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歌詞の書き方 テルル流

https://youtu.be/jd_e5kwAmRU


この記事に登場する私の作った歌です。せっかくなので聞いてくれたらうれしい

歌詞の書き方(テルル流)



前書き

持ち味を活かせ!!!


元も子もない話ですが、あまり影響されすぎない程度に、へ〜そう言う考え方もあるのか〜程度で読むのがよろしいかと…

私自身再生数を出している作曲家ではないので…こんなことをするのも大変恐れ多い話。

むしろ、私の曲の歌詞を考察する上で面白い人には面白いのかも知れない。


そも私が歌詞を書く時、その全てではないにしろその言葉を選ぶだけの理由、意味が私の中にあります。

現在量産型と呼ばれるような零細ボカロ曲が巷に溢れています。それは、メロディ、コード、歌詞、PV、その曲が持つ雰囲気に説得力がないのです。あなたが伝えたい、意味を込めて入れた要素が相手に伝わっていないのです。

私は音楽はからきしもいい所ですが、歌詞からそれが伝わればいいなと思って書いています。

私も誰かの曲を聴いていて、そんな説得力の欠落…なぜそれを選んだのだろうと疑問に思う表現にたびたび出会わなくもありません。



今回はそんな人や、歌詞そのものに苦手意識がある人…とかの人が、自分の歌詞に理由と意味を見つけられて、少し自信が持てるようになればいいなと、期待します。





1.書き殴る


まず第一に、とにかく適当に書き殴ることも重要!

不意に出た言葉は、自分でも知り得なかった自分自身の無意識の言葉であり、偶然性と必然性を併せ持ちます

特に、偶然性はより良い作品を作る上で欠かせない要素なのであとで詳しく述べます


しかしここで詰まることもあるでしょう

そんな人は構想段階で詰まるのでしょうか

それともなんとなく書きたいものはあるけど言葉が続いていかない?



1-2.構想


歌詞にもいろいろなタイプがあります

私が思うのは


ストーリーを語るタイプ

瞬間を語るタイプ


でしょうか…破茶滅茶なものやよくわからないも世の中にはあるかも知れませんが、それは破茶滅茶や理解不能さの瞬間を表現する、つまり後者だと解釈します



1-2-1.ストーリーを語る歌詞


ストーリーを語る歌詞は心の中にストーリーを描いてその過程を歌詞にしていきます

簡単そうですね!森のクマさん とかそうですね


1-2-2.瞬間を語る歌詞


おいおい、ストーリーを語る歌詞の説明すっくな!

と、私が思うにたいていの歌詞はこちらになると思われます。なのでこちらの書き方を詳しく説明していきます


瞬間を語る歌詞の書き方もそんなに難しくはありません。なぜなら、そうなった状況を説明していけばいいからです

例えばサビに「前に踏み出そう」とか書いておくとして、その曲全体を通して「実際に前に踏み出す必要は無い」です

サビで「前に踏み出そう」といえばaメロ、bメロはなぜ停滞しているのかの経緯、つまり「状況」を説明していけばいいし、ラスサビ、ラスサビ前で「なぜそう決心したのか」「さらにどうしたいのか」理由や未来の想像を添加していきます


*ここで「実際に前に踏み出す描写」が突然入ってきたりすることが度々あるのですが、そうなればこれはストーリーの歌詞になります

瞬間の描写はある意味で曖昧さを含んでいます。「後で説明する線の細さ」にも少し関わりますが、この曖昧さは作品により感情移入しやすくする(この曲の主人公は私だ!!!と思わせやすくする)効果があります

しかし突然場面が動き出し、つまりストーリーだったとわかると一旦その効果が消滅し新しく「この曲の主人公」に感情移入し直さないといけないかも知れません

ある意味、びっくりする人が出ます

(私がびっくりするんだよ!)


