5-24b 夜の果てに
『天の采配、そんなふざけた話はないわね』
そんな調子で始まった一人語りは、まぁ、さほど長くなかった。
ただ淡々と、事実だけを紡ぐコイツの話を聞きながら。
……最後に込み上げてきたのは結局、いつもの溜め息だけだった。
溜め息ばかりだと幸せが遠のくとかって言うけどさ……いや鶏と卵かよ、どっちが先かって話だろ。
なんて馬鹿なことを考えて、再度溜め息。
聞くんじゃなかったとは思わない。いいか悪いかで言ったら、まぁ聞けてよかったんだろう。今すぐ裏ボスがどうの、とかはないだろうからさ。
ただ何だろう、……またちょっと、ちょっとだけ、やってられない気がしちまったんだ。
もしかして、これを狙っていたんだろうか。おれが揺らいだ隙に主導権を奪い取ろうって?
そんな被害者めいたことまで考えちまう。
まぁ確かにな、ほんの少しは動揺したさ。この後に及んでほんの一瞬、いやちょっと、結構本気で『こんちくしょう』とか思ったけどさ。
だけどもう、それくらいで我を忘れたりはしねぇんだよ。何度も何度も、これでもかってほど、こんな気分にさせられたらな。お前に主導権を譲り渡すほどじゃねぇんだよ!
なんて、一人で勝手に激昂してから息を吐く。
シンシアはその間、何も言わなかったけど。
おれも大概だな、とか頭の隅で思いながら。
まぁ何だ。要は『あのシンシア』も真っ黒だった、そういう話だ。
……いや、これも語弊があるけど。むしろ別の話も多かったんだが。
だけどおれには、それが全てで。
我ながら嫌になる。もっと他に、気にするべき話はあっただろうに。
それでも結局、おれに一番刺さった話は、あのシンシアの思惑だったというんだから……。
――あの子は天使のような、悪魔だったわ。
なんて言われた時には「お前が言うな」と思ったが。
それは結構、的を射ていたのかもしれない。
結局、あいつが一番、悪辣だったってことかもな……。
そう思うと、もう一度溜め息が零れた。
**
あの夏、おれがオウガになったハジマリの夏。
あの実験島での暴動は、全て『シンシア』の策略だったらしい。
日も差さない地下深く、液体が満たされたカプセルの中で、身動きすら満足にできなかったシンシアだが、思念波は相当、強力なものになっていたらしい。
だからあの夏、あいつは計画を実行に移した。長い間、温め続けていただろう計画を。
手始めは研究施設の電源遮断。
密かに潜入させていた結城に停電を起こさせてから。その機に乗じてオウガの檻を解放した。停電でロックされた電子錠を、結城が物理的に破壊して回ったんだろう。
次いで、解放したオウガを思念波で操りながら、施設内を大混乱に陥れた。そうして期が熟すのを見計らってから、結城を自身の解放に向かわせたんだ。
そのときになぜか、おれたちの檻も解放して。
『――アンタの檻を解放したのが誰かなんて、そこまでは知らないけどォ。全く、何でわざわざそんなことをしたんだか』
そう言われて、初めて気づいた。
おれはてっきり、停電のせいで、部屋の電子錠が開いたものとばかり思っていたから。
でも、そんなはずはなかったんだ。あの部屋の用途を考えたら、停電したらロックされる。そういうタイプの錠が使われていたはずなんだから。
だからあの日は、誰かがおれたちの檻を解放したんだ。
あの混乱の最中、地獄への扉をわざわざ開いた奴がいた――
そうしてそれは、少なくとも結城ではなかったらしい。
――だとしたら、仕組んだのはやっぱり、あのシンシアだったんだろう。
