプソリュウは頷く。

「ユーデルに関しては、私も違和感を持っていた。あの体で、彼女は常に兄の傍にいた。自分では、何の軍事的才能も政治的手腕も持ち合わせていないと言っていながら。だが、私はその事に何の疑問も抱いてはいなかった。いや、彼女達が立ち去った後、漸くその違和感に行き着いた物だ。なんでユーデル・エグゼツアは、何時もバーグ・エグゼツアに同行しているのだろうと。仮にその答えがジルアの言う通りなら、私達はいま分岐点に立たされている事になる。或いは――この銀河の運命を左右しかねない程の」

「結構。では、アプソリュウも参戦決定ね。後で裏切らないでちょうだいよ。その時はジルアをぶつけるしか手は無いから」

 半ば本気で、斑鳩は微笑む。加えて彼女は、核心とも言える事柄をジルアに問うた。

「で、結局――ユーデル・エグゼツアとは何者なの?」

 ジルアの答えはこうだ。

「……えっと――宇宙人?」

「………」

 よってこの時、桜子と斑鳩は初めてジルアに殺意を抱く。

「……いえ、待って。……私だってアレな事を口にしていると、自覚しているわ。……でも、それ以外に説明がつかないのよ。……これ、エグゼツアのスパコンで見つけたの。……消去されかけていた物を復元したのだけど、これ、どう見ても宇宙船でしょう? ……因みにこれが発見された場所はエグゼツア本星で、時期は今から十年前の初夏の頃。……でも、その頃私もエグゼツア本星に居た筈なのに、その時の記憶が無いのよ」

 ジルアが牢越しに、一枚の写真を斑鳩に手渡す。それを見て、斑鳩は露骨に顔をしかめた。

「……うわ、マジだわ! 何よ、このあからさまな宇宙船? 完全に宇宙人が乗って来た宇宙船その物じゃない。……えっと、つまり、こういう事? ユーデル・エグゼツアは他人の思考に介入できる? 彼女と直接対峙した時点で脳を操られ、私達の敗北は決定的って事?」

 が、その推理をアプソリュウは否定した。

「いや、そこまでの強制力は、直ぐには発揮できないだろう。私の経験上、ユーデルの事を不審に思った時間は割と長かった。徐々にその違和感は消えていった感じだ。加えてさっきも言った通り、彼女が居なくなるとその違和感に気付く事もあった。以上の理由からユーデルと相対し様とも、直ぐには心を乗っ取られない筈だ」

「……気休めにしか聞こえないわね。ま、良いわ。他ならぬアプソリュウがそう言うならそういう事にしておく。で、他の皆はどうする? あなた達はエグゼツア星系の人間で、だからバーグと戦うのは気が引けるでしょう? 故に、無理強いはしないけど?」

 この時、元花嫁候補の誰もが沈黙する。最初に口を開いたのは、ヒリカ・ヒーヤだ。

「……もう一度だけ確認させて。本当にこの銀河は、今ヤバイ事になっているのね? 私達が何とかしないと、良くない事が起こる。そういう事で間違いない……?」

 が、桜子も斑鳩達も返答しない。逆に彼女達は、ヒリカ達の答えを待った。意外な事に返事をしたのは――あの彼女だ。

「わかりました! なら――私はやります!」

「――スカーラ・アイヤっ?」

 彼女が一度逃げ出した事を知るチェリア・スハラが、思わず驚きの声を上げる。

 それに怯みながらも、スカーラは続けた。

「……ええ。私なんかが参戦しても、足手まといになる事はわかっています。でも、やっぱり私は教師なんですよね。教え子達が危険に晒されるかもしれないのに、それを見過ごす事は出来ません。いえ、ヒルさんとの戦いが、初めて私にそう言った勇気をくれたんです。なら、私は戦う他ない……!」

 これを受け、そのイクセント・ヒルが苦笑する。

「……全く、本当に厄介な人に敗れた物だよ、私は。わかった、良いよ。彼女がやるなら――私も戦う。でなきゃ、本当に私は立場が無くなりそうだ」

 続けて、オライア・セイアもまた喜悦する。

「面白い。どうやらバーグの野郎は、マジでつまらないやつだった様だ。なら、予定通りあたしが面白味ってやつをあいつに叩きこんでやる。そういう事で良いんだな、バーグよりよほど面白い教師の姉ちゃん?」

「は、はい!」 

「そうだな、やろう。一番頼りなさそうなアイヤ氏がやるって言っているんだ。ここで尻尾を巻いたら――それこそウーマー・ベルヘムの名が廃る!」

 それを皮切りに、続々と参戦を表明する声は上がっていく。

 いや、カルカナ・エットに至っては、これ幸いとばかりに誰にも憚る事なく宣言した。

「――上等! なら、今度こそこの私がエグゼツアを滅ぼしてやるわ!」

「オーケー。では――全員参加という事で。そう言う訳だから、後は宜しく、斑鳩」

 桜子が、笑顔で斑鳩にアクションを促す。それを一瞥した後、彼女は動いた。手にしたサイコブレイドで全員の牢を破壊し、彼女達を解き放つ。

 そして――高峰桜子は今、満を持して告げたのだ。

「では、始めましょうか。今度は私達主催による――〝ロイヤルウエディング〟を」

 ついで――最終決戦の幕が開く。


     ◇


 それから十五人に及ぶ元花嫁候補とそのクルー達は斑鳩先導のもと――ソコへと行き着く。斑鳩が乗って来た戦艦の接舷部へと、彼女達は到着する。斑鳩は無理やりこのコロニーに穴を空け、そこに艦橋を通して船を接舷させていた。斑鳩は躊躇なくその船に乗り込み、桜子達も後を追う。

 続けて斑鳩は、彼女達に指示を飛ばした。

「ではあなた達にはそれぞれ戦艦を一隻ずつ与えるから、そこから船を五百隻ほど指揮して。〝ロイヤルウエディング〟の時と同じで指揮する船は無人だから、気軽に操ってちょうだい。で、肝心の作戦だけど総指揮は私と桜子で執るわ。そういう事で良いわよね、アプソリュウ、ジルア?」

「フン。この場合、異議を唱えた時点で恥をかくだけだろう。おまえに負けた私が、何を言えと言うんだ」

「……以下同文。……この場合、あなた達が指揮を執るのが妥当でしょうね。……でも、昔から船頭は二人要らないと言うけど、大丈夫?」

「ま、何とかなるでしょう。と言う訳で、皆はワープ装置で各々の船に飛んで。作戦決行時間は今から十五分後。遅れた人間は容赦なく置き去りにするから気を引き締めなさい」

 最後にそれだけ告げ、斑鳩はブリッジに向け歩を進める。桜子達も各々の船に乗り込むため斑鳩の指示通り動く。五分後には全ての用意が調い、十五人の少女達はブリッジからその船の連なりを目撃する。

 既にこの宙域には――反エグゼツア艦隊が集結していたのだ。

 その数は――実に一万五千隻に及ぶ。

「成る程。反エグゼツア派も総力をあげてきた訳か。仮にこの戦に敗れれば、彼等の再起は難しいだろう。いや、私が知るバーグなら彼等の敗北を期に、彼等の宙域に侵攻し、攻め滅ぼす筈だ。つまり、これは反エグゼツア派にとっても――命運を懸けた戦いという訳だな」

 新たなる艦長席に座しながら、アプソリュウが分析する。それと同時に、彼女達はかの偉容も見せつけられる事になった。

 エグゼツア艦隊がワープしてくるその様を――彼女達は確認する。

 その数は――実に二万隻。

「やはりバーグないしユーデルはこうなる事がわかっていたか。彼等も予め網を張っていて、反エグゼツア派が決起するのを待ち構えていた訳ね。斑鳩、貴女はそれに気付いていて?」

 桜子が問うと、モニター画面に映る斑鳩は普通に言い切る。

『当然でしょう。エグゼツアはあのリーゼを倒したのよ。なら、この程度の事は読んでいると考えるのが妥当だわ』

「つまり、貴女はそれだけ危うい賭けをしているという事ね? これは下手をすれば、反エグゼツア派の息の根が止まりかねないという危うい賭け。いえ、アプソリュウの言う通りこれで益々負けられなくなった。私達が敗北すれば――何の罪も無い星々が蹂躙される事になる」

