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クリスマスの夜の約束 (下)

作者: 神地 香里

部屋の鍵をあけ先にスーツケースを入れた。君が部屋に入って来ないのに気付き、扉の前に立っているので部屋へ入るように促した。でもなかなか動かない。無理に入れるのはどうかと思いドアを開けて待った。君は気合いを入れるように両手を握りしめて、胸の前で上から下に動かした。そして怖い顔をして部屋にあがった。君が怖がっているのか心配になった。その様子だと男の部屋に来るのが初めてなんだろう。


「嫌なら、何もしないから大丈夫」


「嫌じゃないです。何もしないなんて、言わないで。あっ、えーっと」

顔を真っ赤にして恥ずかしそうに下を向いた。そして言葉を続けた。


「あの、何もかもが初めてで、どうしていいか分からなくて」


「心配いらない。普通に友達の家に遊びに来た感覚で、楽しんでくれたら嬉しい」


「はい。お邪魔します」


「どうぞ」


でも君は緊張したままで動きが硬い。僕は君の肩に手をやり、エスコートするみたいに食卓まで連れて行き椅子に座らせた。

まず、シャンパンを抜いてグラスに入れて乾杯をした。サラダを先に、そしてコーンスープを温め出した。食べてもらっている間に、昨日下ごしらえをしていた物を作りだした。


パスタを茹でミートソースを温めミートスパゲッティを作った。それからサンドイッチはマスタードとマヨネーズをパンにぬって野菜やハムを挟み、半分にカットして皿に盛り付けた。それから唐揚げをあげた。君は立ち上がりテーブルに運ぶのを手伝ってくれた。

できあがった物をテーブルに並べると目を輝かせて喜んでいた。


「ユキちゃんのリクエストの物ばかりだよ。もっと豪華な物をいってくれても良かったのに」


「いえいえ、全部大好物だから満足」


「満足してくれるのは嬉しい」


陸みたいに子供が好むメニューばかりだから、余計親しみを感じた。


「私が幼い頃に両親が誕生日パーティーをしてくれた思い出の味なんてす」


「いい思い出だったんだ」


「ええ、今は父が忙しくて、皆ばらばらで」


君は寂しそうに眼を伏せた。君の心は何処かに行ってしまったようで、僕は消えてしまいそうな小さな体を抱きしめた。体を預けた君の手は僕のシャツを握りしめて、助けを求めているみたいにしがみついた。愛おしさが増して君を抱く腕に力が入る。

暫く抱き合っていたが、ぐーっと音がして君は腹を押さえた。僕は肩を震わせて笑った。


「ごめんなさい。今日はお泊りの用意をしていたら、昼食を食べるのを忘れていたの」


「じゃ、きっと美味しく食べられるね」


「ええ」恥ずかしそうに笑った。


「さあ、食べよう」


僕たちは椅子に座りなおした。

まずクリスマスケーキに22の数字のロウソクと真ん中には(ユキちゃん誕生日おめでとう)と書いたチョコレートのプレートをケーキに挿していた。月並みだけどロウソクに火をつけ、ハッピーバステイの歌を唄った。君は僕の歌に合わせて手拍子をしてくれた。歌が終わると僕は明るい声で。


「さあ、願いを込めてロウソクの火を吹き消して」


君は無邪気な笑顔を僕にむけてから、目をつぶり願いを口元でブツブツいった。そのあと目を開いてロウソクを勢いよく吹き消した。


「ユキちゃんお誕生日おめでとう」


「ありがとう」


「はい、誕生日プレゼント」


僕は指輪の入った箱を差し出した。君は箱を開けると一言いった。


「結婚指輪?」


「ペアーリング。結婚指輪はいつか必ず」


君の左手にリングをはめた。君は僕の指にも指輪をはめてくれた。リングには小さなダイヤが入っていて、君はダイヤの光を目の前にかざしていた。


「大和君とお揃いのリングなんて嬉しいありがとう」


「リングを見るたびにユキちゃんを近くに感じる」


「私も大和君を感じる」


「それから、はい」


君の年の数だけの赤い薔薇のブーケを渡した。


「薔薇が好きなこと知っていたの?」


「ユキちゃんの家の庭を見れば薔薇が一番喜んでくれると思った」


「観察力あるのね。ありがとう。大和君」


「喜んでもらいたい一心で」


「本当に嬉しい」


「良かった。お腹すいているだろう。食べようか」


「はい、いただきます」


「どうぞ、召し上がれ」


僕は取り皿にサラダを入れてドレッシングを渡した。君はありがとうと言ってサラダにドレッシングをかけフォークで食べ始めた。その食べっぷりは気持ちがいい程で、相当、腹を空かせていたのが分かる。沢山食べてくれるのは作った僕の方が嬉しい。特にケーキは嬉しそうに味わってゆっくり食べた。

そして君の美味しいという言葉に心をくすぐられた。


そして後片付けをしている間、君に風呂に入るようにすすめた。君はバスタオルとタオルと着替えを持って浴室に行った。バスタオルやタオルまで持って来ていたのか。どうりで荷物が多いはずだ。おかしくて笑った。君といるだけで、こんなに笑えるなんて楽しいことばかりだ。


 片付けが終わった頃、君は可愛いパジャマに着替えて浴室から出てきた。僕は膝掛けを用意してペットボトルの水と一緒に渡した。それから配信の映画で好みのものを聞き、それを見るための操作をしてから風呂に入った。

 

 急いで出てくると君はテーブルに伏せて眠っていた。一緒に映画を見たかったし色々な話を聞きたかった。僕は諦めて君を抱き上げてベットに寝かせた。箱をぎゅっと持っていたので、そっと手を解こうとしたが外すことが出来なかった。どんなに大切な物を持っているのだろう。箱を気にしながら同じベットに寝転がった。


それから君の選んだ映画を最初に戻して一人で見た。女子が好きそうなパッピーエンドの結末のラブコメだった。久しぶりに、そんな映画を見ると彼女が出来た実感。


彼女と映画に行くと必ずラブソトーリーを見る。まるで二人が主人公になった気分で見ていたのだろう。僕はこの映画を見て君との幸せな結末を夢見た。今まで一度も思ったことがない恋愛感情が芽生えていた。この先、君といる幸せが続くことを願う。


いつの間にか僕は君の横で眠っていた。気付くと手首に何かを巻いている様子の君が眠気眼に映っている。僕の手首の腕時計を見えるように上げて、君がつけている腕時計と並べて見せた。


「メリークリスマス!クリスマスプレゼントです。私とお揃いの国産の腕時計よ」


まだ眠い目で時計の時間を確認した。0時を過ぎていたので正にクリスマスプレゼントだと僕は思った。僕は眠い声で答えた。


「ありがとう」


「大和君の夢を同じ時間で私も共有したい。そう思ってこれを」


「きっと叶える僕の夢を。約束する」


「応援しているわ。夢のなかった私も夢ができた」


「どんな夢?」


「大和君の作るケーキに相応しいお店を作ること」


「嬉しいよ」


「私、必ずお店を作る。約束する」


「ありがとう」


僕は愛おしい君にキスをした。シャンパンで酔っていたのだろう。眠い。でも君を抱きたかった。耳から首筋にかけて僕の唇で君の輪郭をなぞった。服の第一ボタンを外した時、君は僕の手を握り止めた。


「初めてなの」


「うん、分かってる。優しくする。嫌かな」


「嫌じゃない」


君はゆっくり目をつぶり僕に体を預けた。眠気が抜けない夢心地な状態だったなか、壊れてしまいそうな華奢な君を優しく抱いた。夢ではないことを確かめたかった。柔らかい体の感触で君がこの世に存在している温もりを感じた。


目が覚めると夢の中のできごとと思い込んでいた一夜が、君の寝顔が横にあるだけで現実にあったことだと喜びが込み上げてきた。


君をこの手で抱いた感触を思い出すだけで心が高鳴った。だがこの思いは夢うつつか、浮ついた心が覚めやらない。現実にいるか再度確かめるために君の頬を触ってみる。君の存在を確認すると安心した。君がここにいるのは間違いない。僕は君の額にキスをして可愛い寝顔をしばらくみつめていた。


君が僕に向かって寝返りをうったとき左手を頬に付けた。その手首に腕時計がしてあった。僕の右手首にはめられていた腕時計を思い出した。君にペアーリングをはめたときに目の前でがざして見ていたと同じように、僕も腕時計を目の前にして見た。僕のことを思い選んでくれたのだと思った。それは僕が指輪を選んだときと同じで喜ぶ顔を思い浮かべながら選んだように。


よく考えると裸に腕時計は笑える。寝ていても離さなかったあの箱はこれだったのか。寝ている僕に腕時計をはめるサンタのような君の発想も面白い。こんなに幸せでいいのだろうか。腕時計を見ていると君との約束を思い出した。夢を叶えること、君は僕のための店をオープンしようと考えてくれたこと。クリスマスの夜のことはけして忘れない。



そうしているうちに時計は時間を刻んでいた。よく見ると午前十時を遠に過ぎていた。僕は君を起こさないように服を着て朝食と昼食を一緒にしょうとブランチの支度をした。

ベーコンエッグにパンを焼いてサラダをつけた。珈琲をゆっくり点てた。その珈琲の香りにつられて君は起きた。君にはオレンジジュースを用意した。


「お腹空いていない?」


「うん、美味しそうな香りがする」


「一緒に食べよう」


「はい。あのー着替えるね」


「あっ、後ろ向いている」


「ううん、大丈夫」


何が大丈夫なんだろう?君は毛布を体に巻いて服を集めてベットに戻り、また毛布に潜った。毛布の中でウネウネ動いていたかと思うと中からいきなり出てきた。


「じゃーん、着替えちゃった」


体操選手みたいに両手を上にあげて直立した。毎回思うのだが、古臭い表現が新鮮な気がする。固まっていた僕を見て君は笑いながら何事もなかったようにテーブルについた。


「美味しそう」


向いに君がいるそれだけで満ち足りた時間が流れ始めた。言葉など何もいらないし、みつめ合っているだけでいい。贅沢なことなど望まない。ただ普通でよかった。


「本当に美味しい」


「良かった」


「カフェのモーニングみたい。そうだ。この後、行きたい所がある」


「何処に?」


「大和君が小さい頃から行っていた喫茶店へ行きたい。そこで大和君が好きなチョコレートケーキを食べたい」


「うん。行こう」


僕が朝食を作ったから皿を洗うといってくれたので一緒に後片付けをした。それから君が帰り支度している姿を見ると寂しくなる。一泊だけは時間が経つのが早い。離れたくない。