(私は、この歌詞の主人公は私だ!!と

この歌詞の主人公と私は同じ気持ちだ!!は

少し違うと感じていると言うことでもある)



1-2-3線の細さと淡さ

(読み飛ばし推奨)


これもタイプの話です

歌詞を書く上で歌詞の線の細さ、と言うものが存在しています。ちなみに反対に線が太くなっていくことはありません。線はピントがボケたように淡くなっていきます

(線の細さと言う表現は私独特のものです)


*ここで、線の細さとは「生活の中で起こり得るある種の妥当性」であると結論づけますが、多くの場合「具体性」と「抽象」として表現できるものかとは思います


今から線の細い表現と曖昧な表現を並べていきます


pm5時

街が赤く染まる


六畳間

小さな窓の部屋


…みたいな感じですね

上の言葉は基本的に等価で、同じものを表していると思ってください

これはバシッと伝えるか、やんわり伝えるか、みたいな感じですね

どちらがいい悪いはありませんどちらにも長所短所があります


線の細い表現は、明瞭でハッキリしているので歌いやすいです

線の細い表現は漢字、カタカナ、ローマ字が多く字面そのものも線が細くなりがちで、その表現を後押ししますし、スタイリッシュに見えます

しかし少しハッキリ断定される分、合致しない場合感情が乗らなくなってしまいます

これを避けるために全ては断定せず、虫食いの断定にすることで曖昧さを表現していることが多いかも知れません

するとこう言うことになっていきます


 AM4時の掠れた青

 頭痛の後の無音

 鳴らない電話の着信履歴

 冷たい水道水に映る冴えない顔


これは酔っ払って寝落ちした姿を適当に想定して書いた詩です

でもなんか、場面がかなり限定されているにも関わらず確信的なことは何も描写しないので何にでも見えます

イメージとして123[]5[]7[][]みたいな感じなんですよ!



対して淡い表現とは

断定されていないので比較的聞く人が想像して勝手に補ってくれます

補って描かれた描写はその人にとって理解できるものだけなので、つまり感情移入しやすいと言うことになるかもしれません

ただし、ピントがボケているのでそれが正しいのか確証が持てません。ぼかしすぎると単にわかりづらいだけでなく、聞く人がモヤモヤしてしまいます

上の文でいくとこう言うことになっていきます


 嵐は去ったらしい

 だが救いの天使は降りぬまま

 鏡に映った悪魔が笑う


相当わからなくなりましたね

まさか空が明るくなることと頭痛が一息つくことを「嵐が去る」などと一言で表してしまうなんて私も驚きです()

まあこのような形になっていく、と

イメージとしては?????=45と、こんな感じですね(?)


要はバランスなのですが、たいていの場合気にする必要はありません。

(なので読み飛ばし推奨だったのですね!)

ただ、バランスを整える上でポイントはあります


比較的線の細い曲はサビ前のbメロは少し淡くなることが多いです


比較的線の淡い曲はラスサビ前の大サビで突然線が細くなったりする印象ですね


メリハリでしょうか…もちろん、2つの表現が混在している歌詞もあるので、どれかに当てはまらなければいけないわけでも無いですよ



つまらない夜に涙するよりも

ネオン街で空き缶を蹴飛ばすんですねぇ





2.韻を踏もう


韻は歌詞を書く上で大切だと言われることが多いので詳しく見ていきますよ

韻にはさまざまな効果があります

それは、歌詞の書きやすさ、歌いやすさ、意味の付与、さらには歌詞の荒唐無稽さを消すことができます

ただ必須というわけでもなく…なんとなく歌いやすい歌詞を目指すと自然と母音が揃っていることもあるとか無いとか


私は韻はその役割も含め4つあるかなと思います


音で踏む韻

音と意味で踏む韻

書いていない音で踏む韻

書いていない意味で踏む韻 (プライミング)


はい。どんどん高等かつ荒唐無稽な理論が展開されていくので口頭では厳しいでしょうから詳しく文字に起こしていきます



2-1.音で踏む韻


「 誰かのせいにしたってやっぱ焦燥

  曖昧な相槌でまたそうそう

  別れの言葉も飲み込み葬送

  どこかで潰えた霧中の想像


  雨降る街の中でまたナイター

  揺れる灯りと揺れる陰割いて

  光に咲く名の無い花を

  摘み取って           」


今回の歌詞です。4つの韻のはこれをもとに解説していきます


上の段が音で踏む韻ですね

後ろの歌詞の母音が「ouou」で揃えられています

ここでは、母音だけでなく子音も近いものを使っていますね

*韻は近い音で踏む場合もありますし、同音異義語で踏む場合もあります


このような直接的な韻だけでなく、

この文の中でも文頭の「a」であったり、「やっぱ」と「また」など比較的近い音で固めることができます


音で踏む韻は上記のように同じところに固めておくと本当にラップっぽくなります

(この歌詞はラップとして書いていますが)