 大きく息を吐き出し、桜子が正面を凝視する。

 そこに映るエグゼツア艦隊の艦影を前に、彼女はもう一度苦笑いをした。

「悪いな、諸君。どうやら私は、君達にとってただの疫病神らしい。せっかく解放された筈なのに、またも命を懸けさせるハメになったのだから」

「……だな。ぶっちゃけ、今度の戦争は桁が違い過ぎる。私達が負けたら、全て終わりとかあり得ねえだろう、実際」

 砲術長ルック・ライナーが、率直な意見を述べる。

 一方、副長であるシルフィー・フェネッチは、平然とした物だった。

「大丈夫、問題ない。何せこの私と、リーゼ・クーデルカがついているのだから。いえ、リーゼに限って言えば、なんと二人もいるのよ? これのどこに負ける要素があると?」

 と、その時――反エグゼツア艦隊に対し、無理やり通信回線が割り込んでくる。

 宇宙艦隊のモニターに映し出されたのは――かのバーグ・エグゼツアだった。

「これは、御大自らお出ましとは」

 桜子が微笑を以てこれに応じると、バーグも笑みを浮かべて言い切る。

『今となってはと言う感じだが、仮にも俺の花嫁候補だった諸君らだ。よって俺も一度だけ慈悲を見せよう。降伏ないし、我が方に協力せよ。そうするなら俺としても悪い様にはしねえ』

 それは、人によっては心が動きかねないほど、威厳に満ちた姿だ。実際、ウーマーは或いは不味いかと感じ、アプソリュウも内心舌打ちする。

 が、桜子はといえば、普通に彼と対話した。

「そうね。悪くない提案だわ。でも、私達は決めてしまったの。今度は私達主催の〝ロイヤルウエディング〟を開くべきだと」

『ほう? おまえ達の〝ロイヤルウエディング〟?』

「ええ。やっぱりあなたの主導のもと一方的に花嫁を選ぶと言うのは不公平だと思うのよね。あなたの方こそ、私達に相応しいか否かその器量を示す義務があると思う訳。簡単に言えば私達の誰かを花嫁に迎えたいなら――私達全員を倒してみろって事」

『………』

 桜子が、満面の笑みと共に嘯く。バーグは少し黙然とした後、こう切り返した。

『フハハハ、ハハハハっ! そうか、そう来たか! つくづく女と言うのは面白い生き物だ! 旧時代は男の風下に立っていたと言う話だが、今ではそんな話などお伽噺だと思える程だ! いいぜ、わかった。高峰桜子、おまえの言う通りだ。どうやら俺はおまえ等を皆殺しにする義務があるらしい。降伏という不名誉など許さず、徹底的に殺し尽くすのが俺の責務だ。そういう事で良いんだな?』

「勿論よ、バーグ皇子。ではつまらない会話はここまでにして、さっさと始めましょう。真の〝ロイヤルウエディング〟――決勝を」

 元花嫁候補の何人かが渋い顔をする中、それでも桜子は勝手に話を進める。

 それに応え、バーグ・エグゼツアも喜悦しながら最後に告げた。

『いや、その見かけでなければ俺はマジでおまえに惚れていたかもしれねえな――高峰桜子』

 それが桜子に眉をひそませるだけの意味がある言葉だと知らぬまま、バーグは回線を切る。

 ここに全ての予定調和は完了し――彼と彼女達は遂に殺し合う事になった。


     ◇


『へえ。どうやら私のオリジナルは、余り品が無い様ね。あんな下品な言い草で、殿方にケンカを売るなんて。でも、良いわ。これで私達全員を背水に追いやったそのやり口は、嫌いじゃない』

「言ってなさい、斑鳩。では、早速戦闘開始といきましょうか。全艦隊、全速前進! 桜子艦隊は前衛へ! ジルア、スハラ艦隊はその護衛にあたって!」

「同じく斑鳩艦隊も前衛へ。アプソリュウ、シスター・テイヘス艦隊はその護衛を命じます」

 司令席に座る二人の少女が、各々の艦隊に指示を送る。元花嫁候補達が、今こそ一人の花婿候補に牙をむく。その様を見て、バーグ・エグゼツアはもう一度笑った。

「いや――実に壮観だ。俺の為に集まり、殺し合っていた筈の女達が、今は俺を倒す為だけに協力している。これは最早――一つの奇跡に近い」

「……何を呑気な事を。相手はあの〝ロイヤルウエディング〟本戦に駒を進めた女性達なのですよ? お兄様は本当に、状況がわかっていて? これも全て、お兄様の思い付きが招いた事だと」

 ユーデルが窘める中、バーグは悠然と告げる。

「かもな。だが言っただろう。何があろうと一つだけわかり切った事があると。そう。例え誰が〝ロイヤルウエディング〟に勝ち抜き、俺を殺そうとしても、俺に敗北はねえ。今までも、そしてこれからも」

「……だと良いのですけど」

 その時、看過できない異変が起きる。

 何とバーグ達の意識が――とつぜん途絶えたのだ。

 ただ一人意識を保っているのは――かのユーデル・エグゼツアのみ。

 この異常な状況を前にして、彼女はぼやく様に囁く。

「全く。リーゼの時といいこの〝ロイヤルウエディング〟といい、お兄様は勝手なのだから。しかも全てのしわ寄せは私に来るとわかっていないのだから、余計始末が悪い」

 車椅子に座する少女が、嬉々として謳う。彼女は素早く敵艦隊のデータを読み取り、その上でただ念じた。特筆すべき点は――ユーデルが念じた通りに艦隊が動いた事だろう。

(でも、私の正体も知らずに戦いを挑んだのは、やはり早計ね。あなた達元花嫁候補達もリーゼ・クーデルカの二の舞になるだけ。この私があなた達を――リーゼが居る場所に送ってあげる)

 仮にこの異様過ぎる光景を桜子達が見ていたとしたら、どう思った事か。恐らくジルア辺りは、自分の主張を認めさせる事が出来たと喜んだだろう。リアリストであるチェリアやウーマーあたりは、ただ唖然とするに違いない。

 いや、ただ一つ言える事は、ユーデルの宣言は決してハッタリでは無いという事。何故なら彼女自身が言っていた通りだから。リーゼを敗北させ、クーデルカ公国を滅ぼしたのは、この少女――ユーデル・エグゼツアだ。その銀河一と言える戦術家である彼女が、遂に動き出す。ユーデル艦隊もまた、全速前進で反エグゼツア艦隊目がけて突撃した。

「――敵艦隊も動き出しました! しかも、これは速い! 私達より二倍近い速度で接近してきます!」

「だな。あの時と、第六次クーデルカ戦役と同じだ。私は常にエグゼツア側に先手をとられ、結局挽回が出来なかった。エグゼツアの強さは、その強さの根源は、この雷速の様な艦隊運動にある。それこそ、まるで指揮という過程を省いて艦隊を動かしているかの様な機動力が全ての要だ」

 桜子が目を細めると、ジルアが回線を通し進言してくる。

『……いえ、実際ユーデルは指揮と言う過程を省いているのでしょう。……念じるだけで他人を操作出来るなら、彼女は全ての用兵を考えただけで可能とする。……これは艦隊司令としては、余りに大きなアドバンテージだわ』

「でしょうね。実際、私も完敗しているもの。成る程。念じただけで全ての用兵が思いのままか。私が負ける訳だわ」

 が、サザーナ・ラミバは気が気でない。

『……何を呑気な。それはもう一度ユーデルに戦いを挑んでも、勝算はないという事ではなくて? 仮にそうだとしたら、わたくし達は今、とんでもない自殺行為に及んでいるという事だわ』

『ま、そうなるわね。他の皆もそう心配している筈だけど実際の所はどうなの、桜子?』

 斑鳩が、真顔で問う。桜子は一度だけ鋭い眼差しで敵艦隊を凝視した後、こう答えた。

「ええ。確かに……勝算は極めて薄い。……絶対に勝てるとは口が裂けても言えないわ。でもそれでも――私には一つだけ策があるのよ」

『へえ、偶然ね。私も――一つだけ策があるわ』

 高峰桜子と紅斑鳩。二人の少女が、謳う様に告げる。彼女達はそのまま全艦隊に通達した。

「そう。ここから先は完全な泥仕合よ。けど、私を信じて、今はただ指示に従って」

『バカね。そこは――〝私達の指示〟の間違いでしょうが。そういう事だから、皆よろしく』

 奇縁で結ばれた両者が、共に他の元花嫁候補達に檄を飛ばす。それはあのバーグの偉容にさえ匹敵するナニカだ。ならば、彼女達もまた微笑むしかない。

『いいわ、行きなさい、紅斑鳩。少し悔しいけど、その名前は貴女にこそ相応しいから』

『そうね。ちょっとムカつくけど、やっぱアンタは私を倒しただけの女だわ、高峰桜子』

 シスター・テイヘスとヒリカ・ヒーヤが、苦笑いまじりに口にする。

 それを受け――二人のリーゼ・クーデルカは更に高揚した。

「結構。では全艦とも尚も全速前進。同時にいよいよ君の出番だ、〝金狼〟――シルフィー・フェネッチ」

「了解」

「そうね。私もそろそろ出番なので、暫く席を外すわ」

 それは、意図が不明な命令だった。何せシルフィーは、白兵戦以外役に立たないと言われた少女である。だと言うのに、今はまだ攻撃の射程距離にすら入っていないこの状況で彼女の出番? 

