5-24a 夜の果てに
殺伐とした丘陵に足を踏み入れると、声が響いた。
一体どこに向かう気ィ?
苛立ちを含んだ幼い声。
「……」
死闘を繰り広げたあの場所を後にしてから、早2日。
――無視するじゃないわよ。殺すわよォ!
失笑が込み上げてきた。
随分とはっきり話しかけてきたもんだ。ここまでは無言で足掻いてやがったのに。ついに焦れたか。
「やれるもんなら、やってみろよ。今はせいぜい、頭ん中でがなるしか出来ねぇだろうがな」
途端にズキリと頭痛が走った。
……ちっ。
だんだんと強くなってきている。すでにおれの一部になったはずなのに、どういう理屈か、精神攻撃もできるらしい。
けど、まだ大丈夫、まだ抑えられる……。
ゆっくり歩みを進めると、不愉快そうな声がした。
――ねぇ、この先って……。
いい加減、行き先の予想はついていたんだろう。
「地獄の釜の中だ。いいだろ? おれたち向きでさ」
途端に、身震いする感覚が伝わってきた。愉悦じゃない。本当に慄いているらしい。
コイツのことなんて大して知らない。が、何だか随分と珍しいものを見た気がした。いや、感じた、かな。
――ちょっとォ! 他人事みたいにしてるけど、冗談じゃないのよ。それって最低の選択だからァ!!
切羽詰まった響きに聞こえて、ますます意外に感じてしまう。
コイツがこれほど嫌がるとは……。
それが何を意味しているのか、分からないわけじゃないけど。
まぁ、暇潰しにはちょうどいいか。そう思って応じてやる。
「お前はもう、なまじっかな方法じゃあ、この世から消えられねぇんだろ。だからおれも考えたわけだ」
粉砕されても、おれに喰われてもこうだからな。
「だったら、宇宙に出て真空にでも放り出されるか、灼熱の溶岩にでも炙られ続けたらどうだろうって」
これなら、さすがに破壊スピードが再生スピードを上回るだろう。おれがコイツを抑え込めるうちなら確実だ。
けど、宇宙に行くったって、そう簡単じゃねぇしなあ……。
で、比較的すぐに来れるところといったら、ここだったわけだ。
「まぁ溶鉱炉って手もあるけど、味気ねぇしな。消えるなら大自然、その方が断然いいだろ」
途端に、目を吊り上げる気配がした。
――全部冗談じゃないのよ! 言っておくけど、アンタもすぐには死ねないわよ。死ねるわけないじゃない。それ、分かってて言ってるんでしょうねェ!
……うるさい野次だ。
――苦しいわよォ。肉が弾ける傍から再生するの。感覚だけじゃなく、本当にそうなるもの。肺も灼けおちて息なんてできないのに、意識も失えないのよ。ただ延々と苦しいのが続くの。いつ終わるかなんて分からない、そんな状態、アタシだって長く続けたことなんかないのに! あぁ嫌だ。そんなのにアンタと付き合わされるなんて!!
喚き散らすように言われて辟易する。
そもそも『長く』って何だよ。『短いの』なら経験あんのかよ。本当にとんでもねぇな……。
「おれだって冗談じゃねぇんだよ……」
こぼすように呟くと、噛みつくような声が飛んできた。
――だったら、なんで自殺なんて考えてるのよ!!
口元が歪む。
あぁ、それなら答えはあるぜ。
「お前が嫌いだからだろ」
即答すると、シンシアは一瞬黙り込む。
……あー、やっぱり静かな方がいいかな。そう思ったとき、
――ねぇアンタ、アタシが嫌いでも取引くらいできるでしょう? 狂気を抑え込む方法を知りたがってたわよね。どう? 教えてあげるからここは一度――
『残念だな、交渉の余地は、お前が真帆を殺った時点でなくなったんだよ』
今度こそ、シンシアは黙り込んだ。
*
赤茶けた砂礫交じりの荒れた大地。徐々に急勾配になって来る斜面を黙々と歩いていると、次第に噴煙が近づいてくる。
空は曇天。ま、忌々しい太陽が照り付けるよりはマシか。
――ねぇアンタ、……本気なの?