欲張りな心が顔に表れてしまいそうで、平気なふりを装っていた。



家を出て僕が幼い頃から通っていた喫茶店へ行った。相変わらず中はお洒落なヨーロッパ風が旅行者になった気分にさせる。君は嬉しそうに辺りを見渡していた。

ここは僕にとって思い出の場所でもあり、現在進行形の場所でもあった。そこには二代目マスターがいて、いつも気さくに声をかけてくれた。


「おう、大和。久しぶり、忙しいのか」


「うん、ちょっと学校やバイトとか、忙しくって」


「そうか、大和が来ないと寂しな」


マスターは僕に向かって、ちゃかすように耳打ちした。

「彼女か?」


「うん」


「綺麗な子だな。でも何処かで見たことあるような」


「また、マスター。そんなこと言って、ナンパすんなよ」


マスターは君が気になって仕方ない。いい大人が落ち着かない様子だった。

「分かってるって。初めましてかな」


「はい。初めまして。今日はチョコレートケーキ目当てで来ました」


「どっかで会ったことないよね」


「はい。初めてです」


マスターは何処か腑に落ちないようだ。それはそれで気になるけれど初めて連れて来たのだから会ったことないに決まっている。調子のいいマスターの思い違いだろう。


「そっ、そうだよね。チョコレートケーキね。うちの自信作だから、ゆっくり食べていってね」


「はい。ありがとうございます」


僕はマスターに注文した。

「じゃ、チョコレートケーキのセット2つと飲み物は珈琲とオレンジジュースで」


「はい。かしこまりー」



マスターはカウンターに入り手点てのコーヒーの準備をした。

僕は珈琲を点てる姿を見ているのが好きだ。幼い頃は飲めないのに先代のマスターが珈琲を点てているのをカウンターの椅子に座り釘付けで見ていた。子供って夢中になると何時間でも見ていられるみたいだ。マスターは僕がよく見えるようにカウンターのテーブルの上で珈琲を点ててくれた。それに母は僕が見ているのを待ってくれていた。

そのことを話すと君は微笑んでいった。


「小さい大和君、見てみたかったな。可愛いだろうな」


「どうだろう。母に連れられて来たのはチョコレートケーキが食べたかっただけ、僕はチョコレートが苦く感じて食べられなかったけど、ここのチョコレートケーキは不思議と食べることができた」


「子供の味覚は正直だから本当に美味しいのね。早く食べてみたい」


「最高に美味しい」


思い出のケーキを一緒に食べられるなんて、君と共有できる物がまた一つ増えた。こうやって一つずつ増えていくことで同じ時間を重ねて心が離れられなくなる。君の必要性を考えると確実に依存が始まっている。心と体を重ねた今だから、なおさら強くなる。この世に存在する君がいる限り、この思いは続くだろう。


 マスターが飲み物とケーキを運んできた。

「はい、お待たせ。チョコレートケーキ、美味しいよ」


マスターがケーキを置くのをじっとみていると、嬉しそうな表情で君はケーキに笑いかけていた。それを見ていると、つられて自然と口角があがる。

一口チョコレートケーキを食べると君はいった。


「美味しい。本当に美味しい時って、美味しいという言葉しか出てこない」


「分かる。僕もそう、早く伝えたいから、分かりやすい言葉しかでないよ」


「ちっちゃい大和君と同じ気持ちだろうと思える。これは特別」


「うん。特別だ」


向いに座る君のくるくる変わる表情は飽きずに見ていたくなる。帰したくないせいか僕は時間を忘れたふりをして居心地のいい、この場所に留まっていた。だが時間に縛られている僕たちには制限という縄を解くことができない。

君を留めておきたい気持ちを諦めて、仕方なく家まで送った。その間の僕たちは、ずっと手を繋いでいた。僕の離れられない思いが、手を繋ぐという行為で我慢している。



門の前でもう一度、僕はクリスマスの約束を繰り返し誓った。冬の夜はまだ早いのに真っ暗で門の灯りが君を照らしていた。まるで灯りがロウソクの光のようでマリア像に誓っている錯覚をした。


気がつくと白い雪がちらつき僕たちの周りを飛び回っている。君の巻き毛にも止まり消えた。幸せな一時だと寒さを感じない。きっと心が温かいせいだ。

その温かい心のまま、また会う約束をして君を門の中に帰した。その場で君の残像を感じ、さっきまで君と繋いでいた左手を胸に当て余韻を抱きしめた。





 君は正月に家族全員が唯一、集まる日なので元旦と2日は会えないという。彼女ができたのに正月に会えないのは寂しい。仕方なく僕は今年も陸と元旦に初詣に行く。それから明日香と樹も加わって3人と過ごすことになった。


元旦は近くの神社に初詣に行ったあと、陸の家に行くのが恒例の行事みたいになっている。陸の家ではネットで購入したホテルのおせちを食べ、ビールや日本酒で一杯いく。ちなみに明日香は2月の誕生日で樹は3月後半の誕生日なので未成年だから飲めない。


「僕も日本酒飲みたい」


「私も」


「だめだ。未成年だろう」


「大和はお父さんみたい?硬いこといわずに、お正月くらいいいじゃん」


「ちょっとだけ飲むか?」


「陸、飲む」

樹はコップを持って陸が注いでくれるのを待った。


「こら、陸やめろ」


「まじめか。しかたない。大和には逆らえないから、ジュースを注いでやる」


「えー!」


明日香と樹は陸にジュースをあびるほど飲まされた。




陸の家はガンガンに暖房がついて、いつの間にか雑魚寝して2日目になっていた。2日目の朝は明日香が左腕に樹が右腕に手枕した状態で目覚めた。腕がジンジンして痛すぎる。僕は2人の腕枕を勢いよく外した。それでも2人は起きずに僕にすり寄ってくる。

明日香の足が僕の腹部に蹴りを入れてきた。


「う、痛い」


どうやったら寝ているのに、そんなことができるのか。明日香、寝相悪すぎるぞ。

それに寒がりの陸のせいで、暖房が効き過ぎて暑苦しくて眠れなくなった。起きてお雑煮を作ることしょう。


お雑煮は醤油だしのあっさりしたものにした。野菜もたっぷり入れて具沢山にして、お餅は焼いて香ばしく仕上げた。

丁度できあがるころに匂いに釣られて皆が起きてきた。起きた順にお雑煮をついで渡した。


「うわ、大和のお雑煮だ。嬉しい」


「はい、樹の」


「ありがとう大和」


「さすが、大和は何でもできるじゃん」


「明日香、今頃気付いたか」


「前から知ってるけど、お雑煮は初めて食べるから」


「ほら、明日香の」


「いただきます」


「いっぱい食べろよ。陸の分だ。はい」


「サンキュー」


「美味しい、大和。最高」


「ありがとう樹」


「うん、美味しい」


「当たり前だ。大和が作ったからな」


「何か陸が自慢してるんですけど」


「明日香、大和は俺の自慢だ」


「大和は皆のもんだ」


「僕はものじゃないから、さあ皆いっぱい食べて」


「お替り」


「樹、食べ過ぎ」


「大丈夫、いっぱい作ったから」


3人は飢えた小犬のようにがっついている。それを可愛い奴らだと思って笑みを浮かべて見ていた。ああ平和だ。





1月3日から僕のバイトが始まった。今日は奥様とご主人の2人分の朝食のフレンチトーストを作ることになった。できあがると岩村さんが持って行ってくれた。

この後は君と初詣に行く約束をしている。2回目の初詣だけれど君と行くのは初めてだから待ち遠しかった。


いつものように中央の階段の下で待った。降りてきた君はピンク色の可愛い振袖を着ていた。


「お待たせ」


「ユキちゃん綺麗だ」


「ありがとう。大和君、明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いし

ます」


「明けましておめでとうございます。こちらこそ今年も宜しくお願いします。」


会えた嬉しさか、見つめ合うと自然に笑顔になっていた。抱きしめたくなる気持ちを押さえて君に手を差し出し繋いだ。


「じゃ、行こうか」


「はい」


繋いだ手をしっかり握りしめて、家から出て門をくぐった。外は寒いが晴れているので,朝の光の下で一段と艶やかな振袖姿が美しくもあり可愛くもある。そんな君が眩しい。



 バスと電車を乗り継いで神社に着いた。元旦に比べて人は少ないと思っていたが案外、人出は多いようで本堂にたどり着くまで少し時間がかかった。


境内に入って屋台が連なっている所は、左右違う方向に人の波が押し寄せてくる。離れないように君の手を腕に絡ませた。君は、はにかんだ笑顔で僕を見た。その笑顔を独り占めしている幸せを感じた。些細なことでも一緒にいると幸せを何度も実感できる。


あれ、君の手の感触が無い。横にいない。振り向いてもどこにもいない。焦って辺りを見回し人の間を抜けて、もと来た道を走った。戻っても君の姿はない。もう一度、境内に向かって歩いてみよう。

屋台の間の隙間も覗いてみたら不信そうに露店主が睨みつけてきた。思わず会釈した。あんな小さな隙間にいる訳ないか。



前方に顔を向けると右に曲がった所に、屋台と屋台の間に途切れた空間があった。吸い込まれるように入っていくと、後ろから抱きつく感触がした。僕の腹部に抱きついた手は振袖のピンクの袖が見えた。その手を優しくほどいて向い合せになると泣いているのに気づいた。


「大和君がいなくなったかと思った」


君の両手を握った。

「僕はいなくならないよ。でもユキちゃんがはぐれて焦った」


「ごめんなさい。草履が脱げて履いていたら、大和君が消えたと思って探してもみつからなくて」


「みつかって良かった」


「私、極度の方向音痴で、小さいときは、よく迷子になっていたけど、大人になって迷子になるとは思わなかった」


可笑しくて可愛い君を見て、ふき出してしまった。僕はどうしようもないくらい抱き締めたいという衝動が抑えきれず、君を引き寄せ腕の中に抱きすくめた。



人の波に流されるように本堂に着いた。お参りをするため大きな鈴を鳴らし賽銭箱にお金を入れた。君は何を願っているのだろう。二礼二拍手をして手を合わせて長い間ぶつぶついって、祈っていた。一礼をして参拝したあと、神社の階段を降りていたら何を祈ったか聞いてみたくなった