 ニコやスカーラ辺りが首を傾げる中、その馬鹿げた光景は現実の物になる。

 シルフィーと斑鳩が、シールドを張った船のデッキに出る。二人は腰にさしたサイコブレイドの柄を握ると、それを持って構える。後はもう力の限り、それを振り下ろした。

「いっけ――っ!」

「落ちなさい」

「く? バカな!」

 ソレはユーデルが、一瞬、驚愕するほどありえない光景だった。何せ、二人の少女が剣を振り下ろした瞬間、それは全長十万キロの光の剣と化したのだから。両者の剣は一振りで――事もなくエグゼツア艦隊を合計十隻ほど撃沈させる。この非人間的な業に、花嫁候補達は誰もが驚嘆した。

「――なんだ、アレはっ? あいつ等――本当に人間かっ?」

 オライア・セイアですらそれは初めて見る光景で、だから笑わずにはいられない。たった二人のちっぽけな人間が、全長三百メートルはある船を五隻両断する。

 このとき誰もが、シルフィー・フェネッチが〝金狼〟と呼ばれる訳を知った。

『って、さすがはリーゼのクローン。私や彼女と同じ業が、しっかり使える訳ね』

『フ。そっちこそ、相変わらずの化物ぶりじゃない。貴女に完勝した事を、オリジナルが自慢する訳だわ』

 二人の少女が更に光の剣を振りかぶり、それを振り下ろして敵艦を撃沈させる。それもシールドを張った、完全防備の船を。この異様を見て、ユーデルは失笑した。

(そう。あの金髪の娘――やはりシルフィー・フェネッチか。クーデルカ戦役でも同じ事をしていたけど、やはり反則過ぎるわね、その業は。でも、もう一人は誰? まさかシルフィーと共にあの業を為せるという事は……リーゼ・クーデルカ? 彼女もまた生き残っていたと言うの……?)

 ついでユーデルは〝ロイヤルウエディング〟のデータを確認する。

 そこで彼女は、花嫁候補達に遺伝子検査が行われていない事を初めて知った。

(これもお兄様のミスね。まさかこんな初歩的な検査をおざなりにするなんて。お蔭で私は、リーゼという大敵を花嫁候補の一人として認める羽目になった。と言う訳でお兄様、その埋め合わせをして下さるかしら?)

 ユーデルが念じると、バーグが起き上がる。彼もそのまま船のデッキに出て、手にしたサイコブレイドを振りかぶり、振り下ろす。

 それだけであろう事か――桜子側の船は十隻ほど撃沈していた。

「――バーグ・エグゼツアが出てきたわね! なら、此方も予定通り行動するのみ! シルフィーと斑鳩はバーグと交戦! 力の限り、彼から有人船を守って! 更に、両名に命じるわ! 艦隊の指揮を執りつつ、シルフィー達の援護にまわってちょうだい!」

『了解。人使いが荒い――艦隊司令殿』

 軽く毒づきながら、その両名が動き出す。ジルア・キルドとアプソリュウ・ソウドが――今度はデッキの上に立つ。この二人も手にしたサイコブレイドを振り上げ――振り下ろす。その目映い光の剣は――確かに二人で十隻の船を撃沈させていた。

(ジルアに、アプソリュウか。なら、此方も応戦するまで)

「……というか、本当に、何だアレ? 副長も斑鳩もジルアもアプソリュウもバーグも……化物過ぎるだろう? なんで〝ロイヤルウエディング〟であの業を使わなかった……?」

 機関長ボーゲン・カスハが、尤もな事を呟く。桜子は、普通に応じた。

「いや、武器の持ち込みは禁止だったし、バーグの部下も言っていただろう。〝ロイヤルウエディング〟は飽くまで同じ条件下で競う物だと。なら、あんな反則業、認められる訳も無い。それより状況は?」

「……あ、は、はい! 後十秒で、我が方も敵艦隊も攻撃の射程距離に入ります! も、申し訳ありません! 余りに人間離れした光景を前にし、報告が遅れました!」

「だな。今後は注意する様に。と、向こうも手を打ってきたか。クーデルカ戦役では使ってこなかったが、やはり隠し玉が居たらしい。これはそういう事でしょう、ジルア?」

『……ええ。……恐らくイグナム・ナッチェ大将にムーバー・リィ大将ね。……見ての通り、二人とも私達と同じ業が使える』

「つまり……今の所戦力はほぼ互角か。ここまでは予定通りね。では、そろそろ此方の作戦を通達するわ。皆、このまま全速前進して、砲撃を開始。それ以外は――何もしないで」

『……は? それだけ? アナタの策って、まさかそれだけなの?』

 カルカナ・エットが、息を呑む。桜子は、ここでも態度が全く変わらない。

「ええ。それだけが私の唯一の策よ。いいから見ていて。仮にユーデル・エグゼツアの思考レベルが人間と同一の物なら、恐らく効果がある筈だから」

『って、紅斑鳩も同じ意見なのですか?』

 チェリア・スハラが問うと、彼女も頷く。

「そう。全艦、このまま総攻撃を維持して突撃。後は何もしなくていい」

 いや、斑鳩は桜子と違い、余りに多忙だった。シルフィーにして化物じみていると評させるバーグの攻撃を、食い止め続けているのだから。

『というか奥の手とか無いの、司令? 実は子犬に負けたと言うエピソードはやっぱり嘘で、実は司令は斑鳩並みに強いとか?』

「いや、残念ながら嘘ではないよ、副長。私は完膚なきまでに――子犬に負けた」

『だから何でちょっと誇らしげなのよっ――このバカ司令!』

 渾身のツッコミを入れつつ、シルフィーは奮戦し、斑鳩もそれを支える。

 いや、数で勝るエグゼツア艦隊は、このまま桜子艦隊をのみこもうとしていた。

(いえ、そう見せかけて策を用意しているのでしょう、リーゼ・クーデルカ。よって中央艦隊は出力を五十パーセントにダウンして微速前進。U字状に艦隊を変化させつつ敵艦隊を包囲。そのまま挟撃して全滅させる)

 が、ユーデルがそう思考した時には、桜子艦隊は既に鼻先に迫っていた。

(な、に? 此方の動きに対応してこない? どういうつもり、リーゼ・クーデルカ?)

 よって、この時、桜子側の被害は甚大だった。

「ラミバ旗艦、中破! 航行不能です!」

「で、ラミバ艦長の安否は?」

「それは問題ありませんが、まさかこのまま前進すると……?」

 桜子の答えは、決まっている。

「ああ、ならば問題ない! 我が軍は――このまま全速前進!」

「つっ! ですが続けてエット旗艦も大破です。艦長の生死は不明!」

 が、桜子の指示は変わらない。彼女はただひたすら前進を繰り返す。

(……何を考えている? まさか、無策で突っ込んでくるつもり? いえ、そんな訳がない。相手は、あのリーゼ・クーデルカ。必ず何らかの策を以て戦いに臨んでいる。その筈なのに、間違いなくそうに決まっているのに、何なのこの艦隊運動は――?)

「エイ旗艦、スハラ旗艦、大破! やはり艦長の生死は不明! 高峰指令……っ?」

 が、その時、回線を通じて声が届く。

『此方キーマ・エイ! ジェット・ハリマン共に無事よ! ――いいから行きなさい高峰桜子! この先に私達のゴールがあるのでしょう?』

『はい! 私達もここで死ぬつもりはありません! 故に貴女は貴女の思う通りの道をつき進んで、桜子司令!』

(……何なの? これは、一体……何?)

「ソウド旗艦、大破! いえ、敵艦にも大打撃を与えた模様! 司令、ソウド艦長が!」

 アプソリュウが、桜子に敬礼を送る。それ見て桜子も敬礼を返し、彼女達は突き進む。

「……ええ、ありがとう、ラミバさん、エットさん、エイさん、スハラ少佐、アプソリュウ、皆。皆の想いは――絶対に無駄にはしないから!」

(私に策が無いと思わせる事が、彼女の策? これはその為の突撃? いえ、やはり彼女には策など無い……?)

「ええ、そう。あなたはきっと、リーゼ・クーデルカを知り過ぎている。それこそ研究に研究を重ね、第六次クーデルカ戦役で勝利をおさめたのでしょう。でも、だからこそただ突っ込んでくるだけの私の意図がわからない。考えれば考えるほど、ただ混乱していく。その度に思考がフリーズして、反応が遅れ、攻撃の手も緩む。そしてただ突っ込むだけなら――私達はあなたの思考速度を上回る艦隊運動がとれる……!」

 故に斑鳩は奥の手とはならず、早々に自らの存在をアピールした。敵艦隊にはリーゼ・クーデルカが居ると、敢えてユーデルに教えたのだ。そうなれば、確実に彼女はリーゼを必要以上に警戒するから。

 その布石が――今こそ花開く。

(……だから、一体何なのよ、あなた達は……っ?)

