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慟哭の夜を笑っていけ  作者: 水城リオ
第5章 慟哭の彼方へ
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5-20 欺瞞のカタチ②

「――オマエに従う?」 

「そ、世界をもう少し刺激的にするのよ。あなたも一緒にどォ?」

「刺激的、って……」

「もちろん、この力で遊ぶのよォ。苦労してあちこちに巻いた火種がようやく燃え広がってきたんだから、ここからが本番でしょォ」


 ――何だよ、それは。おれが応じるとでも思ってんのか。


「断ったら?」


 ふふっ、という声が聞こえた。

 目の前が赤く染まる。――、え?


 激烈な痛みが押し寄せてきた。

 視線をずらすと、左腕が、な……


 いい加減、大概の痛みには慣れていた。けど、何も感じないわけじゃない。

 というか痛ぇ、痛ェだろうが!!


 込み上げてくるのは悪意の塊。今までのように散らしてくれる奴の気配は、もう、ない。

 ……くそっ、これを抑えんの、こんなにキツかったかよ……!


 傷口を抑えながら、奥歯が割れるほどに噛み締める。力を捻り出そうと歩幅を開いて、それでどうにか狂った衝動をやり過ごす。

 けど、何をされたか、全然分からなかった。余りにも早すぎた。


 これじゃあ、次に何かされても……ああくそ、上手く頭が回らねぇ……!


 歯噛みしながら堪えていると、腕の再生が始まる気配があった。その分、猛烈に腹が減る。嗅覚が甘い匂いに反応する。


 これは、真帆か? ……あぁくそ、絶対に手なんか出さねぇ!!


 唇を噛み千切る思いで耐えていると、突然、目の前を何かが過ぎった。

 とっさに反応できなかったのは、スピードが早かったせいじゃない。理解できなかったからだ。

 足元にボトリと落ちてきたもの。これは、

 ――おれの、腕?

 状況が理解できない。どうして腕が――、

 顔を上げると、シンシアもどきが鼻で嗤いながら、顎をしゃくっていた。


「それ、さっさとくっつけちゃいなさいよ。これ以上、おつむがオシャカになったオウガと話したって、何にも面白くないんだからァ」


 ……。

 言わんとしていることは分かった。これは警告と、そういうわけか――くそっ。


 腕を拾って傷口に押し当てると、接合部がびくりと波打つ。肉片が盛り上がって、すぐに結合に入る気配がある。相変わらず、おぞましい妖怪でも見てる気分だ。

  それでも、吹き荒れる飢餓感が収まっていくのは助かった。使ったエネルギーだか何だかを補給したわけじゃないから、全てが元通りとはいかないが、それでも随分とマシになる。それでようやく、頭もまともに働き出す。


『次元が違う』

 そう言っていた仁科の言葉の意味を、今さらながらに理解した。

 コイツはヤバすぎる……。

 内心で呻いちまった。

 オウガとしての格と年季、そんなものの違いをひしひしと感じた気がする。正直、これほどとは思っていなかった。――甘く見ていた。


 おれも、力を暴走させる度に強くなる。無意識下での力の使い方が分かるというか、どうすれば力を引き出せるかが分かっている。そんな具合だ。

 仁科との戦闘で、おれは完全に力を解放した。それでまた、おれは一段と強くなったはずだった。だからきっと手が届くと、頭のどこかでそう思っていた。――けど。

 全然足りなかった。コイツに張り合おうと思ったら、また力を暴走させなければなきゃならないだろう。けど、そこまでしても勝てるかどうか……。


「理解が早くて助かるわァ。さすが、ここまで生き残っただけのことはあるわねェ」


 褒められているようだが、例によって、少しもうれしく感じなかった。

 あくまでも上から目線。要はそれだけ力量差があるってことだ。ふざけやがって。


「中途半端なオウガって嫌よねェ。格の違いが分からなくて、無駄に私に向かってくるんだから。全く、馬鹿馬鹿しいったら」


 苦虫を嚙み潰した気分だった。


「お前、何がしたいんだよ。これほどの力があるのなら。もしお前がその気になったら、世界なんて、とっくの昔にどうにかできたんじゃねぇのかよ。なのに、こんな迂遠なやり方しやがって」


 そう訊かずにはいられなかった。

 だってそうだろう。なんで今まで、おれたちの好きにさせていた?


