5-15 想いの残滓
お前、どうしてここに! というより、その姿は――……
仁科が揶揄るように笑う。
「お前に近づきたい一心で、彼女は自ら欲したんだ。身体の成長をね。苦痛なら耐えてみせるからと。全く健気じゃないか、妬けるねぇ」
その言い方にはひたすら苛立ちが募ったが、それより何より、上手く状況が呑み込めなかった。つまり……、
「希望を叶えて欲しくば、私の指示通りに動きたまえ。そう条件を出したら、彼女は自発的に従ったわけだ。まさか本当に実行するとは驚いたがねぇ。
私が島を出るのに合わせて、こっそりとついてきた。だから私も約束を果たし、この地で見事に成長させてやった訳だ。どうだ? むしろ感謝してほしいくらいだがねぇ」
大方、誰かに相談したら反対されるだけだからって、黙ってやったことなんだろうが。
だからってお前、そこで仁科を頼るか――
改めて真帆を見ると、泣きそうな顔でおれを見つめてくる。大人びた姿で、まるで子供のような仕草。
そんなナリでも、まだ小学生くらいの思考回路なんだよな……。
思わずため息が零れそうになったが、どうにかそれは飲み込んだ。
それに何より、おれだって衝撃を受けていたんだ。そこまで思わせていたことに。
だってお前、毎日のように会ってただろう。結構楽しそうにしてたじゃないか。
あのままじゃダメだったのか? 一体何が不満なんだよ!
思いかけて、唇を噛む。
いや、今はそれよりも――、
『他の奴らは?』
まさか、他の奴らも拉致したなんて言わないだろう。いくら何でも、久瀬もそこまで甘くないはず。
それとも、件の創始者とやらが動いたとでも言う気か……?
仁科は鼻で嗤うようにした。
「余りにも力の差がある場合はな、本当に人質を取る必要はないのさ。脅すだけでいい。その意味くらい、お前にも分かるだろう?」
どうやら、まだ手を出してはいないらしい。そのことには正直、ほっとしちまった。ただ、その気になれば、どうとでもできると言いたいわけだ。
都合のいいハッタリにも聞こえるが、あながち嘘でもないんだろう。こうまで、おれを好き勝手に出来る力を持っていたんだ。さすがに笑い飛ばせない。
「まぁ、そこの結城君、――真帆君と呼んだ方がいいかな、彼女の存在は都合が良かったがねぇ。お前にとっては分かりやすい象徴だろう?」
真帆がいっそう身を縮こまらせる。別に拘束されている訳じゃなかったが、今の仁科で、この距離だ。抵抗の余地なんてないだろう。それは真帆も分かっているようだった。
『――で、おれにどうしろって言うんだよ』
これ以上は、見たくなかった。
申し訳なさそうにする真帆の姿なんか。
『お前には従うと言っただろ。これ以上、どうしろってんだよ』
我ながらガキみたいな言い草だと頭の片隅で思ったが、自制なんて効かなかった。
仁科がくつくつと嗤う。
「分かりやすくていいねぇ。ふむ、そうだな。ならば、殺してみせてもらおうか」
『……誰を』
どうせろくでもない依頼。というか、今の仁科なら自分でやればいいものを。
「もちろん、久瀬君だよ。彼の死体を我々に届けた時点で、本気で従う気があるものと見做そう」
――久瀬を?
少しだけ面食らった。
おれが今も、リアルタイムで久瀬に状況を伝えていると、承知の上で言ってやがるのか。
「お前はもとより、他の誰であろうと、創始者の脅威にはなり得ないだろうがねぇ。そうは言っても、久瀬君の存在は少々目障りなんだよ。知り過ぎている上に、今後も我々と価値観が交わることはなさそうだ。お前のように、誰かを人質に従わせるという手も通用しそうにない。まぁ残念なところだが、この辺りでそろそろ退場願いたいわけだよ」
少しだけ意外な気がした。
先刻も思ったことだが、こいつの中で久瀬の評価は結構高い。そうとしか聞こえなかった。
――まぁそんなことより。
『お前の言う創始者とやらにかかれば、簡単に殺せるんじゃねぇのか。さっさと消したいなら、おれに頼らず、自分達でやったらどうだ』
仁科は鼻で嗤った。
「分かってないなぁ、それではお前が飼い主を変えた証明にはならないだろう。それにこれは、私の温情でもあるんだよ」
――あ?