「今だ! バーグが剣を振う敵旗艦目がけて――ワープ!」

「で、ですが敵旗艦はバリヤーが健在です! バリヤーを通り抜けて敵旗艦にワープすれば、本艦は再ワープ出来なくなります! 本艦のワープ装置はオーバーヒートして使い物にならなくなり、脱出が困難になります!」

「大丈夫、私を信じろ――ミレア・フット」

「つっ? はい――桜子司令!」

 すかさず、斑鳩も指示を送る。

「ズーマ。わかっていると思うけど――以下同文よ」

「……は! 了解しました!」

 ユーデルも、咄嗟に判断を下す。

(くっ! 不味い! お兄様の回収急いで!)

 同時に――斑鳩の旗艦と桜子の旗艦がユーデルの旗艦の直ぐ真横にワープしてくる。

 ユーデルの船を挟む様に並ぶ両艦はコロニーの時と同じ要領で船に穴を空け、艦橋を繋げる。そのまま桜子は立ち上がり、全クルーに向け敬礼した。

「皆、ご苦労。だが、ここから先はどうやら私の仕事らしい。悪いが皆は、ここで私の帰りを待っていてもらいたい」

 それに、ルックは真っ先に反応する。

「そ、そうか。バーグ皇子の身柄を押え、色々証言させるんだな? ……しかたねえ。これも腐れ縁だ。私達はちゃんとアンタを待っていてやるからさ、さっさと片付けてきな」

「右に同じく。ちゃんと帰ってきてくださいね、司令」

「ああ、絶対死ぬんじゃねえぞ、司令」

 レーゼとボーゲルもそれに続き、最後にオペレーターのミレアが桜子に敬礼を送る。

「はい! 私も司令と共に戦えた事を誇りに思います!」

「ああ。すまない、皆。では、今度は朗報と共に帰還する事にしよう」

 笑顔を浮かべながら、桜子はブリッジを後にする。

 その後シルフィーと合流し、桜子は回線を通じて全艦隊に命じた。

「私と斑鳩は所用がある為、一時、艦隊司令の任を辞する。これ以後は全権をジルア・キルドに委ねるので、皆、彼女の指示に従う様に」

 その頃には桜子とシルフィーは艦橋を渡り、敵旗艦に侵入して、敵艦のブリッジに至る。見ればそこには斑鳩とズーマの姿もあって、彼女達四人は上座に座する少女に目を向けた。

 ユーデル・エグゼツアと言う名の仇敵と――彼女達は遂に対峙したのだ。


     ◇


 では、ここで少し彼女について語ってみよう。彼女がその天性に気付いたのは、五歳の頃。玩具代わりとばかりに、艦隊戦のシミュレーションを行った時だ。

 彼女はその若年でレベル十のAIに勝利し、大人達の注目を集める事になる。周囲の人々に天才ともてはやされ、彼女は自分が正しい事を行っていると疑わなかった。

 自分の才能はきっと皆が幸せになる為にある。そう信じ切った彼女は、やがて己を誇らしく思う様になった。いや、まだ子供である彼女がそう考えるのは極自然だったのかもしれない。

 だがその魔法は、その盲信は、ある日崩れ去る事になる。

 原因はあの――第一次クーデルカ戦役だ。

 そこで彼女は初めて艦隊の指揮を執った。既に主立った将軍達はエグゼツアの大艦隊に敗れ、彼女の父は藁にもすがる思いだったから。突如侵攻してきた侵略者を前に、クーデルカ公国は十五歳の少女に全てを委ねる他なかった。味方と敵の戦力差は三対七程もありクーデルカは絶体絶命の危機に陥っていた。

 けど、誰もが今日が公国最後の日だと痛感した時、彼等は奇跡の目撃者となる。件の十五歳の少女は全身全霊を以て軍を率い、奇策を以て侵略者達を撃退したのだ。この偉業を聴き、誰もが彼女を褒め称え、羨望し、英雄に祭り上げた。

 その事に疑いを抱く国民は皆無と言ってよかったが、ただ一人彼女自身だけは違っていた。

〝……何っ、これは……っ?〟

 大破した敵艦を収容し、その検分を行った彼女は、思わず言葉を失う。その敵艦の中は正に地獄だったから。

 下半身を吹き飛ばされながら、尚も死にきれない兵士が居る。片腕をもがれながら、自分に対し恨み言を言い続ける兵士が居る。涙ながらに、殺してくれと懇願する腸を撒き散らした兵士が居る。愛する人達の名を呟きながら、息絶えた兵士も居た。

 それら全てが自分の所業だと知った時――彼女は初めて自分が何者なのか知ったのだ。

 わかっているつもりだった。予備知識はしっかりあるつもりだった。戦争とはこういった人々を生み出す場だと理解していたのに、彼女は吐き気を押えきれない。自分は英雄等では無くただの人殺しだと強く実感し、やがて彼女は自分を否定する事になる。

 己を認められなくなった少女は、ただひたすら自分を否定し続けた。その後、四度彼女は不利な戦いで勝利をおさめ、その名声は高まったが、彼女だけは違った。

〝……そう。私は、ただの人殺しだ。確かに、大義はクーデルカにあった。でも、それでも、私はやっぱり人殺しなんだ。本当に正しいのは戦争で勝利する事では無く、外交を以て戦争を回避する道。私は叶うなら、戦争を回避する才能を持って生まれてきたかった……〟

 誰もが戦争と言う名の殺戮を正当化するため理論武装する中彼女はそんな事さえ出来ない。

 誰もがその殺戮は正しい物だと称賛する中、彼女だけは自分を拒絶し続ける。

 逆に自分の存在を疑いさえしはじめた頃、彼女に転機は訪れた。

〝あ? 侵略者風情が偉そうな事を言うな? 所詮俺はただの人殺しだと? そうか。おまえは自分自身の事も、そう思って生きてきたんだな……〟

 彼女はその日――初めて彼と出会う。

 いや、その筈だったが、彼は事も無く自分の想いを読み取っていた。

〝本当は誰も殺したくないが、殺し続けなければ今度は自分の身内が殺される事になる。本当に度し難いジレンマだ。おまえの様な軟弱者が、天才的な軍事力を持っているって言うんだから。いや、不器用者の間違いか。戦争に参加する殆どの者が自分を正当化しているっていうのに、それさえ出来ないんだから。けど、それでも、俺はそんなお前が嫌いじゃない。戦争を心から憎み、それなのに戦争にかかわり続けるしかない自分に疑問を抱くお前が好ましい。だからお前は好きなだけ自分に疑問を抱くといい。納得いくまで苦悶し、何時か自分を救えるだけの答えを導き出せ。俺はその間も人を殺し続けるだろうが、その業は俺だけが引き受けよう。今日からお前は、ただの王女だ。もう戦う必要が無い、ただのお姫様。お前が流す筈だった血は、俺が全て受け持つ。俺は最期の瞬間まで戦場に立つだろうが、その間は絶対にお前に人を殺させたりはしない。だから、お前は黙って俺に嫁げ――リーゼ・クーデルカ〟

 その言葉を聴いた時彼女は唖然とし、反感らしき物を抱いて、それから救われたと思った。初めて他人に自分の気持ちを受け止めてもらい、救いの手を差し伸べられた気がした。

 だから、彼女は思わずこう言ってしまったのだ。

〝……貴方、バカだわ。本物の、バカ。バカなのに、バカの癖に、何で、私が最も欲している願いを叶えようとしているのよ……?〟

 それが、初めて彼と交わした会話。彼女が初めて、異性に惹かれた瞬間だった。

 彼女は、リーゼ・クーデルカは――このとき確かにバーグ・エグゼツアに恋をしたのだ。

「……でも私は間違っていたのかもしれない。私の負い目を他人に押し付けるというのは大いなる誤りなのかも。正しいのは斑鳩の方で、私は自分で自分を認められる様にならなければいけないのかもしれないわ……」

 斑鳩の横に立つ桜子が、思わずそう漏らす。斑鳩は桜子を一瞥した後、失笑した。

「そうね。そうだった。私は、いえ、私達は本当にバーグが好きだった。だからこそ、今も彼を恨み切れない。でも、全ての責任を彼に押し付けるその生き方は、やっぱり間違っているのよ」

 だが、述懐の時間はそこまでだ。二人のリーゼは、車椅子に座る少女から決して目を離さない。斑鳩は少女に向かって、至極当然な疑問をぶつける。

「で、結局あなたは何者なの――ユーデル・エグゼツア?」

「その質問に答える前に、私からも問いましょう。なぜあなた達は、我が旗艦を沈め様としないの? それってやっぱり、私がお兄様を人質にとっているから? つまり私の心証通りだったって事かしら? お兄様は本気でリーゼに惚れていて、リーゼもまたお兄様を好いていた。だとしたら、凄く愉快だわ。リーゼ・クーデルカは――今からそのお兄様と殺し合わなくてはならないのだから」

「成る程。あなたが思いの外ゲス野郎である事はよくわかった。だから、さっきの質問には答えなくていい。どんな答えが返ってこようと、私はあなたを叩き斬ると決めてしまったから」