「本当に何が望みだ。そもそも、お前になら、クローンのシンシアを助けてやることだって――」


 言いかけて、息を飲む。


「あの子を、何? 助けるですって?」


 息苦しいほどの悪意。それが目の前の少女から放たれていた。


「あは! あはははぁ! 誰がそんなことするのよ!」


 嘘だろ、おれが……。


 身体が震えていた。条件反射だ。意識すれば止められる。

 けど、大量に脂汗が滲むくらいの意志の力が必要だった。

 目の前の殺気が止まない。あどけない声で、身がすくむほどの憎悪が溢れる。


「勘違いしないでよね。私が! あの子を! あの場所に放り込んでやったの。ようやく、面白いことになりそうだったのに、それをアンタが――」


 何が言いたいかは察した。察して、どうにか睨み返した。

 おれがお前の邪魔をしたと、そういうことか。だからこんな、回りくどいやり方をしてんのか?

 だけど、だったら猶更だよな。これ以上、気おされてたまるかよ……!


 唐突に殺気が止んだ。

 異様に、異常に、底抜けに明るい声が響く。


「あっさりと解放しちゃうんだもの。口惜しいったらないわよねェ!」


 そういってウィンクしてくる。正直、ぞっとしちまった。

 ……ホントに何なんだよ、お前……。


「あら、いい顔。やっぱり、そうでなくっちゃ。あれ以来、あんたのことはずうっと見てきたんだから」

「……見てきた?」


 何だか、気色の悪いことを言われた気がする。


「あら、分からない? アタシが本家本元なのよォ。あんたたちにできることは当然、アタシにもできるってワケ。ちょっとレベルが違うけどねェ。

 あら、やっと気がついた? そうよぉ、ウィルスに感染した相手だったら、まぁ大抵は思考も記憶も辿れるわけよ。何を考えているのかなんて全部ぜぇんぶお見通し――ねぇ、これってすごくない?」


 ――すごくない? だと?

 ひどい不快感がこみ上げる。

 だってそうだろ。得意げに話すその精神構造が、全くもって理解できない。


 分かっていておれたちを泳がせていたと、そう言いたいのか? 何のために。

 そもそも、そんなことが可能なら。本当にそんな真似ができるなら、それこそ、助けを求める声が世界中から届いてたんじゃねぇのかよ……!


「アハ! そう! もぉ最高よォ!誰かに必死で乞い願ってさァ、でも叶わなくて、絶望に染まって狂気に堕ちる様なんて。もう最っ高! 身震いしちゃう!! アンタもまさに、そんな感じだったけどォ!!」


 …………。

 憤るより何より、ただ口がきけなかった。

 何だこいつは。何でこんなにおぞましい思考をしてやがるんだ。

 こいつが、シンシアと同じ遺伝子をもつだって?

 ―――……いや、でも。

 あのシンシアがクローンだっていうのなら、コイツだって本当は……。


 突然、大爆笑が聞こえた。


「あハっ! あははあはァ! 何考えてるのよ? ばっかみたい! 何を期待してるのかしらァ!」


 いけねぇ、意識を閉ざさねぇと、コイツには思考を読まれる……!


「全く、あんたって本当にばかよねェ。何度繰り返せばいいのォ? 人類みんな、根はいい奴とか?! そう思いたいの? 何よそれェ」


 それから、あぁ、という顔をする。


「そっかそっかァ、あんたは信じたいのね、本当は自分もそうだって。今、バケモノになって人を殺して回ってるのだって、全部周りのせいだって。そう思いたいんだァ!!」


 爪が食い込むほど拳を握る。

 コイツはどんだけ性質たちが悪いんだ。

 仁科の比じゃない。あいつが可愛く見えてくるほどだ。


「安心なさいよォ。あんたのは単なる自己欺瞞だから。ぬるま湯で育ったときの擦り込みに縛られた、憐れでおバカな偽善者だからァ。

 人間なんてね、誰かを蹴散らしてすっきりしたいのよ、本当はねェ。みィんなどこかで、そんな願望を持ってる。でもそれって、限りある資源の中で生き残るためには、当然の思考じゃない? 生存本能と言い換えてもいいかしらァ?