ラップとして書いていないのにラップっぽいと言う感想がくるとかなりショックなので、少し離して置く場合があります

*それが一番と二番で韻を踏む場合などですね


例えば、頻出で言えば

一番「会いたい」

二番「相対」


などですね

これを使うと一番の歌詞が書けた時点で、二番の歌詞の方向性がだいぶん決まります。

後述する意味で踏む韻も少し加われば、かなり深い歌詞になると思います。



2-2.音と意味で踏む韻


これは大したことはありません。

例えば、「会いたい」と「相対」は概念的にも対になっていると言うことです

対して私の歌詞は音だけそろえて、各単語に繋がりがありません。その場合、音だけでなく意味も揃えている、近づけている「会いたい」はレベルが1つ上になるよ、と言うことですね

出来るだけ音だけでなく意味も近づけたい所ですが、いい表現が見つからないこともあるので絶対では無いですね



2-3.書いていない言葉で踏む韻


では次は書いていない言葉で踏む韻です

書いていない言葉で踏む韻はもっぱら同音異義語のみを扱います

私の歌詞の2パート目を見てみてくださいね


「ナイター」は夜を表現していますが、「泣いた」とも読むことができます

(メロディも「泣いた」で歌っても問題ないように意識しています)


この「ナイター」で、夜の街と雨の街、または泣いている自分を同時に表現しているわけです


*このように文字の世界では、たとえ書かれていなくても別の意味を表現することができます

聞く人は無意識的に言葉の持つ意味や、同音異義語を感じ取っています


*ここで、二番で新たな歌詞に「泣いた」と音と言葉で踏む韻にランクを下げる必要はありません!

もし二番でも同じ歌詞を繰り返す場合、同じく「ナイター」の方が良いと思います

ここはかなり聞く人の想像に頼る部分ですが、歌詞を書く人にとってはそこは感じ取ってほしいのです!説明したく無いのです!説明なしで伝わって、初めて心が通った気もしますし、より高度な歌詞だと認識できるわけですね。


しかし、この書いていない言葉の意味を読み取る作業は中途半端な歌詞解釈勢は見えなくなる時もあります(私も昔はそうだった)

なので、これは少しズレた意見ですが「ナイター」って何だよ!野球かよ!「泣いた」って書け!

みたいなことも起こり得ます。これは後で2-5ミームの力、で少し解説しますが、この意見は気にする必要もあるし、無視する必要もあります

基本的に、もし言葉が違うのに意味を伝えることができたなら、それは強いです

だからギャンブルではありますが、価値はあります



2-4.書いていない意味で踏む韻 (プライミング)


ここまでなんとなく韻が理解できてきたかと思いますが、なぜ韻が成立するのか考えたことはあるでしょうか

人は何かを提示された時、近いものを連想します

言葉であれば、近い意味の言葉、近い音の言葉です


「林檎」であれば、「i n o」と言う母音や、「赤い」といったイメージですね

これをプライミングと呼びます


私の歌詞の2パート目の2列目に「割いて」とあります

この「割いて」は書いていない韻に従うのであれば、文字通りの「陰を割く」に加えて「最低」「咲いて」の意味があります

最低なら自分のこと、咲いてならのちに来る花という言葉に掛かります

ここでプライミングを利用するとすれば「さいて」の音から次に連想される言葉がある程度絞り込める(さいて→裂いて?最低?咲いて?)ので、そこで「花」を与えてやれば聞く人はすんなり聞けると言うことですね

もちろん、どこにも掛かっていない「最低」も歌詞の意味として存在はしていますがここまで直接的ではありません(無視して良いわけではない)


これはつまり、「割いて」と言う表現を使うことで後にくる花と言う突然出てくるワードに説得力が出てくると言うことです

これが、荒唐無稽さが消える、という事です


コードの理論を覚えたら、次にくるコードが分かるようになる。とよく言われますよね

感覚的に言えば、それに近いです

これは今まで上げた韻全てに言えることですが、今流れている歌詞から後の歌詞が予測可能になるということです

これが、書きやすさ、歌いやすさ(音的な意味と意味的な意味)に関わっています


コード理論はよく聞きますよね

韻を利用した歌詞理論なんて言ってるのは私だけなのでは?



