第1話 異世界
「……ここは何処だ?」
意識が戻り、再び目を開けると、見知らぬ天井があった。
どうやらあの異国人に声をかけた後に再び意識を失ったらしい。記憶が曖昧だ。首だけを動かし、辺りを見渡す。
室内はさほど広くはない。せいぜいひと家族住むのにちょうどいいくらいだ。
今度は自身の躰を見る。
手当をされたのか包帯が巻かれており、床には血が滲んだ包帯が散乱している。何回も交換したようだ。
そこまで理解すると急に傷口が痛み出し、ぼやけた意識が叩き起こされていく。
「ぐっ!」
小さくうめき声をあげながら起き上がる。
「あ、起きたんだ」
不意に、そんな声が耳に届く。
九郎はすぐに身構えようとするが節々に激痛が走り、身もだえる。
「あぁ、無理しないで」
悶える九郎にその声の主は駆け寄り、その傷だらけの躰に触れる。
「何を…」
「……癒しの風よ、此処に。《治癒》」
呟くような声でそう唱えると、少女の手から淡い光が溢れ出る。その光は九郎の躰を包み込む。
すると、九郎の肉体を苦しめていた痛みが嘘のように和らぎ、疲労感も解けていった。
(これは、霊術か?)
九郎は目の前の少女に驚きを隠せずにいた。
霊術とは、本来アヤカシを退治するために生まれた技術であり時代によっては陰陽道とも呼ばれていた。霊力は誰もが保有する力であり、修行によっては自在に引き出すことができる。
九郎も八咫烏というアヤカシを狩る組織に所属する身である為、霊術はある程度使うことができる。
(驚いた、まだ年端もいかぬ娘がこのような霊術を使用できるとは)
彼女の使った霊術は肉体の治癒という《再生》をつかさどる上級霊術。しかも自身に使うならともかく、他者を癒すとなるとかなり難しい筈だ。それを簡単に使用するとなると、かなりの手練れなのだろう。
「……その若さでよくこのような難しい霊術を覚えたものだな。俺とて自身ならともかく、他者を癒す霊術は身に付けていない」
「はい?」
素直に相手を称賛したつもりでいた九郎に対し、少女は怪訝そうな表情を浮かべた。
「この程度、魔術を習っている人間なら誰でもできるわよ?」
その言葉に今度は九郎が怪訝な表情を浮かべた。
誰でも?
「そんな筈がない。《再生》の霊術は上級霊術のはずだ。覚えられるのは霊術師でも位が高い者だけのはずだ」
「そんなの知らないわよ。治癒なんて魔術師なら基礎の基礎として覚える魔術なんだから。それに治癒と言っても、痛みを和らげたり、肉体の回復力を向上させたりする程度で、傷が一瞬で治るわけじゃないのよ?」
再生なんて大層なものではないわ。
そう言い切ると、少女は九郎に顔を向ける。
「とりあえず、自己紹介でもしましょうか。私はフィーネ、フィーネ・アカシア。あなたは?」
そう名乗ったフィーネに九郎も自身の名を告げることにした。
「九郎…。八咫烏の九郎」
「ヤタガラスノクロウ?変な名前ね」
「八咫烏は俺の所属している組織名、名前は九郎だ」
「クロウ…。いい名前じゃない」
「そういうお前は奇妙な名前だ。ふぃいね。異国の名前は呼びにくい」
「えぇ、フィーネなんてありきたりな名前のはずよ?ミカド大陸では違うの?」
「ミカド大陸?」
聞きなれぬ言葉に首をかしげる。
「ミカ大陸とはなんだ?」
その問いは予想してなかったのか、フィーネは驚いたような表情をする。
「知らないって、あなたのその髪の色や瞳の色はどうみてもミカド大陸特有のものでしょ?私もちゃんとは見たことないけど、書物で読んだとおりだもの。黒い髪に淡い蒼色の瞳、まさにミカド人そのものよ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
混乱する頭を精一杯動かし、九郎は情報を整理する。
ミカド大陸? ミカド人? 一体なんだそれは?
外来人にそんな風に呼ばれたこともなければ、祖国にミカド大陸という名称があるなんて聞いたこともない。
じゃあなんでフィーネはそう呼ぶのか?
そもそも彼女は何処の国の人間だ?
国に仕える組織の人間だったので外来人は何度か見たことはある。しかし、彼女のような外来人は見たことがない。
あのような耳が尖った外来人なんて。
「俺の知る世界と違う……?」
そこで頭をよぎったのは、あの闇を吐き出す巨大な門。
裏切り者の白夜の言葉。
世界を贄に
異界への道を開く
地獄門
一気に汗が噴き出す。まさかと思いながらも、間違いないと頭の中で納得している。吐き出しそうになりながらも、それを堪えながらフィーネに尋ねる。
「ふぃいね、一つ質問がある」
「なに? ていうかクロウ、あなた顔が真っ青だけど大丈夫?」
「ここは、何処だ?」
「何処って本当にわからないの?」
「頼む」
九郎の真剣な瞳にフィーネは戸惑いながらもちゃんと答える。
「ここは、西のアルカナ大陸のジシャンマ国領内にあるルーフ村よ」
その問いによって九郎は確信する。
ここは、自分がいた世界じゃない。
異世界なのだと。