「ねえ、ユキちゃん。何をお願いしていたの?」


「本当はお願いすることはよくないと誰かいっていたけど、大和君のこと願わずにはいられなかったわ」


「どんなこと」


「内緒。大和君は?」


「内緒か、聞きたかったな。僕はね、ユキちゃんとずっと一緒にいられるようにって」


「私も、それもお願いした」


その言葉は嬉しかった。一緒にいたいという思いが同じくらいあるのだから、いや僕の方がこの思いは強いのかもしれない。


 正月は出店が何十軒もあって、君は子供に帰ったようにはしゃいでいた。いろろな店を見て回るだけでも楽しい。いちご飴やベビーカステラを食べながら歩いた。それから、ラーメンは出店の近くにあるベンチに座って食べた。いつも君は少食だったから珍しく沢山食べてくれた。

そのあと少し歩いて行くと君は射的ゲームを指差した。


「あれ、やってみたい」


「うん、やろう。すみません」


「はい、1回500円ね」


露店主に1回分のお金を渡すとプッラチックの丸い皿に5個のコルクの弾とライフル型の射的銃をくれた。先端にコルクを詰め込み君に渡した。


「できるかな?」


「できるよ。やってみて」


「うん」

君は片目をつぶり的の人形をめがけて撃った。的を外しコルクは消えた。

「わ、当たらない。難しい」


「そうか、じゃ、この位置に構えて」


君の後ろから手を添えて的が当たると思う位置まで射的銃の先端の向きを変えた。君は慎重に撃つ。大きめのぬいぐるみをかすった。僕は思わず声が出た。


「惜しい」


「やっぱり難しいのね。大和君やって」


「何が欲しい」


「あのパンダ」


「分かった」


射的銃を受け取り大きめのパンダのぬいぐるみを、残りの3発のコルクを使ってやっと落とした。なかなか落ちなかったのは固定している?と思った。君が欲しがっていたパンダのぬいぐるみをゲットした。君に渡すとパンダを抱きしめて喜んでいた。可愛いな。



 午後からは汐留の日本庭園で散策をした。振袖姿に日本庭園はよく合う。この頃は正月でも着物を着ている人は少ない。それで君の振袖姿に見惚れている人は多い。僕は君の美しさを自慢に思った。

 日本庭園にはお茶屋さんがあった。和菓子も洋菓子もお菓子というだけで惹かれるから、どんな店も覗いてみたくなる。


「ここ入ろうか?」


「はい」


席に座るとメニューを広げて何にするか迷った。そんなに品目はないが迷う。それがまた楽しい。


「どうしよう」


「やっぱりお勧めの抹茶セットかな」


「私もそれにする」


抹茶と生菓子の抹茶セットをたのんだ。お菓子を食べると和む。和菓子は落ち着く感じがいい。それに庭園を見ながら抹茶をいただくと、のんびりした感覚があるから時間を忘れてしまう。この空間がそうさせるのだろう。


 こんな都心にある緑の多い空間は貴重だ。日本庭園の奥にビルが見える。それは、まるで昔と現在の混成に結実した未来を期待させた。





2月はバレンタインデーがあるので奥様のデザートにチョコレートのトリュフを作ることにした。製菓専門学校の実習でチョコレートのトリュフを作ったとき是非、奥様にも食べて欲しいと思ったからだ。 


それから君にバレンタインデーのチョコの作り方を教える約束をした。僕が一番好きなチョコを教えろというが、チョコは何でも好きだからトリュフを教えることにした。学校の復習ができて一石二鳥だ。それに簡単で美味しいから喜んでくれるだろう。君が作るチョコを食べられる僕が一番喜んでいるけど。


お菓子作り専用のキッチンで、いつも通り待ち合わせをした。いつものフリルが沢山ついたエプロンで現れる。

君と一緒にお菓子作りをするのが好きだ。君との共有している時間は貴重なものだと何度も繰り返し思う。それは幸せな感覚を知ってしまったと同時に大切な時間が早く流れると分かったからだ。


さあ、お菓子作りを始めるか。

まずボウルにミルクチョコレートを割って入れる。生クリームを鍋に入れて弱火で温めてチョコレートを入れたボウルに混ぜ合わせる。冷蔵庫で三十分冷やし一口大に丸めてココアパウダーをまぶした。



 僕が作ったチョコは前もって用意していた宝石箱のようなお洒落な箱に入れた。包装をせずピンクのリボンだけ付けて仕上げた。


君が作ったチョコは花柄の箱に1つずつ大事に詰めていた。嬉しそうな笑顔は僕に伝わる。でも僕のためのチョコレートだと思うと笑ってしまう。渡す本人に作り方を教えてもらい一生懸命な姿を見せつけるなんて、あざとい君を懸想している。君の魂胆にハマってしまったらしい。


バイトのことを忘れてしまいそうだった。奥様にチョコレートを渡しに行こう。ワゴンを使わないで箱だけを持って奥様の部屋をノックした。


「どうぞ」僕はその声を聞いて部屋へ入った。


「奥様、今日のお菓子はトリュフチョコレートです」

僕はリボンのついた箱を奥様のテーブルにおいた。


「まあ、バレンタインチョコを貰った気分ね」


「そうです。感謝を込めて作りました」


「ありがとう。じゃ、いただきます」


奥様はリボンを解き開けると明るく輝いた表情で僕を見た。奥様が君に見えた。思わず僕は愛おしくて抱きしめたくなった。バカ、何考えている。目を覚ますように瞼を閉じて首を左右に振った。


「美味しい」


「箱に入っているので、少しずつ好きなときに食べて下さい」


「ええ、そうするわ。後で食べられるなんて気が利くのね。一粒ずつ楽しんでいただけるのは素敵ね」


「はい」


奥様の一言は僕の自尊心が強くなる。何気ない言葉が魔法のように心に溶け込む、なんて不思議な人だ。夢が現実に描ける勇気をくれる。この先、一人だけでもいい、お菓子で人生を変えられるパティシエになりたいと強く思った。

奥様の部屋を出て、君のいるキッチンに戻った。コーヒーを入れて待っていてくれた。君はミルクをグラスに入れていた。僕たちはテーブルに並んで座った。


「チョコとミルクを合わせるのは最高よ」


「分かる。まさにマリアージュ」


「チョコとミルクのマリアージュね。いいわ」


僕の作ったトリュフチョコレートを味わっているときの君の輝いた笑顔は、奥様と同じ顔をした。


「美味しい。大和君のトリュフチョコを食べると幸せいっぱいになる」


「嬉しい。最高の誉め言葉だ」


「何度でもいうわよ。幸せ」


子供っぽい君の仕草に頭を撫ぜた。君はさっき作ったチョコレートが入った花柄の箱を手渡してくれた。


「大好きです」


「ありがとう」


「それからこれも」

手渡された薄く長めの箱は開けなくてもネクタイだと分かった。


「スーツをきた大和君が素敵だからネクタイにしちゃった」


「ありがとう、開けていい?」


「どうぞ」


包装紙を丁寧に開いて中を見た。箱の中は青系のセンスのいい柄だった。ポケットチーフも似たような柄の物が入っていた。君からの贈り物は何でも嬉しい。嬉しさのあまり君の手を軽く引っぱって僕の膝の上に座らせた。君を見上げる感じの姿勢でキスをする。それは甘いチョコレートの味がした。





2月の終わり頃、授業が終わって帰りがけに製菓専門学校のカフェで陸とコーヒーを飲んでいた。するとあとから明日香と樹が来て卒業旅行に行こうという。


「だから卒業したら、皆が別々の職場になるから思い出に卒業旅行に行きたい。明日香もそう思うよね」


「大和がパリに行くから、なかなか会えないじゃん。4人で会えるのが、いつになるか分かんないから私も卒業旅行に行きたい」


「いいね」


「いいけど、パリへ行くから予算安めでお願いしたい」


「分かってる。大和のためにお金のかからないキャンプはどうだ」


「陸、キャンプは色々な道具がいるから、余計に予算がかかる」


「そうだ」


「それに寒いじゃん」


「お前たち!今は冬キャンプが流行ってんの。3月は春だけど寒いから冬キャンだ。実をいうとキャンプ道具は揃ってる。流行に弱い俺はいつか行こうと思って用意していた」


「すごい。それなら僕行くよ。大和、行こうよ」


「うん、いいけど。陸、どこ行くつもり」


「大和、よく聞いてくれた。山中湖はどうだ」


「いい。私も行きたい」


「よし!決まり皆で行こう。俺、車出すし。大和、交代で運転しよう」


「うん」


何となく押し切られるように卒業旅行が決まってしまった。まあ皆で行くと楽しいだろうからいいけど。


「大和、ユキちゃんも連れてこいよ」


「私たちと関係ないじゃん」


「ユキちゃんだって大和としばしの別れだから、思い出を作ってやろうじゃないか」


「僕、ユキちゃん見たい。大和の好みのタイプを知りたい」


「樹、変わってんな。見てどうする。好みのタイプ知っても、大和はお前になびかないぞ」


「意地悪だ。陸は」


「私は嫌」


「多数決で決まりだ。嫌なら明日香くるなよ」


「陸のバカ。絶対にキャンプに行くから」


明日香は怒って帰って行った。君とは一緒に行きたいが、でも連れて行くのは気を使う。陸は僕のことを思っていってくれているけど。


「大和、明日香は行くっていってるから気にするな」


「そうだよ。僕は大歓迎だよ」


「うん、ありがとう」


「次の週末に卒業式だから、大和は卒業後パリに行く準備で忙しいだろう。だから今週の土曜日に行こう」


「そうだね。大和、ユキちゃん誘ってね」


「分かった」


「明日香は僕が今週の土曜日行くっていっとくね」


「俺はキャンプ道具を車に入れとくな」


「うん、頼む」


どこに行くか打ち合わせをすると、キャンプはやっぱり山梨県の山中湖だと陸がすすめるので直ぐに決まった。君にはバイトのケーキ作りを一緒にする時に誘った。

当日は日曜日の朝食作りの日を土曜日に替えてもらい。バイト先に陸たちが車で迎えに来てくれることになった。






3月に入っての第一土曜日は待ちに待ったキャンプに行く日が来た。8時半にバイトが終わり、君の家の階段の下で待っていた。君は動きやすそうなワンピースにコートを着た森ガール風の可愛いファションだった。