恐らくは、もう一人いたはずの第2形態のオウガにでもやらせたんだろう。泣き落としで同情を買ったのか、上手く言いくるめて誘導したのかは知らないが。
因みに、もう一人の第2形態の話なんて、おれがオウガになってから耳にしたことはなかったから、早々に自我を失って消えたんだろうけど。
あるいは、久瀬の手の者にやらせたのかもしれない。あのとき、全てを黙認していたはずの久瀬の配下に。
……恐らく、当時から限界ギリギリの馴らし行為をしていた久瀬の真意を、シンシアが目敏く読み取ったんだろう。それで、密かに交渉を持ち掛けた。久瀬が望む情報や結果を与える代わりに、自らの解放をと。
恐らく久瀬も、シンシアはもう解放してやりたいと、内心ではずっとそう思っていたはずだから。
おまけに、あのときはまだ、この島での仁科の発言力も大きかったはずだから。仁科に暴動の責任をとらせて、少し大人しくさせようとか、そんな思惑もあったのかもしれない。立場上の最高責任者は久瀬だから、久瀬にとっても失点になったんだろうが、どうにかできる目処でもあったんだろう。
だから、久瀬はシンシアの提案を受け入れた。おれだけは島から逃さないことを条件にして。
……詳細なんて知らないけど、そんなところじゃないんだろうか。
だけど、そうだとしても分からない。
なぜ、シンシアはおれを呼んだのか。
なんでわざわざ檻から出してまで、おれをしつこく呼び続けたのか。
たかが人間のおれに自分を解放させることで、目の前の悪魔を嘲笑したかった?
……なんてことは、ないんだろうな。
おれだけで事を成したならともかく、傍に結城がいたら意味なんてないだろうし。実際、あの時のおれは、ただの足手まといにすぎなかった。
だとしたら、久瀬との交換条件だったから?
……それも違う、ような気がする。
久瀬はあのとき、おれの生死には、さほど拘っていなかった。
オウガになろうとなるまいと、あそこでそのまま野垂れ死のうと、あいつは一向に構わなかったはず。それで復讐は果たせると、そう思っていたはずだから。
なら、純粋に結城のため?
『貴方を一人にしてしまうのだけが心残りなの。せめて貴方に仲間がいれば――。仲間にできる人がいたなら――』
この悪魔が聞いたシンシアの声。解放の直前、そっと結城にあてた遺言。
この記憶に嘘のないことは、おれにも分かる。だからこそ、分かっちまった。
こんなの全然、結城のためじゃないってことを。
結城を気遣うようでいて、心配しているような素振りで、こんなの煽っているだけだろう。結城の不安を、心細さを。
結城を一人にさせたくない?
ふざけるなよ。それを結城に手伝わせておきながら。
だから、結城を煽っただって? おれをオウガにさせただと?
そんな真似、ただで済むとは思ってねぇだろ。結城自身に手を出させたら、後であいつが苦しむと、そんなことくらい読めていたろう!
だってお前、コイツと同じだったんだよな? お前の周りでオウガ因子を持った奴らの思考は、ほとんど筒抜けだったんだろう。だったら結城の性格くらい、手に取るように知っていたろう!!
なのに、やらせた。
わざわざおれを導いて、結城と鉢合わせさせてから、自分の解放を手伝わせた。
おれを一度は逃がそうとした結城を、惑わせるような真似までして。
おれが最悪の形でオウガになるよう仕向けやがった。
どうしてそこまで拘った?
おれに何を期待したんだ。
シンシアの、あいつの望みは――自身の解放、そして復讐?