頭の中で声がした。しばらく黙っていたと思ったら、噴煙が近づくにつれて堪らなくなってきたらしい。
――本当にあんなところに飛び込む気? 冗談よね、脅しでしょう? アタシから譲歩を引き出そうとしてるのよねェ?
思わず嗤いが込み上げてきた。
――謝って欲しいの? なら謝るわよ、これまでのこと。もうしない! 本当よ!! 全部アンタの望み通りに……ってねェ、聞いてるの!?
「嫌がってくれてるようで何よりだよ」
――っ! アンタ、もう正気じゃないでしょう!
「まぁな、とっくにおかしいんだろ。お前のせいでな」
深い溜息が聞こえた。
――ああ言えばこういう……。ホント、何でアンタをすぐに縊り殺さなかったのかしら。今までで一番、悔やまれるわ。
ほんの僅かに、ざらっとしたものを感じた。
あぁ、それは嘘かな。コイツの最高の後悔は他にある――
まぁ後悔してろよ、おれも後悔だらけだぜ。
もう一度溜息が聞こえた。
**
吹き上がる噴煙。そろそろ周囲には有毒ガスでも発生しているんだろう。
硫黄臭いし、少しだけ呼吸に違和感を覚える。まぁ、この程度なら、どうってことはねぇんだけど。
――ねぇアンタ……、何だってそこまでするわけ?
ため息混じりの声。どうやら性懲りもなく話しかけてきたらしい。
――世界のため、だなんてぬるいことは考えてないわよねェ……。
「当たり前だろ。そんなことを考えてるような面に見えるか」
――……なら、アンタの大事な人のためなの?
その問いには笑っちまった。
どうして、こうなんだろうなぁ……。
今さらのように、そんなことを思ってしまう。
他人のそういう感情を理解できないわけでもなさそうなのに、なんでそれを平然と踏みにじる真似をするかな……。
まぁ多分、コイツにはいなかったんだろうけど。
自分より大事だと思える奴が。あるいは、ずっと一緒にいられなかった。
ふと、彩乃の声が脳裏を過ぎった。
『たぶんね、始めからセカイを大事にできる人なんて、そうはいないと思うんだ』
おれの部屋で真帆と3人、他愛ない雑談をしていたときに、ふとそんなことを言い出したことがあった。
突然何を言ってんだ? 不審そうにしていただろうおれたちに、困ったような顔で彩乃は続けた。
『ええと、兄貴はやっぱり、自分の思う通りにしたらいいんじゃないかなって話なんだけど。
……つまりね。誰かが誰かを心から大事に想ったとするじゃない? それを実際に行動に移したとするじゃない? それが独り善がりなものじゃなくて、本当にその人を想ったものなら、結局はそれが周りの人たちも助ける形になったりするの、そういうことって多いんじゃないかなって思うんだ。
でね、そういうことを続けていくと、大事な人たちが少しずつ増えていって、どんどん対象範囲が広がって、最終的には世界そのものを変えたいと願うようになったりして。……うん、そんな感じじゃないのかなぁって』
真帆がきょとんとした顔で彩乃を見返す。
おれもしかめ面をしていたんだろう。
『アハ、何言ってるか分かんないよね』
ごめんごめん、と笑ってから、
『とくにかくね! 兄貴も真帆ちゃんも、自分が大事にしたいと思ったことをすればいいんだよって話。うん、オウガとか関係ないよ、それでいいじゃん!』
そんな風に、彩乃は強引に話を締めくくった。あのときは何を言ってるんだと思ったが。
今ならまぁ、分からないでもない気がした。あいつが言いたかったことは。
けど、おれは違う。おれは全然、そんなのじゃない。
おれは誰も守れなかった。結城も中嶋も、真帆すら死なせた。おれが殺した。おれが守ると、そう誓った奴らなのに。
彩乃たちが生き残ったのはせめてもの救いだけど、それだっておれの力じゃない。おれに出来たのはせいぜい、コイツを抑えたことくらい。
だったらせめてコイツもろとも消えてやる。それくらいしか、おれに出来ることはねぇからさ……。