二人で家の門を出ると陸たちが車で待っていた。僕たちは陸の大きなワゴン車の所までいった。


「陸、お待たせ。迎えに来てくれてありがとうな」


「おう、大和、お疲れ。君がユキちゃん?可愛いね」


「今日は誘ってくださり、ありがとうございます」


「いえいえ、堅苦しいことなしで、さあ、乗った乗った」


僕たちはワゴン車に乗り込んだ。後ろには明日香がいて運転している陸の横の助手席には樹がいた。8人乗れるワゴン車の後ろの方はキャンプの道具でいっぱいだ。広い車の中が狭く感じる。陸はいったい何泊するつもりだ。陸を見ると樹とハイテンションで楽しそうに笑っている。樹が後ろを向いて君に話かけた。


「僕は樹。ユキちゃん初めまして話に聞いたとおり可愛いね」


「何いっての。樹は大和のこと好きなんでしょう。だからライバルなんだよ」


「明日香、平和にいこうぜ」


「うるさい!陸」


「機嫌悪いな。ユキちゃんが可愛いから妬いてるんだ」


「陸!」


「おお、こわっ」


相変わらず陸は明日香をおちょくって喜んでいる。

高速に乗って現地に着くまでは約2時間かかる。途中の大型スーパーマーケットで食材など買うことにした。


「もうすぐスーパーだから、たっぷり買おうぜ。特に肉」


「高級和牛はどう」


「樹は草食男子のくせに肉好きだな」


「悪い?皆、お肉好きだよ。太っ腹な陸、買ってくれる」


「今日はユキちゃんのお母さんから餞別貰ったんだよな。大和」


「うん、結構包んでくれた」


「さすがた。ユキちゃんありがとうね」


「いえいえ、ママがいつのまに」


「ユキちゃんはママからも愛されているね。大和もそう思うだろ」


「うん、そうだね」


高速を降りて途中、車がバウンドした弾みで君の体が前方の座席に当たりそうになった。僕は前から手を伸ばし君を受け止めた。後ろでは明日香が両手を座席についた。それから機嫌悪い声で怒っていった。


「陸、危ない」


「ごめん、ごめん」


「ユキちゃんは大丈夫だった」


「はい、大丈夫です」


「むち打ちになるわ」


「明日香。ユキちゃんを見習え、むち打ちは大袈裟だろう」


「もう、うるさい陸」


明日香はずっと機嫌をそこねている。車がバウンドしたとき、君を前方の座席にぶつからないよう受け止めたのが、後ろから見て明日香は抱き合っているように見えたのだろうか。

座席の後ろから蹴られた感じがした。振り向いて明日香を見ると窓の外を見ていた。


「ここ狭いわ」と独り言をいって怒った顔をしていた。明日香がこんな調子だったら君をいじめたりしないか心配になる。君と明日香のことを考えていたら、気が付くと大型スーパーマーケットに着いていた。食材を買うため皆で車を降りた。


「郊外は大きなスーパーあるね。何でも売ってそう。僕お肉食べたい」


「いい肉、買おうぜ」


陸と樹は足早にスーパーマーケットの入口に吸い込まれるように入っていた。僕は君と手を繋いで、その後ろを歩いていた。明日香は不機嫌さを漂わせて僕たちを足早に追い越して行った。


 スーパーマーケットの中では大きなカートを押して陸と樹がはしゃいでいた。明日香は不機嫌と思っていたが、お菓子の材料のコーナーで楽しそうに見えた。何を買うか聞いてみると朝食にパンケーキを作ると、小麦粉やグラニュー糖などをカゴの中に入れていた。やっぱりお菓子作りが好きなんだと薄らと笑みがこぼれる明日香の顔を見ただけで感じる。

肉のコーナーに行くと陸と樹が真剣な顔で肉を吟味していた。


「大和、来いよ。鶏肉が一羽丸ごと売ってる」


「大和、僕ローストチキン食べたい」


「いいよ。ローズマリーのハーブを買っといて」


「うん、久々に大和の手料理食べられる。楽しみ」


「ユキちゃんはローストチキン食べられる?」


「はい、大好きです。大和君、私もお手伝いさせてください」


僕は笑顔でうなずいた。

僕は君と手を繋いでいろいろ見てまわった。すると君の顔色が悪いのに気がついた。


「ユキちゃん大丈夫?顔色が悪いよ」


「ちょっと気分悪くて。お手洗い行ってきます」


僕は心配になった。車酔いしたのかな。僕がひとりで待っていると陸たちが来た。


「大和どうした。ユキちゃんは?」


「気分悪いってトイレに行った」


「陸が荒っぼい運転するからだよ。僕もちょっと気分悪かった」


「ユキちゃんはともかく。樹はやわだな」


「ほっといてよ。あっ、ユキちゃん大丈夫?」


君は心配させまいとすぐに戻って来た。顔色は少しマシになっていたけど。

「大丈夫です。ご心配をおかけして、すみません」


「無理しないで、また気分が悪くなったら遠慮せずにすぐにいって」


「ありがとう。大和君もう大丈夫だからね」


君が大丈夫というときは心配かけまいとしている。そんなに平気なフリしなくてもいいのに。僕のこと頼ってくれていいんだ。


「大和君、私フルーツ食べたい」


「うん、フルーツのコーナーへ行こう。山梨はフルーツが美味しい所だから色々あるよ」


君とフルーツコーナーへ行き苺や文旦などの柑橘系もいろいろカゴに入れた。

 皆とレジで合流した。前にキャンプに行くことを奥様と話したら餞別を貰った。レジの支払いをしても余裕で残る額だった。奥様はお嬢さんのことを大事に思っているのだと感じた。僕たちは車に沢山の食材と飲み物を詰め込んでキャンプ場に向かった。



キャンプ場は3月初めで寒くて人がいないと思っていたが、あちらこちらに人がテントを張っていた。その様子を見ていると初めてのキャンプが楽しく思えてきた。


僕たちがテントを張るのは林間サイトといって、車ごと乗り入れができる場所だった。陸がネットで予約してくれた。受付でチェックインして一泊、次の日の昼頃まで使える。売店もあって必要な物はだいたい売っている。あとトイレやシャワールームがあって至れり尽せりだ。まさかキャンプでシャワーができるとは思わなかった。予約した場所は一番奥に入った所だった。


「ここ、ここだ。着いたぞ!」


「陸だいぶと奥なんだ」


「そうそう、誰にも邪魔されたくないからな。俺たちの世界だ」


「夜怖くないの?大和守ってね」


「樹、お前は大丈夫だ。怖かったら明日香に守ってもらえ。それに大和はユキちゃん担当だ。ユキちゃん安心しろよ」

「はい」


僕は君に笑いかけて手を握った。すると真ん中から明日香が割り込んできて腕を組んだ。


「さあ、大和、テント張ろう」


僕は明日香の手を外して答えた。

「うん、まず車から荷物を降ろそう」


先に皆でテントの道具を降ろして、男3人でテントを張ることにした。初めてのことなので説明書をもとに時間はかかったけど何とかテントを張れた。

明日香も樹も喜んでテントの中に入った。


「すご!中、広いじゃん」


「わー、僕の部屋より大きい」


「樹どんな部屋に住んでんだ。さあ中に荷物運ぼう。大和はもう荷物運んでくれてるぞ」


僕たちは荷物を降ろして中に入れた。中でも驚いたのは小型の薪ストーブだ。3月の山中湖は平均6度前後で最高気温は20度前後。最低気温はマイナス4度からマイナス5度なので陸が寒さを考えて人数分の毛布を持ってきてくれた。


外にはバーベーキュウコンロや焚火用の道具を置いた。いろいろ用意して荷物を出し終わったころは昼を過ぎていた。陸がコンロでやかんに水を入れって沸かしていた。お勧めの

昼食だというので期待しているとカレーヌードルを渡された。


「キャンプではカレーヌードルが最高に美味しいんだ。どっかのマンガで紹介してた。家で食べるより断然美味しい」


「えー!昼ご飯これ」


「僕、もっといい物食べたい」


「バカ、今から作ると時間かかるだろう。昼は簡単にして夜は大和の手料理で満喫するんだ」


「寒いからカレーヌードルは美味しいと思うよ」

僕は腹が空いて攻撃的になっている明日香と樹をなだめるようにいった。


「そうだ。騙されたと思って食べてみろ。俺が保証する」


カレーヌードルの蓋を開けたら陸が順番にお湯を入れってくれた。

君は温かいヌードルの容器を冷えた両手でしっかり握りしめていた。その姿は可愛くて見ていられる。君を見つめていると樹の不満の声がした。


「ねえ、僕これだけじゃあ足りない」


「おにぎり買ってある。アルミホイルに包んで焼きおにぎりにしよう」


「さすが大和。気がきく」


アルミホイルで1つずつくるんで、後でのりを巻くと結構美味しかった。陸も樹も明日香も食べ盛りなので2、3個軽く食べていた。君は1つは食べられないというので僕と半分ずつにして食べた。