あいつもきっと、この悪魔のことは恨んでいたはず。コイツを心底、憎んでいたはずだ。
だからおれをオウガにして、いずれはこの悪魔に一矢報させようとでも思ったのか。
……いや違う。いくら何でもあり得ない。コイツに辿り着く前に潰されるか、弄ばれるのがオチだろう。
今のこの状態は、生き残った奴らと、真帆の犠牲の上に成り立つギリギリの結果だった。
だから、本当は――
シンシアの真意がどこにあったか、今さらそれを知ったところで意味なんてない。何が変わるわけでもないってことは、百も承知だ。
だけど、どうしても考えてしまう。囚われちまう。馬鹿みたいに、ぐるぐる、ぐるぐる。
……そうして多分、分かってしまった。
彼女にとっての唯一無二は、この悪魔だけだった。それが理由の全てじゃないのか。
おれも久瀬も、結城ですら、そのための駒にすぎなかった。ただ、それだけのことじゃないのか。
………。
……。
全く、本当に笑ってしまう。この後に及んで、どうしてこんな気分になるんだ。
おれだって、今まで散々そうしてきただろ……。
**
……そろそろ行くかな。
くだらない思考を振り払うように、座り込んでいた尻をバシバシ叩くと、土埃が盛大に舞い落ちる。
――アンタも強情ねェ……。ここまで話を聞いて、気が変わったりしないのォ?
半ば呆れたような声。
「変わるわけがねぇだろう。さっきからお前、気を許せば身体の主導権を奪い取ろうとか画策してるくせに。あら、バレた? とかそんな顔してんじゃねぇよ。いい加減に飽きたんだよ、諦めろ」
吐き捨てるように言ってやると、ぼやくような声が聞こえた。
――はあぁ、これで終わりかぁ。結構、愉しかったのになぁー……。
それはどこか本音に聞こえて、少しだけ微妙な気分になる。
『皆、根はいい奴だと思いたいの?』
いつだったか、そんな風に問われたことを思い出す。あの時は何を言ってやがるのかと思ったが。
あぁくそ、やっぱり、そういうことなのかもしれない。
いい奴かどうかはともかくとして、少しでも共感できるところを見つけたがっていたのかも。
……だって疲れちまうだろう? 相手をただ憎み続ける、なんてのは。
もういい加減、別のところで疲れてんだ、そんなのやってられっかよ……。
**
目の前には、巨大な穴が穿たれていた。
切り立った土壁の底、ぽっかり口を開けているのは、直径数百メートルはあろうかという溶岩湖だ。今は表面の温度が下がっているのか、黒い粘度状の土くれに覆われている。
けど、そのすぐ下には灼熱の溶岩が滾っているはずだから。有機物でも放り込んだら、爆発するように燃え上がってくれるだろう。――おれが飛び込めば、すぐに本気を出してくれるだろう。
だけどまぁ、中途半端な時間は少しでも短くしたいからな。
それでまず、道中で見繕った粗大ごみを放り込む。
案の定、そいつが乾いた溶岩湖に着地した途端、瞬く間に燃え上がった。次いで、黒い表面が大きくうねり、滾った溶岩が噴き出してくる。見る間にその範囲は広がって、白みがかった真っ赤な海が沸々と荒れ狂う。
おぉスゲェ。やっぱり、溶岩湖はこうでなきゃな。
他人事のようにそう思ってから、
「じゃあなシンシア。最期に挨拶くらいはしておくぜ。さすがに釜の中じゃぁ、悠長に話してる余裕はないだろうからな」
そう声をかけてみたものの、もう沈黙しか返ってこない。
まぁ仕方がねぇか。
こいつの減らず口には、おれも結構、気が紛れたんだけどな。そのことだけには、礼を言ってもいい気分だったが。
例え返事があったところで、素気なく切り返されるのがオチだろうけど。
おれは気にせず、下半身に力を溜めた。
締めはこいつだ。
大地を蹴りつけ、力の限り飛び上がる。ビュンビュンと風を切り、薄雲の中を突き進む。
一瞬、現れた蒼空に歓声を上げて。
全く、太陽を殴れないのは残念だけどな。
――じゃあな、運命。お前ともサヨナラだ。
僅かな空中浮遊を愉しんだ後、今度は一気に落下に入る。
白い霧を駆け抜けた先、真っ赤な溶岩は目の前だ。
ははっ! ザマミロ、これで終わりだ!!