 でも、蹴散らすだけだと、大自然の驚異ってやつには勝てないじゃない。一人で凌げる力がないから。だから、群れることを覚えたワケ。群れて共生して、それでどうにか生き残ってきたわけよ。

 でも、群れる必要がなくなったら? 誰かに依存する必要なんてないでしょォ? 踏み潰して従えて、それの何が悪いのォ? それが自然の在り方ってもんでしょうに。

 アンタもさァ、もっと本能に従いなさいよ。実際あれでしょ、何度快楽に身を任せたか分からないのに。そのたびに何なのォ? ばかみたいに悩んじゃってさ。そんなんだから、いつまでたっても弱いままなんでしょうが!」


 耳障りな言葉。聞いているだけでむかむかしてくる。

 おれ自身、忘れかけていた。何でこの力を失くしたいのか。どうしてそこまで嫌悪したのか。


 生存本能? 何を言ってる。おれ達はただのバケモンだろうが。

 命を喰らって、喰らいつくして、それで全部が壊れちまっても気にしない、ただのいかれた死にぞこないにすぎないだろうが!

 お前のそれは、破壊願望の間違いだろう。幸せに生きてる奴らを羨んで、自分と同じところまで引きずり込んで、それで心底笑っていられるただの悪魔だ。

 あぁ悪かったよ。お前があのシンシアと同じとか。

 だから語るな。そのお前が生を語るな。おれとお前を、他の奴らと同列に語るなよ……!


 睨み付けると、まるで舌なめずりしそうな顔が蠱惑的に微笑んだ。


「うふっ、なぁにィ? 全く同意できないって顔してるわねェ。惜しいわァ、結構イイ線まで来てると思ったのに。下らない執着なんか捨てて、もう一度狂気に身を任せればアタシに届くかもしれないのに。試してみないのォ?」


 ……ダメだ、コイツだけは残せない。彩乃達がいる世界に残しておけない。


 でも、だったら、どうすればいい? 今の状態でやり合ったら瞬殺される。

 なら、従うフリをすりゃぁいいのか。その間に、おれがもっと力をつければ……

  って、あぁくそ、仁科の時と同じじゃねぇか!


 結城と中嶋には、あれだけ反対されたけど。

 こいつに対抗できる力を得るまでだって、そう割り切れば。

 今までだって大丈夫だったろ、あと少しくらいなら――


 思いかけて、今さらのように思い至る。

 もう今までのようには、いかないことに。おれの歯止めは、もういないことに。


 最近はずっと、あいつに判断を預けていたのに。

 久瀬の、あいつの反応で、物事を判じるようになっていたのに。見知った相手は別だけど、正直、どうでもよくなっていた辺りなんて特に……。


 もちろん、久瀬だって、どこかおかしいのは分かっていた。

 この先、誰の下につこうが、おれが命を喰い荒らすことに、大した違いなんてないんだろう。ただ嬉々として行うか、忌避しながら行うか、せいぜい、その違いがあるだけだ。 


 だけど、それでも。

 折角おれが気分良くなりかけてるのに、あいつが眉を顰める感覚があると、あぁ、これはマズイんだなぁとか、そんなことを思うようになっていた。

 島外に出れば、お決まりのように意識が飛ぶことも増えていたし。その度に無理やり、意識を引き戻されていたんだが。

 これってつまり、久瀬がいたから、ようやくギリギリ今のおれに戻れていたってことだよな。あいつがいなけりゃ、おれはもう――……


 思わず嗤っちまった。

 嗤っちまって、目を閉じる。

 けど、それはいい。背に腹は代えられない。

 ここで諦めるのだけはナシだ。だったら、泣き言なんか要らねぇよな。


「――なぁ、お前に従うって言ったら、どうする?」


 目の前の少女は目をぱちくりさせて、

「あら、そうくる?」

 ニタァと嗤った。

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