5-21 最後の*劇
「なら、そうねェ。……とりあえず、辺りの人間100万人くらい殺してみてくれるゥ? あぁ、あんたの大事な人間は除外してあげるから。だったら簡単でしょォ?」
……こいつは何を言ってんだ?
一応、激しく気分は悪くなった。おれ一人でも、まだそこまで理性がぶっとんじゃいないらしい。
100万人? って、いきなり極端すぎるだろ。人類とオウガの全面戦争でも始める気かよ。
「今まで、そんな極端な真似はしてこなかったろ。一体どんな心境の変化だよ」
苦しい抗議の声を上げてみたが、
「やぁねぇ。あんたの本気度を確かめるためじゃない。……それとも、なぁにィ? そんなことも嫌なのォ?」
嫌に決まってんだろう、そう言いかけて。
大体、おれ一人にそんな力があるとでも?
あったとして、確実におれは戻れなくなるだろう。それでも、あいつ等が無事ならいいけど、
……あぁいや、こんなことをまじめに考えるのがもうダメなのか。
もうこれ、コイツを殺した方が、よっぽど話が早いんじゃねぇ?
――いや、だからだめだろ、勝てる気がしない。
なら逃げるか。
――これも勝算は低い。
……だったら、もう一度力を暴走させて、その隙に逃がすか。そろそろ、真帆の意識も戻ってくる頃だろう。思いきり念を飛ばして、この場から離脱させれば。最低でも、コイツの目の届かないところまで逃げる時間を稼げれば。
その後は、コイツと共倒れにでも持ち込めたら最高じゃねぇか。
どこまでいけるか分からないが、せめてこいつを弱体化できれば、後は組織の残党どもが何とかするだろう。黙ってやられるわけでもないはず。
そこまで思って、ちょっとだけやってられない気がしちまったけど、まぁいいさ。どのみち、おれの始末もつけなきゃならない。
――よし、これしかねぇな。
そう思ったときだった。
『ならば、もう一度だけ、試してみるかね?』
***
「生きていたのか――」
数百m後方、森の切れた辺り。
そこに佇んでいたのは、気配が失われたはずの相手。親父の肩に腕を回されながら辛うじて立っている、満身創痍の久瀬だった。
『どうやら、死に損なったようだ。まぁ、無事とは言い難いがね』
微かに笑う気配がした。
だけど、念話と違い、呼吸は激しく乱れたままで、額には玉のような脂汗。身に着けた上着だけがやけに真新しく、それに反して下半身は赤黒く染まったままだ。
久瀬がどういう状態かは何となく察した。本当は意識を保っているのもギリギリなんだろう。
けどお前、どうやって――
『浩史に引き戻されてね』
親父、に――?
おれは少しだけ勘違いしていた。
狂気の肩代わり。あれは本来、一瞬で命を奪うシロモノだった。狂うとか壊れるとか、それ以前の問題だった。
オウガの暴走は、細胞の破壊と再生の繰り返しを伴う。
普段は使っていない脳細胞なんかも全部活性化されて、それに体組織が付き合われる感じになるんだろう。当然、身体はついていけなくて悲鳴を上げる。というより、細胞が軒並み壊死する。
でも、オウガの再生は破壊スピードを上回ることがあるから。上手くいけば、より強化された細胞へと生まれ変わる。その細胞がまた暴走して、破壊され、瞬時に再生しては暴走する。その繰り返しだ。筋トレで筋繊維の損傷と超回復を繰り返すのと似たようなものかもしれない。
筋トレと違うのは、それを短時間で加速度的に繰り返すことだ。だからこそ、暴走のたびに飛躍的に力を増すなんて、そんなチートみたいな真似が可能になっていたんだろう。
そうして、この破壊と超再生を司っているのが、狂気に内包される特有のシグナルだという。だから、おれの狂気が流れ込むと、このシグナルまでもが伝わってしまう。
ヒトの身でこのシグナルが流れ込んだら。それも、暴走が続いた末の強烈なシグナルに晒されたらどうなるかなんて、余りにも明白だった。
薬物投与で多少の底上げがあったとしても、ほとんど意味なんてなかっただろう。恐らく、細胞が瞬時に破壊された。上半身は着替えたんだろうが、間違いなく久瀬は生きていられなかったはず――
でも、そこにいる久瀬はオウガじゃない。
オウガの気配もないし、そもそも久瀬くらいの適性では、高位のオウガとして蘇ることはできないはずだ。
……親父が久瀬を、引き戻した――?