2-5ミームの力


言葉には意味の力があります

それは普遍のものではなく、恣意的なものです


例のように「ナイター」と野球が強く結びつき、こちらが用意した意図、意味が読み取れなくなる

それは表現として伝わっていないのだから一段劣ってしまうよね、ということですね

もちろん、表現とは創るものと、それを解釈するもの(自分も含む)の2人がいて初めて成立するということを忘れてはいけませんが(なので何が伝わってもそれは表現である)、そんなことがしたいわけじゃ無いよね?ということですね


私の例の歌詞で「ナイター」に続きさらに失策だと思ったのは

「霧中の想像」ですね

もともと「夢の中の想像」だったものを

文字数の関係で縮めてかつ雨に掛かるように韻を踏ませたのですが、

「宇宙の創造」と謎の空耳が発生してこれはこれでかなりインパクトの強い意味が発生してしまったのは、曲の雰囲気から乖離してしまったところですね

空耳、も偶然性の重要な要素ではありますので

偶然性の項目で詳しく語ります





3.偶然性


正解は誰にもわからないが、それが間違っていることなら分かる

一人でやれば結局のところ自分の100%しかできない

それは明らかに「正解」ではない

もしそれを超えたいなら、偶然の力が必要になる

例えば時の運や他との関係性に、それは見出せる


いい作品の条件に偶然性があります

例えば、ジオラマを作って写真を撮ることと

風景の写真を撮ることを比べるなら、偶然性が多分に含まれるのは風景の写真です

風景には、その日の天気、時間、通る人や飛ぶ虫、鳥、咲いている花、立つ位置、その全てを自分がコントロールすることはできません

そしてそれが逆に、自分の求めている100とその上を満たします

ジオラマの写真は、必然性が高いので逆に言えば100%までは行けますが、それ以上になることは決してありません

(別にジオラマを馬鹿にしているわけじゃ無いよ)


では、偶然の力の重要性は分かりましたね

歌詞においてその偶然性、とは一体なんなのでしょうか

それは今までちらほら出てきていました


無意識、空耳です


たとえどれだけ思いがけない歌詞が書けたとしても、それは自分が書いた以上必ず自分に理由があります

しかし人間、案外自分のことすらろくに知らないものです

つまり歌詞とは自分の再発見でもありますし、それが出会い、つまりは偶然につながるということですね、いや知らんけど

ここはマジで、んー。

わからん。

やっぱり偶然性は必要だけど、それを言い出すと人の表現は全て偶然!未知!ってなる気もする。

現在言語化できないというのが率直ですね。


空耳に関しては、うろ覚えの自分の歌詞を歌ってみて、こんな歌詞だったかな?なんてものです。私は案外そんな歌詞を2番に置いたりします

これも、韻に続く一種の歌詞早書きの技になりますね


このほかに、他人に添削してもらう、などありますがこちらはハードルが高いですし、しかしやりたい人はぜひした方がいいとは思います

*ちなみに、この時、「この歌詞はダメだよ」などという人に添削を任せるのはよくはありません。むしろこちらが向こうに対して「では何ならいいか?」そして出てきた意見に対して「いやそれはダメだと感じる」ことが重要ですね

もしピンときたなら、それは自分では思いがけない、まさに偶然性の発見でしょう

一発で決めるのは良くありませんよ、写真だって何枚もとって、一番美しいものを選ぶのですから1回聞いて「まあそれでいいか」はダメです




4.先メロ、先歌詞、先コード


おすすめは先メロではあります

そして世の中にコードのついていないメロなどほぼ存在していないし、あなた自身も私も聞いたことがないはずです

なので先メロは潜在的にコードを持ちます

これは先コードと言ってもいいかも知れませんね…

それは置いといて

メロが先にあるとなぜいいかというと、リズムが先にあると歌詞を後で変える必要がないですね

文字数やリズムの兼ね合いで表現を変更せざるを得ないことはままにあります

等価の表現がないなんてザラです

そしたら悲しいので、やはり先にリズム、つまりメロがある方がいいかも知れません


が、あくまで仮のメロディで大丈夫です





6.とりあえず終わり!

また何かあったら、更新するかも



7000字弱、ここまで読んでくれてありがとう

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