「皆でたべると美味しいね」

そういう君の笑顔は忘れられない。


遅い昼食を食べてまったりしていたら、もう夕方になっていた。僕は夕食の準備をすることにした。


ローストチキンを作るためバーベーキュウコンロに炭を入れ火をおこした。

まず鶏肉にすりおろしたニンニクと塩とブラックペッパーとローズマリーとオリーブオイルをすり込み袋に入れて1時間ほどなじませた。

その間にポトフを作る。明日香に玉ねぎとキャベツとにんじんとベーコンを大きめに切っ

て鍋に入れてもらい。僕がコンソメと塩コショウで味付けをした。


「大和は何でもできるね」


「そういう明日香はケーキ作れても料理は作れないよな」


「陸もね」


「俺は食べる係」


「僕も食べる係」


相変わらず3人はじゃれあっている。この仲間と離れるのは寂しいと実感してきた。思い出に陸と樹にデザート作ってもらおう。


「ねえ、陸と樹にデザート作ってほしいんだけど」


「うんいいよ。僕はデザートしか作れないからね。陸、何作る?」


「玉子と牛乳あるからプリンは?寒いから熱々のまま食べようぜ」


「いい。それ」


陸と樹は材料を出してプリンを作りだした。

僕と君はにんじんとジャガイモとセロリをざく切りして、ダッチオーブンの底に入れて上に袋に入れて下ごしらえしていた鶏肉をのせて蓋をした。それを30分ほど焼いた。


「明日香なんもしてないんだったら水買ってきてくれ。食後のコーヒーのみたいからな」


「陸、自分で買ってこい」


「さっきポトフ作るときこぼしただろう。スーパーで水あまり買ってないし」


「嫌だ」


「あの私、買ってきます」


「ユキちゃんはだめだ。大和を手伝ってるし」


「もう作り終わっているから行きます」


君は嫌がる明日香を気にして売店に行くという。明日香は嬉しそうに早く行くよう急かした。女子ひとりで行かせるのは心配だし、ましてや君ひとりだとなおさらだ。


「僕もいくよ」


「大和はローストチキンまだ焼きあがってないからだめじゃん」


「じゃあ、私行ってきます」


君は暗いなか小走りで売店へ向かった。追いかけようとしたら明日香が通せんぼうしてきた。僕の目を見ていった。


「私がいく」


君の後を明日香が追いかけた。気になるが2人なら大丈夫か?いや大丈夫だ。

僕は焼き上がったローストチキンを蒸し焼きにするため火からおろした。


暫くして明日香が水を持って帰ってきた。後ろを見ても君がいない。僕はすぐに明日香に聞いた。


「ユキちゃんは?」


「あれ、先までついてきていたのに」


「明日香、ユキちゃんに意地悪して、おいてきたな」


「陸、人聞きの悪いこというなよ。おいてきてない。勝手についてこなかっただけ」


「恋のライバルでも意地悪するのは、よくないよ」


「うるさい!樹」

僕は君が方向音痴なんで焦った。


「探してくる」


「大和すぐ帰ってくると思うよ」


樹の言葉も耳にはいらず急いで売店の方角へ走っていった。

売店に着いても君はいなかった。そこら辺を探してみたが見当たらない。戻ってみようと思い林間サイトの奥へ歩き出すと右側から男の声がした。


「大丈夫?」


「はい、大丈夫です」


君の声がしたので右奥に行くと知らない男と手を繋いでいた。よく見ると、もうひとり男がいて2人は大学生くらいに見えた。


「先、もうひとり女の子と歩いてたね」


「2人でキャンプ?良かったら僕らと合流しない?」


「ごめんなさい。5人でキャンプに来たので、合流はできません」


「そんなこといわずに、君だけでもいいよ」


「いえ、あの、困ります」


その男たちを腹立たしく思った。これって嫉妬?初めてのことなので戸惑ったが、気持ちを落ち着かせて、何事もなかったように君の所まで行き声をかけた。


「ユキちゃんここにいたの」


「あ、大和君」

君は繋いでいた手を強く振り払って僕の腕を組んだ。


「何だ。男と一緒か」

2人はがっかりした様子で自分たちのテントに向かっていった。


「ユキちゃん心配したよ」


「明日香さんとはぐれて焦ったら転倒して、あの人たちが助けてくれたの」


「そうだったの」

僕は男たちのテントに向かって大きな声でいった。


「助けてくれて、ありがとう」


君は礼をした。すると2人は手を振って答えた。それを見ると案外いい人なんだと思った。キャンプにくる人は善良な人が多いのかも。


「ユキちゃん怪我してない?」


「右膝すりむいちゃった」


「じゃ、おんぶするよ」


「大丈夫」

君にむかって背中を低くした。


「大和君、本当に大丈夫だから歩けるよ」


「僕がおんぶしたいんだ」


「ありがとう」恥ずかしそうにいった。

君は肩に手をまわした。僕は君を背負いゆっくり立ち上がった。とても軽くて本当に存在しているか心配する。今にも消えてしまいそうに思えた。


「どうしたの?大和君」


「何でもないよ。ただユキちゃんが軽くて、ご飯ちゃんと食べてるのか心配になっただけ」


「大和君、お母さんみたい」

君は明るく笑った。


「はい、ちゃんと食べています。特に大和君のケーキは食べ過ぎちゃう」


「その言葉、嬉しいな」


「噓じゃないわよ。美味しんだから、今日は夕食作ってくれたので楽しみにしてるんだから。太っちゃいそう」


「太るくらい食べていいよ」


「太ったら嫌いにならない?」


「なる訳ない。ユキちゃんはユキちゃんだから、どんなユキちゃんも好きだよ」


君が肩にまわした手はぎゅっと力が入った。僕を抱きしめてくれているようだ。背中に感

じる体温が幸せだと思える。ゆっくり歩いても皆のいるテントまでは時間がかからなかった。

君はテントが見えると背中からおりるという。ずっとおぶっていたかたが、あまりいうのでおろした。君と手を繋いで皆の所へ行くと、夕食を食べずに待ってくれていた。


「大和、遅いぞ。ラブラブしてたか?」


「陸、親父的表現するなよ。聞いてて恥ずかしいわ」


「僕チーズフォンデュ作ったよ。大和、早く食べて」


「うん、ありがとう」


「ユキちゃんも早くおいで、美味しく出来たぞ。まあ、ほとんど大和が作ったけどな」


君は笑顔で答えた。だが、明日香を見ると緊張しているように見える。まさか明日香が何かしていないよな。君に聞いても何もないという。まあ、明日香から遠ざけて僕と一緒にいれば大丈夫だろう。


「こんなに美味しい夕食はじめて」


「皆で食べるからだよ」


「大和、謙遜するな。俺は大和の手料理は美味しいと思ってる。なかったら禁断症

状でるから、大和を呼びつけてるだろう」


「陸、それは言い過ぎ」


「僕も陸と同じだ!胃袋つかまれた気分。明日香もそう思うよね」


「うん、毎日食べたい」


「明日香、残念だ。毎日食べる権利があるのは俺とユキちゃんだけだ」


「僕もその権利ほしい」


「何で陸が権利あんの」


「明日香、俺は切っても切れない腐れ縁の幼馴染みだ」


「何よ、それ」

明日香は機嫌をそこねて、ふくれっ面をした。


「まあまあ、明日香。ワイン飲んで機嫌なおせ。20才超えただろう。初めてのんでみるか?」


「いいの」


「僕も飲みたい」


「樹は3月末の誕生日まで無理。ソーダーで我慢しろよ」


「陸お願い一口だけ」


「だめ。あっ、ユキちゃんも飲む?」


「私はお酒が苦手なんで、ソーダー頂いていいですか」


「残念だな。ユキちゃんのほろ酔い姿か見たかったな。可愛いだろうな」


「陸、もう酔ってるのか。ユキちゃん、ソーダー取ってくる」


僕はユキちゃんと樹にソーダーをついで渡した。陸と明日香は調子にのってワインを飲んで酔っぱらい賑やかだ。それにしらふで2人に加わる樹が一番酔っぱらっているみたいだ。樹は酔っぱらった2人を相手に、作ったプリンを食べろとうるさい。食べろ食べないと3人の掛け合いを聞いていると。横で座っている君の顔が寂しげに見えた。きっと僕の心が離れたくないと思っているから、そう見えるのだろう。


「ねえ、ユキちゃん、一週間後の卒業式のあと、君に話がある」


「どうしたの。今は話せないの?」


「うん、卒業してから」


「パリへは、いつ立つの?」


「3月最終の月曜日」


「もうすぐね」


心なしか君も寂しそうで、そのけなげな様子を見て思わず肩を抱きしめた。酔っぱらった3人、いや2人と疲れた1人はテントの中で雑魚寝していた。この寒さだったら凍えるところだった。早めに薪ストーブの火を入れていてよかった。


 僕は君と後片付けをした。近くの水道がある所で皿などを洗い、きれいに拭いて食器の入っていた専用のバックに入れた。後は炭の火を消して、バーナーパット(小さなコンロ)の火が燃え切ったか確認した。2人でシャワーしょうと着替えの用意をして売店と同じ建物の中のシャワー室にいった。男女別々のシャワー室でわかれて入った。僕が先に出て、売店でジュースを買って待っていた。君は珍しくジャージを着て出てきた。


「そのブランドのジャージ、僕の父が大事にしているのと同じだ」


「そうなの」


「うん、着古しても捨てられないって、まだ大事にしている。ユキちゃんのは新品のようだね」


「あまり着ていないから」


「知ってた?もう廃盤商品なんだって、価値あるよ」


「そうなの。頂き物なので知らなかった」


ジュースを飲みながら、たわいのない話をするだけで幸福感。会話はつきなくていつまでも話していられるが、十一時を過ぎていた。僕たちはテントに戻ることにした。テントまでは早く帰りたいと思ったら遠い。先まで近いと思っていたが錯覚だったか。いくら邪魔されたくないと一番奥にしなくてもいいのに、湯冷めしそうだ。陸これじゃあ夜にトイレに行くのも遠いぞ。


 テントに着いて中に入った。先に薪ストーブに薪を入れ消えないようにした。毛布を持って君とテントの端に寄り添って寝ることにした。君が隣にいると気になって眠れない。薪をストーブに入れ過ぎたのか、テントの中が暑い。あまりに暑いので寝ている君を起こさないように外へ出た。


 外は寒いが、中が暑かったので丁度いい。両手を挙げて伸びをしていると後ろから音がした。君だと思い後ろを振り向くと明日香だった。明日香は勢いよく僕に抱きついてきた。まだ酔いが醒めていないようだ。酒臭い。


「風邪ひくぞ。テントに戻ろう」


抱きついていた明日香を離そうとしたとき、肩に腕を回してキスをしてきた。離そうとしたらバカ力で離れない。こんなところを君が見たら誤解される。力いっぱい離すと電池が切れた人形みたいに、体の力が抜けてぐったりした。地面に倒れそうになったので受け止めた。


「明日香、酔ってるのか」

何も答えず、ぐったりと僕の腕の中にいる。仕方がないから抱き上げた。


「明日香、頼むよ」


独り言を呟いてしまった。この感じは女子がいうお姫様抱っこを明日香にしている。君には1度しかしたことない。しかも寝ていたから覚えてないだろう。テントに入って明日香を寝かせ毛布をかけた。