「お前にとっても、彼は憎い復讐相手のはずだろう。お前がこうなったのは、全て久瀬君の差し金によるものだ。そのお前に報復の機会をやろうと言うんだ。そう悪い条件ではないだろう?」
おれが睨むと、仁科は肩を竦めてみせた。
「あぁ嘘ウソ、知っているとも。君等の間で一定の協力関係が出来上がっているのはね。だからこそ、これを試金石にしようというわけだしな。とはいえ、お前もまさか、彼女達より久瀬君の方が大事などとは言うまい?」
……さっきから久瀬は無言だ。感情の起伏も伝わってこない。
おれの選択を待つ気なのか?
大人しく殺されてやる気はないと言っていたが、おれが本気になったら、あいつだって取れる選択肢はいくらもないだろう。なのに、おれを思い留まらせようとはしないのか。
確かに、創始者の力とやらが本物なら、目を付けられた時点で終わりだ。例えおれが何を選ぼうと、久瀬が生き延びる可能性など無いに等しいんだろうが。
そこまで思って、ふと違和感に気づく。
でも、本当にそうだろうか?
もし、そこまでの実力差があるのなら、なぜ今までおれたちを放置していた?
確かにこうして、格の違いを見せつけられてはいる。けど、どこかに弱点だか制約でもあるんじゃないのか。
この力だって、おれのクローン細胞を使ったから、とか言ってやがった。それがホントか嘘かは知らねぇが、実はそっちも結構ギリギリ、それが実態だったりするんじゃねぇのか?
そもそも、おれ個人の感情を抜きにすれば、久瀬は未だに、おれにとってもキーマンだった。このふざけた力を消し去りたいなら、あいつの人脈と能力を活用した方が確実に進むだろう。おれは暴れるしか能がねぇし。
朝倉や親父なら多少は知恵が回るだろうが、今はどうしたって久瀬の方が安定感がある。経験も実績も圧倒的だ。ずっと闇に潜んでやがった創始者が出てきたなら、尚更だった。
――けど。
目の前の真帆の命は、間違いなくコイツに握られている。もし、おれが断れば。あるいは、おれが失敗したら。久瀬を殺せなかった時点で、真帆は殺されるだろう。おれの目の前で、仁科が真帆を喰らって見せるか、あるいは無理やりおれに喰わせるか。
思って、腹の奥が灼ける気がした。
あぁ……ダメだ。仁科なら絶対にやる。やらないわけがない。
胃の奥がキリキリとする。
あぁくそ、何でおれはこんな野郎を、一瞬でも見逃そうとか思ったんだ。
馬鹿かおれは、大馬鹿ヤロウか……!
「ふっ、まぁ5分くらい待ってやろう。彼女ともよく相談するといい」
……その余裕は何なんだよ。おれが折れるとでも踏んでやがるのか。
胸倉を掴み上げてやりたかった。――けど。
チクショウ! 何だってここまで身体が動かねぇんだよ!
「ほらほら、時間を無駄にしていいのか?」
煽る声に唇を噛む。
だけどとっくに、答えは出ていた。
嫌悪感など糞くらえ。
久瀬にも死んでもらうしかない。あいつが余計な真似などしなくても。
――……ブツッ。
ラインが断絶する気配。
これでもう、こちらの様子はあいつには届かない。
はは、どうせ世界は理不尽だらけだ。おれ達みたいなバケモノが、いようがいまいが変わらない。
だったら、目の前の奴を助けて何が悪い。真帆を犠牲にしてまで、この力を消す必要がどこにある?
