期待の眼差しに
女子からのお誘い。
まるで漫画やアニメの主人公のようだ。
素直に嬉しくて、僕は静かに喜び、そして即答した。
「うん、分かった。行こう」
「えー、ずるいぞ凛」
東雲先輩は、僕たちの会話を聞いていたようで、凛をからかうように言った。
「良いじゃないですか先輩。1年生同士の大切な会議なのです」
「さくら、悲しい」
完全にこの先輩はふざけている。
「あー可哀そう」
そんな東雲先輩を橘先輩は、棒読みで慰める。
男子のいない部活など、つまらないものだと思っていたが案外そうでも無いかもしれない。
競技力では他の高校に劣っているかもしれないが、チームの楽しい雰囲気では勝っているだろう。
少なくとも今はそう感じる。
「あ、先生」
凛の視線の先には、1人の女性教員がこっちに向かってくる姿があった。
「こんにちは!」
よくある野球部とかのやるキレのいい挨拶とまでは行かないが、3人はきちんと声を揃えて挨拶をした。
「こんにちはー。あれ、見学?」
20代位のその先生は、真っ先に僕に声を掛けてきた。
「はい、見させてもらってます。1年の風早です」
「知ってるわ。あなた、有名だもの」
まさか先生も知っているとは思わなかった。
生徒の間で話が広まるのは想像しやすいが、先生となると、生徒から僕の話を聞かされたか、中学の陸上関係の人ではないと興味すら示さないだろう。
「そうなんですか?」
「中体連の先生から話をよく聞かされたもの。彼は能力が高いってね」
「はあ」
「どうかした?」
「いや、何でもないです」
「そう。まあ適当に見ていってね」
「はい。お願いします」
僕はこの時思った。
大人たちは僕に過度な期待をしていると。
川北に落ち、陸上をやめようとしている小さな器に向ける視線ではない。
だけど、僕は負けず嫌いだ。
大人たちが期待しているのなら、それを超える結果をここ、桃花で出してやる。
「お願いしたいことがあるの」
凛に誘われ、僕と凛は帰る途中にある喫茶店にいた。
「お願いしたいこと?」
店員がテーブルに2人のドリンクを置いて去った後、凛が話し出した。
「うん。今日見てもらった通りうちの陸上部って5人しかいないの。それで短距離は3人」
「3人…。あっ」
僕は、凛が何を言いたいのか分かった。
「そう、リレーが出来ないの」
リレーは4人で行う競技だ。
3人だけの短距離チームは、そのスタートラインにすら立てないのだ。
「3年生の光里先輩には、中学の時から桃花中の陸上部でお世話になってるから、最後に楽しくリレーを一緒にやって卒業して欲しいんだ」
桃花は中高一貫校でもある。
どうやら凛と橘先輩は、その内部進学生らしい。
「それでお願いって?」
ここまでの話では、僕へと頼みたいことを汲み取ることは出来ない。
「あ、くどくなってごめん。お願いって言うのは…」
「うん」
「誰か一人でもいいから、陸上部に女子を連れてきて欲しいの」
反射で僕はその頼みを断ろうと思った。
友達もいない僕が、勧誘など出来るはずがないのだから。
目的のためなら何でもするような奴だと思われそうだし、僕が誘ったところでまともに話を聞いてくれる人なんていない。
「ごめん、それは難しい」
「えっ何で?」
僕が快く承諾してくれると思っていたのだろう。
凛の顔は一瞬で困ったような、悲しそうな顔に変わった。
「僕、友達あんまいないから」
あんまと言っても、いる友達は悠馬だけだ。
「えっ…」
「逆に、何で楪さん自身でやらないの?」
「それは…」
「ん?」
「私も友達いないから…」
僕は思わず笑ってしまった。
友達がいない同士で語り合い、どうしようも出来ないことをどうにかしようとしている状況が間抜けのように感じられたからだ。
しかし驚いた。
失礼も承知の上だが、楪先輩に友達がいないのだったら、それはまあ分かる。
けれど、割と勢いがあって誰とでも仲良くなれそうな凛だ。
そんな子に友達がいないことは不思議だ。
「何で笑うの!風早くんもいないくせに」
「でも、それで僕は困りはしない」
「何かそれっぽくてむかつくなぁ」
だけどそれが事実なのだ。
僕は友達がいなくて苦労することは特に無い。
対して、凛はこうして苦労しているのだ。
友達がいない中でもこの差は大きい。
「そのうちいいことあるよ」
「うっさいなぁ。私も何かするからさ。手伝ってよ」
凛からの純粋な期待の眼差し。
今まで女子との関わりがそこまで無かった自分はそれに負けた。
「分かった。やるよ…」
「ほんと!ありがと!」
一瞬で凛の曇っていた眼は輝きを取り戻し、星空のように光った。
「うん。で、目つけてる奴とかいるのか?」
「いるよ。1年1組の鈴村桃子ちゃん。スポーツ万能だけど部活には入ってないみたいなんだ」
1年1組の鈴村。
「そいつに当たってみればいいんだな」
「そう、よろしく。私にも何か出来ることある?」
「困ったら助けを呼ぶよ」
「できればそうならないで欲しいな」
「僕もそう思う」
「ふふ、じゃあよろしくね」
「おうよ」
それから僕と凛はドリンクが尽きるまで他愛もない会話をして過ごした。
帰り際、
「次から呼ぶ時、凛でいいから」
と言ってきた。
まるで、青春だ。
いや、これが青春の始まりなのかもしれない。
けれど僕はこう答えた。
「入部したらね」
「え、入るって決めたんじゃないの?」
「誰がそんなこと言った?」
誰も言っていない。
僕は、部活見学に行ったし凛の手伝いもするけれど入部することは決めていないのだ。
「うぅ、言ってない」
「それはその時考えるよ」
「絶対入ってね。出来れば女の子と一緒に」
「どうかな。簡単には行かないかも」