君の所に行き寝ている額にキスをした。悪いことはしていないのに罪悪感、まるでキスの上書きしている。君の寝顔を見ると可愛くて愛しい。よく見ると涙が浮かんでいる。

涙を拭くとゆっくり瞼が開いた。


「どうした?怖い夢みた?」


「うん」


君は横になったまま僕の胸に抱きついた。君を優しく抱き締めて、そしてキスをした。今日に限って長く熱いキス。あ、だめだ。これ以上いくと止められなくなる。君を離して手枕をした。僕の腕の中で君は眠った。


 僕は天井を見上げ君のことばかり考えていると視線を感じて明日香の方を見た。動いたように思えたけれど気のせいだ。あれだけ酔っていたら熟睡だろう。僕はいつの間にか眠っていた。



気がつくと朝だった。騒がしいので起き上がると陸と君が荷物を片付けていた。


「おっ、起きたか」


「今何時?」


「7時だ。大和にしては、ぐっすりだったな。ユキちゃんが横にいて安心したな」


「樹と明日香は?」


「ああ、外で朝食のパンケーキ焼くって騒いでる」


僕は着替えて近くの水道で顔を洗った。陸と朝食できるまでにテントをたたむことにした。たたみ始めるとキャンプでのできごとを思い出した。いろいろあったけど案外楽しかった。この仲間と別々の道を歩むのかと思うと感傷的になった。


テントをたたみ終えて車になおし使わない物も片付けた。朝食ができたので焚火台に椅子を囲み皆で食べた。


「明日香、人のパンケーキに勝手にシロップかけるなよ」


「陸は甘党だから美味しいはず、大和はバターだけだよね」


「ありがとう」


「明日香、僕はシロップいっぱいかけるからシロップちょうだい。ユキちゃんもかける?」


「はい、お願いします」


僕は昨日の残りのポトフを温めて皆に配った。陸と樹はコーヒーを入れてくれた。君はコーヒーが苦手だからミルクを温めて渡した。

 朝食を終えて山中湖を散策することになった。湖の奥に富士山が見えて、とても美しい。寒いせいか空気も澄んでいる。



樹が白鳥の遊覧船に乗りたいというので、桟橋の乗り場に行きチケットを買った。

十時過ぎの運航の白鳥に乗った。中は木製の椅子で温もりのある空間になっていた。


「遊覧船に乗るほうが富士山が大きく見える。僕が乗りたいっていわないとこんな良い風景見られなかったよ」


「本当、とっても綺麗」


「ユキちゃんは分かってる。僕と感性が同じだね」


「樹は何でもユキちゃんと同じでありたいんだな。全然違てるぞ」


「もう陸はいつも意地悪だ。ね、ユキちゃん」


君は優しい笑顔を皆に向けた。

遊覧船は約25分の運航で、その間も皆はしゃいで楽しそうだ。白鳥の首の下の甲板に出ると富士山がもっと近くに見える。僕たちは富士山を見上げ風を受けていると、ひんやりした空気は心まで気持ちがいいと感じた。



 昼は帰り道の途中にある甲州ほうとうの店でほうとうを食べることにした。郷土料理を食べるのは旅の醍醐味だ。初めて食べるので美味しいだろうと期待している。


車を走らせると少しして、ほうとうの店に着いた。僕とユキちゃんはかぼちゃのほうとうにした。皆は豚肉のほうとうや茸たっぷりのほうとうをそれぞれ注文した。

ほうとうは平打ちの麺で味噌仕立ての汁に、かぼちゃ、にんじん、ごぼう、アゲやしめじも入っていて野菜豊富な鍋だ。小さなひとり鍋になっていて、煮込んだ味噌は出汁がよく出て麺はこしがあって美味しい。熱々で栄養満点の鍋だから心も体も満たされた。



帰り道は引き続き僕が運転した。陸が行きの運転をしてくれたので、帰りは僕が引き受けた。車を出した途端、昼食が睡眠薬の働きをしたせいか、睡魔に襲われたらしい。皆は気持ちがよさそうに熟睡していた。いびきまで聞こえる。君は助手席で僕に気を使って、眠そうな瞼を気力でおしあげている。気を許すと目が瞼にふさがれる。


「ユキちゃん、眠いだろう。気にせずに寝てもいいよ」


「でも大和君は疲れているのに、運転してくれているから眠れない」


「僕は疲れていないよ。ユキちゃんの寝顔は癒されるから寝ていいよ」


「そんなこと言われたら寝ちゃう」


「いいよ。いつでも寝ちゃって」


君は睡魔と葛藤していた。頭がガクッと下に垂れたと思ったら、顔を上げ前を睨みつけた。

何度も繰り返す姿は面白くて可愛い。眠くなるどころか、可愛さに君から目が離せないでいる。だめだめ、あまり見ていたら危ない。笑顔で緩む顔を左手で2回叩いて顔を引き締めた。


高速に乗って約40分走るとサービスエリアが見えてきた。陸が土産を買いたいといっていたので寄ることにした。数十台の車が置ける大きな駐車場に止めた。後部座席を見ると、まだ皆は爆睡していた。起こすのは可哀そうだが、後で陸に文句いわれるのも癪だ。

大声を出して起こすことにした。


「起きろ!サービスエリアに着いたぞ」


「大和、もう家に着いたの?」


「いや、サービスエリアだ。眠たかったら寝てていいよ」


「えー、サービスエリア。僕行ってみたかった」


「じゃ、降りて」


「陸も起きたか?」


「うん」


「私、トイレ行ってくる」



「明日香、中で買い物しているからな」


「わかった。陸」


3人は寝ぼけ眼で降りていった。助手席の君はこんなに騒がしいのに安心仕切って眠っている。


「陸、先に行ってて」


「うん、早く来いよ」僕は頷いた。


君の寝顔はやっぱり癒される。起こすと、もったいない。でもサービスエリアに一緒に行くのも楽しいだろう。優しく君の肩を何度かゆすった。君は眩しそうな目で僕を見た。


「サービスエリアに着いたけど、行く?」


君は周りをキョロキョロ見回して目をこすり、やっと目が覚めたらしい。

「うん、行く」


「じゃ、降りようか」


手を繋いでサービスエリアの入口まで歩いた。入口に入ると土産物や特産品が奥の一角に広く置かれていた。手前には野菜や果物など沢山売られていて肉まであった。


道の駅やスーパーみたいな品揃えだったのでびっくりした。

それからラーメン店やうどん店、ちょっとしたレストランまであった。他に焼き立てのパン屋とフードコートもあり、そこにも数件の小さな店が立ち並んでいた。


 君と土産を見てまわって買い物をした奥様の土産も買った。そのあとフードコートに行くと陸たちがソフトクリームを食べていた。


「大和、ここ、ここ」

陸が呼んでいるので同じテーブルの席に君と座った。


「ユキちゃん、ソフトクリーム食べる?」


「うん」


「じゃ、買ってくる」


「大和君、私も一緒に行く」


二人でソフトクリームの店で同じストロベリーソフトクリームを食べた。

その時の君の絶え間ない笑顔はやはり癒される。



サービスエリアですっかり長居してしまって高速を降りて、君の家の前まで来たのは夕方になっていた。家の前で降りて陸に運転をかわった。僕たちに気を使って陸は直ぐに帰るといって別かれた。二人は名残惜しい気持ちで、いつまでも門の前で話をした。キャンプが楽しかったことや食べ物の美味しかったことを思い出して語り合った。


そして僕はパリに行く前に君に話をしたい。君とパリに行けたならと夢見ていた。そのことを伝えたくて待ち合わせの約束を取り付けることにした。


「ユキちゃん、昨日いったけど、来週の金曜日の卒業式が終わった午後3時ごろ、前に行った喫茶店Voyager of time(ボャージュ オブ タイム・時間の航海)で話したいことがある。」


「ええ、でも、改まってどうしたの?」


「パリに行く前に聞きたいことがあって」


「今、いえないの?」


「けじめとして卒業してから話したくて」


「分かったわ。必ずいきます」


待ち合わせの約束をしただけなのに、パリに一緒に行くことになった気でいる。それが嬉しくて仕方なかった。その後、君が門の中に入るのを見届けてから家に帰った。僕の足どりは軽く今にも羽ばたいて空をも飛べる勢いだ。





とうとう、この日が来た。喫茶店Voyager of time.(ボャージュ オブ タイム)での待ち合わせの日。午前中に卒業式が終わって午後3時に君を待っている。


 何から話せばいいか。頭の中で整理してみた。ユキちゃんとパリに行きたいと伝えよう。素直な気持ちをありのままに。君の答えを聞きたいと。もし一緒に行けないという答えでも現実を受け止めること。その後どうするのかも。

答えが行けるなら残り少ない時間で準備をしないと。


それから、どちらにしても婚約者のことも話し合い答えをださないといけない。いろいろ考えないといけないことが山積みにあると改めて思った。

 でも現実は残酷なもので、何時間待っても君は来ない。僕は焦ってメールを何度もうつが君の元へ、受信できない。宛先不明で送り返されたメールが何通にも重なる。どうしたんだろう。そんな訳ない。僕の様子を見ていたマスターが話しかけてきた。


「なあ、大和。俺この光景見たことある。それも二十年以上も前に」


「どういうこと」


「今、大和は彼女を待っているんだろう」


「うん」


「その子は前に一緒に来た女の子だよな」


「うん、そう」


「彼女は二十年以上前にいる。俺が子供の時、大和が座っている。同じ所に彼女がいた」


「マスター、また冗談」


「冗談じゃない。俺はたまたま親父の店に来ていた。その時みかけたんだ。綺麗な人だと小さいながら思っていた。お前も会ってるぞ」


「覚えてない」


「そうだな、大和は、まだ小さかったな。歩きだしたばかりだもんな」


「そんなこといって、信じないからな」


「本当なんだよな」


「そんな不思議なことある?」


「そうだよな。考えたら嘘みたいだよな」


「僕はきっとふられたかもな。そんな、とぼけたこといってマスターは慰めてくれてるんだ」


「いや。ふられてないと思うけどな。お前をふる奴いないからな」


「ありがとう慰めてくれて」


マスターは首を傾げながらカウンターの中へ入った。僕は現実が受け入れられなくて閉店まで珈琲を何度かお替りしては待ち続けた。


閉店の十一時が。マスターはまだ君が違う時空にいるという。時空って、まるでSF映画みたいだ。本当に違う時空にいるのなら、タイムトラベラーになって君に会いに行きたい。ありえないことで、そんなを夢見てしまう。平常心を保とうとする。