考えられるのは、馴らしの応用。
呼吸が止まってすぐにウィルスを投与し、仮死状態から復活させるようにして、どうにか呼び戻した、それくらいしか考えられない。
けど、タイミングや投与量を誤れば、それこそ致命傷になる。おまけに久瀬の場合は、おれと違って投与量の適性範囲も狭いはず――
それでも、成功させたのか。
傍にいて、一瞬の機会を見逃さず、限られた情報から投与量を見極める。そんなことをやってのけたのか。
久瀬は親父に、そんなことを託していたのか。親父もそれを受け入れた……?
沈黙する二人からは、どんな経緯があったのかなんて読み取れない。
そもそも、おれはこの地に来るメンツを、はっきりとは知らなかった。久瀬と朝倉だけだと思っていた。
だけどそこに、親父もいたのか。親父だけじゃなく――
久瀬を支えるように立っていた親父は、ただ、複雑な顔でおれを見る。
『俺にできるのは、これくらいだからな。それに、これは――』
そう言って、言い淀む。
『――親父が久瀬を、ここまで連れてきたのか?』
『いや。ここに来たのも、』
「そ。私が連れてきてあげたのよぉ?」
得意げな声。振り返るまでもなかった。
シンシアだ、このふざけた創始者。
彼女が無関係なわけがない。そんなことは、ここに久瀬が現れた時点で分かっちゃいたが。
ふいと彼女の姿が掻き消える。
と、次の瞬間、すぐ目の前に親父たちがいた。
え――、
首根っこを捕まれるようにして連れてこられた親父と久瀬は、ぞんざいに投げ出されて激しく咳き込む。久瀬なんかは血反吐を吐いていたが、今すぐにどうこうなっちまう、ということはなさそうだった、けど――
「お前、どうして――」
理解できない。
コイツの行動原理が、まるで理解できなかった。
今だってやろうと思えば、おれたち全員を殺せたはずだ。なのに、何だ?
そもそもコイツは、久瀬を殺そうとしていたんじゃなかったのか。
確かに、死の寸前で久瀬を呼び戻したのは、親父かもしれない。
けど、ここまで持ち直させたのは、きっと親父だけの力じゃない。コイツが隠し持っていた技術か何かで、回復力の底上げを図ったんだろう。
……でも、何のために?
睨むおれに、シンシアは大げさな溜息を落とした。
「だぁって、面白くないでしょォ? 」
それがコイツの言い分だった。
「まぁたアタシの独り勝ちなんて。ねェ分かる? アタシがどれほど飽き飽きしていたか。誰もアタシに肉薄できないんだもの。もうつまらないったら!」
思わず、言葉を失っちまった。
何だよそれは。そんなことのために、ここまでしたって言うのかよ?
次第に、沸々としたものがこみ上げてくる。
――つまり、あれか。おれ達はお前のおもちゃってか。簡単に壊したらつまらないから、だから遊んでるっていうのかよ?
「あらやだ、何かご不満でも?」
失礼しちゃう、とでも言いたげな顔。
相変わらず、余裕しゃくしゃくの態度をとりやがって。
「――いいのか、おれがお前を負かしちまっても」
そう言った途端、酷薄な目がおれを見据えた。それから、ニンマリとした笑みを浮かべてくる。
「うふっ、いいわよ、その生意気さ。期待通りってとこかしらぁ? 惜しいところまで来たと思わせて、それをアタシが叩き潰すから面白いのよねェ。希望を抱いた相手が絶望に染まる顔って。ぞくぞくしちゃう!