 斑鳩が、酷薄な笑みを浮かべる。その殺意に応え、ユーデルは微笑んだ。

「そう? けれど、意外だったわ。まさかリーゼが、二人も居たなんて。でもよくよく考えてみれば、決勝戦が引き分けに終わった時点でそう考えるのが妥当よね。リーゼに勝てる者など私位の物なのだから」

「かもしれないわ。けど、あなたの意識は今、私達に向いている。その所為で他人を操作しきれず、十分な用兵は行えない。ならこの勝負、どちらに分があると言えるかしら?」

 桜子が真顔で嘯くと、ユーデルは目を細める。

「一つ、良い事を教えましょう。私を倒さない限り、お兄様達を正気に戻すのは無理よ。彼等は理想の自分を演じている為、操作されている事にも気付いていないから。寧ろ今の自分達が当たり前だとさえ思っている。つまりお兄様が私の矛であり盾である以上、あなた達に勝機は無いと言う事。その意味が理解出来て、リーゼ・クーデルカ? あなた達にお兄様を救い出す事は不可能だと、私は教えてあげているの」

 が、斑鳩は最早彼女と会話をする気は無く、さっさとサイコブレイドを構える。

 これに呼応してシルフィーも光の剣を放出させ、臨戦態勢を整えた。

 代りに桜子が、最後に告げる。

「あなたこそわかっていないわ。リーゼ・クーデルカとは――不可能を可能にする存在だと。五度奇跡を起こしてきたのがこの私だと知りなさい――ユーデル・エグゼツア」

「大言を。私に国を滅ぼされた――亡国の王女が」

 それが――最後の戦いの合図となった。

 紅斑鳩とシルフィー・フェネッチが、同時に地を蹴る。

 それを迎撃するのは、両手に大剣と言うべきサイコブレイドを握ったバーグ・エグゼツア。

 三者は雄叫びを上げながら接近し、やがて剣と剣を衝突させる。

 その衝撃にズーマは息を止め、桜子は奥歯を噛み締める。それは正に一つの暴風と言えた。それだけの圧倒的な武力を、バーグは発揮し続けていたから。

「って、本当に何者よ、この野郎はっ? リーゼ以上の化物が居るなんて、ちょっと信じられないんだけどッ?」

 その大剣を必死に受け止め続けながら、シルフィーがぼやく。

 それを前にして、桜子は冷静に解説した。

「恐らく彼は、ユーデルによって潜在能力の全てを引き出されているのでしょう。言うなればリミッターが無くなった人間という事よ。既に今のバーグは――人の域を超えている」

「厭な解説をどうも! それで策は無いの、リーゼ、じゃなくて桜子っ?」

 斑鳩もリーゼなので、シルフィーは敢えて彼女をそう呼ぶ。

 が、それよりはやく斑鳩は動いていた。

「ちょっと任せた、シルフィー」

「って、待ちなさい、斑鳩! 私にばっか、こんなの任せるんじゃないわよ!」

 だが、黒い弾丸と化した斑鳩は一息でバーグの脇をすり抜け、ユーデルに肉薄する。彼女は当然の様にユーデル目がけてサイコブレイドを振り下ろす。が――それは事もなく弾かれた。

「サイコシールドか。やはり、そう上手くはいかないわよね」

 しかし、斑鳩は喜悦して後ろに飛ぶ。

 そのままシルフィーと合流し、彼女はバーグとの斬り合いを再開していた。

「そう。私を傷付ける事は、何人にも出来ない。でも、果たして彼女はどうかしら?」

 ユーデルが微笑むのと同時に、斑鳩とシルフィーを弾き飛ばしたバーグが桜子に迫る。

 いや、彼の大剣は確かに桜子へと振り下ろされ、それを見てシルフィーは半ば絶望する。けれど、彼女達はその一撃さえ防いでみせる、桜子のサイコシールドを見た。

「やはり、精神力までは衰えていない様ね、高峰桜子。恐らく別人の体に脳を移した事であなたは体の操作が不自由になった。その所為でかつては無敵を誇った剣士であるあなたは、今やただの哀れな足手まとい。これは――そう言う事なのでしょう?」

 自分達に背を向けているバーグに、斑鳩達が剣を振り下ろす。が、それさえも感知したバーグは平然とこれを防ぎ、逆に彼女達を吹き飛ばしていた。

 サイコブレイドに、サイコシールド。それ等は、使用者の精神エネルギーを元に具現する、一種の矛であり盾だ。けれど、当然の様に普通の人間では十万キロに及ぶ光の剣などつくりだせない。それが出来るのは、超絶的な天才と言うべき一握りの人間だけ。

 ならば、これは一種の奇跡と呼べるだろう。それだけの天賦の才を誇る人間が、四人もこの場に集まっているというのだから。

 舞う様にバーグの大剣を受け流す――斑鳩。

 裂帛の気合を以てバーグの大剣を弾き飛ばす――シルフィー。

 その両者に攻撃の隙さえ与えない――バーグ。

 ついで斑鳩は――己の決意を自覚した。

(想像以上の化物。やはり、柄にもなく慈悲の心など見せずにバーグごと旗艦を消し去るべきだった? いえ、違うわね。そんなのは、私が目指しているリーゼ・クーデルカがする事じゃない。私が思い描くリーゼ・クーデルカなら、この程度の逆境、それこそ奇跡を以て撥ね退けるわ。仇敵を倒し、惚れた男を奪還して、大団円に至る。それが私の、いえ、私達の理想とする――リーゼ・クーデルカ。そうでしょう、高峰桜子?)

 同じ想いは――シルフィーにもあった。

(まさか、本当に再びリーゼと共に戦う日が来るなんて。でも、貴女はきっと私の気持ちを知ったらドン引きするんでしょうね。本気で貴女に惚れている私の気持ちを知ったら、それこそ顔を青ざめるに違いない。そう。貴女はこんな不利な状況になると知った上で、きっとバーグを助け出そうとしている。それ程までに、貴女は彼を好いている。でも、私は貴女のそういうバカな所も含めて――好きなのよ!)

 よって、両者の奮戦は続く。狂戦士さながらの形相と化したバーグ相手に、彼女達は一歩もひかない。いや、ユーデルはまだその事に気付いていない。シルフィーはともかく、斑鳩がわざと防御に専心しているその事に。

 彼女は、何かを待っている? だが、そう思わせない程にバーグの攻勢は苛烈を極めた。この戦況を見てユーデルは嬉々とし、桜子は固唾をのむ。明らかに前者に余裕が見られた頃、彼女はつまらなそうに告げた。

「でも、そうね。やはりリーゼが二人もいると言うのは、気に食わない。あなたには早々に消えてもらう事にしましょう――高峰桜子」

「つっ?」

 バーグが、両腕をクロスさせる。それだけであろう事か、斑鳩は全てを読み取る。

 だが、この場合、どちらを優先するべきか? 使命か、それとも彼女の命?

 途端、バーグがクロスしていた腕を広げると、彼の大剣から数百に及ぶ光の刃が放たれる。

 それをシルフィーは何とか打ち落とし、斑鳩は――空に向かって飛んでいた。

(間に合うかっ?)

 が、その頃には、ユーデルがバーグにサイコエナジーを注ぎ、攻撃力を増幅させる。その破格の一撃を以て、高峰桜子をこの世から抹殺しようと図る。

 事実、バーグが二刀を以て剣を薙ぎ払うと、事もなく桜子のシールドは破壊されていた。

 ならば、詰みだ。防御を失った今の桜子に、次の一撃は防げまい。

 誰もがそう思った時、ただ一人の例外が動く。斑鳩はそのまま天井にサイコブレイドを突き刺し、超速で刀身を伸ばす。瞬く間に地上へと着地した彼女は桜子の体を脇に抱え、その場から離脱しようとする。

「――斑鳩っ!」

「く――っ!」

 が、バーグの一撃は斑鳩の脇腹に決まり、その瞬間、彼女の体は斬り裂かれていた―――。


     ◇


 それは彼が苦悩の末に行った、策だった。彼は軍属でありながら、件のプロジェクトにもかかわっていたから。リーゼ・クーデルカのクローンを量産しようという計画に、彼は携わっていたのだ。

 それも当然か。

 今のクーデルカはリーゼ一人の力によって、辛うじて存続している様な物だ。もし彼女が戦死でもしたら、その時点でクーデルカは亡びる。その事を痛感している政府の上層部は、だからその計画にふみきった。リーゼ本人の協力のもと、彼等はリーゼと言う天才を増やし、戦力の増強を図ったのだ。

 しかし、その計画は決して順調と言えたものではない。何故かクローン達の情緒は不安定で、攻撃的な性格を生まれながらに持っていたから。時に研究員に襲い掛かり、彼等を殺害する事もあった彼女達は、だから危険視される事になる。