と、三度溜息をつく気配がした。
――やっぱり、アンタの周りの人間を先に殺ればよかったわ。もっと早く、徹底的に。
口惜しげにそう言われて、一瞬、身体の芯が燃え上がる。
だけど、そんな激昂はすぐ掻き消えて、なんだか嗤いが込み上げてきた。
「本当にな、何でそうしなかったんだよ、お前」
つい、そんな言葉が口をつく。
不審そうな気配が返ってきたから、おれは肩をすくめてやった。
「だってそうだろ。さっさとお前がそうしてりゃあ、おれもこんな苦労をせずに済んだんだ。どんなに憤ったところで、逆立ちしたってお前には敵わなかったろう。
……大体、あいつ等のいない世界なんておれの知ったことじゃねぇし。そもそも世界なんて、オウガがいようといまいと大して変わらねぇだろう? だったらいっそ、全部ぶっ壊してぶっ潰して、いつか誕生する新しい生命って奴に乾杯だ! そんなこともできたのによ」
言ってみると、案外愉しい。
全部ぶっ壊してやり直せたら、どんなに胸がすくだろう? おれなんか粉々に消し飛ばして、全部やり直せたら、きっと、
――アンタって相当、キてるわよね。なのに、どうしてこう……。
その評価は少しだけ心外だった。
「お前だって、こんなもんじゃねぇのかよ」
シンシアは嫌そうに溜息をつく。
――違うわよ、と言いたいけど、……どうかしらねェ……。
少しだけ引っ掛かるものを感じたが、まぁ、どうでもいいか。
――それよりアンタ、アタシのことは何にも聞いてこないけど、本当にそれでいいわけェ?
今度は何を言い出す気だろう。何とかおれの気を引いて、最期の刻を引き延ばそうとしてるんだろうが。
――だって、アンタは何にも知らないんでしょう? どうしてアタシがこうなったのか、とか、アタシが消えるだけで本当にいいのか、とか。却ってまずいことになるんじゃないか、とか、そういう心配はないわけェ?
痛いところをつかれた気がする。
確かに、コイツを喰らっても、コイツの記憶だけは全く覗けなかった。一体どうやっているのか知らないが、基本的にはコイツの方が技量が上ってことだろう。
だけど、それで十分だ。コイツの破格ぶりは異常だ。この上、さらに上位の存在が潜んでいるとか、そんなオチはねぇだろう。……ねぇよな?
あったとしたって、もう知ったことか。コイツ一人で腹一杯だ、ふざけんな。
…………。
……。
「まぁ、お前が話したいって言うなら、話くらいは聞いてやるぜ? それくらいのサービスはしてやるよ」
我ながらすごい言い草だとは思ったが、正直、これが限界だった。
そういつまでもコイツを抑えていられない。あと数日も放っておいたら、コイツに意識を乗っ取られてしまうだろう。
今のおれもいい加減、半分おかしくなっているんだろうけど、それでもきっとコイツよりはマシだ。
守りたかった奴ら、その多くを取り零してしまった世界でも。それでもまだ、残っているから。大事にしたいと思う奴らが。
だからせめて、コイツだけは消してやる。そうして、他の奴らに明日を繋いでやるんだ。
だからなあ? まだ何かあるって言うなら、話だけなら聞いてやるよ。本気で話す気があるのならな。
――……何でアンタ、そんなにエラそうなのよ。
おれの本音はきっとコイツにはバレバレだろうに、その返しはちょっと意外で、子供みたいで少し笑えた。
「どうせ他に話す奴もいなかったんだろ。まぁ、おれで我慢しとけよ」
そんな風に言ってみると、
――失礼ね! いたわよ、それくらい。
へぇ。
それは何となく意外な気がした。
確かにおれは何も知らない。この悪魔がどうしてこうなったのか、なんて。
「そりゃあ、奇特な奴がいたもんだな、お前の身の上話を聞こうなんてさ」
そう言った途端、まるで吐き捨てるような声がした。
――シンシアよ、もう一人の、私。
……へぇ。