……やだ、想像したら、興奮してきちゃった! やるでしょ、ねぇ、やるんでしょォ!!」
………。
相変わらずの思考回路だ。もうため息しか出てこない。できれば、とことん関わりたくねぇ奴だけど。
だけどまぁ仕方ない。そういうことなら、やってやる。
――ただ。
恐らく、二度はないだろう。
ここで負けたら、それで終わりだ。こいつの目から逃れるなんて、さすがに不可能に近いんだろう。ここまでされたら、そう思わざるを得なかった。
だから絶対、おれが勝ち残らなきゃならないが。
思って、ちらりと久瀬に視線を投げる。
こいつの身体も、もうボロボロだ。いくら親父でも、『次』はきっと無理だろう。そもそも、こいつがおれを引き戻すことすら、もう無理じゃないかと思っちまう。
ただその一方で、そこだけは心配するのが馬鹿らしい気もした。
……そう。こいつがしくじるなんて、多分、ない。
だからこれは、おれがこいつの命を弄んでいるだけ。おれがこいつに、復讐し返しているだけだ。
…………。
「――久瀬、頼めるか」
訊ねると、小さく笑う気配があった。
「今さらだな」
その声におれも笑う。
それから、全霊の意識を眉間の先に集めた。ホットラインは一度絶たれたが、入口が消えたわけじゃない。再び繋げるのは、そう難しい話じゃなかった。
細くなった入口を探り当て、そこに無理やり思念波を押し込んでこじ開ける。僅かに久瀬が顔を歪める。
……開いた。
それを確認してから、互いに一度、相手の意識を遮断する。
それからおれは、見えない鎖に手をかけた。
自分自身を縛る無数の楔。そのイメージをぶっ壊す。
途端に、ドロドロした奔流が溢れてくる。
愉悦に込み上げ、視界が紅く、黒く染まる。
シンシアが嗤う。
さあ、遊ぼうか。
最後に勝つのは、おれだけどな……!
***
「ホント! いい線来てるじゃなァい!」
ふいに意識が戻ると、シンシアがおれの拳を受け止めながら、悦びの声を上げていた。
は?
視線をずらすと、目を見張るようにしておれを見上げる久瀬と目が合った。
な……待て、どうなってる?
「ほらほら、よそ見している場合かしらァ!」
全身が何かに叩きつけられ、一瞬息が詰まる。けど、悠長にダメージを喰らっている暇はない。
嫌な予感に顔を上げると、巨岩の雨。
ヤバ――
岩壁が崩れたらしい。とにかく壁を蹴って逃れると、すぐ真上にシンシアの気配があった。
本能的に身体を捻ると、鼻先を拳が掠める。
マジかよ! クソッ!
掠められただけで風圧に巻き込まれた。
再度地面に叩きつけられ、砂塵が舞う。
続けざまに飛んできた拳を辛うじて避け、おれは崖上に飛び上がった。
どういうことだ、意識が戻るなんて――
混乱する記憶を必死で辿る。思考が乱れる。
ちきしょう、分かんねぇよ!
と、やけに大きなため息が聞こえた。
見下ろすと、眼下でシンシアが腰に手を当てていた。
「鈍感ねェ。しかも、考え事しながら私に勝とうなんて。舐めすぎなんじゃなァい?」
おれを見上げて、不服そうに口を尖らせる。
「――お前、何をした」
体内で暴走する力は、今も全身を駆け巡る感覚がある。高温高圧の溶岩のようなエネルギー。それが身体を舐める度に細胞が灼ける。その傍から再生していく。
まるで油が爆ぜるような高揚感が全身を支配している。その熱に煽られて、身体は暴れ出す寸前だ。
けど、それでも。『おれ』は衝動を抑え込むことができていた。
――何が、どうなってる。
「全く、そこまで解説させる気ィ? どんだけサービスさせるのよォ……」
ぼやくようにシンシアが呟く。
「だからァ、あんたの狂気だけ散らしてやったの。あァ、引き出した力はそのままよ、感謝してほしいわねェ」
――何だって?