 やがてプロジェクトの失敗を確信した責任者は、この計画を凍結させる事にした。数名のクローンを冷凍保存したままこの計画は見送られ、全ては終わったかの様に思われた。

 けれど、やがてその転機は訪れる事になる。

 あのリーゼ・クーデルカがエグゼツアに敗れ、クーデルカが遂に滅亡したのだ。その時彼は息も絶え絶えのまま、冷凍保存用のカプセルごとクローンの一人を保護した。必死に考えた末に、彼にはそれしかバーグに復讐する方法が思い浮かばなかったから。彼はリーゼ・クーデルカのクローンを使い、エグゼツアに報復しようと考えたのだ。

 しかし件のプロジェクトに関わっていた彼はそれが危うい事である事も理解していた。クローンが歪んだ性質を持っている事を知っている彼は――だから直ぐには行動に移れない。

 結果、一年ものあいだ彼は思い悩み、その末に、自身の命を懸ける事にした。それ程までに彼にとってリーゼ・クーデルカはまばゆい存在だったから。彼女はきっと自分の事など知らないだろうが、彼は心底から彼女に憧れていた。

 その彼女を裏切り、抹殺したバーグの行いを、この彼が許せる筈も無い。故に、仮にクローンが危うい行動をとろう物なら、刺し違えても殺すつもりでいた。彼は従順に振る舞いながらも、常に彼女の動向を監視し続けたのだ。

 そして、彼はいま知る事になる。自分の行動の結果と、その結末を。

「斑鳩様ぁあああ―――っ!」

 その絶叫は、偽りの物では無い。彼が無意識に上げた、本心からの叫びだった。そのまま斑鳩は壁に背中を打ち付け、ゆっくり床に体を預ける。桜子は、この時、彼女を叱咤した。

「――バカなの、貴女は! 今のはユーデルの防御にも隙が出来る業! なら、その隙をつく事だって貴女には出来た筈なのに……!」

「そ、う。やっぱり、ね。あなたは、じぶんをまとにするため、あえて、このせんじょうに、やってきたわけ、か。それしか、あしでまといであるじぶんが、やくにたてないと、おもっていたから。でも、なんというか、こういうのは、やっぱりりくつじゃないのよ。わたしは、ただじゅんすいに、あなたに、しんでほしくなかった。だってまだ、あなたとのけっちゃくは、ついていないから」

 今もシルフィーが必死にバーグをおさえる中、斑鳩が微笑する。桜子は眉根を歪ませ、彼はただ涙する。まさか、彼女の為に涙する日が来るとは、思いもしないまま。

「そう、です。私は貴女を利用しただけです。真なるリーゼの仇をとる為だけに。クローンの殆どが、情緒が不安定で、危うい存在だと知っていながら。なのに、貴女は、何で、何で、何時だって私の予想を超えた行動をとってきたんですかっ?」

 そうだ。彼女は、紅斑鳩は、何時だって彼の理想通り行動した。彼が危惧した様な真似は決してせず、慈愛さえ感じる瞬間さえあった。だから、彼は今になって漸く気づく。

 それは、彼が憧れたリーゼ・クーデルカその物ものの行為だと。紅斑鳩こそが、彼にとって紛れも無くリーゼ・クーデルカそのものだった。

 それ故だろうか。ここでも斑鳩は、微笑する。

「いえ、アナタはせいかいを、ひきあてた。だから、アナタはなにもまちがっていない。だから、オズマ・ギエット、アナタはむねをはりなさない」

「……斑鳩、様っ!」

「そう。わたしのせいは、きっと、このためにあった。むかちなものとして、はいきされおわるはずだったわたしに、アナタたちはいみをあたえてくれた。せいという、おおいなるじゅうじつを、もたらしてくれたの。だから、わたしのやくめは、ここまで。あとはすべて、アナタのしごとよ。いききなさい、たかみね、さくらこ。いえ、わたしがみとめたゆいつむにの――リーゼ・クーデルカ」

 その時、戦場のただ中にあって、高峰桜子は、いや、リーゼ・クーデルカは、初めて頬を濡らす。

「……ああ。私は漸く認められた。他ならぬ、自分自身に。本当に、ありがとう、紅、斑鳩。いえ、敬愛すべき――もう一人のリーゼ・クーデルカ」

 彼女が差し出したサイコブレイドを、リーゼが受け取る。

 そのまま彼女は立ち上がりながら、微笑んだ。

「斑鳩をお願い。そう、そうね。絶対に彼女を死なせないで――オズマ・ギエット大尉」

「……な、なぜ、私の階級をっ? 貴女は、私の事をご存じだったのですかっ?」

「それはそうでしょう。何せ私と一緒に、命を懸けてくれる人達なのよ。そんな貴方達の事を知らない筈が無いじゃない」

「……ああ、ああああああああっ!」

 彼は、オズマは、一度だけ嗚咽した後、斑鳩を抱え、この場を走り去る。

 それを見送った後、リーゼ・クーデルカは悠然と、シルフィー・フェネッチに問うた。

「まだやれる、シルフィー?」 

「誰に言っているのよ、誰に! それより、どういうつもりっ? 貴女、奥の手はなかったんじゃないの?」

「いえ、子犬のエピソードは嘘では無いと言っただけで――奥の手が無いとは言っていない」

「なっ? だったらさっさと使いなさいよっ! あ、いえ、違うか。使った瞬間、死ぬかもしれない業なのね……?」

 シルフィーがそう察すると、リーゼも斑鳩の様に微笑する。

 だが、そこから先は、渾身の気迫だけが彼女を支配した。

「勝つわよ――シルフィー。私達には、それだけの義務がある」

「は! 言われるまでもないわよ――リーゼ!」

 途端、リーゼは懐から取り出した機械のスイッチを入れる。その瞬間、ユーデルは目を疑った。あろう事かバカげた事に、リーゼの動きが斑鳩達に匹敵する物に変わったから。

「バカ、な。一体、何を? まさか、あなたは――?」

 そう。リーゼ・クーデルカもバーグ・エグゼツア同様、リミッターを切ったのだ。

 他人の体に脳を移した為、嘗ての運動能力を失ったリーゼ。だが、この時、彼女は脳と体の繋がりを常人以上に密接にする器具のスイッチをオンにした。

 結果、彼女は嘗ての自分、いや、それ以上の自分となり、バーグと交戦する。その様を見てユーデル・エグゼツアは悪寒の様な物を覚えた。

「で、でも、あなた達にお兄様を倒せる訳がない!」

 それは間違いない。現に、リーゼが参戦し様とも、バーグの有利は覆らない。バーグの両腕は、それぞれ別の意思があるのではないかと思う程に自由自在に稼働する。彼の両腕は正に双龍となって、リーゼとシルフィーをのみこもうとする。

 それを必死に受け流す、リーゼとシルフィー。防御に徹するしか無い、彼女達。

 だがそれは、あの斑鳩の時と同じ光景では無いのか? 実際、リーゼは意味がわからない事をユーデルに告げた。

「いえ、あなたは勘違いしている。私達をこの場に誘ったのは、私達じゃない。バーグ・エグゼツアその人よ」

「なん、ですって?」

「そう。彼はあなたに操られながらも、無意識にあなたを倒す方法を考え続けた。その結果があの〝ロイヤルウエディング〟よ。あの大会は、彼が自分の花嫁を選別する為の物じゃない。あの大会は、あなたを倒せるだけの戦力である私達を集める為だけに開かれた物だったの」

「ちが、違う。そんな訳がない。お兄様が、私という存在に疑問を抱く訳がないわ!」

「いえ、全て事実よ。その証拠に、あなたは彼の全てを操っていた訳じゃない。私との婚約はあなたにとっても計算外だったのでしょう? 彼を独占したかったあなたは、だから彼と本気で婚姻し様としていた私を殺そうとした。彼を操作し、クーデルカごと私の抹殺を図った」

「…………」

 それは事実なので、ユーデルも反論できない。尚も防御を続けながら、リーゼは続ける。

「というより、あなたはそもそもの前提を私達に問うていない。なぜ私達が、あなたが他人を操作できるか知っているのか訊いていないでしょう? それは一体――何故なのかしらね?」

「つっ? まさか、ジルア・キルド? お兄様がたった一度失敗しただけで、ジルアを解任したのは、その為? お兄様が彼女に、私の事を調査させる為だって言うの――?」

「ええ。そして――ジルアと彼の関係を快く思っていなかったあなたは、この策にのってしまった。彼の計画通りに全ては進み、私達はいまここにいる。あなたは彼とジルアを軽んじた時点で既に穴だらけになっていたのよ。この戦争はバーグとジルアの手によって始まり、バーグとジルアの手によって終わる。私達全員はあなたを倒す為だけに、彼の手によって集められたから。私達の内の誰が欠けてもここまで来られなかった。そう。あなたの敗因は一つ。あなたはサイゴまで一人だったけど――私にはもう一人の私と多くの仲間が居た。これはそう言う事よ――ユーデル・エグゼツア!」