けど、
『ダメ!』
強い拒絶の声に頭が痺れた。
いつの間にか、真帆に手を握られていた。
『これ以上、あんたの願いを殺さないで!』
声の調子がどこか――
……いや、またいつもの妄想だろう。こいつは真帆だ。だからおれが――
『その一人で思い込むクセ、止めなさいよ!』
――あ?
何だろう、その言い方。まるで、結城、みたいな、
『みたいじゃなくて、私よ! 結城!』
思わず真帆を見返しちまった。
確かに見かけはそっくりだけど――……
『シャキッとしてよ、いい加減! ちょっとそこまで馬鹿になったの?』
思わずむっと来ちまって、
――いやいや、待てよ。だったら真帆は? あいつはどこに行ったんだ?
『いるわよ、あの子も。――裕香もね』
――はあ?
おれの頭がついにぶっ壊れたのか。何言ってんだよ、支離滅裂もいいところだろう。
『ちょっと、アンタ、』
『涼司君。また会えてうれしい』
どうやら本格的にダメになっちまったらしい。幻聴まで聞こえやがる。
って、遮断した途端にこうなんのかよ……。
ちょっとゲンナリしてしまう。
粋がってはみたものの、結構おれってヤバかったんだな……。
『もうっ! 私たちは本当にいるの! 信じて!!』
射抜くような視線。そこに浮かぶ強い色。
――………本当に?
ふいに、瞳が優しい色を帯びた気がして、その瞬間、息が詰まった。
まさか、本当に、そこにいるのか……?
『ごめんね、矢吹。最後まで約束、守れなくて……』
……っ!
『でも! アンタってまた何か、馬鹿なことをしでかしそうになってるんでしょ!? これじゃあ、おちおち眠れないじゃない!』
減らず口が結城らしい。笑っちまうほど結城らしくて。
正直もう、期待なんかしちゃいなかった。こうして言葉を交わせるなんて……。
『や、なによ……』
おれの反応に戸惑ったのか、結城がどこか怒ったような声を出す。
『もう。真帆さんったら、ホント素直じゃないんだから……』
苦笑するような中嶋の声。
嘘だろ、こんなの……。
中嶋も、そこにいるのか。
中嶋まで、そこにいるのか。
だったらもう。だったら尚更、二度と失う訳にはいかない。あんな終わりは二度とゴメンだ……!
そう思った途端、強い拒絶の念が届いた。
『聞いて! あんたは心底、この力を憎んでいたはずでしょう? 必ずいつか根絶やしにする。そう言い聞かせて、ここまでやって来たんでしょう?!』
――だから、それは、
『なのに、ここで仁科に従う? それ、どういう意味か分ってる? 仁科はね、世界の混沌を望んでいるのよ。創始者もそう。管理するなんてお為ごかしよ。それにあんたも加担する気?』
――加担って、お前……
『彼等はね、他者の嘆きが愉しくて仕方ないのよ。慟哭と怨嗟の声に興奮するの、そういう類の人間なのよ。そんな奴らに従うだなんて、今度こそあんたは壊れてしまう。今は良くても、絶対に――』
一方的にまくし立てられ、何だか次第に苛ついてくる。
おまけに何だよ、おれが壊れる? 何言ってんだよ、今さらだろう。
おれは、お前等さえ無事なんだったら――
『お前等、っていうのが私達も含んでいるなら。それは違うわ、真帆だけよ。それもわずかな時間に過ぎないけれど――……』
結城が何か言い淀み、それから静かな声が聞こえた。
『私たちはね、幻みたいな存在なのよ。だからやっぱり、ずっとここにはいられない。貴方と共に在れるのは、……もうあの島にしかいないのよ』
何を、言ってる……?
苦笑する気配がして、結城の腹を括ったような声が続く。
『要はね、真帆の馬鹿が私たちを食べたから。それで一時的に呼び醒まされたの、私たちの残滓がね。ただ、それだけのことだから――……』
言われたことにぎょっとする。
食べた? 真帆が? お前等を――?
おれは結城を、真帆を見返す。真帆がびくりと身体を震わす。
知られたくはなかった、とでも言いたげな。
いや、何、どういうことだよ!?