だが物わかりのいい表面上の僕の裏には、この現状を受け入れられないでいる部分が占めている。どろどろした内面は黒く渦巻く。どう繕っても破れた心には元の透明な僕がみあたらない。君を手放せずにいるのは諦め切れない未練がましい僕がいるからだ。





 あれから君に会っていない。どうしているのだろうか。あの喫茶店での時間を境にバイトも奥様の体調が悪く終了になった。君との繋がりもバイトが無くなってしまい。どうすることも出来ない。諦めきれないままでいる。


奥様はよくしてくれたと最後にバイト代をはずんでくれ、パリに行く餞別だと相当の額を振り込んでくださった。岩村さんに貰い過ぎるので返したいと電話をしたが、「奥様の気持ちなので受け取って欲しい」と何度もいってくれた。結局お言葉に甘えて受け取ることにした。



 そしてパリに行く約2週間前に、岩村さんからの電話で、君が入院したことを聞きタクシーで病院に向かっていた。君のことを思うと心が動揺する。落ち着かせるために深呼吸した。君があの時こなかったのは理由があると思っていたが、まさか病気になっていたなんて。


逸る気持ちにタクシーの速度が追い付かず、もう少しで病院なのに渋滞してなかなか進まない。運転手は僕が苛立っているのに気付き声をかけてきた。


「この時間はどうしても混むんですよ」


「じや、ここでおります」


「そうですか。もう少しだったのに、すみませんねぇ」


「いいえ」


僕は支払いをしてタクシーをおりた。それから君のことが心配で早く会いたくて走り出した。約束の場所に来なかったので何かあると思っていた。病院が見えているのに目の前にあっても遠く、走っても走っても追いつけないぐらい遠い。やっと入口にたどりつくが、息があがり苦しいだけじゃない。複雑な思いが込み上げる。それは君に会えなかった苦しみと、不安がいり混じり胸を締めつけられる。

病院の入口を入ると岩村さんが、誰もいない薄暗い受付で待っていた。


「古代さん、こちらです」


「ユキちゃんは大丈夫ですか」


「貴方に会うために命を繋ぎとめています。今は家族も家に帰り私だけです。お二人でお話することがユキさんの最後の望みなんです」


「どういうこと?命が危ないんですか?」


「ユキさんに会ってくだされば分かります」


僕は案内された個室のドアを開けた。そこは広く病室というより豪華な部屋にしか見えなかった。ベットのリクライニングを起こして座っているのは、美しく眩しい奥様だった。


「どうして奥様が?」


「ごめんなさい。がっかりしたでしょう」


「いえ、あのユキちゃんは?」


「私がユキです」


何が起こっているのか理解できなかった。奥様がユキちゃんだなんて、どう考えてもありえない。そういえばマスターがいっていたことは本当だったのか?それに右の薬指に僕がクリスマスに贈った指輪をしていた。結婚指輪ではなく僕とのペアーリングを。


「いきなり信じられないわね」


「ええ、あの、そのペアーリングは?」


「これ、ずっとしていたのよ。大和君がクリスマスに、あ、知っているわね。あの、どうか私の話を聞いてくださる。この椅子に座って」


今、気づいた。奥様はその指輪をずっとしていたんだ。てっきり結婚指輪だと思っていた。それは君だと、間違いなく君だった感じた。

君が指差した椅子に近寄りゆっくりと座った。君は伏目がちに絵本の読みきかせのように優しく語りかけた。

それは物語の如く始まった。



「時は2000年、平成12年のこと。太陽の黒点群の領域で生じる爆発現象である太陽フレア。

 強い紫外線やX線、電波などが放射され、高エネルギーの粒子が磁気圏の壁をすり抜け侵入する。そして通信電波に乱れを与える。1999年から2000年に世間は少しざわついていた。ごく一部の天体好きの間では何か起こると信じられていた。


 私もごく一部の人間であったよう。いや、その人達よりも私は本当に起こると信じて疑わなかった。その強い思いが不思議な現象を引き寄せた。

 それは絶対にあり得ないこと、貴方のスマホと私の携帯電話の電波が交わった。

電波の乱れは、どういう訳か未来に繋がった。電話と共に貴方のもとに私は時空を超えた。そうワープしたように瞬間移動したのよ。不思議な出来事では、かたづけられない。神の悪戯というしか、いいようがない。


 貴方とメールを交わすことができるし会えるのだから未来と繋がっているとは思ってもみない。日曜日ごとのデートは一緒に自宅の門を抜けて未来に行っていた。いつも貴方が見送ってくれることで門に入ると過去へ戻っていた。


 だけど3月のいつもの喫茶店での待ち合わせは、別々に行動したため貴方に会えなかた。私は過去で待ち、貴方は未来で待った。会えるわけがない。

 そして私は気づいた。それは25才の貴方が未来に存在するのだと」



君の話はまるでおとぎ話のようにしか聞こえなかった。だって僕は受け入れられない。その結末は悲し過ぎるから急にいわれても、どう受け止めていいか分からない。

 あの時の待ち合わせは、僕にとって最近のことだ。あれは君との待ち合わせの約束を取り付け卒業式が終わってからだ。君とパリに行きたいと告げたかった。君の答えを聞きたかった。一緒に行きたいと願っていた。それなのに君の話のとおり当日は会えなかった。それが何故かを知らないまま今に至った。


「待ち合わせの日、店が閉まるまで、ずっと待っていた」


「あの時、私は小さい大和君に会ったわ。そこで未来と繋がっていると」


「僕は君とパリへ行きたいと思っている。そのことを君に決めてほしかった。それでユキちゃんの答えが聞きたい?」

君は答えをためらっていた。話すか迷っているようだ。


「どんな答えでも聞きたい。君のことを全て受け止めたい」

君はまだ、ためらっているが、そしてゆっくり話し始めた。


「私は貴方の子供ができたことを伝えたかった」


衝撃を受けた。僕にとって、それは数日前のこと。君にとっては二十三年も前のできごとだ。

今、君のことを二十一才のユキちゃんとして見ている。僕は立ち上がりベットに座っている君を抱きしめた。


「苦労したんだろう。ごめん、僕が悪かった」


「いいえ、私は嬉しかった。貴方の子供ができて。今、あの子は二十二才で大学生なの」


「名前は?」


「貴方の名前と同じ大和なの。男の子は母親に似るというけれど、あの子は貴方に

そっくりなの。きっと私が貴方のことを忘れないように似ているのね」


優しく君は微笑んだ。僕はベットに座り君の肩を寄り添うように抱いた。君は僕の肩に頭をおいて過去のできごとを話した。

 君はあの頃、僕に恋い焦がれて息子を見るたびに、淋しさが込み上げたそうだ。

僕は君に会えない苦しさで、何度も家の前に行ったり岩村さんに電話をかけたりした。


 だが君は二十三年も前に、僕なんかと比べようもないくらい苦しんだことだろう。身重の体で僕に会えないと悟った絶望感は計り知れない。

 君は両親に子供ができたことを伝えた。世間知らずな君は一人で育てようと思ったらしい。だが親は子供をおろそうとした。抵抗をする君を婚約者はかばい。子供がいてもいいから結婚させてくれといったそうだ。君は泣く泣く子供を守るため結婚に承諾した。


 その言葉を聞いて胸が締め付けられる思いがした。だが君の方が辛かったはずなのに僕は更に苦しく涙が流れる。君の肩にまわした手は自然と強くなった。

 君も一緒に泣いていた。僕は椅子に座りなおしハンカチを出して君の涙を拭いた。そのハンカチを渡すと君はハンカチで顔を覆い声を出して泣きじゃくった。


「ごめんんさい。ごめんなさい」


「僕こそ無力でごめん。何もしてやれなかった」


君は服のポケットから子供を抱いた写真を手渡してくれた。君は可愛かった。そして子供は君のいうとおり、僕の幼い頃にそっくりだ。


「大和君、私はながく生きられない。だから忘れないように写真を」


「いやだ」君の手を握り締めた。


「これが最後かも、やっと会えたのに」

こんな別れにしたくない。君を失いたくないと心のどこかで叫んでいる。


「私は貴方に会えたこと、後悔していない。最初で最後の愛を知った。幸せよ」


「僕も君のことを愛している」


僕は本心で愛という言葉をいえた。僕自身がそうだが、日本人は照れて絶対いわないフレイズだ。でも君への思いを表すのに、この言葉しかみつからなかった。自然と出てきた言葉だ。


「大和君、ありがとう」



病室にノックの音が響いた。僕は現実に戻されたようにビックっと体が驚いた。


「古代さん、ユキさんが疲れるので、今日のところはこれで、お引取り下さい」


君は見た目では病人に見えない。こんなに綺麗な顔を見ると、誰もが病人に思えないだろう。このまま君を連れ去りたいという衝動に駆られた。

だが僕は君に、また会えると思い込んでいた。だからこの日は帰ることにした。


「また来る」


君はうなずいた。ドアを閉めるまで君のことを見ていた。まだ一緒にいたいと思っていたからだ。

岩村さんは病室を出て病院の出口まで送ってくれた。


「岩村さん、ユキちゃんをよろしくお願いします」


「はい、大丈夫ですよ。実は私はユキさんの秘書なんです」


「秘書?」


「そうです。ユキさんは貴方のことが、とても好きなんですね。体調が悪いのに綺麗にしてほしいと、だから私がお化粧しました。それに貴方のためにカフェを経営しています。貴方の夢を一緒にみようと頑張って成功しています」


「カフェ経営」


「古代さん、ユキさんの口癖で大和君の夢は私の夢と、いつもいうんですよ。だから立派なパティシエになってユキさんの夢叶えて下さいね」


「はい」


「そしてユキさんのカフェを引き継いで下さい」


「えっ」


「パリで頑張ってきてください。私も応援していますからね」


「はい、頑張ります」


「それから、ユキさんから古代さんに渡すようにと手紙を預かりました。今まで来ていたユニフォームはユキさんの経営しているカフェの制服です。古代さんとカフェの名前が刺繍しています。これもお渡しします。では私はこれで」