 が、ユーデルはその現実を、力の限り否定した。

「――違う、違う、違う、違う! そんな訳がない! そんな訳が無いのよ! お兄様が私を否定するなんて、絶対にありえないんだから!」

 けれど、彼女がそう叫ぶ中、ソレは起きた。彼女達が乗る旗艦を、何者かが攻撃したのだ。それは正に、破格の一撃。ユーデルが張っているサイコシールドのエネルギーを、半分以上注がなければ防げない程の衝撃だ。

「これは――まさかジルアっ? どう足掻こうと引き分けどまりの筈のナッチェ大将を、彼女が倒したっ?」

「ええ。言ったでしょう。あなたはいま私達に意識が向いていて、バーグ以外の他人を操作しきれていないと。そんな状態にあるのなら――あのジルア・キルドが負ける筈がないじゃない。ここでもあなたは、ジルアを軽んじた」

 然り。斑鳩やリーゼが待っていたのは、正にこの瞬間。

 彼女達はジルアの援護を待望し、それが叶った時、ユーデルの防御は薄くなる。

 ならば、その一瞬の隙を――リーゼ・クーデルカはつくのみ。

 故にリーゼはこのとき万感の思いを込めて吼え――ユーデルは恐怖を覚えて絶叫した。

「ユーデル・エグゼツア……っ!」

「リーゼ・クーデルカぁあああ―――っ!」

 そして、ユメの終焉は訪れた。

 彼はこの時、断じてユーデルの支配下におかれていない。彼はいま正気に返り、全ての状況を瞬時にして理解する。

 その上で跳躍し、彼は、バーグ・エグゼツアは、その身を以て赤の他人を庇っていた。

「ああ、あああああああああ―――っ?」

 その瞬間、リーゼが突き出した剣は、確かに彼の体を貫いたのだ―――。


     ◇


 打ち明けてしまえば、彼女も自分の事はよくわかかっていない。ただ自分は彼とは違う星からやって来たと言う事は間違いないだろう。彼女が乗った宇宙船は無理な不時着をした為、彼女も体にダメージを負う事になる。下半身が麻痺し、それのため生涯車椅子生活を余儀なくされた。

 そんな彼女が唯一覚えている事は一つ。やって来たこの銀河の住人を――支配下に置く事。それだけが彼女の脳裏に植え付けられた、唯一の使命だった。

 だが、突如自分達の星に落ちてきた所属不明の宇宙船を、不審に思わない大人など居ない。エグゼツア本星で保護された彼女は、その後、撤退的に調査される事になる。

 その結果、彼女は人間とは異なる存在だと判定を受ける事になった。研究所に送られ、更に徹底した調査を受ける事になったが、その決定を覆したのが彼だった。

 その理由は、何と言う事も無い。単に彼女が心底から怯えた様な表情を彼に見せたからだろう。たったそれだけの事で、彼は彼女を研究機関から引き取り、両親にこう訴えた。

〝父上、母上、彼女はきっと異星より訪れた私達にとっての客人です。ならば、どうしてその彼女を粗末に扱う事が出来るでしょう? 私は彼女に最大級の礼儀を以て接する事が人としての節度だと思いますが、違いますか? それとも彼女を不遇に扱い、彼女の母星の人々に不快な思いを与える事を望まれると?〟

 齢十五歳の少年が、人としての道理を説く。彼女を不幸にすれば、それこそ彼女の母星の人々と争う事になりかねないと語る。

 そう告げる彼を前にして、大人達は渋々彼女を厚遇する事にした。それどころか、彼は彼女を実の妹の様に扱う。

〝そうか。君はまだ、名前が無いのか。ならば、ユーデルというのは、どうだろう? 私の星の言葉で『艶やかな花』という意味だ〟

 そして、彼女は生涯このとき彼が浮かべた笑顔を忘れないだろう。年を追う事に、彼が自分の為にどれだけ力を尽くしてくれたか知った彼女は、だから涙する。このたった一人の味方である彼を、彼女は心から尊んだ。

 けれど、その結果が、これだった。最後まで人の心を理解しきれなかった彼女は、致命的な間違いを犯してしまったから。

 だというのに、体を貫かれた彼は、振り向き様、彼女に向かって告げていた。

「……ああ、そうだな。本当に、お前がただのバカな妹だったら、良かったのに……」

 そう言って、彼もまた、子供の様に笑っていた。

「……あああ、あああ、あああああ。お兄様、お兄様、お兄様、お兄様ぁああぁ―――」

 この光景を見て、リーゼはもう一度眉根を歪ませる。そのまま、彼女は彼に問うた。

「何故? 何故、こんな?」

 けれど、彼は答えない。ただ、彼は心底から彼女に詫びていた。

「やくそくを、まもれなくて、すまない。それどころか、おれはおまえたちにとって、ただのやくさいに、すぎなかった。ほんとうに、すまない」

 けれど、彼女は首を横に振り、最後にこう告げた。

「本当に、そういうバカな所が大好きだったわ、バーグ・エグゼツア」

「そう、か。じゃあ、さっさといけ。おれがやっとであえた、さいきょうのバカ」

 彼にとってそれは、最大の憧憬であり、最高の賛辞だった。

 その呟きを最期に、彼は彼女にもたれかかって――息絶える。彼の体を受け止めた後、彼女は彼の体を横たわらせ、涙する。

 それからリーゼ・クーデルカは、今も頬を濡らす少女を見た。

「……何で、何で、何、で? 私はただ、お兄様の願いを、叶えたかっただけなの、に……」

 その言葉に、偽りはない。少女はただ強くありたいと願う彼の思いを、叶えただけ。この世から争いを無くしたいという願望を、叶えたかっただけだ。

 その為に、彼女は彼に理想の自分を演じさせた。その為に、他の星を侵略し、それを統治できるだけの器量を与えた。本当に、ただそれだけだったのに、一体何で、自分は今泣いているのだろうと少女は思う。それを見て、リーゼは初めて理解した。

「……ああ、そうか。あなたはただ、寂しいだけの人だったの、ね。本当にたった一人でサイゴまで戦い抜いて。でも、ごめん。私はそれでも――あなたを殺さなければならない」

 そう宣告し、この船のクルー達をAIロボに保護させてから、リーゼは踵を返す。

 ジルアの第二撃目が迫る中、リーゼはシルフィー達を連れだって、自分達の船に戻る。

 後に残されたのは、今も兄の亡骸を前にして涙し続ける少女だけ。既に彼女の精神力は消耗し、だからシールドを張る力など残されてはいない。ならば、後の顛末はわかり切った物だろう。

 事実――その船はジルアの一撃によって、両断される。

 この光景を自分達の艦内から見て、シルフィーはリーゼに向かって告げた。

「……終わったわね」

「ええ。終わった。これで本当に――私の〝ロイヤルウエディング〟は終わってしまった」

 最後にもう一度だけ彼等の為に涙し、リーゼ・クーデルカはそれでも前を向く。

 だがそれも数秒程の事で、彼女は次の瞬間膝から崩れ落ち、その場に倒れる。

 それを見て、シルフィーは絶叫する様に、彼女の名を呼んだ。

「――リーゼっ? リーゼっ! リーゼ……っ!」

 そうして、リーゼ・クーデルカの意識もまた、闇の底に沈んだのだ―――。


     終章


 それから半年がたち――世界は一変した。

 侵略戦争の象徴たるバーグ皇子を失った、エグゼツア。その為彼等の勢いは、目に見えて衰える事になる。いや、それどころかジルア・キルドが思わぬ行動に出た事で、事態は更なる変化を見せた。軍部を掌握し、軍事クーデターを誘発した彼女は、いま臨時政府のトップに立っている。現在、ジルアは反エグゼツア星系と講和を成す為、忙しい日々を送っているとか。

 それとは逆に、アプソリュウ・ソウドはかなり不遇な立場に追いやられた。同盟国の皇子の殺害に加担した事で、彼女は齢十八歳で隠居を余儀なくされたのだ。このまえ会った時〝二度と表舞台には立てないだろうな〟と微笑みながら語っていた。それは彼女らしい本当にカラっとした笑顔だった。

 ヒリカ・ヒーヤとパルシェ・マルンは母星を離れ、今は二人で喫茶店などを営んでいる。何でもその資金はリードマンの裏帳簿から拝借した物らしい。その話は、かなり笑った。

 スカーラ・アイヤさんは、今も教師を続けている。緊張癖はあの修羅場を潜り抜けた後も健在で、毎日が四苦八苦だと嬉しそうに話していた。

 キーマ・エイさんもまた、やはりハンター業に専心しているとか。お蔭で便りは殆ど無く、〝消息不明のキーマ〟が彼女の二つ名になっている有様だ。

 イクセント・ヒルは、将棋の銀河杯の本戦に出場する事が決まったらしい。これもスカーラさんと死闘を演じたお蔭だと、苦笑い交じりに語っていた。

 ウーマー・ベルヘムはジルアとの戦いを参考にして――新しい戦術の研究に勤しんでいる。今の彼女の目標は、敵が見ただけで戦意を無くす陣形を編み出す事だとか。頑張って欲しいと思う。

 ニコ・ハンセンは、今も行方不明である。ユーデルとの戦いのどさくさで逃亡した彼女は、未だに身柄を確保されていない。その内、私達の前に現れる気がするのは考え過ぎだろうか?