『大方、私たちの記憶と力を、取り込もうとでも考えたんでしょ』
全くもう! とでも言いたげな響き。
『結局は失敗したけど――』
『成功したじゃん!』
『失敗でしょうが! こんなことして――』
ち、ちょっと待て。お前等ちょっと、分かるように説明してくれ!
何でだろう、3人が顔を見合わせる気配が分かる。
目の前にいるのは真帆一人なのに。
――いや、何がどうなってんだよ!
『この状態はね、長くは保たない。じきに私達は消えてしまうわ。そうしたら多分……』
少しだけ哀し気な響き。それに重なるのは、憤慨したような声。
『だからね、こんな危なっかしい子だけ残して、あんたが先に壊れるところなんか見せらせないじゃない。もう二度と、誰にも見せられない!』
頭の中が混乱してくる。
今の状態が保たないって……。
それに何だよ? おれが壊れる?
さっきから何言ってんだよ、これ以上は変わらねぇだろ! ……いや多分。
島にはチビどもだっているんだぞ。それを置いて壊れきったりするもんか!
『あんた、不器用だから。きっと踏ん張ってくれるわね。でもだめよ。自分を誤魔化し続けたら。きっとあんたは、今のままじゃいられなくなる』
――今のまま? 今のままって何だよ。
『彼女たちさえ無事ならいいって、そう本気で思ってないでしょ? なのに無理して、仁科に手を貸す? そんな真似を続けていたら、あんたは絶対苦しくなるわ。そのうち何も感じなくなる。そんなあんたは、もうあんたじゃないでしょう?
彼女たちも必ず気づくわ。そんなあんたは望まない。なのにあんたは、その想いすら理解できなくなってしまうの。
ねぇ分かる? そんな姿を目の当たりにさせられるのなんて、拷問以外の何物でもないのよ!』
……何だよそれは。おれはそんなに繊細じゃねぇ。
大体、今だって思ってるよ、お前等さえ無事ならって。それを今さら――……
言いかけて、おれは嗤う。口の端が歪んでしまう。
あぁ、お前等は知らねぇのか。あれからおれが何をしたのか。どれだけ人を踏み潰してきたのかを。お前等が消えたのって、もう随分と前だもんな。
『矢吹』
『涼司君――』
――昔? 昔は違ったって言うのなら、おれはとっくの昔に壊れてんだろ。
仁科に対して心の底から憎悪できなくなったのも、見逃そうとしたのだって、それが原因だったのかもな。
『涼司く――』
だけど心配するなよ、真帆は守るさ。チビどもだって。彩乃と水野、それくらいなら守ってやるよ。だけど他は知ったことか。
『矢吹!』
……あぁ、これがお前等の言う『理解できない』?
はは、そうか。だったらもう、手遅れなんだろ。
おれはそこの仁科と同類、そういうことだろ。
確かにな、嫌悪するだの何だの言っても、好き勝手にやられて忌々しかっただけなんだろう。もう片足どころか、どっぷり全身、同じ側に染まっちまった。
周囲を破滅させるただの化け物。それだけの――
『違う!』
『それって自嘲でしょう? そんな自分が嫌なんでしょう?!』
『今だって苦しんでるくせに!』
『でも、このまま突き進んだら、あんたは本当に何も感じなくなる。そんなあんたを見たくないの! 見せたくないの! 』
『彼女たちを大事に思っているのなら、お願い! その想いも尊重して!!』
……どうして今さら、胸がざわめく。
ここでコイツに従わなければ、結局全員、死ぬだけだろうが。だったら――、
『一つ、いい方法があるの』
反応する間もなかった。
真帆が突然、仁科に飛びかかる。
って馬鹿か! お前が敵う相手じゃねぇだろう!!
――と思った矢先に、突き立っていた。
仁科の胸に、真帆の腕から飛び出た刃物が、深々と。
『お前、その腕――』
「義手よ、特別製。中に対オウガ薬も仕込んでいたの。だから今のうちに――」
「はは、交渉決裂だなぁ!」
――真帆っ!!