面食らった。
狂気だけ散らした? って、そんな真似が出来たのか?
いや、そもそも、そんなことをしてお前に何の得が……。
「何なんだよ、お前……」
半ば茫然としていたのかもしれない。シンシアはもう一度溜息をついた。
「だァって、つまらないじゃない。あんたが我を忘れた状態で叩きのめしても。あんたが正気のままでぶちのめすから面白いんでしょォ? その顔が苦痛に歪むさまが見たいんじゃない。
だからさっさと、そのお猿さんみたいなバカ面を引っ込めなさいよ」
思わず頬がひくついた。
ホント、いい性格してやがるな。
――けど。
「じゃァ、そろそろ再開するけどいい?」
「なぁ」
おれは思わず、声をかけていた。
「他にも道はあるんじゃないのか?」
これほどまでにオウガの特性を制御できるなら。
「こんな真似しなくとも、お前の力があれば――」
ずっと違和感があった。
コイツの言動はやけに挑発的だ。最悪の趣味嗜好を隠しもしない。
だけど、ここまで来ると、さすがに偽悪的な気がしてしまう。
……まぁ、ここに至るまでには、相当ロクでもないことをしてきたのかもしれないが。そうだとしても、それも含めてどこか結城と似ている気がした。
結城だって、オウガになってからもお人好しな側面が残ってた。自分の罪には自覚的だったから、殊更に悪ぶってるようなところもあったし。
それでも、このくそったれな状況に一矢報いようと足掻いていた。
もし、お前もそんな風だったなら。
ずっと一人で苦しんできたのなら。
おれたちと、他の道を探る余地だってあるんじゃねぇのか……?
――後悔した。
死ぬほど後悔した。何を甘えたことを言ってやがる。
このときほど、自分を引き裂いてやりたいと思ったことはなかった。
なのにおれは、この期に及んで馬鹿げたことを――
「今からでも遅くねぇ。おれたちと、」
そう言いかけると、シンシアは能面のような顔になった。
「足りない――」
そう呟いて跳躍した先。その先に覚えがあった。
「待て、おいっ!!」
次の瞬間、足元に放られたもの、それが何か確かめるまでもなく、おれは――
おれは、馬鹿だ――
足元に、真帆がいた。
目は驚愕に見開かれたまま、胸に大穴を空けていて、頭のほとんどは、もうぐちゃぐちゃに潰れていて、――……
『涼司……』
ここまで頭を潰されたのは、オウガとして蘇れないようにするためだろう。
こんな状態じゃあ、例えウィルスを投与しても、自我のないオウガにしかなれない。
いや、違う。そもそも、彼女をまたそんなモノにするつもりなんて、
『――涼司』
『兄貴……』
誰かの意識が雪崩れ込む。妙な響きがこだまする。
――………
「少しは本気になったァ?」
顔を上げると、奴がいた。
手に纏わりついた血を舐め上げながら、嗤いかけてくる悪魔。
「それとも、もう壊れた? 絶望しちゃった? 泣き叫んでみせてくれるゥ?」
おれはただ、相手を見返す。
「――待たせたな。もう待ったは無しだ」
ブルりと。
少女の皮を被った悪魔が体を震わせる。
その口を開きかける前に、全力で殴り飛ばす。
辺りの木々がなぎ倒される。
でも、こんなもんじゃすまさねぇ。
こんなのは、ただの挨拶だ。
コロス。
絶対に。
お前だけは絶対に、確実に殺してやる……!!!
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5-21 最後の惨劇