 カルカナ・エットはエグゼツア打倒の目的を遂げ、今は母星に帰って就活を行っている。どうもエグゼツア星系の方が、景気が良く、直ぐに仕事が見つかったとぼやいていた。

 シスター・テイヘスは生活こそ変わらないが今もどこか寂し気だ。きっと彼女の事を想い、心を痛めているのだろう。私はそんな彼女を、心から尊敬したいと思う。

 オライア・セイアは、あろう事か海賊をやめ、宅配業を立ち上げた。何でも元テロリストであるカルカナの影響らしい。自分の船を活用できる仕事だと、まんざらでもない様子だ。

 サザーナ・ラミバは、今も母星の再興に忙殺されている。図らずもエグゼツアとパイプが出来たので、今後はそれを利用するつもりだと言っていた。

 で、唯一〝ロイヤルウエディング〟を棄権したミハイル・ルーは、かなり悔しがっていた。こんな事なら自分も参加しているんだったと、今も気にしているらしい。おまけに両親はまだ見つかっておらず、その癖本業の探偵は忙しいらしい。正直、多忙なあたりは羨ましい。

 ルック達は彼奴の謝礼を元に、別の商売を始めると息巻いている。なんでもレース用の宇宙船を開発して、レースの大会に参加する気みたいだ。微笑ましい限りである。

 そして、紅斑鳩は今も消息不明だ。ギエット大尉とも連絡はとれず、彼女の安否は未だにわからずじまいである。いや、彼女なら――あのもう一人のリーゼなら、きっと大丈夫。絶対にその内、ひょっこり私達に会いに来るに違いない。今はその時を、静かに心待ちにしよう。

 私ことシルフィー・フェネッチは、彼奴の墓標の前で手を合わせながらそんな事を思う。それは彼奴には相応しくないささやかなお墓だったが、私は毎日の様に手を合わせに来ている。それが彼奴にとってせめてもの慰めになれば良いなと、願わずにはいられない。

 私達を導き、勝利へと誘った、私の英雄である彼奴。もう二度と語り合う事は出来ないけどそれでも私はせめて前を向こうと思う。彼奴が遺した功績を胸に、私は今日も彼奴の為に手を合わせる。

「本当に、バカよ、貴方は。でもそのお蔭で世界は、一寸はマシになった。だから、本当にありがとう」

 また涙しそうになりながら、今も手を合わせ続ける。届く筈も無い文句を、ただ口にしながら。

 その時――私の背後から彼女の声が届く。

「んん? 意外ね。貴女がそんなにマメだとは思わなかったわ。しかも、彼とは殆ど無関係だった筈なのに。もしかして貴女――バーグに惚れていたとか?」

「………」

 いや、それはあんたの方だろうと思いながら、私は振り向き、彼女と目を合わせる。

 そこには確かに――あのリーゼ・クーデルカが居た。

「まさか。ただあんな最期を見せられれば、ちょっとくらい情がわくわよ。貴女だって言っていたでしょう? ユーデルを倒す事が出来たのは全部――バーグ・エグゼツアの手柄だって」

 私がそう問うと、リーゼは少し遠い目をする。

「そうね。でも、同じくらい頭にもきている。だから私が出来るだけここに来ているのは文句を言う為。きっと生きている内では言い切れない不満を漏らす為に、私はここに通っている。きっとこれは、それだけの事なのよ」

 そう言いながら、リーゼもまたバーグの墓に手を合わせ、静かに微笑む。いや、そう告げる彼女の方こそ、実は死にかけていたのだ。

 彼女は艦内で倒れてから三日三晩、生死の境を彷徨った。一時は全身が麻痺して、生涯寝たきり状態になると思われていた。

 だが、その事態を覆したのも――やはりリーゼだ。

 彼女はこんな事もあろうかと、高峰桜子の脳が欠如したクローンもつくっていたから。そのクローンに再度脳を移植した彼女は、こうしてどうにか日常生活を送れる様になった。本当に抜け目のない女だと改めて感じる私は、だから失笑してしまう。

 それを見て、リーゼ、いや――高峰桜子は愚痴り始める。

「……良いわね、シルフィーは気楽で。私なんて、永遠に高峰桜子を演じなければならないというのに。というか、今日もお父様に嫌味を言われたわ。〝エグゼツアの皇子を打倒したお前は、さすが私の娘だ〟とか」

 そう。桜子がバーグを倒した事は、大部分の人々に知れ渡っている。お蔭でエグゼツア星系に居を構えていた高峰家は、当然エグゼツア星系に居られなくなった。一族郎党反エグゼツア星系へと亡命する事になり、桜子はそのとき散々叱られたらしい。

 ま、当たり前だろう。普通の高校生だと思っていた我が子が、自分達が所属している星系の皇子を打破したのだ。彼女の一族は彼女の身を案じつつ同時に怒り心頭だった様だ。その余波は今も続き、桜子は桜子で苦労の連続らしい。

「というか貴女、由佳ちゃん達と接している時とキャラが違い過ぎるわよね。アレはマジで笑えたわ。〝うんそうだね! 由佳ちゃんも元気でね!〟とか。貴女、一体どれだけ猫被っているのよ? ご両親や由佳ちゃん達と接する貴女と、ジルア達と接する貴女と、クルー達と接する貴女、どれが本当のリーゼ・クーデルカなのか偶にわからなくなるわ」

「そうね。そろそろ私も、疲れてきた所。いっそ、キャラを一つに絞りたい所だけど、そういう訳にはいかないかしら……?」

「その場合、私としては対由佳ちゃんバージョンの桜子が良いわね。斑鳩が見たら腹を抱えて笑いだす事、受け合いだもの」

 斑鳩の名を出すと、彼女は一度だけ寂しそうに笑う。

 けれど直ぐに前を向き、立ち上がった。

「で、今回は何をする為、学校を休学した訳? というか、なんで私にまで秘密にして行っちゃうのよ? 正直この件に関しては、かなりムカついているんだけど……?」

 私が睥睨すると、桜子は嘆息する。

「いえ別に、単にロッドミル戦役を終わらせに行っただけ。貴女には高峰の家の人達を守ってもらう為、同行を遠慮してもらっただけよ」

「……は?」

 意味がわからず、私は露骨に呆然とする。今この女は、何と言った?

「まさか、十年続いたあの泥沼の戦争を、終わらせた? それ、マジで?」

「へ? 本当だけど、それが何か? そう言えば、チェリア・スハラ少佐も似た様な顔をしていたわね。その上、号泣されて何度も何度も頭を下げられたわ。私とジルアは、生涯の師だとか言って」

「……この化物が」

「え? 何か言った、シルフィー?」

 が、私は答えず、彼女の様に立ち上がる。それから、最後にもう一つだけ問う。

「それで、もう、後悔は無いのね?」

 万感の思いと共に、訊ねる。桜子はキョトンとした後、天を仰ぐ。

「そうね。私は人としての使命を選び、彼は人としての情を選んだ。けっきょく私達は、最期まで噛み合わなかった。悔しいといえば、それが悔しいかな」

 本当に悔しそうに、告げる。それを見て、私はただ瞳を閉じた。

 彼女と共に歩を進め、やがて他愛の無い話で盛り上がる。

 やっぱり私はバーグ・エグゼツアには敵わないのだと痛感しながら、それでも笑っていた。

 いや。考えてみれば当然だ。私がバーグの為に、今も墓参りをする筈である。

 私達が愛した人は――同じだったのだから。

 彼の方がいっそう彼女を愛していたのだから――そんな彼に敬意を覚えない訳がない。

 心からそう思いながら、私はぼやく様に囁いた。

「本当に、貴方のお蔭よ。貴方のお蔭で、世界は今――こんなにも美しい」

「ん? 何か言って、シルフィー?」

 桜子はそう訊いてくるが、私はただ笑顔だけを浮かべる。こうして私達は歩を進め、やがて高峰家へと帰り着く。長く険しい道を超え、私達は日常と言う平安を取り戻す。

 その尊さに改めて涙し、私は桜子の様に天を仰いだ。

 ああ。因みに私が知る限り、結婚に至った元花嫁候補者はまだ居ない―――。


             〝ロイヤルウエディング〟・後編・了


 ここまで読んでいただき、誠にありがとうございます。

 最終決戦でもう少しヒロイン達を活躍させようと思ったものの、冗長になりそうだったのでそこら辺は一切カットした後編、終了です。

 結局、最後は何時もの通り肉弾戦でしたが、如何だったでしょう?

 因みに次回作は、推理ものという事になります。

 事件が起こる前に事件を解決する反則探偵、ここに降臨。

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