岩村さんは僕に手紙とユニフォームを渡すと、病室の方向へ消えていった。

君が経営しているカフェの名前は

「faire des reve (フェール デ レーヴ)夢をみる」

クリスマスの約束を思い出した。君は僕の夢を共有していたのだろうか。

受け取った手紙を早く読みたくて、病院横の公園のベンチに座った。君からの手紙を開封するだけで、愛しく切ない思いが込み上げてくる。



大和君へ

 今、待ち合わせの喫茶店で、あなたを待っています。でも現実を知ってしまいました。

それはあなたが来ないということです。

 3月末には、大和君がパリへ旅立つのに会えない。

私にはお腹に子供がいます。それすら伝えることが許されないなんて、心が張り裂けそうなくらい辛い。


 あなたに会いたい。パリに一緒に行きたい。心の中で叫んでも誰にも聞こえる訳がないと、分かっていても悲鳴のように叫び続けています。こだまのように繰り返し、繰り返し。声にならないせいか、涙がとまりません。下を向いて涙を隠しても、大粒の涙はどうやっても止みそうにないのです。


 そこに私を覗き込む小さな顔が現れました。小さいハンカチを私に渡してくれました。マンガのハンカチが可愛くて、私はふき出してしまいました。

お礼をいって名前を聞いたら大和という、びっくりして聞きなおすと、前の席にお母様なのでしょう「古代 大和です」と、私が聞き取れなかったと思ったのね。古代とは珍しいし、大人のあなたの面影がある。だからあなただと分かったわ。大和君に年を聞くと、小さな指でピースしてくれました。


 また涙ぐむわたしの腕を抱きしめてくれた。口角の右側にチョコをつけた可愛いあなたがそこにいます。その温もりが愛おしくてしかたありません。

その後に貴方からもらった指輪の裏の日付を見ました。2022年12月24日でした。


何のいたずらか、私は未来と繋がっていたようです。

二十五才の大和君は2023年の3月末にパリに旅立つ。その頃のパリはどう変わっていますか?


夢のない私に夢ができました。二十五才のあなたに逢うことと、クリスマスの夜の約束どおり、あなたとの夢のカフェを作ることです。

 今、前の席で小さなあなたはチョコレートケーキを食べています。手紙を書く私に笑顔で手を振ってくれました。私の涙は止まり小さな大和君の笑顔で満たされています。


 あなたがいない絶望よりも沢山の夢を抱えて、次にあなたに逢えることを恋い焦がれます。その時、私は四十四才なのね。でも絶対に探します。もう1度、あなたに会いたい。会えるだけで幸せだから、待っていて下さい。

                                幸より



君の手紙を右手で胸にあて抱きしめた。僕は三月末に生まれだから、もうすぐ二十六才になる。君が会った小さな僕は、もう少しで三才になる頃だ。初めて会ったのに小さすぎて記憶がない。約束の日に会えなかった僕は、小さい僕に嫉妬している。


君の気持ちを受け取って半年間のできごとを振り返った。ケーキの食べ歩きやケーキ作りのこと、そしてクリスマスの夜の約束。

最後に会った日に家へ帰さなかったらよかった。そうすれば君と一緒に人生を歩めたのにと後悔した。


僕が会えない数日の苦しみは、君には二十三年間なんだと改めて考える。その辛い思いを、代われるものなら代わりたいと思った。君の苦しみ全てを僕が引き受けたかった。





僕は待ち合わせの喫茶店にいた。君はまだ来ていないようだ。待っている間お気に入りのお菓子作りの本を見ていた。急いで来たのか君は息を切らせて、僕を探している。君に分かるように手をあげると、僕が座るテーブルの所に笑顔で近寄ってくる。僕の目の前の椅子に座り、その横の椅子にピンクのバックを置いた。君から目が離せないでいる。


「大和君、おまたせ」


「今、来たとこだから」


「あのね・・・」


君は不安そうに下を向いた。そして決心したように首を縦に振り、真剣な顔で僕を見た。


「私も一緒にパリに行きたい」


「実は僕もそう思っていた」


「いつ連れて行ってくれるの」


「明日、一緒に行こう」


「嬉しい」


君は僕の右手を両手で握った。その手を優しく解き、僕は君の両手を包み握り締めた。その手は冷たく氷のようだ。もう春なのに外気が寒いせいで冷たい手をしている。君の手を温めるために優しく摩った。



 気がつくと僕はベットの中にいた。あれは夢だったのか。喫茶店にいた状況は生々しく夢に思えない。会えなかったあの日は嘘で本当は会っていたのだと思わせるほどだ。君に病院で会ってから一週間が過ぎている。今日パリに出発するのに君に会えないことが心残りだったせいなのだろうか。


 見わたすと、あまり物がない殺風景な部屋は案外気にいっている。君との思い出が沢山あるからだ。


この部屋は親戚から、ただで借りていて、前から樹が狙っていた。僕がパリに行っている間そのままの状態で貸すことにした。親戚には交渉済だ。また、ここに帰って来るつもりでいる。君との思い出を忘れたくないからだ。


スマホがなった。岩村さんからの電話だ。もしかすると・・・。

昨日の夜、君は他界した。今日お通夜で明日が告別式だ。身内だけで行うから、他の人は参列を断っているそうだ。


 僕は君を失って抜け殻になるかと思っていた。でも君は夢の中でパリに一緒に行ってくれるといった。


「ユキちゃん、パリへ行こう」


思わず心の声が口にでた。その時、見えない何かが僕の胸に抱きつく感触があった。君なのか?懐かしい香りがした。

一瞬のことで今は、もう何も感触がない。ああ、君を抱きしめたかった。

僕は我にかえった。何事もなかったように、でかける用意をする。軽く朝食をとり身支度をした。大きなスーツケースを引っ張って家を出た。鍵をかけて、そのカギは樹のために1階の僕の部屋番号のついたポストに入れた。下に行くとタクシーをスマホで呼んだ。

マンションの前に出て行くと見覚えのある車があった。陸のだ。


「大和、今日は特別な日だ。送っていくよ」

陸の車の奥に明日香と樹が隠れていて顔をだした。


「大和と別れるの辛い。ねえ、明日香」


明日香は樹の横にいた。明日香が僕のことを好きでいてくれることはありがたいと思うが妹みたいな存在だと伝えている。いつもどおり友達でいるつもりだ。


「ほら、明日香。大和とは、しばしの別れなんだからな、そんな辛気くさい顔すんなって」


「分かってるけど、淋しい」


「明日香は抜け駆けして大和に告白したんだろう。僕だって同じ気持ちなのに先に

告白したかったズルい」


「黙れ!樹」

いつもの明日香だ。よかった。


「明日香、気持ちは嬉しかったよ。それから皆、見送ってくれて、ありがとう」


「さあ、車に乗れ」


「ごめん、陸にはわるいが、ひとりで行きたいんだ」


「大和つれないな」


「よけい淋しくなるから、それにタクシー呼んでるし」


「大和、これでお別れね。影ながら応援しているからね」

樹が抱きついて来たから、軽く抱きしめた。


「ありがとう樹」


「離れたくない」


「ちゃんと帰ってくるから」


「きっとだよ」


「そうだ、鍵をポストに入れてるから」


「うん」


「はいはい、離れた離れた」


陸は真ん中に割って入った。明日香を見るとやっぱり元気がない。明日香の頭をぽんぽんと軽くたたくと涙目で僕を見上げた。子供をあやすように頭を撫ぜた。


「明日香、またな」


「早く帰ってきて、この4人でパティシエの仕事しようね」


「そうだな」


タクシーが来たので運転手にスーツケースを車のトランクに入れてもらった。


「おーい大和、俺は見えてるよな」


「陸、ちゃんと見えてる」


「よかった。無視されてるから見えてないかと思った」


「陸は面倒くさいから声かけなくても、いいかなと思って」


「おいおい。別れの涙、流させてくれよ。これじゃ違う意味で涙でるわ」


「バカだな。陸いつも感謝してる。これからは陸と会えなくて淋しいけど僕なりに頑張ってくるよ。陸、元気でいろよ」


「うん。独り立ちする子供を見送るような気持ちだ。俺は大和離れできずに夜な夜な泣いているからな」


「今生の別れじゃあるまいし、3年したら帰ってくる」


「3年って長いな」


「じゃあな。陸」


タクシーに乗り込むと皆、並んで見送ってくれた。

 僕の大切な仲間たちは名残惜しそうにタクシーが角を曲がるまで手を振っていた。僕は恵まれている。いい仲間たちと出会えて感謝している。

 それからタクシーの中で窓の外を見上げると青い空が広がっていた。君は僕のことを見てくれているだろうか。



 しばらくすると空港が見えてきた。

 タクシーをおりスーツケースを車のトランクから運転手におろしてもらった。受けっとったスーツケースを引っ張って空港の中に入った。もうすぐ出発だ。君のことを、ずっと思っている。そのせいか後ろから視線を感じて振り向いた。

 そこに君が立っていた。亡くなっているはずなのに若く可愛い姿の君がいた。僕は走り寄り抱きしめようと君の体に腕を回した。だが君の存在はそこには無かった。幻が僕に笑いかけ消えた。

肉体は容器に過ぎない。人それぞれが持ち様々な形をしている。そこから、飛び立った


魂もまた1つと同じ者はない唯一無二の存在だ。僕にとって君がまさにそうであり他の物に変えられない存在だ。時が経っても色褪せることなく、この思いが癒えるまで、君の存在の大きさを思い知るだろう。そして君の存在を忘れることはけしてない。僕がこの世に存在している限り君の面影を一生追い続けるだろう。


君は肉体という容器から解き放たれ自由になった魂なのに、まだ僕を見捨てず見守っている。時には遠くから、時には僕に寄り添ってくれているに違いない。さっきいた君の幻が幾度も現われてほしい。抱きしめたくても抱き留められないやるせない思いはある。だが姿を見せてくれるだけで、君の分まで夢を掴み取ろうとする力が漲るはず。いや姿はなくとも君は僕の心の中に確かに存在している。


僕は君の思いを胸に秘めて夢では終わらせない。

夢を現実にかえるために、さあ、旅立とう。


                                 FIN

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